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2021年03月10日

3月10日は日露戦争奉天会戦勝利を祝う「陸軍記念日」

 明治38年(1905年)3月1日から、日露戦争最後の陸上戦である「奉天会戦」が大山巌陸軍大将指揮の下で干戈を交え、激戦の末に同月10日勝利を収めた。

 翌年政府は、奉天会戦の勝利の功績を遺そうと3月10日を「陸軍記念日」として制定。以後、国民挙って御祝いしていた記念日である。因みに「日本海海戦」で、バルッチック艦隊を撃破し劇的勝利を収めたた5月27日は「海軍記念日」である。

 昭和20年3月10日、戦果芳しくない大東亜戦争の起死回生の戦いと神風を信じ、国民が「陸軍記念日」を祝っている日に米国は日本本土一斉攻撃を断行する。

 この「東京大空襲」の爆撃に因って、非戦闘員である多くの無辜の人々の尊い命が失われた。米軍による大空襲はこの日が最初だった。米国は「日本の多くの家屋が木造だ」という理由から火炎の強い焼夷弾を投下したのは言うまでもない。

 米軍この大空襲に飽き足らず4月14日及び5月25日にも空襲を断行した。5月25日の空襲では、その戦災はあろうことか皇居にも及び明治宮殿が全焼した。更には陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失うこととなった。

 我が国の記念日への侮辱は東京裁判でも発揮され、所謂A級戦犯が「死刑」の判決日が、昭和天皇の「天長節」、処刑日は12月23日、当時の皇太子の誕生日であり後の「天長節」に合わせて執行され、贖罪意識の植え付けに狂奔した。

 遡ること明治37年12月10日、我が国は当時世界最大の軍事大国ロシアに対し敢然と宣戦布告した。開戦前、世界の軍事専門家の中で日本勝利を予想した者が一人もいなかったが、我が国は1年半に及ぶ大戦に奇跡とも言える勝利を収めた。

 国民が決死の覚悟を以て開戦に踏み切った日露戦争の勝利は、結果として白人主義の欧米列強に有色人種である我が国の地位を認めさせることとなった。

 この勝利に由って幕末以来の懸案事項であった不平等条約の改正に繋がって行く。 即ち、明治維新の真の目的であった「治外法権」と「関税自主権」という二つの不平等条約の改正が、この日露戦争の勝利によって実現されたのだった。

 この二つの不平等条約の内の「治外法権」は、既に日清戦争後の明治32年に克服したが、「関税自主権」は克服出来ず、日露戦争勝利に由り回復実現することで明治維新は成就し、我が国は真に独立を回復することが出来たのである。

 日露戦争の勝利は、世界の植民地政策で搾取や弾圧を受けている民族の独立心を駆り立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がって行くこととなる。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種の日本人が白人に勝利することに由って、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた大きな意義を持つものだったのである。

 日露戦争が齎した歴史的課題である「人種平等」の本格的な実現は、大東亜戦争を待たなければならなかった。我が国の先人の努力と苦労に想いを馳せれば感謝と尊敬の念は益々深まり、日本人として生まれた事に感激せずにはいられない。

 陸軍記念日万歳!天皇陛下万歳!すめらぎいやさか!

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cordial8317 at 08:05
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