2010年02月15日
教えるとは実に教えられることである(西晋一郎)
昨年、防挺を辞めて以来、福島の自宅に蟄居状態である。啓蒙活動の一環として、今年からブログを始めたが、昨年からミクシィやらグリーやらのコミュニティサイトに書き込んだり、地元の新聞(福島民報)、雑誌にも投稿したりしている。
新聞への投稿は昨年の9月からだが、昨日も採用されて今回で6回目の採用になる。内容は割愛するが、投稿記事のタイトルだけ記してみる。
第一回目「公約だけではなく民主党の根を知って」(9月24日)
以後「亀井発言の真意、家庭崩壊の警鐘」(10月15日)
「選挙公約より国益を第一に」(11月16日)
「政治とカネ問題、説明責任果たせ」(12月2日)
「特例会見問題おごり明らか」(12月23日)
「鳩山、小沢両氏見苦しい言い訳」(今年2月14日)
題名と投稿内容は編集者がチョッとソフトに校正している箇所はあるが、まぁこんなものだろう。他にも仄々としたものや、ローカルなネタも投稿している。
高が地方紙ではあるが、右翼の街頭演説やSNSのトータルサイトの書き込みよりは反響よりは大きく、各方面から連絡を頂いたりもする。ネット社会とはいえ未だ未だその影響力は小さなもので、改めてマスコミの力の大きさを痛感すること頻り。
学問とは、本来自分自身の向上の為にするもので、こうした衒学臭げなことは好きではないが、「教えるとは実に教えられることである(西晋一郎)」の言葉を教訓にやっている。教えることで抱える問題に気付き、大いに勉強にもなる。
「小人の学は、耳より入りて口より入ず。君子打たねば響かぬなり、打てば響くなり」という。坂本竜馬は、西郷隆盛を「西郷という男は大きな太鼓だ。小さく敲けば小さく響き、大きく敲けば大きく響く」と評した。
人というのは敲き様で返って来るものが違うという。小人は学問を売り物にし、耳から聞き齧った事をそのまま口にするので少しも身に付かないし、自分の中に真の学問を積んでいる人は決してひけらかすことなく衒学臭くはないという。
確かに「武士道」では、衒学が嫌われると教えている。学問は他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかのか、或いはどう在るべきか、といったことに答えを見出す手段でなくてはならないと説く。
仲間にしか通用しない理論や付け焼き刃の知識を熱く語り、ネットで同じ様な内容をツイートしまくって自分自身に酔っている輩をよく見掛ける。そんな受売りを垂れ流したところで、世の中ところか他人さえも動かすことが出来ないだろう。
吉田松陰は「学問をする眼目は 自己を磨き自己を確立することにある」と訓えている。右翼のカリスマ・野村秋介は「人を動かすものは決して理論などではなく、自分の謙虚な反省に基づく人間性以外に有り得ない」と教えていた。その言葉を噛み締めながら、自己確立を目指すと共に自問自答の日々は続くのである。呵呵。
新聞への投稿は昨年の9月からだが、昨日も採用されて今回で6回目の採用になる。内容は割愛するが、投稿記事のタイトルだけ記してみる。
第一回目「公約だけではなく民主党の根を知って」(9月24日)
以後「亀井発言の真意、家庭崩壊の警鐘」(10月15日)
「選挙公約より国益を第一に」(11月16日)
「政治とカネ問題、説明責任果たせ」(12月2日)
「特例会見問題おごり明らか」(12月23日)
「鳩山、小沢両氏見苦しい言い訳」(今年2月14日)
題名と投稿内容は編集者がチョッとソフトに校正している箇所はあるが、まぁこんなものだろう。他にも仄々としたものや、ローカルなネタも投稿している。
高が地方紙ではあるが、右翼の街頭演説やSNSのトータルサイトの書き込みよりは反響よりは大きく、各方面から連絡を頂いたりもする。ネット社会とはいえ未だ未だその影響力は小さなもので、改めてマスコミの力の大きさを痛感すること頻り。
学問とは、本来自分自身の向上の為にするもので、こうした衒学臭げなことは好きではないが、「教えるとは実に教えられることである(西晋一郎)」の言葉を教訓にやっている。教えることで抱える問題に気付き、大いに勉強にもなる。
「小人の学は、耳より入りて口より入ず。君子打たねば響かぬなり、打てば響くなり」という。坂本竜馬は、西郷隆盛を「西郷という男は大きな太鼓だ。小さく敲けば小さく響き、大きく敲けば大きく響く」と評した。
人というのは敲き様で返って来るものが違うという。小人は学問を売り物にし、耳から聞き齧った事をそのまま口にするので少しも身に付かないし、自分の中に真の学問を積んでいる人は決してひけらかすことなく衒学臭くはないという。
確かに「武士道」では、衒学が嫌われると教えている。学問は他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかのか、或いはどう在るべきか、といったことに答えを見出す手段でなくてはならないと説く。
仲間にしか通用しない理論や付け焼き刃の知識を熱く語り、ネットで同じ様な内容をツイートしまくって自分自身に酔っている輩をよく見掛ける。そんな受売りを垂れ流したところで、世の中ところか他人さえも動かすことが出来ないだろう。
吉田松陰は「学問をする眼目は 自己を磨き自己を確立することにある」と訓えている。右翼のカリスマ・野村秋介は「人を動かすものは決して理論などではなく、自分の謙虚な反省に基づく人間性以外に有り得ない」と教えていた。その言葉を噛み締めながら、自己確立を目指すと共に自問自答の日々は続くのである。呵呵。
cordial8317 at 08:02