2010年06月01日
日中友好などクソ喰らえ!
中国共産党の温家宝との首脳会談が開かれた。鳩山は「日本と中国の間の海が友愛の海になる」と暢気なコメントを出して御満悦だったがホント厭きれるばかり。
沖縄南方海域で活発化する中共軍の軍事行動に抗議することもなく、論争を避ける様な全方位外交は、国益を賭けた熾烈な駆引きが要求される外交や安全保障には以ての外で、こうした腰抜軟弱外交が隣国を逆上せ上がらせる原因になるのである。
事実、中共にはガス田問題で出抜かれ、尖閣諸島の問題でイチャモンを吐けられ、韓国には竹島を不法に占拠された上に「日本海」を「東海」と呼べとホザかれ、北朝鮮には同胞を拉致されながら手出しも出来ずテボドンで脅かされる始末。
北方領土もロシアに不法占拠され続け一向に解決出来ずにいるのも、全て我が国政府の弱腰外交と国家主権に対する甘さが招いた結果である。要は、戦後の日本というのは情けないことに隣国というか中朝韓やロシアにナメラレっ放しなのだ。
未だ中共は共産主義を最高原理として崇めており、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、因って人民には信仰の自由は認めることもない。
集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無く、満州、内蒙古、チベット、新疆の異民族を虐殺し土地を奪い、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」と主張する中国共産党こそ最大の「帝国主義国」である。
その中共は日本に対してだけ「中国」と呼ぶよう強要している。我が国も忠誠を誓うが如く「中国」と呼称するが、これは国際的にも間違った表現である。
「中国」という言葉の一番古い意味は「首都」という意味であり、中共政府の言う「国民国家」を意味するものではない。「中国」ではなく「中共」と呼ぶべきだ。
差別表記とされる「支那」という言葉は、支那大陸の最初の統一王朝の「秦」に由来し、世界中でその近似音で支那を呼んでいる。清朝の公的文書にも「支那」は出てくる。「支那」を漢字にしたのは新井白石で「チーナ」を翻訳したものだ。
英語圏では「チャイナ」
フランス「シーヌ」
ドイツ「ヒーナ」
イタリア語「チーナ」
ペルシャ語「チーン」
アラビア語「スィーン」
インド「シナスタレ」
ロシア語では「キタイ」
「キタイ」とはシナ大陸の北部を支配しただけの契丹のことである。大統一帝国の秦どころか、契丹と呼称とするロシアに対して中共から「差別だ」との抗議の声が上がったことがない。要は「中国」との呼称の強要は日本への逆差別なのである。
戦勝国を気取り、我が国を属国や朝貢国と見做す中共は、日本にだけは自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせたいだけである。「支那」の呼称を差別として使用禁止の理不尽な言い掛かりが始まったのは戦後の混乱期の昭和21年6月迄遡る。
中華民国の戦勝国は分かるが、戦後に建国した中国共産党は形式上、連合国の一員であった為、その力関係を盾に我が国に「中国」という名を強要してきた。
外務省はそれに反論も出来ず、従順に受け容れ「外務省次官・局長通達」として「今度(このたび)は、理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様に」との異常な主張に諾々として従い言論機関にこれを強制し、現在に至っている。
今日の日本外交の基本である「隣国が嫌がるようなことはしない」との弱腰土下座外交はこの時が最初であろう。一つの譲歩が更なる譲歩を生む典型である。
今日も「支那」や「中共」と言わずに「中国」と言い続けることは、不当な言論弾圧に屈した儘のみならず、我が国が中共政府の属国化を赦すものである。
「中国」という名は世界の共通語ではない。外務省の「言論抑圧通達」は無効であり、「中共」という呼称こそが世界の共通語であることを知るべきである。「東アジア新時代」を標榜し、友愛を叫ぶなど言語道断。日中友好などクソ喰らえ!
沖縄南方海域で活発化する中共軍の軍事行動に抗議することもなく、論争を避ける様な全方位外交は、国益を賭けた熾烈な駆引きが要求される外交や安全保障には以ての外で、こうした腰抜軟弱外交が隣国を逆上せ上がらせる原因になるのである。
事実、中共にはガス田問題で出抜かれ、尖閣諸島の問題でイチャモンを吐けられ、韓国には竹島を不法に占拠された上に「日本海」を「東海」と呼べとホザかれ、北朝鮮には同胞を拉致されながら手出しも出来ずテボドンで脅かされる始末。
北方領土もロシアに不法占拠され続け一向に解決出来ずにいるのも、全て我が国政府の弱腰外交と国家主権に対する甘さが招いた結果である。要は、戦後の日本というのは情けないことに隣国というか中朝韓やロシアにナメラレっ放しなのだ。
未だ中共は共産主義を最高原理として崇めており、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、因って人民には信仰の自由は認めることもない。
集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無く、満州、内蒙古、チベット、新疆の異民族を虐殺し土地を奪い、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」と主張する中国共産党こそ最大の「帝国主義国」である。
その中共は日本に対してだけ「中国」と呼ぶよう強要している。我が国も忠誠を誓うが如く「中国」と呼称するが、これは国際的にも間違った表現である。
「中国」という言葉の一番古い意味は「首都」という意味であり、中共政府の言う「国民国家」を意味するものではない。「中国」ではなく「中共」と呼ぶべきだ。
差別表記とされる「支那」という言葉は、支那大陸の最初の統一王朝の「秦」に由来し、世界中でその近似音で支那を呼んでいる。清朝の公的文書にも「支那」は出てくる。「支那」を漢字にしたのは新井白石で「チーナ」を翻訳したものだ。
英語圏では「チャイナ」
フランス「シーヌ」
ドイツ「ヒーナ」
イタリア語「チーナ」
ペルシャ語「チーン」
アラビア語「スィーン」
インド「シナスタレ」
ロシア語では「キタイ」
「キタイ」とはシナ大陸の北部を支配しただけの契丹のことである。大統一帝国の秦どころか、契丹と呼称とするロシアに対して中共から「差別だ」との抗議の声が上がったことがない。要は「中国」との呼称の強要は日本への逆差別なのである。
戦勝国を気取り、我が国を属国や朝貢国と見做す中共は、日本にだけは自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせたいだけである。「支那」の呼称を差別として使用禁止の理不尽な言い掛かりが始まったのは戦後の混乱期の昭和21年6月迄遡る。
中華民国の戦勝国は分かるが、戦後に建国した中国共産党は形式上、連合国の一員であった為、その力関係を盾に我が国に「中国」という名を強要してきた。
外務省はそれに反論も出来ず、従順に受け容れ「外務省次官・局長通達」として「今度(このたび)は、理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様に」との異常な主張に諾々として従い言論機関にこれを強制し、現在に至っている。
今日の日本外交の基本である「隣国が嫌がるようなことはしない」との弱腰土下座外交はこの時が最初であろう。一つの譲歩が更なる譲歩を生む典型である。
今日も「支那」や「中共」と言わずに「中国」と言い続けることは、不当な言論弾圧に屈した儘のみならず、我が国が中共政府の属国化を赦すものである。
「中国」という名は世界の共通語ではない。外務省の「言論抑圧通達」は無効であり、「中共」という呼称こそが世界の共通語であることを知るべきである。「東アジア新時代」を標榜し、友愛を叫ぶなど言語道断。日中友好などクソ喰らえ!
cordial8317 at 06:32