2024年08月
2024年08月18日
「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」
昭和20年、ポツダム宣言を受諾した8月14日以降もソ連の北方領土でへの侵略は収まる事はなく、同月18日には千島列島最北端の占守島にソ連軍が奇襲上陸する。
我が国の無条件降伏に拠り武装解除準備を始めていた守備隊は、この奇襲を受けると武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。占守島の守備隊は、終戦時点でも日本陸軍最強部隊と称された第91師団(2個旅団基幹)などを擁していた。
短い戦闘であったが日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだ。日本軍の圧倒的勝利の中で、3日後の21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。
日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日。 この「占守島の戦い」に拠って、ソ連軍の千島列島の占領が遅れ北海道への上陸が困難となったのは事実である。
占守島での戦いの間に米軍の北海道進駐が完了。米軍進駐に拠って、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられたのだ。そういう意味でも、ソ連軍の北海道進駐を阻んだ「占守島の戦い」とは大きな意義があった戦いだったのである。
この戦いの後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行された。理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした仕打ちさえも無条件降伏の条件だと信じたのだ。
ソ連軍は千島列島だけではなく、日本人が居住していた樺太でも蛮行を繰り返した。外務省の外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、昭和20年8月9日以降のソ連軍の蛮行が生々しく書かれている。一部摘記する。
東部北鮮在留日本人の状況として「ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」と記載されているが、怒りが込み上げる。
鉄原(京城東北八十キロ)の状況として、「ソ連進駐ト共ニ市街ノ様相ハ一変シ、ソ連兵市内ヲ横行シ略奪ヲ擅(ほしいまま)ニシ9月1日男24名ヲ本願寺ニ、女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名、年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」と、拉致した女性らは慰安婦にさせられている。
捉えられた婦女子は「監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から、自裁する道を選択せざるを得なかった女性も少なくなかった。樺太真岡郵便局の女子郵便局員も、ソ連軍が進行する中、職務を全うした後に自裁する道を選んだ。
伊藤千枝(23歳)、可香谷シゲ(23歳)、沢田キミ(19歳)、志賀晴代(22歳)、高石みき(24歳)、高城淑子(19歳)、松橋みどり(17歳)、吉田八重子(21歳)、渡辺照(17歳)の9名は、青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。
彼女達の悲劇を伝えた映画「氷雪の門」という映画がある。その昔、この映画の権利は国際勝共連合が持っていて赤坂の本部事務所で観たのが最初だった。
(氷雪の門のあらすじ)昭和20年夏、樺太の西海岸に位置する真岡町でも日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍の侵攻に脅かされようとしていた。ソ連軍侵攻からの避難民は群をなして真岡町に向った。8月15日には玉音放送によって終戦が告げられ、樺太全土に婦女子の強制疎開命令が出されるも、20日のソ連軍の上陸で間に合わなかった。志願して職場に留まり、追い詰められた女性交換手達は、通信で寄せられるあちこちで次々と殺害される市民の状況から、自らも青酸カリによる自決を選ぶしかなかった。9人の乙女の像に刻まれている「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が通信最後の言葉だった。(あらすじ終わり)
今ではこの映画もレンタルビデオでも気軽に見れる様になったが、この映画の上映が決定された昭和49年、ソ連の御先棒を担ぐ日本社会党(社民党)や日本共産党らは猛反対。上映阻止の運動を展開し、終には上映されることはなかった。
日頃、彼らは「平和」を口にして原爆投下の米国を糾弾するが、広島・長崎の原爆投下での犠牲者を遥かに超える死者を出したソ連の蛮行には口を噤む不思議。
原子爆弾で無辜の民を殺戮した米国に拠る原爆投下への批判はあって当然のことだが、連中の目的は執拗にこの古傷を暴いて日米離間を謀ると共に、党勢拡大と革命謀略の為に国民の安直な平和主義と幼稚な正義感を利用しているに過ぎない。
平和団体であるなら長崎への原爆投下が実行された同じ9日未明に断行された旧ソ連の対日参戦も糾弾すべきだが、未だ嘗て彼らから日ソ中立条約の蹂躙や北方領土での鬼畜の如き蛮行が語られることはない。何が「平和」か、何が平和団体か。
ソ連の終戦間際の鬼畜の如き蛮行は、米国の原爆投下と無差別爆撃と同じく「平和に対する罪」であり「人道に対する罪」である。平和団体が、こうしたソ連の蛮行とシベリア抑留という人権侵害など多くの不条理に何故に声を上げないのか。
国際法を無視し不当にシベリヤに抑留され、極寒の地で亡くなられた方も数え切れない。シベリアへ抑留された日本人は日本国内では一般に約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多いという。
ロシアの資料でも約70万人、米国の資料では約90万人と言われているが、その中で亡くなられた方はどれ程に上るのか、正式な被害者数を調査すべきだろう。
日頃「平和」を口にする共産党や社民党とは所詮はこの程度のクソ政党であり、単なる党勢拡大と中国共産党の前衛として忠誠を尽くす反米運動でしかない。
政治家は軽々しく「平和を守る」というスローガンを掲げて有権者に訴える。だが、「平和」を口にはするが、どうやって我が国の防衛を強化して平和を創造するかという具体策は言わない。正に我が国の政治家こそが無防備の害となっている。
三島由紀夫は、「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたことがあった。軽々しく「平和」を訴えている政治家こそが政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因と自覚するべし。
御粗末なクソ憲法を守り、米軍に反対し、自衛隊が無くなれば当たり前に平和が存在するのだと疑って止まないが、平和を守るには自衛隊の存在なくして語れない。
我が国では愛国心が批判され、「自国の防衛を否定する現憲法には問題がある」と言った途端に反発を食らうが、正に思考停止であり無防備の害そのもの。
「平和」の反対が「戦争」ではない。戦争の反対は「話し合い」であり、正しく戦争は政治や外交の延長線上にあるものであって、国際法上も認められた正当な行為である。「平和」の反対は、戦争に因って引き起こされる「混乱」である。
「平和は当たり前」にあるものだと思っている。この「当たり前」の反対は「有り難い」であり、平和は当たり前ではなく稀に存在する「有り難い」ことなのだ。
「平和」という偶然に「有り難い」ことと感謝することは当たり前のことだが、珍左翼に足りないのは、米軍を「当たり前」の存在として敵視していることだ。
「平和」を口にしてる連中は「平和で有ることが難い」ことであるいう自覚が無く、平和は「当たり前」に存在することだと勘違いしている故に米軍や自衛隊に感謝することもない。「平和」というのは自らの懸命な努力で創り出さねばならない。
末尾に当り、北の島々に眠る日本人同胞の御霊に対し衷心より哀悼の意を表します。また長きに亘り、拙ブログを御愛顧頂きまして有難うございました。
※ここの所、体調が優れず病院で検査したところステージ4の癌と分かりました。治る見込みもないので治療はせずに退院し、余生を穏やかに過ごそうと思っています。活動家としては忸怩たる思いはありますが、後悔はありません。では、さらば!
我が国の無条件降伏に拠り武装解除準備を始めていた守備隊は、この奇襲を受けると武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。占守島の守備隊は、終戦時点でも日本陸軍最強部隊と称された第91師団(2個旅団基幹)などを擁していた。
短い戦闘であったが日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだ。日本軍の圧倒的勝利の中で、3日後の21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。
日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日。 この「占守島の戦い」に拠って、ソ連軍の千島列島の占領が遅れ北海道への上陸が困難となったのは事実である。
占守島での戦いの間に米軍の北海道進駐が完了。米軍進駐に拠って、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられたのだ。そういう意味でも、ソ連軍の北海道進駐を阻んだ「占守島の戦い」とは大きな意義があった戦いだったのである。
この戦いの後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行された。理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした仕打ちさえも無条件降伏の条件だと信じたのだ。
ソ連軍は千島列島だけではなく、日本人が居住していた樺太でも蛮行を繰り返した。外務省の外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、昭和20年8月9日以降のソ連軍の蛮行が生々しく書かれている。一部摘記する。
東部北鮮在留日本人の状況として「ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」と記載されているが、怒りが込み上げる。
鉄原(京城東北八十キロ)の状況として、「ソ連進駐ト共ニ市街ノ様相ハ一変シ、ソ連兵市内ヲ横行シ略奪ヲ擅(ほしいまま)ニシ9月1日男24名ヲ本願寺ニ、女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名、年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」と、拉致した女性らは慰安婦にさせられている。
捉えられた婦女子は「監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から、自裁する道を選択せざるを得なかった女性も少なくなかった。樺太真岡郵便局の女子郵便局員も、ソ連軍が進行する中、職務を全うした後に自裁する道を選んだ。
伊藤千枝(23歳)、可香谷シゲ(23歳)、沢田キミ(19歳)、志賀晴代(22歳)、高石みき(24歳)、高城淑子(19歳)、松橋みどり(17歳)、吉田八重子(21歳)、渡辺照(17歳)の9名は、青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。
彼女達の悲劇を伝えた映画「氷雪の門」という映画がある。その昔、この映画の権利は国際勝共連合が持っていて赤坂の本部事務所で観たのが最初だった。
(氷雪の門のあらすじ)昭和20年夏、樺太の西海岸に位置する真岡町でも日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍の侵攻に脅かされようとしていた。ソ連軍侵攻からの避難民は群をなして真岡町に向った。8月15日には玉音放送によって終戦が告げられ、樺太全土に婦女子の強制疎開命令が出されるも、20日のソ連軍の上陸で間に合わなかった。志願して職場に留まり、追い詰められた女性交換手達は、通信で寄せられるあちこちで次々と殺害される市民の状況から、自らも青酸カリによる自決を選ぶしかなかった。9人の乙女の像に刻まれている「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が通信最後の言葉だった。(あらすじ終わり)
今ではこの映画もレンタルビデオでも気軽に見れる様になったが、この映画の上映が決定された昭和49年、ソ連の御先棒を担ぐ日本社会党(社民党)や日本共産党らは猛反対。上映阻止の運動を展開し、終には上映されることはなかった。
日頃、彼らは「平和」を口にして原爆投下の米国を糾弾するが、広島・長崎の原爆投下での犠牲者を遥かに超える死者を出したソ連の蛮行には口を噤む不思議。
原子爆弾で無辜の民を殺戮した米国に拠る原爆投下への批判はあって当然のことだが、連中の目的は執拗にこの古傷を暴いて日米離間を謀ると共に、党勢拡大と革命謀略の為に国民の安直な平和主義と幼稚な正義感を利用しているに過ぎない。
平和団体であるなら長崎への原爆投下が実行された同じ9日未明に断行された旧ソ連の対日参戦も糾弾すべきだが、未だ嘗て彼らから日ソ中立条約の蹂躙や北方領土での鬼畜の如き蛮行が語られることはない。何が「平和」か、何が平和団体か。
ソ連の終戦間際の鬼畜の如き蛮行は、米国の原爆投下と無差別爆撃と同じく「平和に対する罪」であり「人道に対する罪」である。平和団体が、こうしたソ連の蛮行とシベリア抑留という人権侵害など多くの不条理に何故に声を上げないのか。
国際法を無視し不当にシベリヤに抑留され、極寒の地で亡くなられた方も数え切れない。シベリアへ抑留された日本人は日本国内では一般に約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多いという。
ロシアの資料でも約70万人、米国の資料では約90万人と言われているが、その中で亡くなられた方はどれ程に上るのか、正式な被害者数を調査すべきだろう。
日頃「平和」を口にする共産党や社民党とは所詮はこの程度のクソ政党であり、単なる党勢拡大と中国共産党の前衛として忠誠を尽くす反米運動でしかない。
政治家は軽々しく「平和を守る」というスローガンを掲げて有権者に訴える。だが、「平和」を口にはするが、どうやって我が国の防衛を強化して平和を創造するかという具体策は言わない。正に我が国の政治家こそが無防備の害となっている。
三島由紀夫は、「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたことがあった。軽々しく「平和」を訴えている政治家こそが政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因と自覚するべし。
御粗末なクソ憲法を守り、米軍に反対し、自衛隊が無くなれば当たり前に平和が存在するのだと疑って止まないが、平和を守るには自衛隊の存在なくして語れない。
我が国では愛国心が批判され、「自国の防衛を否定する現憲法には問題がある」と言った途端に反発を食らうが、正に思考停止であり無防備の害そのもの。
「平和」の反対が「戦争」ではない。戦争の反対は「話し合い」であり、正しく戦争は政治や外交の延長線上にあるものであって、国際法上も認められた正当な行為である。「平和」の反対は、戦争に因って引き起こされる「混乱」である。
「平和は当たり前」にあるものだと思っている。この「当たり前」の反対は「有り難い」であり、平和は当たり前ではなく稀に存在する「有り難い」ことなのだ。
「平和」という偶然に「有り難い」ことと感謝することは当たり前のことだが、珍左翼に足りないのは、米軍を「当たり前」の存在として敵視していることだ。
「平和」を口にしてる連中は「平和で有ることが難い」ことであるいう自覚が無く、平和は「当たり前」に存在することだと勘違いしている故に米軍や自衛隊に感謝することもない。「平和」というのは自らの懸命な努力で創り出さねばならない。
末尾に当り、北の島々に眠る日本人同胞の御霊に対し衷心より哀悼の意を表します。また長きに亘り、拙ブログを御愛顧頂きまして有難うございました。
※ここの所、体調が優れず病院で検査したところステージ4の癌と分かりました。治る見込みもないので治療はせずに退院し、余生を穏やかに過ごそうと思っています。活動家としては忸怩たる思いはありますが、後悔はありません。では、さらば!
cordial8317 at 05:38|Permalink│Comments(0)
2024年08月16日
般若心経の「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」の響きが好きだ(笑)
般若心経の「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」(ぎゃーていぎゃーてい、はらそーぎゃーてい、ぼーじーそわか)の響きがラップっぽくて好きだ(笑)
「さぁ皆一緒に、真の幸せの世界に行こうではないか!」「悟りの彼岸に到達して一切を成就しよう」という、この呼びかけに応えるにはどう生きるべきか。
般若心経は、お釈迦様(釈迦牟尼)が弟子の舎利弗(子)に語った「悟りを成就する道」であり、その語った言葉を三蔵法師が訳したものだと言われている。
「三蔵法師」というと、愚生的にはその昔の「西遊記」の夏目雅子を思い浮かべてしまう。三蔵法師というのは、仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶のことで、夏目雅子が演じた「玄奘三蔵」という人物も三蔵法師の一人に過ぎない。
般若心経は難しそうだが、文字数は題字を含め276文字。教育勅語の315字より少ない。「空」が7回、「無」が21回、「不」が9回。文字数的には「無」が多いが、般若心経の教えは「空」であり、その「空」を知り、「空」に生きることにある。
人間というのは、誰しも健康であれば明日があると思って生きている。自分だけは「直ぐには死ぬことはない」と思って生きている人が殆どだろう。「死」というものは、貧乏だろうが金持ちだろうが、誰にでも平等に与えられた道でもある。
人間というのは死に向かっているのに必死に生きる。「死と生」というこの二つは矛盾してる。生き続けるというのは、死に近付いているということでもある。
日本人の多くは仏教徒だろうが、その宗派も分からない人が多い。死んだ時だけ坊主のお経を有り難がり、死後に戒名を頂く意味すらも分かっていない(苦笑)
死んで戒名を頂くのは釈迦の弟子になるということだが、その意味を知らない仏教徒ばかり。戒名を貰ったら極楽浄土に往ける訳ではないのにな。死後も御釈迦様の弟子として修行の道を選ぶのということを理解もせずに戒名とは嗤うしかない。
仏教徒ならばせめて、「自ら苦労されて心理の世界に到達し、これこそが真理の道である」と説かれた般若心経くらいは覚えて損はないと思うが、先祖の宗派すら分からない人も多く、葬式があって初めて家の宗派を知ったなんて人はかなり多い。
愚生は仏教徒でもないし、日蓮などを信仰している訳でもないが、「仏」というのは夫夫の心に在り、「極楽浄土」は現世にこそ存在しているものだと思っている。
自分より能力的に劣る者、自分で答えが出せないでや悩んでる人に示唆したり、或いは貧しく、難渋している者を救うことこそ「極楽浄土」というものだろう。
極楽浄土や天国なんてのは、釈迦牟尼やキリストが死への恐怖を取り除く為に吐いた嘘。人間死んだら終わり、全てが「無」となる。極楽浄土とは現世に在り。
愚生は、自分の持っているものを惜しみなく与えること。何かで悩んでいる者や、自分より能力の劣る者、難渋している者を如何に助けてあげるかが極楽浄土だと思って生きて来た。そうやって生き抜いて、死を迎え「無」となるのだ。
死というものは人に平等に与えられたもので悲しいものではない。別れも宿命であり、運命なのだから起こった現実を諒として享け入れることこそ大事である。
人生とは一期一会であり、邂逅の一言に尽きると思ってはいる。人付き合いは「人に期待しない」ことを念頭に置いて人と接する方が相手のことがよく見える。
期待し過ぎると落胆も大きい。相手が裏切ろうという魂胆ならば敢えて騙されてみるのも悪くはない。人を見る目というのは生き様であり、人生哲学そのもの。
大乗仏教の中では、「華厳経」というのに興味があった。「一即一切一切即一」という「一塵の中に全世界が宿り、一瞬の中に永遠が在る」という教えが好い。人間の一生なんてホンの一瞬だ。富貴利達や功名なんぞ正に夢の跡である。
愚生の好い加減な性格だから大らかな神道が合う。戒律の厳しい仏教そのものに興味はない。生前に会った坊主や仏教関係者は会話してもカッコばっかでウイットに飛ばず、自分を豪く見せ様としたり、堅苦しい輩ばかりでつまらなかったな。
末期癌を宣告された愚生もそろそろ「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶(さぁ皆一緒に真の幸せの世界に行こうではないか)」という呼びかけに応じ様か。
余命僅かとなり、慌てふためくかと思ったが、意外と死への恐怖は無い。明日、死ななければならなかった特攻隊の渾身の悩みに比べたら幸せなものだ。死の世界から戻った者はおらず、彼の世っていうのは好い世界なのかも知れないなぁ(笑)
愚生の場合、身内や友人には「葬式はやらない」と伝えてある。愚妻には「死に顔は誰にも見せないで、棺桶は直ぐ閉じて早々に焼いてくれ」と伝えている。「年忌法要」や「偲ぶ会」なども煩わしいし、愚生のことなど忘れて欲しい。呵呵大笑。
「さぁ皆一緒に、真の幸せの世界に行こうではないか!」「悟りの彼岸に到達して一切を成就しよう」という、この呼びかけに応えるにはどう生きるべきか。
般若心経は、お釈迦様(釈迦牟尼)が弟子の舎利弗(子)に語った「悟りを成就する道」であり、その語った言葉を三蔵法師が訳したものだと言われている。
「三蔵法師」というと、愚生的にはその昔の「西遊記」の夏目雅子を思い浮かべてしまう。三蔵法師というのは、仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶のことで、夏目雅子が演じた「玄奘三蔵」という人物も三蔵法師の一人に過ぎない。
般若心経は難しそうだが、文字数は題字を含め276文字。教育勅語の315字より少ない。「空」が7回、「無」が21回、「不」が9回。文字数的には「無」が多いが、般若心経の教えは「空」であり、その「空」を知り、「空」に生きることにある。
人間というのは、誰しも健康であれば明日があると思って生きている。自分だけは「直ぐには死ぬことはない」と思って生きている人が殆どだろう。「死」というものは、貧乏だろうが金持ちだろうが、誰にでも平等に与えられた道でもある。
人間というのは死に向かっているのに必死に生きる。「死と生」というこの二つは矛盾してる。生き続けるというのは、死に近付いているということでもある。
日本人の多くは仏教徒だろうが、その宗派も分からない人が多い。死んだ時だけ坊主のお経を有り難がり、死後に戒名を頂く意味すらも分かっていない(苦笑)
死んで戒名を頂くのは釈迦の弟子になるということだが、その意味を知らない仏教徒ばかり。戒名を貰ったら極楽浄土に往ける訳ではないのにな。死後も御釈迦様の弟子として修行の道を選ぶのということを理解もせずに戒名とは嗤うしかない。
仏教徒ならばせめて、「自ら苦労されて心理の世界に到達し、これこそが真理の道である」と説かれた般若心経くらいは覚えて損はないと思うが、先祖の宗派すら分からない人も多く、葬式があって初めて家の宗派を知ったなんて人はかなり多い。
愚生は仏教徒でもないし、日蓮などを信仰している訳でもないが、「仏」というのは夫夫の心に在り、「極楽浄土」は現世にこそ存在しているものだと思っている。
自分より能力的に劣る者、自分で答えが出せないでや悩んでる人に示唆したり、或いは貧しく、難渋している者を救うことこそ「極楽浄土」というものだろう。
極楽浄土や天国なんてのは、釈迦牟尼やキリストが死への恐怖を取り除く為に吐いた嘘。人間死んだら終わり、全てが「無」となる。極楽浄土とは現世に在り。
愚生は、自分の持っているものを惜しみなく与えること。何かで悩んでいる者や、自分より能力の劣る者、難渋している者を如何に助けてあげるかが極楽浄土だと思って生きて来た。そうやって生き抜いて、死を迎え「無」となるのだ。
死というものは人に平等に与えられたもので悲しいものではない。別れも宿命であり、運命なのだから起こった現実を諒として享け入れることこそ大事である。
人生とは一期一会であり、邂逅の一言に尽きると思ってはいる。人付き合いは「人に期待しない」ことを念頭に置いて人と接する方が相手のことがよく見える。
期待し過ぎると落胆も大きい。相手が裏切ろうという魂胆ならば敢えて騙されてみるのも悪くはない。人を見る目というのは生き様であり、人生哲学そのもの。
大乗仏教の中では、「華厳経」というのに興味があった。「一即一切一切即一」という「一塵の中に全世界が宿り、一瞬の中に永遠が在る」という教えが好い。人間の一生なんてホンの一瞬だ。富貴利達や功名なんぞ正に夢の跡である。
愚生の好い加減な性格だから大らかな神道が合う。戒律の厳しい仏教そのものに興味はない。生前に会った坊主や仏教関係者は会話してもカッコばっかでウイットに飛ばず、自分を豪く見せ様としたり、堅苦しい輩ばかりでつまらなかったな。
末期癌を宣告された愚生もそろそろ「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶(さぁ皆一緒に真の幸せの世界に行こうではないか)」という呼びかけに応じ様か。
余命僅かとなり、慌てふためくかと思ったが、意外と死への恐怖は無い。明日、死ななければならなかった特攻隊の渾身の悩みに比べたら幸せなものだ。死の世界から戻った者はおらず、彼の世っていうのは好い世界なのかも知れないなぁ(笑)
愚生の場合、身内や友人には「葬式はやらない」と伝えてある。愚妻には「死に顔は誰にも見せないで、棺桶は直ぐ閉じて早々に焼いてくれ」と伝えている。「年忌法要」や「偲ぶ会」なども煩わしいし、愚生のことなど忘れて欲しい。呵呵大笑。
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2024年08月06日
昭和20年8月6日、米爆撃機B29エノラ・ゲイが広島に原爆を投下!
昭和20年8月6日午前8時15分、米爆撃機B29エノラ・ゲイが広島に原爆「リトルボーイ」を投下。米国は一瞬にして14万人以上の無辜の民を虐殺した。
当日の小倉の天気が悪く、変更を余儀なくされる。実験データ収集の為には荒天では実験データの撮影も儘ならない為に小倉から急遽、長崎に変更した。
米国は更に3日後の9日午前11時02分、長崎に原爆「ファットマン」を投下。終に我が国はポツダム宣言の受諾を決定し、14日未明に終戦の詔勅を発布した。
この結果を見て「原爆投下が戦争の終結を早めた」という人がいる。コレ正しく戦後民主主義教育の洗脳であるが、歴史的事実はそう簡単なものではない。
「戦争を終わらせる」のが目的ならば広島だけで十分だった。だが、米国は二発目の原爆を落とさなければならなかった理由があった。広島と長崎に落とした原爆は種類が違う。広島はウラン型。長崎はプルトニウム型。この二つのデータ取集である。
エノラゲイから投下される原爆投下の一部始終撮影し、実験データを詳細に記録している。原子爆弾開発プロジェクトのコードネーム「マンハッタン計画」に因って、莫大な研究費を注ぎ込んだ米国は、議会でその成果を証明する必要があった。
抑抑、米国に因る二種類の原爆投下は、日本人への人種差別と原爆に因る人体実験を検証する為に行ったものであることは、今や歴史的にも明らかである。
米国側は、戦況が芳しくない日本政府が和平を模索していることを知っていた。天皇制存続を保障する案なら受け容れる可能性が極めて高いと考えていた。
そうしたこともあり、元駐日大使だったグルー国務長官代理が中心になって作成されたポツダム宣言の原案には「天皇制存続の保障」が盛り込まれていた。
ところが、スチムソン陸軍長官やバーンズ国務長官らは、元国務長官ハルの助言もあり、この項目をポツダム会議の直前で削除。即ち「天皇制存続」が明記されていないポツダム宣言は、我が国には極めて受け容れ難い内容になっていたのである。
そうした事情ををよく認識していたトルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)の日記に、「この兵器(原爆)は今から8月10日迄の間に使用されることになる」と記した。この事実は果たして何を意味しているのか。
米国側が「日本政府がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下された」という反論が真っ赤な嘘であることはこのトルーマンの日記が明瞭に証明している。
米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月のことであり、原爆搭載機を対日戦用のB29爆撃機を選んだ。翌年9月に米英間で交わされた秘密覚書「ハイド・パーク協定」には、「原爆は日本に対して使用されるであろう」と明記された。
こんな不可思議な決定は、人種偏見や日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。況してや二種類の原爆を投下するとは日本人の抹殺行為の実行である。
米軍は原爆投下後「放射能治療方法交流禁止」「被爆者カルテ没収」などの人権蹂躪行為を謀っているが、正に原爆投下は日本人をサンプルにした人体実験である。
トルーマンは、「ジャップどもは野蛮人で、冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」と詰って憚らない。こうしたことでも当時の米国内で日本人蔑視が横溢してたのは明らか。原爆投下に至った背景は根強い人種偏見があったというのが窺い知れる。
悲しい哉、民間人殺戮の原爆投下という蛮行を忘れ去り、今や我が国は国家の大本を米国に依存し、米国の「核の傘」に甘んじるというマヌケさ。
沖縄の反基地運動にしても「米国の戦争に撒き込まれる」と同じ理由を吐けて反対しているが、これこそ正に平和ボケ。米軍撤退と同時に自衛隊強化を確立せねば意味は無く、米国依存から脱却するには真っ当な手順を踏まなければならない。
原爆投下から79年経った。今こそ核武装のタブーを排し「アジアから、そして世界から核兵器が無くなるまで我が国は暫定的に核を保有する」と表明することで、「アジアと世界の平和安定に貢献出来る」という認識を共有すべきである。
心の呵責無しに、核兵器を有する資格があるとすれば、それは世界で唯一の戦争被爆国である我が国だけであろう。戦争被爆国である我が国が核兵器を保有した上で、核の脅威と核廃絶を訴えることに大きな意味と効果を齎すのだ。
真の「平和」を創造する為にも限定的核武装を急がなければならない。だが「原爆投下が戦争の終結を早めた」という自虐史観が横溢してる現状は、原爆投下と占領政策が米国が意図した以上の成果を齎し続けているという証左とも言える。
広島には自虐史観の象徴とも言える「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という碑が建っている。だが、原爆投下という過ちを犯したのは米国であり日本ではない。また、戦争そのものを「過ち」と捉えることもまた間違いである。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
当日の小倉の天気が悪く、変更を余儀なくされる。実験データ収集の為には荒天では実験データの撮影も儘ならない為に小倉から急遽、長崎に変更した。
米国は更に3日後の9日午前11時02分、長崎に原爆「ファットマン」を投下。終に我が国はポツダム宣言の受諾を決定し、14日未明に終戦の詔勅を発布した。
この結果を見て「原爆投下が戦争の終結を早めた」という人がいる。コレ正しく戦後民主主義教育の洗脳であるが、歴史的事実はそう簡単なものではない。
「戦争を終わらせる」のが目的ならば広島だけで十分だった。だが、米国は二発目の原爆を落とさなければならなかった理由があった。広島と長崎に落とした原爆は種類が違う。広島はウラン型。長崎はプルトニウム型。この二つのデータ取集である。
エノラゲイから投下される原爆投下の一部始終撮影し、実験データを詳細に記録している。原子爆弾開発プロジェクトのコードネーム「マンハッタン計画」に因って、莫大な研究費を注ぎ込んだ米国は、議会でその成果を証明する必要があった。
抑抑、米国に因る二種類の原爆投下は、日本人への人種差別と原爆に因る人体実験を検証する為に行ったものであることは、今や歴史的にも明らかである。
米国側は、戦況が芳しくない日本政府が和平を模索していることを知っていた。天皇制存続を保障する案なら受け容れる可能性が極めて高いと考えていた。
そうしたこともあり、元駐日大使だったグルー国務長官代理が中心になって作成されたポツダム宣言の原案には「天皇制存続の保障」が盛り込まれていた。
ところが、スチムソン陸軍長官やバーンズ国務長官らは、元国務長官ハルの助言もあり、この項目をポツダム会議の直前で削除。即ち「天皇制存続」が明記されていないポツダム宣言は、我が国には極めて受け容れ難い内容になっていたのである。
そうした事情ををよく認識していたトルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)の日記に、「この兵器(原爆)は今から8月10日迄の間に使用されることになる」と記した。この事実は果たして何を意味しているのか。
米国側が「日本政府がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下された」という反論が真っ赤な嘘であることはこのトルーマンの日記が明瞭に証明している。
米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月のことであり、原爆搭載機を対日戦用のB29爆撃機を選んだ。翌年9月に米英間で交わされた秘密覚書「ハイド・パーク協定」には、「原爆は日本に対して使用されるであろう」と明記された。
こんな不可思議な決定は、人種偏見や日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。況してや二種類の原爆を投下するとは日本人の抹殺行為の実行である。
米軍は原爆投下後「放射能治療方法交流禁止」「被爆者カルテ没収」などの人権蹂躪行為を謀っているが、正に原爆投下は日本人をサンプルにした人体実験である。
トルーマンは、「ジャップどもは野蛮人で、冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」と詰って憚らない。こうしたことでも当時の米国内で日本人蔑視が横溢してたのは明らか。原爆投下に至った背景は根強い人種偏見があったというのが窺い知れる。
悲しい哉、民間人殺戮の原爆投下という蛮行を忘れ去り、今や我が国は国家の大本を米国に依存し、米国の「核の傘」に甘んじるというマヌケさ。
沖縄の反基地運動にしても「米国の戦争に撒き込まれる」と同じ理由を吐けて反対しているが、これこそ正に平和ボケ。米軍撤退と同時に自衛隊強化を確立せねば意味は無く、米国依存から脱却するには真っ当な手順を踏まなければならない。
原爆投下から79年経った。今こそ核武装のタブーを排し「アジアから、そして世界から核兵器が無くなるまで我が国は暫定的に核を保有する」と表明することで、「アジアと世界の平和安定に貢献出来る」という認識を共有すべきである。
心の呵責無しに、核兵器を有する資格があるとすれば、それは世界で唯一の戦争被爆国である我が国だけであろう。戦争被爆国である我が国が核兵器を保有した上で、核の脅威と核廃絶を訴えることに大きな意味と効果を齎すのだ。
真の「平和」を創造する為にも限定的核武装を急がなければならない。だが「原爆投下が戦争の終結を早めた」という自虐史観が横溢してる現状は、原爆投下と占領政策が米国が意図した以上の成果を齎し続けているという証左とも言える。
広島には自虐史観の象徴とも言える「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という碑が建っている。だが、原爆投下という過ちを犯したのは米国であり日本ではない。また、戦争そのものを「過ち」と捉えることもまた間違いである。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 13:37|Permalink│Comments(0)
2024年08月03日
「平和」という言葉は左翼陣営にとって最も効果的な武器となる
毎年夏の暑い時期になると、6日の広島、9日の長崎と原爆が投下された日に焦点を合わせ、所謂・平和団体の主催の「原水爆禁止世界大会」が開催される。
世界から核兵器が無くなることに越したことはないが現実的には不可能なこと。況してや核兵器も保持していない日本国内で「核兵器反対」を訴えても何の意味はない。この原水爆禁止運動は純然たる市民の署名活動から始まったものだ。
署名活動の輪が急速に全国に広がって行くのに目を付けた日本社会党と日本共産党が割り込みを図り、イデオロギーに汚染させ、終には主導権争いを演じて分裂させてしまう。それが社民党・民進党系の「原水禁」、共産党系の「原水協」である。
こうした分裂騒動は「日教組」と「全教」に分断した構図と同じだが、こうしたことだけでも連中に「平和」などを口にする資格はない。似非平和団体の目的は「平和」とは名ばかりで、原爆を投下したのが米国だから騒いでるだけのこと。
原水禁運動とは平和活動には程遠い「反米活動」である。彼らは平和主義に拠って世界平和という理想や効果を求めているのではなく、その目的は別に在る。
左翼革命を達成する上で「平和」という言葉こそが最も効果的な武器であることを知っている彼らのその目的とは、我が国の国體を破壊することに在る。
「平和」を語るなら、長崎へ原爆が投下された9日未明に、旧ソ連が謀った対日参戦を糾弾すべきだが、未だ嘗て、平和団体である筈の彼らの口から、国際条約であった日ソ中立条約の蹂躙や満州や北方領土での鬼畜の如き蛮行が語られることはない。
一般人を一瞬のうちに殺戮した米国の原爆投下への批判はあって当然のことだが、似非平和団体の彼らの目的は、執拗に古傷を暴いて日米離間を謀ると共に、党勢拡大と革命謀略に国民の安易で安直な平和主義を利用しているだけに過ぎない。
原爆投下を容認する訳ではないが、第二次世界大戦下で我が国と米国は国家の威信と民族の存続を賭けて戦っていたのである。勝利を目指し新しい兵器を開発すれば使用するのは当然であり、断腸の思いではあるが「三分の理」を認めざるを得ない。
珍左翼や自称・平和団体の「反米」も行き着く思想は、GHQが占領統治中に実行した戦後民主主義(自虐史観)による洗脳である。未だその洗脳から目覚めようともせず、いけしゃあしゃあと「反米」を口にするとはマヌケ過ぎるだろう(苦笑)
原爆投下の被害は甚大ではあったが、原爆投下の影響か、戦後こういう珍種が殖えてしまったのは皮肉な結果でもある。東京電力福島第一原発事故もそうだが。反原発派なんてのは放射線の影響なのだろう、かなりの効果がある様に見える(笑)
米国実行した戦後民主教育という洗脳にどっぷり漬かっている左翼や自称・平和団体らが叫ぶ「反米」は実に滑稽極まりないが、戦後GHQの統治下で実行された弱体化政策は、米国が当初に予想した以上の成果(悪害)を齎し続けている。
戦後民主主義とは、自国の歴史を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観。たった7年の統治で国柄が壊されて米国の価値観一辺倒の全く別な国になってしまった。
その歪な洗脳教育で育った者は、国家から恩恵を享けてい乍ら、個人と国家を常に対立させて、恰も「国家は人間を抑圧する組織」と見做し、反国家反体制のポーズを採ることが進歩的で文化的だと錯覚し、幼稚で安っぽい正義感を押し付ける。
「平和」「反戦」「核廃絶」「脱原発」を標榜する似非平和屋にとって、フクシマもまた勢力拡大の為の小道具に過ぎない。原発の問題は核武装という国防にも繋がる国家の大事であり、国民は珍左翼勢力の安っぽい平和運動に騙されてはならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
世界から核兵器が無くなることに越したことはないが現実的には不可能なこと。況してや核兵器も保持していない日本国内で「核兵器反対」を訴えても何の意味はない。この原水爆禁止運動は純然たる市民の署名活動から始まったものだ。
署名活動の輪が急速に全国に広がって行くのに目を付けた日本社会党と日本共産党が割り込みを図り、イデオロギーに汚染させ、終には主導権争いを演じて分裂させてしまう。それが社民党・民進党系の「原水禁」、共産党系の「原水協」である。
こうした分裂騒動は「日教組」と「全教」に分断した構図と同じだが、こうしたことだけでも連中に「平和」などを口にする資格はない。似非平和団体の目的は「平和」とは名ばかりで、原爆を投下したのが米国だから騒いでるだけのこと。
原水禁運動とは平和活動には程遠い「反米活動」である。彼らは平和主義に拠って世界平和という理想や効果を求めているのではなく、その目的は別に在る。
左翼革命を達成する上で「平和」という言葉こそが最も効果的な武器であることを知っている彼らのその目的とは、我が国の国體を破壊することに在る。
「平和」を語るなら、長崎へ原爆が投下された9日未明に、旧ソ連が謀った対日参戦を糾弾すべきだが、未だ嘗て、平和団体である筈の彼らの口から、国際条約であった日ソ中立条約の蹂躙や満州や北方領土での鬼畜の如き蛮行が語られることはない。
一般人を一瞬のうちに殺戮した米国の原爆投下への批判はあって当然のことだが、似非平和団体の彼らの目的は、執拗に古傷を暴いて日米離間を謀ると共に、党勢拡大と革命謀略に国民の安易で安直な平和主義を利用しているだけに過ぎない。
原爆投下を容認する訳ではないが、第二次世界大戦下で我が国と米国は国家の威信と民族の存続を賭けて戦っていたのである。勝利を目指し新しい兵器を開発すれば使用するのは当然であり、断腸の思いではあるが「三分の理」を認めざるを得ない。
珍左翼や自称・平和団体の「反米」も行き着く思想は、GHQが占領統治中に実行した戦後民主主義(自虐史観)による洗脳である。未だその洗脳から目覚めようともせず、いけしゃあしゃあと「反米」を口にするとはマヌケ過ぎるだろう(苦笑)
原爆投下の被害は甚大ではあったが、原爆投下の影響か、戦後こういう珍種が殖えてしまったのは皮肉な結果でもある。東京電力福島第一原発事故もそうだが。反原発派なんてのは放射線の影響なのだろう、かなりの効果がある様に見える(笑)
米国実行した戦後民主教育という洗脳にどっぷり漬かっている左翼や自称・平和団体らが叫ぶ「反米」は実に滑稽極まりないが、戦後GHQの統治下で実行された弱体化政策は、米国が当初に予想した以上の成果(悪害)を齎し続けている。
戦後民主主義とは、自国の歴史を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観。たった7年の統治で国柄が壊されて米国の価値観一辺倒の全く別な国になってしまった。
その歪な洗脳教育で育った者は、国家から恩恵を享けてい乍ら、個人と国家を常に対立させて、恰も「国家は人間を抑圧する組織」と見做し、反国家反体制のポーズを採ることが進歩的で文化的だと錯覚し、幼稚で安っぽい正義感を押し付ける。
「平和」「反戦」「核廃絶」「脱原発」を標榜する似非平和屋にとって、フクシマもまた勢力拡大の為の小道具に過ぎない。原発の問題は核武装という国防にも繋がる国家の大事であり、国民は珍左翼勢力の安っぽい平和運動に騙されてはならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 06:09|Permalink│Comments(0)