2011年02月10日
紀元節には明治神宮に参拝していたが
今日2月10日は「日露戦争」の開戦記念日。民族の生死を賭けた戦いが行われた日である。明治天皇の御遺徳と明治人の気概と誇りに感謝せずにはいられない。明日は「紀元節」。国士舘大学時代から例年、明治神宮へ参拝し御祝いしたものだ。
然し、平成16年に明治神宮は突如として神社本庁から離脱し一宗教法人となったことから、以降は明治神宮参拝を取り止め靖國神社にて建国祭を行うことにした。一昨年団体を引退してからは近所の開成山大神宮で神武肇国の精神を偲んでいる。
明治神宮側は神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、神社関係者への案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。
然し乍らこの説明は堅白同異の弁に過ぎず、神社庁での主導権争い及び神社庁幹部らとの確執の末の離脱というのは明らか。明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社であり、それを神官が私物化し、営利至上主義に奔っている現状は正に憂慮すべき事態といえよう。
本来、神社=神道とは宗教ではなく、日本人の心に清む惟神の道である。宗教法人の規定は、教祖と経典と布教活動の三条件が必要だが明治神宮はその何れも該当せず、神社本庁から離脱し、一宗教法人となることは到底理解出来るものではない。
建立の趣旨から鑑みても明治神宮側の離脱理由は逸脱するものであり、先人の努力も、国民の総意も踏み躙るものだ。それにも況して問題なのは、神職に携わる者が営利に奔っている事で、神社庁に属さなくても独立採算出来るというその姿は実に醜く、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては実に不謹慎過ぎる。
明治神宮側が一宗教法人となることは、現在宗教法人となっている靖國神社や全国の護国神社とは全く違う意味合いを持つ。靖國神社及び護国神社が宗教法人となっているのは、戦後GHQの「神道指令」を免れる為に已む無く採った智慧でである。本来ならば昭和27年4月28日の主権快復した折に国が護持すべきものであったのだ。
明治神宮の神社庁離脱は神道指令や占領政策を容認するもので、卑しい営利主義は、世に蔓延する拝金主義を助長するものだ。明治神宮側の猛省を促したい。
然し、平成16年に明治神宮は突如として神社本庁から離脱し一宗教法人となったことから、以降は明治神宮参拝を取り止め靖國神社にて建国祭を行うことにした。一昨年団体を引退してからは近所の開成山大神宮で神武肇国の精神を偲んでいる。
明治神宮側は神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、神社関係者への案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。
然し乍らこの説明は堅白同異の弁に過ぎず、神社庁での主導権争い及び神社庁幹部らとの確執の末の離脱というのは明らか。明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社であり、それを神官が私物化し、営利至上主義に奔っている現状は正に憂慮すべき事態といえよう。
本来、神社=神道とは宗教ではなく、日本人の心に清む惟神の道である。宗教法人の規定は、教祖と経典と布教活動の三条件が必要だが明治神宮はその何れも該当せず、神社本庁から離脱し、一宗教法人となることは到底理解出来るものではない。
建立の趣旨から鑑みても明治神宮側の離脱理由は逸脱するものであり、先人の努力も、国民の総意も踏み躙るものだ。それにも況して問題なのは、神職に携わる者が営利に奔っている事で、神社庁に属さなくても独立採算出来るというその姿は実に醜く、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては実に不謹慎過ぎる。
明治神宮側が一宗教法人となることは、現在宗教法人となっている靖國神社や全国の護国神社とは全く違う意味合いを持つ。靖國神社及び護国神社が宗教法人となっているのは、戦後GHQの「神道指令」を免れる為に已む無く採った智慧でである。本来ならば昭和27年4月28日の主権快復した折に国が護持すべきものであったのだ。
明治神宮の神社庁離脱は神道指令や占領政策を容認するもので、卑しい営利主義は、世に蔓延する拝金主義を助長するものだ。明治神宮側の猛省を促したい。
cordial8317 at 08:24