2024年06月

2024年06月28日

古い日本語が差別用語として規制されてるのは逆差別にも感じてしまう

 映画が好きでジャンルは問わず年間500本以上は観てるだろうか。ん~どんだけ暇なの。日本映画の中でも「鬼平犯科帳」は愚生のバイブルでもある。若い頃は、原作者・池波正太郎の愛した店に通っては長谷川平蔵を気取ったものだ(笑)

 鬼平犯科帳では軍鶏鍋屋の「五鉄」など小料理屋や蕎麦屋などで呑むシーンが多い。吞み終えた平蔵は女将に心付けを渡す。高が心付けなのだが、平蔵の何気ない渡し方が完璧で、アレは池波正太郎自身の普段の姿をダブらせたものだろう。

 鬼平犯科帳の処世術は実に参考になった。例えば、相手への礼金にしても「相手が恐縮する程の金を渡さなければ意味はない」というのには刮目。小銭を貰っても有難みが無い。「過分なカネを払ってこそ相手に感謝されるもの」とは蓋し正論。

 田村正和主演の「眠狂四郎」も好きだったが今では中々観られなくなった。眠狂四郎は、今は亡き市川雷蔵のあのドSぶりが堪らない。昔の日本映画や落語などには盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)などの放送禁止用語がバンバン飛び交っていて、台詞そのものが実に興味深いものばかり。

 古い映画や古典落語には差別用語だけではなく、懐かしくも美しい日本語が処処に溢れていて、日本の原風景が浮かんできそうだ。こうしたことを気にしながら、観たり聴いたりすることこそ生きた耳学問であり、実践した教育でもある。

 現代の価値観で差別表記が禁止され、放送禁止用語ばかりでリアルな小説が書けるとは思えないし、そんな小説を読んだところで興覚めだ。こうした現代の安っぽい風潮に一石を投じる小説家やジャーナリストがいないというのも情けない。

「憚(はばか)り様でした」(ご苦労様です。恐れ入ります)
「傍杖(そばづえ)を食う」(思わぬ災難に遭う)
「荷が勝つ」(責任・負担が重過ぎる)
「武士は相身互い」(同じ立場の者は助け合うべし)
「罪業の深さ」(罪の原因となる行為)
「浮世に拗(す)ねる」(世の中に逆らう)
「卒爾(そつじ)ながら」(人に声をかける時に言う語)

 その他にも、「阿漕(あこぎ)な奴」とか「お為倒し(おためごかし)」「朝未(ま)だき」「足元から鳥が立つ」など、現代では余り馴染みのない言葉や台詞のオンパレード。こうした難解な言葉を四六時中考え、気にしている観ている訳ではないが、古典落語や日本映画から昔の日本語を知るのはそれはそれでで楽しい。

「四六時中」という言葉も、昔は「二六時中」と言ってたそうだ。一日を十二刻で数えていた時代には「二六時中」だったが、二十四時間になって「四六時中」に変わったというから面白い。言葉は時代と共に移ろうものだが、時代時代でどういう風に使っているのかを知れば、また違った世界観を知ることが出来るというもの。

 言葉は移ろうものだが、どういう人がどういう風に使っているのかを知れば、また違った世界を知ることが出来る。日本語と言うのは実に素晴らしいと思う。

「武士は相身互い」という。同じ立場にいる仲間なら助け合うのが当たり前だったが、今ではライバル心剥き出しで相手の足を引っ張るのが当たり前になってしまった。右翼の世界も武士の生き様とは程遠く、己のことが精一杯で仲間を疎んじる。

 外国語に比べ、日本語というのは実に素晴らしい語彙である。現代の思想家でもある新崎智こと呉智英(くれ ともふさ、ご・ちえい)は、「差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい。人類が目指すべきは『差別もある明るい社会』である。差別さえない暗黒社会にしてはならない」と逆説的に述べている。

 哲学的ではあるが実に示唆に富んでいる。くだらない倫理観やキレイゴトに因って、古い日本語が差別用語として規制されてるのは逆差別にも感じてしまう。

 保守陣営などからは「教育勅語を道徳教育の指導原理と成し、また戦前の『修身』を復活せよ!」との声も聞こえる。修身では、例えば「おたけがめくらのてをひいて」と、幼少のおたけの障碍者への労りや優しさを教えている。だがどうだろう。

「めくら」は、現代では差別用語でもあり、放送禁止用語でもある。これを現代風に「視覚障碍者の手を引いて横断歩道を渡りました」などと表したとしても、真意は伝わらない気がする。放送禁止用語や差別用語は撤廃させるのが先決だろう。

 差別用語が羅列されてる「修身」の復活は、現代の教育に使うことは不可能に近い。「差別用語を使用しなければ良いだろう」というが、眠狂四郎や他の時代劇のリメイク版の様にリアル感が無くなり、相手(子供や学生)の心にに響くものが無ければ実践することもなく、実践の伴わない修身や道徳教育なんぞに意味は無い。

「忙中閑あり」というより「閑中閑ばかり」。時代劇や小津安二郎など古い映画から、混迷する我が国の本来の在るべき姿が見えて来るかもしれませんぞ。呵呵。

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2024年06月25日

朝鮮戦争と日本国憲法と自衛隊

 我が国が未だGHQの占領下だった1950(昭和25)年6月25日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が突如として大韓民国のソウルに侵攻する。これを機に同じ民族同士が相討つ戦争となり、数百万人が犠牲となる大惨事となった。朝鮮戦争である。

 朝鮮戦争を遡ること5年前の1945年8月9日、ソ連は我が国と締結していた「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦。その3日後には朝鮮半島北部に侵攻した。

 朝鮮への侵攻準備が出来ていなかった米国はこのソ連の侵攻に慌て、急遽、ソ連との間で朝鮮占領の協議が行われた。結果、38度線で分割する事で合意した。  

 北朝鮮でソ連は、日本人の軍人・行政官・警察官を抑留すると共に親日派を一掃し、共産主義者を中心に人民委員会を組織させ委譲する。1946年2月、ソ連の傀儡として、重慶に亡命していた金日成を首班とする政権を誕生させた。

 一方、南朝鮮では、米国に因って総督府の残留朝鮮人官吏を活用し軍政権を敷く。1946年1月に、間接選挙による「過度立法議院」を構成させ、翌年の2月、安在鴻を長官とする過度政府を発足させた。 ヤルタ協定では1948年3月迄、国連の信託統治を予定していたが、米ソの対立で全ての協議が決裂することとなった。

 1948年8月、米国は反日活動家の李承晩を初代大統領に据え、大韓民国を建国させる。そしてソ連は、この翌月に朝鮮民主主義人民共和国を建国させた。

 北朝鮮では金日成の支配下で着々と国政の整備が進んだのに対し、韓国は官僚や亡命先からの帰国者、米国の措置で監獄から解放された共産主義者が入り乱れ、政権は安定せず、労働組合によるストライキが多発し、社会混乱が加速した。

 1946年10月以降、それまで容共的だった米国は次第に共産党の拡大を危惧し抑圧政策に転じる。米国の傀儡政権である李承晩は、日本と共同歩調を執ろうとした呂運亮を暗殺し、自ら大統領に就くと「反日・反共」を国是としたのである。

 李承晩が最初にやった仕事は親日派の追放であり、その結果、日本に育てられた優秀な官僚は次々と追放されて行った。現在の文在寅大統領の目的は、この李承晩の行った親日派の追放の完遂であり、「反日と反共」であった国是が、いつの間にやら容共国家となり、「反日」のみとなってしまっているのが現在の韓国である。 

 こうした中で米ソの対立に因って朝鮮戦争が勃発する。韓国内で指揮を執っていたマッカーサーは危機感から吉田茂首相に、日本の国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送った。所謂「マッカーサー書簡(文書)」と言われるものである。

 この文書はマッカーサーが実質、押し付けた日本国憲法の破棄を促したものだ。このマッカーサー書簡から1ヶ月後には「警察予備隊令」が決定、翌日公布、即日施行というスピードで準備が整えられ、自衛隊の前身たる警察予備隊が誕生した。

 当時は、日本国憲法に違反しない為に警察予備隊は「軍隊」ではないという欺瞞の下で「師団」を「管区」、「歩兵」を「普通科」、「砲兵」を「特科」、「兵器」は「武器」、「戦車」に至っては「特車」という御粗末なものだった。

 故安倍首相は、憲法九条改正を訴え、自衛隊を「我が国を防衛する為の必要最小限の実力組織」にすると語っている。この認識こそが占領下時代の警察予備隊の儘なのだ。正に安倍らの謀る憲法改正はインチキであり、究極の護憲運動と言える。

 我が国が主権回復した昭和27(1952)年の8月1日、警察予備隊と海上警備隊を統合し「保安庁」が設置される。政府は「保安庁法」」を提出するも、野党は「憲法9条」を楯に政府を攻撃した。この野党の不毛な議論の構図は今も変わらない。

 吉田茂はその答弁に於いて、「戦力とは近代戦を実行する力であり、保安隊、警備隊にその力はない」と詭弁を弄した。その結果として、自衛隊は永い間「戦力なき軍隊」と言われた儘で、今も吉田発言と現憲法の呪縛に囚われて続けている。

 吉田が日本国憲法を見直さず遵守を明言したことで、我が国が朝鮮戦争やベトナム戦争に駆り出されなかったのは事実だろうが、「マッカーサー書簡」が送られたのを機に憲法を破棄していれば、我が国はまともな国家になっていたに違いない。

 当時の吉田茂の判断が良かったかどうかなど議論したところで意味はないが、この時の憲法解釈が未だに大きく圧し掛かっているのは紛れもない事実である。

 誤(護)憲派は「平和主義の理念を守る」と叫ぶ。自衛隊の存在を認めることなく、国家の防衛を怠り何が「平和主義」か。自民党に対しては「戦争を出来る国にしようとしている」などと「平和」という言葉を武器に国民を誑かし続ける。

 我が国が目指すべきは「戦争出来る国」ではなく「戦争しても負けない国」であり、自らの国家の防衛や国防の義務を放棄した現憲法は無用の長物と化す。

 憲法とは国家の基本法であり、時代の流れに応じて変えて行くものであり、不可侵ではない。環境問題、情報公開、プライバシー保護、尖閣列島や竹島に見られる主権問題など、憲法を施行した時代からは想像もしなかった程社会は変化している。

 そうした社会に適応出来る様にすることは何も平和に逆行することではない。寧ろ、矛盾だらけの憲法を後生大事に崇めている方が平和に逆行する行為だ。

 三島由紀夫は「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えていたが、正に護憲派こそ無防備の害そのもの。

 我が国と国民を危険に曝す誤憲派の「平和主義」というキレイゴトが我が国の在るべき姿を失する結果となっていることは余程のバカじゃない限り理解している。

 国際情勢や近隣アジアや朝鮮半島情勢が不穏な時代に於いて、国民が真に平和を望むならば、米国依存ではなく、日本人自らが命懸けで創り出さなければならない。

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2024年06月23日

「沖縄慰霊の日」に平和の意味を考えてみよう!

 6月23日は沖縄戦が終結した「慰霊の日」。沖縄戦での日本人の死者・行方不明者は188,136人。沖縄出身者122,228人の内94,000人の民間人が犠牲となった。

 マスコミは「沖縄戦では、県民の4人に1人が亡くなった」として悲惨さを煽るが、沖縄や日本を守ろうとした沖縄県民の自己犠牲の精神は立派なものだ。

 昭和20年4月1日、米軍はついに沖縄に上陸する。それを牛島満中将指揮下の師団と旅団、及び大田実海軍少将指揮下の海軍部隊、棚町整海軍大佐が指揮する約7千人の航空関係員が迎え撃つ。更には「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」に代表される少年少女など、軍は当然乍ら民間人も決死の沖縄防衛戦を展開した。

 米軍の沖縄上陸に対して本土からは、第二艦隊の出撃として「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻として「菊水二号作戦」を発動した。人間魚雷と言われた「回天」等の決死の戦闘空しく、同年6月23日組織的沖縄戦は終結に至った。

 遡ること昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に、圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊と連合軍に対して、日本軍は沖縄への上陸と本土決戦を阻止しようと、「神風特別攻撃隊」が編成される。神風精神は祖国愛の極致というべきもので、これこそ大東亜戦争が自存の為の祖国防衛戦争であったことの何よりの証である。

 沖縄戦に於いては、特攻部隊が重要な役割を果たしている。鹿児島県の鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1021名、合わせて3002名と特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で尊い命を散らしている。

 特攻作戦は零戦などの航空特攻だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など劣勢を覆す為の攻撃が行われた。必死の特攻作戦で3972名が散華した。戦艦大和が沖縄戦に出撃したのは有名だろう。

 大和の乗組員は全力を挙げて砲撃戦を行う予定であったが、出撃後の4月7日、惜しくも鹿児島沖の海に沈んだ。大和の船内には歯磨き粉、ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたという。これはつまり、対米戦だけではなく、沖縄と沖縄の人々を必死に護ろうとした何よりの証明と云えよう。

 沖縄では未だに「日本は沖縄を見捨てた」だとか「日本は沖縄を捨石にした」などというプロパガンダが蔓延っているが、いい加減、被害者意識を捨てて歴史の事実に目を向けたらどうだろう。被害者ぶったところでそこからは何も生まれない。

 純粋に沖縄を護る為に、国の未来の為に尊い命を捧げてくれた若き英霊に対し、今を生きる我々が被害者意識丸出しでは一体どんな顔向けが出来るというのか。

 沖縄戦で散華した大田少将は、自決前に「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した。この一文からも、沖縄を死守すべく先人達は戦い、力及ばず敗戦の憂き目を見るが、決して沖縄を見捨てた訳ではないのだ。

 戦後、米軍の統治下に置かれた沖縄県民の負った犠牲は気の毒なものだとは思うが、旧ソ連の残虐非道、鬼畜の如き蛮行により故郷を追われた北の島々の方々の被害やその想いに比べれば、占領したのが米国で未だマシだったとは思えないか。

「戦争に負ける」とは不条理を甘んじて受け入れることでもあり、先の大戦は「一旦始めた戦争は決して負けてはならない」という重要な教訓を遺したと言えよう。

 政治家は「平和を守る」と口にし、先の大戦を「侵略戦争であり、間違った戦争であった」と反省を口にする。先の大戦の大義を学ぶことなく、たった一度の敗戦で軽々しく反省するなどとは余りにも短絡的であり、情けないことではないか。

 我が国では、摩訶不思議なことに、国の礎となった英霊が祀られている靖國神社がそうであるが、国家から顧みられることがない。こうした不条理が、どれだけ国民精神の頽廃を招いているのか、我が国の政治指導者らは考えたことがあるのか。

 国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げ、慰霊し顕彰することは世界の何処の国も余りにも当然なことである。

 戦後の日本人は、GHQの謀った戦後民主主義を妄信し、自虐史観の洗脳から抜け出せないでいる。国家の大本である国防さえもその米国に依存してるマヌケさ。

「平和」というものは守るものではないし、平和を御念仏の如く口にしていれば未来永劫平和が続く訳ではない。戦争とは政治や外交の延長であり、平和というものは政治と外交を怠ることなく、自らの手で命懸けで創り出さなくてはならないものだ。

 我が国の現在の平和や繁栄は、まやかしではあるが、先人の犠牲の上で成り立っていることを我々は決して忘れてはならない。末尾に当たり、沖縄戦で散華された英霊の御霊に感謝の誠を捧げると共に、全ての犠牲者に哀悼の意を表します。合掌。

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2024年06月19日

「病気とは何を食べどんな生活をしてきたかに尽きる」というが

 ここのところ体調が芳しくなく、ウォーキングや筋トレもやる気が出ないし、ブログの更新も滞っている。当然乍ら金策も儘ならないし、果報は寝過ぎか届かない。

 団体を辞して以来、正統右翼浪人を自任しているが、何のことはない単なる無職のおっさんに過ぎない。気楽な生き方だが慢性的不如意というのは経験者しか分かるまい。生活保護を受給してる元ヤクザや右翼を知ってるが、ああはなりたくない。

 好きなことをして経済的に困窮したら生活保護とはダサ過ぎるだろう。乞食は乞食らしくすれば好い。それでも「乞食の朝謡(あさうたい)」じゃないが、台風だろうが何だろうが出勤しなけりゃいけない人に比べりゃ気楽な境遇だとも思っている。

「乞食に氏無し」という諺がある様に、何事に於いてもその者の心がけの悪さからなるもので、今の境遇を嘆いても仕方ない。そうした覚悟に乏しい者ばかり。

 最近は弱者を標榜したり、「生活が苦しい」だとか、「生活が大変だ」と泣き言さえいえば手厚く保護される。「我こそは弱者なるぞ、控えおろ~」ってな感じで威張りちらし、それを本人らは恥とも思っていない。日本人の劣化は甚だしい。

 行政側は働く気もないこうした連中を国家に因る被害者扱いし、生活保護を大盤振る舞い。「彼らは自民党政治の被害者だ」とか、「可哀想な人達」とかといってボランティアなどが支援するのだが、こうした風潮は偽善以外の何物でもない。

 本来、生活保護費は「日本国憲法第25条」及び「生活保護法」に則り日本人に限られ支給される。つまり、在日を始めとした外国人への支給は明らかな法律違反。

 外国人の受給条件について厚労省は「永住者とそれに準ずる定住者。更に、難民認定されている人や、日本人の配偶者がいる人が対象」と説明しているが、生活保護目当てに偽装離婚したり、書類を偽造したりするケースは後を絶たない。

 生活保護の申請をすれば三親等まで連絡が行く。今は個人情報でそこまですることは無くなったらしいが、生活保護が殖える原因はそんなところにもある。

 給付審査をするケースワーカーが圧倒的に少ないとの理由があるのは確かだが、不正をチェックする監視態勢が機能していないのなら直ちに増員すれば好いし、不正請求や違法行為は行政ではなく「詐欺罪」などで警察を介入させるべきだろう。

 行政側の「人道的」という甘い措置が不良外国人の増殖を招いている。不正受給には毅然とした対応で臨み、不正受給した外国人に対しては厳罰に処すべきだ。

 三親等というと甥っ子や姪っ子や従兄弟、かみさんの兄弟まで入る。普通の日本人なら生活保護を申請すること自体が恥ずかしく思う。愚生の場合、実兄は某社会福祉協議会の会長をやってるし、弟が生活保護となれば大迷惑をかけるわな。

 無審査の生活保護支給という安易な生活支援が愚民を生む原因となっている。何でも無闇に貰いたがる賤しい根性を「乞食根性」というが、左翼老人の足立は正に乞食根性丸出し。愚生は貧乏浪人とはいえ賤しい人間にはなりたくないものだ。

「乞食の朝謡」とか「乞食も三日すれば忘れられぬ」との諺通り、毎朝出勤するサラリーマンや労働者に比べて、乞食という生き方は収入さえ考えなければ気楽なもの。愚生も乞食と似たりで「悪習は染まり易く、改めるのは困難」なのである。

 若い頃は宵越しのカネも持たず、僅かなカネを得てはパーッと使って気にも留めなかった。纏まったカネが入っても居の安きを求めることなく、活動資金や銀座の遊興費で消えた。最近、明日の事を考える様になってしまったのは老化だわな(笑)

 カネというのは「持ってれば何かと便利」「無いよりは有った方が好い」という代物でしかないし、使わなきゃ意味は無い。カネがあれば生活するには困らないし、低迷する右翼活動の立て直しも出来るし、頑張ってる右翼後進らへの支援も出来る。

 右翼の先生方を見ると、企業献金などもあり資金が潤沢だった頃に蓄財に励み、その貯め込んだ金で自宅を購入し、居の安きに甘んじ、右翼を志した純粋な気持ちなんぞ疾うの昔に忘れ去り、終身保険に入ってるのに「一日一生」とはコレ如何に。

 防共挺身隊本部の総隊長代行に就いた30代から約20年間、物心両面で支援して頂いていた帝友会の高花豊先生に言われた、「佐久間さん、右翼活動家が長生きすると惨めな生活しか待ってませんよ!」という言葉が脳裏に焼き付いて離れない。

 仏陀曰く「長寿は無間地獄、最大の苦しみなり」。生老病死に尽きるということか。「病気とは何を食べ、どんな生活をしてきたかに尽きる」というが、今の生活の現状も然りで、正に因果応報であり、悪因悪果。まぁ、泣き言は言うまい。呵呵。

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2024年06月13日

経団連(十倉雅和会長)の営利至上主義及び国體破壊の施策強要は目に余る

 選択的夫婦別姓について「何故こんなに長い時間、棚晒しになってるのか分からない」と批判し、「政府は一丁目一番地として、是非やっていただきたい」と訴えてた経団連の十倉雅和(住友化学会長)が再び選択的夫婦別姓推進を主張した。

 十倉は、選択的夫婦別姓の導入は「女性の就労をサポートする」としているが、女性の社会進出が婚姻率の低下と少子化に繋がってることは考慮しないのか。

 終身雇用制度が無くなり、男性が働き、女性が家庭を守ると言った価値観が崩壊したのは、経団連を始めとした営利至上主義の経済団体が元凶である。彼奴等は、夫婦別姓推進派であると同時に移民推進派でもあるが、正に国體破壊論者ばかり。

 その昔、元楯の会の伊藤好雄と西尾俊一、元大東塾生の森田忠明と憂国同志会の野村秋介の4名が経団連襲撃事件を惹起した。現在の経団連の営利至上主義及び国體破壊の施策強要は目に余る。第二の経団連襲撃事件が惹起される可能性は否めない。

「夫婦別姓が男女平等の理想」とか「別姓は仕事上の不都合を生む」との主張を不審に思う国民が多くなり「夫婦別姓」運動は衰退した。別姓導入に執着する別姓推進派は次の手段として「選択的夫婦別姓」という新たな戦略を展開している。

 平成10年以来、「民法の一部を改正する法律案」が国会に10数回提出され、選択的夫婦別姓制度について議論が成されているが、「選択的」と誤魔化してはいるが、我が国には馴染まない制度ということもあって国民的合意には至っていない。

 自民党議員らが10年以上に亘って騙されていた「夫婦別姓」運動と同じ騙され方をしているのが「選択的夫婦別姓」や「女性宮家」問題である。昭和時代のあからさまな左翼活動ではなく、カタチを替えた巧妙な左翼活動に騙されてはならない。

 現在は住民票に旧姓を併記出来るし、免許証やパスポートなどの公的な身分証明証も旧姓併記は可能。つまり、法律を変える必要は全くなく、「旧制を通称ではなく、法律上の根拠を持って使える制度(婚姻前氏俗称制度)」の主張は支離滅裂。

 住民票や免許証が旧姓併記になってるし、抑々、婚姻に際して氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが一般化しており、婚姻に際して氏を変更するも、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。

 同姓が嫌なら、同棲など事実婚でイイだけのことだろう。だが、そうした変態的な意見より、結婚に際し同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり、それが極めて一般的な普通の感覚ではあるまいか。

 夫婦同姓は、普通の日本人にとって極めて自然な制度であり、現代社会で家族とその絆を支えているのが「戸籍」であり、戸籍は、国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムである。

 選択的と雖も夫婦別姓が導入されれば家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や倫理道徳観に悪影響を及ぼすのは必至。だが、推進派の目的が日本的家族制度の破壊と国體破壊に在るとすれば合点が行くというものだろう。

 十倉を始めとした選択的夫婦別姓導入派は「選択的夫婦別姓を導入していないのは世界で日本だけ」と主張し世論撹乱に必至だが、別姓導入は世界に誇る戸籍法廃止への一里塚であり、目先の利潤目当ての移民推進にしても正に国賊の所業。

 家族の一体感を維持しその絆を支えているのが「戸籍」である。国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録する戸籍制度は、結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担っている。

 夫婦別姓推進派は我が国が世界に誇る「戸籍制度の廃止」を実行させ、日本的家族制度を瓦解させることに成功させた後は、天皇及び皇室の廃止を目論む。

 以前、杉田水脈議員の「別姓するくらいなら結婚などしなきゃイイ」との野次が批判されたが、至って普通の日本人の感覚だ。十倉や橋下徹らの執拗な別姓推進の究極の目的が「戸籍法廃止」に在るのだとすれば合点が行くというものだろう。

 夫婦別姓推進派は、現在の戸籍制度が、家族単位である点を「戦前の家父長制度の残滓」と捉えており、戸籍を個人単位の「個籍」や「個人登録制」に改めることを求めている。こうした考えは家族制度の解体を意図していることは明らか。

 現在は「民法」と「戸籍法」に拠って婚姻の際の氏(姓)を決める。 民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されており、夫婦何れかの「氏」を夫婦の氏とすることは理解出来るだろう。

 この規定を大半の国民は「夫婦になるどちらかが氏を変える」と理解しているが、「氏は個人の名前の一部」という誤解と勘違いが混乱を招いているのも確かである。 戸籍でいう「氏」というものは個人を表す名称ではないことを知らないのか。

 明治維新以前には武士や大店の商人以外の民には氏などない。明治維新以降、戸籍を整える為に全ての国民に「氏」を与え、国民は皇室の在り方を理想とした。

 戸籍には筆頭者のみが氏と名で書かれており、その他の家族は続柄と名しか書かれていない。つまり、「氏」は個人の名前ではなく「家族」を表す名称であり、つまり日本人の日本人らしさの根幹を成すものが「戸籍制度」であるのだ。

 戸籍制度は個人だけでなく、親兄弟や子供といった歴史の縦軸の中に生きるという制度であり、正に我が国の戸籍制度は世界に誇る制度であると言えるのだ。

 十倉もそうだが、こうした問題が出ると、問題を突き詰めることなく「世界ではこうだ」とか「何処何処の国では」という実に怪しげな意見を散見する。だが、他所の国なんぞどうでもイイではないか。日本は日本だ。別に模倣なんぞしなくて好い。

「選択的夫婦別姓制度」を導入したイタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では、婚姻率が4割以上も減り、離婚率が2倍となり、婚外子の割合が5割も増加してしまった。

 北欧やフランスでも婚外子が5割を超え、従来の家族制度が崩壊している。その原因は「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大の理由。婚姻率が下がり、少子化対策を急がねばならないのに、選択的夫婦別姓を導入しようとは狂気の沙汰である。

 選択的と雖も、夫婦別姓が導入され、別姓世代が続けば家系は確実に混乱して、我が国の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、延いては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至である。

 国體や国柄を変えてしまう様な姦策を提言し続ける経団連は単なる守銭奴と化した。正に「財閥富を誇れども社稷を思う心なし」。天網恢恢疎にして漏らさず。

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2024年06月10日

国柄や国體を損ねる主義・思想に断固として対峙して行かねばならない

 愚生が所属していたのは防共挺身隊(防挺)。たけし軍団のつまみ枝豆やガダルカナルタカも所属してた知る人ぞ知る団体でもある。最近は「街宣右翼は朝鮮右翼」だと揶揄されているが、その行動右翼・街宣右翼のパイオニアが防挺でもある。

 抑々「街宣右翼」自体にそれほどの歴史はない。右翼に「日本を貶めてる」と言われるほど影響力も無いし、そんな右翼の街宣くらいで滅びる様な日本でもない。

 戦後の昭和30年代から50年代の左翼全盛時代、日本を貶めようとしていたのは左翼勢力である。それらを殲滅せんと対峙していた右翼陣営を、現在の風潮で「朝鮮右翼」と揶揄するのは簡単だが、街宣右翼の行動全てを断じられる謂れもない。

 戦前の右翼と戦後の右翼は全く違う存在だ。戦前の右翼というのは「国粋主義」的要素が強く、外国思想は全て悪と捉えるという考えであり、それは共産主義であろうが、資本主義であろうが、民主主義であろうが批判されるべき対象だった。

 戦後右翼が、国粋主義から「反共」に奔ったのは共産主義の拡大に危機感を持ったGHQの意向もあるが、「右翼の巨頭」と称された児玉誉志夫の影響が大きい。

「政財界の黒幕」と言われた児玉は、戦前は海軍航空部門の物資調達を任された「児玉機関」の親玉でもあり、戦後は「A級戦犯」として逮捕された経歴もある。

 GHQは占領下に於いて、「戦争を引き起こしたのは日本国内の右翼勢力だ」として、右翼団体や危険人物を潰そうとする。だが、第二次世界大戦が終結すると日独の防共の砦が崩壊するとアジアを始め世界各地で共産党に因る革命や暴動が起こった。

 日本国内でも共産主義が席巻し、これを危惧したGHQは右翼解体の方向を転換し、右翼を「反共」に利用する。児玉と同じくA級戦犯だった笹川良一も参画した。

 児玉も笹川も、GHQの意の儘に「民主主義」「資本主義」に与し、我が国の国體を損ねる思想には沈黙。「共産主義」のみを悪とし、それらを忠実に実行した。

 児玉や笹川らが「米国のスパイ」と言われるのはそんな所以である。児玉は「児玉機関」で貯め込んだ潤沢な資金を基に、全国の博徒(ヤクザ)や香具師(テキヤ)を纏め上げ、愚連隊的右翼団体を次々と立ち上げ、「反共運動」に乗り出した。

 当時の情勢を鑑みれば「反共」運動は別に間違ってはいないが、右翼団体が「憲法改正」や「靖國神社国家護持」「北方領土奪還」などの自民党のスローガンを忠実に遂行し、自民党の「院外団」的行動をしていたことも児玉や笹川の影響が大きい。

 所属した防共挺身隊も児玉門下でもあり、初代福田進総隊長はそれらを利用し、経済的な恩恵を享けたのも確か。例えば、福田総隊長は神奈川県葉山の二束三文の土地を取得したが、間もなく有料道路が建設されることとなり莫大な資金を得た。

 福田総隊長は、日本に帰属される前の沖縄で、那覇空港内に「福田商店」という免税店を開業している。これもまた児玉のそうした裏の人脈と政治力の賜物だろう。

 福田総隊長時代の政治資金も潤沢で、自民党や共産党、日本医師会などが連ねる中で常にトップ10入りしていた。そんな資金を若手右翼やテロリストの育成に使うことはなく、幽冥境を異にしてしまったことは返す返すも残念なことだった。

 ヤクザが「仁侠道」を忘却し暴力団化したのと同じく、右翼団体も維新者としての「大義」を忘れ、資本主義に溺れ、金儲けなどに興じていれば、必要価値の無い存在に成り下がって行くのは必然であろう。ならばどうすれば善いのか。

 右翼の使命は、日本の純粋性を曇らすもの、つまりは「共産主義」だけではなく、「資本主義」であろうが、「民主主義」であろうが、我が国の国柄や国體を損ねる主義思想や行動に断固として対峙して行かねばならないという覚悟であろう。

 三島由紀夫は嘗て、戦後に右翼が左翼に取られたものとして、「ナショナリズム」「反体制」「反資本主義」の三つを指摘した。今やそれらは左翼の手中に在る。

 国家主義や民族主義という「ナショナリズム」にしても、「反体制」や「反権力」という反骨主義や「反資本主義」という国粋主義というのは戦前の右翼はそれらを自覚し保持していた。何故なら、この三つこそが右翼の矜持に他ならないからだ。

 果して、現在の右翼団体や自称・愛国者に、三島のこの指摘はどの様に響くのだろうか。共産主義や共産党を始めとする左翼陣営を批判するのは容易いが、批判する側もまた自らが自由主義や資本主義という病魔に侵されている自覚はない。

 天皇国日本を盤石の安きに置く歴史的使命を有するものは民族派陣営以外にいないと自覚する。そう考えた時、右翼民族派陣営は果たして何を為すべきなのか。

 維新者としての「大義」を取戻し、テロを担保しつつ、更なる愛国的活動の奮励に邁進する以外に道は無い。それが畢竟、日本再生に繋がることと信じて止まない。

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2024年06月07日

何となくミリタリズム、何となく反共という感じでやっている

 右翼のカリスマ・故野村秋介はその昔、自著で「娑婆は右傾化とやらで、猫も杓子もというかバカもチョンも、右翼に紛れこむ情況であるらしい。しかし大部分の連中は、右翼とは何かという根本命題を真摯に学ぶことをせず、何となくミリタリズム、何となく反共という感じでやっている。理論と実践の容を整えなくては、運動はやがて破産する運命でしょう」と、右翼団体や右翼活動の現状を危惧している。

 この野村の予見は見事に当たり、右翼運動は風前の灯火。昨今の右翼人というのは実に聞き分けがよく、違う意見でも議論を交わすことなく易易と受け入れる。まぁそれを「度量が大きい」と言えばそれまでだが、単なる勉強不足の感は否めない。

 組織内で様々な意見を出し合い、それを纏めなければ行動するにも纏まりが付かない。やはりトップ、上に立つ者がそれを纏め揚げて結論を出すことが大事である。

 愚生の場合、意見を異にする輩とは徹底して反抗を試みる。その上で相手はどういう反論や行動を採るのかに興味があり、反論された時に相手の本性が見えたりする。そうした対応をすることで相手の度量や知識などが確認出来たりもする。

 自分よりも格の上の偉い人になればなるほど、その人の器の小ささに嗤えることもある。右翼が諍いを気にして何になるというのだ。後先考えずに行動する蛮勇が無くて何が右翼か。何が維新者か。右翼とはやはり削げ者で在らねばならないのだ。

 右翼とは、喩え小粒でも山椒の様にピリリと辛い、「此奴は何をするか分からない」といった、相手構わず見境の無い闘争心を忘れてはならないと思っている。

 何故なら一般人から見て、右翼に求めらるものは、圧倒的迫力というか、逞しい蛮勇ある行動力であるからだ。そんな右翼への期待を裏切ってはならない(笑)

 その昔、横浜在住の大物右翼に「右翼が右翼の仲間を批判するとは怪しからん」などと言われたこともあるが、批判ではなく苦言であって、批判ならネットじゃなく直接言うべきだろうが、これもまた大物右翼の仲間内で愚生への批判で盛り上がる。

「常に直諫なくば」と教えたのは吉田松陰である。日頃、上司や友人に対し何も言えない者は、一旦勧誘というかいざという時には使い物にはならないのが多いし、友人や門下生としても資格も無く、右翼としての資質に欠けていると思っている。

 そんな魅力のない右翼団体に変わり出現したのが「主権回復を目指す会」や「行動する保守運動」「在日特権を許さない市民の会」などの行動体であり、市井の自称・愛国者や保守派らは右翼に見切りを付けて新しい保守活動に期待し参画した。

 昨今の右翼は「国防」の意味を理解することなく、唯単に領土の防衛こそが国防であり大事であると尖閣諸島を護れとばかりに憲法九条改正を声高に叫んでいる。だが、九条が大事だと思ってること自体があの「九条の会」と大して変わらない。

 仲間内で勇ましいことを言い合って盛り上がってる姿は見ていて痛々しい。野村秋介ではないが、何となく愛国(ミリタリズム)、何となく反中・反韓(反共)という感じでやっている右翼活動は、やがて国民から見限られるのではなかろうか。

「このままでは尖閣は奪われる」「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、我が国が然も滅亡するかの様に叫んでいる自称保守や営業右翼がいる。

 愚生はそうは思わない。自衛軍備の確立からすれば未だ未だ足らないものはあるし、自民党粛正もまた大事なことだが、「天壌無窮の神勅」を疑い、国民の不安を煽って何になるのか。そうした言論が保守運動だと思っているのなら間違いである。

 神国日本の不滅を確信せずに何が保守か、何が愛国者か。正統の保守ならば神州不滅を信じ、神武肇国の精神の高揚と国家国民の繁栄を目指し啓蒙することこそ大事。

 我が国は、天照大神の「天壌無窮の神勅」に従って存在し、現在に至り、そして未来へ続いて行くのだ。右翼に限らず、我が国の政治家や保守派、中でも売文を生業にしてる営業保守や自称愛国者に乏しいのはそういう古の教えであり、覚悟である。

「この神勅ある限り日本は永遠なり。日本の将来を悲観することは神勅を疑うという罪を犯すものである」とは吉田松陰の至言であり、肝に銘ぜよ。愛国者や維新者を自任するならば、いつかあるだろう一旦緩急に備え、己自身を鍛え磨き上げよ!

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2024年06月05日

「街宣右翼は朝鮮右翼」って誰が言い出したんだろう(苦笑)

 昭和54年、国士舘大学入学後、行動右翼のパイオニアと称された防共挺身隊に入隊した。平成21年、四代目総隊長に就任。総隊長就任間もなく、右翼の考え方の相違から前任者との間に軋轢が生じた。そして実態の無い執行部から除籍処分を受けた。右翼団体への熱意は冷めたが、右翼活動家として恥じるものは一つもない。

 愚生はもう右翼団体員ではないし、右翼に対する風評など気にする必要もないのだが、「街宣右翼は朝鮮右翼」などという妄言や罵詈雑言を目にする毎に苦言を呈している。だが、ネットの偽情報に洗脳された連中は全く耳を貸そうともしない。

 YouTubeなどで悪意的に編集された画像を鵜呑みにし、既成右翼を「朝鮮右翼」などと批判しているのは、左翼陣営ではなくネット右翼や自称・愛国者らだ。「我々は右翼とは違う。真の愛国者なるぞ」と日の丸や旭日旗を掲げて悦に入る。

 いつぞや、とある女性が「愛国」を口にすると周りから「怖い」と思われるのを嘆き、こうした要因を招いたのは「街宣右翼だ」と、いつもの雑言というか責任転嫁。こうしたツイートを保守を自任する政治評論家が賛同するかの如くリツイート。

 右翼のイメージを「危険」だとか「街宣右翼=悪」などと植え付けたのはマスコミである。少なくても新橋SL広場などで街頭演説をしてる右翼人は良識派が多い。

 現在の右翼団体を全面的に擁護する気もないが、右翼団体の殆どが暴力団を縁があり、反共は当然乍ら、反資本主義や反体制という本来持つべき矜持を忘れ去り、暴力団の隠れ蓑として、単なる動員要因としての組織に堕ちたのも事実である。

 ネット右翼や自称・愛国者らが、軽々しく日の丸や旭日旗を掲げ「反中国」や「反韓国」を叫ぶ行為や営業保守も、その「愛国」という崇高な理想が「贔屓の引き倒し」になってしまっているということを自問自答したことはあるのだろうか。

 唯、言えることは、国内で蠢く国賊共に天誅を与えるのは既成の右翼団体員ではなく、国を憂うる市井の民なのではなかろうかとの思いが強い。第二、第三の「建国義勇軍」や「刀剣友の会」の様に志を一にする仲間が惹起するのではあるまいか。

 贔屓目に見ても活動自体が停滞している感は否めない。活動資金不足と右翼指導者の力量不足の伴う指導力の無さが最大要因である。誰が言ったか知らないが「働きながら運動をしている右翼こそがホンモノ」らしい。活動を本気でやればパクられるし、逮捕され新聞にでも載ったものならクビになるのは間違いないだろう。

 勤労右翼を批判はしないが、右翼活動に理解のある経営者がそんなにいるとは思えないし、働けば生活に流され生業が優先されてしまう。結局は、こじんまりした、無難な、自慰的な活動くらいしか出来なくなってしまっているのではなかろうか。

「昔の右翼は企業から金をもらったりして資金力も持ち、生活も裕福だったかも知れないが、そういうのが今では負の遺産となって真面目な若手右翼の首を絞めているという事をわかっているのだろうか」との、若手活動家のツイートを思い出す。

 昔の右翼というのはいつの時代を言ってるのだろうか。また「負の遺産となって若手右翼の首を絞めている」とはどういうことなのか。現在の価値観の違いといえばそれまでだろうが、物事の見方が薄っぺらで、残念な気持ちになったのも事実。

 高校時代、右翼団体への憧れから、いつかは愛国活動をと思っていた頃、同時に「総会屋」にも憧れた。「総会屋錦城」とか、総会屋関連の本を読み耽った。

 そんな中で右翼総会屋で有名だったのが防共挺身隊で、国士舘大学へ入学すると身近に防挺の先輩がいて入隊。正に人生の縁とは異なもの味なものだと思った。 

 企業献金が断トツだったのは防挺で、愚生が入隊した時期には政治資金は共産党、自民党、日本医師会などに続いて堂々の5位、常にトップテン入りしていた。この潤沢な資金の下で充実且つ過激な活動が出来たのは紛れもない事実だった。

 企業からカネを貰ったというより、企業が右翼団体という組織力を必要としていたのだ。高度成長期、企業は極左によるビル爆破や、「べ平連」やら「中ピ連」など左翼勢力や胡散臭げな連中が一株株主として騒いでいた時期でもあった。

 当時は警備会社なんてのは未だ弱弱しく、民間企業を警察が警備や警護する訳には行かず、防挺の様な行動右翼を必要としたというのが事実。その功罪はあろうが、高度成長期に企業を防衛し、国益に大きく貢献したのは紛れもない事実である。

 その後、防挺はマスコミからは「右翼総会屋」「金権右翼」などと揶揄される様になって行った。右翼活動家よりも総会屋右翼を夢見て、総会屋での資金を右翼活動に使おうといたが、大学4年の秋の商法改正でその夢は脆くも崩れ去った。

「金権右翼」に所属してはいたがその恩恵も受けることもなく、24歳で青雲の志を以て福島県郡山市に帰還し、「これからの右翼は理論が大事」と新たな右翼団体を設立した。現在は正統右翼浪人を自任してはいるが無職のおっさんでしかない(笑)

「負の遺産」とは、拠出して貰った活動資金を私的に流用し、右翼としての生き方を忘れ、分不相応な家に住んで安穏とした生活をしている先生方への諫言なのだろうが、そんなもので「若手右翼の首を絞めてる」などとは責任転嫁も甚だしい。

 中核派などの左翼陣営は勢力拡大と資金力が増大している。男女共同参画社会を始め、SDGsやLGBT法成立を謀り、膨大な予算からは相当な資金が左翼陣営に流されている。こうした現状の中で、右翼は働き乍ら何を惹起するというのだろうか。

 民主党政権下で菅直人が極左団体へ数億円の資金を寄付したのも氷山の一角。左翼陣営は政府中枢への蚕食が成功しつつあり、それらに加えて保守政党であるべき自民党が移民政策などの売国政策を謀っており、国家解体は想像以上に進んでいる。

 方や右翼人を見てみれば暢気なもので、総会屋右翼などと揶揄されながらも小銭を貯めた諸先輩、諸先生方は居の安きに甘んじ、固定資産税の支払いに汲汲し「一日一生」とは名ばかりの状態。「人生意気に感ず」と言い乍らタダ酒を呷るばかり。

 今や行動者としての使命感は疾うの昔に忘れ去ってしまっているのだろう。こうした安穏とした生活が蔓延してる状況下でカリスマ的右翼指導者など現れることはないだろうし、サラリーマン右翼が世論を扇動することなど不可能なことだ。

 日本人に必要なのは「愛国」ではなく「報国」である。我々が想像している以上に祖国日本は蝕んでいいる。全愛国者は危機感を共有し、奸賊どもに対峙せよ!

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2024年06月03日

我が国もイスラエル軍の強さと非情さに学ばねばならない

 イスラエルとパレスチナ国内で活動するテロ組織・ハマスとの戦いをニュースで報道されるが、日本人の多くはよく理解していないのではなかろうか。愚生もイスラエルとパレスチナの問題を深くは理解していないが、ハマスの行状は赦し難い。

 国内で同胞が虐殺され、女性が強姦され、拉致された報復として掃討作戦を実行してることは、自国民としては頼もしい。国内から同胞を拉致され、犯人を知り乍ら何ら手を講じることなく傍観してるよりもマシで、我が国もこの姿勢を学ぶべきだ。

 イスラエルの歴史的背景を理由に、パレスチナでの掃討作戦を批判してるのを見かけるが、拉致問題に関し「日本も強制連行をしたのだから批判するのは筋違い」というトンチンカンな意見と似たり。宗教戦争を安っぽい価値観で語る勿れ。

 イスラエル軍のハマス壊滅を成功しない限りパレスチナ侵攻は治まることはないだろう。ガザ地区のハマスのメンバーの殺害は当然だが、カタールの五つ星ホテルや国外に滞在しているハマスの最高幹部を殲滅しない限り悪の連鎖は止まらない。

 007などのスパイ映画やジェイソンステイサム主演の「メカニック」などでは、悪党というのは常に処刑される結末だからスカッとするが、現実には困難を極める。況してやユダヤとイスラムとの融和は不可能であり、宗教戦争の難しさを痛感する。

 ユダヤ人は、イエス・キリストを十字架に磔たと言う理由で、中世から土地などの不動産を持つことを禁じられ、殺されるという不安を抱え乍ら生き永らえて来た。

 住んでいる国の貨幣を使えるかの分からないので、必然的に金や宝石を隠し持ち、いつでも逃げ出せる準備をしているくらい用心深く、その苦労さを思い知る。

 イスラエル国防軍は、1948年の独立戦争を経て、強引にイスラエルを建国して以来、幾多の戦争を戦い抜き負けたことはない。小さな国土のイスラエルは一度でも負ければ国が消滅してしまう。そうした危機感が国民の国防意識を高めている。

 世界のユダヤ人や、「アシュケナージ」と呼ばれるトーラー(モーセ五書の教え)ではユダヤ人とは認められない東欧系のユダヤ人がイスラエルに多数入植した。

 入植するとパレスチナ人を追い出し、現在に至っている。彼らは「何が何でも生き残ること」を最優先にしているから軍隊の士気が違う。「国民皆兵」であり、イスラエルの若者は18歳で徴兵され、男性は3年間、女性は2年間兵役が課せられる。

 若者からなる召集兵と職業軍人約17万人が正規兵。そして45歳まで年間4~6週間出勤を義務付けられている予備兵が40万人いる。兵士を合わせると約60万人。日本と比べると人口では約18分の1のイスラエルの兵力は、自衛隊の2.5倍に当たる。

 イスラエル国防軍の切り札は核兵器である。「敵を威嚇し、必要と有らば躊躇なくそれを用いる。この自国の核戦略をイスラエルでは「サムソンの選択」と言う。

 サムソンとは、絶体絶命の窮地に陥った時に3千人の仇敵を道連れに自死した古代ユダヤの英雄である。現在進行中のイスラエルとテロ組織・ハマスとの戦いを見てると、パレスチナ人を道連れにハマス壊滅作戦の実行を強行している。

 イスラエルは、核保有は否定も肯定もしていないが世界第6番目の核保有国であり、100発以上保有しているというから米国の面目丸潰れにも思えなくもない。

 北朝鮮が核兵器を保持している中で、我が国も核武装を研究すべきなのだが、国民世論が統一されることはあるまい。カルト宗教と化す「9条の会」を始め、珍左翼が「世界で唯一の被爆国が核武装とはケシカラン」と騒ぐ姿が目に浮かぶ。

 然し、日本が世界唯一の被爆国というのは間違いで、世界では核実験による被爆国は多く存在している。認識不足だが、例えるなら「世界唯一の戦争被爆国」である。

 ロシアのウクライナへの侵略を招いた要因は、ウクライナが核放棄したことだ。ウクライナは1994年、米国・英国・ロシアなどと「ブダペスト覚書」を締結。

 当時、ウクライナは世界3位規模の核保有国だった。この核兵器を放棄する代償として、領土の安全性と独立的主権が保障されることになった。1800余基の核弾頭とICBM(大陸間弾道ミサイル)を全てロシアに返還・廃棄し、非核化を完了した。

 核保有を放棄させ乍ら、そのウクライナを侵略してるロシアに正義は無い。ウクライナの核放棄という間違いを我が国は他山の石と捉え、万が一に備えよ。

 核武装が無理なら、NATO諸国の様に米国の核を共有可能とする防衛構想を急ぐべきだろう。核兵器は、政治を行う上での最高・最大の外交交渉の武器であり、周辺諸国に睨みを利かせ、更にはアジア諸国の平和・安定に貢献出来るものである。

 その昔、大日本愛国党総裁の赤尾敏が「アメリカは日本の番犬だ。番犬にはエサは必要で、イイ番犬ほど金はかかるものだ」と言っていたが、今、その番犬は歳終えてしまった。飼い犬に噛まれる前に、日本独自の防衛体制を構築を急ぐべし。

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