2023年12月

2023年12月31日

今年は当該ブログは一日も欠かさずアップしてみたが・・・

「徒然草」の書き出しは「つれづれなるままに 日ぐらしすずりにむかひて 心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ」と綴られている。ブログやSNSも似た様なもので、毎日起こる意味もない由無し事を綴っては、もの狂おしく一喜一憂しているというのも空しいものである。

 吉田兼好の様に、職を辞し精神の自由を求めれば生活は困窮するし、暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。愚生も右翼浪人という生き方に限界を感じつつも、この身在る限りせめてその精神だけは一維新者として自由で強く在りたいと思う。

 今年は期することがあり、政治思想の当該ブログは元旦から一日も欠かさずにアップしてみた。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というが、遣り過ぎというのは厭きられるということを痛感した。やはり、何事も程程が肝要ということだ(笑)

「預言者郷里(世)に容れられず(新約聖書ルカ福音書四章)」という言葉がある。優れた人物は、故郷や世の中では受け容れられないことが多いという喩えである。「受け容れられない」というより「受け容れたくない」というのがホンネだろう。

「受け容れたくない」という気持ちにしても、批判にしても、往往にして嫉妬から出てることが多く、友人知人など身近な者が出世したり、カネ儲けで成功したり、優れていればいる程ヤキモチを焼くのは人間の性というもなのかも知れない。

 見方を変えれば、批判や嫉妬というものはその人の実力を認めてる裏返しでもあるから、一々気に留める必要もないのは分かってはいるが、やはり批判は気になるものだ。批判を受け入れることで気付くこともあり、批判と賛同は表裏一体である。

「人は故郷を離れて貴し」という。また「 近くの坊さんえらくない」という喩えもあれば、「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という諺もある。

 身近な者や身近な人の意見というのは中々耳に入ることもない。例えば、近所の神社仏閣というのは身近過ぎて有難く感じないもので、それと同じで身近な人からの意見や苦言は軽んじられることが少なくない。愚生のブログも似た様なものか(笑)

 だが、その軽んじられてる意見が正論だったり事実だったりするもの。愚生のブログを偉人と比べるのは僭越だが、例えばキリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほど殺されている。

 古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くは「バカ」とか「キチガイ」扱いされた上に、罰せられるか殺されている。

 ガリレオ・ガリレイは「天動説」が当り前だった時代に、地球が太陽の周りを廻ってるなどとは考えても見なかったのは当然のことといえば当然のこと。結果、「地動説」を唱えたガリレオは「世を誑かす者だ」として宗教裁判に懸けられた。

 これが当時の大勢であり正論だった訳だが、今も当たり前だとか正論だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ず。

 正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもので、そんな時代に、必死に「正しい」と唱えたところで理解してくれないのは当然のことでもある。

 何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理とも言えなくもな。「あの人はイイ人だ」とか「あのことは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違っていると思った方がイイだろう。

 大勢の意見や正論というのはいつの世も創られるもので、単に平均的意見に過ぎない。愚生にしても、ブログやSNSでいつもいつも同じ様な薀蓄や能書きを綴ってると、有難みも薄れるし、軽んじられてしまうのは当たり前のことでもある。

 まぁ、愚生は預言者ではなく無頼派右翼。「郷里に受け容れられず」というより「近きは糞の香」くらいにしか思われてはいないのは何となく気付いている。毎日毎日、同じ様な主張を垂れ流されてうんざりした人も少なくなかったかもなぁ。

 読めばかなり勉強になると自負してるが、文章は長いし、難解な漢字も登場するから、「難しい」とロクに読まないで拒否してる人も少なくない。「読書百遍義自ずから見る」という様に繰り返し読むことで、真意を得ることが出来るだろう。

 顧みれば、今年も怠惰な一年があっという間に過ぎ様としている。右翼団体の活動が岐路を迎えているが、今後も組織に与せず、新たな運動形態を模索しつつ、微力乍ら天皇国日本を盤石の安きに置くべく程程に獅子吼して行くつもりです(笑)

 今年一年、拙ブログを閲覧して頂いた方々及び御支援を賜った皆様方に心より感謝を申し上げると共に、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、来る年が皆様にとって実りある一年と成ります様に御祈念申し上げます。すめらぎいやさか。

 令和五年 皇紀二千六百八十三年 師走臘日 佐久間五郎拝

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2023年12月30日

どうだろう、皆さんは「らしく」生きていますか?

 日本人は勤勉な国民だと言われる。何故に勤勉なのかと問えば、「貧しかったから」だと答える人が多い。だが、日本より貧しい国は沢山在ったが、それらの国民も勤勉かといえばそうとは限らない。日本人の美徳とされたものに「勤勉と貯蓄」というものがある。それを提唱し、生活思想に高めたのが石田梅岩という人物である。

「学者(学ぶ人)は、知識よりも心を磨くことを先にしなければならない。心を磨けば自らの行いを慎み、自らの行いを慎めば『礼』に合致し心は安らかとなる。心の安らかなのが『仁』である。仁は天に備わる根本の『気』である。天の気は万物を生み出して養育する。この心を会得することが学問の初めであり終わりでもある」

 石田梅岩は「石門心学の祖」といわれているが「石門心学」は余り知られていない。梅岩自身が商人の出ということもあり「町人哲学」といわれ、今日でも関西では「事業に行き詰まったら梅岩を読みなはれ」と言われ、「都鄙問答(とひもんどう)」と「斉家論(せいかろん)」は経営者のバイブルとなっている。

 江戸時代にあって商人は「士農工商」の最下位に置かれ「金儲け=賤しい」と軽蔑の対象にあった。商人の役割について「余ったものを足りない所に送り、社会全体を過不足なくすることだ」と推教え、倹約の公共的な経済効果を打ち出した。

 この教えは現在も同じこと。景気低迷の一因には、経営者らは倹約はすれどその余った分を足らない所へ送らず自分の所に留めてしまっている。最近の経営者というものは目先の儲けばかり考えて、また儲けたカネは身の回りだけで使ってしまうから経済が上手に廻らなくなる。要は、吝嗇家の経営者が多過ぎるということに尽きる。

 昔の企業家というのは営利よりも、先ず日本国の将来や国民の幸福を重んじていたのだが、今は米国の自由主義経済に毒され、梅岩の唱えた経営論なんて疎んじられる様になってしまった。企業人とはやはり社稷を重んじることこそ大事である。

 会社を興し稼ぐことは悪い訳ではないが、「その金を稼ぐ行為が最終的には国(社会)を豊かにするということが稼いだ意味である」ということを自覚しなきゃ稼ぐ意味は無い。新自由主義などの「自分が豊かになること」が目的である人というのは、幾ら稼ごうがその欲望は治まることはなく自分の人生に満足することが無い。

 悲しい哉、我が国の経済界は「青年日本の歌」の通り、正に財閥富を誇れども社稷を想う心なし。我が国の景気低迷の一因は経済人の心の乏しさに起因している。上杉鷹山の「心の赤字の解消」もそうだが、梅岩の経済理論も啓蒙すべきだ。

 日本再建を図る上で真の保守政治家を育てることも大事だが、営利至上主義を糺し、社稷を重んじる経済人を育むことが日本再建の鍵となるだろう。梅岩の教えの終局の目的は、日常生活の仕事を通して人格修行をするというところに在った。

 その答として、梅岩は「ボウフラは人を刺さない。だが蚊になれば人を刺す。これは蚊に人を刺してやろうという心があるからだ。また蛙は蛙だから蛇を怖がる。つまり全ては心が決める」と独自の見解を述べた上で更にこう付け加えている。

「即ち心とは形となって表れる。何かの形は、そのものの心を表している。従って正しい行いをしたければ、先ず正しい心を持たねばならない」。「心学」と云われる所以である。 そこで得られる結論は、簡単に言えば「らしく」ということ。

 武士は武士らしく、農民は農民らしく、商人は商人らしく、夫夫の道があり、その役割と責任を果たすことに拠って、社会の秩序安寧を保つというものである。

 政治家が経営者の様に、先生が生徒の様に、右翼がサラリーマンの様に生きてはダメだということ。政治家は政治家らしく、経営者は経営者らしく、先生も先生らしく、サラリーマンはサラリーマンらしく、右翼は右翼らしく生きることが正道。

「自分らしく」生きる。日本人の勤勉さは、先人のこうした教えや智慧を連綿と受け継いでいる。まぁそんなとこで、皆さんは「らしく」生きてますか。呵呵

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2023年12月29日

今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている(葉隠)

 座右の書ではないが「徒然草」と「葉隠」は折折目を通す。「徒然草」三十八段に「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ」とある。

「世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことだ」と訓える。

「葉隠」というのは逆説的で、例えば「自分は寝ることが好きだ。だから、今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている」との一節がある。

 葉隠や徒然草の教えを真似している訳ではないが、団体を辞して以来、家に閉篭って、只管果報を寝て待つが如く、日々成るが儘に身を委ねて過ごしている。

 蟄居というのはチョッとカッコ付け過ぎで、何のことはない、「出れば出銭」ともいうし、慢性的手元不如意という今の境遇では、やりたいことがあっても儘ならないというのが正直なところで、「閑居して不善を成す」と言ったところか(笑)

「葉隠」の正式名称は「葉隠聞書」とか「葉可久礼」とも言う。佐賀藩士・山本常朝が、同藩の田代陣基(つらもと)に語った口述記録。「葉隠」の冒頭に書かれた「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」との一節は誰もが知る言葉だろう。

 我が国の「武士道」を著した本というと「葉隠」よりも、新渡戸稲造の「武士道」を挙げる人は多いのではなかろうか。「武士道」とは違って、一般の人が「葉隠」から思い浮かべるのは「右翼的」とか「忠君愛国的」というイメージだろうか。

「葉隠」は、親鸞の「歎異抄(たんいしょう)」と共に、大東亜戦争時代に学徒出陣で戦地に赴いた学生達に最も読まれた本でもある。それは歎異抄が「死の平安」を語り、葉隠が「死の覚悟」を語ったものだったからだろうと推測する。

 多くの人は、冒頭に書かれた「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」だけが独り歩きし、ロクに読みもせずに「危険な書」だと決め付けているのではないだろうか。

 三島由紀夫は「葉隠入門」で、葉隠とは「行動の知恵と決意が自ずと逆説を生んで行く、類の無い不思議な道徳書。如何にも精気に溢れ、如何にも明朗な人間的な書物」と語っているが、危険な書というより道徳を分かり易く教えている。

 例えば「意見の仕方」というのがある。「『人に意見してその人の欠点を直す』ということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」と教えてる様に、意見や苦言というのは意外に難しい。

「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」と説く。

 なんと細やかな心遣い、これ程の気遣いをする現代人はいないだろう。「葉隠」は「死に狂いの思想」と云われている様に、狂信的な箇所も少なくない。だが、一方で現代人にも通用する教えも多く、非常に役に立つ内容も少なくない。「如何にして美しく死ぬか」と教えるが、同時に「何の為に生きるか」とも説いているのだ。

「人間の一生なんて真に短いものだ。だから、好きなことをして暮らすべきである。夢の間の間の中にあって、嫌なことばかりして苦しんで暮らすことは愚かなることである。だが、このことは悪く解釈されては害になるので、若い人などには最後まで話すことがなかった秘伝といったものである。自分は寝ることが好きだ。だから、今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている」と語っている。

 三島由紀夫はこれらの教えを「逆説である」と説いている。葉隠は「書かれている内容のその裏の真実を読み取る術が要求される」とも語っているが正しく。

「封建道徳は悪である」といった概念で読む人には「葉隠」は全く理解されることはないだろうが、「葉隠」に接することで、武士道の世界というのは現代人よりも、もっと優しさと慈愛に満ち溢れた世界だったことが理解出来るのではなかろうか。

 常朝は世知に長けた人物であり、常朝の日常の言葉を連ねた「葉隠」とは、日本人の優れた道徳規範と処世術を教えてくれる日本人必読の名著である。まぁ、取り敢えず三島由紀夫の「葉隠入門」から読んでみるのが好いと思う。

「家に閉篭って、只管果報を寝て待つが如く、成るが儘に身を委ねている」という、愚生の心の裏の叫びを読み取って、「一維新者としての残り少ない人生を全うさせてやろう」と物心両面で応援してくれる強力な支援者が現れないだろうか。呵呵

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2023年12月28日

「何れの道にも別れを悲しまず」剣豪・宮本武蔵の処世術に学ぶ

「葉隠」は「武士道とは死ぬことと見つけたり」というが、宮本武蔵の「五輪書」はもっとクールで合理的な武士道であり、「死ぬということ位なら、僧侶でも女でも百姓その他でも弁えている、武士に限ったことではない」と言い放つ。

「武士が兵法を実行する場合は何事に於いても他人より優れている事が第一の条件である。個人対個人の戦いに勝ち、数人の戦いに勝つのは主君の為、我が身の為、名を上げて身を立てる為である。万事に役立つ様に心掛けてこそ兵法の徳である」

 要するに、武蔵は武士が死ぬことを覚悟しているのは当然で、その本質は「常に勝つこと」であり、それによって名を上げる事が目的だと教えている。

「葉隠」の武士道が主従関係に重きを置いているのに対して、武蔵の武士道は戦国の世を如何に勝ち抜き、如何に生き抜くかの現実的な兵法であったのだろう。

「五輪書」には、「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という一節が在る。「山水三千世界」とは、仏教の世界観に於ける宇宙の単位のことであり、「万里一空」とは「世界はどこまでいっても空は一つ」とか「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方である。

 万里一空の意味は、「どんなに遥か遠くまでいっても空は一つしかない。全ては一つの世界に留まっている」。これこそが、武蔵の実践した思想の根本でもある。

「何事も動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」「一つの目標に向かって精進する」などの意味として解釈される。頭では理解するもののコレをいざ実践するとなると実に難しい。人の死や別れに限らず、何か些細な事でさえも右往左往してしまいがちだが、何事も万里一空と思えば冷静にもなれるというものだろう。

 正統右翼浪人を自任している愚生は、世の中の由無し事に一喜一憂し、ブログやフェイスブックなどで尤もらしく時局厳正批判を披歴しているが、目先のことを語ることやSNSでの意見の一致を見ない喧々諤々の議論に何の意味もないことを悟る。

「自然体」とは普段通りではなく相手に合わせることでもある。読書などでの理論武装も好いが、それよりも天地自然や人間の大道を心得えや時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同じ様に対処出来る心構えを日頃から意識することこそ大事であり、そういう意味では「日々修行」ということに尽きる。

 武蔵は弟子に「独行道」という21ヶ条の置文を遺した。その一部を列記する。

 一、世々の道に背くことなし
 一、身を浅く思い、世を深く思う
 一、一生の間欲心思はず
 一、我事に於いて後悔をせず
 一、善悪に他を妬む心なし
 一、何れの道にも別れを悲しまず
 一、神仏は貴し、神仏を恃まず

 この中に「何れの道にも別れを悲しまず」というものが記されてあるのに刮目する。それでは、宮本武蔵という人物は血も涙も無い冷血漢だったのだろうか。

 例えば、酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」とか、或いはタバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などと書かない。飲みたいが、或いは吸いたいが止めようと自分に誓願した者が「絶つ」と言ってこそ、人に訴えるものがあるのではないか。

 そう考えれば武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かで熱血漢だったのではないだろうか。別離に人並み以上の涙を流しながら、涙を見せまいと努力した人間に違いない。

 愚生の盟友だった蒼穹社代表の瀬野壽夫を思い出す。理由は解らぬが、死なねばならない悩みや苦痛が有ったのだろう。盟友として少しでも力になれなかった事を悔やむばかりだが、その苦痛や悩みが「渾身の悩み」なのかは調べる術も無い。

「渾身の悩み」とは、明日には必ず死に逝く特攻隊の方々の悩みである。この英霊の方々の悩みに比べれば、我々の悩みなんぞちっぽけなものだと思うのだが・・・。「何れの道にも別れを悲しまず」 。愚生も斯くありたいものだ。合掌。

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2023年12月27日

さてさて、目明きとは不自由なものだなぁ(塙保己一)

 盲聾唖という視覚・聴覚・言語という三重苦を克服した偉人というとヘレン・ケラーが有名だが、塙保己一(はなわほきいち)を知っている人は少ないだろう。

 ヘレンは幼少時代、母親から塙保己一の話を聞かされていた。訪日した際、渋谷の温故学会の講堂で「私は塙先生のことを知った御蔭で障害を乗り越えることが出来ました。人生の目標であり、心から尊敬する人です」と語ったことは有名である。

 延享3(1746)年5月5日、武蔵国児玉郡保木野村(現・埼玉県本庄市児玉町)出身。江戸時代の国学者。幼名は寅之助。3歳の時に眼病に罹り、7歳で失明。失明後に辰之助と改め、多聞房(たもんぼう)とも名乗ったこともあった。

 15歳で雨富検校に入門してからは、千弥(せんや)を名乗り、その後、保木野一(ほきのいち)、保己一と改名している。文久2(1862)年、長州の伊藤博文と山尾庸三に暗殺されたとされている国学者・塙忠宝は保己一の息子でもある。

 盲目ということで、保己一も他の盲目者と同じく針や按摩を身に付け様とするもさっぱり上達しなかった。身体の弱かった保己一を心配した雨富検校は、「旅をすれば丈夫になるだろう」と、21歳の春、父と共に関西への旅を勧めた。

 北野天満宮を詣でた際に、保己一は「菅原道真」を守護神と決めたという。約2ヵ月の旅行を終え、保己一の身体は丈夫になり、学問への集中力が高まった。それから3年後、最晩年の国学者・賀茂真淵に入門し「六国史」などを学ぶ。

 賀茂真淵に入門した期間は僅か半年ではあったが、真淵から得た学問や同じ志しを持つ仲間は保己一にとって生涯貴重な財産となった。才能を認めた水戸藩や幕府が支援し、国学研究の「和学講談所」を立ち上げ、多くの弟子を育てた。

 天明5(1785)年、水戸藩の彰考館に招かれ「参考源平盛衰記」を校訂。続いて水戸光圀の「大日本史」の校正に参画し、幕府からその学問的力量を認められた。

 保己一が編纂した「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」は、実に41年もの歳月を費やし、木版1万7244枚で作り上げたもので、実に666冊にも及ぶ。

 群書類従が完成したのは文政2年、保己一74歳。群書類従は我が国の貴重な古文書などを「全集」として形にしたもので、国の重要無形文化財に指定されている。

 群書類従に続いて「続群書類従」などを編纂中に体調を崩す。文献の行く末を案じ乍らも、惜しむらく、同4年9月12日に幽明境を異にする。享年76歳。

 保己一と弟子の逸話がある。源氏物語の講義をしていた夜、風で灯りが消えた。弟子達は、「先生、ちょっとお待ち下さい」と申し出ると、事情を知った保己一は、「さてさて、目明きとは不自由なものだなぁ」と朗笑したという。

 ヘレンが何故、「塙保己一」という名前を知っていたかというと、サリバン先生を紹介したベル博士が、ヘレンの両親に語って聞かせてたからで、このベル博士に保己一のことを教えたのが伊沢修二という留学生。後に、文部省高官・教育者となった著名な人物で、「雲に聳 ゆる 高千穂の~♪」で始まる「紀元節」の作曲家でもある。

「されさて、目明きとは不自由なものだなぁ」とは実に意味深な言葉だ。「盲(めくら)千人、目明き千人」という言葉があるが、世の中には物の分かる人もいれば分からない人もいる。人を外見で判断したり、或いは安っぽい世論のムードに流されてはいないだろうか・・・。皆さんには物事がきちんと見えてますか(笑)

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2023年12月26日

戦国武将・斎藤道三の「時代や人を見抜く」処世術に学ぶ

 美濃国に斎藤道三という武将がいた。「まむしの道三」という名の通り、悪名高い戦国武将である。愚生も、こうした削げ者というか変わり者は好きだ。道三は郷士の家に生まれるも、郷士では出世は出来ないと十一歳の時に僧門に入る。

 貧乏人の子は坊主になるのが出世の早道だった。法蓮坊という学僧となり将来を期待される。然し、仏門の世界と雖も家柄とか財産が物言うことを悟る。

 坊主では女も抱けない。魚も食えない。嫌気が差して環俗して油屋・山崎屋庄九郎になった。油商人となり、一文銭の孔から油を注ぐ方法で金儲けに成功するも、士農工商の時代、商人にも満足せず、足を洗って武士になろうと決心する。

 三間半の長槍の使い方を編み出し槍の使い手となり、諸国にその名が知られることとなる。そして土岐頼芸に仕官し、その多才ぶりを発揮する。家老となった道三は事実上美濃一国を掌握する。そして主人頼芸をも殺し終には大守となった。

 歴史では「主人殺し」と非難されて、「まむしの道三」と毛嫌いもされているが、こうしたことは戦国時代にはよくあること、頼芸がボンクラだっただけだろう。

 悪名高い道三だがその才能は非凡。太守になって城下町を岐阜に造ったが当時の我が国では初めての試みだった。道三の娘・帰蝶(濃姫)を信長と政略結婚させる。だが、周りでは信長を「あの戯(たわ)け殿」と嘲笑っていたが、道三は違った。

「残念だが、今にあの戯け殿の門前にワシが子供らは馬を繋ぐことになろう」と喝破した。この見識ぶりと時代を見抜く目、人を見る目など道三から学ぶものは多い。

 悪口を言うのは容易いことだが、人を見た目で判断したり、目先で見てはダメだということだ。悪口というのは嫉妬であり、見方を変えれば実力を認めてるという裏返し。そういう意味では褒められるより貶されてることの方が好都合でもある。

 人を見抜く力というのは人生経験を積むしか無い。信じた人に騙されるのは人を見る目が無かったということに尽きる。だが、相手が騙そうとしてるなら別に身構えることなく騙されてみるのも悪くない。負い目を感じるのは騙した方だし。

 愚生の経験上、笑顔を浮かべてるヤツや、愛想好く振る舞ってるヤツというのは意外と性格が悪いのが多く、単に調子がイイだけに過ぎない。「笑うと目が無くなるヤツは信用するな!」という訓えがあるが、強ち間違いではない。

 作られた笑顔の裏の顔というのは実に醜いもので、自分を誤魔化そうと必死になっている。逆にブスっと無表情のヤツの方が案外信頼出来るものだ。「剛毅朴訥は仁に近し」とは正しく。その逆が八方美人的な「巧言令色鮮し仁」である。

 返事もそうで、何でもかんでも直ぐに「ハイ、分かりました」なんていうヤツは実は意外と聞いていない。話をしてて此方の目をじっと目を見ているヤツもダメ。

 そういうのは相手側に自分の気持ちを悟られまいとしてるだけ。目は口程に物を言うが、浮気を疑った女房が「私の目を見て話せ」というのはそういうことだ(笑)

 此方の話を聞き乍ら時々目を伏せ要点をメモしたり、同意した内容があれば視線を上げ、此方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。 

 何事も、信用し過ぎず、違う角度から穿った見方をすることも必要なことでもある。何故なら、現在の常識や多くの意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた米国の価値観だったり。大事なのは、常に人を見抜く眼力を養うことだ。

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2023年12月25日

「早く死んでは夢も叶うまい」北条早雲の処世術に学ぶ

 愚生は、主君(会社)に仕えることなく俸禄(給料)も無いので、素浪人(正統右翼浪人)を自任している。侍(サムライ)は主君に仕え、侍(さぶら)うこと。つまり、俸禄を頂くことであって、浪人とは侍(さぶら)うことではない。

 昔の右翼の世界にはそうした素浪人が多かったが、今は働き乍ら活動してる右翼人ばかり。破天荒さはこじんまりと治まってしまった。野武士から身を起こして、伊豆、相模両国の大守となった武将の北条早雲の生き様は見倣うことが多い。

 早雲は、若い頃には「新九郎」と呼ばれて伊勢地方で育った。四十近くまで裸馬の生活をしていた変わり者で、そんな中でも一国一城の主を夢見ていたという。

 そんな伊勢時代に、早雲は仲間六人と神水を飲み交し、「我ら七人、如何なることがあっても仲違いなどすまい。互いに力になり合って武功を立てて立身しよう。もし、この中の一人が大守になったら、残る六人はその家人となって助けようぞ」との誓いを立てたという。三国志の「桃園の誓い」の日本版でもある。

 三国志の「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん」という桃園の誓いは名シーンだが、所詮アレは創作でしかない。

 早雲の契りは実話だから面白い。新九郎(早雲)らが契りを交わしてから十五年、新九郎が五十五、六歳になって漸く、小さい乍らも一国一城の主となった。

 新九郎が一国一城の主になると、誓いを交わした他の六人は約束を守って家臣となり、やがて新九郎が北条早雲と名を改め、伊豆、相模両国を支配する戦国大名にのし上がった時には、六人は家老として仕え、その関係は終生変わらなかった。

 好い時も悪い時も同じ様に付合い、幼き頃の高が知れてる約束事を忘れることなく実行したというのは素晴らしい。男の約束、男の友情とは斯く在りたいものだ。

 早雲の立派なことは、民心を安定させ、領民の全てを心服させていたことだろう。戦国の世の中というのは戦争に明け暮れていた関係で、どこの国でも農民を苛め、分けても関東地方一帯は、租税の厳しさでは群を抜いていた。

 当時の租税を「七公三民」といって七割を領主が召し上げる制度で、現在の税制と同じ様なもの。早雲はこれを「六公四民」に改め、百姓を苛める役人を処罰し、病弱者の為に今でいう診療所を開いた。領民の喜びの大きさは計り知れない。

「政」というのは斯く在るべきだろう。北条家が後に五代続いたのも早雲のこうした善政の賜物。五十半ばから芽が出た早雲は、大器晩成の模範の様な男である。

 早雲が伊豆、相模を平定し、関東を制圧したのが実に八十七の時である。その翌年、八十八で亡くなる。長生きは流石に真似出来ないが、還暦を迎えた愚生ではあるが、右翼人として活躍の場は未だ在ると思えば活力が漲るというもの(笑)

 愚生も「大器晩成」と自任しているが、活動家にしては長生きし過ぎた。「憎まれっ子世に憚る」というし、大いに憎まれ口や耳の痛い話をしてやろう。呵呵。

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2023年12月24日

明治維新を導く上に欠くるべからざる礎になった人物「藤田東湖」

 西郷隆盛、吉田松陰、橋本左内を始め、多くの明治維新の志士達が師事し、学び、彼らに最大の感化、影響を与えたのが常盤国水戸藩士の藤田東湖である。

 明治維新を成就せしめた第一人者であり、代表的日本人の筆頭である西郷隆盛が最も敬愛し師事したのは、島津成彬を別としては藤田東湖であったと言われている。

 西郷は、安政元年(1854)春、28歳の時に東湖にしばしば会ったという。東湖49歳の時である。東湖に会った悦びを、西郷は近親者に次の様に語っている。

「東湖先生も至極丁寧なる事にて、彼の宅へ差し越し候と清水の欲した塩梅にて、心中一点の雲霞なく唯清浄なる心に相成り、帰路を忘れ候次第にござ候。彼の方の学問は終始忠義を主とし武士となる仕立にて、学者風とは大いに違い申し候。自画自賛にて人には申さず候得ども、東湖も心に悪まれ候向きにてはござなく、いつも丈夫と呼ばれ過分の至りにござ候。もしや老公(斉昭)鞭を挙げて異船へ魁ござ候わば、逸散駆けつけむべ草に成りともまかりなり申したく心酔仕り申し候・・・」

 西郷が如何に東湖を敬仰し心酔したか思いやられる。東湖もまた西郷を「丈夫」「偉丈夫」と殊に親愛し「自分の志を継ぐに足る人物は西郷」と語り両者は相許した。 幕末の生んだ一大天才、橋本左内も東湖を最も敬慕して止まなかった。

 左内曰く、「小拙も心服致し候者は水府(水戸)藤田氏に止り申し候」。人物、学問、見識、手腕何れも飛び抜けていた左内は謙虚さを失わなかったが、自負心甚だ高く容易に人を許さなかった。唯一、東湖には心から敬服したという。

 越前藩家老鈴木主税がある時「吾が藩は人材が乏しい」と嘆いたという。すると東湖は「それは燈台下暗しだ。貴藩には立派な人材がいるではないか」と言い放つ。主税が「一体それは誰か」と問うと、東湖は「橋本左内である」と答えて笑った。

 左内この時22歳、父の後を継いで藩医となったものの全くの無名の時代であった。 松陰もまた東湖崇拝者の一人で、尊王攘夷派の思想的な基盤を東湖に学んだ。

 水戸を訪れるも謹慎中だった東湖には会えなかったが、東湖の著作を愛読し、松下村塾では「生気歌」「回天詩史」「常陸帯」等を使って人々に教えたという。

 松陰の一番弟子である、久坂玄瑞も東湖を崇拝した一人でもある。年齢がかけ離れて会うことが叶わなかった久坂は「自分は是非お目に掛かりたかった」と嘆じていたが、遂に夢にまで出て来た東湖に会うことが出来て悦んだという。

 西郷、松陰、左内、久坂という維新の英傑達に斯くも決定的感化を及ぼした藤田東湖は、安政2年の地震で不慮の死を遂げるが、明治維新を導く上に欠くるべからざる礎になったのである。正しく明治維新とは東湖の集大成でもあったのだ。

 神武肇国から続く我が国の長い歴史の中で、時代の陋習を打ち破らんと維新という大業が成し遂げられた。「大化の改新」「建武の中興」「明治維新」である。

「維新」とは「維(こ)れ新(あらた)なり」と全てが改まって新しくなることだが、日本維新の会など尊皇精神に乏しい右顧左眄の自己保身に狂奔する政治家や政党が痴がましくも口に出すものではない。 元号を軽々しく使っている政党も然り。

 尊王攘夷派の思想的な基盤を築いた藤田東湖が示した「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚(いずく)んぞ興起せざるを憂えん」こそ維新の精神である。

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2023年12月23日

東条英機元首相らの靖國合祀は当然であり名誉回復こそ急ぐべきである

 本日は上皇陛下の御生誕日。謹んで陛下の長久を祈念申し上げます。また今日は、所謂「A級戦犯」として処刑された方々の命日であることを忘れてはならない。

 GHQは、日本人に戦争犯罪の贖罪意識を持たせる為に敢えて皇太子(当時)の生誕日を選び処刑した。こうしたことでも、連合国が如何に非情かが解るだろう。

 靖國問題を語る上でよく耳にするのが「A級戦犯が後から合祀され、天皇陛下が行かれなくなったことが大きなポイントで、分祀が実現すれば天皇陛下、首相が参拝できる環境が整う」などという戯言。御親拝が出来なくなったのは、恰もA級戦犯であるとしてあろうことに陛下を利用し国民世論を誑かす政治家は後に絶えない。

 何より英霊の名誉が恢復されず、何が日本再生か。抑々、我が国には「A級戦犯」や「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」などという呼称はない。昭和27年4月28日の講和条約発効翌年の第十六国会の議決に拠り、「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正され、それを以て法的に復権されている。何が「戦犯か」、恥を知りなさい。

 連合国側が定めた、A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」として御祀りしている。

 今迄にも大勲位である中曽根康弘や、中共の御先棒を担ぐ小沢一郎や石破茂、前原誠司ら曲学阿世の大馬鹿者が、韓国や中共の内政干渉に屈し、A級戦犯と呼称した挙句に英霊を戦争犯罪人と断じ、「分祀論」を提言して国民を撹乱している。

 御親拝を騙る「分祀論」こそ神道への無理解に加えて非常識且つ無責任な論理であり、国を誤る最も危険な愚論としか言い様が無い。こうした主張が左翼ではなく、保守を標榜する議員から発せられること自体、実に悪質且つ御粗末なものである。

 大東亜戦争終結後、GHQは一方的に我が軍民5700名余りをロクな調査もせずに「戦争犯罪者」と決め付け、A・B・Cの三段階に分けて軍事裁判に附した。

 A級戦犯として起訴されたのは、東条元首相始め28名であったが、極東軍事(東京)裁判で「絞首刑」とされた方が、東条元首相の他、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅の7名、他数名が獄死している。 

 更には、所謂「B・C級戦犯」は1068名が、それ以外リンチに等しいもので亡くなった方が約100名とされ夫夫靖國神社に祀られている。「愚かな戦争」と断じることは容易だが、東京裁判の茶番劇で、或いは異国の地で、その不正義や不条理に言い訳もせず、その罪を諒として償ってくれた方々の命は決して軽いものではない。

 東条英機元首相ら、所謂「A級戦犯」14名が靖國神社に祀られていることを以て、陛下の御親拝に繋げ「分祀論」を展開するなど不敬千万、勘違いも甚だしい。

 A・B・Cの区分は罪の重さではない。然らば、A級戦犯を分祀したとして、他のB・C級の戦犯はどうすれば好いというのか。A級戦犯の分祀を以て、「B・C級も分祀せよ!」となることは自明の理である。B・C級で処刑された方々1068の方々は、昭和27年4月28日の講和条約成立後、約1年毎に靖國神社に合祀されて来た。

 A級戦犯の方々の合祀は見送られて来たが、靖國神社側が昭和53年に「33年祭」を執行した際に、「合祀は適当である」との判断の下に靖國神社崇敬者総代会に提案し、全員の合意を得て決まったもので、至極適切妥当な措置と言えよう。

 何度も言うが我が国には「戦犯」はいない。「戦犯」との名称は連合国側が一方的に唱えたものであり、日本国民が使用すべきでないのは当然のことだ。

 祖国や愛する者の為に身を賭して戦った方々を「戦犯」だとか「戦争犯罪者」呼ぶことは以ての外である。況してや政治家が使うことは先の大戦を否定し、また、「戦傷病者戦没者遺族援護法」改正をも否定する無知以外の何ものでもない。

 東京裁判始め、外地での軍事裁判も愚劣極まるもので、勝者に因る日本への復讐である。然も、それは国際法をも無視した恥ずべき事後法で裁かれたのである。

 連合国側も、流石に裁判の形式での復讐劇に良心の呵責に堪えなかったのか、良心の抵抗を感じてか、軍事裁判の主席検察官のキーナンはその冒頭陳述で、「我々の総括的な目的は正義の正しき執行である・・・」と弁明している。

 ウエップ裁判長も、白々しくも「我々は法に照らし、公正明大なる判決を下すべしとの共同宣言に署名した。当裁判所の大いなる任務は、事実と法との両者に就き虚心坦懐公平なる態度を持するにある」と大見得を切った。

「正義の正しき執行」とか「公正明大なる判決」とはよくもヌケヌケと言えたものだと、ある意味その厚顔さに感心さえ抱く。正義の正しき執行、公正明大なる判決は「戦争当事国」、況してや勝者が敗者に対して行えるものではない。

 厳密に言えば神に拠ってのみ可能であり、求め得る有資格者はスイスの様な永世中立国しかあるまい。A級が裁かれたのは「平和に対する罪」であり、B級が「通例の戦争犯罪」、C級が「人道に対する罪」であるがこれら全てが事後法なのだ。

 それなら問う。広島・長崎へ原爆を投下し、非戦闘員20数万人を殺傷した行為や、東京大空襲や都市部への無差別爆撃は、彼らが東京三番で掲げた「平和に対する罪」や「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」とどう違うというのか。

「日ソ中立条約」を蹂躙し、我が北方領土を侵略し、在満同胞に悪逆非道の限りを尽くしたソ連もまた然りではないか。「正義の正しき執行と公正明大なる判決」は我が国ではなく、米ソに対してこそ向けられ、下されるべきではないのか。

 斯く考える時、連合国に拠って「戦犯」として断罪された東条大将らは、正に「昭和殉難者」というのが正しく、これらの方々を靖國神社に合祀し、その霊を慰藉し顕彰することは今を生きる我々の責任であろ義務でもあると言えよう。

 護国の英霊を祀る靖國神社を国家で護持することもまた当然である。米国人弁護人、ブレイクニーは「広島・長崎への無差別殺戮兵器の原子爆弾の投下を命じた者に被告らを裁く資格は無い」と叫んだ。同じ米国人弁護人のローガンは「欧米から経済的、軍事的に追い詰められた結果の日本の自衛戦争である」と指摘している。

 インドのパール判事は被告全員の「無罪」を主張した。パル判事は、東京裁判の無罪判決の最後を「時が、熱狂と偏見を和らげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、そのときこそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」と結んでいる。

 今こそ、極東軍事(東京)裁判の不当性と不正義を検証し、「戦犯」との汚名払拭と名誉回復を急ぎ、祖国日本と日本人の誇りを取り戻そうではないか!

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2023年12月22日

刮目して拝読せよ!〈東条英機遺言書全文〉

 昭和23年12月22日夜、東条英機閣下は死刑執行の数時間前の東京巣鴨で教誨師の花山信勝師の前で遺言書を朗読した。以下転載する。(一部校正してます)

 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。
 今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、
 国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。
 しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。
 力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。
 ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、
 実に残念である。
 天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。
 元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、
 一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。
 日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、
 実に相済まぬと思っている。
 今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、
 もしこれが永久の平和のためということであったら、
 もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。
 この裁判は、結局は政治裁判に終わった。
 勝者の裁判たる性質を脱却せね。
 天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。
 天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。
 それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、
 これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。
 東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。
 東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、
 その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。
 インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。
 これをもって東亜民族の誇りと感じた。
 今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、
 しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、
 共栄の心持ちをもって進むべきである。
 現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、
 どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
 また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、
 これと協力して行くようにしなければならぬ。
 実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、
 今回の敗戦の原因であると考えている。
 今後日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、
 極東の大勢はどうであろうか。
 終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。
 今後のことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。
 もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。
 日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。
 しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、
 食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなり
 というような感想をもつようになったならば、それは危険である。
 実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。
 よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。
 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。
 日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。
 いまや満州は赤化の根拠地である。
 朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。
 米英はこれを救済する責任を負っている。従って、
 その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。
 日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。
 それは一応は賢明であるというべきである。
 しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、
 一方的に武装をやめることは、
 泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。
 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。
 現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。
 これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。
 国家から欲心を除くということは、不可能のことである。
 されば世界より戦争を除くということは不可能である。
 結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。
 それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。
 第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。
 第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。
 それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。
 米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。
 この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。
 第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。
 この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。
 米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、
 また何をかいわんや。そうでなしとすれば、
 米国に何らかの考えがなければならぬ。
 米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。
 およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。
 産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。
 なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。
 今や戦後3年を経ておるのではないか。
 新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。
 米国としては、日本国民が正業につくことを願い、
 その気持ちでやって行かなければならぬ。
 戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。
 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、
 これを靖国神社に合祀せられたし。
 出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。
 従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。
 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。
 青少年の保護ということは、大事なことである。
 近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。
 この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。
 今回の処刑を機として敵、味方、
 中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。
 もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。
 これらについては衷心、謝罪する。
 これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、
 米国側も大いに考えなければならぬ。
 従って、さようなことをしたことについては、
 米国側も大いに悔悟すべきである。
 最後に軍事的問題について一言するが、
 我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。
 あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、
 徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。
 我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
 教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。
 忠君愛国を基礎としなければならぬが、
 責任感をゆるがせにしてはならぬ。
 この点については、大いに米国に学ぶべきである。
 学校教育は、人としての完成を図る教育である。
 従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。
 欧米の風俗を知らせる必要もある。
 俘虜のことについても研究して、
 国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

 以上が、死刑執行の前日に朗読した東条閣下の遺言書の摘要である。

 主権回復後の第十六国会に於いて名誉が恢復している。英霊の方々への「戦犯」との汚名を雪ぐのは我ら日本人の使命である。改めて、先人が国家と日本民族の命運を賭けて戦った大東亜戦争の真実と意義を考えねばならない。すめらぎいやさか。

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2023年12月21日

色と慾と酒とを敵と知るべし!(水戸光圀)

 時代劇では「水戸黄門」が好きだった。東野英次郎の黄門様が一番好きだ。悪人を懲らしめ、弱い者を助けるという、勧善懲悪のドラマはワンパターンではあるが観てて愉しい。水戸光圀は日本人なら誰もが頭の中に焼き付いている名前だろう。

 ドラマの「水戸黄門」は、スポンサーの松下電気産業の創立者である松下幸之助が、少年時代に読んだ、立川文庫の講談本「水戸黄門漫遊記」を基に、松下幸之助の発案で始まったドラマだということを知ってる人は少ないだろう。

「TBSナショナル劇場」として、ドラマが始まる前に流される音楽の、「明る~いナショナル 明る~いナショナル みんな~ うちじゅう~ 明る~いナショナル♪」という歌詞を、何気に口ずさめる人は多いのではなかろうか(笑)

 そんな松下電器産業が、訳の分からん「パナソニック」との名称に替わってしまい、更には中国共産党に諂ってることに、松下幸之助はどう感じているだろう。

 水戸光圀(徳川光圀)は領民を愛し、善政を施した名君であり、多くの著書を遺した学者であり、将軍家の近親でありながら、尊皇思想の魁となった人物である。

「大日本史」を編纂し、勤王の志士を鼓舞した人物であり、この日本学を「水戸学」といい、佐久間象山や吉田松陰、西郷隆盛、坂本龍馬、桂小五郎など多くの志士が影響を受け、水戸学を知ることで天朝の尊厳性を崇し鼓舞し奮い立ったのだ。

 江戸時代に培った「国学」や「日本学」に拠る勤王思想や武士道精神と、大和魂という国益中心の「愛国」及び「憂国」の心の成果という教えが、「大政奉還」と「大政復古」の見事な明治維新を成し遂げたといっても過言ではない。

 因みに、「大日本史」は水戸光圀一人で書き上げたものではない。水戸藩の人々がその意思を引き継ぎ、完成を見たのは明治39年。実に260年の歳月を要している。「大日本史」は、神武天皇から第百代の後小松天皇までの歴史が綴られている。

 優れた学者を集め、調査・研究を重ねた。ドラマの「助さん」は、ドラマでは佐々木助三郎になっているが、佐々宗淳(別名、佐々介三郎)といい、「格さん」は渥美格之進。どちらも優れた学者で、光圀の代わりに全国に資料を求め旅をした。

「大日本史」という一つの書物を作るのに260年の歳月、然も一つの精神に拠ってこれを貫いているというのは古今東西に例がない。これ偏に水戸光圀の偉大なリーダーシップ故であり、松下幸之助もこうした人物像に心打たれたのだろう。

 水戸光圀は少年の頃、手の付けられない不良だったという。それが18歳の時、司馬遷の歴史書「史記」を読み、学問と修養に勤める様になり、「史記」に負けない歴史書を作ろうと志を立てたのだ。水戸光圀の訓戒というものがある。

 一 正直は一生の賓、堪忍は一生の相続、慈悲は一生の祈祷。
 一 苦は楽の種、楽しみは苦しみの種と知るべし。
 一 主人と親は無理なるものと思へ、下人は足らぬものと知るべし。
 一 恩を忘るる勿れ。
 一 子程に親を思へ、子なきものは身に比べ、近き手本とすべし。
 一 掟に怖(お)ぢよ、火に怖ぢよ、分別なきものに怖ぢよ。
 一 分別は堪忍なり、小なる事は分別せよ、大なることは驚くべからず。
 一 九分に足らば、十分に零るると知るべし。
 一 朝寝すべからず、話の長者すべからず
 一 色と慾と酒とを敵と知るべし。

 この教えを信条として修養を積んだという。この教えの一つに「欲と色と酒を敵と知るべし」というのがあるのが目に留まる。酒を飲まない人や、欲の無い人が、態態、こういうことは記さない。そういう意味でも黄門様でさえ、若い時分には女と酒に溺れ、失敗したのだろうなぁと思えば、少しは気が楽だ。呵ッ呵ッ呵ッ~!

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2023年12月20日

偉人が「戒語」を遺したが戒語とは己の経験に基く自戒である

「我仏 隣の宝 婿舅 天下の軍 人の善悪」という教えがある。人の集まる所では決して口にしてはならないものを並べたもので、茶道の教えの一つである。千利休の高弟・山上宗二が茶会の席で豊臣秀吉に向かって説いたと言われている。

 山上宗二の「一期に一度の会と思って亭主を畏敬すべし」とは「一期一会」の語源ともなった一文である。茶席で先の戦話を自慢する秀吉に「我仏 隣の宝 婿舅 天下の軍 人の善悪」と繰り返す。これが徒で秀吉の逆鱗に触れ殺されたも言われている。

 戒めというものは失敗も成功も経験者であればある程、その言葉は相手の心に響くものだ。戒めを説く偉人は多いのは経験の豊かさでもある。人との付き合いの中での「戒め」を分かり易く教えた、大愚良寛の「良寛戒語(九十戒)」もその一つ。

「言葉の多き」「話の長き」「負け惜しみ」「返らぬことを幾度も言う」「客の前に人を叱る」「人の恥かくことを言う」「人を嫉むことを言う」「おれがこうした」「手柄話」「人を敬いすぎる」「言うこと言わぬ」「あゝ致しました、こう致しました、ましたましたのあまり重なる」「たやすく約束する」「言い足らぬことは又つぎても言うべし」「言うたことは再び返らず」「ことばの過ぐるは愛想なし」・・・

 どうだろう、各各感ずるものがあるだろう。愚生には耳が痛い言葉ばかり。嫁には「ゲラゲラ笑い、ふくれ面、無駄口など固く止めなさい」と戒める。

 良寛というと「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」との訓えが有名だろう。

「地震は信まことに大変に候そうろう。野僧(※良寛のこと)草庵何事もなく候。親類中、死人もなくめでたく存じ候。うちつけに死なば死なずて存ながらへて、かかる憂き目を見るがわびしさ、しかし災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」ー良寛

 文政11年(1828年)、越後の国(新潟県)で大きな地震に襲われる。死者1559人、負傷者2666人、家屋の全壊、焼失を含め20000軒を超える大災害であった。

 災難に遭ってしまうことは誰でもあること。それが何処でいつ起きるかは分からない。起こってしまった災難を取り消すことは出来ないし、災難に慌てふためいたりしてしまうと、過った対処をして災難を大きくしてしまうという戒めである。

 小さなことで慌てたり驚いたりしてばかりいれば、心の中で災難が大きくなってしまい、いざという時には冷静な判断が出来ないということが多い。起こってしまった不幸には「人生にはこういう時もある」と受け容れることも大事なことだ。

 良寛は70歳にして若くて美しい貞心尼と巡り逢い純真な恋をした。その貞心尼に看取られ乍らこの世を去った。愚生から見ても実に幸せの絶頂での死にも思える。そんな良寛和尚の辞世の句は「散る桜 残る桜も 散る桜」。諸行無常やるせない。 

「戒語」というのは経験に基く自戒でもある。例えば、少年の頃には手の付けられない不良だったという水戸光圀公は、18歳の時に司馬遷の「史記」を読み、学問と修養に励む出す。史記に負けない歴史書を作ろうと志を立てたという。

 光圀公の教えの一つに、「欲と色と酒を敵と知るべし」というのがある。酒を飲まない人や、欲の無い人が、こういうことは記さない。あの天下の副将軍でもある黄門様でさえ、若い時分には女と酒に溺れ、失敗を経験したのだろう。

 宮本武蔵の「独行道」に「如何なる別れも悲しまじ」という教えがある。この教えを掘り下げれば、冷血ならばこんなことは書かない。武蔵というのは人一倍涙脆く、人情深い故に感情を表に現さない厳しい修行を積んだのだろうと覚る。

 まぁ、己を戒めるのも好いことだが、余り気にし過ぎると人間、こじんまりしてしまいますし、自動車のハンドルでも遊びが無いと直ぐに事故りますよ。呵呵

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2023年12月19日

日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶにふさわしい国である(中朝事実)

 日本人の多くは、戦後教育もあって日中関係は「同文同種」とか「一衣帯水」という認識を持ち、「四書五経」のイメージで支那への憧れを膨らませている。

 中国共産党に忠誠を誓うかの如く「中国」と呼称する。だが、日中関係が樹立されたのは20世紀に入ってからであり、未だその関係は100年程しか経っていない。

 先の大戦で戦ったのは中華民国である。だが、中華民国が中国共産党との国共戦争で敗れると、摩訶不思議なことに中共が戦勝国として国連常任理事国に就いた。

 中共は、我が国を属国と見做しており、日本にだけ「北京が世界の中心」との意味の「中国」との呼称を強いる。中共からの理不尽な言い掛かりは昭和21年6月に遡る。形式上、連合国の一員であった中共は、その力関係を盾に「中国」を強要した。

 外務省は外務省次官・局長通達として、「理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬこと」と言論機関などにこれを強制し、疑いもなく「中国」を使い続けている。

 右翼陣営や保守を自任している人でも「支那」や「中華人民共和国(中共)」を一括りにして「中国」と呼んでる人がいるが、我が国での中国といえば「中国地方」のことである。況してや「中華人民共和国」を「中国」と呼ぶのは間違いだ。

「中国」という言葉の一番古い意味は「首都」という意味で、中共政府の言う「国民国家」を意味するものではない。現代中国は「中共」と呼ぶのが相応しい。

「支那(シナ)」という呼称は差別だという人もいるが、ならば、世界地図で表記されている「東シナ海」「南シナ海」「インドシナ半島」などは差別表記になるのか。支那がダメならば、大好きな「支那そば」なんて食べられないな(笑)

「支那」という言葉は、最初の統一王朝の「秦」に由来しているという。世界中の多くの国々では支那を「シン」や「China」を母国語の近似音で呼んでいる。

 英語圏は「チャイナ」、フランス「シーヌ」、ドイツ「ヒーナ」、イタリア「チーナ」、ペルシャ「チーン」、アラビア「スィーン」、インド「シナスタレ」など。

 因みに、ロシアは中共のことをチャイナとかではなく「キタイ」と呼ぶ。キタイとは 支那大陸の北部を支配しただけの契丹のことだ。大統一帝国の秦どころか、契丹と呼称とするロシアに、中共から「差別だ」との抗議の声が上がったことがない。

「支那」がダメなら、そうか「チャイナ」と呼べば好いのか。カタカナ表記の「シナ」や「チャイナ」も差別というのだろうか。清朝の公的文書にも「支那」は出てくる。「支那」を漢字にしたのは新井白石で「チーナ」を翻訳したものである。

「支那」とは、易姓革命で政権や王朝が代わっても、その基底にある自然・民族・文化を意味する名称として使われてきた国名であり、浪漫溢れる美しい国名である。

 共産党一党独裁で浪漫も何も感じない、建国70年そこそこの近代国家である中華人民共和国如きを「支那」と呼ぶのは、差別どころか分不相応というものだろう。

 尊皇愛国の書として有名な山鹿素行(やまがそこう)の「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」と日本主義を主張している。

 我が国の「神国思想」では、「天皇を戴く我が国こそが世界の中心である」という教えに導き、人々も「日本こそが特別な神の国である」と信じる様になった。

 中朝事実では外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」と日本主義を主張している。

 鎌倉時代末期、当時、地中海から日本海に至るまで支配力を強めていたモンゴル帝国が日本に襲来した際も、二度の台風に拠ってモンゴル軍を敗走に導いたのは、台風を「神の吹かせた風(神風)」と解釈したことで一層流布することとなった。

 神国思想では、国土を「神州」、国民を「神裔=神の子孫」、国権を「神授(神から委託された権利)」という。国民は神の子として「子が親に孝養を尽くす様に、国民が国に尽くすのは最も現実なる道徳である」との教えに辿り着く。

「教育勅語」も正にこの教えであるが、この神国思想を否定する左翼勢力や反皇室活動家らは「忠孝」を曲解し、根本的な「孝養」の教えも拒絶する。何故に拒絶するのかといえば、先の大戦と神国思想を結び付けてるからに他ならない。

 山鹿素行は、陸奥国会津若松城下生まれ。「山鹿流軍学の祖」として知られており、赤穂浪士の精神的支柱でもあった。江戸時代に於ける武士道の理論を確立した人物であり、素行の談話を筆記した「山鹿語類」は日本人必読の名著である。

 余談だが、日本を「ジャパン」と呼ぶが、本来は「ニッポン」が正しく、国際会議やオリンピックなどで「JAPAN」との表示を「NIPPON」と改めるべきだと思う。

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2023年12月18日

武道や芸事の世界では「守・破・離(しゅ・は・り)」の意味を重視する

「十五ヨリ三十マデ万事ヲ師ニマカスル也。三十ヨリ四十マデハ我ガ分別ヲ出ス。四十ヨリ五十マデ十年間ハ師ト西ヲ東ト違ッテスル也。其ノ内、我流ヲ出シテ上手ノ名ヲトル也。又、五十ヨリ六十マデ十年ノ間ハ師ノ如クスル也。名人ノ所作ヲ万手本ニスル也。七十ニシテ宗易ノ今ノ茶湯ノ風体、名人ノ他ハ無用也」

 上の教えは、茶人・山内宗二が記した「茶湯年来稽古」のものである。その意味は、15歳から30歳迄は師の教えを忠実に守ること。30歳からは自分なりに思索してみること。40歳からは師の教えとは逆にやってみる必要があるという。50歳からは師の如く振る舞うことで己も名人の域になれるということ修行の極意である。

 この教えの基となっているのが、宗二の師である千利休の「守・破・離」の心の大切さである。武道や芸事の世界ではこの「守・破・離」の意味を重視する。

「守(しゅ)」とは「修める」ことであり、師の教えや古からの教えを学び、修行に拠って技芸を身に付けること。修行を始める上での基礎となるものである。

「破(は)」は、そうした今迄の既存の概念や枠組み、秩序というものを破壊してみること。要するに固定観念を棄てることが、その上を目指す意味で重要となる。

「離(り)」とは、師匠や既存の教えから離れて自分で思索して自身の型を創造してみること。この新しい発想と失敗や思索と経験が未来へ繋がって行く。

 伝統を重んじる武道や芸事とあろうと、単に伝統を守り伝えようとするだけでは、結局のところ行き詰まり、伝統を守れなくなってしまうということでもある。

 今に伝えられてることは、古より先人が失敗に失敗を積み重ねた中で、思索して厳選して遺した教えである。こうした先人の当時の悩みや困難を少しも考えずに学ぶということは、大きな失敗もせずに近道で辿り着こうとしているということだ。

 師の教えだけ学んだところで、師や先人が辿り着いた処からは先へ進むことは出来ない。修行とはそんな楽なことではない。そこで「破」と「離」が必要となる。

「温故知新」という言葉があるが、古きを訪ねて新しきを知るには、そこから突き抜ける強烈な努力が必要となるのだ。修行不足では古き教えに気が付かない。

 伝統を受け継ぐには、先ず伝統に学び、根本的な精神を後世に存続させて行くには、新しい息吹を注入する必要がある。そうすることで伝統が再生し、更なる伝統となって受け継がれて行くのである。伊勢の遷宮である「床若(とこわか)」がそう。

 唯唯、闇雲に新しいことをやれば好いというものでもない。古に学び、習得し、それを確り護るというのが何より大事なことである。武道や芸事に限らず、何事に対しても確りとした土台がなければ、伝統を後世に存続させて行くことは出来ない。

 現在の我が国の政治に欠けているものも古(先人)の教えであり、保守派を気取る議員の多くが、未来志向の新自由主義者ばかり。国家というのは未来が全てではない。過去を振り返り、そこから学び、古人の教えを未来に活かすことが必要となる。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見に拠って未来を創造して行くものである。我が国の保守政治家は先人や過去を軽んじ過ぎだ。政治こそ守破離の教えを実践するべきである。

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2023年12月17日

「喪に服する」とは門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず・・・

「喪中はがき」というのは実に便利。故人を利用した都合の好い慣習でしかない。「喪中はがきを出したのに年賀状を寄越すとは無礼千万。来年からは付き合い方を考えなければ」とか、「喪中なので初詣には行かない」という様な声を聞いた。

 喪中の相手を気遣うという意味では、その相手に年賀状を送ったのは思慮不足だったのかも知れないが、相手も悪気が在る訳でもないだろうし、喪中と言っても慣例に過ぎず、年賀状如きにそれほど目くじらを立てる様なことではないと思うがなぁ。

 近親者が亡くなった場合、一定の期間、その死を悼み、身を慎むことを「忌服」「服喪」と言う。「初詣」にしても神道なら50日を過ぎていれば問題はないし、仏教は抑々「死」は「穢れ」という教えではないから初詣に参じても問題はない。

 古くは、忌服(服喪)期間には門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲をなさず、嫁取りをせず、財を分かたずという様な仕来たりがあった様だが、今日ではそれらの都合のイイ部分だけが慣例として受け継がれているだけなのだ。

 現在はここまで喪に服することはないし、そこまでしている人を見たことも聞いたこともない。一等親の身内(両親や妻や夫)が亡くなられた場合でも、一週間も仕事を休んでたら会社から「もう、君は来なくてイイ」と誹られるだろう。

 日本では、喪中の規定に関する法律は奈良時代の「養老律令」には既に見られ、江戸時代になると「服忌令)」という法律によって喪中の規定が記され、これらによると父母の喪は12ヶ月~13ヶ月(旧暦で一年間)であると制定されている。

 明治7年の太政官布告の「忌服令」では、父母、夫、50日、13カ月。妻、兄弟姉妹、20日、90日などと忌(忌中)と服(喪中)の期間を定めている。 明治42年制定の「皇室服喪令」では「12か月」との期間が決められている。

「忌」と「服」は、謹慎の深さに拠って分けられるが、大まかには「忌」は自宅で謹慎する期間であり、法要(四十九日)が終わる期間とされる。一方で「服」は、一般には喪服を着用する期間であり、死者を偲ぶ期間と考えられている。

「忌中」とは、神道の「穢れである死を忌む期間」との考え方で、忌中時(五十日)は「出仕を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」としている。 現在では、こうした「忌服」「服喪」法令は全て撤廃されている。

 仏事の慣例としては今もこの太政官布告が一つの目安にされていて、喩えば父母の死亡に際しては七七忌(四十九日)までが忌中、一周忌までが喪中とされることが多い。国内では仏教徒が多いからどうしても「喪中につき」を出したがる(笑)

「喪」は抑々儒教から生じているもので、父母の死については、13ヶ月間喪に服するということになっている。この13ヶ月の数え方だが、昔は「0」という観念がないので、父母が亡くなった月が1ヶ月目となり、丸1ヶ月なくてもその月が終われば1ヶ月と数え、翌月は2ヶ月目になる。年齢の「数え年」で例えると分かるだろう。

 明治6年、日本で「ハガキ郵便配達」が始まったのを機に、遠方以外の人にも挨拶状を送る習慣が広まっていく。「年賀郵便」の制度は明治39年に始まり、昭和24年には「お年玉付き年賀はがき」が発売されると年賀状が普及にして行った。

 服喪期間という個人の故人への思いはそれはそれでイイが、年賀状如きに、亡くなった人まで巻き込んで一喜一憂などする必要はないと思うがなぁ(苦笑)

 尤も「喪中だから」と門戸を閉じて家に閉じ籠り、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲を成さず、嫁取りをせず、財を分かたず、出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、自らを厳しく律している方なら別だが、そんな人はいない。

 日本人の宗教観ってのは、仏教徒なのにキリスト生誕のクリスマスを祝ったり実に好い加減なもの。そんな日本人が何故か「喪中」にだけ拘るのは何でなの(笑)

 愚生の場合は、「葬儀告別式」や「年忌法要」や「偲ぶ会」も「やる必要なし」と身内や友人らに念を押している。だから喪に服する必要はない。人間死んだら「無」だと思う。若し、愚生のこの思いを無視する様なら化けて出るつもりだ。呵呵。

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2023年12月16日

政治資金パーティー問題は外国人のチケット購入こそ大問題

 マスコミは政治資金パーティー裏金問題を、恣意的に「安倍派」として恰も安倍元総理の下で裏金作りが行われていたと報じているが、細田派時代からの陋習であって、故人の名前ではなく「清和政策研究会(清和会)」と報じるべきだろう。

 岸田文雄首相や閣僚らは1000万円以上集める「特定パーティー」を開催しているが、これは大規模な政治資金パーティーを禁ずる大臣規範に抵触するものだ。だが、大臣規範に罰則規定は無く、空文化状態であり、法的にも穴だらけである。

 政治資金規正法では政治資金パーティーを認めている。パーティー券の購入額が20万円以下なら名前の記載は不要。自民党5派閥の政治資金パーティーの不記載は報告書の訂正で問題無し。だが、政治資金規正法と政党助成法との矛盾は明らかだ。

 政党助成法に拠る「政党交付金」は政治献金禁止の代償であるが、未だに企業献金や政治資金パーティーを続けてるのは如何なものか。国民への約束を反故し、未だに企業や団体からの献金を続けていることは国民への詐欺行為そのものである。

 相変わらず国会議員らは企業献金やら個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔している。これ即ち「クリーンな政治を実現する」という趣旨からも逸脱しており、国民への裏切りである政党交付金は即時廃止するべきである。

 日本共産党は、政党助成法に反対する立場から政党交付金は受け取らない。敵乍ら大したものだ。交付金を受取る政党と受取らない政党が存在している現状は「法の下の平等」とは程遠いものだ。受取らない日本共産党が何故か立派に見える。

 任侠道に欠落してる暴力団が「ヤクザをやるのはカネがかかる」とよく言ってるが、政治家の「政治にはカネがかかる」という言い訳は、同義語だろうな(笑)

 今回の裏金問題で許せないのは、法を作る側の国会議員が、政治資金規正法の裏を掻い潜り、政治資金パーティーを公然と行い、裏金を作っていたことだ。況してや、政治資金パーティーの参加は外国人でも問題が無いというのはどういうことか。

 民主党政権下、前原誠司や菅直人が外国人から政治資金を貰っていたことが問題となった。前原については、自民党・西田昌司の執拗な追求し、前原は「故意ではない」と詭弁を弄するも、在日朝鮮人の婆さんからの献金の事実を認め外相を辞した。

 西田議員は在日からの献金問題と在日の政治活動に対して、「これは日本人の主権が侵害されている大問題なんだよ」と喝破していたが、正にその通りである。菅直人に至っては不法献金を誤魔化す為に原発事故を利用したことは万死に値する。

 現在、国内にはシナ人などの一般永住者が約80万人、韓国人などの特別永住者が約30万人、技能実習者約38万人、留学者約28万人、定住者約20万人と家族約20万人など、実に約289万人の外国人が住んでいる。この数は年々増加するばかり。

 外国人の中でもシナ人や在日朝鮮人らは「外国人地方参政権付与」に躍起になり、国内の珍左翼や左翼メディアを利用して「地域主権」などという妄言で国民を騙し、外国人への権利付与が当然であるかの如く騒ぎ立て、アホな政治家が賛同する。

「岸田派(宏池会)」の政治資金パーティーでは、シナ人が大量にチケットを購入している。他の派閥や野党も同じだろう。外国人からの政治献金は違法なのに、外国人の政治資金パーティーチケット購入が問題ではないというのはどういうことか。

「政治資金規正法」は議会制民主主義の根幹を成す法律である。政治資金の実態を偽ることは国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない。況してやパーティー券購入は政治資金規正法には問われないとしてやっているとしたら実に悪質である。

 今回の政治資金パーティー裏金問題は自民党の陋習が生んだ破廉恥行為であり、国民への裏切りであるが、外国人のパーティー券購入が政治献金の替りだとしたら断じて赦されることではない。 外国人の派閥パーティー参加は氷山の一角だろう。

 自民党の政治資金パーティー裏金問題で自民党政権への批判は留まることを知らない。だが、野党の為体というかオウンゴールで自公連立政権が生き延びる(笑)

 自民党岸田派を筆頭に売国議員どもが中国共産党関係者からの不法献金を受け、忠誠を誓うが如く活動し、売国法案成立に躍起になっていることは疑い様のない事実である。これ以上の我が国への主権侵害を拱手傍観している訳には参らない。

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2023年12月15日

我が国の死刑制度は「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるもの

 日本人というのは「赤穂浪士」を筆頭に「柘榴坂の仇討ち」やら「必殺仕置き人」という様な悪党をやっつける勧善懲悪的芝居が好きだ。今の時代では仇討ちなんて出来ないが、被害者の代わりに執行するものが法律であり、死刑制度である。

 死刑は、犯罪者を被害者に代わって国が処罰する為の制度。我が国の死刑制度は「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして明治6年(1873)2月、司法卿・江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令した。

 幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争や征伐を断ち切るのが目的だった。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布されることとなり、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され、「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

 現代に於いても「死刑制度」は90%近くの国民が支持しているのは、国家が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならないと考える。

 自称人権派弁護士などの死刑廃止論者は、その理由を「国際人権基準」がどうのだとか「非人道的」とか「生きる権利の侵害」だとか「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」とか、被害者側に立った意見はとんと聞かない。

 最近では裁判員裁判でも重大な事件を裁くこともあり、極刑か無期懲役かの選択肢しかない場合もある。過去には、国を相手取り、裁判員裁判に出た主婦が精神的被害を訴え告発したケースがあった。被害者側の峻烈な怒りや悲しみを酌むことも出来ない精神状態ならば、始めから裁判員裁判なんぞ出席せず辞退すべきだった。

 死刑判決は裁判員に大きな負担を強いるし、日本もそろそろ終身刑を導入すべきだとする流れもあるが、死刑制度の廃止より裁判員裁判を廃止した方が好い。

 死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべきという意見を耳にする。いつも思うことだが、この「世界では」という理屈は実に胡散臭げなものばかり。ならば言うが「世界では」微罪であっても裁判は愚かその場で射殺されるのは茶飯事だ。

 死刑廃止の理由として「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「冤罪の場合に取り返しが付かない」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」という性善説等等。

「冤罪」というのは確かに有り得なくはないが、それは科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どで、冤罪の疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけのこと。

「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、そんな欧米人の価値観に与する方が間違いである。

 左翼や自称・人権派などに、こうした主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱え乍ら、都合のいい部分はキリスト教でも利用しようとはホント逞しい(笑)

 被害者の命を軽んじて残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。「生」に拘るより「死」を以て償うべきだと思う。我が国の死刑制度は、仏教の教えでもある大慈悲という意味合いもあるのだ。

 抑抑、死刑制度は被害者遺族に代わり国家が仇討ちするものではないのか。仇討ちを合法化するなら兎も角、終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無い。「死刑は犯罪抑止効果は無い」との理由も、結局は終身刑も同じこと。

 裁判では容疑者の反省の度合いも考慮される。要は、減刑目的に反省したフリをしていれば刑も軽くなるのだ。今迄、愚生も多くのワルを見ているが、多くの者は逮捕された事実こそ反省するが、犯した罪を反省している輩など見たこともない。

 怪しい世論の流れで死刑に替わり「終身刑」が導入されたところで、必ずしも犯罪抑止の成果が上がるとは思えない。況してや移民受け入れで凶悪犯罪が増えるのは必至な状況の中で、死刑制度が廃止されれば、抑止どころか犯罪を助長する。

 死刑囚の「当日に知らされた死刑の執行は受ける義務がない」などという抗弁は、突然に殺された被害者及び遺族の無念や怨念を逆撫でするものだ。刑事訴訟法に基づいて死刑確定から6ヵ月以内に粛々且つ迅速な死刑執行こそ求められる。

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2023年12月14日

赤穂浪士の討ち入りを美学と捉えるか打算的と見るかは人夫夫

 その昔は、12月14頃になると「忠臣蔵」「赤穂浪士」が定番で、テレビでよく放映されていたが、仇討ちを美化するのを否定してるのか、吉良の「悪玉論」への反発からか、年末の恒例行事でもあるドラマが消えたのはチョッと寂しい気もする。

 赤穂浪士の吉良邸討ち入りは元禄15年12月14日とされているが、旧暦では元禄16年1月30日。旧暦だと月の満ち欠けは29.5日周期で、1日が新月だから14~15は満月の夜、30日だったとすると新月に近く薄暗かったのではなかろうか。旧暦の元禄15年は閏年である。つまり一年が13ヶ月あった年だから話がややこしい。

 映画や仮手本忠臣蔵で演じられている満月の夜だったという想定はやはり脚本だろうか。赤穂浪士の精神的支柱となったのが、陸奥国会津若松城下生まれで、「山鹿流軍学の祖」として知られている山鹿素行(やまがそこう)という人物である。

 素行は、江戸時代に於ける武士道の理論を確立した儒学者であり、素行の談話を筆記した「山鹿語類」は日本人必読の著である。山鹿の著した「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」との日本主義を主張した。

 江戸時代267年の歴史の中で理不尽な御家断絶や御家騒動は他にもあったが、赤穂藩四十七士だけが「義士」と呼ばれ「武士道の華」と評価されたのは何故か。それは素行の「正義の遂行」の本義に基付く教えが在ったからだと言っても好いだろう。

  一方で、忠臣蔵の討ち入りに「大義」はなく、「忠義ばかりでなく子孫の将来まで考えて討ち入った」単なる「打算」だと断じる歴史家や批評家もいる。

「大石内蔵助は忠義心によって討ち入らなければ大石家は山科で帰農し、そのまま埋もれただろうが、けれど吉良を討ち取った結果、子孫は本家の浅野家に千五百石の高録で召し抱えられた」との意見があるのも確か。「葉隠」でもこう記されている。

「赤穂浪士の仇討ちも、泉岳寺で腹を切らなかったのが落度というべきだ。それに主君が死んで、敵を討つまでの間が長過ぎる。もしもその間に、吉良殿が病死でもなされた時にはどうにもならないではないか」。仇討ちというのは緻密な計画でやるものではなく、武士とは即刻「やられたらやり返す」というのが本道。事の「成否」は問題ではなく、「成否」より行為自体に意味が在ると訓えているが、なるほど。

 その上で、赤穂の武士を「上方の人間は小利口だから世間から褒められる様にするのは上手である」と嘲笑している。赤穂浪士の討ち入りを打算的と見るか否かは人夫夫。歴史というのは見方で変わるし、行為に何かを感じれば好いことである。

 我が故郷である二本松藩には代々、「必殺を期すには、斬らずに突くべし!」という刀法(剣術)が伝わっている。霞が城(二本松城)箕輪門前に建つ少年隊の銅像がその象徴だが、西軍に向かって「突き」をする少年の姿が模されている。

 浅野内匠頭が、吉良上野介を討ち損じたとの報に接した丹羽公は、「何故、浅野公は斬りつけたのか、斬りつけずに突けば好かったものを!」と酷く悔しがったという逸話が遺る。爾来、二本松では「斬らずに突け」が伝統となったという。

 浅野公と吉良公、東軍と西軍にしろ、それは喩え、敵味方と雖も武士としての生き様は今を生きる我々に何かを示唆しているのではなかろうか。今こそ、まやかしの平和に現つを抜かしてる我々は、懸命に生きた先人の覇気に学ばねばならない。

 余談だが、福島と米沢の峠(旧板谷峠)に赤穂藩の次席家老・大野九郎兵衛ら十六名の供養塔がひっそりと佇んでいる。泉岳寺での討ち入りに失敗した場合には、「吉良は倅の米沢藩主を頼り北上するだろう」と考えて、この峠に身を潜めていた。

 四十七士の本懐の報を受け、十六名はこの地で自刃した。何れにしても「仮名手本忠臣蔵」が日本人の美学を現し、多くの国民から愛されているのは確かだろう。

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2023年12月13日

愚生は右翼人ではあるが愛国者だと思ったことはない(笑)

 街宣右翼のパイオニアである防共挺身隊を辞し、蟄居生活を経て、現在は「正統右翼浪人」などとカッコ付けてはいるが、大学卒業以来、勤労の義務も果たさず生き永らえている。浪人というか、放蕩右翼であって、愛国者などいう驕りもない(笑)

 右翼現役時代には宣伝車に乗り、流し街宣をする場合にも、「我々は民族派・愛国者団体であります」などというのは烏滸がましく、どちらかといえば「自由・民族・平和を守る・防共挺身隊であります」というフレーズを好んで使ってた。

 右翼は愛国者だとは思っていない。親や家族の為に真面目に勤労し、地域や職場の為に協力し合い、そして納税の義務を果たしている方こそ愛国者であろう。

 宣伝車での抗議や街宣、日の丸を振ってることが愛国者なら、「反日」さえ訴えてれば熱狂的愛国者であると勘違いしてる中韓の若者らと大して変わらない。

 右翼とは、行動に拠って世論に警鐘を促す単なる行為者で好いと思っているし、使い捨ての石で好い。まぁ将棋でいうところの「歩」で好いと思っている。

 駒を扱う人に由っては、愚生も歩であろうとも「と金」には成れるが精々そこまで。それでも「と金」ならまだ好いが、何でもかんでも成れば好いというものではなく、「成金」にだけには成りたくないというつまらん意地はずっと持っている。

「王将」に成るべきはその駒を動かす思想家だろうが、右翼人の大きな間違いは、自分が恰も思想家や坂本龍馬にでも成ったと勘違いしてる連中が多いことだ。

 右翼の先生方の理論を見聞きしても所詮は先人の請け売りでしかなく、魂の籠っていない二番煎じでは心に響くものもない。アジテーターというか煽りに乏しい。

 日の丸を掲げただけで愛国者だと勘違いし、それこそが愛国心なのだと取り違えていることが、国を愛する心ということ自体を毀損していることに気付いていない。

 如何にも愛国的な言葉に歓喜し、懐古的なフレーズを称え賛同するが、単なる営業右翼に煽られて利用されているに過ぎず、これらもまた単なる駒でしかない。

 日本人としての誇りや自信の喪失にしろ、自己中心的犯罪にしろ、子殺しや親殺し等々、日本の社会に蔓延する諸問題の根底には愛国心の欠落というものに起因しているとも言えるが、間違った、勘違いした愛国心は事をややこしくもする。

 そうした中で、政治家どもはそれらの根本的諸問題に見向きもせずに、事勿れ主義から論議を避け、非が無いにも拘らず謝罪し続け、問題解決を先送り。

 権力欲逞しい政治家どもの頭の中は保身と次の選挙だけで、票になると思ったら平身低頭、支援者と見れば履いてる靴やケツの穴までなめる勢いだ(苦笑)

 頽廃したマスコミは問題から視点を逸らし、国家や政府を腐すことに躍起になっている。問題が出ればその萌芽は我が国に在ると貶し、国民の愛国心を蝕む。

 今や、左翼マスコミや左翼ジャーナリズムは、珍左翼の視聴者や読者に諂うばかりのマスターベーション的コミュニティサイトに成り下がってしまった。

 迷えるものはつまらぬ宗教に走り、国民の勤勉性、家族愛、郷土愛、信義誠実の原則や心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れて自己中心的欲望に塗れ続ける。

 その反動が、所謂「ネット右翼」を始めとした愛国ブームだろうし、保守団体の組織拡大であり、「日本会議」などの保守系団体の活発な行動なのだろう。

「9条改正」こそ一丁目一番地とばかりに盛り上げようとしているが、現憲法の問題が9条に在ると思っていること自体「9条の会」や左翼らと根本的に違わない。

 珍左翼や護憲派が我が国を貶めてはいるが、国家解体や皇統破壊にまでに事が及んではいないのは、日本人的良識が未だ存在しているからである。だが、保守派に因る安易な改憲は国家解体を加速させるということに気付いてはいない。

 営業保守や自称・愛国者らが口にする「取り敢えず第9条改正を」という認識は、事の重要性を認識していない証左である。なんちゃって改憲が現憲法を絶対化させる。愛国ブームという世情が国家解体の序章でもあると言っても過言ではない。

「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」とはアドルフ・ヒトラー。三島由紀夫も「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と教える。

 日本人が持つべき「大和心(大和魂)」とは、つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた山河麗しき日本の自然に逆らわず調和して暮す従順な心である。

 愛国心というものは他人が教えるとロクな結果しか生まない。偏狭で軽軽しいな愛国心の教育より、日本人の心の奥底に棲む大和心こそ涵養すべし。

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2023年12月12日

「ツキを味方に引き入れる」にもそのタイミングは難しい

「満(み)つれば欠くるは世のならい」「月満つればすなわち欠く」「満つれば虧(か)く」という言葉がある。満月になると必ず月は欠け始める。「物事は絶頂期に達すると同時に下り坂になるのが世の道理である」という無常の教えでもある。

 逆の見方をすれば三日月もまた三日月の儘ではない、また少しずつではあるが満月に向かって膨れて行くもの。つまり、何をするにも「時」というのが大事になってくる。だが、「時やツキを味方に引き入れる」にもそのタイミングは難しい。

 競馬や競輪などの公営ギャンブルや勝負事の経験のある人はよく分かると思うが、例えば「ツキ」というのがある。このツキが勝負事では勝敗を左右する。ツキ出すと自分でも驚くくらい当たり出す。ツイてないと何をやっても上手くは行かない。

 別にツキは博打や勝負事だけのものではなく、人生にも仕事にも経営にも当て嵌まる。だからこそツイてる時には、そのツキを味方に付けて直ぐに動くことだ。

 逆にツイてない時には、余計な動きを控えてじっとその「時」が来るまで待てば好い。大事なことは、折角ツキ始めたのに、そのツキを逃してしまうことと、ツイてもいないのに無理に事を構えて、痛手を深くしてしまうことはよくあることだ。

 善いことと、悪いこととは表裏一体であり、要は、掌の表と裏の関係でもある。「山高ければ谷深し」とも言うではないか。悪いことが起きた時は慌てずじっと肝を据え、軽挙妄動を戒めて、目の前の艱難を有り難いと思い、逆に愉しむべし。

「熱い風呂に入ってる時は動かずにじっとしていろ」とは蓋し正論。熱い風呂で動けば余計に熱くなる。多くの人は、ツイてないのにどうにかしようと動き回る。その結果としてドツボに嵌ることとなる。「静(徐)かなること林の如く」が大事である。

 武田信玄の「風林火山」は「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の句の原文は、「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆」。

「(故に其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し)」と読む。ここで注目すべきは作戦行動に於ける「動」と「静」の対比。攻めるときは風の様に疾く、燃ゆる火の勢いを以てする。

 歴史上、攻めるときは風の様に疾く、燃ゆる火の勢いを以てする「動」だけの武将というのは数多く存在する。「孫子の兵法」でも、武田信玄の風林火山と同じ。

 戦う上で肝心なことは攻撃より「静」の作戦行動であり、攻撃を中断する時は林の様に静かに、次の機会を待ち山の様に動かないことが大事だと訓えている。

 動いてならぬ時に動いて失敗するというのは往往にして在ることで、「風林火山」とは軽挙妄動の戒めでもある。武田軍が無敵と言われたのもこの「静」の為であり、人生に於いても軽挙妄動の戒めというのは当て嵌まるとは思うが如何だろう。

 人間、誰でも好不調はある訳で、その処し方で成功、不成功が決まると言っても過言ではない。「得意冷然」や「失意泰然」とはそういうことを訓えている。

 物事が上手く行ってる(得意)時ほど有頂天にならず、寧ろ淡々と事に当たり(淡然)、反対に落ち込んだ時には焦らず落ち着いて(泰然)沈み込まないのが大事。

 まぁ「果報は寝て待て」が信条の愚生としては、その時(ツキ)を失ってる感は否めない。斯くいう皆さん方も「時はカネなり」とばかり軽挙に奔ってはいませんか。何事に於いても焦らず、落ち着いて時機を図ることが肝要ですぞ。呵呵。

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2023年12月11日

初代・金日成といわれる「金顕忠」は旧陸軍士官学校出身

 1948年8月、米国は反日活動家のだった李承晩を初代大統領に据え、大韓民国を建国させる。米国の傀儡政権であった李承晩は、日本と共同歩調を執ろうとした呂運亮を暗殺し、自ら大統領に就くと「反日・反共」を国是として掲げたのである。

 李承晩が最初にやった仕事は親日派の追放であり、その結果、日本に育てられた優秀な官僚は次々と追放されて行った。「反日と反共」であった国是が、いつの間にやら容共国家となり、「反日」のみとなってしまっているのが現在の韓国である。 

 大日本帝国陸軍将校養成の為の主要教育機関である陸軍士官学校や日本軍出身の朝鮮人は、大東亜戦争終結後、韓国人軍属は朝鮮戦争などで指導的役割を果し、第18代までの韓国陸軍参謀総長は全て旧軍出身者で占められていた様に立派な方ばかり。

 洪思翊中将を始め、趙東潤中将、李秉武中将、趙性根中将、魚潭(西川潭一)中将、李垠(李王)中将、李斗少将、金應善(宇都宮金吾)少将、王瑜植少将の将官の他、韓国軍少将で韓国大統領に就いた朴正煕(高木正雄)などがそうである。

 だが、大韓民国第16代大統領に左翼の廬武鉉が就くと「親日分子取締法」が制定されることとなる。旧日本軍の将官、高級将校を務めた者は貴族院議員、衆議院議員、道知事、裁判官、朝鮮総督府高官などは「親日反民族行為者」と認定された。

 他方、北朝鮮に於いても旧日本軍の将校以上の地位にあった者は対敵協力者として多くが粛清された。ソビエト連邦(旧ソ連)の士官養成教育を受けた者らが朝鮮人民軍将校団の主軸となったが、驚くことに、初代・金日成と言われる「金顕忠」が、大日本帝国陸士学校出身であるという資料が発見されたと産経新聞が報じている。

 第二次世界大戦後、ソ連の傀儡として北朝鮮の首相や主席となった金日成は本名を「金正柱」といい、初代・金日成の「金顕忠」と直接の関係はないが、ソ連が都合の好い金正柱を伝説の金日成だとして仕立て上げたという説が専らである。

 抗日独立運動での金日成将軍伝説は数多くある。「義兵闘争の頃から1920年代まで活躍した」とか「縮地の法を使い、白馬に乗って野山を駆けた」とか「白頭山を根城にして日本軍と戦った」などと言われており、そのカリスマ性は高い。

 金日成は馬に跨って抗日運動を指導し百戦百勝との伝説があるが、金顕忠は陸士時代は騎兵出身で乗馬は得意だった。こうしたこともあって「金日成は日本陸軍士官学校を出ている」「白馬に載って野山を駆けた」との証言が証明された形だ。

 金顕忠はソ連軍に処刑されると、金日成伝説は「金一星」「金日星」「金一成」「金光瑞」などに受け継がれたとされているが、「金日成主席ニセモノ説」が絶えないのはそういうことだろう。初代・金日成が陸軍士官学校出身だったとすれば、金日成のカリスマも北朝鮮の建国の大義も失せることになるのではと心配する。

 北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」というが、実態は民主主義でも人民の国でもなく「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家というのが正しい。

 日本人を始め、世界各地から民間人を拉致し、ニセ紙幣を偽造し、覚醒剤を密売し、ミサイルを製造しては輸出し、核開発に没頭し、ミサイル発射を実行する北朝鮮というのは、旧社会主義に内在した悪の本質が体制化したヤクザ国家である。

 そんなヤクザ国家に向けて「対話と圧力」と、いつもの常套句を宣ってみたところで意味はない。北朝鮮へは断固とした「圧力と制裁」以外には無く、政治の決断と外交での無策の上で「圧力と制裁」を決断するならば、それは北朝鮮への「宣戦布告」であり、戦争状態であるという認識を持つべきだろう。

 拉致問題は主権の侵害であるが、政治的にも外交的にも手を拱いてる以上、拉致問題や核問題はそう簡単には解決終い。日本国民が、戦争を以て解決を図らねばならないという自覚と覚悟を持てば、我が国の政治家も多少は感じ入るかも(苦笑)

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2023年12月10日

SNS上での理論や蘊蓄を実践してるなら天才という他はない(笑)

「巧言令色鮮矣仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」という諺がある。その意味は、言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだという教えである。

 対語は「剛毅木訥近仁(こうきぼくとつじんにちかし」。意思が強く強固で、素朴で口数が少ない人物こそが道徳の理想である仁に最も近い者であるという教え。

 愚生は剛毅さはあると自負してるが、朴訥には程遠い。愛想の好い犬の様に、誰にでも好かれ様とは思わないが、巧言令色というのは無きにしに非ず(笑)

 facebookやX(旧twitter)にしろ、SNSやネットで書き込んでる理論や薀蓄を読んで感じることは、皆さん、ホント凄い。アレがホントなら皆さん天才(笑)

 でも、幾ら素晴らしい記事や理論を読んでみても、読んでる側に全く響いて来ないのは何故だろう。それは、やはり自分の言葉で語ってないからだと思う。

 SNS上では、限られた仲間にしか通用しない理論や聞き齧った付け焼刃の薄っぺらい知識を殊更難しく語り、或いは、使い古された政治用語を斬新な言葉や理論であるかの様に語り、相手の反応など御構い無しに自分自身に酔ってる輩を目にする。

 確かに仲間内で盛り上がったりはしているが、世の中どころか、意見を異にする人などを感化出来るとも思えないし、身近な友人さえも動かせない気がする。

 長いこと右翼陣営を見て来たが、右翼関係者にはこういうのが多く、「巧言令色鮮矣仁」の如く、人から好かれようとホイホイと愛想を振りまく者が少なくない。

 人というのは兎角、自分の短所や欠点を注意されることよりも、何やかんやと御世辞をいう、諂う友を周りに置きたがるものだ。だから孔子は、「良薬口に苦けれども病に利あり、忠言、耳に逆らえども、行に利あり」と教えている。

 如何せん、そういう立派な友などそうそうはいない。多くは「朱に交われば赤くなる」の喩え通り、似た者同士が集まってしまうものである。実社会の人間模様を見渡せば、善友、必ずしも善友ではなく、悪友、必ずしも悪友とは限らない。

「毒を以て毒を制す」という言葉があるが、どちらかというと悪友の方が、結果として善友以上の働きを示すことの方が多い。例えば、畳にこぼれた水を拭き取るには、乾いたタオルでは綺麗に拭き取れない。タオルを充分に水に浸し、これをキリリと絞り上げてから使うタオルの方が水気が畳の水を綺麗に吸い上げるのだ。

 日頃、キレイゴトを言ってるヤツなどは、いざという時にはクソの役にも立たない。そんな上辺だけの者より、共に笑い、共に泣き、ある時は共に悪い遊びをした様な友達の方がいざという時は親身になって心配してもくれるし、心強いものだ。

 今どきの安っぽい風潮やマスコミの垂れ流す話題に流され、営業保守の請け売りの政治や歴史を偉そうに語るヤツより、そんなことは全く分からなくても、酒を愛し、趣味や惚れた女やスケベな話しを一生懸命話してるヤツの方が信用出来る。

 仲間や身内可愛さから、相手の間違いや欠点には見て見ぬフリをすることが真の友人だとしたらお笑い草だ。日頃、国士を気取り「君子の交わり」などと言うのなら、また、かけがえのない友なら尚更、忠告してこれを善導すべきであると思う。

 忠告を聞くか聞かないかは相手の判断次第なのは言うまでもないが、吉田松陰が「常に勅諌なくば」と訓えている様に、その場で相手の拙い点を諌めることは大事なこと。右翼とは削げ者であり、後先を考えない蛮勇こそが求められる。

 まぁ、何事も自分の言葉で自分らしく語りかけた方が好い訳で、文章などもアップする際は、難しいものは分かり易く、簡単なものは格調高く、人生論は自分の失敗や経験なども織り交ぜて、また時にはユーモアを交えて書く様に心掛けるべし。呵呵

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2023年12月09日

偏狭な愛国心より先ずは大和心を涵養すべし!

 愛国心を育むことは大事だが、強制することでもない。奇跡の国である日本というに生まれた喜びと、先人の営為に学び現代にそれを活かすことこそ大事である。それには、愛国というよりも「報国」ということの方が大事であると思っている。

 アドルフ・ヒトラーは、「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しか出来ないのだ」と訓えている。昨今の安っぽい愛国ブームとは、ヒトラーの憂いた兆候と同じ様にも感じで、それを政治家が利用する。

 三島由紀夫は「日本の様な国には愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。『大和魂』で十分ではないか」と語った。この三島の言葉に激しく同意する。

 保守を自任する政治家が、頻りに「愛国心」を強調すればするほど胡散臭げに感じる国民も少なくないだろう。今の保守ブームは単なる流行であり、流行が去れば終わる。抑々、流行とは「病気」の意味なのだから然もありなん(笑)

「自分こそ正論、正義である」と言わんばかりに、自称・保守と自称・愛国者同士がいがみ合ってる現状は罪が無いが、論争を聞いてると目クソ鼻クソの類。

 日本では「愛国」や「愛国心」というと「愛国者」だとは言われない。「右翼」「反動」と非難され、危険思想の持ち主だと罵られる。田母神俊雄元空幕長じゃないが、「日本は良い国だ」と言った途端に更迭されたのがその好い例だろう。

「愛国者」が「右翼」呼ばわりされてしまうのだから恐れ入る。愚生に言わせて貰えば、右翼なんてのは愛国者じゃね~し、愚生は単なる無職の爺さん(笑)

 抑々「右翼」というのはフランス革命に由来する。国民議会で旧体制の維持を支持する勢力(王党派、貴族派、国教派など)が議長席から見て右側の席を占めたことで「右翼」、反対に座る改革派を「左翼」と呼ばれる様になっただけだ。

 愚生は右翼などと蔑視されるが、別に守旧派でも旧体制派でもない。歴とした日の丸革新派であり、一維新者を自任している。「右翼」という言葉は本来、日本には馴染まないし、「右翼」という言葉自体にはかなりの悪意が感じられる。

 愛国者を「右翼」と蔑むことで「左翼」の優越性をアピールし、「右翼は旧態依然の危険なもの」というイメージを創り上げ、国家と国民の離反に成功した。

「ネット右翼(ネトウヨ)」などとはその好い例だろう。保守派に「右翼」と罵れば反論し怒り出すだろうが、「左翼」に「左翼」と言ったところで反論はしない。何故なら「左翼」こそ確信的であり、進歩的なものだと自負しているからだ。

「愛国心」とは結構なことだが、我が国の「愛国」というのは米国の「愛国」とも違うし、諸外国の「愛国」ともまた違う。「愛国」という言葉の由来は「日本書記・第三十三巻」に在る、「朕嘉厥尊朝愛国 売己顕忠」という勅語である。

「朕は、貴男が廷を尊び、天皇国を思い、己を売ってまで忠誠を示したことを嬉しく思う」という意味である。一般個人に与えたられた「勅語」はこれ以外にない。

 勅語の「愛国」の文字は、持統天皇が初めて用いた「国を思う」言葉であり、こうした歴史も知らずして「愛国」という言葉を軽々しく使うものではない。

 天智2年(663年)唐・新羅連合軍に攻撃された百済は我が国に救援を求める。応じた中大兄皇子(天智天皇)を中心とするヤマト朝廷は全国から傭兵し、凡そ5万を募り、百済に援軍を送った。日本軍はその要請に応じたもののその甲斐なく、「白村江(はくすきのえ)の海戦」で大敗を喫し、生き残った者は全て捕虜となった。

 その捕虜の一人であった大伴部博麻は、「唐が日本を攻める」という情報を得るも、知らせる術はなく、自らを奴隷に売って、その工面した金で仲間を帰国させ危機を知らせたのだった。持統4年(689年)のことである。奴隷となった博麻が帰国したのは何とその30年後。帰国後に送ったその言葉が前出の勅語である。

 日本人が失った徳目を呼び返そうという標語として、「愛国心」は最も相応しい言葉だと思う。一方で、ヒトラーの「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」という言葉も当て嵌まる。

 昨今の「保守ブーム」や「ネット右翼」の過熱ぶりを目の当たりにするが、折角の「愛国心」が軽薄なものになってしまっていることも事実ではなかろうか。

 国旗や旭日旗を仰々しく掲げ、「天誅!」だとか「テロ」といった勇ましい言葉が乱舞するが、そこには日本的気風を感じることはなく、単なる贔屓の引き倒し。

 日本人というのは、自分の祖国である日本を「穏やかな平和の国」と無意識に思っている。一方で、「漢心(からごころ)」の大陸では、古代から日本を「倭(ヤマト)」という字を充てて、「倭人」や「倭国」などと蔑視して来た。

「倭」とは、「醜い」とか「卑しい」といった軽蔑の意味のある字で、ヤマトの国を「邪馬台国」だとか、日の皇子の女皇を「卑弥呼」と呼ぶのは明らかに蔑んだ呼称である。それを日本人自らが「倭」などと使うのは愚かなことだ。

 日本人が持つべきは愛国心より、大和の心(大和魂)である。つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず、調和して暮す従順な心を育むことである。愛国心より、先ずは国の成り立ちを教え、大和心を涵養すべし。

 〈敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花〉、これに極まれり。

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2023年12月08日

大東亜戦争後、アジアの国々は独立を果たし「人種平等の原則」は成立した

 本日12月8日は、畏くも「開戦の詔勅(宣戦の詔書)」が渙発された大詔奉戴日である。昭和16(1941)年12月8日未明、大日本帝国海軍は米国領真珠湾を攻撃、東アジアに永遠の平和を確立し、我が国の光栄の保全を期す戦いの火蓋が切られた。

 昭和16年12月8日に渙発された「大東亜戦争・開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」には戦争に至る経緯が記されこう結ばれている。一部摘記する。

【東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス】

(東アジアの安定に関して我が帝国が掃らってきた積年の努力は悉く水の泡となり、帝国の存立も正に危機に瀕することになる。事ここに至っては我が帝国は、今や自存と自衛の為に決然と立上がり一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊を戴き、私は汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め速やかに禍根を取り除き、東アジアに永遠の平和を確立しそれに拠り、帝国の光栄の保全を期す)

 我が国にとって、先の大戦は結果的に敗れはしたが、アジア諸民族の独立と復権を齎し「詔勅」で示された大義と、アジアの「希望の星」としての役割は見事に果たしたと言えよう。タイのククリットプラモード元首相は次の様に述べている。

「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を害なったが、生まれた子供はスクスク育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話が出来るのは一体誰のお蔭であるのか。それは身を殺して仁を為した日本というお母さんがあった為である。12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は、我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの2つの日を忘れてはならない」

 米国では、12月7日(現地時間)を汚名の日「リメンバーパールハーバー」として、日本を卑怯な国として糾弾して止まない。開戦から80年以上経った今でも、依然として我が国は「騙まし討ちした卑怯な国」の汚名を着せられ続けている。

 汚名を着せられた原因は何のことは無い、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れた職務怠慢に他ならないが、抑抑、何故、我が国が開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが問題。それには1953年のペリー来航時代迄遡らなければ理解出来まい。

 我が国は強力な中央集権国家を形成しようと江戸時代の封建制度を改め「明治維新」の大業を成し遂げる。15世紀の大航海時代以来、白人に因る世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となって行った。

 その間に勃発した「日清・日露戦争」も「日韓併合」も避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。「日清・日露戦争」での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で我が国は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案するも、議長を務める米国大統領ウイルソンが拒絶し否決される。「有色人種に人権など必要無い」との差別が横溢していたからだ。

 その後、世界は第二次世界大戦に突入して行くこととなる。我が国は、ABCD包囲網や最後通牒を突き付けられ、「最早、生き残る道は戦争しかない」との決断に至った。大東亜戦争の大義は「開戦の詔勅」に御示し遊ばされいる通りである。

 終戦から6年後の昭和26(1951)年、上院軍事外交委員会で元帥であったマッカーサーが「日本が戦争に飛び込んで行った動機は、安全保障の必要に迫られた為である」と告白しているが、我が国は決して騙まし討ちも、侵略もしていないのだ。

 大東亜戦争後、アジアの国々は独立を果たし、悲願であった「人種平等の原則」は成立した。その事実をしても如何に大東亜戦争が聖戦だったかが理解出来よう。

 昭和20年9月2日、戦艦ミズーリの甲板上で、重光葵外相と梅津参謀総長が降伏文書に調印する。上海爆弾事件で右足を失った重光全権は、ステッキを頼りに義足を引き摺りながら喘ぎ喘ぎ上った。調印を前に一杯の水を所望するが拒否された。

 米国内に横溢していた「卑怯者の『ジャップ』にやる水などない」という憎悪が目に見える様だ。今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」も、結局は日本人への偏見と差別であり、先の大戦を反省すべきは我が国ではなく米国である。

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2023年12月07日

「農業競争力強化支援法」の成立が国土を蚕食されてる元凶

 農林水産省は、農地の住所や持ち主などを纏めた「農地台帳」に所有者の国籍という項目を追加し、農地取得の許可申請でも国籍の記載を求めるという。

 外国資本に因る国内の土地買収という経済安全保障上の懸念への対応だが、外国人や外資の農業参入の根拠となった「農業競争力強化支援法」を見直すべきだ。

 我が国の食糧管理制度(食管法)を支える法律の一つであった「種子法(主要農作物種子法)」が平成30(2018)年3月末を以て廃止されたのは記憶に新しい。

 戦後、食管法の下、主食である米や麦などの主要農作物については政府が市場をコントロールしてきた。種子法は農家に優良な種子を提供する為の法律であり、品種改良や種子の提供に関して、政府や都道府県が責任を持つことを定めている。

 米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度。食管法が平成7年に廃止され「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)」に引き継がれている。

 政府は種子法を廃止をする理由として、米の減反(生産調整)制度が今後無くなる見通しであることから、品種開発の分野についても民間開放するとしている。

 然し乍ら、この「民間開放」というのは詭弁であり、その実は「外資(外国)」参入を目的としたものである。国家の柱でもある農業を経済論で語るとは新自由主義を妄信し、食糧安保という意識に欠落している安倍自民党の為せる業でもあった。

 更に、安倍自民党は、種子法廃止法案の追加措置として、「農業競争力強化支援法」という法案を通した。この法案は驚くことに外資等の規制はしておらず、外国の企業が我が国の農業に参画する出来る為のもので、その後、外資に因る農地や土地買収が謀られ、経済安全保障上の懸念と国防上の懸念が問題となっている。

 農業競争力強化支援法の成立は、公的研究機関やハイテクプラザなどで培った研究資料やデータが外国資本に無償で提供され、それを盗用され、一部を変更することで特許取得となれば今迄の様には使用出来なくなるという危険が露わになった。

 安全安心と言われた我が国の農作物が、「種子法」の廃止と「農業競争力強化支援法」の成立で危機に瀕し、更には「残留農薬基準の大幅緩和」に因って外国産と変わらない危険な農産物が氾濫するだろうこと火を見るよりも明らかだろう。

 正に、我が国農業の危機であると同時に葦原瑞穂国という国柄の崩壊であるが、農耕民族としての自覚を喪失している保守派や自称・愛国者らにそうした危機感はなく、農業を以て立国の基本とするという考えは持ち合わせてはいない。

 我が国が培った種子の分野を外資開放に因って、安価な遺伝子組み換え作物の種子が大量に出回り、我が国の食の安全や安定供給が脅かされることも懸念される。

 種子法廃止法案は、別名「モンサント法案」とも言われていた。モンサント社は、ベトナム戦争で悪名高い枯葉剤である「エージェント・オレンジ」を開発し、ダイオキシンを撒き散らした世界最大のバイオ化学会社である。

 種子法廃止に因り、我が国は米国モンサントに食料を依存することになると言っても過言ではない。つまり、政治的な問題などで、種子の売り控えということになれば我が国の農業そのものが崩壊するという危険を孕んでいる。

 遺伝子組み換えの種子をグローバルに提供する企業としては、独バイエルや米モンサントだが、ここに来てバイエルはモンサントの買収を表明した。

 ドイツと米国は遺伝子組み換えの種子開発に熱心だが、一方では世界最大級のオーガニック市場を持つ国でもある。積極的に遺伝子組み替え食品を世界に輸出して利益を上げ、自分らは安全なオーガニック食材を口にするだろう。

 厚生労働省は「食品中の農薬の残留基準」の改正案で、安倍が妄信する環太平洋連携協定(TPP)や自由貿易協定(FTA)の流れで、外国の基準に合わせて残留農薬基準を大幅に緩和することは既定路線となっている。

 経済安全保障上の問題や、我が国農業の崩壊と食糧安保の放棄という大問題に、農本主義を重んじるべき右翼民族陣営や反米主義の新右翼は沈黙し、抗議の声すら聞こえて来ないのは摩訶不思議なことだ。右翼陣営の凋落は顕著である。嗚呼。

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2023年12月06日

旧宮家の再興は廃絶した祭祀を継承して戴くということにある

 岸田文雄首相は、「安定的な皇位継承策」を喫緊の課題と位置付け、臨時国会中の進展を目指すという。秋篠宮皇嗣殿下~悠仁親王殿下の皇位継承が確定している中で、女性皇族と旧宮家男子との養子縁組というのは「女性宮家」への姦策である。

 2年前「安定的な皇位継承策を検討する政府の有識者会議(清家篤座長)」の報告書では、「皇族数が喫緊の課題」として①女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する②養子縁組を可能にするとし、皇統に属する男系男子を皇族とするとの皇族数確保策二案を提出したが、婚姻後の女性皇族を皇族身分の保証は皇女制度と同じ。

 皇女制度の創設に拠って国賓・公賓への接遇や会食などの御公務を皇籍離脱後にも関わらせようという都合の好い政治利用に他ならない。女性皇族の皇籍を維持させてまで、婚姻後も皇籍を維持させ皇室活動をやらせようとは本末転倒である。

 女性皇族の皇籍維持や「皇女制度創設」はカタチを変えた「女性宮家論」であり、皇籍離脱させられた旧宮家の方々の皇籍復帰論を絶つ為の姦策というのが正しい。

 宮家の本分とは皇室活動ではないし、天皇の国事行為を補佐するものでもない。旧皇族の皇籍を復活させることは、廃絶した祭祀を継承して戴くということにある。

「婚姻後の女性皇族の皇籍維持」は皇族数の確保ではなく、現憲法下での御公務や皇室活動などの公的行事をやらせる為の政府の傀儡としての強要でしかない。

 天皇とは英国やスペインの様な「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多いが、分かり易く言えば日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、ローマ法王などと同じく祈りを重んずる「祭主」である。

「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく、これが伝統というものなのだ。女性皇族が行えるのは国賓・公賓への接遇や会食とイベントに華を添えることくらいなもの。

「女性宮家論」や「皇女制度」は、天皇の在り方や宮家の本分を理解することなく、皇族を単なる国事行為をする便利な存在としか思っていないから語れるのだ。

 国民の多くは陛下の御負担(国事行為)について「女性宮家創設で軽減する」と思っている。だが、天皇が本来重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、国事行為の代行は憲法第四条の第二項に基く委任か摂政のみが可能である。

 現憲法下での国事行為の代行は、現時点では皇嗣殿下しか成し得ない。国事行為の御負担を「女性宮家創設で軽減する」というのは国民を誑かす詭弁でしかない。

 皇女制度は都合の好い皇室利用である。皇族の本分でもある祭祀を継承するには旧皇族の復帰を成すことが重要であり、廃絶になった秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮の祭祀を旧宮家を再興し継承することこそ肝要である。

 旧宮家の方々が皇籍復帰して頂くことで国賓・公賓への接遇や晩餐会での会食などの皇室活動はクリア出来るのに、何故に女性皇族の皇籍維持が優先されるのか。

 養子縁組を可能とし乍ら、「旧宮家の子孫は皇位継承権を持たない」と明記されている。皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋である。「今上陛下とは血筋が違う」とは反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは、「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」の四宮家は断絶してしまったが、東久邇家の系統には歴代天皇と男系で繋がる男子が7名おられ、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が5名、更に4名が誕生しているというし、皇籍復帰で皇統は盤石となる。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。「安定的な皇位継承」というのなら、条件を付けず旧宮家の皇籍復帰を成すべきである。

 旧皇族の皇籍復帰に反対する勢力と「女性宮家」「女性天皇」「女系天皇」を推進している連中は、如何にも皇室の将来を案じているかの如く装ってるが同じ穴の狢。奸賊に因って実に怪しげな世論が醸成されて行く。決して騙されること勿れ。

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2023年12月05日

子育て支援金は違法な外国人への生活保護費や政党交付金を充てよ!

 何やら統計によると今後50年以内に我が国の総人口は現在の7割弱まで減少するという。岸田文雄首相は、少子化対策に対し「次元の異なる対策」を掲げ、児童手当の拡充や育児休業給付引き上げを訴えてたが、この何処が異次元の対策なのか(苦笑)

 米国の実業家のイーロン・マスクが、日本の出生率低下に「日本は何れ消滅する。世界にとって大きな損失だ」との警鐘を鳴らしたことをどう感じただろう。

 マスクは、少子化対策として第1子100万、第2子300万、第3子1千万の子育て支援金を支給する提案に刮目した。旧皇族の系統である竹田恒泰が、第1子に1000万円、第2子に2000万円、第3子に3000万円の支給を訴えてるが大いに賛同する。

 将来の納税者が増えれば国の運営は安泰となる。バラ撒くなら子育て支援金の充実が急務。僅か、3兆円の子育て支援金が出せない政府だが、一方で岸田首相はアフリカ支援に4兆円拠出するなど、海外へのバラ撒きと外国人優遇は度を越している。

 コロナ禍での病床補償金は3兆円以上支払われている。外国人留学生受け入れに年間230億円規模。外国籍への生活保護費は年間3兆7千億円。何より、政党交付金が導入された1995年から毎年300億円以上。既に8兆円以上が政治家に流れている。

「人口激減で国を守ることも出来なくなる」という声もあるが、これは国防の観点からの危機感ではない。経団連や経済同友会など、営利至上主義の団体や企業が、労働人口減少を理由に移民を受け入れる為の我田引水的な口実に過ぎない。

 抑々、人口が右肩上がりで殖えていくことに因る弊害は大きく、人口増加に由って食料すら手に入らないという状況も考えられる。人口をその国の事情に応じて適度な数にすることは喫緊に採るべき対策であり、移民頼りの労働力補填は本末転倒。

 中共やインド、アフリカなどは今後の人口は増え続けるだろう。国民の食糧事情や国家体制の維持には資源確保の問題もあり、中共の周辺諸国への蚕食と太平洋への進出は、「自分達だけ生きれ残る」という奸佞が横溢しているからである。

 現在の7割弱というと8、9000万人ということか。ならば、これより人口の少ない国は全て国を守れないのかとツッコみたくなる。因みに現在の人口となると英国は約6600万人。フランスは約6750人。ドイツは約8400人だが、国防は充実している。

 江戸幕府が終焉を迎え、明治維新当時の人口は約3300万人だった。日露戦争時には約4700万人だが、ロシアの人口は1億3千万だった。ロシアの3分の1程度の人口だった日本が勝ったのだから、人口は多けりゃ好いってもんじゃないだろう。

 大東亜戦争開戦当時の人口は約8400万人。その後「産めよ、殖やせよ」の国策が影響し、戦後の経済繁栄は遂げたものの無自覚左翼の団塊の世代や珍左翼が台頭した。寧ろ現在の1億3千万が殖え過ぎたと考えるべきで、要は量より質が大事。

 先の大戦で我が国が負け、GHQの統治下で米国の経済と価値観を押し付けられた。金儲けを追求して物質的に豊かにはなったが本当に幸せになれたのだろうか?

 金銭的利潤や享楽に流れる人心の質的転換こそ大事である。「人口減少を食い止めるには将来の不安を取り除かねばならない」とか政治家や評論家や学者らが真顔で言っているが、一番効果が上がるのは計画停電ではなかろうか(笑)

 昔、アメリカで大停電が起きた翌年にはベビーブームが到来したし、福島県でも昭和59年頃だったか大雪で停電した年の翌年生まれの子供は多かったっけ。
 
「反原発」とか「脱原発」を訴えてる連中は、古の日本人の様に日の出と共に起きて、日の入りと共に仕事を終えて床に就くとまでは言わないまでも、愚生に倣い朝の4時頃には起きて夜の8時前にはお寝るという早寝早起きを実行したら如何か。

 国民に頼るより国が「計画停電」を実行すりゃ好い。無理して電力確保しなくても停電すりゃ解決出来るし、何より少子化対策にもなる可能性を秘める。

 停電で暗くなりゃ寝るしかないし、人間やることがないと考えることは同じ。数年経てば「反原発」なんてのは過去の遺物となり、電力の問題もクリアするだろう。ってか、何よりも「ベビーブーム到来」で少子化問題も解決するっての(笑)

 電力に限らず、何もかも足らない時代になれば如何に今が幸せだったかが分かるだろうよ。愚生が子供時代の昭和の40年代頃というのはしょっちゅう停電していたし、小抽斗から取り出したロウソクを立てながらの生活も愉しいものだった。

 現実問題、停電になると冷蔵庫が大変なことになるだろうな。大量に買いだめは出来ないから大手スーパーが大打撃となるだろう。「クーラーが無いと熱中症になる」という声もあるが、拙宅にクーラーは無いが扇風機でどうにか凌げている(笑)

 今夏の暑さは尋常じゃなかったが、便利というものにどっぷり浸かった日本人が昔の質素な生活に我慢できるとは思えない。「脱原発」なんてのは理想であって現実無視の大空論。そういう意味でも、戦後の日本人を根本から鍛え直さねばならない。

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2023年12月04日

「オスプレイ事故」で大騒ぎする珍左翼と左翼メディアは中共の第五列

 オスプレイ反対を叫ぶ珍左翼や左翼メディアにとって、鹿児島県・屋久島沖でのオスプレイ墜落事故は待ち焦がれていたものだったろうが、マスコミの偏向報道に流された一昔前の国民とは違って、多くの国民は今回の事故を冷静に捉えている。

 オスプレイが配備されると、左翼メディアを中心に恰も危険であるかの様な記事を垂れ流した。だが、オスプレイの事故以上に危険なのは中共の覇権主義である。

 以前、オスプレイが沖縄県名護市沿岸で、空中給油の訓練中にプロペラを損傷し不時着に失敗した際には、「オスプレイは危ない!」と国民を煽動した。オスプレイ製造初期の頃に事故が起きてるが他の機種に比べても別段に多い訳でもない。

 今や性能も操縦技術も格段に向上しているのに、珍左翼どもがオスプレイの配備を阻止しようと懸命なのか。答えは簡単、中共に与し、忠誠を誓っているだけ。

 尖閣諸島を始め、九州や沖縄の島々には離発着出来る場所はない。敵国(中共)からの侵攻、侵略は色々な場面も想定しておかなければならず、機動力があり、何処でも離着陸出来るオスプレイは貴重な最新兵器であることに間違いはない。

 オスプレイを配備する最大の理由は、日中で懸案事項となっている尖閣問題への圧力と抑止である。機動力のあるオスプレイの島嶼防衛は実に効果的である。

 今迄、資源が乏しいと思われていた我が国だが、尖閣列島の海底に石油の埋蔵が確認され、膨大な量のメタンハイドレートも確認された現在、それを虎視眈々と狙っているのが中共である。我が領土の蚕食を防ぐ為にもオスプレイ配備は心強い。

 現憲法下では自主防衛は到底無理。日米安保条約の下で米国との連携を密にするのは当然で、「オスプレイは危険」などと垂れ流す珍左翼どもを駆逐しなければならない。オスプレイこそ尖閣諸島や沖縄を護る最新鋭の兵器であり抑止力である。

「オスプレイは危ない!」と基地周辺住民を不安にさせる手法は、普天間問題での煽動と同じである。左翼マスゴミの売国性は誰もが知るところだが、共産党議員どもがそれに便乗して、然も住民の味方の様な言動をするのは如何なものか。

 オスプレイ配備が中止されて、我が国が取り返しの付かない現状に陥ったら、それこそ国民の安全や安心はどうするというのか。希少植物の6割が枯死するどころか、日本人の生命と財産を危険に曝すことになるのを黙認しろとでも言うのか。

 福島第一原発事故の様に「想定外」で済ます訳には行かないのだ。オスプレイの緊急配備を決断した意味と理解を広めるのが政治家やマスコミの務めではないのか。

 尖閣列島と沖縄、そして我が国を護る為にオスプレイは配備されてる。更には、南シナ海で巨大な軍事力を振り翳す中共の威圧行為に呻吟するベトナムとフィリピンを護る意味もあり、それはアジアの安定を齎すものでもあると自覚するべし。

 オスプレイのその圧倒的な機動性の高さは、我が国と周辺諸国には大きな抑止力となるだろう。米国に頼らず、日本製のオスプレイを製造出来る法整備を整えよ。

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2023年12月03日

明治5年(1872年)12月3日が明治6年の元旦となった

 明治5年(1872年)12月3日、それまで月の満ち欠けを中心にした太陰暦(旧暦)を切り替え、地球の公転運動(一太陽年)を基準とする、太陽暦のグレゴリオ暦(西暦)を採用し、明治5年12月3日は明治6年1月1日(元日)と決めた。

 新暦は1年を365日とし、西暦年数が4で割り切れる年を閏年とする。100の倍数になる年は400の倍数でない限り平年とする。旧暦では1年が13ヶ月。それが12ヶ月になるのだもの大きな混乱や支障が生じただろうことは想像するに余りある。

 旧暦というのは、月の満ち欠けで1ヶ月を現したのだが、生活の中で月を眺めれば月日が理解出来たというのは実にロマンチックなことだ。西暦はエジプト暦に始まり、ユリウス暦・グレゴリオ暦と改良され、現在世界各国で使用されてはいるが、暦というのは宗教と歴史が関連するものであり、国が変われば暦もまた様々である。

 イスラムでは「太陰暦」、タイでは「仏暦」、ユダヤ教では「ユダヤ暦」、北朝鮮も「主体(チュチュ)暦」、日本も神武天皇御即位の年を紀元とされる「皇紀」を用いるべきだが、その「皇紀」さえも知らない国民は少なくない。

 我が国には「暦」とは別に「元号」が在る。「元号」こそが節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧であり、我が国文化を象徴するものである。改元は一世一代となってるが、明治以前は、主として吉凶禍福とか瑞祥などで行われていた。

 大日本帝国憲法下での元号に関する規定は、旧皇室典範第12条に「践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」と明記されていたが、現憲法下、現皇室典範が制定されるに伴って条文が消失し法的明文が無くなった。

 旧皇室典範第12条の「明治元年の定制」とは、明治元年9月8日発令の「太政官布告」である。ところが大東亜戦争後の昭和22年5月3日の憲法記念日に合わせて旧皇室典範は廃止され、現皇室典範がGHQの策謀に因って国会議決された。

 現皇室典範はGHQに改定され、大嘗祭と同じく「元号」に関する規定が無い。大嘗祭に反対している連中は元号使用に対しても憲法違反であると提訴している。

 国会・政府・裁判所の公的文書等で慣例的に「元号」が用いられたことに鑑み、賛否両論の喧々諤々の末に、昭和54(1979)年6月6日に「元号法」が成立。

 同月12日に公布・即日施行された。「元号法」がある以上、「元号」を用いるべきであるが、左翼や売国マスコミは元号を使わず西暦を常用している。最近では公的文書記入は外国人に便宜を図り、元号ではなく西暦の使用が認められている。

 元号反対の理由は、「元号は戦前からの慣習であり、天皇の元首化を狙うものだ」とか、「元号は旧憲法下の天皇制に付随したものである」とか、皇室に対する怨念を込め、我が国體否定を顕した愚にも付かないものばかり。流石は珍左翼(苦笑)

 左翼マスコミが「西暦」を使うのは「元号が無くても何ら影響が無い」という既成事実を積み重ねてるだけ。「元号法」ある以上、西暦よりも「元号」の表記こそ優先すべきである。反米を唱える左翼がキリスト生誕の西暦使用とは嗤うしかない。

「元号」は、第36代孝徳天皇の御代に建てた「大化」に始まる。「大化の改新」は645年~650年の維新のことである。孝徳天皇の崩御後、新たな元号は定められず、後「白雉(はくち)」「朱鳥((しゅちょう、すちょう、あかみどり)」が続く。

 斉明、天智、弘文天皇の御代には定かでないが、文武天皇の御代に「大宝」が建てられ、今日の「平成」に至るまで約1300年間途切れることなく続いている。

 元号の数は「南北朝時代」に並行した元号を合わせると実に248に及ぶ。歴代の天皇は、数年から10年を目途に「改元」し、巧みに時代の転換をして来た。

 中でも、幕末の混乱期に御即位した孝明天皇は、御在位21年の間に「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」と実に6回も改元為されている。これ即ち、幕末~開国という混乱の時代を如何に転換させるかの苦衷の表れと思われる。

 元号こそ、我が国の悠久の歴史が、天皇を中心に織りなされて来たという厳然たる事実の証明でもあり、我が国の文化である。元号の改定は、徳川時代でも朝廷に許された大権だった。江戸時代中期の学者、新井白石も「折焚く柴の記」で、「元号だけは朝廷の御定めになることである。武家の関することではない」と綴っている。

「令和」という元号は陛下が改定したものでは無い。故安倍晋三首相が、天皇の大権である元号制定権を簒奪し制定した。「皇位は践祚される」という我が国古来の法を破壊し、現憲法の配下に天皇を置こうとしたことは断じて赦されるものではない。

 元号法成立時に左翼陣営は、「元号は天皇主権の旧憲法への逆戻り」「元号は天皇元首化の動きと直結」「元号によって天皇の権威を国民の隅々にまで行き亘らせる狙い」だと騒ぎ立てたが、正に「元号」は、共産党らが指摘した通りである。

 明治欽定憲法を復元し、万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることにあるのは、日本国民として当然の願望ではないか。我が国は、天皇の国であり、いつの世も時の陛下の御代であるのだ。

 我が国はいつの世にも「君が代」の世界が存在し、千代に八千代に存在し続けなければならないものである。天皇の御代を端的に表現するものが「元号」である。正に元号とは我が国の国體の精華であり、世界に誇る美風である。すめらぎいやさか。

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2023年12月02日

事故を騒ぐ前にオスプレイ配備の事の由を知るべし!

 米空軍輸送機CV22オスプレイが、鹿児島県・屋久島沖で墜落し搭乗員8名が死亡した。反オスプレイを叫ぶ日本共産党を始め、似非平和団体や珍左翼らがここぞとばかりに「オスプレイの飛行停止」を叫んでいるが、事故を反戦に利用するな。

 以前、沖縄県名護市沿岸で、オスプレイが空中給油の訓練中にプロペラを損傷し不時着に失敗した際に、珍左翼どものはしゃぎぶりにはうんざりした。オスプレイ配備以来「墜ちりゃイイのに」と思ってたクソどもの頭の中は御花畑が咲き誇る。

 墜落事故を受けて、日本共産党の志位和夫や社民党の福島みずほを始めとしたいつものインチキ左翼のクソどもがオスプレイが如何にも危険であるかの様に批判しているが、オスプレイは他のヘリや戦闘機などと比べても、事故発生率は低い方だ。

 志位に至ってはX(旧twitter)で「墜落事故を起こした米空軍オスプレイは、数多くの『構造的欠陥』をもち、事故を繰り返してきた危険な航空機だ。米軍基地への配備を容認し、自衛隊への導入を進めてきた日本政府の責任は極めて重大である」とポストし、コミュニティノートから「デマ」と指摘されるも未だ修正も無し(苦笑)

 尖閣諸島などの島嶼防衛に大きな威力を発揮するのはオスプレイである。オスプレイの配備は、南シナ海で中共の威圧行為に呻吟するベトナムとフィリピンを護る意味もあり、それはアジアの安定を齎すものでもあり、我が国の役割は重要である。

 尖閣列島を始め、九州や沖縄の島々には戦闘機などが離発着出来る場所はない。敵国の侵攻や侵略には色々な場面も想定しておかなければならず、そこで何処でも離着陸出来るオスプレイは貴重な島嶼防衛の最新兵器であることに疑う余地はない。

 オスプレイの圧倒的な機動性の高さは、我が国と周辺諸国には大きな抑止力となるのは明らかで、取分け、中共にとっては脅威となっている。オスプレイの配備そのものが功を奏しているが、更に総合的防衛力の整備と拡充こそが国家と国民を護る。

 幼稚な平和主義から米軍を批判するのは容易なことだが、国家の大本を忘却し、領土主権の防衛や国民の平和安定に寄与してる米軍に感謝するのは当たり前のこと。

 オスプレイ批判の前に搭乗員に対し敬を以て相対すべきではあるまいか。そんなに米軍が嫌なら、日本独自で自衛隊を強化し配備するべきだが、何故かそれも拒否。

 オスプレイの事故以上に危険なのは中国共産党の覇権主義である。その中共の脅威となっているのはオスプレイであることを知るべきだ。オスプレイ配備に反対してる連中を見れば分かる通り、中共の御先棒を担ぐクソどもや第五列ばかり。

 我が国は四辺を海に囲まれた島国であり、過去に起きたオイルショックの経験から、「アラブ産油国との外交関係の重要性とシーレーン(千海里)の安定化が不可欠である」と痛感し、外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定した。

 海洋国家として自国のシーレーン防衛の重要性が認識され、海上自衛隊もシーレーン防衛として「対潜水艦戦」「対機雷戦」を重点に訓練を行っている。

 イランの核開発によるホルムズ海峡の危機や、中共の覇権主義によって南シナ海や東シナ海、そして尖閣列島などが脅かされているが、適切な海上権益を確保し、マラッカ海峡から日本までのシーレーンの安全を確保することは重要なのことだ。

 米軍と協力して、太平洋~インド洋地域、南シナ海、東シナ海でのシーレーンの防衛体制を確立することが大事である。そうした対策が、結果的には中東等での事態発生に対する抑止力となり、中共の覇権主義を阻止出来るのは言うまでもない。

 オスプレイを配備する最大の理由は、こうした千海里防衛構想の拡充の為のものであり、尖閣問題への圧力であり、抑止であると同時に、南シナ海で中共の威圧行為に呻吟するベトナムとフィリピンを護る意味もあり、アジアの安定を齎すものだ。

 我が国には尖閣列島を始め、九州、沖縄の島々には軍用機などが離発着出来る場所はない。敵国の侵攻、侵略は色々な場面も想定することが重要であり、何処でも離着陸出来るオスプレイはかなり貴重な最新兵器であることに間違いはないのだ。

 オスプレイのその圧倒的な機動性の高さは、我が国及び周辺諸国には大きな抑止力である。事実、オスプレイ配備が功を奏し、中共には脅威となっている。

 日米同盟に依存し、自国の防衛を怠り乍ら、犠牲を負って我が国や近隣アジアの防衛を担おうとしている米軍や海兵隊に少しでも感謝の言葉を述べても罰は当たるまい。今回の事故で犠牲となられた搭乗員に対し、心より哀悼の誠を捧げる。合掌。

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2023年12月01日

誹謗中傷や悪口・陰口というのは嫉妬の裏返しでもある

 SNSでは匿名を好いことに誹謗中傷や罵詈雑言なんてのは当たり前。SNSではそれが普通なのだろうが、SNSと雖も礼節は大事だと思う。意見の違う相手を説得したり、諭したいのなら尚更のこと。意見が違うというだけで人格を否定する様な書き込みも見受けられるが、そんなことでは身近な者さえも感化出来ないだろう。

 批判する側が本名ではなくハンドルネームならやりたい放題。そんな便所の落書き程度の雑言なんぞ「気にするな」と言ったところで気になるのが正直なところ。

 愚生へも以前よりは減ったが「爆サイ」などの掲示板サイトに、正体不明の輩から「あれやこれやと悪口が書かれています」との通報を聞き覗いてみたことがある。

 書き込んでるのはいつものメンバー。中には元警察官らしきものと思われるネタや、一部の人しか知らない情報も書き込まれていたり。前はよく目を通していたが、悪口なんて気にならないと言ってもやはり気になるので閲覧を止めた(笑)

 ブログにはメールアドレスを明記している。メールを寄越せば好いのにそんな度胸は無い。ある事ない事、人格否定の雑言をよくもあれだけ書き込めるものだ。

 こういうコメントを入れて来た人物が掲示板サイトへの書き込みの当人だったり、意外と身近な人物かもな。感心するのは、ブログをよく読んでるわ(笑)

「『汚れた顔の紳士達』は、野村秋介の『汚れた顔の天使たち』のパクリだ」とか書いてあったが、野村秋介の「汚れた顔の天使たち」の元元のタイトルは「塵中に人あり」で、その後にタイトルを変更したが、愚生のタイトルの方が古い。

「汚れた顔の天使たち」は、フランス映画「汚れた顔の天使」のパクリだろう。因みに「爆ちゃん吼える」は、ビートたけしの「たけし吠える」のパクリです(笑)

 往々にして悪口や陰口というのは嫉妬の裏返しでもある。羨ましさやヤキモチが悔しさとなり、誹謗中傷に奔る。逆を言えばその実力を認めているということであり、だから正体不明の便所の落書きと同じ様な書き込みに一喜一憂する必要も無い。

 大勢の意見とは「正論」というより「平均的意見」に過ぎない。そうした平均的意見に異を唱え様ものなら酷い目に遭うのがネットの世界というものでもある。

 往往にして人というのものは理屈ではなく、単純に「好きか嫌いか」のどちらかで判断するものだ。反抗的且つ歪な先入観に囚われる者に、滔々と説得を試みたところで受け容れられることはないし、相手側が矯正されることは殆どない。

 愚生の様な浅学な右翼浪人如きが、正論を訴えれば訴えるほど相手側は癪に障ることもあるだろう。だから、理論とかではなく、人格などを攻撃しては悦に入る。

 新約聖書・ルカ福音書四章に「預言者郷里(世)に容れられず」という言葉がある。「優れた人物というのは往々にして、故郷や世の中では受け容れられないことが多い」という喩えである。何事に於いても評価するのは後世の人というのが常。

「受け容れられない」というよりも「受け容れたくない」というのがホンネでもある。例えば身近な者が出世したり、自分よりも優れていればヤキモチを焼くのは人間の性というものでもある。「隣の家に蔵が建つと腹が立つ」とも言うだろう(笑)

 現代に於いても批判されたり、軽んじられてる意見こそが後に正論だったり事実だったりするもの。喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほどテロで殺されている。

 歴史を見てもそうだが、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くはバカかキチガイ扱いされた上に罰せられるか殺されている。逆をいえば、バカとかキチガイだとか変人だとか言われる様になればホンモノ。

「天動説」が当り前だった時代に、「地球が太陽の周りを廻ってる」と説いたガリレオ・ガリレイの科学などは考えられなかったのは当然といえば当然のこと。結果、「地動説」を唱えたガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判で弾劾された。

 当時は、天動説が大勢であり正論だった訳で、地球が回転し乍ら太陽を周回してるなどと誰も思うまい。世間からは「気が狂った」と思われたのは気の毒でもある。

 SNSなんてのも同じで、当たり前だとか、正論だとか、常識だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ずということだ。

 正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。「後悔」とよく言ったものだ。そんな時代に懸命に正論を吠えたところで理解してくれる訳は無いだろう。

 分かり易くいえば、何しろ世の中にはバカの方が多いし、マスコミの垂れ流す意見が正しいと思いこんでいるのだから結果的にそうなってしまうのは自明の理。

 五箇条の御誓文では「万機公論に決すべし」と教えているが、公論が正しい訳ではない。公論とは常識や日本人としての心構えがあってこそ成り立つもので、国民の判断力は古今東西常に低く、実に幼稚で気紛れなのだから公論でも間違いは起こる。

 政治というものは、世論に迎合することなく国家観を重んじ乍らも、時には国民目線とかけ離れた国家観や歴史観、人間観、世界観、高度な権謀術数を必要となる。

 今の世の中というのは「あの人は善い人だ」とか、「あの人の言ってることは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違った固定観念だと思った方が好い。

 SNSをやってると、悪口を浴びせられたり、誹謗中傷の対象となってるのは見方を変えれば実力が備わってきた証しである。堂々と我が道を行け!呵呵

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