2010年07月15日
夏の風物詩「みたままつり」を愉しむ
昨日は久しぶりに上京し、物心両面で支援して頂いている方に挨拶を済ませ靖國神社のみたままつりを愉しんで来た。東京の夏は蒸し暑く何時もながら閉口する。
大鳥居から参じ、奉納されている大小3万灯を超える提灯と各界著名人揮毫の雪洞を眺めてから、先ず拝殿で参拝。続いて拝殿左手に在る「鎮霊社」に詣でた。
鎮霊舎には所謂賊軍とされた会津藩や我が二本松藩、西郷隆盛といった方々が祀られており、靖国神社を参拝する時には必ずここに詣でることにしている。
所謂、A級戦犯合祀云々よりも先ずは維新の悲運に斃られた方々の名誉回復こそ急務で有ると思うのだが、靖国神社とはそういう処でもある。大村益次郎の銅像が、上野の西郷さんを睨んで建っているが、如何に長州閥が大きかったのが解る。
参拝を済ませ、涼もうと、遊就館に入り、上映されている「みたまを継ぐもの」を1時間程観て、展示物を足早に眺め、特別展「神風 そのふきゆくかなたへー蒙古襲来と国難に立ち向かった護国の戦士たちー」を見学し、靖國神社を後にした。
その後、咽喉も渇いたので一人で直会でもと、九段下の「寿司政」に立ち寄った。この店は池波正太郎や山口瞳などの文人や有名人も足繁く通った店で、シンコは絶品。ビールと〆張鶴の純米酒を気の利いた肴でやってから、一通り握って貰った。
残念ながらこの日はシンコは無かったがコハダと煮蛤を堪能し、白身の昆布〆と穴子、干瓢巻を頂く。どのネタも職人の技が光る逸品で久々大満足でした。
勘定をすれば1万チョィ。ポチ袋に入れた僅かばかりの御心付けを従業員に渡し店を出た。また来たいが、不景気の影響か、最近は通し(休憩無し)で営業してる店が少なく、夕方前には呑みたくなる小生には不都合な時代になった。
我々は普段、神の存在のんて意識することなく生活をしている。「自分は無宗教だ」という人も偶に見かけるが、日本人ならば、心の深いところで、我々の物の考え方や行動を動かしている「何か」が有るのではないだろうかと思う。
その「何か」こそが先人から脈々と受け継いでいる「神々の記憶」であり、「神道」の教えである。大自然に宿る日本人の原風景がそこには存在している。
寺院で仏像が多く作られ祀られたのに対して神社には殆ど神像が存在しない。否、本来は全く存在していなかったのだ。何故なら、日本人は偶像崇拝とは別の次元で「神」の坐すことを感知し、「神」の宿る神木を岩を山を信仰してきたからだ。
姿なき「神」は、自ずと知覚されるものではなく、人間の感性の源である「魂」と直接に響きあう存在なのだ。聖なる山の奥深い処に神社は在ったことでも解る。また「祭り」というのも「神祭り」であり、人々は「神」に触れ熱狂する。
これを体験することで日常の日々から開放され、同時に他の者達と体験を共有することにより「同じ神の子供」即ち「氏子」として絆を再確認するのである。
豊作を祝い、大漁を寿ぎ、これを「神」に感謝し、来年も再来年も善い年であるよう祈願し、「神」と共に酒を飲み「神」と共に騒ぎ、歓喜を分かち合う。
「祭り」は「神」を通じて人間を癒し、地域の共同体を維持させて来た強力な行事なのである。みたままつりも、英霊(神)に対する畏敬や欽仰する祭りである。
正に我が祖国日本とは天皇の国であり、天皇こそ日本なのだ。随神の道を歩んで来た世界にも稀有な国であるというそんなことを実感した一日だった。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
大鳥居から参じ、奉納されている大小3万灯を超える提灯と各界著名人揮毫の雪洞を眺めてから、先ず拝殿で参拝。続いて拝殿左手に在る「鎮霊社」に詣でた。
鎮霊舎には所謂賊軍とされた会津藩や我が二本松藩、西郷隆盛といった方々が祀られており、靖国神社を参拝する時には必ずここに詣でることにしている。
所謂、A級戦犯合祀云々よりも先ずは維新の悲運に斃られた方々の名誉回復こそ急務で有ると思うのだが、靖国神社とはそういう処でもある。大村益次郎の銅像が、上野の西郷さんを睨んで建っているが、如何に長州閥が大きかったのが解る。
参拝を済ませ、涼もうと、遊就館に入り、上映されている「みたまを継ぐもの」を1時間程観て、展示物を足早に眺め、特別展「神風 そのふきゆくかなたへー蒙古襲来と国難に立ち向かった護国の戦士たちー」を見学し、靖國神社を後にした。
その後、咽喉も渇いたので一人で直会でもと、九段下の「寿司政」に立ち寄った。この店は池波正太郎や山口瞳などの文人や有名人も足繁く通った店で、シンコは絶品。ビールと〆張鶴の純米酒を気の利いた肴でやってから、一通り握って貰った。
残念ながらこの日はシンコは無かったがコハダと煮蛤を堪能し、白身の昆布〆と穴子、干瓢巻を頂く。どのネタも職人の技が光る逸品で久々大満足でした。
勘定をすれば1万チョィ。ポチ袋に入れた僅かばかりの御心付けを従業員に渡し店を出た。また来たいが、不景気の影響か、最近は通し(休憩無し)で営業してる店が少なく、夕方前には呑みたくなる小生には不都合な時代になった。
我々は普段、神の存在のんて意識することなく生活をしている。「自分は無宗教だ」という人も偶に見かけるが、日本人ならば、心の深いところで、我々の物の考え方や行動を動かしている「何か」が有るのではないだろうかと思う。
その「何か」こそが先人から脈々と受け継いでいる「神々の記憶」であり、「神道」の教えである。大自然に宿る日本人の原風景がそこには存在している。
寺院で仏像が多く作られ祀られたのに対して神社には殆ど神像が存在しない。否、本来は全く存在していなかったのだ。何故なら、日本人は偶像崇拝とは別の次元で「神」の坐すことを感知し、「神」の宿る神木を岩を山を信仰してきたからだ。
姿なき「神」は、自ずと知覚されるものではなく、人間の感性の源である「魂」と直接に響きあう存在なのだ。聖なる山の奥深い処に神社は在ったことでも解る。また「祭り」というのも「神祭り」であり、人々は「神」に触れ熱狂する。
これを体験することで日常の日々から開放され、同時に他の者達と体験を共有することにより「同じ神の子供」即ち「氏子」として絆を再確認するのである。
豊作を祝い、大漁を寿ぎ、これを「神」に感謝し、来年も再来年も善い年であるよう祈願し、「神」と共に酒を飲み「神」と共に騒ぎ、歓喜を分かち合う。
「祭り」は「神」を通じて人間を癒し、地域の共同体を維持させて来た強力な行事なのである。みたままつりも、英霊(神)に対する畏敬や欽仰する祭りである。
正に我が祖国日本とは天皇の国であり、天皇こそ日本なのだ。随神の道を歩んで来た世界にも稀有な国であるというそんなことを実感した一日だった。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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cordial8317 at 05:15