2013年09月

2013年09月25日

「野村秋介先生追悼二十年特集号」。あれからもう20年か・・・

 昨日、二十一世紀書院の蜷川正大代表から、機関誌「燃えよ祖国」が贈られて来た。いつも気遣って頂き痛み入る。今月は「野村秋介先生追悼二十年特集号」。

 野村先生の著書は一通り読んでるが忘れている部分は多い。理論武装など考えもしなかった時代に「反共右翼からの脱却」を唱えたことに衝撃を覚えたっけ。

 愚生も大学時代、行動右翼のパイオニアを自任する防共挺身隊に身を置きながら、「日本論壇倶楽部」というサークルを立ち上げた。「これからの右翼は理論が大事だ」と痛烈に思ったからだ。だが、それは如何せん理想とは違った。

 理論武装を訴えてから数十年が経ち、右翼陣営を見れば行動より理論とばかりで、武士道には程遠い衒学臭げな請け売りの理論をひけらかす様になってしまった。もっと言い方を変えれば、右翼人の全てがこじんまりしてしまったということだ。

 一水会の木村代表が「右翼は終わってねえぞ」を出版した当初は大いに共鳴もしたが、残念ながら右翼は「もう終わった」といっても好いのではなかろうか。

 右翼陣営の指導者不足と資金不足は顕著であり、「右翼とは果たしてなんぞや」という問いに的確に答えの出せる人はいない。この儘では仁侠道を忘れたヤクザが暴力団化した様に、右翼も淘汰されて行くだろうことは想像するに余りある。

 野村大人は「さらば群青」で、「今、右翼にとっての真なる敵は右翼自身である。例えばフィクサーを気取ったただの金権右翼、思想も信念も持たないゴロツキ右翼、詩心を持たない乞食右翼等等、我が内なる敵は多岐にわたる」と喝破した。

 愚生はゴロツキ右翼と乞食右翼の両方だろうか、愚連隊右翼には憧れる。だが、現在の多くの右翼人よりは右翼らしい生き方を全うしていると自負している。

 野村大人は「絶望することはない。自らが学習し、自らが魂を磨くことによって、その内なる敵を凌駕し、払拭することは未だ未だ可能である」と教える。

 学習はもう十分過ぎるだろう。理論だけならネット右翼の方が数段も上だ。それよりも自らが右翼人として魂を磨くことこそ大事なのではなかろうか。

 長幼の序は弁えてるつもりだが、唯単に年上だからと、或いは右翼だからと自分を誤魔化し、愛想笑いを浮かべて付き合うほど人間は出来てはいないし、右翼というだけで意気にも感じない連中と付き合うことに意味が在るとも思えない。

「国を滅ぼすは外患に非ず。内憂に在り」という。右翼の敵は右翼自身だということはまともな右翼なら認識している筈だ。これは与党・自民党にもいえることだが、政治家のみならず右翼にしろ、全ての組織に当て嵌まることでもある。

 内なる敵と向かい合い、さらには剔抉粛清するには、慣例となってる仲良しクラブ的な会合やら行事は止めるべきで、柵は少ないに越したことはない。

 理論に長け、押しも強く、ヤクザにも顔が利き、マスコミや様々な分野に人脈を持つカリスマ・野村秋介の早過ぎた死は右翼陣営にとって返す返すも残念でならない。

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2013年09月23日

「晋どん、もうよか!」の言葉こそ西郷の生き様を現している

 やはり歳には敵わない。無事に帰還しホッとした所為か、今頃になって旅の疲れが出て来てしまった。チョッとした贅沢な国内旅行やヨーロッパ旅行くらい出来る小遣いを持って旅に出たが、粗使い果たした。残ってた金は、来週車検だという軽自動車に使う様にと愚妻に渡して、明日からまたいつもの生活に戻ります(笑)

 浪人を気取ってはいるが乞食の様なもの。金銭的には楽ではないが「乞食の朝謡」という様にサラリーマンや正業を持ってる方々よりは気楽なものではある。

 所属していた防共挺身隊は、「総会屋右翼」やら「金権右翼」と揶揄された右翼でもある。初代総隊長の福田進、二代目・早坂光夫、三代目・對馬則政と30年も所属して幹部としてその金権体質の恩恵を享けなかったのは愚生だけだ(笑)

 それどころか、三代目の頃は愚生が苦労して捻出した金は殆ど家にも入れず活動費に使った。尤も、本部に期待しても防挺らしいオイシい思いをしたことが無いから、今の様な浪人暮らしも耐えられるのだろうと思う。何事も物は考え様なのだ。

 若いうちの苦労や失敗は大きな財産を生むというのは確かだ。苦難というものは醜い顔をし厭な顔をして苦痛の姿を採ってはいるが、実は吾等の敵ではなく味方である。苦難は一番親身に吾が身の為を思って突っ掛けてくる正義の友である。

 苦難とは人を殺す為に有るのではなく、悩み苦しむことで人をより善くし、より一歩を進ませて向上させる為に起こるのである。苦難は生きる上での必然不可欠。

 豪傑、山中鹿之助は、「願わくば吾が身に七難八苦を与え給え」と月に祈って修行をしたというが、苦難とは人生での危険を教える為の慈悲の鞭である。

「幸福と苦難は表裏一体である。苦難の本質を弁えれば、人生の苦難とはやはり「天の与えた試練」と考えるべきなのであるが、避けてしまう人が殆どだろう。

 NHKの大河ドラマ「八重の桜」は「西南戦争」。西郷が自裁するのは9月24日だが、この西郷隆盛は、「艱難は楽しむものなり」と訓えている。「艱難をも諒」と捉え、それをも愉しもうとする西郷の精神こそ日本人のやせ我慢の神髄だろう。

 自殺未遂、二度の遠島処分、そして西南戦争と苦難続きの人生を送った人物だったが、一方では女性遍歴も多くある好色家だった。真っ黒な目の巨漢というイメージとは裏腹に心は繊細で、その波乱に満ちた生涯は常に死の影が付き纏っていた。

 それでも西郷は、「いつ死んだって好い。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、開き直って生きている様なところがあったという。

 私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集めたのも確かだろう。また、自分の死に際でさえ実に潔い人物だった。「晋どん、もうよか!」。最後の言葉こそ西郷の生き様を現していると思う。

「苦難には意味がある」と共に大事なのは、西郷の様な「開き直りの処世観」を常に維持出来ているかということだ。話しは変わるが昨日は地元の郡山市に皇太子殿下雅子妃殿下が行啓遊ばされた。県民として実に有難いことです。

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2013年09月21日

9泊10日の旅は無事に帰還しました。邂逅に感謝します♪

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 右翼浪人として期するところがあり、60Lのバックパックにテントやら着替えなどを詰め込み九州の旅に出た。荷物の総重量約20キロ。旅といっても行き当たりばったりの放浪の旅、泊るところも何も決めてはいない。

 水曜日午後、大宮で待ち合わせた友人の奥村さん母子が、旅の無事を祈って壮行会をしてくれた。途中で倅も同席。夕方5時45分発の福岡行きの高速バスに乗り込んだ。15時間に及ぶバスの旅は福岡には定刻通り朝8時過ぎに到着した。

 福岡上陸から間もなく、長崎の上田崇仁先輩に会う為に長崎本線に乗り込み、2時間かけて佐世保へ向った。佐世保駅の改札を出ると既に上田先輩が満面の笑みで出迎えてくれた。上田先輩の持つ杖が、現実に引き戻す。

 先輩は数年前に難病を患った。病気は進行性ということで、酒も飲めないという。あれだけ豪快だったから気の毒と言う他ない。「運転も2時間がギリギリかなぁ」と笑ってはいたが、どうか無事に快復することを願うばかりだ。

「雲仙から熊本へ行こうと思う」と告げると、「佐久間とも色々と積もる話もあるし、諫早まで送って行くよ!」というので、それに甘え送って貰った。

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 諫早へ向かう途中、大東亜戦争での南方からの引き揚げ者が降り立ったという南風港の話しを伺い、回天特攻基地が出撃した川棚町に立ち寄って頂いた。

 短いドライブだったが久々に先輩と邂逅し、色んな話も聞けて感慨無量の時間となった。別れ際に、「旅の足しにしろ」と餞別まで頂いた。土産も持たずに、本来なら見舞いを渡さなきゃならないのにホント申し訳ない。

「何だかんだ言っても俺は佐久間の先輩だぞ、連絡を貰っただけで嬉しかったよ。また会えるように頑張るよ!」と差し出した手をしっかり握って別れた。遠ざかる先輩の姿はどことなく小さく感じ、寂しげだった。また会える日を鶴首している。

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 諫早からは雲仙鉄道で最終の駅まで約1時間。島原で野営でもしたいと思ったが、途中で相馬の友人から連絡が入り、「是非とも、宇土へ」というので、フェリーで熊本県へ上陸。その前に島原のフェリーターミナルに在った場外舟券売り場に立ち寄って「旅打ち」。大穴狙いだったが案の定かすりもしなかった(爆)

 フェリーの中で友人に聞いていた「旅籠こめや」をネットで検索、早速予約。フェリーからバスを乗り継ぎ、熊本駅から宇土駅へと向かった。

 旅館はこじんまりしてはいるが小綺麗でオーナーの拘りが感じられる。食事無しの素泊まりで予約してしまったので夕飯を頼むと、既に友人が言ってくれてた様で、夕飯はちらし寿司とちょっとした料理を提供して頂いた。

 夕食には、東京南青山に事務所を構えながらボランティア活動をしているNPO法人代表の上村さんが同席し、熊本への安着を祝ってビールで乾杯。

 上村さんは若いながらも人生経験豊富な男で、その気遣いや振る舞いをみれば色々と危ない橋も渡ってきたのだろうと推測出来る。稀に見る好青年だった。

 紹介してくれた国士舘の後輩の周りにはこういう人が集まって来るのもやはり友人の人徳だろう。上村さんと喧々諤々、あれやこれやと他愛もない会話で盛り上がり、上村さんに誘われるがまま調子に乗って近所のスナックに転戦することに。

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 翌日は「こめや」というだけあって、自慢の美味しい朝食を食べ、旅館のオーナーであり、地元の名士でもある米谷氏と謁見することになった。

 社団法人の「熊本青年塾」の塾長の米谷氏は全国に門下生がいる。言わば現代の思想家だろうか。息子も霞ヶ関の官僚らしく、歴代知事らも塾生というから凄い。

 そんな塾長とはどんな人かとわくわくしながら待ってると、当人はそんなことはお構いなしに日本酒の四合瓶を片手に登場した。人を食った感じが実に好い。

「わしゃ会話は単語しか分からんからようしゃべられん。そんなことはどうでもよかバッテン、さあ、先ずは酒でも飲もう」と、朝から日本酒を旨そうに呷っていた。

 運転が無ければトコトン付き合ってみたくなる人物で、言葉の節節に出る金言に暫し耳を傾けた。米谷塾長や上村さんと出会えたことは今回の旅の収穫でもある。

 東京に戻るという気忙しい上村さんに熊本駅のレンタカー屋まで送って頂き、天草の梟雄・横山武彦の墓へ向う。横山との思い出は尽きないが今回は割愛する。

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 片道3時間、何処にも寄らずに往復したが、二日酔いでの6時間の運転はキツい。それでも天草の素晴らしい景色と、営業中にも拘らず横山の墓に案内してくれた「道食堂」の夫婦の人情に触れ、その疲れをも感じさせない天草の旅となった。

 熊本に戻り、その日は八代に泊ることに。野営の場所が見つからず、ネットでホテルを検索し、予約したホテルへ。そのホテルは八代の繁華街近くに在った。先ずはホテル内のコインランドリーで洗濯してから街に繰り出すことに。

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 タクシーの運転手に聞いたのがここ「汁べえ」。地元でも人気があるらしく、6時頃覗いたら座敷は殆ど予約で満席、カウンターが空いてたので座らせて貰った。

 生ビールを注文すると枝豆とオクラの突き出しが出て来た。一人安着祝い。串焼きは鳥皮だけが3本で、他は1本ずつ注文可。鳥皮と豚バラ、ぼんちり、そして豚足。

 熊本と言えばやはり馬刺しは外せない。それと珍しいとこで、馬タン刺しを注文。となれば、やっぱ焼酎でしょということで焼酎ロックを呷る。焼酎の種類も豊富でしかも安い。魔王も東京などじゃ考えられないくらい手頃で流石は焼酎の本場。

 ほろ酔い気分で店を出て、八代の夜の街を散策してみた。飲兵衛には非常に興味をそそられる店が犇めいていて、是非また訪れてみたい街の一つとなりました。

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 翌日は八代駅から肥薩オレンジ鉄道で出水へ。出水から川内に。川内から鹿児島本線で伊集院へ。出水までの沿岸をのんびり走るその勇姿は究極のローカル線の旅と言ってもいいだろう。乗り合わせた電車にはクマモンも乗っていた(笑)

 出水で川内行きの鹿児島本線が来るまで待ち時間がある様なので、地図で回天特攻の殉国記念碑を探すも見つからず諦めた。八代から伊集院まで電車で4時間。

 伊集院からバスに乗り換え、1時間ほどで加世田に到着。加世田から万世への乗り換えのバスが来るのは2時間後ということで、タクシーで移動した。八代から約6時間、やっと目的地の「万世特攻平和記念館」に到着した。感慨無量。

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 施設を見学。見学者は疎ら。この地から飛び立った福島県人の特攻隊員は6名。一人一人の顔を見ながら挨拶した。その後は、外に在る戦没者慰霊碑に向かい黙祷し、鎮魂と感謝の誠を捧げる。見学して気になったのは、いきなり展示してあった「日中戦争から太平洋戦争へ」という歴史年表のパネル。

「散華せしめた・・・」という軍部への批判を記た掛け軸で、「反戦」と「平和」を訴えたいのだろうが、この地で散華された英霊以外のものは外すべきだと思うし、現代の価値観や倫理観や歴史観で語り継ぐものでもないと思う。

 その日は、タクシーで加世田に戻り、居酒屋で英霊に献杯し、程程呑んだ後、万世記念館傍の海浜公園まで戻り、今回初めての野営をした。

 翌朝、目覚めると辺りは未だ真っ暗で、東北の朝に慣れてる愚生としたら鹿児島の朝は遅く、漸く空が明るくなって来るのは6時をとうに回ってからだ。

 加世田に戻りバスで知覧に向うも、途中で降りればいいのに「富屋旅館」の前まで来てしまった。何やってんだか。ローソンでおにぎりで朝食を取り暫し休憩。

「特攻平和記念館」までの残り1キロを必死に歩いた。秋とはいえ30℃近くの猛暑の中で20キロ背負っての歩きは流石にキツイ。最後の上り坂は試練だった。

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 そんなこんなでどうにか記念館に到着。いつもの光景だが学生達の「平和学習」とやらで超満員。知覧へは富屋旅館に3回宿泊、記念館前の町営施設に1回、泊まらなかった今回を含めて2回の計6回訪問している。

 館内は煩い学生らから離れて巡った。英霊の遺書や遺影を目にすれば各各感じるところはあるだろうし、幼稚な平和主義や倫理観を強制するべからず。

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 遺書の中でも、いつも目に留まるのが、北海道出身の前田啓命の遺書、「俺が死んだら何人泣くべ」というもので、この書に込められた若者の渾身の悩みを、今を生きる我々がどうやれば分かち合えることが出来るのだろう。

 この涙悲しく 留まりて零るることなし。合掌。

 その後は何処に向かうかは決めていない。鹿屋基地へは交通事情が悪く、時間もないので今回は断念した。知覧から枕崎に向かおうかと思っていたが、枕崎行きのバスは夕方まで無く、喜入、指宿方面のバスに乗り込んだ。

 本当は枕崎線に乗り込み、特攻隊員らが最後に見たであろう開聞岳を眺めながら英霊を偲び、最南端の西大山駅でドラマ「青い鳥」の思い出に耽る。

 右翼活動家として期待を掛け、仕込んだつもりだった指宿出身のトンズラしてしまった若い衆・沖野政信の行く末を案じながらぐるっと指宿枕崎線の旅でも満喫しようかと思っていたが、結局は喜入駅から鹿児島中央駅へと降り立った。

 我が胸の熱き思いにくらぶれば煙りは薄し桜島山

 今日の桜島の噴煙はどうなっているのか楽しみではある。地元の人にとっては迷惑だろうが、鹿児島駅に降り立った暁には愚生の思いよりも遥かに高い噴煙を上げてて欲しいものだと思っていたがその期待空しく、残念ながら噴煙は上っておらず、降り立った駅前の気温は37℃を表示していた。37℃ってどんだけ~(笑)

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 歩くのも流石にキツイということで、地元の後輩松田君おススメの中央駅前の「凪」にて、生ビールで一人安着祝い。そして天文館近くのホテルを予約した。

 後輩と待ち合わせした夕方まで休憩しようと思うが、身体は疲れているのに中々寝着かれず、夕方になってしまった。待ち合わせ時間までは未だ時間があるので、天文館の繁華街を探索した。こうした散策は実に楽しい。

 夕方、ホテルロビーで松田君と待ち合わせし、行きつけの店で御馳走になった後、待ち合わせ前にチェックしてて行きたかった店に付き合って貰った。

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 地鶏の店で、その名は「丸万」。宮崎にも在るというが、此処が本店じゃなかろうか。実にマニアックな店で、「週刊朝日で紹介された」とか、「日祝日休業」とあったのだが、日曜だったにも拘らずその日も営業していた。

 メニューは、海苔が大量に乗っかってる「鳥皮のポン酢」と「鳥もも焼き」と「貝汁」のみ。キュウリの一本漬けはサービス。

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 これが小汚い店と怪しげな店員の風体とは裏腹に、地鳥焼きは宮崎のそれを凌ぐ香ばしさで絶品。大正解の店でした。やはり、飲兵衛のカンは鋭い。その後、地元の老舗ラーメン屋で仕上げ、松田君とは再会を約束し別れた。

 寝れば疲れも取れるが、旅館やホテルでのベットはどうも熟睡出来ない。ベットで寝るなら野営でのマットと寝袋の方が好い。寝汗が酷くて熟睡出来ず(笑)

 何だかんだ言っても、オヤジ臭という加齢臭が漂ういつもの布団で寝れば、そのアロマ効果からかやはり爆睡出来るというもの。一人旅をしていると、こうした普段の何気ない日常こそが本当の幸せなのだと改めて感じる。

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 翌朝、未だ薄暗い中、多くの維新の志士達も見たであろう桜島を見に出掛けた。地図で見るとそれほどでもないと思ったが、遠回りしたせいもあり、往復1時間ほどのウォーキングになった。でも、荷物を担いでないので苦にはならない。

 桜島を遠くに望む。山は落ち着き払っていたが、道路の所々には桜島の噴煙の痕があり、駐車中の車も噴煙だらけで地元の人の苦労を垣間見た。

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 日豊本線に乗り込み、錦江湾に聳え立つ桜島を眺めながら、宮崎へ。約2時間で到着。宮崎駅前のフェニックスが南国ムードを醸し出していた。

 駅中のカレー屋で店員おススメの「鳥南蛮カレー」を注文。当然ながら「生ビール」も。流石に鳥南蛮は絶品で、生ビールをお代わりしてしまった(笑)

 そうこうしてると待ち合わせした福田さんから連絡が入った。福田さんは「二十一世紀書院」社友会にも名を連ねている方なので、その代表の蜷川氏を飛び越して付き合うことは愚生の考える行動美学からはちょっとズレてるのだが、まあ、Facebookフレンドということで寛容に願いたい。宮崎駅前で福田さんと待ち合わせ。

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 福田さんは想像通り、爽やかな方で、海釣りで日焼けした顔は精悍そのもの。挨拶を済ませ車に乗り込むと、「夕方の飲み会まで時間がありますからそれまでドライブでも」ということで、宮崎を案内して頂くことに。

 宮崎の街並は想像以上に整備され、メインの道路には宮崎の象徴でもあるフェニックスが立ち並ぶ。鹿児島方面に向かうと、毎年ジャイアンツがキャンプをする球場が見えてきた。ジャイアンツファンというか長嶋ファンの愚生としても思い入れの強い場所だ。こういうカタチで実現出来るとは想像していなかった。

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 その後は道の駅「フェニックス」や日南海岸沿い絶景地を巡って頂き、回天特攻の訓練地だったという南郷湾内を眺め、そこに建つ慰霊碑で一礼し感謝の誠を捧げる。この慰霊碑から望む湾の絶景を忘れることはないだろう。

 その後、いつかは行きたいと思っていた鵜戸神宮へも連れて行って頂いた。その後は、愈々福田邸へ。東京出身だという美人の奥様が出迎えてくれた。奥様の手料理は、仕出し屋顔負けのプロ級で、どれもこれも美味しく頂きました。翌朝の「冷や汁」という気遣いにも痛み入る。本当に有難い。

「男同士で飲む酒はたちまち通う息と熱」、さぁ先ず一献。ビールで乾杯し、前もって送っておいた日本酒で亦乾杯。間もなくして末期癌で「余命3ヵ月」と宣告された福田さんの知人の田上さんも参戦。田上さんは、自力で癌を克服したという人物で、その風体から、ただならぬ人生を送って来たのだろうと推察出来る。

 酒さえあれば言葉は要らぬが、酔いも回り始めると初対面とは思えぬ論戦で盛り上がり、気付けば福田さんはうたた寝状態。縁というのはホント異なもの味なものとはよく言ったもので人生経験豊かな二人の人柄に酔いました。

 翌日、福岡行きのバス発車の11時までは未だ時間があるということで、イザナギとイザナミ縁の「御池」や「江田神社」を案内して頂いた。

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 江田神社の境内の大木は最近パワースポットで人気があるらしく、欲深い、いや、信心深い女性の皆さん方が、その大木の瘤をなでなでしてました。その所為で金運が付くという玉袋の様な瘤はテカテカ輝いていたのは卑猥にも感じた(笑)

 11時のバスに乗り込み博多へ。博多へは約4時間の行程。途中、博多在住の後輩、坪井さんから連絡が入り、急遽、博多で待ち合わせすることに。

 その前にコインランドリーを探すも見つからず、体調を整える為にサウナで時間潰し。夕方から「藁巣坊」という愚生のチョッとした知り合いの店で一献。

 因みに、つまみは「わらすぼの干物」「ゴマ鯖」「餃子」「チャーシュー」「蟹汁」。そして〆はラーメン。相撲取りが馴染みの店とあって全部絶品だった。好物の「すっぽん鍋」もあり、次回は「すっぽん」と決めてたら、「うちはモツ鍋も美味いんですよ!」と聞き及び、ん~それも捨て難いな(笑)

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 その後は、坪井さん行きつけのウイスキーバーの「LEICHHAEDT(ライカード)へ。中々の好い雰囲気の店で葉巻を燻らせながら他愛もない話で盛り上がった。残念ながら博多の夜は此処まで。慌ただしくタクシーで博多駅に向かい、大阪行きの高速バスに乗り込んだ。坪井さん、次回はじっくりやろう!

 大阪の到着予定は約8時間後。バスに乗り込むともうバス旅も慣れたもので爆睡。大阪入りし、取り敢えず環状線に乗り込み「鶴橋」へ。コインランドリーを探して彷徨うも、上新町で漸く発見。隣は銭湯だし、言うことなし。

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 コインランドリーで洗濯する間、銭湯で疲れを癒す。さて、その後はどうするかと思いながらも、足は通天閣へ向かっていた。徒歩もどうにか慣れて、酷暑の中、約1時間ほどで到着。串揚げ屋の呼び込みからは完全にシカト。まぁ串揚げという気分じゃないので、「づぼらや」で生ビールと「上てっさ」でお疲れ~!

 夕方まで時間を潰し、和歌山から態態会いに来てくれるという菅原さんと上本町で待ち合わせ。菅原さんは僧侶であり、空手の師範でもあり、会った感想は想像通りの人物で、物静かで、滲み出る雰囲気は正しく沈勇を内に秘めた好漢。久しぶりに漢(おとこ)を見たと言った方が分かり易いか。

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 鶴橋の焼き肉屋で乾杯し、二件目は法善寺横丁のマニアックな路地裏に在る菅原さん馴染みのミナミのバー「tree」へ転戦した。

 マスターがまたいい雰囲気で、リーゼントに、どことなくインチキマジシャンにも見えなくもないが、その日は誕生日らしく、自分の孫と同じ誕生日に何か不思議な縁を感じ、いい酒と二人の人柄に酔わされた想い出の夜になった。

 夜は菅原さんが15年間も修行したという寺に泊まらせて頂いた。

 場所は以前、実家の友人らと泊ったことがある「大阪国際交流センター」の真ん前。寝る場所は、「皆空」の掛け軸が掲げられた大広間に一人。隣は墓なのだが、何故か今回の旅で初めて熟睡出来た。南無大師遍照金剛。

 本来ならば、九州から出雲へ渡り、出雲大社へ参詣し、その後は岡山の友人と先輩と一献し、香川の友人と久しぶりに会うのを愉しみにしていたが、出雲コースだと予定していた予算も足らなくなると判断し、急遽大阪へ、そして名古屋や三重にも立ち寄らず東京へ戻ることにした。

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 先週水曜日に自宅を出発し、九州へ上陸後、回天特攻が出撃した長崎県川棚町から始まり、鹿児島県出水市、加世田市万世、知覧町、宮崎県南郷と巡った放浪の旅の最後は靖國神社。社頭で、旅の無事と旅先での出会いに感謝し、今後の愚生の人生に加護賜わらんことを祈念し郡山に帰還した。

 今回の9泊(野営1泊、バス泊2日)10日の旅で、「人生とは正に邂逅の一言に尽きる」ということを熟熟痛感した。人との出会いは、その付き合いの長さではなく、深さなのだ。次回はいつになるか分からないが、また旅に出たいものだ。

 旅先で出会った方々の益々の御隆盛と御健康を願い擱筆します。また色々と応援して頂いた皆さん、本当に有難うございました。合掌、佐久間五郎拝。

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2013年09月09日

2週間ほど愛を求め放浪の旅に出掛けて来ます。呵呵

「人間の財産というものは、いざと言う時に自分を支えてくれる人は勿論のこと、各自が目指す目標実現の為の知恵袋でもある」という言葉が在る。愚生も右翼浪人を気取り、日々の生活にも汲汲してはいるがその実は乞食の様なものだ。

 そんな中でも理解者や支援者、友人・知人に巡り会えたことは、在り来たりの人生を送っているサラリーマンよりは恵まれてるのだろうとは自覚している。

 右翼団体を辞して数年が経つが、右翼人浪人としてこの儘で果たして好いのかと日々自問自答する日が続く。活動家として実に隔靴掻痒の感は否めない。

 今から20年ほど前、今は亡き右翼浪人の横山武彦と、約1ヶ月かけて全国行脚の旅をした。その旅はそれまでの右翼人生が変わるきっかけにもなった。

 旅に深い目的など無かった。やることもないし、ならばボーっとしてないで、行き当たりばったりの放浪の旅にでも出るかくらいの気楽なもので、目的地は鹿児島県知覧の「特攻平和記念館」。知覧には出発して一週間後に到着した。

 旅をした横山とは歳が20歳も違ったが妙に馬が合った。横山に初めて会ったのは防挺時代で、愚生が入隊した頃で、横山は副隊長だった。それを考えれば、「縁は異なもの味なもの」とはよく言ったもので、人生とは実に面白いものだと思う。

 愚生が入隊してから数年後に、諸事情で横山が防挺を離れて、故郷の天草に蟄居した。それから何年経ったのだろう、郡山で横山と邂逅することになった。

 爾来、横山との痛飲は言うに及ばず、色々と行動を共にした。だが、酒好きが祟って数年前に体調を崩して幽冥境を異にした。破天荒な右翼であり、究極の反面教師だった横山が寂してしまったことは愚生にとって返す返すも無念なことだった。

 その横山との旅は愉しいものだった。別段、「右翼とはなんぞや」だとか、政治の話をする訳でもないのだが、一緒に行動することで何かを吸収したのは違いない。

 この旅によって、愚生の心の師となる高花豊先生と邂逅し、高花先生から右翼人としての貴重な30代から50歳まで、物心両面で支えて頂いたことは財産である。

 横山との邂逅と全国行脚の旅が無ければ、高花先生との出会いも無かった訳で、人生とは正に「邂逅の一言に尽きる」ということを甚く痛感したものだ。

 自由気儘に歩き回りることが禁止されていた幕藩体制下に「横議横行」を勧め、下級武士らに「脱藩せよ!」と叫んだのが吉田松陰だ。松陰は「一君万民論」を唱え、近代国民国家を志向した魁であり、そこから「草莽屈起論」を導いた。

 つまり、「天皇=一君」と「国民(臣民)」という関係を構築する為に封建制度を打破すべく脱藩し、一草莽たれと訴えたのである。その結果、松陰の意を汲んだ下級武士らが脱藩し、明治維新を実現させたと言っても過言ではないだろう。

「横議横行」とは、辞書には「勝手に論ずる」とか「勝手気儘に歩く」という意味だと書かれてあるが、それを実践した人物の筆頭は坂本竜馬や吉田松陰であろう。

 龍馬にしろ松陰にしろ、時代の寵児として活躍した人物の共通の特徴は、発する「言葉」が違うことだ。結局のところ、大衆の心を引き付けるのは「言葉」を以て他に無く、竜馬や松陰は正に「言葉の達人」だったと言えるだろう。

 武器商人でもあった龍馬が幕閣とも勤王の志士とも通じ、後には薩長連合の仕掛け人として、明治維新を豪腕で引き寄せた立役者足り得たのは、説得の技術、つまりは言葉の豊かさに拠るものだったと言って好いのではなかろうか。

 更にもう一つは、彼らは「歩く人」だったことだ。交通の不便だった時代に、実に驚く距離を行き来した。こうしたことでも分かる様に、放浪の旅や、家を飛び出して多くの人と顔を突き合わせ、「横議横行」することは大切なことなのだ。

「旅の恥はかき捨て」とか、それとも「袖摺り合うも多生の縁」だとかいうが、土地土地で知り合った方々と酒を酌み交わし、喧々諤々の議論をするくらい愉しいものはないし、それこそが横議横行の極意なのではなかろうか。

 そんな訳で、天草に眠る横山を偲び、全国各地の友人・知人らと痛飲し、愚生の右翼浪人としての中途半端な生き方を見つめ直す為に、2週間ほど旅に出ます。

 旅といっても、バックパッカーとしての放浪の旅で、移動するのもバスと電車と徒歩で行くつもりでいる。予算も乏しいので出来る限り野宿したいと思ってるが、車じゃないし、野営する場所を確保するにしても大変そうだ。

 放浪の旅に出るなどというと、周りからは「羨ましい」という声が聞こえて来る。「ならば一緒にどうよ!」というと、「時間がない」だとか「カネが・・・」という応えが返ってくる。要は「羨ましい」というのは空々しい言葉だと思う。

 そりゃそうだろう、今どき一週間も家を空けたら女房には叱られるだろうし、仕事をしてるなら会社はクビになり影響が出るだろうし、何よりカネがかかる。

 不如意の折り、経費の捻出も容易ではなかったというのが正直なところ。気楽な旅をしてるほど余裕がある訳でもないが、必要な時間とか必要なお金というのは、「何としてでも作ってやろう」という強い気持ちが無いと中々出来るものではない。

「カネが出来たらやろう」とか「時間が出来たら・・・」とか「いつかは」なんて言ってる様じゃ、旅どころかどんなことでも実行出来ることはないだろう。

 そういう意味では、どうしても欲しいものがあるのなら買ってしまえば好いし、思いっきり行動してしまえば、カネなんて後で何とかなるものなのだ。

 やらないで後悔するよりやって失敗し後悔する方がずっと本人の為になるし、失敗することで何か得られるものがあるだろう。そんな訳で明後日未明に旅に出ます。

 鹿児島の知覧や鹿屋、万世の特攻基地を巡り、英霊の鎮魂と感謝の誠を捧げ、残り僅かであろう人生に加護を給わらんことを祈願し、体力と気力、何より資金が続く限り、全国を彷徨って来ます。そんな事情の為、このブログを以て暫く休止致します。

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2013年09月08日

アメリカは日本の番犬だったが、その番犬も・・・

 米国はシリアの化学兵器使用は非人道的であり、国際法違反であると然も軍事介入は当然だとの認識を示す。だが、シリアが実際にサリンを使用したかは定かではないし、化学兵器を使用したとしても、米国が正義を振り翳し批判する資格はない。

 第二次世界大戦でのナチスによるユダヤ人虐殺を最大のホロコーストだと教えられ、ナチスの蛮行こそ、世界最大のホロコーストだと疑わなかった。

 だがよくよく考えてみれば、米国による広島・長崎への原爆投下や東京などへの無差別爆撃は、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺に以上の「人種差別」でありホロコーストであろう。ナチスにとって全ての原因は「人種差別」にあった。

 人間の価値を決めるのは思想や行動、人格などに関係なく、どの人種に属しているかが重要で、アーリア人種の中核であるドイツ民族のみに生存権を認め、国籍が何処であろうと「劣等民族」として絶滅させることが目的だったのだ。

 この点こそが、ナチス・ドイツが史上例を見ない犯罪国家とされる理由であり、これは何もヒトラーが創り上げたものではなく、ヒトラーが政権を執る以前から存在したと、ヒトラーのちゅしょ「我が闘争」にはハッキリと述べられている。

 旧日本軍とナチス・ドイツとがよく比べられるが、我が国とナチスの犯罪は全く異なるものなのだ。それこそ広島・長崎への原爆投下こそナチスと同じ「人種差別」の人体実験であり、これら非人道的戦争犯罪はナチスの犯罪と比肩する。

 中韓などは我が国に対し、ドイツが謝罪し、賠償を続けていることを見倣えなどというが、ドイツが国家として、或いは国民全体の罪として認めたことはない。

 それはナチスの犯罪はヒトラーのナチスドイツという他所の国の責任であり、ドイツ国民としての戦争行為は別なものだとの認識に立っているからに他ならない。

 米国も同様に、我が国への広島・長崎への原爆投下や東京大空襲などによる一般人の虐殺行為を認めることなく、謝罪していないのもこれと同じ認識である。

 今や、米国の自己中心的不正や非道に苦しむ非西欧諸国は「世界の警察」を気取っている米国を唯一最大の外敵であり脅威と考えている。自己中心的正義の名の下に更なる弾圧や軍事介入が続けば、米国への反発とテロの連鎖は止むことはない。

 真にテロの根絶と世界平和を願うなら、圧政に呻吟する民族の解放と独立をさせる以外にない。然しそれは、言い換えれば現在の政治体制の崩壊を意味する。

 米国の民主主義然り、中共の共産主義しかり、ロシア、中近東然り、北朝鮮の金王朝もまた然り。それはゲリラやテロリストの根絶以上に不可能なものなのだ。

 諸文明が鎬を削り合う時代、我が国が為さねばならぬことは米国からの自立であり、「米国のポチ」としていつまでも従属させられている場合ではない。

「全国戦没者追悼式」に於いて安倍は「戦後68年間、平和国家の道を歩んで来た」と大見得を切ったが、単に我が国内で戦争が起きなかっただけのことだ。

 湾岸戦争やイラン・イラク、アフガニスタンやリビアに間接的に介入し、そしてまたシリアの紛争に介入しようとしているが「平和国家」とは実に痴がましい。

 そういやその昔、大日本愛国党総裁の赤尾敏は数寄屋橋での演説で、「アメリカは日本の番犬だ。番犬にはエサは必要で、イイ番犬ほど金はかかるものだ」とアジっていたのを思い出す。流石は、親米右翼と揶揄されてた赤尾敏である(笑)

 今やそのイイ番犬は無用の長物と化しエサばかり欲しがり、かなりの高齢となりボケ始めた。飼い犬に噛まれてからでは遅いのだ。国民もそろそろ、自らの生命と安全は、自ら創り出さなくてはならないという現実に気付くべきだろう。

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2013年09月07日

神国日本の不滅を信せずに何が保守か、何が愛国者か

 福島原発事故の汚染水漏れが深刻なのは素人でも想像出来る。政府が汚染水対策に巨額な費用を計上したから、余計不安に感じてしまう人も少なくないだろう。

 汚染水問題に関し、自称専門家なる人物や評論家がまるで他人事の様に被害の拡大を叫び、マスコミもそれに便乗し不安を煽るが汚染水ではなく「処理水」だ。

 我が国の将来を考え発を推進する人もいれば、広島・長崎の影響か、放射線を目の敵の様にアレルギーを抱いている人もいるだろう。それ自体は否定しない。

 だが、原発事故以来ロクに休養も取らず、福島第一原発構内で命がけで事故を収束させようと、懸命に努力している勇士や英雄らがいることを忘れてはならない。

 1日に15分しか動けない場所で働いていたり、家族に対し万が一の場合を想定させていたり。普段通りに生活は、そういった方々の努力や犠牲の上に建っている。

 大袈裟に汚染水漏れが騒がれてはいるが、放射線数値が安定しているのは、原発の仕事に誇りと覚悟を持ってこの困難に立ち向かった方々の尽力の賜物であり、言い換えれば彼らこそが真のヒーローであり、愛国者と言えるだろう。

 世界が福島原発事故の行方を注視する中で、現場で従事している彼らの人知が未曾有の国難を救い、その努力が、必ずや報われることを祈ることしか出来ない。

 一方的に事故の責任を責め立てたところで、或いは汚染水の数値が高いと騒ぎ立てたところで、何になるというのか。自然に解決する訳ではあるまい。

 何もせず、安全なところから危機感を煽り、無知な人々を煽動しようとする卑怯者や、それらに与する反原発派らの様な愚か者にはなりたくない。

「原発事故に対する政府の対応が~」などと責め立てるのは簡単だが、ならば自らが原発事故の前線に立ち事態の終息の為に貢献すれば好いし、それが出来ないなら黙って収束を祈っていた方が我が国の未来の為になるのは当然だろう。

 最近は、自分さえ良ければ、自分さえ安全・安心が確保されればいい、という様な風潮が蔓延していることは倫理観や道徳観の喪失と相通じるものがある。

「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、日本が滅亡するかの様に叫ぶ自称保守やそれを売り物にしている営業右翼がいる。

 神国日本の不滅を確信せずに何が保守か。何が愛国者か。正統保守ならば、神州不滅を信じ、神武肇国の精神の高揚と国家国民の繁栄をこそ目指すべきだろう。

 我が国の今が未曽有の危機ならば、我々は夫夫の立場でやれることを懸命に努力すべきであって、危機や不安を煽ってどうするの。今こそ、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉シ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スへシ」を肝に銘じて実践すべきであろう。

 震災直後、陛下は「被災者のこれからの日々を私達皆が、様々な形で少しでも多く分かち合って行くことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また国民一人びとりが被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共に夫々の地域の復興の道のりを見守り続けて行くことを心より願っています」と下賜遊ばされた。

 この未曾有の国難ともいえる事態を鑑みれば、国民一人一人が自ら出来ることを考え、陛下の大御心に応える為にも、労わりあい、この不幸な時期を乗り越えることが大事であって、原発事故の責任を論い殊更に不安を煽ることではない。

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2013年09月06日

婚外子相続の最高裁違憲判決は「戸籍制度解体」への一里塚

「婚外子相続の民法規定は違憲」との最高裁判決が出た。案の定、売国マスコミは大歓迎し、谷垣禎一法相や菅義偉官房長官も「民法」改正を口にしているが、安易な改正は「夫婦別姓」と共に家族制度を崩壊させかねない危険を孕んでいる。

 平成10年以来、「民法の一部を改正する法律案」が国会に10数回提出されている。「選択的夫婦別姓制度」についても議論が成されているが、「夫婦相和し」を旨とする我が国には馴染まない制度の為に国民的合意には至っていない。

 我が国は「明治維新」以後、国民の全てに「姓」を与え、戸籍を整え、家族の絆の重要性を教えた。国民が家族の理想にしたのは、言うまでもなく皇室の家族の在り方である。正に、我が国の家族制度というのは、「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し」と、教育勅語でも示されている通り実に尊いものである。

 欧米の教育というのは個人が生存権に勝つ為のものであり、辺り構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみ。それ故、家族の絆は緩み道徳の深さは生活から離れ、結果、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独化している。

 我が国の個人主義は欧米とは違い、個人主義は極僅かであり、世代に亘る家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。

「夫婦別姓制」の導入を許せば家族の一体感を損ない、子供に与える精神的影響も大きく、事実婚を増加させて、離婚の増加や婚姻制度の崩壊を齎すのは明らかである。

 我が国は「一夫一婦制」だが、別姓が導入されれば実質的な「一夫多妻(一婦多夫)制」が可能となる。婚外子が実子と同じ相続権を得るなら、別姓は罷り通り、不倫なんぞ当たり前で倫理観や道徳観も低下して行くのは明らかである。

 既に「選択的夫婦別姓制度」を導入した、イタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では婚姻率が4割以上も減り、離婚率が倍となり、婚外子の割合が5割も増加し、従来の家族制度が崩壊した。「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大要因だった。

 抑々、婚姻に際し「氏」を変えることで職業上不都合が生じる人にとって、通称名として旧姓を使用することが今では一般化しており、婚姻に際して「氏」を変更するにしても、関係者知人に告知することに由り何の問題も生じることはない。

 また、「氏」を変えることにより自己喪失感を覚えるという訳の分からぬ意見もあるが、それよりも結婚に際し同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり、これは極めて一般的な普通の感覚だろう。

 夫婦同姓は、普通の日本人にとって極めて自然な制度であり、「別姓」が導入されて、別姓世代が続けば先祖代々に亘って続いて来た家系は確実に混乱して、日本の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、ひいては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至。

 仄聞されている様に、「選択的夫婦別姓導入が戸籍制度解体への一里塚」となる可能性は否定出来ないし、今回の違憲判決もその流れに沿うものだ。

 我が国の社会で家族とその絆を支えているのが「戸籍」である。戸籍は、国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動や、「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムであり、戸籍制度は結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担うと同時に、実は家族の一体感を維持する機能も有している。

 ところが、別姓推進派の中には「別姓導入は戸籍制度改廃への一里塚だ」との声が根強く存在するのは事実で、別姓するくらいなら結婚などしなきゃいいと思うが、あくまでもその目的が「戸籍法の改正」に在るのだとすれば合点が行く。

 推進派は、現在の戸籍制度が家族単位である点を戦前の「家父長制度」の残滓と捉え、戸籍を個人単位の「個籍」や、欧米諸国を模した「個人登録制」に改めることを求めている。これはつまり、別姓導入によって「家族の絆」が弱まるだけではなく、別姓導入は初めから家族制度の解体を意図した策動とも言えるのだ。

 要は、「夫婦別姓」や「選択的夫婦別姓」は、別姓自体が目的ではなく、我が国の誇る戸籍制度そのものの崩壊を目論む策謀であると断じても過言ではない。

 現在は民法と戸籍法によって婚姻のときの氏の決め方が定められている。民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されている。つまり夫となる人、または妻となる人の何れか一方の「氏」を夫婦の氏とするということだ。 男性側の「氏」を強制してる訳ではない。

 この規定を大半の人は、「(夫婦の)片方が氏を変える」と理解しているが、「氏は自分個人の名前の一部」という誤解が混乱を招いているのも確かだろう。

 我が国の戸籍の「氏」というものは個人を表す名称ではない。明治維新以前には武士や大店の商人以外は氏などなく、愛称で呼んでいた。「明治維新」で、戸籍を整える為に新政府は全ての国民に「氏」を与え、国民は皇室を家族の理想とした。

 戸籍を見れば分かるが、戸籍の筆頭者のみが氏と名で書かれており、その他の家族は続柄と名しか書かれていない。つまり、「氏」は家族を表す名称なのだ。

 日本人の日本人らしさの根幹を為すのものこそ「戸籍制度」である。戸籍とは個人だけでなく、親兄弟や子といった、歴史の縦軸の中に生きるという制度であり、正に我が国の「戸籍制度」は世界に誇る制度であると言えよう。

 こうした問題が提起されると、必ずと言っていいほどマスコミや左翼御用達のインチキ有識者が登場し、「世界ではこうだ」とか、「何処ぞの国では」という愚論を垂れ流すが、他所の国なんぞどうでも好いではないか。日本は日本である。

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2013年09月02日

オバマの決意表明は重い。だってノーベル平和賞受賞者だもの(嗤)

 ノーベル平和賞受賞者のオバマが軍事行動を決意したというのはそれなりに軽いものではないのだろうが、「サリン使用の証拠を掴んだ」だとか、アサド政権の化学兵器使用を声高に叫ぶのを見ているとどうも胡散臭さしか感じない(苦笑)

 武力を使用した侵略や弾圧が世界的に非難される現在に於いて、シリアの内紛が、米国の倫理や正義に触れるということで騒いでいるのだろうが、ならば中国共産党に因る近隣国への弾圧や虐殺、領土主権への侵害こそ批判するべきだろう。

 満州、内蒙古、チベット、新疆は元来漢民族の土地ではない。「新疆ウィグル自治区」とは、元々はトルコ系の民族が多く住む「東トルキスタン共和国」と呼ばれる国のことだ。 歴史的に見てもこの地域は侵略に晒されることが多く、唐、モンゴル帝国、清などの支配下に置かれていた時代もある悲劇の国でもある。

 東トルキスタンは、支那大陸に於ける王朝の興亡の影響を強く受けて来た不運な民族で「東トルキスタン共和国」として、独立を果たそうとしているがが、1955年の中華人民共和国の侵略より「新疆ウィグル自治区」として設置されている。

「自治区」とされた後のトルキスタンの人々の受ける迫害は凄まじく、膨大な数の死者と、7万人以上がソ連(現ロシア)へ逃亡した。 その他にも有名な「ロブノール核実験場」における1964年から実に46回に及ぶ核実験が行われている。

 この中共の核実験では19万人が死亡者し、129万人の健康被害者がいる。中共は「民族浄化」という人口侵略に因り。近隣諸国と同じ様に我が国の支配を目指しているが、新疆やチベットの弾圧を「対岸の火事」と見ていては危険過ぎる。

 殖え続ける支那人の蚕食を放置し、外国人への参政権を認めた上に、労働者不足などという不埒な理由で不良外国人の移民を受け容れることになれば、近い将来、我が国も満州や内蒙古やチベット、新疆の様になる可能性を拭いきれない。

 無条件に米国へ忠誠を示し、リビアへの軍事行動を容認することは、果たして「平和国家」「主権国家」を自任する我が国の選択する道なのだろうか。

 その昔、サリンを使用し、陛下暗殺をも企んだ宗教団体への破防法適用を見送った我が国だが、この期に及んでオバマに同調して、「重い決意表明」などと持ち上げているのを見ると、臍で茶を沸かすどころか、嗤い過ぎて片腹痛いわ。まぁ、ノーベル平和賞者のオバマ大統領が言ってるんだから間違いないか。呵呵。

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