2010年01月30日
「葉隠」入門
「葉隠」というと、「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」という一節が余りにも有名だが、一般に「武士道」というと「葉隠」を思い出す人は多いだろう。そして、葉隠から思い出すイメージは「右翼的」とか「忠君愛国的」というものだ。
「葉隠」は、親鸞の「歎異抄(たんにしょう)」と共に、学徒出陣で戦地に赴いた学生達に最も読まれた本でもあり、それは「歎異抄」が「死の平安」を語り、「葉隠」が「死の覚悟」を語ったものであったからであろうと思われる。
冒頭での「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」だけが独り歩きし、「葉隠」を読みもしないで「危険な書」だと思っているのではないだろうか。
三島由紀夫は、自著「葉隠入門」の中で、この葉隠について「行動の知恵と決意が自ずと逆説を生んで行く、類の無い不思議な道徳書である。如何にも精気に溢れ、如何にも明朗な人間的な書物」と語っている。
確かに「葉隠」は、「死に狂いの思想」と云われている様に狂信的な処も多いが、一方で現代人にも通用するものも多く非常に役に立つ。 例えば、「意見の仕方」というものが有るが、葉隠ではそれをこう教える
「人に意見してその人の欠点を直す、ということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」
「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」
なんと細やかな心遣い、これ程の気遣いをする現代人はいないだろう。人間の世界は思いやりの世界である。「葉隠」はそういった日本人としての本来の優しさや気遣う心を教えている日本人必読の道徳規範の書でもある。
「葉隠」は、親鸞の「歎異抄(たんにしょう)」と共に、学徒出陣で戦地に赴いた学生達に最も読まれた本でもあり、それは「歎異抄」が「死の平安」を語り、「葉隠」が「死の覚悟」を語ったものであったからであろうと思われる。
冒頭での「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」だけが独り歩きし、「葉隠」を読みもしないで「危険な書」だと思っているのではないだろうか。
三島由紀夫は、自著「葉隠入門」の中で、この葉隠について「行動の知恵と決意が自ずと逆説を生んで行く、類の無い不思議な道徳書である。如何にも精気に溢れ、如何にも明朗な人間的な書物」と語っている。
確かに「葉隠」は、「死に狂いの思想」と云われている様に狂信的な処も多いが、一方で現代人にも通用するものも多く非常に役に立つ。 例えば、「意見の仕方」というものが有るが、葉隠ではそれをこう教える
「人に意見してその人の欠点を直す、ということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」
「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」
なんと細やかな心遣い、これ程の気遣いをする現代人はいないだろう。人間の世界は思いやりの世界である。「葉隠」はそういった日本人としての本来の優しさや気遣う心を教えている日本人必読の道徳規範の書でもある。
cordial8317 at 06:59
この記事へのコメント
1. Posted by 中年の星 2010年01月30日 17:55
爆発五郎様
武士道とは「いかに生きるか」の道でもあると
思っております。
武士道とは「いかに生きるか」の道でもあると
思っております。