国民不在の政争に狂奔する政治屋どもには厭きれるばかり菅直人売国政権と「でもしか政治家」

2010年06月04日

「国民目線」に立つ政治家を戴く不幸

 極左である菅直人が総理になるのは確実だが、民主党内の人材不足ばかりが目立つ。「強い経済・財政・社会保障」を謳ったところで、綱領すら未だに創れない政党に我が国の将来を任せることは出来ない。況してや大衆迎合主義者の菅如きが強いリーダーシップなど執れる筈も無い。我が国の不幸は未だ未だ続きそうだ。

 極左の菅は、故市川房枝に寵愛され、市民運動家から代議士に転身する。市川房枝は婦人運動家として、如何にも国民目線に立った政治家というイメージが強いが、戦前は大日本言論報国会の理事として国民を戦争に駆り立て煽動した右翼である。

 戦後、市川は公職追放に遭う。「これからは戦後民主主義が持て囃される」と見るや、態度を急変させ、婦人運動家として婦人参政権の付与や売春防止法の制定に奔ることとなる。要は、主義主張も節操も無い政治屋の一人に過ぎない。

 この市川のお気に入りが菅直人だった。その教え故、国民の動きには過敏に反応する。薬害エイズが票になると見るや徹底して市民側に立った政治を断行した。

 先の話題になった「派遣村」に対しても同様で、湯浅某如きの市民運動家と言う名のバカ左翼を内閣府の参謀に参画させたことでも、如何に菅が破壊活動家であり、大衆迎合主義者であるかが理解出来る。大衆迎合主義は百害有って一利無し。

 菅直人を始めとした政治家は、頻りに「国民の目線に立った政治を行う」と宣うが、民主主義の本質は国民目線に立つ事ではない。国民目線とは、国民の平均値のことなのだろうが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険である。

 政治が国民目線に立った時、必ず国は滅ぶと言うのは世の常で、何故なら国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も気紛れだからだ。民主党が政権を獲れたのも鳩山政権が辞職に追い込まれたのも、同じ民主党に投票した多くの国民の判断だ。

 政治を行う上では、国民目線と掛離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするのは当たり前のこと。経済もまた然りであり。

「日本は深刻な経済危機」というが、純資産残高(債務残高から金融資産を引いた数値)は欧米に比べ然程悪くは無く、日本の国債も95%以上を国民が購入している点を見ても、他国とは違うと言うことを知っている国民は非常に少ない。

「投資がそれ以上の税収を生む」と言うことを知らないから「公共投資はダメ」「赤字国債の発行もダメ」と言った妄言が罷り通るのである。これらを知ることのない国民の目線とは、ワイドショーに煽られた意見と言っても過言ではない。

 マスコミは視聴率を伸ばす為だけに国民の安直な正義感に迎合して、自分達の主張こそが「正義であり民主主義である」との主張を居丈高に振り翳している。

 要は国民を煽動しているだけなのである。 国民の軽佻浮薄な流れに苦言を呈し、大局観に立って国家と国民を安寧に導く政治家やマスコミの出現を待望する。

cordial8317 at 09:40
国民不在の政争に狂奔する政治屋どもには厭きれるばかり菅直人売国政権と「でもしか政治家」