大相撲八百長騒動に思う紀元節には明治神宮に参拝していたが

2011年02月06日

小沢一郎は口下手で、酒好き、女好きの普通のオッサン

 マイミクの「剛腕実は田舎のオッサン」という日記は、小沢一郎の人となりがよく理解出来て実に面白く興味深い。宇田川敬介の「小沢一郎は何故期待されているのか」という口述を起こしたもので、読み難い部分は校正し転載してみる。

 小沢について国民は「剛腕」「壊し屋」というイメージが一般的であり、もう少し小沢の政策などを見ている人は、「親中・親韓・反米」というイメージなのかも知れない。では、「真実の小沢一郎」はどのような人物なのだろうか。実際に小沢一郎と親しかった小沢一郎政治塾の元塾生は、小沢に関してこう話している。

「酒飲んで女の話をしている分には非常にいいオッサンですよ。友達にもなれるし、笑って差が飲める。しかし、あの人が政治の話をするから可笑しくなる。その上影響力が有るから始末に負えない。あんなオッサンが『剛腕』とか言われていること自体、どうかしてますよね」 とは、何となくそんな感じには思えていた。

 実際に小沢に会った殆どの人が同じ様な感想を話すという。そこには政界を牛耳る「剛腕政治家」の姿は何処にも見えない。そんなものよりも、どちらかというと、「普通のおじさん」というイメージしかないという。逆に、何処から見ても弱弱しい、気の小さい、そして、酒好き・女好きな何処にでもいる初老の男でしかないのだ。(※初老とは四十歳をいうが、これは宇田川の勘違いだろう)

 その「普通のおじさん」が「剛腕政治家」に化けるのは何故か。一つには小沢の経歴が在る。以前「チャンネル桜」の討論番組での平野貞夫参院議員との会話を思い出す。「シャッポ(帽子)は軽い方が良い」という発言に関するエピソードだ。

 海部総理大臣時に自民党の幹事長だった小沢は、「海部首相の無能」との評判に関し、「帽子は軽い方が良い」と、自分が担ぐ(被る)ものは、要するに有能でない方が使い易いという意味の発言をしたことがあった。この発言は小沢一郎の性格を良く現した話として、新聞紙上を通じ一気に有名になった。

 その後の細川内閣成立、自民党の下野の立役者として活躍した小沢の、正に代名詞になったかの如き発言であったが、平野は「アレは実は私の言葉だ」と語った。当時小沢の秘書をしていた平野が記者の前でオフレコで話した言葉だったというのだ。

 記者らはそれを「平野秘書」と書かずに「小沢幹事長が」と記載した。一秘書の発言よりも小沢の発言とした方が、よりニュース性が高いと判断したからだ。

 この「シャッポ発言」からも判る通りに、マスコミは小沢一郎の「細川内閣樹立」「自民党政権下野」の実績から導き出される「周辺のエピソード」を、全て小沢の功績かの様に報道し、印象操作を行ったのだ。これに拠って、その後、それに続いて多くの人が後追い印象操作を行い、何でもない事柄や日常茶飯事も、全て国民の持つイメージを増幅する形でデフォルメ(誇張された表現)されてしまうのだ。

 小沢自身もそれを否定しないし、小沢にそれを否定出来るほどの「口」もない。小沢は無類の口下手で、気が小さいから当然に人前で話すのが苦手で、真意が伝わらなかったり、言葉が少なかったりする。普通ならば、コミュニケーションが巧く行かない状況になるが、小沢の場合は、マスコミと国民がデフォルメした「剛腕」というイメージからか、「恐らく裏が有るのではないか」「話せない事情が有るに違いない」と、より一層イメージを増幅する内容になってしまうのだ(笑)

 実際の本人とは違う「イメージ」が独り歩きをして、何時の間にか、そのイメージから「小沢なら自分たちの期待通りにやってくれるに違いない」という事になってしまっているのだ。 小沢一郎への期待は、この様にして生まれた「マスコミの作った国民の幻想」でしかない。小沢本人が政策について自分の言葉で語った内容が異常に少ないのはその様な背景によるものだろう。この様な「マスコミに作られた偶像」に期待していては、日本は間違った方向に行ってしまうだろう。(以上引用終了)

「言い当たるは知なり。黙して当るも知なり」という言葉が在る。発言によって核心を突くのは「知」と言えるが、沈黙によって核心を突くのも「知」。雄弁も沈黙も時には同列だが、それには、表情、眼差し、物腰によって何事かを伝えるという事が大事なのだが、小沢の表情も眼差しも物腰も全て胡散臭げに感じる国民は多い。

cordial8317 at 07:51
大相撲八百長騒動に思う紀元節には明治神宮に参拝していたが