2010年12月15日
硫黄島訪問での高松宮宣仁殿下の秘話
菅直人首相は昨日、硫黄島を訪問し遺骨収集作業を視察した。自らも遺骨収集に加わり、「遺骨を家族の待つ地に返すのは国の責務。一粒一粒の砂まで確かめ、一人でも多く帰還出来る様に全力を尽くす」と、視察後の追悼式で挨拶した。
収集前に菅は、跪き両手を合わせ合掌し頭を垂れる。然し、善く善く見れば軍手をした儘で遺骨が埋もれている場所で拝んでいる姿には違和感を覚えた。
人は遺骨の上を歩かない。これは古来の日本人が厳しく護って来た道である。昭和47年(1972年)、高松宮宣仁殿下が硫黄島へ行かれた際の秘話が有る。
壕の中に折り重なっていた遺骨は片付けたが、
未だ遺骨が散らばっていた。
壕の中に案内された宮様は、ハッと息を呑む気配を御見せになり、
やがて地べたに正座し、両手を着き首を垂れ瞑想状態に入られた・・・
別の壕では靴を脱がれ素足で骨片の散らばる壕内に入って行かれた・・・
この地を素足で歩かれ視察したのは、高松宮殿下唯一人だったという。菅にも素足でやれとは言わない迄も、せめて軍手を脱いで合掌するべきだったろうに。
遺骨収集を否定するものではない。だが、集めた遺骨や残る全ての遺骨を千鳥ヶ淵墓苑に埋葬するというのだろううか。そうとは思えない。多くの遺骨で手狭となったと言う理由で「国立戦没者追悼施設」の建立を企てるのではなかろうか。
我が国政府が、先の大戦で犠牲となった方々の鎮魂の為に建てた慰霊碑は、アジア各国やロシアなどに点在している。インパール作戦での日本兵の霊を鎮める為に、数年前には、インドのレッドヒルの近くに慰霊碑を建立している。
然し、この地を訪れた人は愕然とするという。施設のコンクリート床は手抜き工事で大きく傾き、薄汚れえ、驚くことに肝心な慰霊碑が無いということも。
シベリア抑留の帰還船が出たナホトカにも慰霊碑が在る。亡くなられた方々の霊を慰める為の碑なのだが、一般の人の墓と同じで実に安っぽく「日本人墓地」と書かれてるだけ。とても悔し涙を飲んで亡くなった同胞を慰霊するものではない。
我が国政府や政治家自身に英霊や異国の地で亡くなられた方々への尊崇の念が無いから魂の無い形だけのものになってしまうのだ。数年前に友人らと戦跡慰霊としてサイパンを訪れたことがあった。日本政府の建てた慰霊碑は確かに存在していたが、手入れが行き届いておらず寂しい佇まいをしていたのを思い出す。
異国の地や激戦地で斃れた方々は、祖国日本の為に、家族を守る為に、アジアの独立という大義に殉じたのだ。屍は異国の地に草生すとも「靖國で会おう!」との言葉を残し散って往った魂は今、靖国に還り、滔滔と生き続けているのだ。
「国立戦没者追悼施設」より、靖國神社の宗教法人格を見直すと共に国家の責任で護持し、国民挙って護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げる事こそ有要である。
精魂を込め戦いし人未だ地下に眠りて島は悲しき(御製)
収集前に菅は、跪き両手を合わせ合掌し頭を垂れる。然し、善く善く見れば軍手をした儘で遺骨が埋もれている場所で拝んでいる姿には違和感を覚えた。
人は遺骨の上を歩かない。これは古来の日本人が厳しく護って来た道である。昭和47年(1972年)、高松宮宣仁殿下が硫黄島へ行かれた際の秘話が有る。
壕の中に折り重なっていた遺骨は片付けたが、
未だ遺骨が散らばっていた。
壕の中に案内された宮様は、ハッと息を呑む気配を御見せになり、
やがて地べたに正座し、両手を着き首を垂れ瞑想状態に入られた・・・
別の壕では靴を脱がれ素足で骨片の散らばる壕内に入って行かれた・・・
この地を素足で歩かれ視察したのは、高松宮殿下唯一人だったという。菅にも素足でやれとは言わない迄も、せめて軍手を脱いで合掌するべきだったろうに。
遺骨収集を否定するものではない。だが、集めた遺骨や残る全ての遺骨を千鳥ヶ淵墓苑に埋葬するというのだろううか。そうとは思えない。多くの遺骨で手狭となったと言う理由で「国立戦没者追悼施設」の建立を企てるのではなかろうか。
我が国政府が、先の大戦で犠牲となった方々の鎮魂の為に建てた慰霊碑は、アジア各国やロシアなどに点在している。インパール作戦での日本兵の霊を鎮める為に、数年前には、インドのレッドヒルの近くに慰霊碑を建立している。
然し、この地を訪れた人は愕然とするという。施設のコンクリート床は手抜き工事で大きく傾き、薄汚れえ、驚くことに肝心な慰霊碑が無いということも。
シベリア抑留の帰還船が出たナホトカにも慰霊碑が在る。亡くなられた方々の霊を慰める為の碑なのだが、一般の人の墓と同じで実に安っぽく「日本人墓地」と書かれてるだけ。とても悔し涙を飲んで亡くなった同胞を慰霊するものではない。
我が国政府や政治家自身に英霊や異国の地で亡くなられた方々への尊崇の念が無いから魂の無い形だけのものになってしまうのだ。数年前に友人らと戦跡慰霊としてサイパンを訪れたことがあった。日本政府の建てた慰霊碑は確かに存在していたが、手入れが行き届いておらず寂しい佇まいをしていたのを思い出す。
異国の地や激戦地で斃れた方々は、祖国日本の為に、家族を守る為に、アジアの独立という大義に殉じたのだ。屍は異国の地に草生すとも「靖國で会おう!」との言葉を残し散って往った魂は今、靖国に還り、滔滔と生き続けているのだ。
「国立戦没者追悼施設」より、靖國神社の宗教法人格を見直すと共に国家の責任で護持し、国民挙って護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げる事こそ有要である。
精魂を込め戦いし人未だ地下に眠りて島は悲しき(御製)
cordial8317 at 09:32