2024年07月
2024年07月31日
パリオリンピック開会式での「最後の晩餐」のパロディに唖然!
パリオリンピックが開幕した。開会式オープニングでは、フランス革命に際しギロチン処刑されたにマリーアントワネットに扮した生首が登場。余りの悪趣味に驚愕したが、こんなのが芸術か。つ~か、フランスは死刑廃止国ではなかったのか。
このシーンは、フランス革命での処刑を誇りに思っていることを世界に知らしめた。我が国の死刑制度にイチャモンを吐けてるフランスだが、何が死刑廃止だ。
開会式の生首が革命歌を歌い始め、ヘビメタに合わせて幽閉されてた城が血に染まる。悪趣味と言えばそれまでだが、「芸術の都」とか「花の都」と言われたフランスの好き時代は疾うに過ぎ去り、フランス社会主義国の歪さを露呈した。
パリオリンピックは「スポーツの祭典」でも「平和の祭典」ではなく、政治的で気色悪いLGBTやリベラル変態左翼のプロパガンダの祭典に成り下がってしまった。
救いなのは、競技に打ち込む選手達の健気な姿だけだ。日本選手団のメダルラッシュに若者の凄さと逞しさを感じると共に、我が国の将来の明るさが垣間見える。
生首の悪魔崇拝に続いて更に驚いたというか厭きれたのは、レオナルド・ダビンチが、キリストが処刑される前夜を描いたとされる「最後の晩餐」のパロディ。
キリストに扮したドラァグクイーンやトランスジェンダーのモデルが登場し、キモいパフォーマンス。青いオッサンと左側のゲイはどさくさに紛れてタマ袋まで露出していた。これの何処が芸術なのか。まぁ芸術というよりゲイ術だわな(笑)
「最後の晩餐」で、裏切り者のユダが座ってた位置には普通の女の子が座っていたが、何が多様性か。普通の少女をLGBTのパフォーマンスに利用するなっての。LGBTへの理解増進というが、こんな変態どもの行為を理解しろってのが無理。
フランス国内のカトリック教徒やキリスト教団体からの抗議で公式ホームページから削除したが、キリスト教への侮辱はそう簡単には治まらないだろう。
主催者側は「特定の宗教を貶すことが目的ではなく、多様性を表現した」などと言い張っていたが、抗議の声が治まらない中で騒動に関して謝罪した。だが、演出での過ちを認めた訳ではない。醜い言い訳は、同じ過ちを繰り返すことになる。
マクロン大統領はオープニングセレモニーを絶賛してたというが、「キリスト教を侮辱している」との批判が相次ぎ、IOC(国際オリンピック委員会)が公式に謝罪している中で、多様性を謀る極左のマクロンは沈黙を極め込んでいる。
今回のこの騒動に、カトリックの司教が、「同じ様にイスラムをコケにする勇気があるのか」と批判していたが正しく。イスラム教への揶揄やイスラム教徒への侮辱だったら、この程度で治まることはなくテロの連鎖を生んだことだろう。
「最後の晩餐」を風刺しただけで悪気は無いというのが、フランス人の感覚なのだろう。何故なら風刺は、フランス人にとってはエスプリ(精神・知性)を表す表現。つまり、風刺画に拠って相手を嘲笑するのはフランスの伝統・文化とも言える。
皮肉交じりの、下品極まる風刺やパフォーマンスを真に受けて相手にするのもアホ臭いが、風刺するにも、相手に対する尊重と配慮を忘れてはならない。
節度が欠如した風刺というのはそれは単に相手への罵詈であり、雑言であり、侮辱でしかなく、差別と偏見に満ちた嘲りは、怨みや怒りを増大させるだけ。
その結果の末に起こったのが、フランス週刊紙シャルリエブド襲撃事件である。襲撃した犯人はイスラム過激派。シャルリエブド紙はこれまでも、政治や宗教などさまざまなジャンルの有名人を攻撃する風刺画を数多く掲載している愉快犯でもある。
中でもイスラム教徒の怒りを買ったのは、預言者ムハンマドに関する表現だった。2011年には、ムハンマドを同紙の新しい編集長に指名したという風刺画を掲載。
風刺画には「笑いすぎて死ななかったら、むち打ち100回の刑だ」と書かれていた。その翌日に、同紙事務所に火炎瓶が投げ込まれ全焼する事件が起きている。
フランス国内に住むイスラム教徒の組織「フランス・イスラム評議会」が、同週刊紙を訴える事態となるも、最新号では、イスラム国が預言者ムハンマドの首を切るマンガを掲載した。これが襲撃事件の決定的要因になったのは想像するに余りある。
襲撃事件で殺害された編集長のステファン・シャルボニは「何も恐れない挑発的な人物」として持ち上げられてたというが、本人にとっては本懐と言う他は無い。今回のオリンピック開会式も同じく、批判が起きることを想定していたのなら罪深い。
フランスの風刺は、精神や知性(エスプリ)を表すものではなく、単に売り上げを伸ばす為の羊頭狗肉であり、つまりは営利至上主義に他ならない。フランス人に良識ある知性があるなら、相手を侮辱する行為や揶揄こそ諌めるべきだと思う。
オリンピック開会式のパフォーマンスもLGBTに乗じた洗脳であるが、こういう変態どもを理解しろいうのは無理なこと。まぁ逆を言えば、LGBTと左翼政権の胡散臭さが世界に広まったことで、その怪しい流れは停滞するのではあるまいか。
フランスは移民大国でもあるが、日本政府も他山の石と捉えて、LGBT法や労働者不足を理由にした実質的移民政策といった愚策の見直しを急ぐべきである。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
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2024年07月29日
所謂「南京大虐殺」は知っているが「通州事件(通州虐殺事件)」を知る国民は少ない
東京裁判史観に冒されてる国民は、「盧溝橋事件」にしろ、所謂「南京大虐殺」は、日本人に因る侵略や虐殺だと未だに信じてるが、何故か「通州事件(通州虐殺事件)」については知ろうともしない。この通州での支那人に因る残虐行為は全く語られることはなく、学校の教科書にも歴史書や年表にも載ってはいない。
「通州事件」こそ消された戦後の歴史の一つである。「東京裁判」で日本側弁護団は、盧溝橋事件の約3週間後の7月29日未明に起こった「通州事件」について、外務省の公式声明を証拠として提出を図るが、ウェッブ裁判長がそれを却下する。
通州での支那人に因る虐殺事件を取り上げることは「日本悪玉論」の論拠を失うばかりか、東京裁判を進める上で「通州事件」は、実にやっかいな不都合な事件だった。通州虐殺事件を知らずして、この後に日本政府の執った行動は理解出来ないだろうし、先の大戦の評価をする上でも決して忘れてはならない歴史なのである。
北京から東に18キロほど下った通州という街は、明朝時代に城壁が築かれ、天津からの集荷の拠点として栄えた運河の街だ。通州には日本軍が駐屯しており治安も安定していた。規律正しく公正な日本軍は何処の街でも庶民から歓迎された。ところが、治安の良いはずのその通州で、昭和11年頃から不穏な空気が漂い始める。
最初に騒ぎ始めたのが朝鮮人らだった。興奮し易く、直ぐに舞い上がり、感情的になるのは古来変わらぬ朝鮮人の特徴で、中華民国や中国共産党の工作員にとってこれほど利用し易い民族はいなかっただろう。「日本は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしている」と言い触らし、「次は支那を領土にして支那人を奴隷にしようとしている」などと根拠のないデタラメを半ば公然と吹聴し始める。
昭和12年になると「日本軍と日本人を追い出さなければならない。いや日本人は皆殺しにしなければなない」と言い出す迄になり、そうした風評は止まることはなく、益々エスカレートし民衆は殺気立った。仄聞はもちろん現地に駐屯していた日本軍にの耳にも入ってはいたが、現地の日本軍は「その様な根も葉もない噂など相手にする必要はない」と問題にしなかった。この日本人的気風が禍を齎すこととなる。
多くの日本人は、物事を客観的にバランス好く捕らえ様と努力する。これは日本人にとっては至極当たり前のことで美徳とも言えるものだ。だが、何も反論もせず、怒らないことで朝鮮人や支那人を付け上がらせる結果になってしまったのも事実。
昭和12(1937)年7月29日午前3時頃、通州にいた冀東防共自治政府の保安隊(「張慶餘」が率いる第一総隊と「張硯田」が率いる第二教導総隊)の合わせて3000人が突如として日本軍を襲撃する。襲撃された際、通州には日本人380名、内軍関係者110名で残りは全員が婦女子だった。不意を突かれた日本兵は防戦一方。
襲撃開始と同時に日本兵30名が死亡。防戦の最中、支那人学生や朝鮮人が日本人の居留区を襲撃し日本人居留民260名を残虐な方法で虐殺するに至った。
支那駐屯歩兵第2連隊小隊長・桜井文雄証人の証言がある。守備隊の東門を出ると、殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわり一同悲憤の極みに達した。
〈「日本人はいないか」と連呼しながら各戸毎に調査していくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が其処彼処のゴミ箱の中や壕の中から続々出てきた。ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は14、5歳以上は悉く強姦されており全く見るに忍びなかった。「旭軒」では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、陰部に箒を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに8番鉄線を貫き通し、一家6人数珠繋ぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水が血で赤く染まっていたのを目撃した・・・〉
東京裁判で証人に立った桜井文雄支那駐屯歩兵第2連隊小隊長の証言や、虐殺事件を目撃した女性の体験談もあるが、筆舌に尽くし難い凄惨なものばかり。
「盧溝橋事件」や「通州事件」の真相を知ることが大事。その真相を知れば東京裁判で断罪された多くの罪が如何に不当なものであり、不公平な人倫にも悖るものであったことが分かるだろう。アジア動乱の濫觴はいつの時代も中共が元凶である。
1989年の天安門事件にしろ、チベット、ウイグルなどで中共軍が行ってきた虐殺や弾圧は筆舌に尽くし難い。天然ガス盗掘にしろ、尖閣諸島での挑発行為にしろ、沖縄併呑の策謀にしろ、日本人はこれらを余りにも軽く考えてはいないだろうか。
沖縄や国内での反基地や反政府運動は中共に因る策謀である。混乱に乗じて沖縄県民が第二の「通州事件」に捲き込まれないという確証は何処にも無い。米国依存からの脱却を急ぎ、自主独立の防衛体制の充実且つ法整備を急がねばならない。
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「通州事件」こそ消された戦後の歴史の一つである。「東京裁判」で日本側弁護団は、盧溝橋事件の約3週間後の7月29日未明に起こった「通州事件」について、外務省の公式声明を証拠として提出を図るが、ウェッブ裁判長がそれを却下する。
通州での支那人に因る虐殺事件を取り上げることは「日本悪玉論」の論拠を失うばかりか、東京裁判を進める上で「通州事件」は、実にやっかいな不都合な事件だった。通州虐殺事件を知らずして、この後に日本政府の執った行動は理解出来ないだろうし、先の大戦の評価をする上でも決して忘れてはならない歴史なのである。
北京から東に18キロほど下った通州という街は、明朝時代に城壁が築かれ、天津からの集荷の拠点として栄えた運河の街だ。通州には日本軍が駐屯しており治安も安定していた。規律正しく公正な日本軍は何処の街でも庶民から歓迎された。ところが、治安の良いはずのその通州で、昭和11年頃から不穏な空気が漂い始める。
最初に騒ぎ始めたのが朝鮮人らだった。興奮し易く、直ぐに舞い上がり、感情的になるのは古来変わらぬ朝鮮人の特徴で、中華民国や中国共産党の工作員にとってこれほど利用し易い民族はいなかっただろう。「日本は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしている」と言い触らし、「次は支那を領土にして支那人を奴隷にしようとしている」などと根拠のないデタラメを半ば公然と吹聴し始める。
昭和12年になると「日本軍と日本人を追い出さなければならない。いや日本人は皆殺しにしなければなない」と言い出す迄になり、そうした風評は止まることはなく、益々エスカレートし民衆は殺気立った。仄聞はもちろん現地に駐屯していた日本軍にの耳にも入ってはいたが、現地の日本軍は「その様な根も葉もない噂など相手にする必要はない」と問題にしなかった。この日本人的気風が禍を齎すこととなる。
多くの日本人は、物事を客観的にバランス好く捕らえ様と努力する。これは日本人にとっては至極当たり前のことで美徳とも言えるものだ。だが、何も反論もせず、怒らないことで朝鮮人や支那人を付け上がらせる結果になってしまったのも事実。
昭和12(1937)年7月29日午前3時頃、通州にいた冀東防共自治政府の保安隊(「張慶餘」が率いる第一総隊と「張硯田」が率いる第二教導総隊)の合わせて3000人が突如として日本軍を襲撃する。襲撃された際、通州には日本人380名、内軍関係者110名で残りは全員が婦女子だった。不意を突かれた日本兵は防戦一方。
襲撃開始と同時に日本兵30名が死亡。防戦の最中、支那人学生や朝鮮人が日本人の居留区を襲撃し日本人居留民260名を残虐な方法で虐殺するに至った。
支那駐屯歩兵第2連隊小隊長・桜井文雄証人の証言がある。守備隊の東門を出ると、殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわり一同悲憤の極みに達した。
〈「日本人はいないか」と連呼しながら各戸毎に調査していくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が其処彼処のゴミ箱の中や壕の中から続々出てきた。ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は14、5歳以上は悉く強姦されており全く見るに忍びなかった。「旭軒」では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、陰部に箒を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに8番鉄線を貫き通し、一家6人数珠繋ぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水が血で赤く染まっていたのを目撃した・・・〉
東京裁判で証人に立った桜井文雄支那駐屯歩兵第2連隊小隊長の証言や、虐殺事件を目撃した女性の体験談もあるが、筆舌に尽くし難い凄惨なものばかり。
「盧溝橋事件」や「通州事件」の真相を知ることが大事。その真相を知れば東京裁判で断罪された多くの罪が如何に不当なものであり、不公平な人倫にも悖るものであったことが分かるだろう。アジア動乱の濫觴はいつの時代も中共が元凶である。
1989年の天安門事件にしろ、チベット、ウイグルなどで中共軍が行ってきた虐殺や弾圧は筆舌に尽くし難い。天然ガス盗掘にしろ、尖閣諸島での挑発行為にしろ、沖縄併呑の策謀にしろ、日本人はこれらを余りにも軽く考えてはいないだろうか。
沖縄や国内での反基地や反政府運動は中共に因る策謀である。混乱に乗じて沖縄県民が第二の「通州事件」に捲き込まれないという確証は何処にも無い。米国依存からの脱却を急ぎ、自主独立の防衛体制の充実且つ法整備を急がねばならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年07月28日
「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず」(二本松藩家老・丹羽一学)
戊辰戦争は西軍と東軍の戦いであり、決して「官軍」と「賊軍」が戦った訳ではない。「賊軍」や「逆賊」の汚名を雪がねばならない。会津武士道の昇華を白虎隊に例えるのなら、二本松少年隊は正しく二本松武士道の昇華そのものだろう。
慶応4(1868)年、西軍の会津征伐に於いて二本松藩の家老・丹羽一学は「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず。二本松は城が灰燼に帰し、一族屍を野に曝すとも武士道と信義に殉ずべきである」と、藩論を徹底抗戦に纏め上げた。
同年7月27日、木村銃太郎隊長(22)に率いられた少年隊士23名が蹶起する。会津白虎隊士の構成年齢が16~17歳だったことに対し、二本松少年隊の最年少隊士の年齢は僅か12歳だった。少年隊は、城下西口の要衝である大壇口に布陣。
7月29日午前9時頃、少年隊は隊伍を組んで進軍してくる西軍に向かい、銃太郎の号令一下、轟然と火を吹いた大砲によって、終に戦史に残る激戦が開始される。だが、奮闘空しくその日のうちに落城してしまう。これを以て「二本松藩との戦いは易易だった」と罵詈を浴びせる歴史家もいるが、事実はそんな簡単なものではない。
「竹薮に一弾入るや、竹幹に当りて所謂外れ丸となりカラカラと物凄き音を立て飛び去るを以て危険更に増さりぬ、余鉄砲を取直して打たんとすればこは如何に先に竹薮に駆け入りし時敵弾に引金を打貫かれて用をなさず、如何はせんとためらふ不図見付けたるは、砲車の側は横はれる一大木材なり、一抱えもありて長さは四五間に余れり。是れ屈竟の物なりと直に其木材にひたと許りに伏し附き、是れにて大安心いざ戦況を窺はんとせし刹那、隊長打たれたりと云ふ声あり」(二本松少年隊記より)
圧倒的な武力を前に「東北列藩の信を以て滅びよう」と義を貫いた。当時、西軍隊長だった板垣退助も「一藩挙って身命を擲(なげう)ち、斃れて後已むまで戦い抜く、武士道の精髄を尽くしたのは二本松を以て最上とする」と讃えている。
幕末の薩摩藩士で陸軍元帥の野津道貫は、回顧談で「兵数不詳の敵兵は砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが敵は地物を利用して、おまけに射撃はすこぶる正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し辛うじて撃退することを得たが怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう」と語っている。(近世国民史)
「おまけに射撃は頗る正確で・・・」というのは、スペンサー(元締め)銃を手に奮闘した二本松少年隊の小澤幾弥のことだろう。幾弥この時、弱冠17歳。戊辰戦争前まで江戸で育った幾弥は、新式のスペンサー銃を二本松藩に持ち込んだ。
二本松の戦いでは、阿武隈川を超え霞ヶ城(二本松城)に殺到する西軍を丘の上から次々と撃ち倒すも、「最早これまで」と砲術師範の朝河八太夫と討ち死にする。八太夫は、平和主義者などと持て囃されている朝河貫一博士の祖父である。
二本松藩には、代々「必殺を期すには、斬らずに突くべし」という刀法が伝わっている。その理由は、浅野内匠頭が江戸城内での一件を聞いた二本松藩初代藩主・丹羽光重が、「何故、浅野公は斬り付けたのか。斬り付けずに突けば好かったものを」と、酷く悔しがったという由来から、以来「斬らずに突け」が伝統となった。
少年隊士・成田才次郎が、出陣の際に父から厳しく訓えられたのも「斬らずに突け」の刀法だった。大壇口から敗走中の混乱で隊士はバラバラになってしまったが、才次郎は単独で行動し二本松城下の郭内まで戻るも戦意は尚も旺盛だった。
才次郎は「必ず敵将を斃してやる」との思いで、一の丁の物陰に潜んでいたところ、馬上豊かな武士が一隊を率いてやってくるのが見えた。長州藩士・白井小四郎が率いる長州藩の部隊だった。才次郎、隊列が目前に来るまで充分に引き付る。
「此処ぞ」と才次郎は大刀を真っ直ぐに構えるや、一気に先頭の白井に向って突進した。然し、歴戦の長州兵はこの遮二無二突進する小さな刺客に即座に反応し、隊長を護るべく馬前に出る。白井は「子供じゃ、手を出すでない」と声を掛ける。
白井は、突っ込んで来るのが子供だと瞬時に見抜き、兵を制した。だが、それが徒となり、才次郎の剣は狙い違わずこの敵将の脇の下から胸部を突き刺した。
白井、堪らず馬上から崩れ落ちた。驚愕した長州兵らは慌てて才次郎を捕えようとするが、刀を振り回す才次郎に近寄ることも出来ない。已む無く鉄砲を使い、漸くこの小さな勇士を倒すことが出来たという。この時、才次郎は若干14歳。
現在、長州藩士・白井小四郎の墓が市内の真行寺に残っている。維新後の明治3年には、長州藩から香華料として金二両が納められた。少年への一瞬の憐憫が自らの死を招いたこの将の墓前には、今でも多くの参詣者からの香華が絶えない。
西軍が城に迫ると、大城代・内藤四郎兵衛は「我は城の主将たり、虚しく内に在って死すべきにあらず」と城門を開いて討って出る。敵軍との奮戦激闘の中、見事な最期を遂げた。四郎兵衛の最期、潔さは、二本松藩士の鑑と称されている。
二本松藩軍事奉行の丹羽和左衛門は床机に腰掛けて割腹し、膝上に広げた軍扇の上に自らの内臓を引き出して立亡していたという。正に鬼神となりし。
「三春に倣うべからず」と徹底抗戦を唱えた家老・丹羽一学は、城の土蔵奉行宅で郡代見習・丹羽新十郎と城代・服部久左衛門と共に壮絶な割腹自刃を遂げた。「風に散る 露の我が身はいとはねど 心にかかる 君が行末」との辞世が、心に響く。
少年隊を始め、多くの二本松藩士や先人らは藩と己の名誉を守る為に堂々と戦い、そして潔く散った。断じて「賊軍」や「逆賊」ではない。こうした純真無垢な殉国精神は、大東亜戦争で散華した特攻隊の英霊の精神と通ずるものが在るだろう。
祖国を守る為に尊い命を捧げた特攻精神は、祖国愛の極致であり、大東亜戦争が自存の為の防衛戦争であったことの証である。人生はどれだけ生きたかではなく、どう生きたかであり、特攻隊員や二本松少年隊の覇気に学ぶものは多い。
山河麗しい二本松に生まれ育った者として、また二本松剣友会の末席を汚した者として、二本松少年隊や先人の生き様に感謝せずにはいられない。合掌再拝。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。会費一般30,000(月2500)円。法人120,000円。協賛会員300,000円~。
慶応4(1868)年、西軍の会津征伐に於いて二本松藩の家老・丹羽一学は「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず。二本松は城が灰燼に帰し、一族屍を野に曝すとも武士道と信義に殉ずべきである」と、藩論を徹底抗戦に纏め上げた。
同年7月27日、木村銃太郎隊長(22)に率いられた少年隊士23名が蹶起する。会津白虎隊士の構成年齢が16~17歳だったことに対し、二本松少年隊の最年少隊士の年齢は僅か12歳だった。少年隊は、城下西口の要衝である大壇口に布陣。
7月29日午前9時頃、少年隊は隊伍を組んで進軍してくる西軍に向かい、銃太郎の号令一下、轟然と火を吹いた大砲によって、終に戦史に残る激戦が開始される。だが、奮闘空しくその日のうちに落城してしまう。これを以て「二本松藩との戦いは易易だった」と罵詈を浴びせる歴史家もいるが、事実はそんな簡単なものではない。
「竹薮に一弾入るや、竹幹に当りて所謂外れ丸となりカラカラと物凄き音を立て飛び去るを以て危険更に増さりぬ、余鉄砲を取直して打たんとすればこは如何に先に竹薮に駆け入りし時敵弾に引金を打貫かれて用をなさず、如何はせんとためらふ不図見付けたるは、砲車の側は横はれる一大木材なり、一抱えもありて長さは四五間に余れり。是れ屈竟の物なりと直に其木材にひたと許りに伏し附き、是れにて大安心いざ戦況を窺はんとせし刹那、隊長打たれたりと云ふ声あり」(二本松少年隊記より)
圧倒的な武力を前に「東北列藩の信を以て滅びよう」と義を貫いた。当時、西軍隊長だった板垣退助も「一藩挙って身命を擲(なげう)ち、斃れて後已むまで戦い抜く、武士道の精髄を尽くしたのは二本松を以て最上とする」と讃えている。
幕末の薩摩藩士で陸軍元帥の野津道貫は、回顧談で「兵数不詳の敵兵は砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが敵は地物を利用して、おまけに射撃はすこぶる正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し辛うじて撃退することを得たが怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう」と語っている。(近世国民史)
「おまけに射撃は頗る正確で・・・」というのは、スペンサー(元締め)銃を手に奮闘した二本松少年隊の小澤幾弥のことだろう。幾弥この時、弱冠17歳。戊辰戦争前まで江戸で育った幾弥は、新式のスペンサー銃を二本松藩に持ち込んだ。
二本松の戦いでは、阿武隈川を超え霞ヶ城(二本松城)に殺到する西軍を丘の上から次々と撃ち倒すも、「最早これまで」と砲術師範の朝河八太夫と討ち死にする。八太夫は、平和主義者などと持て囃されている朝河貫一博士の祖父である。
二本松藩には、代々「必殺を期すには、斬らずに突くべし」という刀法が伝わっている。その理由は、浅野内匠頭が江戸城内での一件を聞いた二本松藩初代藩主・丹羽光重が、「何故、浅野公は斬り付けたのか。斬り付けずに突けば好かったものを」と、酷く悔しがったという由来から、以来「斬らずに突け」が伝統となった。
少年隊士・成田才次郎が、出陣の際に父から厳しく訓えられたのも「斬らずに突け」の刀法だった。大壇口から敗走中の混乱で隊士はバラバラになってしまったが、才次郎は単独で行動し二本松城下の郭内まで戻るも戦意は尚も旺盛だった。
才次郎は「必ず敵将を斃してやる」との思いで、一の丁の物陰に潜んでいたところ、馬上豊かな武士が一隊を率いてやってくるのが見えた。長州藩士・白井小四郎が率いる長州藩の部隊だった。才次郎、隊列が目前に来るまで充分に引き付る。
「此処ぞ」と才次郎は大刀を真っ直ぐに構えるや、一気に先頭の白井に向って突進した。然し、歴戦の長州兵はこの遮二無二突進する小さな刺客に即座に反応し、隊長を護るべく馬前に出る。白井は「子供じゃ、手を出すでない」と声を掛ける。
白井は、突っ込んで来るのが子供だと瞬時に見抜き、兵を制した。だが、それが徒となり、才次郎の剣は狙い違わずこの敵将の脇の下から胸部を突き刺した。
白井、堪らず馬上から崩れ落ちた。驚愕した長州兵らは慌てて才次郎を捕えようとするが、刀を振り回す才次郎に近寄ることも出来ない。已む無く鉄砲を使い、漸くこの小さな勇士を倒すことが出来たという。この時、才次郎は若干14歳。
現在、長州藩士・白井小四郎の墓が市内の真行寺に残っている。維新後の明治3年には、長州藩から香華料として金二両が納められた。少年への一瞬の憐憫が自らの死を招いたこの将の墓前には、今でも多くの参詣者からの香華が絶えない。
西軍が城に迫ると、大城代・内藤四郎兵衛は「我は城の主将たり、虚しく内に在って死すべきにあらず」と城門を開いて討って出る。敵軍との奮戦激闘の中、見事な最期を遂げた。四郎兵衛の最期、潔さは、二本松藩士の鑑と称されている。
二本松藩軍事奉行の丹羽和左衛門は床机に腰掛けて割腹し、膝上に広げた軍扇の上に自らの内臓を引き出して立亡していたという。正に鬼神となりし。
「三春に倣うべからず」と徹底抗戦を唱えた家老・丹羽一学は、城の土蔵奉行宅で郡代見習・丹羽新十郎と城代・服部久左衛門と共に壮絶な割腹自刃を遂げた。「風に散る 露の我が身はいとはねど 心にかかる 君が行末」との辞世が、心に響く。
少年隊を始め、多くの二本松藩士や先人らは藩と己の名誉を守る為に堂々と戦い、そして潔く散った。断じて「賊軍」や「逆賊」ではない。こうした純真無垢な殉国精神は、大東亜戦争で散華した特攻隊の英霊の精神と通ずるものが在るだろう。
祖国を守る為に尊い命を捧げた特攻精神は、祖国愛の極致であり、大東亜戦争が自存の為の防衛戦争であったことの証である。人生はどれだけ生きたかではなく、どう生きたかであり、特攻隊員や二本松少年隊の覇気に学ぶものは多い。
山河麗しい二本松に生まれ育った者として、また二本松剣友会の末席を汚した者として、二本松少年隊や先人の生き様に感謝せずにはいられない。合掌再拝。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。会費一般30,000(月2500)円。法人120,000円。協賛会員300,000円~。
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2024年07月26日
活動家に求められるのはアジテーター(扇動者)としての資質である
毎日の様に備忘録と暇潰しを兼ねて、徒然なるまゞにSNSやブログでアレコレと綴っている。政治思想や時局への獅子吼もあれば、地元の企業や経営者のスキャンダルもあれば、趣味や酒や食べ歩き、処世術や自戒を込めた記事だったりと色々。
意見の隔絶した人との討論くらい無意味なものはない。思想的な意見なら意見の違いは分かるが、主張が正しいものだという主観が入ると翻意させるのは至難の業だ。それなのに、あ~だこ~だと真剣に論争してる様子は実に滑稽でもある。
珍左翼らや似非平和主義者、或るいは幼稚な反原発派などに共通するのは、自分達こそ正義と思い込み過ぎて言葉が通じないことが実に多い。論争に行き詰まると文章の一部や言葉を論い、己の偏狭な視野で断定して、人格まで否定される。
直接会って話すれば互いの人となりも言わんとすることも、その人の表情などで理解も出来るというものだが、取り繕った上辺の文章だけで伝えるのは至難の業。
相手側の理論的な間違いを文章で指摘したところで、相手側が此方に「敬」を抱くことがなければ、喩えそれが正論であり、また相手を慮っての意見と雖も相手に通ずることはな。相手が左翼となると尚更だが、ネット右翼も似た様なもの(笑)
それだけ固定観念や先入観に囚われてる輩の屁理屈というものは実に厄介なものである。左翼は確信犯だから間違いを指摘されても翻意することはないが、無自覚左翼という戦後民主主義者には聞く耳を持たず、屁理屈を垂れる輩が実に多い。
「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に、唯感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否という様な柵を乗り越えることは、欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも千倍も困難である」とはアドルフ・ヒトラー。
愚生はSNSでアレコレと綴っているが文筆家だとは思ってはない。どちらかと言えば愚生は演説家であって、右翼浪人の今でもアジテーターとしての気概は失ってはいない。演説をしてると相手の表情や内面を察することに長けるようにもなる。
文筆家というのは見えない相手に訴えるだけで、その反応や反対意見に接するのもまた文章に因ってだが、演説家というのは話し乍ら相手の反応を窺い知ることが出来るから臨機応変にもなる。噺家(落語家)なんでのは演説家の典型だと思う。
落語家というのは凄いと思う。サゲ(オチ)を知ってる古典落語は何度聞いても笑える。右翼も空気をカネにするなら読書より会話を磨かなきゃダメだ。営業保守らの本なんか買うより、寄席に行って話術というのを盗んで来なさいな(笑)
落語家が聴衆を引き込むにはマクラ(本題に入る前の面白話)が大事で、マクラで聴衆を引き込んで笑いを取ってから本題に入るのだが、マクラが上手いとつい引き込まれてしまう。右翼の演説もいきなり本題から入るから誰も立ち止まらない。
右翼陣営の悪い処は一度書いたものや一度話したことは二度とやらない人が多いが、観念的に同じことを訴えて行くことは大事なことだ。落語家なんて同じ話で儲けてるし、大日本愛国党総裁の赤尾敏の街頭演説なんていつも同じだった。
演説で大事なのは上手く喋ろうというのではなく、自分の言葉で懸命に訴えるのが好い。それが、見栄なのか、恥ずかしいのか、同じ話はやりたがらない。下手くそな演説を勿体ぶってどうすんの。同じ話だってイイじゃないか右翼だもの(笑)
多くの人は自分の意見や理論こそが正しいと思っている。だから、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりするものだが、これが文章でやるのは至難の業で、やはり顔を合わせて言葉での遣り取りが好い。
ヒトラーはこうも訓えている。「偉大な理論家が偉大な指導者であることは稀で、寧ろ演説家の方が指導者に向いているだろう。指導者であるということは大衆を動かし得るということだからである」。成否は別に田中角栄がその好い喩えだろう。
我が国の政治家が偉大な指導者とは言い難いし演説家は見当たらない。アジテーター(扇動者)として長けてるのは山本太郎くらいなものか。「日本第一党」党首 で「行動する保守運動」代表 の桜井誠なんてのは典型的なアジテーターだ。
桜井は今回の都知事選を最後に第一線からの引退を表明した。何やら人工透析をしてるらしく、肉体的にも限界だったのだろう。愚生の周りの多くは、暴飲暴食を繰り返し不摂生から腎臓を壊した者ばかり。桜井も同じ理由ではなかろうか。
人工透析患者も飽食の時代に於いて年々増加の一途を辿る。透析治療には年間一人約500万円が投入され、一級身体障碍者としての給付金など財政を窮迫している。障碍者として国家に世話になり乍ら、行政批判してりゃ矛盾を突かれるわな。
桜井を嫌う右翼人は少なくないが、日頃から、敵を相手にして説伏しているからああした口調にもなる。そんな反桜井の愛国者に限って何故か山本太郎を持ち上げたりしてるが、要は有名人好きの権威主義なのだがそれさえも気付いていない(笑)
野村秋介の影響か、理論武装宜しく「反共右翼からの脱却」などと悦に入ってるが、右翼の基本は行動であり、アジテーターで在らねばならない。単なる受け売りの文章を上手に喋ろうとするから相手に通じないし、感化されることもない。
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意見の隔絶した人との討論くらい無意味なものはない。思想的な意見なら意見の違いは分かるが、主張が正しいものだという主観が入ると翻意させるのは至難の業だ。それなのに、あ~だこ~だと真剣に論争してる様子は実に滑稽でもある。
珍左翼らや似非平和主義者、或るいは幼稚な反原発派などに共通するのは、自分達こそ正義と思い込み過ぎて言葉が通じないことが実に多い。論争に行き詰まると文章の一部や言葉を論い、己の偏狭な視野で断定して、人格まで否定される。
直接会って話すれば互いの人となりも言わんとすることも、その人の表情などで理解も出来るというものだが、取り繕った上辺の文章だけで伝えるのは至難の業。
相手側の理論的な間違いを文章で指摘したところで、相手側が此方に「敬」を抱くことがなければ、喩えそれが正論であり、また相手を慮っての意見と雖も相手に通ずることはな。相手が左翼となると尚更だが、ネット右翼も似た様なもの(笑)
それだけ固定観念や先入観に囚われてる輩の屁理屈というものは実に厄介なものである。左翼は確信犯だから間違いを指摘されても翻意することはないが、無自覚左翼という戦後民主主義者には聞く耳を持たず、屁理屈を垂れる輩が実に多い。
「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に、唯感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否という様な柵を乗り越えることは、欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも千倍も困難である」とはアドルフ・ヒトラー。
愚生はSNSでアレコレと綴っているが文筆家だとは思ってはない。どちらかと言えば愚生は演説家であって、右翼浪人の今でもアジテーターとしての気概は失ってはいない。演説をしてると相手の表情や内面を察することに長けるようにもなる。
文筆家というのは見えない相手に訴えるだけで、その反応や反対意見に接するのもまた文章に因ってだが、演説家というのは話し乍ら相手の反応を窺い知ることが出来るから臨機応変にもなる。噺家(落語家)なんでのは演説家の典型だと思う。
落語家というのは凄いと思う。サゲ(オチ)を知ってる古典落語は何度聞いても笑える。右翼も空気をカネにするなら読書より会話を磨かなきゃダメだ。営業保守らの本なんか買うより、寄席に行って話術というのを盗んで来なさいな(笑)
落語家が聴衆を引き込むにはマクラ(本題に入る前の面白話)が大事で、マクラで聴衆を引き込んで笑いを取ってから本題に入るのだが、マクラが上手いとつい引き込まれてしまう。右翼の演説もいきなり本題から入るから誰も立ち止まらない。
右翼陣営の悪い処は一度書いたものや一度話したことは二度とやらない人が多いが、観念的に同じことを訴えて行くことは大事なことだ。落語家なんて同じ話で儲けてるし、大日本愛国党総裁の赤尾敏の街頭演説なんていつも同じだった。
演説で大事なのは上手く喋ろうというのではなく、自分の言葉で懸命に訴えるのが好い。それが、見栄なのか、恥ずかしいのか、同じ話はやりたがらない。下手くそな演説を勿体ぶってどうすんの。同じ話だってイイじゃないか右翼だもの(笑)
多くの人は自分の意見や理論こそが正しいと思っている。だから、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりするものだが、これが文章でやるのは至難の業で、やはり顔を合わせて言葉での遣り取りが好い。
ヒトラーはこうも訓えている。「偉大な理論家が偉大な指導者であることは稀で、寧ろ演説家の方が指導者に向いているだろう。指導者であるということは大衆を動かし得るということだからである」。成否は別に田中角栄がその好い喩えだろう。
我が国の政治家が偉大な指導者とは言い難いし演説家は見当たらない。アジテーター(扇動者)として長けてるのは山本太郎くらいなものか。「日本第一党」党首 で「行動する保守運動」代表 の桜井誠なんてのは典型的なアジテーターだ。
桜井は今回の都知事選を最後に第一線からの引退を表明した。何やら人工透析をしてるらしく、肉体的にも限界だったのだろう。愚生の周りの多くは、暴飲暴食を繰り返し不摂生から腎臓を壊した者ばかり。桜井も同じ理由ではなかろうか。
人工透析患者も飽食の時代に於いて年々増加の一途を辿る。透析治療には年間一人約500万円が投入され、一級身体障碍者としての給付金など財政を窮迫している。障碍者として国家に世話になり乍ら、行政批判してりゃ矛盾を突かれるわな。
桜井を嫌う右翼人は少なくないが、日頃から、敵を相手にして説伏しているからああした口調にもなる。そんな反桜井の愛国者に限って何故か山本太郎を持ち上げたりしてるが、要は有名人好きの権威主義なのだがそれさえも気付いていない(笑)
野村秋介の影響か、理論武装宜しく「反共右翼からの脱却」などと悦に入ってるが、右翼の基本は行動であり、アジテーターで在らねばならない。単なる受け売りの文章を上手に喋ろうとするから相手に通じないし、感化されることもない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。会費一般30,000(月2500)円。法人120,000円。協賛会員300,000円~。
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2024年07月23日
「病気とは何を食べどんな生活をして来たかに尽きる」という
「病気とは何を食べどんな生活をして来たかに尽きる」という。斯くいう愚生もここのところ調子が悪く、血液検査をしたら「要精密検査」。親が亡くなって初めて親の有難味が分かる様に、体調を崩して初めて健康の有難さというものを痛感する。
令和4年度の医療費は約46兆円で2年連続で過去最高を更新した。単純に、我が国の歳入約70兆円の約7割が医療費。医療費が50兆円を超えるのは必至で、歳入が減れば医療費に因って国家財政が危機的状況になってしまう可能性は少なくない。
何故に医療費が増大して行くのかといえば、日本医師会の我田引水的な拝金主義的医療制度に目を瞑り、票とカネ(政治献金)目当ての政治家に因って医療制度や医療行政の改革に手を拱いたことが大きな要因である言っても過言ではない。
医療制度の改革は先ず、自民党を始めとした政治家と日本医師会との卑しい関係を矯正し、補助金利権の闇を糺す必要があるが、その実行は限りなく不可能に近い。医療や社会福祉を優先する余りに、国家が破綻することがあってはならない。
以前、自民党の麻生太郎が医療費負担について「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているヤツの医療費は俺達が払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」と語り、物議を呼んだことは記憶に新しい。
麻生は、医療費の抑制策として、健康で病院に通わずに医療費の負担が無かった高齢者に対して「『10万円をあげる』と言ったら、医療費は下がる。それが最もカネが掛からない方法だ」とのアイデアを披歴したが、一理あるアイデアだった。
医療費に限らず、介護保険でもそうだが「利用しなきゃ損」みたいな風潮に一石を投じる意味でも、麻生の「健康高齢者褒賞金制度」は面白い試みであり、是非とも実行して頂きたいものだと思ったものだが未だ実現には至っていない。
麻生は終末医療についても「私は少なくとも遺書を書いて、そういうことをして貰う必要はない、さっさと死ぬからと書いて渡しているが、そういうことが出来ないと死ねません。いい加減、死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃ、叶わない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねる様にして貰わないと」と語ってるがこれも正論だ。
「残存生命期間にかける金が月に一千何百万円だという現実を厚労省も一番よく知っている筈だ」とし、終末医療での財政負担が重い現状を指摘している。
人工透析患者も飽食の時代の弊害か年々増加の一途を辿る。透析治療には年間一人約500万円が投入され、一級身体障碍者としての給付金など財政を窮迫している。人工透析の予算はあらゆる病理に対する社会保障の中でも伸び率が断トツで高い。
以前、元フジテレビアナウンサーの長谷川豊が、自身のブログ「本気論・本音論」で「医者の言うことを何年も無視し続けて、自業自得で人工透析になった患者の費用まで全額国負担でなければいけないのか?」と訴え、「人工透析患者は実費負担にさせよ。無理だと泣くなら殺せ!」と問題提起した。検証の上に立った正鵠を射た意見だったが、何故か「殺せ!」が曲解され総バッシングを受けることとなった。
国家予算に占める医療費負担は年々殖えるばかりで、今や我が国の財政を危機的な状況にしている。医療費の現実や医療の実態を国民一人一人が知り、考えることは大事なことで、長谷川のブログはそうした医療の現状に一石を投じるものだった。だが、ブログの真意が曲解され伝わっていることに違和感と危機感を覚えた。
長谷川の「医者の言うことを何年も無視し続けて、自業自得で人工透析になった患者の費用まで全額国負担でなければいけないのか?今のシステムは日本を亡ぼすだけだ」との主張と、麻生の「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているヤツの医療費は俺達が払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」との意見は然程変わらないと思うが、何故か長谷川だけが糾弾された。
ブログでの「殺せ!」との言葉だけを以て指弾されるのであれば本末転倒である。長谷川への抗議や番組降板の裏で全国腎臓病協議会(全腎協)や日本医師会の圧力があったのだとすれば言語道断、忌忌しき事態であると言わざるを得ない。
「医者の言うことを何にも聞かず、医者が処方する薬も正確に飲みもせず、看護師に暴言を吐き、家族が止めても酒を飲み続け『うまいもん食って何が悪いんだ!』と暴れ…その結果、人工透析まで至った患者がいますよね?正直に答えてくださいよ。大変申し訳ないが、かなりの数、いますよね?そういう人たちにまで、『全額を国で負担しましょうね~』なんて…そんなシステム…もう持つわけないでしょうが」
その上で長谷川は、全腎協などに対し「責任ある社団法人の、それは勤めではないですか?あなた方は透析患者と透析病院の利権集団のおつもりか?だとしたら、とっとと解散すべきだ。そんな集団は今の時代に合わない!」。これこそブログタイトル通りの「本気論」「本音論」だと思うが、長谷川の苦言は届くことは無かった。
愚生の身近な人工透析患者も、或いはサウナなどで会った人工透析を受けてる人になった原因を聞くと、「バカみたいに暴飲暴食を繰り返す」「腹は出る、腰は痛める。周囲に注意されているのに、無視」「それでも食べ続け、運動もしない」「周囲は必死に注意。でも無視」「で、糖尿病になる」「にも関わらず、運動もしない、食事も先生から言われたことをろくに守らず好き放題」と、長谷川が指摘した通り。
そして、ついに人工透析患者になった。愚生の周りには、刺青や覚醒剤が原因でC型肝炎になった奴も少なくないが、これも自業自得で、それらの治療の優遇制度にも違和感を覚える。肝炎になった要因次第では治療費の見直しは必要だと思う。
正に「病気とは何を食べどんな生活をして来たかに尽きる」に尽きる訳で、長年の日常生活の悪因悪果は自業自得という他は無い。そうした自堕落な生活を問題にせず、無制限に血税を投入することに違和感を覚えるのは当然のことで、長谷川に限らず現在の医療行政に一石を投じることは、恕(じょ)から出でる正義感でもある。
斯くいう愚生の病状も自堕落な生活からの悪因悪果か。高度医療などは財政的余裕が無いから自然治癒に頼るしかない。余命宣告でも受けたら、その天命を諒として、余生を維新者として足掻いてみたいとは思うが、晩節は穏やかな日々を過ごした方が好いな。まぁ「憎まれっ子世に憚る」で意外と自然治癒するかもな。呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。会費一般30,000(月2,500)円。法人120,000円。協賛会員300,000円~。
令和4年度の医療費は約46兆円で2年連続で過去最高を更新した。単純に、我が国の歳入約70兆円の約7割が医療費。医療費が50兆円を超えるのは必至で、歳入が減れば医療費に因って国家財政が危機的状況になってしまう可能性は少なくない。
何故に医療費が増大して行くのかといえば、日本医師会の我田引水的な拝金主義的医療制度に目を瞑り、票とカネ(政治献金)目当ての政治家に因って医療制度や医療行政の改革に手を拱いたことが大きな要因である言っても過言ではない。
医療制度の改革は先ず、自民党を始めとした政治家と日本医師会との卑しい関係を矯正し、補助金利権の闇を糺す必要があるが、その実行は限りなく不可能に近い。医療や社会福祉を優先する余りに、国家が破綻することがあってはならない。
以前、自民党の麻生太郎が医療費負担について「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているヤツの医療費は俺達が払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」と語り、物議を呼んだことは記憶に新しい。
麻生は、医療費の抑制策として、健康で病院に通わずに医療費の負担が無かった高齢者に対して「『10万円をあげる』と言ったら、医療費は下がる。それが最もカネが掛からない方法だ」とのアイデアを披歴したが、一理あるアイデアだった。
医療費に限らず、介護保険でもそうだが「利用しなきゃ損」みたいな風潮に一石を投じる意味でも、麻生の「健康高齢者褒賞金制度」は面白い試みであり、是非とも実行して頂きたいものだと思ったものだが未だ実現には至っていない。
麻生は終末医療についても「私は少なくとも遺書を書いて、そういうことをして貰う必要はない、さっさと死ぬからと書いて渡しているが、そういうことが出来ないと死ねません。いい加減、死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃ、叶わない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねる様にして貰わないと」と語ってるがこれも正論だ。
「残存生命期間にかける金が月に一千何百万円だという現実を厚労省も一番よく知っている筈だ」とし、終末医療での財政負担が重い現状を指摘している。
人工透析患者も飽食の時代の弊害か年々増加の一途を辿る。透析治療には年間一人約500万円が投入され、一級身体障碍者としての給付金など財政を窮迫している。人工透析の予算はあらゆる病理に対する社会保障の中でも伸び率が断トツで高い。
以前、元フジテレビアナウンサーの長谷川豊が、自身のブログ「本気論・本音論」で「医者の言うことを何年も無視し続けて、自業自得で人工透析になった患者の費用まで全額国負担でなければいけないのか?」と訴え、「人工透析患者は実費負担にさせよ。無理だと泣くなら殺せ!」と問題提起した。検証の上に立った正鵠を射た意見だったが、何故か「殺せ!」が曲解され総バッシングを受けることとなった。
国家予算に占める医療費負担は年々殖えるばかりで、今や我が国の財政を危機的な状況にしている。医療費の現実や医療の実態を国民一人一人が知り、考えることは大事なことで、長谷川のブログはそうした医療の現状に一石を投じるものだった。だが、ブログの真意が曲解され伝わっていることに違和感と危機感を覚えた。
長谷川の「医者の言うことを何年も無視し続けて、自業自得で人工透析になった患者の費用まで全額国負担でなければいけないのか?今のシステムは日本を亡ぼすだけだ」との主張と、麻生の「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているヤツの医療費は俺達が払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」との意見は然程変わらないと思うが、何故か長谷川だけが糾弾された。
ブログでの「殺せ!」との言葉だけを以て指弾されるのであれば本末転倒である。長谷川への抗議や番組降板の裏で全国腎臓病協議会(全腎協)や日本医師会の圧力があったのだとすれば言語道断、忌忌しき事態であると言わざるを得ない。
「医者の言うことを何にも聞かず、医者が処方する薬も正確に飲みもせず、看護師に暴言を吐き、家族が止めても酒を飲み続け『うまいもん食って何が悪いんだ!』と暴れ…その結果、人工透析まで至った患者がいますよね?正直に答えてくださいよ。大変申し訳ないが、かなりの数、いますよね?そういう人たちにまで、『全額を国で負担しましょうね~』なんて…そんなシステム…もう持つわけないでしょうが」
その上で長谷川は、全腎協などに対し「責任ある社団法人の、それは勤めではないですか?あなた方は透析患者と透析病院の利権集団のおつもりか?だとしたら、とっとと解散すべきだ。そんな集団は今の時代に合わない!」。これこそブログタイトル通りの「本気論」「本音論」だと思うが、長谷川の苦言は届くことは無かった。
愚生の身近な人工透析患者も、或いはサウナなどで会った人工透析を受けてる人になった原因を聞くと、「バカみたいに暴飲暴食を繰り返す」「腹は出る、腰は痛める。周囲に注意されているのに、無視」「それでも食べ続け、運動もしない」「周囲は必死に注意。でも無視」「で、糖尿病になる」「にも関わらず、運動もしない、食事も先生から言われたことをろくに守らず好き放題」と、長谷川が指摘した通り。
そして、ついに人工透析患者になった。愚生の周りには、刺青や覚醒剤が原因でC型肝炎になった奴も少なくないが、これも自業自得で、それらの治療の優遇制度にも違和感を覚える。肝炎になった要因次第では治療費の見直しは必要だと思う。
正に「病気とは何を食べどんな生活をして来たかに尽きる」に尽きる訳で、長年の日常生活の悪因悪果は自業自得という他は無い。そうした自堕落な生活を問題にせず、無制限に血税を投入することに違和感を覚えるのは当然のことで、長谷川に限らず現在の医療行政に一石を投じることは、恕(じょ)から出でる正義感でもある。
斯くいう愚生の病状も自堕落な生活からの悪因悪果か。高度医療などは財政的余裕が無いから自然治癒に頼るしかない。余命宣告でも受けたら、その天命を諒として、余生を維新者として足掻いてみたいとは思うが、晩節は穏やかな日々を過ごした方が好いな。まぁ「憎まれっ子世に憚る」で意外と自然治癒するかもな。呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。会費一般30,000(月2,500)円。法人120,000円。協賛会員300,000円~。
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2024年07月18日
汝、ゆめ晴天の友となる勿れ、雨天の友となれ!
過日、日暮里在住の畏友から鬼子母神の入谷朝顔市の鉢植えが届いた。もう何年になるだろう。団体を辞して以来、兄弟分やら舎弟分やら諸先生方、諸先輩などが離れて行く中で、昔と変わらず付き合ってくれる友がいるというのはホント有り難い。
クーラーが無い拙宅では朝顔は正に一服の清涼剤である。だが、昨年の猛暑は朝顔と扇風機では対処出来ずに夫婦共に熱中症になり罹りエライ目に遭った。流石に今年はエアコンが無いとヤバそうなのでジャパネットたかたに世話になりました(笑)
「汝、ゆめ晴天の友となる勿れ、雨天の友となれ」という言葉がある。天気の良い時というか、順調な時にだけは付き合うが、少し具合が悪くなると、いつの間にか遠ざかって寄り付かなくなる。こういう付き合いを「晴天の友」という。
「晴天(順調な人生)の人と友達になろうとはするな。寧ろ雨天(苦難に直面)の人に心を寄り添える様な人間になろう」という意味だが、人間落ち目になったりすると遠ざかって行くのは常。人というのは多くは権威主義だから当然のことでもある。
「人の痛みの分かる人間になれ」というが、人の痛みなんぞそう分かるものではなく、他人の痛みというのは所詮は他人事。愚生も64年生きて来たが、痛み(苦労)を分かるのは両親や女房くらいなもので、そんな御仁に御目にかかったことも無い。
いたとしても、相手の悩みや苦しみを聞いて、如何にも同情しているフリをしているに過ぎない。そういうヤツに悩みや弱みを見せれば、単に恥を曝すことにもなり兼ねない。「人の不幸は蜜の味」ではないが、それが人間の性でもある(笑)
出世出来ないのも、設立した会社が倒産したりするのも要は実力が無いからに尽きる。そんな弱者に寄り添ってくれる人など世の中にはいないと思った方が好い。
逆境やピンチになると、人というのは潜在能力を発揮するものなのだが、その逆境やピンチを避けてしまったり、悩み事を直ぐに吐露するというのは如何なものか。
人間というのは精神が弱い故に誰かに縋りたくなるのだろうが、困難を経験することでその先に繋がるのも確かなこと。それらの悩みや困難を避けてどうするのか。眼前の悩みなんぞ死に逝く特攻隊員の渾身の悩みに比べればどうってことは無い。
苦難とは危険を教える慈悲の鞭でもある。幸福と苦難は表裏一体であり苦難の本質を弁えれば、人生の苦難や悩みとはやはり天の与えた試練と考えるべきだ。
未だ起きてもいないことに、また将来のことを気に病んでいるよりも、今日一日を本気で真剣に生きることに心血を注げ。「一日一生」とはそういうことである。
人というのはどうしても自分よりも強い者には媚び諂うが、自分より弱い者や自分の能力より劣る者には強気に出るし、外見や肩書などで見下したりする。
「弱きを助け、強きを挫く」のが仁侠道だが、今やそうしたヤクザはおらず単なる暴力団と化してるが、社会全体も弱い者が淘汰される「仁義なき戦い」そのもので、社会構造そのものが自己中心的で金銭欲逞しい暴力団とどっこいどっこい。
ヤクザというのはそうしたことを理解しているから見栄を張る。高級車を乗り回し、仕立物の背広を着て、高給時計を身に着けては偉くなったと勘違い。
組織の名刺ひとつでも貫目が違えば見下し、上の者には諂屈する。漢(おとこ)の世界などとカッコつけたところで、所詮は見かけ倒しの世界でしかない。今や右翼団体もその任侠道とは程遠い暴力団傘下に甘んじているのだから何かを況んや。
要するに、現代に生きる人というのは外見や肩書でしか判断しないし、そうした者にとっての価値感というのはその程度のものなので気にする必要もない。
愚生の嫌いな輩というのは「貧銭を以ってこれを軽蔑する者は 富貴を以ってこれに諂屈する(吉田松陰)」という手合い。こういう手合いが暴力団や右翼の世界にはうじゃうじゃいる。こういう輩は何事も掌返しが御上手で晴天の友ばかり(笑)
そういう意味では幼馴染みや同級生というのは貴重な存在で、ノンポリで政治のことなんぞ知らないが、会えばいつも同じに接してくれる。順調な時も、そうでない時も同じ様に接してくれる友が一人でもいてくれたら人生捨てたもんじゃない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30,000円(月2500円)。法人120,000円。協賛会員300,000円~。
クーラーが無い拙宅では朝顔は正に一服の清涼剤である。だが、昨年の猛暑は朝顔と扇風機では対処出来ずに夫婦共に熱中症になり罹りエライ目に遭った。流石に今年はエアコンが無いとヤバそうなのでジャパネットたかたに世話になりました(笑)
「汝、ゆめ晴天の友となる勿れ、雨天の友となれ」という言葉がある。天気の良い時というか、順調な時にだけは付き合うが、少し具合が悪くなると、いつの間にか遠ざかって寄り付かなくなる。こういう付き合いを「晴天の友」という。
「晴天(順調な人生)の人と友達になろうとはするな。寧ろ雨天(苦難に直面)の人に心を寄り添える様な人間になろう」という意味だが、人間落ち目になったりすると遠ざかって行くのは常。人というのは多くは権威主義だから当然のことでもある。
「人の痛みの分かる人間になれ」というが、人の痛みなんぞそう分かるものではなく、他人の痛みというのは所詮は他人事。愚生も64年生きて来たが、痛み(苦労)を分かるのは両親や女房くらいなもので、そんな御仁に御目にかかったことも無い。
いたとしても、相手の悩みや苦しみを聞いて、如何にも同情しているフリをしているに過ぎない。そういうヤツに悩みや弱みを見せれば、単に恥を曝すことにもなり兼ねない。「人の不幸は蜜の味」ではないが、それが人間の性でもある(笑)
出世出来ないのも、設立した会社が倒産したりするのも要は実力が無いからに尽きる。そんな弱者に寄り添ってくれる人など世の中にはいないと思った方が好い。
逆境やピンチになると、人というのは潜在能力を発揮するものなのだが、その逆境やピンチを避けてしまったり、悩み事を直ぐに吐露するというのは如何なものか。
人間というのは精神が弱い故に誰かに縋りたくなるのだろうが、困難を経験することでその先に繋がるのも確かなこと。それらの悩みや困難を避けてどうするのか。眼前の悩みなんぞ死に逝く特攻隊員の渾身の悩みに比べればどうってことは無い。
苦難とは危険を教える慈悲の鞭でもある。幸福と苦難は表裏一体であり苦難の本質を弁えれば、人生の苦難や悩みとはやはり天の与えた試練と考えるべきだ。
未だ起きてもいないことに、また将来のことを気に病んでいるよりも、今日一日を本気で真剣に生きることに心血を注げ。「一日一生」とはそういうことである。
人というのはどうしても自分よりも強い者には媚び諂うが、自分より弱い者や自分の能力より劣る者には強気に出るし、外見や肩書などで見下したりする。
「弱きを助け、強きを挫く」のが仁侠道だが、今やそうしたヤクザはおらず単なる暴力団と化してるが、社会全体も弱い者が淘汰される「仁義なき戦い」そのもので、社会構造そのものが自己中心的で金銭欲逞しい暴力団とどっこいどっこい。
ヤクザというのはそうしたことを理解しているから見栄を張る。高級車を乗り回し、仕立物の背広を着て、高給時計を身に着けては偉くなったと勘違い。
組織の名刺ひとつでも貫目が違えば見下し、上の者には諂屈する。漢(おとこ)の世界などとカッコつけたところで、所詮は見かけ倒しの世界でしかない。今や右翼団体もその任侠道とは程遠い暴力団傘下に甘んじているのだから何かを況んや。
要するに、現代に生きる人というのは外見や肩書でしか判断しないし、そうした者にとっての価値感というのはその程度のものなので気にする必要もない。
愚生の嫌いな輩というのは「貧銭を以ってこれを軽蔑する者は 富貴を以ってこれに諂屈する(吉田松陰)」という手合い。こういう手合いが暴力団や右翼の世界にはうじゃうじゃいる。こういう輩は何事も掌返しが御上手で晴天の友ばかり(笑)
そういう意味では幼馴染みや同級生というのは貴重な存在で、ノンポリで政治のことなんぞ知らないが、会えばいつも同じに接してくれる。順調な時も、そうでない時も同じ様に接してくれる友が一人でもいてくれたら人生捨てたもんじゃない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30,000円(月2500円)。法人120,000円。協賛会員300,000円~。
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2024年07月15日
「海の日」は7月20日でなくてはならない理由がある
今日は「海の日」。本来は7月20日でなければならない理由がある。祝日法では「国民が海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」とされている。だが、海の日の本来の意味は「海の恩恵に感謝する」という趣旨とは全く違うものだ。
「国民が海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」という趣旨は、本来の「海の日」の趣旨とは全く違う。「海の日」が単なる休日の一つにされ、ハッピーマンデーとされてしまっていることは、日本人の精神的幼稚さを示すものの一つである。
「海の日」をハッピーマンデーに組み入れてるのに、何故か「山の日」は8月11日と固定化されている。「山の日」は「八」と「11」で「山」とは単なる語呂合わせで出来た祝日だが、盆入りを早めて観光や経済浮揚に繋げようとは笑止千万。
戊辰戦争で「朝敵」「逆賊」に仕立てられた会津藩を始めとした東軍は、不毛の領地であった「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。
戊辰戦争で徳川幕府に恩義を感じ、敗戦を覚悟の上で抗戦し、敗れた東軍の雄藩は、長州閥の新政府に参政することなく不毛の地で辛苦の日々を送っていた。
西軍に因って「賊軍」との汚名を着せられた東日本の方々は、新政府に対して言いたいことは山程あっただろう。だが、彼らは臥薪嘗胆、自分達が耐えることで国家全体が保たれるのならばと悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。
明治9年6月2日、明治天皇は「明治丸」にて横浜港を出港し、東北・北海道へ約50日に及ぶ巡幸に臨まれた。東北の各地を巡り、函館に寄港し、そして横浜に帰港された日が7月20日であり、この帰港の日に因んだ記念日が「海の日」である。
明治天皇巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を慰撫し、激励する為のものに他ならない。本来ならばこの巡幸を以て、賊軍とされた方々の汚名を雪ぐべきだったが長州閥の明治政府は傍観を極め込んだ。
明治丸で福島県いわき市に上陸。一路馬車で郡山へ向かう。福島から仙台、岩手、青森と北上。次いで明治丸で津軽海峡を渡り函館を経て、三陸沖を海路を戻るというコースを辿っている。 この間、東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。
明治天皇は各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。愚生の住む郡山市(安積村)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村(桑野)まで分け入り、士族であった開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金5万円を下賜されたという。
青森県弘前に在る私学「東奥義塾」では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が陛下の前で英語を披露した。明治天皇はその進取の気象に感心され「ウェブスター辞書を買う代金に」と一人一人に金5円を与えられたという。
別の地では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手の地では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着まで買い上げられたという。東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる逸話であろう。
東日本大震災と原発事故に疲弊する我々東北人にとって、被災地に思いを寄せる上皇陛下の大御心と通じるものがある。この様な由緒を持つ記念日が「ハッピーマンデー」などの都合で、その意味を薄れさせ単なる休日の一つにされてしまった。
「ハッピーマンデー」の目的は国體の破壊であり、左翼陣営はこうした既成事実を積み重ねることで、我が国の歴史や伝統、文化を否定する論拠とする。こうした愚策に自民党や保守を標榜する政治家が同調して来たのは実に御粗末なことだ。
国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は「勤労感謝の日(新嘗祭)」と「建国記念日(紀元節)」を「ハッピーマンデー」に組み入れることである。国民もまた「連休は嬉しい」などと安易な気持ちで同調することがあってはならない。
我が国の祝日の半分が、神道の祭日に由来することが我慢ならない左翼陣営は、「ハッピーマンデー」という愚策で神道を葬ろうとしているが、祝祭日を本来の我が国の在るべき姿に見直すことは喫緊の課題であり、日本人としての義務である。
建国記念の日を「紀元節」、春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」、勤労感謝の日を「新嘗祭」と本来の名称に戻し、意味の無い祝日を廃止し、4月3日を「神武天皇祭」、10月17日を「神嘗祭」として復活させる事は、GHQが謀った戦後体制からの脱却及び我が国體と国柄を取り戻すことにもなるのだ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。会費一般30,000(月2,500)円。法人120,000円。協賛会員300,000円~。
「国民が海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」という趣旨は、本来の「海の日」の趣旨とは全く違う。「海の日」が単なる休日の一つにされ、ハッピーマンデーとされてしまっていることは、日本人の精神的幼稚さを示すものの一つである。
「海の日」をハッピーマンデーに組み入れてるのに、何故か「山の日」は8月11日と固定化されている。「山の日」は「八」と「11」で「山」とは単なる語呂合わせで出来た祝日だが、盆入りを早めて観光や経済浮揚に繋げようとは笑止千万。
戊辰戦争で「朝敵」「逆賊」に仕立てられた会津藩を始めとした東軍は、不毛の領地であった「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。
戊辰戦争で徳川幕府に恩義を感じ、敗戦を覚悟の上で抗戦し、敗れた東軍の雄藩は、長州閥の新政府に参政することなく不毛の地で辛苦の日々を送っていた。
西軍に因って「賊軍」との汚名を着せられた東日本の方々は、新政府に対して言いたいことは山程あっただろう。だが、彼らは臥薪嘗胆、自分達が耐えることで国家全体が保たれるのならばと悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。
明治9年6月2日、明治天皇は「明治丸」にて横浜港を出港し、東北・北海道へ約50日に及ぶ巡幸に臨まれた。東北の各地を巡り、函館に寄港し、そして横浜に帰港された日が7月20日であり、この帰港の日に因んだ記念日が「海の日」である。
明治天皇巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を慰撫し、激励する為のものに他ならない。本来ならばこの巡幸を以て、賊軍とされた方々の汚名を雪ぐべきだったが長州閥の明治政府は傍観を極め込んだ。
明治丸で福島県いわき市に上陸。一路馬車で郡山へ向かう。福島から仙台、岩手、青森と北上。次いで明治丸で津軽海峡を渡り函館を経て、三陸沖を海路を戻るというコースを辿っている。 この間、東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。
明治天皇は各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。愚生の住む郡山市(安積村)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村(桑野)まで分け入り、士族であった開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金5万円を下賜されたという。
青森県弘前に在る私学「東奥義塾」では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が陛下の前で英語を披露した。明治天皇はその進取の気象に感心され「ウェブスター辞書を買う代金に」と一人一人に金5円を与えられたという。
別の地では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手の地では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着まで買い上げられたという。東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる逸話であろう。
東日本大震災と原発事故に疲弊する我々東北人にとって、被災地に思いを寄せる上皇陛下の大御心と通じるものがある。この様な由緒を持つ記念日が「ハッピーマンデー」などの都合で、その意味を薄れさせ単なる休日の一つにされてしまった。
「ハッピーマンデー」の目的は国體の破壊であり、左翼陣営はこうした既成事実を積み重ねることで、我が国の歴史や伝統、文化を否定する論拠とする。こうした愚策に自民党や保守を標榜する政治家が同調して来たのは実に御粗末なことだ。
国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は「勤労感謝の日(新嘗祭)」と「建国記念日(紀元節)」を「ハッピーマンデー」に組み入れることである。国民もまた「連休は嬉しい」などと安易な気持ちで同調することがあってはならない。
我が国の祝日の半分が、神道の祭日に由来することが我慢ならない左翼陣営は、「ハッピーマンデー」という愚策で神道を葬ろうとしているが、祝祭日を本来の我が国の在るべき姿に見直すことは喫緊の課題であり、日本人としての義務である。
建国記念の日を「紀元節」、春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」、勤労感謝の日を「新嘗祭」と本来の名称に戻し、意味の無い祝日を廃止し、4月3日を「神武天皇祭」、10月17日を「神嘗祭」として復活させる事は、GHQが謀った戦後体制からの脱却及び我が国體と国柄を取り戻すことにもなるのだ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。会費一般30,000(月2,500)円。法人120,000円。協賛会員300,000円~。
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2024年07月13日
「みたままつり」に行くべきか、やっぱり止めようか・・・
本日13日~16日、靖國神社では「みたままつり」が斎行される。春秋の例大祭などとは違い堅苦しさもなく、英霊の方々に対する畏敬や欽仰を肌で感じる。祖先霊を供養し、苦しんでいる亡者を救う祭りは支那大陸でも行われている風習と同じ。
「みたままつり」は盆行事ということもあって、御霊の囁きに触れる好い機会であり、みたままつりに靖國の本来の日本の姿を見る。こうした伝統行事に触れる度に、正に我が国は随神(かんながら)の道を歩んで来た有難い国だと痛感する。
団体(防共挺身隊)を辞してからというもの慢性的不如意もあって上京する機会もめっきり減って、贔屓の店にもとんと行かなくなってしまった。自称・愛国者に怒られそうだが、靖國神社に詣でた後の直会というか一献が愉しみでもある。
上野で下車し、「蓬莱屋」のとんかつや「蓮玉庵」の蕎麦前をつまみにでチョイ飲み。蓮玉庵は池波正太郎や文人墨客、落語家などに愛された名店。福島や山形の本物の蕎麦を知っている者として流石に江戸前の蕎麦はイマイチだが雰囲気が好い。
「切って切れるは蕎麦なれど、切っても切れぬは蕎麦と酒」。風情の好い蕎麦屋というのは客の空いた時間にスッと寄って飲むのが好いが、人気蕎麦店になると忙しい時間帯の酒飲みの客というのは歓迎されない。昼過ぎに蕎麦前を楽しむのが好い。
鰻なら石川台のその名も「鰻家」が最高。ここは蒲焼きも絶品だが、女将が作る茶碗蒸しが絶品。鰻家の近くでは、長嶋終身名誉監督が贔屓にしてる田園調布駅前の人気店「鳥鍈(とりえい)」や、鰻屋の名店「平八」で昼呑みするのが至福。
平八の一階は焼鳥屋で夕方からの営業だが、二階は鰻屋になっていて雰囲気好し。酒肴といい、銘酒が揃っていて、限定の肝焼きや気の利いたつまみで冷酒を愉しんで鰻重で〆るのが好い。田園調布本町に住んでた頃は、酔った最後は雪が谷大塚の「B-奈」でカラオケってのが定番だった。奈ちゃんの「渡良瀬橋」を聴きたいなぁ♪
旗の台に在る焼鳥屋「鳥樹」は鳥鍈より美味い。この店を知ったのは、何故か郡山市の某ヤクザから「鳥樹に行きたいな」と言われたのがきっかけだった。
プロレスラー御用達の五反田の「ステーキ・リベラ」も久しく行ってないな。ビックサイズのステーキを食べると何となく元気が出る様な気がするし(笑)
浜松町のもつ焼きの名店「秋田屋」のつくね(特製たたき肉だんご)や、蒲田の「八幸」も恋しいなぁ。愚生が防挺に入隊した頃の本部事務所は浜松町に在り、ビラ貼りや運動の帰りに「秋田屋」に立ち寄り、先輩に馳走に預かったのを思い出す。
銀座では路地裏の名店「小笹寿司」や、その向かいに在るフレンチの「ビストロ・カシュカシュ」。銀座のおねえちゃんと同伴してた頃が懐かしいな(笑)
寿司屋じゃ、九段下の「寿司政」が好いが、それより浅草小島の「秀鮨」が落ち着くな。祭り好きの江戸っ子の大将は人相はかなり悪くて近寄り難そうだが、酒肴といい、江戸前の握りといい、どれも絶品なんです。何より親方夫婦の人柄好し。
浅草も名店揃いでどこに行くか迷ってしまうが、昼なら「まさる」の天丼か。昼飲みなら「駒形どぜう」より、「飯田屋」からの「神谷バー」が御気に入り。
江戸前の小鍋で食べるすき焼きが味わえる、江戸情緒たっぷりの「米久本店」からの神谷バーってのもあるな。それとも銀座線地下街の場末の店で酔っぱらうか。久々に両国や森下に足を延ばして、「ももんじゃ」や「みの家」ってのも悪くない。
マニアックな処では赤羽も好い。孤独のグルメでも登場した「川栄」で昼飲みってのも堪らないし、絶品の馬刺しを出す「きらく」も捨て難い。赤羽の名店「米山」は、もつ焼きなど絶品なんだが、大将の対応がイマサンなんだよなぁ(笑)
上野の焼肉店「板門店」も好いが、以前、畏友に連れて行って貰った「東京苑」を再訪してみたいな。店はとても綺麗とはいえないが、出される焼肉は絶品だった。まぁ何処で呑むかはアメ横の「大統領」でチョい呑みし乍ら考えるとするか。
つ~か、ここのところ1ヶ月程無収入。凌いでた競輪競馬もイマイチ噛み合わない。更に、算段に加えて体調まで芳しくない。先日、血液検査をした翌日、クリニックから「要精密検査」との連絡が来たが、深刻な状況になってるかもなぁ。
上京したいが新幹線での往復だけじゃつまらない。やっぱり直会を兼ねた一人呑みが愉しみ。まぁその前に、体調と不如意をどうにかせねばならない。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
「みたままつり」は盆行事ということもあって、御霊の囁きに触れる好い機会であり、みたままつりに靖國の本来の日本の姿を見る。こうした伝統行事に触れる度に、正に我が国は随神(かんながら)の道を歩んで来た有難い国だと痛感する。
団体(防共挺身隊)を辞してからというもの慢性的不如意もあって上京する機会もめっきり減って、贔屓の店にもとんと行かなくなってしまった。自称・愛国者に怒られそうだが、靖國神社に詣でた後の直会というか一献が愉しみでもある。
上野で下車し、「蓬莱屋」のとんかつや「蓮玉庵」の蕎麦前をつまみにでチョイ飲み。蓮玉庵は池波正太郎や文人墨客、落語家などに愛された名店。福島や山形の本物の蕎麦を知っている者として流石に江戸前の蕎麦はイマイチだが雰囲気が好い。
「切って切れるは蕎麦なれど、切っても切れぬは蕎麦と酒」。風情の好い蕎麦屋というのは客の空いた時間にスッと寄って飲むのが好いが、人気蕎麦店になると忙しい時間帯の酒飲みの客というのは歓迎されない。昼過ぎに蕎麦前を楽しむのが好い。
鰻なら石川台のその名も「鰻家」が最高。ここは蒲焼きも絶品だが、女将が作る茶碗蒸しが絶品。鰻家の近くでは、長嶋終身名誉監督が贔屓にしてる田園調布駅前の人気店「鳥鍈(とりえい)」や、鰻屋の名店「平八」で昼呑みするのが至福。
平八の一階は焼鳥屋で夕方からの営業だが、二階は鰻屋になっていて雰囲気好し。酒肴といい、銘酒が揃っていて、限定の肝焼きや気の利いたつまみで冷酒を愉しんで鰻重で〆るのが好い。田園調布本町に住んでた頃は、酔った最後は雪が谷大塚の「B-奈」でカラオケってのが定番だった。奈ちゃんの「渡良瀬橋」を聴きたいなぁ♪
旗の台に在る焼鳥屋「鳥樹」は鳥鍈より美味い。この店を知ったのは、何故か郡山市の某ヤクザから「鳥樹に行きたいな」と言われたのがきっかけだった。
プロレスラー御用達の五反田の「ステーキ・リベラ」も久しく行ってないな。ビックサイズのステーキを食べると何となく元気が出る様な気がするし(笑)
浜松町のもつ焼きの名店「秋田屋」のつくね(特製たたき肉だんご)や、蒲田の「八幸」も恋しいなぁ。愚生が防挺に入隊した頃の本部事務所は浜松町に在り、ビラ貼りや運動の帰りに「秋田屋」に立ち寄り、先輩に馳走に預かったのを思い出す。
銀座では路地裏の名店「小笹寿司」や、その向かいに在るフレンチの「ビストロ・カシュカシュ」。銀座のおねえちゃんと同伴してた頃が懐かしいな(笑)
寿司屋じゃ、九段下の「寿司政」が好いが、それより浅草小島の「秀鮨」が落ち着くな。祭り好きの江戸っ子の大将は人相はかなり悪くて近寄り難そうだが、酒肴といい、江戸前の握りといい、どれも絶品なんです。何より親方夫婦の人柄好し。
浅草も名店揃いでどこに行くか迷ってしまうが、昼なら「まさる」の天丼か。昼飲みなら「駒形どぜう」より、「飯田屋」からの「神谷バー」が御気に入り。
江戸前の小鍋で食べるすき焼きが味わえる、江戸情緒たっぷりの「米久本店」からの神谷バーってのもあるな。それとも銀座線地下街の場末の店で酔っぱらうか。久々に両国や森下に足を延ばして、「ももんじゃ」や「みの家」ってのも悪くない。
マニアックな処では赤羽も好い。孤独のグルメでも登場した「川栄」で昼飲みってのも堪らないし、絶品の馬刺しを出す「きらく」も捨て難い。赤羽の名店「米山」は、もつ焼きなど絶品なんだが、大将の対応がイマサンなんだよなぁ(笑)
上野の焼肉店「板門店」も好いが、以前、畏友に連れて行って貰った「東京苑」を再訪してみたいな。店はとても綺麗とはいえないが、出される焼肉は絶品だった。まぁ何処で呑むかはアメ横の「大統領」でチョい呑みし乍ら考えるとするか。
つ~か、ここのところ1ヶ月程無収入。凌いでた競輪競馬もイマイチ噛み合わない。更に、算段に加えて体調まで芳しくない。先日、血液検査をした翌日、クリニックから「要精密検査」との連絡が来たが、深刻な状況になってるかもなぁ。
上京したいが新幹線での往復だけじゃつまらない。やっぱり直会を兼ねた一人呑みが愉しみ。まぁその前に、体調と不如意をどうにかせねばならない。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年07月10日
安倍晋三元首相が亡くなってからの日本の転げ具合が凄い
令和4年7月8日、安倍晋三元首相が、天皇の国事行為である参議院選挙中に暴漢の銃弾に斃れた。この銃撃事件に関し、未だ真相解明が成されていないことに違和感を覚える。側聞されている様な別の組織に因る犯行だったのではとの疑いもある。
政治的な理由で左翼の銃弾に斃れたというなら「男子の本懐」というものだが、選りにも選って、カルト宗教である統一教会(現・世界平和統一家庭連合)絡みのとばっちりで命を狙われたのが真実ならば安倍元首相の御霊も浮かばれない。
安倍元首相は長野県選挙区の自民党候補のスキャンダルもあり、予定を変更して奈良に向かったという。奈良への変更は山上容疑者にしたら天佑と思ったに違いない。そこに加えて警備や警護のミスが重なってしまった。運命とは実に非常である。
安倍政権の功罪はあるが、外交では日本という国を世界にアピールしたのも事実。過去に、我が国で米国大統領に直接意見を出来た首相は安倍晋三だけだろう。
LGBT法案成立を強要し「G7の中でLGBT法案が無いのは日本だけ」という全くの嘘やデマを垂れ流し、「次は同性婚」「日本は進化の過程」などと宣っているエマニュエル駐日大使の度重なる内政干渉に沈黙してる岸田文雄首相とは偉い違いだ。
そんな安倍はトランプとの良好な関係をプーチンにも重ねて二島返還を示す。だが逆に、プーチンに北方領土は実質的なロシア領ということ内外に知らしめることとなった。外交に自信を持ってた安倍だったが、逆に外交で墓穴を掘った。
愚生は常々、安倍の謀る憲法九条改正は究極の護憲運動だと指弾してきた。「退位法案」を皇室典範に附帯し上皇陛下の退位を強行し、御代が替わるや否や天皇の大権である元号権を簒奪し、行政権を優先させたことは万死に値すると断じた。
安倍の歴史認識も「河野談話」や「村山談話」と大して変わらなかった。戦没者追悼式に於いても「心ならずも戦場で斃れ」だとか、「多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えて来た」と語ったことも記憶に新しい。
安倍の掲げた「戦後レジームからの脱却」なんぞ自称・保守派を誑かす画餅に過ぎない。画餅故に実行する気など毛頭なく、勇ましいスローガンだけで事を濁す。
野党に転落して臨む総選挙前に、安倍は前政権下での靖國不参拝を問われ「断腸の思い」とその悔しさを滲ませた。そういう安倍の無念さに国民は共鳴し支持した。なのに「とりわけアジアの諸国の人々に」などとは厭きれてしまった。
安倍の言行は保守とは程遠く、靖國問題など見向きもしない政治家より悪質で始末が悪い。保守仕草だけで騙される自称保守派や自称愛国者とは実に単純。
拉致問題も安倍政権の最重要課題とし「我が政権で解決を図る」と公言していただけに、任期途中での退任は無念さが滲んでた。総理の座を辞しても拉致問題を見捨てることなく、元総理として単独で訪朝してでも解決して欲しかった。
政治で大事なことは「国防」と「教育」であり、その認識を共有する安倍は、中でも教育に対し「将来を担う子供達が自分の国に誇りの持てる教育を施す」と訴えた。愚生は安倍信者ではないが、この主張だけでも安倍を支持する理由になった。
政権に返り咲き、教育大国を目指し教育改革を打ち出すのかと思いきや傍観を極め込む。「戦後レジームからの脱却」は教育改革無くして語れない。況してや教育は国家百年の大計であり、政治家が行うべき最大のものだが語られることが少ない。
「国防」も然り、尖閣列島などの領土防衛は国防の一つではあるが、国防とは「それを亡くしてしまえば日本ではなくなってしまうもの」を死守することであり、つまり我が国の歴史・伝統・文化を守り、天皇を戴く日本という国柄を護り抜くことだ。
然し乍ら、安倍を始めとした営業保守や自称・愛国者らは、天皇条項である憲法第一条~第八条の見直しではなく、憲法九条のみに拘る。憲法九条こそが大事と思っている点では、保守派と言うのは左翼護憲派の「九条の会」とどっこいどっこい。
憲法九条改正を訴え、自衛隊を「我が国を防衛する為の必要最小限の実力組織」にすると語っている。この認識こそが占領下時代の警察予備隊の儘なのだ。安倍らの謀る憲法改正はインチキであり、究極の護憲運動と批判するのはそういうことだ。
安倍に期待してただけに裏切られた思いが強いのか元々見る目が無かったのか。抑々、安倍というのはベターなだけでベストな首相ではない。所詮は「安倍より他はいない」程度のものと知りながら、それでもと期待したのが間違いだった。
愚生は安倍政権に対しては、幾度となく「新自由主義を盲信し、経済至上主義に奔る安倍に、吾、疑心暗鬼どころか屋上屋を架す大馬鹿者である」と安倍を評し、苦言を呈してきたが、安倍が亡くなった以降の日本の左傾化ぶりには目に余る。
安倍を保守派だと思ったことは無いが、清濁併せ呑む政治家の一人には違いない。安倍の去った自民党員を見れば、保守派とは程遠い単なる投票党員ばかりなり。
皇統を棄損し兼ねないLGBT法を対米追随の一環で成立させるなど、安倍亡き後の転げ具合が凄い。何事も極一部の人間(指導者)の判断で決まるもので、大衆はいつの時代も指導者の意に沿って、どっちにも動き流されるものなのだと悟る。
ヒトラーは、「必要不可欠なのは、一人の指導者の意志、一人が命じ、他の人はそれを実行すればよい」と訓えている。つまりトップに立つ人の意思が大事なのだが、そのトップに立つ人に国家観や人間性が乏しいと国民が不幸に陥ることとなる。
LGBT法案での岸田首相や自民党執行部のエマニュエル駐米大使や米国民主党への追随ぶりには厭きれるばかりだが、党内保守派の右往左往ぶりを目の当たりにすると、強固な意志(国家観)を持った政治家がいないことを悲観せざるを得ない。
自民党総裁選が迫る中で、国家観逞しい高市早苗が党総裁に就けば保守支持層は戻って来るだろうが、小石河連合や茂木、上川なんぞが神輿となれば自民党は終わる。現在の自民党の転げ様に、草葉の陰の安倍元首相も嘆いているに違いない。合掌。
※ブログコメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
政治的な理由で左翼の銃弾に斃れたというなら「男子の本懐」というものだが、選りにも選って、カルト宗教である統一教会(現・世界平和統一家庭連合)絡みのとばっちりで命を狙われたのが真実ならば安倍元首相の御霊も浮かばれない。
安倍元首相は長野県選挙区の自民党候補のスキャンダルもあり、予定を変更して奈良に向かったという。奈良への変更は山上容疑者にしたら天佑と思ったに違いない。そこに加えて警備や警護のミスが重なってしまった。運命とは実に非常である。
安倍政権の功罪はあるが、外交では日本という国を世界にアピールしたのも事実。過去に、我が国で米国大統領に直接意見を出来た首相は安倍晋三だけだろう。
LGBT法案成立を強要し「G7の中でLGBT法案が無いのは日本だけ」という全くの嘘やデマを垂れ流し、「次は同性婚」「日本は進化の過程」などと宣っているエマニュエル駐日大使の度重なる内政干渉に沈黙してる岸田文雄首相とは偉い違いだ。
そんな安倍はトランプとの良好な関係をプーチンにも重ねて二島返還を示す。だが逆に、プーチンに北方領土は実質的なロシア領ということ内外に知らしめることとなった。外交に自信を持ってた安倍だったが、逆に外交で墓穴を掘った。
愚生は常々、安倍の謀る憲法九条改正は究極の護憲運動だと指弾してきた。「退位法案」を皇室典範に附帯し上皇陛下の退位を強行し、御代が替わるや否や天皇の大権である元号権を簒奪し、行政権を優先させたことは万死に値すると断じた。
安倍の歴史認識も「河野談話」や「村山談話」と大して変わらなかった。戦没者追悼式に於いても「心ならずも戦場で斃れ」だとか、「多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えて来た」と語ったことも記憶に新しい。
安倍の掲げた「戦後レジームからの脱却」なんぞ自称・保守派を誑かす画餅に過ぎない。画餅故に実行する気など毛頭なく、勇ましいスローガンだけで事を濁す。
野党に転落して臨む総選挙前に、安倍は前政権下での靖國不参拝を問われ「断腸の思い」とその悔しさを滲ませた。そういう安倍の無念さに国民は共鳴し支持した。なのに「とりわけアジアの諸国の人々に」などとは厭きれてしまった。
安倍の言行は保守とは程遠く、靖國問題など見向きもしない政治家より悪質で始末が悪い。保守仕草だけで騙される自称保守派や自称愛国者とは実に単純。
拉致問題も安倍政権の最重要課題とし「我が政権で解決を図る」と公言していただけに、任期途中での退任は無念さが滲んでた。総理の座を辞しても拉致問題を見捨てることなく、元総理として単独で訪朝してでも解決して欲しかった。
政治で大事なことは「国防」と「教育」であり、その認識を共有する安倍は、中でも教育に対し「将来を担う子供達が自分の国に誇りの持てる教育を施す」と訴えた。愚生は安倍信者ではないが、この主張だけでも安倍を支持する理由になった。
政権に返り咲き、教育大国を目指し教育改革を打ち出すのかと思いきや傍観を極め込む。「戦後レジームからの脱却」は教育改革無くして語れない。況してや教育は国家百年の大計であり、政治家が行うべき最大のものだが語られることが少ない。
「国防」も然り、尖閣列島などの領土防衛は国防の一つではあるが、国防とは「それを亡くしてしまえば日本ではなくなってしまうもの」を死守することであり、つまり我が国の歴史・伝統・文化を守り、天皇を戴く日本という国柄を護り抜くことだ。
然し乍ら、安倍を始めとした営業保守や自称・愛国者らは、天皇条項である憲法第一条~第八条の見直しではなく、憲法九条のみに拘る。憲法九条こそが大事と思っている点では、保守派と言うのは左翼護憲派の「九条の会」とどっこいどっこい。
憲法九条改正を訴え、自衛隊を「我が国を防衛する為の必要最小限の実力組織」にすると語っている。この認識こそが占領下時代の警察予備隊の儘なのだ。安倍らの謀る憲法改正はインチキであり、究極の護憲運動と批判するのはそういうことだ。
安倍に期待してただけに裏切られた思いが強いのか元々見る目が無かったのか。抑々、安倍というのはベターなだけでベストな首相ではない。所詮は「安倍より他はいない」程度のものと知りながら、それでもと期待したのが間違いだった。
愚生は安倍政権に対しては、幾度となく「新自由主義を盲信し、経済至上主義に奔る安倍に、吾、疑心暗鬼どころか屋上屋を架す大馬鹿者である」と安倍を評し、苦言を呈してきたが、安倍が亡くなった以降の日本の左傾化ぶりには目に余る。
安倍を保守派だと思ったことは無いが、清濁併せ呑む政治家の一人には違いない。安倍の去った自民党員を見れば、保守派とは程遠い単なる投票党員ばかりなり。
皇統を棄損し兼ねないLGBT法を対米追随の一環で成立させるなど、安倍亡き後の転げ具合が凄い。何事も極一部の人間(指導者)の判断で決まるもので、大衆はいつの時代も指導者の意に沿って、どっちにも動き流されるものなのだと悟る。
ヒトラーは、「必要不可欠なのは、一人の指導者の意志、一人が命じ、他の人はそれを実行すればよい」と訓えている。つまりトップに立つ人の意思が大事なのだが、そのトップに立つ人に国家観や人間性が乏しいと国民が不幸に陥ることとなる。
LGBT法案での岸田首相や自民党執行部のエマニュエル駐米大使や米国民主党への追随ぶりには厭きれるばかりだが、党内保守派の右往左往ぶりを目の当たりにすると、強固な意志(国家観)を持った政治家がいないことを悲観せざるを得ない。
自民党総裁選が迫る中で、国家観逞しい高市早苗が党総裁に就けば保守支持層は戻って来るだろうが、小石河連合や茂木、上川なんぞが神輿となれば自民党は終わる。現在の自民党の転げ様に、草葉の陰の安倍元首相も嘆いているに違いない。合掌。
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2024年07月08日
東京都知事選は予想通り小池百合子の圧勝だったな(笑)
東京都知事選挙は大方の予想通り小池百合子が圧勝した。現職の強みもあるが、対抗馬が立憲共産党の蓮舫やイマイチ正体不明の石丸伸二とか、田母神元幕僚長じゃ、小池の勝利は目に見えていた。小池を支持した自民党も安堵しただろう(笑)
元広島県安芸高田市の市長だった石丸がこれほどの票を得たのは驚きだが、若者の票を掴んだことは側聞されてる様な「ドトール方式」の効果だろうか。石丸は新党結成に動くのか、次期総選挙は岸田と闘うのか、今後の動きに注目が集まる。
蓮舫は2位どころか石丸にも負けて3位。やっぱ1位目指し、勝利しなきゃダメというのが分かっただろう。蓮舫の負けは実力不足に加えて共産党候補となったことで有権者が離れた。今回の結果を受けて、立憲民主党の分裂は避けられないだろう。
過日、某企業の社長と吞んでたら都知事選の話しになり、「小池の圧勝でしょ。ダブルスコアで!」というと「私は蓮舫が勝つと思いますよ」と言ってたっけ。結果は愚生の予想通り。別に賭けた訳では無いが、次に会うのが愉しみだな(笑)
平成28(2016)年の都知事選挙に出馬表明した小池は、都議会のドン・内田茂幹事長(当時)を「既得権益を仕切るボス政治」と批判し反自民党色を鮮明にした。
猪瀬、舛添と二人続けて任期途中で辞任するに至ったが、都議会と自民党東京都連は、舛添前知事の公私混同疑惑問題を何ら追求することなく他人事を極め込んだ。
自民党は本来、当時は自民党員でもあった小池を推薦するべきなのに、自民党は元岩手県知事の増田寛也を擁立。女の恨みというものは強烈なもので、都議会と自民党東京都連を「都政改革の元凶(抵抗勢力)」と捉え、当選後の「都議会の冒頭解散」を打ち出し、都政最大のガンである既得権益を仕切る「ボス政治」を糾弾した。
「都政を(都民に)取り戻す」をスローガンに、小池の一大旋風を巻き起こし初当選を果たした。都知事選の結果を受け内田は引退を表明しこの世の春は終わった。
豊洲市場移転問題は宇都宮健児と連帯して政局に持ち込んだ。この協定が後々事をややこしくしたが、対自民党の選挙戦は有権者には分かり易い構図だった。
増田の惨敗を受け、石原伸晃自民党東京都連会長(当時)が「全責任は谷垣禎一幹事長だ」と責任逃れしたのを思い出す。石原は間もなく都連会長を辞任した。
どうせ辞めざるを得ないのだから「都連会長として全責任は私に在る」といえば好いものを、あろうことか、全責任を谷垣幹事長に押し付けるとは何事か。こんな人品だから、選挙でボロ負けし、参院選狙いも誰からも支持されないのは当然のこと。
谷垣幹事長は、サイクリング中の頸椎損傷で恐らくは政治家生命も潰えた訳で、そんな病床にある谷垣幹事長にその責任を押し付けるのは卑怯という他ない。
伸晃は、小池百合子を扱き下ろしてたが、伸晃こそ人間として、否、日本人の男としての最低限の美学も持ち合わせていないサイテーな野郎。親(石原慎太郎)の七光りで政治家になっただけの能無しの修行不足のボンクラ男というのが正しい。
大体、大きな敗因は小池が糺した通り、自民党東京都連幹事長の旧態依然の陋習であり、それに苦言も呈せない伸晃ら都連幹部の為体。選挙後半での石原慎太郎の「厚化粧の大年増」発言が響いたが、オヤジの暴言は小池有利に動いた(笑)
令和2(2020)年の都知事選は小池百合子の秒殺で決着。前回の都知事選で小池と共闘した宇都宮健児と山本太郎の票を足してもダブルスコアの大勝利。
マスコミは前回お都知事選も前々回も「小池ややリード」と報道してたが、結果を見れば「ややリード」どころじゃなかった。こうした情勢分析の乏しさはマスコミの劣化を如実に現わしている。要は、マスコミの分析は己らの願望でしかない。
それにしても自民党は節操の無さ過ぎる。前々回では小池を推薦せずに党員でもない増田を推薦し惨敗。前回は都民ファースト人気に肖ろうと小池支持に回った。
今回も次期総選挙を優先する余り小池支持に回ったが、「政策よりも何よりも当選しなきゃ議員として存在価値が無い」という考えならば余りにも軽薄過ぎる。
8年前の知事選で小池が勝利し、陋習蔓延る旧態依然の自民党政治は終焉するのかと思いきや、自民党というのは実に強かだ。尤も、野党に転落した自民党は社会党の村山富市を担ぎ上げたくらいだもの、節操の無さは今に始まったことではない。
国民は自民党を保守政党と勘違いしてるが、自民党というのは昔から中道左派。自由と民主主義というその名の通りリベラル。そこに輪を掛けて親中派が席巻する。親中派の公明党と連立を組むのも当然で、国益を害していることさえ気付かない。
以前「自民党への不満・民主党への不安」と揶揄されたが、民主党政権に騙された経験から立憲共産党が支持されることは無い。自民党は結党精神に回帰し、保守政党として生まれ変わらなければ国民から三下り半を突き付けられるだろう。
自民党の恢復に先んじて野党が再結成し非共産党の健全野党として生まれ変われるのか、或いは日本保守党など新たな保守政党が支持を広げ、我が国の眼前の危機に警鐘を鳴らし、政界浄化を目指すのか、今後の政界の動きから目が離せない。
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元広島県安芸高田市の市長だった石丸がこれほどの票を得たのは驚きだが、若者の票を掴んだことは側聞されてる様な「ドトール方式」の効果だろうか。石丸は新党結成に動くのか、次期総選挙は岸田と闘うのか、今後の動きに注目が集まる。
蓮舫は2位どころか石丸にも負けて3位。やっぱ1位目指し、勝利しなきゃダメというのが分かっただろう。蓮舫の負けは実力不足に加えて共産党候補となったことで有権者が離れた。今回の結果を受けて、立憲民主党の分裂は避けられないだろう。
過日、某企業の社長と吞んでたら都知事選の話しになり、「小池の圧勝でしょ。ダブルスコアで!」というと「私は蓮舫が勝つと思いますよ」と言ってたっけ。結果は愚生の予想通り。別に賭けた訳では無いが、次に会うのが愉しみだな(笑)
平成28(2016)年の都知事選挙に出馬表明した小池は、都議会のドン・内田茂幹事長(当時)を「既得権益を仕切るボス政治」と批判し反自民党色を鮮明にした。
猪瀬、舛添と二人続けて任期途中で辞任するに至ったが、都議会と自民党東京都連は、舛添前知事の公私混同疑惑問題を何ら追求することなく他人事を極め込んだ。
自民党は本来、当時は自民党員でもあった小池を推薦するべきなのに、自民党は元岩手県知事の増田寛也を擁立。女の恨みというものは強烈なもので、都議会と自民党東京都連を「都政改革の元凶(抵抗勢力)」と捉え、当選後の「都議会の冒頭解散」を打ち出し、都政最大のガンである既得権益を仕切る「ボス政治」を糾弾した。
「都政を(都民に)取り戻す」をスローガンに、小池の一大旋風を巻き起こし初当選を果たした。都知事選の結果を受け内田は引退を表明しこの世の春は終わった。
豊洲市場移転問題は宇都宮健児と連帯して政局に持ち込んだ。この協定が後々事をややこしくしたが、対自民党の選挙戦は有権者には分かり易い構図だった。
増田の惨敗を受け、石原伸晃自民党東京都連会長(当時)が「全責任は谷垣禎一幹事長だ」と責任逃れしたのを思い出す。石原は間もなく都連会長を辞任した。
どうせ辞めざるを得ないのだから「都連会長として全責任は私に在る」といえば好いものを、あろうことか、全責任を谷垣幹事長に押し付けるとは何事か。こんな人品だから、選挙でボロ負けし、参院選狙いも誰からも支持されないのは当然のこと。
谷垣幹事長は、サイクリング中の頸椎損傷で恐らくは政治家生命も潰えた訳で、そんな病床にある谷垣幹事長にその責任を押し付けるのは卑怯という他ない。
伸晃は、小池百合子を扱き下ろしてたが、伸晃こそ人間として、否、日本人の男としての最低限の美学も持ち合わせていないサイテーな野郎。親(石原慎太郎)の七光りで政治家になっただけの能無しの修行不足のボンクラ男というのが正しい。
大体、大きな敗因は小池が糺した通り、自民党東京都連幹事長の旧態依然の陋習であり、それに苦言も呈せない伸晃ら都連幹部の為体。選挙後半での石原慎太郎の「厚化粧の大年増」発言が響いたが、オヤジの暴言は小池有利に動いた(笑)
令和2(2020)年の都知事選は小池百合子の秒殺で決着。前回の都知事選で小池と共闘した宇都宮健児と山本太郎の票を足してもダブルスコアの大勝利。
マスコミは前回お都知事選も前々回も「小池ややリード」と報道してたが、結果を見れば「ややリード」どころじゃなかった。こうした情勢分析の乏しさはマスコミの劣化を如実に現わしている。要は、マスコミの分析は己らの願望でしかない。
それにしても自民党は節操の無さ過ぎる。前々回では小池を推薦せずに党員でもない増田を推薦し惨敗。前回は都民ファースト人気に肖ろうと小池支持に回った。
今回も次期総選挙を優先する余り小池支持に回ったが、「政策よりも何よりも当選しなきゃ議員として存在価値が無い」という考えならば余りにも軽薄過ぎる。
8年前の知事選で小池が勝利し、陋習蔓延る旧態依然の自民党政治は終焉するのかと思いきや、自民党というのは実に強かだ。尤も、野党に転落した自民党は社会党の村山富市を担ぎ上げたくらいだもの、節操の無さは今に始まったことではない。
国民は自民党を保守政党と勘違いしてるが、自民党というのは昔から中道左派。自由と民主主義というその名の通りリベラル。そこに輪を掛けて親中派が席巻する。親中派の公明党と連立を組むのも当然で、国益を害していることさえ気付かない。
以前「自民党への不満・民主党への不安」と揶揄されたが、民主党政権に騙された経験から立憲共産党が支持されることは無い。自民党は結党精神に回帰し、保守政党として生まれ変わらなければ国民から三下り半を突き付けられるだろう。
自民党の恢復に先んじて野党が再結成し非共産党の健全野党として生まれ変われるのか、或いは日本保守党など新たな保守政党が支持を広げ、我が国の眼前の危機に警鐘を鳴らし、政界浄化を目指すのか、今後の政界の動きから目が離せない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2024年07月05日
いのちのバトンを受けついで いまここに 自分の番を生きている
最近は「結婚しない」とか「子供は産まない」という価値観が然も当たり前の様に語られ受け入れられている。出産を「生産性」という言葉で表すのは如何かと思うが、結婚して子供を産み育てることは世界の何処の国でも当たり前の行為である。
ジェンダー平等やLGBTQという性的変質者どもの価値観が席巻し、己の欲望を満たすことこそが当然と考える人が多くなった。結婚して子育てにカネを使うより「稼いだカネは自分の為に使いたい」との考えに至れば、国家は成り立たない。
相田みつをの「自分の番 いのちのバトン」という詩がある。
父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと十代前で
千二十四人
二十代前では・・・?
なんと百万人を越すんです
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いまここに
自分の番を生きている
それが
あなたのいのちです
それがわたしのいのちです
今の自分が存在は代々続く御先祖様のお蔭であり、その先祖の誰一人が欠けても今の自分が存在しないのは言うまでもない。父と母で2人、父と母の両親で4人、そのまた両親で8人。10代前では1024人。20代前ではナント100万人を越す。
己(個)の存在とは、代々の長い歴史から考えればホンの一瞬の出来事に過ぎない。人生とは御先祖からバトンを受け継いでるリレー走者に過ぎない。
先祖から紡いできた歴史を顧みることもなく、結婚もせずに子供を産まないとなれば、自分の代で紡いできた永い先祖の歴史が終わるということでもある。
珍左翼のカリスマ・福島瑞穂の「生まない選択 子供を持たない楽しさ」というトンデモ本がある。当の福島本人には子供がいないかというとそうではない。
「子供を生まない」「子供を持たない」とは性的変質者らしい発想だが、子供が出来ないなら仕方ないが「生まない」「持たない」とは実に身勝手な扇動である。
LGBTQなんてのは、性的嗜好を優先しているだけ。SEXなんてやってる様じゃ本物の愛ではない。SEXが無くなっても「この人といたい」と思えれば本物の愛だろう。性的少数派というより性的嗜好を優先する性的変質者そのものでしょ(笑)
「子供を産まない」「子供を持たない」とは当然の権利であり、男女共同参画社会に逆行しているというが、子供を産み育てることは人生の大仕事でもある。
何より、家庭(家族)とは、未熟な夫婦が結婚して、子供を育て上げる過程で精神的にも肉体的にも共に成長して本物の夫婦となって行くものである。
今の自分が存在しているのは、沢山の御先祖様のお蔭であり、現代の安っぽい「子供を生まない」「持たない」という価値観に共鳴するというのは、自分の代で紡いで来た永い歴史が終わるという自覚に乏しいし、余りにも身勝手な生き方である。
何より家族とは、未熟な夫婦が子供を産み、共に育てることで、精神的にも肉体的にも共に成長して行くものだと思っている。 同じ様に、国家にも歴史がある。
我が国は歴史上、人口移動の殆どない稀有な国だ。日本列島に存在していた方々は皆、我々の御先祖様なのである。 その共通の御先祖様からの流れの中に今日の我々が存在している。 我が国の歴史は、正に我々の御先祖様の歩みなのである。
その祖先の歴史を貶し、罵る連中がいる。これ即ち御先祖様の歩みを否定していることであり、つまりは、自分という存在自体を否定していることと同じだ。
男女共同参画社会とかジェンダー平等だとか、「子供は生まない」「子供は持たない」というヘンテコな価値観を強要してる連中は自国を貶め、政府を如何に腐すかに躍起になっている。問題が出ればその萌芽は我が国に在ると貶し、罵る。
愚生は右翼と蔑視されてはいるが、別にマルクスや毛沢東理論に対抗している訳では無い。単純に祖国日本という奇跡の国に生まれ、国家の恩恵を享け乍ら、その国家を貶めてる連中が大嫌いなだけ。そんなクソどもの反対が右翼ならそれで結構。
我が国は我々が考えてる以上に左翼勢力が蔓延っている。戦後の米国の価値観の押付けから、現代に於いては国連や米国民主党が扇動する左翼政策が罷り通る。
左翼の謀った諸問題を解決するには、現代の薄っぺらい価値観や短い人生の経験を基に解決を急ぐよりも、先人の多くの経験や教えから学ぶことこそ懸命である。
壊れつつある我が国を建て直すには、日本人として御先祖様の営為を学ぶことこそが近道でもある。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とは蓋し名言である。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
ジェンダー平等やLGBTQという性的変質者どもの価値観が席巻し、己の欲望を満たすことこそが当然と考える人が多くなった。結婚して子育てにカネを使うより「稼いだカネは自分の為に使いたい」との考えに至れば、国家は成り立たない。
相田みつをの「自分の番 いのちのバトン」という詩がある。
父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと十代前で
千二十四人
二十代前では・・・?
なんと百万人を越すんです
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いまここに
自分の番を生きている
それが
あなたのいのちです
それがわたしのいのちです
今の自分が存在は代々続く御先祖様のお蔭であり、その先祖の誰一人が欠けても今の自分が存在しないのは言うまでもない。父と母で2人、父と母の両親で4人、そのまた両親で8人。10代前では1024人。20代前ではナント100万人を越す。
己(個)の存在とは、代々の長い歴史から考えればホンの一瞬の出来事に過ぎない。人生とは御先祖からバトンを受け継いでるリレー走者に過ぎない。
先祖から紡いできた歴史を顧みることもなく、結婚もせずに子供を産まないとなれば、自分の代で紡いできた永い先祖の歴史が終わるということでもある。
珍左翼のカリスマ・福島瑞穂の「生まない選択 子供を持たない楽しさ」というトンデモ本がある。当の福島本人には子供がいないかというとそうではない。
「子供を生まない」「子供を持たない」とは性的変質者らしい発想だが、子供が出来ないなら仕方ないが「生まない」「持たない」とは実に身勝手な扇動である。
LGBTQなんてのは、性的嗜好を優先しているだけ。SEXなんてやってる様じゃ本物の愛ではない。SEXが無くなっても「この人といたい」と思えれば本物の愛だろう。性的少数派というより性的嗜好を優先する性的変質者そのものでしょ(笑)
「子供を産まない」「子供を持たない」とは当然の権利であり、男女共同参画社会に逆行しているというが、子供を産み育てることは人生の大仕事でもある。
何より、家庭(家族)とは、未熟な夫婦が結婚して、子供を育て上げる過程で精神的にも肉体的にも共に成長して本物の夫婦となって行くものである。
今の自分が存在しているのは、沢山の御先祖様のお蔭であり、現代の安っぽい「子供を生まない」「持たない」という価値観に共鳴するというのは、自分の代で紡いで来た永い歴史が終わるという自覚に乏しいし、余りにも身勝手な生き方である。
何より家族とは、未熟な夫婦が子供を産み、共に育てることで、精神的にも肉体的にも共に成長して行くものだと思っている。 同じ様に、国家にも歴史がある。
我が国は歴史上、人口移動の殆どない稀有な国だ。日本列島に存在していた方々は皆、我々の御先祖様なのである。 その共通の御先祖様からの流れの中に今日の我々が存在している。 我が国の歴史は、正に我々の御先祖様の歩みなのである。
その祖先の歴史を貶し、罵る連中がいる。これ即ち御先祖様の歩みを否定していることであり、つまりは、自分という存在自体を否定していることと同じだ。
男女共同参画社会とかジェンダー平等だとか、「子供は生まない」「子供は持たない」というヘンテコな価値観を強要してる連中は自国を貶め、政府を如何に腐すかに躍起になっている。問題が出ればその萌芽は我が国に在ると貶し、罵る。
愚生は右翼と蔑視されてはいるが、別にマルクスや毛沢東理論に対抗している訳では無い。単純に祖国日本という奇跡の国に生まれ、国家の恩恵を享け乍ら、その国家を貶めてる連中が大嫌いなだけ。そんなクソどもの反対が右翼ならそれで結構。
我が国は我々が考えてる以上に左翼勢力が蔓延っている。戦後の米国の価値観の押付けから、現代に於いては国連や米国民主党が扇動する左翼政策が罷り通る。
左翼の謀った諸問題を解決するには、現代の薄っぺらい価値観や短い人生の経験を基に解決を急ぐよりも、先人の多くの経験や教えから学ぶことこそ懸命である。
壊れつつある我が国を建て直すには、日本人として御先祖様の営為を学ぶことこそが近道でもある。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とは蓋し名言である。
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2024年07月02日
明治神宮外苑再開発計画での樹木伐採ばかりが問題にされているが
明治神宮外苑再開発問題が都知事選挙でも取り上げられている。神宮球場や秩父宮ラグビー場の老朽化での建て替えは当然だと思うが、球場にホテルを併設したり、複合商業施設が民間企業の営利の為の建て替えが再開発なら賛同し兼ねる。
外苑周辺の樹木の伐採計画が発表されたのは令和4年2月頃だったか。外苑再開発は都民だけの問題ではなく、国民への説明が求められる。だが、都議会で形だけの議論が交わされ、同年4月には事業計画が早々と承認されている。
三井不動産などの事業者は、伐採した樹木の替わりに新しい木を植樹する計画だという。計画反対派は「樹齢100年を超える樹木も多く、景観が失われる」として懸念を示している。事業者に何故か明治神宮が参画していることが解せない。
新宿区と港区、及び渋谷区と広範囲に跨る神宮外苑は、教育や文化を重んじた明治天皇の思召しに沿って計画され、大正15年に完成された都市公園であり、エリア内には国立競技場や神宮球場、秩父宮ラグビー場やテニスコートなどが造られた。
再開発計画では、神宮球場の建て替えを中心に秩父宮ラグビー場は移転して建て替えられる。商業施設などが入る2棟の複合ビルが新たに建設される予定だという。
事業者が新宿区に提出した資料では、再開発エリア内の高さ3メートル以上の樹木1904本の内、国立競技場南側の一帯や「聖徳記念絵画館」前の広場を中心に892本を伐採する予定だったが、苦情が相次いでその後は743本に修正している。
実際には3メートル以下の樹木を併せると3000本以上になるという。樹木には寿命があり、倒壊する危険のある樹木の伐採は理解する。伐採する代わりに新たに979本を植樹するらしいが、都内の豊かな森が無くなる不安は拭い切れない。
太陽光パネルを義務化した小池百合子都知事は、更に葛西臨海公園の1400本の樹木伐採しメガソーラーを造るというが、樹木を伐採してまでやる事業ではない。
東京大学石川幹子名誉教授は「伐採される木の中には赤松やスダジイ(すだ椎 )、楠など大正時代に植えられた樹齢100年を超える樹木が多く、新しい樹木を植えたとしても代わりになるものではない。歴史と文化のある景観が一気に失われてしまう。確りと説明して議論するべきではないか」との懸念を示している。
東京都が開いた審議会で担当者は「事業者からは日本らしい樹木を植えると説明があり、更に緑ある環境を作るものと認識している」と説明。再開発の計画そのものは承認したが、樹木の伐採については今後、都が事業者と協議を進めるとしている。
時代の流れでこうした再開発は避けられないのだろうか。神宮外苑とはその名前の通り、明治神宮の外苑であり、神宮への影響を最大限に考慮する必要があるが、伐採に反対するべき神宮側が率先して開発に携わるというのは如何なものか。
明治神宮は国民の総意に由り、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び、大正9年に創建された神社である。明治神宮が、平成16年に、神社本庁から離脱し一宗教法人となったことは記憶に新しい。明治神宮側と神社庁との確執が原因だった。
明治神宮側は離脱の理由として、平成16年4月の陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に、本来「陛下」とするところを「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したと説明しているが、これは堅白同異の弁であったのは明らか。
国民の総意で建立した神社を宮司どもが私物化し営利至上主義に奔っている現状は憂慮すべき事態である。 明治神宮側のこうした姿勢は表参道や周辺に蔓延し、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社には相応しくない事態になってるのも確か。
表参道がその好い喩えだ。表参道とは名前の通り明治神宮の参道として整備された通りである。神社=神道とは日本人の心に清む惟神(かんながら)の道である。その表参道が例年、クリスマス商戦からイルミネーションで埋め尽くされる。
日本の教えである神道であり、明治天皇及び憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社に続く参道がキリスト教に侵略されたかの様な光景は日本にはそぐわない光景である。
過去に、大日本愛国党の筆保泰禎書記長を始め、右翼団体からの抗議で表参道のイルミネーションが撤去されたことがあるが、その自粛も一時的なものだった。
明治神宮が一宗教法人となること自体赦されることではないし、戦神道指令やGHQの占領政策を容認することに他ならない。更に、先人の努力や国民の総意を踏み躙るもので神宮建立の趣旨から鑑みても逸脱する愚行であると断じて好かろう。
それにも況して問題なのは神職に携わる者が営利に奔っている事である。神職らのこうした賤しい営利主義が周辺に及ぼしているのを憂慮せざるを得ない。
明治神宮外苑の再開発は、樹木の伐採ばかりが問題とされ、また野党や左翼活動家に利用されつつある。外苑は明治天皇の思し召しに沿う教育・文化を重んじる区域とするべきで、神職らは国民の神宮外苑の再開発計画反対の声に耳を傾けよ。
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外苑周辺の樹木の伐採計画が発表されたのは令和4年2月頃だったか。外苑再開発は都民だけの問題ではなく、国民への説明が求められる。だが、都議会で形だけの議論が交わされ、同年4月には事業計画が早々と承認されている。
三井不動産などの事業者は、伐採した樹木の替わりに新しい木を植樹する計画だという。計画反対派は「樹齢100年を超える樹木も多く、景観が失われる」として懸念を示している。事業者に何故か明治神宮が参画していることが解せない。
新宿区と港区、及び渋谷区と広範囲に跨る神宮外苑は、教育や文化を重んじた明治天皇の思召しに沿って計画され、大正15年に完成された都市公園であり、エリア内には国立競技場や神宮球場、秩父宮ラグビー場やテニスコートなどが造られた。
再開発計画では、神宮球場の建て替えを中心に秩父宮ラグビー場は移転して建て替えられる。商業施設などが入る2棟の複合ビルが新たに建設される予定だという。
事業者が新宿区に提出した資料では、再開発エリア内の高さ3メートル以上の樹木1904本の内、国立競技場南側の一帯や「聖徳記念絵画館」前の広場を中心に892本を伐採する予定だったが、苦情が相次いでその後は743本に修正している。
実際には3メートル以下の樹木を併せると3000本以上になるという。樹木には寿命があり、倒壊する危険のある樹木の伐採は理解する。伐採する代わりに新たに979本を植樹するらしいが、都内の豊かな森が無くなる不安は拭い切れない。
太陽光パネルを義務化した小池百合子都知事は、更に葛西臨海公園の1400本の樹木伐採しメガソーラーを造るというが、樹木を伐採してまでやる事業ではない。
東京大学石川幹子名誉教授は「伐採される木の中には赤松やスダジイ(すだ椎 )、楠など大正時代に植えられた樹齢100年を超える樹木が多く、新しい樹木を植えたとしても代わりになるものではない。歴史と文化のある景観が一気に失われてしまう。確りと説明して議論するべきではないか」との懸念を示している。
東京都が開いた審議会で担当者は「事業者からは日本らしい樹木を植えると説明があり、更に緑ある環境を作るものと認識している」と説明。再開発の計画そのものは承認したが、樹木の伐採については今後、都が事業者と協議を進めるとしている。
時代の流れでこうした再開発は避けられないのだろうか。神宮外苑とはその名前の通り、明治神宮の外苑であり、神宮への影響を最大限に考慮する必要があるが、伐採に反対するべき神宮側が率先して開発に携わるというのは如何なものか。
明治神宮は国民の総意に由り、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び、大正9年に創建された神社である。明治神宮が、平成16年に、神社本庁から離脱し一宗教法人となったことは記憶に新しい。明治神宮側と神社庁との確執が原因だった。
明治神宮側は離脱の理由として、平成16年4月の陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に、本来「陛下」とするところを「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したと説明しているが、これは堅白同異の弁であったのは明らか。
国民の総意で建立した神社を宮司どもが私物化し営利至上主義に奔っている現状は憂慮すべき事態である。 明治神宮側のこうした姿勢は表参道や周辺に蔓延し、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社には相応しくない事態になってるのも確か。
表参道がその好い喩えだ。表参道とは名前の通り明治神宮の参道として整備された通りである。神社=神道とは日本人の心に清む惟神(かんながら)の道である。その表参道が例年、クリスマス商戦からイルミネーションで埋め尽くされる。
日本の教えである神道であり、明治天皇及び憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社に続く参道がキリスト教に侵略されたかの様な光景は日本にはそぐわない光景である。
過去に、大日本愛国党の筆保泰禎書記長を始め、右翼団体からの抗議で表参道のイルミネーションが撤去されたことがあるが、その自粛も一時的なものだった。
明治神宮が一宗教法人となること自体赦されることではないし、戦神道指令やGHQの占領政策を容認することに他ならない。更に、先人の努力や国民の総意を踏み躙るもので神宮建立の趣旨から鑑みても逸脱する愚行であると断じて好かろう。
それにも況して問題なのは神職に携わる者が営利に奔っている事である。神職らのこうした賤しい営利主義が周辺に及ぼしているのを憂慮せざるを得ない。
明治神宮外苑の再開発は、樹木の伐採ばかりが問題とされ、また野党や左翼活動家に利用されつつある。外苑は明治天皇の思し召しに沿う教育・文化を重んじる区域とするべきで、神職らは国民の神宮外苑の再開発計画反対の声に耳を傾けよ。
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