2022年12月21日
浅薄なカタカナ外国語より日本語文化の向上と普及を目指せ!
日本語(漢字)表記ではなく乱れたカタカナ外国語の蔓延に嫌悪感と危機感を抱いている国民は少なくない。日本文化の根源である日本語の乱れを正すことは急務である。 今日の生半可な言葉の洪水や片言のカタカナ外国語の氾濫にはうんざりだ。
「クールジャパン」や「グローバル」「アベノミクス」等等、新型コロナ禍でも「ロックダウン」や「オーバーシュート」「ステイホーム」「リスク」等等、カタカナ表記の外来語を使い、恰も新しい発想の如くに見せかけてはいるが単なるトリック。
片言のカタカナ外国語を使うことが果たしてグローバル化なのか。今や全国の処処に設置されているハングルや中国語の看板や案内板に違和感を覚え、嫌悪感を抱く人は少なくない。看板は日本語とローマ字、英語表記だけで好いではないか。
「おもてなし」の日本人的優しさなのだろうが、その優しさは中共や朝鮮には通じない。これが「グローバル化」というものならば勘違いも甚だしい。何故にハングルや中国語なのか。観光に訪れるのは別に支那人や韓国人だけではあるまいに。
「観光立国」の名の下に推進されて来たハングルや中国語の表記は血税の無駄であり、「観光立国」という愚策こそ止めるべきだ。我が国が目指すべきは発展途上国が国是とする観光立国なんぞではなく「技術立国」としての祖国再建である。
美しい日本語が創って来た日本文化に国民は回帰すべきで、流行から安易に横文字を使用しているが、抑々「流行」とは「病気」を意味している言葉である。
外国人が日本人と付き合って感じるものは気品であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。世界の何処を探しても日本人の様な、洗練された美を追求する高い創造性や質素乍らも滲み出る上品さに比肩するものは他にはない。
この様な我が国の生活文化を支えているものが日本語である。安易な横文字の使用は先人達が長い歳月に亘り言葉に宿らせて来た重い意味を失わせてしまう。
明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳した。日本語の儘で西洋文化を学ぶことが出来たことは偉大なことである。現代人の様に、外来語を模倣した軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。
「漢字は中国伝来」との反論が聞こえて来そうだがそうではない。聖徳太子が607年に隋との対等外交に踏み切り、645年「大化の改新」を実現する。18年後の663年、白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶った。
明治4(1871)年の「日清修好条規」を結ぶ迄の約1200年に亙り、日本列島の中で独自の日本文化を熟成させた。大陸からの漢字に「音」と「訓」を付け、平仮名(カタカナ)を付け加え、大和言葉を表現し、全く別の文字体系と文化を創造した。
日本の漢字用語は西洋の語彙を置き換えたもので「漢字こそが日本の文化」と言っても過言ではない。中共との関係は「一衣帯水」や「同種同文」などでもないし、現代の支那人には日本人の様な芸当は出来ないし、そうした智慧もない。
現在、中共国内で使用されている、「人民共和国、共産主義、共産党、革命、共和、左翼、唯物論、社会主義、右翼、演説、警察、芸術、自然、自由、新聞、鉄道、文学、歴史・・・」等等は、実は総て日本で作られた漢字なのである。
過去に人民日報の姉妹紙「環境時報」が、「日本式漢字語」の無分別な和製漢字語の導入と使用を巡り論争があったとの記事を掲載。記事に拠ると現在、中共で使用されている用語の約70%が、日本から導入された外来語(日本語)だという。
中共に於ける和製漢字語研究の第一人者である王彬彬は、「我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものであり、中国と西洋の間には永遠に日本が介在している」と、正鵠を射た意見を述べている。
我が国の先覚者は1200年に及ぶ日本文化を形成し、開国に当たっても常に日本語に自信を持ち、日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。軽々しいカタカナ外国語は、そうした先人の努力を台無しにするものでしかない。
今、世界で1000万人以上の人々が日本語を学び始めているという。カタカナ外国語より日本語文化を世界に普及し、日本の和の心を伝え、世界平和の実現を図ることは大事だが、先ずは日本人自身が乱れた日本語を正すことこそ大事である。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
「クールジャパン」や「グローバル」「アベノミクス」等等、新型コロナ禍でも「ロックダウン」や「オーバーシュート」「ステイホーム」「リスク」等等、カタカナ表記の外来語を使い、恰も新しい発想の如くに見せかけてはいるが単なるトリック。
片言のカタカナ外国語を使うことが果たしてグローバル化なのか。今や全国の処処に設置されているハングルや中国語の看板や案内板に違和感を覚え、嫌悪感を抱く人は少なくない。看板は日本語とローマ字、英語表記だけで好いではないか。
「おもてなし」の日本人的優しさなのだろうが、その優しさは中共や朝鮮には通じない。これが「グローバル化」というものならば勘違いも甚だしい。何故にハングルや中国語なのか。観光に訪れるのは別に支那人や韓国人だけではあるまいに。
「観光立国」の名の下に推進されて来たハングルや中国語の表記は血税の無駄であり、「観光立国」という愚策こそ止めるべきだ。我が国が目指すべきは発展途上国が国是とする観光立国なんぞではなく「技術立国」としての祖国再建である。
美しい日本語が創って来た日本文化に国民は回帰すべきで、流行から安易に横文字を使用しているが、抑々「流行」とは「病気」を意味している言葉である。
外国人が日本人と付き合って感じるものは気品であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。世界の何処を探しても日本人の様な、洗練された美を追求する高い創造性や質素乍らも滲み出る上品さに比肩するものは他にはない。
この様な我が国の生活文化を支えているものが日本語である。安易な横文字の使用は先人達が長い歳月に亘り言葉に宿らせて来た重い意味を失わせてしまう。
明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳した。日本語の儘で西洋文化を学ぶことが出来たことは偉大なことである。現代人の様に、外来語を模倣した軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。
「漢字は中国伝来」との反論が聞こえて来そうだがそうではない。聖徳太子が607年に隋との対等外交に踏み切り、645年「大化の改新」を実現する。18年後の663年、白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶った。
明治4(1871)年の「日清修好条規」を結ぶ迄の約1200年に亙り、日本列島の中で独自の日本文化を熟成させた。大陸からの漢字に「音」と「訓」を付け、平仮名(カタカナ)を付け加え、大和言葉を表現し、全く別の文字体系と文化を創造した。
日本の漢字用語は西洋の語彙を置き換えたもので「漢字こそが日本の文化」と言っても過言ではない。中共との関係は「一衣帯水」や「同種同文」などでもないし、現代の支那人には日本人の様な芸当は出来ないし、そうした智慧もない。
現在、中共国内で使用されている、「人民共和国、共産主義、共産党、革命、共和、左翼、唯物論、社会主義、右翼、演説、警察、芸術、自然、自由、新聞、鉄道、文学、歴史・・・」等等は、実は総て日本で作られた漢字なのである。
過去に人民日報の姉妹紙「環境時報」が、「日本式漢字語」の無分別な和製漢字語の導入と使用を巡り論争があったとの記事を掲載。記事に拠ると現在、中共で使用されている用語の約70%が、日本から導入された外来語(日本語)だという。
中共に於ける和製漢字語研究の第一人者である王彬彬は、「我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものであり、中国と西洋の間には永遠に日本が介在している」と、正鵠を射た意見を述べている。
我が国の先覚者は1200年に及ぶ日本文化を形成し、開国に当たっても常に日本語に自信を持ち、日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。軽々しいカタカナ外国語は、そうした先人の努力を台無しにするものでしかない。
今、世界で1000万人以上の人々が日本語を学び始めているという。カタカナ外国語より日本語文化を世界に普及し、日本の和の心を伝え、世界平和の実現を図ることは大事だが、先ずは日本人自身が乱れた日本語を正すことこそ大事である。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 07:01│Comments(0)
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。