2024年04月

2024年04月29日

「昭和の日」に思う

 本日4月29日は、昭和天皇の御遺徳を偲ぶ「昭和の日」、28日の「主権回復記念日」に続き慶賀が続く。未だ国内に、昭和天皇に対して「戦争責任」などとの戯言を垂れ流す日本人らしからぬ輩が存在するのは自虐史観の洗脳に因るものである。

 欽定明治憲法下に於いては、国務は国務大臣並びに統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっており、陛下には法的に責任は無い。

 然し乍ら、戦争が長期化し国民への被害の拡大に胸を痛め、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇御自身であり、終戦の詔勅に於いて「五内為ニ裂ク」と仰せられたことでも分かる様に、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。

「昭和」も今や三代前の元号となった。昭和とは四書五経の一つである「書経尭典」の「九族既睦平章百姓百姓昭明協和萬邦(九族既に睦まじくし て、百姓を平章す。 百姓昭明にして、 萬邦を協和す)」に由来し、国民の平和と世界の共存繁栄を願う意味が込められている。正しく、昭和とは元号の名の通りの時代だった。

「昭和の日」とは昭和天皇の御遺徳を忍びつつ、改めて「大東亜戦争の大義とは何だったか」とあの激動の時代を振り返り、「平和とは何か」を考える日でもある。

「自存自衛と大東亜の開放」を掲げて戦われた先の大東亜戦争を、世界の国々は評価しているにも関わらず、国内では自虐史観から目覚めることなく、「侵略戦争」と断じ、現代の倫理観や安っぽい平和主義から「間違った戦争だった」と一方的に反省することに意味があるとは思えない。では、世界では先の日本の戦いを如何に評価し、どの様に受け止められているのだろうか。その 一部だが羅列してみよう。

「第二次世界大戦で、日本人は日本の為というよりも、寧ろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大な歴史を残したと云わねばならない」(アーノルド・J・トインビー(イギリスの歴史学者)) 。「日本の敗戦、それは勿論東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた」(ジョイス・C・レブラ(コロラド大歴史学教授)著書、東南アジアの開放と日本の遺産) 。「日本占領軍が、インドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは、正規軍や軍事組織を創設してそれに訓練を与えたことである」ジョージ・S・カナヘレ(政治学博士) 。「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人で、日本は敗戦はしたが、その東亜の開放は実現した。日本の功績は偉大である」(サンティン、アムステルダム市長)

 タイの元首相・ククリットプラモードは「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、米英と対等に話せるのは誰のお蔭か。それは、身を殺して仁を成した日本というお母さんがあった為である」と語っている。

 マレーシア上院議員のラジャー・ダト・ノンチックやインドのラダ・クリシュナン大統領、スリランカのジャヤワンルデ大統領、ビルマのバー・モウ首相、シンガポールのゴーチョクトン首相。キューバのカストロ首相やチェ・ゲバラ・・・。

 我が国を讃えた外国人も数多く、「大日本」「日本精神」の著者モラエスや、日本の文学作品を残し、本当の日本を世界に伝えた小泉八雲(アフカディオ・ハーン)もその一人である。アーノルド・トインビーは伊勢神宮を参拝した際に、「この聖なる地域で、私は全ての宗教の根源的な統一を感じた」と喫驚したという。

  アインシュタイン博士は、日本への思いを「世界の将来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返され、最後には戦いに疲れて必ず真の平和を求めて世界的盟主を挙げねばならぬ時が来るであろう。(略)世界の文化はアジアに始まりアジアに帰り、それはアジアの高峰『日本』に立ち戻らねばならぬ。我々は神に感謝する。天が我等の為に日本という尊い国を創ってくれたことを・・・」と述べている。

 東京裁判で大東亜戦争を「侵略戦争」と断じたウエップ裁判長も後に、「天皇は神だ。あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは神でなければ出来ない」と驚嘆した。やはり我が国は神の国であり、昭和天皇は現人神であらせられたのだ。

 昭和天皇崩御での服喪国は34ヵ国に及び、大喪の礼には実に193ヶ国国の元首や代表が集まったことは、歴史上空前の出来事だった。正に昭和天皇はアジア、そして世界の救世主であらされたのである。すめらみこといやさか 天皇陛下万歳

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2024年04月24日

たった90人足らずで「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」だってさ(苦笑)

 靖國神社春季例大祭最終日、恒例となった超党派の議員連盟「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」のメンバーが靖國神社へ集団参拝した。国会議員約720人いる中でたった90人足らず。恥ずかしくもなく、何が「みんなで」だ(苦笑)

 この超党派グループの靖國参拝は保守票を狙ったパフォーマンスでしかないが、こんなことでは靖國神社の国家護持は愚か、陛下の御親拝などは夢のまた夢。

「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」なんぞ解散するか、靖國神社の宗教法人格を見直す為の「靖國神社法案を成立させる国会議員の会」に変更しなさい。

 世間では首相の参拝を熱望する声が絶えないが、容共逞しい岸田は中韓に配慮し、安倍政権以来恒例となった真榊奉納で事を濁した。岸田らしいヘタレぶり。

 現憲法20条第3項には「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されている。つまり総理や国務大臣の靖國参拝は第20条違反であり、それを認識してるからこそ「個人」としての参拝を強調するのだ。

 また、最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれる。つまりは「A級分祀論」なども第20条違反に問われる行為でもある。

 抑々、我が国には「A級戦犯」を始め「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」という呼称はない。「戦犯」という名称は戦勝国である連合国側が定めた蔑称である。

 講和条約発効翌年の昭和28年に召集された第16国会に於いて、全会一致の議決に拠り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正された。この議決を以て全ての戦没者は法的に復権されているのであって「戦犯」と呼ぶことは国会軽視そのもの。

 A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称されており、靖國神社では「昭和殉難者」として御祀りしている。それにも係わらず国会議決を無視し「戦犯」と言い続けることは、東京裁判史観を妄信してる証左である。

「分祀論」こそ非常識且つ無責任な愚論であるのだが、こうした主張が左翼政党ではなく、自民党など保守を標榜する議員から発せられること自体が恥ずかしい。

 石破茂や前原誠司らA級分祀論者らは、「A級戦犯分祀が実現すれば天皇陛下が御親拝出来る環境が整う」などと、畏れ多くも陛下を利用して国民を誑かしている。

 天皇陛下が御親拝せられなくなった理由は、A級戦犯合祀が理由ではない。陛下の御親拝を妨害しているのは、石破ら不逞の政治家も然ることながら、国體破壊を目指す官僚どもと宮内庁に因る妨害工作である。今回の退位特例法案も同じ流れだ。

 一旦緩急の際に国家の為に尊い命を捧げた人々の御霊を奉斎する靖國神社を、国家の責任で護持することは余りにも当然のことで論議の余地などあるまい。

 戦前はそれが厳守され、国民挙って護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは靖國神社の大祭に限り、天皇陛下が御親拝せられたことだ。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはなかったのである。

 靖國神社問題を解決するには、靖國神社の「宗教法人格」を見直せば済むことだ。憲法改正は別に第9条ばかりではなく、こうした問題も提起するべきであろう。

 靖國神社は現在「宗教法人」となっているが、これは占領下、国家と神道の分離を謀ったGHQの「神道指令」に因って、靖國神社の存続に苦慮した当時の政府や神社関係当局の緊急避難行為というべき措置であって、その実態は宗教ではない。

 宗教とは「教祖・経典・布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無い。唯、祀りの様式を神道に則って行っているに過ぎない。

 自民党は過去に選挙公約の一つとして「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」という政策を幾度となく掲げて来た。

 政権政党として至極当然の認識と政策であろう。だが、自民党は過去に幾度も安定多数の議席を確保し乍らもその公約は実現することなく、昭和49年の参議院での審議終了を理由にした廃案以来「靖國神社法案」は提出されることは無くなった。

 安倍政権下では「退位特例法」の成立を謀り、天皇の大権である元号制定権を簒奪し、践祚改元奉告祭を無視し新元号公布した。菅政権でアイヌ新法を成立させ、岸田政権はLGBT法を成立させ、移民受け入れを謀る。この何処が保守政党なのか。

 政治家は戦没者の追悼を口にするが、靖國神社は追悼施設ではなく、国家に殉じた戦没者の顕彰を重んじる神社である。陛下の御親拝や首相や閣僚の靖國参拝を実現するには、靖國神社の宗教法人格を取っ払うしかないのだが、そんなことさえ知らない議員どもは端から靖國神社法案を提出する気も成立させる気も全く無い。

 真に英霊の顕彰を図るなら「靖國神社法案」を再提出し、靖國神社国家護持と陛下の御親拝に向けての道筋を付ける為に政治生命を賭けるべきだが、超党派で90名ほどでは心許ない。尤も、此奴らも保守とは言い難いインチキばかり(苦笑)

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2024年04月23日

米韓の戦没者墓地を訪問した岸田文雄首相は何故に靖國神社には詣でないのか!

 靖國神社春季例大祭第二日祭に参列予定だったが諸般の事情で欠席した。歴代の総理大臣は春秋の例大祭に参列するのが恒例だったが、8月15日に三木武夫が靖國神社に参拝して以来、中韓からの抗議もあって靖國神社が政治問題化してしまった。

 岸田文雄首相は春季例大祭に参拝することなく、安倍晋三元首相以来恒例となっている真榊の奉納で事を濁した。保守派などからは総理大臣の靖國神社参拝を熱望する声が絶えないが、総理及び国務大臣の参拝は憲法第20条に抵触する行為でもある。

 抑々、英霊へ感謝の誠を捧げ顕彰することを現憲法で語ること自体がマヌケだが、閣僚が参拝すると当事者や官房長官らが頻りに「個人的参拝」を強調するのは「宗教法人への参拝は現憲法に抵触する」との認識を共有しているからに他ならない。

 靖國神社参拝を語る際に、所謂「A級戦犯分祀論」が聞かれるが、分祀論も同じく靖國神社側への政治介入並びに威圧行為であり、憲法第20条違反に問われるのは最高裁の判例が示す通り。要は、靖國神社が宗教法人ということが問題なのだ。

 作家の門田隆将がX(旧twitter)で「韓国の国立墓地・顕忠院や米のアーリントン墓地には行っても絶対にペリー来航以来の国事殉難者246万6千人が祀られている九段の靖国神社には行かない岸田首相。国家観も歴史観も持ち得ない政治家が国際社会で軽んじられるのは当然。悲願の総理にはなったのだから、これ以上日本を崩壊させる前に引退を」とツイートしたら、次の様なコミュニティノートが貼り付けられた。

「韓国の国立顕忠院や米国のアーリントン墓地はそれぞれ国営施設ですが、靖国神社は一宗教法人の施設ですので対比としては不適切です。日本国営の戦没者慰霊施設としては千鳥ヶ淵戦没者墓苑がありますが、岸田首相は終戦の日にこちらを訪問し、総理大臣として参拝を行っています。本ポスト主は過去の投稿から安倍元総理の支持者である事が伺えますが、安倍元総理も岸田総理同様、韓国訪問時に国立顕忠院、米国訪問時にアーリントン墓地を、終戦の日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪問していました」。保守派への実に嫌味な意見だが、要は「靖國神社は、アーリントン墓地や顕忠院の様な追悼施設ではない」という認識である。この認識は強ち間違いではない。

 悲しい哉、多くの国民にとって靖國神社は追悼施設だと思っているのも確かである。だが、靖國神社は追悼施設ではなく、戦没者の功績を顕彰する神社であり、「顕彰」とは、生前の功績や善行などを称えて広く世間に知らせることである。

「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。「慰霊」とは霊魂を慰めること。英霊は神なのだから哀悼の意はそぐわない。

 靖國神社は追悼施設ではなく、国家に殉じた戦没者の顕彰を重んじている神社であるということを理解していないからこんなことが罷り通る。近所の神社に参拝して神に哀悼を捧げるか。日々の暮らしに感謝して首を垂れる。靖國神社も同じだ。

 政治家は、遺骨が納められてる千鳥ヶ淵墓苑をアーリントン墓地や顕忠院の様に国立戦没者墓苑にし、そちらに行きなさいな。靖國神社に参拝しない議員よりマシだが、政治家は靖國神社に関わって欲しくは無いというのが正直なところ。

 大東亜戦争という国難に当り、国家の為に尊い命を捧げた方々を奉斎する靖國神社を国家の責任で護持することは余りにも当然のことで論議の余地などない。

 戦前はそれが厳守され、国民挙って護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは靖國神社の大祭に限り、天皇陛下が御親拝せられたことだ。

 聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはなかった。靖國問題は「宗教法人格」を見直せば済むことなのに何故か手を拱いている。

 靖國神社というのは戦後、GHQの統治下で行われた「神道指令」に因って、解体や焼き打ちされそうになったのは有名な話し。当時の関係者がGHQの目を逸らす為に一時的に英霊ではなく別な御祭神を祀り「一宗教法人」として存続を図った。

 本来ならば、昭和27年4月28日に我が国の主権が恢復した折に、靖國神社と全国の護国神社は「宗教法人」ではな国家で管理するべきだったのだが、政治の怠慢に加え、歴代の政府自民党の無作為で国家護持が成されずに現在に至っている。

 靖國神社の国家護持を図る上で、先ずは靖國神社の宗教法人格を外すことから進めるべきだ。自民党は過去に、衆参両院議員選挙の際のその公約の一つとして「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」という政策を幾度となく掲げて来た。政権政党として至極当然の認識と政策であったと思う。

 だが、過去に幾度も安定多数の議席を確保し乍らもその公約は実現せず、昭和49年の参議院での審議終了に拠る廃案以来「靖國神社法案」は提出されることは無くなった。これ即ち、自民党が保守政党をとしての矜持を放棄したということだ。況してや「反靖國」を標榜する公明党との連立が続く限り靖國問題は解決を見ない。

 自民党内保守派の「保守団結の会」や「日本の尊厳と国益を護る会」及び、超党派の「みんなで靖國神社へ参拝する会」が共闘し、再び「靖國神社法案」を提出可決し、靖國神社の宗教法人格を外すことで不毛な靖國論議に終止符を打つべし!

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2024年04月19日

法務大臣は刑事訴訟法に則り死刑確定から6ヶ月以内の執行を推し進めよ!

 死刑囚へ死刑執行当日に通知するのは違法として、死刑確定囚2人が国を相手取り2200万円の損害賠償と通知当日に執行しない様に求めた訴訟で、大阪地裁は請求を退けた。当然の判決だが、死刑囚を支援してるのはいつもの香ばしい連中。

 死刑囚を利用した死刑反対派の訴訟に拠って、死刑執行する刑務官の精神的負担が増えて、執行自体を躊躇することがあってはならない。また、死刑執行で心理的不安や負担を抱えるというが、そんなのは刑務官に向いてないから辞めた方が好い。

 刑事訴訟法では、死刑確定から6ヵ月以内の執行を定めており、6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し「法相の命令から5日以内に執行されなければならない」と定められている。だが、この規定通りに行われることはない。

 我が国の死刑制度というのは、明治時代の「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして成立したものでもある。明治6年2月、当時の司法卿であった江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第三十七号)」を発令した。

 幕末から維新期には、藩の派閥や新政府への政論の対立に因る暗殺とその報復という面があったことから、この種の紛争を断ち切る為のが目的に創られた法律である。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」が発布、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

 現代でも「死刑制度」を容認する国民が8割以上いるのは、「国家が遺被害族に代わって遺恨を晴らして欲しい」という気持ちの顕れであり、その心情を汲むのが法務大臣である。断じて地味な役職ではなく、死生観を常に持つべき役職である。

 死刑廃止論者は「国際人権基準」がどうだとか、「非人道的」だとか「生きる権利の侵害」や「資料を精査する十分な時間があったとは思えない」と、然も正論の如き主張を繰り返しているが、被害者側に立った意見は殆ど聞くことはない。

「死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべき」という意見は少なくない。日本の死刑制度ばかりが問題にされるが、逮捕され公正公平に判決が下されていることは、司法取引や冤罪が罷り通る死刑廃止を導入している国とは根本的に違う。

 死刑廃止の理由として挙げられる理由は、「冤罪の疑い」や「法に拠り国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」とか「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」など様々だ。

「冤罪」というのは、袴田事件を見るまでもなく取り調べの中で確かに有り得なくはないが、それは警察捜査の傲慢さと科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆ど。冤罪などの疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけの話しだろう。

「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、正義をそんなものに与する方が大きな間違いである。

 左翼人士や人権派弁護士などにも、こうした我田引水的主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、また共産主義者であり無神論者であり乍ら、都合の好い部分は米国でもキリスト教でも利用しようというのはホント逞しい(苦笑)

 残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国家により生命を保証されるというのも如何なものか。況してや死刑囚が再審請求を利用して執行停止を謀るなど姑息過ぎる。無駄な「生」に拘るより、「死」を以て償うべきだと思うのは愚生だけではあるまい。

 抑抑、我が国の死刑制度は被害者遺族に代わり国が仇討ちする意味合いがある。仇討ちを合法化するなら好いが、死刑の替わりに終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無いし、凶悪な犯罪が減るとも思えないし、何より血税の無駄。

「社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない」と言ったのは三島由紀夫。何より大事にしなければならないものは肉体より魂であり、精神性である。

 死生観の違いといえばそれまでだが、残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法に由り生命を保証され、のうのうと生き長らえているというのも如何なものか。

「死刑」とは他人を殺め、己が犯した罪への相当の審判であり、何の責任を持たず無駄に生き長らえて来た人生にピリオドを打つ為の国家に拠る大慈悲であるのだ。

 死刑制度は国民の大半が支持している。反対派の付けたりに過ぎない愚論に与することなく、法務大臣は刑事訴訟法に基いて死刑確定から6ヶ月以内の執行を図るべきで、死刑執行という現実を国民に突き付けることが、畢竟、犯罪抑止に繋がる。

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2024年04月17日

特定パーティーを開催してた岸田に政治資金規正法を改正する資格は無い

 自民党は、派閥の政治資金パーティーでの裏金事件を受けて政治資金規正法改正に取り組むというが、大臣規範を無視して特定パーティーを開催し、億単位のカネを集めてた岸田文雄に政治資金規正法改正の先頭に立つ資格があるとは思えない。

 大規模な政治資金パーティーを禁ずる大臣規範に抵触するものだが、大臣規範に罰則規定は無く、空文化状態であり、法的にも穴だらけである。要は、今回の裏金問題は、法律を作る側にいる者が法の網を掻い潜っていたことが大問題なのだ。

 政治資金規正法では政治資金パーティーはOK。パーティー券の購入額が20万円以下なら名前の記載は不要。自民党5派閥の政治資金パーティーの不記載は報告書の訂正で問題無し。そこを「5万円」にしたり、厳罰化したところで意味は無い。

 政党助成法に拠る「政党交付金」は、政治献金禁止の代償である。未だに企業や団体からの献金を続け、政治資金パーティーを開催してるのは詐欺行為だろう。

 相変わらず国会議員らは企業献金やら個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔している。これ即ち「クリーンな政治を実現する」という趣旨からも逸脱しており、国民への裏切りである政党交付金は即時廃止するべきである。

 政党交付金(政党助成金)は、リクルート事件やゼネコン汚職事件などの汚職事件で、企業や団体などから政治家への資金提供が問題視されたことを理由にして、細川政権下の平成6年に導入された。所謂「政治改革四法」の一つである。

 政治改革四法とは「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」。小選挙区比例並立制と政党交付金制度は政治劣化の元凶。この改革四法案の見直しなくして政治改革や政治とカネも問題も解決しない。

 政治とは最高の倫理であり最高の道徳である。政治家は国民の模範であるべき存在なのに「政治にはカネがかかる」などとはさもし過ぎる。繰り返される「政治とカネ」の現状を見れば、政治家の倫理道徳の欠落は著しいと断じざるを得ない。

 政治家に求められるのは唯々「滅私奉公」の一つである。然し乍ら、その滅私奉公は最早死語となった。政治家必携の本といわれる「南洲翁遺訓」がある。この本は政治家に限らず、人の上に立つ者や日本人ならば必読するべき名著である。

「万民の上に位置するものは、己を慎み、品行を正しくし、贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して人民の見本とならねばならない。そして民衆がその働きぶりを見て『気の毒だなぁ』と思うようでなければならない」(第四条)

 今どき「気の毒だなぁ」と思える政治家なんぞ見たことも無いし、国会中継などを見てると、国民不在の党利党略ばかりで、とても政治家としての正道を踏んで、至誠という真心を以て国家の行く末を論じている政治家なんてのは極極稀だ。

「道義心や恥を知る心を失っては、国を維持する方法は有り得ない。上に立つ物が下の者に対して利益だけを求めて正しい道義を忘れてしまうと、下の者も見倣って、人の心は皆金儲けの方ばかりに向いてしまう。上に立つ者は常に下の見本で有らねばならない」(第十六条)と教えているが、上の責任を下に押し付けている。

 第二十四条は「敬天愛人」の思想。「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を愛するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛するを以て人を愛する也」。天を敬い、何事を行うにしても「お天道様が見ているぞ!」という、日本人としての当たり前の矜持を持ち合わせていない政治家は要らない。

「南洲翁遺訓」は本編四十一条。何れも含蓄あるものばかりだが、これは西郷隆盛が仁者だったというより、自戒だったのではと思う。我が国の不幸と政治の停滞と機能不全は、道徳観を持った政治家や思想家、指導者がいないことに尽きよう。

 国会議員だけではなく地方議員を含めて、過分な歳費や報酬の一部で「南洲翁遺訓」を買って、写本や熟読でもした方がよっぽど国家の為になるぞ!呵呵。

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2024年04月16日

衆院東京15区補選で日本保守党が勝利すれば日本再生の濫觴となるだろう

 東京15区で衆院補選が行われる。LGBT法の強行採決で、日本保守党の百田尚樹代表は「この儘ではアカン。日本を救いたい」との思いで新党を立ち上げた。日本保守党が旧態依然の堕落し切った政治に楔を打ち込む。日本保守党公認の飯山陽(いいやまあかり)を是が非でも当選させ、日本再生の濫觴にしなければならない。

 安倍晋三元首相が凶弾に斃れて以降の自民党の転げ様が凄い。我が国の政治の為体と混迷は自民党以外に保守政党が無いことに尽きる。だが、その自民党は保守政党なのかといえば甚だ疑問で、単に保守のカタチを取り繕っているだけに過ぎない。

 自民党の「立党宣言」には【政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。大戦終熄して既に十年、世界の大勢は著しく相貌を変じ、原子科学の発達と共に、全人類の歴史は日々新しい頁を書き加えつつある。今日の政治は、少なくとも十年後の世界を目標に描いて、創造の努力を払い、過去及び現在の制度機構の中から健全なるものを生かし、古き無用なるものを除き、社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する。われらは、秩序の中に前進をもとめ、知性を磨き、進歩的諸政策を敢行し、文化的民主国家の諸制度を確立して、祖国再建の大業に邁進せんとするものである。右宣言する】と在る。

 自民党は「われらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する」との趣旨に逆行している。

 自民党が掲げる新綱領には「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を」として次の様に明記されている。自民党はいつから改憲政党に成り下がったのか。自民党綱領に則り「世界に貢献できる新憲法の制定を目指す」べきである。

【私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。そのために教育基本法を改正するとともに、教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします】と謳っているが、岸田は「日本らしい日本」を損なうLGBT法や移民政策の実行を謀り、「新しい日本」という国體破壊を謀っている。

 財政再建という名の経済至上主義ではなく、日本国民としての普遍的規範を身に付け、家族や仲間との絆を深め、共に支え合って地域と国家に尽くす日本人を育むことこそ大事。況してや米国民主党や共産主義蔓延る国連に媚び諂うことではない。

 悲しい哉、現代では「協働」という誤った価値観が蔓延している。「協働」とはコラボレーション(collaboration)とか、パートナーシップ(partnership)のことらしいが、コラボレーションならば別に「協働」ではなく「共同」で十分だ。

「共同」と「協働」は同じ発音だが目的は全く違う。「協働」の主体は「国民」ではなく「市民」であり「市民団体」なのである。つまり「協働」とは同じ目的を持った者が集うコミューン(共同体)創りであり、その実はコミンテルン、第三インターナショナル(国際共産党・国際共産主義運動)への一里塚というのが正しい。

 いつの間にやら我が国は、カタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になっている。日本共産党でさえ赤旗ではなく青い幟で国民を欺く。

 彼奴らは夫婦別姓に加え選択的夫婦別姓、男女共同参画社会やジェンダーフリー、SDGs、LGBTQ、移民政策、人権擁護法案、共生社会、外国人参政権、外国人住民基本法案、女性宮家創設、女性天皇容認論など次から次と策謀を重ねている。

 こうした行政側への実に怪しげな策謀や共産主義の連結を奨めたのは共産党ではなく、保守を自任する自民党だったというのは実に御粗末という他はない。

「立党宣言」の【社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである】との覚悟は単なる画餅なのか。

 現在の自民党の中で、高市早苗や小野田紀美、有村治子、杉田水脈など立派な保守議員がいるが、親中議員蠢く党内で埋もれてしまっているのも事実である。

 ポスト岸田に向けて権力闘争を繰り広げているが、高市らは潰される前に保守議員が団結して保守政党を立ち上げるのも必要だろう。ネックなのは小選挙区制度。政治改革は30年前に成立させた所謂「政治改革四法案」の見直し及び廃棄である。

 政治改革四法とは「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」。小選挙区比例並立制と政党交付金制度は政治劣化の元凶となっている。この名ばかりの改革四法案の見直しなくして真の政治改革は無い。

 無自覚左翼なのか確信的アホなのか「日本らしい日本」を損なう政策に対し闘うどころか、「新しい日本」や「新しい日本人を創る」と中国共産党自民党支部の如き第五列ばかり。マスコミでは例の如く河野太郎や石破茂ら親中派議員を持ち上げる。

 河野は「女系天皇容認」「旧宮家皇籍復帰反対」「憲法擁護」「靖國神社参拝反対」「夫婦別姓(選択的夫婦別姓)推進」「外国人地方参政権賛成」「移民政策推進」「脱原発」「親中派」「新しい日本人を創る」等等、売国政策が並ぶ。

 こんな容共派が自民党議員であることが不思議でならない。LGBT法を強行した自民党は、労働者不足を理由に実質的な移民政策を謀り、祖国日本を売り渡し、正しく第三インターナショナル(国際共産党・国際共産主義運動)へ突き進んでいる。

 野党も然りで、党利党略・私利私欲の政争を繰り返している生業議員ばかり。自民党一党独裁が続いているのは単なる野党のオウンゴールの恩恵に過ぎない。そんな中、草莽の有権者が日本保守党を支持していることに祖国日本の希望の光を見る。

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2024年04月12日

血圧数値を「上130/下80」に引き下げられて国民の2人に1人が高血圧症に(笑)

 日本高血圧学会は「高血圧治療ガイドライン2019」で、上140/下90mmHgとされている高血圧の基準を上130/下80未満まで引き下げるという。

 現在「上140/下90」以上の高血圧患者は推定4,300万人とされ、それを「上130/下80」に引き下げられると、1700~2000万人が増加し、約6300万人が高血圧患者となり国民の2人に1人が高血圧と認定される(笑)

 本来、日本人の血圧数値は上160/95mmHgだった。それがWHOの通達などもあり、2000(平成12)年に140/90に引き下げた。昨日まで血圧が150~92の健康な人が、いきなり高血圧患者となり、健康な人が病人にされてしまった。

 この基準値を下げたことで新たに2100万人の高血圧の患者が増えたという。斯くいう愚生もこの人数に含まれ、今では降圧剤常習者だ(笑)

 血圧数値を下げることで製薬メーカーの利益は増大した。そして更なる改定で二匹目の泥鰌を狙う。医師会と製薬会社、そしてその恩恵に肖ろうとするクソ政治家どもの負の構造を見直さない限り国民医療費は増え続ける。

 血圧を薬で下げたことで心筋梗塞や脳卒中で亡くなる人が減ったのは確かだが、一方で癌が死亡原因の第一位となった。抑々、高齢になると血圧が高くなるのは正常な生理作用で、それを薬で無理に下げてしまうことで癌リスクが高まる。

 80歳の人の5年生存率を最高血圧から調査した研究では、最高血圧が180以上の人達の生存率が最も高くなり、最高血圧が120~140のグループの生存率が一番低いという。要は、血圧の基準自体に根拠もないということだ。

 高血圧の原因は「塩分」とされているが、塩は人間が生きる上で最も必要な栄養素だ。摂り過ぎるのはダメだが、摂取しなけりゃ死に至る。要は塩化ナトリウムなど人工塩が悪いのであって、カリウムの豊富な天然塩は身体に好い。

 反原発派やその妄言を信じる連中は放射線を否定し批判するが、放射線は100mSvを超えないとホルミシス効果が無いと言われており、低放射線は塩と同じく人間や生命体が生きて行く上で必要不可欠な要素でもある。

 原発事故の放射線が原因で癌患者が増えたとは聞いてない。降圧剤により癌患者が殖え、それが原因で死亡したとなれば原発事故よりも大問題では(笑)

 人は必ず死ぬし、健康だった人が交通事故でぽっくり逝ってしまうことだってある。原発事故で亡くなった人はいないが「原発を無くせ」というなら、断然多い交通事故死を防ぐ為に「自動車を無くせ」「造るな」と言うべきだろう(笑)

 国内では今や国民の3分の1が癌で亡くなる。死亡原因第一位が癌だ。癌治療の歴史は浅く、癌検診によって早期発見はされ易くなったが、この検診に意味はないという医者もいるし、抗癌剤治療は効果がないという医者もいる。

 芸能人の癌検診と癌治療がテレビなどで話題に上る。如何にも「早期発見が好かった」だとか「抗癌剤治療から社会復帰した」だとか、こうした美談の裏には商魂逞しい病院や医師会が蠢いてる様にしか思えない。

「癌は切るな」「癌検診、百害あって一利なし」と、「癌検診は落とし穴ばかりで検診を幾ら受けても寿命は延びない」と断じる医師もいる。癌検診は病院や厚労省が推進しているだけで有効だと思い込まされているだけに過ぎない。

 日本の癌治療もまた世界レベルから見て相当特殊らしく、やらなくていいことをして必要以上に施して、患者や健康な人を苦しめているのが実情だという。

 心筋梗塞や脳卒中のリスクは言えど癌のリスクを語らない血圧数値の改定は、医師会と製薬会社の策謀というのが正しく、国民の不安や弱みに付け込んだ医療制度を見直さない限り、歳入に占める国民医療費は益々殖え続けて行くだろう。

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2024年04月09日

我が国は「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」に立ち上がったのだ

 陸上自衛隊第32普通科連隊が、硫黄島で開催された日米合同の戦没者の追悼式に参加したことを、Xの公式アカウントで「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」と書き込んだことを朝日新聞が批判していた。日頃「反米」を貫く朝日新聞だが、先の大戦への認識は「太平洋戦争」であり、未だにGHQからの洗脳状態に陥った儘だ。

 国民の多くは「戦争が終結した」「日本が戦争に負けた」というのは知ってるが、何故に我が国が大東亜戦争に突入して行ったのか、その理由を知ることはない。国民の先の大戦の認識は、GHQの謀った「太平洋戦争」史観の儘なのである。

「日本は満州事変以降、大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」というのが、先の戦争に対する政府の基本認識であり、国民もそれを疑わない。然し乍ら、こうした認識は公正なものとは言い難い。

 結果論ではなく、何故に我が国が如何にして大東亜戦争の開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが重要であって、それには1953年のペリー来航(黒船来航)の時代まで遡って、当時の世界の情勢とアジアの近代史を学ばなければ理解は出来まい。

 我が国は西洋列強に追い着くべく、幕藩体制を糾し強力な中央集権国家を形成しようと「明治維新」という大業をたった数年で成し遂げ、近代国家を形成する。

 15世紀半ばから17世紀半ば迄の、所謂「大航海時代」以来、白人に因る世界制覇の波が終にアジアにも押し寄せ、次々と列強に蚕食され植民地となって行った。

 我が国が維新の大業を成し遂げ「日本国」として独立を宣言。大韓民国にも独立を促すが、李氏朝鮮はその意味も分からず、清国の属国の儘だった。日本からの朝鮮独立という通告に怒った清国が日本との戦争に至った。「日清戦争」である。

「日清戦争」は、世界の大方の予想を覆し我が国が勝利。戦利品と賠償に台湾と澎湖諸島、並びに遼東半島を割譲されるが所謂「三国干渉」に由って頓挫する。

 清国が滅ぶと、巨大な空き地と化した支那の領土は世界の国々に蚕食されることとなる。巨大国家ロシアも南下政策を執り、遼東半島から韓国にも触手を伸ばす。

 当時、韓国独自でロシアと対峙することなど到底無理なことだった。その意味では寧ろ日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で、民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張の方が現実的だったのである。

 頑迷固陋な韓国は、「日韓合邦派」や我が国の意見に耳を貸すことはなく、李王朝はあろうことかロシアに保護を求めた。我が国が勝利したことで独立の機は失ったのは当然のこと。合邦派は今や「親日派」として事後法に因り断罪されている。

 その後、当時の「万国平和会議」で、世界満場一致で「日韓併合」が可決されることとなる。三等国家の韓国が、独自の力による近代独立国家建設の道など在り得ず、我が国の協力が有って初めて文化的生活を得られたのが歴史的な事実である。

 こうした悲劇こそが日韓関係の日韓関係足る所以であり、事在る毎に我が国を詰る前に韓国国民こそ歴史の事実と自らの責任を真正面から見つめ直すべきである。

 大航海時代への変化の中で起きた日清戦争や日露戦争にしろ、そして日韓併合もアジアや我が国にとっては避けては通れない宿命的な歴史だったのである。

 日清・日露戦争での有色人種である「日本大勝利」の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させた。特に、有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、第一次世界大戦に於ける連合国が、中央同盟国の講和条件等について討議したパリ講和会議で、我が国は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案するも、「有色人種に人権は必要無い」と否決された。

 パリ講和会議の議長を務める米国大統領・ウイルソンが提案を拒絶したのは、米国人ら白人に因る有色人種への差別が横溢していたのは明らかだった。日露戦争が齎した歴史的課題の本格的実現は、大東亜戦争を待たなければならないのである。

 その後「黄禍論」が湧き起り、世界は第二次世界大戦に突入する。我が国へ米国(America)、英国(Britain)、支那(China)、和欄(Dutch)から、所謂「ABCD包囲網」が敷かれると、無理難題を強いる「ハルノート」が突き付けられた。

 降伏は即ち欧米列強の植民地の道しかなく、我が国の生き残る道は連合国との戦争しかないと決断。開戦の詔勅を賜り、宣戦布告、真珠湾攻撃に至ったのだ。

 米国内では、毎年12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」として、我が国を「騙し討ちをした卑怯な国」として糾弾して止まない。日本人蔑視は未だに続いているが、我が国は断じて「騙し討ち」はしていない。

「騙し討ち」「卑怯者」との汚名を着せられ続ける理由は、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れたことが原因でって、外務省の職員の職務怠慢に他ならない。

 糾弾して止まない「リメンバー・パールハーバー」の根底に在る「黄禍論」という日本と日本人への偏見と差別が悲劇を生んだ元凶である。先の大戦然り、パリ講和会議然り、猛省するべきは日本ではなく未だ有色人種を差別し続ける米国である。

 朝日新聞は占領下に於いて、NHKと岩波書店と共に言論統制の対象となった。戦時中は戦意高揚を訴え、国民世論を煽って大東亜戦争に与してい乍ら、戦後は進歩的文化人を気取り、旧日本軍や日本政府を糾弾し続けている。実にマヌケなことだ。

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2024年04月08日

教科書から消えるという坂本龍馬だがその行動から学ぶものは多い

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 以前から指摘されてたところであるが、坂本龍馬が教科書から消えるという記事をSNS目にした。龍馬の功績と言われているものは、司馬遼太郎の長編時代小説「龍馬がゆく」に拠るところが大きく、実にその95%が嘘や虚飾であるという。

 坂本龍馬は、幕末にはそれほど有名な人物ではなかったという。維新後、数十年が経ち、四国の新聞に「坂本龍馬特集」が連載された。龍馬のその生き様が日本人の嗜好に合致し、人気に火を点け全国に拡がったというのが真相と言われている。

 龍馬暗殺の謎についてよく「北辰一刀流免許皆伝の龍馬を一刀両断するとは」とか「龍馬はピストルを持っていたのに一発も発砲されていないのは何故か」「中岡の暗殺に、龍馬が巻き込まれたのではないか」などと語られている様に謎は多い。

 こうした暗殺の謎が謎を生み、そして歪曲され、またドラ小説やドラマなどで想像・脚色され、龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されていったのではなかろうか。

 坂本龍馬暗殺の実行犯説は、歴史家に拠ってその意見は様々であるが、大凡、「京都見廻組」と「新撰組」説に分かれている。「京都見廻組説」では、元隊士だった今井信郎と渡辺篤が、佐々木只三郎らと実行したとの証言を理由に挙げている。

「新撰組説」では、刺客が「こなくそ」という伊予弁を使ってたされており、伊予出身の原田左之助刀の鞘や隊士の下駄が近江屋に残されていたと言われている。「こなくそ」説は、西軍の谷干城(たに たてき / かんじょう)の独り言に過ぎない。

 龍馬は贔屓の近江屋に、脱出することが出来る隠れ家を土蔵に造っていたとされている。暗殺された日は、風邪で龍馬は土蔵ではなく、来訪した中岡慎太郎と近江屋のニ階で、好物の京都「鳥彌三」の鶏の水炊きを食らい乍ら歓談していた。

 部屋には二人の他に、龍馬の護衛でもある元・力士の山田藤吉。そこに南大和の「十津川郷土」と名乗る男らが訪ねて来る。山田がその客人らを疑わずに通した。

 部屋へ向かう途中に山田は後ろから斬られ、続いて龍馬も殺されている。ドラマなどで仄聞されている様な「わしゃ脳をやられちゅうきダメじゃ」という台詞を吐く間もなかったであろう即死に近く、中岡はこの襲撃からニ日後に亡くなっている

 龍馬は北辰一刀流の免許皆伝というのが歴史的に語られているが、事実は北辰一刀流の「長刀」、つまりは「薙刀」の名手で剣術ではない。西洋流砲術も学びはしたが、実際には剣の腕前はそれほどではなかったというのが真実だろう。

 冒頭の龍馬の有名な画像を見ても分かるが、拳銃を懐に仕舞っているという立つ姿だが、刀がだらしなく下げられている。どう見ても剣術の達人には見えない。

「寺田屋事件」で龍馬は短銃で応戦はしたとされてるが、弾丸が切れたにも拘らず刀で応戦せず、不様に短銃を振り回して、両手に数か所の深手を負った。こうしたことをしても、龍馬は北辰一刀流剣術免許皆伝の応対とはとても思えはない。

 寺田屋事件での傷を癒す為に妻のお龍さんと共に薩摩の温泉に行くのだが、歴史的にはこれが新婚旅行の最初とされている。だが、これもまた根拠の無いもので、薩摩の家老・小松帯刀がそれより十年程早く、霧島へ新婚旅行へ行ってるそうだ。

 歴史が物語として語られる時は、必ずしもその人物の真実を伝えているとは限らない。書き手の主観が入ったり、読み方一つでその生き様や歴史も変わってしまうもの。坂本龍馬が歴史教科書から消えるというのは何となく分かる気がする。

 坂本龍馬こそが幕末の薩長連合の立役者と持て囃され、暗殺の謎が謎を生み、そして歪曲され、また想像されて龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されて行った。そんな龍馬とは何者だったのか。龍馬とは、分かり易く言えば武器商人に他ならない。

 そんな龍馬から学ぶものは、幕閣とも勤王の志士とも通じ、薩長連合の仕掛け人足り得たのは説得の技術、つまりは話す言葉がズバ抜けていたことだろう。

 幕藩体制下に於いて「横議横行」を勧め、「脱藩せよ!」と叫んだのが吉田松陰だが、その「横議横行」を実践した人物として最も有名なのは坂本竜馬だろう。

「横議横行」とは、自由気儘に各地を歩き回り、出合った人達と大いに議論し語り明かすことだが、幕藩体制下では藩の領地から出ることさえ儘ならなかった。

 明治維新は、こうした幕藩体制の陋習を、龍馬を始めとした草莽の志士らが打ち破り、横議横行の実践したことに拠るものだと言っても過言ではない。坂本龍馬が靖國神社に祀られてるのは、幕末の志士らと大いに天下国家を語り合ったからだ。

 大衆の心を引き付けるのは自ら発する「言葉」を以て他に無い。龍馬は正に「言葉の達人」だったのではあるまいか。更にもう一つは、彼が「歩く人」だったことだ。交通の不便だった時代に、龍馬は実に驚くほどの距離を行き来している。

 多くの人と顔を突き合わせ話し合い、一献を傾けて打ち解ける。こうした出会いと邂逅こそが自己確立に繋がり、延いては混濁した時代をも変える原動力となる。

「袖する合うも他生の縁」と言う様に、思想信条が違えども遠慮することはない。どんな相手でも必ず共通の話題があるもの。共通の話題がないということは、人生経験が少なく視野が狭い証でもある。雑駁でも色々な知識を身に付けるべきだ。

 別に難しいことなんぞ話題にせずとも、スケベなことや趣味など、あり触れた日常から感化しオルグすることだ。そこで、場数という人生経験がものを言う(笑)

 オルグとは左翼の専売特許でもあるが、右翼人や保守派に足りないものは、こうしたオルグ(大衆運動)である。今どきの右翼は仲良しクラブの様なもので仲間と盛り上がるが、仲間の拙い点を見ても見て見ぬ振りをするのは如何なものか。

 誰かの請け売りの下手くそな演説なんぞオナニーの様なもので、身内さえも感化されることはない。それより、近所の焼き鳥屋などで隣り合わせた人と語ってみることだ。そうした対話が思想形成に役に立つ。横議横行するべし。呵呵。

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2024年04月04日

君、狂え給え!(吉田松陰)

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 画像は、愚生が所属していた防共挺身隊の初代総隊長・福田進の父であり、「進め社」「日本労農党」の福田狂二(素顕)である。如何にも国士の面構えだ。

 中核派の「前進社」も、この「進め社」のパクリ。国内では警察や国権から弾圧を受けて、支那に亡命。その後、国共戦を経て蒋介石と共に台湾へ転進する。

 伝説の日本人革命家であり、左翼にも狂二の信奉者は少なくない。大江志乃夫著「凩の時(筑摩書房、1985年/ちくま学芸文庫, 1992年)」の主人公でもある。

 日本に帰国すると名を「素顕(そけん)」と改め、国家社会主義者に転向し「防共新聞」を創設、主幹となる。その行動部隊が愚生が所属した防共挺身隊だ。

「狂」という字を「頭が狂った」と捉える人が殆どだが、「狂」とは陽明学の「狂」であり、「狂」の思想は王陽明が「伝習録」で訓えたものと言われている。

1 河井
 陽明学を実践した偉人といえば越後藩家老の河井継之助。「越(ほくえつ)の蒼竜」と称され、幕末に於いて長岡藩の近代化に努力した英雄であり、愚生が最も尊敬する武士である。長岡藩士120石取りの代右衛門秋紀の子として生まれる。

 幼少の頃から腕白で、人の忠告を素直に聞かない強情張りであった。そうした性格は大人になってからも変わらなかったという。少年時代は、藩校で古義学(こぎがく)を学び、成長するとともに実践重視の「陽明学」へと傾倒していった。

 17歳の時に継之助は、鶏を裁いて王陽明を祭る祭壇に鶏肉を供え、人民と藩是の為に立志し誓明したという。青年期には読書に没頭し、良書を見つけるとその書だけを何度も読み返し、一字一句を書き留め暗記し、我が身の行動の規範と成した。

 嘉永5(1852)年、継之助は江戸に遊学し、佐久間象山、古賀謹一郎に師事。だが、象山の尊大さと理屈を捏ねる腹の曲がり具合が気に食わず遠ざかった。

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 継之助が生涯を通じて敬服した人物は、備中松山藩の儒者・山田方谷。自ら松山藩まで足を運び、直接、方谷から陽明学を学び、藩政改革の方法を習得したという。継之助は、方谷を「希代の英雄」と讃え、方谷が唱える思想を熱心に学んだ。

 方谷は後に、「河井は豪すぎる。豪すぎることが幸福な結果になるか、不幸を呼ぶか」と語ったというが、結果は後者の方であった。1ヶ月半ほどの遊学であった。

 別れの朝、継之助は対岸の街道の路上に土下座し、師匠の小さな姿を伏し拝んだ。人を容易に尊敬することのない男が土下座したのは生涯これが最初で最後だった。

 陽明学とは、簡単に言えば「知行合一」という教えである。「言葉にしたことは必ず実行する」という「知行合一」は極めて陽明学的思考である。逆を言えば、「実行できるかどうか分からないことは言葉にしない」ということでもある。

 自分の発言には自ら責任を課していることを意味する。陽明学は、先ず「志を立てる」ところから始まり、その志を「行動に昇華する」ことで終結する。

 つまり、例えば政治家を志すにしても、自分の言葉に責任を持ち、自らが率先垂範して国民の模範となることが大事であり、そしてそれは親に対する孝と国に対する忠であり、「忠孝」が源でなければならないのは言うまでもない。

 陽明学は、人間の格位を「聖賢」「狂」「狷(けん)」「卿愿(きょうげん)」の四つに分けている。孟子はこれを注釈し「聖賢」とは知識・人格に優れた人物。

「狂」は理想主義。「狷」は不潔を潔しとしないもの。「郷愿」は世俗と歩調をあわせた風俗とし、徳の賊(道徳家を装って郷里の評判を得ようとする俗物)だとした。

 要するに、「狂」というのは、「理想を高く持ち、何の虚飾も隠し立てもなく、心の赴く儘に率直に行動すること」であり、分かり易く言えば、「一心不乱」ということである。一つの信念に向かって脇目もふらずに突進することである。

 また、「もし過失があれば改めさえすればよい」とする臨機応変的なものでもあり、世俗社会の常識に対し果敢に挑戦する「実践的理想主義」とも言えるのだ。

 自分の行動を「狂挙」と敢えて言える為には、歴史を見つめる「冷静な目」が必要である。この「狂」の精神こそが、明治維新への道と切り開く転換点となったと言っても過言ではないが、一部の志士には狂った者もいたのも確かだろう。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時に生まれる常軌を逸した行動こそが、「正気」の「狂気」であり「狂挙」である。それは山口二矢、三島由紀夫と森田必勝、更には野村秋介らの行動こそが狂気という正気の行動である。

 この「狂気」の「狂挙」こそが、現状打破の大きな力となり得るのだが、愚生を含め、右翼民族派に「狂気」という言葉はない。つまりは本気さが足らないということ。吉田松陰も、こう訓えているではないか。「君、狂い給え!」。呵呵。

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2024年04月03日

現代で使われている漢字(日常用語)の殆どは日本製である

 江戸時代末期、ペリーの黒船来航し西洋文明が国内に入り込むと、先人らは英語などの言語や表現などの概念を翻訳する必要に迫られた。その結果、数千数万語の和製漢語が創られた。現代で使われている漢字の殆どが日本製なのである。

 日本の漢字用語は西洋の語彙を日本語に置き換えたもので、漢字表記で外国文化を知ることが出来る様にした。この「漢字」こそが日本の文化と言っても過言ではない。尤も、現代のシナ人には日本人の様な芸当は出来ないし、そんな智慧も無い。

 中共国内で使用されている、「人民共和国、共産主義、共産党、革命、左翼、唯物論、社会主義、政治、法律、演説、警察、芸術、哲学、自然、自由、新聞、通信、鉄道、交通、文学、歴史・・・」等等、日常用語は、実は総て日本製の漢字。

 過去に、人民日報の姉妹紙でもある「環境時報」が、中共国内で使用されている「日本式漢字語」の実態を説明しつつ、無分別に使われている和製漢字語導入を巡り、一世紀前の支那大陸で戦わされた論争を紹介して注目を引いたことがある。

 環境時報の記事に拠れば、現在、中共国内で使用されている社会や人文分野の用語の実に約70%が、日本から導入された外来語(日本語)だというから驚く。

 清朝末期、日清戦争に敗北した支那大陸では、庚有為(こうゆうい)が中心となって「維新変法」(自主的な近代化の試み)を進めたが、その取り組みが保守派の抵抗で挫折した後に、和製漢字語が本格的に流入し始めることになったという。

 日清戦争後から、シナ人は近くに存在する極東の日本に注目し始め、近代化を目指す多くの留学生が西欧の文物を間接的に学ぶ為に、日本に渡り始めた。

 近代シナの代表的知識人として知られている梁啓超(りょうけいちょう)も、和製漢字語の普及に大きな影響を与えた一人である。彼は日本に亡命し、日本の小説などを中国語に翻訳し、自らが創刊した「清議報」に連載するなどした人物でもある。

 シナに於ける和製漢字語研究の第一人者である王彬彬(おうひんひん)は、「我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものであり、中国と西洋の間には永遠に日本が介在している」との意見を述べている。

 中共も「反日」を徹底するなら「和製漢字」の使用禁止にしたら如何と思うが、「和製漢字」を捨てることは不可能だし混乱を極めることは必至。尤も、無恥で厚顔不遜な連中のこと、使用してる漢字が「日本製」だと認めることもないだろう。

 日本国内でも未だに中共や習近平に阿り、日中関係を「一衣帯水」だとか「同文同種」だからと信じて御先棒を担いでるバカな連中が後を絶たない。だが、断じて我が国と中共との関係は「一衣帯水」でもなければ「同種同文」などでもないのだ。

 607年、聖徳太子が小野妹子を派遣し「日出ずる国」と「隋」との対等外交に踏み切り、645年「大化の改新」を実現する。大化の改新から18年後の663年、白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶つこととなった。

 その後、遣唐使が約250年間、菅原道真の献策によって廃止されるまで派遣され、唐の文化が、奈良時代の平城京を中心とした天平文化に影響を与えた例はある。

 然し乍ら、国書を携えて派遣したのは、侮蔑して止まない「倭国」としてであり、「日本」と名乗ってからは一度足りとも正式な国書を携えた外交はない。

 明治4(1871年)年、我が国が「日清修好条規」を結んだ相手は「清朝」であり、満州人は大陸を支配はしていたが漢民族ではなかった為に、シナとの正式な外交は、明治45年(1915年)の「中華民国」誕生まで待たなければならなかった。

「日清修好条規」を結ぶ迄の約1200年に亙り、日本列島の中で独自の日本文化を熟成させた。大陸からの漢字に「音」と「訓」を付け、ひらがな(のちにカタカナ)を付け加え、大和言葉を表現しシナとは全く別の文字体系と文化を創造した。

 一方のシナ大陸では、戦乱に次ぐ戦乱が度々起こり、易姓革命の連続で国内での文字文化の発達は全く止まった儘だった。多民族が混在するシナ大陸は正に人種の坩堝であり、統一された国家としての連続した歴史は存在しないのである。

 シナの歴史は陰謀と策略の権力闘争を繰り返した。契丹族の「遼」、タングリート族の「西夏」、女真族の「金」、モンゴル人の「元」、満州族の」清」でも理解出来よう。異民族に因る征服王朝の時代を含め、易姓改名の原則の下に「族滅」し、王朝が変わる毎に歴史や文化が断ち切られて来たというのが歴史的事実である。

「中国4000年の歴史」や「漢民族」にしても空想的な概念と言わざるを得ず、「4000年の歴史」なんぞ嘘っぱち。中共も1949年に出来た新興国に過ぎない。

「三国志」や「水滸伝」などの英雄なんぞフィクションに過ぎず、孔孟の教えも日本人が好意的に伝え実践しているだけ。朱子学や陽明学は日本人の方が優秀だ。

 日本人は異文化を吸収し、より善いものを生み出す国民性であり、親中派が宣って止まない「日本と中国は同文同種、一衣帯水である」との認識は間違いである。

 我が国は、世界の中で最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家であり、民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度は日本国独自のものである。今こそ我が国は、聖徳太子に倣って共産党一党独裁の中共との交流は一線を画すべし!

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2024年04月01日

ウソに隠された真実や真意を見抜ける能力を身に付けることが大事

 今日はエイプリルフール。日本語だと「四月馬鹿」とか「万愚節」という。悪意ある嘘は論外だが、「嘘も方便」という様に嘘とは相手への思いやりや優しさが込められたものでなければならない。洒落の効いいた嘘は周りを和ませる。

 嘘の中でも、釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られたというのは最大の噓だろう。だが、こうした噓に拠って、人々が抱く死の恐怖を軽くすることで民衆の心に安らぎを与えた。キリストも「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきた。

「人は小さな嘘には騙されないが大きな嘘には騙される」とはアドルフ・ヒトラー。「地獄」「極楽」「天国」なんてのは大きな嘘の典型でもある。葬式仏教のインチキ坊主やインチキ宗教家らが何を言おうが、人間死んだら終わり。「無」だ。

「極楽浄土」なんてのは自分よりも劣る者や弱い者を助け、与えられるか。難渋している人に、如何に施しをしてあげられるか。現世の苦しみや悩みを自分なりに努力して救ってやることこそが極楽浄土であると、愚生は単純にそう考えている。

「不妄語戒(ふもうごかい)」という仏語がある。「嘘偽りを言ってはいけない」という戒めの一つだが、これもまた嘘の典型の様なもの。人というのは見栄を張り、嘘や偽りを騙る性分なので、そうした自戒を込めた箴言なのだろう。

「五戒」とは「不殺生戒(ふせっしょうかい)」。生き物を害してはならない。また他人に殺さしめてはならない。また他人が殺害するのを容認してはならない。

「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」。他人のものを盗んではいけない。また他人をして盗らせてはならない。また他人が盗るのを認めてはならない。

「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」。不道徳な性行為を行ってはならない。これは、不倫や強姦を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含まれる。

「不妄語戒」。嘘をついてはいけない。また他人をして偽りを言わせてもならない。また他人が偽りを語るのを容認してはならない。

「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」。酒を飲んではいけない。また他人をして飲ましめてもならない。また他人が酒を飲むのを容認してはならない。

 愚生的に「不飲酒戒」や「不邪婬戒」を守るのは絶対無理。ホント、仏教徒じゃなくて好かったと思うが、仏教徒でこの五戒を守ってる人なんていないだろ(笑)

 政治家の世界というのはホンネは出来るだけ出さない方が好いとされている。善し悪しは別に、日本の政治家にとって腹の中を見せないのは独自の伝統でもある。

「嘘は泥棒の始まり」「嘘を吐くと閻魔様に舌を抜かれる」など、嘘は悪いものだと教わって来た。だが、現代は「嘘は政治家の始まり」というのが当たり前となり、そうした嘘吐き政治家を国民の代表として戴くことは国民の不幸でもある。

 嘘を吐くにもやはり洒落が欲しい。「嘘は世情の宝」ともいうし、噓というのは世間や周りの人達を和ませるものが好い。「講釈師見て来た様な嘘を吐き」なんてのもあるし、嘘だと分かっていても、ついついニヤッとして笑えるのが好い。

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんていうのがある。今でいうとキャバ嬢やホステスだろうか。「手練」とは人を思うままに操り騙す技巧のこと。

 酒飲みの男性なら、スナックやクラブで隣りに座ったホステスの嘘や笑顔を勘違いして、ついつい熱くなって店に通い続けたという経験があるだろう(笑)

「商人は損と求めて蔵を建て」というのもある。商人の「儲かりません」というのも多くは嘘だ。口では「儲かりません、儲かりません」と言いながら、大きな蔵を建てるなんてのはよくある話し。今なら豪邸や高級自家用車だろうか。

「紺屋(こうや)の明後日」なんてのも笑える嘘だ。愚生の実家のラーメン屋で出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じ(笑)

 嘘には好い嘘と悪い嘘があるのは理解しているだろう。自分の為や言い訳がましい嘘は感心しないが、周りを安心させる様な、また和ませる様な嘘ならば吐いても差し支えはない。そんな「好い嘘」も吐けないのは正直というよりバカ正直。

 真面目を通り越してバカ正直というか、そんな輩は世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんなバカ正直な人も最近はめっきり見かけなくなってしまった。報道(噓)に隠された真実や真意を見抜ける能力を身に付けることが大事である。

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