韓国併合から100年の節目に韓国に猛省を促す教えるとは実に教えられることである(西晋一郎)

2010年02月13日

「竹島」は我が国固有の領土である

 民主党政権の弱腰外交並びに朝貢外交の実態が今更乍ら露呈しているが、領土問題は国家の主権であり、如何なる譲歩も妥協も有ってはならない。

 韓国は我が国固有の領土である竹島を「独島(ドクト)」と称し自国の領土と主張するが、この根拠は「三国史記」という古代朝鮮の歴史書に帰着する。

 鬱陵島の隣の干山島が新羅の領土と書かれていることを論拠に「4~5世紀から韓国領だった」と主張する。だが、古地図では干山島は鬱陵島の西に接近している。竹島は鬱陵島の東南92キロに在るのだから干山島が竹島ではないのが分かる。

 こんな判りきった事実が有るのに、何故韓国の連中は干山島は竹島だから固有の領土だと主張するのだろうか。というのも過去には、竹島と鬱陵島の周辺の小島の呼称が色々変わって来た為であり、そうしたことで混乱を招いているのも確か。

 竹島は「松島」と呼ばれた時代もあるし「リャンコ島」と呼ばれたこともある。李氏朝鮮時代の地図には、鬱陵島より90キロも先に在る島のことなど唯の一度も登場したことはない。鬱陵島とその近くの干山島などの小島以外は全く出て来ない。

 考えてみれば当然のことで、李氏朝鮮時代には鬱陵島すら空島政策によって居住が禁止されており、それより遥か先の小さな島のことなど関心の外であって、認識すらなかったというのが歴史的な事実であるのだが、それすら認めようとしない。

 日本では徳川時代から魚採が行われ度々渡航していた事実がある。この領土問題を紛らわしくしているのは、日本では当時「鬱陵島を竹島」と呼んでいたことであろう。 歴史的な事実は以上の通りで、韓国の主張おいうのは全く根拠がない。

 日本政府は過去にこの問題を「国際司法裁判所」に付託することを提議したが、韓国政府は未だに応じていない。韓国側が応じていないというより、応じられないというのが本音だろう。応じれば竹島が日本の領土となるのが分ってるからだ。

 昭和26(1951)年に韓国がアメリカ政府に対し、ポツダム宣言の解釈として「日本が放棄した領土には竹島(独島)が含まれるべきである」と要求した。

「独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思いません(ラスク国務次官補より梁韓国大使宛書簡、1951年8月10日付)」 と回答されている。

 歴史的に見ても竹島は我が国固有の領土であり毅然と領有権を主張すべき問題であり、領土問題での譲歩は更なる譲歩を生むだけで何の解決にもならない。

 戦後の日本の歴代政府の弱腰軟弱外交と国家主権に対する認識不足や対応の甘さの所為で、韓国を始めロシア、中共、北朝鮮といった国になめられ続けている。

cordial8317 at 07:43
韓国併合から100年の節目に韓国に猛省を促す教えるとは実に教えられることである(西晋一郎)