2010年02月01日
「沈黙は最大の抵抗である」
昨日、DVDに録画していて見そびれていた「落日燃ゆ」というドラマを観た。その昔、城山三郎の本は読んだ事は有るが、内容は所謂「A級戦犯」として処刑された広田弘毅を題材にしたものである。中々、見応えのあるドラマだった。
「極東国際軍事裁判」という茶番で我が国は、「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」の三つの罪で裁かれた事は誰もが知るところだ。
この裁判で「A級戦犯」として絞首刑に処された外務大臣や総理大臣を歴任した広田弘毅は、公判中一言の抗弁もせず沈黙を守った儘に従容として死に就いた。その沈黙の死は、自己弁護に懸命な他の拘留者の中に在って異彩を放った。
「言いて当たるは知なり、黙して当たるも知なり」という諺がある。自らの発言に拠って核心を突くのは「知」といえるが、沈黙に拠って相手に悟らせることで核心を突くのも同じく「知」である。雄弁も沈黙も時には同列なのである。
表情・眼差し・物腰で、核心に触れる何事かを伝えることは出来るのだ。広田弘毅の「沈黙」は、最大にして最高の「抵抗」ではなかったのではあるまいか。
インドの法学者であったパール判事は極東軍事裁判で、日本が裁かれた三つ罪は、国際法上の根拠を欠くとして全員の無罪を主張したことに括目すべきであろう。
パル判事は、「時が熱狂と偏見を和らげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には その時こそ正義の女神は その秤を平行に保ちながら 過去の賞罰の多くに その所を変えることを要求するであろう」との言葉を遺している。
一体、何年経てば、何時になれば英霊の方々の名誉が回復できるのだろうか。日本人自ら「戦犯」という言葉を使うが、極東軍事裁判で使われた「戦犯」という蔑称は止めるべきではないか。何故なら我が国には戦争犯罪者はいないのだから。
「極東国際軍事裁判」という茶番で我が国は、「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」の三つの罪で裁かれた事は誰もが知るところだ。
この裁判で「A級戦犯」として絞首刑に処された外務大臣や総理大臣を歴任した広田弘毅は、公判中一言の抗弁もせず沈黙を守った儘に従容として死に就いた。その沈黙の死は、自己弁護に懸命な他の拘留者の中に在って異彩を放った。
「言いて当たるは知なり、黙して当たるも知なり」という諺がある。自らの発言に拠って核心を突くのは「知」といえるが、沈黙に拠って相手に悟らせることで核心を突くのも同じく「知」である。雄弁も沈黙も時には同列なのである。
表情・眼差し・物腰で、核心に触れる何事かを伝えることは出来るのだ。広田弘毅の「沈黙」は、最大にして最高の「抵抗」ではなかったのではあるまいか。
インドの法学者であったパール判事は極東軍事裁判で、日本が裁かれた三つ罪は、国際法上の根拠を欠くとして全員の無罪を主張したことに括目すべきであろう。
パル判事は、「時が熱狂と偏見を和らげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には その時こそ正義の女神は その秤を平行に保ちながら 過去の賞罰の多くに その所を変えることを要求するであろう」との言葉を遺している。
一体、何年経てば、何時になれば英霊の方々の名誉が回復できるのだろうか。日本人自ら「戦犯」という言葉を使うが、極東軍事裁判で使われた「戦犯」という蔑称は止めるべきではないか。何故なら我が国には戦争犯罪者はいないのだから。
cordial8317 at 07:20