2014年10月
2014年10月29日
我が国の石油危機を救った「アラビア太郎」こと山下太郎
百田尚樹の「海賊とよばれた男」に登場する主人公・国岡鐡造は出光興産創業者の出光佐三がモデル。国岡鐡造の一生 と国岡商店が大企業にまで成長する過程が描かれベストセラーとなった。「出光興産」を知っていても「アラビア石油」という名前を知ってる人は少ないだろう。「アラビア太郎」こと「山下太郎」が昭和58年に設立した会社で、別名「日の丸石油」と呼ばれ、社旗は日の丸に「A」。日本の自主開発油田で、我が国の石油の安定供給に貢献した会社である。
山下は、日本の石油危機を救うには、「日本人の手によって、アラビアで石油を掘るのが一番の得策だ」と言ってアラビア石油を創設する。資金面や現地での困難や危機を乗り切り、漸く油田を掘り当てる。だが、その吉報の一方で大きな災難が襲った。1号井戸を掘ってた際にガス層に突き当たってガスが噴出し引火、忽ち猛火が母艦を包んだ。石油が日本へ送られる寸前の出来事だった。
だが、山下は刻々と入る悲報を前にして、「火事は災難だが、これで石油の出ることがはっきりした。火災は問題ではない。まぁ、大学入試に合格した途端、ちょいと風邪をひいた様なものさ。油は出る。必ず出る!」と平然と言い切った。しかし、大事故はそれで終わった訳ではなかった。更なる試練が山下に襲い掛かる。
タンカーに続いて開発作業に従事していた150トンの大型クレーンが倒れてしまう。そんなこともあり資金は底を突く。当時50億円の資本金を100億円に倍増増資しても足りなかった。普通の人ならここで退散だろうが、山下は違った。
流石は「アラビア太郎」、火災事故から5か月後、待望の石油を掘り当てた。山下の禍を転じて福と成す信念があってこそ、我が国のエネルギー危機を救ったのだ。その後、昭和48(1973)年10月、第4次中東戦争(十月戦争)が勃発。石油輸出国機構(OPEC)が石油価格を大幅に引き上げたことにより,世界経済全体が大きな混乱を招くこととなり、「第1次石油危機(オイルショック)」が起きる。
昭和54(1979)年には第2次オイルショックが起き、石油消費国はインフレ、景気後退、国際収支赤字の三重苦(トリレンマ)に悩まされ、我が国ではこうした経験から、石油に頼らない原子力発電の開発を推進することとなって行く。
原発事故以来、我が国の電力の90%が火力発電によって賄われている。だが、原発依存から脱却し、化石燃料への依存度が高いまま推移した場合に様々な弊害が出て来ることは火を見るより明らか。現に今年度の貿易赤字は5兆4271億円に上る。
反原発派に出光佐三や山下太郎の様な、日本の危機を救う為に私財を投じ、莫大な投資をして新エネルギー開発に命を賭ける様な人物がいれば別だが、そんな奇特な者などいないし、他人事の様に「原発費用を充てろ!」と言うのが関の山。
国内経済は多くを海上交易に依存し、日本の輸入依存度の高さは石油が99.8%、石炭98.4%、天然ガス(LNG)96.6%、原子力(ウラン)に至っては100%を依存している。「脱原発」の流れで原発を廃炉にし、代替エネルギーも確保されないままで、もし化石燃料による電力のみに移行した場合、それは我が国経済の自殺行為と言っても過言ではない。その点では、原子力発電というのは「プルサーマル」や「高速増殖炉」も実用化出来れば、かなりのエネルギーは自国で賄えるのだ。
「脱原発」よりも現存する原発の安全対策を盤石に施し、核リサイクルなどの技術開発研究を進めることこそが最重要なことだろう。 太陽光や水力、火力、風力、或いはメタンハイドレートへの投資や、蓄電の技術開発に多額の資金を投じれば、将来的な脱原発への道が開かれるだろうが、実際には実現するのは困難だ。
原発稼働停止で、国内の大資本から民間企業、外国資本まで太陽光発電事業に参入した。地上げ屋が跋扈し、山林が売買され森が伐採され、緑豊かな森が人工的なパネルで敷き詰められ、自然の景観を損なったが、こんな営利至上主義に狂奔しながら、「エネルギー供給の危機」をクリア出来るとは到底思えない。
「脱原発」にしろ、口で言うのは容易いが、何より、既に存在している28000トン在ると言われている「使用済み核燃料」をどのように処理するのか。これを「再処理」した上で「最終処分」しなければならないのを知らない訳ではあるまい。
使用済み燃料を再処理するとプルトニウムを含む酸化物が精製されるが、これを「プルサーマル」や「フルMOX」の原発で燃料として使わなければ、国際公約に違反していることになってしまう。日本だけが余剰プルトニウムを持つことは国際的に許されないのだ。現在の状況を嘆くのも勝手だが、先人の行った過去の功績や苦労を知らず、 将来のみを語ることがあってはならない。
出光佐三にしろ山下太郎にしろ、昔の企業家というのは営利よりも先ず日本の将来や国民の幸福を重んじていた。企業人とはやはり社稷を重んじることこそ大事。だが、悲しいかな我が国の経済界は正に財閥富を誇れども社稷を想う心なし。
日本人は勤勉な国民だと言われて来た。何故に勤勉なのかと問えば、多くの人は「貧しかったから」だという。だが、日本より貧しい国は沢山在るし、それらの国民も勤勉かといえばそうとは限らない。日本人の美徳とされたものは「勤勉と貯蓄」である。それを提唱し、生活思想に高めた人物が「石田梅岩」という人物だ。
江戸時代、商人は「士農工商」の最下位に置かれ「金儲け=賤しい」と軽蔑の対象にあった。梅岩は、商人の役割について「余ったものを足りない所に送り社会全体を過不足なくすることだ」といい、倹約の公共的な経済効果を打ち出した。我が国の景気低迷の一因は経済人の心の乏しさに起因していることも多く、真の政治家を育てることも大事だが、社稷を重んじる経済人を育むことが、日本再建の鍵となろう。
大きな事業や大きな目標になればなるほど、大きな困難や試練が待ち構えているもの。「井戸を掘るなら水の湧くまで掘れ」という言葉があるが、「アラビア太郎」こと山下太郎の様に、自分の立ってる場所を掘り続ければ、自分の井戸が見つかるだろう。「汝の立つ処を深く掘れ そこから泉が湧くであろう(ニーチェ)」
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
山下は、日本の石油危機を救うには、「日本人の手によって、アラビアで石油を掘るのが一番の得策だ」と言ってアラビア石油を創設する。資金面や現地での困難や危機を乗り切り、漸く油田を掘り当てる。だが、その吉報の一方で大きな災難が襲った。1号井戸を掘ってた際にガス層に突き当たってガスが噴出し引火、忽ち猛火が母艦を包んだ。石油が日本へ送られる寸前の出来事だった。
だが、山下は刻々と入る悲報を前にして、「火事は災難だが、これで石油の出ることがはっきりした。火災は問題ではない。まぁ、大学入試に合格した途端、ちょいと風邪をひいた様なものさ。油は出る。必ず出る!」と平然と言い切った。しかし、大事故はそれで終わった訳ではなかった。更なる試練が山下に襲い掛かる。
タンカーに続いて開発作業に従事していた150トンの大型クレーンが倒れてしまう。そんなこともあり資金は底を突く。当時50億円の資本金を100億円に倍増増資しても足りなかった。普通の人ならここで退散だろうが、山下は違った。
流石は「アラビア太郎」、火災事故から5か月後、待望の石油を掘り当てた。山下の禍を転じて福と成す信念があってこそ、我が国のエネルギー危機を救ったのだ。その後、昭和48(1973)年10月、第4次中東戦争(十月戦争)が勃発。石油輸出国機構(OPEC)が石油価格を大幅に引き上げたことにより,世界経済全体が大きな混乱を招くこととなり、「第1次石油危機(オイルショック)」が起きる。
昭和54(1979)年には第2次オイルショックが起き、石油消費国はインフレ、景気後退、国際収支赤字の三重苦(トリレンマ)に悩まされ、我が国ではこうした経験から、石油に頼らない原子力発電の開発を推進することとなって行く。
原発事故以来、我が国の電力の90%が火力発電によって賄われている。だが、原発依存から脱却し、化石燃料への依存度が高いまま推移した場合に様々な弊害が出て来ることは火を見るより明らか。現に今年度の貿易赤字は5兆4271億円に上る。
反原発派に出光佐三や山下太郎の様な、日本の危機を救う為に私財を投じ、莫大な投資をして新エネルギー開発に命を賭ける様な人物がいれば別だが、そんな奇特な者などいないし、他人事の様に「原発費用を充てろ!」と言うのが関の山。
国内経済は多くを海上交易に依存し、日本の輸入依存度の高さは石油が99.8%、石炭98.4%、天然ガス(LNG)96.6%、原子力(ウラン)に至っては100%を依存している。「脱原発」の流れで原発を廃炉にし、代替エネルギーも確保されないままで、もし化石燃料による電力のみに移行した場合、それは我が国経済の自殺行為と言っても過言ではない。その点では、原子力発電というのは「プルサーマル」や「高速増殖炉」も実用化出来れば、かなりのエネルギーは自国で賄えるのだ。
「脱原発」よりも現存する原発の安全対策を盤石に施し、核リサイクルなどの技術開発研究を進めることこそが最重要なことだろう。 太陽光や水力、火力、風力、或いはメタンハイドレートへの投資や、蓄電の技術開発に多額の資金を投じれば、将来的な脱原発への道が開かれるだろうが、実際には実現するのは困難だ。
原発稼働停止で、国内の大資本から民間企業、外国資本まで太陽光発電事業に参入した。地上げ屋が跋扈し、山林が売買され森が伐採され、緑豊かな森が人工的なパネルで敷き詰められ、自然の景観を損なったが、こんな営利至上主義に狂奔しながら、「エネルギー供給の危機」をクリア出来るとは到底思えない。
「脱原発」にしろ、口で言うのは容易いが、何より、既に存在している28000トン在ると言われている「使用済み核燃料」をどのように処理するのか。これを「再処理」した上で「最終処分」しなければならないのを知らない訳ではあるまい。
使用済み燃料を再処理するとプルトニウムを含む酸化物が精製されるが、これを「プルサーマル」や「フルMOX」の原発で燃料として使わなければ、国際公約に違反していることになってしまう。日本だけが余剰プルトニウムを持つことは国際的に許されないのだ。現在の状況を嘆くのも勝手だが、先人の行った過去の功績や苦労を知らず、 将来のみを語ることがあってはならない。
出光佐三にしろ山下太郎にしろ、昔の企業家というのは営利よりも先ず日本の将来や国民の幸福を重んじていた。企業人とはやはり社稷を重んじることこそ大事。だが、悲しいかな我が国の経済界は正に財閥富を誇れども社稷を想う心なし。
日本人は勤勉な国民だと言われて来た。何故に勤勉なのかと問えば、多くの人は「貧しかったから」だという。だが、日本より貧しい国は沢山在るし、それらの国民も勤勉かといえばそうとは限らない。日本人の美徳とされたものは「勤勉と貯蓄」である。それを提唱し、生活思想に高めた人物が「石田梅岩」という人物だ。
江戸時代、商人は「士農工商」の最下位に置かれ「金儲け=賤しい」と軽蔑の対象にあった。梅岩は、商人の役割について「余ったものを足りない所に送り社会全体を過不足なくすることだ」といい、倹約の公共的な経済効果を打ち出した。我が国の景気低迷の一因は経済人の心の乏しさに起因していることも多く、真の政治家を育てることも大事だが、社稷を重んじる経済人を育むことが、日本再建の鍵となろう。
大きな事業や大きな目標になればなるほど、大きな困難や試練が待ち構えているもの。「井戸を掘るなら水の湧くまで掘れ」という言葉があるが、「アラビア太郎」こと山下太郎の様に、自分の立ってる場所を掘り続ければ、自分の井戸が見つかるだろう。「汝の立つ処を深く掘れ そこから泉が湧くであろう(ニーチェ)」
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
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2014年10月22日
橋下大阪市長と在特会会長との「お前のかあちゃん出べそ」的バトルに大笑い
橋下徹大阪市長と在特会の桜井誠会長とのバトルを見た。「ヘイトスピーチに関して、お伺い出来ます?」と桜井が問い掛けると、何故か橋下は、横柄な態度で「僕の意見を聞くんじゃなくて…」と返答。如何にも桜井を見下してるのが分かる。
「あんたが言い出したことだろ!」と桜井。
「あんた、じゃねえだろ」と橋下。
「じゃぁ『お前』で好いのか?」(これは技あり、ナイスなツッコミ!)
橋下が呆れ気味に、「お前なぁ・・・」
桜井がすかさず、「『お前』って言うなよ!」とツッコむ(笑)
橋下「うるせぇな、お前」
流石は吉本の地元、下手な漫才より面白い展開から始まったのはイイが、オチがイマイチだったな。はっきり言って論争にも討論にもなっていない。桜井の口調というのはああいうもので、アレも個性として認めるべきだろう(笑)
そうした桜井の個性や人格を全否定し、傲岸不遜にふんぞり返り、桜井を挑発するかの様な対応ぶりは橋下の器の小ささと性悪さを露呈していた。
「在特会に利用されない為」との理由にしろ、在日特権の目眩し、論理のすり替えでしかなく、首長が市民団体代表に「お前」呼ばわりするとは前代未聞のこと。
「だったら国会議員に言え!」「選挙に出て訴えて見ろよ!」というのは傲慢そのもの。まぁ、人を見下すことには図抜けている橋下の本性を現したと言えばそれまで。橋下の論法から言えば、選挙以外では人を批判したりは出来ないらしい。
ならば選挙以外で吠えまくっている評論家や営業保守らも規制すべきで、右翼やヤクザに「お前らの様なのは大阪には要らない、やらせない」と言えば一目も置くが、所詮は市民団体の代表に対して侮蔑し、揶揄い、見下しただけ。
桜井からの「どういう発言をしたのか具体的に言ってみろ!」という都合の悪い質問には答えることなく、「お前らの様な差別主義者は大阪には要らない」「朝鮮人、韓国人を一緒くたにするな!」と応答し、それを繰り返すだけ。
橋下の今回の会談の目的は、在特会への苦言と諫言が目的ではなかったのか。にも拘わらず、冒頭に「僕の意見を聞くんじゃなくて」という横柄な言いっぷりは、桜井でなくても意味不明と捉えるのは当然のことだろう。
具体的に「差別発言」を示すことが出来ないならば、それは朝日新聞社説(10月1日付)と同じ。この一件では在特会側が朝日新聞に抗議文を提出しているのだから、橋下も公に「差別主義者」と断じるのなら、その根拠は明らかにすべきだ。
それも出来ないなら「差別主義者」発言は撤回し、暴言を謝罪して然り。「朝鮮人を叩き出せ!とか言うな」「朝鮮人、韓国人を一絡げにするな!」「お前の様な差別主義者は大阪に来るな!」などという根拠に基かない、固定観念的反論や「ヘイト」との暴言こそこそ在特会への逆差別と言っても過言ではない。
「差別や過激な発言はやはりやり過ぎ。在特会はもっとやり方を変えるべきだし、私も市長として在日への優遇や問題点は見直しを検討するし、日本人蔑視の逆差別もやらせない」と、互いの共通点を見出し、主張すべきではなかったか。
桜井を呼んだのは橋下、だったら先ずは呼んだ経緯を説明し、相手の言い分を聴いて、それから真摯に答えるべきで、「あんたと呼ぶな!」だとか「うるせえな、お前!」だとか言うのは本末転倒と断じざるを得ない。
最高裁の判決で「生活保護は日本人のみの権利」という判決が出ている訳で、こうした判例を提示しながら、大阪での在日への生活保護の実態や、在日特権という戦後の暗部を問題提起することがなかったのは残念でならない。
橋下が頻りに声を大にして、「そういうことは国会議員に言え」「選挙に出て訴えろ」というのはこれこそ詭弁であり、遁辞そのもの。だったら何で、国会議員でもない橋下が何故呼びつけたんだよっていう話しだよな(笑)
日本国民に限定されている生活保護費の支給を、在日らは「差別だ!」「我々は強制連行された!」とイチャモンを並べ、日本人と同等の権利を主張し、支給を求めた。厚生省社会局長がこうした強要に屈する容で支給を認め、通達を出すに至ったというのが真相であり、譲歩が更なる譲歩を生んだ典型的な一例。
その後、案の定、在日らの要求はエスカレートし止まることを知らない。在日ら外国人への生活保護費支給は、明らかな「日本国憲法第25条」及び「生活保護法」違反であり、橋下の一方的な言い分は事の本質を大きく逸脱するものだ。
在日への生活保護は政治家主導ではなく、官僚とその通達を疑いも無く実行した行政側の責任が大きく、橋下が「政治家に言え」というのは、無知且つ責任転嫁以外の何ものでもない。在日を庇いたくなる橋下の気持ちは分かるな(笑)
橋下は「参政権の無い在日に言っても仕方ない。政治家に言え!」「立候補しろ!」とも反論していたが、彼らが政治活動をしているのは周知の事実。
民主党政権時代、前原元幹事長の不法献金事件は記憶に新しい。在日が政治家に献金し「地方参政権付与問題」を始め様々な政治活動をしている事実は、主権が侵害されている大問題でもあるのだが、そうした危機感を共有している国民は少ない。
現在国内には60万人以上の在日朝鮮人がいる。大阪府にはその3分の1の約20万人の在日朝鮮人がおり、内12万人が大阪市に集中しているという異常さだ。
彼らは、所得税は不払いを決め込み、「住民税は半額にしろ!」「固定資産税は免除しろ!」と税務担当を脅し、認めさせ、まともに納税することはない。
こうした在日特権と言われる現実と、通名を使用した在日への不正な生活保護受給で大阪府や大阪市の財源不足も深刻な状況だ。万が一にも参政権付与が成立することになれば、大阪市長選の勝敗をも左右しかねない恐ろしい数なのだ。
「在日特権を許さない市民の会」の活動の趣旨は間違ってはいない。そういう意味では、橋下は在特会の主張は一理あることを認めた上で、活動の手法を諌めるべきだった様にも思うが、在日へのリップサービスと思えば合点もいくというもの(笑)
マスコミは早速、画像を編集し、一方的に桜井のあの態度と口調を垂れ流し、「在特会とはこういう団体なんだ」というイメージ操作をしていたが、在特会の主たる目的である「在日特権を許さない」という主張は黙認された。
在日特権は戦後政治の大きな問題であり、我々にとっても他人事ではないのだ。「在日特権」を語る上で竹島問題は避けては通れない重要な問題である。
昭和27年1月、韓国初代大統領・李承晩は国際法を無視し、軍事境界線、所謂「李承晩ライン」を設定し、日本領土の竹島を取り込んで韓国領と宣言した。
我が国の主権が快復する直前に韓国が竹島を掠め取ったのが真相。戦後、この李承晩ラインを侵犯したとして拿捕、抑留された日本人漁民は「日韓漁業協定」が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人に及び、船舶328隻、死傷者は実に44名を数える。こうした歴史的事実がマスコミに取り上げられたことはない。
韓国政府は日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を要求し、日本政府はその恫喝に屈し要求に応じた。それ以降、在日が殖え続け、在日特権が次々と与えられて行く。
前原始め、多くの売国議員が在日からの不法献金を受け、忠誠を誓うが如く政治活動を行い、売国法案成立に躍起になっていることは疑い様のない事実だろう。
こうした問題点を政治家に申し入れしたところで効果など期待出来ない。かと言ってこれ以上の日本国民の主権侵害を、拱手して黙視している場合でもなく、そういう意味では在特会の過激な言論活動は世論警鐘の一つの手段とも言えなくもない。
「反天皇制運動連絡会(反天連)」に比べれば在特会なんぞ可愛いもので、橋下がそれでも尚、在特会の活動をヘイトスピーチと批判するのであれば、「反天連」の大阪での活動にも「お前らの様なのは大阪には要らない」と吠えるべきだろう。
橋下も話題性のある在特会を遣り込めて、マスコミにまた持ち上げて貰おうという魂胆だったのだろうが、今回は流石に上手くは行かなかった様だ。
まぁ、それにしても面白過ぎる映像だ。この対談を観る限りでは橋下が勝ったというより、子供のケンカに持ち込んだ桜井が上手だったということだろう(笑)
橋下はこれ以上自分の醜態を曝すことはマイナスと悟った様で、徐に「終わりにしましょうか?」と周辺にいる関係者やマスコミに同意を求める。
「とっとと帰れ!」と桜井。
「ここは大阪市役所だ、お前が帰れ!」と橋下。
最後までガキのケンカ。橋下には吉本新喜劇の様に「なんでやねん」とツッコんで欲しかったなぁ。会場にいた記者らもそこでコケたら面白かったのにな。橋下VS桜井の「お前のかあちゃんでべそ」的バトルには大笑いするしかなかった。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
「あんたが言い出したことだろ!」と桜井。
「あんた、じゃねえだろ」と橋下。
「じゃぁ『お前』で好いのか?」(これは技あり、ナイスなツッコミ!)
橋下が呆れ気味に、「お前なぁ・・・」
桜井がすかさず、「『お前』って言うなよ!」とツッコむ(笑)
橋下「うるせぇな、お前」
流石は吉本の地元、下手な漫才より面白い展開から始まったのはイイが、オチがイマイチだったな。はっきり言って論争にも討論にもなっていない。桜井の口調というのはああいうもので、アレも個性として認めるべきだろう(笑)
そうした桜井の個性や人格を全否定し、傲岸不遜にふんぞり返り、桜井を挑発するかの様な対応ぶりは橋下の器の小ささと性悪さを露呈していた。
「在特会に利用されない為」との理由にしろ、在日特権の目眩し、論理のすり替えでしかなく、首長が市民団体代表に「お前」呼ばわりするとは前代未聞のこと。
「だったら国会議員に言え!」「選挙に出て訴えて見ろよ!」というのは傲慢そのもの。まぁ、人を見下すことには図抜けている橋下の本性を現したと言えばそれまで。橋下の論法から言えば、選挙以外では人を批判したりは出来ないらしい。
ならば選挙以外で吠えまくっている評論家や営業保守らも規制すべきで、右翼やヤクザに「お前らの様なのは大阪には要らない、やらせない」と言えば一目も置くが、所詮は市民団体の代表に対して侮蔑し、揶揄い、見下しただけ。
桜井からの「どういう発言をしたのか具体的に言ってみろ!」という都合の悪い質問には答えることなく、「お前らの様な差別主義者は大阪には要らない」「朝鮮人、韓国人を一緒くたにするな!」と応答し、それを繰り返すだけ。
橋下の今回の会談の目的は、在特会への苦言と諫言が目的ではなかったのか。にも拘わらず、冒頭に「僕の意見を聞くんじゃなくて」という横柄な言いっぷりは、桜井でなくても意味不明と捉えるのは当然のことだろう。
具体的に「差別発言」を示すことが出来ないならば、それは朝日新聞社説(10月1日付)と同じ。この一件では在特会側が朝日新聞に抗議文を提出しているのだから、橋下も公に「差別主義者」と断じるのなら、その根拠は明らかにすべきだ。
それも出来ないなら「差別主義者」発言は撤回し、暴言を謝罪して然り。「朝鮮人を叩き出せ!とか言うな」「朝鮮人、韓国人を一絡げにするな!」「お前の様な差別主義者は大阪に来るな!」などという根拠に基かない、固定観念的反論や「ヘイト」との暴言こそこそ在特会への逆差別と言っても過言ではない。
「差別や過激な発言はやはりやり過ぎ。在特会はもっとやり方を変えるべきだし、私も市長として在日への優遇や問題点は見直しを検討するし、日本人蔑視の逆差別もやらせない」と、互いの共通点を見出し、主張すべきではなかったか。
桜井を呼んだのは橋下、だったら先ずは呼んだ経緯を説明し、相手の言い分を聴いて、それから真摯に答えるべきで、「あんたと呼ぶな!」だとか「うるせえな、お前!」だとか言うのは本末転倒と断じざるを得ない。
最高裁の判決で「生活保護は日本人のみの権利」という判決が出ている訳で、こうした判例を提示しながら、大阪での在日への生活保護の実態や、在日特権という戦後の暗部を問題提起することがなかったのは残念でならない。
橋下が頻りに声を大にして、「そういうことは国会議員に言え」「選挙に出て訴えろ」というのはこれこそ詭弁であり、遁辞そのもの。だったら何で、国会議員でもない橋下が何故呼びつけたんだよっていう話しだよな(笑)
日本国民に限定されている生活保護費の支給を、在日らは「差別だ!」「我々は強制連行された!」とイチャモンを並べ、日本人と同等の権利を主張し、支給を求めた。厚生省社会局長がこうした強要に屈する容で支給を認め、通達を出すに至ったというのが真相であり、譲歩が更なる譲歩を生んだ典型的な一例。
その後、案の定、在日らの要求はエスカレートし止まることを知らない。在日ら外国人への生活保護費支給は、明らかな「日本国憲法第25条」及び「生活保護法」違反であり、橋下の一方的な言い分は事の本質を大きく逸脱するものだ。
在日への生活保護は政治家主導ではなく、官僚とその通達を疑いも無く実行した行政側の責任が大きく、橋下が「政治家に言え」というのは、無知且つ責任転嫁以外の何ものでもない。在日を庇いたくなる橋下の気持ちは分かるな(笑)
橋下は「参政権の無い在日に言っても仕方ない。政治家に言え!」「立候補しろ!」とも反論していたが、彼らが政治活動をしているのは周知の事実。
民主党政権時代、前原元幹事長の不法献金事件は記憶に新しい。在日が政治家に献金し「地方参政権付与問題」を始め様々な政治活動をしている事実は、主権が侵害されている大問題でもあるのだが、そうした危機感を共有している国民は少ない。
現在国内には60万人以上の在日朝鮮人がいる。大阪府にはその3分の1の約20万人の在日朝鮮人がおり、内12万人が大阪市に集中しているという異常さだ。
彼らは、所得税は不払いを決め込み、「住民税は半額にしろ!」「固定資産税は免除しろ!」と税務担当を脅し、認めさせ、まともに納税することはない。
こうした在日特権と言われる現実と、通名を使用した在日への不正な生活保護受給で大阪府や大阪市の財源不足も深刻な状況だ。万が一にも参政権付与が成立することになれば、大阪市長選の勝敗をも左右しかねない恐ろしい数なのだ。
「在日特権を許さない市民の会」の活動の趣旨は間違ってはいない。そういう意味では、橋下は在特会の主張は一理あることを認めた上で、活動の手法を諌めるべきだった様にも思うが、在日へのリップサービスと思えば合点もいくというもの(笑)
マスコミは早速、画像を編集し、一方的に桜井のあの態度と口調を垂れ流し、「在特会とはこういう団体なんだ」というイメージ操作をしていたが、在特会の主たる目的である「在日特権を許さない」という主張は黙認された。
在日特権は戦後政治の大きな問題であり、我々にとっても他人事ではないのだ。「在日特権」を語る上で竹島問題は避けては通れない重要な問題である。
昭和27年1月、韓国初代大統領・李承晩は国際法を無視し、軍事境界線、所謂「李承晩ライン」を設定し、日本領土の竹島を取り込んで韓国領と宣言した。
我が国の主権が快復する直前に韓国が竹島を掠め取ったのが真相。戦後、この李承晩ラインを侵犯したとして拿捕、抑留された日本人漁民は「日韓漁業協定」が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人に及び、船舶328隻、死傷者は実に44名を数える。こうした歴史的事実がマスコミに取り上げられたことはない。
韓国政府は日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を要求し、日本政府はその恫喝に屈し要求に応じた。それ以降、在日が殖え続け、在日特権が次々と与えられて行く。
前原始め、多くの売国議員が在日からの不法献金を受け、忠誠を誓うが如く政治活動を行い、売国法案成立に躍起になっていることは疑い様のない事実だろう。
こうした問題点を政治家に申し入れしたところで効果など期待出来ない。かと言ってこれ以上の日本国民の主権侵害を、拱手して黙視している場合でもなく、そういう意味では在特会の過激な言論活動は世論警鐘の一つの手段とも言えなくもない。
「反天皇制運動連絡会(反天連)」に比べれば在特会なんぞ可愛いもので、橋下がそれでも尚、在特会の活動をヘイトスピーチと批判するのであれば、「反天連」の大阪での活動にも「お前らの様なのは大阪には要らない」と吠えるべきだろう。
橋下も話題性のある在特会を遣り込めて、マスコミにまた持ち上げて貰おうという魂胆だったのだろうが、今回は流石に上手くは行かなかった様だ。
まぁ、それにしても面白過ぎる映像だ。この対談を観る限りでは橋下が勝ったというより、子供のケンカに持ち込んだ桜井が上手だったということだろう(笑)
橋下はこれ以上自分の醜態を曝すことはマイナスと悟った様で、徐に「終わりにしましょうか?」と周辺にいる関係者やマスコミに同意を求める。
「とっとと帰れ!」と桜井。
「ここは大阪市役所だ、お前が帰れ!」と橋下。
最後までガキのケンカ。橋下には吉本新喜劇の様に「なんでやねん」とツッコんで欲しかったなぁ。会場にいた記者らもそこでコケたら面白かったのにな。橋下VS桜井の「お前のかあちゃんでべそ」的バトルには大笑いするしかなかった。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
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2014年10月21日
靖國神社秋季例大祭と神風特別攻撃隊
19日の日曜日、靖國神社秋季例大祭に参列する為に上京。新幹線に乗り遅れたが、9時30分の受け付けにはぎりぎり間に合った。靖國神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭。秋季例大祭は10月17日から20日までの4日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・第三日祭・直会の諸儀が斎行された。
春季例大祭と同様、当日祭には天皇陛下の勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上される。当日祭後は、第二日祭、第三日祭と祭儀が執り行われ、最終日には、例大祭が無事に終了することを感謝する「直会」が執り行われる。終身正会員らが順次招待されるが、愚生は「第二日祭」に参列。
参集殿から拝殿へ。隣り合わせた御夫婦の御主人は所謂「戦争孤児」と言われた方で、「我々ももう70過ぎ、(靖國の在り方を)どうにかしなければならないと思っています」などと語っていたのが印象的だった。そして10時、厳かに式は始まった。宮司以下本殿の座に著き、国学院吹奏楽部による伴奏に合わせ国歌斉唱。様々な式典で国歌斉唱を聴くが、この例大祭での斉唱より敵うものなし。
本殿では權宮司以下により神事が斎行されているが拝殿からは様子は窺えない。聞こえるのは小鳥の囀りと宮司の唱える祝詞、そして社頭で参拝する方々の柏手の音。
その後、国学院大学混声合唱団と共に「鎮魂歌」並びに「靖國神社の歌」を合唱。宮司玉串奉奠に続き、参拝者が本殿に進み拝礼、英霊に感謝の誠を捧げ、そして退出。式典は約1時間で終了。華美さはないが実にいい式典だった。
「第三日祭」が執り行われる翌、20日は皇后陛下の御生誕日。戦前の「地久節」。「10月20日」という日は、日本国民として実にめでたい日であるが、それと共に歴史的にも我々日本人が決して忘れてはならない特別な日でもある。
昭和19(1944)年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊へ帝国海軍は起死回生の反撃と連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止する為に大西瀧次郎中将の指令下「神風特別攻撃隊」が編成された。
祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は、祖国愛の極致というべきもので大東亜戦争が自存の為の「祖国防衛戦争」だったことの何よりの証だろう。
沖縄戦でも特攻部隊が重要な役割を果たし、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華された。特攻は航空部隊だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など、劣勢を覆す為の特攻作戦でも3972名と、実に多くの若者が祖国日本の為に尊い命を捧げられたのだった。
特攻作戦をを「無駄死」だとか「可哀想」だとかいう声を散見するが、現在の道徳観や倫理観で生死を語るなど笑止千万。我が国の現在の平和や繁栄は、純真無垢な彼らの尊い犠牲の上に成り立ってるということを決して忘れてはならない。
また、20年前の平成5年10月20日には、右翼のカリスマ的指導者であった野村秋介が朝日新聞社で壮絶な死を遂げた。何故にこの日だったのかは、「特攻作戦と若者の命」という深い意味が込められていたということを後から知った。
理論家であり、何より行動派であり、押しも強く、幅広い人脈を持つ野村秋介の死は、新右翼に限らず右翼陣営全体にとっても大きな痛手だった。右翼陣営は未だに野村の死の影響から抜け出せずにいる。10月20日の思いが吾が脳裏に去来する。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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春季例大祭と同様、当日祭には天皇陛下の勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上される。当日祭後は、第二日祭、第三日祭と祭儀が執り行われ、最終日には、例大祭が無事に終了することを感謝する「直会」が執り行われる。終身正会員らが順次招待されるが、愚生は「第二日祭」に参列。
参集殿から拝殿へ。隣り合わせた御夫婦の御主人は所謂「戦争孤児」と言われた方で、「我々ももう70過ぎ、(靖國の在り方を)どうにかしなければならないと思っています」などと語っていたのが印象的だった。そして10時、厳かに式は始まった。宮司以下本殿の座に著き、国学院吹奏楽部による伴奏に合わせ国歌斉唱。様々な式典で国歌斉唱を聴くが、この例大祭での斉唱より敵うものなし。
本殿では權宮司以下により神事が斎行されているが拝殿からは様子は窺えない。聞こえるのは小鳥の囀りと宮司の唱える祝詞、そして社頭で参拝する方々の柏手の音。
その後、国学院大学混声合唱団と共に「鎮魂歌」並びに「靖國神社の歌」を合唱。宮司玉串奉奠に続き、参拝者が本殿に進み拝礼、英霊に感謝の誠を捧げ、そして退出。式典は約1時間で終了。華美さはないが実にいい式典だった。
「第三日祭」が執り行われる翌、20日は皇后陛下の御生誕日。戦前の「地久節」。「10月20日」という日は、日本国民として実にめでたい日であるが、それと共に歴史的にも我々日本人が決して忘れてはならない特別な日でもある。
昭和19(1944)年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊へ帝国海軍は起死回生の反撃と連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止する為に大西瀧次郎中将の指令下「神風特別攻撃隊」が編成された。
祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は、祖国愛の極致というべきもので大東亜戦争が自存の為の「祖国防衛戦争」だったことの何よりの証だろう。
沖縄戦でも特攻部隊が重要な役割を果たし、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華された。特攻は航空部隊だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など、劣勢を覆す為の特攻作戦でも3972名と、実に多くの若者が祖国日本の為に尊い命を捧げられたのだった。
特攻作戦をを「無駄死」だとか「可哀想」だとかいう声を散見するが、現在の道徳観や倫理観で生死を語るなど笑止千万。我が国の現在の平和や繁栄は、純真無垢な彼らの尊い犠牲の上に成り立ってるということを決して忘れてはならない。
また、20年前の平成5年10月20日には、右翼のカリスマ的指導者であった野村秋介が朝日新聞社で壮絶な死を遂げた。何故にこの日だったのかは、「特攻作戦と若者の命」という深い意味が込められていたということを後から知った。
理論家であり、何より行動派であり、押しも強く、幅広い人脈を持つ野村秋介の死は、新右翼に限らず右翼陣営全体にとっても大きな痛手だった。右翼陣営は未だに野村の死の影響から抜け出せずにいる。10月20日の思いが吾が脳裏に去来する。
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2014年10月17日
「靖國神社法案」を提出し陛下が御親拝出来る環境を整えよ!
本日から靖國神社の秋季例大祭が斎行される。終身会員でもある愚生も第二日祭に参列する予定だ。国家の為に尊い命を捧げた人々の御霊を奉斎する靖國神社を、国家の責任で護持することは余りにも当然のことで論議の余地などない。戦前は、それが厳守され、国民挙って護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げて来た。
殊に特筆すべきは、靖國神社の大祭に限り、天皇陛下が御親拝せられた。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはなかったのだ。
陛下の御親拝遊ばされる環境こそ整えるべきで、政治家や総理大臣の参拝なんぞはっきり言ってどうでもいいことだ。秋季例大祭に高市早苗総務相が参拝の意向を示している。「毎年一人の日本人として、ご英霊に感謝と尊敬の念を捧げている」との理由から参拝するというが、総務大臣として堂々と参拝することは立派なことではあるが、同時に靖國の在り方や現憲法との矛盾点も問題提起するべきである。
自民党は過去に、衆参両院議員選挙の際のその公約の一つとして「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」ということを幾度となく掲げている。だが、自民党が安定多数の議席を確保すれどもこの公約は実現せず、昭和49年の参議院での審議終了による廃案以来、この「靖國神社法案」は提出されることはなかった。これ即ち、自民党のやる気の無さの現れでもある。
靖國神社の国家護持、そして陛下の御親拝始め、閣僚、自衛隊等政府機関の公式参拝は、英霊は元より、遺族や大多数国民血涙の悲願である。
靖國問題に対する民心の帰趨は明らかであり、自民党が保守政党であるならば靖國に集い、靖國の下で保守政党の気概を示す意味でも「靖國神社法案」の成立を高々と掲げるべきだ。国家に殉じた人々の御魂を祀る聖域を国家で護持し、崇敬し、感謝することは今を生きる我々の義務ではないのか。英霊の放置状態は赦されない。
「A級戦犯」だとか、死者への選別の議論をいつまで続けるつもりか。「靖國神社法案」が廃案にされた最大の理由の一つには、自民党を支持する「立正佼成会」やPL教団など新興宗教で結成された「新宗連」の徒輩とキリスト教徒らの影響も否定出来ない。連中は、公明党や靖國に反対する勢力と同様に、「憲法20条」を持ち出し、或いは89条の「公金その他の公の財産」を「宗教上」に利用すること理由に反対する。だが、問題は靖國神社は宗教なのかということである。
確かに、靖國神社は現在では「宗教法人」となっているが、これはGHQが国家と神道の分離を謀った所謂「神道指令」下で、靖國神社や護国神社の護持に苦慮した関係当局の「緊急避難行為」だったのであり、実態は宗教ではない。
宗教というのは「教祖」と「経典」と「布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無く、唯、祀りの様式を日本古来の神道に則って行っているだけである。靖國神社の国家護持を図る上で、「宗教法人格」を見直すことが肝要で、先ずは靖國神社の宗教法人を外すことから進めることも一考だろう。
抑々、総理大臣や国務大臣が靖國神社への参拝することは、悲しいことに日本国憲法下では第20条違反に問われ兼ねない行為なのである。 20条第3項には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されており、大臣の靖國参拝はこの条項に抵触していると断じられても致し方ない。
自民党幹部は、「総理と雖も個人の信条は優遇されるべき」との認識を示し、今回の高市総務相の参拝についても、官房長官も「個人の意思で参拝するのであれば、個人の判断だ」て述べたが、これは憲法に抵触することを理解した上の詭弁である。
「個人なら良い」という言い回しは、つまり政府も総理や大臣の参拝には憲法上問題があるということを自覚している証左でもある。また、最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれる。つまりは「A級分祀論」や「国立追悼施設建立」などもまた靖國神社への圧迫干渉であり、違憲であろう。
信教の自由を保障しようとする政教分離規定の「憲法20条」違反でもあるのだ。最高裁という機関は正義に基づいて最高の判決を出す処と思いがちだが、最高裁で審議されるのは上告された判決が現憲法に合致しているか否か。
靖國訴訟で「違憲判決」が下されたならば即刻、現憲法を改正すれば済むこと。実に簡単なことなのだが、我が国の政治家は何を、何に躊躇っているのだろうか。
我が国は悠久の歴史と民族の一体性に恵まれているが、皮肉なことに、国家の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少ないといか全く無い。このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか考えたことがあるだろうか。
愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失によって様々な問題や事件を引き起こしているが、社会に蔓延する問題の全ては国民精神の頽廃に起因していると言っても過言ではない。自分達の先祖にきちんと向き合うことが出来なくて、どうしてまともな国家を築くことが出来ようぞ。
「この国を断じて守るぞ!」という気概と信念と勇気を持つことが日本再生に繋がり、そして靖國神社に眠る神霊の時代を超えた囁きに耳を傾けることである。自民党よ、「靖國神社法案」を提出し、陛下が御親拝出来る環境を整えよ!
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殊に特筆すべきは、靖國神社の大祭に限り、天皇陛下が御親拝せられた。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはなかったのだ。
陛下の御親拝遊ばされる環境こそ整えるべきで、政治家や総理大臣の参拝なんぞはっきり言ってどうでもいいことだ。秋季例大祭に高市早苗総務相が参拝の意向を示している。「毎年一人の日本人として、ご英霊に感謝と尊敬の念を捧げている」との理由から参拝するというが、総務大臣として堂々と参拝することは立派なことではあるが、同時に靖國の在り方や現憲法との矛盾点も問題提起するべきである。
自民党は過去に、衆参両院議員選挙の際のその公約の一つとして「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」ということを幾度となく掲げている。だが、自民党が安定多数の議席を確保すれどもこの公約は実現せず、昭和49年の参議院での審議終了による廃案以来、この「靖國神社法案」は提出されることはなかった。これ即ち、自民党のやる気の無さの現れでもある。
靖國神社の国家護持、そして陛下の御親拝始め、閣僚、自衛隊等政府機関の公式参拝は、英霊は元より、遺族や大多数国民血涙の悲願である。
靖國問題に対する民心の帰趨は明らかであり、自民党が保守政党であるならば靖國に集い、靖國の下で保守政党の気概を示す意味でも「靖國神社法案」の成立を高々と掲げるべきだ。国家に殉じた人々の御魂を祀る聖域を国家で護持し、崇敬し、感謝することは今を生きる我々の義務ではないのか。英霊の放置状態は赦されない。
「A級戦犯」だとか、死者への選別の議論をいつまで続けるつもりか。「靖國神社法案」が廃案にされた最大の理由の一つには、自民党を支持する「立正佼成会」やPL教団など新興宗教で結成された「新宗連」の徒輩とキリスト教徒らの影響も否定出来ない。連中は、公明党や靖國に反対する勢力と同様に、「憲法20条」を持ち出し、或いは89条の「公金その他の公の財産」を「宗教上」に利用すること理由に反対する。だが、問題は靖國神社は宗教なのかということである。
確かに、靖國神社は現在では「宗教法人」となっているが、これはGHQが国家と神道の分離を謀った所謂「神道指令」下で、靖國神社や護国神社の護持に苦慮した関係当局の「緊急避難行為」だったのであり、実態は宗教ではない。
宗教というのは「教祖」と「経典」と「布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無く、唯、祀りの様式を日本古来の神道に則って行っているだけである。靖國神社の国家護持を図る上で、「宗教法人格」を見直すことが肝要で、先ずは靖國神社の宗教法人を外すことから進めることも一考だろう。
抑々、総理大臣や国務大臣が靖國神社への参拝することは、悲しいことに日本国憲法下では第20条違反に問われ兼ねない行為なのである。 20条第3項には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されており、大臣の靖國参拝はこの条項に抵触していると断じられても致し方ない。
自民党幹部は、「総理と雖も個人の信条は優遇されるべき」との認識を示し、今回の高市総務相の参拝についても、官房長官も「個人の意思で参拝するのであれば、個人の判断だ」て述べたが、これは憲法に抵触することを理解した上の詭弁である。
「個人なら良い」という言い回しは、つまり政府も総理や大臣の参拝には憲法上問題があるということを自覚している証左でもある。また、最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれる。つまりは「A級分祀論」や「国立追悼施設建立」などもまた靖國神社への圧迫干渉であり、違憲であろう。
信教の自由を保障しようとする政教分離規定の「憲法20条」違反でもあるのだ。最高裁という機関は正義に基づいて最高の判決を出す処と思いがちだが、最高裁で審議されるのは上告された判決が現憲法に合致しているか否か。
靖國訴訟で「違憲判決」が下されたならば即刻、現憲法を改正すれば済むこと。実に簡単なことなのだが、我が国の政治家は何を、何に躊躇っているのだろうか。
我が国は悠久の歴史と民族の一体性に恵まれているが、皮肉なことに、国家の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少ないといか全く無い。このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか考えたことがあるだろうか。
愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失によって様々な問題や事件を引き起こしているが、社会に蔓延する問題の全ては国民精神の頽廃に起因していると言っても過言ではない。自分達の先祖にきちんと向き合うことが出来なくて、どうしてまともな国家を築くことが出来ようぞ。
「この国を断じて守るぞ!」という気概と信念と勇気を持つことが日本再生に繋がり、そして靖國神社に眠る神霊の時代を超えた囁きに耳を傾けることである。自民党よ、「靖國神社法案」を提出し、陛下が御親拝出来る環境を整えよ!
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2014年10月16日
燈火(とうか)親しむべし!
「読書の秋」というのは、支那・唐代の文人である韓愈(かんゆ)が残した詩の中に、「燈火(とうか)親しむべし」という一節が由来だという。その意味は、「秋になると涼しさが気持ち良く感じられ、あかり(燈火)に馴染む様になる」、つまり、秋は読書に一番適した季節だということらしいがどうなのだろう。
本を読む際に気をつけなければならない心得事は3つあるという。
1つ目は「崇拝」
2つ目は「反抗」
3つ目は「衒学(げんがく)」である。
1番目の「崇拝」は、自分が尊敬している先生や著者の本は、書いてある事が全て正しいと思いがちだが、信じ込み過ぎないこと。
2番目の「反抗」は、自分が嫌いな考えの人物や著者の本は、初めから粗を探そうと読んでしまいがちで、揚げ足を取ろうとして読まないこと。
3番目の「衒学」というのは、自分の学識・博識を、ひけらかす目的を以て読まないようにすること。
新渡戸稲造の「武士道」にもあるが、武士道で一番嫌われることはこの「衒学」である。この3つは別に読書に限らず、人間関係にも当て嵌まる。
「崇拝」で顕著なのは宗教関係者だろうが、FBなどでも著名人と知り合いになり、その人を「崇拝」し過ぎて、媚び諂っているなんてことも無きにしに非ず(笑)
「反抗」もそう。少しでも意見が違うと「罵詈雑言」というのは頂けない。反骨精神なら未だしも、少しは自分と違う意見にも耳を傾けることも必要で、そうした上で反論し、諭すことこなら自分でも勉強にもなるし大いに結構なことではないか。
「読書は楽しい」という人がいるが、楽しいだけが目的なら別に読書でなくても、映画でも、芝居でも、音楽でも落語でも何でも好いのではないか。
本を読むなら、自分が感じた部分を書き出してみるのが好い。国士舘の建学の精神である「読書」「体験」「反省」「思索」とは実に利に適った教えだ。
いつでも変化に即応する柔軟性を得るには不断の「読書」という努力が重要であり、更にはそこから得た知恵を参考に「経験」し、経験すれば失敗もする訳で、そこに「反省」があり、そしてそこから生まれたものが「思索」となる。
そうすることで生きて行く上での智慧となり活かされるのだ。最近は読書量が減った。というのも政治の本は営業保守の似た様なものばかりだし、それなら最近読んだ浅田次郎の「五郎治殿御始末」など、何も考えずに読める時代小説の方が未だマシ。まぁそれよりも、映画や落語を聴いてた方がもっと愉しいし為にもなる(笑)
浅田次郎という名前を知ったのは、浅田のデビュー作「殺(と)られてたまるか!」を読んだ今は亡き横浜の盟友・瀬野壽夫が、「佐久間五郎の人生とそっくりな小説が出たんだが知ってるか?」と教えられて、それを読んだのが最初だった。浅田作品は「泣かせの浅田」といわれる様にホロリとくる小説が真骨頂。
「壬生義士伝」などの歴史ものや「蒼穹の昴」の様な壮大な歴史小説も好いが、デビュー作の「殺られてたまるか!」とか第二弾「相棒(バディ)への鎮魂歌(レクイエム)」もその手口が物凄く理解出来た。更に「勝負の極意」「初等ヤクザの犯罪者教室」など体験エッセイなどを読んだがどれも面白く、とても役に立った(笑)
流行りの振り込め詐欺も「オレオレ」と教えたのも浅田だろう。
詐欺の被害に最初に遭ったのは銀座の高級クラブのママ。手口はこうだ。
クラブに「あ~オレだけど分かる?」
聞き覚えのない声だが知らないのも失礼だし、よくよく考えて「◯◯ちゃん?」
「そう、オレオレ。今近くの寿司屋で社員らと飲んでたんだが、『支払いは現金らしいんだが、あいにく現金の持ち合わせが無いんだよ。後で10人ほどで顔出すから、その前にウチの従業員を取りに行かせるから30万ほど立て替えてくれよ」
程なくして◯◯社長の社員と名乗る人物が登場し、現金30万円を持ち去ることの成功。待てど暮らせどクラブに来る様子はなく、ママも初めて騙されたことに気付く。この話からも、やはりオレオレ詐欺の元祖は浅田次郎だろうと思う(笑)
実に浅田の小説はリアルで、他の小説家とは一味違う。自衛隊の経験もあり、刑務所の経験もある。これが浅田作品の根源となってるのだろう。
ということで、負けっぱなしの競馬だが、浅田次郎の「競馬どんぶり」を読んで今週末からの福島競馬、そして秋のG1シリーズ、当てた気になりるか(笑)
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
本を読む際に気をつけなければならない心得事は3つあるという。
1つ目は「崇拝」
2つ目は「反抗」
3つ目は「衒学(げんがく)」である。
1番目の「崇拝」は、自分が尊敬している先生や著者の本は、書いてある事が全て正しいと思いがちだが、信じ込み過ぎないこと。
2番目の「反抗」は、自分が嫌いな考えの人物や著者の本は、初めから粗を探そうと読んでしまいがちで、揚げ足を取ろうとして読まないこと。
3番目の「衒学」というのは、自分の学識・博識を、ひけらかす目的を以て読まないようにすること。
新渡戸稲造の「武士道」にもあるが、武士道で一番嫌われることはこの「衒学」である。この3つは別に読書に限らず、人間関係にも当て嵌まる。
「崇拝」で顕著なのは宗教関係者だろうが、FBなどでも著名人と知り合いになり、その人を「崇拝」し過ぎて、媚び諂っているなんてことも無きにしに非ず(笑)
「反抗」もそう。少しでも意見が違うと「罵詈雑言」というのは頂けない。反骨精神なら未だしも、少しは自分と違う意見にも耳を傾けることも必要で、そうした上で反論し、諭すことこなら自分でも勉強にもなるし大いに結構なことではないか。
「読書は楽しい」という人がいるが、楽しいだけが目的なら別に読書でなくても、映画でも、芝居でも、音楽でも落語でも何でも好いのではないか。
本を読むなら、自分が感じた部分を書き出してみるのが好い。国士舘の建学の精神である「読書」「体験」「反省」「思索」とは実に利に適った教えだ。
いつでも変化に即応する柔軟性を得るには不断の「読書」という努力が重要であり、更にはそこから得た知恵を参考に「経験」し、経験すれば失敗もする訳で、そこに「反省」があり、そしてそこから生まれたものが「思索」となる。
そうすることで生きて行く上での智慧となり活かされるのだ。最近は読書量が減った。というのも政治の本は営業保守の似た様なものばかりだし、それなら最近読んだ浅田次郎の「五郎治殿御始末」など、何も考えずに読める時代小説の方が未だマシ。まぁそれよりも、映画や落語を聴いてた方がもっと愉しいし為にもなる(笑)
浅田次郎という名前を知ったのは、浅田のデビュー作「殺(と)られてたまるか!」を読んだ今は亡き横浜の盟友・瀬野壽夫が、「佐久間五郎の人生とそっくりな小説が出たんだが知ってるか?」と教えられて、それを読んだのが最初だった。浅田作品は「泣かせの浅田」といわれる様にホロリとくる小説が真骨頂。
「壬生義士伝」などの歴史ものや「蒼穹の昴」の様な壮大な歴史小説も好いが、デビュー作の「殺られてたまるか!」とか第二弾「相棒(バディ)への鎮魂歌(レクイエム)」もその手口が物凄く理解出来た。更に「勝負の極意」「初等ヤクザの犯罪者教室」など体験エッセイなどを読んだがどれも面白く、とても役に立った(笑)
流行りの振り込め詐欺も「オレオレ」と教えたのも浅田だろう。
詐欺の被害に最初に遭ったのは銀座の高級クラブのママ。手口はこうだ。
クラブに「あ~オレだけど分かる?」
聞き覚えのない声だが知らないのも失礼だし、よくよく考えて「◯◯ちゃん?」
「そう、オレオレ。今近くの寿司屋で社員らと飲んでたんだが、『支払いは現金らしいんだが、あいにく現金の持ち合わせが無いんだよ。後で10人ほどで顔出すから、その前にウチの従業員を取りに行かせるから30万ほど立て替えてくれよ」
程なくして◯◯社長の社員と名乗る人物が登場し、現金30万円を持ち去ることの成功。待てど暮らせどクラブに来る様子はなく、ママも初めて騙されたことに気付く。この話からも、やはりオレオレ詐欺の元祖は浅田次郎だろうと思う(笑)
実に浅田の小説はリアルで、他の小説家とは一味違う。自衛隊の経験もあり、刑務所の経験もある。これが浅田作品の根源となってるのだろう。
ということで、負けっぱなしの競馬だが、浅田次郎の「競馬どんぶり」を読んで今週末からの福島競馬、そして秋のG1シリーズ、当てた気になりるか(笑)
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2014年10月08日
つれづれなるまゝに色々と綴ってみた
今夜は「皆既月食」が観られる。テレビなどでは大いに盛り上がり、自称・国體護持派、尊皇愛国を自負してる人の中にも浮かれている人もいる。「十五夜」や「十三夜」とはチト様相が違うのだが、天文学に興味があるんだから立派だなぁ(笑)
古来、日食と月食の日は「穢れの日」として、月や太陽から放たれる光は「妖光」として忌み嫌われ、幕末までは不吉とされた「日食」の日には天皇の祭祀と政務を一切取り止めた。天変地異や疫病などが起きると本気で信じられていた。
この妖光から天皇の玉体を護って来たことが伝えられている。こうした「不吉」は別に神道だけに限ったことではない。何故に天皇を日食・月食の妖光から護るのか。その理由は、玉体を護ることが、日本国の自然と社会の秩序を維持する為に枢要なことだったからで、天皇とは古よりそうした秩序を体現しているのである。
その玉体安寧を維持することが、政治の核心の一つだったのである。神話「天岩戸(あまのいわと)」では、天照大御神が天の岩戸に篭ってしまい世界が真っ暗闇になり、悪神が蔓延ったという話がある。この話も、皆既月食や皆既日食の出来事を喩えた話しだろうと推測出来る。我が国の神話は実に科学的でもある。
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は、「天上界を天照大御神が、夜の国を月読命(つきよみのみこと)が、海原を須佐之男命(すさのおのみこと)が治めよ」と命じられた。ところが、須佐之男命だけは伊邪那岐から受けた任務を全く果たすことがなかった。その為悪神が蔓延り、諸々の禍が彼方此方で湧き起こる始末だった。
伊佐那岐神は、この須佐之男を酷く怒りになり、「お前の様な者に用は無い!」と追放した。須佐之男命は姉の天照大御神を頼るが、暫くは大人しくしていたが元々気性の荒い須佐之男命は、程なく種々の乱暴を働くようになった。
天照大御神の耕す田を壊し、御殿に糞を撒き散らしたりして手の付けようがない。それでも天照大御神は大目に見ていたが、服屋(はたや)で神聖な衣装を織っていると、皮を剥いだ馬が屋根を打ち抜いて投げ込まれ、馬の下敷きとなった服織女(はたおりめ)が死んでしまう事件が起きた。犯人は勿論、須佐之男命だった。
これには流石の天照大御神も激怒し、「天の岩戸」に隠れ篭ってしまった。その為、世界は暗闇となり、悪神達が蔓延り始めたのである。 そこで高天原の諸神である八百万の神々は、天の河原に集い策を取ることになり、思金神(おもいがねのかみ)の提案で、先ず岩戸の前に常世の長鳴鳥を集め鳴かせることにした。
次に、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に八尺鏡(やたのかがみ)、玉祖命(たまおやのみこと)に八尺勾玉(やさかのまがたま)を作らせ、布刀玉命(ふとだまのみこと)には御幣(みてぐら)を持たせ、天児屋命(あめのこやねのみこと)には祝詞を奉(たいまつ)れせた。こうしておいて、岩戸の真ん中で、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が乳房や女陰を露に神憑りの踊りを大乱舞した。
今でいうところのストリップか。これを見て八百万の神々がどっと笑うと、天照大御神は外の気配が気になり岩戸をそっと開けこう問いかける。
「何事か?」
「あなた様より貴い神が現れたので皆喜んで騒いでいるのです」
差し出された八尺鏡を見た天照大御神は、そこに映った自分の姿をその貴い神と勘違いし、猶もよく見ようと身を乗り出したところを、怪力の天宇受売命が岩を投げ飛ばした。そして、天照大御神が外に出ると漸く世界に再び光明が戻った。この「天岩戸」こそ太陽神の天照大御神を信仰する我が国らしい神話である。
今夜の「皆既月食」という自然現象に多くの子供達が興味を持って観察するだろう。だが、こうした神話や古来の教えも伝承して行かなければならないと感ずる。
愚生は何もなければ夜の8時には寝て、起きるのは大体朝方の4時頃。最近は日の出が遅いので、明るくなるまで布団の中でタブレットなどを弄っていることもある。
こうした生活を「早いですね!」とか、嫌味たっぷりに「健康的ですね」などと嗤われもするが、10時に寝て6時に起きるのと同じだろう。古の人々は太陽が沈み暗くなれば一日が終わり、そして朝日と共に一日が始まるという生活だったのだ。
多くの人は遅くまで起きてて遅く起きるのが習慣になっているが、くだらないニュースやテレビを観ては悲歌慷慨しているんだったら見なきゃ好いのにな(笑)
自称「反原発」派なら、愚生を見倣って早寝早起きに徹して無駄な消費電力を減らす努力を実践すべきで、夜通し答えの出ない議論をしてるのは滑稽としか言い様がない。「少子化対策」も、早寝早起きを推進すれば効果絶大に違いない(笑)
ノーベル物理学賞に日本人3人が受賞したニュースや、気象衛星「ひまわり8号」の打ち上げ成功は実に喜ばしい。一方でイスラム国へ渡航しようとした北大生が刑法93条の「私戦予備、陰謀」の疑いで警視庁公安部に強制捜査されている。
こんな法律があるのは初めて知ったが、事前にジャーナリストなどに経緯を語っていることをみても、話題作りや思い出作り程度で、死を覚悟しての行動や正義感から出でたものだったとも思えない。神田の古書店で貼り紙を見て思い立ったらしく、イスラム国の他にも新疆ウイグル自治区での求人広告もあったという。
月給26万円余。その募集要項には「暴力に耐性のある方」とあったらしい。愚生には打って付けの仕事だが、ウイグル側ならいざ知らず中共じゃしょうがない。あわよくばウイグル人に日本人が殺害されれば、それが中共政府に利用されるだろうことは容易に想像出来る。中共の人身御供にされたんじゃ堪ったものじゃない。
ネットではこの北大生へのバッシングを目にするが、別にイスラム国が悪くて、傭兵や外人部隊なら好いというのもどうなのだろう。若気の至りだろうが、若い頃というのは幼い正義感の様なものが少なからずある訳で、外国へ行って行動したことで日本への思いや見方を再確認できればそれはそれで好し。
愚生も幼い正義感から右翼を志した。右翼こそ正義だと疑わなかった。そんな愚生を父は「政治に興味があるなら天野光晴(代議士、建設相などを歴任)の秘書にでもなって勉強しろ。そうしたら郡山の市会議員くらいにはなれるぞ」と諭されたことがあった。今考えれば親父の言う通りにしときゃ人生変わったかもな。
当時、父は家業をやりながら町会議員もやり、当時の天野光晴や当時の参議院議員だった松平勇雄(後の福島県知事)の私設秘書の様なこともやっていたのだが、当時はロッキード事件などもあり、政党や政治家そのものに興味などなかった。
でも、あの頃、今の政治家どもの様な邪な考えや、清濁併せ呑む器量さえ備わっていれば、父の諌言を受け容れていたに違いない。若い頃というのはそんなものだ。成功から学ぶより、何事も失敗から学ぶものだ。そんな失敗もしない、大人の顔を伺っている、実に無難な、つまらない若者らが多過ぎる様にも思う。
国会では、法務大臣の団扇がどうのこうのと、鬼の首でも穫ったかの様に質問してる外省人や真面目顔で応答している光景は、ホント日本ってのは平和だよなぁ。
防共挺身隊福田進総隊長の本の「アラブの星は手で掴めそうなくらい降り注いでて綺麗だという。その昔『死んでオリオンの星座になろう』と言った3人の若者がいた。その言葉は稚拙ではあるが、実に浪漫を感じさせるんだなあ」一文を思い出す。
赤軍派を自任する日本の成年3人がテルアビブ空港で銃を乱射し、無辜の人々を殺した。事件後2人は自裁するも、1人が死に切れず生き残り、オリオンの星になることはなく、皮肉なことに生き残った一人がアラブの英雄になった。あの蛆虫らでさえも「死んでオリオン座になろう」という浪漫があったのだ。
ネットで偉そうに批判する彼らにそうした壮大な浪漫があるとは思えない。答えの出ない、くだらないものに熱くなるよりクソして早く寝なさいな(笑)
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
古来、日食と月食の日は「穢れの日」として、月や太陽から放たれる光は「妖光」として忌み嫌われ、幕末までは不吉とされた「日食」の日には天皇の祭祀と政務を一切取り止めた。天変地異や疫病などが起きると本気で信じられていた。
この妖光から天皇の玉体を護って来たことが伝えられている。こうした「不吉」は別に神道だけに限ったことではない。何故に天皇を日食・月食の妖光から護るのか。その理由は、玉体を護ることが、日本国の自然と社会の秩序を維持する為に枢要なことだったからで、天皇とは古よりそうした秩序を体現しているのである。
その玉体安寧を維持することが、政治の核心の一つだったのである。神話「天岩戸(あまのいわと)」では、天照大御神が天の岩戸に篭ってしまい世界が真っ暗闇になり、悪神が蔓延ったという話がある。この話も、皆既月食や皆既日食の出来事を喩えた話しだろうと推測出来る。我が国の神話は実に科学的でもある。
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は、「天上界を天照大御神が、夜の国を月読命(つきよみのみこと)が、海原を須佐之男命(すさのおのみこと)が治めよ」と命じられた。ところが、須佐之男命だけは伊邪那岐から受けた任務を全く果たすことがなかった。その為悪神が蔓延り、諸々の禍が彼方此方で湧き起こる始末だった。
伊佐那岐神は、この須佐之男を酷く怒りになり、「お前の様な者に用は無い!」と追放した。須佐之男命は姉の天照大御神を頼るが、暫くは大人しくしていたが元々気性の荒い須佐之男命は、程なく種々の乱暴を働くようになった。
天照大御神の耕す田を壊し、御殿に糞を撒き散らしたりして手の付けようがない。それでも天照大御神は大目に見ていたが、服屋(はたや)で神聖な衣装を織っていると、皮を剥いだ馬が屋根を打ち抜いて投げ込まれ、馬の下敷きとなった服織女(はたおりめ)が死んでしまう事件が起きた。犯人は勿論、須佐之男命だった。
これには流石の天照大御神も激怒し、「天の岩戸」に隠れ篭ってしまった。その為、世界は暗闇となり、悪神達が蔓延り始めたのである。 そこで高天原の諸神である八百万の神々は、天の河原に集い策を取ることになり、思金神(おもいがねのかみ)の提案で、先ず岩戸の前に常世の長鳴鳥を集め鳴かせることにした。
次に、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に八尺鏡(やたのかがみ)、玉祖命(たまおやのみこと)に八尺勾玉(やさかのまがたま)を作らせ、布刀玉命(ふとだまのみこと)には御幣(みてぐら)を持たせ、天児屋命(あめのこやねのみこと)には祝詞を奉(たいまつ)れせた。こうしておいて、岩戸の真ん中で、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が乳房や女陰を露に神憑りの踊りを大乱舞した。
今でいうところのストリップか。これを見て八百万の神々がどっと笑うと、天照大御神は外の気配が気になり岩戸をそっと開けこう問いかける。
「何事か?」
「あなた様より貴い神が現れたので皆喜んで騒いでいるのです」
差し出された八尺鏡を見た天照大御神は、そこに映った自分の姿をその貴い神と勘違いし、猶もよく見ようと身を乗り出したところを、怪力の天宇受売命が岩を投げ飛ばした。そして、天照大御神が外に出ると漸く世界に再び光明が戻った。この「天岩戸」こそ太陽神の天照大御神を信仰する我が国らしい神話である。
今夜の「皆既月食」という自然現象に多くの子供達が興味を持って観察するだろう。だが、こうした神話や古来の教えも伝承して行かなければならないと感ずる。
愚生は何もなければ夜の8時には寝て、起きるのは大体朝方の4時頃。最近は日の出が遅いので、明るくなるまで布団の中でタブレットなどを弄っていることもある。
こうした生活を「早いですね!」とか、嫌味たっぷりに「健康的ですね」などと嗤われもするが、10時に寝て6時に起きるのと同じだろう。古の人々は太陽が沈み暗くなれば一日が終わり、そして朝日と共に一日が始まるという生活だったのだ。
多くの人は遅くまで起きてて遅く起きるのが習慣になっているが、くだらないニュースやテレビを観ては悲歌慷慨しているんだったら見なきゃ好いのにな(笑)
自称「反原発」派なら、愚生を見倣って早寝早起きに徹して無駄な消費電力を減らす努力を実践すべきで、夜通し答えの出ない議論をしてるのは滑稽としか言い様がない。「少子化対策」も、早寝早起きを推進すれば効果絶大に違いない(笑)
ノーベル物理学賞に日本人3人が受賞したニュースや、気象衛星「ひまわり8号」の打ち上げ成功は実に喜ばしい。一方でイスラム国へ渡航しようとした北大生が刑法93条の「私戦予備、陰謀」の疑いで警視庁公安部に強制捜査されている。
こんな法律があるのは初めて知ったが、事前にジャーナリストなどに経緯を語っていることをみても、話題作りや思い出作り程度で、死を覚悟しての行動や正義感から出でたものだったとも思えない。神田の古書店で貼り紙を見て思い立ったらしく、イスラム国の他にも新疆ウイグル自治区での求人広告もあったという。
月給26万円余。その募集要項には「暴力に耐性のある方」とあったらしい。愚生には打って付けの仕事だが、ウイグル側ならいざ知らず中共じゃしょうがない。あわよくばウイグル人に日本人が殺害されれば、それが中共政府に利用されるだろうことは容易に想像出来る。中共の人身御供にされたんじゃ堪ったものじゃない。
ネットではこの北大生へのバッシングを目にするが、別にイスラム国が悪くて、傭兵や外人部隊なら好いというのもどうなのだろう。若気の至りだろうが、若い頃というのは幼い正義感の様なものが少なからずある訳で、外国へ行って行動したことで日本への思いや見方を再確認できればそれはそれで好し。
愚生も幼い正義感から右翼を志した。右翼こそ正義だと疑わなかった。そんな愚生を父は「政治に興味があるなら天野光晴(代議士、建設相などを歴任)の秘書にでもなって勉強しろ。そうしたら郡山の市会議員くらいにはなれるぞ」と諭されたことがあった。今考えれば親父の言う通りにしときゃ人生変わったかもな。
当時、父は家業をやりながら町会議員もやり、当時の天野光晴や当時の参議院議員だった松平勇雄(後の福島県知事)の私設秘書の様なこともやっていたのだが、当時はロッキード事件などもあり、政党や政治家そのものに興味などなかった。
でも、あの頃、今の政治家どもの様な邪な考えや、清濁併せ呑む器量さえ備わっていれば、父の諌言を受け容れていたに違いない。若い頃というのはそんなものだ。成功から学ぶより、何事も失敗から学ぶものだ。そんな失敗もしない、大人の顔を伺っている、実に無難な、つまらない若者らが多過ぎる様にも思う。
国会では、法務大臣の団扇がどうのこうのと、鬼の首でも穫ったかの様に質問してる外省人や真面目顔で応答している光景は、ホント日本ってのは平和だよなぁ。
防共挺身隊福田進総隊長の本の「アラブの星は手で掴めそうなくらい降り注いでて綺麗だという。その昔『死んでオリオンの星座になろう』と言った3人の若者がいた。その言葉は稚拙ではあるが、実に浪漫を感じさせるんだなあ」一文を思い出す。
赤軍派を自任する日本の成年3人がテルアビブ空港で銃を乱射し、無辜の人々を殺した。事件後2人は自裁するも、1人が死に切れず生き残り、オリオンの星になることはなく、皮肉なことに生き残った一人がアラブの英雄になった。あの蛆虫らでさえも「死んでオリオン座になろう」という浪漫があったのだ。
ネットで偉そうに批判する彼らにそうした壮大な浪漫があるとは思えない。答えの出ない、くだらないものに熱くなるよりクソして早く寝なさいな(笑)
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2014年10月03日
在日特権を許さない市民の会(在特会)が朝日新聞に抗議文を突き付ける!
ヘイトスピーチばかりが問題にされてる「在日特権を許さない市民の会(在特会)」は、平成26年10月1日付けの朝日新聞社説について抗議文を提出した。
<抗議文>
平成26年10月1日付け、朝日新聞社説において、当会として到底容認することのできない内容がありましたので、これに強く抗議します。
社説内において『在日韓国・朝鮮人を「殺せ」と街頭で叫ぶ在特会』とありますが、これはあたかも 当会が、このようなコールを用意して参加者に叫ばせ、それをひとつのスタイルとして現在も積極的に継続している団体であるかのような印象を読者に与えます。この記事の内容が、「吉田証言」や「吉田調書」のような虚偽のものでないと主張するなら、
(1)『在日韓国・朝鮮人を「殺せ」と街頭で叫ぶ』行為が行われた日時と場所を証明願います。
(2)その行為は、当会主催の行動であることを証明願います。
(3)その行為を当会がコール文等で用意し、参加者に叫ばせたことを証明願います。
上記、すべてが説明でき、かつかかる行為を当会が現在も継続していることを証明して初めて『在日韓国・朝鮮人を「殺せ」と街頭で叫ぶ在特会』であることが成り立つものと考えるのが常識です。
よもや「吉田証言」や「吉田調書」の愚を繰り返すような自浄力のないメディアではないと考えておりますので、納得のいく説明をよろしくお願いします。
間違いがあった場合には、速やかに、訂正記事及び当会に対する謝罪文を掲載することを求めます。回答期限は平成26年10月4日とします。
在日特権を許さない市民の会 広報局
在特会の主たる目的は、「在日への優遇措置に対する是正」と、「日本国内に住みながら反日的言動や反日的な行動へ対する抗議」である。これは「市民の会」と銘打っていることでも分かるが、国を憂うる市井の民の声でもあり、右翼団体やプロ市民が蠢いている左翼団体が主導する市民運動の様なものでもない。
マスコミは、在特会の抗議活動を全てを一括りにして「ヘイトスピーチ」などという空疎な言葉で世論を誘導し、恰も在特会が朝鮮人に対して差別を助長している危険な団体かの様に報じいるが、その主張は実に正鵠を射たものばかりである。
在日朝鮮人やシナ人ら永住外国人にしろ、日本の恩恵を享けながら日本に感謝もせず、日本と日本人に対して根拠のない雑言や妄言の限りを尽くすなら、在特会でなくとも「日本から出て行くべきだ」と思うのは当然のことだと思う。
在日が今後も日本という異国に住み続けたいならば、我が国への「感謝」は忘れてはならないし、日本国民と同等の義務を果たすべきだ。もう「差別」や「強制連行」などというウソで日本を強請れる時代でもないことに気付くべきだ。
先般、在特会の京都朝鮮第一初級学校への抗議行動が、裁判官の主観で「差別」だと認定される摩訶不思議な判決が出た。確かに差別や偏見的発言が否定されるのは理解出来なくもないが、そのアジ演説は過激ではあるが、訴えている内容は正論である。この獅子吼が在特会の表現方法ならそれはそれで好いではないか。
「反天皇制運動連絡会(反天連)」に比べれば在特会なんぞ可愛いもので、在特会の活動をヘイトスピーチと批判されるのであれば、反天連の活動は国家転覆を謀るテロ集団であり、天皇に対する無礼千万な活動こそ殺人予備罪で検挙されるべきだ。
現憲法下では「表現の自由」や「集会・結社の自由」が保障されており、それは左翼やプロ市民の専売特許でもないし、在特会にもその自由はある。在特会へ「ヘイトスピーチ」とレッテルを貼って、その主張を認めないことは逆差別である。
京都朝鮮第一初級学校への抗議に対する判決は高裁で覆る可能性もあり、最高裁では現憲法との兼ね合いもあり難しい判断が求められるだろう。抑々、在特会が主張しているのは「在日特権」であり、有罪判決が下された先般の抗議にしても、京都朝鮮第一初級学校側の公共の施設である近隣公園の不法占有が原因だ。
こうした魔訶不可思議な判決は「片手落ち」の不当判決と断じるのが正しく、在日問題の元凶は相手が朝鮮人だからと野放しにしていた国や行政側の責任が大きい。つ~か、「片手落ち」とか「明き盲(まくら)」「聾(つんぼ)」は差別か(笑)
在日特権が与えられる契機となったのは、昭和27(1952)年1月、米国の傀儡であった李承晩が国際法を無視し、軍事境界線、所謂「李承晩ライン」を設定し、竹島を取り込んで韓国領と宣言したことに始まる。 当時は未だ占領下で無力な我が国の立場を見透かし、泥棒猫の様に竹島を掠め取ったというのが真相である。
占領下の我が国の主権が恢復される3ヶ月前のこの侵略行為は、国際法上の観点からも断じて許されるものではない。 戦後、この「李承晩ライン」を侵犯したとして不当に拿捕され、抑留された日本人漁民は「日韓漁業協定」が成立する昭和40(1965)年までに3929人に及び、船舶328隻、死傷者は44名を数えた。
韓国政府はこれら日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人犯罪者472名の放免と日本滞留特別許可を要求。すると、日本政府は已む無くその要求に応じた。譲歩が更なる譲歩を生む悪しき前例であろう。
「在日特権」や戦後の日韓関係を知る上でも、「竹島」が不法占拠された経緯を再検証することは大事であり、在特会の主張に耳を傾ければその正当性は明らか。
日本人同胞の救出という大義名分があったにせよ、不当要求に屈したことで在日が殖え続け、「差別だ!」と吠える在日に特権が次々と与えられて行くこととなった。これこそが戦後の日本外交の前例となり、現在も継承され続けている。
在特会を「品格がない」などと敵視する新右翼や、右翼団体などもいるにはいるが、その新右翼や右翼団体に品格が在るかといえばそうでもないだろうに(笑)
在特会は右翼でもなければ右翼の敵でもなく、その主張は至極真っ当なものだ。今や動員力にしろ、アジ演説にしろ、右翼団体より在特会の方が格段に上で、右翼からの批判は桜井誠会長らに嫉妬している様にも見えなくもない(笑)
右翼にしろ左翼にしろ、市民団体にしろ在特会にしろ、大衆を煽動するのが運動や演説の目的であり、「煽る」という目的からすれば、「殺せ!」や「叩き出せ!」位のインパクトも必要で、アジテーションというのはそういうものだろう。
在特会を敵視し、その街宣をヘイトスピーチだと殊更騒ぎ立てるのは単に論理のすり替えでしかなく、それを法規制するなどとは言論弾圧以外の何ものでもない。
在特会の目的は「在日特権を赦さない」ということに尽きる訳で、マスコミや反レイシズムらは在特会のヘイトスピーチばかりを問題視させることに拠って、戦後、在日に与え続けて来た「在日特権」を矮小化することが狙いだろう。
在日特権問題の元凶は、朝鮮人らを野放しにしていた国と行政側の責任が大きく、それは政治家の事勿れ主義に見られる不作為に因るものでもある。朝鮮人の違法行為には寛容で、在特会側のみを一方的に断じることは本末転倒と言う他はない。
マスコミやジャーナリズムは、在特会の主張も公正・公平に取り上げるべきで、ヘイトスピーチで世論を誘導し「国民の知る権利」を阻害するとは言語道断である。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
<抗議文>
平成26年10月1日付け、朝日新聞社説において、当会として到底容認することのできない内容がありましたので、これに強く抗議します。
社説内において『在日韓国・朝鮮人を「殺せ」と街頭で叫ぶ在特会』とありますが、これはあたかも 当会が、このようなコールを用意して参加者に叫ばせ、それをひとつのスタイルとして現在も積極的に継続している団体であるかのような印象を読者に与えます。この記事の内容が、「吉田証言」や「吉田調書」のような虚偽のものでないと主張するなら、
(1)『在日韓国・朝鮮人を「殺せ」と街頭で叫ぶ』行為が行われた日時と場所を証明願います。
(2)その行為は、当会主催の行動であることを証明願います。
(3)その行為を当会がコール文等で用意し、参加者に叫ばせたことを証明願います。
上記、すべてが説明でき、かつかかる行為を当会が現在も継続していることを証明して初めて『在日韓国・朝鮮人を「殺せ」と街頭で叫ぶ在特会』であることが成り立つものと考えるのが常識です。
よもや「吉田証言」や「吉田調書」の愚を繰り返すような自浄力のないメディアではないと考えておりますので、納得のいく説明をよろしくお願いします。
間違いがあった場合には、速やかに、訂正記事及び当会に対する謝罪文を掲載することを求めます。回答期限は平成26年10月4日とします。
在日特権を許さない市民の会 広報局
在特会の主たる目的は、「在日への優遇措置に対する是正」と、「日本国内に住みながら反日的言動や反日的な行動へ対する抗議」である。これは「市民の会」と銘打っていることでも分かるが、国を憂うる市井の民の声でもあり、右翼団体やプロ市民が蠢いている左翼団体が主導する市民運動の様なものでもない。
マスコミは、在特会の抗議活動を全てを一括りにして「ヘイトスピーチ」などという空疎な言葉で世論を誘導し、恰も在特会が朝鮮人に対して差別を助長している危険な団体かの様に報じいるが、その主張は実に正鵠を射たものばかりである。
在日朝鮮人やシナ人ら永住外国人にしろ、日本の恩恵を享けながら日本に感謝もせず、日本と日本人に対して根拠のない雑言や妄言の限りを尽くすなら、在特会でなくとも「日本から出て行くべきだ」と思うのは当然のことだと思う。
在日が今後も日本という異国に住み続けたいならば、我が国への「感謝」は忘れてはならないし、日本国民と同等の義務を果たすべきだ。もう「差別」や「強制連行」などというウソで日本を強請れる時代でもないことに気付くべきだ。
先般、在特会の京都朝鮮第一初級学校への抗議行動が、裁判官の主観で「差別」だと認定される摩訶不思議な判決が出た。確かに差別や偏見的発言が否定されるのは理解出来なくもないが、そのアジ演説は過激ではあるが、訴えている内容は正論である。この獅子吼が在特会の表現方法ならそれはそれで好いではないか。
「反天皇制運動連絡会(反天連)」に比べれば在特会なんぞ可愛いもので、在特会の活動をヘイトスピーチと批判されるのであれば、反天連の活動は国家転覆を謀るテロ集団であり、天皇に対する無礼千万な活動こそ殺人予備罪で検挙されるべきだ。
現憲法下では「表現の自由」や「集会・結社の自由」が保障されており、それは左翼やプロ市民の専売特許でもないし、在特会にもその自由はある。在特会へ「ヘイトスピーチ」とレッテルを貼って、その主張を認めないことは逆差別である。
京都朝鮮第一初級学校への抗議に対する判決は高裁で覆る可能性もあり、最高裁では現憲法との兼ね合いもあり難しい判断が求められるだろう。抑々、在特会が主張しているのは「在日特権」であり、有罪判決が下された先般の抗議にしても、京都朝鮮第一初級学校側の公共の施設である近隣公園の不法占有が原因だ。
こうした魔訶不可思議な判決は「片手落ち」の不当判決と断じるのが正しく、在日問題の元凶は相手が朝鮮人だからと野放しにしていた国や行政側の責任が大きい。つ~か、「片手落ち」とか「明き盲(まくら)」「聾(つんぼ)」は差別か(笑)
在日特権が与えられる契機となったのは、昭和27(1952)年1月、米国の傀儡であった李承晩が国際法を無視し、軍事境界線、所謂「李承晩ライン」を設定し、竹島を取り込んで韓国領と宣言したことに始まる。 当時は未だ占領下で無力な我が国の立場を見透かし、泥棒猫の様に竹島を掠め取ったというのが真相である。
占領下の我が国の主権が恢復される3ヶ月前のこの侵略行為は、国際法上の観点からも断じて許されるものではない。 戦後、この「李承晩ライン」を侵犯したとして不当に拿捕され、抑留された日本人漁民は「日韓漁業協定」が成立する昭和40(1965)年までに3929人に及び、船舶328隻、死傷者は44名を数えた。
韓国政府はこれら日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人犯罪者472名の放免と日本滞留特別許可を要求。すると、日本政府は已む無くその要求に応じた。譲歩が更なる譲歩を生む悪しき前例であろう。
「在日特権」や戦後の日韓関係を知る上でも、「竹島」が不法占拠された経緯を再検証することは大事であり、在特会の主張に耳を傾ければその正当性は明らか。
日本人同胞の救出という大義名分があったにせよ、不当要求に屈したことで在日が殖え続け、「差別だ!」と吠える在日に特権が次々と与えられて行くこととなった。これこそが戦後の日本外交の前例となり、現在も継承され続けている。
在特会を「品格がない」などと敵視する新右翼や、右翼団体などもいるにはいるが、その新右翼や右翼団体に品格が在るかといえばそうでもないだろうに(笑)
在特会は右翼でもなければ右翼の敵でもなく、その主張は至極真っ当なものだ。今や動員力にしろ、アジ演説にしろ、右翼団体より在特会の方が格段に上で、右翼からの批判は桜井誠会長らに嫉妬している様にも見えなくもない(笑)
右翼にしろ左翼にしろ、市民団体にしろ在特会にしろ、大衆を煽動するのが運動や演説の目的であり、「煽る」という目的からすれば、「殺せ!」や「叩き出せ!」位のインパクトも必要で、アジテーションというのはそういうものだろう。
在特会を敵視し、その街宣をヘイトスピーチだと殊更騒ぎ立てるのは単に論理のすり替えでしかなく、それを法規制するなどとは言論弾圧以外の何ものでもない。
在特会の目的は「在日特権を赦さない」ということに尽きる訳で、マスコミや反レイシズムらは在特会のヘイトスピーチばかりを問題視させることに拠って、戦後、在日に与え続けて来た「在日特権」を矮小化することが狙いだろう。
在日特権問題の元凶は、朝鮮人らを野放しにしていた国と行政側の責任が大きく、それは政治家の事勿れ主義に見られる不作為に因るものでもある。朝鮮人の違法行為には寛容で、在特会側のみを一方的に断じることは本末転倒と言う他はない。
マスコミやジャーナリズムは、在特会の主張も公正・公平に取り上げるべきで、ヘイトスピーチで世論を誘導し「国民の知る権利」を阻害するとは言語道断である。
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cordial8317 at 13:29|Permalink│Comments(0)