2023年03月

2023年03月31日

「中国4000年」という真っ赤な嘘を信じる日本人(苦笑)

 漢民族というのは「4000年の歴史」という殺し文句を使って、精神的に優位に立とうとする。然し、多民族が混在する支那大陸は正に人種の坩堝であり、統一された国家としての連続した歴史は存在しない。中華人民共和国は新興国である。

 共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、人民には信仰の自由、集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無い。

「満州」「内蒙古」「チベット」「新疆」を侵略し異民族を虐殺、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」とするばかりか、尖閣諸島や東シナ海、南シナ海をも併呑しようする中国共産党の野望は尽きることはない。

 支那大陸の歴史を見れば分かるが、陰謀と策略の権力闘争を繰り返し、契丹族の遼、タングート族の西夏、女真族の金、モンゴル人の元、満州族の清など異民族に因る征服王朝の時代を含め、易姓改名の原則の下に「族滅」し、王朝が変わる毎に歴史や文化が断ち切られて来たというのが支那大陸の歴史的事実と実状である。

 中共に臣下の礼を尽くす親中派からは、我が国と支那との関係を「一衣帯水」とか「同種同文」だとか「古くからの隣人」などとの声が聞こえるが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀に入ってからで、未だ100年程の交流しかない。

 況してや中共との国交は、昭和47(1972)年9月29日の「日中共同声明」からであり、その中共が建国したは戦後4年経った1949(昭和24)年10月1日のこと。つまり、我が国は中華人民共和国とは戦争をした歴史はないし一衣帯水でもない。

 遣唐使は、菅原道真の献策に拠って廃止されるまでの約250年間に及んだ。唐の文化が奈良時代の平城京を中心とした天平文化に影響を与えた例も有るには有るが、我が国が国書を携えて派遣したのは日本ではなく「倭国」としてである。

「日本」と名乗ってからは一度足りとも正式な国書を携えなかった。それ以来、日本は正式な国交関係は持たずに経済関係を保ち「政経分離」の方針を貫いた。

 明治4(1871)年に「日清修好条規」を結んだ相手は満州人の清朝であり、支那大陸を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那政府との正式な外交は明治45(1912)年の中華民国の誕生まで待たなければならないのだった。

 歴史家の岡田英弘は「抑々、漢民族なるものは存在しない」と語る。古代支那の都市に様々な地方から交易を目的として集まった雑多な民族が「漢民族」だが、後漢末期の紀元184年の「黄巾の乱」によって人口は10分の1の500万人に減少し、その後北方の騎馬民が流れ込んで来た為に、漢民族の文化伝統は死に絶えた。

「中国4000年の歴史」も「漢民族」も空想的な概念と言わざるを得ず、彼等の我田引水的な言い分に惑わされてはならない。況してや、建国100年にも満たない共産党一党独裁の中華人民共和国という新興国に憧れを持つことがあってはならない。

「支那」は最初の統一王朝「秦」に由来している名称で差別でも何でもない。ロシアは中共のことをチャイナとかではなく「キタイ」と呼んでいる。キタイとは 支那大陸の北部を支配しただけの契丹のことだ。大統一帝国の秦どころか、契丹と呼称とするロシアに、「差別だ」との抗議の声が上がったことがないのは分かり易い。

「支那」を漢字にしたのは新井白石で、イタリア語の「チーナ」を翻訳したもの。岡倉天心の説では「新」に由来している。「支那」とは広大な浪漫がそこに無くてはならず、「中華人民共和国」や「中国共産党」は「中共」と呼ぶのが相応しい。

 中共なんぞ、北朝鮮と同じ単なるチンピラ国家。いっそのこと尖閣列島で紛争が勃発してくれれば、一気に共産主義体制を崩壊させる千載一遇の好機となる。呵呵。

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2023年03月30日

プロ野球選手団は靖國神社へ参拝し感謝の真を捧げよ!

 プロ野球が開幕する。昔は、テレビ中継はジャイアンツ戦しか無かったし、長嶋茂雄ファンなのでどうしてもジャイアンツが気になってしまう。セリーグの開幕は明日。ジャイアンツの開幕戦の相手は中日ドラゴンズ、快勝して欲しいものだ。

 野球が当たり前にやれなかった時代がある。先の大東亜戦争では、多くのプロ野球選手も出陣し、戦陣で散った。こうしたプロ野球選手の悲劇をどれだけの国民は知っているだろうか。愛する野球をやれるという当たり前のことを再認識する為にも、プロ野球選手団は、開幕前に靖國神社に参拝して欲しいと願っている。

 靖國神社に参拝し、散華された先輩方を顕彰することで、平和の尊さと当たり前に野球がやれる有難さを実感すれば、選手としての思いも変わるに違いない。先の大戦で亡くなられたプロ野球選手は実に69名もいるのを知っているだろうか。

 中でも有名なのは、東京巨人軍(読売ジャイアンツ)の澤村榮治投手だろう。澤村投手がどんなに凄い選手かは説明するまでもないが、年間最優秀投手に与えられる「沢村賞」はプロ野球選手の最高の名誉である。澤村投手は野球だけではなく、普段の何事に対しても真摯な態度で挑む人で、実に立派な方だったという。

 背番号「14」は、ジャイアンツでは永久欠番となっている。大リーグのベーブルースを三振にしたくらいで永久欠番になる訳はなく、プロ野球選手として志し半ばで出征し、異国の地で散華されたその崇高な精神を忘れない為のものである。

 名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)の石丸進一投手と朝日軍(現・横浜DeNA)の渡邉静内野手は、特攻作戦で散華されている。石丸投手は鹿児島県の海軍鹿屋基地から出撃の直前、最後のキャッチボールをして飛び立っていったという。どんな思いだったのか、渾身の悩みというのはこういうこと、その心中を察するに余りある。

 渡邉静命も鹿屋基地から沖縄へ出撃した。渡邉選手は、夢見て憧れて入団したプロ野球人生での打席はたった二度。戦争が悲しい現実を彼に与えてしまった。

 彼らは野球への情熱を「特攻」というカタチで尊い命を捧げ、沖縄を、そして祖国日本を死守すべく散華されたのだ。自らの命を犠牲にすることで、国や家族、愛するものを守るという彼らの至高の精神を、今を生きる我々は決して忘れてはならない。

 我が国は悠久の歴史と民族の一体性に恵まれているが、皮肉なことに国家の礎となられた英霊の方々は国家から顧みられることがない。こうしたことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか、政治家は考えたことがあるのだろうか。戦後、GHQが謀った贖罪意識と自虐史観もあって愛国心や大和心の欠落は顕著である。

 政治の怠慢と不作為の結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し等の悲惨な事件等等、我が国の社会に蔓延する諸問題の全ては、英霊や祖先への軽視に起因していると言っても過言ではない。

 国家の礎となられた英霊や自分達の先祖や先人の方々にきちんと向き合うことが出来なくて、どうしてまともな国家を築くことが出来るのだろうか。

 プロ野球選手全員がプロ野球の先輩が祀られている靖國神社に参拝することで、平和の有難さを再認識して欲しいと願う。九段の桜は散り始めているが、靖國神社に眠る神霊の時代を超えた囁きに耳を澄ませば英霊の声が聞こえて来ることだろう。

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2023年03月29日

高倉健の映画「新幹線大爆破」を知ってますか(笑)

 最近はテレビは愚妻が録画した番組くらいでAmazonのプライムビデオ三昧。無料の映画は殆ど観たかもな。約1ヶ月で約50本、年間で600本位は観るだろうか。ジャンルは問わないが、デンゼルワシントンや韓国のマ・ドンソクの映画が好きだ(笑)

 ヒューマンドラマや社会派ドラマも悪くはないが、洋画のアクションやサスペンスは何も考えずに観られる娯楽映画としておススメ。戦争物は歴史観が違うのが多くて余り観ないが、ヒトラーやゲバラの関係する映画も殆ど観たと思う。

 邦画の戦争物では「太平洋の奇跡」や「明日への遺言」は好い映画だと思う。ヤクザ物は昔はよく観たが、Vシネマは余り興味はない。ヤクザ映画では高倉健の「冬の華」はシブかったなぁ。健さんが主役の「新幹線大爆破」というのを知ってるだろうか。古い映画だが、キャストも錚々たるメンバーで中々面白い作品なんです。

 プライムビデオで100円で購入して久しぶりに観てみたが、日本映画の傑作だと思う。詳しい内容は控えるが、最後に犯人役の健さんが海外逃亡を図るのだが、その時のパスポートの名前が「佐久間五郎」なのだ。ラストシーンは健さんが撃たれて終わるが、生死は分からなくなっている。この続きが「ゴルゴ13」という説もある。

 マニアックな話しだが、実写版「ゴルゴ13」も健さんが主人公を演じているが、本名は芹沢五郎、五郎が幼少の頃に養子に入った先が「佐久間家」だと言われていて、新幹線大爆破の犯人「佐久間五郎」がモデルとされているらしい。

 マニアックな話しの序に、「新幹線大爆破」の中で柔道部が出てくるシーンが有るのだが、この柔道部は国士舘高校のエキストラだという。フェイスブックで知り合った国士舘の後輩から聞いた情報だから間違いないだろう。国士舘柔道部には「巨人の星」の星飛雄馬の相方で捕手の伴忠太のモデルになった人物がいるらしい。

 パソコンを弄り出してからというもの、活字離れというか、本も読まなくなってしまった。尤も、本も買うとなるとバカにならず、借家も狭いし、愚妻から本棚や押し入れに入れた儘の段ボールを処分する様に言われているが未だ放置している。

 実家に運ぼうかと思うが邪魔になるだろうし、誰か欲しい人はいないものか。BOOKOFFに寄付すると無料で取りに来てくれるらしいからそのうち連絡してみよう。

 活字が恋しくなると古い本を引っ張り出しては読み返している。20代半ばの頃、本代がバカにならず、本代を浮かせる為に速読教室に通った。速読3級の腕前だから、立ち読み程度で凡その本の内容が分かるので余計な本を買わなくなった。

 早く読めるが、ウイスキーを呑み乍ら読書というのも悪くはない。そこにパイプがあればチョッとした文豪気分に浸れる。20代で禁煙し、40代で葉巻を覚えた。

 友人でもある某女子大学の教授から、「五郎ちゃん、葉巻よりパイプの方が断然安い」と聞き及び興味が湧き試してみたのだが、中々難しく本格的パイプスモーカーに成れてはいない。愚妻がパートを辞めて家にいるので燻らす回数が減った。

 開高健は「煙草は生活だが、パイプは芸術だ」と言ったというが、何となく分かる気がする。渓流釣りの最中に燻らすパイプや葉巻は最高の贅沢。そこに尺上のイワナが連れれば最高。そういや、開高健が足繁く通った「銀山湖(只見ダム)」には40センチオーバーの大イワナが棲んでいるというからいつか釣行してみたい。

 只見町には本を定価の5分の1で買い取り、森林や土地と交換してくれる古本屋「たかもく」が在るし、右翼人として挫折したら終の棲家は銀山湖の近くが好いなぁ。でも、只見町って遠いし雪が凄いんだよなぁ。ん~、無理かもな。ということで、徒然なるまゝに、あ~だこ~だと他愛もない話を綴ってみました。呵呵。

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2023年03月28日

立憲民主党は高市批判に躍起だが原口一博が総務大臣の頃・・・

 放送法に関する小西怪文書を巡り、立憲民主党らの追及を受けている高市早苗経済安全保障担当相について岸田首相は「罷免する理由はない」と述べた。野党はこの問題を党勢拡大に繋げようと必死だが、次の選挙もオウンゴールは必至(苦笑)

 放送法の公正・中立性への政治介入は無かったことは、その後の偏向報道や現在の報道姿勢でも明らか。抑々、目に余る偏向報道や報道の公正性をどうするのかということであって御粗末な行政文書を正当化して議員辞職を要求するとは言語道断。

 御粗末な「小西怪文書」でクソ野党からイチャモンを吐けられ虐められてる高市大臣は気の毒だが、過去に原口一博が総務大臣時代には「一方的な報道ばかりで、情報源は明確にすべき」とマスコミの報道を批判をしていることは忘れてる様だ。

 ネットでは、原口が新聞社が放送局を支配する「クロスオーナーシップ」を禁止する法律を制定したいという考えを明らかにしたとの記事が掘り起こされた。

 クロスオーナーシップとは、同じ資本が「新聞」「ラジオ」「テレビ」という異なるメディア媒体を同時に所有すること。言論の多様性を阻害するものとされる。

 総務大臣だった原口一博が報道批判をしたのは、マスコミの小沢一郎に関する報道に端を発す。小沢の資金管理団体「陸山会」について、週刊現代が蓄財疑惑を報じると小沢が名誉毀損で講談社と編集者らを相手に損害賠償訴訟を起こした。

 平成21(2009)年、小沢は市民団体から東京都世田谷区の土地購入に関する政治資金規正法違反で告発された。翌年に東京地検特捜部が秘書3人を逮捕・起訴し、翌々年には検察審査会の起訴議決に拠って小沢自身も起訴されたが不起訴処分に。

 文芸春秋二月号の「消えた五箱のダンボール」という記事には、昨年三月に大久保秘書が逮捕された日に側近らで証拠隠滅工作を行ったことが書かれている。

 小沢は政治献金に関して自著で「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し、流れを完全に透明にすることである」と書いた。然し、現実にはこの時既に、小沢は西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたというのだからふざけた話だ。これだけカネに卑しい政治家は小沢一郎以外にはいないだろう。

 公設秘書が逮捕されると、記者へ「逮捕されただけで起訴されたんですか」と開き直り、「献金してくれるという方について、どういう所から出ているのかという類を聞くのは失礼なことですし、詮索しない」とまで答えていた。

 秘書が起訴されると「なんで私が離党し、議員辞職しなければならないんですか」と質問した女性記者を睨み付けた。石川議員が逮捕されると、お得意の「民主主義の否定だ!」と左翼闘士を彷彿する口調で、検察との戦いを宣言した。

 北朝鮮系の水谷建設からの1億円の裏献金が、土地購入資金に当てられたのではという疑惑に対しても「全くの出鱈目の報道で、事実は無い」と一蹴していた。当時のこうしたマスコミの報道姿勢に業を煮やした原口が、前出の発言に至った。

 原口は「一方的な報道ばかりで、情報源は明確にすべき」と断じたが、根拠も無く反日的な偏向報道を繰り返すNHKやテレビ朝日、TBSらの報道姿勢には沈黙した。

 NHKは公共放送であるにも関わらず、公共放送とは程遠い根拠の無い創作番組での偏向報道を垂れ流していることについて、原口は説明どころか口を噤んだ。

 国民からの抗議にも耳を貸さず恬として恥じない大バカ者のNHKに物申し、放送免許の剥奪や民営化を検討すると未だしも小沢如きを庇う為の批判には呆れた。

 忘れもしない、NHKに対し国民の怒りが極に達したのは、台湾統治を描いた「アジアの一等国」という、余りにも常軌を逸した強度な反日番組からだった。

 国民から受信料を徴収し「国民がスポンサー」である公共放送で、前代未聞ともいうべき歴史の歪曲番組を垂れ流したのだ。こうしたことは断じて赦されない。

「アジアの一等国」では「日台戦争」などというデマを垂れ流し、知日派台湾人の証言の都合の好い部分のみを切り貼りして「捏造」し、歴史的事実を歪曲した。

 NHKに巣食う左翼社員が反日的意図から恣意的な編集をして制作されたことは明白であり、政治的中立を定めた放送法に違反していることは明らかだった。

「放送倫理・番組向上機構」(PBO)の「公共放送の自主・自立」という項目では、「不偏不党の立場で事実を伝え、意見が対立している問題については多くの視点から論点を明らかにすること」が前提条件であるが、左翼メディアに公正さは無い。

 公共放送の役割は事実を淡々と報じることに他ならず、多数の視聴者からの常識から逸脱してはならないのである。だが、NHKに公平公正さや一般常識は無い。

 未だ極左勢力の跳梁跋扈を許し、猛省どころか恬として恥じることなく、偏向番組を垂れ流しているNHKに抗議する国民大行動が大きな広がりを見せたが、報道されることはなかった。左翼集会はたった数名でも取り上げるのに隠蔽。真に国を憂いて抗議行動している方々の姿は報道されたことはないのは今も昔も変わらない。

 監督官庁の総務大臣が、小沢を庇いたいが為に「情報源は明確に」などと発言し、「クロスオーナーシップを禁止する法律を制定したい」とのマスコミへの介入を忘れて、インチキ小西怪文書を論拠に高市大臣批判を繰り返していることは、それこそ万死に値する。小西や杉尾、他のポンコツ議員は辞任で宜しいか。呵呵。

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2023年03月27日

我、未だ木鶏足り得ず(ワレ、イマダモッケイタリエズ)

 大相撲春場所は横綱・照ノ富士と大関・貴景勝の休場の中で、関脇・霧馬山が先行していた小結・大栄翔を本割で下し、優勝決定戦を制して初優勝を飾った。

 今場所は小兵力士の翠富士の活躍や、元大関の高安や正代の全盛期を彷彿する力強い相撲は観ていて愉しかった。来場所は霧馬山の大関獲りや若元春が関脇に就くだろうし、照ノ富士が復帰しと朝乃山の帰り入幕と益々大相撲から目が離せない。

 福島市出身の関脇・若隆景は初日から5連敗。6日目からは盛り返して、琴の若との一戦で勝利し7勝6敗としたが、右前十字靱帯損傷及び右外側半月板損傷で3ヶ月の重傷を負ってしまった。残念だが、焦らずしっかりと治療に専念して欲しい。

 大相撲の歴史の中で不世出の関取といえばやはり「双葉山」だろう。双葉山は強さに加え、美しさがあったという。土俵に上がったら無駄な動きはせず必ず受けて立った。一度負けた相手には負けることがなかったことからもその努力が窺える。

「我、未だ木鶏足り得ず」「木鶏に似たり」「木鶏子夜に鳴く」という諺がある。「荘子」や「列子」などの古典に出て来る寓話である。本当に強い闘鶏というのは、空威張りもしないし、無闇に戦闘的でもなく、木で作った鶏の如く相手を見据えじっとしているという。「木鶏」の言葉で有名なのは双葉山の逸話だろう。

 双葉山は、陽明学者の安岡正篤に「木鶏の様になれば徳が充実し、勝敗も超越して天下無敵となる」と教わると、その教えに応えようと努力した。前頭二枚目から破竹の69連勝で一気に横綱に上り詰めたのは、その教えの下で努力した結果だろうか。

 昭和14年1月14日、双葉山は安芸の海に敗れて連勝記録は止まった。双葉山は、欧州航路でインド洋上にあった安岡に「イマダモッケイタリエズ」と打電した。

 双葉山の四股名は「栴檀は双葉より芳し」からの命名。その意味は、「大成する人物は、幼い頃から人並み外れて 優れたところがあること」の喩えである。

 引退した横綱・白鵬は双葉山の相撲を手本にしたというが、張り差しなどの無様な相撲の何処が双葉山の相撲か。所作にしろ横綱の威厳と風格が全く違う。

 白鵬は双葉山と比べられ、「横綱なら受けて立ち、自分が不利な体勢からも勝たなければならない」などと批判されるがそれは無理というものだろう。というのも、横綱・双葉山は片目が見えない隻眼だった故に誰にでも受けて立ったのだ。

 記者からの質問に双葉山は、「目が悪かったので、自分から突っかけるのは不利だと思った」と述べている。6歳の時に友達と吹き矢で遊んでいる際に、その矢が右目に刺さり失明する。更には少年時代に、父親の海運業の手伝いをしていた際に、錨の巻き上げ作業で右手小指を潰してしまうという災難に遭っている。

 父の海運業が失敗すると、知人であった警察の勧めで立浪部屋に入門する。右目は失明、右手小指も動かないというハンデを克服し、69連勝を達成し、横綱に上り詰めた偉業は素晴らしい。だが、その苦労は双葉山本人にしか分からないだろう。

 69連勝で止まった双葉山は、その後、福岡県の山中で滝に打たれ修業し、再び連勝を重ねるものの、昭和20年8月15日、大東亜戦争での日本軍の敗戦に大きな衝撃を受け引退を決意したという。正しく横綱・双葉山とは愛国者でもあったのだ。

「名選手、必ずしも名監督に成れず」と言うが双葉山は違った。時津風親方となってからは相撲界の改革を実行し、一代で一横綱、三大関、幕内26名と育てた関取の合計は48名という名親方でもあった。大相撲の伝説は双葉山に適うものは無い。

 隻眼といえば、伊達政宗や北一輝、乃木希典もまた幼少の頃に左目の視力を失っている。全盲の国学者であった塙保己一にしろ障害を克服した努力の人は多い。その中でも、双葉山の場合は身体がものをいう力士なのだから驚く他はない。

 双葉山はハンデキャップを乗り越え、稽古と研究、精神の修養を続けた。力士としてだけではなく、日本人の模範ともいえる人格者だった。五体満足の愚生は一体何をやっているのやら。強烈な努力どころか不断の努力の乏しさを思い知る。

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2023年03月26日

商売人を目指すなら「成り金」を目指すべし(笑)

 慢性的不如意ではあるが、カネというのはあれば便利というだけで無けりゃ相応に生きれば好いだけ。カネさえ儲かれば好しとする風潮は戦後の価値観の弊害でもある。愚生の場合、ドリームジャンボが当たったらテロリストを養成したいな(笑)

 世界は資本主義か社会主義、或いは共産主義の体制に分かれてはいるが、心の豊かさは別にして、どの体制の生活が豊かなのかといえば物質的に恵まれてる資本主義国だろう。「資本」とは「カネ」のことだ。ただのカネのことではない。

 カネを動かすことに拠って、利益としてそれ以上のカネが増え、その儲かるカネを「資本」という。資本主義とは、要は「カネ主義」という単純なことであるが、国民が業突く張りになったのも全てがこの資本(カネ)主義に因る弊害でもある。

「資本」の意味も分からず、資本を投入することでそれ以上の収入(税収)を生むことを知らないから、「公共投資はダメ」だとか「これ以上の赤字国債の発行はケシカラン」との妄言が罷り通る。資本主義国に甘んじながらそれすらも理解していない。

 資本を、人間の欲と努力で段々と大きな資本として発展させるところに、事業としても、国家としても繁栄に繋がると信じているのが資本主義である。現在の資本家、事業家にそうした国家の繁栄や社稷を想う心なし。全てが自分の為だけ。

 江戸時代にあって商人は「士農工商」の最下位に置かれた。金儲け」とは「賤しい」ことと同じ意味で、軽蔑の対象にあった。思想家である石田梅岩は商人の役割について、「余ったものを足りない所に送り、社会全体を過不足なくすることだ」とし、倹約の公共的な経済効果を打ち出した。この教えは現代にも通じることだ。

 景気低迷の一因には、経営者らは経費を削減し倹約した様に取り繕うが、そうして余った分を足らない所へ送らず、自分の所に留めてしまっていることだ。

 最近の経営者は、資本の意味を理解していないから目先の儲けばかり考えて、また儲けたカネは身の回りだけで使ってしまうから経済が上手に廻らなくなる。

 要は、吝嗇家の経営者が多過ぎるということに尽きる。昔の企業家というのは営利よりも先ず社稷を重んじ、日本の将来や国民の幸福を重んじていたのだが、今は米国の自由主義経済に毒され、自分さえ、自分の会社さえ儲かれば国民や日本なんてのはどうでも好いと、梅岩の唱えた経営論は疎んじられる様になってしまった。

 企業経営者に於いては何より、社稷を重んじることこそ大事である。我が国は戦後、米国型資本主義社会を選択した訳だが、その限りない米国型資本主義の欲望は止まるところを知らない。だが、一方では「社会保障」の充実を謳い国民を誑かす。

 我が国は資本主義や自由主義というカタチを採ってはいるが完全な米国附庸型日本的社会主義国であり、こうした歪な社会主義体制がいつまでも続くとも思えない。

 心ある国民ならそろそろ日本型資本主義社会の矛盾と弊害に気付いているし、資本主義の限界を感じているだろうと思う。本来、我が国が目指すべきは資本主義に非ず、天皇中心の国家社会主義で在らねばならないと感じている一人である。

 経済界は営利至上主義の小者ばかり。その小者に平身低頭し、小者の言い分を忠実に実行しているのが現代の政治家であり、政治家は更に小者に成り下がる。

 また、飽食の時代に「成り上がり」や「成り金」なんていうと軽蔑されるが、資本主義社会では本来は一目置かれる存在であらねばならないのだが、昔の財界の大物と呼ばれた「成り上がり者」の経済人も今はおらず、無能な二代目三代目。

 若い時分に矢沢永吉の「成りあがり」を読んで、矢沢のサクセスストーリーと自分の夢をダブらせた人も少なくないだろう。だが、いつの間にかそうした感動も忘れ、成功者を「成り上がり者」だとか「成り金趣味」だとか軽蔑する側に立ってはいないだろうか。抑々、この世の中で成功を欲していない人はいないだろう。

 誰しも成功したいと思ってるし、金持ちにもなりたいと思っているのだろうが、実際に成功する人というのは才能ではなく、僅かな努力と、時勢に便乗した運に優るホンの一握りの人でしかない。人というのは悲しいもので、成ろうとして自分が成れないと、成った人を羨むばかりか、終いには軽蔑や中傷にまで発展する。

 まぁある意味で、誹謗中傷や悪口や雑言というのは嫉妬や羨む気持ちから出ているものが多く、見方を変えれば、その実力を認めているという裏返しでもあるのだ。

 つまり「成り金」とは、将棋の「成金」と同じく、立派な「おくり名」であり、実際に成り金になった成功者にとっては、そんな嫌味や批判なんてのは痛くも痒くもない、貧乏人の嫉妬、貧乏人のやっかみであり、褒め言葉にしか感じないだろう。

 明治時代の渋澤栄一を始め、三菱財閥の岩崎弥太郎や松下幸之助やホンダ、ブリジストン、ソニーにしろ創業者と言われる人物は全てが「成り金」だったではないか。商売人や起業家を目指すのならばやはり「成り金」を目指さなきゃウソだ(笑)

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2023年03月25日

相手のことが嫌いとか苦手というのは相手も同じ様に思っている(笑)

 政治思想にも厭きたし、久しぶりに「徒然なるまゝにシリーズ」を綴ってみたい。3月もそろそろ終わりというのに果報が届く気配はない。それでも1月は2万円、2月は3万円、今月は5万円と増えてるし、12月には物凄い収入になるかもな(笑)

 昨日はタイヤ交換に行った。従業員が愚生の下へ来ると「溝が無くなってるので交換しますか?」と言ってきた。見積りさせたら9万円(税込)とのこと。今年に入って10万円しか支援金が無いし「まぁ今シーズンは車検も無いしこのままで」と断った。「雨降ると滑るかも知れないので注意して下さい」と念を押された(笑)

 政治批評のブログは、今年に入って一日も欠かさずアップしている。ブログの末尾に《会費&御支援の御願い》を書いてるのだが振り込んでくれる人はいない(笑)

 閑話休題。「信じる」ことと「期待すること」は違うし「信じる」ことと「崇拝」も違う。信じるのは悪いことではないが何事にも崇拝し過ぎるのは好くない。何事に於いても信じ過ぎないこと、期待し過ぎない方が相手のことが好く分かる。 

「我こそは真の愛国者である」というネット民を見かける。営業保守の著書や保守政治家のタカ派的意見こそ正しいと勘違いしているが、愛国を利用した売文屋だし、政治家の憲法改正や靖國参拝は単なる保守票狙いのパフォーマンスに過ぎない

 ネット右翼も珍左翼にしても営業右翼や売文左翼に利用されてるだけ。まぁどっちもどっちだが、祖国日本を愛しているという点ではネット右翼の勝ち(笑)

 思想にしても性格にしても、相手のことが嫌いとか苦手というのは相手も同じ様に思っているもの。そんな意見が隔絶してる相手にSNSで口角泡を飛ばして意味のない論争をしてるが、自分の思想や考えを訴えたところで治ることはない。況してや売文屋から聞き齧った言葉で相対したところで相手の耳に響くことは無い。

 ここのところブロガーに成り下がった愚生もそんなネット右翼だと思われてるフシが在る。だが、愚生は自分らしい言葉で訴えてるつもりだ。愚生にとってのブログやSNSは備忘録だが、SNSの世界は着飾った言葉で実に衒学臭い文章が多い。

 衒学の「衒」とは「衒う」ということ。「ひけらかす」という意味だ。新渡戸稲造の「武士道」には、武士が一番嫌われることは「衒学」であると訓えている。

 ネットでは、聞き齧った言葉や著名人が語った言葉を、然も自分の言葉の様に周辺にひけらかしているのを見かけるが、相手に響いているとは到底思えない。

 立て板に水の如くの喋り方より、下手でも訛ってても自分の言葉で喋った方が相手に響く。また「崇拝」とは逆に、何事も「反抗」し過ぎるのも好し悪しだ。

 自分が嫌いな人や、思想や考え方が真逆な著者の本は、初めから穿ち気味に粗を探してやろうと読んでしまいがちだが、本というのは揚げ足を取ろうとして読まないことが肝心。尤も、売文屋の本は読み終えるとどっと疲れるものが少なくない。

 政治家も右翼も政治思想だが、職業議員と右翼では政治活動そのものが違う。右翼陣営の中には政治家を目指している人や地方議員になった人もいる。議員の中には尊皇精神や愛国心が逞しい論客もいるが所詮は生業。落選したらタダの人(笑)

 右翼というのは政治家じゃない。右翼人に求められるものは、絶対尊皇や報国・護国精神以前に「反骨精神」が求められる。反体制・反骨の精神を以て、世の中の常識や当たり前のことまでも逆らって生きるのも大事な要素であると思っている。

「それも反抗だろう」と言われればそれまでだが、最近の右翼関係者を見ていると、「反骨精神」なんぞ疾うの昔に忘れてしまっている。facebookなどで著名人や有名どころと知り合いになって、それを自慢げにしてる輩の多いこと多いこと。

 確かに同じ主張でも名も無い人より、著名人が語ればそれなりに反響は大きく、靡きたい気持ちは分かるが、右翼が「権威主義」に陥ってどうすんの(笑)

 右翼団体やその関係者をみてると、自分より偉そうな人には媚び諂い、自分より格下だと分かると偉そうにするのがホント多い。愚生は、政治家じゃあるまいしあっちにペコペコ、こっちにはヨイショってのが一番嫌いというか苦手である。

 吉田松陰は「貧銭を以ってこれを軽蔑する者は 富貴を以ってこれに諂屈する」と訓えている。付き合う方が著名人じゃなくても、それなりに分を弁えた立派な人ならば、発する言葉は示唆に富み得るものは多い。「人真似上手は個性を想像する」という喩えもあるし、尊敬する人の考えや所作を真似することは悪いことではない。

 だが、真似では偽物でしかなく、そこにはやはり自分なりの思索を伴わったものでなければならない。その昔の右翼には個性的な愛すべき削げ者がいたが、今は画一化された、同じ様なのばかりになってしまったのはチョッと面白みに欠ける。

 右翼がそうなら左翼はどうか。国会前で騒いでる中核派は原発事故を利用して勢力拡大には一応の成果が見られるが、所詮はノンポリや戦後世代の無自覚左翼らの心の奥底の幼稚な正義感を擽って、それを騙して利用するというのが常套手段。

 極左らは、言葉では「革命」なんて言ってるが、要は補助金に集り資金源確保に躍起で革命なんてのは二の次。朝日新聞ら営業左翼と大して変わらない(苦笑)

 極左に騙される無自覚左翼というのは、戦後の民主主義教育が生んだ典型的な珍種だが、戦後の「骨抜き」教育をうけた方々に共通するのは、自然が大好きだが、神(天皇)を敬わない、日和見主義的な考えを持ってるのが特徴でもある。

 マスコミの主張や煽動者に拠って世論が変わればどうにでも動く勢力で、尤もこういう連中が世論の大勢を占めている。高度成長期を経験し、懸命に働いたご褒美か、余生をのんびりと無農薬の家庭菜園などを愉しみ乍ら、好きなことをしたいという個人主義的なのが多く、話ししても薄っぺら過ぎて年相応の重みを感じない。

 新宿ゴールデン街や場末の飲み屋に出没してるおっさんにこういう手合いが多く、遭遇したらスケベな話題で惹き付けて、政治の話題に持ち込んで、それこそ衒学丸出し、反抗しっ放しでグーの音も出ないほど論破してやることにしている(笑)

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

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2023年03月24日

日本の野球が日々進化して行く中で政治の為体と劣化には目を覆うばかり

 第5回WBCで日本が三度目の優勝。第一回大会ではキューバ、第二回大会では韓国。米国を破った勝利は価値が違う。野球の素晴らしさを改めて実感した。日本の野球が日々進歩・進化して行く中で我が国の政治の為体と劣化には目を覆うばかり。

 御粗末な「小西怪文書」で高市早苗が野党からイチャモンを吐けられ虐められる構図は見ていて気の毒になる。立憲はこんなことで自民党に対抗できると思ってるのだろうか。高市を守る気のない自民党への支持は下がるだろうが立憲も同じ。

 自民党保守派や立憲民主党右派の受け皿は、政策的にもまともになった国民民主党に流れるだろう。小西怪文書騒動で漁夫の利を得るのは玉木雄一郎(笑)

 総務省の「放送法の政治的公正の解釈」に関する行政文書が小西が入手。野党はこの問題をモリカケ問題と同じく政権批判の道具に利用。森友学園問題は籠池泰典の詐欺事件。加計学園問題は前川喜平の公務員法違反と言うべき妄言から始まった。

 森友問題は籠池に恫喝された財務省の公文書疑惑に始まり、加計問題の裏には文科省官僚が関わっていた。今回も反日左翼に与する官僚が蠢いてるのは明らか。

 今や官僚が天下り先として政界や自治体に流れ込んでいる。小西怪文書当事者の小西の暴走を見ても、国会は元官僚が席巻するだろう。正しく官僚栄えて国滅ぶ。

 左翼マスコミの我田引水的高市批判は目に余る。モリカケ同様にこの問題を切り貼り報道して、高市の政治生命を絶というという魂胆だが国民はバカじゃない。

 立憲は、小西洋之や杉尾秀哉らが女性閣僚を虐めてるようにしか見えないと思ったのか、替わりに女性議員の岸真紀子や田島麻衣子、石垣のりこらが高市を口撃している。質問内容は放送法の解釈などではなく中身の無いヒステリックなものばかり。

 高市を口撃してた広瀬めぐみ議員は麻生派と知って驚くやら厭きれるやら。自民党議員なら機密文書漏洩に関して、立憲と小西に説明責任を求めるならいざ知らず、ポスト岸田に向けての高市潰しだとしたら自民党こそ粛正しなければならない。

 立憲やアホ野党は小西怪文書の真贋や中身なんぞ関係なく、高市の言葉尻を論い、如何にして国会審議を妨害し、経済安全保障推進法(セキュリティクリアランス)や入管法改正案等の重要法案を頓挫させ、憲法審議会を中止されるかに躍起。

 セキュリティ・クリアランスとは、国家機密などの情報を扱う政府職員や、関連する民間企業が職員を採用する際の判断基準となる資格。その人が機密情報を扱った場合、情報漏洩させたり悪用したりしないかどうかの適格性を審査する法案。

 国家機密に関わる公務員や関連会社の職員の帰化歴などを調べ、親中派などの工作員(スパイ)を排除する仕組みを構築しようというもの。今回の小西怪文書問題を考えれば、セキュリティクリアランス導入を急がねばならないと改めて痛感する。

 放送法の公正・中立性への政治介入は無かったことは、その後の偏向報道や現在の報道姿勢でも明らか。抑々、目に余る偏向報道や報道の公正性をどうするのかということであって御粗末な行政文書を正当化して議員辞職を要求するとは言語道断。

 高市が総務相時代、目に余る左翼マスコミの偏向報道に対して「国は放送局に対して電波停止出来る」という至極真っ当な発言をしたことがあった。この高市発言に対して抗議の声を上げていたのは、今回も登場してる左翼ジャーナリズムだった。

 高市発言に反対する左翼マスコミやポンコツジャーナリストらは、「現憲法の精神に反する」と煽動してたが、その後に偏向報道が正されることはなかった。

 憲法21条では「報道の自由」が保証されているが、この条項は、記者らの礼儀を欠いた取材活動や報道を保証するものではない。何が憲法の精神に反するだ。

 放送法第1条第2項には、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と謳われ、同法第4条第2項には、「政治的に公平であること」、そして同条第4項には、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と記されている。

 新聞倫理綱領にも「言論・表現の自由の下、高い倫理意識を備え・・・」「言論・論評の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなくてはならない」と記されている様に、傲慢になりがちな記者を諌める為のものでもある。

 胡散臭げな小西怪文書を翳して不毛な議論をしてないで、総務省の陋習と放送法に反する偏向報道を検証し、政治的中立性や公平・公正さを徹底させるべきだ。

 然し乍ら、マスコミとはいえ所詮は利潤追求の株式会社であり、記者は単なるサラリーマンに過ぎない。無自覚左翼や左翼思想に傾倒する視聴者や購読者に阿る主張をするのは当然であり、マスコミに政治的公平さを求めることは不可能なこと。

 旧統一教会の亡霊に病んだ暴漢に襲われ亡くなった安倍晋三元首相の葬儀では、左翼メディアやノスタルジック左翼と極左が「国葬反対」を叫んで国民世論の分断を謀った。そんな中で多くの国民は心静かに元首相の死を悼み、その人柄を偲んだ。

 今回の高市潰しの怪文書騒動も同じく、祖国日本を貶め破壊しようという敵の正体が顕わになった。我ら日本人が「コンナヒトタチ」に負ける訳には行かない。

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2023年03月23日

純日本的精神を追求した国学者・本居宣長と平田篤胤

 徳川幕府を倒し明治維新の指導原理となり、また今日の民俗学や霊学、心霊研究などのオカルト的なものまでに大きな影響を与えたものが「復古神道」である。

「復古神道」とは、江戸時代の国学者の起った神道説で、中でも荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)の国学の所謂「四大人(うし)」が本流である。

 彼等の主張は、両部、伊勢、吉田、吉川、垂加神道に雑じっている、インドや支那の教えや説を取り除き、神道の純粋性を保とうとするところにあった。

「国学」というのは、日本の古典を有りの儘に吟味して、古典に込められている純日本的精神を追求しようとした学問である。つまりは、中世以来に伝来した儒教や仏教等を拠り所とするこじ付け的な日本古典の研究に反対するものである。

 復古神道の成立に決定的な役割を果たしたのが、本居宣長と平田篤胤である。宣長は僧・契沖(けいちゅう)の書物に出会って古道を学び、後に賀茂真淵の著述に触れる。真淵は宣長を自らの志を引き継ぐ人物として入門を許し激励した。

 この時、真淵67歳、宣長34歳だったという。宣長は真淵の期待に応えようと只管「古事記」の研究に没頭し、ついに57歳の時「古事記伝」を完成することとなる。実に宣長の一生は「古事記」の注釈に注がれたといっても過言ではない。

 宣長は72歳で没する。宣長の没後に古道思想を継承し、神学的に発展させたのが平田篤胤である。 博学多識で知られた篤胤であるが、幼少の頃は才能には恵まれて無かったらしいというから、人間は何歳になっても精進が大事ということだ。

 18歳になっても未だ「四書五経」、つまり「論語」や「易経」などという当時の武士の基本的教養書を理解することもなく、親からも「武士失格」の烙印を押された篤胤は、袴を着け、帯刀することを禁じられてしまったという。

 そこで篤胤は一念発起し、出羽国秋田から江戸に出て行くのだが途中、雪の山中で遭難しかかった平田篤胤だったが、この時に何やら、異人に特殊な霊法を伝えられたという。異人ではなく宇宙人だった超常現象だったのかも知れない。

 というのも、江戸へ出てからの篤胤は、以前の彼とは打って変わった様に古今東西のあらゆる本を読み解き、それを記憶し、時には著述に入ると1週間位は不眠でそれを成し遂げるという通常の人には考えられない様な能力を発揮し始めたからだ。

 江戸では備中国松山藩士平田篤隠(あつやす)に認められ養子となり、松山城主板倉侯に仕えた。その後、本居宣長の著書に接し、深く感激しその門に入った。

 篤胤は宣長没後の門人としてその学問を受け継ぎ、古を明らかにし皇道を遍く天下に広めることを以て自分の使命とした。以来着々と著述を進め且つ門人を集め古道を唱道した。全国神社会は篤胤の「復古神道」を以て統一されたのである。

 篤胤は68歳で没するが、その一生に著した書物は驚くべき数に達している。その中で神道の中心をなすものが「霊能真柱(たまのはしら)」と「古史伝」である。「霊能真柱」では、人が神の道を実践する為には、「先ず大和心を固めなければならず、死後の霊魂の行方が解明されなければならない」と教えている。

 その為には、「天地の形成過程を知り、神の功徳を認識し、日本こそが万国の本源の国であり、全てに於いて優れた国であり、天皇が最高の存在であることを十分に知らなければならない」との日本こそ中国であり天皇こそ最高の存在と覚る。

「古史伝」は自らの古伝を纏めた「古史成分」の注釈書であるが、「霊能真柱」の考えをより発展させたものである。 著述の中に一貫する日本本源論や皇国尊厳論は大いに注目すべきもので、また学問の範囲は非常に広く深く独創的である。

 篤胤は幽冥界についても深く研究し、神界と現界の関連、霊魂、神仙の存在に関する書物を多く書き著して、その後霊や神仙などを研究や修行する者に多大な影響を与えた。 篤胤は、近代日本のオカルティズムの創設者とも言えよう。

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2023年03月22日

「袴田事件」の再審決定が遅れた理由は単なる司法のメンツ

 所謂「袴田事件」で、東京高裁は再審を決定した。東京高検が特別抗告を断念したことで袴田巌さんの無罪の公算が大きくなった。長年、支援して来た友人もおり、再審決定は嬉しい。だが、何故に袴田さんは死刑判決を受けるに至ったのだろう。

「袴田事件」とは、昭和41年6月30日未明、静岡県清水市(現静岡市)に在った味噌製造会社の専務宅から出火し全焼し、焼け跡から一家4人の死体が発見された。その後、味噌工場の二階の寮に住み込みで働いていた袴田巌さんが逮捕された。

 証拠品は、微量の血痕が付着したパジャマのみ。長時間の過酷な取調べの末に、終には袴田さんはつい自白してしまった。物的証拠が乏しい中で捜査が難航する中、一審の公判中の昭和42年8月31日、工場内の味噌タンクの中から麻袋に入っていた血痕の付着した衣類が発見された。パジャマから一転しこの衣類が証拠となった。

 パジャマの血痕、味噌タンクに一年も入っていたとは思えない衣服、犯行時に使用したと言われる切り出しナイフなど、誰が見ても不可思議な物的証拠と不当な捜査だったが、その証拠を理由に、昭和55年に上告が棄却され死刑が確定した。

 翌年、静岡地裁に再審を申し立てるも平成6年に棄却された。平成26年の第二次再審請求が認められ再審が決定されたが検察側が抗告。令和元年に再審取り消し。そして今回やっと無罪への道が拓かれた。不当逮捕から実に57年の年月を要した。

 何故に再審決定にこれ程までの年月を要したのかは、単なる司法のメンツに過ぎない。正に、過ちを文(かざ)り、屋上屋を重ねてきたことの結露であろう。

 冤罪を生む理由というのは、捜査の出鱈目さや逮捕した犯人への自白の強要や証拠の捏造及び証拠品の不確かな鑑定など様々だろう。今の時代は科学捜査が当たり前になっているが、昭和時代には信じられない様な驚く鑑定が相次いだのも事実。

 昭和24年、弘前大学の松永藤雄教授宅で妻が何者かに咽を斬られ殺された事件が起きた。間もなく近所に住む那須隆という男が逮捕され、彼の着衣から血痕が見つかり、それを証拠に犯人と断定された。彼は犯行を否認した儘で起訴されて、「反省も無い」との理由から情状は認められず15年の刑を丸々務めることになった。

 だが、那須さんが釈放されて間もなく、「弘前大学教授夫人殺害は自分だ」と、滝谷福松という男が名乗り出る。福松の証言に由れば、教授宅はミシン修理に行って面識もあり、犯行時の詳細を供述し、紛れもなく滝谷福松の犯行だったことが明らかになった。那須さんは早速仙台高裁に再審請求するが、何故か高裁は棄却した。

 その2年後、再審請求するとすんなり受理されて、無罪判決が出た。鑑定の結果、当時証拠とされた着衣の血痕は別のものだったという。そんな事は始めから判りきっているのに、何故に2年前には再審請求が却下されたのか。何のことはない、血液鑑定を行った古畑種基東大教授が生きていたという理由からだった。

 要は事実の解明よりも、科学捜査研究所所長も務め、陛下より文化勲章を授与された古畑教授の名誉というくだらんメンツが優先されたのだった。2年の間に古畑が鬼籍に入り、漸く無罪判決を得るが、こんな杜撰な鑑定や判決が昔は当たり前の様に行われていたという事実に驚きは隠せない。「袴田事件」も同じ様なものだろう。

 袴田事件を担当したのは紅林麻雄刑事。紅林刑事の拷問に因る尋問、自白の強要、懐柔、供述調書の捏造、自己の先入観、固定観念に因る違法捜査の常習者だった。「二俣事件」「幸浦事件」「小島事件」など、紅林が主導した捜査での行き過ぎが指摘されている。そんな疑惑も紅林が脳梗塞で鬼籍に入り真相は有耶無耶に。

 冤罪を生む元凶は、捜査に携わる人間の驕りや傲慢さや間違いを認めず屋上屋を架すからだが、冤罪は真犯人を取り逃がすことだ。冤罪で逮捕される方も気の毒だが、冤罪は被害者遺族にとってもその無念が晴れることは無いということを自覚せよ。

「過ちて改めざるこれを過ちという」とか「過ちては即ち改むるに憚ること勿れ」ともいうが、喩え司法と雖も過ちは犯すもの。過ちを文り、屋上屋を重ねるのではなく、過ちを素直に認め改めることこそ正義を守る上では最も大事なことだ。

 末尾に当り、袴田巌さんへの国家権力に因る不条理や不正義は言葉では言い尽くせないが、国民の一人として無罪を祈るばかり。また、再審請求に奔走した関係各位の努力や、無罪を信じ長年苦労を共にして来た姉のひで子にも敬意を表したい。

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2023年03月21日

オウム真理教に破防法が適用されなかった理由を検証せよ!

 平成7(1995)年3月20日に起きた地下鉄サリン事件で12名が犠牲となった。化学兵器を使用した驚愕の犯罪は我が国の治安を根底から揺るがす事件となった。

 地下鉄サリン事件が起きる前年、長野県の松本サリン事件では7名が犠牲となり、第一通報者を犯人と断定し逮捕した。オウム真理教を擁護するTBSは、当時キャスターだった立憲民主党の杉尾秀哉らは河野犯人説を執拗に報じた。

 当時、TBSはオウム真理教を日本の救世主の如く好意的な報道を垂れ流していたのは周知の事実。そんな中でオウム真理教をカルト集団として批判的だった坂本弁護士を取材し事情を聞いた。それをあろうことかオウム真理教幹部らにリーク。

 オウム側にリークした9日後、早川紀代秀や新見智光、中川智正らは妻子の前で坂本弁護士を襲撃し殺害。更には妻と1歳の子供まで惨殺した正に鬼畜の所業だった。この事実をして死刑は当然だが、それでも死刑に反対する理由は理解不能である。

 TBSは当初、取材テープをオウム側に見せたことを否定していたが、捜査の過程で事実が露呈し謝罪会見を行った。オウム真理教が精鋭化するのはこの坂本弁護士殺人事件以降であり、そういう意味でもTBSや杉尾の行為は万死に値する。

 オウム真理教設立当初はヨガ好きの集まりだったという。在日朝鮮人説が絶えない麻原彰晃(松本智津夫)の権力欲と金銭欲は逞しく、信者は麻原のそれら野望に応えようと「グルを日本の国主に」との妄想を描き、組織の精鋭化を謀る。

 徐々に仏教の魂を救う教えから隔絶し、麻原個人の欲望を満たす為だけのカルト集団となって行く。信者らは疑うことなく麻原の言葉を盲信した。

 そうした一方で、教団内では信者の殺害などがあり麻原に対する不信感が募り、脱会する信者や信者の家族からの相談が相次ぎ、社会問題化して行った。

 松本サリン事件、地下鉄サリン事件を始め、負傷者数6000名という未曾有の犯罪行為を実行し、更には皇居や皇太子殿下御成婚パレードを狙った炭疽菌やボツリヌス菌の散布など、国家転覆を謀り、既に関係者全員が死刑執行されている。

 中でも皇居を狙った犯行は断じて赦されるものではない。国家転覆を謀り30人を殺害し13名が死刑判決。189名の信者が起訴されたテロ集団への破防法適用を見送った理由は何だったのか、死刑執行の是非より、その闇を明らかにすべきだ。

 思うに、地下鉄サリン事件が起きる前年に「自社さ連立政権」が誕生する。自民党は神輿として日本社会党の村山富市を内閣総理大臣に祭り上げた。

 村山政権が誕生した翌年の1月には阪神淡路大震災が発生する。「自衛隊違憲論」を唱える社会党の村山は、自衛隊出動を躊躇して多くの犠牲者を出すこととなった。そしてその阪神淡路大震災の2ヶ月後に発生したのが地下鉄サリン事件である。

 オウム真理教への破防法適用を見送ったのは、やはり党利党略と政争から誕生した村山富市の無能も然ることながら、日本社会党の閣僚や国家公安委員長に共産党シンパでもある野中広務が就いたのも大きな理由だったのではなかろうか。

 民主党政権下では東日本大震災が発生し、阪神淡路大震災の村山と同じく菅直人はその対応を誤った。無能な政権の時にこうした天譴が起こるのは何故だろう。

 オウム真理教への破防法の見送りは適切だったとは思えない。単なるイデオロギーや党利党略だったでは済まされない。国家転覆を謀ったテロ行為を予断なく検証することが、サリン事件で犠牲になられた方々の無念さに応えるものとなろう。合掌

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2023年03月20日

実践の伴わない道徳教育より「神道」という随神の道を教えよ!

 全国に神社は沢山在るが、祀られてる神様とは何か、神道とは何かを知る人は少ない。当り前に存在しているものとだけしか受け止めてはいない。その神道の祭祀を斎行する天皇という存在も同じで、「現神(あきつかみ)」としての天皇とは何か、祭祀とは何故に重要かということを教わることも、知ろうともしない。

 天皇とは祭主であり、我が国の教えである神道に於ける最高の地位であるが、現憲法下では国事行為を行う政府の都合の好い傀儡とされてしまった。

 神社というのは近所に当り前に在って、祭りがあるからイベント的に愉しもうというだけで、そこには神への感謝の気持ちは持ち合わせてはいない。

 当たり前の様に存在している神社にどんな神様が祀られて、どんな歴史があるということを理解してる住民は少なく、またそれを教えるべき者もいない。

 戦後、住民と神社(神道)との分断を謀ろうと各地に集会所なるものが建設された。戦前は住民の会合などは神社の境内で行われることが多かったが、戦後は集会所で行われることとなり住民と神社との距離が遠いものになってしまった。

 こうしたこもGHQが謀った戦後占領政策の一環である「神道指令」に因る弊害である。氏子や住民は祭りでは盛り上がるが、その神社の祭主の何たるかを、また神道とは何かという日本人としての根本の教えを理解することはない。

 自然は、人智の及ばない大いなる存在である。雷雨や日照りや嵐を人間は制御することは到底出来るものではない。人々は、自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くかなのだが、賢明なことに先人は共生することを選んだ。

 そして我々もその先人の道を歩んできた。自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を与えたりもするが、同時に無限の恵みを齎してくれたりもする。

 人々は、自然の織り成す新羅万象を「神」と呼び、豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ、鎮め、人々は「神」と共に生きて来た。

 新羅万象の全てが「神」の姿として現れる。山の神、海の神、或いは森、林、川、河、泉、湖、石ころや水・・・、全てのカタチある物やそして人さえも、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神なのである。

 我が国の固有の信仰でもある「神道」とは、こうした世界の中から生まれたものだ。神と共にあるから「惟神(かんながら)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(わけみたま)」と考えられた。

 人は彼等の暮らす土地の神「産土神(うぶすながみ)」の御陰を被って誕生し、産土神やその他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。

 民衆レベルの神々の世界は、この様な意味付けを必要としないまでも、自然に体現し「神」を感じとっていた。こうした神々の世界に、天上界の別格の神々の世界「高天原(タカアマハラ、タカアマノハラ、タカノアマハラ、、タカマノハラ、タカマガハラ )」が重ねられたのは、天皇による国家統一以降のことである。
 
「高天原」とは、自然信仰の観念に重ねられた神々の天上世界。天に固有の住居を持つ神々は、高天原で育てた稲(ユニワノイナホ)をその苗裔に授けるという神話に由って、この国の神々の世界に革新を齎した。地上の王権は高天原の神々の苗裔である天皇の支配となり、地上に住居を持つ国津神(クニツカミ)は高天原に住む天津神(アマツカミ)の支配下に入った。「神祇(ジンギ)」の世界の誕生である。

 高天原というのは、神道の中に生じた垂直思考の産物であるが、民衆レベルでは、自然と共にある神は、何処まで行っても水平に広がる世界だった。太陽の昇る東の方位には「命の源の世界」が在り、日の沈む西の果てには「死の世界」が在った。

 この水平に広がる生と死の世界に、高天原という垂直の軸が導入されることに拠って、世界はその頭上に「高天原」として、高天原の下には水平に広がる「中津国(ナカツクニ)」と「海神(ワタツミ)の世界」として、そして彼の世である「黄泉の国(ヨミノクニ)」という三層構造が完備されることになったのである。

「古事記」や「日本書記」では、これらの世界が全て「高天原」の支配下に入るように神話を整え、高天原は天照大御神が支配した。我が国の最高神である。

 中津国は、その苗裔である天皇(スメラギ、スメラミコト)の支配領と定めた。海は素戔男尊(スサノオ)、ないし月読尊(ツキヨミノミコト)、或いは神武天皇の兄である稲氷命(イナビノミコト)の支配下に入り、黄泉の国は、やはり天津国である伊弉諾(イザナギ)とその息子である素戔男尊の世界となった。 

「高天原」の登場に由って「神道」は原始宗教の一形態(シャーマニズム)から、固有の神々の世界と信仰が生まれていったのである。正に日本は神の国である。

 古の人々は、神々の世界に対し自然に体現することで、「神の存在」を感じとっていたのだろうと推測する。戦後の日本人はGHQの洗脳に陥り、神道の教えを知らなさ過ぎる。実践の伴わない道徳教育より、神道という「随神の道」を教えよ。

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2023年03月19日

日本人の心の奥底には神道の随神(かんながら)の教えが根付いている

 明治元年(1868)年、新政府は「祭政一致」を前面に掲げ、「神仏分離令」を布告し、仏教勢力の一掃を図り、その結果、廃仏毀釈運動が全国的に広がった。

 廃仏運動の急先鋒となったのは、比叡山延暦寺の支配下にあった東京の「日枝山王社(日枝大社)」。神仏習合の神社である京都の「祇園社」「石清水八幡宮」「愛宕大権現」は、夫々「八坂神社」「男山神社」「愛宕神社」に改称させられた。

 明治3年には、明治天皇拠り「大教宣布の詔」が出されると、神道を国家統合の精神とする天皇中心の近代国家の道を進んで行くのであるが、これは天皇の政治利用と捉えられても致し方なく、後の所謂「天皇制」批判に繋がったと言われている。

 神社は内務省が管轄し、「欽定憲法」と「教育勅語」と相俟って国民に広く浸透することとなり、以降、明治神宮、平安神宮、橿原神宮、湊川神社、吉野神社、靖國神社などの格式の高い神社が創建され、「忠君愛国」の奨励が勧められた。

 昭和20年、我が国が敗戦すると、GHQ下で次々と占領政策が謀られる。米国は「国家神道が戦争を誘発させた」として、所謂「神道指令」を出して国家と神道の分離を実施する。これに由り、国家管理の神社制度が崩壊することになった。

 靖國神社や全国の護国神社も例外ではなく、「神道指令」を免れる為に已む無く御祭神を一時的に別なものにした苦肉の策であった。だが、主権回復後も「宗教法人」格は見直されない儘に放置され続けていることは正に政治の怠慢そのものである。

 戦後、我が国はGHQのあらゆる施策を検証することなく、国家の大本である国家の防衛を米国に依存し、まやかしの平和と魂無き繁栄に現を抜かして来た。日本人は経済的に豊かになればなるほど、反比例して人心の荒廃は顕著となって行った。

 どんなことをしても「儲かれば善」という拝金主義が蔓延し、自分さえ良ければ好いといった自己中心的な国民が多くなってしまったのは、統治下の言論統制や教育制度の改革で「教育勅語」に代わる倫理的な規範が無かったことにも起因している。

 自然環境と不離一体の神道の精神もまた、荒廃した時代にこそ尤も必要な教えであると考える。抑々、日本人の信仰である「神道」とはどういうものか。

「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就きて治せ。行ませ、宝祖(あまひつぎ)の隆えまさむこと、当に天壌(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし」(日本書紀)

 自然は、人智の及ばない大いなる存在である。雷雨や日照りや嵐を人間は制御することは不可能。人々は、自然を征服すべく挑み続けるか、自然と共に生きて行くかなのだが、賢明なことに先人は共生することを選び、我々もその道を選んできた。

 自然は暴れ回り甚大な被害を与えたりもするが、同時に無限の恵みを齎してくれる。そこで人々は、自然の織り成す新羅万象を「神」と呼び、豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ、鎮め、人々は「神」と共に生きて来た。

 新羅万象の全てが「神」の姿で現れる。山の神、海の神、或いは岬、谷、森、川、石、岩水・・・、そして人間でさえも神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神であり、その教えが「神道」なのである。我が国固有の信仰である神道とは、こうした世界観から生まれた随神(かんながら)の道である。

 日本人の心の奥底には神道の随神の教えが根付いている。一方で、仏教的価値観が事の善悪や行動の指針にもなっている。「宿命」とは仏教の教えであり、それを仏教では「宿業(しゅくごう)」とか「宿世(すくせ・しゅくせ)」と表現する。

「宿業」や「宿世」とは「生きる上で、自分の力ではどうにも出来ない過去に制約を受けているのだからどうしようもない」という開き直りや諦めの理由となる。

 仏教には、「目の前にある状況は何らかの原因で起こっていることであり、この状況も何らかの原因となって別の結果を生み出す」という思想が根本にあり、それを「縁起(えんぎ)」という。「因果応報」とか「悪因悪果」というのがそう。

「自分が知らぬ過去に因って決められているので自分ではどうしようもない。自分の死後も、自分でもどうなるかは分からない、死後は仏の世界に導かれる」との教えから、日本人は己の生涯ではなく、過去と未来にも想いを巡らせる様になった。

 仏教とは現世利益を与えてくれる恩恵の神という捉え方。LGBTQの連中は「自分一代の生涯ではなく、過去と未来にも想いを巡らせる」という考えが足らない。

「源氏物語」は、主人公である光源氏を中心に様々な恋が「宿世」として捉えられている。男女が出会うのも「宿世」なら、求愛も「宿世」である。要は、不倫なんかも、過去の導きから生まれた「宿世」ということになると考えられるな(笑)

「宿業」「宿世」の考えは「自分の力ではどうしようもない」との開き直りや諦めに繋がったのも事実。平安時代「仏の道が衰え、悪が横行する世になる」との「末法思想」が流行する。宗教とは正に流行であり、流行とは病気の意味である。呵呵。

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2023年03月18日

人間死んだら終わり。全てが「無」。極楽浄土とは現世に在り。

 今日から彼岸の入り。彼岸の墓参りは日本独自の文化。彼岸の中日に当たる「春分の日」と「秋分の日」は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが彼岸の始まりとされている。

 彼岸会法要は、歴代天皇や先祖を敬う天皇の詔として始められた行事であった。現在では、天皇の関りは忘れ去られてしまい浄土思想に結び付けて説明される場合が多く、浄土思想での極楽浄土(天国)は西方の遙か彼方にあると考えられている。

 極楽浄土や天国なんてのは釈迦やキリストが死への恐怖を取り除く為に吐いた嘘。人間死んだら終わり、全てが「無」となる。極楽浄土とは現世に在り。

 愚生は、自分の持っているものを惜しみなく与え、悩んでいる者や、自分より劣る者、難渋している者を如何に助けてあげるかが極楽浄土だと思っている。

 死というものは人に平等に与えられたもので悲しいものではない。別れも宿命であり、運命なのだから現実を諒として享け入れることこそ大事である。

 人生とは一期一会であり、邂逅の一言に尽きると思ってはいるが、人付き合いは「人に期待しない」ことを念頭に置いて人と接する方が相手のことがよく見える。

 期待し過ぎると落胆も大きい。相手が裏切ろうという魂胆ならば敢えて騙されてみるのも悪くはない。人を見る目というのは生き様であり、人生哲学そのもの。

 宮本武蔵の「独行道」に、「いづれの道にもわかれ(別れ)をかなし(悲し)まず」という一条が記されてある。「何れの道にも別れを悲しまず」というと、血も涙も無い冷血漢だったのだろうかも思ってしまうが、そこは違うだろう。

 酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」とか、タバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などとは書かない。「飲みたい」「吸いたい」と思うが、これを止めようと自分に誓願した者だけが「絶つ」と言ってこそ他人に響くものがあるのではないか。

 武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かな熱血漢であり、別離に際しては人並み以上の涙を流したいが、涙を見せまいと努力した男だったに違いない。武蔵の兵法書に「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という教えがある。

 武蔵が、修業の中で確立した思想の根本でもある「万里一空(ばんりいっくう)」とは、「世界はどこまでいっても空は一つ」とか「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方である。解釈としては、「何事も動揺せずに、常に冷静な気持ちで事に当たること」「一つの目標に向かって精進すること」との意味となる。

 何か事が起これば冷静さなど忘れ右往左往。大したことのないことに怯えてる様ではこの心境とは程遠い。何事も宿命であり、成る様にしかならないのだから身構えず自然体で、間合いというのが大事。斯くいう愚生も右翼浪人を気取り、私感を尤もらしく披歴しているが、目先のことを語ることや喧々諤々の議論に意味もない。

 天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、眼前に起こる危機に際しても平時と同様に対処出来る心構えと行動力を涵養することこそ、男の修業の極致である。また「人事を尽くして天命を待つ」という。人事を尽くせば好い事が待っているとも限らない。思う様な結果にならないのが殆どだろう。

 そうやって誰もが死んで行く。死とは誰にでも平等にやって来る、愚生の場合、「葬式はやらなくて好い」と伝えてある。仏教徒でもないので戒名も不要。愚妻には、「死に顔は誰にも見せないで棺桶を閉じて早々に焼いてくれ」と伝えている。

「年忌法要」や「偲ぶ会」なども煩わしいし、愚生のことなど忘れて欲しいので身内や友人らにも申し入れしている。守らないヤツには化けて出るつもりだ(笑)

 愚妻や倅だけに死んだ後のことを言ってたところで、日頃付き合いもない親族や知人から、「何でやらないんだ」と文句を言われるだろうから、親戚や知人にも予め言っている。追追、文書(最期について)で伝えておこうと思っている。

 仏教徒ではないが般若心経くらいは諳んじられる。中でも最後の「羯諦(ギャーテー)羯諦(ギャーテー)波羅羯諦(ハラギャーテー)波羅僧羯諦(ハラソーギャーテー)菩提薩婆訶(ボージーソワカ)般若心経」というラップ調の響きが好きだ。

 聞いてても、唱えていてもラップみたいで心地好い。意味は「さぁ皆一緒に真の幸せの世界に行こうではないか」という呼びかけだが、死の世界から戻った者はおらず、彼の世っていうのは意外と好い世界なのかも知れない。呵呵大笑。

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2023年03月17日

「葉隠聞書(葉隠)」は優れた道徳規範の書

 誰にでも座右の書というのがあると思う。愚生の座右の書は、大学時代のバイブルでもあった「嗚呼・花の応援団」だろうか。座右の書ではないが「徒然草」や「葉隠」は好きだ。「葉隠」の正式名称は「葉隠聞書」「葉可久礼」ともいう。佐賀藩士・山本常朝が、同藩の田代陣基(つらもと)に語った口述記録である。

「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」という一節は有名だが、一般に「武士道」というと新渡戸稲造の「武士道」と共に「葉隠」を思い出す人は多い。そして「葉隠」から思い出すイメージは右翼的であり、忠君愛国的というものだ。「葉隠」は親鸞の「歎異抄」と共に、学徒出陣で戦地に赴いた学生達に最も読まれた本でもある。

 それは「歎異抄」が「死の平安」を語り、「葉隠」が「死の覚悟」を語ったものだったからだろう。冒頭での「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」だけが独り歩きし、「葉隠」を読まずに「危険な書」だと思っているのではないだろうか。

 三島由紀夫は、葉隠について「行動の知恵と決意が自ずと逆説を生んで行く、類の無い不思議な道徳書。如何にも精気に溢れ、如何にも明朗な人間的な書物」と語っている。確かに「葉隠」は「死に狂いの思想」と云われている様に狂信的な処も多いが、一方で現代人にも通用するものも多く非常に役に立つものだと思う。

 葉隠には、例えば「意見の仕方について」という件がある。「『人に意見してその人の欠点を直す』ということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」と教えている。

「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」

 なんと細やかな心遣いだろか。これ程の気遣いをする現代人はいないだろう。「葉隠」は「美しく死ぬか」と教え、同時に「何の為に生きるか」と説く。

 常朝は、「人間の一生なんて真に短いものだ。だから、好きなことをして暮らすべきである。夢の間の間の中にあって、嫌なことばかりして苦しんで暮らすことは愚かなることである。だが、このことは悪く解釈されては害になるので、若い人などには最後まで話すことがなかった秘伝といったものである。自分は寝ることが好きだ。だから、今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている」と説く。

 三島由紀夫はこれを「逆説」といい、「葉隠」はその裏の真実を読み取る術が要求されるとも語っている。三島の「葉隠入門」から読んでみるのが好いかも。

 封建道徳は「悪」といった概念で読む人には理解されないだろうが、武士道の世界は現代人よりも優しさに満ちた世界だったと感じる。常朝は世知に長けた人物であり「葉隠」は優れた道徳規範と処世術を教えてくれる日本人必読の名著である。

 葉隠には「自分は寝ることが好きだ。だから、今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている」との一節がある。この教えを真似している訳ではないが、団体を辞して以来、家に閉篭って、日々成るが儘に身を委ねている(笑)

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2023年03月16日

人々の心の赤字を克服しなければまた同じことを繰り返すだろう(上杉鷹山)

 道徳教育で大事なものは幼年期の「躾」であり、学んだことを如何に行動出来るかが大事。道徳教育の根本は教育勅語に示されている「忠孝の道」を確立することに在るが、幾ら教育勅語を諳んじられても実践が伴わなければ意味は無い。

 多くの日本人というのは諸外国とは違い、育つ環境の中で道徳というものを自然に感じ取っている。先日のWBC日本対豪州の戦いで、大谷翔平選手がバックスクリーンに豪快な一発を放った。このボールをいわき市在住の女子大生がキャッチした。

 ホームランボールは女子大生の手から周りの野球ファンに手渡され次々と記念撮影されたという。思い出を分かち合おうという気持ちが犇々と感じられる。

 ホームランボールは暫くして女子大生の下へ戻った。このシーンを見た外国人は「有り得ない」と驚き感激しという。何気ない当たり前なことに驚く外国人に驚く。美的感受性や道徳の圧倒的高さを有する国家は日本を措いて外に無い。

 道徳というものは教えて備わるものではないということは今回のこの行為でも理解出来る。「念仏(道徳教育)を百万遍唱えても実行、実現しなければ意味が無い」ということだ。愚生のブログの冒頭には哲学者・西晋一郎の言葉を記している。

「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」 。正に道徳教育で大事なものは国への忠誠心と親への孝養である。

 我が国は、2700年以上の歴史が続く天皇を戴く君主国家である。そして神武建国の理念は、「八紘を掩(おお)ひて一宇となす」という家族国家の形成に在る。

 日本を再生するということは、日本が欧米の様な国になることではない。日本を再生するということは、原点である「日本の背骨」を取り戻すということだ。

「日本の背骨」という原点は何であるかといえば、「君国に忠、親に孝」とである。つまり、我が祖国・日本は天皇(君)を戴き、全ての日本人(国)が、陛下の下に一つの家族となって(忠)、先祖代々続く日本人としての血統(親)を重んじて、父祖(孝)に恥じない生き方を実現し継承するということが求められる。

 我が国の貧困問題は、経済的な問題より精神的貧困の方が深刻だ。政治家を筆頭に「義」を守る者はおらず、利権に集り、私利私欲に狂奔し、カネに群がる不逞の輩ばかりなり。国家の大本を米国に委ねていながら、魂無き繁栄に現を抜かしている現代の日本人には、国防意識や愛国心以上に、道徳感覚を涵養することこそ大事。

 福澤諭吉は「木を植える譲道」として、「樹木を植えて、三十年経たなければ材木とはならない。だからこそ後世の為に木を植えるべきである。今日用いる材木は、昔の人が植えたものだ。とすれば、どうして後世の人の為に植えないで良いだろうか」と訓えている。目先の改革をやったところで何の解決も図れない。

 小手先だけの改革よりも、将来を担う子供達を如何に育て上げるかが最も重要且つ必要なことである。逼迫する米沢藩の財政を改革した上杉鷹山はこう訓えた。

「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。これを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」

 鷹山公の訓えた「心の赤字」を解消すること、つまり「心の教育」である「道徳教育」の実行であり、他人を労わる心を育む教育を如何に施すかが大事となる。

「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」と言ったのは二宮尊徳。我が国の財政を再建する上で最も大事なことは、道徳教育の充実であり、国家への忠誠と親への孝養の実践を図ることこそ財政再建と日本再生の近道でもある。

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2023年03月15日

反原発で福島を貶めた戦後民主主義の権化というべき大江健三郎が死去

「九条の会」創設者の一人で、「さようなら原発集会」の呼びかけ人でもあった戦後民主主義の権化というべき大江健三郎が死去した。ノーベル文学賞を受賞してるが、作品より護憲や自虐史観、反原発運動での左翼活動逞しい反日作家である。

 嘘に嘘を重ねたデマ宣伝が史実をでっち上げの最たるものに「沖縄集団自決軍命令説」がある。恰も事実であるかのように罷り通って来た集団自決軍命令説だが、その初出は昭和25年に沖縄タイムスから出版された「沖縄戦記・鉄の暴風」である。

 沖縄タイムス社の記者2人が、集団自決を知る関係者を那覇の旅館に集めて取材し、3ヶ月で膨大な「鉄の暴風」を書き上げた。だが、その関係者の中には誰一人として渡嘉敷・座間味の集団自決現場に居たものはおらず全てが伝聞だった。

 何故に、沖縄タイムスの記者が、GHQの占領下だった昭和25年に全島から証言者を集めることが出来たのかという疑問が残りが、その理由ははっきりしている。

「沖縄タイムス」は創刊の辞に「我々はアメリカの暖かい援助の下に生活している。この現実を正しく認識することは取りも直さずアメリカ軍政に対する誠実な協力であり云々」との文言が示す通り米軍の御用新聞として出発した新聞社なのだ。

 戦後、沖縄の人々は「日本軍は加害者であり、米軍は解放軍である」などと思ってはいなかったが、米軍(GHQ)は徹底的な検閲を行い、米軍は「解放軍」であると大々的な宣伝を行った。その有力な協力者が「沖縄タイムス」であった。

「鉄の暴風」は、日本軍加害者論を宣伝する為の出版物として米軍支援の下に発行されたのである。そうしたフィクションを大江は日本軍を貶める為に利用した。

「鉄の暴風」の中に「なお、この動乱(沖縄戦)を通じて、おそらく終生忘れることのできないことは、米軍の高いヒューマニズムであった。・・・戦いの暗たんたる記録の中に珠玉のごとき光を放つ米軍のヒューマニズム・・・」との件がある。

 この一説こそ「鉄の暴風」の正体を雄弁に語っている。体験者の証言もなしに日本軍自決命令を書いた本書は、本当は米軍宣伝書に過ぎないものなのだが、その後、遺族年金の為の根拠とされ、事実であるかの様に見做されて来たというのが真相。

 大江は、集団自決が在ったとされる沖縄の現地取材はしていない。沖縄タイムズの「沖縄戦記・鉄の暴風」を基に書き上げたインチキ本が「沖縄ノート」である。要は沖縄タイムスの記事をパクリ、作家らしく纏め上げたフィクションである。

 反米・平和を唱える大江ら反米左派集団が、米軍宣伝のデマを金科玉条の如く死守しようとしていることは滑稽極まりないが、それを信じる国民も嗤える。

「沖縄ノート」で大江は、沖縄での「自殺者」を虐殺だとして「屠殺者」に准えている。 マスコミや部落解放同盟は些細な差別表記にも異常な反応を見せるが、何故か大江の「沖縄ノート」の「25年ぶりの屠殺者と生き残りの再会・・・」という差別表現には依然として沈黙し、黙殺を決込んでいる。実に不思議な現象でもある。

 普段のクダらん差別表現を大騒ぎするのなら、沖縄での集団自決の大きな証拠となっている「沖縄ノート」も例外なく差別表現として糾弾すべきではないのか。

 評論家であり思想家の呉智英(くれ ともふさ、ご・ちえい)は、この「沖縄ノート」のと屠殺表記に驚き、「これ、いつから解禁になったのか。虐殺を屠殺になぞらえようものなら許すべからざる差別表現として、部落解放同盟と屠場労組の苛烈な糾弾が展開されたことは、言論人なら誰知らぬものはいない」と語っている。

 呉は更に、例えて1982(昭和57)年、俳優座のブレヒト原作である「『屠殺場の聖ヨハンナ』は、改題してもなお激しい糾弾に合い上演は困難を極めた。 これについても部落解放同盟などは、『誰々の作品だから差別はないと、神格化したものの考え方を一掃したい』」と言明したことまでも振り返っている。

 呉は、1987年には「沖縄ノート」と同じ、岩波書店の「報道写真家」という本の中の、「戦場という異常な状況下では、牛や豚などの家畜の虐殺と同じになる」という記述が差別表記と問題にされ、回収処分となっていることも紹介している。

 摩訶不思議なことに屠殺表記の「沖縄ノート」は糾弾もされることなく、回収されるどころかアホな裁判官が、これを「軍による集団自決命令はあった」証拠として採用し、有罪判決を出している。 大江健三郎のみが「神格化」される理由は何か?

 要は「反日」「自虐史観」では、左翼どもは共闘するということだ。大江の差別表記について朝日新聞、岩波書店、部落解放同盟らの所感を聞きたいものだ。

 大江といえば、東京電力福島第一原発事故を利用して福島を貶めた一人。反原発運動に洗脳された連中が原発事故への流言蜚語を垂れ流し、福島県や福島県民への要らぬ差別を生み出した。彼の世で己の生前に冒した妄動を猛省しなさいな。

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2023年03月14日

乱れた箸使いは乱れた食卓にあり。食文化の崩壊が国家の崩壊を招く。

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 グルメ番組やケンミンショーなどで全国各地の美味しい料理などが紹介され、それをタレントらが食べるシーンが映し出される。汚らしい食べ方も興ざめするが、気になってしまうのが箸の持ち方。正しい持ち方をしている人は意外と少ない。

 口々に「おいしい!」と言ってはいるが、見ている側としては食べ方も箸の持ち方が下手クソなので美味しくは見えない。箸の持ち方も日本文化の一つであり、作法までキチンとしろと言わないまでも最低限の作法は身に付けるべきだ。

 例えば、ゴルフのスイングもレッスンプロなどに指導され、それを直そうと思うと却って打ち難くなる。自己流のスイングでも差し支えなく打てるので、ぎこちないスイングの儘で固まってしまう。ゴルフに限らず他のスポーツも同じこと。

 何事も意識して続けてれば直ります。要は、直そうとする意識に乏しいか、恥ずかしいという意識が欠落してるだけ。因みに、箸の持ち方というのは筆やペンの持ち方と同じ。箸使いの下手な人というのは往往にして字も下手くそなのが多い。

 食事の作法や箸の持ち方も満足に出来ない人が氾濫していることは、日本文化の崩壊の序章でもあると言っても大袈裟な話しではない。箸置きがあるなら箸置きに置くという、そういう当たり前のことが何故に出来なくなってしまったのだろう。

 食事や酒席でよく見るのは箸置きを使わない「渡し箸」とか「握り箸」というか、箸を持つ親指が上に向けて使っている人。上手に持てないだろうが、器用に食べてるのを見ると苦笑してしまう。料理を持てるから気にしないのだろうが見てて醜い。箸使いや作法が悪い人を見るとそればかり気になって食事どころではない(笑)

 愚生の場合、別に詳しく教わった訳ではないが、親や兄弟の箸の持ち方を見てれば自然に身に付くもの。やはり育った環境は大きく、乱れた箸使いは乱れた食卓にあり、親が箸使いが出来ないか単に甘やかされて育ったということだ。

 箸使いもロクに出来なかった故安倍首相が、農業改革を叫んでたがやってることは農業解体そのものだった。「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」「農業競争力強化支援法」を可決した安倍自民党に、農業改革を唱える資格無し。箸使いが下手くそな安倍ちゃんが、これらの売国法案を可決したことは然もありなん。

 保守派や自称愛国者にも箸使い一つロクに出来もしないで、「やれ韓国が~」「やれ北朝鮮が~」と騒いでいるのが多い。朝鮮人やシナ人が上手に出来て、それを批判する自称愛国者らが出来ないというのは情けないやら、嗤えるやら(苦笑)

 その国の食文化の崩壊が国家の崩壊を招く。豊葦原瑞穂の国に生まれた日本人としてもう一度、ご飯を主役にした食卓を囲み、日本らしい食文化を再興することが大事であると思う。箸の持ち方や食べ方の作法は和文化の代表的なもの。

 日本人として大事な作法の一つだと思っていますので同じ様な記事はちょくちょくアップしてます。福井県越前市に「はし和文化研究会」という団体が在る。

 箸使いや作法を通じて和文化(日本の歴史・文化、和の心、礼儀作法、躾)を学び深めようと活動しているグループで、その素晴らしい活動は刮目に値する。

 箸の使い方が下手クソな自称愛国者や保守派は勿論、和文化研究に興味のある方は下記のアドレスをクリックしてみて下さい。http://hashiwabunka.jp/

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

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2023年03月13日

地方議員の成り手不足を「議員報酬の低さ」を理由にする痴呆議会

「議員の成り手不足」が顕著となっているという。政治への関心が薄れてる中で、無競争当選や投票率の低下が止まらない。つまり、政治不信の現れでもある。

 成り手不足の対策として「議員報酬の引き上げが有効」との意見がある。「生活出来る報酬が必要」とか「若者にとって魅力のある職種にする」という。だが、現在の地方議員で生活に困窮してる者はいない。なのに更に報酬引上げとはえげつない。

 議員というのは究極のボランティアであるべきで、一般の職業と同じくカネの問題と考えるのは如何だろう。成り手不足や議員生活の不安理由を議員年金や議員報酬の低さを上げるのは、議員そのものの質の低下を如実に現している一例だろう。

 議員の役割というのは行政のチェックと提案機能である。だが、地方の議会運営は議員の固定化が進み、旧態依然の議員には新しい時代を読み解く考えが弱く、現行の地方自治法の中で十分にその役目を果たされているのかといえば疑問だらけ。

 議会では同じ顔の連中が集まり、なあなあな議会に終始してしまっている。議会が平日の夜間や土日に開催されるならば、様々な職種から様々な資格を持つ人が参画出来るし、専門知識を議会で議論しあえれば実りある議会となるだろう。

 悲しい哉、先進国である我が国は未だに日中の議会に拘り、議員らは当選すれば偉くなったと勘違いし、高給を頂き乍ら、滅私奉公の矜持も持ち合わせず、地方自治の何たるかも学ぶこともなく、旧態依然の議会運営が繰り返されている。

 総務省の有識者研究会では小規模な町村議会などを対象に、議員の兼業・兼職制限を条件付きで緩和するなどの地方議会刷新を提言している。愚生は「小規模な町村議会や条件付き」ではなく、各自治体の議会議員全てに当て嵌めるべきと考える。

「多数参画型」や「集中専門型」の導入に拠って地方議会の活性化を促すことは大いに結構なことだ。特に「多数参画型」は、議会は平日の夜間や土日に行い議員報酬を抑制する。諸外国では地方議会というのは夜間や休日に開かれることが多く、幅広い住民自治が行われている。報酬もボランティア的要素が強く薄給である。

「集中専門型」は、議員数を減らす代わりに兼業・兼職制限は維持し、報酬も相応にするというもの。議会と住民が議論する場を設け、議員削減に拠る弊害を無くして民意を反映出来る様にするという。議員の成り手不足を、議員報酬の低さや報酬や年金で議員の生業を維持しようというのは「集中専門型」の部類である。

 議会と住民が議論する場は少なく、議員の報告会などといった議員からの一方的な報告というものばかり。選挙というのは民意の結果だが、更に住民との議論で民意を反映されるというのは専門型とは言い乍ら矛盾している様にも思える。

 地方自治法や公職選挙法を改正し、兼業・兼職制限を撤廃し、議員報酬を引き下げ、議員数も減らして平日の夜間や土日に議会を開催するとなれば、報酬目当てや肩書が欲しいだけの上昇志向著しいさもしい輩らが全て消えて行くだろう。

 何より、選挙カーでガナリ立てる意味のない選挙制度を取り止め、投票もインターネット投票やコンビニなどでも投票出来るシステムを構築し、「該当者なし」の項目を設け、投票も余程の理由がない限り義務化すべきだと思っている。

 議員定数は地方自治法で決められてる議員数を上限とし、選挙投票は義務化して「該当者なし」の割合で議員定数をカットすることで民意が反映出来る。

 更に、議員とは奉仕の心を以て行う究極のボランティア活動であるという認識を共有すべきで、民生委員や保護司と同じく名誉職にするべきだと思う。

 自治体の財政事情を考えれば、安定収入のある人が最低限の報酬でボランティア的に議員活動するのが望ましい。政治家に求められるのは「滅私奉公」唯一つ。政治家必携の本である「南洲翁遺訓」の第四条や第十六条は政治家の心構え。

  万民の上に位置するものは己を慎み、
 品行を正しくし贅沢を戒め、倹約に努め、
 職務に努力して人民の見本とならねばならない。
 そして民衆がその働きぶりを見て、
 「気の毒だなぁ」と思うようでなければならない。(第四条)

  道義心や恥を知る心を失っては、国を維持する方法は有り得ない。
 上に立つ物が下の者に対して利益だけを求めて正しい道義を忘れてしまうと、
 下の者も見倣って、人の心は皆金儲けの方ばかりに向いてしまう。
 上に立つ者は常に下の見本で有らねばならない。(第十六条)

 今どきの議員を見て職務に努力した働きぶりに「気の毒だ」と感じる人はいない。議員のなり手不足の理由を議員報酬の低さだとか、議員年金を無心する姿を目すると、「育ちが悪い」「さもしい連中だ」と感じてる有権者が殆どだろう(苦笑)

 議会の改革は何も地方議員だけのことではない。衆議院とは違う、政治的良識に立ち俯瞰した立場で審議するべき参議院は今や衆議院と同じ政党が同じスキャンダラスな国民不在の政争を繰り返すばかり。参議院くらい無駄なものはない。

 参議院とは「貴族院」の名残り。旧帝国憲法下では、貴族院の議員の一部は満30歳以上の男子で国家に勲功がある者や学識のある者の中から勅任された勅選議員だった。だがどうだろう、現在の参院議員に「天皇に選ばれし者」との自覚は無い。

 参議院の廃止と議員特権の見直しは当然乍ら、政治劣化の元凶とも言える政党交付金制度を廃止するべきだ。議員が敢然と実行すれば役人も右倣えするだろうし、国民から尊敬もされるだろう。正に「政治家は隗より始めよ」を垂範せよ。

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2023年03月12日

小西洋之の敗北が決定しリークした公務員も四面楚歌(笑)

 小西洋之と高市早苗経済安全保障担当大臣との「放送法の政治的公正の解釈」に関する行政文書を巡りバトルは、総務省が行政文書と認め小西が勝ち誇っていたが、総務省が文書の精査結果を「制作者が不明である」「発言者への確認なし」と発表したことで捏造が濃厚となり小西の敗北が決定。リークした公務員も四面楚歌。

 小西の御友達の西潟暢央、長塩義樹、安藤英作、平川薫の4名は国家公務員法違反 の疑い濃厚。高市大臣から「捏造じゃ無かったら辞任する」との言辞を引き出し自慢げだった小西だが、逆に議員を辞任する状況に追い込まれる可能性もある。

 小西は総務省の精査に「違法行為を誤魔化す為のものだ」と疑問を呈し批判しているが、立証責任は己に在るのだから自分で文書の正当性を訴えれば好いことだ。

 行政文書の安倍元首相の会話内容が真実なら、首相補佐官や首相秘書官らもスパイ行為となる。行政文書が内容が捏造なら、国家の安全保障上からも重大な事態であり、岸田文雄首相は、危機管理上から徹底して調査・検証するべき問題である。

 問題の行政文書は当時、安倍晋三首相の補佐官だった礒崎陽輔が、放送法で定める政治的公平性の解釈について総務省との意見交換した際に「昭和39年の政府解釈では分かり難いので補充的説明をしてはどうか」と進言したことに始まる。

「一番組でも、選挙の直前に特定候補者のみの特別番組を放送したり、国論を二分するような政治課題について一方の意見のみを支持する放送を繰り返したりするなど極端な場合は、政治的公平性を確保としているとは言えない」との首相補佐官の意見に、総務省側が行政としての意思決定過程を検討したもので機密文書ではない。

 高市大臣は問題の行政文書に関して「私に関する4枚の文書については精査した結果、不正確(捏造)だと確信している」と強調していることでも杜撰さが分かる。

 あろうことか小西は、行政文書を捏造だ繰り返す高市大臣に対して「大臣は捏造であるかの挙証責任は高市大臣が負うということでよろしいか?」との質問に及ぶ。

 高市大臣は「立証責任が私にあるという委員の話はおかしくないか?正確なものだと反対に委員が正して立証してくださいよ」と応えてるが、これは正に「悪魔の証明」であって、追及側である小西が立証責任を負うという原則を理解していない。

 高市大臣は、「礒崎補佐官が放送法に興味をお持ちだったりというような事については私は全く知りませんでした、今年3月1日ぐらいに小西議員が資料を配布されたという事で私にも通告がまいりました、その時に初めて礒崎さんの名前を知りました」と答弁すると、「高市は大噓つき」とのハッシュタグが付けられ批判されてた。

「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に唯感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否というような柵を乗り越えることは、欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも千倍も困難である」とはアドルフ・ヒトラー。

「礒崎さんの名前を初めて聞いた」と切り貼りしてるが、「礒崎さんの名前を初めて知った」というのは前の文章から、「小西文書に礒崎補佐官の名前が出てることを初めて知った」ということは理解出来るだろうに、高市を貶めるのに躍起(苦笑)

 左翼勢力というのはこうしたえげつない手法を用いるのは常套手段であり、一般大衆の安っぽい正義感を煽って怪しい世論を形成する。正に左翼活動家の面目躍如だが、日本に生まれ、日本の恩恵を享け乍ら祖国を貶す神経には嫌悪感しかない。

 今回の行政文書問題の裏には、セキュリティクリアランスやスパイ防止法、NHK民営化などの保守政策を訴える高市失脚を謀る勢力が蠢いているのは確かだろう。

「セキュリティ・クリアランス」とは、国家機密などの情報を扱う政府職員や、関連する民間企業が職員を採用する際の判断基準となる資格。その人が機密情報を扱った場合、情報漏洩させたり悪用したりしないかどうかの適格性を審査するもの。

 国家機密に関わる公務員や関連会社の職員の帰化歴などを調べ、工作員を排除する仕組みを構築しようというもの。今回の小西文書の漏洩問題は、セキュリティクリアランスを導入する必要性があると思わせてしまったことは皮肉な結果である。

 暴漢に襲われ亡くなった安倍元首相の国葬ではノスタルジック左翼と極左が「国葬反対」を叫んだのは記憶に新しい。正しく祖国日本の敵の正体が顕わになった。

 安倍元首相が斃れたことで左翼勢力が活発化し、国内の破壊活動が巧妙化してるが、高市への執拗な嫌がらせも保守政治家潰しである。左翼活動家に因るカタチを変えた「共産社会」の実現が着々と実行されていることに危機感が募るばかり。

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2023年03月11日

3.11以降、福島県内で極左が勢力を拡大している

 12年前の今日、午後2時45分、国会中継を見ていると「緊急地震速報」のテロップが流れてその数秒後、「ゴー」という不気味な地響きと共に部屋が大きく揺れた。

 直ぐに止むと思っていたその揺れは収まるどころか更に強まり、あっという間に部屋中の物が散乱した。経験したことのない長くて強い揺れだった。

 数十秒の間隔を置いて約5分間激震が続いた。近所の人達も集まって不安げに推移を見守っていたが、16歳過ぎた老犬を抱いて家を出ようと思ったが借家は「ペット禁止」、出ることも儘ならない。揺れが収まるの部屋でをじっと待った。

 未だ強い余震の続く中で、部屋を見渡すと「足の踏み場もない」とはこのこと、物は散乱し、天井は歪み、サッシ戸や窓という窓は殆どが開き放しで、風呂場の壁は剥がれ落ちた。そんな中でもケガもなく無事だったのは幸いだった。

 愚妻に連絡を取るも携帯は繋がらない。mixiやtwitterなどのSNSをやらせとけばと悔やんだが仕方ない。散乱した物を少しずつ片付けながら帰りを待っていると数時間後、倅夫婦と孫を連れて帰って来た。無事な様子に安堵したものだ。

 福島県内では原発事故以来、中核派ら極左や左翼団体が原発被害を利用し勢力を伸ばし、NPOやNGOを隠れ蓑に左翼のクソどもは行政にも入り込んだ。復旧が遅れているのは、政治家の怠慢も然ることながら、その元凶には左翼の煽動がある。

 過去の遺物でしかなかった中核派・前進社が福島大学を拠点にして勢力拡大を謀っている。更には「子どもたちを放射能から守るネットワーク」などのプロ市民が県内に巣食い、反原発を煽り、子供の被害などを口実に行政側に圧力を強いる。

 中核派ら極左はアジビラやアジ演説で、純粋な若者の正義感を利用し煽動する。その内容と運動形態は内容は昭和30年代のノスタルジック左翼そのもの。

「沖縄と思いをひとつに、帝国主義の核と戦争で命を奪われてきたすべての人びとの思いを背負い、福島から全国・全世界へ〈核と原発をなくせ!〉と叫ぼう! 」

「福島の怒りと行動は必ず安倍・自民党を打ち倒す」「3.11を、福島から安倍にトドメをさす日としよう!」 「労働者、農漁民、母親たちは福島の若者の登場を待ち望んでいる。家や母校を奪われ、家族や仲間とバラバラにされ、未来を描くことさえ奪われた人びとの希望となり、福大生は立ち上がろう!」「300万学生、6千万労働者、270万農漁民……、あらゆる人びとと結びつき3.11反原発福島行動を大成功させよう!」「福島大に闘う学生自治会をよみがえらせよう!」・・・

 三島由紀夫は「文化防衛論」で「もし革命勢力ないし容共政権が成立した場合に、例えたった一人の容共的な閣僚が入っても、もしこれが警察権力に手を及ぼすことが出来れば、忽ち警察署長以下の中堅下級幹部の首の挿げ替えを徐々に始め、或いは若い警官の中に細胞を潜ませ警察を内部から崩壊させるであろう」と予見した。

 巧妙化する左翼運動と極左の破壊活動を取り締る警察は三島が危惧した様に左翼の手に堕ちた。保守派の象徴であった安倍晋三元首相は左翼マスコミの煽りもあって、安倍難しからの反対派も多かったのに身辺警護が手薄になったのは何故か。

 以前、安倍にヤジを飛ばしたり、プラカードを掲げた極左活動家を排除したことがあった。警備上当たり前の措置であるが、左翼勢力は「過剰警備だ」と告発し裁判沙汰にされたことで、ビビった警察官僚が警備体制を緩めたことが裏目になった。

 三島は更に「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対する」と訴えた。

 偏向報道を是正せず論点を摩り替え、高市早苗への執拗な抗議は正に左翼勢力に因る保守潰しである。左翼の繁殖は我々が想像してるより深刻。今こそ三島精神を想起し、亡国的な企画や政策と反日・売国活動に徹底対峙して行かねばならない。

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2023年03月10日

俗物根性丸出しで上っ面だけを取り繕ってる輩が苦手(笑)

 危機的財政の中でも気合が入らないのは老化の所為だろうか。金策のことを考えると精神的に悪いのでマメにブログを更新して気を紛らわせている。今年になってからは毎日アップしてる。閑なので筋トレする時間が多くなり筋肉も史上最高(笑)

 政治の現状を憂い、若手活動家らに少しでも示唆に富んだ蘊蓄を綴ろうと、徒然なるまゝに筆代わりにキーボードを敲いてはいるが、そんな政治批評なんかよりも眼前に在る危機的不如意こそどうにかせねばならないと痛感するが、努力に乏しい。

 閑話休題。思想家や哲学者と言われる人物の中では西晋一郎が好い。西の西田幾多郎、東の西晋一郎と共に「両西」と言われた重鎮で、昭和天皇に論語の「漢籍」の進講をされたこともある、戦前の日本を代表する哲学者である。

 拙ブログの冒頭には西晋一郎の、「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」との言葉を記している。

 西晋一郎の言葉は単純故に心を打つ言葉に溢れている。「教えるとは実に教えられることである」という言葉があるが、子育てで知る親の思いや、生徒を教え乍ら実は教わっていることを悟る先生の思いを簡単且つ明快に表している。

 愚生は、俗物根性丸出しで上っ面だけを取り繕ってる輩が大嫌い。右翼にも陽明学や四書五経をひけらかしている先生方がいるがどうも苦手である(笑)

 そこから発せられる言葉は請売りの衒学臭いものばかりで、故に全く響くものがない。そんな本人らは右翼浪漫派と思ってるらしいが、勘違いも甚だしい。

 実践の伴わない言葉は確かに綺麗ではあるが、重みを感じない。例えば、教育勅語を諳んじれたとしても、夫婦や兄弟や友人との仲が悪かったり、「恭倹己を持し」と言い乍らもオレがオレがとしゃしゃり出て来るナンチャッテ右翼ばかり。

 道徳の授業が満点でも実践しないなら意味はない。困ってる人がいたら手を差し伸べるというのは頭では理解しても、行動が伴うというのは意外と容易ではない。

 愚生も、ブログやSNSに衒学臭げな蘊蓄を綴ってはいるが、啓蒙というには烏滸がましい。ブログやSNSは備忘録というより、日々書く綴るということで、また反論することで自分自身の思想や理論形成に役立つならそれに越したことはなし。

 哲学者というか、陽明学者であり、思想家としても夙に有名なのは、「昭和最大の黒幕」と評された安岡正篤だろう。だが、安岡の言葉というのは確かに立派なものが多いが、愚生には伝わってないというか、余り心に響かないのは何故だろう。

「知行合一」を身上とする陽明学者である安岡が、晩年は銀座のママの色に溺れ、糟糠の妻を裏切ったということがどうも気にかかってしまうのだ。晩年、「安岡は認知症だった」という話も聞く。だが、認知症患者が銀座に足繁く通うとは思えない。

 要は、若い頃に遊んでいないから、年老いて安っぽい女に狂ったのだろう。そういう意味では、我が国の至宝ともいうべき安岡と雖も、愚生と変わらないスケベなおっさんだったということだ。そう考えれば、親近感が湧かないでもないが(笑)

 安岡を手練手管で陥れたの女性こそ、銀座のクラブのママだった細木数子である。ヤクザの情婦だった細木は、政財界に顔が利く安岡を利用し、裏社会から、表舞台に伸上がり、後にインチキ占い師としても大成功を収めることとなった。

 偉人の含蓄のある言葉にしても、陽明学や四書五経にしても、感じ入ったら如何に身に着けて実践するかという努力が大事。実践が伴なわければ、単なる請売りの上っ面の学問でしかない。実践して失敗しそこから何を学ぶか、そこが問題。国士舘の「読書」「体験」「反省」「思索」の四徳目は実に理に適っている。

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2023年03月09日

国民の敵・小西洋之VS保守政治家・高市早苗

 国民の敵・小西洋之と自民党・高市早苗との総務省の「放送法の政治的公正の解釈」に関する行政文書を巡りバトルが話題となっている。小西が行政文書の存在を楯に高市大臣の辞任を要求。一方の高市は「捏造じゃ無かったら辞任する」と応じた。

 野党はこの問題をモリカケ問題と同じく政権批判の道具に利用する。森友学園問題は籠池泰典の詐欺事件。加計学園問題は前川喜平の公務員法違反と言うべき妄言から始まった。捏造文書の流出は「虚偽公文書作成罪」違反が濃厚だが高市が標的に。

 何故に8年も前の行政文書が今更乍ら発覚し問題となっているのか不思議なことだ。行政文書の中身(高市大臣と安倍首相のやりとり)が捏造の疑いがあり、文書の存在が事実だとして高市を責め、辞任を要求するのは主客転倒と言う他は無い。

 問題の行政文書は当時、安倍晋三首相の補佐官だった礒崎陽輔が、放送法で定める政治的公平性の解釈について総務省との意見交換した際に「昭和39年の政府解釈では分かり難いので補充的説明をしてはどうか」と進言したことに始まる。

「一番組でも、選挙の直前に特定候補者のみの特別番組を放送したり、国論を二分するような政治課題について一方の意見のみを支持する放送を繰り返したりするなど極端な場合は、政治的公平性を確保としているとは言えない」との首相補佐官の意見に、総務省側が行政としての意思決定過程を検討したもので機密文書ではない。

 高市大臣には問題の行政文書は届いていないし、礒崎補佐官が放送法に興味があったことを今回の騒動で知ることとなった。「私に関する4枚の文書については精査した結果、不正確(捏造)だと確信している」と強調していることでも杜撰な行政文書であることが分かる。小西はリークに浮足立って、検証を怠ったのだろう。

 今回の問題の裏には、セキュリティクリアランスやNHK民営化を訴える高市失脚を謀る勢力が蠢いているのは確かだろう。秘密文書ではないから機密保護法には問えないが、刑法156条「虚偽公文書作成罪」で立件するべき事案である。

 小西に内部文書をリークしたのは、正義感からのものなのであれば堂々と名乗り出て真意を語るべきだろう。小西は犯罪行為を自覚した上での確信犯。そんなこともあって「文書の正確性の精査中止を要求」するなど火消しに躍起になっている。

 行政文書の内容が真実なら、官邸執務室での安倍首相の会話が、首相補佐官や首相秘書官らに拠って省庁に詳細に報告されていたことでありスパイ行為に等しい。

 今回の問題は単なる文書の真贋より、国家の安全保障上からも重大な事態であり、岸田文雄首相は、危機管理上から徹底して調査・検証するべき問題である。

 抑々、行政文書で問題にするべきは政治の公正性ではなく、マスコミの目に余る偏向報道や報道の公正性をどうするのかということであって、行政文書が正式なものだとか、行政文書を楯に議員辞任を要求するというというそんなことではない。

 高市早苗が総務相時代、目に余る左翼マスコミの偏向報道に対して「国は放送局に対して電波停止出来る」という至極真っ当な発言をしたことがあった。この高市発言に対して抗議の声を上げていたのは、いつもの左翼ジャーナリズムどもだった。

 反対する左翼マスコミやポンコツジャーナリストらは「知る権利」を翳し、「現憲法の精神に反する」と煽動してたが、彼らの「知る権利」とは何なのだろう。

 NHKやTBSにしろ、朝日新聞にしろ、GHQが謀った「言論統制」から未だ覚醒せず、自虐史観から脱却出来ずにいる左翼マスコミやポンコツジャーナリストが「知る権利」などとは痴しく、「社会の木鐸」としての誇りなんぞ微塵も感じない。

「木鐸」とは、「世人に警告を発し、教え導くこと」にある。自虐史観にどっぷり漬かった彼らは、贖罪意識から中韓に媚び諂い、現憲法を金科玉条の如く崇め奉り、我が国の国柄を崩壊させんが為に走狗と化してしまっているではないのか。

 確かに、憲法21条では「報道の自由」が保証されている。だがこれは、記者らの礼儀を欠いた取材活動や報道を保証するものではない。自由を穿違えるなっての。

 放送法第1条第2項には、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と謳われ、同法第4条第2項には、「政治的に公平であること」、そして同条第4項には、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と記されている。

 新聞倫理綱領にも「言論・表現の自由の下、高い倫理意識を備え・・・」「言論・論評の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなくてはならない」と記されている様に、傲慢になりがちな記者を諌める為のものでもある。

 だがどうだろう、高市発言を論うジャーナリスト諸公に高い倫理意識など感じることもなく、とても品格を重んじてるとは思えない。 ワイドショーなど傍若無人な礼儀を欠いた報道は日本の品格を貶め、国民の倫理意識を低下させ続けている。

 胡散臭げな行政文書を持ち出して不毛な議論をしてないで、放送法の陋習と偏向報道を検証し、放送局に関して政治的中立性や公平・公正さを徹底させるべきだ。左翼マスコミとポンコツジャーナリズムを糺すことは日本再生の道でもある。

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2023年03月08日

ビラ貼りは右翼活動の基本中の基本でビラ貼りから多くを学んだ

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 Twitterで懐かしい電柱のビラを見つけた。愚生が所属する前の防共挺身隊の都内の張り巡らされてた「恐怖!共産政権」のビラ。今見ても秀逸なビラだと思う。

 防共挺身隊こそ街宣右翼のパイオニア。軍歌を流すスタイルは、初代総隊長の福田進が都知事選に立候補した際に目立つ方法はないかと「チャンチキおけさ」を流したのが始まり。それを愛国党の赤尾敏がパクリ、軍歌を流し他の右翼が模倣した。

 今でこそ街宣右翼というと、それこそ自称愛国者らに「朝鮮右翼」と詰られるが、戦後の混乱期、様々な右翼の活動も知らずして偉そうに語るなっての(爆)

 ビラも愛国党と防共挺身隊の二団体が図抜けていた。日の丸をイメージした愛国党の蘊蓄が書かれてあるビラよりも目立ち、黄色と黒のビラには「このビラを剥がすと憲法19条並びに21条に抵触し罰せられます」との一文にセンスを感じた。 

 ビラ貼りは右翼活動の基本中の基本で、ビラの内容と警察の取調べから多くを学んだ。当時は電柱に貼り付けてパクられても3000円程度の科料ということもあり、右翼活動家らは競ってビラを貼り、ビラ貼りでの検挙歴を自慢したものだ(笑)

 ビラ貼りで逮捕された誰かが控訴した。最高裁で電柱へのビラ貼りが「思想信条の自由と表現の自由である」と無罪判決が下されると、東京都を始めとした自治体は屋外広告物条例を制定。その結果、罰金も高額となってビラ貼りも廃れて行った。

 昭和40年代から50年代初頭の防共挺身隊のビラは秀逸で、その中でもキリスト教信者の若い女性らを洗脳し、共同生活を送っていたイエスの方舟(千石イエス)がバッシングされてる中で、「おっちゃん頑張れ!」とのビラは、主張とは真逆に信教の自由を侵す護憲派であるマスコミへの痛烈な嫌味だったなぁ(笑)

 昭和47年、田中角栄が日中国交を回復し、パンダを友好の証として中共政府から贈られる際には「パンダ一匹200億」とのビラが都内に貼り出された。対中共外交はパンダから始まり、ODAでの利権を漁る政治家どもが中共に諂って行った。

 国民が飢えている中で、皇族が千葉の御料牧場で狩りに講じていることに国民意識との隔絶を感じ、皇室批判の「国民は飢えておるぞ!」とのビラを貼ると、それによって御料牧場での狩りが控えられることとなったという逸話もあるという。

 愛国党のビラでも、靖國神社に御親拝しない陛下へ苦言を呈したものもあったと思ったが、そういう意味では最近の自称愛国者や保守派の歪な尊皇精神の現われでもある、親しみばかりを強調する皇室論も何処か穿違えている様に感じてならない。

 当時のビラの記載責任者は桶忠(通称・おけちゅー)参謀が中心で作られていた。桶さんは日大中退のインテリで、愚生が入隊してからも街宣運動の責任者として活動していたが、初代総隊長の引退と共に退き、酒に溺れて幽冥境を異にした。

 当時、桶さんは若手右翼活動家として雑誌などにもよく登場していて、座右の書はアドルフ・ヒトラーの「我が闘争」と語っていた。愚生にも「あれは面白いよ」と言ってたので購入して読んではみたが、さっぱり分からなかったっけ(笑)

 当時の本部道場は世田谷区砧に在り、後に、たけし軍団に入るガダルカナルタカやつまみ枝豆が、修善寺出身の先輩を頼って道場に居候してた時期もある。

 初代総隊長が引退して二代目体制になり、桶さんの後継に川口支部の今野さんが行動隊長として運動の責任者に就いていたが、活動資金が渇し先細りになって行く。

 二代目早坂光夫総隊長の下、對馬則政が行動隊長に就く。そこで、郡山市で細々と活動していた愚生に「運動の責任者として週に二日、やってくれないか」との要請があり、毎週木・金曜日に官公庁への抗議や新橋SL広場での街頭演説を始める。

 この時、愚生31歳。その後、行動隊長を経て総隊長代行に就いた。街頭演説の他にビラも復活して都内に貼らせた。「靖國神社国家護持」や「教育問題」など、他にも故郷・二本松市霞ヶ城址の「戒石銘」を引用して「政財官界粛正」を訴えた。

 49歳で四代目総隊長に就くも、弘道会入りした前任者の對馬則政との蟠りもあって、間もなく実態不明の執行部の名で除籍処分となった。除籍後は郡山市で蟄居しつつ、正統右翼浪人として右翼人としての在るべき姿を追及して現在に至る。

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2023年03月07日

朝鮮民族特有の精神疾患でもある「火病(ファビョン)」

 日本政府は韓国人元徴用工訴訟問題を巡り、韓国政府に譲歩し対韓外交を見直す意向だという。1965年の日韓請求権協定を締結し、解決済みの問題を蒸し返す国へ謝罪や反省を繰り返す日本政府というのは学習能力が欠落しているとしか思えない。

 更に日本政府は、2019年に発動した半導体材料の対韓輸出規制を解除して、「ホワイト国」に再指定するという。過去の自衛隊対艦哨戒機への火器照射問題など、安全保障を脅かす状況が改善されていない中での再指定は如何なものか。

「ホワイト国」とは、貿易の輸出管理体制が厳格に行われていると日本政府が認めている国で、大量破壊兵器や通常兵器の製造に使われる物品、技術や部品が内蔵されている製品が軍事転用される恐れの少ない国のことの総称のこと。韓国は友好国なのか。親日派と批判されてる尹錫悦大統領への御祝儀だとしたら主客転倒である。

 軍事転用の恐れのある半導体や有機ELの輸出に対し、国連安全保障理事会で「日本製半導体や軍事転用可能な部品などが韓国経由で北朝鮮に横流しされてる」と指摘されている。疑惑が晴れてないのに輸出審査の優遇措置とは厭きれるばかり。

 日韓併合や歴史認識での日本側の一方的な譲歩や甘やかしが、韓国人の驕りと高慢さを生んだことを忘れたのか。況してや韓国人の「反日」は不治の病でもある。

 精神疾患の一つに火病(ファビョン)がある。精神的苦痛や衝撃後に、不当さ、侮蔑感、挫折感、無力感などが持続的に頻繁に現れる不適応反応の一形態で、憎しみと憤怒の感情状態が長く続く障害。朝鮮民族特有の文化依存症候群(民族病)。

 米国精神医学会(APA)が作成した精神病の診断基準である「DSM‐IV‐TR(精神疾患の診断・統計マニュアル)」にも登録されている。火病は「鬱火病(ウルファビョン)」とも呼ばれ、怒りの抑制を繰り返すことでストレス障害を起こす精神疾患。精神医学的には、衝動制御障害の一種である「間欠性爆発性障害」のこと。

 朝鮮人の8割以上に抑鬱症状があり、会社員の9割、18歳以上の10人中1.5人に精神疾患が見られ、成人男女の半数以上が憤怒調節障害だというから驚く。

 韓国人を見ると分かるが、チョッとしたことで突然激怒してしまい、その怒りを抑えられなくなる障害で、相手の人や、その人の持ち物を攻撃するという症状が出る。韓国の成人の半分以上が、憤怒調節に困難を感じているというから恐ろしい。

 竹島問題でもそうだが、韓国では「自国の主張は全て正しい」「自己主張をきちんとしなければならない」という教育が徹底して行われている。冷静な判断力が備わっていれば、相手の主張に対して指摘出来るが、教わったことと違うこと、自己主張が通らない現実にぶつかった途端に、怒りが湧き出し節制が効かなくなってしまう。

 韓国は、古代朝鮮の歴史書である「三国史記」に、鬱陵島の西隣に在る「干山島が新羅の領土」と書かれていることを歴史的論拠に領土主権を主張する。だが、その歴史書の古地図での干山島は、鬱陵島の西に接近している島だと誰でも分かる。

「独島=竹島」は、鬱陵島の東南92キロに在る島なのだから「干山島が独島である」との主張は無理がある。こんな判りきった事実が存在するのにそれを否定し領有権を主張している。それに反論したものなら怒り心頭に達し火病る(笑)

 また、韓国は1945年8月15日を光復節=韓国政府樹立日とし、1919年3月1日の上海で宣言された「大韓民国臨時政府設置」を建国日と教えるがこれも嘘だ。

 終戦後、GHQに拠り半島に戻ることを許される。戦勝国が国連を創り、1947年に米国監視の下に南北朝鮮総選挙で統一政府が樹立されるもソ連が北朝鮮側へ介入。1948年8月13日、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言したのはその3年後だ。

 韓国人は、「大韓民国臨時政府」の1919年3月1日を大韓民国のルーツであり、朝鮮半島の一体性を象徴するものだと信じている。「大韓民国の建国」「大韓民国政府樹立日(光復節)」「大韓民国政府樹立」という言葉が複雑に入り組んだ論争となっているというが、共通してるのは日本帝国主義からの独立と抵抗である。

 韓国のこうした嘘や矛盾を指摘したものなら怒り狂って反撃されるだろう。我が国もそろそろ、近隣諸国条項や自由主義陣営という勘違いから目覚めるべきで、韓国の嘘八百と日本人を見下した侮蔑や感情論にはもううんざり、関わりたくもない。

 火病や鬱火病、精神障害や虚言症著しい韓国とは、反韓や嫌韓から一々反論したところで意味は無い。精神が病んでる人との付き合いは遠慮した方が無難(笑)

 韓国中央日報は、精神障害「火病」が原因で発生した暴力犯罪は実に15万件に達していると報じている。韓国内でこれだけあるのだから、相手が日本や日本人となれば怒りが爆発するのも当たり前。ホント面倒臭い国であり民族でもある。呵呵。

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2023年03月06日

「美しき日本人」を鍛え上げた武士道(山鹿素行)

 福島県の偉人に山鹿素行(やまがそこう)という人物がいる。陸奥国会津若松城下生まれ。素行というと一般には「山鹿流軍学の祖」、或いは赤穂浪士の精神的支柱として知られているが、実は江戸時代に於ける武士道の理論を確立した人であり、山鹿の門人達が素行の談話を筆記した「山鹿語類」や「中朝事実」は有名だろう。

 我が国の「神国思想」は、「天皇を戴く我が国こそが世界の中心である」という教えに導き、人々も日本こそが特別な神の国と信じる様になった。「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」と日本主義を主張している。

 鎌倉時代末期、当時、地中海から日本海に至るまで支配力を強めていたモンゴル帝国が日本に襲来した際も、二度の台風に拠ってモンゴル軍を敗走に導いたのは、台風を「神の吹かせた風(神風)」と解釈したことで一層流布することとなった。

 神国思想では、国土を「神州」、国民を「神裔=神の子孫」、国権を「神授(神から委託された権利)」という。国民は神の子として「子が親に孝養を尽くす様に、国民が国に尽くすのは最も現実なる道徳である」との教えに辿り着く。

「教育勅語」も正にこの教えであるが、この神国思想を否定する左翼勢力や反皇室活動家らは「忠孝」を曲解し、根本的な「孝養」の教えも拒絶する。何故に拒絶するのかといえば、先の大戦と神国思想を結び付けてるからに他ならない。

 素行の武士道に戻るが、江戸時代二百六十七年の歴史の中で御家騒動は他にもあったが、唯一、赤穂藩の四十七士だけが「義士」と呼ばれ武士道の華と評価されたのは、素行の「正義の遂行」の本義に基づく教えが在ったからに他ならない。

 素行の提唱する武士道はその根底に儒学を置きはしたが、その性格は融通の利かぬ上っ面の「理」ではなく、現実的な「情」に重きを置くものだった。

 故に、その後の武士道は「正義」を道徳律の根本に置きながらも、その正義が衝突すると「仁」に重きを置き換え「武士の情け」という「情」を発揮するのである。但しこの「情け」は「仁の為に身を挺する」という献身の意味が含まれている。

 この「情け」が武士道の根底に有ったからこそ、上杉鷹山や恩田木工らの人間信頼に基づく改革が成功したのであり、江戸時代二百六十七年という長きに亘って、世界史的に見ても殆ど戦渦の無い平安な時代を築けたと言っても過言ではない。

 更に、武士道が目指した究極の目標は「誠」という徳目がある。誠という字は「言」と「成」から出来ているが、つまり「言ったことを成す」ということが大事であり、ここから「武士に二言は無い」という言葉が生まれた。

「青年日本の歌(昭和維新の歌)」の中で一番好きなのが「功名なんぞ夢の跡、消えざるものは唯誠、人生意気に感じては正否を誰か論う」だが、これもまた「誠」は「真言」であり、言が成る=「言ったことを成す」というものである。

 素行が説いたこうした「素行学」の偉大なるところは、それが単に江戸時代のみならず、幕末の吉田松陰が受け継ぎ、明治になってからは乃木希典などが信奉者となって、今日迄「素行会」なる思想研究会が続いていることである。

 素行の唱えた武士道は、嘗ての「美しき日本人」を鍛え上げた生き方であり、明治維新の最大の戦いであった「会津戦争」で、会津藩が無謀ともいえる戦いに臨んだのも、会津生まれの山鹿素行の教えが滔滔と流れていたからであろう。「たとえ義をもって死するとも不義をもって生きず」とは、松平容保公の言葉である。

「山鹿語録」の士道編は、「この世は万物の陰陽ニ気の微妙な配合によって夫々の使命を持っている。(略)武士に生まれた以上、当然、武士として職務がなければならない。何の職分もなく徒食をしている様では、遊民と軽蔑されても返す言葉がないではないか。この点を深く考えねばならない」と始まる。

 素行は、三民の上に立つ武士を「天下の賤民」だと諌め、武士とは驕らず分相応に生きるべきと教える。愚生も右翼浪人を気取りながらも貧賤に甘んじ、無為徒食する生活をしているが、沈沈として一陽来復を期し、正統右翼人であり、一維新者として丈夫の志しを屈することなく、生き様を示して行きたいと痛切に思う。

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2023年03月04日

今、孝行を尽くさなければ後悔しても間に合わない(中江藤樹)

 徳川幕府時代は、儒教の「朱子学」を盛んにした。朱子学が形式や礼儀を重んじたのに対して、明の王陽明が唱えた「陽明学」は、心の持ち方を大切にする教えであった。日本最初の陽明学者は、中江藤樹(なかえとうじゅ)という人物である。

 陽明学は、主体的実践を重視した新儒教と言われるものであり、「心即理」「致良知」「知行合一」「無善無悪」などを主要な学説としている学問である。

 王陽明は若い頃は生活もだらしなく、無頼の徒で、仁侠道にも溺れたり、武道に凝り過ぎたり、詩や仏法に惑溺したり。終に儒教に辿り着き、独自の学派を拓く。

「知識」は「行動」と一つであるという心理は、人を狂人にし、常に人を行動へと駆り立てる。陽明学でいう「狂」とは、単に「狂った」という意味ではなく、「理想を高く持ち、何の虚飾も隠し立てもなく、心の儘に率直に行動すること」である。

 自ら言葉にしたことは必ず実行するという「知行合一」の教えとは陽明学の究極の思考でもある。逆を言えば「実行できるかどうか分からないことは言葉にしない」、自分の発言には自らの覚悟と責任を課していることを意味する。

「良知に至る」とは、人は誰でも生まれ乍らにして美しい心、即ち「良知」というのを持っている。その心を汚さず、鏡の様に磨き上げておくことが身を修める根本だという意味である。「良知」というのは「性善説」とはチョッと違う。

 罪を犯すというのは「良知」が乏しく、自分自身を磨き上げることを怠ったということで、死刑廃止を訴える人権派弁護士らの「性善説」は本末転倒である。

 人権派を自任してる連中も政治家にしても、言葉が軽く国民から支持されないのはのは、陽明学の「良知」の意味を知らず行動にも責任も持てないからだ。

 陽明学は「志を立てる」ところから始まり、磨かれた良知に基き「行動に昇華する」ことで終結する。つまり、例えば政治家を志すにしても、自分の言葉に責任を持ち、自らが率先垂範して国民の模範となることが大事であるということだ。

 幕末の英雄・河井継之助や三島由紀夫など陽明学を重んじている人物は生き様は共通してどことなく破天荒でもある。継之助が、当時の衒学臭げな尊皇の徒輩とどこか違うのは、陽明学の「実践的理想主義」故のものだったからではなかろうか。

 何事に於いてもそうだが、行動する上で大事なのは、時代を見つめる「冷静な目」である。この時代を見抜く俯瞰した目と、陽明学の「狂」の精神こそが、時代を切り拓き、明治維新への道と切り開く転換点となったと言っても過言ではない。

 藤樹は、病弱な母親を養う為に、「今、孝行を尽くさなければ後悔しても間に合わない」と武士の身分を捨てて故郷の近江国(滋賀県)へ帰る。武士の魂と言われた刀を売り、生活資金を作り、貧しい乍ら老母に仕え、そして村人に学問を教えた。

 噂を聞いて、遠近から藤樹の人柄を慕って来る者は絶えなかったという。講義を受けていた中の一人の馬方が、客が馬の鞍に結び付けた儘の二百両入りの財布を忘れてしまう。藤樹は八里も離れた宿場まで届けるが礼金を享けなかったという。

 この評判を聞いた熊沢蕃山は、「貴男の様な立派な御武家にお教えする様な学も徳もない」と、弟子入りを申し出る。藤樹は、師となることを固く断る。諦めない蕃山は門前に二日間座り込み、漸く入門が叶ったという。後に蕃山は、岡山藩主・池田光政に仕えることとなり、藤樹から教わった学問を政治に活かした。

「大学惑問(だいがくわくもん)」で政治を批判した藤樹は、幕府に咎められ禁錮中に病死した。41歳の若さで没したが、多くの門人達に熱心に且つ真面目に、更に丁寧に教えた故に、現在でも「近江聖人」と讃えられ、尊敬され続けている。

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2023年03月03日

「大ボラ吹きの大夢語り」というが夢を語ることは大事なことだ

「大ボラ吹きの大夢語り」という言葉がある。ホラ吹きとは「大袈裟な出鱈目を言ったり、大言を吐いたりする人」をいうが、「大夢語り」と将来の夢を語るのは別に悪いことではない。ホラやウソは好くないことだと教えられているし、仏語の「不妄語戒(ふもうごかい)」では、「ウソ偽りを言ってはいけない」と訓えている。

 釈迦牟尼の「地獄」「極楽」も、キリストの「天国」もウソ。然し、こうしたウソを吐くことで民衆の心に安らぎを与えたのは確か。「不妄語戒」は「五戒」の戒めの一つだが、人というのはウソや偽りを騙る性分なので、自戒を込めた箴言というのが正しい。「五戒」とは、在家の信者が守らなければならない訓え。

「不殺生戒(ふせっしょうかい)」。生き物を害してはならない。また他人に殺さしめてはならない。また他人が殺害するのを容認してはならない。

「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」。他人のものを盗んではいけない。また他人をして盗らせてはならない。また他人が盗るのを認めてはならない。

「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」。不道徳な性行為を行ってはならない。これは、不倫や強姦を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含まれる。

「不妄語戒」。嘘をついてはいけない。また他人をして偽りを言わせてもならない。また他人が偽りを語るのを容認してはならない。

「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」。酒を飲んではいけない。また他人をして飲ましめてもならない。また他人が酒を飲むのを容認してはならない。

 愚生には耳の痛い戒めばかりだが、中でも「不飲酒戒」は守るのは絶対無理。ってか、この教えを在家の仏教徒が守ってるとも思えないが。因みに、仏教には二十歳未満の出家者が守らなければならない、「十戒(じっかい)」というのもある。

「不殺生」「不偸盗(ふちゅうとう)」「不淫泆(ふいんいつ)」「不妄語」「不飲酒」「不塗飾香鬘(ふとしよくこうまん)」「不歌舞観聴」「不座高大広床」「不非時食(ふひじじき)」「不蓄金銀宝戒」。いやぁ、仏教徒でなくて好かったわ(笑)

 政治家とは本来国家百年の大計と言われる通り、「大夢語り」でなくてはならないが、夢を語る政治家はおらず、経済政策や目先の党利党略ばかり。日本の政治家は、ホンネは出来るだけ出さない方が好いとされおり、これは政治家の伝統だし、国民もこれが好いのか悪いのか、政治家のウソには馴れっこになってしまっている。

「ウソは泥棒の始まり」「ウソを吐くと閻魔様に舌を抜かれる」など、嘘というのは悪いものだと教わって来たが、現代は「ウソは政治家の始まり」というのは国民にとっては不幸なこと。「大夢語り」というホラというのも経営者や上に立つ者には大切な要素でもある。唯、ホラにしろウソにしろそこにはユーモアが無くてはダメだ。

 ホラを吹くと、相手はホラだと分かっててもそのホラは忘れない。吹いた方もその儘だと「あいつはホラ吹きだ」と詰られて信用が無くなる。ここで終わってしまったら男も廃るというもの。だから懸命に努力して、自分の言ったことを実現しようと図ることが大事である。つまり「有言実行」とはこのことである。

 本当ならば「不言実行」というのが一番好いが、不言では、人の中身を見ることがなく、外観ばかりで判断する、人を見る目が無い周りが気付くことはない。

 大言やホラというのは周りの連中に認めさせる為にも、ホラを吹き、そのホラを実現することが大切なのだ。豊臣秀吉がその好い例だろう。清州城の石垣が崩れた際に、二十日も経って未だ完成しない様子を見た秀吉は、聞えよがしにこう話した。

「油断も隙もないこの戦国の世に一体これはどうしたことだ。明日敵が城を攻めて来ないとも限らない。私なら三日もあればやってしまうのに・・・」

 周りにいた連中は「また藤吉郎のホラが始まった」と嗤う。それを聞き留めた織田信長は「サル、そんなホラは吹くものではない。ならばこれより普請奉行を申し付ける。これより三日で拵えよ」。秀吉にとっては待ってました。機会到来と、百間の石垣を十区域に分け、人数も十組、そして手当を倍にして請け負わせた。

 結果は三日どころか二日で仕上げてしまった。秀吉が、若し三日で出来上がらせなければ単なるホラ吹きで失脚していただろうし、また、秀吉が信長に聞こえる様に話をしなかったらば、信長に認められることもなかっただろう。

 ホラの効用斯くの如し。常に大きな夢や、大きなことを考えて、それを周りに発言してると、いつの間にか自分自身も気宇壮大になり、人間も大きくなったと思い込み、大きな事業や大きなことを成し遂げられる様になるという好い喩えだろう。

 余談だが、「油断も隙もないこの戦国の世に一体これはどうしたことだ。明日敵が城を攻めて来ないとも限らない。私なら三日もあればやってしまうのに」との秀吉のセリフは、「明日中共が攻めて来ないとも限らない」と考えるとどうだろう。

 第96条の改正条項を見直し、第9条改正に躍起になってる保守派に通じる。憲法改正の発議から国民の過半数の同意を得ているうちに尖閣列島が奪われてしまうぞ。そんな悠長な時間は無い。現憲法なんぞ破棄して帝国憲法を復元する方が早い。

「大ボラ吹きの大夢語り」ではないが、最近の右翼は大言壮語も吐かずに、周りに気遣ってこじんまりしてしまった様に感じるのは気の所為だろうか。呵呵。

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2023年03月02日

皇位継承策は「先送り出来ない課題」ではない

 岸田文雄首相は第90回自民党大会の総裁演説で、安定的な皇位継承策について「先送り出来ない課題で、国会での検討を進める」と表明した。何故に又候「皇位継承問題」なのか。「女性宮家」創設では「安定的な皇位継承」には繋がらない。

 令和3年12月、皇位継承の問題で政府の有識者会議が提言を見送ったのは、女性宮家を創設したところで根本的な解決策にはならないとの判断からだ。「安定的な」というのならば、GHQに強制的に皇籍離脱された旧皇族の復帰以外はない。

 自民党の保守派は、表立っては女性宮家創設に難色を示しているが、単なる保守票目当てのパフォーマンスに過ぎない。自民党員は、皇統断絶への序章に繋がる「女性宮家」創設や「女性天皇」に与する議員が少なくなく、保守政党とは程遠い。

 皇位継承順位は、今上天皇→秋篠宮殿下→悠仁親王殿下までは決まっている。「女性宮家」創設を急ぐのはこの流れを阻止し、今上陛下→愛子内親王即位を謀る。

 今上陛下の即位後、秋篠宮殿下は皇太子(皇太弟)となるべきものを、皇統の歴史に無い「皇嗣殿下」などと称されるのも、皇統断絶に与する勢力の姦計である。

 女性宮家の対象は、愛子内親王と秋篠宮佳子内親王だが祭祀を重んずる皇位継承者には成り得ない。女性宮家が成され、一般人男性が皇族になることに違和感を覚える国民は多い。真子内親王の御成婚は女性宮家創設反対の意思表示でもあった。

 女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、「これからは一般人としての生活を重んじよ」との天皇の大御心でもある。天皇のそうした御心を理解せず、「女性が天皇に成れないのは女性差別である」かの様に語ることこそ女性差別でもある。

 国民の多くは陛下の御負担(国事行為)について「女性宮家創設で軽減する」と思っている。だが、天皇が本来重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、国事行為の代行は憲法第四条の第二項に基く委任か摂政のみが可能である。

 現憲法下での国事行為の代行は、現時点では皇嗣殿下しか成し得ない。国事行為の御負担を「女性宮家創設で軽減する」というのは国民を誑かす詭弁でしかない。

「摂政」を置くにしても皇室典範と憲法に基づかねばならず、若し女性宮家を創設し国事行為を担わせるのならば第四条を改正しなければならない。安定的な皇位継承策というのなら「第一章・天皇」の条項を議論し、改正しなければ成し得ない。

「皇族数の減少」というなら、何故に旧皇族方の皇籍復帰を成さないのか。皇統断絶を目論む反天皇勢力は、「旧皇族の皇籍復帰は現代にはそぐわない」とか「男系男子を増やす目的だけで」との理由で反対しているが、旧皇族は神職でもあるのだ。

 旧宮家の再興は、男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、何より、皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにあるということを理解していない。

 旧宮家復帰に反対する勢力は、「長く民間人だった人が皇室に入ることを、国民が合意し、支持が得られるのか」などと騙っているが、宮家を再興することは皇室の祭祀を継承して戴くという本分にあるということを知れば何ら問題は無い。

 皇籍離脱させられた旧十一宮家の方々は、北朝第三代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し、今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王が共通の祖先である。旧宮家が皇籍復帰すれば男子成年皇族は15名以上になる。

 皇位継承は神武天皇以来の「男系」の血筋が絶対であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは近年の反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは、「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」の四宮家は断絶しているが、東久邇家の系統には歴代天皇と男系で繋がる男子が7名おられ、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が5名、更に4名が誕生している。旧皇族の皇籍復帰を成せば皇統は盤石となる。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。「安定的な皇位継承」というのならば旧宮家の皇籍復帰を第一に考えるべきである。

 旧皇族の皇籍復帰に反対する勢力と「女性宮家」「女性天皇」「女系天皇」を推進している連中は、如何にも皇室の将来を案じているかの如く装ってるが同じ穴の狢。奸賊に因って実に怪しげな世論が醸成されて行く。騙されること勿れ。

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2023年03月01日

毎日新聞と朝日新聞というのはジャーナリストというより活動家

 昭和47(1972)年、沖縄返還での日米密約をスクープするも外務省機密漏洩事件で有罪が確定した元毎日新聞記者・西山太吉が死去との記事が目に留まった。

 毎日新聞政治部記者だった西山は、外務省の女性事務官に沖縄返還での日米密約に関する機密公電の漏洩を働きかけたとして国家公務員法違反容疑で逮捕起訴され、地裁で無罪となるも高裁で逆転有罪となり、最高裁で控訴が棄却され有罪確定。

 西山は、密約を示す米公文書が相次いで見つかると、「違法な起訴や誤った判決で名誉を傷つけられた」として、国に謝罪と損害賠償を求めて提訴するも最高裁で棄却。密約文書の非開示処分取り消しでの提訴も最高裁で棄却が確定している。

 外務省事務次官とは蓮見喜久子。取材する中で、外務省事務官が情報を持っていることを聞きつけて接触を謀り、泥酔させて姦淫する。事務次官が妻帯者である弱みに付け込んで、機密情報を持ち出すことを強要。用無しになると蓮見を捨てた。

 機密情報を入手した西山はスクープ記事を出すのかと思いきや日本社会党にリークしただけ。こんなのがジャーナリストと持ち上げてるのは如何なものか。

 西山事件で争点となったのは、新聞社の報道の自由と取材や情報収集に関する倫理的な問題だった。左翼ジャーナリズムとというのは今も昔も変わりはない。

 可哀想なのは騙された外務事務次官。泥酔させて肉体関係が許されるなら、山口敬之が据え膳食わねばと伊藤詩織をやっちゃった問題より酷いと思うがな。それが何故か西山が真のジャーナリストと称えられ、山口がバッシングされてる不思議。

 毎日新聞は、この西山事件を機に倒産の憂き目に遭っている。それがいつの間にか復活して反日売国記事を垂れ流している。毎日と朝日は正に同じ穴の狢。

 従軍慰安婦問題も同じで、元山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治が、昭和58(1983)年に上梓した「私の戦争犯罪」​との本がその発端である。

「済州島で9名の兵隊と共に約200名の​朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にした」と記述し、済州島での当時の様​子を回想(妄想)し描写した吉田のフィクション。

 その後の調査で直ぐに創作だったことが判明したが、​この本だけが独り歩きし始める。平成元(1988)年、この本が韓国語に翻訳されると韓国人は激昂する。

 そして平成4(1992)年、朝日新聞がこのトンデモ本を取り上げ、根拠もない儘に日本軍や警察が「慰​安婦狩り」をやったと書き立てて韓国人の怒りを煽り、福島瑞穂ら名うての売国奴どもがこれを支持し、自称・従軍慰安婦らを支援した。

 この吉田の本に疑問を持った「済州新聞」記者の許栄善は、現地を取材した上で、「慰安婦狩りの話を裏付ける証​言者はいない。島民の名前もデタラメ」と一蹴している。 韓国の郷土史家である金奉玉も現地調査を実施し次の様に述べた。

「昭和58年に日本語版が出てから、何年かの間、​追跡調査をした結果、事実でないことを発見した。この本は日本の​悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」(「ほんとうは、『​日韓併合』が韓国を救った!」松木国俊著WAC社)

 当事者の吉田は調査結果を突き付けられ「創作だった」と事実を認めたが、遅きに失した。日本発の嘘から始まり、韓国全土で「慰安婦​狩り」が独り歩きしてしまったのだ。売文という私利私欲の所業が国家を​売ることになってしまった。

​ 吉田が何故に従軍慰安婦問題を上梓するに至ったのかは、毎日新聞の記者の千田夏光の影響が大きい。元毎日新聞記者・西山太吉も千田の思想に傾倒していたと思われる。毎日新聞という病は、朝日新聞と同じく根治することは困難である。

 千田は、毎日新聞社発行の写真集「日本の戦歴」を編集し、慰安婦問題を取り上げている。千田は「不思議な女性の写真を発見」「初めて慰安婦なる存在を知った」として、昭和48年に「従軍慰安婦」という慰安婦についての著作を出版している。

 吉田は、この千田の本を参考として「私の戦争犯罪」を上梓したと推測される。朝日新聞は吉田の虚言をその儘に報じると、東亜日報は「12歳の​小学生まで動員し、戦場で性的にもてあそばれた」と虚位報道して、韓国​の世論を激昂させて行った。

 韓国世論に狼狽えた宮沢内閣は、「外交上の配慮」として強制連行の事実を​認める方向で検討に入った。だが、証拠となる資料が発見されない​ことから対応に苦慮するも、韓国が作成した資料と元慰安婦​の証言のみで作成することになる。

「従軍慰安婦問題に旧日本軍が関与したと思われるこ​とを示す資料が発見されたことを承知しており、この事実を厳粛に​受け止めたい」と認めて謝罪するに至る。

 毎日新聞の千田夏光が妄想した「従軍慰安婦」を吉田清治がフィクションし、朝日新聞がこれを利用して捏造したものを、自民党の宮沢喜一内閣下で、加藤紘一官房長官が事実を認め、次の官房長官に就いた河野洋平が「談話」を発表し、韓国人慰安婦を付け上がらせる原因を作り、「村山談話」で火に油を注いでしまった。

 その後、自民党政権下で撤回せず黙認した儘、民主党政権誕生で鳩山由紀夫が総理として「国家補償」を約束し、前原誠司幹事長が「戦後賠償支援」を言及してしまったのだから、韓国みしてみりゃ賠償請求をするのは当然のことでもある。

 我が国に山積する諸問題というのは、過去を振り返ってみても大東亜戦争の戦意高揚もそうだが、朝日や毎日などのインチキジャーナリズムに起因している。

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cordial8317 at 06:04|PermalinkComments(0)