2011年09月14日
日本国憲法の見直しなくして日本の再生はない!
野田総理が所信表明演説を行った。国造りの理念として「東日本大震災の復旧・復興と原発事故の収束」「日本経済の建て直し」を最優先課題に掲げ、現在の我が国の状況を「国難」と表した。「福島の再生なくして日本の信頼回復はない」と福島を持ち上げて被災者への賠償や仮払いを急ぐ考えを示した。結局は血税のバラマキ。
福島県民の一人として言わせて貰うなら、被災者への賠償や仮払い如きが福島の再生で、それが日本の再生だと本気で考えているのであれば本末転倒である。
「福島に生まれて、福島で育って、福島で働く。福島で結婚し、福島で子供を産んで、福島で子供を育てる。福島で孫を見て、福島で曾孫を見て、福島で最後を過ごす。それが私の夢なのです」と、地元女子高生の言葉をパクって悦に入っていた。
野田の演説は、先日の相田みつをの「金魚にはなれねぇんだよ」と同じく、愚生の心には響くものは無かった。心の琴線に触れるべき言葉がパクリではダメだろ。
エネルギー対策、円高、財政健全化、社会保障改革、日米同盟、日中関係、拉致問題、北方領土問題と卒なく熟していたが、組閣同様「均衡」だけを意識した中身の無い演説に終始していた。雑食のどじょうらしいといえばそれまでだが(笑)
勝海舟の「正心誠意」の言葉を引用し、己の愚直さと誠実さを訴えたつもりだろうが、それも何となく愚生には「無難な男」としか感じなかった。何事も卒なく熟す無難な奴が、この国難と言うべき混乱の時代を乗り切れるとは思えない。総理の任期を無難に全うすることだけを目指しているだけにしか思えない。
社会保障改革や財政再建を目指したところで真の日本再生は無い。国防と教育こそ国家の大本であり、国防と領土保全と防災は一線上に在るという観点から、国家・国民の安全を考えることこそ大事で、それにはやはり現憲法の見直しこそ急ぐべきなのだ。昨日の所信表明演説では、国防も教育も憲法の文字も一度も出なかった。
党綱領も創れない民主党が国家の再生を訴えたところで、所詮は画餅に帰すことは火を見るよりあきらかなこと。「希望と誇りある日本に向けて」と仰仰しく宣った割には、教育論は一切語らず終いでは、希望も誇りも持てる筈もあるまい。
野田は、「歴史的国難から日本を再生して行く為、全国民が心を合わせて、力を合わせて、この危機に立ち向かおうではないか」と締め括ったが、この言葉というか内容は震災後に陛下が賜れた御言葉のそれと同じ。これもパクッたのか。
議論を通じて合意を目指し、真剣に日本の再生を図るなら、与野党一致して憲法論議を活発に行い、戦後政治の総決算として日本人自らの手で新たな日本国憲法を創るべだ。震災復興も大事だが、復興は時間が経てば成し得ることなのだから。
だが、祖国日本の再生は時間が解決出来るものではない。政治家どもは自己保身、権力欲、偽善、国民不在の政争に狂奔するばかりで、敗戦の汚辱を払拭しようとはせず、国家の大本を米国に委ねていることを恬として恥じ入ることはない。
日本精神を失った国民も、「脱原発」を声高に叫んではいるが、人間本然の大切なものを失い、便利という価値観に溺れた人間が、その便利さを放棄出来るとは到底思えない。何度も言うが、国家の大本は「国防」と「教育」である。
野田の所信表明演説にその二つは無い。二つに不可欠なものは「愛国心」であり、愛国心無き国防も、国防無き教育も無い。民主党政権にはこの「愛国心」が決定的に欠けている。国を愛するという心情は理屈ではなく極めて自然な感情だ。
女子高生の「福島で生まれて、福島で育って・・・」の台詞も地元を愛する自然な感情で、地元への郷土愛こそ日本人の愛国心の真髄なのだ。
今こそ「不条理の政治」の象徴であり、国家の元凶である日本国憲法を破棄し、日本人自らの手で憲法を創り、敗戦汚辱の払拭と真の独立を果たそうではないか。それこそが真の日本再生であり、震災復興にも繋がるものだと信じて止まない。
福島県民の一人として言わせて貰うなら、被災者への賠償や仮払い如きが福島の再生で、それが日本の再生だと本気で考えているのであれば本末転倒である。
「福島に生まれて、福島で育って、福島で働く。福島で結婚し、福島で子供を産んで、福島で子供を育てる。福島で孫を見て、福島で曾孫を見て、福島で最後を過ごす。それが私の夢なのです」と、地元女子高生の言葉をパクって悦に入っていた。
野田の演説は、先日の相田みつをの「金魚にはなれねぇんだよ」と同じく、愚生の心には響くものは無かった。心の琴線に触れるべき言葉がパクリではダメだろ。
エネルギー対策、円高、財政健全化、社会保障改革、日米同盟、日中関係、拉致問題、北方領土問題と卒なく熟していたが、組閣同様「均衡」だけを意識した中身の無い演説に終始していた。雑食のどじょうらしいといえばそれまでだが(笑)
勝海舟の「正心誠意」の言葉を引用し、己の愚直さと誠実さを訴えたつもりだろうが、それも何となく愚生には「無難な男」としか感じなかった。何事も卒なく熟す無難な奴が、この国難と言うべき混乱の時代を乗り切れるとは思えない。総理の任期を無難に全うすることだけを目指しているだけにしか思えない。
社会保障改革や財政再建を目指したところで真の日本再生は無い。国防と教育こそ国家の大本であり、国防と領土保全と防災は一線上に在るという観点から、国家・国民の安全を考えることこそ大事で、それにはやはり現憲法の見直しこそ急ぐべきなのだ。昨日の所信表明演説では、国防も教育も憲法の文字も一度も出なかった。
党綱領も創れない民主党が国家の再生を訴えたところで、所詮は画餅に帰すことは火を見るよりあきらかなこと。「希望と誇りある日本に向けて」と仰仰しく宣った割には、教育論は一切語らず終いでは、希望も誇りも持てる筈もあるまい。
野田は、「歴史的国難から日本を再生して行く為、全国民が心を合わせて、力を合わせて、この危機に立ち向かおうではないか」と締め括ったが、この言葉というか内容は震災後に陛下が賜れた御言葉のそれと同じ。これもパクッたのか。
議論を通じて合意を目指し、真剣に日本の再生を図るなら、与野党一致して憲法論議を活発に行い、戦後政治の総決算として日本人自らの手で新たな日本国憲法を創るべだ。震災復興も大事だが、復興は時間が経てば成し得ることなのだから。
だが、祖国日本の再生は時間が解決出来るものではない。政治家どもは自己保身、権力欲、偽善、国民不在の政争に狂奔するばかりで、敗戦の汚辱を払拭しようとはせず、国家の大本を米国に委ねていることを恬として恥じ入ることはない。
日本精神を失った国民も、「脱原発」を声高に叫んではいるが、人間本然の大切なものを失い、便利という価値観に溺れた人間が、その便利さを放棄出来るとは到底思えない。何度も言うが、国家の大本は「国防」と「教育」である。
野田の所信表明演説にその二つは無い。二つに不可欠なものは「愛国心」であり、愛国心無き国防も、国防無き教育も無い。民主党政権にはこの「愛国心」が決定的に欠けている。国を愛するという心情は理屈ではなく極めて自然な感情だ。
女子高生の「福島で生まれて、福島で育って・・・」の台詞も地元を愛する自然な感情で、地元への郷土愛こそ日本人の愛国心の真髄なのだ。
今こそ「不条理の政治」の象徴であり、国家の元凶である日本国憲法を破棄し、日本人自らの手で憲法を創り、敗戦汚辱の払拭と真の独立を果たそうではないか。それこそが真の日本再生であり、震災復興にも繋がるものだと信じて止まない。
cordial8317 at 09:21