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2011年05月27日

5月27日の「海軍記念日」は父の命日

 今日5月27日は「海軍記念日」で亡き父の命日でもある。父は昭和3年生まれ。小浜村(現二本松市小浜)の高等小学校を卒業し15歳で海軍に入隊。横須賀海軍工廠で海軍軍人としての人生が始まった。その後、土浦の予科練を経て終戦に至る。

 郷土に帰還後は「相模屋衣料店」を起業し、町会議員を5期務めた。今思えば、生前に軍隊時代の思い出を詳しく聞いた事が無かったのが返す返すも残念なこと。

 実家の屋号の「相模屋」という名前を見れば、横須賀海軍工廠時代や相模原での思い入れが深かったことが分かる。何事にも厳しかったその父が今月27日に亡くなった。「海軍」との謂れや縁を感じ、この日は決して忘れることはない。

 明治38年5月27日、日露戦争に於ける海上での戦いである「日本海海戦」が行われ、東郷元帥率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃滅し勝利した日だ。

 この戦争に勝利することで、欧米列強に日本の地位を認めさせることとなり、幕末以来からの懸案事項であった不平等条約、畢竟、明治維新の真の目的でもあった「治外法権」「関税自主権」という二つの不平等条約の克服を達成することになる。

「治外法権」は、既に日清戦争後の明治32年に克服したが、残る「関税自主権」の回復を実現することで明治維新は成就し真に独立を回復することが出来たのだ。

 この日露戦争での勝利は、植民地にされていた民族の独立心を掻き立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がったことが大きい。日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種が白人に勝利することに拠って、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てたことだろう。

 日露戦争での日本の勝利は、我が国にとっても世界の有色民族にとっても誠に大きな意義を持つものでだった。そうした先人の決死の努力と苦労の上に、現在のこの日本という国家が成り立っていることに感謝せずにはいられない。

 大東亜戦争後、占領政策に拠って「平和主義」が蔓延り、戦争=悪といった短絡的思考が常識化しているが、「戦争」というのは国際法上、紛争を解決する手段としては認められている。単純に、「戦争」か「平和」かと問われれば誰でも「平和」の方が良いに決まっている。我が国の戦争への拒否感は単に敗戦したのが原因。

 国家間の紛争が、武力の行使無しに話し合いだけで解決されるのならばそれに越したことはないとは誰しも思うこと。国際社会に於いては、平和的解決が話し合いだけで解決されることは殆んど無い。平和的解決、非軍事的措置を採る方が遥かに犠牲者も多く、非人道的である場合が多いことも知らなければならない。

 戦争とは国際法で認められてる政治や外交の手段である。戦争=悪であるというような短絡的な思考しか出来ないというのは寧ろ暴走を招く危険もある訳で、もっと理性的な思考をしなければ、反って戦争を招き寄せることに為りかねない。

「日本国憲法」の前文に明記されている、「諸国民の公正と信義に信頼して云々」という様な、実にあやふやな「平和平和」と「護憲」という空念仏を唱えるだけで平和が訪れるという、「念仏平和教」を信仰するような状態こそ異常なのだ。

 戦後の日本人は基本的人権の尊重などと言い張って、国内に於いては権利のみを過剰に主張し続けている。だが、国際社会に於いて、国家の権利を主張せずに黙り込むというのは、余りにも論理の整合性に欠けていると言わざるを得ない。

 北朝鮮の明らかな国家意思によって、日本人同胞が誘拐・拉致されても何ら奪還する手立てを打たず、我が国固有の領土や領域をロシアや韓国や支那に不法占拠されているにも拘らず拱手傍観していることが真の独立主権国家と言えるのだろうか。

「海軍記念日」に当たり、先人の営為に思いを馳せると共に尊崇の真を捧げよう!

cordial8317 at 05:37
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