2023年09月

2023年09月30日

「靖國神社国家護持」とか言ってる右翼が終身正会員になってないの?

 靖國神社崇敬奉賛会の終身正会員になったのは、知人のヤクザが、桜満開のシーズンになると毎年靖國神社を訪れていて、同道した際に「何だ、ヤクザのオレが終身正会員なのに『靖國神社国家護持』とか言ってる右翼が終身会員に入ってないのかよ?」と揶揄われ、なけなしの5万円を支払い即入会したのは30年程前のこと。

 以来、桜満開のシーズンやみたままつり、春秋の例大祭と参じていたが、右翼団体を辞してからは行く機会もめっきり減ってしまった。今月19日の秋季例大祭第二日祭には久しぶりに参加する予定でいるが、その前に慢性的不如意解の解決だな。

 昨今の靖國神社は、明治維新の日本人同士が日本の行く末を憂いて戦った戊辰の役などの歴史が軽んじられ、大東亜戦争の勇猛さや英霊ばかりが脚光を浴びて、遊就館を見ても戦争ミュージアムに成り下がってしまった様で違和感を感じている。

 所謂「終戦の日」の靖國神社参拝は、保守派や自称愛国者、軍事マニアや戦争オタクの集まりにしか思えないし、保守票欲しさの政治家がパフォーマンスにはうんざり。靖國神社建立の趣旨や黒船来航から戊辰の役の国難などは忘れ去られている。

 以前、故石原慎太郎と亀井静香、平沢勝栄ら超党派の有志衆院議員が、「賊軍と称された方々も、近代日本の為に志を持って行動した」として、靖國神社の徳川康久宮司(当時)へ、合祀するよう申し入れたことがあった。愚生も、本殿に祀る「官軍」と鎮霊社に祀る「賊軍」の死者の選別は見直すべきだと思っている一人でもある。

 近代日本への先人の志を重んじた、超党派議員の合祀の申し入れは理解出来る。我が故郷である二本松藩や会津藩は、未だに「朝敵」と断じられ続けている。

 抑々「朝敵」ではなく「東軍」である。「朝敵」や「賊軍」とは、長州閥の明治新政府軍が創った造語である。我が二本松藩は「皇軍」という名の「官軍」と戦った訳ではない。抑々、錦の御旗を掲げた西軍に、尊皇精神や大義は無く盗賊の類。

 靖國神社は明治2年、明治天皇の思し召しで「東京招魂社」として建立された。合祀対象は、右大臣・三条実美が奉読した次の祝詞に明示されている通りである。

「八十日々はあれども、今日の活く日の足る日を祭日と定めて、祭らしめ賜ふ去年今年、皇軍に死れる輩の靈の前に白さく、汝等は靈ちはふ神の御代より樛の木の彌繼々に天下知し食しぬる我が天皇の大御代と共に久しく言繼ぎて、臣たる人の鑑となす押日命の言立ての、海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、大王の上にこそ死なめの其の事業を今の現に取り行ひて、所は變れども心は一に、皇軍に役立して賊徒等を討たむる其の戰に痛手負ひて命果てぬる輩なれば、上も下も憐の靈よ尊の靈と言ひ思ひ哀しみ畏み祭る、此の祭を受け辱み、千世萬つ世、天翔りて動かず、變れず、大御代の御爲と爲らむ靈とそ思ひ慕ふになむ、吾が身其の時しも監察使の勅を奉りて、此の吾妻に來たりて、東北の軍事をも親しく聞、其軍人の難苦し趣をも知りにし事なれは、今其の事共を思ひ出て、殊更に哀しく、殊更に慕しく思ひて、今此の祭の場に詣り來て拜み齋く事になむ、輔相從一位右大臣藤原朝臣實美、明治二年已巳七月朔日」。この祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、或いは「西南の役」で敗れた西郷軍関係者が祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が灌がれることはない。

 明治26年には靖國神社の参道に、高く聳える大村益次郎の銅像が建立された。大村益次郎といえば、今や靖國神社の象徴でもあるが、陸軍大将・西郷を差し置き、陸軍の実務責任者として靖國神社の建設場所を独自の判断で決めた人物でもある。大村がその後、三条の祭文の不条理を糺していれば靖國の在り方も違っただろう。

「朝敵」と差別され続けている方々は本殿に向かって左奥に鎮座する「鎮霊社」に祀られているが、「朝敵」とされた方々を本殿に祀ることと、別なカタチで祀ることのどちらが現代という時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか。何より死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわない。

 鎮霊社の歴史は浅く、昭和40年5月26日に地鎮祭が斎行され7月13日に鎮座祭を挙行し、以来この日に祭事が斎行されている。幕末の嘉永6年以降、戦争や事変に係わって亡くなられた戦没や、本殿に祀られていない御霊と、世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀っている社である。

  この御霊には、慶応4年の戊辰戦争で会津若松の飯盛山で自決した会津藩白虎隊や二本松少年隊、明治10年の西南戦争で自決した西郷隆盛らも含まれる。 然し乍ら、本殿と鎮霊社の並立状態は、平成13年参議院選挙直前の記者クラブでの党首討論で小泉純一郎がいみじくも言った「死者の選別」に皮肉にも該当する好例だ。

 靖國神社側が、宗教的な敬虔さを示す為に「鎮霊社」を設けたことは高い評価を受けるべきであろうが、未だに「朝敵」とされ、死後も尚、本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状を鑑みれば、真に「靖國」の意味が在るのか疑わざるを得ない。

 また、昭和25年8月9日の自衛隊の前身である警察予備隊発足以来、阪神淡路大震災や東日本大震災を始め、災害派遣や平和と独立、領土と国民の生命財産を守るの訓練などで、実に2054名(陸自1102柱、海自485柱、空自436柱、機関31柱)の自衛官が殉職されている。今年も沖縄県宮古島付近で陸上自衛隊員が殉職している。

 近い将来、我が国が戦争となり、自衛隊員の戦死が生じた場合、慰霊し、顕彰するのは靖國神社を於いて他にない。靖國神社の在り方を根本的に見直すべし。

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2023年09月29日

日華国交条約を破棄した国賊・田中角栄の大罪を赦すべからず

 昭和47年(1972年)9月29日、総理大臣・田中角栄は北京で中華人民共和国との国交を快復する為に日中共同声明に調印する。その際に田中は、「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し深く反省する」と述べた。

 田中の共同声明での誤った歴史認識と謝罪外交が悪しき前例となり、「村山談話」や「細川談話」など始め、我が国の外交の基となり、現在も受け継がれている。

 我が国が先の大戦で戦ったのは中華民国であり、戦後4年も経って独立を果たした中華人民共和国ではない。干戈を交えた中華民国とは、我が国が主権回復した昭和28年4月28日に「日華国交条約」を締結し、中国人民との和解は成立している。

 田中は更に、共産党一党独裁の中国共産党政府を中国唯一の合法政府であると承認し、「日華国交条約」を破棄した。国際法規の蹂躙は憲法98条違反である。

 時の権力者である総理大臣が平然と憲法を蹂躙したことに、マスコミはこれを看過し沈黙を極め込んだ。護憲派からも提起されたことはないが、何が護憲か。

「日華国交条約」蹂躙という田中の行為は、終戦間際に日ソ中立条約を破棄して我が国に宣戦布告したソ連の蛮行と同じであり、道義国家失墜の象徴でもある。

 国際条約の締結は、憲法上の天皇の国事行為である。臣下に過ぎない総理大臣が蹂躙することがあってはならない。田中は二重の意味で国家への大罪を犯したのだ。

 日中国交条約の調印と日中共同声明を受け、中華民国は直ちに我が国との国交を断絶した。我が国が未だに台湾を国家として認めていないのは、道義国家に悖る国際条約の蹂躙が原因であり、主権国家として許されない破廉恥行為でもあったのだ。

 未だに我が国が、中共を唯一の政府と認め、台湾を国家として認めない故に、「チャイニーズタイペイ」などという中途半端で無礼な表記が罷り通っているが、これつまり、田中が戦勝国でもない中国共産党を「唯一の政府」と認めた結果なのだ。

 先の大戦は敗れはしたが、戦後にアジア諸民族の独立と復権を齎したのは事実だろう。我が国はいつの時代もアジアの希望の星でなくてはならないのだ。日中国交条約と日中外交戦略を見直し、真の独立国家としての恢復を目指さねばならない。 

 20世紀最大の害悪はファシズムでもナチズムでも況してや日本の軍国主義でも帝国主義でもない、悪害は共産主義であり、中でも中国共産党は世界の癌である。

 歴史に「もし」ということはないが、もし日米が戦わず、蒋介石と日本軍の和平が実現していれば満州国は保全され、中華民国は中国共産党を圧倒していただろう。

 もしそうであったならば、戦後の中国共産党の大躍進や文化大革命や天安門事件も起きなかっただろうし、北朝鮮の拉致事件も起きなかったのではなかろうか。

 大東亜戦争とは、ソ連コミュンテルンとソヴィエト中国共産党、そして日本国内の近衛文麿と尾崎秀美ら共産主義者が仕組んだ共産革命の為の戦争だったのだ。

 我が国は、共産主義者らの策謀にまんまと嵌ってしまったのだ。その視点に立った時に我々は何を成すべきか。先の大戦自体は恥ずるべきものではない。何故なら我が国はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた連合国と戦ったのだ。

 それでも尚、アジアの人々に謝罪をする必要があるというなら、最大の過ちは共産主義の跋扈を許したことでありその償いは共産主義を失くすこと以外に無い。

 我が国の対中の弱腰軟弱土下座外交は、西沙諸島や南沙諸島、台湾やインドカシミール地方で中共の無法と虐政に呻吟している国々にとっても落胆は隠せない。

 右翼民族派は毎年9月29日を「反中共デー」として、「中国共産党打倒」や中共の跳梁跋扈を糾弾している。この運動の輪が広がることを願って止まない。 

「中国」ではなく「支那(シナ)」が世界の共通語!アンケートに御協力を!
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2023年09月28日

国家観逞しい政治家に拠る政界再編が最後の正しい姿である

 自民党の麻生太郎副総裁は講演で、防衛費増額や反撃能力の保有を決めた岸田文雄首相について、「誠実そうに、リベラルそうに見える顔が世の中に受けている」と評していたが、リベラルそうには見えないし、世の中に受け入れられてはいない。

 政府の進める反撃能力に反対してる公明党は「専守防衛に反する」というのがその理由。これに対し、麻生は、「公明党の山口(那津男)、石井(啓一)、北側(一雄)等々、一番上の人達やその裏にいる創価学会」を癌だと断じている。

 麻生は「公明党が反撃能力に反対しても自民党としては当然報復(反撃)しますよ」ということを公明党に認めさせた岸田を持ち上げてるだけ。政権にしがみ付く公明党の脚元を見た上での駆け引きだが、国民が求めてるのは自公連立解消である。

 以前、高市早苗が政調会長だった頃には「憲法は国家観に関わることだ。常に選挙の争点になるべきで、国家観に拠る政界再編が最後の正しい姿だと思っている」と、改憲に難色を示す公明党との連立解消を示唆したが、自公の闇は深く頓挫した。

 公明党幹部は、この高市発言に対し「自公与党で過半数獲得を目指していることに水を差す話で、慎重さに欠ける発言だ」とイチャモンを吐けた。公明党というのは正しく癌であり、その癌が大きくなり過ぎて身体(国家)に支障を来している。

 自民党は改憲について、安倍元首相の憲法96条の改正条項の緩和したい方針を示しており、公明党が96条改正に難色を示すなら連立解消をするべきではないのか。公明党も国民不在の幼稚な平和主義を振り翳すなら自ら連立を解消すべきだろう。

 公明党の売国性は今更説明する必要もなかろうが、「外参権付与」「自虐史観」「反天皇」と枚挙に遑なし。今や政治、経済、文化、教育、司法に至るまでと創価学会は巷に蔓延し、祖国日本を蝕んでいる。問題になっている「生活保護費の不正受給」に公明党の地方議員らの関与が囁かれているが、癌細胞は広がる一方。

 生活保護費の受給が一番多い都道府県は大阪府で、約60万人。大阪には国内の在日朝鮮人の3分の1の約20万人が住んでいる。そのうち12万人が大阪市に集中しているが、参政権付与に因って、大阪市長の勝敗が左右しかねない恐ろしい数だ。

 米国民主党が移民政策を実行したことで、今や米国は悲惨な状況となっている。移民政策は外国人への参政権付与問題と同じで、移民の票欲しさに実行を謀った。

 米国に限らず、イギリスやフランス、イタリアなど移民政策は破綻してるのに、労働者不足を理由に今更乍ら移民を受け入れる岸田政権に期待するものは無い。

 大阪市が、在日朝鮮人への生活保護費や不正自給へのバラ撒きで財政は逼迫していることは今や周知の事実。不正受給に奔る在日らには創価学会々員が多く、この為に公明党議員が暗躍しノウハウを教え、行政側に圧力を掛ける構図である。

 言ってみればその行動の全てが布教活動であり、大阪市の財政逼迫の元凶は公明党イコール創価学会と言っても過言ではない。外参権付与に狂奔するのも、韓国にSGI(創価学会インターナショナル)会員が40万人以上いると言われているからだ。

 公明党というのは日本の政党というより、池田太作の祖国の為の政党というのが正しく、外参権付与法案成立に躍起なるのは言わずもがな。平和の党が厭きれる。

 布教活動の一環で、在日を擁護し、生活保護を不正受給させた上に参政権を与えようなどとは言語道断である。国家や国籍を軽んじて外国籍定住者に参政権を与えることは、その蟻のひと穴から国家の崩壊を招くことを我々日本人は自覚すべきだ。

 創価学会は、宗教団体というより学会員の現世利益を追求する社会運動体であり、公明党は、その現世利益を政治的に実現する為の出先機関でしかない。

 創価学会は、極めて戦後民主主義的且つ反国家的な団体であり、畏くも天皇陛下を族長と仰ぐ日本国家の正統にとっても悉く異質な存在である。こうしたカルト宗教傘下の政党が政府与党の一翼であることは我が国の不幸を招き続けるだろう。

 公明党の組織票など当てにする政治家は要らない。高市早苗の言う通り、国家観逞しい政治家の共闘に拠る政界再編そが最後の正しい姿である。自民党よ、自虐史観逞しい公明党に三下り半を突き付け、連立を解消すれば支持は戻るかもよ。呵呵

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2023年09月27日

「頭が2つある子、生まれてますよ!」なんて言ってたバカがいたな(苦笑)

 東京電力福島第一原発の処理水放出を巡り、元法政大学教授・田嶋陽子は出演した番組で、「海が汚れるとか、魚の形態が変わってくるんじゃない・・・安全基準なんて満たされてないじゃん」との垂れ流し発言に非難の声が集まっている。

 ノスタルジック左翼ばあさんが、相変わらずマスコミに登場していることに厭きれるが、処理水の海洋放出に反対してるのは、中国共産党とそれに与する野党や田島ら珍左翼だけ。IAEAが安全を確認してるのに、田島は何を論拠にしているのか。

 処理水放出に反対して、如何にも福島県に寄り添う様に見せつつ、「魚の形態が変わってくるんじゃないのか」との発言にしても、福島県産水産物のイメージを悪くするデマを流してるという自覚は無いのだろうか。田島の自説は悪質である。

 漫画「美味しんぼ」で、東京電力福島第一原発を訪問した主人公の山岡士郎が突然鼻血を出し、双葉町の井戸川克隆元町長らしき人物が登場して、「福島では同じ症状の人が大勢いる」との描写に対し、批判が相次いだことがあった。

 作者の雁屋哲は「ここまで騒ぎになるとは思わなかった」とその軽挙を認識していた様だが、雁屋の「福島にはもう除染しても人は住めない」「今の福島には住んではいけない」との発言や売国性を見れば確信犯だったことが窺える。

 井戸川元町長は「漫画に環境省が異常なほど反応していますがこれは彼らが福島で安心キャンペーンの嘘がバレる為に躍起になって否定をしているからです。嘘をついていなければ漫画がどうしたと平静でいられるものです。如何に福島は危ないかを証明しているのは今の環境省です」との自説を垂れ流したが、田島のソレと同じ。

 以前、日本生態系協会会長の池谷奉文が「福島の人とは結婚しない方がいい」「今後、福島での発がん率が上がり、奇形児が発生する懸念がある」などとの発言したのを思い出す。全く根拠の無いものだったが謝罪するどころか頬っ被りをして逃亡。

 東京電力福島第一原発事故後、放射線の低い福島市から逸早くトンズラしたライブハウス経営者の木村雄一は、避難先の佐賀県から「緑の党」の比例代表に出馬。

 自主避難者に対しても災害救助法に則り生活費などが保障される。 福島の地を捨てた自称・被災者が福島を貶めてるケースは後を絶たないが、木村は参院選の公示日に、九州電力本店前で第一声を上げた。この演説内容が実に酷かったのなんの。

 福島県南相馬市の人から聞いたとして、「頭が2つある子、生まれてますよ。後は、無脳症の子どもも生まれてます」と然も事実であるかの様に話し悦に入る。

 更に「福島県西郷村では、12年夏以降からも奇形の子が生まれている。チェルノブイリの再来」だと煽り、「それを言う為に僕は立候補したんです」と叫んだ。

 田島の非科学的感情論や、山本太郎の「福島県産はベクレてる」という根拠もない差別発言への怒りは治まることはない。 反原発派が胡散臭いのは、妄言や差別発言に苦言も呈さないどころか、発言に便乗して福島差別を助長していることだ。

  妄言や流言蜚語は、福島県民への差別と福島県への風評被害を齎すばかりか、放射線への無理解と幼稚な感情論は復旧作業や復興にも影響を与えているのを知らぬ訳はあるまい。「流言は知者に止まる」というが、反原発派には知者はいない。

 実際には「そんなことは有り得ないことだ」と分かっていても、「奇形が生まれる」とか言われれば気持ちの良いものではないし、不安になるのは当然のこと。

 福島原発事故後、放たれた家畜やペットから奇形が生まれたという事実はない。放射線セシウムで亡くなった人はいないし、人体に及ぼす影響はセシウムの700分の1とされるトリチウムで被害が出る可能性は無い。全てが非科学的感情論である。

 以前、ネット上で耳の無い兎や障害のある犬などがアップされ騒がれたことがあるが、奇形は放射線とは全く関係のないよくある実例のものばかりだった。

 福島原発事故後、「頭が2つある子」なんて生まれてはいないが、殖え続けているのは精神や脳に異常を来たしている「反原発」や「処理水放出反対」を唱える新種の病気である。それら放射脳が福島県内に止まらず日本全域を蝕み続けている。

 反原発派よ、貴様らは結局のところ何をしたいのだ。貴様らこそ原発や原発事故はなくてはならないものではないのか。福島原発事故をこれ以上利用するな!

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2023年09月26日

「はだしのゲン」には放送禁止用語や差別表現が満載

 天皇批判、差別表記満載の漫画「はだしのゲン」が又候話題に上がっている。杉田水脈の至極当たり前の「アイヌのコスプレおばさん」発言に反応するのに、はだしのゲンは沈黙どころか推奨しているのだから、左翼の二枚舌には嗤うしかない。

「はだしのゲン」というと愚生が知ってるのは、愚生が中学時代だった昭和49(1974)年から連載が始まった週刊少年ジャンプ。おどろおどろしい内容で、集英社からの連載は僅か1年ほどで終わっている。然し、その後の連載した場所が凄い。

 1975年 - 1976年 - 「市民」(左派系オピニオン雑誌)
 1977年 - 1980年 - 「文化評論」(日本共産党機関誌)
 1982年 - 1985年 - 「教育評論」(日教組機関紙)

 全てが反日左翼の雑誌や機関誌が連載している。こうした事実をしても「はだしのゲン」は平和教材などという代物ではない。共産党や左翼活動家がこの漫画を利用して、子供達へ反米思想と自虐史観植え付けて来たかが分かるだろう。

 左翼の講談師・神田香織も「はだしのゲン」を題材に講演しているらしい。全国各地の共生センターなどでの講演には男女共同参画社会の予算が投じられている。講演の殆どが左翼人士であり、男女共同参画予算は左翼陣営の打ち出の小槌。

「はだしのゲン」は、一般大衆向けの漫画というより、共産党や日教組の機関誌的な偏向書籍であり、連中がプロバガンダに利用しているのだ。それを中立的立場をとるべき自治体が税金で購入したりすること自体が不適格なのは当たり前のこと。

 作家の中沢啓治は「原爆投下が終戦を早めた」という原爆容認論を執っており、その後は大東亜戦争の責任論とといい、天皇制否定といい、正にソ連共産党からの日本共産党へのコミュンテルンテーゼ(命令書)に沿った内容となっている。

「原爆投下が大東亜戦争の終結を早めた」というが、事実はそうではない。 沖縄が占領され、我が国は、終戦(講和)の機を窺っていたのは間違いなかった。

 米国のポツダム宣言の原案には「天皇存続の保証」が盛り込まれていた。米国は、日本政府が「日ソ中立条約」を拠り所に和平を模索していることを知っており、「天皇存続を保障する案」なら受け入れる可能性が極めて高いと考えていた。

 ところが、反日的なスチムソン陸軍長官やハル元国務長官から助言されたバーンズ国務長官は、この項目をポツダム会議直前で削除する。即ち、ポツダム宣言は天皇存続の原案とは違い、我が国が極めて受け容れ難い内容に変更されていたのである。

 そうした事情をよく認識していたトルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)に自らの日記に、「この兵器(原爆)は、今から8月10日迄の間に使用されることになる」と綴っている。つまり、ポツダム宣言を日本側が受け入れることを知り乍ら、敢えて懲らしめ的に原爆を投下したということは明らかである。

「はだしのゲン」には放送禁止用語や差別表現が彼方此方に見られる。差別に喧しい部落解放同盟からそれを咎めたという話しは聞いたことが無い。それは部落解放同盟を批判する本を刊行している汐文社が単行本発行の係わったからだろう。

 差別表記満載の大江健三郎の「沖縄ノート」に対しても、やはり部落解放同盟は沈黙している。この「沖縄ノート」が証拠となり、先の大戦に於いて沖縄での集団自決に軍が関与したと、アホな裁判官から摩訶不思議な判決が下された。

 大江は、このインチキ本の「沖縄ノート」を上梓するに当たり関係者への取材は全くしていない。沖縄タイムスの「沖縄戦記・鉄の暴風」などの記事をパクって書き上げた、言ってみれば大江の妄想が入ったフィクションなのである。

 体験者の証言も無しに「日本軍自決命令」を書いた「鉄の暴風」は、占領下の沖縄で米軍宣伝用に書かれたものだが、その後、遺族年金の為の根拠とされたこともあって、然も「軍命令」が事実であるかの様に見做されて来たというのが真相だ。

 沖縄タイムスの「創刊の辞」には、「我々はアメリカの暖かい援助の下に生活している。この現実を正しく認識することは取りも直さずアメリカ軍政に対する誠実な協力であり・・・」と在る。今では「反米」「反基地」を煽っている沖縄タイムズだが、米軍の御用新聞として出発した新聞社ということが理解出来よう。

「琉球新聞」も沖縄タイムスと同じ様なもので、戦時中に米国がやった歴史的事実を忘れ去り、偏狭なイデオロギーを撒き散らす記者にジャーナリズムの矜持など感じることは無い。「米国憎し」の感情は、米国製の戦後民主主義教育なのに(笑)

 戦後、沖縄の人々は決して日本軍を「加害者」だとか、米軍を「解放軍」などと思ってはいなかった。米軍の徹底した検閲が功を奏し、米軍は「解放軍」であるとの認識に至ったのだが、現在の沖縄での反米は米軍の悪因悪果とは皮肉なものだ。

 沖縄での反米左派集団の論理は米軍が宣伝したデマだが、それを声高に叫んでいる光景は滑稽極まりない。然も、「沖縄ノート」には差別表現が堂々と描かれているが、魔訶不可思議なことに差別に五月蝿い部落解放同盟は沈黙を続けている。

「誰々の作品だから差別はないと、神格化したものの考え方を一掃したい」との部落解放同盟の表明は嘘だったということだ。大江が「神格化」される理由は、「反日」「自虐史観」では、左翼や部落解放同盟は共闘するという事実の証明だろう。

「集団自決軍命令」の証拠となった「沖縄ノート」の差別表現を公にし、本の発刊停止、回収要求は当然のこと。「沖縄集団自決軍命令」の不当判決を糺すべきであり、狂言差別表記満載の「はだしのゲン」然りで、教育上も百害あって一利なし。

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2023年09月25日

人類が目指すべきは「差別もある明るい社会」である(笑)

 杉田水脈が2016年、自身のブログで「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。同じ空気を吸っているだけでも気分が悪くなる」と投稿。

 この投稿を札幌法務局が「人権侵犯」だと認定し、人権を尊重する様に啓発を行ったことが明らかになったことで左翼勢力や左翼マスコミが杉田を総バッシング。

 2016年は杉田は落選中で国会議員ではない。私的な意見をブログに綴ることが何故に批判されるのか。アイヌのことを持ち出したことでアイヌ利権を謀る連中の逆鱗に触れたのだろう。だが、杉田の「コスプレおばさん」発言は間違ってはいない。

 杉田の過去の投稿に関し札幌法務局が人権侵犯を認定したことについて、小泉龍司法相は「アイヌの方々に対する差別は絶対あってはならない」と述べてたが、アイヌは絶対に批判してはならない存在なのか。アイヌの歴史は実に胡散臭い。

 小泉というと、平沼赳夫や城内実と共に郵政民営化法案に反対し自民党を離党した経験のある気骨ある政治家だと思っていたが、旧態依然の政治家に成り下がる。

 平沼が生きていたら杉田発言を擁護していただろう。何故なら杉田の発言はアイヌを利用してる連中への苦言であって、杉田への批判こそ逆差別であるからだ。 

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 我が国の歴史の中、アイヌは論外だが「差別」があったことは事実である。社会科の授業では「士農工商」という身分制度は習うが、「人間以下の存在」とされ差別された「穢多(えた)」「非人(ひにん)」の階級のことは教わることはない。

 その理由はアイヌと同じ「差別はいけない」という単純なものだが、そうした存在を黙(もだ)し、歴史から消してしまうことが果たして好いことなのだろうか。

 歴史にそういう負の時代が存在していたのであれば、その是非はどうあれ、その歴史的事実を教えなければ「差別」の意味さえも理解することは出来ないだろう。

「穢多」「非人」とは、江戸時代の幕藩体制下で所謂「士農工商」の更に下の下位層に位置付けられた人々のことで「賤民(せんみん)」とも呼ばれる階級である。

 大辞林には「皮革の製造、死んだ牛馬の処理、罪人の処刑・見張りなど末端の警察業務に従事させられ、城下外れの特定の地域に共住させられた」との説明がある。

 明治以降は、穢多非人の称が廃止されたが、この下位層は「新平民」と呼ばれ、現代では「同和」や「部落解放同盟」などが存在し、不当な差別を訴えている。

 江戸時代、同心を手伝った岡っ引きや十手持ち、罪人の世話や処刑、牛馬処理などを担ったという。明治以降にも屠殺に関わり、精肉店や革製品製造などに従事してる人に多いと言われ、歌舞伎や芸能なども非人の起源と言われている。

 清掃業や建築業、獣医や葬儀などの職にも従事したという。現代ではそうした過去に忌み嫌われた職業も勝ち組となり、その利益もかなりなものだ。やっぱり、商売というのは人がやらないことをやるのが儲かる近道であり秘訣だと痛感する(笑)

 愚生の敬愛する、現代の思想家であり、評論家である新崎智こと呉智英(くれ ともふさ、ご・ちえい)は、差別問題について逆説的にこう述べている。

「差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい。人類が目指すべきは『差別もある明るい社会』である。差別さえない暗黒社会にしてはならない」。哲学的ではあるが、「差別もある明るい社会」とは実に示唆に富んでいる。

「差別表現」で思い出されるのは、現地取材も無しに怪しげな関係者の風聞を基に書き上げた、沖縄戦での集団自決を扱ったフィクション本「沖縄ノート(岩波書店)」だ。文中には「25年ぶりの屠殺者と生き残りの再会」との表現がある。

 岩波書店が昭和62(1987)年に発刊した「報道写真家」というのがある。この中で「戦場という異常な状況下では牛や豚などの家畜の虐殺と同じになる」という記述が問題にされ、部落解放同盟の抗議もあって直ぐに回収処分となっている。

 岩波書店は同じ差別表記の「沖縄ノート」も絶版にすべきだが、何故かマスコミからも部落解放同盟からも糾弾もされず、それどころかアホな裁判官がこのインチキ本を「沖縄集団自決軍命令」の証拠として採用し、摩訶不思議な判決を出した。

 大江の差別表記に、愚生は岩波書店に連絡し「部落解放同盟からの抗議や絶版の申請は無かったか」と聞いたが、担当者は「ありません」と憮然と答えた。大江健三郎のみが赦され、神格化される理由は果たして何なのか。

 過去に部落解放同盟が出した「神格化したものの考え方を一掃したい」という声明はウソ。要は、差別という権力が忌み嫌う言葉を都合好く利用しての反日工作というのが正しく、部落解放こそ相手に拠ってコロコロ変わる差別主義者である。

 幼稚な倫理観やキレイゴトで、何でもかんでも「差別はいけない」と規制されてしまうのは逆差別の様にも感じてしまう。そうした風潮が、同和や部落解放同盟の差別ビジネスやアイヌ利権に繋がっていると言っても過言ではない。

 保守派や自称愛国者の中では日本人の倫理観の低下を憂い教育勅語を指導原理とする道徳教育を推進し、戦前の「修身」を復活するべしという声も聞く。

 だがどうだろう。修身には、例えば「おたけがめくらのてをひいて」という頁があり、幼少のおたけが障碍者の手を引いて助ける絵が描かれてある。障碍者への労りや優しさを教えているのだが、「めくら」は現代では差別用語だからダメだわな。

 昔の日本映画や古典落語などには、盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)などの放送禁止用語がバンバン飛び交っているから聞いててもリアルで、使われている日本語そのものが実に興味深いものばかり。

 そこには懐かしくも美しい日本語が処処に溢れていて、こうしたことを気にし乍ら、観たり聴いたりすることこそ「生きた耳学問」であり、実践した教育でもある。また、そうした語彙を知らないと意味不明で愉しさも半減してしまう。

 悲しい哉、現代に於いては差別用語は厳禁。更には、男女共同参画社会が主流の現代では差別用語どころか変な日本語や左翼造語が彼方此方に氾濫している。

 日本語教育や自国の歴史教育は国家の大本でもある。歴史を学ぶ上で、戦国時代や武将や偉人の生き様を学ぶのも好いが、江戸時代から明治にかけて旺んだった穢多非人の賤民史観の負の歴史にこそ現代日本の潮流が存在している様に思う。

 米国が謀った戦後民主主義教育や長州閥の明治新政府の不条理を検証することも大事だが、賤民史観の歴史を隠蔽せず、公平公正に教えることで差別を理解する。

 日本が見倣うべきは「差別もある明るい社会」であり、「アイヌ差別はイケない」とか、批判されれば「ヘイト」として片付けてしまう風潮こそ危険なことだ。

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2023年09月24日

戊辰の役後の明治新政府を称える歴史が徐々に暴かれつつある

 歴史というのは、往々にして時の権力の都合の好い歴史に書き換えられる。戊辰の役から150年以上が経つが、明治新政府を称える歴史が徐々に暴かれつつある。

 歴史に「もし」は無いが、勝海舟が西郷隆盛と江戸城で会談し、無血開城を以て実質的な維新が成立した訳であるから、もし、あの時に全てを諒としてする訳には参らなかったのか。その後の盗賊の如き東軍征伐に何の意味があったのだろう。

 徳川幕府で唯一の神道を重んじ、孝明天皇を御守した会津藩が、新政府軍から何故に「朝敵」として責められなければなかったのか。単に蛤御門の変(禁門の変)での敗戦の遺恨であり、とても尊王攘夷という大義ある維新だったとは思えない。

 盗賊の如き「官軍」どもに因る明治維新の裏側を垣間見る史料が公開されている。史料には、戊辰の役で二本松城が落城した直後、西軍は二本松藩の名主であった菊池家から同家相伝の名刀や三百両を奪った状況が克明に記されているという。

 三百両は現在の価値で3900万円相当になる。東北の片田舎の名家でそれほどなのだから、この地に来るまでどれほどの強奪を謀ったのか想像するに難い。会津戦争や二本松城落城後も西軍の勢いは留まらず各地での凶行は留まることを知らず。

「尊皇攘夷」を訴え、錦の御旗を掲げているが、要は「尊皇」を振り翳した盗賊・凶賊の類で、長州や薩摩、土佐、肥後などの各地から集まった連中が、攻め入った藩や大店などに押し入り、強奪などを働いたことは歴史資料でも明らかになっている。

 武士道とは程遠い輩が、「尊皇」という当時の流行に便乗して私服を肥やし、上司もまたそれらの上前を撥ね贅沢三昧し放題。明治維新後の新政府共が別荘を建て贅沢な暮らしが出来たのも、戊辰の役で奪ったこうした金が使われたのだろう。

 明治新政府の歴歴方が高給だったことをしても、明治維新とは「尊皇攘夷」を騙った薩長閥の一部特権階級の為の利権独占が目的だったのではあるまいか。内村鑑三は自著「代表的日本人」の中で、西郷隆盛についてこう述べている箇所がある。

「西郷ほど生活上の欲望が無かった人は他にいなかったように思えます。月収が数百万円であった頃、必要とする分は15円で足り、残りは困っている友人に分け与えられました。普段着は薩摩絣で木綿帯、履き物は下駄で過ごした・・・」

 西郷の質素な生活ぶりは窺い知れるが、あの当時の月収が「数百万円」あったというのとは驚く他はない。新政権樹立後、参議とはいえ何の役にも就かなかった者に月々数百万円とは如何なものか。その数百万の円手当の出所は一体何処なのか。

 前述した様に、東軍征伐の過程で新政府軍は各藩に対し、恭順させる証しとして上納させ蓄えてた金や、地元の名主や大店から強奪した金ではなかったのか。
 
 斯くも執拗に徳川幕府や会津藩を責め立てた西郷だったが、その後、自らの信念であった「征韓論」で大久保利通らと対立し、薩摩へ帰郷することとなった。

「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など士族の反乱が続く中で、明治10年には、西郷が主宰する私学校生徒の暴動から「西南戦争」が勃発する。

 西郷は指導者に担がれ、各地に於いて指揮するも、政府軍に敗れて薩摩城山(鹿児島城)で自刃した。会津戦争が終結から10年後の明治10年9月24日のことである。

 会津藩や日本軍を見るまでもなく、歴史というのは正義が常に正義ではなく、正義が敗れることもあるという一例だろう。「勝てば官軍・負ければ賊軍」と騙り、勝利に酔った西郷が賊軍に落ちた瞬間である。歴史とは実に異なものである。

 我が国の戦後体制の諸矛盾と不条理の元凶は、戦後の「ヤルタポツダム体制」は然ること乍ら、西郷隆盛や勝海舟ら士風を損ねた幕閣と、大義無き尊皇攘夷を謀った長州閥の明治新政府に在る。幕末から明治に至る歴史と正義を公正に検証せよ。

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2023年09月23日

「命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり」と言うが

 旧暦の1868年(明治元年)年9月22日会津津戦争が終結。秋彼岸の会津若松市は祭り一色に。歴史に「もし」は無いが、もし、勝海舟が西郷隆盛との会談で江戸城の無血開城を諒としていたなら、多くの優秀な人材を失わずに済んだだろう。

 執拗に徳川慶喜や会津藩を責めた西郷だったが、その後、自らの信念であった「征韓論」で大久保利通らと対立すると薩摩へ帰郷する。その後「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など士族の反乱が続く中で、明治10(1877)年には西郷が主宰する私学校生徒の暴動から「西南の役」が勃発するに至った。

 指導者であった西郷は敗れて城山で自刃した。西南の役での西郷の自裁は、歴史というのは正義が常に正義ではなく、正義が敗れることもあるという一例であろう。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」と東軍征伐で勝利に酔った西郷が、会津藩や東軍雄藩と同じく賊軍に落ちた瞬間である。歴史というのは実に異なものである。

「会津戦争」は、西軍が若松城内に侵入してから降伏するまで約1ヶ月を要した。あの時代の歴史を思うと、幕閣であった勝海舟が西郷と妥協せず、江戸城に於いて徹底抗戦していれば、その後の日本の歴史も大きく変わっていたに違いない。

 勝と西郷の江戸城での談判と無血開城は侍としての士風を損なったばかりか、会津藩や会津人の悲運を生みこととなった。そういう意味でも、勝海舟にしろ、西郷隆盛にしろ歴史上、言われてる様な傑物では無かった様に思えてならない。

 西郷隆盛を過大評価し、愛して止まない右翼や自称・愛国者らが好きな言葉に、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」というのがある。

 この言葉は「西郷南洲翁遺訓」第三十条や山岡鉄舟語録からの引用である。右翼の中には自分が然も幕末の志士になったかの如くこの言葉に陶酔するが、「国家の大業」や「天下の偉業」というものは政治家がやることで右翼がやることでもない。

「命もいらず」というが終身保険に入って積み立てていたり、高目ばかりを夢見て「有名になりたい」とか「カネを儲けたい」という右翼人ばかりなのに(笑)

 また右翼でもないのに右翼の有名な人と知り合いになっただけで然も自分も右翼になったと勘違いしてる輩が多く、とても「艱難を共にする」という覚悟を持った人物などいやしないし、艱難などに遭遇してもきっと避けるに違いない(笑)

 第三十条は、「然れども斯くの如き人は、凡俗の眼には見るべからず」と続く。凡俗の右翼人の眼に、ホンモノが映るとは思えない。遺訓では第二十七ケ条が好い。

「過ちを改めるに、自ら過ったとさへ思ひ付かば、夫(そ)れにて善し。其事をば棄てて、顧みず直に一歩踏出す可し。過を悔しく思い、取繕はんと心配するは、譬へば、茶碗を割り、其の欠けらを集め合せ見るも同じにて詮(せん)なきこと也」

 まぁ、斯くいう愚生もその昔は西郷隆盛に疑いもなく傾倒していたのも事実。でも、根が捻くれ者というか削げ者なので最近はチョッと穿った見方をしている。

 逸話がある。西郷隆盛の正式な名前は「西郷隆永」で「隆盛」というのは実は父親の諱(名前)だ。何故に「隆永」ではなく「隆盛」になってしまったのか。

 明治2年、戊辰戦争の奥羽戦線から帰京する西郷に、宮内庁から御召状が出されることになった。この時、職員が知人の吉井友実に西郷の諱を尋ねたところ「確か、隆盛じゃった」と答えことで、以後「隆盛」と称されることとなったという。

 帰京し、吉井に会った西郷は、「あれは父の名でごわんか。わしの名は隆永じゃと、おはんも知っちょるじゃろう」というと、吉井も頭を掻き乍ら、「ほんにそうじゃった」と詫びを入れると、二人は顔を合わせて大笑いしたという。

 その後、西郷は「隆盛」という名を否定も訂正もしなかったのは、親友である吉井への気遣いと、西郷自身の生まれ持った大らかさだろう。こうした逸話一つでも、「西郷(せご)どん」と誰からも愛される人柄だったことを偲ばせる。

 江戸城の無血開城後の東軍の所業や故郷への帰還後も若者の行動を諌められなかった西郷は、政治家としては非力。だが、人間味が溢れていたのは確かだろう。

 金言や格言とは経験から学んだものであり、自戒を込めた言葉故に相手に響く。桜田門外の変に関わり乍ら、井伊直弼暗殺に参画した水戸藩士らを落胆させた。また、島送りで女性遍歴多き西郷の言葉にしては綺麗過ぎる気がしてならない。呵呵。

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2023年09月22日

戊辰戦争での「領民が東西両軍を問わず戦死者を手厚く葬った」という美談

 平成から令和に御代が替わった年、白河市で戊辰戦争開戦150年を記念して「甦る仁のこころ合同慰霊祭」が催され、「領民が東西両軍を問わず戦死者を手厚く葬った」と称えた。だが、別に、西軍が東軍死者の埋葬を許した訳ではない。

 盗賊の如き西軍の非情さは周知に知れ渡っており、領民は「味方の戦死者をその儘で放置しておくのは忍びない」と、西軍戦死者の埋葬の陰に隠れてひっそりと葬ったというのが歴史的な真実である。西軍兵士の墓が立派なことでもよく分かる。

 長州藩の山口県や大垣藩の岐阜では、盆踊りには白河発祥の「白河踊り」が舞われているという。これは盆に戻って来る精霊を迎え、送るという風習に、白河の戦いでの犠牲者を重ね合わせたことに由来する。この「白河踊り」を持ち上げて、また敵味方関係なく戦死者を葬ったという美談には些か違和感を覚えた。

 慰霊碑は、維新後や近年に整備されたもの。その昔は西軍の慰霊碑と比べると東軍の墓は粗末なものという記憶しかない。賊軍(西軍)の戦死者は勝手に葬ることが許されなかった時代に、敵味方関係なく葬ることが出来たのだろうか。尤も、死者を放置すれば疫病が蔓延するし、それを知り乍ら放置させたとも思えない。

 戊辰戦争では、江戸上野に於いて彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩及び長州藩を中心とする新政府軍の間で「上野戦争」が起きた。この戦いでの戦死者を懇ろに葬ったのは、江戸領民でもあった新門辰五郎などの侠客や火消しの衆だったと聞く。

 戊辰戦争の激戦地となった郡山市と猪苗代町の間に在る母成峠の奥地では、昭和50年の頃に初めて、東軍戦没者の山積みにされた遺体が見つかっている。

 今でこそ整地され、知事揮毫の慰霊碑が建立されているが、発見されるまでは困難を極めた。戦死者の墓標も立てられずにひっそりと埋葬せざるを得なかったのは、領民に西軍からの「賊軍の死者の埋葬禁止」との厳しい通達があったを窺わせる。

 最近は、歴史家の中でも「西軍に因る埋葬禁止の通達は嘘だ」ということを論じている人がいる。激戦と言われた母成峠の戦いでは、何故に人目に付かない山奥に埋葬せざるを得なかったのか、その立派な歴史家の先生に詳しく聞いてみたいものだ。

 長州藩士の宇佐川熊乃助が白河市内の寺に埋葬されてるのは、西軍の死者は過分な香華料が支払われたからだろう。二本松の戦いでも同じく長州藩士・白井小四郎が真行寺に埋葬され、金2両が納められていることと同じ理由であると考えられる。

 戊辰戦争以来、新政府軍を率いる薩長土肥連合は東北地方を卑下し「白河以北一山百文(しらかわいほくひとやまひゃくもん)」と揶揄したのは有名。「白河の関所より北の土地は、一山で百文にしかならない荒れ地ばかり」という意味である。

 この一言でも、如何に西軍が傲岸不遜にも東北と東北人を見下していたかが分かる。そうした東北を蔑む空気が横溢している中で、東北人が死のうが別に気にすることはなく、季節柄、盆ということもあって、踊りに興じただけのことだろう。

「白河以北一山百文」という蔑視は、東北人にとって屈辱的な言葉ではあるが、東北人はそれにめげずに、西軍や明治新政府の侮蔑を奮起する糧とした。「白河踊り」も、そうした東北人の素朴な優しさが西軍の兵士の心に響いたのだと思う。

 参加した萩市の藤道健二市長や鹿児島市の森博幸市長、二本松市の三保市長らが「戊辰戦争の悲劇を伝え、白河領民の仁の心を学び次世代に伝える」と悦に入ってたが、戊辰戦争の悲劇を言うなら江戸城開城後にも何故に東軍征伐を謀ったのか。

 江戸城無血開城後の会津戦争や函館戦争に意味があるとは思えない。「蛤御門の変」に見られる様に単なる恨み辛み、個人的な遺恨からの開国であり、官軍を気取った西軍の傲岸不遜と明治新政府の歪な正義と不条理こそ検証しなくてはならない。

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2023年09月21日

西軍に因る東軍への仕打ちと不条理は150年以上経った今も癒えることはない

 戊辰の役(戊辰戦争)が起きる前年、郡上藩主・青山幸宜は幕府から徳川慶喜の警護を命じられる。藩主は代わり筆頭家老を差し向ける。将軍の警護を命じられた翌年「鳥羽・伏見の変(戦い)」で幕府軍が敗れると、地元では西軍への恭順を示す。

 江戸にいた郡上藩士らは、東軍支援に向けて藩士有志らで「凌霜隊」を結成する。「凌霜(りょうそう)」とは、「霜を凌ぎ、花を咲かせる野菊の様な不撓不屈の精神」という意味で、藩主の家紋である「葉菊紋」に由来する。

 隊長は朝比奈茂吉。江戸家老の長男で弱冠17歳。慶応4(1868)年4月、朝比奈らは江戸を出立し、千葉県行徳、栃木県宇都宮を経て会津藩の領地に入る。

 会津下郷での「大内宿の戦い」や、会津美里での「関山の戦い」を経て、会津城内西出丸の守備に就き、会津藩が上洛した9月21日翌日まで抗戦したという。

 凌霜隊武勲の顕彰碑が会津若松市内の飯盛山に建っている。白虎隊の墓には線香の煙は絶えることはないが、「郡上藩・凌霜隊之碑」碑に足を止める人はまばら。

 岐阜というと、西軍の大垣藩しか知らなかったが、こうした義を重んじ殉じた藩がいたことに感服した。以来、飯盛山に参じて感謝の誠を捧げている。東京都港区青山という地名があるが、これは郡上藩主の江戸屋敷が在ったことから付けられた。

「鳥羽・伏見の変(鳥羽・伏見の戦い)」に始まった、「戊辰の役(戊辰戦争)」と呼ばれる国内戦争は、その後激化を極めることとなった。慶応4年8月21日(旧暦)は、母成峠が戦場となり、東軍と西軍との間で烈しい攻防戦を繰り広げた。

 白河口の戦いを制し、二本松領を占領した新政府軍内は、次の攻撃目標に関し大村益次郎は、仙台・米沢の攻撃を主張し、板垣退助と伊地知正治は会津への攻撃を主張。結果、板垣・伊地知の意見が通り、会津を攻撃することとなった。

 本宮・玉ノ井村(現大玉村)に集結した兵を三分し、谷干城(土佐)率いる約1000名は勝岩(猿岩)口へ。板垣退助・伊地知正治率いる約1300名は石筵本道口へ向かった。川村純義(薩摩)率いる約300名は山葵沢より達沢口へ一斉に進発した。

 西軍を迎え撃つ東軍の兵は僅か800名しかいなかった。勝岩口の勝岩上には、大鳥圭介率いる伝習第二大隊及び二本松藩の約300名が守備に当り、勝岩下には新選組ら凡そ70名が配置し、土方歳三と山口次郎(斎藤一)がこれを指揮している。

 石筵本道口の第一台場(萩岡)、第二台場(中軍山)、第三台場(母成峠)には、会津藩主将の田中源之進と二本松藩家老の丹羽丹波、伝習第一大隊長の秋月登之助らの指揮する約400余りの兵が守備に当った。戦いは、萩岡の号砲を合図に、勝岩口と本道口に分かれ、午前9時頃からの始まった戦いは約7時間に及んだ。

 圧倒的な兵力と火力の差は如何ともし難く、東軍は北方高森方面や西方猪苗代方面に敗退する。西軍は十六橋を突破し、戸ノ口原を経て、怒涛の様に会津鶴ヶ城に殺到した。母成峠の戦いでの東軍戦死者は88名、西軍戦死者は25名。母成峠には現在も、会津藩が構築した防塁、塹壕、砲台跡が今も整然と残っている。

 母成峠の山奥には「東軍殉難者」の慰霊碑が建っている。この地で東軍の夥しい死体が発見されたのは昭和50年頃であり、如何に薩長の西軍の非情さを垣間見る。

 8月23日、母成峠から会津領内に攻め込んだ新政府軍は、会津藩との熾烈な戦いに及ぶ。 新政府軍が会津城内に攻め入ると、上席家老・西郷頼母邸では篭城戦の足手纏いとなるのを苦にした母や妻子など一族21人が自刃。だが、頼母は遁走を謀る。

 徳川幕府への恨みの象徴でもあった会津藩が9月21日に降伏する。この敗戦により、西郷頼母・田中玄清・神保内蔵助が切腹し、責任を負わねばならないところ、戦いを回避しようと恭順を示していた頼母は長男らと共に敵前逃亡したのだった。

 神保と田中は城下での戦闘に於いて既に自刃していた為に、次席の萱野長修が戦争責任を一身に負って切腹している。そこまでしたにも拘らず、盗賊の如き西軍は満足することなく、戦いは東北地方を北上し、函館にまで及ぶこととなった。

 戦いは年を超えるも翌年3月、函館五稜郭で奮闘した榎本武揚軍が降伏し、日本人同士で戦った戊辰の役が事実上終結した。頼母は長男と共に生き残り、維新後「同姓の誼で」と西郷隆盛に長男の職などを嘆願してることは武士の風上にも置けない。

 義に殉ずるべき上席家老としての誇りは無かったのか。死を以て武士の本分を示した白虎隊の行動と照らしてみても恥ずべきことだ。会津藩士の中で西郷頼母の生き様に倣うものは無い。 維新後、野に下らず立身出世を目指した榎本武揚然り。

 こういう卑しい武士の名残りが官僚や政治家。「負けは必定なれど三春に倣うべからず」と義に殉じた二本松藩士や、「侍の時代は終わる」と知り乍ら、家老としての宿命を諒として藩命を重んじた河井継之助ら長岡藩士らこそ侍の鏡であろう。

 官軍を気取った西軍に因る東軍への仕打ちと不条理は150年以上経った今も遺恨として癒えることはない。我が国の戦後体制の諸矛盾や不条理は、尊皇攘夷とは程遠い、明治維新を謀った長州閥中心の専制政治が元凶でもある。検証するべし。

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2023年09月20日

彼岸会法要は天皇の詔(みことのり)として始められた行事だった

 今日から彼岸の入り。仏教では「秋分の日」には、彼岸の中日として墓参りに出向く。祝日法では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としている。何故にこの日に自然を称え、自然を慈しむのか。意味が今一つ分からない。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言う様に、国民の多くが季節の変わり目の様に感じているが、彼岸会法要は天皇の詔(みことのり)として始められた行事だった。皇室で行われる皇霊祭が、国民が祖先を供養する行事として定着するに至った。

 こうした彼岸会法要からも、天皇と国民の深い結び付きを窺い知る。正に我が国は神の国でもあり、天皇の国であり、天皇即日本である。皇室は常に国民と共に在り、この「君民一体」こそが、万邦無比の我が国體の精華なのである。

 今では「春分の日」「秋分の日」という名称が当たり前になっているが、別にこの日が冬と春の境の日でも夏と秋の分かれ目でもない。祝日法の「自然をたたえ、生物をいつくしむ」との趣旨は、皇室行事を葬る為のまやかしである。

 戦前は、春分の日ではなく「春季皇霊祭」、秋は「秋季皇霊祭」と称した。明治11年、歴代天皇や主たる皇族の忌日を春と秋に纏め奉祀したのが始まりとされる。仏教での彼岸に行われる先祖供養や墓参りに相当する天皇の祭儀である。

 明治41年制定の「皇室祭祀令」では、春季皇霊祭・秋季皇霊祭が大祭に指定されている。GHQの統治下だった昭和22年5月2日、GHQは「皇室祭祀令」を廃止する。然し乍ら、宮中では従来通りの春季皇霊祭・秋季皇霊祭が続けられている。

 皇居内の宮中三殿の一つである「皇霊殿」には歴代天皇及び皇族の霊が祀られており、この日は皇室の重要祭祀である「皇霊祭」が斎行される。また同日には、全国の神々が祀られる「神殿」では、神恩に感謝する「春季神殿祭」も斎行される。

 つまり、春分の日を「春季皇霊祭」として、秋分の日を「秋季皇霊祭」として復活させることは、我が国の国體の精華を取り戻すことでもあるのだ。

「春分の日」「秋分の日」を「彼岸」と言うが、これは「節分」「八十八夜」「土用」「入梅」「半夏生」などの雑節の一つで二十四節気の「五節句」などの暦日の他に、四季折々の季節の移り変りを日本的に表した特別な暦日のことをいう。

 元号を始め、こうした歴日が、我が祖国日本の四季折々の麗しい情景を深めている。「春分」と「秋分」は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが彼岸の始まりとされる。

 現在では、彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多く、浄土思想での極楽浄土(天国)は「西方の遙か彼方にある」と考えられている。

 彼岸会の「彼岸」は「日願(ひがん)」に喩えられ、仏教語としての彼岸は後から結びついたものであるという説もある。宗教というのは言葉遊びが多い。

 俗に彼岸の中日には先祖に感謝し、前後の6日間は悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。つまり、仏教徒というのは日々修行である。でも、そんな仏教徒に会ったことはないが(笑)

「六波羅蜜」とは大乗仏教における六種の修行で、菩薩が涅槃に至るための六つの徳目のことで「六度」ともいう。六種の修行とは、施しという徳「布施波羅蜜」、戒律を守る徳「持戒波羅蜜」、忍耐という徳「忍辱波羅蜜」、努力という徳「精進波羅蜜」、精神統一という徳「禅定波羅蜜」、智慧という徳「般若波羅蜜」をいう。

 六つの徳目の中で「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」という5つは言葉では理解はすれども、これらの徳目を身に修めるのは容易なことではない。

「布施」という施しは目に見えて分かるので理解し易い。仏教の世界もそうだが、中でも昨今の葬式仏教や新興宗教の世界では、この「布施」ばかりが信心の裏返しであるかの様な、我田引水的な都合の好い解釈が罷り通っている気がする(笑)

「施し」という教えは、愚生的には「自分より能力的に肉体的に劣る者や難渋している者、悩みや壁にぶち当たっている者に対し金銭的なものを含めて支えて助けてあげること」であり、これこそが真の施しというものだと解釈している。

 波羅蜜とは、「魔訶般若波羅密多(まかはんにゃはらみた~)心経」で始まる般若心経にも頻繁に出てくる言葉だから馴染みがある言葉だろう。般若波羅密多の「魔訶」とは「尊いもの」という意味だが、理解している仏教徒は少ない(笑)

 死んでも戒名さえ貰えば極楽浄土に往けると思ってる仏教徒ばっかだが、戒名を頂くということは「御釈迦様(釈迦牟尼)の弟子になる」ということである。要は、仏教徒というのは、生きている間も、死んでからも修行は続く。大変だな。呵呵

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2023年09月19日

「皇室会議」ではなく「皇族会議」に改めよ!

 戦後、GHQの策謀を実践し、天皇の家法でもあり、我が国の正統な国法である皇室典範を改悪すると共に、天皇に関する最終決定権を「皇族会議」から「国会」に移譲し、憲法や法律以前の御存在であらされる天皇を法の下に置いた。

 現皇室典範は皇族会議ではなく「皇室会議」となり、皇族は2名のみで、非皇族8名という構成下で皇統や天皇の在り方が論じられている異常事態。旧皇族の皇籍復帰を実現し、成年男子皇族を中心とした「皇族会議」に戻すことこそ肝要である。

 最近では「皇室会議」ではなく「有識者会議」なるものが、女性宮家や女性天皇を論じているが、この有識者会議には反天皇勢力に与する胡散臭げなメンバーも少なくない。抑々、臣下である国民が皇統を論じることに何の意味があろうか。

 過去には、皇位継承順位の変更などを審議する「皇室会議」の予備議員の一人に菅直人を選任したことがあった。菅は、先の大戦を侵略戦争と断じ、「天皇は逮捕されるべきだった」と言って憚らない極左でもあり、反天皇論者である。

 菅ら反天皇勢力が皇室会議へ参加することは不適格と断じざるを得ず、国民意識と乖離した非常識な人事は赦されるものではなく、国民感情も許さない。皇統に関わる問題までも悪しき議院運営の慣例で決められることに怒りを覚える。

 昭和天皇の戦争責任論は止むことはなく、「所謂戦争責任についてどの様なお考えであるか」などと、記者の立場を利用した「吊し上げ」は日常茶飯事だった。

 欽定明治憲法下に於いては国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっており陛下に法的に責任はない。

 然し乍ら、道義的に最も責任を痛感された昭和天皇は、終戦の勅諭で「五内為ニ裂ク」と仰せられた通り、自ら身を苛まれたのは昭和天皇御自身なのである。

 戦後、天皇廃止運動は昭和天皇への「戦争責任・退位論」に始まる。左翼マスコミは「開かれた皇室論」の急先鋒となり、週刊誌などで陛下や皇族方を登場させては不敬なスキャンダラスな記事で尊崇の念を薄れさせることに成功した。

 令和の御代に入っても、「女系天皇論」や「女性宮家論」として、或いは「女性差別」や人権問題として、左翼勢力に因る反天皇運動は巧妙に継続されている。

 昭和22年、GHQはこの皇室典範を改悪し、畏れ多くも陛下を法律の配下に置いたのは歴史が証明するところ。だが、天皇とは憲法や法律制定以前の御存在であり、法治国家を取り違え、皇統を法律で論ずることがあってはならない。

 現在の「皇室会議」は皇族2名と衆参両院正副議長、最高裁長官、宮内庁長官ら非皇族8名の10人で構成されている。明治皇室典範に於ける「皇族会議」は、成年男子皇族20名に拠って組織された機関であり、非皇族は内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審院長の5名となっていた。旧皇室典範に戻すべきだ。

 現在は、男子皇族が秋篠宮殿下、悠仁親王殿下のみ。成年皇族が少ないのは戦後、GHQに強制的に11宮家が臣籍降下させられたことが原因であり、皇統を盤石の安きに置くのならば旧皇族の復帰こそ成すべき最善であるのは言う迄もない。

 旧11宮家の方々は、北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し、今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。旧宮家が復帰すれば、男子成年皇族は15名以上になり皇統は盤石となる。

 旧ソ連共産党のコミュンテルンテーゼを信奉し、反天皇と国體破壊を目指す勢力は、旧皇族の復帰は認めずに「女性宮家」論で世論を誑かしているが、旧・皇族の皇籍復帰こそは、真の主権国家としての精神の再生でもあると肝に銘ぜよ。

 現皇室典範下での「皇室会議」に我が国體としての正統性はない。GHQが改悪を謀った現皇室典範を奉還し、現在の皇室会議を廃止すると共に、旧皇族の男系男子を中心とした「皇族会議」に戻すことは今を生きる我々日本人の義務でもある。

「皇室典範」とは明治22年の紀元節にて、大日本帝国憲法発布の勅語と同時に発布された皇室典範制定の勅語に由来する「皇家の憲法」であり正統な国法である。

【天佑ヲ享有シタルし我ガ日本帝国ノ寶祚ハ万世一系歴代継承シ以テ朕ガ躬ニ至ル 惟フニ祖宗肇國ノ初大憲一タヒ定マリ昭ナルコト日星ノ如シ 今ノ時ニ當リ宜ク遺訓ヲ明徴シ皇家ノ成典ヲ制立シ以テ丕基ヲ永遠ニ鞏固ニスヘシ 此処ニ枢密顧問ノ諮詢ヲ経 皇室典範ヲ裁定シ朕ガ後嗣及ビ子孫ヲシテ遵守スル所アラシム】

 即ち、皇室典範とは、神武肇国以来明らかに定まっている皇家の遺訓を成典にしたものであり、「法律」ではなく、「天皇家の家訓」であるというのが正しく、それを臣民である政治家やインチキ有識者如きが軽軽に論ずることが不敬の極み。

「天皇」は天皇であって制度ではない。「天皇制」という言葉は共産党の造語である。「譲位」ではなく「退位」は共産主義の言葉であり、「生前退位」も同じ。そういう共産主義の反天皇運動に与するクソ政治家が皇室会議に入る無礼を赦すな。

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2023年09月18日

「敬老の日」老人の方々は先祖や先人に恥じない生き方をしてますか!?

 令和4年版高齢社会白書に由れば、国内の65歳以上の高齢者が3621万人で総人口に占める割合は28.9%。80歳以上の高齢者が占める割合は10分の1になるという。高齢者が増えれば現役世代の税負担が増えるのは必至で根本的な改革が望まれる。

 ハッピーマンデーに組み入れられてる「敬老の日」だが、祝日法では「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」との趣旨が記されている。

「敬老の日」は、兵庫県多可郡野間谷村(後の八千代町を経て現在の多可町八千代区)で、昭和22年9月15日に「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨で、敬老会を開催したのがその始まりとされている。

 現在の祝日の半分が神道の祭日でもある。戦前は祝日の殆どが神道の祭日。悲しい哉、現代日本人は「祭日」を、単なる「休日(祝日)」だと思ってしまっている。「憲法記念日」や「山の日」「敬老の日」などの単なる祝日は要らない。

 我が国の祝日の約半分が「神道の祭日である」という事実に我慢ならない左翼陣営は、「ハッピーマンデー」という愚策を導入させて祭日を葬ろうとしている。

 皇室の元服の儀に基く「成人の日」がハッピーマンデーに組み込まれたのはその一例。最終目標は「建国記念日」と「勤労感謝の日」をハッピーマンデーに組み入れて、建国の意義と天皇が豊穣の恵みに感謝する宮中祭祀を葬ることである。

 左翼の策謀に対抗するには国の成り立ちや歴史を学ぶことで、「建国記念日」と「勤労感謝の日」の名称を、「紀元節」並びに「新嘗祭」に戻すことである。

 建国記念の日を「紀元節」とし、春分・秋分の日を、夫夫「春季・秋季皇霊祭」、勤労感謝の日を「新嘗祭」と名称を戻し、4月3日の「神武天皇祭」と10月17日の「神嘗祭」を復活させることは我が国の国體の精華を取り戻すことに繋がる。

 老人とは「老人福祉法」では65歳ということになってる。また60歳を「初老」だと思ってる人も少なくないが、60歳は「還暦」。初老とは40歳の別称である。

 野間谷村で敬老会が行われた昭和22年当時は、終戦直後でもあり、高齢の方々は明治や江戸時代生まれだったと思われる。野間谷村に限らず、日本の混乱期を生き抜いた方々から「年寄りの知恵」を教わることは有意義だっただろうと思う。

 だが、現代ではハッキリ言って尊敬出来ない年寄りもいるのも確か。特に、戦後民主教育を受けた所謂「団塊の世代」と言われる80歳前後の人達は思想も然ること乍ら、マナーのなっていない非常識な老人が目に付く。長幼の序以前の問題だ。

 愚生は公衆浴場が好きで公衆浴場によく行くが、浴場くらい育ちが分かる場所はない。湯船に入る際や洗い場でのマナーや、サウナに入って水風呂に浸かるのも、シャワーで汗を流してから入るのは当たり前だが、常識に乏しい老人が目に付く。

 昔の銭湯というのは社会勉強をする絶好の場所だったという。子供は銭湯で学校では学べないマナーを覚えるにはうってつけの場所だった。挨拶は勿論のこと湯船に入る前は身体を洗う。終わったら次の人の為に椅子や洗面器を綺麗に整えるなど。

 言わなくても当たり前のことだが、そういう一般常識を学ぶ場所だったのだ。だが、今は子供や若者に教えるべき大人や老人のマナーがホントなってない。

 後期高齢者と言われるくらい年代の人を見ていて感じるのは、我が儘で行儀が悪い人が多く「カネを払ってるのだから」と言わんばかりに、周りの迷惑を顧みず横柄に振る舞ってる人も少なくなく、マナーを教わっていない子供らと変わらない。

 先日も湯上りに洗面所でドライヤーを台に置いたまま点けっぱなしにしてる爺さんがいた。何をやってるのかと思えば私物の濡れた袋を乾かしているという。

 愚生はそんな非常識な振る舞いを見過ごすことは出来ない性格なので、「ドライヤーは髪の毛を乾かす為のもので、そんな物を乾かしちゃダメよ」と注意した。

 するとこの爺さん、「何が?別に好いじゃないか濡れてるのを乾かすくらい」と開き直る。頭に来たので「そんな常識も分からないのかい」と怒鳴り付けてやった。

 そうこうしてると「何事か」と従業員が駆け付ける。事情を説明すると従業員が、爺さんに「ドライヤーはそういうことには使わないで下さい」と注意すると、「何が悪いんだ、別に好いじゃないか」と開き直り、従業員や愚生を睨み付けてた。

 最近では「老人業」というのが流行り、「我々は優遇されるのが当り前だ」と言わんばかりに威張り、居直り、権利ばかりを主張する年寄りが多くなった気がする。

 そんな自己チューの年寄りが長生きするほど迷惑な話は無いし、そんな老人を「敬え」というのも無理というものだろう。初老(40歳)を過ぎた大人は、自分が周りの見本であるとの認識を以て、言動や行動には慎重であるべきだと思う。

 我が国は、老人の知恵を借りて生き抜いたのも確かだろう。例えば、明治維新のバックボーンは江戸生まれの方々が創り上げた価値観であり、日本の近代化は江戸時代に育まれた道徳や教養、武士道精神や大和魂が見事に結実した結果である。

 今の老人に明治人の様な気概や矜持があるだろうか。現役世代の若者に負担を強いてはいないだろうか。「敬老の日」を祝って貰う前に、老人と言われる大人こそ、先祖や先人と向き合い、自分自身がそれに恥じない生き方をしているだろうか。

 老人として敬愛されているか自問自答しては如何か。人生の先覚として国民を導くことも出来ないのならば、いつの日か「敬老の日は要らない」となるだろう。

「子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」という格言があるが、日本を背負って来た年寄りが嗤われたり叱られてる様じゃ世も末だ。こうした現状は、団塊の世代に象徴される戦後民主主義の弊害と言ってばかりはいられない。呵呵。

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2023年09月17日

死刑執行人数16人の上川陽子は非情な世界の外交に向いているかも(笑)

 Xでアホな社民党副党首が、「外相へ起用された上川陽子氏は、かつて安倍政権下で法務相を担当したが、累計2年強の就任期間で計16名もの死刑執行をした。大量の死刑執行をした上川氏を外相へ起用することは、日本の外交においてマイナスにならないのか」などとつぶやいてた。日本のマイナスは社民党など珍左翼の存在だろ。

 30人を殺害(他に行方不明者多数)、負傷者数6000名という未曾有の犯罪行為を実行し、皇居へ炭疽菌やボツリヌス菌を散布するなど、国家転覆を謀ったオウム真理教の凶賊らの死刑執行に対し抗議していた珍左翼やアホがいたのには吃驚仰天。

 オウム真理教は国家転覆を謀った明らかなテロリスト集団であるが、何故かそれを庇い、「麻原彰晃の供述が無いままに死刑執行したことは人権無視の暴挙だ」「狂っている」と騒ぎ立てている。狂ってるのは自分達の方だという認識もなかった。

 別に麻原が卑怯にも黙秘しようが、オウム真理教事件の真相は裁判で解明されている。因みに、麻原の精神障害らしき症状は「詐病」とされており、麻原自身に因る三文芝居に過ぎない。逮捕時のウンコ垂れ流しにしても、ホント役者やの~(苦笑)

 抗議の声を挙げていたのは御決まりの珍左翼らだが、中でもオウム真理教の取材で一躍有名になった有田芳生は、御丁寧にも前日の安倍首相や上川法務大臣らの会合の写真をアップしてその「宴」を批判し、死刑執行に疑問を呈していたっけ。

 死刑執行を多く認可した法務大臣は故鳩山邦夫の13人、上川陽子が16人とトップに立った。女性大臣としては大したものだと思うが、反対派はオウム真理教の凶悪な犯罪には沈黙して上川大臣を批判とは本末転倒。因みに、昭和41~42年に在任していた田中伊三次は、1度に23人の執行命令書にサインをしたことがある。

 1歳の子供を含む、30人を殺害しても犯人を庇う理由を教えて欲しいが、明確に答えている反対派は皆無というのも嗤える。その殆どが「死刑制度廃止は国際的流れだ」とか「麻原本人が供述していないのに」という御粗末な請け売りばかり。

 死刑廃止を訴える胡散臭げな国際団体・アムネスティなども上川大臣への批判の声を挙げていたが、この連中が、北朝鮮の公開処刑や中共の人権弾圧や人民虐殺に抗議の声を挙げたことがあったか。要は、単なる日本バッシングでしかない。

 ここ10年で13人の大臣が就任している。死刑執行のトップは谷垣禎一の11人。旧民主党政権下では柳田稔、仙谷由人、江田五月、平岡秀夫、田中慶秋、滝実は仕事もせずに執行0。自民党政権下では松島みどり、河井克行、葉梨康弘、斎藤健の執行人数は0。因みに、上川陽子は法相に3回就いてるが3回目は執行していない。

 刑事訴訟法では「死刑確定から6ヵ月以内の執行」を定めており、何れの場合でも6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、大臣が規定通り押印し、「法相の命令から5日以内に執行されなければならない」と定められている。

 法務大臣の死生観や心情なんぞ関係は無い、法務大臣の任を享けたのならば覚悟を以て死と向き合い、大臣としての職務を遂行するのが当然で。執行も出来ないなら法務大臣は拒否するべきで、大臣なら何でも頂こうなどという気持ちが情けない。

 我が国の死刑制度というものは諸外国とは違い、「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして、明治6(1873)年2月、司法卿であった江藤新平が、「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令したことに始まる。

 幕末から維新期に於いては、派閥や政論の対立に因る暗殺とその報復という面があったことから、「この種の紛争を断ち切る」というのが目的だった。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布され、敵討ちや復讐は全面的に禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

「赤穂浪士(忠臣蔵)」が、未だ日本人の美学とされているのもそういうことである。現代でも、「死刑制度」を容認支持する国民が80%以上もいるのは、「国が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しい」という気持ちの現われに他ならない。

 人権派や珍左翼ら死刑廃止論者は、その理由を「国際人権基準」がどうのだと、「非人道的」とか、「生きる権利の侵害」だとか、「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」とか、被害者側に立った意見は殆ど聞かない。

「死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべきだ」という意見は少なくない。だが、愚生がいつも思うことだが、この「世界では」とか、「どこそこの国では」という都合の好い部分しか語らない屁理屈は、実に胡散臭げなものばかり。

「世界ではこうだ」というが、世界で美的感受性や道徳の圧倒的高さを有する国家は我が国を措いて他はない。欧米の都合の好い部分を模倣しようなどというのは、敗戦コンプレックスと日本人の外国人コンプレックスの裏返しでしかない。

 世界中が嘘八百並べても日本だけは絶対にしない。絶対に世界の真似をしないという、そういう自信や誇りというものを失ってはならないのだ。そういう意味では、孤高の日本で好いし、死刑制度も日本独自で維持するべき美徳でもある。

 死刑廃止の理由を列挙すれば、「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「冤罪の場合に取り返しが付かない」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」など様々。

「冤罪」というのは、袴田事件を見るまでもなく確かに有り得なくはないが、それは警察捜査の傲慢さと科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どであって、そういう疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけの話しではないのか。

「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されている典型であって、そんなものに与しようというのが抑々の間違いだ。

 左翼人士や自称・人権派弁護士などに、こうしたキレイゴトをよく見かけるが、日頃、反米を唱え乍ら、また無神論者であり乍ら、都合の好い部分(死刑廃止)は「米国でもキリスト教でも利用してやろう」という精神はホント逞しい(笑)

 残虐な犯行をした者が、死刑制度廃止で生命を保証されるとしたら如何なものか。極悪非道な犯人の再審請求を利用して執行停止を謀るなど笑止千万。「生」に拘るより「死」を以て償うべきあり、我が国の死刑制度とは正に大慈悲なのである。

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2023年09月16日

政治家の倫理道徳の欠落は著しいと断じざるを得ない

 岸田文雄首相の内閣改造・自民党役員人事の目玉として、党4役の一つである選挙対策委員長に小渕優子が就任した。言わずと知れた小渕恵三元首相の娘である。

 摩訶不思議なことに永田町では「女性初の首相」を期待する声があるという。平成26年に政治資金報告書の虚偽記載で表舞台からは退いていた。満を持しての復活となったが、世間というのはよく見てるもので「ドリル優子」で名を馳せる(笑)

 週刊誌報道を機に、政治資金の不明朗な会計処理が次々と発覚した。東京日本橋の「明治座」での観劇会では、「小渕優子後援会」など4つの政治団体の政治資金収支報告書に記された収支が、計約6千万円ものズレがあったり、収支が全く記載されていない年もあったりで、最終的には約3億2千万円もの虚偽記載があった。

 東京地検特捜部の家宅捜索では、パソコンのハードディスクがドリルで破壊されていることが発覚。それを機にネットでは「ドリル優子」と揶揄されるに至る。

 特捜部は、元秘書ら2人を起訴。小渕本人については、虚偽の記載を認識していた証拠がないとして、不起訴処分(嫌疑不十分)とした。元秘書ら2人は翌年に政治資金規正法違反(虚偽記載など)で執行猶予付きの有罪判決を受けている。

 何やら報道では、有罪判決があった平成27年から7年間で、1400万円以上を自身のファミリー企業に支出していたと報道されてるが、ドリル優子は全否定している。まぁ単純に年に200万円余りだから大した額じゃないが、モラルは問われる。

 政党交付金(政党助成金)は、リクルート事件やゼネコン汚職事件などの汚職事件で、企業や団体などから政治家への資金提供が問題視されたことを理由にして、細川政権下の平成6年に導入された。所謂「政治改革四法」の一つである。

 政治改革四法とは「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」。小選挙区比例並立制と政党交付金制度は政治劣化の元凶。この改革四法案の見直しなくして政治改革や政治とカネも問題も解決しない。

 政治とは最高の倫理であり、最高の道徳であらねばならず、繰り返される「政治とカネ」の現状を見れば、政治家の倫理道徳の欠落は著しいと断じざるを得ない。

 政治家に求められるのは唯々「滅私奉公」の一つである。然し乍ら、その滅私奉公は最早死語となった。政治家必携の本といわれる「南洲翁遺訓」がある。この本は政治家に限らず、人の上に立つ者や日本人として読むべき名著の一つである。

「万民の上に位置するものは、己を慎み、品行を正しくし、贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して人民の見本とならねばならない。そして民衆がその働きぶりを見て『気の毒だなぁ』と思うようでなければならない」(第四条)

 今どき「気の毒だなぁ」と思える政治家なんぞ見たことも無いし、国会中継などを見てると、国民不在の党利党略ばかりで、とても政治家としての正道を踏んで、至誠という真心を以て国家の行く末を論じている政治家なんてのは極極稀だ。

「道義心や恥を知る心を失っては、国を維持する方法は有り得ない。上に立つ物が下の者に対して利益だけを求めて正しい道義を忘れてしまうと、下の者も見倣って、人の心は皆金儲けの方ばかりに向いてしまう。上に立つ者は常に下の見本で有らねばならない」(第十六条)と教えているが、上の責任を下に押し付けている。

 第二十四条は「敬天愛人」の思想。「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を愛するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛するを以て人を愛する也」。天を敬い、何事を行うにしても「お天道様が見ているぞ!」という、日本人としての当たり前の矜持を持ち合わせていない政治家は要らない。

「南洲翁遺訓」は本編四十一条。何れも含蓄あるものばかりだが、これは西郷隆盛が仁者だったというより、自戒だったのではと思う。我が国の不幸と政治の停滞と機能不全は、道徳観を持った政治家や思想家、指導者がいないことに尽きよう。

 国会議員だけではなく地方議員を含めて、過分な歳費や報酬の一部で「南洲翁遺訓」を買って、写本や熟読でもした方がよっぽど国家の為になるぞ!呵呵。

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2023年09月15日

第二次岸田改造内閣は相変わらず国家観無き経済至上主義内閣

 第二次岸田改造内閣が発足した。女性閣僚を5人据え、バランスを考えた組閣ではあるが、記者会見の内容を見ても、営利至上主義とも言える経済優先のカネ主義ばかりで国防や教育論という政治の大義を語ることはなかったのは甚だ残念なことだ。

「少子化問題は我が国の重要課題」というが、どうやって少子化を食い止めるのか。労働者不足で移民を「国の宝」などと宣う岸田の下で、少子化が食い止められるとも思わない。目先の経済を優先する余り、日本国民が危険に曝されるのは必至。

 国防意識の昂揚も訴えることなく、国防や国家の安全保障を語ることがあってはならない。そういう意味では、木原実の防衛大臣就任は明るい兆しでもある。だが、高市早苗経済安全保障大臣もそうだが、保守派に対するガス抜きなんだろうな。

 我が国は、戦後民主主義教育の弊害からか、愛国心の希薄と国防意識の欠落では恥ずかしいことに、世界に冠たる国家となってしまった。その原因は日米安保条約といういびつな体制が元凶であり、その一方の親中が無防備に拍車を掛ける。

 国家の大本は「国防」と「教育」であり、これを推奨し実行することが我が国の政治家としての努めである。この二つに不可欠なものは「愛国心」であり「大和心」である。祖国を愛する、慈しむという心情は極めて自然な日本人的感情である。

 ところが、戦後は戦前の狂信的ともいえる鼓吹された愛国心の反動から「愛国」という言葉自体が、政治家からもマスコミからも教育の世界からも消えて久しい。

「国防」とは単に領土主権の保全ではなく、「それを亡くしてしまえば日本ではなくなってしまうもの」を死守することであり、歴史・伝統・文化や領土や国益を守るということは畢竟、天皇を戴く日本という国柄を護り抜くこと以外にはないのだ。

 つまりは、「我が国の国體とは如何なるものか」という教育を施し、後世に遺して行くこそが政治家の義務でもある。「明日は今日よりも良くなるよう政策進める」というポエムにしても、どの様な日本国を後世に遺すのかというカタチが見えない。

 先日の線状降水帯に因る大雨被害は、未だ原発事故の被害を被っている福島県民として「防災」を最優先に考えるべきであると再認識した。防災や安全の為、更には国防上、経済優先を優先して増税が大事だとは詭弁以外の何ものでもない。

 真に「積極的平和主義」、或いは「日本本土強靭化」を図るというのなら、同時にやらなければならないことは、「災害も安全保障も領土保全も同一線上に在る」という観点に立った上で、これらの妨げになっている現憲法を破棄する以外にはない。

 こうした危機を機に現憲法の不能を大いに論じ、国益を害する陋習の一掃を図り、我が国の危機管理能力の欠如と脆弱さを克服し、周辺国からの如何なる干渉をも論破し断固振り払い、アジアの平和安定に寄与しなくてはならないのである。

「聞く力」などと自画自賛してた岸田だが、政権が続けば続く程に我が国の国益を損なって行く。岸田も歴代自民党総裁と同じ、未来しか頭にない新自由主義者。更に悪いのは、安倍とは違って米国民主党という左翼に媚び諂っていることだ。

 国民が故安倍晋三を支持したのは、保守としての一縷の希望を見出したからだ。だが、その期待は裏切られはしたが、安倍亡き後の自民党の劣化は甚だしい。

 国民が待望するのは、祖国日本を憂うる真の正統保守の政治家であり、乱世と言われる今に於いて、姦雄と言うべきリーダーの出現を待望して止まない。

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2023年09月14日

「観光立国」や「移民政策」は無責任極まりない天下の愚策である

 福島第一原発周辺に貯まり続けた処理水の海洋放出が行われると、中共は直ぐに日本からの禁輸措置拡大を実行した。中国産食材の輸入禁止で対抗するべき岸田文雄は、相変わらず「何処までも付いて行きます雪の下駄」状態なのは情けない。

 中共国内の寿司店などは富裕層が多く利用する。食事代も銀座の高級寿司店を越える店はザラらしく、禁輸措置拡大が続けば富裕層を中心に反政府活動に替わる危険を孕んでいる。まぁ岸田の譲歩を引き出したら禁輸措置解除となるだろうな。

 民主党政権下で謀られた「東アジア大交流時代」に始まり、技術立国を目指すべき我が国が、発展途上国並みの「観光立国」を国策として、更には営利至上主義の経団連など、経済界の走狗と化した岸田政権下で「移民政策」が実行されて行く。

 日本社会の安全を無視し経済的な利益のみを追及した無責任極まりない愚策の実行を謀り、積極的に訪日客を呼び込んで、更には移民政策とは狂気の沙汰だ。

 何を血迷って「観光客誘致や移民政策を強化する」などと考えるのだろう。ここ数年、外国人の旅行者の入国は増えているし、今更、犯罪者予備軍ともいうべき不法滞在者や不法就労者が多発しているシナ人なんぞに来て貰う工夫など全く必要ない。

 今、欧米諸国はゴキブリ並に繁殖力のあるシナ人や朝鮮人に、自国民の生活環境を脅かされる程に成長した「移民問題」に悩まさている。民主党政権下で、世界各国から忌み嫌われている民族を率先して招き入れ様としているのだから恐れ入る。

 シナ人犯罪者による凶悪犯罪の増加という現実を無視した上で、治安を一層悪化させることが確実な「査証の簡素化」は、国民感情に反するだけでなく、今まで以上の日本人の犠牲者を出させようとする、極めて危険且つ無責任なものである。

 嘗ては世界一安全といわれた我が国が、外国人の急増、それもシナ人の増加によって安全を脅かされていることは、幾ら不精な人でも気付いている。日本国民の生命の保証と財産の安全こそ国民の願望であり、これに優る国益はない。

 シナ人や朝鮮人の落とす小銭目当てに「観光立国」とは笑止千万で、観光政策は国家戦略というのが世界の共通の認識としているが言語道断。我が国が目指すべきは技術立国であり、日本人らしい発想に拠って世界に先駆ける技術を創り上げるべき。

「東アジア大交流時代」「観光立国」「査証の簡素化」「外国人地方参政権付与」「外国人住民基本法案」「移民政策」は中共政府の謀略であり、総理府や政府中枢に入り込んだ左翼革命家らが謀る愚策を自民党政権下で疑いもせずに実行している。

 我が国は戦後GHQに因る洗脳状態に置かれ、更には中共に諂う様に仕立てられ、共産主義者が蔓延る国連を信奉し、米国左翼民主党政権に追随している。そんなこともあって、中共と米国無しではどうにもならない状況に陥ってしまった。嗚呼。

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2023年09月13日

欧米諸国から「オストリッチ・ファッション」と嗤われている日本

 欧米諸国は安全保障に於いて、日本のことを「オストリッチ・ファッション」と嗤ってるという。オストリッチ(ダチョウ)というのは自分に危機が迫ると穴に首を突っ込み、危機を見ない様にして危機から逃れたつもりになるという(笑)

 周りの諍いに対しても、自分に被害が及ばない様に見て見ぬ振りをする日本人は多くなってる気がする。「自衛隊」「憲法改正」と言った途端に「戦争」を想起し、思考停止に陥る日本人を揶揄した言葉だが、実に分かり易い喩えである。

「平和」の反対が「戦争」ではない。「平和」の反対は「混乱」である。また「戦争」とは「悪」ではなく、政治や外交の延長線上にあるもので、国際法上認められた国家間の問題解決の為に行われる正当な政治手段の一つでもあるのだ。

 米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続」と教えているが、日本では「悪」となる。

「当たり前」の反対は「有り難い」だと知らない。米軍の御蔭で存在する我が国の「平和」に、平和を口にする連中は「有り難い」と感謝することは無い。

 我が国の「平和」が稀有なのは、自国で創り出さなくとも米国が護ってくれているという現実である。この歪な関係でさえも「当たり前」だと思っている。

「平和を作り出す」という自覚が乏しいクセに、平和は「当たり前」に存在するものだと勘違いしているから、米軍に「有難う」と感謝することもないのだ。

 我が国の平和は、正しく日米安保条約や米国の核の傘の下でのまやかしの平和であり、そんな薄っぺらな平和に現を抜かしているのが日本の現状である。

 我が国の平和を維持している米国に感謝するどころか批判する。ならば、中共の覇権主義や北朝鮮の威圧行為や韓国の横暴といった眼前の危機に対しても、自衛軍備の確立と万全の法整備を急ぎ平和を創造すべきだが、何故かそれをも拒否する。

 我が国が、「オストリッチ・ファッション」という嘲笑や、無防備の害である「アンディフェンデッド・ウェルス」から覚醒するのは何年先のことやら。

 総選挙や参院選挙では、左翼政党は「平和」というスローガンを掲げて有権者に訴える。軽々しく「平和」を口にはするが、どうやってその平和を創造するかという具体策は言わない。正に、こうした政治家が無防備の害を拡散している。

 共産党や左翼勢力にしてみれば、端から「平和」を創り出そうとは思ってはいない。「平和」という言葉は、情弱な有権者を騙す最大の武器でしかない。

 三島由紀夫は嘗て、「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えている。軽々しく「平和」を訴えている勢力こそが我が国の政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因となっている。

 米国製の憲法を守り乍ら、米軍に反対し、「自衛隊が無くなれば当たり前に平和が存在するのだ」と信じて止まない。「自国の防衛を否定する現憲法には問題がある」と言った途端に反発を食らうが、正に思考停止、無防備の害そのものである。

 政治で大事なものは国防と教育である。どの候補者や政党も一長一短色々あるが国家観を重んじる政治家に一票を投じたいが、そんな政治家は見当たらない。

 教育の無償化ばかりで、教育の中身が論ぜられない。教育をカネで語るとは何たることか。教育と国防こそ国家百年の大計ということを忘れてはならない。

「国防」と「教育」、この二つに不可欠なものは言う迄も無く「愛国心」であり、祖国日本を愛するという心情は理屈ではなく極めて自然な感情である。

 ところが戦後、戦前の狂信的ともいえる鼓吹された愛国心の反動から「愛国」という言葉自体が、政治家からもマスコミからも教育の世界からも消えて久しい。

 我が国は、今や愛国心の希薄と国防意識の欠落では恥ずかしいことに、世界に冠たる国となってしまった。今後、民主党政権下では「国を愛する心」や「国を護る」という言葉はタブーとなり、国民の国防意識など無くなって行くだろう。

 政治を行う上で大事なのものは、国家観を持って外交を行い、国防を怠らず、将来を担う子供達に誇りの持てる教育を如何に施して行くかということである。

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2023年09月12日

中共の核実験では約19万人の死亡者と129万人の健康被害者を出したが

 中共の日本産水産物全面禁輸拡大について、麻生太郎が「トリチウムなんてものは全く出ていませんとハッキリしていてもダメなんだから。これは明らかに政治の話なんであって、科学的な話でも何でもない」と語ったが、政治の延長に戦争がある。

 戦争とは、政治や外交の延長線上にあるもので、国際法上認められた国家間の問題解決の為に行われる正当な政治手段の一つ。中共にとって我が国は仮想敵国であり「友好」という妄想は捨てて、政治や外交に拠って解決を図らねばならない。

 中共が処理水の海洋放出を殊更に騒ぎ立てているのは、この問題が日本の国内世論を分断させ、混乱を煽り、それに因って無血占領に導こうとしているのだ。

 健康被害が理由ならば、中共では車の排気ガスやPM2.5の影響で年間200万人が亡くなっていることはどう説明するのか。東京電力福島第一原発事故後、セシウムなどの放射線で死んだ人はいないし、セシウムの700分の1程度のトリチウムが人体に影響を及ぼすことは100%無い。科学的論拠を無視した抗議は幼稚な革命謀略。

 原発事故後の反原発運動然り、処理水の海洋放出然り。科学的な根拠から出でる反対ではなく、国民感情を煽って世論分断を謀るのは左翼陣営の常套手段である。

 トリチウムで大騒ぎだが、中共が1964年から「ロブノール核実験場」で強硬した46回の核実験では、約19万人の死亡者と129万人の健康被害者を出している。

 処理水の海洋放出で無知な人民を総動員して反日を煽ってるが、健康被害を危惧し乍ら、中共国内の核実験や被害が問題になったり、非難されたりしたことはない。

 米国がビキニ諸島で行った核実験では、第五福竜丸が被曝したのは記憶に新しい。それを考えれば北朝鮮の核実験で死亡したという声は聞こえて来ない。北朝鮮側の報道規制というより、技術的にも過去の核実験より優れている様にも思える。

 金正恩の武力を背景にした外交手段や武力に因る侵略や弾圧が世界的に非難される現在に於いて、何故か米国の武力行使や、中共に因る近隣国への弾圧や虐殺、領土主権侵害に至っては正当化されるのは余りにも不正義極まるものであろう。 

 岸田のライフワークの核軍縮の抑々の間違いは、科学的ではなく感情論に訴えてることだ。理想論を語るのは結構だが、核軍縮を真剣に訴えるのならが、戦争被爆国である我が国こそ核開発を成功させた上で、核廃絶を訴えた方が現実的だろう。 

 満州、内蒙古、チベット、新疆は元来漢民族の土地ではない。「新疆ウィグル自治区」とは、元々はトルコ系の民族が多く住む「東トルキスタン共和国」と呼ばれる国のこと。 歴史的に見てもこの地は侵略に晒されることが多く、唐、モンゴル帝国、清などの支配下に置かれていた時代もある悲劇の国と言っても好いだろう。

 支那大陸に於ける王朝の興亡の影響を強く受けてきた不運な民族でもあり、「東トルキスタン共和国」として、独立を果たそうとしているが、1955年の中華人民共和国の侵略に因って、「新疆ウィグル自治区」として設置されている。

「自治区」とされた後のトルキスタンの人々の受ける迫害は凄まじく、膨大な数の死者と、7万人以上がソ連(現ロシア)へ逃亡。 中共は「民族浄化」という人口侵略により他国を蚕食し、支配を目指しているが、我々は南シナ海での人工島建設や、チベットや東トルキスタン共和国での弾圧を対岸の火事と見ていてはいないだろうか。

 我が国を顧みれば、殖え続けるシナ人の蚕食を放置し、経済界の営利主義から労働者不足などという不埒な理由で移民を受け容れ様としているが、近い将来、我が国も満州や内蒙古、チベット、東トルキスタンの様になる危険を孕んでいる。

 米国にしても「世界の警察」を気取り、自分勝手な価値観を押付け、正義を振り翳し、我が物顔で世界を伸し歩く傲慢不遜な態度に、今や米国の自己中心的不正非道に苦しむ非西洋諸国の多くが、米国を唯一最大の外敵、脅威と考えている。

 米国自身が「無法者の超大国」だと気付くことは無く、北朝鮮への制裁にしろ、テロ根絶の名の下に更なる脅迫が続けば悪の連鎖は果てしなく続くだろう。

 北朝鮮の強硬姿勢に因って東アジア情勢が緊迫してる中で動くものは領土問題であり、それは竹島や北方領土奪還の機が訪れたと共に、尖閣列島や沖縄、対馬を奪われる危機が高まったということでもある。我が国の気概が試される。

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2023年09月11日

犯罪を撒き散らす不良外国人を積極的に受け入れ様とはキチガイ沙汰だ

 元寇の沈没船とみられる船体を、琉球大学教授らが長崎県沖で発見し話題となったのは12年程前のことだった。文献や絵画とは違い、沈没船が「神風」を証明する証拠と成り得るものと期待したのだが、その後は全く報告されず終い。

 アジア大陸を支配していた元と高麗の連合軍が朝貢と従属を求め日本に攻め入った。「文永の役」と「弘安の役」では「神風」が吹荒れて元寇を追い払った。

 元寇襲来を知ることは、我が国の主権を護る上でも重要。中共のスパイ船「魚政201」や「魚政35001」など現代の元寇が尖閣諸島で挑発行為を繰り返している。

 主権侵害や領海侵犯の度に、外務省は「遺憾の意」を表し抗議しているが、警告を無視する船舶は武力を以て対抗するべきだが、「どうせ撃てない」と分かってるシナ人らは更なる強圧行為に奔る。外交では、相手国にナメられたら終わり。

 今や、チンギスハンやフビライハンのモンゴル帝国時代以上の領土拡大を、「我が国の歴史的領土」と主張する中共こそ地上最大の「帝国主義国」である。

 中共やシナ人の蚕食を赦してはならない。今や世界にシナ人不法移民が大量に溢れ出ている。溢れ出る先は、日本や韓国など近隣のアジア諸国に止まらず、南・北米、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリアと、地球の隅々にまで及んでいる。

 シナ人犯罪者の多くが密航や偽造パスポート、成り済ましなどで不法に相手国に入国しては、行く先々で文化衝突を繰り返し、犯罪を撒き散らしている。来日外国人の犯罪の中で、シナ人の検挙件数が突出しているのは周知の事実だろう。

 警察白書では、令和2年(2020年)中の来日外国人に因る刑法犯の検挙件数に占める共犯事件の割合は35.5%と、日本人(12.5%)の約2.8倍に上っている。国別ではベトナム人がトップで、シナ人は第二位と依然国内犯罪の多くを占めている。

 移民大国である米国に密入国するシナ人は年間約50万人以上という。彼らは中南米に潜行している不法入国者で、最終目的地は北米大都市のチャイナタウン。

 そのチャイナタウンで最も規模が大きいのがニューヨークとサンフランシスコ。シナ人に因る抗争、恐喝、暗殺、殺人事件が頻発しており、サンフランシスコではチャイナマフィアはイタリア系マフィアにとって代わる存在だという。

 南米でもチャイナマフィアの勢力は拡大しており、シナ移民の巻き起こす凶悪犯罪が後を絶たない。南米のチャイナマフィアのボスはブラジルのサンパウロを拠点としているらしく、毎年年末になるとみかじめ料を要求するらしい。

 みかじめ料を払わないと店を壊されたり、店主が殺されたりするのは日常茶飯事。アルゼンチンには台湾系の移住者が5万人程いたのだが、マフィアの過酷な取り立てに耐えられず北米に逃亡し、残っている台湾系住民は1万人程だという。

 先日、都内の居酒屋が「中国人へ!当店の食材は全て福島産を使っています!」と黒板に書いたらシナ人が大騒ぎしてたが、米国や中南米の多くの店内にはカービン銃が置いてあり、「チャイニーズに注意」と書かれた紙が貼られているという。

 今や日本の永住者の数は「在日」を抜き「シナ人」がトップに膨れ上がった。日本国籍取得者や不法滞在者を加えると100万人を遥かに超えるのではなかろうか。最近ではベトナム人や難民を自称するクルド人の犯罪が顕著になっている。

 令和5年1月での不法滞在外国人の数は実に7万491人に及ぶ。不法滞在者の国籍は第1位がベトナム、第2位が韓国、第3位タイ、第4位中国、第5位フィリピン、以下、インドネシア、台湾、スリランカ、マレーシア、カンボジアと続く。

 以前は、特別在留者である在日朝鮮人やシナ人、フィリピン人、ブラジル人などが暗躍していたが、今では不良ベトナム人やクルド人の勢力が拡大している。

「国を持たない最大の民族」と言われるトルコ系クルド人。 強制送還に抵抗する理由に「戻れば命の危険が」という。そんなことを言ってないで、命懸けで祖国を建設しろよ。珍左翼と連携して政治活動してるクルド人の強制送還は当たり前のこと。

 世界の国々の多くが、シナ人移住者に警戒しているのに、驚くことに我が国では不良外国人を受け入れて、岸田首相の「国の宝」発言には開いた口が塞がらない。更に日本人の大学生を蔑ろにし乍ら、シナ人留学生の厚遇おは厭きれるばかり。

 河野太郎の「中国人の皆さんが国籍を取って新しい日本人を作って行かなければならない」との発言はキチガイの戯言と断じる他は無い。国内ではチャイナタウン構想が後を絶たないが、ゴキブリ並みに繁殖するシナ人の警戒を怠るべからず。

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2023年09月10日

古い日本映画や古典落語の台詞に耳を欹(そばだ)てる

 映画が好きでどんなに忙しくても一日1本は観る。多い日で12本なんてのもあった。古い日本映画や落語が好きで、中でも「鬼平犯科帳」は愚生のバイブルの様なもので、原作者・池波正太郎の愛した店にも通っては長谷川平蔵を気取った(笑)

 鬼平犯科帳では軍鶏鍋屋の「五鉄」など小料理屋や蕎麦屋などで呑むシーンが多い。吞み終えた平蔵は女将に心付けを渡す。高が心付けなのだが、平蔵の何気ない渡し方が完璧で、アレは池波正太郎自身の普段の姿をダブらせたものだろう。

 鬼平犯科帳の処世術は実に参考になった。例えば、相手への礼金にしても「相手が恐縮する程の金を渡さなければ意味はない」というのには刮目。小銭を貰っても有難みが無い。過分なカネを払ってこそ相手に感謝されるものだと知った。

 愚生の周りには、愚生に世話になり乍ら無報酬とかボランティアだと思っている人や、僅かな礼金やタダで事を済ませ様とする輩が多いのはホント困ったものだ(笑)

 愚生も平蔵や心の師である高花豊先生ほどの真似は出来ないが、慢性的不如意ではあるが財布にはいつもポチ袋を3~5個ほどは入れて持ち歩く様にはしている。

 何処の店でも渡す訳ではない。雰囲気が好い店や、接客などが丁寧な店では勘定した後にコソっと渡す様にはしている。高が心付けだが意外に渡すのは難しい。ポチ袋を何気に相手に渡すことが出来る様になれば男としても飲兵衛としても一丁前だ。

「お釣りは要らないよ!」とか、これ見よがしにチップを渡している社長さんなどを見かけるが、アレは野暮や不粋というもの。「男の作法」では、タクシー代も「お釣りは要らない」ではなく、一旦受け取ってから別に渡すのが好いと訓えている。

「座頭市」やら「眠狂四郎」「小津安二郎」「黒沢明」などの昔の映画や古典落語、或いは童謡や軍歌、懐メロなどに出て来る難しい日本語に、思わず耳を欹(そばだ)ててしまうことがある。古い映画や落語などには懐かしくも美しい日本語が溢れている。こうしたことを気にしながら観たり聴いたりするのは実に楽しいものだ。

 「憚(はばか)り様でした」 (ご苦労様です。恐れ入ります)
 「傍杖(そばづえ)を食う」 (思わぬ災難に遭う)
 「荷が勝つ」 (責任・負担が重過ぎる)
 「武士は相身互い」 (同じ立場の者は助け合うべし)
 「罪業の深さ」 (罪の原因となる行為)
 「浮世に拗(す)ねる」 (世の中に逆らう)
 「卒爾(そつじ)ながら」 (人に声をかける時に言う語)

 その他にも、「阿漕(あこぎ)な奴」「お為倒し(おためごかし)」「朝未だき」「足元から鳥が立つ」などなど、余り馴染みのない言葉や台詞が出て来る。

 こうした難解な言葉を四六時中考え気にしている訳ではないが、この「四六時中」という言葉も昔は「二六時中」と言ってたそうだ。一日を十二刻で数えていた時代には「二六時中」だったが、二十四時間になって「四六時中」に変わったという。

 言葉は移ろうものだが、どういう人がどういう風に使っているのかを知れば、また違った世界を知ることが出来る。日本語と言うのは実に素晴らしいと思う。

 東日本大震災後間もなく、天皇皇后両陛下(上皇上皇后両陛下)が福島県の被災地を訪れた。地元紙に天皇皇后両陛下の御来県に関する想いを投稿したことがあった。だが、敬語の部分が殆ど校正され無惨なものになっていたのは残念に思った。

 マスコミに因る、皇族方への「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。両陛下や秋篠宮妃殿下、悠仁親王殿下への皇室報道を見ても、不敬極まるものばかり。

 国際化やグローバル化なんぞより、国内に蔓延する日本語の乱れを直すことこそ喫緊の課題だろう。日本人が日本語を正しく使わずして、「国際化社会」などとは痴ましい。明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳し、西洋文化を学んだ。

 現代人の様に外来語をカタカナで羅列している軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ近代国家として発展が得られたのだ。

 今こそ美しい日本語文化を世界に普及し、悠久の歴史を有する日本の和の心を伝え、世界平和の実現を図るならば日本人自身が乱れた日本語を正すことこそ大事。

「忙中閑あり」というか「閑中閑ばかり」。小津安二郎の映画はちと長いですが、日本の古い映画から我が国の在るべき姿が見えて来るかもしれませんぞ。呵呵。

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2023年09月09日

「日本にこれほどの力があったのならもっと早く言って欲しかった」

 G20での岸田外交は相変わらず中身が無く、国益を死守するという覚悟が感じられない。「言わなくても分かるだろう」という、日本人の気風や美徳など世界では通用しない。中でも、中韓には通じるどころか逆に付け込まれバカにされるだけ。

 2010年、米国議会下院でトヨタ自動車へのリコール問題に関する公聴会が開かれた。米国人らは「米国らしい歪な正義」を振り翳して豊田章男社長を吊し上げた。

 米国で、米国製車へのリコールが毎年1600台に及んでいた時代にである。そんな技術的に御粗末な国が、自分達のことは差し置いて御粗末にもトヨタを糾弾した。

 裁判では、豊田社長へ容赦ない追求が繰り返されたが、「イエスかノーか」と感情的に迫られながらも真摯に答えていたが、豊田社長はつい「誠に残念(DEEPLY SORRY)」と謝罪を口にし、安易に相手側に同意してしまったことがあった。

 日本語では「イエス」「ノー」で答えられないものもある。口下手な日本人というのは、論争するのも面倒なので安易に相手に同意してしまうのはよくあることだ。

 日本人同士では、謝罪の意味すら無いことは理解するが、外国人には「すみませんでした」「不徳の致すところ」とか「言わなくても分かってくれるだろう」という様な、言葉足らずの日本的美風は通じないということを知らなくてはならない。

 米国では、過去に三菱自動車が「セクハラ集団訴訟」を起こされたこともある。三菱で働く女性従業員が執拗且つ陰湿なセクハラ被害を受けたというものだった。

 常識で考えても嘘だと解る証言なのだが、三菱は疑惑に対して日本人御得意の「不徳の致すところ」と述べたことで結局3400万ドルを支払わされることとなった。

 フォード・エクスプローラーの横転死傷事故訴訟というのもあった。事故の原因がフォード社に有るのは明らかだったが、議会公聴会でフォード社の会長が「原因は我が社の車ではなくタイヤが原因」と、謝罪するどころか日本企業を非難した。

 そのフォード社の意見に対し、ファイヤーストーンの日本人社長が反論もせずに、「不徳の致すところ」と謝罪した為に「自白」と見做されて有罪となった。

  文化の違いと言えばそれまでだが、外国や外国人には安易な「すみません」という日本的美風は通じない。反論という「口先」も大事なことで、安易に謝罪などするべきではないのである。口先が大事なのは我が国の外交にこそ必要なものである。

 戦後の日本の甘い対応がそれを証明してる。外交交渉では、言うべきことをハッキリ言うのが大事で、日本人も己を正当化する強固な意思を持たなくてはならない。

 チャーチルが「第二次世界大戦回顧録」で、当時の日本の外交を次の様に皮肉っているが、チャーチルの言葉は日本人の性格を実に分かり易く説明している。

「日本人は、無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数が上るのに、それが出来ない。それでもう一度、無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、日本に今まで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人は全く別の顔になって、『これほどこちらが譲歩しているのにそんなことをいうとは、貴方は話の分からない人だ。事ここに至っては刺し違えるしかない』と言って突っかかってくる・・・」

 この日記は、昭和十六(一九四一)年十二月十日、マレー半島クァンタンの沖合いで、 イギリスが誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻が日本軍によって撃沈された時の内容だが、チャーチルは、「この戦いでシンガポールを失い、インドでも大英帝国の威信を失うのではないか」と心配しつつ綴っている。

「日本にこれほどの力があったのならもっと早く言って欲しかった。日本人は外交を知らない」 とは、笑える話しではあるが、これが当時の日本外交だった。

 だが、現在の日本外交は開き直ることさえも出来ずに、謝罪と譲歩とバラ撒きを続け、「言わなくても分かってくれるだろう」と相手の要求に屈するばかり。

「日本人は、無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる」のは昔の儘だ。譲歩と謝罪こそが外交だと勘違いしてしまった。

「反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数が上るのにそれが出来ない」とは正しく。外交とは国益の為に喧々諤々の論争も辞さずに相対することである。政治と外交の延長線上に戦争がある。つまり「戦争も辞さない」という覚悟が大事。

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2023年09月08日

習近平のG20への欠席の裏で何か起きているではとはチョッと穿ち過ぎか

 G20サミットに習近平が欠席。代わりに序列第二位の李強首相が出席する。これまでG20サミットに出席してきた習近平の欠席は異例のこと。処理水の海洋放出への異常な対応といい、裏では何か怪しげな動きがあるのではと勘ぐってしまう。

 2016年、中国浙江省で開催されたG20での議長は習近平。そのG20開催中に、南シナ海・スカボロー礁に大型竣設船を展開して軍事基地建設活動を強行した。

 南シナ海に在るスカボロー礁は、フィリピン・ルソン島に近く、中共に因る人工島建設場合は周辺の安全保障上の大きな脅威になるのは当然なこと乍ら、日本からシーレーン(千海里)の防衛に於いても重要な問題で決して対岸の火事ではなかった。

 以前、国会質疑でも度度ホルムズ海峡封鎖を想定した議論されたことがあるが、南シナ海は相手が中共なだけにホルムズ海峡封鎖の想定よりもややこしい。

 東京電力福島第一原発事故後、原発再稼働が進まない中で、中東からの石油ルートが絶たれれば、我が国の経済は愚か国民の生命にも甚大な影響を及ぼすことは必至。

 反原発派から「シーレーンの防衛」という声が全く聞こえて来ないことをみても、反原発運動とは、中共の第五列に因る我が国の無血革命と断じて好かろう。そしてその無血革命は連帯を深め、処理水の海洋放出反対運動にも見られる。

 武力を使用した侵略や弾圧が世界的に非難される現在に於いて、何故か不思議なことに中共に因る近隣国への弾圧や虐殺、領土主権侵害は正当化されている。

 満州、内蒙古、チベット、新疆は元来漢民族の土地ではない。「新疆ウィグル自治区」とは、元々はトルコ系の民族が多く住む「東トルキスタン共和国」のことだ。

 歴史的に見ても侵略に晒されることが多く、唐、モンゴル帝国、清などの支配下に置かれていた時代もある悲劇の国でもある。支那大陸に於ける王朝の興亡の影響を強く受けてきた不運な民族で「東トルキスタン共和国」として、独立を果たそうとしているが、1955年の中共の侵略より「新疆ウィグル自治区」とされた。

 トルキスタンの人々の受ける迫害は凄まじく、膨大な死者に加え、7万人以上がソ連(現ロシア)へ逃亡した。 「ロブノール核実験場」では1964年から46回に及ぶ核実験が行われ、約19万人の死亡者と実に129万人の健康被害者を出した。

 我が国の反原発派は、ありもしない健康被害や放射線被害を騒ぐのならば、こうした中共の現実にも声を上げて非難すべきだが、連中は原発事故を利用してるだけ。処理水の海洋放出でも、原発事故で差別された福島県への風評を助長するだけ。

 中共は、「民族浄化」の名の下の人口侵略に因って他国を蚕食して領土支配を目指している。平和ボケした日本人は、南シナ海での人工島建設や、チベットや東トルキスタン共和国での中共の弾圧を対岸の火事と見ていてはいないだろうか。

 我が国政府を見れば、殖え続けるシナ人の蚕食を放置し、犯罪には目を瞑り、労働者不足などという不埒な理由で移民を受け容れることになれば、近い将来、我が国も満州や内蒙古、チベット、東トルキスタンの様になる危険を孕んでいる。

 移民政策を受け入れた欧米の悲惨さを知ることなく、経済界のポチとして移民を労働者と享け入れる岸田政権の無能は救い様が無い。早々に退陣を願うばかり。

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2023年09月06日

小泉進次郎ってのはパフォーマンスだけは上手だな(苦笑)

 小泉進次郎が、処理水の海洋放出に伴う風評対策の一環で、南相馬市の坂下海岸で地元の子供達とサーフィンを愉しむパフォーマンスを行った。福島の海の安全性をアピールすることは正直有難い。だが、過去の進次郎の言行には疑問も多い。

 進次郎から発せられる言葉はよくよく考えると意味不明。話っぷりが堂々としてるから尤もらしく聞こえるだけ。所詮は人寄せパンタという役が御似合い。

 以前、大阪松井一郎市長が、福島原発周辺に貯蔵されてる処理水を、「安全性が証明されれば大阪湾への放出を受け入れる」と語った。この発言に対し進次郎は、原田義昭前環境相や河野太郎と同じく「所管外だ」との認識を示した。

 進次郎は環境相就任翌日に来福し、内堀政雄知事に「復興大臣の気持ちを以て事に当たる」との意気込みを示した。処理水の問題は所轄外どころか、環境問題に直結する喫緊を要する重要課題で、復興大臣との覚悟は嘘だったということだわな。

 松井市長の発言は怪しげな世論に一石を投じるものであるが、「科学が風評に負けることがあってはならない」との言葉は政治家としての覚悟の現れであり勇気付けられた。周りの目ばかりを気にするポピュリズムの進次郎との差は歴然。

 進次郎は相変わらず、「漁業関係者らを傷付けることはあってはならない」とカッコ付けていたが、漁業関係者は金目で反対してるのであって、処理水を放置し続けることの方が多くの県民を傷付けるし、福島県への風評が止むことはない。

 漁師や共産党の野崎哲県漁連会長らは、「我々漁師が海に出られないという悔しさ」というキレイゴトを宣う。金銭欲逞しい自称・被災者や自主避難者らと同列で、こうした自己中心的な振る舞いが復興を遅らせていることすら自覚が無い。

 全国漁業協同組合連合会会長までしゃしゃり出て、「汚染水の海洋放出は絶対容認できない」「漁業の将来に大きな影響を与える」と吠える。貴様らは原発からのセシウムを含んだ汚染水を日本海へ垂れ流してる韓国へ抗議したことがあるのか。

 風評被害は流言蜚語で起こる訳で、反原発派に与する行動ではなく、アルプス処理水の海洋放出は何ら問題が無いことを漁業連自らが啓蒙すれば好いではないか。

 福島原発事後、溜まってた雨水40兆Bq/Lが海に流出し「汚染水にストロンチウムやトリチウムが確認された」と大騒ぎになった。知らないというのは恐ろしいもので、「ストロンチウム」や「トリチウム」の言葉が独り歩きすることとなった。

 トリチウム水(HTO)を含んだ汚染水の海洋放出は、風評被害を危惧というより賠償金欲しさの福島県漁連や、地元住民の反対を理由に中断されていただけ。

 原子力規制委員会は「地層注入」「水蒸気放出」「水素放出」「地下埋設」の処分方法がある中で「海洋放出」が唯一の方法としている。それを野党や反対派が「別な方法があったのではないのか」というのは後出しジャンケンでしかない。

 トリチウムは放射線のエネルギー(放射能)は弱く、人体の影響はセシウムの700分の1程度に過ぎない。原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ汚染水の処分に反対するのは単なる感情論だ。

 海洋放出が中断されてる汚染水の問題にしても、外国の再処理施設から放出される処理水に比べても100分の1程度で人体に影響を及ぼす数値ではない。

 韓国は、IAEAに処理水の海洋放出に抗議してるが、韓国の月城原子力発電所4基のCANDU炉(重水炉)からのトリチウム年間放出は、年間214兆Bq/L(ベクレル)。1999年以降累積で6000テラBq/Lを超えるトリチウムを放出している。

 この累積放出量は、福島原発の処理水タンクに貯蔵されている処理水760テラBq/L(2016年3月時)の約8倍に相当する量だ。おまいうの典型だろう(笑)

 1979年のスリーマイル島原発事故では93000テラベクレル。1986年のチェルノブイリ原発事故では520万テラBq/Lと推定されている。フランスのラ・アーグ再処理施設からは年間1京1600兆Bq/Lが排出。「京」とは「兆」の更に上の桁だ。

 カナダのブルース原発からは年間1280兆Bq/L排出。かなりの数値だが、トリチウムは放射線のエネルギーは弱く人体の影響はセシウムの700分の1程度に過ぎない。

 WHOが示しているトリチウムの飲料水基準は、2L/日を1年間飲み続けても、線量が0.1mSv/年となる様に計算されている。ALPS処理水を海洋放出する際は、その更に1/7未満になる様に海水を加えて調整してるから人体への影響は全く無い。

 原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の海洋放出に反対するのは単なる感情論でしかない。進次郎は親父譲りの反原発に与してたが、サーフィンのパフォーマンスには流石に唸った(笑)

 吉村洋文大阪知事も「被災者に寄り添えば批判は受けないが、嫌われてもやるべきだ」と述べていたのを思い出すが蓋し正論。反対派が翻意することはないし、反原発派にとって処理水海洋放出は世論転覆を謀る革命謀略運動の一環でしかない。

 進次郎はカッコばっかで泥を被る覚悟も肝っ玉も据わっていない。所詮は世襲に有りがちな「お坊ちゃま政治家」だが、復興大臣の時に科学的論拠を示し、覚悟を以て対応してりゃ、今頃はポスト岸田の筆頭だったかもな。そりゃ無いか。呵呵

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2023年09月05日

発展途上国でもあるまいし「観光立国」という愚策は止めなさいな!

 観光立国の下で訪日する外国人は、過去最高だった2014年から徐々に目減りし、新型コロナウイルス騒動もあって訪日外国人は激減した。だが、ここに来て徐々に回復の兆しが見え出したのも処理水の放出を理由に中共が日本への圧力を強める。

 中共政府は、今回の処理水放出に対し「日本の人道に対する罪に鑑み追加制裁」として日本への観光禁止を提案するという。中韓の原発からは日本の原発の処理水の8倍以上の処理水を放出しているのに、何が「日本の人道に対する罪に鑑み」だ。

 民主党政権下で企画・実行された「観光立国」「観光ビザの緩和」は、抑々は中共が謀った企画である。安倍政権でもこの愚策を見直されることはなく、今や「観光立国」は我が国の国策となってることで中共がここぞとばかりに攻めて来るのだ。

 政府や観光局は、外国人訪日客の8割以上が「中国」としているが、訪日外国人旅行者は台湾がトップ。韓国が2位。中国は3位。台湾を中国とは無礼ではないのか。

 政府や観光局からは台湾への感謝の言葉は見られない。未だ我が国が台湾を国家として認めていない証左であり、日中共同宣言での歴史認識を改めねばならない。

 過去に遡っても台湾は韓国と1、2位を競っており、俄か成金のシナ人観光客が日本経済を救うかの様な報道には違和感を覚える。シナ人なんぞ日本に来なくても困らないし、処理水放出で日本産品輸入禁止拡大措置を実行するなら別に結構な話だ。

 福島第一原発の処理水放出に対して、中共政府は我が国からの輸入禁止措置拡大を実行した。岸田文雄首相は、中共の輸入禁止措置拡大に右往左往し、「想定外」と嘆く始末。野村哲郎農水相は「大変驚いた。全く想定していなかったと語った。

「想定外」などと本気で思ってたとしたら救い様が無い。オーストラリアや台湾、中共に逆らった国にやってきた嫌がらせを見てなかったのか。台湾で戦争になったら輸入禁止どころの話しじゃない。岸田の覚悟と能力の無さは我が国の害でしかない。

 シナ人へのビザ発給条件を緩和してまで実行した「観光立国」は功を奏していない。政府も観光局も「中国や韓国からの旅行者をどれだけ上積み出来るかだ」と述べている様に、成功させる為には中共に如何に譲歩するかということでもあるのだ。

 政府や観光局は、シナ人観光客を殖やすことに躍起だが、シナ人留学生の優遇にせよ、中共が謀る日本侵略を忠実に遂行していると言っても過言ではない。

 安倍政権下では、「クールジャパン」として「観光立国」を標榜し、外国人旅行者向けの査証(ビザ)発給の条件を民主党政権下以上の緩和をしたが、グローバル化を目指す「アベノミクス」は諸刃の剣であり、多くの危険を孕んでいたのも確か。

 訪日する観光客の経済効果はGDPに換算しても1%にも満たない。俄成り金のシナ人らが落とす幾許かのカネを期待して、それに拠って経済の浮揚に繋げ様などとは笑止千万、これが「成長戦略」の目玉だったというのだから開いた口が塞がらない。

 嘗ては「世界一安全」といわれた日本が、外国人の急増、それもシナ人や不良外国人の増加に因って安全が脅かされていることは幾ら不精な人でも気付いている。生命の保証、財産の安全こそ国民の願望であり、これに優る国益はない。

 凶悪犯やら犯罪者予備軍ともいうべき不法滞在者や不法就労者が多発している中で、労働者不足を理由に不法移民を受け入れることなどあってはならないのだ。

 在特会が主張した「在日特権」というものがある。在日特権というと特別永住者である在日朝鮮人の生活保護が取り上げられるが、在日特権は巧妙化している。

 例えば、外国人が犯罪を犯し懲役1年以上の求刑で国外追放となる。だが、在日朝鮮人に至っては7年以上でなければ国外追放とはならない暗黙の了解が存在する。だが、今まで7年以上の判決を受けた在日朝鮮人で国外追放処分になった者はいない。

 こうした大甘な人道主義が悪しき前例となって、今ではシナ人や不良外国人にまでが適用されている。最近の裁判では、外国人の事件では有罪事件でも不起訴処分や無罪判決が多く見られる。そんな状況下で観光立国や移民政策とは狂気の沙汰だ。

 我が国の刑務所を不良外国人で満杯にしたのは、過去の外国人犯罪の問題を放置したことが大きく、我が国は法治国家とういより放置国家というのが正しい。

 我が国が勧める「観光立国」の成功は、中韓の協力なくして有り得ない。つまりは経済優先を急ぐ余り、中韓と我が国の暗部に係わる問題は拱手傍観を極め込むしかない。そう考えれば、我が国が目指すべきは観光立国ではなく技術立国である。

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2023年09月04日

中共の処理水海洋放出反対運動は我が国の無血占領への謀の一つ

「台湾有事は我が国の有事である」とは当たり前の認識だが、立憲民主党などのアホ野党や我が国内の珍左翼にはそうした危機感が無い。それどころか、暢気に「中共が台湾を侵攻することはない」などと本気で思っているのだから救い様が無い。

 以前、国連で南シナ海での中共に因る人工島などの領有権問題が騒がれると、中共に諂うカンボジア・ラオス・タイなどが猛反対し議論さえ儘ならなくなったが、我が国のアホ野党も同じ様なもの。処理水問題で中共と連帯し、世論分断を謀る。

 南シナ海での中共の蚕食が謀られている中で、嘗て安倍首相は「アジアに於ける最も古い海洋民主国家たる我が国は、両地域の共通利益を維持する上でより大きな役割を果たすべきである」として、「セキュリティダイヤモンド構想」を提唱した。

【南シナ海は北京の湖となって行くかの様に見える。アナリスト達が、オホーツク海がソ連の内海となったと同じく南シナ海も中国の内海となるだろうと言う様に。南シナ海は、核弾頭搭載ミサイルを発射可能な中国海軍の原潜が基地とするに十分な深さがあり、隣国を恐れさせるに十分である】。安倍元首相のこの認識こそが重要であり、中共の覇権主義に我が国が断じて屈してはならない最大の理由がそこに在る。

 南シナ海が中共に因り領土占領され、万が一封鎖された場合には我が国は決定的な打撃を被る。これは中共の禁輸措置拡大どころの騒ぎではなく、シーレーンが中共人民軍に封鎖されれば我が国は無血占領状態に陥ることは火を見るより明らか。

 我が国が中共に屈すれば南シナ海は更に要塞化されてアジア周辺諸国の脅威となるばかりか、台湾海域での有事は我が国の運命すら握っているということ。台湾海域や周辺地域で紛争が起きれば我が国の石油ルートが絶たれることとなる。

 脱原発というのも石油ルートが確保されてるという条件があって成り立つ。危機管理上、石油ルートが絶たれた場合を想定し原発を再稼働するのは当然のこと。反原発派が原発再稼働に反対するのは国力低下を狙った革命謀略運動というのが正しい。

 我が国では、沖縄県石垣市の尖閣諸島の問題はそれ相応に報道し、国民の関心も高まってはいるが、南シナ海での紛争となるとマスコミは中共に慮って作為的な記事を垂れ流してる影響もあり、台湾有事の問題然り、対岸の火事の如く思っている。

「反原発」「脱原発」の流れで原発が停止されて化石燃料に拠る電力に移行したが、中東からの輸入経路であるシーレーンは南シナ海や台湾海域を通る訳で、南シナ海や台湾問題は我が国と切っても切り離すことの出来ない重要な問題でもあるのだ。

 以前、国会質疑でもホルムズ海峡封鎖を想定した議論が成されたことがあるが、南シナ海は相手が中共なだけにホルムズ海峡封鎖の想定よりもややこしくなる。

 原発再稼働が見送られる中で石油ルートが絶たれれば、我が国の経済は愚か国民の生命にも甚大な影響を及ぼすことは必至である。だが、反原発派を始め、アホ野党や珍左翼(この連中は同じ)からは「そんなバカな」と取り付く島もない。

 処理水海洋放出で中共と共闘している我が国の左翼勢力から「シーレーンの防衛」という声が全く聞こえて来ないのは何故か。処理水問題を騒ぎ立ててるのは、中共の南シナ海での人工島問題と並行して行われてる我が国の無血革命でもある。

 シーレーンを封鎖された場合、我が国の電力供給は数ヶ月程度しか持たない。封鎖数ヶ月後には「間接的に人命が失われる」危機でもあるということだ。

 我が国は四辺を海に囲まれた島国であり、1970年代 に2度発生したオイルショックの経験から、中近東の産油国との外交関係の重要性、そしてシーレーンの安定化が不可欠と感じた日本は外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定した。

 国内経済も多くを海上交易に依存している。我が国の輸入依存度は石油が99.8%、石炭98.4%、天然ガス(LNG)96.6%、原子力(ウラン)に至っては100%を依存していた。 シーレーンの安定化が不可欠と感じた我が国は、海上自衛隊としてのシーレーン防衛は、対潜水艦戦、対機雷戦を重点に訓練を行っている。

 イランの核開発に因るホルムズ海峡の危機。中共の覇権主義に因る南シナ海や東シナ海、尖閣列島が脅かされている中で、適切な海上権益を確保しマラッカ海峡から日本までのシーレーンの安全を確保することが如何に重要なのは理解出来よう。

 シーレーンの千海里防衛は当然乍ら、太平洋~インド洋地域、南シナ海、東シナ海のシーレーンの防衛体制を確立することが大事であり、それが結果的には中東等での事態発生に対する抑止力となり、中共の覇権主義阻止にも繋がるだろう。

 悲しい哉、我が国は経済団体の営利至上主義が蔓延り、中共に依存し過ぎて切っても切れない関係になってしまった。今回の中共の禁輸拡大措置で「想定外」などと言ってる様じゃ、台湾有事になれば更なる強要と無理難題を強いて来るのは必至。

 こうした国家の一大事といえる国家存続の危機が眼前に迫ってる中で、日米軍事同盟に依存し米国と連携することでしか防げないのは我が国の悲しい現実でもある。

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2023年09月03日

調印前に水を所望するも「卑怯者のジャップにやる水などない」と拒絶される

20100919221854
 1945年(昭和20年)9月2日、東京湾上に停泊してた戦艦ミズーリの甲板上で重光葵(しげみつまもる)外相と梅津美次郎参謀総長が降伏文書に調印する。

 上海天長節爆弾事件で右足を失った重光全権は、ステッキを頼りに義足を引き摺り乍ら階段を喘ぎ喘ぎ上る。重光は調印を前に一杯の水を所望するが冷たく拒否された。「卑怯者のジャップにやる水などない」という米国人の憎悪が目に見える。

 遡ること昭和7年4月29日、重光は上海に於いて駐中華民国公使として天長節奉祝式典に参列していた。国歌斉唱していた際に、朝鮮独立運動家・尹奉吉が爆弾を投擲。だが、重光は逃げずに直立不動の儘で「君が代」を歌い続け、片足を失った。

 重光は、この投擲事件を振り返って、 「爆弾が投げられたのは分かっていたけれど国歌斉唱中なので動かなかった。動くのは不敬であると考えた」と述べている

 重光公司の隣で遭難し、片目を失った野村吉三郎(当時、海軍大将)も、重光と同じ様に「国歌斉唱中だったから」と逃げなかったその理由を語っている。

 後に、外務大臣や駐米大使となる野村大将や重光公司の様な、こうした覚悟というか、肝の据わった官僚や政治家がいないのは我が国の不幸とも言えよう。
 
 確かに我が国は降伏文書に拠って我が国は負けを認めはしたが、先の戦争は決して間違いではない。だが、未だに大東亜戦争を「侵略戦争」だとか「太平洋戦争史観」から、アジアの人々に多大の迷惑を掛けたという認識の国民は少なくない。

 先の戦争の原因を「天皇である」とか「軍部である」とか、「軍国主義」や「A級戦犯である」などと喧伝しているのは、無知に加えて先の大戦が起きてしまった原因や真犯人を隠し続けたい、左翼陣営どもの思惑も絡んでいるからに他ならない。

 戦争犯罪人は、大日本帝国憲法でもなく、大日本帝国憲法下での天皇の統帥権でもなく、況して東条英機ら軍部でもなければ当時の軍国主義や道徳教育でもない。

 真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち、日本国内で蠢いていた共産主義者であり、マルクス・レーニン主義思想が昭和の悲劇を生んだのだ。

 多くの戦死者と戦災者を出し、我が国の資産の大部分を失った大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本国内の共産主義者が仕組んだ「共産革命の為の愚かな戦争だった」ことは、今では明らかとなっている歴史的事実である。

 米国内では12月7日(現地時間)を、「汚名の日(リメンバーパールハーバー)」として、我が国を「騙し討ちした卑怯な国」として糾弾して止まない。

 戦後80年近く経った今でも、依然として我が国は「騙まし討ち」の汚名を着せられ続けているが、汚名を着せられた原因は、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れた職務怠慢に他ならない。抑抑、何故、開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが問題であり、それにはペリー来航時代に迄遡らなければ到底理解は出来まい。

 我が国は強力な中央集権国家を形成しようと、たった10年程で明治維新の大業を成し遂げる。15世紀の大航海時代以来、白人に因る世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となって行った。当時、独自で主権を維持していたのは、我が国とタイ(シャム王国)だけだったのは知ってるだろう。

 その間に勃発した「日清・日露戦争」も避けては通れない宿命的な歴史でもあったのだ。「日清・日露戦争」での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に植民地支配に喘ぐ国家や有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議に出席する日本政府は、諸外国からの要望もあり、「人種平等の原則」を、国際連盟規約に載せることを提案する。然し、議長を務める米国大統領・ウイルソンが日本からの提案を拒絶し否決される。

 講和会議では「有色人種に人権など必要無い」との差別が横溢していたのは明らかだった。その後、世界は第二次世界大戦に突入し、我が国はABCD包囲網や最後通牒を突き付けられ、連合国との戦争しかないとの決断に至るのである。

 今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」は、我が国への偏見と日本人への差別であり、先の大戦の過ちを猛省すべきは我が国ではなく米国である。

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2023年09月02日

8月15日の靖國参拝を自慢する愛国者は何故に9月2日には行かないのか!?

 昭和20(1945)年8月14日、我が国はポツダム宣言を受諾。そして9月2日、降伏文書に調印した。米国を始めとした連合国ではこの翌日の9月3日を「対日戦争終結記念日」や「第二次世界大戦(太平洋戦争)終戦の日」として祝っている。

 我が国は、畏くも陛下の御聖断を仰ぎ、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書の署名に因って我が国は「負け」を認めたが、先の戦争の大義は決して間違いではない。

 抑抑、何故に我が国が開戦を決意し真珠湾攻撃に至ったかが問題であり、少なくてもペリー来航時代のアジア近代史にまで遡らなければ到底理解は出来まい。

 15世紀の大航海時代以来、白人に因る世界制覇の波がアジアにも押し寄せると、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となった。我が国は、西欧列強に倣おうと、強力な中央集権国家を形成する為に明治維新の大業を短期間で成し遂げた。

 明治に入り勃発した「日清戦争」と「日露戦争」にしても、そしてその後の結果としての「日韓併合」にしても避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。

 我が国が米英を始めとした国々と何故に戦争をしなければならなかったのかは、大東亜戦争「開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」に明示されている。

 中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス・・・彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス。御名御璽 昭和十六年十二月八日

「(現代語訳)中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、濫り(みだり)に闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、終に帝国に武器を取らせる事態に至しめ、もう四年以上経過している。幸いに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、共に提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、未だに相互の鬩(せめ)ぎ合う姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名に匿(かく)れて、東洋を征服する非道な野望を逞しくたしている・・・彼(米英)は、少しも互いに譲り合う精神がなく、無闇(むやみ)に事態の解決を遅らせようとし、その間にも益々経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。この様な事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国が払ってきた積年の努力は、悉(ことごと)く水の泡となり、帝国の存立も、正に危機に瀕することになる。事此処に至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、速やかにす禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。御名御璽 昭和十六年十二月八日」

 8月15日は、所謂「玉音放送」が流された日であって、終戦した日ではない。何が悲しくてポツダム宣言を受諾し敗戦したことを記念しなければならないのか。「終戦記念日」との名称はGHQが謀った戦後民主主義教育の洗脳の最たるものである。

 8月15日には右翼団体や保守派、愛国者らが靖國神社へ集結し哀悼の意を表する。だが「哀悼」や「追悼」とは死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことだ。

 靖國神社は追悼施設ではなく、英霊の顕彰を重んじている社であることを理解していないからこんな勘違いが罷り通る。8月15に靖國参拝することが然も愛国者として当然の様になってるが、これ正に無知と目立ちたがり屋の軽挙妄動である。

 8月15日に靖國神社へ詣でた政治家や保守派、自称愛国者や右翼団体は、何故に9月2日には靖國に詣でないのか。9月2日とは、大東亜戦争開戦の詔勅に示されている我が国の大義が全否定された屈辱の日である。この日にこそ靖國に赴き、先人の偉功と辛苦に思いを致し、首を垂れて感謝の誠を捧げるべきではないだろうか。

 8月15日とは、敗戦と戦没者追悼ということに重きが置かれたことで、大東亜戦争の大義が日本人の記憶から消されてしまった。自称・所謂「終戦記念日」の参拝は、GHQの謀った戦後民主主義という掌の上で踊らされていることを思い知る。

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2023年09月01日

山口組三代目・田岡一雄著「田岡一雄自伝 電撃篇(徳間書店)」

 大正12(1923)年 9月1日に起きた関東大震災後、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「朝鮮人が暴動を起こした」などというデマが流され、「そのデマを信じた日本人に因って、東京や横浜では朝鮮人が殺害された」という風聞も流された。

 処理水の海洋放出でもそうだが、デマを流す者、そのデマを信じた者というのは始末が悪い。そこに「反日」や珍左翼どもの革命謀略運動が重なるから悪質となる。

 デマとは「流言飛語(りゅうげんひご)」のことだが、本来は「流言蜚語」と書く。確証のない噂話や根拠のない煽動的な宣伝をいうが、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味で、忌み嫌われる語彙だ。因みに、ゴキブリのことは漢字で「蜚蠊」。

 処理水の海洋放出にデマを垂れ流してる連中というのは正しく蜚蠊。何故にこういう蜚蠊や蛆虫が湧いて出るのかといえば、自公政権が腐ってるからだ。中共が大騒ぎしてるなら、政権内の親中派や媚中議員が赴いて説得すりゃ好いのに右往左往。

 韓国政府は静観してるが、韓国野党の三国人紛いのキチガイぶりには厭きれるばかり。戦後、韓国朝鮮人は「三国人」と呼ばれた。三国人とは差別ではなく戦勝国でも日本人でもない台湾人や朝鮮人などの旧日本人を「第三国人」と准えたものだ。

 三国人の横暴を全て否定するものではないが、敗戦後の三国人の暴虐ぶりを見れば関東大震災後の一件は事実だったのではと思えて来る。「日帝36年」の恨みを晴らさんとばかりに、朝鮮人の横暴や暴動、殺人事件は筆舌を絶するものだった。

 山口組三代目・田岡一雄著「田岡一雄自伝 電撃篇(徳間書店)」では、戦後の三国人がどういう振舞いをしたかを詳細に描いている。その一部摘記する。

・・・その日のうちに神戸は修羅場と変貌した。
 敗戦の報に茫然自失する市民とは対照的に、
 これまで過酷な労働で軍部から抑圧されてきた第三国人たちは
 欣喜雀躍とし、略奪、報復の火蓋をきったのである。
 その日の午後七時。徒党を組んだ三国人は
 国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪。
 これを皮切りに市内随所で襲撃略奪事件を起こし、
 婦女子を暴行し、わがもの顔に跳梁しはじめた。
 終戦当時、国内には二百万以上の三国人がいたが、とくに兵庫に多く、
 昭和一八年に一三万五千人、四八都道府県の七%強を占め、
 大阪、東京につぐ三位という勢力をもっていた。
 三国人たちは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、
 徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街をのし歩いた。
 通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては
 難くせをつけ半殺しにし、
 無銭飲食をし、白昼の路上で見境なく集団で婦女子を暴行する。
 善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
 彼ら不良三国人は旧日本軍の飛行服を好んで身につけていた。
 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、
 肩で風を切って町をのし歩いた。
 腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげ、
 略奪、暴行をほしいままにした。
 警官が駆けつけてきても手も足も出ない。
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」
 警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、
 街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。
 昭和二一年二月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が
 彼らに拉致されて暴行殺害され、
 同年四月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり
 彼らの手によって射殺された。
 そればかりではない、警察の威信を根底からくつがえす
 不祥事さえもちあがった。
 すなわち不良三国人三百余人は兵庫警察署を襲撃し、
 署長はじめ幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠したのである・・・

 田岡一雄は、在日朝鮮人を山口組本家の幹部(執行部)には登用しなかったという。「朝鮮人には日本古来の武士道精神や日本精神を理解させるのは到底無理だ」と分かってたからだというが、戦前戦後の彼らの民族性を知っていたからだろう。

 日韓併合以降、朝鮮人は日本人となったがその民族性は変えることは出来なかった。事大思想が根底にある韓国人を日本人に矯正することは不可能だった。

 大韓民国という祖国の無かった彼らは日本と戦争をした事実は無い。日韓併合以降、日本人と共に朝鮮人も台湾人もアジア開放に立ち上がったというのが真相。

 だが、日本が大戦で敗れると朝鮮人らは掌を返したが、同じく日本に統治された台湾では「日本の統治時代の歴史教育は実に公正に教えており、台湾の近代化にかなり役に立った」という論調で書かれている。この違いは一体何なのだろう。

 日本がポツダム宣言を受諾し武装解除すると、戦勝国を気取り「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地に於いて横暴の限りを尽くしたのは田岡組長の自伝の通り。

 GHQの占領下にあった我が国は、こうした三国人に因る横暴に対処することも出来ずに傍観せざるを得ず、従順に受け容れた。その結果、「隣国が嫌がるようなことはしない」という摩訶不思議な近隣諸国条項が国是となり現在に至っている。

 未来永劫、我が国が加害者であり侵略者であり、三国人やシナ人が弱者で被害者であるかの様な戦後の歴史認識やタブーを、徹底して検証しなくてはならない。

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