2010年08月06日
原爆投下は日本人蔑視の「動物実験」だった
広島は65回目の原爆の日を迎える。昭和20年8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下後の14日、日本政府はついにポツダム宣言の受諾を決定する。この結果を見て原爆投下が大東亜戦争の終結を早めたという人がいるが事実はそうではない。
元駐日大使のグルー国務長官代理が中心になって作成されたポツダム宣言の原案には、当初は「天皇制」存続の保証が盛り込まれていたという。
米国側は日本政府は和平を模索していることを知っていたので、天皇制存続を保障する案なら受け入れられる可能性が極めて高いと考えたのである。
ところが、反日的なスチムソン陸軍長官やバーンズ国務長官は元国務長官ハルの助言に由りこの項目を最後の土壇場のポツダム会議直前に削除してしまった。即ちポツダム宣言は、日本が極めて受け容れにくい物になっていたのである。
そのことをよく認識していたトルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)の日記に「この兵器(原爆)は、今から8月10日迄の間に使用されることになる」と書いていることは実に興味深い。原爆投下は既定路線だったということだ。
日本政府がポツダム宣言を「黙殺」したから原爆が投下されたなどと言うのは真っ赤な嘘であることは、このトルーマンの日記が明瞭に証明している。
元々原爆を日本に投下することになった背景には、日本人への人種偏見(人種差別)が根強くあったことは否定出来ない。米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月のことで、原爆搭載機を対日戦用のB-29を選んだ。
翌(昭和19)年9月米英間の秘密覚書「ハイド・パーク協定」に、原爆は日本に対して使用されるであろうと明記されたのである。こんな不可思議な決定は、日本人への人種偏見、日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。
更に、その後の米軍が原爆投下後に広島長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」や「被爆者カルテ没収」など目に余る人権蹂躪行為を見ると、原爆実験は日本人を使った「動物実験」としての原爆投下だったのではとすら見えて来る。
トルーマン大統領の日記には次の様に「ジャップどもは野蛮人で、冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」と日本人への憎悪を剥き出しにしている。未だ日本人蔑視が蔓延る米国に「国防」という国の大本を委ねて、まやかしの平和に現を抜かしている時代ではない。真の「平和」は、我ら日本人自らが創り出さなくてはならない。
元駐日大使のグルー国務長官代理が中心になって作成されたポツダム宣言の原案には、当初は「天皇制」存続の保証が盛り込まれていたという。
米国側は日本政府は和平を模索していることを知っていたので、天皇制存続を保障する案なら受け入れられる可能性が極めて高いと考えたのである。
ところが、反日的なスチムソン陸軍長官やバーンズ国務長官は元国務長官ハルの助言に由りこの項目を最後の土壇場のポツダム会議直前に削除してしまった。即ちポツダム宣言は、日本が極めて受け容れにくい物になっていたのである。
そのことをよく認識していたトルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)の日記に「この兵器(原爆)は、今から8月10日迄の間に使用されることになる」と書いていることは実に興味深い。原爆投下は既定路線だったということだ。
日本政府がポツダム宣言を「黙殺」したから原爆が投下されたなどと言うのは真っ赤な嘘であることは、このトルーマンの日記が明瞭に証明している。
元々原爆を日本に投下することになった背景には、日本人への人種偏見(人種差別)が根強くあったことは否定出来ない。米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月のことで、原爆搭載機を対日戦用のB-29を選んだ。
翌(昭和19)年9月米英間の秘密覚書「ハイド・パーク協定」に、原爆は日本に対して使用されるであろうと明記されたのである。こんな不可思議な決定は、日本人への人種偏見、日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。
更に、その後の米軍が原爆投下後に広島長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」や「被爆者カルテ没収」など目に余る人権蹂躪行為を見ると、原爆実験は日本人を使った「動物実験」としての原爆投下だったのではとすら見えて来る。
トルーマン大統領の日記には次の様に「ジャップどもは野蛮人で、冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」と日本人への憎悪を剥き出しにしている。未だ日本人蔑視が蔓延る米国に「国防」という国の大本を委ねて、まやかしの平和に現を抜かしている時代ではない。真の「平和」は、我ら日本人自らが創り出さなくてはならない。
cordial8317 at 06:19