2010年02月

2010年02月17日

確定申告と健康保険税と年金問題

 確定申告が始まった。支援者から原稿料や講演料という形で浄財を戴いているので真面目に申告している。因みに昨年の所得140万円チョィ。国民健康保険税は「後期高齢者支金」「介護保険料」を含め約19万円も徴収されているが高くないか。

 共産党らが声を張り上げ「年寄りに死ねというような制度で許さない!」などと叫んで党勢拡大を謀っているが、現実は現役世代が高齢者の4倍の負担をしてる。

 本来ならば若い世代が怒らなければならない問題なのに、何故か優遇されてる高齢者負担だけが騒がれるのは可笑しな話で、要は党勢拡大に老人を利用してるだけ。  
 
 医療費年間約33兆円の内の3分の1の11兆円が75歳以上の高齢者の医療費。この11兆円のうちの1兆円を高齢者が負担し、もう1兆円は病院で高齢者が窓口で払う金額。残り9兆円のうちの5兆円を国が負担し4兆円を現役世代が負担している。

 過日、共産党のオバちゃん達がこの問題で下手クソな演説をやってたので、からかって質問してみた。誰も医療費の実態を理解していなし、老人負担も知らない様で「皆、歳をとって往くんですから・・・」と、訳の分からぬ答ばかり(苦笑)

 マイクで説明してやるから「自分に演説させろ」と言ってみたが、拒否され、無視された。「年寄りだから可愛そうだ」というのは間違いで 老いて尚、若い者に世話に成りっ放しでは、若者に「長幼の序」などという気持ちは生まれまい。 

 国民年金未納率は最悪の37.9%という。国民年金は月々14000円を40年間払い続け、約700万円納付し、受給年齢が来たら月々約7万円ほど貰える制度である。

 抑々「国民年金制度」など遠い昔から有った制度ではない。ドイツ国宰相のビスマルクが「社会主義者鎮圧法」という法律を作る代わりに、労働者の不満を解消する為『年金制度』作り出した。日本はこれを真似て年金制度を導入し「国民年金」「厚生年金」「共済年金』の3つに分けられ現在に至っている。

 日本国憲法では「勤労の義務」が有り、「厚生年金」だけで良いのに「国民年金」を創設し、公務員の為の「共済年金」まである始末だ。厚生年金は理解出来るが、共済年金が国民年金の実に4倍もの年金を受給していることは納得出来ない。

 公務員の友人らに聞くと「我々も高い共済保険を積み立てている」と言い訳するが、その積立金も税金である。今の時代、公務員が「全体の奉仕者」などとは真っ赤な嘘で、公務員になってしまえば死ぬまで、否、死んでも優遇されるのである。

 この儘では、年金制度など破綻するであろうことは誰にでも理解出来る。国民年金を支払わないのは、生活困難な人もいるだろうが、「どうせろくに貰えない」と思っている国民が少なくないからだで、早々に廃止して自己責任にすれば好い。

 年金制度を有り難がっているのは、年金をろくに積み立てもせずに貰っている高齢者が殆どで、これを素晴らしい制度というのは偽善そのものだろう。

 政府のやるべきことは、国民年金と共済年金の廃止の検討に入るべきで、今まで積み立てした分を返還し、老後は「自己責任にすべき」と教える事が大事だ。

 我が国の社会保障制度は世界でも優れたもので、生活が困難な家庭には国や自治体で支援すれば良いだけ。但し、生活保護費の不正受給は徹底監視する必要あり。

 ろくに働きもせず、「年金が貰えないのは差別だ!」とホザく在日への「生活保護」支給は違法であり、これを中止し日本人困窮者の支援の拡充すべきである。

 今必要なのは「年金手帳」などというその場凌ぎの誤魔化しよりも「将来的には年金を廃止せざるを得ない」と、「本音」を言える政治家の出現であろう。

cordial8317 at 08:00|Permalink

2010年02月15日

教えるとは実に教えられることである(西晋一郎)

 昨年、防挺を辞めて以来、福島の自宅に蟄居状態である。啓蒙活動の一環として、今年からブログを始めたが、昨年からミクシィやらグリーやらのコミュニティサイトに書き込んだり、地元の新聞(福島民報)、雑誌にも投稿したりしている。

 新聞への投稿は昨年の9月からだが、昨日も採用されて今回で6回目の採用になる。内容は割愛するが、投稿記事のタイトルだけ記してみる。

 第一回目「公約だけではなく民主党の根を知って」(9月24日)
 以後「亀井発言の真意、家庭崩壊の警鐘」(10月15日)
「選挙公約より国益を第一に」(11月16日)
「政治とカネ問題、説明責任果たせ」(12月2日)
「特例会見問題おごり明らか」(12月23日)
「鳩山、小沢両氏見苦しい言い訳」(今年2月14日)

 題名と投稿内容は編集者がチョッとソフトに校正している箇所はあるが、まぁこんなものだろう。他にも仄々としたものや、ローカルなネタも投稿している。

 高が地方紙ではあるが、右翼の街頭演説やSNSのトータルサイトの書き込みよりは反響よりは大きく、各方面から連絡を頂いたりもする。ネット社会とはいえ未だ未だその影響力は小さなもので、改めてマスコミの力の大きさを痛感すること頻り。

 学問とは、本来自分自身の向上の為にするもので、こうした衒学臭げなことは好きではないが、「教えるとは実に教えられることである(西晋一郎)」の言葉を教訓にやっている。教えることで抱える問題に気付き、大いに勉強にもなる。

「小人の学は、耳より入りて口より入ず。君子打たねば響かぬなり、打てば響くなり」という。坂本竜馬は、西郷隆盛を「西郷という男は大きな太鼓だ。小さく敲けば小さく響き、大きく敲けば大きく響く」と評した。

 人というのは敲き様で返って来るものが違うという。小人は学問を売り物にし、耳から聞き齧った事をそのまま口にするので少しも身に付かないし、自分の中に真の学問を積んでいる人は決してひけらかすことなく衒学臭くはないという。

 確かに「武士道」では、衒学が嫌われると教えている。学問は他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかのか、或いはどう在るべきか、といったことに答えを見出す手段でなくてはならないと説く。

 仲間にしか通用しない理論や付け焼き刃の知識を熱く語り、ネットで同じ様な内容をツイートしまくって自分自身に酔っている輩をよく見掛ける。そんな受売りを垂れ流したところで、世の中ところか他人さえも動かすことが出来ないだろう。

 吉田松陰は「学問をする眼目は 自己を磨き自己を確立することにある」と訓えている。右翼のカリスマ・野村秋介は「人を動かすものは決して理論などではなく、自分の謙虚な反省に基づく人間性以外に有り得ない」と教えていた。その言葉を噛み締めながら、自己確立を目指すと共に自問自答の日々は続くのである。呵呵。

cordial8317 at 08:02|Permalink

2010年02月13日

「竹島」は我が国固有の領土である

 民主党政権の弱腰外交並びに朝貢外交の実態が今更乍ら露呈しているが、領土問題は国家の主権であり、如何なる譲歩も妥協も有ってはならない。

 韓国は我が国固有の領土である竹島を「独島(ドクト)」と称し自国の領土と主張するが、この根拠は「三国史記」という古代朝鮮の歴史書に帰着する。

 鬱陵島の隣の干山島が新羅の領土と書かれていることを論拠に「4~5世紀から韓国領だった」と主張する。だが、古地図では干山島は鬱陵島の西に接近している。竹島は鬱陵島の東南92キロに在るのだから干山島が竹島ではないのが分かる。

 こんな判りきった事実が有るのに、何故韓国の連中は干山島は竹島だから固有の領土だと主張するのだろうか。というのも過去には、竹島と鬱陵島の周辺の小島の呼称が色々変わって来た為であり、そうしたことで混乱を招いているのも確か。

 竹島は「松島」と呼ばれた時代もあるし「リャンコ島」と呼ばれたこともある。李氏朝鮮時代の地図には、鬱陵島より90キロも先に在る島のことなど唯の一度も登場したことはない。鬱陵島とその近くの干山島などの小島以外は全く出て来ない。

 考えてみれば当然のことで、李氏朝鮮時代には鬱陵島すら空島政策によって居住が禁止されており、それより遥か先の小さな島のことなど関心の外であって、認識すらなかったというのが歴史的な事実であるのだが、それすら認めようとしない。

 日本では徳川時代から魚採が行われ度々渡航していた事実がある。この領土問題を紛らわしくしているのは、日本では当時「鬱陵島を竹島」と呼んでいたことであろう。 歴史的な事実は以上の通りで、韓国の主張おいうのは全く根拠がない。

 日本政府は過去にこの問題を「国際司法裁判所」に付託することを提議したが、韓国政府は未だに応じていない。韓国側が応じていないというより、応じられないというのが本音だろう。応じれば竹島が日本の領土となるのが分ってるからだ。

 昭和26(1951)年に韓国がアメリカ政府に対し、ポツダム宣言の解釈として「日本が放棄した領土には竹島(独島)が含まれるべきである」と要求した。

「独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思いません(ラスク国務次官補より梁韓国大使宛書簡、1951年8月10日付)」 と回答されている。

 歴史的に見ても竹島は我が国固有の領土であり毅然と領有権を主張すべき問題であり、領土問題での譲歩は更なる譲歩を生むだけで何の解決にもならない。

 戦後の日本の歴代政府の弱腰軟弱外交と国家主権に対する認識不足や対応の甘さの所為で、韓国を始めロシア、中共、北朝鮮といった国になめられ続けている。

cordial8317 at 07:43|Permalink

2010年02月12日

韓国併合から100年の節目に韓国に猛省を促す

 昨日ソウルで岡田克也外相と韓国李明博大統領との会談が行われた。いつの間にやら韓国への朝貢国が如くに振る舞った岡田の行為は日本人として怒りを覚える。

 日韓併合に関し「民族の誇りを傷つけた」との訳の解らぬ見解を示し、「私たちは過去の歴史を前向きに直視する勇気を持っている」と、恰も我が国の韓国を弾圧したかのように媚び諂ってたが、外交とは断じて謝罪や同調をすることではない。

 今年は日韓併合から100年の節目ということで、それに合わせあろうことか天皇陛下の訪韓を画策している様だが、日韓併合を批判する勢力は依然として日帝支配を糾弾しており、その様な中での御訪韓は不祥事が起こる可能性は否定出来ない。

 天皇訪韓は、不快極まるものになるであろうことは火を見るより明らかで、断固阻止せねばならない。要するに韓国は、天皇陛下を御訪韓させて、改めて謝罪させ、それを正しい歴史としたいのであろうが、無礼千万極まりないことである。

 日本の統治時代を悪逆非道の「日帝36年」と決め付ける韓国の主張の根源は、日本が米国の「戦後民主主義教育」の洗脳に因り自虐史観に陥っている様に、米国の傀儡・李承晩らによる「反日教育」によって影響を受けているのである。

 李承晩は日本統治時代、海外で反日運動をしていた人物であり、戦後米国の威光で初代大統領になった人物だ。韓国国民を纏めようと行ったのが「反共」「反日」政策で、これを韓国の「国是」としたのである。未だにこうした一部の少数派が創り上げた歴史を信じているのだが、李承晩は後に韓国を捨てた人物でもある。

 韓国も我が国同様、米国の術中に嵌っているだけなのだ。韓国を併合するに至る歴史は「日韓併合」だけではなく、アジア近代史を知る必要があろう。

 韓国独自での巨大ロシアの排除や近代国家建設の道は、日本の助力なしでは在り得ず、寧ろ日本に拠る韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張が現実的だった。

 無論、その合邦派も最後は韓国併合の現実に一切沈黙せざるを得なかったのだ。この悲劇の現実こそが、日韓関係の日韓関係たる所以なのである。

 韓国人は、こういう事実は一切無視し、「事大思想」から物事を冷静に判断出来ない連中ばかりで「韓国併合」は西洋列強の植民地支配とは違うとホザく。

 要するに、「西洋の植民地支配は先進国が後進国を支配したのであって悪ではない」という考え方を持っている韓国は、「韓国併合」は後進国の日本が先進国の韓国を支配したのであって、ナチスドイツのフランス侵略と同じだという発想なのだ。

「進んだ文化を持つ国が、遅れた国を支配することは至極当然であり、非難など出来る筈もない」ということなのだが、こうした韓国人の事大思想にはホトホト呆れるばかり。岡田や小沢、鳩山らの藪蛇外交はこれが初めてではない。

 小沢は昨年、訪中の帰りに立ち寄った韓国のソウルの国民大学で講演し「天皇家の祖先は朝鮮南部の権力者」「韓国が望めば天皇を訪韓させられる」と韓国を喜ばせ、歴史問題では土下座というパフォーマンスをして在日の「参政権付与」を約束した。

 過去にも、扶桑社の歴史教科書が問題になった時、「採用されることがあってはならない」と口走り、「慰安婦問題」では民主党は国家補償をも打ち出している。

 日本国内では未だに「自虐史観」が蔓延り、韓国では「反日史観」が徹底されている状況では、健全な日韓関係の発展なんぞ望めやしない。「韓国の国是である『反日』を止め、『親日分子取締り法」などというふざけた法律は廃止すべき」と訴えてくるならいざ知らず、「民族の誇りを傷つけた」とは開いた口が塞がらない。

 コイツらの外交は、自国の国益などそっちのけで謝罪や同調や譲歩することだと思っているらしいが、こういう連中は所詮どの国も信用してはいないだろう。日本人も欧米や韓国の様に「己を正当化する強固な意志」を持つべきであろう。

cordial8317 at 08:11|Permalink

2010年02月07日

小沢一郎の事件を機に政党交付金を廃止せよ!

 政治家というのは一体幾ら貰ったら真面目に滅私奉公してくれるのだろうか?

 小沢の疑惑は、西松、水谷建設の「裏献金疑惑」や世田谷の土地購入問題以外にも、「都内の高級マンション購入疑惑」「岩手めんこいテレビ株主問題」などがあり、群を抜く「個人資産」は周知の事実。これらの不動産取得や蓄財に、新生、自由党の解党時の政治資金約23億円余りが使われているのは見逃せない。

 新生党解党時の9億2000万円と、自由党解党時の13億6000万円が小沢の政治団体に寄付され、内10億円余りで12件の不動産購入を購入している。

「政党交付金(政党助成金)」は全て国民の血税であり、これを返納せずに不動産購入や蓄財に充てることは、国民に対する背任、横領、詐欺行為である。

 政党交付金は、企業・労働組合・団体から政党・政治団体への政治献金を制限(禁止としないところがミソ)する代償として、細川政権時に導入されたものだ。

 細川はドイツの事例を挙げ「ドイツでは国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」と国民を騙し、この制度を導入した。

 政党助成法成立で、企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと国民の誰もが思った。

 この政党助成金、国民一人当たり250円。総額約320億円。国会議員一人当たり約5000万円が支払われいている。

 議員には歳費として年間2300万円、文書交通費1200万円、公設秘書の給料や議員会館、議員宿舎など年間合わせて1億円以上の国費が掛かる。

 誰が見ても十分な金額だと思うが、欲の皮のツッパッた連中は違う。相変わらず、企業献金、個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔しているのはどういうことか。これではまるで国民に対する「政党交付金詐欺」だろう。

 小沢の疑惑は、この政党交付金の在り方を問うべき大問題なのである。政治活動の自由という観点から、政党交付金の使い道には制限が無ければ立法事務費も使途報告の必要もなく、解散時の返納する義務もない。

 しかし、法を作るべ国会議員が「合法的なら」「法律の範囲内なら」と法を巧妙に抜け、不動産購入や蓄財をするなど以ての外だ。

 共産党が唯一「政党助成金は止めるべきだ」としているが、至極当然の話しで、政党交付金の趣旨は企業、労働組合、団体からの政治献金禁止の代償であり、未だ企業団体献金が無くならない現状を見れば、即刻廃止すべきものである。

 日本共産党は、政党交付金を「憲法違反」と断じて給付拒否している。共産党でも解りきってることが、今の欲集りの政治屋どもには全く理解出来ていない。

cordial8317 at 06:21|Permalink

2010年02月06日

横綱朝青龍と小沢一郎に見る男の引き際の違い

 現役に拘っていた朝青龍が、横綱審議委員会から「引退勧告」を出され、苦渋の選択の上で引退を決意したことは妥当な選択だろう。引退前まで朝青龍を批判していた人も、会見での涙を見たら今迄の怒りの矛先も収めてしまったのではないだろうか。

 この件で内館牧子が「今後日本であれ他の外国であれ、何処かで仕事をなさるでしょうが、その際、その国とその業界、及びその仕事に対し敬意を払うことを忘れないで欲しいと思います。朝青龍は日本に、角界に、そして相撲という仕事に敬意が欠けていた。それを持てば彼の良さがもっと表れ、そして評価されると考えています」とコメントを出している。今後の第二の人生に向かって役立てて欲しいものだ。

 朝青龍の礼節や品格の無さは、朝青龍の指導を怠った高砂親方の責任が大きい。二場所連続優勝で昇進の条件は満たしたとはいえ、品格や相手への礼節に大きな疑問の残る朝青龍を簡単に横綱に昇進させた横綱審議委員会の責任も大きい。

 相撲の世界に限らず、どんな世界でも間違いが有れば、諭して厳しく教えることは大事である。高校を卒業し入門したての未だ純粋な時期に、きちんと教えてやっていれば違う人生を歩んだだろうし、誰からも愛される横綱になっただろう。

 高砂親方は、自分流で個性を重んじて大らかに育てたつもりなのだろうが、それは優しさというより単なる甘やかしだ。日教組の連中が、自分たちは単なる労働者で、生徒との関係は師弟関係ではなく、同等の立場なんだと友達の様に接する。

 家庭でも親子というより友達感覚で生活している親子も少なくない。然し、上下の礼節や長幼の序といったものは、そんな甘ったるい環境では絶対に知ることはない。

 朝青龍の引退も「これも人生」と言ってしまえばそれまでだが、力士として抜群の力量が有っただけに、こんな中途半端な辞め方は返す返すも残念である。

 朝青龍が自ら引退表明した同じ日、政治資金規正法違反に問われた小沢一郎に不起訴の判断が出た。待ってましたとばかり、小沢は幹事長続投を表明した。然し、嫌疑不十分で罪に問うには証拠が少ないだけで、無実となった訳でもない。

 依然、政治的、道義的責任は存在する。小沢にしろ鳩山にしろ「秘書の責任は政治家本人の責任である」と言っていたではないか。二枚舌も好い加減にしなさい。

 その昔、小沢は「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすることである」と提唱し、同時に罰則の強化も主張し、違反の言い逃れを封じる為に「連座制」を導入すべきとも訴えていることとは大違い。

 政治資金規正法は議会制民主主義の根幹を成す法律であり、政治資金の実態を偽ることは、国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならないのである。

 劣化甚だしい小沢一郎に横綱の様な品格や礼節を求めるのは無理な話かも知れないが、政治とは最高の倫理であり、最高の道徳でなくてはならないのである。

 小沢は朝青龍に見習って政界から引退して欲しいものだが、恬として恥じることなく居座り続ける小沢には、国民から「引退勧告」を突き付けるしかない。

cordial8317 at 08:27|Permalink

在日李氏朝鮮人でプロレスラーの前田日明

 在日プロレスラーの前田日明が次期参院選に民主党から出馬する予定という。出馬が決まった為か、最近は小沢擁護の発言が目に付く。勝谷誠彦や鳥越俊太郎らの露骨な小沢擁護ほどではないにしろ、小沢に御為倒しをする輩はどうも信用ならない。

 前田は中々の勉強家で、日本の歴史にも詳しく、日本の現況を憂いている気概を感じる部分も多かっただけに民主党からの出馬は残念な気がしないでもない。

 前田日明は一水会の木村三浩著『右翼はおわってねぇぞ』で、木村氏と対談し「在日コリアンというのはおかしな連中で、当の本人でも自分が何人かわからない。なかには、日本人より日本人的な人間もいます。日々の生活で、まったく日本人の感覚でしゃべっている自分もありますし、韓国人でもある。では何人だと。自分が韓国人、また朝鮮人なのか日本人なのかわからない」とした上で『自分は在日朝鮮人といわれるんですけれど、自分でいうとしたら在日『李氏朝鮮人』です。精神的に自分たちにとっての祖国は李氏朝鮮(李朝)としかいえないかもしれない」と表現している。

 自分を「在日李氏朝鮮人」という前田だが、「永住外国人地方参政権付与法案」問題については、「これはおかしいと思うんです。永住外国人、はっきりいって対象は在日台湾、韓国、朝鮮人ですよ。参政権うんぬん以前の問題で、戦前から日本に来ている人たちには是非もなく、まず日本国籍を与えて選択させる。国籍を取れば選挙権は当然で、国籍はいらないという人には選挙権は必要ないですよ」と述べている。

 更に「戦後の断絶とともにこの国の精神文化が破壊されました。とくに破壊されたのは、歴史の破壊による精神的断絶。歴史教育というのは、経験という生きた道徳教育につながりますからね。そのために、この国独自の礼節や言葉が乱れてきたように思われてなりません。」と歴史教育の見直しと道徳教育の必要性も訴えている。

「外国人参政権付与反対」「道徳教育の必要性」を主張はしていたが、どうせ右翼との対談で阿諛追従しただけで、これらの主張が本当なら、道徳教育の廃止や外国人参政権付与成立を謀る民主党から出馬しようなどとは夢にも考えないだろう。

 衆議院のカーボンペーパーと言われて久しい参議院だが、プロレスラーやら朝鮮日報の支社長やら、「2番じゃダメなんですか」と絶叫した帰化人やら薬物使用の前科者の沖縄歌手だとか、最早「良識の府」などとは縁遠い連中ばかりで、こんな無用の長物・参議院なんぞ、早急に廃止に向けて「仕分け」して欲しいものだ。呵呵。

cordial8317 at 07:00|Permalink

2010年02月05日

小沢一郎著「日本改造計画」と今回の事件の矛盾

 小沢一郎が不起訴になったが、別に嫌疑不十分ということで無罪になった訳でもない。是非とも検察審議会に審査を申し立て「強制起訴」して欲しいものだ。

 小沢はその昔、政治資金の在り方に関し、自著「日本改造計画」でこう書いている。「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすることである」。白々しくこう提唱していたのを知っているだろうか。

 更に、同時に罰則の強化も主張し、違反の言い逃れを封じる為に「連座制を導入すべき」とも訴えている。然し、現実にはこの時に、既に小沢は西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたと言うのだからこんなフザけた話はないだろう。

 献金問題で小沢の公設秘書が逮捕されると、「逮捕されただけで起訴されたんですか」と開き直り、「献金してくれるという方について、どういう所から出ているのかという類を聞くのは失礼なことですし詮索しない」とまで答えている。

 公設秘書の起訴を受けて女性記者から質問されると「なんで私が離党し、議員辞職しなければならないんですか」と気色ばんで、質問した女性を睨み付けた。今回の事件で不起訴処分となったところで、政治家としての道義的責任は免れない。

 例えば、平成13年、自民党の加藤紘一の事務所代表が所得税法違反に問われた際に、鳩山由紀夫は「秘書の責任は政治家の責任である」と執拗に追及した。こうした結果、加藤は自民党を離党し、議員も辞職しケジメを付けている。

 小沢も鳩山も「担当秘書を信頼し実務は一切任せていた」「私自身帳簿や報告書を見たことはない」「私自身私腹を肥やした訳ではない」とはもう嗤うしかない。

 それを言うなら、加藤紘一も全く同じで、事務所代表を信頼し実務を任せ、また私腹を肥やした訳でもないだろう。小沢鳩山両人とも自分自身には相当甘いようだ。

 政治資金規正法とは議会制民主主義の根幹を成す法律であり、政治資金の実態を偽ることは、つまりは国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない。

 民主党は真剣に政権運営に臨むので有れば、小沢に幹事長辞任を進言すべきであろう。だが、民主党は自己保身、権力欲、偽善者の烏合の衆ばかりで、国民には「自浄能力の無さ」「政権担当能力の無さ」を露呈している様に思える。

 人品に劣るというか、言行不一致の鳩山や小沢が政治家の椅子に固執すればするほど、国民の民主党離れは進み、政治不信は益々募るばかりだろう。

cordial8317 at 05:55|Permalink

2010年02月03日

右翼浪漫派を気取ってみるも

 小生の故郷、二本松出身の大山忠作画伯が死去して一周忌になる。「五百羅漢」を是非見たいと、地元に建設された「大山忠作記念館」に行って来た。日本画家では一番好きな画家だ。因みに大山画伯の長女の采子さんは、女優の一色彩子。

 右翼と蔑視されてはいるが演歌や軍歌よりクラッシックやオペラや美術館巡りが好きで、本人は「右翼浪漫派」を気取っているが、周りからは失笑が漏れる。

 クラッシックはショパンも好きだが、サティの「ジムノペティ第1番」は春に聴くには最高の曲で、聴いてると何となく気持ちが落ち着いて心地好い。オペラは、パバッロティも良いが、サラブライトマンが好きでipodでよく聴いている。

 浪漫と云えば、その昔、防挺の初代福田進総隊長の著書「日本と油虫」という本のあとがきに「男のロマン」を感じさせるこんな一節があったのを思い出す。 

「俺はまだアラブを知らない。
夜空に輝く星が今にも落ちて来るのじゃないかと・・・
連合赤軍の兵士てえ自称する、共産主義の三匹の油虫のアンチャンは、
イスラエルの空港で好き勝手に暴れ回ってユダ公をぶっ殺した。
生き残った一匹は
『我々三人は死んだ後オリオンの三つの星になろうと考えていた』
その言葉は稚拙ではあるが荒廃した日本にはないロマンを感じさせるんだなあ。
アラブという国が、
日本青年をして死を覚悟するまで革命に駆り立てる何かがあるとすれば、
俺も夢多き一人として一度アラブへ行って見たい衝動に駆られる。
きっとアラブの夜空に燦然と輝くオリオンの星が、
油虫の俺を魅きつけるのかも知れない・・・」

 学生時代この本に出会い、何時の日か満天の星を見にアラブに行きたいと思ってはいるが、当たり前だが慢性的不如意から抜け出せず未だ実現出来ないでいる。

 今日の朝刊に「平山郁夫お別れ会」の記事が載っていた。その昔、日中友好協会、各会員に質問状を送ったことがあるが、その時の会長が平山郁夫だった。 平成17年に送付した「日中友好協会各会員に質問す」という内容は 次の通り。

 1、尖閣諸島は歴史的にも我が国の固有の領土であるが、1968年の海底調査で石油資源の可能性が報告されてから、支那は領有権を主張しているが、1972年前の北京政府の地図では日本の領土となっていたのは知っているか。

 2、日本最南端沖の鳥島を岩礁だと言い張り、我が国の排他的経済水域への侵犯を繰り返しているが、この支那の海賊行為について言及したことはあるのか。

 3、盧溝橋の中国人民抗日記念館など反日的宣伝施設にある出鱈目な展示物は著しく友好を損ねるものであると思うが如何か。

 4、経済の発展には真の自由と民主主義が不可欠であると思うが、中国共産党による一党独裁を廃し複数政党を認めるよう提言したか。

 5、我が国は支那に莫大なODAを支援しているが、無償有償の多大な経済援助を人民に教えないのは何故だと思うか。

 6、日本国内の外国人犯罪は年々増えるばかりだが、そのうちの半分以上が支那人によるものだが、こうした支那人犯罪者による凶悪犯罪や不法入国をどう思うか。

 7、靖國神社への参拝を批判しているが、靖國神社に祀られている多くの英霊の犠牲の上に今日の日本の平和や繁栄があると思うが、貴殿らは靖國神社に参拝したことがあるのか。

 他にも列記した質問は割愛するが、これらの質問を会長である平山郁夫ほか全国の会員に送付したが、一通も回答が無かった。

 中共との交流は結構だが、その本質は共産主義であり、「中国と一衣帯水だ」とか「歴史的に特別な関係がある」だとか「同種同文だ」という幻想を捨てて掛からなければならない。だが、連中は聞く耳を持たず中共政府の走狗に成り下がった。

 平山郁夫は、晩年を汚した日本人の一人だと思う。平山の「シルクロード」なんぞ、大山忠作の「五百羅漢」一つとってもその足元にも及ばない。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

cordial8317 at 07:49|Permalink

2010年02月02日

鳩山政権は小沢傀儡政権

 愚生は小沢一郎のアノ作り笑顔が嫌いである。小沢に限らず、菅直人も貧乏神の様な岡田克也のニヤケ顔も大嫌いだ。小沢は人と協力してやるということは苦手で、主張もコロコロ変わる。それを鳩山や菅が弁解して歩く姿は滑稽の一言。

 田中角栄に政治の帝王学を学んだ割には、小沢には角さんの様な人情味も人間的な魅力も全く無い。 そういった意味では、小沢というのは田中角栄よりも娘の真紀子の方に似てしまった様だ。角さんは、「天下を獲るには敵を造るな」と教えたというが、小沢からは離れる側近が多いのは何故かと言えば敵を造るからだ。

 弱冠47歳で自民党幹事長を務めこの世の春を謳歌するも、51歳で旧竹下派を飛び出し、終には自民党を離党する。以後「新生党」「新進党」「自由党」と「創造と破壊」を繰り返し、民主党代表となるもカネへの卑しさから西松事件で引責辞任。

 引責辞任したのも束の間、民主党幹事長に就任するという離れ業をやってのける。「選挙屋」の本領を発揮して総選挙を圧勝する。今や民主党内には小沢に物申す者は存在せず、鳩山政権は小沢独裁の傀儡政権と言っても過言ではない。

 小沢を語る上で、「不透明な政治資金疑惑」を切り離して考える事は出来ない。政治資金疑惑が発覚すると小沢は白々しく、「私は陸山会所有の全ての不動産について如何なる権利も持っていない」と詭弁を弄したことは記憶に新しい。

 民主党は「政治資金の透明化」「政治資金規制の強化」の政策を掲げてはいるが、「政治資金による個人蓄財の禁止」はどこにも明記していない。

 収支報告書の開示や領収書の保存などを挙げながら、小沢が行った政治献金の大きな抜け穴に関しては全く手を打たないということだ。はっきり言えば手を打てないというのが本音で、如何に民主党が小沢の独裁政党であるかが垣間見れる。

 注目すべきは疑惑になった政治資金も解散時にネコババした政党助成金も自分の懐に仕舞い込んだ儘なのだ。こんな国民をバカにしたふざけた話があるか。

 この小沢資金で当選した議員が「小沢チルドレン」と言われる新人議員や、小沢の腰巾着・山岡賢次や小沢主義を標榜する「一新会」の連中なのだが、そんな人品に悖る連中が、国会を我が物顔で闊歩する姿を見てるだけで胸糞が悪い。

 一新会には、民主党内の保守派と言われている松原仁がいる。「永住外国人への参政権付与」に躍起になっている小沢と同調すること自体が不可思議であるが、こうした似非保守こそが世の中を撹乱していることを知るべきだ。

 民主党は「無駄遣いの見直し」「新たな治水対策考える」という理由を掲げ、公共事業を見直すとして群馬県の八ッ場ダムをその象徴として大々的に取り上げた。

 この民主党の目玉であり、一丁目一番地とも言うべき政策も、熊本県の川辺川ダム、或いは長崎県の諫早湾干拓の中止も、西松建設が関与していない工事ばかり。つまり、小沢に献金しなかった企業の工事ばかりだということは実に分かり易い。

 小沢の地元の岩手県の胆沢ダムを中止をしない理由として、「既に本体工事に入っているから」というのは、余りにも説得力が無さ過ぎて嗤うしかない。

 今、世間を賑わせている不正献金問題は、この胆沢ダム工事を請け負った水谷建設など関係企業ばかりで、事件がはっきりするまで工事は中止すべきだろう。また、小沢らの関与が明らかになった場合は請負い業者を一新すべきである。

 小沢一郎には数々の疑惑が有りながら、そこを地球もせずに避けて政策を立てる辺りが、今の民主党の恣意的な政治姿勢を如実に表している。正に、民主党は小沢独裁の「鳩山傀儡内閣」であり、国民にとっては百害有って一利無し。

cordial8317 at 08:05|Permalink

2010年02月01日

「沈黙は最大の抵抗である」

 昨日、DVDに録画していて見そびれていた「落日燃ゆ」というドラマを観た。その昔、城山三郎の本は読んだ事は有るが、内容は所謂「A級戦犯」として処刑された広田弘毅を題材にしたものである。中々、見応えのあるドラマだった。

「極東国際軍事裁判」という茶番で我が国は、「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」の三つの罪で裁かれた事は誰もが知るところだ。

 この裁判で「A級戦犯」として絞首刑に処された外務大臣や総理大臣を歴任した広田弘毅は、公判中一言の抗弁もせず沈黙を守った儘に従容として死に就いた。その沈黙の死は、自己弁護に懸命な他の拘留者の中に在って異彩を放った。

「言いて当たるは知なり、黙して当たるも知なり」という諺がある。自らの発言に拠って核心を突くのは「知」といえるが、沈黙に拠って相手に悟らせることで核心を突くのも同じく「知」である。雄弁も沈黙も時には同列なのである。

 表情・眼差し・物腰で、核心に触れる何事かを伝えることは出来るのだ。広田弘毅の「沈黙」は、最大にして最高の「抵抗」ではなかったのではあるまいか。

 インドの法学者であったパール判事は極東軍事裁判で、日本が裁かれた三つ罪は、国際法上の根拠を欠くとして全員の無罪を主張したことに括目すべきであろう。

 パル判事は、「時が熱狂と偏見を和らげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には その時こそ正義の女神は その秤を平行に保ちながら 過去の賞罰の多くに その所を変えることを要求するであろう」との言葉を遺している。

 一体、何年経てば、何時になれば英霊の方々の名誉が回復できるのだろうか。日本人自ら「戦犯」という言葉を使うが、極東軍事裁判で使われた「戦犯」という蔑称は止めるべきではないか。何故なら我が国には戦争犯罪者はいないのだから。

cordial8317 at 07:20|Permalink

日中歴史共同研究の茶番を嗤う

 日本側も中国共産党側も、初めから「南京虐殺は事実である」と決め付けている。「盧溝橋事件」にしても、中国共産党の謀略という歴史的事実が明らかになっているのにも拘らず、今更「偶発的に発生した」とは開いた口が塞がらない。

 抑抑「南京事件」など存在せず、ジョン・ラーベという男のでっち上げに過ぎない。ラーべとは昭和12年12月に日本人が南京を占領した時に、南京に残っていた欧米人15人に拠って組織された「安全区国際委員会」の委員長である。

「安全区」は南京の一角を中立地帯にして、一般市民を戦火から守る為に設置されたものだ。ジョン・ラーベは、中国国内では住民保護に当たった人道主義者「中国のシンドラー」として讃えられてはいるが、果たして実際はどうだったか?

 先ず何故に、ラーベが委員長に選ばれたのかである。ラーベはドイツの電機メーカー、ジーメンスの南京支社長で、当時のドイツは、蒋介石政権に軍事顧問団を送り込み中国軍の近代化を指導するとともに、ドイツ製の武器を大量に売り込んでいた。

 当時は産業連盟ぐるみで輸出を行っていた。中華民国はドイツの第一のお得意様でジーメンスもその中心メーカーだった。蒋介石と親密な関係を持つドイツのラーベが安全区国際委員会委員長に選ばれたのは当然の成り行きだった。

 軍事顧問団のファルケルハウンゼン将軍は、日本に対する先制攻撃を蒋介石に提案していた位だから、仲間のラーベが反日的で中国人に同情的だったのは不思議ではない。従って『ラーベ日記』には日本軍に対する極めて悪意のある描写が多い。

 あの狭い安全区に20万人の市民がいたことは分かっている。そこを自由に行き来していたラーベ。 それでも日記にはたったの一行も殺害を見たとは書いていない。全てはこう言っている、ああ言っているという伝聞でしかないのだ。

 事実国際委員会の公式記録である「南京安全区の記録」には南京の人口はずっと20万人だったと書いてある。ところが、ヒットラーへの上申書で「5~6万人の民間人が日本軍に殺されたと事実と違うことを書いて虚偽の報告をしたのである。

 要するに、南京事件とは嘘吐きジョン・ラーベの書いた「ラーべ日記」やヒットラーへの上申書を証拠に捏造されたもので、全くの事実無根ということである。

 こんな嘘吐きの反日のナチス党員が書いた記録を証拠とし、中国共産党の御先棒を担ぐ学者らが共同研究したところで、真実が明らかになる筈もない。

 証拠も事実も無いにも拘らず「日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」とは、研究者として恥を知るべきだ。

 先人を貶めた行為は万死に値する。 真に日本側に立って主張をするなら、せめて国会での「南京問題小委員会」で調査検証したものを提出しなさいな。

 歴史の問題は、一国の存亡に関わる大事であり、こういう意味を成さない共同研究の茶番は即刻止めるべきだ。両国の平和友好というなら、先ず南京屠殺記念館や各戦争記念館に展示してあるインチキ写真を撤去するよう抗議すべきであろう。

cordial8317 at 06:22|Permalink