2021年12月08日
「真珠湾攻撃」と「盟友の死」やはり12月8日は忘れられない
祖国日本の存在と存亡を賭けて戦った大東亜戦争は、アジア諸民族の独立と復権を齎した。結果的に敗れはしたが「アジアの希望の星」の役割は見事に果たした。
歴史の検証をする際、罪を論うことは大事なことだが、その国に生を享けた者として歴史と真実と意義という是を知ることは国民としての義務でもある。
大切なのは、古今東西世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義には目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。
「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を害なったが、生まれた子供はスクスク育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話が出来るのは一体誰のお蔭であるのか。それは身を殺して仁を為した日本というお母さんが在った為である。12月8日は、一身を賭して重大な決心をされた日であり、我々は決して忘れてはならない(ククリットプラモード元首相)」
米国は「嘗ての敵国が同盟国になった」と日米関係の重要性を訴えてはいるが、12月7日(現地時間)を「リメンバーパールハーバー(追憶の日)」として、日本を卑怯な国として糾弾して止まない。開戦から80年経っても、依然として我が国は「騙まし討ち」の汚名を着せられ続けているのは歴史の歪曲でもある。
汚名を着せられた原因は、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れた職務怠慢に他ならないが、抑抑、何故、我が国が開戦を決意し真珠湾攻撃に至ったかが問題で、それには1853(嘉永6年)年のペリー来航時代迄遡らなければ理解出来まい。
幕末の日本は強力な中央集権国家を形成しようと明治維新の大業を成し遂げる。15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せる。
アジアは次々と列強に蚕食され日本とシャム王国(タイ)を除き植民地となった。維新後に起こる日清、日露戦争も避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。
日清、日露戦争での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で日本は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案する。
然し、議長を務める米国大統領ウイルソンがこの提案を拒絶し否決されてしまう。「有色人種に人権など必要無い」との差別が横溢していたのは明らかだった。
その後、世界は第二次世界大戦に突入し、日本もABCD包囲網や最後通牒を突き付けられ、最早、我が国が生き残る道は連合国との戦争しかないとの決断に至る。
昭和26年(1951年)にマッカーサーが、上院軍事外交委員会で言明した様に「日本が戦争に飛び込んで行った動機は、安全保障の必要に迫られた為である」と告白している。この証言をしても我が国は決して騙まし討ちも侵略もしていない。
結果として我が国は敗戦したが、大東亜戦争後アジアは独立し「人種平等の原則」は成立した。その事実をして如何に大東亜戦争が聖戦だったかが理解出来よう。
我が国が断行したのは「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」である。「反米」を叫ぶの左翼陣営までもがGHQが謀った戦後民主主義教育を盲信し、米国の呼称である「太平洋戦争」を使ってることに違和感を覚えないのが不思議でならない。
戦争というのは国際法上認められている行為で「戦争=悪」ではない。我が国は、負けてしまったから「先の大戦=悪」とされて思考が停止してしまったのだ。
米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「政治的な取り引きの継続である」と教える。戦争とは政治の不作為から生まれる悲しい現実なのだ。
我が国は「講和」という政治に失敗した結果が敗戦だった。つまり、政治という外交や情報収集の重要さを知らされた戦いであったし、「一旦始めた戦争は決して敗れることがあってはならない」という極めて重要な教訓を残したと言えよう。
昭和20年9月2日、戦艦ミズーリの甲板上で重光葵外相と梅津参謀総長が降伏文書に調印する。上海爆弾事件で右足を失った重光全権は、ステッキを頼りに義足を引き摺りながら喘ぎ喘ぎ上る。調印を前に一杯の水を所望するが冷たく拒否された。
「卑怯者の『ジャップ』にやる水などない」という憎悪が目に見える。今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」も日本人への偏見と差別そのものである。先の大戦の間違いを反省すべきは我が日本ではなく白人至上主義の米国である。
パル判事は「時が熱狂と偏見を和らげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、そのときこそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」と語られた。
祖国を護る為に散華された先人の命は断じて軽いものではない。そうした犠牲の上で時代を謳歌してる我々は、大東亜戦争の意義と東京裁判史観を検証し、戦後の多くの不条理を払拭すると共に、先人の汚名を雪ぐことにこそ生きる理由がある。
国士舘大学の先輩であり、防共挺身隊時代の兄貴分であり、三代目総隊長で盟友だった對馬則政が平成21年の12月8日に幽冥界を異にし今年で13回忌を迎えた。やはり、愚生にとって12月8日という日は忘れられない。 南無大師遍照金剛 。合掌。
※ブログコメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
歴史の検証をする際、罪を論うことは大事なことだが、その国に生を享けた者として歴史と真実と意義という是を知ることは国民としての義務でもある。
大切なのは、古今東西世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義には目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。
「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を害なったが、生まれた子供はスクスク育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話が出来るのは一体誰のお蔭であるのか。それは身を殺して仁を為した日本というお母さんが在った為である。12月8日は、一身を賭して重大な決心をされた日であり、我々は決して忘れてはならない(ククリットプラモード元首相)」
米国は「嘗ての敵国が同盟国になった」と日米関係の重要性を訴えてはいるが、12月7日(現地時間)を「リメンバーパールハーバー(追憶の日)」として、日本を卑怯な国として糾弾して止まない。開戦から80年経っても、依然として我が国は「騙まし討ち」の汚名を着せられ続けているのは歴史の歪曲でもある。
汚名を着せられた原因は、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れた職務怠慢に他ならないが、抑抑、何故、我が国が開戦を決意し真珠湾攻撃に至ったかが問題で、それには1853(嘉永6年)年のペリー来航時代迄遡らなければ理解出来まい。
幕末の日本は強力な中央集権国家を形成しようと明治維新の大業を成し遂げる。15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せる。
アジアは次々と列強に蚕食され日本とシャム王国(タイ)を除き植民地となった。維新後に起こる日清、日露戦争も避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。
日清、日露戦争での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で日本は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案する。
然し、議長を務める米国大統領ウイルソンがこの提案を拒絶し否決されてしまう。「有色人種に人権など必要無い」との差別が横溢していたのは明らかだった。
その後、世界は第二次世界大戦に突入し、日本もABCD包囲網や最後通牒を突き付けられ、最早、我が国が生き残る道は連合国との戦争しかないとの決断に至る。
昭和26年(1951年)にマッカーサーが、上院軍事外交委員会で言明した様に「日本が戦争に飛び込んで行った動機は、安全保障の必要に迫られた為である」と告白している。この証言をしても我が国は決して騙まし討ちも侵略もしていない。
結果として我が国は敗戦したが、大東亜戦争後アジアは独立し「人種平等の原則」は成立した。その事実をして如何に大東亜戦争が聖戦だったかが理解出来よう。
我が国が断行したのは「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」である。「反米」を叫ぶの左翼陣営までもがGHQが謀った戦後民主主義教育を盲信し、米国の呼称である「太平洋戦争」を使ってることに違和感を覚えないのが不思議でならない。
戦争というのは国際法上認められている行為で「戦争=悪」ではない。我が国は、負けてしまったから「先の大戦=悪」とされて思考が停止してしまったのだ。
米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「政治的な取り引きの継続である」と教える。戦争とは政治の不作為から生まれる悲しい現実なのだ。
我が国は「講和」という政治に失敗した結果が敗戦だった。つまり、政治という外交や情報収集の重要さを知らされた戦いであったし、「一旦始めた戦争は決して敗れることがあってはならない」という極めて重要な教訓を残したと言えよう。
昭和20年9月2日、戦艦ミズーリの甲板上で重光葵外相と梅津参謀総長が降伏文書に調印する。上海爆弾事件で右足を失った重光全権は、ステッキを頼りに義足を引き摺りながら喘ぎ喘ぎ上る。調印を前に一杯の水を所望するが冷たく拒否された。
「卑怯者の『ジャップ』にやる水などない」という憎悪が目に見える。今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」も日本人への偏見と差別そのものである。先の大戦の間違いを反省すべきは我が日本ではなく白人至上主義の米国である。
パル判事は「時が熱狂と偏見を和らげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、そのときこそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」と語られた。
祖国を護る為に散華された先人の命は断じて軽いものではない。そうした犠牲の上で時代を謳歌してる我々は、大東亜戦争の意義と東京裁判史観を検証し、戦後の多くの不条理を払拭すると共に、先人の汚名を雪ぐことにこそ生きる理由がある。
国士舘大学の先輩であり、防共挺身隊時代の兄貴分であり、三代目総隊長で盟友だった對馬則政が平成21年の12月8日に幽冥界を異にし今年で13回忌を迎えた。やはり、愚生にとって12月8日という日は忘れられない。 南無大師遍照金剛 。合掌。
※ブログコメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 06:03