2010年08月31日
相撲協会が「暴力団等排除宣言」を示したが
日本相撲協会が暴力団などの反社会勢力との関係を根絶する為に「暴力団等排除宣言」を示した。暴力団が反社会勢力ということは理解出来るが、宣言文の「暴力団等」という「等」とは「右翼団体」も指しているのだろうか。
反社会勢力というなら極左暴力団や左翼団体の親玉である蛆虫共産党、外国人地方参政権付与に躍起な民主党も立派な反社会勢力ではなかろうか。
小生も大相撲は大好きで、幾度と無く国技館へ足を運び、地方巡業も楽しみにしている。それがこれからは「右翼」を理由に入場を制限されて現場で観れないとなれば興醒めだ。まぁ相撲協会に限らず右翼蔑視はよくあるこだが(笑)
NHK会長の福地成雄は排除宣言は「国民の要望」に応えたと宣ったが、「中止、中止」と騒いだのはマスコミに煽られた正義を気取った連中であって、相撲好きな人はこんなことで中継中止は無いだろうと考えていたのではなかろうか。
中止決定後、NHKには電話が殺到し約4400件中、実に半数近くの47%が「中継すべき」だったという。そういう数字が出てるのだから、福地会長の「国民からの要望」というのは嘘だったと言うことになるが、説明を請いたいものだ。
横綱・白鵬が野球賭博に端を発した騒動に、右往左往する相撲協会を見兼ね、「自分達の手で相撲を潰す気なのか」と苦言を呈したのは蓋し正論である。
相撲は歌舞伎と同様、閉じられた社会で磨き上げられ、鍛えられた伝統文化である。大相撲という興行の本質も知らないで、「清く正しく」開かれた公明なスポーツとして、「社会の範たれ」というキレイゴトは如何なものだろう。
白鵬も幕下時代、夜遊びが過ぎて破門されかかったことがあるという。力士は勝負師であり、験を担いだり、賭け事をしたりというのは本性だろう。
明治維新で「断髪令」が発せられても、丁髷の伝統を貫き、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し、国技を自称して来た大相撲は「保守の牙城」だ。
この保守の牙城を潰したいが為に大騒ぎしている「一種の色褪せた革命ノスタルジー」だといった左翼知識人がいるが、別に荒唐無稽な話ではない。
事件の発端は琴光喜の野球賭博だった。「賭博=悪」と正義面した新聞記者が「旧態依然だ」とか「相撲界の旧弊」と追求し、「相撲は潰してゼロからスタートする位の覚悟がなければ体質を変えることは出来ない」と噛み付く。
バカ左翼の仙石由人官房長官も、「黒い世界との関係が芸能の世界に付き物だということでは通らない。そのことを完全に払拭出来ないと公益法人という形で行うのは許されない」と恫喝したことで、相撲協会も右往左往するばかり。
日韓基本条約の見直しを口にする売国反日政治家の仙石が、大相撲の改善を訴えれば訴えるほど、穿った見方をしてしまうのも右翼人の愚生の悲しい本性だ。
名古屋場所の前、朝青龍の天敵・内館牧子が週刊誌のコラムで、「賭博とは無関係の圧倒的多数の力士から出世の場を奪い、地方のファンから楽しみを奪う。加えて文科省まで巻き込んで大騒動の挙句中止しては、反社会勢力の勝利に等しい。国技を屈服させた高揚感は彼らの力になるだろう」と断じているが、蓋し正論。
何事に於いても「角を矯(た)めて牛を殺す」という諺がある様に、少々の欠点を直そうとして、反ってそのもの自体を駄目にすることも無きにしも非ず。枝葉の問題に係ずらわって、肝心な根本を損なってはならない。
反社会勢力というなら極左暴力団や左翼団体の親玉である蛆虫共産党、外国人地方参政権付与に躍起な民主党も立派な反社会勢力ではなかろうか。
小生も大相撲は大好きで、幾度と無く国技館へ足を運び、地方巡業も楽しみにしている。それがこれからは「右翼」を理由に入場を制限されて現場で観れないとなれば興醒めだ。まぁ相撲協会に限らず右翼蔑視はよくあるこだが(笑)
NHK会長の福地成雄は排除宣言は「国民の要望」に応えたと宣ったが、「中止、中止」と騒いだのはマスコミに煽られた正義を気取った連中であって、相撲好きな人はこんなことで中継中止は無いだろうと考えていたのではなかろうか。
中止決定後、NHKには電話が殺到し約4400件中、実に半数近くの47%が「中継すべき」だったという。そういう数字が出てるのだから、福地会長の「国民からの要望」というのは嘘だったと言うことになるが、説明を請いたいものだ。
横綱・白鵬が野球賭博に端を発した騒動に、右往左往する相撲協会を見兼ね、「自分達の手で相撲を潰す気なのか」と苦言を呈したのは蓋し正論である。
相撲は歌舞伎と同様、閉じられた社会で磨き上げられ、鍛えられた伝統文化である。大相撲という興行の本質も知らないで、「清く正しく」開かれた公明なスポーツとして、「社会の範たれ」というキレイゴトは如何なものだろう。
白鵬も幕下時代、夜遊びが過ぎて破門されかかったことがあるという。力士は勝負師であり、験を担いだり、賭け事をしたりというのは本性だろう。
明治維新で「断髪令」が発せられても、丁髷の伝統を貫き、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し、国技を自称して来た大相撲は「保守の牙城」だ。
この保守の牙城を潰したいが為に大騒ぎしている「一種の色褪せた革命ノスタルジー」だといった左翼知識人がいるが、別に荒唐無稽な話ではない。
事件の発端は琴光喜の野球賭博だった。「賭博=悪」と正義面した新聞記者が「旧態依然だ」とか「相撲界の旧弊」と追求し、「相撲は潰してゼロからスタートする位の覚悟がなければ体質を変えることは出来ない」と噛み付く。
バカ左翼の仙石由人官房長官も、「黒い世界との関係が芸能の世界に付き物だということでは通らない。そのことを完全に払拭出来ないと公益法人という形で行うのは許されない」と恫喝したことで、相撲協会も右往左往するばかり。
日韓基本条約の見直しを口にする売国反日政治家の仙石が、大相撲の改善を訴えれば訴えるほど、穿った見方をしてしまうのも右翼人の愚生の悲しい本性だ。
名古屋場所の前、朝青龍の天敵・内館牧子が週刊誌のコラムで、「賭博とは無関係の圧倒的多数の力士から出世の場を奪い、地方のファンから楽しみを奪う。加えて文科省まで巻き込んで大騒動の挙句中止しては、反社会勢力の勝利に等しい。国技を屈服させた高揚感は彼らの力になるだろう」と断じているが、蓋し正論。
何事に於いても「角を矯(た)めて牛を殺す」という諺がある様に、少々の欠点を直そうとして、反ってそのもの自体を駄目にすることも無きにしも非ず。枝葉の問題に係ずらわって、肝心な根本を損なってはならない。
cordial8317 at 09:16