2011年07月31日
原水爆禁止世界大会・福島大会粉砕! 馬鹿野郎!「フクシマ」を利用するな!
毎年8月6日の広島、9日の長崎と原爆が投下された日に焦点を合わせ「原水爆禁止世界大会」が開催されるが、今年は原発事故を利用して福島県で開催される。
「核も戦争もない平和な21世紀に!」をメーンスローガンに「脱原発」を訴えるが、こうした蛆虫連中に福島が利用されることに憤りを感じる県民は少なくない。
街宣車があったならば会場に馳せ参じ迷惑千万と徹底した糾弾活動を展開したいところだが、拱手傍観するしかない現状は右翼浪人ながら実にもどかしくもある。 この「原水禁運動」は、初めは純然たる市民の署名活動から始まったものだ。
この署名活動の輪が急速に全国に広がって行くのに目をつけた社民党(旧日本社会党)と日本共産党が、これらの署名活動に割り込みを謀り、そしてイデオロギーに汚染させ、終には主導権争いを演じて分裂させてしまった。
それが社民党系の「原水禁」であり、共産党系の「原水協」である。連中の目的は「平和」とか「核廃絶」とか「脱原発」とは名ばかりで、原爆を投下したのが米国だから騒いでるだけなのだ。このどこが平和運動なのか。
執拗にこの「原爆投下」という古傷を暴き、日米離間を企て党勢拡大と革命謀略に狂奔しているだけ。これだけでも連中に「平和」など口にする資格はない。
先の大戦では日本と米国は国の威信を賭けて戦っていた訳で、新しい兵器を開発すればそれを使おうとするのは当然の話しであろう。米国の原爆投下にしても「三分の理」を認めざるを得ない。だが、ロシア(旧ソビエト連邦)はどうか。
長崎に原爆投下された9日未明、旧ソ連は「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し、満州や南樺太に侵略を開始し日本人同胞を虐殺し、領土を強奪した。この旧ソ連の鬼畜の如き蛮行で亡くなった方は、広島・長崎で亡くなった方を遥かに超える。
終戦後シベリヤに抑留され極寒の地で亡くなった方も数え切れない。抑留された日本人は軍属だけで60万人と言われているが、ロシアの資料に拠れば約70万人、米国の資料では約90万人と言われている。「平和」「核廃絶」「脱原発」を訴える平和屋連中がこの旧ソ連の蛮行を取り上げ、糾弾したことは一度たりとも無い。
今朝の地元紙に「脱原発よりも安全対策を施せ」という愚生の投稿が採用されていた。先日のブログ記事の一部を400程度に校正して投稿したものだ。
<菅直人首相が「脱原発」宣言し、民意の多くも賛成しているという。確かに原発事故の影響をもろに受けている福島県民として「原発さえなかったら」という思いは強い。だが、果たして資源の乏しい日本が、原発無し繁栄できるのか。産業振興、電力不足など不安は大きい。また、「便利」という価値観に溺れた国民も、石油や天然ガス、再生可能エネルギーだけでの生活に満足するとも思えない。太陽光発電は夜間や雨天、曇天では効果は少ないし、風力は風が吹かなければどうにもならない。原発はプルサーマルや高速増殖炉も実用化できれば、化石燃料に依存しなくてもかなりのエネルギーは自国で賄える。「脱原発」の理想は分かるが、それよりも原発の安全対策を施すことが喫緊の課題だと思う。福島原発の事故も防波堤などの整備を万全にしてさえいたら、大事には至らなかったと思うと残念でならない>
原水禁大会・福島大会の記事の隣には、原発の在り方や核の平和利用の是非を尋ねたのアンケート結果が出ていた。そのアンケート調査に拠れば 「原発を減らすべき」が67%という。善く善く見れば広島と長崎の被爆者アンケートだった。恣意的に「脱原発」を宣言した菅直人は、この結果にほくそ笑んでるに違いない。
「平和」「核廃絶」「脱原発」を標榜する胡散臭げな自称平和屋どもや左翼勢力は、こうした結果を世論の大勢だと利用するのは常套手段である。原発の問題は核武装という国防にも繋がる国家の大事であり、安っぽい風潮に流されてはならない。
「核も戦争もない平和な21世紀に!」をメーンスローガンに「脱原発」を訴えるが、こうした蛆虫連中に福島が利用されることに憤りを感じる県民は少なくない。
街宣車があったならば会場に馳せ参じ迷惑千万と徹底した糾弾活動を展開したいところだが、拱手傍観するしかない現状は右翼浪人ながら実にもどかしくもある。 この「原水禁運動」は、初めは純然たる市民の署名活動から始まったものだ。
この署名活動の輪が急速に全国に広がって行くのに目をつけた社民党(旧日本社会党)と日本共産党が、これらの署名活動に割り込みを謀り、そしてイデオロギーに汚染させ、終には主導権争いを演じて分裂させてしまった。
それが社民党系の「原水禁」であり、共産党系の「原水協」である。連中の目的は「平和」とか「核廃絶」とか「脱原発」とは名ばかりで、原爆を投下したのが米国だから騒いでるだけなのだ。このどこが平和運動なのか。
執拗にこの「原爆投下」という古傷を暴き、日米離間を企て党勢拡大と革命謀略に狂奔しているだけ。これだけでも連中に「平和」など口にする資格はない。
先の大戦では日本と米国は国の威信を賭けて戦っていた訳で、新しい兵器を開発すればそれを使おうとするのは当然の話しであろう。米国の原爆投下にしても「三分の理」を認めざるを得ない。だが、ロシア(旧ソビエト連邦)はどうか。
長崎に原爆投下された9日未明、旧ソ連は「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し、満州や南樺太に侵略を開始し日本人同胞を虐殺し、領土を強奪した。この旧ソ連の鬼畜の如き蛮行で亡くなった方は、広島・長崎で亡くなった方を遥かに超える。
終戦後シベリヤに抑留され極寒の地で亡くなった方も数え切れない。抑留された日本人は軍属だけで60万人と言われているが、ロシアの資料に拠れば約70万人、米国の資料では約90万人と言われている。「平和」「核廃絶」「脱原発」を訴える平和屋連中がこの旧ソ連の蛮行を取り上げ、糾弾したことは一度たりとも無い。
今朝の地元紙に「脱原発よりも安全対策を施せ」という愚生の投稿が採用されていた。先日のブログ記事の一部を400程度に校正して投稿したものだ。
<菅直人首相が「脱原発」宣言し、民意の多くも賛成しているという。確かに原発事故の影響をもろに受けている福島県民として「原発さえなかったら」という思いは強い。だが、果たして資源の乏しい日本が、原発無し繁栄できるのか。産業振興、電力不足など不安は大きい。また、「便利」という価値観に溺れた国民も、石油や天然ガス、再生可能エネルギーだけでの生活に満足するとも思えない。太陽光発電は夜間や雨天、曇天では効果は少ないし、風力は風が吹かなければどうにもならない。原発はプルサーマルや高速増殖炉も実用化できれば、化石燃料に依存しなくてもかなりのエネルギーは自国で賄える。「脱原発」の理想は分かるが、それよりも原発の安全対策を施すことが喫緊の課題だと思う。福島原発の事故も防波堤などの整備を万全にしてさえいたら、大事には至らなかったと思うと残念でならない>
原水禁大会・福島大会の記事の隣には、原発の在り方や核の平和利用の是非を尋ねたのアンケート結果が出ていた。そのアンケート調査に拠れば 「原発を減らすべき」が67%という。善く善く見れば広島と長崎の被爆者アンケートだった。恣意的に「脱原発」を宣言した菅直人は、この結果にほくそ笑んでるに違いない。
「平和」「核廃絶」「脱原発」を標榜する胡散臭げな自称平和屋どもや左翼勢力は、こうした結果を世論の大勢だと利用するのは常套手段である。原発の問題は核武装という国防にも繋がる国家の大事であり、安っぽい風潮に流されてはならない。
cordial8317 at 09:02