2024年02月

2024年02月28日

財力に諂わず権力に屈することなく正しいものを正しいものとしてどこまでも信念を押し進めて行きたい(五代目山口組若頭・宅見勝)

 最近は「保守ブーム」だという。確かに反日左翼に対抗はしているが、保守とは違う気がしてならない。新保守主義を掲げる学者や評論家が持て囃されてはいるが、その保守に尊皇はなく、「保守ブーム」に便乗した営業保守というのが正しい。

 偉業保守や学者等が保守したいのは己らの今現在の体制でしかない。要は、生きる為の生業としての現状を維持することが彼らの本音だろう。政治家もまた然り。

「反中」「嫌韓」と煽っては、自称・愛国者らへ耳障りの好いことを言ってるだけで、これがホンネとも思えない。尊皇無き保守では、米国や英国の保守政党や保守主義と何等変りは無く、それは単なる新保守主義であり、グローバリズムである。

 そんな中で、右翼民族派陣営の存在価値も年々薄れて来ているのは確かだろう。資金不足と指導者不足は顕著であり、生き方も右翼人なのかヤクザなのか分からない。

 思想は乏しく、政治にも疎く、考えていることは己のシノギばかり。久しぶりに相対しても、政治思想よりも「どうよ、景気は?」といった具合でうんざりする。

 教育勅語の教えである、恭倹己を持することなく、「オレが、オレが」が横行する。居の安きを求めて生活してりゃ、思想どころか学問さえ学ぶことは無い。

 江戸時代の思想家で石門心学の開祖である石田梅岩は、「学問とは、人倫を明らかにし、身を敬み、義を以て君を尊び、仁愛を以て父母に事え、信を以て友に交わり、広く人を愛し、貧窮の人を憐み、功あれども伐(ほこ)らず、万事約を守り、家業に疎からず、入るを量って出すことを知り、法を守って家を治めること」と教える。

 右翼思想とは別に愛国心の高揚だけではなく、恭倹己を持しと同じく、功あれど誇らず、尊皇精神を逞しくして、一旦緩急に備えて精神の高揚を学び備えるべきだ。

 一日一生は名ばかりで、自分のことが精一杯で、信を以て友に交わらず、貧窮の人を憐れむことない右翼ばかりだが、悲観はしていない。必ずや、この世の混迷と停滞から脱却し、天皇国日本を磐石の安きに導いてくれる国士は出現するだろうから。

 右翼・民族派諸氏は維新者としての原点に戻り、研鑽を積み、テロを担保しつつ行動し、啓蒙活動をして貰いたいものだ。まぁ、右翼から退いた右翼絶望派の愚生ではあるが、現今の右翼や自称愛国者よりは懸命に生きていると自任している。

 団体を辞して今更乍ら思うことは、人というのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だということ。こんなことをしみじみと考える。

 野村秋介の遺した「自問自答の訓」というものがある。

 常に世俗にありてその一隅を照らし

 常に在野にありて権力悪と闘い

 常に人々を愛し共に涙を流し

 常に海を愛し空を愛して神々を敬い

 常に友情と信義を胸中にして熱く燃え

 常に名利を求めず正義を追い

 常に月を愛し酒を愛し女を愛し

 常に自由にして奔放であり

 常に一剣を懐中にして平天下を願う

 この訓を読めば、野村秋介というのは浪漫派だったのだと改めて思う。

 愚生も、常に自由で奔放ではあるが、一隅も照らすものも無し、これほどまでにカッコイイ生き方は出来ないだろうが、右翼人生を歩んでる一人として、酒を愛し女を愛し、常に自由にして奔放な無頼派右翼で在りたいとは常々思っている。

 宅見勝という伝説のヤクザが遺した言葉がある。

 生ある人生が

 いつかは必ず来るべき死を

 約束づけているなれば

 俺は法律が

 どう変ろうが

 社会の常識が

 どう変ろうが

 財力に諂わず

 権力に屈することなく

 正しいものを

 正しいものとして

 どこまでも俺の信念を

 押し進めて行きたい

 どちらかというと、削げ者右翼を自任する愚生は野村秋介の訓えよりも宅見勝の方が性に合う。草莽の右翼浪人ではあるが、こんな生き方を全うしたいものだ。

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2024年02月25日

二・二六事件の伏線になったと言われる「相沢事件」とは

 昭和11年2月26日未明、安藤輝三、野中四郎、香田清貞、栗原安秀、中橋基明、丹生誠忠、磯部浅一、村中孝次ら青年将校は、第1師団歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛師団の歩兵第3連隊など総勢1483名を率いて維新を惹起した。

 当時の情勢は、東北の農家は疲弊し、中央の官界や財閥の跋扈と政治の怠慢など多くの問題が山積していた。掲げられた「君側の奸」「昭和維新」「尊皇討奸」との幟の惹句を見れば、如何に憂国の至情から出でる行動だったかが窺い知れる。

「皇道派」といわれた彼らのその行動の柱となったのが、国家社会主義者・北一輝の「日本改造法案大綱」と言われている。大綱は八巻で構成され「言論の自由」「基本的人権尊重」「華族制廃止(貴族院廃止)」「国民の天皇への移行」「農地改革」「普通選挙」「財閥解体」「国際情勢と外交政策」などを求めた論文である。

 日本改造法案大綱に加え、二・二六事件の伏線になったものが、事件前年8月に起きた「相沢事件」とも言われている。「相沢事件」とは、皇道派青年将校に共感する相沢三郎中佐が陸軍省内で統制派の軍務局長・永田鉄山を刺殺した事件である。

 相沢は福島県白河町(現白河市)に生まれた。大正7年、歩兵第4連隊から台湾歩兵第1連隊付に移り大尉に進級。同年9月陸軍戸山学校教官に就任。その後、陸軍士官学校付歩兵第13連隊中隊長を経て、剣の達人であった相沢は、昭和2年少佐進級と共に歩兵第1連隊付として日本体育会体操学校(後の日本体育大学)に配属される。

 出世街道を歩んだ相沢は昭和8年には陸軍中佐となる。昭和10年の永田軍務局長刺殺で翌軍法会議で死刑判決が下され代々木衛戍刑務所内で銃殺刑に処された。遺体は落合火葬場で荼毘に付され、後に仙台市新坂通の充国寺の墓所に葬られている。

 陸軍内は当時、高度国防国家を目指す「統制派」と天皇親政を理想とする「皇道派」の対立が激化していた。皇道派だった相沢は、同派の教育総監・真崎甚三郎が更迭されたことに不満を持ち、統制派の中心人物だった永田刺殺に至る。

 北一輝の「日本改造法案大綱」に加え、「相沢事件」の半年後に二・二六事件が決行されたことをしても相沢が大きな影響を与えたのは紛れもない事実だろう。

 我が国の悠久の歴史を遡れば、聖徳太子の「大化の改新」に始まり、「建武の中興(新政)」「明治維新」と、陋習を打ち破らんと維新の大業が成し遂げられた。

「維新」とは、幕末の思想家であった藤田東湖が示した「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚(いずく)んぞ興起せざるを憂えん」こそが神髄である。

 二・二六事件を惹起した彼らは「反乱軍」と断じられ、陛下の命により処刑されはしたが、彼らの維新の大義と憂国の至情は決して消えることはない。

 二・二六事件に唯一の民間人として加わり「群衆指揮等」として死刑に処せられた渋川善助という思想家がいる。渋川もまた相沢と同じ福島県人である。

 渋川は福島県会津若松市七日町出身。会津中学校、仙台陸軍地方幼年学校を経て陸軍士官学校予科に進み、御前講演を行うほど成績優秀な人物であった。杉田省吾、西田税らと「維新同志会」を結成し、国家主義運動に参画した。

 群衆指導罪で逮捕された善助は、公判調書で「私は会津藩に生まれた関係にて、祖父母も祖父も明治維新当時の汚名を冠せられたることを甚だ残念とし、幼時より蛤御門の討伐のことや白虎隊の武士らしき忠義ぶりなどを聞かされ武士的精神が自然に養われて居りました」と供述している。正に会津人の鑑である。

「茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し、国體の擁護開顕に肝脳を竭し、以つて神洲赤子の微衷を献ぜんとす」との大義を掲げて昭和維新を目指した皇道派青年将校のその崇高な志と命を賭した行動は尊敬に値する。

 渋川が少年時代に過ごした部屋は、三島由紀夫が訪れた際に「憂国の間」と名付け、会津若松市の料亭「渋川問屋」内に現在でも保存されている。

 渋川問屋は料理旅館としても有名なのだが、福島県に住んで乍ら不如意もあって未だ訪れたことは無い。いつの日か憂国ならぬ夕刻の士らと宿泊し、会津料理と地酒を呷り乍ら談論風発、杯盤狼籍、大破轟沈するのが細やかな夢でもある。呵々。

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2024年02月23日

皇国臣民の一人として天皇誕生日(天長節)を寿ぐ

 本日は天皇誕生日、戦前は天長節として奉祝した日である。誠におめでたく、皇国臣民の一人として謹んで陛下の弥栄と長久を御祈念申し上げ奉ります。

 我が国は万邦無比の「神の国」であり、神武肇国の古より、歴史の中から数々の伝統及び制度が生み出されてきた国家である。そんな中で、永遠に無くなってはならぬものが天皇を戴く国家の在り方であることは言うを俟たない。

 皇紀2684年という永きに亙り、我が国は万世一系の天皇を戴き、常に国民や世界の平和を祈り続けておられる天皇を、善き至高の存在として暮らして来た。

 天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家が日本国であり、「天皇即日本」「日本即天皇」の天皇国家こそが我が国の国柄であり、皇統の歴史こそが象徴である。

 万世一系であらされる天皇の御代が栄えることは、即ち国民の代が栄えることでもあり、この国體の精華は万邦類を見ないところであろう。正に、世界に冠絶した「君が代」の世界が厳然と存在する国こそが、我が祖国日本であるのだ。

 陛下は天皇誕生日を前に、定例の記者会見に応じた。相変わらず皇后陛下や愛子内親王、更には男性皇族減少に伴う質問など余計な御世話的質問ばかり。陛下の御言葉はその影響するところは大であり正に「綸言(りんげん)汗の如し」である。

 政治家の様に口先で誤魔化すことはその御地位と御立場、崇高な御人格がそれを許さない。ところが、質問する記者団といえば海千山千の強か者ばかり。恰も皇室を理解している様に取り繕ってはいるが多くは皇室に批判的な輩ばかりである。

 少なくとも尊皇絶対の大義を弁えている記者などはいない。ノスタルジアな左翼思想に被れ、反天皇、皇統断絶に与する記者らは、陛下との一問一答形式に拠って、御言葉を引き出し、言葉尻を捉えて政治問題し、世論誘導を謀ろうとしている。

 今回も反天皇運動に与するが如く、敬称や敬語不使用で「皇后さまの様子」やら「愛子さまの結婚」だとか、秋篠宮家に関する無礼な質問が目立った。

 所謂「開かれた皇室論」に基く陛下や皇族への定例会見は一切拒絶するのが妥当であり、宮内庁は別な形での国民への御発露の方法を考えるべきである。

 抑々「敬称・敬語不使用運動」は、共産主義者に因る反天皇運動の一環である。売国マスコミが誘導する「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。

 本来の日本人ならば正式な敬称で呼ぶべきで、「さま」などと呼ぶことに由って、日本の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚すべきだろう。

 過去には「欧州では長子優先」という質問があったが、敬宮愛子内親王こそ皇位を継承すべきとの思惑が見え隠れする。正しく反天皇及び皇統断絶に与する質問である。更には天皇が欧州の王室と同等の立場であるかの認識は誤りである。

 この記者を見るまでもなく、天皇とは「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多い。だが、分かり易く言えば、天皇とは日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、祈りを重んずる「祭主」であるのだ。

「女性天皇」や「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく伝統というもの。反天皇論者らは国事行為をする便利な存在としか思っていないから軽軽しく皇統を語る。 

 日本という奇跡の国に生を享け乍ら、国の成り立ちも知らず、天皇とはどの様な存在であるかも分からず、反天皇の不遜不敬、不届至極の不逞の輩が存在しそれらに与するとは、戦後の日本人の精神的幼稚さの現れと断じて過言ではない。

「天皇制打倒」を目指す日本共産党や立憲民主党ら左翼陣営が、「女性天皇」や「女性宮家」の創設や「女系天皇」容認に狂奔していることこそ何かを況や。

 国内に巣食うこれらの奸賊を排し、迫る来る祖国の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するのは民族派陣営である。正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあると確信する。諸君、一旦緩急に備え遺憾無きを期そうではないか。

 すめらぎいやさか すめらみこといやさか すめらみくにいやさか

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2024年02月21日

韓国側の「干山島が竹島である」との領土主権主張の御粗末さ

 2月22日は「竹島の日」の日。GHQの統治下だった昭和26(1951)年、韓国は米国に対し、ポツダム宣言の解釈として「日本が放棄した領土には竹島(独島)が含まれるべきである」と要求する。だが、米国政府は次の様に回答している。

「独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思いません」(米国務次官補から韓国大使宛)

 我が国が未だに失地領土の恢復が実現出来ないのは、政府の弱腰外交も然ることながら領土主権の重要性や歴史的経緯を知らなさ過ぎるのが要因である。

 韓国人の「虚言癖」という病んだ民族性はどうやってもというか、死んでも治ることはない。中でも最大級の嘘が所謂・従軍慰安婦問題と竹島の主権主張だろう。 

 韓国は竹島を「独島(ドクト)」と称し「古来から韓国固有の領土である」と主張するその根拠は、古代朝鮮の歴史書である「三国史記」に帰着する。

 その「三国史記」には、鬱陵島(うつりょうとう)の西隣に在る「干山島(うざんとう)が新羅(しんら)の領土」と書かれていることを歴史的論拠にしている。

「三国史記」とは、三国(新羅・高句麗・百済)時代から、統一新羅末期迄を対象とする王朝の歴史記述である紀伝体の朝鮮半島に現存する最古の歴史書である。

 韓国側はこの歴史書を持ち出して「4~5世紀から韓国領だった」と主張している。「三国遺事」には「倭人が高麗を作った」と記されていることを知ったら卒倒するに違いない。その古地図では、干山島は鬱陵島の西に接近している島と分かる。

「独島(竹島)」は鬱陵島の東南92キロに在る島なのだから、「干山島が竹島である」と主張することには無理がある。こんな判りきった事実が存在するのにそれを否定し、領有権を主張し竹島を不法占拠を続けているというのが現状である。

 歴史的に見れば鬱陵島周辺の小島の呼称が変遷し、「竹島」は「松島」とか「リャンコ島」とか呼ばれた時代もあり、我が国では鬱陵島を「竹島」と呼んでもいたこともある。であるなら、韓国風に言えば「鬱陵島も我が国の領土」となるな(笑)

 竹島の過去のこうした呼称も事を紛らわしくしているのも事実だが、李氏朝鮮時代の地図には鬱陵島より90キロも先に在る島のことなど唯の一度も登場したことはないし、鬱陵島とその近くの干山島などの小島以外は全く出て来ない。

 考えてみればそれは当然のことで、抑々、李氏朝鮮時代には、鬱陵島すら「空島政策」に拠って居住が禁止されていたのだ。鬱陵島より遥か先の島の干山島(竹島)ことなんぞ、関心も認識すらもなかったというのが正直なところだろう。

 米国の傀儡として「反日」と「反共」を国是とし、韓国初代大統領に就いた李承晩は昭和27年1月18日、国際法を無視し、勝手に軍事境界線(李承晩ライン)を設定すると、我が国の固有の領土である竹島を取り込んで「韓国領」と宣言した。

 我が国の主権が快復する4月28日の直前の1月18日に、我が国の固有の領土であった竹島を掠め取ったというのが真相である。韓国側の竹島の領有権主張は、敗戦間際の旧ソ連と同じ国際法の蹂躙である不法行為を正当化する詭弁でしかない。

 戦後、李承晩ラインを侵犯したとして拿捕、抑留された日本人漁民は、「日韓漁業協定」が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人に及び、拿捕船舶328隻、死傷者は44名を数えた。韓国政府は日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を強要する。

 驚くことに我が国政府は、韓国の恫喝にあっさり屈し、その要求に応じた。我が国の外交史上で、安易な譲歩が更なる譲歩を生んだ悪しき前例であるが、これ以降、在日朝鮮人が国内に居住続け、在日特権が次々と与えられて行くこととなった。

 竹島問題は単に領土主権というだけではなく、在留不良外国人への犯罪及び「在日特権」を考える上でも重要な問題でもある。国民は、領土主権の重要性を再認識すると共に我が国政府の弱腰外交を糺し、失地領土の奪還に立ち上がろう。

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2024年02月19日

君子は独りを慎むというが愚生の場合「小人閑居して不善を成す」か(笑)

 インチキ宗教や拝み屋でも信者がいるのに、正統右翼浪人を自任する愚生の支援者は年々減る一方。要は「強烈な努力」と、何より維新者としての「本気さ」が足らないのだろう。連絡が来たと思えばボランテイア的な困り事相談ばっか(苦笑)

 愚生の性格上、困り事や相談事を聞くと報酬なんぞより、その相手側の卑怯さや狡さが我慢出来ず自分事の様に感じてしまうのが長所であるが悪い癖でもある。

 相談相手も困ってるのは分かるが、タダでやってやると相談の際にはあったであろう感謝の気持ちが薄れるのは確か。本当に困ってるのは愚生の方なのになぁ。

 ブログも4つやってるが最近はどうもヤル気が失せている。政治批評ブログを綴っているが、同じ様な内容だし、タダで読めるし、アップされるのが当たり前の様に感じてる節がある。因みに「当たり前」の反対語は「有り難い」である。

 身近な者や身近に存在する人の意見というのは、いつも聞けるということもあって中々耳に入ることはない。「近くの坊さんえらくない」とか「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という喩えがあるが、それに近い気がするな(笑)

 例えば、近所の神社仏閣というのは身近過ぎて、当たり前に存在してるから有難く感じないもの。それと同じで、身近な人からの意見や苦言は疎んじられたり軽んじられるが、その軽んじられてる意見が正論だったり事実だったりするものだ。

 こうしたことを分かり易く喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。政治家もまた偉いヤツほど殺されている。そう考えれば、凶弾に斃れた安倍晋三という政治家も偉かったということだ。

 古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、偉人といわれる多くはバカかキチガイ扱いされた上に、罰せられるか殺されている。

 ガリレオ・ガリレイもそう。「天動説」が当り前だった時代に「地球が太陽の周りを廻ってる」などとはキチガイの戯言だった。結果、ガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判にかけられた。これが当時の大勢であり正論だったのだ。

 現代に於いても、当たり前だとか正論だと思っていることはマスコミに因って創られてるものばかり。正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。現代の正論も後の世には、間違いや非常識とされ批難されることも無きにしも非ず。

 目先の事しか考えないそんな時代に、SNSなどで必死に「これが正しい」と吠えたところで理解してくれないのは当然のこと。何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理でもある。

 今のあやふやな世の中に於いて、「あの人は善い人だ」とか「あの考えは正しい」などというのは、古来に学べば大半は間違っていると思った方が好い(笑)

 大勢というのはいつの世もマスコミや一部の扇動者に因って創られるもので、単に平均的意見に過ぎないのである。「オレは人が好い」とか「善人だ」と周りに吹聴してるヤツに限って、その裏では何をやってるか分かったものではない。

 そんな紳士面した地元の名士の裏の顔を暴いてるのが、暴露系ブログの「汚れた顔の紳士達」。政治批評の数倍の閲覧者はいるが、支援者どころか会費さえも払わずタダ読みしてる連中ばっかで、コピーして配ってる輩もいるのには厭きれる。

 愚生の経験上、笑顔を浮かべてるヤツ、愛想好く振る舞ってるヤツというのは意外と性格が悪いのが多く、単に調子がイイだけに過ぎない。「笑うと目が無くなるヤツは信用するな!」という訓えがあるが、強ち間違いではない。

 作られた笑顔の裏の顔というのは実に不似合いで醜いもの。笑顔で自分を誤魔化そうとしているに過ぎず、逆にブスっと無表情のヤツの方が案外信頼出来るものだ。「剛毅朴訥は仁に近し」とは正しく。その逆が「巧言令色鮮し仁」である。

 返事もそう。何でもかんでも「ハイ、分かりました」なんていうヤツは実は意外と聞いていない。此方が話をしてる最中に、此方の目をじっと目を見ているヤツもダメだ。そういうのは相手側に自分の気持ちを悟られまいとしてるだけ。

 女房が「アナタ、私の目を見なさい」とか「オレの目を見て話せ」という刑事が使う手だな。話を聞き乍らも目を伏せ、要点をメモしたり、同意した内容があれば視線を上げ、此方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。 

 何事も、信用し過ぎず、違う角度から穿った見方をすることも必要なことでもある。何故なら、現在の常識や多くの意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた米国の価値観だったり。大事なのは、常に人を見抜く眼力を養うことだ。

 愚生にしても、同じ様な薀蓄や能書きを連日綴ってると、有難みも薄れて、軽んじられてしまうのも当たり前といえば当たり前。当たり前だから感謝されない。

 右翼の本分とは、日本の純粋性を曇らすもの、それは「共産主義」であろうが「資本主義」「民主主義」であろうが、我が国の国柄や国體を損ねる主義思想に断固として対峙する覚悟であるが、愈々その覚悟も慢性的不如意で挫けそうにもなる。

 四書の一つ「大学」に「君子必慎其独也 小人閑居為不善」という教えがある。君子は独りでいる時に必ず慎み深くするが、小人は他人の目がないと悪い事をするとの意味。小人の愚生は暇だと好からぬことを考えてしまうので、徒然なる儘に政治思想や由無し事をブログやSNS綴って余計なことは考えない様にしている。呵呵。

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2024年02月16日

男子たるもの厨房に入るべからずどころか進んで厨房に這入るべし!

「愚妻の弁当や料理は愚生の担当」などというとビックリされる。亭主関白に見えるらしいが、山の神には逆らえないというか逆らわない。やることもやってないし、小遣いも月に1万円しかやらないのに偉そうにしてたらブッ飛ばされるし(笑)

 中学時代、「前略おふくろ様」に憧れて、和食料理人を目指そうと思ったこともあるし、料理は好きだから苦にはならない。ストレス解消にもなり、その日の気分で何でもあり。冷蔵庫の残りものとかの簡単料理ばかりだが、何より作ってて愉しい。

「門前の小僧習わぬ経を読む」ではないが、食堂の子倅として育ったので味覚は確りしてると思う。得意料理は中華で、下手な中華屋より美味しいと自負してる。

 付き合っていく上で味覚というのは大事な価値観でもある。同じ料理を食べて互いに「うん、美味いなぁ」となればホンモノの関係だろう。何もこうした関係は夫婦に限らない。友人関係でも、同じ様に感じればそれは相性の好い印しと言える。

 料理の他にも、風景にしろ、同じ感動があるならそれは最高の相性と言える。だが、そこに政治や思想や宗教とかが絡んで来るとややこしくなるが(笑)

 閑話休題。昔は「男子厨房に入るべからず」だとか「男は台所へ首を突っ込むものではない」と聞いたものだが、誰がこんなことを言い始めたのだろう。やはり、男性社会日本の陋習とも言えなくもない。そりゃフェミニストらが騒ぐわな(笑)

「家庭料理は女性が作るもの」というのは単なる固定観念。男性が外で働き、女性が家を護る時代ならそんなこともあるのだろうが、「男子厨房に入るべからず」とは、家庭を預かる主婦の亭主への思いやりから出でた言葉ではなかろうか。

 織田信長にしろ豊臣秀吉にしろ、加藤清正や伊達政宗でも、戦国時代の一流の男達はみんな台所へ首を突っ込んでいる。愚生の好きな「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵や「剣客商売」の秋山小兵衛にしても料理を彼是と指南するシーンは多い。

 自分で包丁を持たなくても、きっちり女房に指示するのが亭主の責任でもある。偉そうにしているのもそれはそれで好いが、それでいて「これが不味い」「あれじゃダメだ」というのは、つまりは自ら甲斐性が無いと言っている様なものだ。

「馳走」とは、来客に食事などを振る舞って心から持て成すことをいうが、食材を選りすぐり、調達して、心を込めて料理をして相手を楽しませること。そういう意味では、料理を女房任せにするというのは持て成す側の心構えが乏しいと言える。

 寺院には「典座(てんぞ)」という僧がいる。多くの僧の床座や食事などの雑事を司る役僧で、今では食事係の僧のことを「典座」という様になったという。

 日本曹洞宗の開祖である道元の教えの一つに、「喜心老心大心(きしんろうしんだいしん)」というのがある。「喜心」とは、その名の通り喜ぶ心のことであり、料理する喜びや、食べてくれる人の笑顔に喜びを感じる心などのことだ。

「老心」は、子供を想う親の心で接しなさいという戒めで、「大心」というのは偏りのない広い心を持ち、謙虚にして初心忘れるべからずという意。この「喜心老心大心」の教えは料理人ならば絶対不可欠なものだが、横柄な店も少なくない。

 亭主というのは、ある意味で「典座」の僧の様であらねばならない。亭主関白ぶって自ら台所に立たずとも、客が来たなら「典座」の心で客を持て成し、また、毎日料理をしてくれる女房にも感謝することは忘れてはならないということだ。

 日々こういう心構えでいれば「男女共同参画社会」なんてのは要らないし、SDGsや補助金目当ての無駄な予算を廃止して少子化対策や国防費の充実に充てよ。

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2024年02月11日

奉祝・紀元節。建国を偲び、国を愛する心を涵養する日に思う

 本日は「建国記念日」であり、戦前は「紀元節」として国民挙って奉祝した日である。祝日法には「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」との趣旨がある。では、その「建国を偲び、国を愛する心を涵養する」とは如何なることなのか。

 国を愛する心とは、今どきの保守ブームの安っぽい愛国心を昂揚することではなく、八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。つまりは神武肇国の大理想である「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進することである。

 日本人が失った徳目を呼び返す標語として「愛国心」は相応しいと思うが、ネット右翼や自称・愛国者の過熱ぶりを目の当たりにすると、国を愛する心を涵養するどころか、「愛国心」が軽薄なものになってしまっていることも無きにしも非ず。

 国旗や旭日旗を仰々しく掲げ、勇ましい言葉が乱舞するが、そこには日本的気風を感じることはなく、折角の「愛国心」が贔屓の引き倒しになってしまってる。

 三島由紀夫は嘗て「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と語ったが、この言葉に激しく同意する。

 我ら日本人が持つべきは、「大和の心(大和魂)」であり、つまりそれは花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず調和して暮す従順な心である。

 国を愛する心の涵養とは、大和心を涵養であり、これ即ち、国学者・本居宣長の宣う、「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」、これに極まれり。

 明治22年2月11日、「大日本帝国憲法(欽定憲法)」が発布されると、全国各地の神社では紀元節祭を行うこととなる。青年団や在郷軍人会などを中心に建国祭の式典が全国各地で盛大に開催されることになった。だが、終戦で紀元節は廃止。

 GHQ統治下の昭和22年、日本国憲法に相応しい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれるもGHQが削除。要は、2月11日は大日本帝国憲法の発布記念日であり、日本国憲法を押し付けた側にすれば怪しからんということだ。

 我が国がGHQの占領から解放された主権を回復した昭和27年4月28日、「紀元節復活運動」が起きる。昭和33年に国会へ紀元節に関する議案を提出する。

 昭和41年に祝日法が改正されると、翌年2月11日に漸く「建国記念の日」として実施され、今日に至っている。「紀元節復活運動」から実に15年の歳月を要した。

 本日も全国各地で「神武天皇陵遙拝式」や建国奉祝・紀元節パレードが行われるが、この国に生まれた者として建国を祝うことは至極当たり前の光景である。

 一方で「紀元節復活は科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、共産党を始めとした売国団体や護憲派どもが「奉祝反対」の催しをしている。正に、戦後民主主義教育の弊害である「平和ボケ」の日本人を象徴するものである。

「紀元節奉祝反対」を叫ぶ連中の真意は外でもない、国家の大理想が掲げられてる大日本帝国憲法の復活を危惧してのものだ。逆を言えば、明治人の知恵の結晶でもある旧帝国憲法の復元と改正こそが日本人としての正義でもあるということ。

 建国を偲び、国を愛する心を涵養する日とするならば、次代を担う子供達や青少年に日本の神話を教え、建国の意義と大理想を伝えて行くべきであろう。

 そういう意味でも「建国記念の日」というより、「紀元節」と呼称するのが望ましく、国法である大日本帝国憲法の意義を考える日にしなくてはならないのだ。

「何故に日本人としてこの国に生まれてきたのだろう」と考える。自分に誕生日がある様に国にも誕生日があり、それを祝うのはその国に生まれた者の務めである。

 畏くも天皇を仰ぎ奉る大和民族の信念と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有するものは、我ら日本人である。

 本日の紀元節に当たり、神武肇国の大理想である八紘一宇の精神を天高く掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進しようではないか。すめらぎいやさか!

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2024年02月09日

日本民族の生死を賭けた日露戦争開戦記念日を忘れるな!

 明治37(1904)年2月8日、旅順港に停泊中のロシア旅順艦隊に日本海軍駆逐艦が奇襲攻撃。日本陸軍先遣部隊が朝鮮仁川に上陸。翌9日、仁川港外に派遣されていたロシアの巡洋艦ヴァリャーグと砲艦コレーエツを攻撃し自沈に追い込んだ。

 この「仁川沖海戦(じんせんおきかいせん)」を以て、日本民族の生死を賭けた日露戦争の火蓋が切られた。翌10日、我が国政府はロシアに宣戦布告する。

 極東の小国に過ぎなかった我が国と、当時、世界最大の軍事大国と言われていたロシアとの戦いは実に一年半にも及び、我が国が奇跡的大勝利を成し遂げた。

 固唾を呑んで見守っていた世界の人々の誰もがロシアの勝利を疑わず、そんな中で「日本大勝利」の報は極東小国日本の存在を世界に知らしめ、人々を驚嘆させた。

 日露戦争前、ロシアに占領・弾圧されていたフィンランド、トルコ、ポーランドの国々や、有色人種として差別されていた民族にとって日露戦争での日本勝利という結果は、国家と民族の存在を決定的に変える程の影響を齎したのである。

 15世紀の大航海時代以来、白人に因る世界制覇の滔々たる流れがアジアにも押し寄せ、次々と植民地となって行った。こうした世界の流れに江戸幕府も対応に苦慮する。そんな中で民衆は「国家」というカタチを意識する様になって行った。

 そこで起きた明治維新である。我が国は中央集権国家を目指すこととなる。その後に起きた日清戦争、そして国家の存亡を賭けた日露戦争で我が国が勝利したことによって世界は大きく変化し、全世界の有色人種に強烈な影響を与えることなった。

 インドのガンジー、ネール、ビルマのオッタマ・ミール、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャ等等、小国日本の勝利が及ぼした影響は計り知れない。

 世界の各地で「日本大勝利」に狂喜し、白人に抑圧されていた民衆は有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がって行く。米国内でも黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなったのだった。

 黒人誌の「インディアナポリス・フリーマン」は当時、次の様な社説を掲げた。

「東洋のリングで、黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実、ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている・・・」

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議に出席す我が国の全権使節団は、国際連盟規約に対し「人種平等の原則」を入れる提案を行う為にパリへ向かった。

 途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者四人が「世界のあらゆる人種差別と偏見を無くす事に尽力して欲しい」という嘆願書を日本全権団に提出する。

 だが、黒人指導者のその願い空しく、議長を務める米国大統領ウイルソンに、「採択は全会一致」との詭弁を弄され、この人種平等の要請は拒絶されてしまう。

 結局、日露戦争が齎した歴史的課題であった「人種平等の原則」という本格的実現は、大東亜戦争後に実現し、その歴史的大使命が果たされるのだった。

 こうした歴史の現実をみれば、我が国は先の大東亜戦争に敗れはしたが、その戦いは大義があり、我が国やアジアにとっても正に聖戦だったことが理解出来よう。

 世界史にとっても、日本史にとっても重要な日清戦争や日露戦争の意義と大勝利という輝かしい出来事が、国内では何故か余りにも軽く扱われているのは、未だ我が国がGHQが謀った戦後教育から脱却出来ていない証左でもあろう。

 故安倍首相は度度、総裁選や総選挙に於いて「誇りの持てる日本人を育てる」と訴えていたが、未だ自民党が我が国が誇る教育に着手しているとは思えない。

 嘗てアジアの、また世界の有色人種国の希望の星であった我が国が、国家の大本と歴史を忘却し、いつまでも米国の配下に甘んじてて好い筈がなかろう。

 日露戦争開戦記念日に当たり、先人が決然たる態度で一戦を決した日清・日露の大英断を、そして大東亜戦争の大義を「民族の魂の記憶」として誇り高く、永く後世に継承して往かねばならないと痛感して止まない。すめらぎいやさか。

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2024年02月06日

北方四島返還要求こそ事勿れ主義と軟弱土下座外交の象徴である

 2月7日の「北方領土の日」に合わせ、総理府は「北方領土は日本固有の領土です!」などと、御丁寧にも歯舞、色丹、国後、択捉四島の新聞広告を出している。この四島返還運動こそが事勿れ主義の象徴であって、何より税金の無駄使い。

 右翼民族派陣営は、国際条約である日ソ不可侵条約が蹂躪された8月9日を「民族痛恨の日・反ロシアデー」としてソヴィエト連邦(ロシア)を糾弾し、北方領土の奪還訴えているが、8月9日が無理ならば、2月7日ではなく、南樺太・全千島が日本に帰属した5月7日に訂正し、北方領土の歴史と事実を国民に啓蒙するべきである。

 誰でも自分の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が他国に強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。

「北方領土奪還」は、正に日本民族の悲願である。ところが、戦後70年も経った今日でも北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。

 思うに、北方領土を含めて領土主権そのものの重要性に対する認識不足と、如何にして不法に占拠されたかの真相把握が欠如していること、更には、ロシアへの認識の甘さと対ロ外交の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が未解決の根源であろう。

 北方領土は国際条約の「樺太・千島交換条約」並びに「日露講和条約」の締結に拠って、歯舞、色丹、国後、択捉の四島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が、我が国の固有の領土となった。

 領土問題では、共産党が「全千島、南樺太の主権」を訴えているが、この認識が正しく、共産党でも分かることが、自民党を始めとした保守を自任する政党や政治家が理解していないのは実に情けない。過去に国会に於いて「四島返還決議」を採択しているが、この四島返還要求こそ、事勿れ主義と軟弱土下座外交の象徴である。

 明治の先人達の外交努力を無視し、我が国に全千島列島及び南樺太の主権が在るにも拘らず四島のみの主張を明記し、見す見す権利を放棄するとは理解に苦しむ。

 ペリーが浦賀に来航した2年後の安政元年(1855)2月7日、江戸幕府は伊豆下田でロシアと交渉し、「日露和親条約」を締結。歯舞、色丹、国後、択捉の四島と千島列島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。「北方領土の日」はこの歴史がその根拠となっているのだが、締結したのは江戸幕府であって日本国ではない。

 歴史には続きがある。明治維新を成し遂げた日本政府は、榎本武揚を全権特命大使として派遣して外交交渉を重ねた結果、明治8年(1875)5月7日、ロシアとの間で「樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)」が締結されるに至った。

 その結果、ロシア人と日本人の混住の地であった樺太の北側と千島列島を交換したことで、南樺太と占守島までの全千島列島が我が国に帰属したのである。

 その後、1945年(昭和20年)2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト、ソ連のスターリン、英国のチャーチルらがロシア領のクリミア諸島のヤルタに集い密談が交わされた。この会談に於いて、ルーズベルトは、千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促している。

 ヤルタ協定では、「ソ連が日本との戦争に参戦すること」、「南樺太をソ連に返還すること」、「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められた。この約束に従ってドイツが無条件降伏した約3ヶ月後の昭和20年8月9日未明、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦。鬼畜の如き行為が繰り返えされたのである。

 ソ連兵は日本人同胞の虐殺、強奪、婦女子の強姦、暴行、更には軍人、軍属、一般人を含め80万人以上をシベリアへ抑留し、そのうち半数以上を凍死、餓死させた。終戦間際のソ連軍の残酷無残な行為は正に悲憤断腸、鮮血の逆流するのを覚える。今を生きる我々はこうした歴史事実と日本人の悲劇を決して忘れてはならない。

 因みにソ連は、1926年から1941年までの15年間に、「不侵略条約」「中立条約」、或いは「不侵略」や「中立」の名を冠した国際条約を東西15ヶ国と結んでいる。だが、驚くことにそのうち14ヶ国との条約をソ連が蹂躙している。

 ロシアは「ヤルタ協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、ヤルタ協定は国際法的にも意味を成さない。我が国はヤルタ秘密協定の無効と、「樺太・千島交換条約」並びに「日露講和条約」という国際条約を論拠に、領土主権の正当性と即時返還、更には終戦間際のソ連蛮行とシベリア抑留への謝罪を強力に要求するべし。

 韓国が竹島を不法占拠し、中共、台湾が尖閣諸島の主権を主張しているが、これもまた北方領土同様に戦後の歴代政府や国会が、領土主権を理解せず、事勿れ主義から主張を疎かにしてきた結果である。現在、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識であり、「奪われたものは奪い返す」以外に解決する手段は無い。

 世界の常識通り、奪われた領土は奪うことでしか解決出来ない。我が国の政治家にはそうした奪還しようという気概や覚悟が決定的に乏しい。国際環境が激変しつつある時に動くものが領土問題である。つまりそれは、北方領土や竹島を取り戻す機会が到来したと同時に、尖閣列島や対馬、或いは沖縄県を奪われる危機と自覚せよ!

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2024年02月04日

ロシアは「ヤルタ協定」を楯に北方領土の主権を主張しているがヤルタ協定は国際法的に意味を成さない

 中国共産党海警局は尖閣諸島空域を飛行する自衛隊機に対し「退去警告」した。日本政府は「断じて受入れらえない」として反論してるが、尖閣諸島が強奪されてからでは北方領土や竹島の二の前となる。強硬な姿勢と実効支配を急ぐべきだ。

 第二次世界大戦中の1945年2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト大統領、ソヴィエト連邦最高指導者のスターリン、英国のチャーチル首相らがクリミア諸島のヤルタに集い、密談が行われた。これが所謂「ヤルタ会談」である。

 この会談でルーズベルトはスターリンに対し「南樺太のソ連に返還」と「千島列島のソ連への引き渡し」を条件に日ソ中立条約の破棄を進言し、対日参戦を促した。

 ソ連は、この密約に従ってドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、国際条約であった「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦。ソ満国境を越えたソ連軍は鬼畜の如き蛮行を繰り返し、南樺太並びに全千島列島を強奪するに至った。

 現ロシアは、北方領土の主権の正当性を「ヤルタ密約(ヤルタ協定のうち極東密約)」を論拠としているが、英国政府は、ヤルタ会談翌年の1946年2月、ヤルタ密約の有効性について疑義を呈していたことが明らかになっている。

 英国立公文書館所蔵の英外交電報に由ると、「ソヴィエトの四島占拠根拠なし」として、米英ソがヤルタ密約を公表する2日前に、英外務省から全世界の在外英公館54ヶ所に対して、緊急且つ極秘の内容として電報が送付されている。

「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」との警告を発している。

 密談が行われる約4年前の1941年8月、チャーチル首相はルーズベルト大統領と共に領土不拡大の原則を謳う「大西洋憲章」に署名している。つまり「ヤルタ密約はこの大西洋憲章に反する」との英政府の認識が示された形である。

 1953年に米国大統領に就任した共和党のアイゼンハワーが、年頭教書演説で「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言し、1956年には「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効である」との声明を発表している。

 ヤルタ協定に参加した米英が、ロシアの北方領土の主権に疑義を呈している中で、何故に当事国の我が国がロシアの主張をすんなりと認め、北方領土や南樺太での鬼畜の如き蛮行を赦すかの如く、二島先行返還に拘るのか理解に苦しむ。

 ロシアは、第二次大戦の勝利と「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権の正当性を主張しているが、ヤルタ秘密協定こそが国際法的にも意味を成さない協定であり、更にはサンフランシスコ平和条約の千島関連の条項も無効である。

 ロシアの主張は、第二次世界大戦中の1943年に定められた「カイロ宣言」に明記されている「領土不拡大」の大原則を蹂躙する。ロシアはスターリンの主張を踏襲しているというが、このカイロ宣言にはスターリン自身が署名している。

 我が国は、米英が「ソ連の北方領土の占有に法的根拠がない」との立場を鮮明にしていることや、「ロシア側は明らかなカイロ宣言違反」と主張すべきではないか。

 対ロ外交では、ヤルタ会談の不当性とロシア側の主張の矛盾を糾した上で、我が国の領土主権の正当性を内外にアピールすることが大事である。だが、我が国は摩訶不思議なことに二島先行返還に固執し、ロシアに譲歩するばかり。

 己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて、同胞が虐殺され乍ら泣き寝入りする民族が何処にあろうか。戦後に放棄させられた領土を取り戻すことは正に日本民族の悲願である。

 北方領土然り、竹島然り、失地領土の恢復が未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。思うに、北方領土や竹島など領土の重要性に対する認識不足と、如何に敵国に不法に占拠されたのかという真相把握が欠如と、更には、ロシアや韓国への認識の甘さと対応の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が未解決の根源であろう。

 GHQの洗脳及び敗戦コンプレックスである弱腰軟弱土下座外交と事勿れ主義が、未だに領土問題が解決しない元凶であるのは言うまでもない。世界の常識通り、「奪われた領土は奪うことでしか解決出来ない」という強烈な覚悟を持つべし。

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