苦難や試練には大きな意味がある「葉隠」入門

2010年01月28日

月日が流れても忘れない心

 太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる「パラオ共和国」という国が在る。太平洋の浮かぶ小さな独立国だ。歴代大統領には「ナカムラ」という名前の人もいる。面白いことに、「クニオ」とか「マツタロウ」いった日本人風の名前が目立つ。

 こうした伝統は、パラオ共和国を近代社会に仲間入りさせてくれた日本への感謝や愛着からだという。このパラオ共和国の国旗は「日の丸」と同じくシンプルなものだが、白地ではなく青地に、やや中心より左にずらした黄色の丸である。

 何故このような国旗になったのだろう。ドイツの植民地であったパラオは、第一次世界大戦後に日本の委任統治領となった。そこでの日本は厳しくも、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残し、パラオの人々に多大な信頼を受けたのである。

 パラオの人々は「日本は厳しかった。然し、我々に農業と真面目に働くこと、そして嘘をつかないことを教えてくれた」と、今でも懐かしそうに語るという。

 約4万2000人の米軍が上陸したのは昭和19年9月15日だった。中川州男大佐率いる約1万2000人の日本軍が迎え撃つ。島民は別の島に退避した。米軍がパラオに迫ると、パラオの人々は「我々も日本人と一緒に戦う」と決意したという。だが、民間人に被害が出ることを懸念した大佐はその申し出を許可することは無かった。

 日本軍はそれまでの戦法を改め、持久戦に持ち込み、圧倒的な戦力を誇る米軍に大打撃を与えた。この戦いは2ヶ月に及び、11月25日まで続いた。

 米国太平洋艦隊司令長官であったチェスター・ニミッツも驚嘆したその戦いぶりは、約3ヵ月後の「硫黄島の戦い」にも引き継がれて行く。因みに、パラオ人の「クニオ」とは、この中川大佐の名前であり、如何に慕われていたかが分かる。

 この戦争で命を落した日本人を、パラオの人々は泣きながら丁寧に埋葬した。日本人遺族が何時来ても良い様にと墓の掃除は今でも欠かさないという。

 戦後パラオは、1994年の独立まで、アメリカが50年間統治したがパラオの人々の心に残っているのは「日本人」だった。数年間の日本の統治が、パラオの人々の心に残したものは大きい。日本人として先人の偉業を感謝せずにはいられない。

cordial8317 at 05:54

この記事へのコメント

2. Posted by 爆発五郎   2010年01月29日 08:56
中年の星さん、学校で教えてくれないなら、家庭や会社で教えれば良いのです。

日本人が卑下することなく「日本人であるということ」に誇りを持って生きて行くことが肝要です。
1. Posted by 中年の星   2010年01月28日 12:59
爆発五郎様
なぜこのような話を学校で教えないのか?
A級戦犯は載せても、日本を国難から救った
東郷平八郎元帥をなぜ教科書に載せないのか?
日本人として日本を誇りに思うことがなぜ
「軍国主義者」なのか?
世紀の茶番劇である東京裁判以降の自虐史観
から脱せぬかぎり、日本はまともな国にはなれ
ないと思います。
「日本はいい国だと言ったらクビになった。」
田母神元航空幕僚長の言葉が思い起こされ
ます。
苦難や試練には大きな意味がある「葉隠」入門