横義横行(おうぎおうこう)の勧め亀井静香の発言を機に京都遷宮を考えてみる

2010年01月17日

捕鯨問題を考える

 シーシェパードの反捕鯨の活動は白豪主義による人種差別で、オーストラリア人がスポーツハンティングと称してアボリジニを虐殺したのと同じ日本人否定の人種差別活動。こうした偽善の環境保護団体はテロリストと断定し駆逐するべきである。

 我が国の食料自給率は39%。この数値は危機的水準だと言うことは誰もが知るところ。この数値は食料安保の視点からも大変問題のある状況であり、食料自給率の改善に繋がる問題として「捕鯨問題」は重要な課題の一つなのである。

 我が国が調査捕鯨を継続している背景には、「鯨は将来の人類の重要なタンパク源になる」という考えもある。例えば小さなミンク鯨1頭で牛7頭分のタンパク質が採れるといい、鯨を家庭の食卓に戻すことが、食料自給率の改善に繋がる。

 地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5千万トン~4億トンだという。一方、地球上の漁師の漁獲量は約1億トンしかない中で鯨被害は続いてる。

「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされる事となろう。余計な鯨を駆逐するのは 当然だろう。

 捕鯨が始まったのは江戸時代の初期の1606年のこと。紀州の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。

 松尾芭蕉の句に「水無月や 鯛はあれども 塩鯨」というものがあるが、塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源であり、大衆食として愛された。

 19世紀初頭には「鯨肉調理方」という本が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していたのである。正しく鯨食は日本文化そのものなのである。

 今も北海道や東北では正月に「鯨汁」を食しているし、「ハリハリ鍋」にしている地域もあるし、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミといった具がある。

 反捕鯨の連中は、鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり、「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」という反論にしても、或いは、遠洋漁業は「鯨油を採る目的だである」などと愚にも付かない反論をしているのはもう嗤うしかない。

「鯨油を採る目的」とは欧米の捕鯨が皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと勘違いしているものが多く、こうした考えも白人優位主義に因るものだ。

 日本では単に食するだけではなく、鯨の髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となっている。漁師達は鯨塚を作り供養も行っていたし、捕鯨問題の背景には、こういった日本の伝統的鯨文化の問題も有り、反捕鯨は日本文化の否定である。

 多少波風が立とうが主張はするべきで、「協調」しようとか「友愛」だとか軟弱な姿勢は日本の将来を危うくする。捕鯨問題は日本にとって重要な問題なのである。

cordial8317 at 07:45
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