2024年03月

2024年03月30日

「桜」は正に日本人の心の文化と美意識の真髄である!

 靖國神社境内の「迅雷桜」が綻び、東京都で「開花宣言」が出された。約一週間後には満開になる。例年、8月15日の靖國参拝が話題になるが、英霊の方々が「九段の桜の下で会おう」と遺書に認めた様に、桜満開の靖國神社は素晴らしく感慨深い。

 桜満開の靖國神社に詣でる様になったのは、知人のヤクザが、桜満開のシーズンになると友人や知人らを連れ毎年靖國神社を訪れていて同道したのが最初だった。

 そのヤクザ曰く、「以前、九州にゴルフに行った際に知覧特攻基地の話しを聞いてから参拝してる」と言っていたことに感銘を受けた。もう彼是30年以上前のこと。

 靖國神社に同道した際、「何だ、ヤクザのオレが終身正会員なのに『靖國神社国家護持』と言ってる右翼が終身会員に入ってないのかよ?」と揶揄われて、なけなしの5万円を支払い即入会したのを思い出す。今では有難かったと感謝している。

 毎年四月の第一土曜日には、参道に建つ大村益次郎の銅像の下で「靖國神社の桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」が催される。友人らと参加したのが懐かしい。

 今年は満開の桜の下での催しとなるだろう。自然発生的に靖國神社に集う日本人の多さを見れば、左翼陣営が席巻し様と未だ未だ日本も大丈夫だと感じる。

 愚生は靖國神社に詣でると先ずは本殿左手に在る「鎮霊社」に参拝することにしている。鎮霊社には、賊軍とされた会津藩や我が故郷の二本松藩、西郷隆盛などの幕末の時代に悲運の運命を辿った方々や全ての戦没者がこの小さな社に祀られている。

 靖國神社側が、宗教的な敬虔さを示す為に「鎮霊社」を設けたことは高く評価されるべきであろうが、未だに「朝敵」とされ、死後も尚、本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状を鑑みれば、真に「靖國」の意味が在るのか疑わざるを得ない。

 明治天皇の思し召しに拠り建立されたその趣旨を鑑みれば、賊軍とされた先人の名誉回復こそが先ではないかとの思いが募る。未だに名誉回復は愚か本殿への合祀が成されないのは、靖國神社の創立に長州藩が大きく係っていたことが要因である。

 戦後政治の総決算も好いが、大東亜戦争の大義とGHQに因る不条理を検証することは当然であるが、薩長閥の明治維新の諸矛盾も考察すべきであると考える。

 靖國神社とは正に長州閥が産んだ歪な追悼施設でもある。敷地のど真ん中に「大村益次郎」の銅像が、それをよく示している。「大村益次郎は上野に在る西郷隆盛の銅像を睨んで建っているんですよ」と、タクシーの運転手に聞いたことを思い出す。

「靖國神社の桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」は、その大村益次郎の銅像下の特設ステージで行われる。「海ゆかば」が流れる中、英霊に対し黙祷を捧げ、献杯、女性コーラス隊が登壇し、愈々「歌う会」という名の大軍歌大会が始まる。

 間髪を容れず次々と歌われて行くのだが、大声で、立ちっぱなしで歌っていると結構疲れる。程程愉しんだら中座し、直会に向かう。この直会が目的でもある(笑)

 桜を愛でるにもやはり酒は欠かせない。靖國神社の近所では九段下の「政寿司」が好い。贔屓にしてる浅草小島の「秀鮨」はネタや握りも然ること乍ら、江戸っ子の秀さんの粋を愉しめる。事務所の在った田園調布界隈では、長嶋茂雄終身名誉監督が足繁く通った「鳥鍈」も懐かしい。その近所の鰻の名店「平八」での一献も好い。

 鰻重といえば石川台の「鰻家」が愚生的に日本一。鰻重は前以て注文し、鰻重が提供される前に焼き鳥や茶碗蒸しで一杯。ここの茶碗蒸しは珠玉の味わいなんです。

 浅草なら「飯田屋」。「駒形どぜう」が有名だが、愚生的には飯田屋が好きだ。飯田屋で料理を楽しんだ後は「神谷バー」。電気ブランが有名だが、電気ブランのソーダ割が美味い。チョッと薄めなので、電気ブランを加えるのがおススメ。

 赤羽の「米山」はモツ焼きの名店。最近は御無沙汰してるが、あの雰囲気は呑兵衛には堪らない。ここは、前以てモツ焼きなどを注文するのだが、高級フレンチじゃないが豚肉メニューのフルコースを楽しめる。ただ、オヤジが偏屈なので御注意を。

 野村秋介が愛した蒲田の「八幸」や、赤羽の鰻屋の名店「川栄」も捨て難い。久しぶりに奥村女史と同道し一献やりたいなぁ。あの豪快な呑みっぷりは惚れ惚れする。何だかんだと言い乍ら、愚生の場合は桜より団子じゃないが一献目当て(笑)

 九段の靖國神社界隈に咲き誇る桜は英霊の声だ。「桜」は古代から日本人に最も愛され親しんだ花だろう。それだけに桜への憧れや哀愁を詠んだものは多い。

「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心ものどけからまし(在原業平)」

「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花(本居宣長)

「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃(西行法師)」

「風誘う 春よりもなお我はまた 春の名残りをいかんとはせん(浅野内匠頭)」

「散る桜 残る桜も散る桜(大愚良寛)」

 日本人にとって花といえば桜。桜は死に際の潔さで昔から武人、軍人精神に好まれた花でもある。九段の桜、同期の桜、愛国の桜。陸軍の徽章は桜、海軍は桜に錨。靖國神社の紋は菊に一重桜。「桜」は正に日本人の心の文化と美意識の真髄である。

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2024年03月29日

プロ野球選手団の靖國神社参拝を熱望して止まない!

 プロ野球が開幕する。その昔は、福島県内ではジャイアンツ戦しかテレビ中継しなかった。ジャイアンツファンというより熱烈的な長嶋茂雄ファンなので、どうしてもジャイアンツの結果が気になる。今年は日本一に返り咲いて欲しいものだ。

 野球が当たり前にやれなかった時代がある。支那事変が勃発すると、国内では娯楽というものが消えて行く。プロ野球もその一つだった。野球選手が大好きな野球も出来ずに祖国の為に尊い命を投げ出されていることを国民は知っているだろうか。

 平和を謳歌し、好きな野球をやれるという当たり前のことを再認識する為にもプロ野球選手団は、開幕前に靖國神社に参拝して欲しい。先の大戦で犠牲となり英霊となられた先輩方に感謝の誠を捧げることを熱望しているが未だ実現されてはいない。

 靖國神社を参拝することで、平和の尊さと野球がやれる有難さを実感すれば選手としての思いもまた違ってくるだろうし、プロ野球人気も高まることだろう。

 読売ジャイアンツは宮崎キャンプインの際に恒例だった宮崎神宮への参拝を個人の信仰の自由(創価学会員の選手)を優先して取り止めたことは記憶に新しい。

 必勝祈願でさえ宗教行為と認識してる様では靖國神社への参拝は困難を極める。プロレスや大相撲は、定期的に靖國神社にて奉納試合や奉納相撲を行ってる。

 プロレスや大相撲に比べプロ野球選手団は、先人への感謝や想いというものが乏しいのではあるまいか。他のプロ選手も靖國神社へ詣で頭を垂れて欲しいものだ。

 先の大戦で亡くなられたプロ野球選手は、我々が想像している以上に多い。試合の途中で出征した方や、幾度かの戦火を潜り抜けて帰還し、再び出征して終には戦場に斃れた方など、実に69名もおられる。この方々は靖國神社に祀られている。

 護国の鬼となり、散華された英霊の中でも有名なのは、東京巨人軍(読売ジャイアンツ)の澤村榮治投手だろう。澤村投手がどんなに凄い選手かは説明するまでもないが、年間最優秀投手に与えられる「沢村賞」はプロ野球選手の最高の名誉である。

 澤村榮治選手は野球だけではなく、普段の何事に対しても真摯な態度で挑む人だったらしく、人としても実に立派な方だったという。巨人軍の教えである「巨人軍の選手たるもの紳士たれ」とは澤村選手を見習ってのことだろうと思っている。

 背番号「14」は永久欠番となっているが、ベーブルースを三振にしたくらいで永久欠番になる訳はないだろう。プロ野球選手であるが愛国心捨て難く、異国の地で散華されたその崇高な精神を忘れない為のものであることは言うを俟たない。

 名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)の石丸進一投手と朝日軍(現・横浜DeNA)の渡邉静内野手は特攻作戦に参加しており、沖縄戦で散華されている。

 石丸投手は、鹿児島県の海軍鹿屋基地から出撃の直前に最後のキャッチボールをして飛び立ったという。数時間後の死を前にどんな思いでキャッチボールをされたのだろうか。これこそが渾身の悩みであり、その心中を察するに余りある。

 渡邉静選手も石丸選手と同じく海軍鹿屋基地から沖縄へ出撃している。夢見て憧れて入団したプロ野球人生での打席はたった二度しかない。戦争が悲しい現実を彼に与えてしまった。さぞ心残りだったろうが、未来を後輩に託して散華されたのだ。

 彼らは野球への情熱を「特攻」というカタチでその尊い命を捧げ、沖縄を戦い、そして祖国日本を死守すべく見事に散華された。プロ野球選手団はそれに応える意味でも開幕前に靖國神社に参拝し、先人の御霊に感謝の誠を捧げるべきだと思う。

 現代の平和や繁栄は、英霊の犠牲の上で成り立っているのだ。自らの命を犠牲にすることで、祖国日本や家族、故郷や友人ら愛するものを守るという彼らの至高の精神を決して忘れてはならない。プロ野球選手団の靖國神社参拝を熱望して止まない。

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2024年03月28日

「女性天皇」と「女系天皇」の違いも解らないから騙される

 男女共同参画の現代の安っぽい価値観の流れで皇統を論ずることには違和感しか無い。以前、facebookで友達になってた女性が「女性が天皇になっても良いと思います。差別化して欲しくない」というコメントを貰ったことがあったのを思い出す。

 このFBFもそうだが、「女性天皇」と「女系天皇」の違いが解らない国民が殆どで、天皇が最も重んじるべき祭祀の重要性を知ることもなく、憲法下での国事行為を理解していない故に、流行りのジェンダー平等論と天皇を同列に扱っている。

 反天皇・天皇廃止運動を実行してる勢力は、マスコミに因る「開かれた皇室論」から国民の皇室への尊厳を薄れさせることに成功させた。男系優先主義に疑問を呈し「女性は天皇になれない」と世論誘導するなど如何にも巧妙で悪質である。

 女性は天皇になれるが、女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを理解していない。天皇としての祭事の重要性を理解していないから女性天皇論を安易に語れる訳で、こうした風潮は逆に天皇を軽んじてる証左と言えよう。

 女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、「今後は一般国民としての生活を重んじよ」との天皇や宮家当代の思し召しであり優しさの顕れ。そういう大御心も理解せず安易に女性差別であるかの様に女性天皇論を語ることは不敬極まりない。

 過去には左翼の巣窟である「国連女子差別撤廃委員会」が、男系男子に限られている皇位継承に関し女性差別を理由に皇室典範の改正を強要した。こうしたことこそ女性差別という名を利用した日本差別であり、こうしたものに与してはならない。

 過去には八人十代の女性天皇が存在した。その八人とは、第三十三代推古天皇、第三十五代皇極天皇、第三十七代斉明天皇(皇極天皇と同一人物)、第四十一代持統天皇、第四十三代元明天皇、第四十四代元正天皇、第四十六代孝謙天皇、第四十八代称徳天皇(孝謙天皇と同一人物)、第百九代明正天皇、第百十七代後桜町天皇。

 八人十代の女性天皇の全ては男系である。敬宮愛子内親王殿下が天皇に即位された場合、それは男系の九人目の女性天皇となる。男系女性天皇のうち、配偶者に恵まれたのは推古天皇、皇極(斉明)天皇、持統天皇、元明天皇の四人だけ。元正天皇、孝謙(称徳)天皇、明正天皇、後桜町天皇は配偶者を持つことはなかった。

 悠仁親王殿下が即位しない限り皇統は潰える。皇位継承順位第一位が秋篠宮殿下、第二位は悠仁親王殿下となるが男系男子は悠仁親王殿下唯一人であらされる。GHQが謀った皇統の危機的現状は、臣籍降下させられた旧皇族を復帰させれば盤石なものとなるが、「女性天皇」と「女系天皇」を謀る勢力はそれを許すことはない。

 反天皇の不逞の輩らは、「皇籍復帰は現代にはそぐわない」とか、「男系男子を増やす目的だけで」だとか、彼是と理由を吐けては反対しているが、皇籍復帰を実現させ、若年皇族や幼年皇族には皇族としての帝王学を学ばせれば好いだけのこと。

 喩え、女性天皇が誕生したとして、その女性天皇と結婚出来る資格のある国民がいるとも思えない。若し、いるとすれば旧皇族なのだろうが、ならば、早々に旧皇族の皇籍を復活させ、天皇を盤石の安きに置くべきで、養子縁組とは順序が逆である。

 皇籍離脱させられた旧十一宮家の方々は北朝第三代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。旧宮家が皇籍復帰すれば男子成年皇族は二十名以上になる。

 皇位継承は神武天皇以来の「男系」の血筋が絶対であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは近年の反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは、「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

 内「伏見」「閑院」「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」は断絶しているが、東久邇家には、歴代天皇と男系で繋がる男子が七名おり、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が五名、更に四名の男児が生まれている。久邇宮に男児一名、賀陽宮に成年男子二名、竹田宮に男児一名と若い男子皇族がおり、皇籍復帰で皇統は安泰となる。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。

 秋篠宮皇太弟~悠仁親王殿下の継承は決まっているが、東久邇家以外にも十名以上の男系男子がおられる。「皇統の危機」は旧宮家の皇籍復帰を成すことで盤石となる。だが、敬宮愛子内親王を即位させ皇統断絶を謀る勢力がそれを許さない。

「長く民間人だった人が皇族になることに違和感がある」とは付けたりに過ぎない反対理由である。宮家は王室ではなく、祭祀を継承しているに過ぎない。天皇こそ祭主であるが、現憲法下で国事行為を行うだけの政府の都合の好い傀儡と化している。

 宮家を再興するということは、男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、何より、皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにあると知るべし。

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2024年03月27日

任侠道を忘却したヤクザが暴力団と誹られるのも当然である

 全国の右翼団体の殆どがヤクザと関わりがあり、悲しいことにヤクザの傘下団体に成り下がっているのが現状でもある。右翼陣営の弱体化は指導者不足と資金確保の問題が大きいが、暴力団傘下に甘んじたことが少なからず要因となっている。

 斯くいう愚生もヤクザの友人はいるし、所属してた防共挺身隊は山口組のケツ持ちだった。任侠精神や反権力、反骨精神では与するものはあるが、資本主義の落とし子の様なヤクザに、反資本主義の右翼が配下になるというのも可笑しなことだ。

 況してや昨今のヤクザに任侠精神は無く全てがカネの世界に成り下がった。暴対法や暴排条例の施行で暴力団では食べられなくなり、組織に与しない半グレが暴力団以上のシノギをして幅を利かす。こうしたことを招いたのもヤクザの為体が原因。

「任侠とは、弱い者を助け、強い者を挫き、義の為には命を惜しまない気風」のこと。そういう意味では、昨今のヤクザより愚生の方がその気風は逞しい(笑)

「ヤクザ」というのは、「おいちょかぶ(花札)」の八九三の札の意味で、八(おいちょ)と九(かぶ)と三(さんた)を足すと二十でゼロとなり「ブタ(どぼん)」となる。つまりは「役に立たない」「つまらないこと」という意味だ。

「暴力団」という呼称は戦後に警察やマスコミが命名した言葉だ。「任侠道」を謳ってい乍ら、やってることは振り込め(特殊)詐欺やら覚醒剤などの違法行為と弱い者イジメ。任侠道を忘却したヤクザに「暴力団」という名前はピッタリ(苦笑)

 己のことばかりで何の役にも立たなくなったヤクザに対して、「暴力団対策法」や「暴排条例」の施行は悪因悪果であり自業自得である。そんな現状なのに「ヤクザの人権が~」などと暴力団側に立って訴えてる右翼ってのも嗤うしかない。

 山口組四代目・竹中正久組長は「わしらにも人権はある。人殺ししたとしてもやなあ、裁判受けとるやないか、ええッ。わしが犬か豚か虎か狼やったら、人殺しても裁判受けさすか。せえへんやろ。人間やから裁判受けさせるんや」と語っている。

 ヤクザの中で山口組四代目の故竹中正久という人物が好きだ。如何にも武闘派という面構えだが、驚くことに刺青はしていなかったというのも驚いたっけ。

 右翼もそうだが、警察に媚び諂うヘタレヤクザが多い中であの反骨精神は尊敬にも値する。元検事の三井環は竹中組長の取り調べの様子をこう振り返っている。

「捜査や取り調べというのは戦争なんですよ。戦争とは荒いことをやります。相手をやるかこちらがやられるかが戦争なんです。私は29年検事をやりましたが自白をしなかったのは3人しかいなかった。一人は竹中正久で後の二人は中核派です」

 ヤクザは完全な資本主義である。反共は基より、反民主主義で反資本主義であるべき右翼もやってることはヤクザと変わりない。ヤクザブルの右翼が暴力団の傘下になったのも当然で、頭の中はヤクザと同じ金儲けと所帯染みたマイホーム主義。

 そんな拝金主義のヤクザや右翼が当たり前になったのは平成に入ってからのこと。昔のヤクザというのは任侠道を重んじていたし、右翼も反骨精神があった。堅気を苛めず、カネは追うものではなく後から結果として付いてくるものと信じた。

 昭和時代の高倉健や勝新太郎の任侠映画がそうだが、悪を懲らしめ正義が勝つといった勧善懲悪に国民は興じた。その後、菅原文太の「仁義なき戦い」の頃になると抗争事件が主題となり、最近のVシネマに至っては完全な暴力団と化した(笑)

 誰が言ったのか知らないが「ヤクザはカネも器量の内」だとか「ヤクザはイイオンナ連れてイイ車に乗らなきゃ」というのが当たり前の価値観となった。カネや外見でしか判断することがないから、見栄や虚勢を張って己を大きく見せ様とする。

 愚生も付き合いから何百人、何千人と色んなヤクザを見て来たが、ホンモノは極々僅かしかおらず、ヤクザの空ツッパリと根性無しはホント嗤うしかない。

 ヤクザの傘下団体に納まった右翼に魅力はもう無くなった。今は右翼団体を辞めてヤクザとの柵もなくなってお蔭で清清したというのが正直なところ(笑)

「仁義なき戦い」の舞台にもなった広島県呉市の商店主の言葉をSNSで読んだ。「ヤクザなんぞなんにもかっこええもんじゃありゃせんわ。ほんまに強えやつは決してヤクザにゃならん。一対一じゃ勝てんから群れる。好き勝手暴れて怖いから殺す。人の横車を押して無理難題を押しつけて、あいつらはただそれだけのことじゃ」

 幡随院長兵衛の様な町奴(まちやっこ)がヤクザであり、強きを挫き弱きを助ける気風が無くてはならない。任侠道を忘却した暴力団を排除し、ヤクザに任侠精神を涵養させたいと思うが、任侠道とは程遠いヤクザにその声が届くことは無い。

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2024年03月22日

大谷翔平選手の水原通訳がドジャースから解雇という衝撃的なニュース

 米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手の水原一平通訳が、スポーツ賭博への関与が指摘されて球団から解雇されたという衝撃的なニュースが飛び込んで来た。

 SNSでは大谷翔平選手を気遣う意見が大勢を占めていたが、「実は水原一平ではなく大谷翔平がスポーツ賭博に手を染めてて水原通訳が身代わりになった」というツイートが目に留まった。炎上目的なのか妄想逞しい意見には厭きれるばかり。

 ギャンブルに嵌った水原通訳を大谷選手が助けてやったというのが真相だろう。だが、喩え好意であっても資金を融通したことが事実なら共犯に取られる可能性も。

 大谷の口座を使ったことは「(スポーツ賭博が)違法ではない」という認識からだったということを窺い知れることが出来るが、軽挙妄動の誹りは免れない。

 そこで弁護士を介して「水原通訳が自分でやったこと」にせざるを得なくなり、窃盗罪での告発に至ったのだろうと推測する。捜査の進展如何では大谷選手の処分の可能性も拭えないが、こんなことで選手生命を絶たれることがあってはならない。

 スポーツ賭博は知らないしパチンコはやらないが、愚生は競輪・競馬が大好き。身を亡ぼす様な賭け方はしないが、分相応に愉しんでいる。水原通訳もギャンブル依存症などと言い訳してるが、己を知り、分相応に愉しんでいれば好かっただけだ。

 最近は慢性的不如意で放浪の旅に出ていないが、ギャンブル目的の「旅打ち」は大好きだ。旅打ちの聖地は、新潟県西神原郡弥彦村の彌彦神社敷地内に在る「弥彦競輪場」だろう。温泉街もあって、勝ったら温泉止まり、負ければ野営か野宿(笑)

「旅打ち」といえば色川武大こと阿佐田哲也だろう。他にも浅田次郎や伊集院静、山口瞳なんかも旅打ちを愛した作家である。「旅をしながらギャンブルを行う」というスタイルは、江戸時代の「博徒」と呼ばれた国定忠治などの無宿人がそう。

 愚生からすると、パチンコはダメだが公営ギャンブルを否定する人や全くギャンブルをやったことが無い人というのは魅力を感じない。無難な人生を歩んで来たという如何にも安泰した生活臭が、そういう雰囲気を醸し出しているからだ。

 何事も失敗を経験しバカな事に打ち込んだ人というのはどことなく人間味に溢れている。阿佐田や浅田、伊集院といった作家の作品がウケるのは、そうした経験から滲み出る人間性から発した生きた言葉や人生観が綴られているからだと思う。

 阿佐田はギャンブルから学んだ人生観を相撲の勝敗に喩えた。「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理が出る」と教えたが、実に分かり易い。

「幸運が続き過ぎると危ない」という考えから、大負けすると「ここで不運を消化しておけば安心だ」と語っていたという。愚生も見倣ってるが負けばかり。

「満(み)つれば(か)欠くる」ともいうが、愚生の人生も40歳の頃がピークで、後はずっと欠けっぱなし。まぁ、月も三日月になってしまえば後は満ちて来るし、ツキは戻って来るものだから、今を凌げばどうにかなるだろうと楽観視している。

「勝つと思うな思えば負けよ」という。「勝とう」「勝たねば」と思うと実力を発揮出来ずに終わるということが多いが、これを「引き分けで好い」と思うと意外と気負わずに出来るもの。そんな精神的余裕が勝ちに結びついたりするものだ。

 そういう意味では旅打ちやギャンブルというのは精神修行の一つでもある。分かるかなぁ。まぁ水原通訳がそうだが、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言う様に遣り過ぎ。何事も分相応に程程に、阿佐田の教えである9勝6敗を目指すのが好い。

 大谷選手は水原通訳に、必要経費として使える10億円の口座を管理させていたという情報もあった。そりゃ、水原通訳も天祐とばかりギャンブルに使うわな。

 大谷選手もアメリカンドリームを成功させて金銭的に麻痺してしまっていたのかも知れないなぁ。「人を見る目は人生経験の積み重ね」「人を見る目は人生哲学そのもの」だが、失敗や裏切りは「好い人生経験を積んだ」と思うことだ。呵呵

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2024年03月21日

桜花咲き匂うこの時期、全国各地で卒業式、入学式が行われるが・・・

「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」、正に桜花咲き匂うこの時期、全国各地で卒業式、入学式が行われる。その昔は、卒業式や別れの定番曲といえば「蛍の光」だったが、いつの頃から歌われなくなってしまった。拒否された理由は国歌拒否と同じで、我が国の歴史の否定から始まったものであろうことは推測出来る。

「蛍の光」の原曲は、スコットランド民謡の「オールド・ラング・ザイン」である。これに詩を付けたのが国学者の稲垣千頴(チカイ)と言われている。

 千頴は、陸奥国棚倉(現・福島県東白川郡棚倉町)出身。棚倉藩の松井松平家の家臣稲垣半太夫の次男として生まれ、幼少期から学問に頭角をあらわし日光の寺院へ留学。棚倉藩主松平康英の川越転封に伴い、川越藩藩校長善館の教員となる。

 京都遊学を経て東京に移り、1869年(明治2年)23歳で平田篤胤死後の国学塾「気吹舎(いぶきのや)」(主宰 平田銕胤)に入塾。塾頭に就任したが塾則で禁じられていた遊郭登楼が発覚し、塾生らから意見書が提出され退塾処分となった。

 遊郭通いとは中々洒落てるじゃないか。高が遊郭遊び如きをチンコロするなんぞ、これから国学を習おうという塾生としての心構えがなってはおらん(笑)

「蛍の光」は、GHQ統治下の、1949(昭和24)年、教科書検定制度最初の小学5年生の音楽教科書に掲載された。だが、後に国家主義的な色合いが強いと「3番」「4番」の歌詞は削除された経緯がある。その「3番」「4番」と意味は次の通り。

 3、筑紫の極み 陸(みち)の奥
   海山遠く 隔つとも
   その真心は 隔て無く
   一つに尽くせ 国の為

(九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心は唯一つにして互いに国の発展の為に尽くそうではないか)

 4、千島の奥も 沖縄も
   八州(やしま)の内の 守りなり
   至らん国に 勲しく
   努めよ我が背 恙無く

(千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どの地に赴こうとも、日本各地夫々の地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任に当たり、努めを果たして頂きたい)

 この詩を知れば、我が国の歴史や先人の営為が見えて来るというものだが、「蛍の光」の後半部分の削除は正にGHQに因る戦後民主主義教育の一環でもあるのだ。戦後民主主義とは、自国の歴史を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観である。

「蛍の光」を見るまでも無く、その悪しき戦後教育は今や日本国内の隅々にまで浸透してしまっている。占領下でのGHQの矯正と洗脳に因って、我々日本人はそれまでの尊い価値観を見失ってしまったのだ。いつになったら覚醒するのだろうか。

 卒業・入学シーズンになると、国旗・日の丸、国歌・君が代に反対する蛆虫共も蠢き出す。日本という奇跡とも言える国に生まれ住み、日本人として恩恵を享けながら、祖国日本に誇りも持てず卑下し貶めるのは日本人として実に醜く見苦しい。

 多くの日本人は国旗・国歌に親しみを感じている。ところが未だ、「国旗及び国歌に関する法律」が制定されて以降も、これに公然と異議を唱え、反対している勢力が存在する。言わずと知れた「日教組」や「全教」、共産党といった反日勢力。

 連中は「日の丸は軍国主義の象徴だ」「侵略の旗だ」「君が代は天皇賛美だ」との妄言を垂れ流し純真無垢な子供達を洗脳する。ならば米国の旗はどうだ。英国やオランダ、フランスはどうだ。或いは中華人民共和国の旗は侵略の旗ではないのか。

 天皇国であるべき日本が天皇を賛美したとして何が怪しからんのだ。何が「天皇賛美」か。反対する連中というのは物事の見方が実に薄っぺらで、こうした状況は健全な世論に逆行するばかりか、教育現場での混乱は国益を損ねるものである。

 教師という公務員の立場でありながら、法律さえ遵守しない不良教師の一掃を図るべきだが、その日教組は今や政府民主党の支持母体というのだから世も末だ。

「日の丸」と「君が代」とは何か。 聖徳太子は隋へ「日出づる所の天子、書を日没する所の天子にいたす、恙無きや」の文書を小野妹子に託す。これを読んだ隋は激怒するが、小国日本の存在を堂々と主張して見事に気概を示した逸話であろう。

 我が国は、ユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国であり、稲作民族が日の神、天照大御神を崇め太陽信仰を持つのは自然で、国のシンボルに「日の丸」を執ったのも極めて自然なこと。国の成り立ちや理想が「日の丸」ほど一致する国は無い。

「日の丸」の赤丸は太陽を意味し、熟誠、活気、博愛、誠心誠意を現し、白地は清浄無垢を示し、神聖、正義、純潔、平和、鎮静。シンプルだが気品に溢れている。

「君が代」は「古今和歌集」巻七「賀の部」、「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典である。この詠の本意は、大君の御代が栄えることを願ったものであり、詠んだのが草莽の民というのが実に素晴らしい。

 我が国は、畏くも天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり、「天皇即日本、日本即天皇」の天皇国家である。この国體の精華は万邦類を見ないところであり、従って陛下の御代が栄えることは、即日本が栄えることでもあるのだ。

「君が代」は、実に我が国體の精華を格調高く歌い上げたものであり、その曲と相俟って厳粛にして荘重、正しく世界に冠たる誇るべき「国歌」である。

 万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることこそ本望であり、畢竟、それは日本国民として当然の願望であることは言うを俟たない。我が国はいつの世も、時の陛下の御代である。

 いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないのだ。そうした国柄を、「日の丸」と「君が代」は見事に現している。

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2024年03月19日

国際常識を身に付ける為には先ず自国の国歌・国旗に敬意持つべき

 京都市立小学校の卒業式と同中学校の入学式で、国歌斉唱を拒否した少女がネットで話題になっていた。母子で参議院議員会館を訪れ文科省職員に「日の丸・君が代」の強制をしないよう要請した。仲介者は日本共産党の倉林明子参議院議員。

「天皇制を認めたくない」という。「天皇制」とは共産党造語。現憲法で天皇の国事行為が明記されているが、この条項は天皇の政治利用であり、それを制度というなら理解するが、天皇は天皇であって制度ではない。天皇は祭主で在らされる。

 少女は純粋な正義感から行動したのだろうが、共産党や日教組の優秀な生徒が革命を夢見た結果、死刑囚となった永田洋子や坂口弘である。洗脳の罪は重い。

 この親子に限らず、日本人であり乍ら「君が代は天皇賛美」などと騒いでいる勢力がある。共産党や社会党、日教組や全教などの左翼の懲りない面々である。

 天皇を賛美して何が怪しからんのか。我が国は天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり、天皇即日本、日本即天皇の天皇国家である。この国體の精華は万邦類を見ないところであり、陛下の御代が栄えることは即日本が栄えることでもある。

 君が代は
 千代に 八千代に
 さざれ石の
 巌(いわお)となりて
 苔(こけ)のむすまで

「君が代」は、我が国體の精華を格調高く歌い上げたもので、曲と相俟って厳粛にして荘重、世界に冠たる国歌である。「古今和歌集」巻七「賀の部」の「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典である。

 この詠の解釈は色々あるが、本意は、臣民が大君(天皇)の御代が栄えることを願い、祈ったものである。またこの詠が「讀人知らず」という草莽の民が詠んだというところに、我が偉大なる民族性を認識し、無限の感激を禁じ得ないのである。

 万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることこそが神武肇国以来の大理想であり、日本人の願望である。

 君が代に反対する連中というのは、国旗・日の丸に対しても「軍国主義の象徴だ」とか「侵略の旗だ」と断じて憚らない。左翼というのは物事の見方が実に薄っぺらで、こうした日本人らしからぬ認識は健全な世論に逆行する屁理屈ばかり。

「君が代は統治者天皇賛美」「日の丸は侵略のシンボル」とするその根拠は何か。まさか真顔で「太平洋戦争の頃の様な暗い時代に逆戻り」などと言うのではあるまい。時代が戻るなら、江戸時代の様な丁髷を結って刀を差して歩く様な時代にもなるということか。そんなバカげた発言をいつまで繰り返すつもりなのか(笑)

「君が代は先の大戦を思い出させる」というが、米国の国歌は平和を願う歌か?中華人民共和国(中国共産党)の国歌「義勇軍進行曲」を読んでどう感じる?

 立ち上がれ!奴隷となることを望まぬ人びとよ!
 我らが血肉で築こう新たな長城を!
 中華民族に最大の危機がせまる、
 一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。
 立ち上がれ!立ち上がれ!立ち上がれ!
 我々すべてが心を一つにして、
 敵の砲火に向かって進め!
 敵の砲火に向かって進め!
 進め!進め!進め!

 では聞くが、日の丸が侵略の旗なら米英中の旗は平和の旗か?抑々、カトリックとは、アフリカ、アジア、アメリカ大陸への殺戮と掠奪の先兵ではなかったか?

 残虐の全てはキリスト教の教義の下、初めはスペイン・ポルトガル王(カトリック)、後にはイギリス・オランダ王(プロテスタント)の命令で行われたのではなかったのか。教義の下であれば、その殺戮と掠奪さえ赦されるというのか(笑)

 侵略主義の米国やヨーロッパ諸国、共産党一党独裁の中共の国旗・国歌を批判しないで、日の丸・君が代だけを否定することは矛盾と詭弁に他ならない。

 我が国は、ユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国である。稲作民族として日の神である天照大御神を崇め奉り、太陽信仰を持つのは自然なことである。そうした国家のシンボルに、「日の丸」を執ったというのも極めて自然なことであろう。

 国の成り立ちや理想が「日の丸」の旗ほど一致する国は悠久の歴史を誇る我が祖国日本を措いて他には無い。赤丸は、太陽を意味し熟誠、活気、博愛、誠心誠意を現し、白地は清浄無垢を示し神聖、正義、純潔、平和、鎮静を意味する。

 また、韓国が「戦犯旗」と批判して止まない旭日旗は、日章の位置が日の丸と同じく中央に位置し、皇室の紋章である菊花16紋章と同じ16条の光線を放つ。煌々と照らされる紅白の日の光が国中に行渡り、実に喜ばしく、美しく荘厳な旗である。

 敗戦コンプレックスから、そうした国の成り立ちさえも忘却し、自虐史観を妄信して疑わないが、日本人として祖国日本の素晴らしさを再認識しては如何か。

 我が国はいつの世も、その時の陛下の御代であり、いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないものなのである。そうした我が国の国柄を「日の丸」「君が代」「旭日旗」は見事に表している。

 以前、サッカーの三浦知良選手(カズ)が、胸に手を当てて国歌斉唱する姿に朝日新聞の記者が批判めいた質問を浴びせた。その質問にカズは「自分の国の国旗や国歌に敬意を表さない人が、他国に対して敬意を表する事が出来ますか?」と応えた。

「卒業式の国歌斉唱の際に起立しなかった事を理由に、退職後に嘱託教員として雇用されなかったのは憲法違反」としてアホ教師が訴えた裁判について、最高裁判事は「他国の国旗、国歌に対して敬意を以て接するという国際常識を身に付ける為にも、先ず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」との判決理由を述べている。

 海外で選手として活躍したカズの経験から学んだ国歌・国旗への敬意と、裁判官の認識は一致している。それにしても、純真無垢な子供を洗脳して、我が国の歴史・伝統・文化否定の先兵の養成を謀る左翼陣営の遣り方には嫌悪感しかない。

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2024年03月18日

X(旧twitter)及び暴露系ブログに関して検察庁から呼び出し(part2)

 殺人予告から数年後、太田正吾のことなどすっかり忘れていたが、エリート観光の金田義晴会長(故人)との雑談で正吾が社員の指を詰め逮捕された事実を知った。

 帰宅しネット検索すると出るわ出るわ、正吾の逮捕画像まで出てたのには嗤えた。何やら、社員がランボルギーニを売った数百万円を横領したらしい。社員は正吾に2000万円の借金があり、横領したカネを返済に充てたが借金の殆どが残ったという。

 正吾は激怒し「マグロ漁船に乗るか、指を詰めるかどっちにする」と脅し、鑿で指を詰めさせた。脅迫され断指させられた社員こそが、ブログpart1に登場した奥平光紀。愚生を脅しに来た際に小指に巻いてた血染めの包帯は嘘だったとバレた(笑)

 指を詰めたことで借金2000万円はチャラになったのかと思いきや、そのまま残ったというのだから嗤える。横領で逮捕された奥平を取調べてた警察が、奥平の小指が欠損してることを問い詰めると、正吾の行状がバレて逆に脅迫と強要で逮捕された。

 指なんぞ詰めさせなかったら正吾は逮捕されなかっただろうに。正吾は実刑判決を受け、喜連川社会復帰促進センター(旧黒羽刑務所)に収監されたと知った。

「縁は異なもの味なもの」というか「腐れ縁」とでも言うか、地元情報誌の政経東北8月号(昨年)に「不当な立ち退き要求と闘う会津若松男性」という記事が載っていたのだが、そこにナント太田正吾が登場していたのには驚いたのなんの。

 記事の内容は、会津若松市馬場町在住の高齢者男性を威嚇・脅迫して立ち退きを要求しているというもの。拙ブログ「汚れた顔の紳士達」でもこの問題について被害者の気持ちを慮り、世論喚起・破邪顕正の観点からシリーズ化しアップしている。

 この問題に対する愚生のブログは、正吾やその関係者にすれば面白くないのは間違いない。その結果がブログに対する「人権侵害」や「名誉棄損」といった申し立て。要は、弁護士を介入させ、相手を怯ませてやろうという姑息な手段が見え見え。

 問題の土地は230坪あり、評価額約2600万円となっている。前所有者とは「店名義で買う」「転売はしない」「借家人の長谷川雄二さんの意向を優先して頂きたい」との条件が申し合わせてある。郡山市の富蔵建設が仲介し、500万円という破格の値段で関正尚(山内酒店社長)が購入した。驚くことに関は富蔵建設社長でもある。

 常識的に考えても違法な取引に思える。仲介手数料や実態の無い測量代まで引かれ、振り込み金額は450万円だったという。不動産取引に無知な前所有者を騙して入手したのは明らかだったが、関が詐欺や宅建業法に問われることはなかった。

 関は駐車場代などを受領してるので、実質的には250万円程で2600万円の土地を入手。その数ヶ月後、関は郡山市のコクドホールディングス社長の斎藤新一を介して、太田正吾に転売(2200万円だったが1500万円に訂正)するに至った。

 疑問なのは正吾は何者なのかということ。愚生の知る限り、郡山市の広域暴力団幹部と昵懇の様だし、明らかに堅気ではない。正職(自称・投資家、不動産仲介業)を持たない人物が、ポンと1500万円を支払えることに疑問を持った方が好い。

 東京都東村山市には数寄屋造りの豪邸が在り、郡山市台新の自宅にはフェラーリなどの高級車が並ぶ。他の地域にも不動産や高級外車を保有しているという。この原資は何処から来るのか。税務申告はどうなってるのか。正吾への疑惑は尽きない。

 正吾の金満ぶりは、愚生に自慢した都内でのバカラ賭博場で不正に儲けたカネであるとの疑いをもっているし、何よりマネーロンダリングの疑いが拭い切れない。

 正吾のこうした疑問や不正行為をブログやXに投稿したら「人権侵害」や「名誉棄損」とは厭きれるばかり。警察や検察は正吾の不正行為を剔抉して逮捕するべきなのに、弁護士からの要請を鵜呑みにするとは何事か。法の正義は何処に在る。

 正吾は不正行為であろうと弁護士を介入させるのが常套手段である。拙ブログやSNSへの不服申し立てがそうだし、会津若松市の「土地建物明渡事件」はスラップ訴訟の典型である。正吾の不正行為で泣き寝入りしている人は少なくあるまい。

 何故に摘発されないのか。思うに、正吾の不法行為の範囲が関東地方の広域に及んでいるから捜査すら儘ならないのがその理由であろう。愚生の暴露系ブログはそうした事実や疑惑を告発しているから、正吾にとってはうざとくて仕方がない。

 正吾にしても、不法立ち退き問題の黒幕である関正尚にしろ、誠意を以て対処していれば過去の行事うをバラされる事態には成らなかっただろう。要は、仕事上でのコンプライアンスや危機管理が欠落してるし、やること成すことが下衆の極み。

 愚生は右翼と揶揄されるてはいるが、別に左翼に対抗している訳では無い。弱い者虐めや卑怯な連中が大嫌いで、破邪顕正・勧善懲悪の精神で悪事に相対している。検察庁からの呼び出しに一一怯んでいる暇はない。天網恢恢疎にして漏らさず。

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2024年03月17日

X(旧twitter)及び暴露系ブログに関して検察庁から呼び出し(笑)

 過日、知らない名前の差出人から茶封筒が届いた。開封したら検察庁郡山支部の検察官からの出頭要請。何やら、通知書には「X(旧twitter)及びブログ『汚れた顔の紳士達』に投稿した内容についてお尋ねしたいことがあります」と書いてあった。

「汚れた顔の紳士達」は暴露系だがノンフィクションブログで真実である。要は、真相というより投稿した画像や過去の前科を曝してる部分が「人権侵害」や「信用棄損」に当たるということらしい。恐らく告発人は、太田正吾という半グレだろう。

 数年前にも申立人の正吾の弁護士から過去のブログの削除や訂正を求められたことがある。異議申し立てするのも面倒なのでライブドアからの要請通りに削除・訂正に応じた。そして今回は、ライブドアやXではなく検察庁への告発に至った。

 正吾というのは、弁護士を介入させれば喩え不正行為であっても解決すると思っている。弁護士にしてもカネにさえなれば正吾の言いなりで何でもあり。今や「スラップ訴訟」は社会的問題でもあるが、正吾の様な悪党がそれを利用している。

 正吾は元広域暴力団幹部の舎弟であり、不動産や高級外車購入の原資はバカラ賭博で儲けたカネ。要は、正吾の不動産投資にしてもマネーロンダリングの疑いが拭えない。そんな半グレの不正行為に与してる弁護士や検事は猛省した方が好い。

「民事弁護の手引き(司法研究所編)」の序文に「正義の具現者としての弁護士が道義の遵法者であり、厳しい職業倫理に支配されるも当然である。旺盛な正義感を持たない弁護士は、世人の信頼を失い、悪徳の商人に堕することになろう」との一節が在る。商人の如く原告の言うが儘に動いてる弁護士に正義感を求めるのは無理か。

 10年程前、正吾の社員を名乗る奥平光紀という人物からブログに書かれてるメールアドレスにメッセージが届いた。何やら愚生が太田綜合病院の問題を綴ったブログを読んだらしく、「相談したいことがあります」とのことで会ったことがある。

 ホテルで待ち合わせ。内容は「太田健三(当時は太田綜合病院理事長。現会長)とウチの会長(太田正吾)が墓問題で揉めてるので助けて欲しい」とのことだった。ブログは原稿料さえあれば幾らでも書くが、原稿料は無く手ぶらでの相談だった。

 その後、間もなく市内の喫茶店で太田正吾本人と会うことになった。会うなり正吾は虚勢を張ってるのだろう「自分は投資家じゃなく、新宿でバカラ賭博場を経営してる」とカミングアウトして、新宿のヤクザとの交流や博打での武勇伝を語った。

 相談内容は正吾からの一方的なものだったが、母親(元太田綜合病院理事長・太田緑子の姪)想いに感じ入り、その一助となればということでブログをアップした。

 アップしたら、正吾は「仕事が早い」と上から目線で奥平に語ってたと聞いて厭きれたのを思い出す。正吾らはブログをダウンロードし、太田綜合病院関係者に配達証明郵便で送付している。この時点で正吾らの目的は果たしたということだ。

 ブログをアップした数日後、太田健三理事長と昵懇の社長から「ブログを削除して欲しい」との連絡が来た。別に原稿料を貰った訳では無いので削除した。

 愚生なりに調べてみると、正吾が太田綜合病院の役員(理事)に成りたがってたことを知る。要は、愚生のブログを利用して理事長らを威し、理事に就こうとしていたのだ。ブログを削除したは正吾に不信が生じたというのが正直なところ。

 ブログを削除すると正吾が激怒。ブログアップの感謝なら分かるが激怒される理由は無い。数日後、前出の奥平とホテルのロビーで会うことになった。奥平の小指には包帯が巻かれて血が滲んでいる。隣りにはやんちゃそうな青年が同席。

 徐に「手どうしたの?」と聞くと「佐久間さんがブログを削除したので会長からケジメ付けられました」と言い放った。「何それ、脅してんの?」と愚生。

 過去にエンコ詰めした人を知ってるが、それと比べても元気そう。「チョッと見せてみ」というと拒否。恐らくは正吾の演技指導で脅しに来たんだろうが、この脅迫行為に、その場で警察を呼んでやろうと思ったが相手は堅気だし止めといた。

 翌日には正吾から携帯に着電在り。出る気はなかったがしつこいので出たら、いきなりエライ剣幕で「この乞食ヤロー。オマエだけは赦さない。必ず殺してやるからな!」と殺人予告を受けるハメに。隣りで聴いてた愚妻は恐怖に慄いてた。

 憤怒障害著しく尋常じゃない脅しに、何なんだろうなこの正吾という人物はと思い乍ら、「会話は録音してるから」と言って携帯を切るとそれっきり来なくなった。それにしても、小指に包帯を巻いて来た社員と正吾から2回も脅されるに至る(笑)
 
 正吾は太田綜合病院の理事に就きたくて愚生のブログを利用し乍ら、自分の不正行為や行状をそのブログでアップされたら弁護士を介入させ「人権侵害」やら「名誉棄損」だと大騒ぎし、嫌がらせ行為に奔る精神はホントさもしい(part2へ続く)

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2024年03月15日

慢性的不如意だし酒の誘いを断ってたらめっきり誘われなくなった(笑)

 酒席というのは失敗も多いが得るものの方が断然多い。最近は慢性的手元不如意だし、酒の誘いはなるべく断わることにしていたら、誘われなくなった(笑)

 余程の仲じゃない限り、酒は身銭を切って飲むものと思っている。「あんたが(カネを)持っていても、俺が持ってなければ酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬。酒は奢って貰うより、奢ってやった方が気分が好い。

 偉そうな相手に気を遣って飲むくらいなら一人でチビチビやってる方が気楽で好い。亡父にも「ただ酒は飲むな。卑しくなる」と口煩く言われたことも影響しているのだろうが、酒は身銭を切って飲むことに価値があるし、その方が断然旨い。

 酒というのは「百薬の長」とも言われるが、本来は酔ってバカになる為に飲むもの。酒を飲むと肚を割って話せるし、酔った心地好さは酔った者じゃなきゃ分からないし、何よりバカになれる。世の中バカになれるほど愉しいものはない(笑)

「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」との坂本龍馬の訓えは蓋し正論。正気ではとても出来ないことを、酒の力を借りれば「一時的バカ」になることが出来るし、一時的でもバカの幸福に浸れるのだ。

 日本酒が別名「キチガイ水」といわれるのはこういうことだろう。バカと言っても酒乱は論外である。酒に飲まれて暴れている様じゃ酒飲みの資格はない。酒を呑むなら落語に出て来るチョッとマヌケで明るい酔っ払いが世の中を明るくする(笑)

 江戸時代には「酒道」は武士の作法や嗜みの一つだった。酒を飲まない右翼人がいるが、武士の嗜みに乏しいばかりか人生を損していることさえも気付かない。

 下戸というのは、贔屓にする様な店は無いから男としての魅力も半減する。酒を酌み交わし、互いの礼儀やケジメを正し、仲間とより一層の連帯感を高めるのが「酒道」の神髄というもの。つまり酒に溺れるというのは酒道では以ての外である。

 酒に吞まれたり、酒で身を滅ぼすというのは愚の骨頂。酒を飲んでも乱れず、平常心を如何に保つということこそ大事。酒豪の武将と言えば上杉謙信だろう。

 謙信は愛用の特大盃に並並と酒を注いでは、梅干しを肴に盃を飲み干したという。賑やかで明るい酒宴を好み、折々家臣らと談笑し酒を酌み交わしていたという。

 謙信は酒を酌み交わし乍ら部下をよく観察していた。酒を飲んで大言壮語やら、酒を飲んで気が大きくなって我を忘れる様な部下は信用せず側近にはしなかった。

 会社の飲み会などで、「今日は無礼講だ」というのを勘違いして、羽目を外していないだろうか。上司はそんな無様に酔っ払ってる貴方を観察してますよ(笑)

 酒を飲めない人というのは「体質的に酒を受け付けない」とかいう人が多いが、愚生からすれば体質に合わないというより、酒を飲む訓練(練習)が足らないだけ。

「男というのは贔屓の店や、好きなジンの名前を覚えとけ」とは池波正太郎だったか。何より、酒を飲まない男というのはどうしても人間が小さく見えてしまう。

 正気というのは世間体を気にしているということ。それではストレスが溜まるし、身体に悪い。下で仕える者より、上に立つ者おいうのは人一倍神経を使うもので、逆を言えば人一倍神経を使えない人間は上には立つ資格は無いということである。

 下の者からすれば上の者は気楽に見えるかも知れないが、上は上なりに頭の中ではあれやこれやと神経を使い考えを廻らせているもの。打開策が浮かばないなら手っ取り早いのが酒だ。気の利いた料理やや贔屓の店で心地好く呑んで陽気に騒ぐ。

 酒は愉快に飲むのが一番だ。暗い酒は身体を壊す。適度に愉快に飲む酒は正に「百薬の長」なのである。「酒は陽気に身銭を切って飲むべし」。酒飲みというのはこれに尽きるが、中には人に奢って貰って喜んでるのがいるから困ったものだ。

 タダ酒を覚えたヤツというのどうもクセになるらしく、周りから嫌われているのだが本人は自覚していない。「タダほど高いものはない」という様に、タダで飲めたとか、タダでやれたと喜んでばかりいると後でとんだしっぺ返しが来ますよ(笑)

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2024年03月13日

左翼陣営に比べて右翼陣営の資金不足は致命的である

 潤沢な資金力があれば連日宣伝車を繰り出して政治を糺し、営利至上主義に奔る悪徳企業の糾弾やら世の中に蔓延る悪漢どもを剔抉粛正し、破邪顕正及び勧善懲悪の救国活動を展開するのだが、月5万円程の支援金じゃ借金が嵩むばかり(笑)

「働きながら運動をしている右翼こそがホンモノ」と誰かが言った。今や極左勢力が政府中枢に入り込み、男女共同参画社会やSDGs、LGBTなどを利用し、NGOやNPOへの寄付金などを血税から詐取しているのとは真逆。そのどこがホンモノか(苦笑)

 右翼活動を本気でやればパクられるし、逮捕されたものなら会社はクビになるのは間違いない。右翼活動に理解のある経営者がそんなにいるとも思えない。

 結局は右翼活動そのものが土日祝日の自分の暇を利用した、無難でこじんまりした自慰的な仲間向けの活動になってしまっているのではなかろうか。

 そういや以前、愚生が「街宣なんて所詮はオナニーと一緒で自己満足」と言ったら、激怒してFBFから抜けた日本会議のメンバーで自称愛国者がいたっけ(笑)

「昔の右翼は企業から金を貰ったりして資金力も持ち生活も裕福だったかも知れないが、そういうのが今では負の遺産となって真面目な若手右翼の首を絞めているという事をわかっているのだろうか」などとtwitterでつぶやいていた国士もいたな。

「昔の右翼」とはいつの時代を言ってるのだろうか。愚生の場合、若い頃の勢いは無いが、会社を訪問しては口角泡を飛ばして煙に巻いてる。それも啓蒙運動。

 インチキ宗教の教祖でさえ信者がいるのに、己の主義主張に賛同してくれる支援者がいないのは、中途半端なその思想と生き様の覚悟に乏しいからに尽きる。愚生の慢性的不如意にしても、強烈な努力が足りないからで、自業自得でもある。

「負の遺産となって若手右翼の首を絞めている」とは何を誰に言ってるのだろう。今の大先生にこそ苦言を呈すべきだ。価値観の違いといえばそれまでが、支援金だけで生きてくのは思ってる以上に楽ではない。働けば楽だし、カネがあれば便利だし。

 今の時代、食べて行くならバイトでも何でも出来る。自分の夢を追えば困窮する。家族を養う為に夢を諦めて目先の「食える」職業を選択する。何の為に働くのかといえば自分の為。婚姻率の低下や少子化の根源はこんなところにある。

「好きなことをやり、それで食えるようになりたい」と思うのならば、それに向かい懸命に努力し、我慢し、試練に耐え乍ら必死に生きるべきだが、今の時代は夢を追うなんぞ二の次で、アルバイト程度でも食えてしまうから始末が悪い。

 これではプロやホンモノは育たない。右翼だって同じだ。食えることを優先するというのは挫折と同じ。「働きながら運動してる右翼がホンモノ」というのは、所詮はプロになれないセミプロ。「ながら右翼」なら真面目に働いた方が好いわな。

 昔の右翼団体は、左翼勢力や労働組合から企業を守るの役目も担った。確かに企業からの協賛金を貯めて引退した右翼人を多く知ってはいるが、少なくても所属していた防共挺身隊の初代総隊長の福田進にしろ昔は活動には資金を惜しまなかった。

 隊員の面倒も見ずに働かせてしまっているのも資金力不足が原因だが、「働きながら運動してる右翼がホンモノ」というのは右翼幹部らの言い訳だろう。

 資金が潤沢なのは任侠右翼団体くらいだったが、今ではそれさえ無くなった。カネがあっても如何せん使い方も知らないし、シノギばかりじゃ活動家は育たない。

 何だかんだ言っても活動を維持するのは資金力である。入隊して間もなく「軍備を満たせ!」という貼り紙を見付けた。今考えれば深い教えだったと思う。

 働いた給料は自分のことだけで精一杯。革命資金の捻出など到底無理。せめて維新回天の際には参画すれば好いが、逮捕されたら家族の生活は破綻するだろう。

 愚生が、三上卓が立派だと思うのは、思想より革命資金を調達する為に密輸(海烈号事件)を計画したことだ。革命には資金確保が大難関で、主義主張で革命は出来ない。立派な思想や理想を実現するには、清濁併せ吞む器量というのが求められる。

 そういう意味では働いてる右翼活動家なんてどうでも好いが、右翼の先生方の資金難は致命的といえるし、マイホーム主義じゃ革命なんぞ夢のまた夢だ。

 以前、新右翼の木村三浩が、鳩山由紀夫とクリミア半島に行ったことが問題となり、右翼陣営から攻撃され三下り半を突き付けられたのは記憶に新しい。

 木村というのは鈴木邦夫の所為で嫌われているが、ああいう削げ者というか個性的なキャラクターは嫌いじゃない。そんな木村が失脚したのは惜しいことだ。

 この木村の軽挙妄動を、ブログで批判したら「自分と会うことで鳩山の思想や考えが変わるかも知れない」という様なことを本人が語ってたのは驚いたっけ。

「猪瀬から500万円(徳洲会からの選挙資金の仲介料)なら鳩山だと0が2つくらい多く貰わないと(笑)」と言ったら「カネじゃない」と言ってたが、木村の人脈を考えれば凋落著しい右翼陣営を立て直せるのは木村だと思ってたのも確かである。

 横浜の大物右翼に「木村と友人なら木村を諫めるべきだし、間に入って事を収めたらどうか」と進言するも「なんでオレが、やらない」と簡単に断られた。

 日頃、周辺に「君子の交わり」と言って乍ら、友人の拙い点を見て見ぬ振りをするとはと厭きれて、この一件を機に横浜の大物右翼とは縁を切らせて貰った。

 愚生にしてみれば、木村との間に入ることで鳩山との繋がりも出来るし、鳩山の思想を変えるとかそうなことではなく、右翼陣営の立て直しに鳩山の潤沢な資金を利用して欲しいと思ったからだが、大物右翼をチョッと買い被りし過ぎてた様だ。

 今でも「右翼陣営に鳩山の資金があればなぁ…」と思うこと頻り。呵々大笑。

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2024年03月11日

本日は犠牲者を悼み心静かに一日を過ごしたいものです

 平成23年14時45分頃、国会中継を見ていると「緊急地震速報」のテロップが流れた数秒後、ゴーという不気味な音と共に起きた大きな揺れに徒ならぬ不安を覚えた。約1分程の揺れが数十秒の間隔を置いて3回、凡そ5分間の激震が続いた。

 余震の続く中、部屋を見渡すとは色んな物が散乱し、天井は歪み、サッシ戸や窓は全て開き、風呂場の壁は剥がれ落ちてた。愚妻に連絡を取るも携帯は繋がらない。twitterやfacebookなどのSNSをやらせとけばと悔やんだが仕方ない。

 散乱した物を片付け乍ら帰りを待った。暫くすると愚妻が倅夫婦と孫を連れて帰宅。無事な様子に安堵した。 倅夫婦は孫のミルクもオムツなども持って来る余裕も無く着の身着の儘。余震が続く中で近所のツルハドラッグに買い出しに行った。

 地震で散乱した店内。ミルクや紙オムツなど必要な物を探してレジに持って行くと、「こういう状況なので御代は落ち着いてからで結構です。困ってる時は御互い様です。また来店して下さい」との店員の言葉に甚く感動したのを覚えてる。

 翌日、イトーヨーカドー郡山店へ買い出しに行くも商品が少ない。水を購入しようと探すも2ℓサイズは既に売り切れで、普段は30円程で売ってる小さな300㎖のペットボトルの水が一人2本限定で1本100円で売っていたのには厭きれたっけ。

 正に便乗商法。ツルハドラッグの店員とはエラい違いで、商魂逞しいと言えばそれ迄だが、営利主義の賤しさを目の当たりにし嫌な気分になったのを思い出す。

 兎に角、経験したことの無い長く強烈な地震だった。大津波で亡くなられた方々に比べれば無事だったことは不幸中の幸いとしか言い様がない。

 福島県の被災者は宮城や岩手県の被災者に比べて恵まれている方だ。だが、県内の被災者は生活の不満を口にし、何かと理由を吐けては「賠償」「賠償」のオンパレード。処理水問題にしても原発事故に託けて甘え過ぎてはいないだろうか。

 原発事故の被害は原発周辺者に限らず県民なら誰もが同じことで、偶偶、原発周辺20㌔以内に住んでたからこそ補償の対象になっているだけのことだろう。

 民主党政権は「SPEDDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値を隠蔽して原発周辺20㌔圏内の住民の避難指示を決定した。自称原発被災者のホンネは、無能な菅直人と東電サマサマというのがホンネだろうな(苦笑)

 20㌔圏内だった川内村や楢葉町、双葉町、富岡町といった割かし放射線の低い地域にも「避難命令」が出された。川内村の住民は郡山市に避難することになったが、川内村の放射線量は当時の郡山市の放射線よりより低かったし(笑)

 被災者らは口々に「帰りたくても帰れない」「昔の故郷に戻せ」「生業を補償せよ」というが、帰る気になれば帰れるし、昔の故郷とは原発設置以前の故郷のことか?農業だけで食えるのか?生業って原発が設置され好景気だった頃の生業か?

 原発周辺の住民は東電関連の仕事に従事していた方が多い。既に福島第二原発の廃炉が決まった現状では、故郷に帰っても仕事が無いというのが現実だ。福島第二原発の再稼働こそが復興の象徴になると考えていただけに残念でならない。

 感情的な反原発の流れから全廃炉を目指すというなら、地元から離れなくてはならなかった被災者に対して避難している土地での再起を促し、納得させるのも政治の責任である。同時に自称被災者である自主避難者への優遇措置は止めるべきだ。

 世界が福島原発事故の行方を注視する中で、ロクに休養も取らずに過酷な現場で従事している方々がいる。「FUKUSHIMA50」は、原発事故後構内に留まって業務対応に従事した勇者らを描いた映画だが、観れば感動するに違いない。

 50人の多くは地元の小高工業高校(現・小高産業技術高校)のOB。海外のメディアは、この従業員たちの勇気を讃え「Fukushima 50」と称えた。一方で、日本のマスコミはデマを信じ「東電社員が逃亡」などと噓八百の報道を垂れ流した。

 映画「FUKUSHIMA50」では当時の菅政権の対応がリアルに描かれているという。そんなこともあって中身を知られたくなかった元民主党の議員や反原発派らには至って評判が悪いらしいが、つまりは事実を描いた作品ということだろう(笑)

 原発構内で働いている彼らの勇気ある行動と人智が我が国の未曾有の国難を救い、その努力が必ずや報われる様に無事終息されることを願って止まない。

 マスコミは大震災を忘れまいと犠牲者を取り上げ、反原発派が原発事故を騒ぎ立てるが、本日は心静かに一日を過ごしたいものです。東日本大震災で発生した大津波で犠牲になられた方々に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。

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2024年03月10日

3月10日という日を忘れてはならない!

 日露戦争開戦前、世界の軍事専門家の中で極東の小国に過ぎなかった我が国が当時世界最大の軍事大国ロシアに勝利すると予想した者は一人もいなかった。

 明治37年2月10日、我が国はロシアに対し国交断絶を通告すると、敢然と宣戦布告。約1年半に及ぶその戦いで我が国は奇跡ともいえる勝利を収め、「日本」という国の存在がアジアの、そして世界の植民地支配の国にとって希望の星となった。

 日露戦争の勝利は、結果として欧米列強に我が国の地位を認めさせることとなり、幕末以来の懸案事項であった不平等条約の改正に繋がって行くこととなる。我が国の目的であった「関税自主権」が、日露戦争の勝利に拠り実現されたのである。

 明治維新の目的だった二つの不平等条約の「治外法権」は、日清戦争後の明治32年に克服していたが、「関税自主権」の回復は日露戦争の勝利に拠って実現されたことで明治維新は成就し、我が国は真に独立を恢復することが出来たのである。

 日露戦争の勝利は、世界の植民地政策で搾取や弾圧を受けている民族の独立心を駆り立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がって行く。我が国は大東亜戦争に敗れはしたが、戦後の植民地支配の解放が示す通り、大義があったのだ。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種の日本人が白人に勝利することに由って、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた大きな意義を持つものだったのは言う迄も無い。

 明治38年(1905年)3月1日、大山巌陸軍大将指揮下で日露戦争最後の陸上戦であった「奉天会戦」が行われ、同月10日ロシア軍を撃破した。日本陸軍の勝利を称え祝おうとの趣旨で、翌年、政府は3月10日を「陸軍記念日」として制定した。

 昭和20年3月10日、米国は敢えて「陸軍記念日」を狙い本土攻撃を断行する。この大空襲に因って多くの無辜の人々の尊い命が失われたのは誰もが知るところ。

 米軍は、最初の空襲を敢えて陸軍記念日を選んだ。然も、日本の多くの家屋が木造だという理由から、火炎の強い焼夷弾を投下したことでもその非情さが分かる。

 米軍は3月10日の爆撃に飽き足らず、4月13日、同月15日、5月25日にも空襲を断行している。5月24日未明から翌日25日の空襲では、その戦災は皇居にも及んでいる。宮殿が全焼し、陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失なった。

 宮殿が全焼という中で、昭和天皇は御文庫を仮の御所とされた。戦後の昭和36年になって吹上御所に御移りになられる迄の17年間を御文庫で御過ごしになられた。

 3月10日の大空襲以降も昭和天皇は、戦争で疲弊した国民生活の向上が最優先であるとの思し召しから、「国民と共に苦楽を分け合う」と仰せになられ、皇居から御移りになられなかった。戦後も、新宮殿の再建を御許しにならなかったという。

 東京大空襲での死者は8万3793人に上り、罹災者は100万人を超えた。東京大空襲は史上最大の虐殺であり、広島、長崎への原爆投下と同様に、一般人を犠牲にした蛮行は、通常の戦争犯罪や人道に対する罪からも断じて許されるものではない。

 マッカーサー元帥の右腕の一人だった、ボナ・エラーズが、日本への空襲について「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と証言していることでも分かる様に、東京大空襲や原爆投下、或いはドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例である。

 東京裁判で連合軍は、東京大空襲や都市部への爆撃の理由を、「東京への爆撃は重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と詭弁を弄している。戦後、GHQは日本人に対し、未来永劫、贖罪意識の植付けと日本弱体化の為にあらゆる施策が謀られた。

 悲しい哉、日本人の中にも未だ、東京裁判史観や米国の謀ったプロバカンダを信じ、「日本が戦争さえしなければ空爆されなかった」といった自虐史観が散見されるが、いい加減、米国の謀った戦後民主主義という洗脳から目覚めなくてはならない。

 米国製の日本国憲法然り、労働三法や教育委員会制度然り。米国に因る戦後占領政策の意図は予想以上に成果を上げ、悪害を齎し続けている。更に「日米同盟」とは名ばかりの、「米国のポチ」として忠誠・従属を誓い続けているのはどういうものか。

 陸軍記念日であり、東京大空襲が始まった3月10日は、国民が「国防」という意味を理解し、真の主権恢復の為には何を成すべきなのかを考える一日でありたい。

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2024年03月08日

愚生の座右の書は「男の作法」と「嗚呼・花の應援團」だな(笑)

 愚生の座右の書というと若い頃に読んだ池波正太郎の「男の作法」と「嗚呼・花の應援團」かもなぁ。この二つから色々学んだ。鬼平犯科帳はマンガやDVDで殆ど観ている。その中でも名作と言われる「一本眉」のシーンで、こんなシーンがある。

「お前さんとあっしじゃ縁もゆかりもない間柄、世話になる理由はねぇ」

「何を言ってやがる、オレとお前は朝まで呑んだ仲じゃねぇか」

 男の付き合いというのは年月ではない。短期間で気心が分かることもあれば、たった一杯の酒でも通じ合うものがある。人生意気に感ずるとはこういうことだ。

 酒を酌み交わし乍ら、意気に感じた一本眉が「俺は盗人なんだ」と自分の正体を明かす。その言葉に平蔵が「人が横道にそれるにはそれなりの理由がある」と応えた。誰でも人の道から外れることはあるもの。それを悔い改められるかどうかだ。

「礼金二百両」も好かったな。とある旗本の家で起こった騒動を解決する内容だが、勧善懲悪の時代劇なら「報酬などいらん!」で終わりだろう。平蔵は口止め料として二百両を受け取る。何故なら、同心や密偵を抱えるには相当なカネがかかる。

「このようなことを、あえてするオレを。おぬしはなんと思うな」。自嘲を込めながら清濁を併せ呑む姿は、逆に上に立つ者の苦労が窺えた。鬼平はいつ観ても最高だ。愚生の人生での作法は長谷川平蔵とから学んだと言っても好いだろう。

「男の作法」を読んで、食事の作法など本に書かれてることを真似して、池波正太郎が通ったという料理店には通ったものだ。銀座の寿司屋で隣り合わせた客と意気投合し、連れてって貰ったのが池波御用達の数寄屋通りの有名クラブだった(笑)

 池波正太郎「男の作法」は、今の時代には合わない個所もあるが、三十代までには読んでおくべき日本人必読の名著だと思う。池波正太郎の書生だった佐藤隆介が、師である池波直伝の「男の心得」を著している。こちらの本も中々面白い。

 何事も尊敬する人や好きな人の仕草、立ち居振る舞いを真似てみるというのも大事なことだと思う。「人真似上手は個性を育てる」というし、何をやるにしても上手くなる為の一番のコツは、尊敬する人や目標とする者のモノマネすることだ。

 鬼平犯科帳では「五鉄」などの小料理屋や蕎麦屋などで飲むシーンが多い。吞み終えた平蔵は女将に心付けを渡す。高が心付けなのだが平蔵の何気ない渡し方が完璧で、アレは池波正太郎自身の普段の姿をダブらせたものだろう。

 鬼平犯科帳の処世術は実に参考になる。例えば、礼金にしても「謝礼とは相手が恐縮する程の金を渡さなければ意味はない」というのには刮目した。小銭を貰っても有難みが無い。やはり、過分なカネを払ってこそ相手に感謝されるのだ。

 愚生の周りには世話になりながら無報酬とかボランティアだと思っている人や、僅かな礼金で事を済ませ様とする輩が多いのはホント困ったものだ(笑)

 愚生も長谷川平蔵や心の師である高花豊先生ほどの真似は出来ないが、慢性的不如意ではあるが財布にはいつもポチ袋を数個は入れて持ち歩く様にはしている。

 別に何処の店でも渡す訳ではない。雰囲気が好い店や、接客などが丁寧な店では勘定した後にコソっと渡す様にはしている。高が心付けだが意外に渡すのは難しい。ポチ袋を何気に渡すことが出来ればもう男としても飲兵衛としても一丁前である。

「お釣りは要らないよ!」とか、これ見よがしにチップを渡している社長をよく見かけるが、アレは野暮とか不粋というもの。「男の作法」では、タクシー代にしても「お釣りは要らない」ではなく、一旦受け取って渡すのが好いと訓えている。

 釣り銭は有難く貰った後で、別に準備しておいたポチ袋に入れた心付けを手渡すのが好い。喩え、千円、二千円の僅かな心付けだとしても相手は悪い気はしない。

 心付けは相手に対しての感謝の記しと気遣いでもあるが、後々自分に戻ってくるものなのだ。一見で行った店でも、裏を返した(次に行った)際には自分のことを覚えていてくれるし、つまみの一品二品、気を遣ってくれたりもする。

「情けは人の為ならず」という格言を、「情けをかけることは、結局その人の為にならない」という意味だと思っている者が多い。だが「情けは人の為ならず」の後に、「巡り巡って己が為」と続く。ここまで教えれば間違えることはないのにな。

「借りたカネ(恩)は忘れるな!貸したカネは忘れろ!」とは田中角栄。角さんは、カネを借りに来た人にはその貸すカネにプラスして本人に渡したという。

 角さんは「くれたと思ったらそれは死に金。余分に渡すことでそのカネが生きたカネとなる」という信念を持っていた。田中角栄の政治家としての毀誉褒貶はどうあれ、それだけの気遣いを出来る政治家というのは角さんくらいしか知らない。

 料亭政治の先駆けともいうべき政治家だが、女将や料理人、仲居や下足番にまで心付けを渡し、その際には必ず「ありがとう」の言葉を添えたという。最近は料亭政治を知らない政治家が殆どとなり、それに比例して小者ばかりになった。呵呵。

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2024年03月01日

会津若松市の「土地建物明渡事件」はスラップ訴訟の典型である

 ライフワークブログの「汚れた顔の紳士達」で取り上げている会津若松市で起きている不法立ち退き問題は、何故か被害者が「土地建物明渡事件」として原告に訴えられている。この民事訴訟は流行りの「スラップ訴訟」の典型的なものである。

「スラップ訴訟」とは、金銭的余裕のある原告側が裁判費用や時間消費、肉体的精神的疲労等を相手(被告側)に負わせることを目的とした民事訴訟のこと。正式な裁判ではあるが、そこに公正さは無く、金銭的余裕のある原告が勝つ事例が殆ど。

 司法研修所編「民事弁護の手引き」に、「正義の具現者としての弁護士が道義の遵法者であり、厳しい職業倫理に支配されるも当然である。旺盛な正義感を持たない弁護士は、世人の信頼を失い、悪徳の商人に堕することになろう」との一節が在る。

 弁護士は依頼者を守るのは当然だが、商人の如く原告の言うが儘に動いてる弁護士に正義感を求めるのは無理というものなのか。倫理規定は単なるキレイゴト。スラップ訴訟はそうした金銭逞しい弁護士にとってはオイシイ仕事の一つでもある。

 昨今は旺盛な正義感を持つ弁護士は消え失せ、弁護士とは名ばかりの悪徳商人以上のカネの亡者ばかりになってる気がしてならない。会津若松市で起きている不当立ち退き問題も、司法の劣化と正義感乏しい弁護士の登場で二次被害に及んでいる。

「土地建物明渡請求事件」は、原告である太田正吾(正職を持たない半グレ。愚生もこの人物から殺人予告を受けている)が被告が告発した脅迫及び器物損壊罪への報復である。こんな不正義な裁判に血税が支払われていると思うと腸が煮え繰り返る。法律は社会との約束であるのに、結果は資金力で決まるという不条理が罷り通る。

 嘗て「世界一安全」と言われた我が国が、無能な自民党政権の「観光立国」や「移民政策」という愚策に拠って治安が乱され、安全が脅かされていることは余程のバカじゃない限り自覚している。そこに加えて警察と検察の対応の杜撰さは目に余る。

 裁判を傍聴して痛感することは「法律は不完全」ということ。法律とは社会との約束であるなら、司法は勧善懲悪こそが採るべき道であるが、勧善懲悪どころか弱い者虐め。国際法違反である極東軍事裁判の勝者に因る敗者への嫌がらせに似たり。

 検察では「人権に配慮して不起訴理由を出さない方向」と公言しているという。こうした法の平等の観点からも逸脱していると思われる通達は検事総長や政治家の意向なのか、政治家への忖度か。検察が犯罪者を処罰しない権利を「起訴便宜主義」という。検事の独断に因る「起訴の自由」を採ってる日本は世界でも稀である。

 日本国内での犯罪では、検事が起訴した有罪率は99.9%なのは、御粗末な起訴便宜主義の下での起訴の自由を行使しているからに過ぎない。要するに、このくだらんメンツと有罪率99.9%を下げない為に面倒な案件は全て不起訴処分にしている。

 犯罪は軽微なものを含めて検察は独断で判断することなく全て起訴し、裁判官に有罪無罪の判断を委ねることこそ大事。社会を不安に駆り立てる事件での不起訴処分は正義に逆行するものであり、国民の検察に対する疑心暗鬼は膨れ上がるばかり。

 社員を恫喝して指を詰めさせたことで、脅迫罪及び強要で逮捕され実刑判決を受けたことのある人物を不起訴処分にした検察庁会津若松支部も同じく、犯罪者の人権を穿違えてはいないか。要は、今回の民事裁判は原告の目論見通りとなった。

「正義の具現者としての弁護士が道義の遵法者であり、厳しい職業倫理に支配されるも当然である。旺盛な正義感を持たない弁護士は、世人の信頼を失い、悪徳の商人に堕することになろう」との冒頭の「民事弁護の手引き」の言葉が虚しく響く。

 司法の崩壊は国家解体に繋がる訳で、眼前の不正義や不条理を拱手傍観してる訳には参らない。会津若松市で起きている不法立ち退き問題や民事裁判は決して対岸の火事ではない。身近な問題として今回のスラップ訴訟を注視して欲しいものだ。

「土地建物明渡事件」の第三回公判が地裁会津若松支部1号法廷で今月6日午前10時から行われる。今回は原告である太田正吾が出廷するというから、どんな人物なのか見に来ては如何だろう。傍聴すれば司法の劣化と不正義を痛感するに違いない。

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