2018年10月
2018年10月29日
ZOZOTOWN前沢友作社長の御気楽なツイートを嗤う
ZOZOTOWN前沢友作社長が、インチキジャーナリストの安田純平を庇い、過激派組織からの身代金要求に応じなかった日本政府の対応に疑問を呈したことで、ネット上では賛否両論というか、政治家まで巻き込んだ論争になっている。
前沢といえばタレントの剛力彩芽との交際が発覚し話題となったが、批判や悪口というのは大方ジェラシーからのものが多く、剛力との交際への嫉妬かもよ(笑)
前沢は「2015年1月の後藤さんと湯川さん、2004年10月の香田さん、三人共助からなかった。何れも身代金要求に日本政府は応じなかった。人命より、テロとは交渉しないという姿勢を優先した。人命<姿勢???」と疑問を投げかけた。
湯川遥菜が殺害された際、多くはテロリストらの殺害行為を批判していたが、小沢一郎に至っては「彼らの敵を援助するなら、日本が敵だと思われても仕方ない」と、米国に追随する日本政府を批判していたのは記憶に新しい。
小沢は、「安倍、お前が殺したのだ」とのテロリストからのメッセージを鵜呑みにして、政府批判とは実に軽々しく、そういう意味では前沢も同列である。
公開処刑に「可哀想だ」とか「気の毒だ」という様な声も聞いたが、出国前、湯川は「何があっても私の責任」とその覚悟を示していたジャーナリストである。冷たい言い方かもしれないが、愚生は可哀想とも気の毒とも思わない。
これは、ジャーナリストとしての自分の夢を果そうとした結果であり、可哀想などと言うのはそれこそ可哀想だ。正に「男子の本懐」、これに尽きる。
怠惰な生活に溺れ、まやかしの平和の中で「自己責任」「自業自得」などとか断じてる輩よりも立派だと思う。そうした必死の行動をネット上で騒ぎ立てるのは、ジャーナリストとしての命懸けの行為を冒涜している様にも感じてしまう。
だが、今回の安田純平の場合はどうなのか。前沢は過激派組織からの身代金要求に応じなかった日本政府の対応に疑問を投げかけているが、当のヌスラ戦線(HTS)は「ジャーナリストの解放は報道で知った」と関与を否定している。
3年以上も拘束され厳しい環境に晒されていたというが、帰国の機内でビールを飲み、自宅では普通に食事を取った。検査入院でも異常は無く、髭を蓄えてはいるが肌艶は好く、歯もよく磨いていた様だし、ホントに人質だったのだろうか(苦笑)
前沢は政治家との論争に、「もう一度伺います。テロを無くすにはどうしたらいいですか?」と投げかけているが、こういうことを真顔で聞くこと自体が己の幼稚な正義感の顕れであって、意見が隔絶していることさえ気付いていない。
イスラム過激派は「聖戦」などと大義を掲げるが、一般人を犠牲にする無差別テロに神聖な目的も神を語る資格も無い。八百万の神を信じ仏を尊ぶ日本人には理解し難いものだが、一神教を信じる国々の不幸はこれが元凶でもある。
米国やイスラム過激派と対峙する国々がテロの恐怖に曝されている。米国が「世界の警察」を気取り、勝手な正義を押付け、我が物顔で世界を伸し歩く傲慢不遜な態度を改めない限りテロは治まることはない。米国に追随する国も然り。
今や米国の自己中心的不正非道に苦しむ非西洋諸国の多くが唯一最大の外敵、脅威と考えている。米国自身が「無法者の超大国」だと気付く事は無く、テロ根絶の名の下に更なる弾圧が続けば、テロの連鎖は果てしなく続くだろう。
テロで片付けるのは容易い。戦争は国際法で認められてるが国家を持たない組織はテロでしか戦う術はない。つまりテロとは「現代戦争」でもあるのだ。
テロの根絶を実現するには圧政に呻吟する民族の解放と独立させる以外にない。畢竟、それは政治体制の崩壊を意味し、米国然り、中共やロシア然り、中近東然り、それはテロの根絶以上に不可能であり、つまりテロが無くなることはない。
我が国もテロ根絶を願うのなら米国依存の体制からの脱却を図らねばならないがそれもまた困難を極める。政治体制、宗教、領土紛争や利権などが複雑に絡み、目まぐるしく変化する国際情勢の中で、テロは無くなることは絶対にない。
日本政府がやるべきは、情報収集を的確に行い、テロが何時でも何処でも起こり得るということを想定し、万全の対策を講じることこそ大事なことだ。
「テロを無くすにはどうしたらいいですか?」という前沢のノー天気なイチャモンへの答えは、前沢が剛力彩芽と別れるよりも難しいことかも知れない。呵々。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
前沢といえばタレントの剛力彩芽との交際が発覚し話題となったが、批判や悪口というのは大方ジェラシーからのものが多く、剛力との交際への嫉妬かもよ(笑)
前沢は「2015年1月の後藤さんと湯川さん、2004年10月の香田さん、三人共助からなかった。何れも身代金要求に日本政府は応じなかった。人命より、テロとは交渉しないという姿勢を優先した。人命<姿勢???」と疑問を投げかけた。
湯川遥菜が殺害された際、多くはテロリストらの殺害行為を批判していたが、小沢一郎に至っては「彼らの敵を援助するなら、日本が敵だと思われても仕方ない」と、米国に追随する日本政府を批判していたのは記憶に新しい。
小沢は、「安倍、お前が殺したのだ」とのテロリストからのメッセージを鵜呑みにして、政府批判とは実に軽々しく、そういう意味では前沢も同列である。
公開処刑に「可哀想だ」とか「気の毒だ」という様な声も聞いたが、出国前、湯川は「何があっても私の責任」とその覚悟を示していたジャーナリストである。冷たい言い方かもしれないが、愚生は可哀想とも気の毒とも思わない。
これは、ジャーナリストとしての自分の夢を果そうとした結果であり、可哀想などと言うのはそれこそ可哀想だ。正に「男子の本懐」、これに尽きる。
怠惰な生活に溺れ、まやかしの平和の中で「自己責任」「自業自得」などとか断じてる輩よりも立派だと思う。そうした必死の行動をネット上で騒ぎ立てるのは、ジャーナリストとしての命懸けの行為を冒涜している様にも感じてしまう。
だが、今回の安田純平の場合はどうなのか。前沢は過激派組織からの身代金要求に応じなかった日本政府の対応に疑問を投げかけているが、当のヌスラ戦線(HTS)は「ジャーナリストの解放は報道で知った」と関与を否定している。
3年以上も拘束され厳しい環境に晒されていたというが、帰国の機内でビールを飲み、自宅では普通に食事を取った。検査入院でも異常は無く、髭を蓄えてはいるが肌艶は好く、歯もよく磨いていた様だし、ホントに人質だったのだろうか(苦笑)
前沢は政治家との論争に、「もう一度伺います。テロを無くすにはどうしたらいいですか?」と投げかけているが、こういうことを真顔で聞くこと自体が己の幼稚な正義感の顕れであって、意見が隔絶していることさえ気付いていない。
イスラム過激派は「聖戦」などと大義を掲げるが、一般人を犠牲にする無差別テロに神聖な目的も神を語る資格も無い。八百万の神を信じ仏を尊ぶ日本人には理解し難いものだが、一神教を信じる国々の不幸はこれが元凶でもある。
米国やイスラム過激派と対峙する国々がテロの恐怖に曝されている。米国が「世界の警察」を気取り、勝手な正義を押付け、我が物顔で世界を伸し歩く傲慢不遜な態度を改めない限りテロは治まることはない。米国に追随する国も然り。
今や米国の自己中心的不正非道に苦しむ非西洋諸国の多くが唯一最大の外敵、脅威と考えている。米国自身が「無法者の超大国」だと気付く事は無く、テロ根絶の名の下に更なる弾圧が続けば、テロの連鎖は果てしなく続くだろう。
テロで片付けるのは容易い。戦争は国際法で認められてるが国家を持たない組織はテロでしか戦う術はない。つまりテロとは「現代戦争」でもあるのだ。
テロの根絶を実現するには圧政に呻吟する民族の解放と独立させる以外にない。畢竟、それは政治体制の崩壊を意味し、米国然り、中共やロシア然り、中近東然り、それはテロの根絶以上に不可能であり、つまりテロが無くなることはない。
我が国もテロ根絶を願うのなら米国依存の体制からの脱却を図らねばならないがそれもまた困難を極める。政治体制、宗教、領土紛争や利権などが複雑に絡み、目まぐるしく変化する国際情勢の中で、テロは無くなることは絶対にない。
日本政府がやるべきは、情報収集を的確に行い、テロが何時でも何処でも起こり得るということを想定し、万全の対策を講じることこそ大事なことだ。
「テロを無くすにはどうしたらいいですか?」という前沢のノー天気なイチャモンへの答えは、前沢が剛力彩芽と別れるよりも難しいことかも知れない。呵々。
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2018年10月27日
「福島知事選挙」の候補者掲示板には内堀と共産党員の二人のポスターだけ
福島知事選挙は明日投票日を迎える。選挙戦で忙しそうなのは内堀政雄候補を支持して論功行賞を狙う自民党議員や関係者と、共産党員候補を応援してる人くらいなもので、県民の多くは興覚め、今回も投票率が上がることはないだろう。
投票率を上げたいなら選管も少し考えたら如何だろう。例えば画像の候補者のポスター掲示板だが、県内の何処に行っても貼ってあるのは内堀と共産党の候補者だけのポスターだけで、出馬してる他の二人のポスターを見ることは無い。
県内全域の選挙掲示板に内堀と共産党の二人しか貼られてないのは組織力というより、選挙の公平さが失われている様にも感じる。看板屋が貼れる様にすればイイ。よくよく見れば、共産党の候補者は「無所属」だし、一見すると共産党員には見えない。「情熱の40代」なんてのを見て騙される年寄りは多いかもな(笑)
その昔は、ポスター代も選挙カーも出馬する候補者が自費で作ってたが、今は供託金さえ積めば選挙カーのレンタル代やらポスター代、文書交通費、光熱費やその他諸諸の経費は役所が賄う。つまり税金が投入されているのだ。
占領下だった昭和25年、「公職選挙法」が制定され、それまでの25歳以上の男性のみの投票資格から20歳以上の女性にも選挙権が与えられることとなった。平成27年の公職選挙法改正で18歳以上の男女が投票出来る様になった。
GHQの男女平等主義から戦後の公職選挙法は誕生したが、男女同権は兎も角としても、明治時代には規定されてた納税額は必要なことだと思う。況してや高校生に選挙権は要らない、18歳以上の働いてる男女に与えるべきだと思う。
愚生の場合、酒税は一般人より支払ってるが所得税や市県民税は支払ってはいない。そんな無職の右翼風情に選挙権を与える必要も無いと思っている(笑)
公職選挙法が改正されてはいるが、政党交付金にしても有権者である国民の為ではなく、議員や候補者が優遇されて行くというのは如何なものだろう。
インターネットでの選挙活動が解禁され、ビラ配布も容認された。だが、何故か電子メール送信禁止事項があるなど、選挙での規制は御役所仕事そのもの。
いい加減、昭和25年制定の公職選挙法に則った、地区対抗の運動会の様な意味の無い選挙カーでの選挙を見直して、候補者が一緒に行動し各地区の公民館や体育館などで立会演説会をすれば好いと思うが、何故か昔のスタイルに拘る。
選挙というのはカネがかかるというが、それは選挙事務所を作り各地の後援会や選挙対策に伴う組織作りにカネと時間がかかるだけ。そういう昔の選挙運動が結果、論功行賞やら選挙後の利権の温床となって行くのだ。
佐藤栄佐久時代が好い例だろう。事務所では実弟の佑二や自民党幹部が幅を利かせ裏では栄佐久の盟友で大日本愛国党福島県本部相談役の肩書を持つ辻正雄がゼネコンや業者を呼び付け、結果、福島県知事汚職が発覚することとなった。
祐二やクラブタクシーの高橋良和や西部開発の丹治徹らは、栄佐久の選挙事務所の手伝いに来た女性を誑かし愛人に。高橋は自然消滅するも祐二と丹治徹は愛人を孕ませ、祐二は糟糠の妻と別れるも徹はそのままズルズルと逢瀬を重ねた。
福島県知事汚職事件で祐二が水谷建設に無心したのも、建前上は従業員の退職金などと語ってたが実際は妻への慰謝料の捻出。徹は妻と離婚せずにいたが妻が亡くなり、愈々愛人と一緒になるのかと思いきや、ボケが進みそれどころではない。
因みに栄佐久も痴呆だというが、最高裁で有罪が確定しながら血税である退職金もネコババした儘で返さないのは。これもボケの成せる業だろうか(苦笑)
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投票率を上げたいなら選管も少し考えたら如何だろう。例えば画像の候補者のポスター掲示板だが、県内の何処に行っても貼ってあるのは内堀と共産党の候補者だけのポスターだけで、出馬してる他の二人のポスターを見ることは無い。
県内全域の選挙掲示板に内堀と共産党の二人しか貼られてないのは組織力というより、選挙の公平さが失われている様にも感じる。看板屋が貼れる様にすればイイ。よくよく見れば、共産党の候補者は「無所属」だし、一見すると共産党員には見えない。「情熱の40代」なんてのを見て騙される年寄りは多いかもな(笑)
その昔は、ポスター代も選挙カーも出馬する候補者が自費で作ってたが、今は供託金さえ積めば選挙カーのレンタル代やらポスター代、文書交通費、光熱費やその他諸諸の経費は役所が賄う。つまり税金が投入されているのだ。
占領下だった昭和25年、「公職選挙法」が制定され、それまでの25歳以上の男性のみの投票資格から20歳以上の女性にも選挙権が与えられることとなった。平成27年の公職選挙法改正で18歳以上の男女が投票出来る様になった。
GHQの男女平等主義から戦後の公職選挙法は誕生したが、男女同権は兎も角としても、明治時代には規定されてた納税額は必要なことだと思う。況してや高校生に選挙権は要らない、18歳以上の働いてる男女に与えるべきだと思う。
愚生の場合、酒税は一般人より支払ってるが所得税や市県民税は支払ってはいない。そんな無職の右翼風情に選挙権を与える必要も無いと思っている(笑)
公職選挙法が改正されてはいるが、政党交付金にしても有権者である国民の為ではなく、議員や候補者が優遇されて行くというのは如何なものだろう。
インターネットでの選挙活動が解禁され、ビラ配布も容認された。だが、何故か電子メール送信禁止事項があるなど、選挙での規制は御役所仕事そのもの。
いい加減、昭和25年制定の公職選挙法に則った、地区対抗の運動会の様な意味の無い選挙カーでの選挙を見直して、候補者が一緒に行動し各地区の公民館や体育館などで立会演説会をすれば好いと思うが、何故か昔のスタイルに拘る。
選挙というのはカネがかかるというが、それは選挙事務所を作り各地の後援会や選挙対策に伴う組織作りにカネと時間がかかるだけ。そういう昔の選挙運動が結果、論功行賞やら選挙後の利権の温床となって行くのだ。
佐藤栄佐久時代が好い例だろう。事務所では実弟の佑二や自民党幹部が幅を利かせ裏では栄佐久の盟友で大日本愛国党福島県本部相談役の肩書を持つ辻正雄がゼネコンや業者を呼び付け、結果、福島県知事汚職が発覚することとなった。
祐二やクラブタクシーの高橋良和や西部開発の丹治徹らは、栄佐久の選挙事務所の手伝いに来た女性を誑かし愛人に。高橋は自然消滅するも祐二と丹治徹は愛人を孕ませ、祐二は糟糠の妻と別れるも徹はそのままズルズルと逢瀬を重ねた。
福島県知事汚職事件で祐二が水谷建設に無心したのも、建前上は従業員の退職金などと語ってたが実際は妻への慰謝料の捻出。徹は妻と離婚せずにいたが妻が亡くなり、愈々愛人と一緒になるのかと思いきや、ボケが進みそれどころではない。
因みに栄佐久も痴呆だというが、最高裁で有罪が確定しながら血税である退職金もネコババした儘で返さないのは。これもボケの成せる業だろうか(苦笑)
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2018年10月26日
インチキジャーナリスト・安田純平の5回目の解放と安倍の所信表明演説
地元紙の一面には第九十七臨時国会での安倍首相の所信表明演説より、インチキジャーナリストの安田純平の記事が写真入りで躍っている。安田が初めて拘束されたのは2003年のイラク軍、同年にはイラク警察にも拘束されている。
翌年にはバクダットで武装勢力に拘束され、2009年にも拘束される。そして2015年にヌスラ戦線に拘束されること実に5回目。要は、プロの拉致られ屋か(笑)
今回、ヌスラ戦線に3年以上も拘束されたとされているが、当のヌスラ戦線はこれを否定。今回の帰国のニュースで知り、安田の顔も見たことが無いという。
政府は、「身代金を払った事実はない」と否定するが、別な形で間接的に支払っているのは疑いのないことだが、どんな組織に払ったのか疑問だらけ。まあ、懲りない安田は体の好い身代金詐欺の共同正犯と言っても過言ではない。
安倍首相の所信表明をみれば、無難な内容。立憲民主党代表の枝野幸男は、「苦しんでる国民を見てない内容」と腐し、消費税増税を目論む安倍政権を批判しているが、こういう御粗末な政党が野党第一党というのだから情けない。
安倍は安倍で、「強い日本。それを創るのは他の誰でもない、私達自身だ」と胸を張るが、その内容をみればエアコン設置やら幼児教育の無償かなどカネのバラ撒きばかりで、子供達への教育内容を語ることは無かった。
強い日本を創るに当り、大正時代の政治家である原敬の名を挙げ、「常に民意の存する所を考察すべし」との文言を語り悦に入ってるが、そんなものは五箇条の御誓文に在る、「万機公論に決すべし」と示されている通り。
まあ、明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した御誓文を持ち出せば、それこそ教育勅語同様批判されるに違いないと思ったのかも(笑)
「常に民意の存する所を考察すべし」というが、これは国民目線に立つことではないし大衆に媚びることでもない。民主主義の根本は多数決だが、数の多い意見が正しいとも限らないし、考察はすれど迎合する必要もない。
いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、大衆というのは実に操縦し易く、そういう認識故にマスコミに因って世論操作が行われる。そういう意味では現在の民意とは国民の意見ではなく、マスコミに誘導された意見に過ぎない。
マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、上から目線で「自分達の主張こそが正義である」と居丈高に振り翳して国民を煽動し続けているが、そこに社会の木鐸としての正義や公正さはない。単なる株式会社の営利主義とサラリーマン思考。
反権力を勘違いして何でもかんでも腐すマスコミとそれに便乗して騒ぎ立てる民衆。安倍もまたモリカケでの負い目か、マスコミに煽られた国民の視線を気にして「常に民意の存する所を考察すべし」とは正しく大衆迎合主義そのもの。
政治が国民目線に立つと必ず国は滅ぶのは世の常だ。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で軽々しく、そして気紛れなものだからだ。政治とは、国家観を重んじ、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものである。
安倍も長期政権の締め括りと戦後政治の総括を目指すなら、民意の存する所は考察すれど、国家のリーダーとして強固な意思と決断力こそ持つべきである。
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翌年にはバクダットで武装勢力に拘束され、2009年にも拘束される。そして2015年にヌスラ戦線に拘束されること実に5回目。要は、プロの拉致られ屋か(笑)
今回、ヌスラ戦線に3年以上も拘束されたとされているが、当のヌスラ戦線はこれを否定。今回の帰国のニュースで知り、安田の顔も見たことが無いという。
政府は、「身代金を払った事実はない」と否定するが、別な形で間接的に支払っているのは疑いのないことだが、どんな組織に払ったのか疑問だらけ。まあ、懲りない安田は体の好い身代金詐欺の共同正犯と言っても過言ではない。
安倍首相の所信表明をみれば、無難な内容。立憲民主党代表の枝野幸男は、「苦しんでる国民を見てない内容」と腐し、消費税増税を目論む安倍政権を批判しているが、こういう御粗末な政党が野党第一党というのだから情けない。
安倍は安倍で、「強い日本。それを創るのは他の誰でもない、私達自身だ」と胸を張るが、その内容をみればエアコン設置やら幼児教育の無償かなどカネのバラ撒きばかりで、子供達への教育内容を語ることは無かった。
強い日本を創るに当り、大正時代の政治家である原敬の名を挙げ、「常に民意の存する所を考察すべし」との文言を語り悦に入ってるが、そんなものは五箇条の御誓文に在る、「万機公論に決すべし」と示されている通り。
まあ、明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した御誓文を持ち出せば、それこそ教育勅語同様批判されるに違いないと思ったのかも(笑)
「常に民意の存する所を考察すべし」というが、これは国民目線に立つことではないし大衆に媚びることでもない。民主主義の根本は多数決だが、数の多い意見が正しいとも限らないし、考察はすれど迎合する必要もない。
いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、大衆というのは実に操縦し易く、そういう認識故にマスコミに因って世論操作が行われる。そういう意味では現在の民意とは国民の意見ではなく、マスコミに誘導された意見に過ぎない。
マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、上から目線で「自分達の主張こそが正義である」と居丈高に振り翳して国民を煽動し続けているが、そこに社会の木鐸としての正義や公正さはない。単なる株式会社の営利主義とサラリーマン思考。
反権力を勘違いして何でもかんでも腐すマスコミとそれに便乗して騒ぎ立てる民衆。安倍もまたモリカケでの負い目か、マスコミに煽られた国民の視線を気にして「常に民意の存する所を考察すべし」とは正しく大衆迎合主義そのもの。
政治が国民目線に立つと必ず国は滅ぶのは世の常だ。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で軽々しく、そして気紛れなものだからだ。政治とは、国家観を重んじ、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものである。
安倍も長期政権の締め括りと戦後政治の総括を目指すなら、民意の存する所は考察すれど、国家のリーダーとして強固な意思と決断力こそ持つべきである。
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2018年10月24日
教育勅語こそが我が国教育の指導原理である
地元紙「福島民報新聞」の読者投稿欄では、共産党員や無自覚左翼の投稿が鳴りを潜めてたと思いきやまた蠢き出している。昨日も、共産党員の消費税反対10%への反対意見と、柴山昌彦文科相の発言に絡んだ教育勅語への反対意見が登場した。
消費税10%は多くの国民は仕方ないと思っているが、要はその使い道が問題で、また国民に負担を強いるなら、先ずは政治家自らが政党助成金や報酬の見直しや、衆議院のカーボンペーパーと言われて久しい参院の廃止を検討すべきだろう。
教育勅語は、戦時中の教育現場でのやり過ぎは森友学園と同じで問題だと思うが、教育勅語が戦後GHQ主導の教育基本法に拠って否定されたことと、教育勅語の徳目の教えは別物だろう。親への孝養や国に対する忠義の否定は、正に戦後民主主義教育の負の遺産でもある。また「一旦緩急アレバ義勇公二奉シ」を、「天皇に服従し命を惜しまず忠節を尽くすもの」と解釈するのは実に浅はかなことである。
明治天皇自らが「斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁」として「爾臣民ト共二拳拳服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ」と言われている通り強制的なものではない。教育勅語が渙発されたのは明治23年のこと。その後、日清戦争と日露戦争の国難を乗り越えた。教育勅語を先の大戦のみに結び付けるのは敗戦コンプレックスと米国主導の教育基本法に因る洗脳でしかない。
左翼や無自覚左翼に因るこうした読者の声の元凶は正しく新聞報道の影響が大きい。過日、日本共産党の小池晃が「新聞を読んでれば自民支持にならない」と皮肉ったが、これからも作為的な記事が垂れ流されるのかと思うと厭になる。
ってか、愚生の投稿は全く採用されなくなった。意見の対立する問題は公平に、つまり是と非を交えて読者に判断を委ねるべくだが公平さは無い。新聞情報で間違いないのはスポーツの結果と訃報欄。番組欄は今どきテレビで分かるし、訃報欄さえ知ることが出来れば中身が薄い新聞なんぞ、購読しないのにな(笑)
新聞社とはいえ、所詮は株式会社であり、営利最優先は当たり前。右翼を敵に回しても、共産党や無自覚左翼の読者の反感を買う様なことはしないわな(苦笑)
政治を行う上で最も大事なものは「教育」と「国防」である。「国防」とは単に領土の防衛だけではなく、三島由紀夫が訓えた通り「それを失えば日本では無くなってしまうものを守る」ことであり、畢竟「皇統」を死守することでもある。
つまり「国防」と「教育」は一対のものであり、どちらかが欠落しても国家として体を為さないとい。教育勅語を否定する勢力というのは国防を否定し、領土主権の防衛すらも批判する。この現実こそが何を況やだろう。
我が国の教育の荒廃が叫ばれて久しい。教育の荒廃は日教組や全教の責任は小さくはないが、教育改革の足を引っ張ってるのが実は文科省と教育委員会であり、地方に於いては教育委員会こそが教育荒廃の元凶といっても過言ではない。
我が国の教育委員会制度は、米国がその占領政策の一環として導入したものだ。米国は「戦前の日本の軍国主義が日本の中央集権的教育制度を齎し、それが結果戦争に繋がった」と結論付けている。教育勅語の否定もこの認識からである。
その日本の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を地域住民の代表により構成される合議制の教育委員会の下に置こうと画策しそれを実行した。教育委員会のモデルとなったものが、米国の教育委員会制度である。
教育委員会制度というのは米国の開拓時代の占領統治の思惑から生まれたもので、日本の統治も同じ様に占領によって米国の意の儘に置こうというのが狙いであり、米国の戦後民主主義教育は米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けている。
安倍は前政権時代「教育基本法」の改正を行い、米国時代の悪しき教育制度からの脱却を目指した。このこと自体は間違ってはいない。ならばその教育改革の総仕上げとして教育委員会の廃止を急ぐべきであるが、未だ手を拱いた儘だ。
文科省も教育委員会も日教組も全教も言うなれば一蓮托生、教育荒廃の腐った肥溜めなのだ。そういう組織が蠢いてる中で教育改革なんぞ出来る訳がない。今も昔も我が国の教育の指導原理と成すものは教育勅語を於いて他には無い。
教育は国家の大本である。「誇りの持てる教育」や「志の高い日本人を創造」する為にも、戦後の米国による我が国弱体化のあらゆる策謀を明らかにし、それを改め、真の主権国家としての恢復と道義国家・日本の復活を急がなければならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
消費税10%は多くの国民は仕方ないと思っているが、要はその使い道が問題で、また国民に負担を強いるなら、先ずは政治家自らが政党助成金や報酬の見直しや、衆議院のカーボンペーパーと言われて久しい参院の廃止を検討すべきだろう。
教育勅語は、戦時中の教育現場でのやり過ぎは森友学園と同じで問題だと思うが、教育勅語が戦後GHQ主導の教育基本法に拠って否定されたことと、教育勅語の徳目の教えは別物だろう。親への孝養や国に対する忠義の否定は、正に戦後民主主義教育の負の遺産でもある。また「一旦緩急アレバ義勇公二奉シ」を、「天皇に服従し命を惜しまず忠節を尽くすもの」と解釈するのは実に浅はかなことである。
明治天皇自らが「斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁」として「爾臣民ト共二拳拳服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ」と言われている通り強制的なものではない。教育勅語が渙発されたのは明治23年のこと。その後、日清戦争と日露戦争の国難を乗り越えた。教育勅語を先の大戦のみに結び付けるのは敗戦コンプレックスと米国主導の教育基本法に因る洗脳でしかない。
左翼や無自覚左翼に因るこうした読者の声の元凶は正しく新聞報道の影響が大きい。過日、日本共産党の小池晃が「新聞を読んでれば自民支持にならない」と皮肉ったが、これからも作為的な記事が垂れ流されるのかと思うと厭になる。
ってか、愚生の投稿は全く採用されなくなった。意見の対立する問題は公平に、つまり是と非を交えて読者に判断を委ねるべくだが公平さは無い。新聞情報で間違いないのはスポーツの結果と訃報欄。番組欄は今どきテレビで分かるし、訃報欄さえ知ることが出来れば中身が薄い新聞なんぞ、購読しないのにな(笑)
新聞社とはいえ、所詮は株式会社であり、営利最優先は当たり前。右翼を敵に回しても、共産党や無自覚左翼の読者の反感を買う様なことはしないわな(苦笑)
政治を行う上で最も大事なものは「教育」と「国防」である。「国防」とは単に領土の防衛だけではなく、三島由紀夫が訓えた通り「それを失えば日本では無くなってしまうものを守る」ことであり、畢竟「皇統」を死守することでもある。
つまり「国防」と「教育」は一対のものであり、どちらかが欠落しても国家として体を為さないとい。教育勅語を否定する勢力というのは国防を否定し、領土主権の防衛すらも批判する。この現実こそが何を況やだろう。
我が国の教育の荒廃が叫ばれて久しい。教育の荒廃は日教組や全教の責任は小さくはないが、教育改革の足を引っ張ってるのが実は文科省と教育委員会であり、地方に於いては教育委員会こそが教育荒廃の元凶といっても過言ではない。
我が国の教育委員会制度は、米国がその占領政策の一環として導入したものだ。米国は「戦前の日本の軍国主義が日本の中央集権的教育制度を齎し、それが結果戦争に繋がった」と結論付けている。教育勅語の否定もこの認識からである。
その日本の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を地域住民の代表により構成される合議制の教育委員会の下に置こうと画策しそれを実行した。教育委員会のモデルとなったものが、米国の教育委員会制度である。
教育委員会制度というのは米国の開拓時代の占領統治の思惑から生まれたもので、日本の統治も同じ様に占領によって米国の意の儘に置こうというのが狙いであり、米国の戦後民主主義教育は米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けている。
安倍は前政権時代「教育基本法」の改正を行い、米国時代の悪しき教育制度からの脱却を目指した。このこと自体は間違ってはいない。ならばその教育改革の総仕上げとして教育委員会の廃止を急ぐべきであるが、未だ手を拱いた儘だ。
文科省も教育委員会も日教組も全教も言うなれば一蓮托生、教育荒廃の腐った肥溜めなのだ。そういう組織が蠢いてる中で教育改革なんぞ出来る訳がない。今も昔も我が国の教育の指導原理と成すものは教育勅語を於いて他には無い。
教育は国家の大本である。「誇りの持てる教育」や「志の高い日本人を創造」する為にも、戦後の米国による我が国弱体化のあらゆる策謀を明らかにし、それを改め、真の主権国家としての恢復と道義国家・日本の復活を急がなければならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2018年10月20日
三条実美の祭文の原則がある限り「賊軍」の汚名が消えることはない
靖國神社では秋季例大祭が斎行されている。終身会員などが順次招致され、愚生も第二日祭の招待状に「出席」と応えていたが、諸般の事情で欠席した。
靖國神社の例大祭は、他の神社の様な華美さはないが厳かな中で行われる。宮司以下本殿の座に著き、国学院吹奏楽部による伴奏に合わせ参列者全員で国歌斉唱。様々な式典で国歌斉唱を聴くが、この例大祭での斉唱より敵うものなし。
本殿にて權宮司以下により神事が斎行されているが拝殿からは様子は窺えない。聞こえるのは小鳥の囀りと宮司の祝詞と社頭で参拝する方々の柏手の音。
その後、国学院大学混声合唱団と共に「鎮魂歌」並びに「靖國神社の歌」を合唱。宮司玉串奉奠に続き、参列者が本殿に進み拝礼、英霊に感謝の誠を捧げ、そして退出。式典は約1時間で終了となる。式典終了後の一人直会は欠かせない(笑)
靖國神社の合祀対象はあくまでも「官軍」に限られており、右大臣・三条実美が明治2年7月1日に参拝し奉読した祝詞に明示されている通り。
「八十日々はあれども、今日の活く日の足る日を祭日と定めて、祭らしめ賜ふ去年今年、皇軍に死れる輩の靈の前に白さく、汝等は靈ちはふ神の御代より樛の木の彌繼々に天下知し食しぬる我が天皇の大御代と共に久しく言繼ぎて、臣たる人の鑑となす押日命の言立ての、海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、大王の上にこそ死なめの其の事業を今の現に取り行ひて、所は變れども心は一に、皇軍に役立して賊徒等を討たむる其の戰に痛手負ひて命果てぬる輩なれば、上も下も憐の靈よ尊の靈と言ひ思ひ哀しみ畏み祭る、此の祭を受け辱み、千世萬つ世、天翔りて動かず、變れず、大御代の御爲と爲らむ靈とそ思ひ慕ふになむ、吾が身其の時しも監察使の勅を奉りて、此の吾妻に來たりて、東北の軍事をも親しく聞、其軍人の難苦し趣をも知りにし事なれは、今其の事共を思ひ出て、殊更に哀しく、殊更に慕しく思ひて、今此の祭の場に詣り來て拜み齋く事になむ、輔相從一位右大臣藤原朝臣實美、明治二年已巳七月朔日」
この三条右大臣の読んだ祭文の原則がある限り、西軍は「皇軍」であり、東軍の「賊軍」という汚名が雪がれることはない。会津藩士や白虎隊、我が故郷の二本松藩士や二本松少年隊、西南戦争で自決した西郷隆盛ら所謂「賊軍」の御霊は本殿左の「鎮霊社」に祀られてはいる。悲しい哉、例大祭の期間は閉門されている。
「鎮霊社」は、幕末の嘉永6年以降、戦争や事変に係わり散華するも、本殿に祀られていない日本人の御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀る社である。長州閥の謀で創られた靖國本殿より「鎮霊社」こそが、宗教的な敬虔さと神道の教えを顕している様に思う。
最近の靖國神社を見ると、明治維新の偉業より大東亜戦争で散華された英霊を殊更に讃える。反対派から好戦的な神社であると思われても致し方なし。
靖國神社は英霊を追悼する施設ではなく英霊の功績を顕彰する神社である。「顕彰」とは隠れた功績、善行などを称えて広く世間に知らせることである。
保守票欲しさに靖國に参拝する政治家や営業保守、自称愛国者や右翼人までもが、「英霊に哀悼の誠を捧げて来た」と言って悦に入る。「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲びその死を悼み悲しむこと。靖國神社は追悼施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社である。そんなことさえも理解していない。
追悼施設というのなら、海外で亡くなられた方々の遺骨が埋葬される千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を整備して、国立の戦没者追悼施設を建立すれば好い。靖國神社に於ける本殿と鎮霊社の並立状態は「死者の選別」であり、こうした死者に対する差別的処置は日本人の宗教観や死生観からも違和感を覚える。
「鎮霊社」という死者の選別は、真に「靖國」の意味が在るのかという疑問を拭い去ることが出来ない。 会津藩に至っては幕閣で唯一の神道であり、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩にも拘らず、遺恨を持つ薩長の策謀により「朝敵」とされただけだ。孝明天皇から容保公に下賜された御宸翰が何よりの証だろう。
朝敵を鎮霊社に祀ることと、朝敵を本殿に祀ることと、どちらが現代に即して、天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのであろうか。未来永劫「死者の選別」をした儘で好いとは思えない。「国靖かれ」と願って亡くなられた方々は別に西軍の戦没者だけではない。賊軍と蔑まされ続けてる東軍の戦没者も同じ想いだ。明治天皇の思し召しに拠り創建された靖國神社の在り方を真剣に考えなくてはならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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靖國神社の例大祭は、他の神社の様な華美さはないが厳かな中で行われる。宮司以下本殿の座に著き、国学院吹奏楽部による伴奏に合わせ参列者全員で国歌斉唱。様々な式典で国歌斉唱を聴くが、この例大祭での斉唱より敵うものなし。
本殿にて權宮司以下により神事が斎行されているが拝殿からは様子は窺えない。聞こえるのは小鳥の囀りと宮司の祝詞と社頭で参拝する方々の柏手の音。
その後、国学院大学混声合唱団と共に「鎮魂歌」並びに「靖國神社の歌」を合唱。宮司玉串奉奠に続き、参列者が本殿に進み拝礼、英霊に感謝の誠を捧げ、そして退出。式典は約1時間で終了となる。式典終了後の一人直会は欠かせない(笑)
靖國神社の合祀対象はあくまでも「官軍」に限られており、右大臣・三条実美が明治2年7月1日に参拝し奉読した祝詞に明示されている通り。
「八十日々はあれども、今日の活く日の足る日を祭日と定めて、祭らしめ賜ふ去年今年、皇軍に死れる輩の靈の前に白さく、汝等は靈ちはふ神の御代より樛の木の彌繼々に天下知し食しぬる我が天皇の大御代と共に久しく言繼ぎて、臣たる人の鑑となす押日命の言立ての、海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、大王の上にこそ死なめの其の事業を今の現に取り行ひて、所は變れども心は一に、皇軍に役立して賊徒等を討たむる其の戰に痛手負ひて命果てぬる輩なれば、上も下も憐の靈よ尊の靈と言ひ思ひ哀しみ畏み祭る、此の祭を受け辱み、千世萬つ世、天翔りて動かず、變れず、大御代の御爲と爲らむ靈とそ思ひ慕ふになむ、吾が身其の時しも監察使の勅を奉りて、此の吾妻に來たりて、東北の軍事をも親しく聞、其軍人の難苦し趣をも知りにし事なれは、今其の事共を思ひ出て、殊更に哀しく、殊更に慕しく思ひて、今此の祭の場に詣り來て拜み齋く事になむ、輔相從一位右大臣藤原朝臣實美、明治二年已巳七月朔日」
この三条右大臣の読んだ祭文の原則がある限り、西軍は「皇軍」であり、東軍の「賊軍」という汚名が雪がれることはない。会津藩士や白虎隊、我が故郷の二本松藩士や二本松少年隊、西南戦争で自決した西郷隆盛ら所謂「賊軍」の御霊は本殿左の「鎮霊社」に祀られてはいる。悲しい哉、例大祭の期間は閉門されている。
「鎮霊社」は、幕末の嘉永6年以降、戦争や事変に係わり散華するも、本殿に祀られていない日本人の御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀る社である。長州閥の謀で創られた靖國本殿より「鎮霊社」こそが、宗教的な敬虔さと神道の教えを顕している様に思う。
最近の靖國神社を見ると、明治維新の偉業より大東亜戦争で散華された英霊を殊更に讃える。反対派から好戦的な神社であると思われても致し方なし。
靖國神社は英霊を追悼する施設ではなく英霊の功績を顕彰する神社である。「顕彰」とは隠れた功績、善行などを称えて広く世間に知らせることである。
保守票欲しさに靖國に参拝する政治家や営業保守、自称愛国者や右翼人までもが、「英霊に哀悼の誠を捧げて来た」と言って悦に入る。「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲びその死を悼み悲しむこと。靖國神社は追悼施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社である。そんなことさえも理解していない。
追悼施設というのなら、海外で亡くなられた方々の遺骨が埋葬される千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を整備して、国立の戦没者追悼施設を建立すれば好い。靖國神社に於ける本殿と鎮霊社の並立状態は「死者の選別」であり、こうした死者に対する差別的処置は日本人の宗教観や死生観からも違和感を覚える。
「鎮霊社」という死者の選別は、真に「靖國」の意味が在るのかという疑問を拭い去ることが出来ない。 会津藩に至っては幕閣で唯一の神道であり、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩にも拘らず、遺恨を持つ薩長の策謀により「朝敵」とされただけだ。孝明天皇から容保公に下賜された御宸翰が何よりの証だろう。
朝敵を鎮霊社に祀ることと、朝敵を本殿に祀ることと、どちらが現代に即して、天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのであろうか。未来永劫「死者の選別」をした儘で好いとは思えない。「国靖かれ」と願って亡くなられた方々は別に西軍の戦没者だけではない。賊軍と蔑まされ続けてる東軍の戦没者も同じ想いだ。明治天皇の思し召しに拠り創建された靖國神社の在り方を真剣に考えなくてはならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2018年10月16日
仁徳天皇陵(大山古墳)の共同発掘という不敬を赦すな
宮内庁は仁徳天皇陵(大山古墳)の共同発掘を堺市と共同で実施すると発表した。これに対し研究者からは「画期的な試みだ」との声が上がっているが、御陵や墳墓発掘の真の狙いは、天皇の歴史の否定と皇室の解体が狙いだ。
学匪らは天皇陵を「史跡」だとして、歴史や考古学、文化調査という言葉を持ち出して発掘調査の正当性を訴え、研究者として当然の権利の如く主張してはいるが、発掘調査に拠って天皇の歴史を如何に批判し誹謗するかが真の目的である。
宮内庁は全国で約900の陵墓を非公開で管理しているが、平成19年に内規を改め、畏れ多いことに研究者側からの要望に応じて陵墓の立ち入りを認めるに至り、既に計14件が許可されている。今回の仁徳天皇陵の発掘調査もその一環である。
宮内庁は「周濠の浸食が激しく、補修工事に向けた事前調査」との詭弁を弄してるが補修工事に発掘調査は必要あるまい。
宮内庁が我が国の国柄と不可分の天皇陵の尊厳ということを全く理解しない故にこうしたことが行われる。況してや陵墓への立ち入りは、刑法で定められている「礼拝所及び墳墓に関する罪 」に明らかに抵触する犯罪行為でもある。
ピラミッドや兵馬俑などの王の墓と同様に天皇陵も発掘の対象にすべきだというが、天皇陵とは皇室の先祖の墓である。
御陵や墳丘の発掘までもが許され常習化する事態となれば、皇室の尊厳は完全に損ねられることは必至であり、断じて許してはならない。
エジプトや支那の王朝の墓は既に滅んでしまった過去の史跡だが、天皇陵は現存する皇室のものであり、況してや祭祀の場でもある。史跡調査というが、その背景はピラミッドや兵馬俑などとは全く異なるものだ。
学匪らは「御陵の周辺部が史跡に指定されてない為に、宅地造成で埋め立てられたり、破壊されたり危機的状況であり、国が直接保護するべきだ」と、如何にも御陵の荒廃を嘆くかの様な意見を振り翳してはいるが彼奴らの狙いは外に在る。
そのトリックが「史跡」という言葉にあり、「史跡」になれば発掘は可能になるのを承知しての確信犯であり、学匪らのあれやこれやの尤もらしい屁理屈も単なる奸智奸策に過ぎないのだが、あろうことか宮内庁がその御先棒を担いでいる。
彼奴らの目的は、立ち入り調査という「権利」を確保し、発掘という「権利」の実行を目論むことは火を見るより明らかで、そしてその結果を「科学的証拠」として巧みに利用し、我が皇室の歴史を批判、誹謗するかが究極の目的なのだ。
御陵や墳墓などの発掘の真の狙いは、歴史と皇室の否定と解体そのものに在り、左翼が目指す所謂「天皇制廃止運動」の一環と断じても過言ではない。
朝鮮や支那では、墓を掘り起し死者に恥辱を与えるというのは珍しくもないが、「墓を発く」「死屍に鞭打つ」という発想は、我が国では死者への最大の非礼であり、日本人の死生観からも最も忌み嫌う蛮行でもある。
御陵は断じて文化財や史跡として考えるべきものではなく、民間調査や発掘などという対象になるべきものでもない。御陵は国民挙って崇拝し、伏し拝むべき、日本国民として神聖にして侵すべからざる聖域である。
世界文化遺産登録という戯言を抜かし、調査発掘に拠って皇室解体を謀る学匪共と、それに与する宮内庁に巣食う奸賊共を一掃しなければならない。
※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!
学匪らは天皇陵を「史跡」だとして、歴史や考古学、文化調査という言葉を持ち出して発掘調査の正当性を訴え、研究者として当然の権利の如く主張してはいるが、発掘調査に拠って天皇の歴史を如何に批判し誹謗するかが真の目的である。
宮内庁は全国で約900の陵墓を非公開で管理しているが、平成19年に内規を改め、畏れ多いことに研究者側からの要望に応じて陵墓の立ち入りを認めるに至り、既に計14件が許可されている。今回の仁徳天皇陵の発掘調査もその一環である。
宮内庁は「周濠の浸食が激しく、補修工事に向けた事前調査」との詭弁を弄してるが補修工事に発掘調査は必要あるまい。
宮内庁が我が国の国柄と不可分の天皇陵の尊厳ということを全く理解しない故にこうしたことが行われる。況してや陵墓への立ち入りは、刑法で定められている「礼拝所及び墳墓に関する罪 」に明らかに抵触する犯罪行為でもある。
ピラミッドや兵馬俑などの王の墓と同様に天皇陵も発掘の対象にすべきだというが、天皇陵とは皇室の先祖の墓である。
御陵や墳丘の発掘までもが許され常習化する事態となれば、皇室の尊厳は完全に損ねられることは必至であり、断じて許してはならない。
エジプトや支那の王朝の墓は既に滅んでしまった過去の史跡だが、天皇陵は現存する皇室のものであり、況してや祭祀の場でもある。史跡調査というが、その背景はピラミッドや兵馬俑などとは全く異なるものだ。
学匪らは「御陵の周辺部が史跡に指定されてない為に、宅地造成で埋め立てられたり、破壊されたり危機的状況であり、国が直接保護するべきだ」と、如何にも御陵の荒廃を嘆くかの様な意見を振り翳してはいるが彼奴らの狙いは外に在る。
そのトリックが「史跡」という言葉にあり、「史跡」になれば発掘は可能になるのを承知しての確信犯であり、学匪らのあれやこれやの尤もらしい屁理屈も単なる奸智奸策に過ぎないのだが、あろうことか宮内庁がその御先棒を担いでいる。
彼奴らの目的は、立ち入り調査という「権利」を確保し、発掘という「権利」の実行を目論むことは火を見るより明らかで、そしてその結果を「科学的証拠」として巧みに利用し、我が皇室の歴史を批判、誹謗するかが究極の目的なのだ。
御陵や墳墓などの発掘の真の狙いは、歴史と皇室の否定と解体そのものに在り、左翼が目指す所謂「天皇制廃止運動」の一環と断じても過言ではない。
朝鮮や支那では、墓を掘り起し死者に恥辱を与えるというのは珍しくもないが、「墓を発く」「死屍に鞭打つ」という発想は、我が国では死者への最大の非礼であり、日本人の死生観からも最も忌み嫌う蛮行でもある。
御陵は断じて文化財や史跡として考えるべきものではなく、民間調査や発掘などという対象になるべきものでもない。御陵は国民挙って崇拝し、伏し拝むべき、日本国民として神聖にして侵すべからざる聖域である。
世界文化遺産登録という戯言を抜かし、調査発掘に拠って皇室解体を謀る学匪共と、それに与する宮内庁に巣食う奸賊共を一掃しなければならない。
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2018年10月12日
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖國神社は遠ざかって行く」
来週は靖國神社の秋季例大祭。一昨日、靖國神社の小堀邦夫宮司が退任した。週刊ポストに、神社内の会議で「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖國神社は遠ざかって行く。はっきり言えば、今上陛下は靖國神社を潰そうとしてるんだよ」などとの発言内容がすっぱ抜かれ、悪意的に報じられたことで責任を取って辞任。
週刊誌ポストは、「靖國神社トップが皇室批判」と仰々タイトルが躍る。「靖國神社を潰そうとしてる」という表現は気になるが、「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖國神社は遠ざかって行く」とは、強ち間違ってるとも言い切れない。
日頃、軽々しい皇室記事を垂れ流し靖國神社にも見向きもしない連中が、ここぞとばかりに批判の声を上げてるのは厭きれる。神社側は「極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏れた」と、宮司が宮内庁に陳謝し、退任の意向を伝えたという。
神社側のスパイに因るリークというのは神社内部の権力闘争であり、今や靖國神社が明治神宮と同じく一宗教法人に成り下がってしまっている感は否めない。
陛下は慰霊の旅は熱心ではあるが、見方に拠っては小堀宮司の言う通り、靖國への参拝は褪めている様にも見える。宮司はそうしたことを憂い、戦地の慰霊の旅より靖國神社への御親拝を望む気持ちを言葉は過激だが素直に発しただけのこと。
前任者の徳川康久元宮司が、「幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。唯、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった」との発言もまた記憶に新しい。
徳川家15代将軍・徳川慶喜の曾孫という「賊軍トップの末裔」である徳川康久が、「官軍を祀る神社のトップ」に立ったことを奇異に感じた関係者もいただろうし、「こちらが賊軍になった」との徳川宮司の発言を訝しく思ったに違いない。
明治天皇の思し召しに拠り創建された「東京招魂社」だが、「國靖かれ」との想いは官軍も賊軍も同じだろう。新政府の三条実美が「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と祭文に明示したことで合祀に影響を及ぼした。この祭文の原則がある限り「賊軍」は未来永劫賊軍の儘なのだ。
長州閥に因り、「明治維新を偉業として後世に伝え、近代国家建設の為に命を捧げた官軍側犠牲者のみを顕彰する社」となった。明治9年、明治天皇は、東北地方へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれている。巡幸の目的が戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を、明治天皇が慰撫し激励する為に他ならない。
戊辰戦争で「朝敵」や「賊軍」とされ、辛苦を極めた東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の大御心とその面影が偲ばれる。この東北・北海道の巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、一切の蟠りも無くなったのだが、明治新政府は東軍の戦死者を靖國神社に祀ることなく、不正義と不条理を糺すことはしなかった。
靖國神社が御神霊の顕彰を重んじる神社であるなら、賊軍とされた方々を鎮霊社という別なカタチで祀ることと、本殿に祀ることと、そのどちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか理解出来るのではなかろうか。
明治天皇の思し召しで創建された神社が、陛下が「靖國神社を潰そうとしてる」のであればそれはそれで一考に値する。靖國神社側は「創建の由緒から鑑みて『幕府側に対する表現や認識を修正すること』を神社として行なう考えはなく、今後も同様の考えが変わることはないと理解しております」との回答は如何なものか。
何れにしても最近の靖國神社は、大東亜戦争の戦意高揚を称えるばかりで、顕彰という趣旨からは程遠いものとなり、明治天皇の創建の大義を重んじる宮司が次々と退任させられてる状況は、靖國神社終身正会員の愚生としては憂うるばかり。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
週刊誌ポストは、「靖國神社トップが皇室批判」と仰々タイトルが躍る。「靖國神社を潰そうとしてる」という表現は気になるが、「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖國神社は遠ざかって行く」とは、強ち間違ってるとも言い切れない。
日頃、軽々しい皇室記事を垂れ流し靖國神社にも見向きもしない連中が、ここぞとばかりに批判の声を上げてるのは厭きれる。神社側は「極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏れた」と、宮司が宮内庁に陳謝し、退任の意向を伝えたという。
神社側のスパイに因るリークというのは神社内部の権力闘争であり、今や靖國神社が明治神宮と同じく一宗教法人に成り下がってしまっている感は否めない。
陛下は慰霊の旅は熱心ではあるが、見方に拠っては小堀宮司の言う通り、靖國への参拝は褪めている様にも見える。宮司はそうしたことを憂い、戦地の慰霊の旅より靖國神社への御親拝を望む気持ちを言葉は過激だが素直に発しただけのこと。
前任者の徳川康久元宮司が、「幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。唯、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった」との発言もまた記憶に新しい。
徳川家15代将軍・徳川慶喜の曾孫という「賊軍トップの末裔」である徳川康久が、「官軍を祀る神社のトップ」に立ったことを奇異に感じた関係者もいただろうし、「こちらが賊軍になった」との徳川宮司の発言を訝しく思ったに違いない。
明治天皇の思し召しに拠り創建された「東京招魂社」だが、「國靖かれ」との想いは官軍も賊軍も同じだろう。新政府の三条実美が「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と祭文に明示したことで合祀に影響を及ぼした。この祭文の原則がある限り「賊軍」は未来永劫賊軍の儘なのだ。
長州閥に因り、「明治維新を偉業として後世に伝え、近代国家建設の為に命を捧げた官軍側犠牲者のみを顕彰する社」となった。明治9年、明治天皇は、東北地方へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれている。巡幸の目的が戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を、明治天皇が慰撫し激励する為に他ならない。
戊辰戦争で「朝敵」や「賊軍」とされ、辛苦を極めた東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の大御心とその面影が偲ばれる。この東北・北海道の巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、一切の蟠りも無くなったのだが、明治新政府は東軍の戦死者を靖國神社に祀ることなく、不正義と不条理を糺すことはしなかった。
靖國神社が御神霊の顕彰を重んじる神社であるなら、賊軍とされた方々を鎮霊社という別なカタチで祀ることと、本殿に祀ることと、そのどちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか理解出来るのではなかろうか。
明治天皇の思し召しで創建された神社が、陛下が「靖國神社を潰そうとしてる」のであればそれはそれで一考に値する。靖國神社側は「創建の由緒から鑑みて『幕府側に対する表現や認識を修正すること』を神社として行なう考えはなく、今後も同様の考えが変わることはないと理解しております」との回答は如何なものか。
何れにしても最近の靖國神社は、大東亜戦争の戦意高揚を称えるばかりで、顕彰という趣旨からは程遠いものとなり、明治天皇の創建の大義を重んじる宮司が次々と退任させられてる状況は、靖國神社終身正会員の愚生としては憂うるばかり。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2018年10月10日
「終戦の詔勅奉戴日こそが御親拝に最も相応しい日である」だとさ(苦笑)
今日10月10日は、昭和39年にアジアで初、有色人種の国家で初めてオリンピックが開催された日。本来であれば「体育の日」なのだが、オリンピック開催という祝日の意義を忘れ、左翼の策謀に嵌り、ハッピーマンデーに組み込まれてしまった。
扨て、靖國神社の会報10月号は終戦の日特集。記事には8月15日を「大東亜戦争終結より73年目を迎えた」とし、当日の様子を詳しく報じている。
最近の靖國神社は、神社庁との主導権争いから宗教法人となった明治神宮と同じく営利主義も目立ち、一宗教法人に甘んじてる気がしてならない。
会報には、保守派の論客でもある小堀佳一郎が、「終戦の詔勅奉戴日に寄せて」というタイトルで陛下の御親拝を切望し、「終戦の詔勅奉戴日こそが御親拝に最も相応しい日である」との論文を寄稿している。小堀のいう「終戦の詔勅奉戴日」とは8月15日。然もこの日を「終戦記念日」と称していることに驚きを隠せない。
大東亜戦争終結に関する詔勅の渙発は二日前の13日であり、内閣が署名し公布したのが翌14日。そして15日は録音の「玉音放送」が流された日というだけ。
国民の多くが8月15日を「終戦記念日」と称しているが、記念とは「想い出」であり、終戦を記念してどうするの。この日は、保守票目当ての政治家が参拝し、営業保守や右翼団体、軍事マニアらが靖國に参集しパフォーマンスを繰り広げる。
御親拝に相応しい日が、大東亜戦争終結を決断遊ばされた日ではなく「終戦記念日」というのには些か違和感を覚える。自称・愛国者らにはこうした勇ましい論文はウケが好いかも知れないが、近年の8月15日の動向に眉を顰める国民は多い。
軍事オタクらがラッパを鳴らし行軍し右翼幹部迄も同道。営業保守は靖國で儲け政治家は保守票欲しさにパフォーマンス。外ではキチガイ集団の反天連がデモを繰り広げ右翼と揉み合いに。こんな状況下で陛下の御親拝など叶う筈があるまい。
御親拝への実現の為に、日本国民が有する「請願権」を行使することが肝要だと訴えるが、請願権を行使したところで解決されることはない。政治問題化した靖國神社を政治的請願権に基いて御親拝を強行すれば、禍根を残すことになるだろう。
総理や閣僚が参拝することで靖國が騒がしくなるなら、政治家なんぞ靖國にかかずらって欲しくはない。いっそのこと千鳥ヶ淵墓苑を米国のアーリントン墓地の様に造り直し、国立戦没者墓苑を創れば好いし、政治家はそっちに行けば好い。
首相や閣僚の参拝を合法化するならば、靖國神社の「宗教法人格」を外し、国で管理すれば好いだけの話しである。自民党は「靖國法案」の提出を出すこともなく、請願権の行使という国民への丸投げ、国民への他力本願に同調する気なのか。
小堀は、「日本会議」に参画し、保守派の思想的な拠所となった人物だが、昨今の保守ブームの火付け役といって好いだろう。だが、営業保守的傾向が拭え切れず、こうした論説はなんちゃって保守を喜ばせるが、一方で世論を撹乱するだけだ。
陛下の譲位にしても、結局、阻止出来なかったのは小堀ら保守派の抵抗が甘かったからで、中途半端な認識と論説が反天皇勢力に付け入られることとなった。
陛下の御親拝を望むのは当然のことだが、8月15日は全国戦没者追悼式の帰りに靖國に立ち寄るというのは序でに参拝という感じが拭えない。それこそ、公式参拝というパフォーマンスを行うも結果的に靖國を貶めることとなった中曾根康弘と同じ。
先の大戦で散華された英霊を含め246万6千余の全御祭神の御霊を鎮めるのに相応しい日は、春秋の例大祭や桜満開の季節が好い。今年は戊辰の役150年に当たる。
明治2年、靖國神社が明治天皇の思し召しにより創建された。その合祀対象は「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」との三条実美の祭文に明示されている通り。 三条の祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、西郷隆盛などが祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の儘なのだ。
靖國神社が戦没者の顕彰を重んじる神社であるなら、鎮霊社という別なカタチで祀ることと、本殿に祀ることと、そのどちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか言わずとも分かるだろう。
明治天皇の思し召しにより創建された神社がいつまでも死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわない。官軍である長州閥の下で創られた靖國神社の在り方を見直す時期に来ている。先ずは鎮霊社という死者の選別を止めよ。さすれば靖國の在り方が世界に知れ渡り、陛下の御親拝の道も近付くことだろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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扨て、靖國神社の会報10月号は終戦の日特集。記事には8月15日を「大東亜戦争終結より73年目を迎えた」とし、当日の様子を詳しく報じている。
最近の靖國神社は、神社庁との主導権争いから宗教法人となった明治神宮と同じく営利主義も目立ち、一宗教法人に甘んじてる気がしてならない。
会報には、保守派の論客でもある小堀佳一郎が、「終戦の詔勅奉戴日に寄せて」というタイトルで陛下の御親拝を切望し、「終戦の詔勅奉戴日こそが御親拝に最も相応しい日である」との論文を寄稿している。小堀のいう「終戦の詔勅奉戴日」とは8月15日。然もこの日を「終戦記念日」と称していることに驚きを隠せない。
大東亜戦争終結に関する詔勅の渙発は二日前の13日であり、内閣が署名し公布したのが翌14日。そして15日は録音の「玉音放送」が流された日というだけ。
国民の多くが8月15日を「終戦記念日」と称しているが、記念とは「想い出」であり、終戦を記念してどうするの。この日は、保守票目当ての政治家が参拝し、営業保守や右翼団体、軍事マニアらが靖國に参集しパフォーマンスを繰り広げる。
御親拝に相応しい日が、大東亜戦争終結を決断遊ばされた日ではなく「終戦記念日」というのには些か違和感を覚える。自称・愛国者らにはこうした勇ましい論文はウケが好いかも知れないが、近年の8月15日の動向に眉を顰める国民は多い。
軍事オタクらがラッパを鳴らし行軍し右翼幹部迄も同道。営業保守は靖國で儲け政治家は保守票欲しさにパフォーマンス。外ではキチガイ集団の反天連がデモを繰り広げ右翼と揉み合いに。こんな状況下で陛下の御親拝など叶う筈があるまい。
御親拝への実現の為に、日本国民が有する「請願権」を行使することが肝要だと訴えるが、請願権を行使したところで解決されることはない。政治問題化した靖國神社を政治的請願権に基いて御親拝を強行すれば、禍根を残すことになるだろう。
総理や閣僚が参拝することで靖國が騒がしくなるなら、政治家なんぞ靖國にかかずらって欲しくはない。いっそのこと千鳥ヶ淵墓苑を米国のアーリントン墓地の様に造り直し、国立戦没者墓苑を創れば好いし、政治家はそっちに行けば好い。
首相や閣僚の参拝を合法化するならば、靖國神社の「宗教法人格」を外し、国で管理すれば好いだけの話しである。自民党は「靖國法案」の提出を出すこともなく、請願権の行使という国民への丸投げ、国民への他力本願に同調する気なのか。
小堀は、「日本会議」に参画し、保守派の思想的な拠所となった人物だが、昨今の保守ブームの火付け役といって好いだろう。だが、営業保守的傾向が拭え切れず、こうした論説はなんちゃって保守を喜ばせるが、一方で世論を撹乱するだけだ。
陛下の譲位にしても、結局、阻止出来なかったのは小堀ら保守派の抵抗が甘かったからで、中途半端な認識と論説が反天皇勢力に付け入られることとなった。
陛下の御親拝を望むのは当然のことだが、8月15日は全国戦没者追悼式の帰りに靖國に立ち寄るというのは序でに参拝という感じが拭えない。それこそ、公式参拝というパフォーマンスを行うも結果的に靖國を貶めることとなった中曾根康弘と同じ。
先の大戦で散華された英霊を含め246万6千余の全御祭神の御霊を鎮めるのに相応しい日は、春秋の例大祭や桜満開の季節が好い。今年は戊辰の役150年に当たる。
明治2年、靖國神社が明治天皇の思し召しにより創建された。その合祀対象は「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」との三条実美の祭文に明示されている通り。 三条の祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、西郷隆盛などが祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の儘なのだ。
靖國神社が戦没者の顕彰を重んじる神社であるなら、鎮霊社という別なカタチで祀ることと、本殿に祀ることと、そのどちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか言わずとも分かるだろう。
明治天皇の思し召しにより創建された神社がいつまでも死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわない。官軍である長州閥の下で創られた靖國神社の在り方を見直す時期に来ている。先ずは鎮霊社という死者の選別を止めよ。さすれば靖國の在り方が世界に知れ渡り、陛下の御親拝の道も近付くことだろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2018年10月08日
教育勅語の否定は敗戦コンプレックスと戦後民主主義教育の踏襲
最近の地元紙は、赤旗と間違えんばかりの左翼の論評のオンパレード。読者投稿欄には「オール沖縄」を称え、知事選の結果を尊重しろといい沖縄の経済疲弊は政府に在るという。そして極めつけは「日曜論壇」というトンデモコラム。
福島民報新聞のコラム「日曜論壇」は、左翼人士が己の妄想を垂れ流すコーナー。今回は国立歴史民俗博物館名誉教授の左翼活動家の婆さん。柴山昌彦文科大臣は記者からの質問に答えただけで、率先して教育勅語を教育現場に持ち込もうと述べたものではない。都合の好い部分を切り貼りして我田引水的に論っている。
「私たちは小学校で教育勅語を暗記させられ、君(天皇)や国の為に喜んで命を捧げる様に教育された経験を持つ」という。教育勅語は正に国民をマインド・コントロールした最大の道具だったと語る。この婆さん、教育勅語を暗記させられたという。
教育勅語が渙発されてのは明治23年10月30日のこと。大東亜戦争前に創り上げたものではない。明治維新で「日本国」が出来た。祖国日本の成り立ちを思い致し、これからの日本人はこういう生き方をしていこうという決意でもある。「朕爾臣民ト共二拳拳服膺シ」と在る様に、明治天皇自ら率先垂範したことでもある。
何故に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」ばかりが強調され「戦争に繋がった危険思想」と否定され、先の大戦を罵るのか。日清戦争は教育勅語渙発後の明治27年、日露戦争も明治37年と教育勅語の渙発後に起こったことだ。つまり、教育勅語が戦争を引き起こし、国民を巻き込んで惨禍を齎した元凶であるとの認識は矛盾する。
「父母二孝二兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ」に反応せずに「一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ」の部分ばかりを論う。要は、敗戦コンプレックスであり、未だに米国が謀った戦後民主教育の洗脳状態に在る。口では反米や反基地を唱え乍ら、米国製の憲法や民主主義教育など都合の好い部分は米国を利用する。正に珍左翼(笑)
「私たちは小学校で教育勅語を暗記させられ、君(天皇)や国の為に喜んで命を捧げる様に教育された」という。そうであるならば、天皇や国の為に命を捧げたという英霊に対して感謝の言葉を捧げたことはあるのか。デタラメを垂れ流すな。
国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げることは思想信条抜きに何処の国でも国民でも当然のことだ。
教育勅語と靖國神社を同列に準えて批判し、己らだけが先の大戦の犠牲者の如く振る舞い、「軍国主義の復活」などと吠えているが、そんな米国製の価値観に応えた偏狭な妄想の押し付けをしてて、日本人として恥ずかしいと思わないか。
世界のどんな国も「英霊」には最大の名誉が与えられている。例えば、米国歴代大統領は、アーリントン国立墓地に於いて、「負けた戦争」であるベトナム戦争をも取り上げてその英雄的な精神を賞賛する。ところが皮肉なことに、我が国は先の大戦を負の遺産と考え、国の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少ない。
このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか、政治指導者やマスコミは考えたことがあるだろうか。愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、等々、日本の社会に蔓延する問題の全てはそうした英霊への軽々しい扱いに起因していると言っても過言ではない。
九段の靖國の社に眠る神々は、我々が忘れがちな公の精神の体現者である。自分の欲望を追求するだけの身勝手が蔓延りがちな社会で、その対極にあって国家そして我々の為に命を捧げた方々が神となって鎮まり給うのである。教育勅語を信じるのも否定するのも思想信条の自由だが、左翼人士らの被害妄想的主張にはうんざり。
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福島民報新聞のコラム「日曜論壇」は、左翼人士が己の妄想を垂れ流すコーナー。今回は国立歴史民俗博物館名誉教授の左翼活動家の婆さん。柴山昌彦文科大臣は記者からの質問に答えただけで、率先して教育勅語を教育現場に持ち込もうと述べたものではない。都合の好い部分を切り貼りして我田引水的に論っている。
「私たちは小学校で教育勅語を暗記させられ、君(天皇)や国の為に喜んで命を捧げる様に教育された経験を持つ」という。教育勅語は正に国民をマインド・コントロールした最大の道具だったと語る。この婆さん、教育勅語を暗記させられたという。
教育勅語が渙発されてのは明治23年10月30日のこと。大東亜戦争前に創り上げたものではない。明治維新で「日本国」が出来た。祖国日本の成り立ちを思い致し、これからの日本人はこういう生き方をしていこうという決意でもある。「朕爾臣民ト共二拳拳服膺シ」と在る様に、明治天皇自ら率先垂範したことでもある。
何故に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」ばかりが強調され「戦争に繋がった危険思想」と否定され、先の大戦を罵るのか。日清戦争は教育勅語渙発後の明治27年、日露戦争も明治37年と教育勅語の渙発後に起こったことだ。つまり、教育勅語が戦争を引き起こし、国民を巻き込んで惨禍を齎した元凶であるとの認識は矛盾する。
「父母二孝二兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ」に反応せずに「一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ」の部分ばかりを論う。要は、敗戦コンプレックスであり、未だに米国が謀った戦後民主教育の洗脳状態に在る。口では反米や反基地を唱え乍ら、米国製の憲法や民主主義教育など都合の好い部分は米国を利用する。正に珍左翼(笑)
「私たちは小学校で教育勅語を暗記させられ、君(天皇)や国の為に喜んで命を捧げる様に教育された」という。そうであるならば、天皇や国の為に命を捧げたという英霊に対して感謝の言葉を捧げたことはあるのか。デタラメを垂れ流すな。
国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げることは思想信条抜きに何処の国でも国民でも当然のことだ。
教育勅語と靖國神社を同列に準えて批判し、己らだけが先の大戦の犠牲者の如く振る舞い、「軍国主義の復活」などと吠えているが、そんな米国製の価値観に応えた偏狭な妄想の押し付けをしてて、日本人として恥ずかしいと思わないか。
世界のどんな国も「英霊」には最大の名誉が与えられている。例えば、米国歴代大統領は、アーリントン国立墓地に於いて、「負けた戦争」であるベトナム戦争をも取り上げてその英雄的な精神を賞賛する。ところが皮肉なことに、我が国は先の大戦を負の遺産と考え、国の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少ない。
このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか、政治指導者やマスコミは考えたことがあるだろうか。愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、等々、日本の社会に蔓延する問題の全てはそうした英霊への軽々しい扱いに起因していると言っても過言ではない。
九段の靖國の社に眠る神々は、我々が忘れがちな公の精神の体現者である。自分の欲望を追求するだけの身勝手が蔓延りがちな社会で、その対極にあって国家そして我々の為に命を捧げた方々が神となって鎮まり給うのである。教育勅語を信じるのも否定するのも思想信条の自由だが、左翼人士らの被害妄想的主張にはうんざり。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2018年10月05日
「一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ」を論う左翼らの敗戦コンプレックス
第四次安倍改造内閣で文科大臣に就いた柴山昌彦が、悪意ある記者から教育勅語の認識を問われ、「現代風に解釈され、或いはアレンジした形で、道徳などに使うことができる分野というのは十分にある。普遍性を持っている部分が見て取れる」と述べたことが、悪意的に報じられたことでバッシングされている。
昨年、森友学園問題が騒がれ出した時も、野党らは籠池理事長らの教育勅語教育を否定していた。幼児に教育勅語を唱和させてる光景には愚生も違和感を覚えた。然し、嗤えることに野党らは「反安倍」からで籠池泰典とタッグを組んだ。
道徳教育で大事なものは、幼年期の「躾」であり、道徳を論理的に捉えるのではなく、学んだことを如何に実践するか、如何に行動で表せるかが肝要となる。そういう意味でも教育勅語の理念を現代風に分かり易く教えることは間違いではない。
教育勅語を否定する理由に「勅語とは天皇が臣下に対して発する言葉で憲法違反である」「教育勅語は、軍人勅諭、戊申詔書、青少年学徒勅語、その他の諸詔勅と共に既に廃止せられその効力を失っている」を挙げる。ならば、日本国憲法も昭和天皇の御詔勅により渙発されているのだから無効ということで宜しいか(苦笑)
教育勅語は明治23年10月30日に明治天皇より渙発さられた教育理念であり、何故に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」ばかりが強調され「戦争に繋がった危険思想」と否定されるのか。こうしたことも米国主導の戦後教育を妄信してる故の結果だ。
日清戦争は明治27年、日露戦争も明治37年と教育勅語の渙発後に起こったことだが、教育勅語が戦争を引き起こし、国民を巻き込んで惨禍を齎した元凶であるとの認識とは矛盾しているではないか。教育勅語の否定は、反天皇運動と同列である。
別に、天皇の為に死ねと言ってる訳でもなし、国の為に犠牲を覚悟で戦うことが何故にダメなのか。日本人であるなら自分達の国や郷土、愛する者の為に戦うのは当たり前のことだろう。それとも未来永劫、米国に助けを求めろとでもいうのか。
教育勅語を否定する野党や左翼勢力は、教育勅語の徳育でも中心的な「父母二孝二兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ」を否定し、「一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ」の部分ばかりを論う。要は、敗戦コンプレックスからの妄想でしかない(笑)
親への孝養や兄弟愛、夫婦相という家族を大事にし、友人との信頼関係を深め、博愛精神や学ぶことの大切さ、自分の特技を生かし世に貢献し、法律を守ることは正しく普遍的な教えであり、日本人としての高邁な精神こそ道徳の根幹だろう。
「博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器󠄁ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益󠄁ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ」という日本人として当たり前の努めの文言を「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」と、一身を捧げて皇室国家の為に尽くせというのは我田引水的解釈も甚だしい。
柴山文科相が述べた、「現代風に解釈され、或いはアレンジした形で、道徳などに使うことができる分野というのは十分にある。普遍性を持っている部分が見て取れる」という解釈の何処が間違ってるというのか。悪意的に取り過ぎだろう。
我が国は、天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり、天皇即日本、日本即天皇の天皇国家である。正に我が国は神の国であり、この国體の精華は万邦類を見ないところである。従って陛下の御代が栄えることは即日本が栄えることを意味する。
国柄を守るということは皇統を護ることであり、日本人としてそれの何処が不都合なのか。「義勇公二奉シ」を批判するが、国民の多くは一旦緩急になれば、天皇や国家という大それたことではなく、身を挺して愛する者や郷土を護るだろう。
政府が教育勅語を使用することを否定しないのは、明治天皇の詔勅である教育勅語を信じるのも思想信条の自由であると認識しているからだ。教育勅語を否定する勢力は護憲派ばかりだが、自ら憲法20条第3項に違反していることさえ気付かない。公正と信義が欠落してる護憲派というのは「誤憲派」というのが正しい(苦笑)
教育勅語を普及している明治神宮への参拝者数は毎年日本一。教育勅語を否定してる連中は明治神宮に行ったことも無いのか。多くの国民は教育勅語を自然に受け容れており、教育勅語に違和感を唱える連中にこそ違和感と嫌悪感を覚える。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
昨年、森友学園問題が騒がれ出した時も、野党らは籠池理事長らの教育勅語教育を否定していた。幼児に教育勅語を唱和させてる光景には愚生も違和感を覚えた。然し、嗤えることに野党らは「反安倍」からで籠池泰典とタッグを組んだ。
道徳教育で大事なものは、幼年期の「躾」であり、道徳を論理的に捉えるのではなく、学んだことを如何に実践するか、如何に行動で表せるかが肝要となる。そういう意味でも教育勅語の理念を現代風に分かり易く教えることは間違いではない。
教育勅語を否定する理由に「勅語とは天皇が臣下に対して発する言葉で憲法違反である」「教育勅語は、軍人勅諭、戊申詔書、青少年学徒勅語、その他の諸詔勅と共に既に廃止せられその効力を失っている」を挙げる。ならば、日本国憲法も昭和天皇の御詔勅により渙発されているのだから無効ということで宜しいか(苦笑)
教育勅語は明治23年10月30日に明治天皇より渙発さられた教育理念であり、何故に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」ばかりが強調され「戦争に繋がった危険思想」と否定されるのか。こうしたことも米国主導の戦後教育を妄信してる故の結果だ。
日清戦争は明治27年、日露戦争も明治37年と教育勅語の渙発後に起こったことだが、教育勅語が戦争を引き起こし、国民を巻き込んで惨禍を齎した元凶であるとの認識とは矛盾しているではないか。教育勅語の否定は、反天皇運動と同列である。
別に、天皇の為に死ねと言ってる訳でもなし、国の為に犠牲を覚悟で戦うことが何故にダメなのか。日本人であるなら自分達の国や郷土、愛する者の為に戦うのは当たり前のことだろう。それとも未来永劫、米国に助けを求めろとでもいうのか。
教育勅語を否定する野党や左翼勢力は、教育勅語の徳育でも中心的な「父母二孝二兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ」を否定し、「一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ」の部分ばかりを論う。要は、敗戦コンプレックスからの妄想でしかない(笑)
親への孝養や兄弟愛、夫婦相という家族を大事にし、友人との信頼関係を深め、博愛精神や学ぶことの大切さ、自分の特技を生かし世に貢献し、法律を守ることは正しく普遍的な教えであり、日本人としての高邁な精神こそ道徳の根幹だろう。
「博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器󠄁ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益󠄁ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ」という日本人として当たり前の努めの文言を「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」と、一身を捧げて皇室国家の為に尽くせというのは我田引水的解釈も甚だしい。
柴山文科相が述べた、「現代風に解釈され、或いはアレンジした形で、道徳などに使うことができる分野というのは十分にある。普遍性を持っている部分が見て取れる」という解釈の何処が間違ってるというのか。悪意的に取り過ぎだろう。
我が国は、天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり、天皇即日本、日本即天皇の天皇国家である。正に我が国は神の国であり、この国體の精華は万邦類を見ないところである。従って陛下の御代が栄えることは即日本が栄えることを意味する。
国柄を守るということは皇統を護ることであり、日本人としてそれの何処が不都合なのか。「義勇公二奉シ」を批判するが、国民の多くは一旦緩急になれば、天皇や国家という大それたことではなく、身を挺して愛する者や郷土を護るだろう。
政府が教育勅語を使用することを否定しないのは、明治天皇の詔勅である教育勅語を信じるのも思想信条の自由であると認識しているからだ。教育勅語を否定する勢力は護憲派ばかりだが、自ら憲法20条第3項に違反していることさえ気付かない。公正と信義が欠落してる護憲派というのは「誤憲派」というのが正しい(苦笑)
教育勅語を普及している明治神宮への参拝者数は毎年日本一。教育勅語を否定してる連中は明治神宮に行ったことも無いのか。多くの国民は教育勅語を自然に受け容れており、教育勅語に違和感を唱える連中にこそ違和感と嫌悪感を覚える。
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2018年10月03日
第四次安倍改造「全員野球内閣」発足(笑)
第四次安倍内閣は陛下からの認証を経て発足した。大臣の認証式は天皇の国事行為だが、コロコロと政権が代わって時代に比べれば、安定政権が続くというのは陛下の御公務も減り、何より諸外国からの信頼も深まるというもの。
会見で安倍首相は「直面する最大の課題は国難とも言うべき少子高齢化だ」と強調し、全世代型社会保障制度改革の実施を強調した。この儘では経済が破綻するかの様な口ぶりだが、高齢化の皺寄せを次世代に丸投げすることは赦されない。
「人口が減れば労働力が減り国力も低下する」などとは、営利主義の経済団体の口実に過ぎず、喩え1億人を切ろうが、7000万人ほどになろうが、外国人労働者という多民族を殖やして国柄が破壊されることだけは勘弁して欲しいものである。
世界中が嘘八百並べても日本だけは絶対にしない。そういう意味では孤高の日本で好いし、労働力不足を口実に外国人労働者という不法移民を殖やすべきではない。
少子化というがそういうことになるのは既に分かり切ってたことだ。少子化が原因で経済成長が鈍るならそれはそれで諒とするべきだし、営利至上主義の新自由主義の限界を悟り、代わりに国家や日本人としての自信や誇りを取り戻すべきだ。
安倍は、新内閣を「全員野球内閣」と命名し悦に入る。女性閣僚が片山さつきの一人だけで、女性の社会進出からもギャッくしてるなどと批判されてるが、「ソフトボール内閣」なら未だしも野球となれば女性が少ないのは当然だろうか(笑)
総裁選挙後に言われていた石破派の冷遇はせず、石破派の山下貴司を法務大臣として起用したが、流石に長期政権ともなると、安倍の狡猾さも見え隠れする。
山下は岡山県岡山市出身。東大在学中に司法試験に合格した秀才であり、東京地検特捜部勤務の経験もあり、外交官として慰安婦訴訟や戦時捕虜訴訟を担当し勝訴している。憲法改正での国民投票の実施に前向きで、死刑制度も容認している。
総裁選では安倍と石破の憲法論、特に第9条の認識には隔たりがあった。山下は石破の憲法解釈を重んずるなら内閣不一致の謗りは免れない。安倍の石破派潰しか、強かな戦略か。石破派ではこういう人材が埋もれてしまうが、安倍の起用で若手政治家の活躍の場が広がることは我が国の政治にとっても明るい兆しだと思う。
安倍首相は憲法改正や社会保障制度ばかりで、党綱領に在る教育基本法の改正を如何に行うか、生まれた国に誇りの持てる国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育を如何に施すかと言いながら、カネの分配ばかりで中身が語られないのは如何に。
憲法改正は国民の過半数の同意を得て成り立つ訳で、安倍の改憲論の是非は兎も角として、憲法議論も活発化させるのは余りにも当たり前のことである。
また、世界情勢が変化する中で新たな日米同盟の構築や中共を始めとする我が国と敵対する近隣諸国との外交戦略も見直すべきだろう。その為にはやはり自主憲法を整備し、海洋国家としての防衛網の充実を図ることは当たり前のことだ。
安倍政権での消費税10%になり、財政難を理由に国民負担を強いるなら、その前に政治家自らが身を削るべきだ。国民から詐取している政党交付金(政党助成金)を返納し、政党助成法の廃止は当然。「政治家は塊より始めよ」とは正しく今だ。
早々に臨時国会が召集される。安倍内閣の残り3年での総仕上げがどうなるかは定かではないが、国会では与野党の活発な議論を期待したい。然し乍ら、学習能力に乏しい野党はいつもの様に森友・加計、官僚の不祥事に託けて国民不在の論争が繰り返されるのかと思うと気が重い。我が国がまともな国家になるのは何時のことやら。
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会見で安倍首相は「直面する最大の課題は国難とも言うべき少子高齢化だ」と強調し、全世代型社会保障制度改革の実施を強調した。この儘では経済が破綻するかの様な口ぶりだが、高齢化の皺寄せを次世代に丸投げすることは赦されない。
「人口が減れば労働力が減り国力も低下する」などとは、営利主義の経済団体の口実に過ぎず、喩え1億人を切ろうが、7000万人ほどになろうが、外国人労働者という多民族を殖やして国柄が破壊されることだけは勘弁して欲しいものである。
世界中が嘘八百並べても日本だけは絶対にしない。そういう意味では孤高の日本で好いし、労働力不足を口実に外国人労働者という不法移民を殖やすべきではない。
少子化というがそういうことになるのは既に分かり切ってたことだ。少子化が原因で経済成長が鈍るならそれはそれで諒とするべきだし、営利至上主義の新自由主義の限界を悟り、代わりに国家や日本人としての自信や誇りを取り戻すべきだ。
安倍は、新内閣を「全員野球内閣」と命名し悦に入る。女性閣僚が片山さつきの一人だけで、女性の社会進出からもギャッくしてるなどと批判されてるが、「ソフトボール内閣」なら未だしも野球となれば女性が少ないのは当然だろうか(笑)
総裁選挙後に言われていた石破派の冷遇はせず、石破派の山下貴司を法務大臣として起用したが、流石に長期政権ともなると、安倍の狡猾さも見え隠れする。
山下は岡山県岡山市出身。東大在学中に司法試験に合格した秀才であり、東京地検特捜部勤務の経験もあり、外交官として慰安婦訴訟や戦時捕虜訴訟を担当し勝訴している。憲法改正での国民投票の実施に前向きで、死刑制度も容認している。
総裁選では安倍と石破の憲法論、特に第9条の認識には隔たりがあった。山下は石破の憲法解釈を重んずるなら内閣不一致の謗りは免れない。安倍の石破派潰しか、強かな戦略か。石破派ではこういう人材が埋もれてしまうが、安倍の起用で若手政治家の活躍の場が広がることは我が国の政治にとっても明るい兆しだと思う。
安倍首相は憲法改正や社会保障制度ばかりで、党綱領に在る教育基本法の改正を如何に行うか、生まれた国に誇りの持てる国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育を如何に施すかと言いながら、カネの分配ばかりで中身が語られないのは如何に。
憲法改正は国民の過半数の同意を得て成り立つ訳で、安倍の改憲論の是非は兎も角として、憲法議論も活発化させるのは余りにも当たり前のことである。
また、世界情勢が変化する中で新たな日米同盟の構築や中共を始めとする我が国と敵対する近隣諸国との外交戦略も見直すべきだろう。その為にはやはり自主憲法を整備し、海洋国家としての防衛網の充実を図ることは当たり前のことだ。
安倍政権での消費税10%になり、財政難を理由に国民負担を強いるなら、その前に政治家自らが身を削るべきだ。国民から詐取している政党交付金(政党助成金)を返納し、政党助成法の廃止は当然。「政治家は塊より始めよ」とは正しく今だ。
早々に臨時国会が召集される。安倍内閣の残り3年での総仕上げがどうなるかは定かではないが、国会では与野党の活発な議論を期待したい。然し乍ら、学習能力に乏しい野党はいつもの様に森友・加計、官僚の不祥事に託けて国民不在の論争が繰り返されるのかと思うと気が重い。我が国がまともな国家になるのは何時のことやら。
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