2023年12月16日
政治資金パーティー問題は外国人のチケット購入こそ大問題
マスコミは政治資金パーティー裏金問題を、恣意的に「安倍派」として恰も安倍元総理の下で裏金作りが行われていたと報じているが、細田派時代からの陋習であって、故人の名前ではなく「清和政策研究会(清和会)」と報じるべきだろう。
岸田文雄首相や閣僚らは1000万円以上集める「特定パーティー」を開催しているが、これは大規模な政治資金パーティーを禁ずる大臣規範に抵触するものだ。だが、大臣規範に罰則規定は無く、空文化状態であり、法的にも穴だらけである。
政治資金規正法では政治資金パーティーを認めている。パーティー券の購入額が20万円以下なら名前の記載は不要。自民党5派閥の政治資金パーティーの不記載は報告書の訂正で問題無し。だが、政治資金規正法と政党助成法との矛盾は明らかだ。
政党助成法に拠る「政党交付金」は政治献金禁止の代償であるが、未だに企業献金や政治資金パーティーを続けてるのは如何なものか。国民への約束を反故し、未だに企業や団体からの献金を続けていることは国民への詐欺行為そのものである。
相変わらず国会議員らは企業献金やら個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔している。これ即ち「クリーンな政治を実現する」という趣旨からも逸脱しており、国民への裏切りである政党交付金は即時廃止するべきである。
日本共産党は、政党助成法に反対する立場から政党交付金は受け取らない。敵乍ら大したものだ。交付金を受取る政党と受取らない政党が存在している現状は「法の下の平等」とは程遠いものだ。受取らない日本共産党が何故か立派に見える。
任侠道に欠落してる暴力団が「ヤクザをやるのはカネがかかる」とよく言ってるが、政治家の「政治にはカネがかかる」という言い訳は、同義語だろうな(笑)
今回の裏金問題で許せないのは、法を作る側の国会議員が、政治資金規正法の裏を掻い潜り、政治資金パーティーを公然と行い、裏金を作っていたことだ。況してや、政治資金パーティーの参加は外国人でも問題が無いというのはどういうことか。
民主党政権下、前原誠司や菅直人が外国人から政治資金を貰っていたことが問題となった。前原については、自民党・西田昌司の執拗な追求し、前原は「故意ではない」と詭弁を弄するも、在日朝鮮人の婆さんからの献金の事実を認め外相を辞した。
西田議員は在日からの献金問題と在日の政治活動に対して、「これは日本人の主権が侵害されている大問題なんだよ」と喝破していたが、正にその通りである。菅直人に至っては不法献金を誤魔化す為に原発事故を利用したことは万死に値する。
現在、国内にはシナ人などの一般永住者が約80万人、韓国人などの特別永住者が約30万人、技能実習者約38万人、留学者約28万人、定住者約20万人と家族約20万人など、実に約289万人の外国人が住んでいる。この数は年々増加するばかり。
外国人の中でもシナ人や在日朝鮮人らは「外国人地方参政権付与」に躍起になり、国内の珍左翼や左翼メディアを利用して「地域主権」などという妄言で国民を騙し、外国人への権利付与が当然であるかの如く騒ぎ立て、アホな政治家が賛同する。
「岸田派(宏池会)」の政治資金パーティーでは、シナ人が大量にチケットを購入している。他の派閥や野党も同じだろう。外国人からの政治献金は違法なのに、外国人の政治資金パーティーチケット購入が問題ではないというのはどういうことか。
「政治資金規正法」は議会制民主主義の根幹を成す法律である。政治資金の実態を偽ることは国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない。況してやパーティー券購入は政治資金規正法には問われないとしてやっているとしたら実に悪質である。
今回の政治資金パーティー裏金問題は自民党の陋習が生んだ破廉恥行為であり、国民への裏切りであるが、外国人のパーティー券購入が政治献金の替りだとしたら断じて赦されることではない。 外国人の派閥パーティー参加は氷山の一角だろう。
自民党の政治資金パーティー裏金問題で自民党政権への批判は留まることを知らない。だが、野党の為体というかオウンゴールで自公連立政権が生き延びる(笑)
自民党岸田派を筆頭に売国議員どもが中国共産党関係者からの不法献金を受け、忠誠を誓うが如く活動し、売国法案成立に躍起になっていることは疑い様のない事実である。これ以上の我が国への主権侵害を拱手傍観している訳には参らない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
岸田文雄首相や閣僚らは1000万円以上集める「特定パーティー」を開催しているが、これは大規模な政治資金パーティーを禁ずる大臣規範に抵触するものだ。だが、大臣規範に罰則規定は無く、空文化状態であり、法的にも穴だらけである。
政治資金規正法では政治資金パーティーを認めている。パーティー券の購入額が20万円以下なら名前の記載は不要。自民党5派閥の政治資金パーティーの不記載は報告書の訂正で問題無し。だが、政治資金規正法と政党助成法との矛盾は明らかだ。
政党助成法に拠る「政党交付金」は政治献金禁止の代償であるが、未だに企業献金や政治資金パーティーを続けてるのは如何なものか。国民への約束を反故し、未だに企業や団体からの献金を続けていることは国民への詐欺行為そのものである。
相変わらず国会議員らは企業献金やら個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔している。これ即ち「クリーンな政治を実現する」という趣旨からも逸脱しており、国民への裏切りである政党交付金は即時廃止するべきである。
日本共産党は、政党助成法に反対する立場から政党交付金は受け取らない。敵乍ら大したものだ。交付金を受取る政党と受取らない政党が存在している現状は「法の下の平等」とは程遠いものだ。受取らない日本共産党が何故か立派に見える。
任侠道に欠落してる暴力団が「ヤクザをやるのはカネがかかる」とよく言ってるが、政治家の「政治にはカネがかかる」という言い訳は、同義語だろうな(笑)
今回の裏金問題で許せないのは、法を作る側の国会議員が、政治資金規正法の裏を掻い潜り、政治資金パーティーを公然と行い、裏金を作っていたことだ。況してや、政治資金パーティーの参加は外国人でも問題が無いというのはどういうことか。
民主党政権下、前原誠司や菅直人が外国人から政治資金を貰っていたことが問題となった。前原については、自民党・西田昌司の執拗な追求し、前原は「故意ではない」と詭弁を弄するも、在日朝鮮人の婆さんからの献金の事実を認め外相を辞した。
西田議員は在日からの献金問題と在日の政治活動に対して、「これは日本人の主権が侵害されている大問題なんだよ」と喝破していたが、正にその通りである。菅直人に至っては不法献金を誤魔化す為に原発事故を利用したことは万死に値する。
現在、国内にはシナ人などの一般永住者が約80万人、韓国人などの特別永住者が約30万人、技能実習者約38万人、留学者約28万人、定住者約20万人と家族約20万人など、実に約289万人の外国人が住んでいる。この数は年々増加するばかり。
外国人の中でもシナ人や在日朝鮮人らは「外国人地方参政権付与」に躍起になり、国内の珍左翼や左翼メディアを利用して「地域主権」などという妄言で国民を騙し、外国人への権利付与が当然であるかの如く騒ぎ立て、アホな政治家が賛同する。
「岸田派(宏池会)」の政治資金パーティーでは、シナ人が大量にチケットを購入している。他の派閥や野党も同じだろう。外国人からの政治献金は違法なのに、外国人の政治資金パーティーチケット購入が問題ではないというのはどういうことか。
「政治資金規正法」は議会制民主主義の根幹を成す法律である。政治資金の実態を偽ることは国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない。況してやパーティー券購入は政治資金規正法には問われないとしてやっているとしたら実に悪質である。
今回の政治資金パーティー裏金問題は自民党の陋習が生んだ破廉恥行為であり、国民への裏切りであるが、外国人のパーティー券購入が政治献金の替りだとしたら断じて赦されることではない。 外国人の派閥パーティー参加は氷山の一角だろう。
自民党の政治資金パーティー裏金問題で自民党政権への批判は留まることを知らない。だが、野党の為体というかオウンゴールで自公連立政権が生き延びる(笑)
自民党岸田派を筆頭に売国議員どもが中国共産党関係者からの不法献金を受け、忠誠を誓うが如く活動し、売国法案成立に躍起になっていることは疑い様のない事実である。これ以上の我が国への主権侵害を拱手傍観している訳には参らない。
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2023年12月15日
我が国の死刑制度は「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるもの
日本人というのは「赤穂浪士」を筆頭に「柘榴坂の仇討ち」やら「必殺仕置き人」という様な悪党をやっつける勧善懲悪的芝居が好きだ。今の時代では仇討ちなんて出来ないが、被害者の代わりに執行するものが法律であり、死刑制度である。
死刑は、犯罪者を被害者に代わって国が処罰する為の制度。我が国の死刑制度は「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして明治6年(1873)2月、司法卿・江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令した。
幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争や征伐を断ち切るのが目的だった。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布されることとなり、敵討ちや復讐は禁じられた。
主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され、「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。
現代に於いても「死刑制度」は90%近くの国民が支持しているのは、国家が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならないと考える。
自称人権派弁護士などの死刑廃止論者は、その理由を「国際人権基準」がどうのだとか「非人道的」とか「生きる権利の侵害」だとか「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」とか、被害者側に立った意見はとんと聞かない。
最近では裁判員裁判でも重大な事件を裁くこともあり、極刑か無期懲役かの選択肢しかない場合もある。過去には、国を相手取り、裁判員裁判に出た主婦が精神的被害を訴え告発したケースがあった。被害者側の峻烈な怒りや悲しみを酌むことも出来ない精神状態ならば、始めから裁判員裁判なんぞ出席せず辞退すべきだった。
死刑判決は裁判員に大きな負担を強いるし、日本もそろそろ終身刑を導入すべきだとする流れもあるが、死刑制度の廃止より裁判員裁判を廃止した方が好い。
死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべきという意見を耳にする。いつも思うことだが、この「世界では」という理屈は実に胡散臭げなものばかり。ならば言うが「世界では」微罪であっても裁判は愚かその場で射殺されるのは茶飯事だ。
死刑廃止の理由として「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「冤罪の場合に取り返しが付かない」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」という性善説等等。
「冤罪」というのは確かに有り得なくはないが、それは科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どで、冤罪の疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけのこと。
「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、そんな欧米人の価値観に与する方が間違いである。
左翼や自称・人権派などに、こうした主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱え乍ら、都合のいい部分はキリスト教でも利用しようとはホント逞しい(笑)
被害者の命を軽んじて残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。「生」に拘るより「死」を以て償うべきだと思う。我が国の死刑制度は、仏教の教えでもある大慈悲という意味合いもあるのだ。
抑抑、死刑制度は被害者遺族に代わり国家が仇討ちするものではないのか。仇討ちを合法化するなら兎も角、終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無い。「死刑は犯罪抑止効果は無い」との理由も、結局は終身刑も同じこと。
裁判では容疑者の反省の度合いも考慮される。要は、減刑目的に反省したフリをしていれば刑も軽くなるのだ。今迄、愚生も多くのワルを見ているが、多くの者は逮捕された事実こそ反省するが、犯した罪を反省している輩など見たこともない。
怪しい世論の流れで死刑に替わり「終身刑」が導入されたところで、必ずしも犯罪抑止の成果が上がるとは思えない。況してや移民受け入れで凶悪犯罪が増えるのは必至な状況の中で、死刑制度が廃止されれば、抑止どころか犯罪を助長する。
死刑囚の「当日に知らされた死刑の執行は受ける義務がない」などという抗弁は、突然に殺された被害者及び遺族の無念や怨念を逆撫でするものだ。刑事訴訟法に基づいて死刑確定から6ヵ月以内に粛々且つ迅速な死刑執行こそ求められる。
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死刑は、犯罪者を被害者に代わって国が処罰する為の制度。我が国の死刑制度は「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして明治6年(1873)2月、司法卿・江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令した。
幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争や征伐を断ち切るのが目的だった。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布されることとなり、敵討ちや復讐は禁じられた。
主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され、「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。
現代に於いても「死刑制度」は90%近くの国民が支持しているのは、国家が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならないと考える。
自称人権派弁護士などの死刑廃止論者は、その理由を「国際人権基準」がどうのだとか「非人道的」とか「生きる権利の侵害」だとか「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」とか、被害者側に立った意見はとんと聞かない。
最近では裁判員裁判でも重大な事件を裁くこともあり、極刑か無期懲役かの選択肢しかない場合もある。過去には、国を相手取り、裁判員裁判に出た主婦が精神的被害を訴え告発したケースがあった。被害者側の峻烈な怒りや悲しみを酌むことも出来ない精神状態ならば、始めから裁判員裁判なんぞ出席せず辞退すべきだった。
死刑判決は裁判員に大きな負担を強いるし、日本もそろそろ終身刑を導入すべきだとする流れもあるが、死刑制度の廃止より裁判員裁判を廃止した方が好い。
死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべきという意見を耳にする。いつも思うことだが、この「世界では」という理屈は実に胡散臭げなものばかり。ならば言うが「世界では」微罪であっても裁判は愚かその場で射殺されるのは茶飯事だ。
死刑廃止の理由として「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「冤罪の場合に取り返しが付かない」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」という性善説等等。
「冤罪」というのは確かに有り得なくはないが、それは科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どで、冤罪の疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけのこと。
「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、そんな欧米人の価値観に与する方が間違いである。
左翼や自称・人権派などに、こうした主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱え乍ら、都合のいい部分はキリスト教でも利用しようとはホント逞しい(笑)
被害者の命を軽んじて残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。「生」に拘るより「死」を以て償うべきだと思う。我が国の死刑制度は、仏教の教えでもある大慈悲という意味合いもあるのだ。
抑抑、死刑制度は被害者遺族に代わり国家が仇討ちするものではないのか。仇討ちを合法化するなら兎も角、終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無い。「死刑は犯罪抑止効果は無い」との理由も、結局は終身刑も同じこと。
裁判では容疑者の反省の度合いも考慮される。要は、減刑目的に反省したフリをしていれば刑も軽くなるのだ。今迄、愚生も多くのワルを見ているが、多くの者は逮捕された事実こそ反省するが、犯した罪を反省している輩など見たこともない。
怪しい世論の流れで死刑に替わり「終身刑」が導入されたところで、必ずしも犯罪抑止の成果が上がるとは思えない。況してや移民受け入れで凶悪犯罪が増えるのは必至な状況の中で、死刑制度が廃止されれば、抑止どころか犯罪を助長する。
死刑囚の「当日に知らされた死刑の執行は受ける義務がない」などという抗弁は、突然に殺された被害者及び遺族の無念や怨念を逆撫でするものだ。刑事訴訟法に基づいて死刑確定から6ヵ月以内に粛々且つ迅速な死刑執行こそ求められる。
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2023年12月14日
赤穂浪士の討ち入りを美学と捉えるか打算的と見るかは人夫夫
その昔は、12月14頃になると「忠臣蔵」「赤穂浪士」が定番で、テレビでよく放映されていたが、仇討ちを美化するのを否定してるのか、吉良の「悪玉論」への反発からか、年末の恒例行事でもあるドラマが消えたのはチョッと寂しい気もする。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りは元禄15年12月14日とされているが、旧暦では元禄16年1月30日。旧暦だと月の満ち欠けは29.5日周期で、1日が新月だから14~15は満月の夜、30日だったとすると新月に近く薄暗かったのではなかろうか。旧暦の元禄15年は閏年である。つまり一年が13ヶ月あった年だから話がややこしい。
映画や仮手本忠臣蔵で演じられている満月の夜だったという想定はやはり脚本だろうか。赤穂浪士の精神的支柱となったのが、陸奥国会津若松城下生まれで、「山鹿流軍学の祖」として知られている山鹿素行(やまがそこう)という人物である。
素行は、江戸時代に於ける武士道の理論を確立した儒学者であり、素行の談話を筆記した「山鹿語類」は日本人必読の著である。山鹿の著した「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」との日本主義を主張した。
江戸時代267年の歴史の中で理不尽な御家断絶や御家騒動は他にもあったが、赤穂藩四十七士だけが「義士」と呼ばれ「武士道の華」と評価されたのは何故か。それは素行の「正義の遂行」の本義に基付く教えが在ったからだと言っても好いだろう。
一方で、忠臣蔵の討ち入りに「大義」はなく、「忠義ばかりでなく子孫の将来まで考えて討ち入った」単なる「打算」だと断じる歴史家や批評家もいる。
「大石内蔵助は忠義心によって討ち入らなければ大石家は山科で帰農し、そのまま埋もれただろうが、けれど吉良を討ち取った結果、子孫は本家の浅野家に千五百石の高録で召し抱えられた」との意見があるのも確か。「葉隠」でもこう記されている。
「赤穂浪士の仇討ちも、泉岳寺で腹を切らなかったのが落度というべきだ。それに主君が死んで、敵を討つまでの間が長過ぎる。もしもその間に、吉良殿が病死でもなされた時にはどうにもならないではないか」。仇討ちというのは緻密な計画でやるものではなく、武士とは即刻「やられたらやり返す」というのが本道。事の「成否」は問題ではなく、「成否」より行為自体に意味が在ると訓えているが、なるほど。
その上で、赤穂の武士を「上方の人間は小利口だから世間から褒められる様にするのは上手である」と嘲笑している。赤穂浪士の討ち入りを打算的と見るか否かは人夫夫。歴史というのは見方で変わるし、行為に何かを感じれば好いことである。
我が故郷である二本松藩には代々、「必殺を期すには、斬らずに突くべし!」という刀法(剣術)が伝わっている。霞が城(二本松城)箕輪門前に建つ少年隊の銅像がその象徴だが、西軍に向かって「突き」をする少年の姿が模されている。
浅野内匠頭が、吉良上野介を討ち損じたとの報に接した丹羽公は、「何故、浅野公は斬りつけたのか、斬りつけずに突けば好かったものを!」と酷く悔しがったという逸話が遺る。爾来、二本松では「斬らずに突け」が伝統となったという。
浅野公と吉良公、東軍と西軍にしろ、それは喩え、敵味方と雖も武士としての生き様は今を生きる我々に何かを示唆しているのではなかろうか。今こそ、まやかしの平和に現つを抜かしてる我々は、懸命に生きた先人の覇気に学ばねばならない。
余談だが、福島と米沢の峠(旧板谷峠)に赤穂藩の次席家老・大野九郎兵衛ら十六名の供養塔がひっそりと佇んでいる。泉岳寺での討ち入りに失敗した場合には、「吉良は倅の米沢藩主を頼り北上するだろう」と考えて、この峠に身を潜めていた。
四十七士の本懐の報を受け、十六名はこの地で自刃した。何れにしても「仮名手本忠臣蔵」が日本人の美学を現し、多くの国民から愛されているのは確かだろう。
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赤穂浪士の吉良邸討ち入りは元禄15年12月14日とされているが、旧暦では元禄16年1月30日。旧暦だと月の満ち欠けは29.5日周期で、1日が新月だから14~15は満月の夜、30日だったとすると新月に近く薄暗かったのではなかろうか。旧暦の元禄15年は閏年である。つまり一年が13ヶ月あった年だから話がややこしい。
映画や仮手本忠臣蔵で演じられている満月の夜だったという想定はやはり脚本だろうか。赤穂浪士の精神的支柱となったのが、陸奥国会津若松城下生まれで、「山鹿流軍学の祖」として知られている山鹿素行(やまがそこう)という人物である。
素行は、江戸時代に於ける武士道の理論を確立した儒学者であり、素行の談話を筆記した「山鹿語類」は日本人必読の著である。山鹿の著した「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」との日本主義を主張した。
江戸時代267年の歴史の中で理不尽な御家断絶や御家騒動は他にもあったが、赤穂藩四十七士だけが「義士」と呼ばれ「武士道の華」と評価されたのは何故か。それは素行の「正義の遂行」の本義に基付く教えが在ったからだと言っても好いだろう。
一方で、忠臣蔵の討ち入りに「大義」はなく、「忠義ばかりでなく子孫の将来まで考えて討ち入った」単なる「打算」だと断じる歴史家や批評家もいる。
「大石内蔵助は忠義心によって討ち入らなければ大石家は山科で帰農し、そのまま埋もれただろうが、けれど吉良を討ち取った結果、子孫は本家の浅野家に千五百石の高録で召し抱えられた」との意見があるのも確か。「葉隠」でもこう記されている。
「赤穂浪士の仇討ちも、泉岳寺で腹を切らなかったのが落度というべきだ。それに主君が死んで、敵を討つまでの間が長過ぎる。もしもその間に、吉良殿が病死でもなされた時にはどうにもならないではないか」。仇討ちというのは緻密な計画でやるものではなく、武士とは即刻「やられたらやり返す」というのが本道。事の「成否」は問題ではなく、「成否」より行為自体に意味が在ると訓えているが、なるほど。
その上で、赤穂の武士を「上方の人間は小利口だから世間から褒められる様にするのは上手である」と嘲笑している。赤穂浪士の討ち入りを打算的と見るか否かは人夫夫。歴史というのは見方で変わるし、行為に何かを感じれば好いことである。
我が故郷である二本松藩には代々、「必殺を期すには、斬らずに突くべし!」という刀法(剣術)が伝わっている。霞が城(二本松城)箕輪門前に建つ少年隊の銅像がその象徴だが、西軍に向かって「突き」をする少年の姿が模されている。
浅野内匠頭が、吉良上野介を討ち損じたとの報に接した丹羽公は、「何故、浅野公は斬りつけたのか、斬りつけずに突けば好かったものを!」と酷く悔しがったという逸話が遺る。爾来、二本松では「斬らずに突け」が伝統となったという。
浅野公と吉良公、東軍と西軍にしろ、それは喩え、敵味方と雖も武士としての生き様は今を生きる我々に何かを示唆しているのではなかろうか。今こそ、まやかしの平和に現つを抜かしてる我々は、懸命に生きた先人の覇気に学ばねばならない。
余談だが、福島と米沢の峠(旧板谷峠)に赤穂藩の次席家老・大野九郎兵衛ら十六名の供養塔がひっそりと佇んでいる。泉岳寺での討ち入りに失敗した場合には、「吉良は倅の米沢藩主を頼り北上するだろう」と考えて、この峠に身を潜めていた。
四十七士の本懐の報を受け、十六名はこの地で自刃した。何れにしても「仮名手本忠臣蔵」が日本人の美学を現し、多くの国民から愛されているのは確かだろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2023年12月13日
愚生は右翼人ではあるが愛国者だと思ったことはない(笑)
街宣右翼のパイオニアである防共挺身隊を辞し、蟄居生活を経て、現在は「正統右翼浪人」などとカッコ付けてはいるが、大学卒業以来、勤労の義務も果たさず生き永らえている。浪人というか、放蕩右翼であって、愛国者などいう驕りもない(笑)
右翼現役時代には宣伝車に乗り、流し街宣をする場合にも、「我々は民族派・愛国者団体であります」などというのは烏滸がましく、どちらかといえば「自由・民族・平和を守る・防共挺身隊であります」というフレーズを好んで使ってた。
右翼は愛国者だとは思っていない。親や家族の為に真面目に勤労し、地域や職場の為に協力し合い、そして納税の義務を果たしている方こそ愛国者であろう。
宣伝車での抗議や街宣、日の丸を振ってることが愛国者なら、「反日」さえ訴えてれば熱狂的愛国者であると勘違いしてる中韓の若者らと大して変わらない。
右翼とは、行動に拠って世論に警鐘を促す単なる行為者で好いと思っているし、使い捨ての石で好い。まぁ将棋でいうところの「歩」で好いと思っている。
駒を扱う人に由っては、愚生も歩であろうとも「と金」には成れるが精々そこまで。それでも「と金」ならまだ好いが、何でもかんでも成れば好いというものではなく、「成金」にだけには成りたくないというつまらん意地はずっと持っている。
「王将」に成るべきはその駒を動かす思想家だろうが、右翼人の大きな間違いは、自分が恰も思想家や坂本龍馬にでも成ったと勘違いしてる連中が多いことだ。
右翼の先生方の理論を見聞きしても所詮は先人の請け売りでしかなく、魂の籠っていない二番煎じでは心に響くものもない。アジテーターというか煽りに乏しい。
日の丸を掲げただけで愛国者だと勘違いし、それこそが愛国心なのだと取り違えていることが、国を愛する心ということ自体を毀損していることに気付いていない。
如何にも愛国的な言葉に歓喜し、懐古的なフレーズを称え賛同するが、単なる営業右翼に煽られて利用されているに過ぎず、これらもまた単なる駒でしかない。
日本人としての誇りや自信の喪失にしろ、自己中心的犯罪にしろ、子殺しや親殺し等々、日本の社会に蔓延する諸問題の根底には愛国心の欠落というものに起因しているとも言えるが、間違った、勘違いした愛国心は事をややこしくもする。
そうした中で、政治家どもはそれらの根本的諸問題に見向きもせずに、事勿れ主義から論議を避け、非が無いにも拘らず謝罪し続け、問題解決を先送り。
権力欲逞しい政治家どもの頭の中は保身と次の選挙だけで、票になると思ったら平身低頭、支援者と見れば履いてる靴やケツの穴までなめる勢いだ(苦笑)
頽廃したマスコミは問題から視点を逸らし、国家や政府を腐すことに躍起になっている。問題が出ればその萌芽は我が国に在ると貶し、国民の愛国心を蝕む。
今や、左翼マスコミや左翼ジャーナリズムは、珍左翼の視聴者や読者に諂うばかりのマスターベーション的コミュニティサイトに成り下がってしまった。
迷えるものはつまらぬ宗教に走り、国民の勤勉性、家族愛、郷土愛、信義誠実の原則や心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れて自己中心的欲望に塗れ続ける。
その反動が、所謂「ネット右翼」を始めとした愛国ブームだろうし、保守団体の組織拡大であり、「日本会議」などの保守系団体の活発な行動なのだろう。
「9条改正」こそ一丁目一番地とばかりに盛り上げようとしているが、現憲法の問題が9条に在ると思っていること自体「9条の会」や左翼らと根本的に違わない。
珍左翼や護憲派が我が国を貶めてはいるが、国家解体や皇統破壊にまでに事が及んではいないのは、日本人的良識が未だ存在しているからである。だが、保守派に因る安易な改憲は国家解体を加速させるということに気付いてはいない。
営業保守や自称・愛国者らが口にする「取り敢えず第9条改正を」という認識は、事の重要性を認識していない証左である。なんちゃって改憲が現憲法を絶対化させる。愛国ブームという世情が国家解体の序章でもあると言っても過言ではない。
「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」とはアドルフ・ヒトラー。三島由紀夫も「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と教える。
日本人が持つべき「大和心(大和魂)」とは、つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた山河麗しき日本の自然に逆らわず調和して暮す従順な心である。
愛国心というものは他人が教えるとロクな結果しか生まない。偏狭で軽軽しいな愛国心の教育より、日本人の心の奥底に棲む大和心こそ涵養すべし。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
右翼現役時代には宣伝車に乗り、流し街宣をする場合にも、「我々は民族派・愛国者団体であります」などというのは烏滸がましく、どちらかといえば「自由・民族・平和を守る・防共挺身隊であります」というフレーズを好んで使ってた。
右翼は愛国者だとは思っていない。親や家族の為に真面目に勤労し、地域や職場の為に協力し合い、そして納税の義務を果たしている方こそ愛国者であろう。
宣伝車での抗議や街宣、日の丸を振ってることが愛国者なら、「反日」さえ訴えてれば熱狂的愛国者であると勘違いしてる中韓の若者らと大して変わらない。
右翼とは、行動に拠って世論に警鐘を促す単なる行為者で好いと思っているし、使い捨ての石で好い。まぁ将棋でいうところの「歩」で好いと思っている。
駒を扱う人に由っては、愚生も歩であろうとも「と金」には成れるが精々そこまで。それでも「と金」ならまだ好いが、何でもかんでも成れば好いというものではなく、「成金」にだけには成りたくないというつまらん意地はずっと持っている。
「王将」に成るべきはその駒を動かす思想家だろうが、右翼人の大きな間違いは、自分が恰も思想家や坂本龍馬にでも成ったと勘違いしてる連中が多いことだ。
右翼の先生方の理論を見聞きしても所詮は先人の請け売りでしかなく、魂の籠っていない二番煎じでは心に響くものもない。アジテーターというか煽りに乏しい。
日の丸を掲げただけで愛国者だと勘違いし、それこそが愛国心なのだと取り違えていることが、国を愛する心ということ自体を毀損していることに気付いていない。
如何にも愛国的な言葉に歓喜し、懐古的なフレーズを称え賛同するが、単なる営業右翼に煽られて利用されているに過ぎず、これらもまた単なる駒でしかない。
日本人としての誇りや自信の喪失にしろ、自己中心的犯罪にしろ、子殺しや親殺し等々、日本の社会に蔓延する諸問題の根底には愛国心の欠落というものに起因しているとも言えるが、間違った、勘違いした愛国心は事をややこしくもする。
そうした中で、政治家どもはそれらの根本的諸問題に見向きもせずに、事勿れ主義から論議を避け、非が無いにも拘らず謝罪し続け、問題解決を先送り。
権力欲逞しい政治家どもの頭の中は保身と次の選挙だけで、票になると思ったら平身低頭、支援者と見れば履いてる靴やケツの穴までなめる勢いだ(苦笑)
頽廃したマスコミは問題から視点を逸らし、国家や政府を腐すことに躍起になっている。問題が出ればその萌芽は我が国に在ると貶し、国民の愛国心を蝕む。
今や、左翼マスコミや左翼ジャーナリズムは、珍左翼の視聴者や読者に諂うばかりのマスターベーション的コミュニティサイトに成り下がってしまった。
迷えるものはつまらぬ宗教に走り、国民の勤勉性、家族愛、郷土愛、信義誠実の原則や心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れて自己中心的欲望に塗れ続ける。
その反動が、所謂「ネット右翼」を始めとした愛国ブームだろうし、保守団体の組織拡大であり、「日本会議」などの保守系団体の活発な行動なのだろう。
「9条改正」こそ一丁目一番地とばかりに盛り上げようとしているが、現憲法の問題が9条に在ると思っていること自体「9条の会」や左翼らと根本的に違わない。
珍左翼や護憲派が我が国を貶めてはいるが、国家解体や皇統破壊にまでに事が及んではいないのは、日本人的良識が未だ存在しているからである。だが、保守派に因る安易な改憲は国家解体を加速させるということに気付いてはいない。
営業保守や自称・愛国者らが口にする「取り敢えず第9条改正を」という認識は、事の重要性を認識していない証左である。なんちゃって改憲が現憲法を絶対化させる。愛国ブームという世情が国家解体の序章でもあると言っても過言ではない。
「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」とはアドルフ・ヒトラー。三島由紀夫も「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と教える。
日本人が持つべき「大和心(大和魂)」とは、つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた山河麗しき日本の自然に逆らわず調和して暮す従順な心である。
愛国心というものは他人が教えるとロクな結果しか生まない。偏狭で軽軽しいな愛国心の教育より、日本人の心の奥底に棲む大和心こそ涵養すべし。
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2023年12月12日
「ツキを味方に引き入れる」にもそのタイミングは難しい
「満(み)つれば欠くるは世のならい」「月満つればすなわち欠く」「満つれば虧(か)く」という言葉がある。満月になると必ず月は欠け始める。「物事は絶頂期に達すると同時に下り坂になるのが世の道理である」という無常の教えでもある。
逆の見方をすれば三日月もまた三日月の儘ではない、また少しずつではあるが満月に向かって膨れて行くもの。つまり、何をするにも「時」というのが大事になってくる。だが、「時やツキを味方に引き入れる」にもそのタイミングは難しい。
競馬や競輪などの公営ギャンブルや勝負事の経験のある人はよく分かると思うが、例えば「ツキ」というのがある。このツキが勝負事では勝敗を左右する。ツキ出すと自分でも驚くくらい当たり出す。ツイてないと何をやっても上手くは行かない。
別にツキは博打や勝負事だけのものではなく、人生にも仕事にも経営にも当て嵌まる。だからこそツイてる時には、そのツキを味方に付けて直ぐに動くことだ。
逆にツイてない時には、余計な動きを控えてじっとその「時」が来るまで待てば好い。大事なことは、折角ツキ始めたのに、そのツキを逃してしまうことと、ツイてもいないのに無理に事を構えて、痛手を深くしてしまうことはよくあることだ。
善いことと、悪いこととは表裏一体であり、要は、掌の表と裏の関係でもある。「山高ければ谷深し」とも言うではないか。悪いことが起きた時は慌てずじっと肝を据え、軽挙妄動を戒めて、目の前の艱難を有り難いと思い、逆に愉しむべし。
「熱い風呂に入ってる時は動かずにじっとしていろ」とは蓋し正論。熱い風呂で動けば余計に熱くなる。多くの人は、ツイてないのにどうにかしようと動き回る。その結果としてドツボに嵌ることとなる。「静(徐)かなること林の如く」が大事である。
武田信玄の「風林火山」は「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の句の原文は、「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆」。
「(故に其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し)」と読む。ここで注目すべきは作戦行動に於ける「動」と「静」の対比。攻めるときは風の様に疾く、燃ゆる火の勢いを以てする。
歴史上、攻めるときは風の様に疾く、燃ゆる火の勢いを以てする「動」だけの武将というのは数多く存在する。「孫子の兵法」でも、武田信玄の風林火山と同じ。
戦う上で肝心なことは攻撃より「静」の作戦行動であり、攻撃を中断する時は林の様に静かに、次の機会を待ち山の様に動かないことが大事だと訓えている。
動いてならぬ時に動いて失敗するというのは往往にして在ることで、「風林火山」とは軽挙妄動の戒めでもある。武田軍が無敵と言われたのもこの「静」の為であり、人生に於いても軽挙妄動の戒めというのは当て嵌まるとは思うが如何だろう。
人間、誰でも好不調はある訳で、その処し方で成功、不成功が決まると言っても過言ではない。「得意冷然」や「失意泰然」とはそういうことを訓えている。
物事が上手く行ってる(得意)時ほど有頂天にならず、寧ろ淡々と事に当たり(淡然)、反対に落ち込んだ時には焦らず落ち着いて(泰然)沈み込まないのが大事。
まぁ「果報は寝て待て」が信条の愚生としては、その時(ツキ)を失ってる感は否めない。斯くいう皆さん方も「時はカネなり」とばかり軽挙に奔ってはいませんか。何事に於いても焦らず、落ち着いて時機を図ることが肝要ですぞ。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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逆の見方をすれば三日月もまた三日月の儘ではない、また少しずつではあるが満月に向かって膨れて行くもの。つまり、何をするにも「時」というのが大事になってくる。だが、「時やツキを味方に引き入れる」にもそのタイミングは難しい。
競馬や競輪などの公営ギャンブルや勝負事の経験のある人はよく分かると思うが、例えば「ツキ」というのがある。このツキが勝負事では勝敗を左右する。ツキ出すと自分でも驚くくらい当たり出す。ツイてないと何をやっても上手くは行かない。
別にツキは博打や勝負事だけのものではなく、人生にも仕事にも経営にも当て嵌まる。だからこそツイてる時には、そのツキを味方に付けて直ぐに動くことだ。
逆にツイてない時には、余計な動きを控えてじっとその「時」が来るまで待てば好い。大事なことは、折角ツキ始めたのに、そのツキを逃してしまうことと、ツイてもいないのに無理に事を構えて、痛手を深くしてしまうことはよくあることだ。
善いことと、悪いこととは表裏一体であり、要は、掌の表と裏の関係でもある。「山高ければ谷深し」とも言うではないか。悪いことが起きた時は慌てずじっと肝を据え、軽挙妄動を戒めて、目の前の艱難を有り難いと思い、逆に愉しむべし。
「熱い風呂に入ってる時は動かずにじっとしていろ」とは蓋し正論。熱い風呂で動けば余計に熱くなる。多くの人は、ツイてないのにどうにかしようと動き回る。その結果としてドツボに嵌ることとなる。「静(徐)かなること林の如く」が大事である。
武田信玄の「風林火山」は「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の句の原文は、「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆」。
「(故に其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し)」と読む。ここで注目すべきは作戦行動に於ける「動」と「静」の対比。攻めるときは風の様に疾く、燃ゆる火の勢いを以てする。
歴史上、攻めるときは風の様に疾く、燃ゆる火の勢いを以てする「動」だけの武将というのは数多く存在する。「孫子の兵法」でも、武田信玄の風林火山と同じ。
戦う上で肝心なことは攻撃より「静」の作戦行動であり、攻撃を中断する時は林の様に静かに、次の機会を待ち山の様に動かないことが大事だと訓えている。
動いてならぬ時に動いて失敗するというのは往往にして在ることで、「風林火山」とは軽挙妄動の戒めでもある。武田軍が無敵と言われたのもこの「静」の為であり、人生に於いても軽挙妄動の戒めというのは当て嵌まるとは思うが如何だろう。
人間、誰でも好不調はある訳で、その処し方で成功、不成功が決まると言っても過言ではない。「得意冷然」や「失意泰然」とはそういうことを訓えている。
物事が上手く行ってる(得意)時ほど有頂天にならず、寧ろ淡々と事に当たり(淡然)、反対に落ち込んだ時には焦らず落ち着いて(泰然)沈み込まないのが大事。
まぁ「果報は寝て待て」が信条の愚生としては、その時(ツキ)を失ってる感は否めない。斯くいう皆さん方も「時はカネなり」とばかり軽挙に奔ってはいませんか。何事に於いても焦らず、落ち着いて時機を図ることが肝要ですぞ。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2023年12月11日
初代・金日成といわれる「金顕忠」は旧陸軍士官学校出身
1948年8月、米国は反日活動家のだった李承晩を初代大統領に据え、大韓民国を建国させる。米国の傀儡政権であった李承晩は、日本と共同歩調を執ろうとした呂運亮を暗殺し、自ら大統領に就くと「反日・反共」を国是として掲げたのである。
李承晩が最初にやった仕事は親日派の追放であり、その結果、日本に育てられた優秀な官僚は次々と追放されて行った。「反日と反共」であった国是が、いつの間にやら容共国家となり、「反日」のみとなってしまっているのが現在の韓国である。
大日本帝国陸軍将校養成の為の主要教育機関である陸軍士官学校や日本軍出身の朝鮮人は、大東亜戦争終結後、韓国人軍属は朝鮮戦争などで指導的役割を果し、第18代までの韓国陸軍参謀総長は全て旧軍出身者で占められていた様に立派な方ばかり。
洪思翊中将を始め、趙東潤中将、李秉武中将、趙性根中将、魚潭(西川潭一)中将、李垠(李王)中将、李斗少将、金應善(宇都宮金吾)少将、王瑜植少将の将官の他、韓国軍少将で韓国大統領に就いた朴正煕(高木正雄)などがそうである。
だが、大韓民国第16代大統領に左翼の廬武鉉が就くと「親日分子取締法」が制定されることとなる。旧日本軍の将官、高級将校を務めた者は貴族院議員、衆議院議員、道知事、裁判官、朝鮮総督府高官などは「親日反民族行為者」と認定された。
他方、北朝鮮に於いても旧日本軍の将校以上の地位にあった者は対敵協力者として多くが粛清された。ソビエト連邦(旧ソ連)の士官養成教育を受けた者らが朝鮮人民軍将校団の主軸となったが、驚くことに、初代・金日成と言われる「金顕忠」が、大日本帝国陸士学校出身であるという資料が発見されたと産経新聞が報じている。
第二次世界大戦後、ソ連の傀儡として北朝鮮の首相や主席となった金日成は本名を「金正柱」といい、初代・金日成の「金顕忠」と直接の関係はないが、ソ連が都合の好い金正柱を伝説の金日成だとして仕立て上げたという説が専らである。
抗日独立運動での金日成将軍伝説は数多くある。「義兵闘争の頃から1920年代まで活躍した」とか「縮地の法を使い、白馬に乗って野山を駆けた」とか「白頭山を根城にして日本軍と戦った」などと言われており、そのカリスマ性は高い。
金日成は馬に跨って抗日運動を指導し百戦百勝との伝説があるが、金顕忠は陸士時代は騎兵出身で乗馬は得意だった。こうしたこともあって「金日成は日本陸軍士官学校を出ている」「白馬に載って野山を駆けた」との証言が証明された形だ。
金顕忠はソ連軍に処刑されると、金日成伝説は「金一星」「金日星」「金一成」「金光瑞」などに受け継がれたとされているが、「金日成主席ニセモノ説」が絶えないのはそういうことだろう。初代・金日成が陸軍士官学校出身だったとすれば、金日成のカリスマも北朝鮮の建国の大義も失せることになるのではと心配する。
北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」というが、実態は民主主義でも人民の国でもなく「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家というのが正しい。
日本人を始め、世界各地から民間人を拉致し、ニセ紙幣を偽造し、覚醒剤を密売し、ミサイルを製造しては輸出し、核開発に没頭し、ミサイル発射を実行する北朝鮮というのは、旧社会主義に内在した悪の本質が体制化したヤクザ国家である。
そんなヤクザ国家に向けて「対話と圧力」と、いつもの常套句を宣ってみたところで意味はない。北朝鮮へは断固とした「圧力と制裁」以外には無く、政治の決断と外交での無策の上で「圧力と制裁」を決断するならば、それは北朝鮮への「宣戦布告」であり、戦争状態であるという認識を持つべきだろう。
拉致問題は主権の侵害であるが、政治的にも外交的にも手を拱いてる以上、拉致問題や核問題はそう簡単には解決終い。日本国民が、戦争を以て解決を図らねばならないという自覚と覚悟を持てば、我が国の政治家も多少は感じ入るかも(苦笑)
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李承晩が最初にやった仕事は親日派の追放であり、その結果、日本に育てられた優秀な官僚は次々と追放されて行った。「反日と反共」であった国是が、いつの間にやら容共国家となり、「反日」のみとなってしまっているのが現在の韓国である。
大日本帝国陸軍将校養成の為の主要教育機関である陸軍士官学校や日本軍出身の朝鮮人は、大東亜戦争終結後、韓国人軍属は朝鮮戦争などで指導的役割を果し、第18代までの韓国陸軍参謀総長は全て旧軍出身者で占められていた様に立派な方ばかり。
洪思翊中将を始め、趙東潤中将、李秉武中将、趙性根中将、魚潭(西川潭一)中将、李垠(李王)中将、李斗少将、金應善(宇都宮金吾)少将、王瑜植少将の将官の他、韓国軍少将で韓国大統領に就いた朴正煕(高木正雄)などがそうである。
だが、大韓民国第16代大統領に左翼の廬武鉉が就くと「親日分子取締法」が制定されることとなる。旧日本軍の将官、高級将校を務めた者は貴族院議員、衆議院議員、道知事、裁判官、朝鮮総督府高官などは「親日反民族行為者」と認定された。
他方、北朝鮮に於いても旧日本軍の将校以上の地位にあった者は対敵協力者として多くが粛清された。ソビエト連邦(旧ソ連)の士官養成教育を受けた者らが朝鮮人民軍将校団の主軸となったが、驚くことに、初代・金日成と言われる「金顕忠」が、大日本帝国陸士学校出身であるという資料が発見されたと産経新聞が報じている。
第二次世界大戦後、ソ連の傀儡として北朝鮮の首相や主席となった金日成は本名を「金正柱」といい、初代・金日成の「金顕忠」と直接の関係はないが、ソ連が都合の好い金正柱を伝説の金日成だとして仕立て上げたという説が専らである。
抗日独立運動での金日成将軍伝説は数多くある。「義兵闘争の頃から1920年代まで活躍した」とか「縮地の法を使い、白馬に乗って野山を駆けた」とか「白頭山を根城にして日本軍と戦った」などと言われており、そのカリスマ性は高い。
金日成は馬に跨って抗日運動を指導し百戦百勝との伝説があるが、金顕忠は陸士時代は騎兵出身で乗馬は得意だった。こうしたこともあって「金日成は日本陸軍士官学校を出ている」「白馬に載って野山を駆けた」との証言が証明された形だ。
金顕忠はソ連軍に処刑されると、金日成伝説は「金一星」「金日星」「金一成」「金光瑞」などに受け継がれたとされているが、「金日成主席ニセモノ説」が絶えないのはそういうことだろう。初代・金日成が陸軍士官学校出身だったとすれば、金日成のカリスマも北朝鮮の建国の大義も失せることになるのではと心配する。
北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」というが、実態は民主主義でも人民の国でもなく「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家というのが正しい。
日本人を始め、世界各地から民間人を拉致し、ニセ紙幣を偽造し、覚醒剤を密売し、ミサイルを製造しては輸出し、核開発に没頭し、ミサイル発射を実行する北朝鮮というのは、旧社会主義に内在した悪の本質が体制化したヤクザ国家である。
そんなヤクザ国家に向けて「対話と圧力」と、いつもの常套句を宣ってみたところで意味はない。北朝鮮へは断固とした「圧力と制裁」以外には無く、政治の決断と外交での無策の上で「圧力と制裁」を決断するならば、それは北朝鮮への「宣戦布告」であり、戦争状態であるという認識を持つべきだろう。
拉致問題は主権の侵害であるが、政治的にも外交的にも手を拱いてる以上、拉致問題や核問題はそう簡単には解決終い。日本国民が、戦争を以て解決を図らねばならないという自覚と覚悟を持てば、我が国の政治家も多少は感じ入るかも(苦笑)
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2023年12月10日
SNS上での理論や蘊蓄を実践してるなら天才という他はない(笑)
「巧言令色鮮矣仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」という諺がある。その意味は、言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだという教えである。
対語は「剛毅木訥近仁(こうきぼくとつじんにちかし」。意思が強く強固で、素朴で口数が少ない人物こそが道徳の理想である仁に最も近い者であるという教え。
愚生は剛毅さはあると自負してるが、朴訥には程遠い。愛想の好い犬の様に、誰にでも好かれ様とは思わないが、巧言令色というのは無きにしに非ず(笑)
facebookやX(旧twitter)にしろ、SNSやネットで書き込んでる理論や薀蓄を読んで感じることは、皆さん、ホント凄い。アレがホントなら皆さん天才(笑)
でも、幾ら素晴らしい記事や理論を読んでみても、読んでる側に全く響いて来ないのは何故だろう。それは、やはり自分の言葉で語ってないからだと思う。
SNS上では、限られた仲間にしか通用しない理論や聞き齧った付け焼刃の薄っぺらい知識を殊更難しく語り、或いは、使い古された政治用語を斬新な言葉や理論であるかの様に語り、相手の反応など御構い無しに自分自身に酔ってる輩を目にする。
確かに仲間内で盛り上がったりはしているが、世の中どころか、意見を異にする人などを感化出来るとも思えないし、身近な友人さえも動かせない気がする。
長いこと右翼陣営を見て来たが、右翼関係者にはこういうのが多く、「巧言令色鮮矣仁」の如く、人から好かれようとホイホイと愛想を振りまく者が少なくない。
人というのは兎角、自分の短所や欠点を注意されることよりも、何やかんやと御世辞をいう、諂う友を周りに置きたがるものだ。だから孔子は、「良薬口に苦けれども病に利あり、忠言、耳に逆らえども、行に利あり」と教えている。
如何せん、そういう立派な友などそうそうはいない。多くは「朱に交われば赤くなる」の喩え通り、似た者同士が集まってしまうものである。実社会の人間模様を見渡せば、善友、必ずしも善友ではなく、悪友、必ずしも悪友とは限らない。
「毒を以て毒を制す」という言葉があるが、どちらかというと悪友の方が、結果として善友以上の働きを示すことの方が多い。例えば、畳にこぼれた水を拭き取るには、乾いたタオルでは綺麗に拭き取れない。タオルを充分に水に浸し、これをキリリと絞り上げてから使うタオルの方が水気が畳の水を綺麗に吸い上げるのだ。
日頃、キレイゴトを言ってるヤツなどは、いざという時にはクソの役にも立たない。そんな上辺だけの者より、共に笑い、共に泣き、ある時は共に悪い遊びをした様な友達の方がいざという時は親身になって心配してもくれるし、心強いものだ。
今どきの安っぽい風潮やマスコミの垂れ流す話題に流され、営業保守の請け売りの政治や歴史を偉そうに語るヤツより、そんなことは全く分からなくても、酒を愛し、趣味や惚れた女やスケベな話しを一生懸命話してるヤツの方が信用出来る。
仲間や身内可愛さから、相手の間違いや欠点には見て見ぬフリをすることが真の友人だとしたらお笑い草だ。日頃、国士を気取り「君子の交わり」などと言うのなら、また、かけがえのない友なら尚更、忠告してこれを善導すべきであると思う。
忠告を聞くか聞かないかは相手の判断次第なのは言うまでもないが、吉田松陰が「常に勅諌なくば」と訓えている様に、その場で相手の拙い点を諌めることは大事なこと。右翼とは削げ者であり、後先を考えない蛮勇こそが求められる。
まぁ、何事も自分の言葉で自分らしく語りかけた方が好い訳で、文章などもアップする際は、難しいものは分かり易く、簡単なものは格調高く、人生論は自分の失敗や経験なども織り交ぜて、また時にはユーモアを交えて書く様に心掛けるべし。呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
対語は「剛毅木訥近仁(こうきぼくとつじんにちかし」。意思が強く強固で、素朴で口数が少ない人物こそが道徳の理想である仁に最も近い者であるという教え。
愚生は剛毅さはあると自負してるが、朴訥には程遠い。愛想の好い犬の様に、誰にでも好かれ様とは思わないが、巧言令色というのは無きにしに非ず(笑)
facebookやX(旧twitter)にしろ、SNSやネットで書き込んでる理論や薀蓄を読んで感じることは、皆さん、ホント凄い。アレがホントなら皆さん天才(笑)
でも、幾ら素晴らしい記事や理論を読んでみても、読んでる側に全く響いて来ないのは何故だろう。それは、やはり自分の言葉で語ってないからだと思う。
SNS上では、限られた仲間にしか通用しない理論や聞き齧った付け焼刃の薄っぺらい知識を殊更難しく語り、或いは、使い古された政治用語を斬新な言葉や理論であるかの様に語り、相手の反応など御構い無しに自分自身に酔ってる輩を目にする。
確かに仲間内で盛り上がったりはしているが、世の中どころか、意見を異にする人などを感化出来るとも思えないし、身近な友人さえも動かせない気がする。
長いこと右翼陣営を見て来たが、右翼関係者にはこういうのが多く、「巧言令色鮮矣仁」の如く、人から好かれようとホイホイと愛想を振りまく者が少なくない。
人というのは兎角、自分の短所や欠点を注意されることよりも、何やかんやと御世辞をいう、諂う友を周りに置きたがるものだ。だから孔子は、「良薬口に苦けれども病に利あり、忠言、耳に逆らえども、行に利あり」と教えている。
如何せん、そういう立派な友などそうそうはいない。多くは「朱に交われば赤くなる」の喩え通り、似た者同士が集まってしまうものである。実社会の人間模様を見渡せば、善友、必ずしも善友ではなく、悪友、必ずしも悪友とは限らない。
「毒を以て毒を制す」という言葉があるが、どちらかというと悪友の方が、結果として善友以上の働きを示すことの方が多い。例えば、畳にこぼれた水を拭き取るには、乾いたタオルでは綺麗に拭き取れない。タオルを充分に水に浸し、これをキリリと絞り上げてから使うタオルの方が水気が畳の水を綺麗に吸い上げるのだ。
日頃、キレイゴトを言ってるヤツなどは、いざという時にはクソの役にも立たない。そんな上辺だけの者より、共に笑い、共に泣き、ある時は共に悪い遊びをした様な友達の方がいざという時は親身になって心配してもくれるし、心強いものだ。
今どきの安っぽい風潮やマスコミの垂れ流す話題に流され、営業保守の請け売りの政治や歴史を偉そうに語るヤツより、そんなことは全く分からなくても、酒を愛し、趣味や惚れた女やスケベな話しを一生懸命話してるヤツの方が信用出来る。
仲間や身内可愛さから、相手の間違いや欠点には見て見ぬフリをすることが真の友人だとしたらお笑い草だ。日頃、国士を気取り「君子の交わり」などと言うのなら、また、かけがえのない友なら尚更、忠告してこれを善導すべきであると思う。
忠告を聞くか聞かないかは相手の判断次第なのは言うまでもないが、吉田松陰が「常に勅諌なくば」と訓えている様に、その場で相手の拙い点を諌めることは大事なこと。右翼とは削げ者であり、後先を考えない蛮勇こそが求められる。
まぁ、何事も自分の言葉で自分らしく語りかけた方が好い訳で、文章などもアップする際は、難しいものは分かり易く、簡単なものは格調高く、人生論は自分の失敗や経験なども織り交ぜて、また時にはユーモアを交えて書く様に心掛けるべし。呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2023年12月09日
偏狭な愛国心より先ずは大和心を涵養すべし!
愛国心を育むことは大事だが、強制することでもない。奇跡の国である日本というに生まれた喜びと、先人の営為に学び現代にそれを活かすことこそ大事である。それには、愛国というよりも「報国」ということの方が大事であると思っている。
アドルフ・ヒトラーは、「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しか出来ないのだ」と訓えている。昨今の安っぽい愛国ブームとは、ヒトラーの憂いた兆候と同じ様にも感じで、それを政治家が利用する。
三島由紀夫は「日本の様な国には愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。『大和魂』で十分ではないか」と語った。この三島の言葉に激しく同意する。
保守を自任する政治家が、頻りに「愛国心」を強調すればするほど胡散臭げに感じる国民も少なくないだろう。今の保守ブームは単なる流行であり、流行が去れば終わる。抑々、流行とは「病気」の意味なのだから然もありなん(笑)
「自分こそ正論、正義である」と言わんばかりに、自称・保守と自称・愛国者同士がいがみ合ってる現状は罪が無いが、論争を聞いてると目クソ鼻クソの類。
日本では「愛国」や「愛国心」というと「愛国者」だとは言われない。「右翼」「反動」と非難され、危険思想の持ち主だと罵られる。田母神俊雄元空幕長じゃないが、「日本は良い国だ」と言った途端に更迭されたのがその好い例だろう。
「愛国者」が「右翼」呼ばわりされてしまうのだから恐れ入る。愚生に言わせて貰えば、右翼なんてのは愛国者じゃね~し、愚生は単なる無職の爺さん(笑)
抑々「右翼」というのはフランス革命に由来する。国民議会で旧体制の維持を支持する勢力(王党派、貴族派、国教派など)が議長席から見て右側の席を占めたことで「右翼」、反対に座る改革派を「左翼」と呼ばれる様になっただけだ。
愚生は右翼などと蔑視されるが、別に守旧派でも旧体制派でもない。歴とした日の丸革新派であり、一維新者を自任している。「右翼」という言葉は本来、日本には馴染まないし、「右翼」という言葉自体にはかなりの悪意が感じられる。
愛国者を「右翼」と蔑むことで「左翼」の優越性をアピールし、「右翼は旧態依然の危険なもの」というイメージを創り上げ、国家と国民の離反に成功した。
「ネット右翼(ネトウヨ)」などとはその好い例だろう。保守派に「右翼」と罵れば反論し怒り出すだろうが、「左翼」に「左翼」と言ったところで反論はしない。何故なら「左翼」こそ確信的であり、進歩的なものだと自負しているからだ。
「愛国心」とは結構なことだが、我が国の「愛国」というのは米国の「愛国」とも違うし、諸外国の「愛国」ともまた違う。「愛国」という言葉の由来は「日本書記・第三十三巻」に在る、「朕嘉厥尊朝愛国 売己顕忠」という勅語である。
「朕は、貴男が廷を尊び、天皇国を思い、己を売ってまで忠誠を示したことを嬉しく思う」という意味である。一般個人に与えたられた「勅語」はこれ以外にない。
勅語の「愛国」の文字は、持統天皇が初めて用いた「国を思う」言葉であり、こうした歴史も知らずして「愛国」という言葉を軽々しく使うものではない。
天智2年(663年)唐・新羅連合軍に攻撃された百済は我が国に救援を求める。応じた中大兄皇子(天智天皇)を中心とするヤマト朝廷は全国から傭兵し、凡そ5万を募り、百済に援軍を送った。日本軍はその要請に応じたもののその甲斐なく、「白村江(はくすきのえ)の海戦」で大敗を喫し、生き残った者は全て捕虜となった。
その捕虜の一人であった大伴部博麻は、「唐が日本を攻める」という情報を得るも、知らせる術はなく、自らを奴隷に売って、その工面した金で仲間を帰国させ危機を知らせたのだった。持統4年(689年)のことである。奴隷となった博麻が帰国したのは何とその30年後。帰国後に送ったその言葉が前出の勅語である。
日本人が失った徳目を呼び返そうという標語として、「愛国心」は最も相応しい言葉だと思う。一方で、ヒトラーの「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」という言葉も当て嵌まる。
昨今の「保守ブーム」や「ネット右翼」の過熱ぶりを目の当たりにするが、折角の「愛国心」が軽薄なものになってしまっていることも事実ではなかろうか。
国旗や旭日旗を仰々しく掲げ、「天誅!」だとか「テロ」といった勇ましい言葉が乱舞するが、そこには日本的気風を感じることはなく、単なる贔屓の引き倒し。
日本人というのは、自分の祖国である日本を「穏やかな平和の国」と無意識に思っている。一方で、「漢心(からごころ)」の大陸では、古代から日本を「倭(ヤマト)」という字を充てて、「倭人」や「倭国」などと蔑視して来た。
「倭」とは、「醜い」とか「卑しい」といった軽蔑の意味のある字で、ヤマトの国を「邪馬台国」だとか、日の皇子の女皇を「卑弥呼」と呼ぶのは明らかに蔑んだ呼称である。それを日本人自らが「倭」などと使うのは愚かなことだ。
日本人が持つべきは愛国心より、大和の心(大和魂)である。つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず、調和して暮す従順な心を育むことである。愛国心より、先ずは国の成り立ちを教え、大和心を涵養すべし。
〈敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花〉、これに極まれり。
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アドルフ・ヒトラーは、「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しか出来ないのだ」と訓えている。昨今の安っぽい愛国ブームとは、ヒトラーの憂いた兆候と同じ様にも感じで、それを政治家が利用する。
三島由紀夫は「日本の様な国には愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。『大和魂』で十分ではないか」と語った。この三島の言葉に激しく同意する。
保守を自任する政治家が、頻りに「愛国心」を強調すればするほど胡散臭げに感じる国民も少なくないだろう。今の保守ブームは単なる流行であり、流行が去れば終わる。抑々、流行とは「病気」の意味なのだから然もありなん(笑)
「自分こそ正論、正義である」と言わんばかりに、自称・保守と自称・愛国者同士がいがみ合ってる現状は罪が無いが、論争を聞いてると目クソ鼻クソの類。
日本では「愛国」や「愛国心」というと「愛国者」だとは言われない。「右翼」「反動」と非難され、危険思想の持ち主だと罵られる。田母神俊雄元空幕長じゃないが、「日本は良い国だ」と言った途端に更迭されたのがその好い例だろう。
「愛国者」が「右翼」呼ばわりされてしまうのだから恐れ入る。愚生に言わせて貰えば、右翼なんてのは愛国者じゃね~し、愚生は単なる無職の爺さん(笑)
抑々「右翼」というのはフランス革命に由来する。国民議会で旧体制の維持を支持する勢力(王党派、貴族派、国教派など)が議長席から見て右側の席を占めたことで「右翼」、反対に座る改革派を「左翼」と呼ばれる様になっただけだ。
愚生は右翼などと蔑視されるが、別に守旧派でも旧体制派でもない。歴とした日の丸革新派であり、一維新者を自任している。「右翼」という言葉は本来、日本には馴染まないし、「右翼」という言葉自体にはかなりの悪意が感じられる。
愛国者を「右翼」と蔑むことで「左翼」の優越性をアピールし、「右翼は旧態依然の危険なもの」というイメージを創り上げ、国家と国民の離反に成功した。
「ネット右翼(ネトウヨ)」などとはその好い例だろう。保守派に「右翼」と罵れば反論し怒り出すだろうが、「左翼」に「左翼」と言ったところで反論はしない。何故なら「左翼」こそ確信的であり、進歩的なものだと自負しているからだ。
「愛国心」とは結構なことだが、我が国の「愛国」というのは米国の「愛国」とも違うし、諸外国の「愛国」ともまた違う。「愛国」という言葉の由来は「日本書記・第三十三巻」に在る、「朕嘉厥尊朝愛国 売己顕忠」という勅語である。
「朕は、貴男が廷を尊び、天皇国を思い、己を売ってまで忠誠を示したことを嬉しく思う」という意味である。一般個人に与えたられた「勅語」はこれ以外にない。
勅語の「愛国」の文字は、持統天皇が初めて用いた「国を思う」言葉であり、こうした歴史も知らずして「愛国」という言葉を軽々しく使うものではない。
天智2年(663年)唐・新羅連合軍に攻撃された百済は我が国に救援を求める。応じた中大兄皇子(天智天皇)を中心とするヤマト朝廷は全国から傭兵し、凡そ5万を募り、百済に援軍を送った。日本軍はその要請に応じたもののその甲斐なく、「白村江(はくすきのえ)の海戦」で大敗を喫し、生き残った者は全て捕虜となった。
その捕虜の一人であった大伴部博麻は、「唐が日本を攻める」という情報を得るも、知らせる術はなく、自らを奴隷に売って、その工面した金で仲間を帰国させ危機を知らせたのだった。持統4年(689年)のことである。奴隷となった博麻が帰国したのは何とその30年後。帰国後に送ったその言葉が前出の勅語である。
日本人が失った徳目を呼び返そうという標語として、「愛国心」は最も相応しい言葉だと思う。一方で、ヒトラーの「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」という言葉も当て嵌まる。
昨今の「保守ブーム」や「ネット右翼」の過熱ぶりを目の当たりにするが、折角の「愛国心」が軽薄なものになってしまっていることも事実ではなかろうか。
国旗や旭日旗を仰々しく掲げ、「天誅!」だとか「テロ」といった勇ましい言葉が乱舞するが、そこには日本的気風を感じることはなく、単なる贔屓の引き倒し。
日本人というのは、自分の祖国である日本を「穏やかな平和の国」と無意識に思っている。一方で、「漢心(からごころ)」の大陸では、古代から日本を「倭(ヤマト)」という字を充てて、「倭人」や「倭国」などと蔑視して来た。
「倭」とは、「醜い」とか「卑しい」といった軽蔑の意味のある字で、ヤマトの国を「邪馬台国」だとか、日の皇子の女皇を「卑弥呼」と呼ぶのは明らかに蔑んだ呼称である。それを日本人自らが「倭」などと使うのは愚かなことだ。
日本人が持つべきは愛国心より、大和の心(大和魂)である。つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず、調和して暮す従順な心を育むことである。愛国心より、先ずは国の成り立ちを教え、大和心を涵養すべし。
〈敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花〉、これに極まれり。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2023年12月08日
大東亜戦争後、アジアの国々は独立を果たし「人種平等の原則」は成立した
本日12月8日は、畏くも「開戦の詔勅(宣戦の詔書)」が渙発された大詔奉戴日である。昭和16(1941)年12月8日未明、大日本帝国海軍は米国領真珠湾を攻撃、東アジアに永遠の平和を確立し、我が国の光栄の保全を期す戦いの火蓋が切られた。
昭和16年12月8日に渙発された「大東亜戦争・開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」には戦争に至る経緯が記されこう結ばれている。一部摘記する。
【東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス】
(東アジアの安定に関して我が帝国が掃らってきた積年の努力は悉く水の泡となり、帝国の存立も正に危機に瀕することになる。事ここに至っては我が帝国は、今や自存と自衛の為に決然と立上がり一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊を戴き、私は汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め速やかに禍根を取り除き、東アジアに永遠の平和を確立しそれに拠り、帝国の光栄の保全を期す)
我が国にとって、先の大戦は結果的に敗れはしたが、アジア諸民族の独立と復権を齎し「詔勅」で示された大義と、アジアの「希望の星」としての役割は見事に果たしたと言えよう。タイのククリットプラモード元首相は次の様に述べている。
「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を害なったが、生まれた子供はスクスク育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話が出来るのは一体誰のお蔭であるのか。それは身を殺して仁を為した日本というお母さんがあった為である。12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は、我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの2つの日を忘れてはならない」
米国では、12月7日(現地時間)を汚名の日「リメンバーパールハーバー」として、日本を卑怯な国として糾弾して止まない。開戦から80年以上経った今でも、依然として我が国は「騙まし討ちした卑怯な国」の汚名を着せられ続けている。
汚名を着せられた原因は何のことは無い、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れた職務怠慢に他ならないが、抑抑、何故、我が国が開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが問題。それには1953年のペリー来航時代迄遡らなければ理解出来まい。
我が国は強力な中央集権国家を形成しようと江戸時代の封建制度を改め「明治維新」の大業を成し遂げる。15世紀の大航海時代以来、白人に因る世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となって行った。
その間に勃発した「日清・日露戦争」も「日韓併合」も避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。「日清・日露戦争」での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。
日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で我が国は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案するも、議長を務める米国大統領ウイルソンが拒絶し否決される。「有色人種に人権など必要無い」との差別が横溢していたからだ。
その後、世界は第二次世界大戦に突入して行くこととなる。我が国は、ABCD包囲網や最後通牒を突き付けられ、「最早、生き残る道は戦争しかない」との決断に至った。大東亜戦争の大義は「開戦の詔勅」に御示し遊ばされいる通りである。
終戦から6年後の昭和26(1951)年、上院軍事外交委員会で元帥であったマッカーサーが「日本が戦争に飛び込んで行った動機は、安全保障の必要に迫られた為である」と告白しているが、我が国は決して騙まし討ちも、侵略もしていないのだ。
大東亜戦争後、アジアの国々は独立を果たし、悲願であった「人種平等の原則」は成立した。その事実をしても如何に大東亜戦争が聖戦だったかが理解出来よう。
昭和20年9月2日、戦艦ミズーリの甲板上で、重光葵外相と梅津参謀総長が降伏文書に調印する。上海爆弾事件で右足を失った重光全権は、ステッキを頼りに義足を引き摺りながら喘ぎ喘ぎ上った。調印を前に一杯の水を所望するが拒否された。
米国内に横溢していた「卑怯者の『ジャップ』にやる水などない」という憎悪が目に見える様だ。今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」も、結局は日本人への偏見と差別であり、先の大戦を反省すべきは我が国ではなく米国である。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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昭和16年12月8日に渙発された「大東亜戦争・開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」には戦争に至る経緯が記されこう結ばれている。一部摘記する。
【東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス】
(東アジアの安定に関して我が帝国が掃らってきた積年の努力は悉く水の泡となり、帝国の存立も正に危機に瀕することになる。事ここに至っては我が帝国は、今や自存と自衛の為に決然と立上がり一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊を戴き、私は汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め速やかに禍根を取り除き、東アジアに永遠の平和を確立しそれに拠り、帝国の光栄の保全を期す)
我が国にとって、先の大戦は結果的に敗れはしたが、アジア諸民族の独立と復権を齎し「詔勅」で示された大義と、アジアの「希望の星」としての役割は見事に果たしたと言えよう。タイのククリットプラモード元首相は次の様に述べている。
「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を害なったが、生まれた子供はスクスク育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話が出来るのは一体誰のお蔭であるのか。それは身を殺して仁を為した日本というお母さんがあった為である。12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は、我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの2つの日を忘れてはならない」
米国では、12月7日(現地時間)を汚名の日「リメンバーパールハーバー」として、日本を卑怯な国として糾弾して止まない。開戦から80年以上経った今でも、依然として我が国は「騙まし討ちした卑怯な国」の汚名を着せられ続けている。
汚名を着せられた原因は何のことは無い、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れた職務怠慢に他ならないが、抑抑、何故、我が国が開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが問題。それには1953年のペリー来航時代迄遡らなければ理解出来まい。
我が国は強力な中央集権国家を形成しようと江戸時代の封建制度を改め「明治維新」の大業を成し遂げる。15世紀の大航海時代以来、白人に因る世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となって行った。
その間に勃発した「日清・日露戦争」も「日韓併合」も避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。「日清・日露戦争」での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。
日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で我が国は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案するも、議長を務める米国大統領ウイルソンが拒絶し否決される。「有色人種に人権など必要無い」との差別が横溢していたからだ。
その後、世界は第二次世界大戦に突入して行くこととなる。我が国は、ABCD包囲網や最後通牒を突き付けられ、「最早、生き残る道は戦争しかない」との決断に至った。大東亜戦争の大義は「開戦の詔勅」に御示し遊ばされいる通りである。
終戦から6年後の昭和26(1951)年、上院軍事外交委員会で元帥であったマッカーサーが「日本が戦争に飛び込んで行った動機は、安全保障の必要に迫られた為である」と告白しているが、我が国は決して騙まし討ちも、侵略もしていないのだ。
大東亜戦争後、アジアの国々は独立を果たし、悲願であった「人種平等の原則」は成立した。その事実をしても如何に大東亜戦争が聖戦だったかが理解出来よう。
昭和20年9月2日、戦艦ミズーリの甲板上で、重光葵外相と梅津参謀総長が降伏文書に調印する。上海爆弾事件で右足を失った重光全権は、ステッキを頼りに義足を引き摺りながら喘ぎ喘ぎ上った。調印を前に一杯の水を所望するが拒否された。
米国内に横溢していた「卑怯者の『ジャップ』にやる水などない」という憎悪が目に見える様だ。今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」も、結局は日本人への偏見と差別であり、先の大戦を反省すべきは我が国ではなく米国である。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2023年12月07日
「農業競争力強化支援法」の成立が国土を蚕食されてる元凶
農林水産省は、農地の住所や持ち主などを纏めた「農地台帳」に所有者の国籍という項目を追加し、農地取得の許可申請でも国籍の記載を求めるという。
外国資本に因る国内の土地買収という経済安全保障上の懸念への対応だが、外国人や外資の農業参入の根拠となった「農業競争力強化支援法」を見直すべきだ。
我が国の食糧管理制度(食管法)を支える法律の一つであった「種子法(主要農作物種子法)」が平成30(2018)年3月末を以て廃止されたのは記憶に新しい。
戦後、食管法の下、主食である米や麦などの主要農作物については政府が市場をコントロールしてきた。種子法は農家に優良な種子を提供する為の法律であり、品種改良や種子の提供に関して、政府や都道府県が責任を持つことを定めている。
米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度。食管法が平成7年に廃止され「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)」に引き継がれている。
政府は種子法を廃止をする理由として、米の減反(生産調整)制度が今後無くなる見通しであることから、品種開発の分野についても民間開放するとしている。
然し乍ら、この「民間開放」というのは詭弁であり、その実は「外資(外国)」参入を目的としたものである。国家の柱でもある農業を経済論で語るとは新自由主義を妄信し、食糧安保という意識に欠落している安倍自民党の為せる業でもあった。
更に、安倍自民党は、種子法廃止法案の追加措置として、「農業競争力強化支援法」という法案を通した。この法案は驚くことに外資等の規制はしておらず、外国の企業が我が国の農業に参画する出来る為のもので、その後、外資に因る農地や土地買収が謀られ、経済安全保障上の懸念と国防上の懸念が問題となっている。
農業競争力強化支援法の成立は、公的研究機関やハイテクプラザなどで培った研究資料やデータが外国資本に無償で提供され、それを盗用され、一部を変更することで特許取得となれば今迄の様には使用出来なくなるという危険が露わになった。
安全安心と言われた我が国の農作物が、「種子法」の廃止と「農業競争力強化支援法」の成立で危機に瀕し、更には「残留農薬基準の大幅緩和」に因って外国産と変わらない危険な農産物が氾濫するだろうこと火を見るよりも明らかだろう。
正に、我が国農業の危機であると同時に葦原瑞穂国という国柄の崩壊であるが、農耕民族としての自覚を喪失している保守派や自称・愛国者らにそうした危機感はなく、農業を以て立国の基本とするという考えは持ち合わせてはいない。
我が国が培った種子の分野を外資開放に因って、安価な遺伝子組み換え作物の種子が大量に出回り、我が国の食の安全や安定供給が脅かされることも懸念される。
種子法廃止法案は、別名「モンサント法案」とも言われていた。モンサント社は、ベトナム戦争で悪名高い枯葉剤である「エージェント・オレンジ」を開発し、ダイオキシンを撒き散らした世界最大のバイオ化学会社である。
種子法廃止に因り、我が国は米国モンサントに食料を依存することになると言っても過言ではない。つまり、政治的な問題などで、種子の売り控えということになれば我が国の農業そのものが崩壊するという危険を孕んでいる。
遺伝子組み換えの種子をグローバルに提供する企業としては、独バイエルや米モンサントだが、ここに来てバイエルはモンサントの買収を表明した。
ドイツと米国は遺伝子組み換えの種子開発に熱心だが、一方では世界最大級のオーガニック市場を持つ国でもある。積極的に遺伝子組み替え食品を世界に輸出して利益を上げ、自分らは安全なオーガニック食材を口にするだろう。
厚生労働省は「食品中の農薬の残留基準」の改正案で、安倍が妄信する環太平洋連携協定(TPP)や自由貿易協定(FTA)の流れで、外国の基準に合わせて残留農薬基準を大幅に緩和することは既定路線となっている。
経済安全保障上の問題や、我が国農業の崩壊と食糧安保の放棄という大問題に、農本主義を重んじるべき右翼民族陣営や反米主義の新右翼は沈黙し、抗議の声すら聞こえて来ないのは摩訶不思議なことだ。右翼陣営の凋落は顕著である。嗚呼。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
外国資本に因る国内の土地買収という経済安全保障上の懸念への対応だが、外国人や外資の農業参入の根拠となった「農業競争力強化支援法」を見直すべきだ。
我が国の食糧管理制度(食管法)を支える法律の一つであった「種子法(主要農作物種子法)」が平成30(2018)年3月末を以て廃止されたのは記憶に新しい。
戦後、食管法の下、主食である米や麦などの主要農作物については政府が市場をコントロールしてきた。種子法は農家に優良な種子を提供する為の法律であり、品種改良や種子の提供に関して、政府や都道府県が責任を持つことを定めている。
米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度。食管法が平成7年に廃止され「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)」に引き継がれている。
政府は種子法を廃止をする理由として、米の減反(生産調整)制度が今後無くなる見通しであることから、品種開発の分野についても民間開放するとしている。
然し乍ら、この「民間開放」というのは詭弁であり、その実は「外資(外国)」参入を目的としたものである。国家の柱でもある農業を経済論で語るとは新自由主義を妄信し、食糧安保という意識に欠落している安倍自民党の為せる業でもあった。
更に、安倍自民党は、種子法廃止法案の追加措置として、「農業競争力強化支援法」という法案を通した。この法案は驚くことに外資等の規制はしておらず、外国の企業が我が国の農業に参画する出来る為のもので、その後、外資に因る農地や土地買収が謀られ、経済安全保障上の懸念と国防上の懸念が問題となっている。
農業競争力強化支援法の成立は、公的研究機関やハイテクプラザなどで培った研究資料やデータが外国資本に無償で提供され、それを盗用され、一部を変更することで特許取得となれば今迄の様には使用出来なくなるという危険が露わになった。
安全安心と言われた我が国の農作物が、「種子法」の廃止と「農業競争力強化支援法」の成立で危機に瀕し、更には「残留農薬基準の大幅緩和」に因って外国産と変わらない危険な農産物が氾濫するだろうこと火を見るよりも明らかだろう。
正に、我が国農業の危機であると同時に葦原瑞穂国という国柄の崩壊であるが、農耕民族としての自覚を喪失している保守派や自称・愛国者らにそうした危機感はなく、農業を以て立国の基本とするという考えは持ち合わせてはいない。
我が国が培った種子の分野を外資開放に因って、安価な遺伝子組み換え作物の種子が大量に出回り、我が国の食の安全や安定供給が脅かされることも懸念される。
種子法廃止法案は、別名「モンサント法案」とも言われていた。モンサント社は、ベトナム戦争で悪名高い枯葉剤である「エージェント・オレンジ」を開発し、ダイオキシンを撒き散らした世界最大のバイオ化学会社である。
種子法廃止に因り、我が国は米国モンサントに食料を依存することになると言っても過言ではない。つまり、政治的な問題などで、種子の売り控えということになれば我が国の農業そのものが崩壊するという危険を孕んでいる。
遺伝子組み換えの種子をグローバルに提供する企業としては、独バイエルや米モンサントだが、ここに来てバイエルはモンサントの買収を表明した。
ドイツと米国は遺伝子組み換えの種子開発に熱心だが、一方では世界最大級のオーガニック市場を持つ国でもある。積極的に遺伝子組み替え食品を世界に輸出して利益を上げ、自分らは安全なオーガニック食材を口にするだろう。
厚生労働省は「食品中の農薬の残留基準」の改正案で、安倍が妄信する環太平洋連携協定(TPP)や自由貿易協定(FTA)の流れで、外国の基準に合わせて残留農薬基準を大幅に緩和することは既定路線となっている。
経済安全保障上の問題や、我が国農業の崩壊と食糧安保の放棄という大問題に、農本主義を重んじるべき右翼民族陣営や反米主義の新右翼は沈黙し、抗議の声すら聞こえて来ないのは摩訶不思議なことだ。右翼陣営の凋落は顕著である。嗚呼。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2023年12月06日
旧宮家の再興は廃絶した祭祀を継承して戴くということにある
岸田文雄首相は、「安定的な皇位継承策」を喫緊の課題と位置付け、臨時国会中の進展を目指すという。秋篠宮皇嗣殿下~悠仁親王殿下の皇位継承が確定している中で、女性皇族と旧宮家男子との養子縁組というのは「女性宮家」への姦策である。
2年前「安定的な皇位継承策を検討する政府の有識者会議(清家篤座長)」の報告書では、「皇族数が喫緊の課題」として①女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する②養子縁組を可能にするとし、皇統に属する男系男子を皇族とするとの皇族数確保策二案を提出したが、婚姻後の女性皇族を皇族身分の保証は皇女制度と同じ。
皇女制度の創設に拠って国賓・公賓への接遇や会食などの御公務を皇籍離脱後にも関わらせようという都合の好い政治利用に他ならない。女性皇族の皇籍を維持させてまで、婚姻後も皇籍を維持させ皇室活動をやらせようとは本末転倒である。
女性皇族の皇籍維持や「皇女制度創設」はカタチを変えた「女性宮家論」であり、皇籍離脱させられた旧宮家の方々の皇籍復帰論を絶つ為の姦策というのが正しい。
宮家の本分とは皇室活動ではないし、天皇の国事行為を補佐するものでもない。旧皇族の皇籍を復活させることは、廃絶した祭祀を継承して戴くということにある。
「婚姻後の女性皇族の皇籍維持」は皇族数の確保ではなく、現憲法下での御公務や皇室活動などの公的行事をやらせる為の政府の傀儡としての強要でしかない。
天皇とは英国やスペインの様な「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多いが、分かり易く言えば日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、ローマ法王などと同じく祈りを重んずる「祭主」である。
「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく、これが伝統というものなのだ。女性皇族が行えるのは国賓・公賓への接遇や会食とイベントに華を添えることくらいなもの。
「女性宮家論」や「皇女制度」は、天皇の在り方や宮家の本分を理解することなく、皇族を単なる国事行為をする便利な存在としか思っていないから語れるのだ。
国民の多くは陛下の御負担(国事行為)について「女性宮家創設で軽減する」と思っている。だが、天皇が本来重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、国事行為の代行は憲法第四条の第二項に基く委任か摂政のみが可能である。
現憲法下での国事行為の代行は、現時点では皇嗣殿下しか成し得ない。国事行為の御負担を「女性宮家創設で軽減する」というのは国民を誑かす詭弁でしかない。
皇女制度は都合の好い皇室利用である。皇族の本分でもある祭祀を継承するには旧皇族の復帰を成すことが重要であり、廃絶になった秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮の祭祀を旧宮家を再興し継承することこそ肝要である。
旧宮家の方々が皇籍復帰して頂くことで国賓・公賓への接遇や晩餐会での会食などの皇室活動はクリア出来るのに、何故に女性皇族の皇籍維持が優先されるのか。
養子縁組を可能とし乍ら、「旧宮家の子孫は皇位継承権を持たない」と明記されている。皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋である。「今上陛下とは血筋が違う」とは反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。
旧宮家とは、「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。
「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」の四宮家は断絶してしまったが、東久邇家の系統には歴代天皇と男系で繋がる男子が7名おられ、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が5名、更に4名が誕生しているというし、皇籍復帰で皇統は盤石となる。
東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。「安定的な皇位継承」というのなら、条件を付けず旧宮家の皇籍復帰を成すべきである。
旧皇族の皇籍復帰に反対する勢力と「女性宮家」「女性天皇」「女系天皇」を推進している連中は、如何にも皇室の将来を案じているかの如く装ってるが同じ穴の狢。奸賊に因って実に怪しげな世論が醸成されて行く。決して騙されること勿れ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2年前「安定的な皇位継承策を検討する政府の有識者会議(清家篤座長)」の報告書では、「皇族数が喫緊の課題」として①女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する②養子縁組を可能にするとし、皇統に属する男系男子を皇族とするとの皇族数確保策二案を提出したが、婚姻後の女性皇族を皇族身分の保証は皇女制度と同じ。
皇女制度の創設に拠って国賓・公賓への接遇や会食などの御公務を皇籍離脱後にも関わらせようという都合の好い政治利用に他ならない。女性皇族の皇籍を維持させてまで、婚姻後も皇籍を維持させ皇室活動をやらせようとは本末転倒である。
女性皇族の皇籍維持や「皇女制度創設」はカタチを変えた「女性宮家論」であり、皇籍離脱させられた旧宮家の方々の皇籍復帰論を絶つ為の姦策というのが正しい。
宮家の本分とは皇室活動ではないし、天皇の国事行為を補佐するものでもない。旧皇族の皇籍を復活させることは、廃絶した祭祀を継承して戴くということにある。
「婚姻後の女性皇族の皇籍維持」は皇族数の確保ではなく、現憲法下での御公務や皇室活動などの公的行事をやらせる為の政府の傀儡としての強要でしかない。
天皇とは英国やスペインの様な「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多いが、分かり易く言えば日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、ローマ法王などと同じく祈りを重んずる「祭主」である。
「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく、これが伝統というものなのだ。女性皇族が行えるのは国賓・公賓への接遇や会食とイベントに華を添えることくらいなもの。
「女性宮家論」や「皇女制度」は、天皇の在り方や宮家の本分を理解することなく、皇族を単なる国事行為をする便利な存在としか思っていないから語れるのだ。
国民の多くは陛下の御負担(国事行為)について「女性宮家創設で軽減する」と思っている。だが、天皇が本来重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、国事行為の代行は憲法第四条の第二項に基く委任か摂政のみが可能である。
現憲法下での国事行為の代行は、現時点では皇嗣殿下しか成し得ない。国事行為の御負担を「女性宮家創設で軽減する」というのは国民を誑かす詭弁でしかない。
皇女制度は都合の好い皇室利用である。皇族の本分でもある祭祀を継承するには旧皇族の復帰を成すことが重要であり、廃絶になった秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮の祭祀を旧宮家を再興し継承することこそ肝要である。
旧宮家の方々が皇籍復帰して頂くことで国賓・公賓への接遇や晩餐会での会食などの皇室活動はクリア出来るのに、何故に女性皇族の皇籍維持が優先されるのか。
養子縁組を可能とし乍ら、「旧宮家の子孫は皇位継承権を持たない」と明記されている。皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋である。「今上陛下とは血筋が違う」とは反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。
旧宮家とは、「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。
「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」の四宮家は断絶してしまったが、東久邇家の系統には歴代天皇と男系で繋がる男子が7名おられ、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が5名、更に4名が誕生しているというし、皇籍復帰で皇統は盤石となる。
東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。「安定的な皇位継承」というのなら、条件を付けず旧宮家の皇籍復帰を成すべきである。
旧皇族の皇籍復帰に反対する勢力と「女性宮家」「女性天皇」「女系天皇」を推進している連中は、如何にも皇室の将来を案じているかの如く装ってるが同じ穴の狢。奸賊に因って実に怪しげな世論が醸成されて行く。決して騙されること勿れ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2023年12月05日
子育て支援金は違法な外国人への生活保護費や政党交付金を充てよ!
何やら統計によると今後50年以内に我が国の総人口は現在の7割弱まで減少するという。岸田文雄首相は、少子化対策に対し「次元の異なる対策」を掲げ、児童手当の拡充や育児休業給付引き上げを訴えてたが、この何処が異次元の対策なのか(苦笑)
米国の実業家のイーロン・マスクが、日本の出生率低下に「日本は何れ消滅する。世界にとって大きな損失だ」との警鐘を鳴らしたことをどう感じただろう。
マスクは、少子化対策として第1子100万、第2子300万、第3子1千万の子育て支援金を支給する提案に刮目した。旧皇族の系統である竹田恒泰が、第1子に1000万円、第2子に2000万円、第3子に3000万円の支給を訴えてるが大いに賛同する。
将来の納税者が増えれば国の運営は安泰となる。バラ撒くなら子育て支援金の充実が急務。僅か、3兆円の子育て支援金が出せない政府だが、一方で岸田首相はアフリカ支援に4兆円拠出するなど、海外へのバラ撒きと外国人優遇は度を越している。
コロナ禍での病床補償金は3兆円以上支払われている。外国人留学生受け入れに年間230億円規模。外国籍への生活保護費は年間3兆7千億円。何より、政党交付金が導入された1995年から毎年300億円以上。既に8兆円以上が政治家に流れている。
「人口激減で国を守ることも出来なくなる」という声もあるが、これは国防の観点からの危機感ではない。経団連や経済同友会など、営利至上主義の団体や企業が、労働人口減少を理由に移民を受け入れる為の我田引水的な口実に過ぎない。
抑々、人口が右肩上がりで殖えていくことに因る弊害は大きく、人口増加に由って食料すら手に入らないという状況も考えられる。人口をその国の事情に応じて適度な数にすることは喫緊に採るべき対策であり、移民頼りの労働力補填は本末転倒。
中共やインド、アフリカなどは今後の人口は増え続けるだろう。国民の食糧事情や国家体制の維持には資源確保の問題もあり、中共の周辺諸国への蚕食と太平洋への進出は、「自分達だけ生きれ残る」という奸佞が横溢しているからである。
現在の7割弱というと8、9000万人ということか。ならば、これより人口の少ない国は全て国を守れないのかとツッコみたくなる。因みに現在の人口となると英国は約6600万人。フランスは約6750人。ドイツは約8400人だが、国防は充実している。
江戸幕府が終焉を迎え、明治維新当時の人口は約3300万人だった。日露戦争時には約4700万人だが、ロシアの人口は1億3千万だった。ロシアの3分の1程度の人口だった日本が勝ったのだから、人口は多けりゃ好いってもんじゃないだろう。
大東亜戦争開戦当時の人口は約8400万人。その後「産めよ、殖やせよ」の国策が影響し、戦後の経済繁栄は遂げたものの無自覚左翼の団塊の世代や珍左翼が台頭した。寧ろ現在の1億3千万が殖え過ぎたと考えるべきで、要は量より質が大事。
先の大戦で我が国が負け、GHQの統治下で米国の経済と価値観を押し付けられた。金儲けを追求して物質的に豊かにはなったが本当に幸せになれたのだろうか?
金銭的利潤や享楽に流れる人心の質的転換こそ大事である。「人口減少を食い止めるには将来の不安を取り除かねばならない」とか政治家や評論家や学者らが真顔で言っているが、一番効果が上がるのは計画停電ではなかろうか(笑)
昔、アメリカで大停電が起きた翌年にはベビーブームが到来したし、福島県でも昭和59年頃だったか大雪で停電した年の翌年生まれの子供は多かったっけ。
「反原発」とか「脱原発」を訴えてる連中は、古の日本人の様に日の出と共に起きて、日の入りと共に仕事を終えて床に就くとまでは言わないまでも、愚生に倣い朝の4時頃には起きて夜の8時前にはお寝るという早寝早起きを実行したら如何か。
国民に頼るより国が「計画停電」を実行すりゃ好い。無理して電力確保しなくても停電すりゃ解決出来るし、何より少子化対策にもなる可能性を秘める。
停電で暗くなりゃ寝るしかないし、人間やることがないと考えることは同じ。数年経てば「反原発」なんてのは過去の遺物となり、電力の問題もクリアするだろう。ってか、何よりも「ベビーブーム到来」で少子化問題も解決するっての(笑)
電力に限らず、何もかも足らない時代になれば如何に今が幸せだったかが分かるだろうよ。愚生が子供時代の昭和の40年代頃というのはしょっちゅう停電していたし、小抽斗から取り出したロウソクを立てながらの生活も愉しいものだった。
現実問題、停電になると冷蔵庫が大変なことになるだろうな。大量に買いだめは出来ないから大手スーパーが大打撃となるだろう。「クーラーが無いと熱中症になる」という声もあるが、拙宅にクーラーは無いが扇風機でどうにか凌げている(笑)
今夏の暑さは尋常じゃなかったが、便利というものにどっぷり浸かった日本人が昔の質素な生活に我慢できるとは思えない。「脱原発」なんてのは理想であって現実無視の大空論。そういう意味でも、戦後の日本人を根本から鍛え直さねばならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
米国の実業家のイーロン・マスクが、日本の出生率低下に「日本は何れ消滅する。世界にとって大きな損失だ」との警鐘を鳴らしたことをどう感じただろう。
マスクは、少子化対策として第1子100万、第2子300万、第3子1千万の子育て支援金を支給する提案に刮目した。旧皇族の系統である竹田恒泰が、第1子に1000万円、第2子に2000万円、第3子に3000万円の支給を訴えてるが大いに賛同する。
将来の納税者が増えれば国の運営は安泰となる。バラ撒くなら子育て支援金の充実が急務。僅か、3兆円の子育て支援金が出せない政府だが、一方で岸田首相はアフリカ支援に4兆円拠出するなど、海外へのバラ撒きと外国人優遇は度を越している。
コロナ禍での病床補償金は3兆円以上支払われている。外国人留学生受け入れに年間230億円規模。外国籍への生活保護費は年間3兆7千億円。何より、政党交付金が導入された1995年から毎年300億円以上。既に8兆円以上が政治家に流れている。
「人口激減で国を守ることも出来なくなる」という声もあるが、これは国防の観点からの危機感ではない。経団連や経済同友会など、営利至上主義の団体や企業が、労働人口減少を理由に移民を受け入れる為の我田引水的な口実に過ぎない。
抑々、人口が右肩上がりで殖えていくことに因る弊害は大きく、人口増加に由って食料すら手に入らないという状況も考えられる。人口をその国の事情に応じて適度な数にすることは喫緊に採るべき対策であり、移民頼りの労働力補填は本末転倒。
中共やインド、アフリカなどは今後の人口は増え続けるだろう。国民の食糧事情や国家体制の維持には資源確保の問題もあり、中共の周辺諸国への蚕食と太平洋への進出は、「自分達だけ生きれ残る」という奸佞が横溢しているからである。
現在の7割弱というと8、9000万人ということか。ならば、これより人口の少ない国は全て国を守れないのかとツッコみたくなる。因みに現在の人口となると英国は約6600万人。フランスは約6750人。ドイツは約8400人だが、国防は充実している。
江戸幕府が終焉を迎え、明治維新当時の人口は約3300万人だった。日露戦争時には約4700万人だが、ロシアの人口は1億3千万だった。ロシアの3分の1程度の人口だった日本が勝ったのだから、人口は多けりゃ好いってもんじゃないだろう。
大東亜戦争開戦当時の人口は約8400万人。その後「産めよ、殖やせよ」の国策が影響し、戦後の経済繁栄は遂げたものの無自覚左翼の団塊の世代や珍左翼が台頭した。寧ろ現在の1億3千万が殖え過ぎたと考えるべきで、要は量より質が大事。
先の大戦で我が国が負け、GHQの統治下で米国の経済と価値観を押し付けられた。金儲けを追求して物質的に豊かにはなったが本当に幸せになれたのだろうか?
金銭的利潤や享楽に流れる人心の質的転換こそ大事である。「人口減少を食い止めるには将来の不安を取り除かねばならない」とか政治家や評論家や学者らが真顔で言っているが、一番効果が上がるのは計画停電ではなかろうか(笑)
昔、アメリカで大停電が起きた翌年にはベビーブームが到来したし、福島県でも昭和59年頃だったか大雪で停電した年の翌年生まれの子供は多かったっけ。
「反原発」とか「脱原発」を訴えてる連中は、古の日本人の様に日の出と共に起きて、日の入りと共に仕事を終えて床に就くとまでは言わないまでも、愚生に倣い朝の4時頃には起きて夜の8時前にはお寝るという早寝早起きを実行したら如何か。
国民に頼るより国が「計画停電」を実行すりゃ好い。無理して電力確保しなくても停電すりゃ解決出来るし、何より少子化対策にもなる可能性を秘める。
停電で暗くなりゃ寝るしかないし、人間やることがないと考えることは同じ。数年経てば「反原発」なんてのは過去の遺物となり、電力の問題もクリアするだろう。ってか、何よりも「ベビーブーム到来」で少子化問題も解決するっての(笑)
電力に限らず、何もかも足らない時代になれば如何に今が幸せだったかが分かるだろうよ。愚生が子供時代の昭和の40年代頃というのはしょっちゅう停電していたし、小抽斗から取り出したロウソクを立てながらの生活も愉しいものだった。
現実問題、停電になると冷蔵庫が大変なことになるだろうな。大量に買いだめは出来ないから大手スーパーが大打撃となるだろう。「クーラーが無いと熱中症になる」という声もあるが、拙宅にクーラーは無いが扇風機でどうにか凌げている(笑)
今夏の暑さは尋常じゃなかったが、便利というものにどっぷり浸かった日本人が昔の質素な生活に我慢できるとは思えない。「脱原発」なんてのは理想であって現実無視の大空論。そういう意味でも、戦後の日本人を根本から鍛え直さねばならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2023年12月04日
「オスプレイ事故」で大騒ぎする珍左翼と左翼メディアは中共の第五列
オスプレイ反対を叫ぶ珍左翼や左翼メディアにとって、鹿児島県・屋久島沖でのオスプレイ墜落事故は待ち焦がれていたものだったろうが、マスコミの偏向報道に流された一昔前の国民とは違って、多くの国民は今回の事故を冷静に捉えている。
オスプレイが配備されると、左翼メディアを中心に恰も危険であるかの様な記事を垂れ流した。だが、オスプレイの事故以上に危険なのは中共の覇権主義である。
以前、オスプレイが沖縄県名護市沿岸で、空中給油の訓練中にプロペラを損傷し不時着に失敗した際には、「オスプレイは危ない!」と国民を煽動した。オスプレイ製造初期の頃に事故が起きてるが他の機種に比べても別段に多い訳でもない。
今や性能も操縦技術も格段に向上しているのに、珍左翼どもがオスプレイの配備を阻止しようと懸命なのか。答えは簡単、中共に与し、忠誠を誓っているだけ。
尖閣諸島を始め、九州や沖縄の島々には離発着出来る場所はない。敵国(中共)からの侵攻、侵略は色々な場面も想定しておかなければならず、機動力があり、何処でも離着陸出来るオスプレイは貴重な最新兵器であることに間違いはない。
オスプレイを配備する最大の理由は、日中で懸案事項となっている尖閣問題への圧力と抑止である。機動力のあるオスプレイの島嶼防衛は実に効果的である。
今迄、資源が乏しいと思われていた我が国だが、尖閣列島の海底に石油の埋蔵が確認され、膨大な量のメタンハイドレートも確認された現在、それを虎視眈々と狙っているのが中共である。我が領土の蚕食を防ぐ為にもオスプレイ配備は心強い。
現憲法下では自主防衛は到底無理。日米安保条約の下で米国との連携を密にするのは当然で、「オスプレイは危険」などと垂れ流す珍左翼どもを駆逐しなければならない。オスプレイこそ尖閣諸島や沖縄を護る最新鋭の兵器であり抑止力である。
「オスプレイは危ない!」と基地周辺住民を不安にさせる手法は、普天間問題での煽動と同じである。左翼マスゴミの売国性は誰もが知るところだが、共産党議員どもがそれに便乗して、然も住民の味方の様な言動をするのは如何なものか。
オスプレイ配備が中止されて、我が国が取り返しの付かない現状に陥ったら、それこそ国民の安全や安心はどうするというのか。希少植物の6割が枯死するどころか、日本人の生命と財産を危険に曝すことになるのを黙認しろとでも言うのか。
福島第一原発事故の様に「想定外」で済ます訳には行かないのだ。オスプレイの緊急配備を決断した意味と理解を広めるのが政治家やマスコミの務めではないのか。
尖閣列島と沖縄、そして我が国を護る為にオスプレイは配備されてる。更には、南シナ海で巨大な軍事力を振り翳す中共の威圧行為に呻吟するベトナムとフィリピンを護る意味もあり、それはアジアの安定を齎すものでもあると自覚するべし。
オスプレイのその圧倒的な機動性の高さは、我が国と周辺諸国には大きな抑止力となるだろう。米国に頼らず、日本製のオスプレイを製造出来る法整備を整えよ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
オスプレイが配備されると、左翼メディアを中心に恰も危険であるかの様な記事を垂れ流した。だが、オスプレイの事故以上に危険なのは中共の覇権主義である。
以前、オスプレイが沖縄県名護市沿岸で、空中給油の訓練中にプロペラを損傷し不時着に失敗した際には、「オスプレイは危ない!」と国民を煽動した。オスプレイ製造初期の頃に事故が起きてるが他の機種に比べても別段に多い訳でもない。
今や性能も操縦技術も格段に向上しているのに、珍左翼どもがオスプレイの配備を阻止しようと懸命なのか。答えは簡単、中共に与し、忠誠を誓っているだけ。
尖閣諸島を始め、九州や沖縄の島々には離発着出来る場所はない。敵国(中共)からの侵攻、侵略は色々な場面も想定しておかなければならず、機動力があり、何処でも離着陸出来るオスプレイは貴重な最新兵器であることに間違いはない。
オスプレイを配備する最大の理由は、日中で懸案事項となっている尖閣問題への圧力と抑止である。機動力のあるオスプレイの島嶼防衛は実に効果的である。
今迄、資源が乏しいと思われていた我が国だが、尖閣列島の海底に石油の埋蔵が確認され、膨大な量のメタンハイドレートも確認された現在、それを虎視眈々と狙っているのが中共である。我が領土の蚕食を防ぐ為にもオスプレイ配備は心強い。
現憲法下では自主防衛は到底無理。日米安保条約の下で米国との連携を密にするのは当然で、「オスプレイは危険」などと垂れ流す珍左翼どもを駆逐しなければならない。オスプレイこそ尖閣諸島や沖縄を護る最新鋭の兵器であり抑止力である。
「オスプレイは危ない!」と基地周辺住民を不安にさせる手法は、普天間問題での煽動と同じである。左翼マスゴミの売国性は誰もが知るところだが、共産党議員どもがそれに便乗して、然も住民の味方の様な言動をするのは如何なものか。
オスプレイ配備が中止されて、我が国が取り返しの付かない現状に陥ったら、それこそ国民の安全や安心はどうするというのか。希少植物の6割が枯死するどころか、日本人の生命と財産を危険に曝すことになるのを黙認しろとでも言うのか。
福島第一原発事故の様に「想定外」で済ます訳には行かないのだ。オスプレイの緊急配備を決断した意味と理解を広めるのが政治家やマスコミの務めではないのか。
尖閣列島と沖縄、そして我が国を護る為にオスプレイは配備されてる。更には、南シナ海で巨大な軍事力を振り翳す中共の威圧行為に呻吟するベトナムとフィリピンを護る意味もあり、それはアジアの安定を齎すものでもあると自覚するべし。
オスプレイのその圧倒的な機動性の高さは、我が国と周辺諸国には大きな抑止力となるだろう。米国に頼らず、日本製のオスプレイを製造出来る法整備を整えよ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2023年12月03日
明治5年(1872年)12月3日が明治6年の元旦となった
明治5年(1872年)12月3日、それまで月の満ち欠けを中心にした太陰暦(旧暦)を切り替え、地球の公転運動(一太陽年)を基準とする、太陽暦のグレゴリオ暦(西暦)を採用し、明治5年12月3日は明治6年1月1日(元日)と決めた。
新暦は1年を365日とし、西暦年数が4で割り切れる年を閏年とする。100の倍数になる年は400の倍数でない限り平年とする。旧暦では1年が13ヶ月。それが12ヶ月になるのだもの大きな混乱や支障が生じただろうことは想像するに余りある。
旧暦というのは、月の満ち欠けで1ヶ月を現したのだが、生活の中で月を眺めれば月日が理解出来たというのは実にロマンチックなことだ。西暦はエジプト暦に始まり、ユリウス暦・グレゴリオ暦と改良され、現在世界各国で使用されてはいるが、暦というのは宗教と歴史が関連するものであり、国が変われば暦もまた様々である。
イスラムでは「太陰暦」、タイでは「仏暦」、ユダヤ教では「ユダヤ暦」、北朝鮮も「主体(チュチュ)暦」、日本も神武天皇御即位の年を紀元とされる「皇紀」を用いるべきだが、その「皇紀」さえも知らない国民は少なくない。
我が国には「暦」とは別に「元号」が在る。「元号」こそが節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧であり、我が国文化を象徴するものである。改元は一世一代となってるが、明治以前は、主として吉凶禍福とか瑞祥などで行われていた。
大日本帝国憲法下での元号に関する規定は、旧皇室典範第12条に「践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」と明記されていたが、現憲法下、現皇室典範が制定されるに伴って条文が消失し法的明文が無くなった。
旧皇室典範第12条の「明治元年の定制」とは、明治元年9月8日発令の「太政官布告」である。ところが大東亜戦争後の昭和22年5月3日の憲法記念日に合わせて旧皇室典範は廃止され、現皇室典範がGHQの策謀に因って国会議決された。
現皇室典範はGHQに改定され、大嘗祭と同じく「元号」に関する規定が無い。大嘗祭に反対している連中は元号使用に対しても憲法違反であると提訴している。
国会・政府・裁判所の公的文書等で慣例的に「元号」が用いられたことに鑑み、賛否両論の喧々諤々の末に、昭和54(1979)年6月6日に「元号法」が成立。
同月12日に公布・即日施行された。「元号法」がある以上、「元号」を用いるべきであるが、左翼や売国マスコミは元号を使わず西暦を常用している。最近では公的文書記入は外国人に便宜を図り、元号ではなく西暦の使用が認められている。
元号反対の理由は、「元号は戦前からの慣習であり、天皇の元首化を狙うものだ」とか、「元号は旧憲法下の天皇制に付随したものである」とか、皇室に対する怨念を込め、我が国體否定を顕した愚にも付かないものばかり。流石は珍左翼(苦笑)
左翼マスコミが「西暦」を使うのは「元号が無くても何ら影響が無い」という既成事実を積み重ねてるだけ。「元号法」ある以上、西暦よりも「元号」の表記こそ優先すべきである。反米を唱える左翼がキリスト生誕の西暦使用とは嗤うしかない。
「元号」は、第36代孝徳天皇の御代に建てた「大化」に始まる。「大化の改新」は645年~650年の維新のことである。孝徳天皇の崩御後、新たな元号は定められず、後「白雉(はくち)」「朱鳥((しゅちょう、すちょう、あかみどり)」が続く。
斉明、天智、弘文天皇の御代には定かでないが、文武天皇の御代に「大宝」が建てられ、今日の「平成」に至るまで約1300年間途切れることなく続いている。
元号の数は「南北朝時代」に並行した元号を合わせると実に248に及ぶ。歴代の天皇は、数年から10年を目途に「改元」し、巧みに時代の転換をして来た。
中でも、幕末の混乱期に御即位した孝明天皇は、御在位21年の間に「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」と実に6回も改元為されている。これ即ち、幕末~開国という混乱の時代を如何に転換させるかの苦衷の表れと思われる。
元号こそ、我が国の悠久の歴史が、天皇を中心に織りなされて来たという厳然たる事実の証明でもあり、我が国の文化である。元号の改定は、徳川時代でも朝廷に許された大権だった。江戸時代中期の学者、新井白石も「折焚く柴の記」で、「元号だけは朝廷の御定めになることである。武家の関することではない」と綴っている。
「令和」という元号は陛下が改定したものでは無い。故安倍晋三首相が、天皇の大権である元号制定権を簒奪し制定した。「皇位は践祚される」という我が国古来の法を破壊し、現憲法の配下に天皇を置こうとしたことは断じて赦されるものではない。
元号法成立時に左翼陣営は、「元号は天皇主権の旧憲法への逆戻り」「元号は天皇元首化の動きと直結」「元号によって天皇の権威を国民の隅々にまで行き亘らせる狙い」だと騒ぎ立てたが、正に「元号」は、共産党らが指摘した通りである。
明治欽定憲法を復元し、万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることにあるのは、日本国民として当然の願望ではないか。我が国は、天皇の国であり、いつの世も時の陛下の御代であるのだ。
我が国はいつの世にも「君が代」の世界が存在し、千代に八千代に存在し続けなければならないものである。天皇の御代を端的に表現するものが「元号」である。正に元号とは我が国の国體の精華であり、世界に誇る美風である。すめらぎいやさか。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
新暦は1年を365日とし、西暦年数が4で割り切れる年を閏年とする。100の倍数になる年は400の倍数でない限り平年とする。旧暦では1年が13ヶ月。それが12ヶ月になるのだもの大きな混乱や支障が生じただろうことは想像するに余りある。
旧暦というのは、月の満ち欠けで1ヶ月を現したのだが、生活の中で月を眺めれば月日が理解出来たというのは実にロマンチックなことだ。西暦はエジプト暦に始まり、ユリウス暦・グレゴリオ暦と改良され、現在世界各国で使用されてはいるが、暦というのは宗教と歴史が関連するものであり、国が変われば暦もまた様々である。
イスラムでは「太陰暦」、タイでは「仏暦」、ユダヤ教では「ユダヤ暦」、北朝鮮も「主体(チュチュ)暦」、日本も神武天皇御即位の年を紀元とされる「皇紀」を用いるべきだが、その「皇紀」さえも知らない国民は少なくない。
我が国には「暦」とは別に「元号」が在る。「元号」こそが節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧であり、我が国文化を象徴するものである。改元は一世一代となってるが、明治以前は、主として吉凶禍福とか瑞祥などで行われていた。
大日本帝国憲法下での元号に関する規定は、旧皇室典範第12条に「践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」と明記されていたが、現憲法下、現皇室典範が制定されるに伴って条文が消失し法的明文が無くなった。
旧皇室典範第12条の「明治元年の定制」とは、明治元年9月8日発令の「太政官布告」である。ところが大東亜戦争後の昭和22年5月3日の憲法記念日に合わせて旧皇室典範は廃止され、現皇室典範がGHQの策謀に因って国会議決された。
現皇室典範はGHQに改定され、大嘗祭と同じく「元号」に関する規定が無い。大嘗祭に反対している連中は元号使用に対しても憲法違反であると提訴している。
国会・政府・裁判所の公的文書等で慣例的に「元号」が用いられたことに鑑み、賛否両論の喧々諤々の末に、昭和54(1979)年6月6日に「元号法」が成立。
同月12日に公布・即日施行された。「元号法」がある以上、「元号」を用いるべきであるが、左翼や売国マスコミは元号を使わず西暦を常用している。最近では公的文書記入は外国人に便宜を図り、元号ではなく西暦の使用が認められている。
元号反対の理由は、「元号は戦前からの慣習であり、天皇の元首化を狙うものだ」とか、「元号は旧憲法下の天皇制に付随したものである」とか、皇室に対する怨念を込め、我が国體否定を顕した愚にも付かないものばかり。流石は珍左翼(苦笑)
左翼マスコミが「西暦」を使うのは「元号が無くても何ら影響が無い」という既成事実を積み重ねてるだけ。「元号法」ある以上、西暦よりも「元号」の表記こそ優先すべきである。反米を唱える左翼がキリスト生誕の西暦使用とは嗤うしかない。
「元号」は、第36代孝徳天皇の御代に建てた「大化」に始まる。「大化の改新」は645年~650年の維新のことである。孝徳天皇の崩御後、新たな元号は定められず、後「白雉(はくち)」「朱鳥((しゅちょう、すちょう、あかみどり)」が続く。
斉明、天智、弘文天皇の御代には定かでないが、文武天皇の御代に「大宝」が建てられ、今日の「平成」に至るまで約1300年間途切れることなく続いている。
元号の数は「南北朝時代」に並行した元号を合わせると実に248に及ぶ。歴代の天皇は、数年から10年を目途に「改元」し、巧みに時代の転換をして来た。
中でも、幕末の混乱期に御即位した孝明天皇は、御在位21年の間に「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」と実に6回も改元為されている。これ即ち、幕末~開国という混乱の時代を如何に転換させるかの苦衷の表れと思われる。
元号こそ、我が国の悠久の歴史が、天皇を中心に織りなされて来たという厳然たる事実の証明でもあり、我が国の文化である。元号の改定は、徳川時代でも朝廷に許された大権だった。江戸時代中期の学者、新井白石も「折焚く柴の記」で、「元号だけは朝廷の御定めになることである。武家の関することではない」と綴っている。
「令和」という元号は陛下が改定したものでは無い。故安倍晋三首相が、天皇の大権である元号制定権を簒奪し制定した。「皇位は践祚される」という我が国古来の法を破壊し、現憲法の配下に天皇を置こうとしたことは断じて赦されるものではない。
元号法成立時に左翼陣営は、「元号は天皇主権の旧憲法への逆戻り」「元号は天皇元首化の動きと直結」「元号によって天皇の権威を国民の隅々にまで行き亘らせる狙い」だと騒ぎ立てたが、正に「元号」は、共産党らが指摘した通りである。
明治欽定憲法を復元し、万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることにあるのは、日本国民として当然の願望ではないか。我が国は、天皇の国であり、いつの世も時の陛下の御代であるのだ。
我が国はいつの世にも「君が代」の世界が存在し、千代に八千代に存在し続けなければならないものである。天皇の御代を端的に表現するものが「元号」である。正に元号とは我が国の国體の精華であり、世界に誇る美風である。すめらぎいやさか。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2023年12月02日
事故を騒ぐ前にオスプレイ配備の事の由を知るべし!
米空軍輸送機CV22オスプレイが、鹿児島県・屋久島沖で墜落し搭乗員8名が死亡した。反オスプレイを叫ぶ日本共産党を始め、似非平和団体や珍左翼らがここぞとばかりに「オスプレイの飛行停止」を叫んでいるが、事故を反戦に利用するな。
以前、沖縄県名護市沿岸で、オスプレイが空中給油の訓練中にプロペラを損傷し不時着に失敗した際に、珍左翼どものはしゃぎぶりにはうんざりした。オスプレイ配備以来「墜ちりゃイイのに」と思ってたクソどもの頭の中は御花畑が咲き誇る。
墜落事故を受けて、日本共産党の志位和夫や社民党の福島みずほを始めとしたいつものインチキ左翼のクソどもがオスプレイが如何にも危険であるかの様に批判しているが、オスプレイは他のヘリや戦闘機などと比べても、事故発生率は低い方だ。
志位に至ってはX(旧twitter)で「墜落事故を起こした米空軍オスプレイは、数多くの『構造的欠陥』をもち、事故を繰り返してきた危険な航空機だ。米軍基地への配備を容認し、自衛隊への導入を進めてきた日本政府の責任は極めて重大である」とポストし、コミュニティノートから「デマ」と指摘されるも未だ修正も無し(苦笑)
尖閣諸島などの島嶼防衛に大きな威力を発揮するのはオスプレイである。オスプレイの配備は、南シナ海で中共の威圧行為に呻吟するベトナムとフィリピンを護る意味もあり、それはアジアの安定を齎すものでもあり、我が国の役割は重要である。
尖閣列島を始め、九州や沖縄の島々には戦闘機などが離発着出来る場所はない。敵国の侵攻や侵略には色々な場面も想定しておかなければならず、そこで何処でも離着陸出来るオスプレイは貴重な島嶼防衛の最新兵器であることに疑う余地はない。
オスプレイの圧倒的な機動性の高さは、我が国と周辺諸国には大きな抑止力となるのは明らかで、取分け、中共にとっては脅威となっている。オスプレイの配備そのものが功を奏しているが、更に総合的防衛力の整備と拡充こそが国家と国民を護る。
幼稚な平和主義から米軍を批判するのは容易なことだが、国家の大本を忘却し、領土主権の防衛や国民の平和安定に寄与してる米軍に感謝するのは当たり前のこと。
オスプレイ批判の前に搭乗員に対し敬を以て相対すべきではあるまいか。そんなに米軍が嫌なら、日本独自で自衛隊を強化し配備するべきだが、何故かそれも拒否。
オスプレイの事故以上に危険なのは中国共産党の覇権主義である。その中共の脅威となっているのはオスプレイであることを知るべきだ。オスプレイ配備に反対してる連中を見れば分かる通り、中共の御先棒を担ぐクソどもや第五列ばかり。
我が国は四辺を海に囲まれた島国であり、過去に起きたオイルショックの経験から、「アラブ産油国との外交関係の重要性とシーレーン(千海里)の安定化が不可欠である」と痛感し、外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定した。
海洋国家として自国のシーレーン防衛の重要性が認識され、海上自衛隊もシーレーン防衛として「対潜水艦戦」「対機雷戦」を重点に訓練を行っている。
イランの核開発によるホルムズ海峡の危機や、中共の覇権主義によって南シナ海や東シナ海、そして尖閣列島などが脅かされているが、適切な海上権益を確保し、マラッカ海峡から日本までのシーレーンの安全を確保することは重要なのことだ。
米軍と協力して、太平洋~インド洋地域、南シナ海、東シナ海でのシーレーンの防衛体制を確立することが大事である。そうした対策が、結果的には中東等での事態発生に対する抑止力となり、中共の覇権主義を阻止出来るのは言うまでもない。
オスプレイを配備する最大の理由は、こうした千海里防衛構想の拡充の為のものであり、尖閣問題への圧力であり、抑止であると同時に、南シナ海で中共の威圧行為に呻吟するベトナムとフィリピンを護る意味もあり、アジアの安定を齎すものだ。
我が国には尖閣列島を始め、九州、沖縄の島々には軍用機などが離発着出来る場所はない。敵国の侵攻、侵略は色々な場面も想定することが重要であり、何処でも離着陸出来るオスプレイはかなり貴重な最新兵器であることに間違いはないのだ。
オスプレイのその圧倒的な機動性の高さは、我が国及び周辺諸国には大きな抑止力である。事実、オスプレイ配備が功を奏し、中共には脅威となっている。
日米同盟に依存し、自国の防衛を怠り乍ら、犠牲を負って我が国や近隣アジアの防衛を担おうとしている米軍や海兵隊に少しでも感謝の言葉を述べても罰は当たるまい。今回の事故で犠牲となられた搭乗員に対し、心より哀悼の誠を捧げる。合掌。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
以前、沖縄県名護市沿岸で、オスプレイが空中給油の訓練中にプロペラを損傷し不時着に失敗した際に、珍左翼どものはしゃぎぶりにはうんざりした。オスプレイ配備以来「墜ちりゃイイのに」と思ってたクソどもの頭の中は御花畑が咲き誇る。
墜落事故を受けて、日本共産党の志位和夫や社民党の福島みずほを始めとしたいつものインチキ左翼のクソどもがオスプレイが如何にも危険であるかの様に批判しているが、オスプレイは他のヘリや戦闘機などと比べても、事故発生率は低い方だ。
志位に至ってはX(旧twitter)で「墜落事故を起こした米空軍オスプレイは、数多くの『構造的欠陥』をもち、事故を繰り返してきた危険な航空機だ。米軍基地への配備を容認し、自衛隊への導入を進めてきた日本政府の責任は極めて重大である」とポストし、コミュニティノートから「デマ」と指摘されるも未だ修正も無し(苦笑)
尖閣諸島などの島嶼防衛に大きな威力を発揮するのはオスプレイである。オスプレイの配備は、南シナ海で中共の威圧行為に呻吟するベトナムとフィリピンを護る意味もあり、それはアジアの安定を齎すものでもあり、我が国の役割は重要である。
尖閣列島を始め、九州や沖縄の島々には戦闘機などが離発着出来る場所はない。敵国の侵攻や侵略には色々な場面も想定しておかなければならず、そこで何処でも離着陸出来るオスプレイは貴重な島嶼防衛の最新兵器であることに疑う余地はない。
オスプレイの圧倒的な機動性の高さは、我が国と周辺諸国には大きな抑止力となるのは明らかで、取分け、中共にとっては脅威となっている。オスプレイの配備そのものが功を奏しているが、更に総合的防衛力の整備と拡充こそが国家と国民を護る。
幼稚な平和主義から米軍を批判するのは容易なことだが、国家の大本を忘却し、領土主権の防衛や国民の平和安定に寄与してる米軍に感謝するのは当たり前のこと。
オスプレイ批判の前に搭乗員に対し敬を以て相対すべきではあるまいか。そんなに米軍が嫌なら、日本独自で自衛隊を強化し配備するべきだが、何故かそれも拒否。
オスプレイの事故以上に危険なのは中国共産党の覇権主義である。その中共の脅威となっているのはオスプレイであることを知るべきだ。オスプレイ配備に反対してる連中を見れば分かる通り、中共の御先棒を担ぐクソどもや第五列ばかり。
我が国は四辺を海に囲まれた島国であり、過去に起きたオイルショックの経験から、「アラブ産油国との外交関係の重要性とシーレーン(千海里)の安定化が不可欠である」と痛感し、外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定した。
海洋国家として自国のシーレーン防衛の重要性が認識され、海上自衛隊もシーレーン防衛として「対潜水艦戦」「対機雷戦」を重点に訓練を行っている。
イランの核開発によるホルムズ海峡の危機や、中共の覇権主義によって南シナ海や東シナ海、そして尖閣列島などが脅かされているが、適切な海上権益を確保し、マラッカ海峡から日本までのシーレーンの安全を確保することは重要なのことだ。
米軍と協力して、太平洋~インド洋地域、南シナ海、東シナ海でのシーレーンの防衛体制を確立することが大事である。そうした対策が、結果的には中東等での事態発生に対する抑止力となり、中共の覇権主義を阻止出来るのは言うまでもない。
オスプレイを配備する最大の理由は、こうした千海里防衛構想の拡充の為のものであり、尖閣問題への圧力であり、抑止であると同時に、南シナ海で中共の威圧行為に呻吟するベトナムとフィリピンを護る意味もあり、アジアの安定を齎すものだ。
我が国には尖閣列島を始め、九州、沖縄の島々には軍用機などが離発着出来る場所はない。敵国の侵攻、侵略は色々な場面も想定することが重要であり、何処でも離着陸出来るオスプレイはかなり貴重な最新兵器であることに間違いはないのだ。
オスプレイのその圧倒的な機動性の高さは、我が国及び周辺諸国には大きな抑止力である。事実、オスプレイ配備が功を奏し、中共には脅威となっている。
日米同盟に依存し、自国の防衛を怠り乍ら、犠牲を負って我が国や近隣アジアの防衛を担おうとしている米軍や海兵隊に少しでも感謝の言葉を述べても罰は当たるまい。今回の事故で犠牲となられた搭乗員に対し、心より哀悼の誠を捧げる。合掌。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2023年12月01日
誹謗中傷や悪口・陰口というのは嫉妬の裏返しでもある
SNSでは匿名を好いことに誹謗中傷や罵詈雑言なんてのは当たり前。SNSではそれが普通なのだろうが、SNSと雖も礼節は大事だと思う。意見の違う相手を説得したり、諭したいのなら尚更のこと。意見が違うというだけで人格を否定する様な書き込みも見受けられるが、そんなことでは身近な者さえも感化出来ないだろう。
批判する側が本名ではなくハンドルネームならやりたい放題。そんな便所の落書き程度の雑言なんぞ「気にするな」と言ったところで気になるのが正直なところ。
愚生へも以前よりは減ったが「爆サイ」などの掲示板サイトに、正体不明の輩から「あれやこれやと悪口が書かれています」との通報を聞き覗いてみたことがある。
書き込んでるのはいつものメンバー。中には元警察官らしきものと思われるネタや、一部の人しか知らない情報も書き込まれていたり。前はよく目を通していたが、悪口なんて気にならないと言ってもやはり気になるので閲覧を止めた(笑)
ブログにはメールアドレスを明記している。メールを寄越せば好いのにそんな度胸は無い。ある事ない事、人格否定の雑言をよくもあれだけ書き込めるものだ。
こういうコメントを入れて来た人物が掲示板サイトへの書き込みの当人だったり、意外と身近な人物かもな。感心するのは、ブログをよく読んでるわ(笑)
「『汚れた顔の紳士達』は、野村秋介の『汚れた顔の天使たち』のパクリだ」とか書いてあったが、野村秋介の「汚れた顔の天使たち」の元元のタイトルは「塵中に人あり」で、その後にタイトルを変更したが、愚生のタイトルの方が古い。
「汚れた顔の天使たち」は、フランス映画「汚れた顔の天使」のパクリだろう。因みに「爆ちゃん吼える」は、ビートたけしの「たけし吠える」のパクリです(笑)
往々にして悪口や陰口というのは嫉妬の裏返しでもある。羨ましさやヤキモチが悔しさとなり、誹謗中傷に奔る。逆を言えばその実力を認めているということであり、だから正体不明の便所の落書きと同じ様な書き込みに一喜一憂する必要も無い。
大勢の意見とは「正論」というより「平均的意見」に過ぎない。そうした平均的意見に異を唱え様ものなら酷い目に遭うのがネットの世界というものでもある。
往往にして人というのものは理屈ではなく、単純に「好きか嫌いか」のどちらかで判断するものだ。反抗的且つ歪な先入観に囚われる者に、滔々と説得を試みたところで受け容れられることはないし、相手側が矯正されることは殆どない。
愚生の様な浅学な右翼浪人如きが、正論を訴えれば訴えるほど相手側は癪に障ることもあるだろう。だから、理論とかではなく、人格などを攻撃しては悦に入る。
新約聖書・ルカ福音書四章に「預言者郷里(世)に容れられず」という言葉がある。「優れた人物というのは往々にして、故郷や世の中では受け容れられないことが多い」という喩えである。何事に於いても評価するのは後世の人というのが常。
「受け容れられない」というよりも「受け容れたくない」というのがホンネでもある。例えば身近な者が出世したり、自分よりも優れていればヤキモチを焼くのは人間の性というものでもある。「隣の家に蔵が建つと腹が立つ」とも言うだろう(笑)
現代に於いても批判されたり、軽んじられてる意見こそが後に正論だったり事実だったりするもの。喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほどテロで殺されている。
歴史を見てもそうだが、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くはバカかキチガイ扱いされた上に罰せられるか殺されている。逆をいえば、バカとかキチガイだとか変人だとか言われる様になればホンモノ。
「天動説」が当り前だった時代に、「地球が太陽の周りを廻ってる」と説いたガリレオ・ガリレイの科学などは考えられなかったのは当然といえば当然のこと。結果、「地動説」を唱えたガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判で弾劾された。
当時は、天動説が大勢であり正論だった訳で、地球が回転し乍ら太陽を周回してるなどと誰も思うまい。世間からは「気が狂った」と思われたのは気の毒でもある。
SNSなんてのも同じで、当たり前だとか、正論だとか、常識だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ずということだ。
正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。「後悔」とよく言ったものだ。そんな時代に懸命に正論を吠えたところで理解してくれる訳は無いだろう。
分かり易くいえば、何しろ世の中にはバカの方が多いし、マスコミの垂れ流す意見が正しいと思いこんでいるのだから結果的にそうなってしまうのは自明の理。
五箇条の御誓文では「万機公論に決すべし」と教えているが、公論が正しい訳ではない。公論とは常識や日本人としての心構えがあってこそ成り立つもので、国民の判断力は古今東西常に低く、実に幼稚で気紛れなのだから公論でも間違いは起こる。
政治というものは、世論に迎合することなく国家観を重んじ乍らも、時には国民目線とかけ離れた国家観や歴史観、人間観、世界観、高度な権謀術数を必要となる。
今の世の中というのは「あの人は善い人だ」とか、「あの人の言ってることは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違った固定観念だと思った方が好い。
SNSをやってると、悪口を浴びせられたり、誹謗中傷の対象となってるのは見方を変えれば実力が備わってきた証しである。堂々と我が道を行け!呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
批判する側が本名ではなくハンドルネームならやりたい放題。そんな便所の落書き程度の雑言なんぞ「気にするな」と言ったところで気になるのが正直なところ。
愚生へも以前よりは減ったが「爆サイ」などの掲示板サイトに、正体不明の輩から「あれやこれやと悪口が書かれています」との通報を聞き覗いてみたことがある。
書き込んでるのはいつものメンバー。中には元警察官らしきものと思われるネタや、一部の人しか知らない情報も書き込まれていたり。前はよく目を通していたが、悪口なんて気にならないと言ってもやはり気になるので閲覧を止めた(笑)
ブログにはメールアドレスを明記している。メールを寄越せば好いのにそんな度胸は無い。ある事ない事、人格否定の雑言をよくもあれだけ書き込めるものだ。
こういうコメントを入れて来た人物が掲示板サイトへの書き込みの当人だったり、意外と身近な人物かもな。感心するのは、ブログをよく読んでるわ(笑)
「『汚れた顔の紳士達』は、野村秋介の『汚れた顔の天使たち』のパクリだ」とか書いてあったが、野村秋介の「汚れた顔の天使たち」の元元のタイトルは「塵中に人あり」で、その後にタイトルを変更したが、愚生のタイトルの方が古い。
「汚れた顔の天使たち」は、フランス映画「汚れた顔の天使」のパクリだろう。因みに「爆ちゃん吼える」は、ビートたけしの「たけし吠える」のパクリです(笑)
往々にして悪口や陰口というのは嫉妬の裏返しでもある。羨ましさやヤキモチが悔しさとなり、誹謗中傷に奔る。逆を言えばその実力を認めているということであり、だから正体不明の便所の落書きと同じ様な書き込みに一喜一憂する必要も無い。
大勢の意見とは「正論」というより「平均的意見」に過ぎない。そうした平均的意見に異を唱え様ものなら酷い目に遭うのがネットの世界というものでもある。
往往にして人というのものは理屈ではなく、単純に「好きか嫌いか」のどちらかで判断するものだ。反抗的且つ歪な先入観に囚われる者に、滔々と説得を試みたところで受け容れられることはないし、相手側が矯正されることは殆どない。
愚生の様な浅学な右翼浪人如きが、正論を訴えれば訴えるほど相手側は癪に障ることもあるだろう。だから、理論とかではなく、人格などを攻撃しては悦に入る。
新約聖書・ルカ福音書四章に「預言者郷里(世)に容れられず」という言葉がある。「優れた人物というのは往々にして、故郷や世の中では受け容れられないことが多い」という喩えである。何事に於いても評価するのは後世の人というのが常。
「受け容れられない」というよりも「受け容れたくない」というのがホンネでもある。例えば身近な者が出世したり、自分よりも優れていればヤキモチを焼くのは人間の性というものでもある。「隣の家に蔵が建つと腹が立つ」とも言うだろう(笑)
現代に於いても批判されたり、軽んじられてる意見こそが後に正論だったり事実だったりするもの。喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほどテロで殺されている。
歴史を見てもそうだが、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くはバカかキチガイ扱いされた上に罰せられるか殺されている。逆をいえば、バカとかキチガイだとか変人だとか言われる様になればホンモノ。
「天動説」が当り前だった時代に、「地球が太陽の周りを廻ってる」と説いたガリレオ・ガリレイの科学などは考えられなかったのは当然といえば当然のこと。結果、「地動説」を唱えたガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判で弾劾された。
当時は、天動説が大勢であり正論だった訳で、地球が回転し乍ら太陽を周回してるなどと誰も思うまい。世間からは「気が狂った」と思われたのは気の毒でもある。
SNSなんてのも同じで、当たり前だとか、正論だとか、常識だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ずということだ。
正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。「後悔」とよく言ったものだ。そんな時代に懸命に正論を吠えたところで理解してくれる訳は無いだろう。
分かり易くいえば、何しろ世の中にはバカの方が多いし、マスコミの垂れ流す意見が正しいと思いこんでいるのだから結果的にそうなってしまうのは自明の理。
五箇条の御誓文では「万機公論に決すべし」と教えているが、公論が正しい訳ではない。公論とは常識や日本人としての心構えがあってこそ成り立つもので、国民の判断力は古今東西常に低く、実に幼稚で気紛れなのだから公論でも間違いは起こる。
政治というものは、世論に迎合することなく国家観を重んじ乍らも、時には国民目線とかけ離れた国家観や歴史観、人間観、世界観、高度な権謀術数を必要となる。
今の世の中というのは「あの人は善い人だ」とか、「あの人の言ってることは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違った固定観念だと思った方が好い。
SNSをやってると、悪口を浴びせられたり、誹謗中傷の対象となってるのは見方を変えれば実力が備わってきた証しである。堂々と我が道を行け!呵呵
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2023年11月30日
「信」じる「者」がいるからこそ「儲」かる(笑)
過日、新聞折込チラシに富士山の綺麗な写真が載ってたので目に留まり目を通してみれば、冨士大石寺顕正会のチラシ。顕正会といえば反創価学会の急先鋒。池田創価学会よりは真面な日蓮信者が多く、而も戦闘的な信者が多いことでも有名だ。
「日蓮宗」は宗教というより日蓮大聖人の教えの実践であり、軍人や右翼人の中にも信奉者は多い。別に日蓮宗の信者ではないが、日蓮上人が立派だと思うのは、弾圧されて流罪になっても決して挫けることなくその信念を通し続けたことだ。
未曽有の国難を感じ取った日蓮は「立正安国論」を以て、辻説法を手段として戦闘的な布教活動を展開する。折しもあれ、大蒙古(元と高麗連合軍)が我が国に襲来する時期でもあった。日蓮の予言は的中し、アジア大陸を支配していた蒙古軍が朝貢と従属を求め我が国に攻め入った。それが「文永の役」と「弘安の役」である。
顕正会や信者らは日蓮の大予言だというが、蒙古軍を撃退せしめたのは台風であって日蓮が追い返した訳ではない。時勢を知ってれば大陸からの侵略は有り得ることで、二度の襲来を台風の時期に計画した蒙古軍の驕りが招いた軽挙妄動だろう(笑)
「法華経の肝心たる三大秘法を立てなければ、この国必ず他国侵逼の大難を受ける」と、民衆を扇動したことが幕府から咎められ、日蓮は死罪が執行される。
文永8年9月12日、日蓮は竜の口刑場の「頸の座」に座し、大太刀が振り下ろされんとしたその刹那、「月の如く光たる物」が突如出現した。太刀取りはその場で倒れ、数百人の兵士が逃げ出し、皆悉く砂浜に平伏してしまったという。
これは単純に、雷がその場に落ちたというだけだろう。こうしたことを日蓮の神懸り、絶大遺徳と持ち上げるから、宗教というのは胡散臭いとなってしまう。
結局、日蓮は佐渡の地に流罪となる。佐渡で書き上げた「開目抄」は文字通り、日蓮の開眼の書である。この時、日蓮51歳。当時の51歳といえば晩年である。
「我れ、日本の柱とならん。我れ、日本の眼目とならん。我れ、日本の大船とならん等と誓いし願破るべからず」との言葉通り、激しい使命感と捨て身の覚悟が、偉大な宗教家たらしめたのである。日蓮宗とは正に日蓮大聖人の教えの実践である。
宗教に関する本というのは、顕正会にしても、SGI(創価学会インターナショナル)会長池田太作の「人間革命」にしろ、幸福の科学にしろ、オウム真理教にしろ、崇教真光やエホバにしてもその辺の拝み屋にしろその教えは参考になるのは確か。
宗教の教えを、初めから訝しがって読めば胡散臭さしか残らない。要は、読み手側が感ずる部分を読み取って、己の生き方の参考に出来るか否かが大事というだけ。何事も信じ過ぎたり、信奉し過ぎるとロクなことはないので御注意為れたい(笑)
チラシの最後には、「今世界は核兵器使用の第三次世界大戦の瀬戸際にあり、人類は滅亡の危機に瀕している。この国に大慈大悲・絶大威徳の御本仏ましますを無視し、背き続けた故に今日本は亡国を招かんとしている」「今こそ全日本人は、大慈大悲・絶大遺徳の日蓮大聖人に帰依し奉り、国立戒壇を建立して金剛不壊の仏国を築かなければならない。残された時間は少ない」と、政治を絡めてたのは興醒めした。
結局、新興宗教の悪い処というのは、人の不安を煽り人の心に付け込むことだ。まあ、日蓮の手法の継承でもあるとも言えるが、抑々「全日本人」とは何とも意味深な言い回しで、顕正会会長の浅井昭衞が何処と無く池田太作にも見えなくもない。
信者とは「信」じる「者」と書くが、合わせれば「儲」かるという字になる。つまり、宗教というのは「信じる者」が多ければ多いほど「儲かる」のだ(笑)
信じる者というのは何も宗教に限らない。「取り敢えず9条改正」だとか「亡国の危機」などと不安を煽って売文してる営業保守にも言えることだが。呵呵。
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「日蓮宗」は宗教というより日蓮大聖人の教えの実践であり、軍人や右翼人の中にも信奉者は多い。別に日蓮宗の信者ではないが、日蓮上人が立派だと思うのは、弾圧されて流罪になっても決して挫けることなくその信念を通し続けたことだ。
未曽有の国難を感じ取った日蓮は「立正安国論」を以て、辻説法を手段として戦闘的な布教活動を展開する。折しもあれ、大蒙古(元と高麗連合軍)が我が国に襲来する時期でもあった。日蓮の予言は的中し、アジア大陸を支配していた蒙古軍が朝貢と従属を求め我が国に攻め入った。それが「文永の役」と「弘安の役」である。
顕正会や信者らは日蓮の大予言だというが、蒙古軍を撃退せしめたのは台風であって日蓮が追い返した訳ではない。時勢を知ってれば大陸からの侵略は有り得ることで、二度の襲来を台風の時期に計画した蒙古軍の驕りが招いた軽挙妄動だろう(笑)
「法華経の肝心たる三大秘法を立てなければ、この国必ず他国侵逼の大難を受ける」と、民衆を扇動したことが幕府から咎められ、日蓮は死罪が執行される。
文永8年9月12日、日蓮は竜の口刑場の「頸の座」に座し、大太刀が振り下ろされんとしたその刹那、「月の如く光たる物」が突如出現した。太刀取りはその場で倒れ、数百人の兵士が逃げ出し、皆悉く砂浜に平伏してしまったという。
これは単純に、雷がその場に落ちたというだけだろう。こうしたことを日蓮の神懸り、絶大遺徳と持ち上げるから、宗教というのは胡散臭いとなってしまう。
結局、日蓮は佐渡の地に流罪となる。佐渡で書き上げた「開目抄」は文字通り、日蓮の開眼の書である。この時、日蓮51歳。当時の51歳といえば晩年である。
「我れ、日本の柱とならん。我れ、日本の眼目とならん。我れ、日本の大船とならん等と誓いし願破るべからず」との言葉通り、激しい使命感と捨て身の覚悟が、偉大な宗教家たらしめたのである。日蓮宗とは正に日蓮大聖人の教えの実践である。
宗教に関する本というのは、顕正会にしても、SGI(創価学会インターナショナル)会長池田太作の「人間革命」にしろ、幸福の科学にしろ、オウム真理教にしろ、崇教真光やエホバにしてもその辺の拝み屋にしろその教えは参考になるのは確か。
宗教の教えを、初めから訝しがって読めば胡散臭さしか残らない。要は、読み手側が感ずる部分を読み取って、己の生き方の参考に出来るか否かが大事というだけ。何事も信じ過ぎたり、信奉し過ぎるとロクなことはないので御注意為れたい(笑)
チラシの最後には、「今世界は核兵器使用の第三次世界大戦の瀬戸際にあり、人類は滅亡の危機に瀕している。この国に大慈大悲・絶大威徳の御本仏ましますを無視し、背き続けた故に今日本は亡国を招かんとしている」「今こそ全日本人は、大慈大悲・絶大遺徳の日蓮大聖人に帰依し奉り、国立戒壇を建立して金剛不壊の仏国を築かなければならない。残された時間は少ない」と、政治を絡めてたのは興醒めした。
結局、新興宗教の悪い処というのは、人の不安を煽り人の心に付け込むことだ。まあ、日蓮の手法の継承でもあるとも言えるが、抑々「全日本人」とは何とも意味深な言い回しで、顕正会会長の浅井昭衞が何処と無く池田太作にも見えなくもない。
信者とは「信」じる「者」と書くが、合わせれば「儲」かるという字になる。つまり、宗教というのは「信じる者」が多ければ多いほど「儲かる」のだ(笑)
信じる者というのは何も宗教に限らない。「取り敢えず9条改正」だとか「亡国の危機」などと不安を煽って売文してる営業保守にも言えることだが。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2023年11月29日
公明党が政権与党入りした30年は政治劣化の30年でもある
我が国最大の国賊でもある創価学会インターナショナル(SGI)会長で創価学会名誉会長の池田太作が老衰で死去。岸田文雄首相は憲法第20条も何のその、創価学会本部に出向いて弔意を捧げた。自公連立を続ける意思表示だが、公明党=創価学会から支援・推薦を受けたがる自民党議員とは池田太作の犬というのが相応しい。
昭和5年、日蓮大聖人の仏法を信仰する新興宗教の創価学会は、昭和27年に東京都認可の宗教法人となり「折伏大行進」を行い勢力を拡大して行った。昭和30年に政界進出を目的として「文化部」を創立し、同年行われた統一地方選挙に於いて、首都圏で合計53議席獲得。翌年には国政に進出し、参議院議員で3議席を獲得した。
昭和35(1960)年、池田太作が第三代創価学会会長に就くと、その翌年に政治局を設立し、次いで政治団体としての「公明政治連盟」が設けられた。昭和38年の東京都議選では、公明政治連盟公認候補が17議席を獲得して第3党となっている。
池田は「宗教と政治は次元が異なる」との認識を示し、公明政治連盟は独立した政治団体(公明党)となり、創価学会は支持団体、推薦団体として自らを位置付けた。現憲法下での政教分離を念頭に「宗教と政治の分離」を宣言している。
「政治と宗教」という観点から、池田太作批判と創価学会批判は絶えない。代表的なものは評論家・藤原弘達の著書「創価学会を斬る」だろう。この本の出版中止を、公明党が当時の自民党幹事長・田中角栄に働きかけていたことが暴露されている。
「創価学会を斬る」の出版妨害と角栄への介入に関して、創価学会総会で池田が事件を謝罪したのを機に、公明党と創価学会は政教分離を徹底することになる。
公明党と自民党との癒着に批判が集まったことから「社公民路線」が深まり、創価学会と日本共産党の間で「創共協定」が結ばれたり、徐々に左傾化して行く。
他方、昭和47(1972)年の田中角栄政権の日中国交回復では、その地均しとして公明党が先兵となった。中国共産党の出先機関でもある公明党との連立は百害あって一利なし。池田太作が中国共産党から尊敬されるのは日中友好の功労者だから。
政治の混乱から、所謂「55年体制」が崩壊し自民党が下野することとなった。自民党を離党し、自由党党首となった小沢一郎と公明党市川雄一書記長の(一・一ライン)関係が構築されると、小渕恵三内閣で自自公連立政権が誕生する。
平成5(1993)年、新党ブームが席巻し細川護熙政権が誕生。政権には公明党も参画し4人の閣僚を送り込んだ。新進党の発足に多くの公明党議員が参加したことで公明党は暫定的に分党するが、新進党が瓦解すると平成10年には再結成された。
公明党の与党入りに危機感を覚えた自民党は、機関紙「自由新報」に於いて、「シリーズ新進党=創価学会ウオッチング」を連載した自民党だったが、公明党に謝罪し「反創価学会キャンペーン」は停止された。自公連立の布石と考えられる。
自民党内に於いて公明党に秋波を送る雰囲気がある中で、自民党内に反創価学会の「憲法20条を考える会(会長亀井静香、後に白川勝彦)」が結成され、更には「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会(通称・四月会)」が結成された。
細川辞任後、羽田孜政権では一線を画していた社民党や新党さきがけの議員も参加したが、後に自民党に政権を奪われることとなるとは夢にも思わなかっただろう。
首班には自民党河野洋平総裁ではなく、村山富市が指名されたのは吃驚仰天。「自社さ」連立政権は、反創価学会と言われた「四月会政権」では公明党を排除。
平成10(1998)年、自社さ政権が瓦解。自民党は公明党へ接近すると翌年には公明党は小渕政権への参加に至る。自公連立は正に自民党劣化の起点でもあった。
今や行政に共産主義が入り込み、「男女共同参画社会」「ジェンダーフリー」「SDGs」「人権擁護法案」「協働・共生社会」「外国人参政権」「外国人住民基本法案」「選択的夫婦別姓」「戸籍法廃止」、極め付けは「女性天皇容認論」と「女性宮家」の創設等等、次から次へと左翼陣営に因る国體破壊への策謀が氾濫している。
こうした売国法案を、行政側への共産主義の介入を奨めたのは日本共産党や立憲民主党などではなく、保守を自任するべき自民党が推進して成立させたのは実にマヌケと言わざるを得ず、更には反国家勢力でもある公明党が率先して謀っている。
細川政権下、「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」の改革四法案が成立している。小選挙区制度と政党交付金は政治劣化の元凶であり、正しく公明党の政権与党入りは政治劣化の30年と言える。
公明党は自自公連立政権を皮切りに、約30年に亘って政権に喰らい付いて来た。自民党議員が創価学会票に期待するが、創価学会の集票力は年々減少傾向にある。
創価学会票を当てにする自民党議員は恥を知るべきだ。次期総選挙では自公連立政権に対して、コアな自民党支持層と保守派が三下り半を突き付けるだろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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昭和5年、日蓮大聖人の仏法を信仰する新興宗教の創価学会は、昭和27年に東京都認可の宗教法人となり「折伏大行進」を行い勢力を拡大して行った。昭和30年に政界進出を目的として「文化部」を創立し、同年行われた統一地方選挙に於いて、首都圏で合計53議席獲得。翌年には国政に進出し、参議院議員で3議席を獲得した。
昭和35(1960)年、池田太作が第三代創価学会会長に就くと、その翌年に政治局を設立し、次いで政治団体としての「公明政治連盟」が設けられた。昭和38年の東京都議選では、公明政治連盟公認候補が17議席を獲得して第3党となっている。
池田は「宗教と政治は次元が異なる」との認識を示し、公明政治連盟は独立した政治団体(公明党)となり、創価学会は支持団体、推薦団体として自らを位置付けた。現憲法下での政教分離を念頭に「宗教と政治の分離」を宣言している。
「政治と宗教」という観点から、池田太作批判と創価学会批判は絶えない。代表的なものは評論家・藤原弘達の著書「創価学会を斬る」だろう。この本の出版中止を、公明党が当時の自民党幹事長・田中角栄に働きかけていたことが暴露されている。
「創価学会を斬る」の出版妨害と角栄への介入に関して、創価学会総会で池田が事件を謝罪したのを機に、公明党と創価学会は政教分離を徹底することになる。
公明党と自民党との癒着に批判が集まったことから「社公民路線」が深まり、創価学会と日本共産党の間で「創共協定」が結ばれたり、徐々に左傾化して行く。
他方、昭和47(1972)年の田中角栄政権の日中国交回復では、その地均しとして公明党が先兵となった。中国共産党の出先機関でもある公明党との連立は百害あって一利なし。池田太作が中国共産党から尊敬されるのは日中友好の功労者だから。
政治の混乱から、所謂「55年体制」が崩壊し自民党が下野することとなった。自民党を離党し、自由党党首となった小沢一郎と公明党市川雄一書記長の(一・一ライン)関係が構築されると、小渕恵三内閣で自自公連立政権が誕生する。
平成5(1993)年、新党ブームが席巻し細川護熙政権が誕生。政権には公明党も参画し4人の閣僚を送り込んだ。新進党の発足に多くの公明党議員が参加したことで公明党は暫定的に分党するが、新進党が瓦解すると平成10年には再結成された。
公明党の与党入りに危機感を覚えた自民党は、機関紙「自由新報」に於いて、「シリーズ新進党=創価学会ウオッチング」を連載した自民党だったが、公明党に謝罪し「反創価学会キャンペーン」は停止された。自公連立の布石と考えられる。
自民党内に於いて公明党に秋波を送る雰囲気がある中で、自民党内に反創価学会の「憲法20条を考える会(会長亀井静香、後に白川勝彦)」が結成され、更には「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会(通称・四月会)」が結成された。
細川辞任後、羽田孜政権では一線を画していた社民党や新党さきがけの議員も参加したが、後に自民党に政権を奪われることとなるとは夢にも思わなかっただろう。
首班には自民党河野洋平総裁ではなく、村山富市が指名されたのは吃驚仰天。「自社さ」連立政権は、反創価学会と言われた「四月会政権」では公明党を排除。
平成10(1998)年、自社さ政権が瓦解。自民党は公明党へ接近すると翌年には公明党は小渕政権への参加に至る。自公連立は正に自民党劣化の起点でもあった。
今や行政に共産主義が入り込み、「男女共同参画社会」「ジェンダーフリー」「SDGs」「人権擁護法案」「協働・共生社会」「外国人参政権」「外国人住民基本法案」「選択的夫婦別姓」「戸籍法廃止」、極め付けは「女性天皇容認論」と「女性宮家」の創設等等、次から次へと左翼陣営に因る国體破壊への策謀が氾濫している。
こうした売国法案を、行政側への共産主義の介入を奨めたのは日本共産党や立憲民主党などではなく、保守を自任するべき自民党が推進して成立させたのは実にマヌケと言わざるを得ず、更には反国家勢力でもある公明党が率先して謀っている。
細川政権下、「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」の改革四法案が成立している。小選挙区制度と政党交付金は政治劣化の元凶であり、正しく公明党の政権与党入りは政治劣化の30年と言える。
公明党は自自公連立政権を皮切りに、約30年に亘って政権に喰らい付いて来た。自民党議員が創価学会票に期待するが、創価学会の集票力は年々減少傾向にある。
創価学会票を当てにする自民党議員は恥を知るべきだ。次期総選挙では自公連立政権に対して、コアな自民党支持層と保守派が三下り半を突き付けるだろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2023年11月28日
政治資金パーティーを続けてるなら「政党交付金」を廃止しなさいな!
総務省は2022年分の政治資金収支報告書を公表した。刮目すべきは増加したという政党の政治資金パーティーである。岸田文雄首相や閣僚11人は1000万円以上集める「特定パーティー」を開催しているが、大規模な政治資金パーティーを禁ずる大臣規範に抵触する。だが、大臣規範に罰則規定は無く、空文化状態、穴だらけ。
政治資金規正法では政治資金パーティーを認めている。パーティー券の購入額が20万円以下なら名前の記載は不要。自民党5派閥の政治資金パーティーの不記載は報告書の訂正で問題無し。だが、政治資金規正法と政党助成法との矛盾は明らか。
政党助成法に拠る「政党交付金」は政治献金禁止の代償であるが、未だに企業献金や政治資金パーティーを続けてるのは如何なものか。国民への約束を反故し、未だに企業や団体からの献金を続けていることは国民への詐欺行為そのものである。
政党交付金(政党助成金)制度は、リクルート事件やゼネコン汚職事件などの汚職事件で、企業や団体などから政治家への資金提供が問題視されたことを理由に、平成6年の細川政権の際に導入したもで、所謂「政治改革四法」の目玉の一つである。
政治改革四法とは「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」。小選挙区比例並立制と政党交付金制度は政治劣化の元凶となっている。この名ばかりの改革四法案の見直しなくして真の政治改革は無い。
政党交付金の目的は「企業・労働組合・団体から政党・政治団体への政治献金を制限する代償」だが、「禁止」ではなく「制限」としているところがミソか(苦笑)
無自覚左翼のバカ殿・細川護煕は「ドイツでは国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」と国民に説明し、政治とカネの問題解決として政党助成法を成立させた。
国民の誰もが政党助成法の成立で企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと思った。だが、クリーンな政治どころか、国政そっちのけで企業・団体献金や個人献金とカネ集めに狂奔している。
政党交付金は、国民一人当たり約250円。国民総額約320億円。国会議員一人当たり約5000万円が配られる計算で、導入から9兆円以上が政治家に渡っている。
議員には歳費として年間2300万円、文書交通費1200万円、公設秘書の給料や議員会館、議員宿舎など年間合わせて1億円以上の国費が支払われる。政治活動には十分な金額だろうが、政治家どもの金銭欲は凄まじく留まるところを知らない。
政党交付金制度が企業、労働組合、団体からの政治献金禁止の代償であるのに、政治献金パーティーが無くならない現状は国民への裏切りであり、降り込め詐欺と同じ政党交付金詐欺である。物価高騰で喘いでいる国民をどれだけ蔑ろにするのか。
政党交付金は「政治活動の自由」との観点から使途には制限も無ければ、立法事務費の報告義務や党解散時の返納義務もない。法を作る側に立つ国会議員が「合法的なら」とか「法律の範囲内なら」と法を巧妙に抜けて遣りたい放題し放題。
政党交付金をネコババしたといえば小沢一郎。小沢は「新生党」と「自由党」解党時の交付金23億円を着服し不動産を購入。小沢が立憲民主党と国民民主党の合併に躍起になっていたのも、国民民主党の約80億円と言われる政党交付金目当て。
正に「政党助成法」は国民をバカにした法律であり、小沢一郎の政治とカネの問題は、本を糺せばこの政党交付金の在り方を論じなければならない問題だった。
相変わらず国会議員らは企業献金やら個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔している。これ即ち「クリーンな政治を実現する」という趣旨からも逸脱しており、国民への裏切りである政党交付金は即時廃止するべきだ。
日本共産党は、政党助成法に反対する立場から政党交付金は受け取らない。敵乍ら大したものだ。交付金を受取る政党と受取らない政党が存在している現状は「法の下の平等」とは程遠いものだ。受取らない日本共産党が何故か立派に見える。
「政治にはカネがかかる」という。国会議員の秘書は、如何にカネを集められるかで有能かどうか判断されるという。任侠道とは程遠い現代ヤクザは、金儲けが上手いかどうかでヤクザとしての器量が分かるらしいが、「ヤクザをやるのはカネがかかる」というのと「政治にはカネがかかる」という言い訳は、同義語だろうな。苦笑。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
政治資金規正法では政治資金パーティーを認めている。パーティー券の購入額が20万円以下なら名前の記載は不要。自民党5派閥の政治資金パーティーの不記載は報告書の訂正で問題無し。だが、政治資金規正法と政党助成法との矛盾は明らか。
政党助成法に拠る「政党交付金」は政治献金禁止の代償であるが、未だに企業献金や政治資金パーティーを続けてるのは如何なものか。国民への約束を反故し、未だに企業や団体からの献金を続けていることは国民への詐欺行為そのものである。
政党交付金(政党助成金)制度は、リクルート事件やゼネコン汚職事件などの汚職事件で、企業や団体などから政治家への資金提供が問題視されたことを理由に、平成6年の細川政権の際に導入したもで、所謂「政治改革四法」の目玉の一つである。
政治改革四法とは「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」。小選挙区比例並立制と政党交付金制度は政治劣化の元凶となっている。この名ばかりの改革四法案の見直しなくして真の政治改革は無い。
政党交付金の目的は「企業・労働組合・団体から政党・政治団体への政治献金を制限する代償」だが、「禁止」ではなく「制限」としているところがミソか(苦笑)
無自覚左翼のバカ殿・細川護煕は「ドイツでは国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」と国民に説明し、政治とカネの問題解決として政党助成法を成立させた。
国民の誰もが政党助成法の成立で企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと思った。だが、クリーンな政治どころか、国政そっちのけで企業・団体献金や個人献金とカネ集めに狂奔している。
政党交付金は、国民一人当たり約250円。国民総額約320億円。国会議員一人当たり約5000万円が配られる計算で、導入から9兆円以上が政治家に渡っている。
議員には歳費として年間2300万円、文書交通費1200万円、公設秘書の給料や議員会館、議員宿舎など年間合わせて1億円以上の国費が支払われる。政治活動には十分な金額だろうが、政治家どもの金銭欲は凄まじく留まるところを知らない。
政党交付金制度が企業、労働組合、団体からの政治献金禁止の代償であるのに、政治献金パーティーが無くならない現状は国民への裏切りであり、降り込め詐欺と同じ政党交付金詐欺である。物価高騰で喘いでいる国民をどれだけ蔑ろにするのか。
政党交付金は「政治活動の自由」との観点から使途には制限も無ければ、立法事務費の報告義務や党解散時の返納義務もない。法を作る側に立つ国会議員が「合法的なら」とか「法律の範囲内なら」と法を巧妙に抜けて遣りたい放題し放題。
政党交付金をネコババしたといえば小沢一郎。小沢は「新生党」と「自由党」解党時の交付金23億円を着服し不動産を購入。小沢が立憲民主党と国民民主党の合併に躍起になっていたのも、国民民主党の約80億円と言われる政党交付金目当て。
正に「政党助成法」は国民をバカにした法律であり、小沢一郎の政治とカネの問題は、本を糺せばこの政党交付金の在り方を論じなければならない問題だった。
相変わらず国会議員らは企業献金やら個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔している。これ即ち「クリーンな政治を実現する」という趣旨からも逸脱しており、国民への裏切りである政党交付金は即時廃止するべきだ。
日本共産党は、政党助成法に反対する立場から政党交付金は受け取らない。敵乍ら大したものだ。交付金を受取る政党と受取らない政党が存在している現状は「法の下の平等」とは程遠いものだ。受取らない日本共産党が何故か立派に見える。
「政治にはカネがかかる」という。国会議員の秘書は、如何にカネを集められるかで有能かどうか判断されるという。任侠道とは程遠い現代ヤクザは、金儲けが上手いかどうかでヤクザとしての器量が分かるらしいが、「ヤクザをやるのはカネがかかる」というのと「政治にはカネがかかる」という言い訳は、同義語だろうな。苦笑。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2023年11月27日
再生可能エネルギーの太陽光発電に因る山林開発を憂う
我が国が目指すべきは技術立国である。愚生は日本の技術力を信じてる故に原発再稼働は当然のことながら、CO2も高レベル放射性廃棄物を発生させない核融合炉こそ日本を救う技術であり、実現すれば世界から尊敬されることだろう。高速増殖炉原型炉「もんじゅ」を予算的都合で頓挫させた失敗を繰り返してはならない。
太陽光発電を謀る反原発派は「原発を稼働しなくても電力は足りている」と叫んで憚らないが、産業振興に伴う電力不足の不安は大きく、原発事故以来、化石燃料に頼ったツケが我が国経済に大きく圧し掛かっていることにはダンマリを極め込む。
原発再稼働をしないことで、余計な経費が加算されたことを無視して都合の好い切り貼り報道ばかり。原発停止に伴う火力発電に使われる液化天然ガスや、太陽光パネルに使われる半導体等電子部品、石油製品の輸入増加で貿易収支は赤字続き。
再生可能エネルギーは業者にとってはコストも低いし儲かるが、国民からすれば思うほど安価ではない。国は「再エネ発電賦課金」という現実を無視して2030年度には発電全体の36~38%を再生可能エネルギーで賄うことを目標に掲げる。
同時に原子力を現行の20~22%を維持するというが、数値目標が逆だわな。安心安全な原発こそ推進すべきで、カーボンニュートラルというなら尚更だろう。温室効果ガス排出量を2013年度比で46%削減する方針を表明したのは小泉進次郎。
「“46”という数字が朧気ながら浮かんできたんです」などと、経済産業大臣の管轄であるエネルギー基本計画の根幹に関わる数値を単なる思いつきで発言した環境大臣の主張は、やはり小泉一族に入る「太陽光マネー」が転がり込むからか。
自民党総裁選挙では河野太郎が「核燃料サイクル(プルサーマル)」について「なるべく早く手仕舞いすべきだ」と述べ、国民を誑かし巧妙に脱原発を謀り、再生可能エネルギーを推進したのは、河野一族の「日本端子」の存在があったからだ。日本端子は太陽光パネル関連事業でも収入を上げていることが何よりの証拠だろう。
政府のエネルギー基本計画の目標達成の為には、メガソーラー発電所や風力発電施設を乱立させるしかない。「水素エネルギー」は魅力的ではあるが、蓄電池は太陽光発電や風力という不安定な電源と組み合わせないと主力電源になり得ない。
福島原発事故に伴い、国際的に再生可能エネルギー(再エネ)が礼賛実行され、恰も世界中が再エネで電力の全てを賄えるかの様な錯覚に陥っているが、太陽光の比率が13%を超えると、巨大バッテリーなどの蓄電・蓄エネが必要となる。
風力発電の発電機や電気自動車のモーターには強力な永久磁石が必要で、レアースと呼ばれるネオジム(金属元素)などが欠かせない。電気自動車にはリチウムイオン電池などの蓄電池が必要である。リチウム、コバルト、ニッケル、黒鉛、レアアースなど重要鉱物資源は中共が支配する。尖閣問題もレアアースを抜きに語れない。
専門家は「仮に送電線を柏崎から東京に引くと1.2兆円ものコストがかかる。北海道から九州まで送電線を敷設し直したらそれこそ数十兆円を超える莫大なコストが必要となる。そのコストは当然電気料金の更なる高騰を招く」と語っている。
太陽光発電の事業者やパネルメーカーは儲かるだろうが、国民からすれば再生可能エネルギーは安価ではない。というのも、再生可能エネルギー施設が増設されればされるほど一般家庭への再エネ発電賦課金という負担金は殖え続けるからだ。
太陽光パネルの発電シェアは僅か8%しかない。それなのに再エネ発電促進賦課金から、契約期間の20年間で総額60兆円が太陽光発電会社に支払われるという。
仮に太陽光など変動再エネで80%、水力とバイオマス(木材、パーム油など)で20%の電力を供給するとなると600兆円のコストが掛かる。更に電力消費量が増える昼間に電力を蓄える設備も必要となり、別途400兆円が追加されるという。我が国の国家予算の10年分に相当する約1000兆円の設備投資は必要とは思わない。
原発67基分に相当する67GWの太陽光パネルを世界一の密度で日本全土に敷き詰めたのに、我が国のCO2排出量は実質4%しか減っていない。なのに太陽光発電に拘るのは何故なのか。太陽光マネーは断じられた原発マネーより胡散臭げだ。
ドイツは再エネ比率40%に達し「再エネ先進国」と礼賛されてるが、その実は石炭や天然ガスを多量に使うCO2排出大国でもある。バイオマスでの高い比率は、インドネシアやマレーシアなどの熱帯雨林を伐採した木材チップの輸入によって齎されている。再エネ先進国の裏で膨大な熱帯雨林を伐採する環境破壊を謀っている。
日射を吸収した熱帯林から大気に放出する水蒸気は広い地域の降水の源でもある。熱帯林の伐採でオラウータンなどの多くの動物の住処が破壊されて行く。伐採後の森林は火が放たれて灰燼となっている悲しい現実から目を背けてはならない。
先の静岡県熱海の土石流事故は、線状降水帯の大雨に重なってメガソーラー施設からの雨水が盛土だった谷川に流失し大惨事を引き起こした「人災」だったのは明らか。メガソーラー発電なんぞ豊かな森林を切り倒してまでやる意味が分からない。
原発事故の放射線で死んだ人はいないが、「高が電気の為に命を犠牲にしてはならない」と叫んだ反原発派は、今回の熱海の大惨事をどう感じているのだろう。
原発稼働停止により、全国的に買い漁られた土地が切り崩され、太陽光パネルが敷き詰められてる光景にこそ営利至上主義であり、太陽光エネルギー事業で伐採された森林も、バブル崩壊で荒れたゴルフ場と同じく元の姿に戻ることは無い。
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太陽光発電を謀る反原発派は「原発を稼働しなくても電力は足りている」と叫んで憚らないが、産業振興に伴う電力不足の不安は大きく、原発事故以来、化石燃料に頼ったツケが我が国経済に大きく圧し掛かっていることにはダンマリを極め込む。
原発再稼働をしないことで、余計な経費が加算されたことを無視して都合の好い切り貼り報道ばかり。原発停止に伴う火力発電に使われる液化天然ガスや、太陽光パネルに使われる半導体等電子部品、石油製品の輸入増加で貿易収支は赤字続き。
再生可能エネルギーは業者にとってはコストも低いし儲かるが、国民からすれば思うほど安価ではない。国は「再エネ発電賦課金」という現実を無視して2030年度には発電全体の36~38%を再生可能エネルギーで賄うことを目標に掲げる。
同時に原子力を現行の20~22%を維持するというが、数値目標が逆だわな。安心安全な原発こそ推進すべきで、カーボンニュートラルというなら尚更だろう。温室効果ガス排出量を2013年度比で46%削減する方針を表明したのは小泉進次郎。
「“46”という数字が朧気ながら浮かんできたんです」などと、経済産業大臣の管轄であるエネルギー基本計画の根幹に関わる数値を単なる思いつきで発言した環境大臣の主張は、やはり小泉一族に入る「太陽光マネー」が転がり込むからか。
自民党総裁選挙では河野太郎が「核燃料サイクル(プルサーマル)」について「なるべく早く手仕舞いすべきだ」と述べ、国民を誑かし巧妙に脱原発を謀り、再生可能エネルギーを推進したのは、河野一族の「日本端子」の存在があったからだ。日本端子は太陽光パネル関連事業でも収入を上げていることが何よりの証拠だろう。
政府のエネルギー基本計画の目標達成の為には、メガソーラー発電所や風力発電施設を乱立させるしかない。「水素エネルギー」は魅力的ではあるが、蓄電池は太陽光発電や風力という不安定な電源と組み合わせないと主力電源になり得ない。
福島原発事故に伴い、国際的に再生可能エネルギー(再エネ)が礼賛実行され、恰も世界中が再エネで電力の全てを賄えるかの様な錯覚に陥っているが、太陽光の比率が13%を超えると、巨大バッテリーなどの蓄電・蓄エネが必要となる。
風力発電の発電機や電気自動車のモーターには強力な永久磁石が必要で、レアースと呼ばれるネオジム(金属元素)などが欠かせない。電気自動車にはリチウムイオン電池などの蓄電池が必要である。リチウム、コバルト、ニッケル、黒鉛、レアアースなど重要鉱物資源は中共が支配する。尖閣問題もレアアースを抜きに語れない。
専門家は「仮に送電線を柏崎から東京に引くと1.2兆円ものコストがかかる。北海道から九州まで送電線を敷設し直したらそれこそ数十兆円を超える莫大なコストが必要となる。そのコストは当然電気料金の更なる高騰を招く」と語っている。
太陽光発電の事業者やパネルメーカーは儲かるだろうが、国民からすれば再生可能エネルギーは安価ではない。というのも、再生可能エネルギー施設が増設されればされるほど一般家庭への再エネ発電賦課金という負担金は殖え続けるからだ。
太陽光パネルの発電シェアは僅か8%しかない。それなのに再エネ発電促進賦課金から、契約期間の20年間で総額60兆円が太陽光発電会社に支払われるという。
仮に太陽光など変動再エネで80%、水力とバイオマス(木材、パーム油など)で20%の電力を供給するとなると600兆円のコストが掛かる。更に電力消費量が増える昼間に電力を蓄える設備も必要となり、別途400兆円が追加されるという。我が国の国家予算の10年分に相当する約1000兆円の設備投資は必要とは思わない。
原発67基分に相当する67GWの太陽光パネルを世界一の密度で日本全土に敷き詰めたのに、我が国のCO2排出量は実質4%しか減っていない。なのに太陽光発電に拘るのは何故なのか。太陽光マネーは断じられた原発マネーより胡散臭げだ。
ドイツは再エネ比率40%に達し「再エネ先進国」と礼賛されてるが、その実は石炭や天然ガスを多量に使うCO2排出大国でもある。バイオマスでの高い比率は、インドネシアやマレーシアなどの熱帯雨林を伐採した木材チップの輸入によって齎されている。再エネ先進国の裏で膨大な熱帯雨林を伐採する環境破壊を謀っている。
日射を吸収した熱帯林から大気に放出する水蒸気は広い地域の降水の源でもある。熱帯林の伐採でオラウータンなどの多くの動物の住処が破壊されて行く。伐採後の森林は火が放たれて灰燼となっている悲しい現実から目を背けてはならない。
先の静岡県熱海の土石流事故は、線状降水帯の大雨に重なってメガソーラー施設からの雨水が盛土だった谷川に流失し大惨事を引き起こした「人災」だったのは明らか。メガソーラー発電なんぞ豊かな森林を切り倒してまでやる意味が分からない。
原発事故の放射線で死んだ人はいないが、「高が電気の為に命を犠牲にしてはならない」と叫んだ反原発派は、今回の熱海の大惨事をどう感じているのだろう。
原発稼働停止により、全国的に買い漁られた土地が切り崩され、太陽光パネルが敷き詰められてる光景にこそ営利至上主義であり、太陽光エネルギー事業で伐採された森林も、バブル崩壊で荒れたゴルフ場と同じく元の姿に戻ることは無い。
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2023年11月26日
酒に酔っ払った心地好さは下戸には分かるまい(笑)
厚生労働省は、飲酒に伴うリスクを周知し、アルコールに因る健康被害を防止する為のガイドラインを取り纏めた。喫煙もそうだが、嗜好を禁ずることでのストレスなどの弊害は少なくなく、如何にも健康オタクの木っ端役人が考えそうな内容だ。
朝っぱなから酒の話しで申し訳ないが、「酒は二合が適量」ということから会津では、毎月25日を「会津清酒の日」としている。また「乾杯の際には先ずは地元の日本酒で」ということで、「乾杯条例」なるものも施行されてる自治体も在る。
会津地方は酒蔵が多い。「会津中将」という日本酒がある。てっきり、会津出身の陸軍中将・柴五郎(後に陸軍大将)に肖ったのかと思いきや、会津藩主・松平容保公が万延元年に左近衛権中将に転任したことに由来した名前だと知った。
会津の「花春」や「栄川」「宮泉」といった酒蔵の社長の姓は「宮森」という。その昔、愚生の故郷・二本松小浜の実家近くに在った「宮森城」縁の氏でもある。
伊達政宗に追い遣られ会津に遁走し、いつしか酒蔵を営む様になったというが詳しい歴史は分からない。子孫らの「宮森顕彰会」が例年、祭法要などを営んでいる。
以前は特別純米を好んで飲んでたが、今はお気に入りの地酒の純米吟醸を錫のチロリに注いでチビリチビリやっている。酒類はそこいらの居酒屋よりも揃えている。
酒肴は貧弱だが、家飲みだと酒代が安いから酒は極上。日本酒というのは飲み方も様々で、同じ日本酒でも熱燗と冷や(常温)、冷酒では味わいも変わってくる。
冷酒は「涼冷え(15度前後)」「花冷え(10度前後)」「雪冷え(5度前後)」。燗酒は「飛び切り燗(55度前後)」「熱燗(50度前後)」「上燗(45度前後)」「ぬる燗(40度前後)」「人肌燗(37度前後)」「日向燗(33度前後)」
日本酒というのは精米具合で純米、特別純米、純米吟醸、純米大吟醸と名称が変わり、純米酒を醸造用アルコールで割ると本醸造、吟醸、大吟醸などとなる。日本酒は色や香り、酸味や日本酒度で呼び方が違うというから実に奥が深い。
漢詩に「月下独酌」など浪漫を感じる飲酒詩が多いがチョッと敷居が高過ぎるが、盃に月や菊や桜の花弁を浮かべたりするのも乙なもの。歌心には乏しい愚生だが、それでもビールや焼酎、ウイスキーより、詩を詠むならやはり日本酒だろう。
最近はウイスキーを好んで飲むが、ジャパニーズウイスキーのレベルはかなり高く、イチローズモルトなんてのはプレミアが付いて入手困難。そのイチローズモルトが閉鎖に追い込まれそうになった際に救ったのが地元郡山市の笹の川酒造である。
笹の川酒造は元々はチェリーウイスキーで有名な酒蔵だが、「山桜15年ピュアモルト」を呑んでその美味さに感動。大手メーカーのウイスキーや高級スコッチと引けを取らない旨さで、日本酒の後はジャパニーズウイスキーを愉しんでいる。
ワインにしても日本産ワインのレベルは年々向上していて、フランス産をも凌ぐのは時間の問題だろう。「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」とは坂本龍馬だが、酔っ払った心地好さは下戸には分かるまい。
酒を飲まない人というのは人生の三分の二を損しているという。確かに、酒というのは失敗も多いが、酒で得るものの方が断然多い。ということで皆さんも、地元乍らの名酒を探してみては如何ですか?ああ、朝から飲みたくなってきたな。呵呵
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朝っぱなから酒の話しで申し訳ないが、「酒は二合が適量」ということから会津では、毎月25日を「会津清酒の日」としている。また「乾杯の際には先ずは地元の日本酒で」ということで、「乾杯条例」なるものも施行されてる自治体も在る。
会津地方は酒蔵が多い。「会津中将」という日本酒がある。てっきり、会津出身の陸軍中将・柴五郎(後に陸軍大将)に肖ったのかと思いきや、会津藩主・松平容保公が万延元年に左近衛権中将に転任したことに由来した名前だと知った。
会津の「花春」や「栄川」「宮泉」といった酒蔵の社長の姓は「宮森」という。その昔、愚生の故郷・二本松小浜の実家近くに在った「宮森城」縁の氏でもある。
伊達政宗に追い遣られ会津に遁走し、いつしか酒蔵を営む様になったというが詳しい歴史は分からない。子孫らの「宮森顕彰会」が例年、祭法要などを営んでいる。
以前は特別純米を好んで飲んでたが、今はお気に入りの地酒の純米吟醸を錫のチロリに注いでチビリチビリやっている。酒類はそこいらの居酒屋よりも揃えている。
酒肴は貧弱だが、家飲みだと酒代が安いから酒は極上。日本酒というのは飲み方も様々で、同じ日本酒でも熱燗と冷や(常温)、冷酒では味わいも変わってくる。
冷酒は「涼冷え(15度前後)」「花冷え(10度前後)」「雪冷え(5度前後)」。燗酒は「飛び切り燗(55度前後)」「熱燗(50度前後)」「上燗(45度前後)」「ぬる燗(40度前後)」「人肌燗(37度前後)」「日向燗(33度前後)」
日本酒というのは精米具合で純米、特別純米、純米吟醸、純米大吟醸と名称が変わり、純米酒を醸造用アルコールで割ると本醸造、吟醸、大吟醸などとなる。日本酒は色や香り、酸味や日本酒度で呼び方が違うというから実に奥が深い。
漢詩に「月下独酌」など浪漫を感じる飲酒詩が多いがチョッと敷居が高過ぎるが、盃に月や菊や桜の花弁を浮かべたりするのも乙なもの。歌心には乏しい愚生だが、それでもビールや焼酎、ウイスキーより、詩を詠むならやはり日本酒だろう。
最近はウイスキーを好んで飲むが、ジャパニーズウイスキーのレベルはかなり高く、イチローズモルトなんてのはプレミアが付いて入手困難。そのイチローズモルトが閉鎖に追い込まれそうになった際に救ったのが地元郡山市の笹の川酒造である。
笹の川酒造は元々はチェリーウイスキーで有名な酒蔵だが、「山桜15年ピュアモルト」を呑んでその美味さに感動。大手メーカーのウイスキーや高級スコッチと引けを取らない旨さで、日本酒の後はジャパニーズウイスキーを愉しんでいる。
ワインにしても日本産ワインのレベルは年々向上していて、フランス産をも凌ぐのは時間の問題だろう。「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」とは坂本龍馬だが、酔っ払った心地好さは下戸には分かるまい。
酒を飲まない人というのは人生の三分の二を損しているという。確かに、酒というのは失敗も多いが、酒で得るものの方が断然多い。ということで皆さんも、地元乍らの名酒を探してみては如何ですか?ああ、朝から飲みたくなってきたな。呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2023年11月25日
今こそ三島・森田の精神を想起し、祖国日本の恢復を急ぐべし!
昭和45年11月25日、三島由紀夫(当時45歳)は楯の会のメンバー森田必勝(25歳)、小賀正義(22歳)、小川正洋(22歳)、古賀浩靖(23歳)の4名と共に市谷駐屯地総監室に籠城し、憲法改正の必要性を訴え、森田と共に割腹自殺を遂げた。
当時、愚生は小学生だったが翌日の新聞報道で事件の衝撃はよく記憶している。三島・森田の死から50年以上経ち、改めて現憲法の矛盾性と不条理、不当性に気付いた多くの国民は、安全保障の観点から現憲法の改正の必要性を感じている。
三島が訴えたかったのは、天皇の軍隊である皇軍であるべき自衛隊の存在を否定する憲法改正の訴えは単なる手段に過ぎず、真に訴えたかったのは「日本人を骨抜きにしてしまった現憲法」に対峙し、破毀することこそが主眼であったと確信する。
自決を前に、バルコニーでの渾身の演説が空しく響く。(以下転載)
《三 島 由 紀 夫 演 説 文》
私は、自衛隊に、この様な状況で話すのは空しい。
しかし乍ら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。
こういう事を考えたんだ。
しかし日本は、経済的繁栄に現を抜かして、
ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ………。
これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。
我々は、自衛隊に対して、日本人の………。然るにだ、
我々は自衛隊というものに心から………。 静聴せよ、静聴。静聴せい。
自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正して良い事はないぞ。
以上を我々が感じたからだ。
それは日本の根本が歪んでいるんだ。それを誰も気が付かないんだ。
日本の根源の歪みを気が付かない、それでだ、
その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。 静聴せい。静聴せい。
それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。
静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。
それでだ、去年の十月の二十一日だ。何が起こったか。
去年の十月二十一日に何が起こったか。
去年の十月二十一日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが行われて、
これが完全に警察力で制圧されたんだ。
俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、
これは憲法が改正されないと感じたんだ。
何故か。その日を何故か。それはだ、自民党というものはだ、
自民党というものはだ、
警察権力を以て如何なるデモも鎮圧できるという自信を持ったからだ。
治安出動は要らなくなったんだ。治安出動は要らなくなったんだ。
治安出動が要らなくなったのが、
既に憲法改正が不可能になったのだ。
分かるか、この理屈が………。
諸君は、去年の一〇・二一から後だ、
最早憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。
自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会は無いんだ。
もうそれは政治的プログラムから外されたんだ。
終には外されたんだ、それは。どうしてそれに気が付いてくれなかったんだ。
去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。
もうこれで憲法改正のチャンスはない!
自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!
それを私は最も嘆いていたんだ。
自衛隊にとって建軍の本義とは何だ。
日本を護る事。日本を護るとは何だ。
日本を護るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を護る事である。
お前ら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!
話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。
いいか。いいか。
それがだ、今日本人がだ、此処でもって立ち上がらなければ、
自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものは無いんだよ。
諸君は永久にだねえ、唯アメリカの軍隊になってしまうんだぞ。
諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。
シビリアン・コントロール………
シビリアン・コントロールに毒されてんだ。
シビリアン・コントロールというのはだな、
新憲法下で堪えるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。
………そこでだ、俺は四年待ったんだよ。
俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。
………そうした自衛隊の………最後の三十分に、
最後の三十分に………待ってるんだよ。
諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。
武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
どうして自分の否定する憲法のため、
自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。
これが在る限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、
諸君が合憲だかの如く装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。
自衛隊は違憲なんだ。貴様達も違憲だ。
憲法というものは、終に自衛隊というものは、
憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気が付かんのだ!
俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。
諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりに惑わされて、
本当に日本の為に立ち上がる時は無いんだ。
憲法の為に、日本を骨無しにした憲法に従って来た、という、事を知らないのか。
諸君の中に、一人でも俺と一緒に立つ奴はいないのか。
一人もいないんだな。
よし!武というものはだ、刀というものはなんだ。自分の使命………。
未だ諸君は憲法改正の為に立ち上がらないと、見極めが付いた。
これで、俺の自衛隊に対する夢は無くなったんだ。
それでは此処で、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。
天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!(転載終了)
旧来の思想や社会構造を打破しようとする時には常軌を逸した行動が生まれるというのが世の常でもある。三島由紀夫と森田必勝らの行動こそが正気の狂気である。
この狂気こそが祖国日本に圧し掛かる重苦しい閉塞感を打破する力に成り得るのである。 今こそ三島・森田の精神を想起し、祖国日本の真の恢復を急ぐべし!
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
当時、愚生は小学生だったが翌日の新聞報道で事件の衝撃はよく記憶している。三島・森田の死から50年以上経ち、改めて現憲法の矛盾性と不条理、不当性に気付いた多くの国民は、安全保障の観点から現憲法の改正の必要性を感じている。
三島が訴えたかったのは、天皇の軍隊である皇軍であるべき自衛隊の存在を否定する憲法改正の訴えは単なる手段に過ぎず、真に訴えたかったのは「日本人を骨抜きにしてしまった現憲法」に対峙し、破毀することこそが主眼であったと確信する。
自決を前に、バルコニーでの渾身の演説が空しく響く。(以下転載)
《三 島 由 紀 夫 演 説 文》
私は、自衛隊に、この様な状況で話すのは空しい。
しかし乍ら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。
こういう事を考えたんだ。
しかし日本は、経済的繁栄に現を抜かして、
ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ………。
これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。
我々は、自衛隊に対して、日本人の………。然るにだ、
我々は自衛隊というものに心から………。 静聴せよ、静聴。静聴せい。
自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正して良い事はないぞ。
以上を我々が感じたからだ。
それは日本の根本が歪んでいるんだ。それを誰も気が付かないんだ。
日本の根源の歪みを気が付かない、それでだ、
その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。 静聴せい。静聴せい。
それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。
静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。
それでだ、去年の十月の二十一日だ。何が起こったか。
去年の十月二十一日に何が起こったか。
去年の十月二十一日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが行われて、
これが完全に警察力で制圧されたんだ。
俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、
これは憲法が改正されないと感じたんだ。
何故か。その日を何故か。それはだ、自民党というものはだ、
自民党というものはだ、
警察権力を以て如何なるデモも鎮圧できるという自信を持ったからだ。
治安出動は要らなくなったんだ。治安出動は要らなくなったんだ。
治安出動が要らなくなったのが、
既に憲法改正が不可能になったのだ。
分かるか、この理屈が………。
諸君は、去年の一〇・二一から後だ、
最早憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。
自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会は無いんだ。
もうそれは政治的プログラムから外されたんだ。
終には外されたんだ、それは。どうしてそれに気が付いてくれなかったんだ。
去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。
もうこれで憲法改正のチャンスはない!
自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!
それを私は最も嘆いていたんだ。
自衛隊にとって建軍の本義とは何だ。
日本を護る事。日本を護るとは何だ。
日本を護るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を護る事である。
お前ら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!
話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。
いいか。いいか。
それがだ、今日本人がだ、此処でもって立ち上がらなければ、
自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものは無いんだよ。
諸君は永久にだねえ、唯アメリカの軍隊になってしまうんだぞ。
諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。
シビリアン・コントロール………
シビリアン・コントロールに毒されてんだ。
シビリアン・コントロールというのはだな、
新憲法下で堪えるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。
………そこでだ、俺は四年待ったんだよ。
俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。
………そうした自衛隊の………最後の三十分に、
最後の三十分に………待ってるんだよ。
諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。
武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
どうして自分の否定する憲法のため、
自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。
これが在る限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、
諸君が合憲だかの如く装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。
自衛隊は違憲なんだ。貴様達も違憲だ。
憲法というものは、終に自衛隊というものは、
憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気が付かんのだ!
俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。
諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりに惑わされて、
本当に日本の為に立ち上がる時は無いんだ。
憲法の為に、日本を骨無しにした憲法に従って来た、という、事を知らないのか。
諸君の中に、一人でも俺と一緒に立つ奴はいないのか。
一人もいないんだな。
よし!武というものはだ、刀というものはなんだ。自分の使命………。
未だ諸君は憲法改正の為に立ち上がらないと、見極めが付いた。
これで、俺の自衛隊に対する夢は無くなったんだ。
それでは此処で、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。
天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!(転載終了)
旧来の思想や社会構造を打破しようとする時には常軌を逸した行動が生まれるというのが世の常でもある。三島由紀夫と森田必勝らの行動こそが正気の狂気である。
この狂気こそが祖国日本に圧し掛かる重苦しい閉塞感を打破する力に成り得るのである。 今こそ三島・森田の精神を想起し、祖国日本の真の恢復を急ぐべし!
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2023年11月24日
パンダ外交を謀る公明党の山口那津男は中国共産党の第五列
訪中した公明党代表の山口那津男は、習近平の側近で序列第五位の蔡奇政治局常務委員と会談し「仙台市へのパンダの貸与」を提案した。山口は「被災地を勇気付ける。国民感情を和らげる非常に重要な効果がある」などと自説を垂れ流した。
公明党の党勢拡大に被災地やパンダを利用しようという魂胆が見え見え。「国民感情を和らげる」というが、処理水の海洋放出に伴う日本産品の輸入禁止や邦人の拘束、尖閣諸島海域でのブイ設置など、パンダ如きで国民感情は治まらない。
米国で日中首脳会談が行われたばかりなのに、岸田首相の親書を携え訪中とは厭きれるばかり。山口の訪中に大義は無く、首魁の池田太作への香典の無心だろうか。
パンダ外交を謀る山口は中国共産党の走狗であり、公明党とは中国共産党の第五列というのが正しい。昭和47年に日中国交を回復し、友好の証として中共政府からパンダが贈られたが、無料貸与ではなく年数億円のレンタル料を支払っている。
その昔、所属してた防共挺身隊では「パンダ1匹200億」とのビラを都内に貼り出し、容共・田中角栄糾弾とパンダ外交を批判している。抑々、パンダはシナの生き物ではなく、チベットだろう。パンダはチベット弾圧の象徴でもある。
パンダ外交にしろ、ODAでの利権を漁る政治家どもが中共に諂って行った。日中国交恢復では池田太作や公明党がその地均しとして先兵となった。今回の山口の訪中と発言を見る迄も無く、公明党の売国性と中共への忠誠は今も変わらない。
何故に仙台市なのか。以前、仙台市で中華街構想が持ち上がったのは記憶に新しい。当時の梅原克彦市長が「地元にも日本にも害を及ぼす」として中華街建設構想を取り止めたが、現市長の郡和子が中華街構想を勧め実質的日本侵略に加担する。
仙台市の中華街構想は、仙台駅近くの旧国鉄跡地等の1.5ヘクタールの一角に地上9階建て地下1階の「空中中華街を造る」という、仙台市と投資ファンド「中端財団」と日本人ブローカーの三者間で合意された計画だったが、頓挫していた。
山口の「日中交流を促進する為に、仙台市へのパンダの貸与を要請したい」との発言は、仙台市の中華街構想が再び計画されていることを窺える。山口はその地均しとして、仙台市へのパンダ貸与を謀るつもりだろうが公明党の売国ぶりに閉口する。
新潟市でも中華街構想が計画された。中共が購入した新潟中心部の万代小学校の跡地約5000坪に総領事館を設置して、近隣地の閉店した百貨店跡地に中華街を造る計画だった。新潟市には2010年から中国総領事館を設置して業務を行っている。
中共側は本来、沖縄県への領事館設置を希望していたが外務省が拒否し新潟になったという。一国二制度を謀る沖縄が中共の手中に堕ちた今、領事館は必要ない。
新潟県議会も新潟市議会も景気対策になると思ってか反対の声を上げることなく、それどころか、知事も市長も商店街も設置へ前向きだという。流石は天下一の売国奴・田中角栄一族を輩出しただけの土地柄だと笑ってばかりもいられない。
日本人の多くは、中華街というと横浜の光景を思い浮かべるだろう。だが、横浜中華街は新華僑と言われるシナ人が居着き、インチキ占いや怪しい商売を中華街の彼方此方で許可無く営業し、中華街の光景を違ったものにしてしまっている。
横浜中華街は、華僑が地域住民や自治体と信頼を築き上げて誕生したのである。地方経済が疲弊する中で、一時の経済の活性化と景気回復の起爆剤になるだろうとの浅はかな考えで中華街構想を実行すれば、大きな禍根を残すのは明らかである。
中共の世界各国への進出は往々にしてパンダ外交と中華街の建設から始まる。中共政府はラオスに広大な土地を入手し5万人の中華街を建設した。今やラオスはシナ人に席巻され、国自体がチャイナタウン化している。スーダン然り、ミャンマー然り、中共政府の強い影響下に組み入れられている実態を見るべきであろう。
中華帝国的覇権主義の中共が策謀する「大中華街構想」は実質的な日本侵略である。山口ら親中派の警戒を怠ることなく、詭策は断固阻止しなければならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
公明党の党勢拡大に被災地やパンダを利用しようという魂胆が見え見え。「国民感情を和らげる」というが、処理水の海洋放出に伴う日本産品の輸入禁止や邦人の拘束、尖閣諸島海域でのブイ設置など、パンダ如きで国民感情は治まらない。
米国で日中首脳会談が行われたばかりなのに、岸田首相の親書を携え訪中とは厭きれるばかり。山口の訪中に大義は無く、首魁の池田太作への香典の無心だろうか。
パンダ外交を謀る山口は中国共産党の走狗であり、公明党とは中国共産党の第五列というのが正しい。昭和47年に日中国交を回復し、友好の証として中共政府からパンダが贈られたが、無料貸与ではなく年数億円のレンタル料を支払っている。
その昔、所属してた防共挺身隊では「パンダ1匹200億」とのビラを都内に貼り出し、容共・田中角栄糾弾とパンダ外交を批判している。抑々、パンダはシナの生き物ではなく、チベットだろう。パンダはチベット弾圧の象徴でもある。
パンダ外交にしろ、ODAでの利権を漁る政治家どもが中共に諂って行った。日中国交恢復では池田太作や公明党がその地均しとして先兵となった。今回の山口の訪中と発言を見る迄も無く、公明党の売国性と中共への忠誠は今も変わらない。
何故に仙台市なのか。以前、仙台市で中華街構想が持ち上がったのは記憶に新しい。当時の梅原克彦市長が「地元にも日本にも害を及ぼす」として中華街建設構想を取り止めたが、現市長の郡和子が中華街構想を勧め実質的日本侵略に加担する。
仙台市の中華街構想は、仙台駅近くの旧国鉄跡地等の1.5ヘクタールの一角に地上9階建て地下1階の「空中中華街を造る」という、仙台市と投資ファンド「中端財団」と日本人ブローカーの三者間で合意された計画だったが、頓挫していた。
山口の「日中交流を促進する為に、仙台市へのパンダの貸与を要請したい」との発言は、仙台市の中華街構想が再び計画されていることを窺える。山口はその地均しとして、仙台市へのパンダ貸与を謀るつもりだろうが公明党の売国ぶりに閉口する。
新潟市でも中華街構想が計画された。中共が購入した新潟中心部の万代小学校の跡地約5000坪に総領事館を設置して、近隣地の閉店した百貨店跡地に中華街を造る計画だった。新潟市には2010年から中国総領事館を設置して業務を行っている。
中共側は本来、沖縄県への領事館設置を希望していたが外務省が拒否し新潟になったという。一国二制度を謀る沖縄が中共の手中に堕ちた今、領事館は必要ない。
新潟県議会も新潟市議会も景気対策になると思ってか反対の声を上げることなく、それどころか、知事も市長も商店街も設置へ前向きだという。流石は天下一の売国奴・田中角栄一族を輩出しただけの土地柄だと笑ってばかりもいられない。
日本人の多くは、中華街というと横浜の光景を思い浮かべるだろう。だが、横浜中華街は新華僑と言われるシナ人が居着き、インチキ占いや怪しい商売を中華街の彼方此方で許可無く営業し、中華街の光景を違ったものにしてしまっている。
横浜中華街は、華僑が地域住民や自治体と信頼を築き上げて誕生したのである。地方経済が疲弊する中で、一時の経済の活性化と景気回復の起爆剤になるだろうとの浅はかな考えで中華街構想を実行すれば、大きな禍根を残すのは明らかである。
中共の世界各国への進出は往々にしてパンダ外交と中華街の建設から始まる。中共政府はラオスに広大な土地を入手し5万人の中華街を建設した。今やラオスはシナ人に席巻され、国自体がチャイナタウン化している。スーダン然り、ミャンマー然り、中共政府の強い影響下に組み入れられている実態を見るべきであろう。
中華帝国的覇権主義の中共が策謀する「大中華街構想」は実質的な日本侵略である。山口ら親中派の警戒を怠ることなく、詭策は断固阻止しなければならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2023年11月23日
神々の加護と人々の勤労に拠って生み出される万物の生産を祝う日である
本日は「勤労感謝の日」。何か労働に感謝する日の様に思ってしまうが、祝日法では「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」との趣旨である 。
「人々の勤労に拠って生み出される万物の生産を祝う」というもの。つまり、農作物を始めとした恵に感謝し合う日なのだが、その意味を取り違えている国民が殆ど。
その昔は、「新米」を食べるのしても陛下の「新嘗祭」の祭事が終わってから口にするものだったが、今やそうした意味も知る国民も少なく、新米を口にする。
旧くは「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」として、霜月下旬の卯の日に斎行されていたが、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。
新嘗祭は「日本書紀」に皇極天皇が皇極元年(642年)11月に執り行ったという記述があり、神事を重んずる天皇にとって新嘗祭は、重要な祭事の一つである。
宮中祭祀で特に重要なものは元旦に執り行われる「四方拝」と、本日行われる「新嘗祭」である。天皇にとって最も大事なものは「祭事」であるのは言わずもがな。
宮内庁は、陛下の負担軽減として、未明に執り行われる「暁の儀」の拝礼を取り止められているが、神事の簡素化を訝しく思うのは愚生だけではあるまい。
天皇の「国事行為」は、首相の任命や憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが、天皇の「公的行為」は現憲法では明文化されていない。
天皇は憲法上の制約から「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」など年間約60回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務を約170回お努めになられるという。こうした国事行為をどの様に対処するのか。
負担軽減とは聞こえは好いが、天皇にとって大事なものは国事行為ではなく、「祭事」なのである。祭事を優先し、国事行為や公的行為こそ軽減すべきである。
新嘗祭のこの日は、宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行うのだが、「暁の儀」の取り止めは、今後どういう結果、影響を齎すのだろう。
今や、歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法によって天皇家の「私事」にされてしまい、皇室典範にも「大嘗祭」の規定は存在していない。現憲法下では、天皇とは国事行為を行うだけの政府の都合の好い傀儡と化してしまっている。
現憲法は、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいる証左である。
GHQが占領中に謀った「神道指令」に因って「新嘗祭」という呼称は廃止された。昭和23年に「勤労感謝の日」と改められ現在に至っているが、我が国の国柄を考えれば、やはり「勤労感謝」というより、「新嘗祭」という名称こそ相応しい。
「勤労感謝」という言葉で、祝日の意義を薄れさせている現状と「ハッピーマンデー」なる愚策に因って国體が破壊され続けている現状は見るに堪えない。
今日は全国各地でも山々の神に感謝し、収穫を祝う行事が各地で行われる。県内でも「山ノ神講」が行われる地域が在る。要は、仲間(女人禁制)同士が集まっての飲み会だが、これもまた新嘗祭の伝統を重んじ伝えて来た伝統行事でもある。
俗に、口喧しくなったかみさんのことを「山の神」とも揶揄することがある。頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では、神様もかみさんも同じであり、その存在は実に有難く、尊いものであるという意味では同じなのである(笑)
国策としての農業振興と、食の安全保障や食料自給率の向上は国家としての急務であるが、政府や国会議員など頭の中は景気対策という名の選挙対策ばかり。減反政策一つ見ても、政治家から真剣に「農」を考える言葉は発せられない。
「農業」とは愛郷心や祖国愛に繋がるもので、愛情というものがそこには無くてはならない。世界各国では「農業」の保護政策が行われているが、それは、そうした国々は「農は国の本」ということを自覚しているからである。
我が国は、GHQから「農本主義」的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌った儘で、更に今、米国主導のTPPに参加したことは狂気の沙汰と言う他ない。
国家の大本である領土主権の防衛にしても米国に委ねた儘で、食料安保に至っても自立出来ずに果たして真の独立国家、主権国家といえるのだろうか。国造りと農業の関係を経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したのと同然である。
我々国民が出来ることは何か。身近な問題として安易な輸入物の購入を拒否し、率先して国産物を購入し、自給率向上を真剣に考えなくてはならないのだ。
本日は、「神々の加護と人々の勤労に拠って可能になる万物の生産を祝い、その恵に国民が互いに感謝し合う日」である。我が国の麗しき山河からの豊穣に感謝し、家族や仲間と一献やりつつ、我が国の在るべき姿を語り合っては如何ですか。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
「人々の勤労に拠って生み出される万物の生産を祝う」というもの。つまり、農作物を始めとした恵に感謝し合う日なのだが、その意味を取り違えている国民が殆ど。
その昔は、「新米」を食べるのしても陛下の「新嘗祭」の祭事が終わってから口にするものだったが、今やそうした意味も知る国民も少なく、新米を口にする。
旧くは「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」として、霜月下旬の卯の日に斎行されていたが、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。
新嘗祭は「日本書紀」に皇極天皇が皇極元年(642年)11月に執り行ったという記述があり、神事を重んずる天皇にとって新嘗祭は、重要な祭事の一つである。
宮中祭祀で特に重要なものは元旦に執り行われる「四方拝」と、本日行われる「新嘗祭」である。天皇にとって最も大事なものは「祭事」であるのは言わずもがな。
宮内庁は、陛下の負担軽減として、未明に執り行われる「暁の儀」の拝礼を取り止められているが、神事の簡素化を訝しく思うのは愚生だけではあるまい。
天皇の「国事行為」は、首相の任命や憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが、天皇の「公的行為」は現憲法では明文化されていない。
天皇は憲法上の制約から「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」など年間約60回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務を約170回お努めになられるという。こうした国事行為をどの様に対処するのか。
負担軽減とは聞こえは好いが、天皇にとって大事なものは国事行為ではなく、「祭事」なのである。祭事を優先し、国事行為や公的行為こそ軽減すべきである。
新嘗祭のこの日は、宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行うのだが、「暁の儀」の取り止めは、今後どういう結果、影響を齎すのだろう。
今や、歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法によって天皇家の「私事」にされてしまい、皇室典範にも「大嘗祭」の規定は存在していない。現憲法下では、天皇とは国事行為を行うだけの政府の都合の好い傀儡と化してしまっている。
現憲法は、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいる証左である。
GHQが占領中に謀った「神道指令」に因って「新嘗祭」という呼称は廃止された。昭和23年に「勤労感謝の日」と改められ現在に至っているが、我が国の国柄を考えれば、やはり「勤労感謝」というより、「新嘗祭」という名称こそ相応しい。
「勤労感謝」という言葉で、祝日の意義を薄れさせている現状と「ハッピーマンデー」なる愚策に因って国體が破壊され続けている現状は見るに堪えない。
今日は全国各地でも山々の神に感謝し、収穫を祝う行事が各地で行われる。県内でも「山ノ神講」が行われる地域が在る。要は、仲間(女人禁制)同士が集まっての飲み会だが、これもまた新嘗祭の伝統を重んじ伝えて来た伝統行事でもある。
俗に、口喧しくなったかみさんのことを「山の神」とも揶揄することがある。頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では、神様もかみさんも同じであり、その存在は実に有難く、尊いものであるという意味では同じなのである(笑)
国策としての農業振興と、食の安全保障や食料自給率の向上は国家としての急務であるが、政府や国会議員など頭の中は景気対策という名の選挙対策ばかり。減反政策一つ見ても、政治家から真剣に「農」を考える言葉は発せられない。
「農業」とは愛郷心や祖国愛に繋がるもので、愛情というものがそこには無くてはならない。世界各国では「農業」の保護政策が行われているが、それは、そうした国々は「農は国の本」ということを自覚しているからである。
我が国は、GHQから「農本主義」的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌った儘で、更に今、米国主導のTPPに参加したことは狂気の沙汰と言う他ない。
国家の大本である領土主権の防衛にしても米国に委ねた儘で、食料安保に至っても自立出来ずに果たして真の独立国家、主権国家といえるのだろうか。国造りと農業の関係を経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したのと同然である。
我々国民が出来ることは何か。身近な問題として安易な輸入物の購入を拒否し、率先して国産物を購入し、自給率向上を真剣に考えなくてはならないのだ。
本日は、「神々の加護と人々の勤労に拠って可能になる万物の生産を祝い、その恵に国民が互いに感謝し合う日」である。我が国の麗しき山河からの豊穣に感謝し、家族や仲間と一献やりつつ、我が国の在るべき姿を語り合っては如何ですか。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2023年11月22日
衆院議員を放り投げて知事選を狙うという玄葉光一郎の軽挙妄動を戒める
ライフワーク「汚れた顔の紳士達」の玄葉光一郎シリーズがが中々の人気。「あのブログは根本匠陣営がやらせてる」とか聞こえて来たが、「当ブログ記事は会員及びFBF&フォロワー限定で閲覧可能」なのだから、勝手に読んでんじゃねぇよ。
つ~か、ブログを勝手に閲覧しても購読料さえ振り込まない吝嗇家ばっかなのに、ブログの原稿料や愚生の活動を支援してくれる様な殊勝な人なんぞ現れる訳もない。
その昔、「根本匠先生、カツラをお外し下さい!」とのビラをバラ撒いたら、国士舘大学卒の同級の秘書から連絡が来て「うちの先生を虐めないで下さいよ」と、分厚い茶封筒を貰ったことがある。包装が立派なだけで中身は5万円だったっけ。
政経東北や財界ふくしま、タクティクスなどは広告代と購読料があるが、愚生のブログは、殆どが相談事とボランティアの様なもの。ブログは自由に読めるが、内容に賛同したらせめて購読料くらい振り込んで欲しいよなぁ(笑)
衆院福島選挙区は定数5から4となる。愚生の住む2区は自民党の根本匠と立憲民主党の玄葉光一郎が出馬予定。岸田文雄首相の不人気ぶりが根本の足を掬う。
自民党の支持離れは御粗末な経済対策に加え、国柄を破壊し兼ねないLGBT法案の強行採決や移民政策が原因で保守派が離れた。そんな状況下で、作家の百田尚樹が「日本保守党」を立ち上げたことで有権者の選択肢が増えたことは有り難い。
自民党の左傾化と劣化は甚だしいが、野党第一党の立憲民主党の左傾化も著しく、泉健太代表は次期衆院選に向けて日本共産党との連携に合意。「立憲共産党」と揶揄される中で、党内良識派と見られる玄葉の存在価値は薄れるばかりなり。
岸田派事務総長で、岸田首相誕生に貢献した根本が、前回の総選挙では新人の馬場雄基に比例復活当選を許した。ポッと出の新人候補の復活当選は、根本の政治家としての限界が見えた瞬間でもある。匠ちゃん、息子の拓に禅譲したら如何か。
愚生だけではなく、根本VS玄葉のベテラン対決なんぞに興味は無い人は多い。根本拓の評判も至って好評だし、馬場と拓の若手対決を見てみたいと思っている。匠ちゃんにしても、息子への禅譲を間違えると政治家として終わりますよ(笑)
精力的に選挙区を回っている玄葉は、見てくれは好いし、弁舌爽やかだがイマイチ政治家としての蛮勇さに欠ける。生まれ育ったお坊ちゃま体質が抜けないのだ。
松下政経塾出身という勘違いしたエリート意識が政治家としての荒々しさを削ぎ、つまらなさが滲み出ている。党内で「玄葉グループ」を率いてはいるが、立憲共産党と揶揄される左翼政党に所属している限り、議員として限界があるのも確か。
玄葉が代議士に拘るのは国家国民の為では無く、単なる生業と名誉欲。国民に「増税」を強いて、政治家への厚遇は改められることはないことでも分かる。国民に還元せずに海外にバラ撒いてるが、納税者の国民を何だと思っているのか。
国会議員の歳費は年間約2300万円、文書交通費月100万円で年1200万円、公設秘書3人の給料約2500万円。年間合わせて約1億円以上の国費が計上されている。
岸田政権下、国民が物価高で苦しんでいる中、国会議員の給与アップを目論む。反対する議員もいないというが、ホント議員というのはさもしい輩ばかり。コイツらの頭の中には「滅私奉公」とか「隗より始めよ」という言葉は無いんだろうな。
議員には政党交付金が一人当たり約5000万円支払われる。国民一人当たり換算で約250円で、年総額約320億円に上り、支払われた総額は実に8兆円を超える。防衛費より多い報酬を受取り乍ら、国防を疎かにして国益を害してるのは如何なものか。
小選挙区制度の下で、自民党か立憲民主党かの「でもしか政党」しか選べないのは有権者の不幸。政治の劣化は小選挙区制度と政党助成金制度が元凶であり、新たな中選挙区制度を創り、国民への詐欺行為である政党助成金も即刻廃止しなさいな。
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つ~か、ブログを勝手に閲覧しても購読料さえ振り込まない吝嗇家ばっかなのに、ブログの原稿料や愚生の活動を支援してくれる様な殊勝な人なんぞ現れる訳もない。
その昔、「根本匠先生、カツラをお外し下さい!」とのビラをバラ撒いたら、国士舘大学卒の同級の秘書から連絡が来て「うちの先生を虐めないで下さいよ」と、分厚い茶封筒を貰ったことがある。包装が立派なだけで中身は5万円だったっけ。
政経東北や財界ふくしま、タクティクスなどは広告代と購読料があるが、愚生のブログは、殆どが相談事とボランティアの様なもの。ブログは自由に読めるが、内容に賛同したらせめて購読料くらい振り込んで欲しいよなぁ(笑)
衆院福島選挙区は定数5から4となる。愚生の住む2区は自民党の根本匠と立憲民主党の玄葉光一郎が出馬予定。岸田文雄首相の不人気ぶりが根本の足を掬う。
自民党の支持離れは御粗末な経済対策に加え、国柄を破壊し兼ねないLGBT法案の強行採決や移民政策が原因で保守派が離れた。そんな状況下で、作家の百田尚樹が「日本保守党」を立ち上げたことで有権者の選択肢が増えたことは有り難い。
自民党の左傾化と劣化は甚だしいが、野党第一党の立憲民主党の左傾化も著しく、泉健太代表は次期衆院選に向けて日本共産党との連携に合意。「立憲共産党」と揶揄される中で、党内良識派と見られる玄葉の存在価値は薄れるばかりなり。
岸田派事務総長で、岸田首相誕生に貢献した根本が、前回の総選挙では新人の馬場雄基に比例復活当選を許した。ポッと出の新人候補の復活当選は、根本の政治家としての限界が見えた瞬間でもある。匠ちゃん、息子の拓に禅譲したら如何か。
愚生だけではなく、根本VS玄葉のベテラン対決なんぞに興味は無い人は多い。根本拓の評判も至って好評だし、馬場と拓の若手対決を見てみたいと思っている。匠ちゃんにしても、息子への禅譲を間違えると政治家として終わりますよ(笑)
精力的に選挙区を回っている玄葉は、見てくれは好いし、弁舌爽やかだがイマイチ政治家としての蛮勇さに欠ける。生まれ育ったお坊ちゃま体質が抜けないのだ。
松下政経塾出身という勘違いしたエリート意識が政治家としての荒々しさを削ぎ、つまらなさが滲み出ている。党内で「玄葉グループ」を率いてはいるが、立憲共産党と揶揄される左翼政党に所属している限り、議員として限界があるのも確か。
玄葉が代議士に拘るのは国家国民の為では無く、単なる生業と名誉欲。国民に「増税」を強いて、政治家への厚遇は改められることはないことでも分かる。国民に還元せずに海外にバラ撒いてるが、納税者の国民を何だと思っているのか。
国会議員の歳費は年間約2300万円、文書交通費月100万円で年1200万円、公設秘書3人の給料約2500万円。年間合わせて約1億円以上の国費が計上されている。
岸田政権下、国民が物価高で苦しんでいる中、国会議員の給与アップを目論む。反対する議員もいないというが、ホント議員というのはさもしい輩ばかり。コイツらの頭の中には「滅私奉公」とか「隗より始めよ」という言葉は無いんだろうな。
議員には政党交付金が一人当たり約5000万円支払われる。国民一人当たり換算で約250円で、年総額約320億円に上り、支払われた総額は実に8兆円を超える。防衛費より多い報酬を受取り乍ら、国防を疎かにして国益を害してるのは如何なものか。
小選挙区制度の下で、自民党か立憲民主党かの「でもしか政党」しか選べないのは有権者の不幸。政治の劣化は小選挙区制度と政党助成金制度が元凶であり、新たな中選挙区制度を創り、国民への詐欺行為である政党助成金も即刻廃止しなさいな。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2023年11月21日
玄葉さん、次の知事選に出るなら次の衆院選は馬場雄基に譲りなさいな!
次期衆院選福島第二区に出馬する玄葉光一郎は、地元選挙区を回り「衆院選の後は次の知事選に出る」と公言して憚らない。郡山市内の企業や支援者に「郡山市は票になるから楽しい」などと吹聴しているというから郡山市民もバカにされたものだ。
岸田文雄首相の無能と嫌悪感から自民党の保守層の支持離れが顕著で、岸田首相誕生の立役者で岸田派事務総長である根本匠への期待が薄れた証左というのは間違いないが、自民党への不満を口にする有権者が自分への支持だとは勘違いも甚だしい。
抑々、野党議員に期待するなどとは御粗末過ぎる。例えば、上昇志向逞しい無自覚左翼の野党議員の増子輝彦が地元や県に何をしてくれたというのか。以前、故渡辺隆弘が「郡山には増子が必要」などとマヌケなことを言ってたのを思い出す(苦笑)
立憲共産党と揶揄されてる左翼政党内に埋もれている限り、幾ら陳情や相談しようが、解決は見ないだろう。党内で代議士として限界を感じてるのは理解出来る。
日本共産党と共闘したことを理由に離党した上で無所属で出馬するのなら未だしも「次の知事選へ出馬する」との軽軽しい発言は軽挙妄動の誹りは免れない。玄葉さんよ、次の知事選に出馬するというのなら、選挙区は馬場雄基に譲りなさいな。
「一票の格差の是正」を理由に衆院福島選挙区は四区に改変された。二本松市や本宮市、大玉村が1区となり、2区には田村市や須賀川市、石川郡などが加わる。
前回、ポッと出の新人の馬場雄基が猛追したことでも根本匠の不人気ぶりは顕著で、玄葉光一郎の有利は動かない。だが。玄葉は任期途中で辞めて知事選を狙うというから有権者をバカにしている。こんな小選挙区制度は廃止した方が好い。
二大政党制を目指し小選挙区制度を導入したのは好いが、政権交代は10年以上実現していない。そろそろ比例並立制を廃止して、区割りを細かくして完全小選挙区にするとか、新たな中選挙区で複数人が当選可能な制度に見直すべきだろう。
福島県は会津地方、中通り、浜通りの三区に分け、人口の多い中通りを4人当選、会津と浜通りは3人で、比例選挙は廃止で好い。小選挙区では世襲や官僚ばかりになってしまう。区割り改定という目先の是正ではなく、選挙制度自体を変えるべきだ。
「一票の格差」が出てしまうのは、単純に投票に行かない有権者が多いというのが理由である。投票を棄権する最大の理由は、支持する政党や候補者がいないからに尽きる。低投票率を解消するなら「選挙投票は国民の義務」とすれば解決出来るだろう。
現在の二者択一的候補者から選ぶとなると有権者には気の毒だ。そういう意味でも「支持政党なし」や「該当者なし」の項目を設けるなどの対策を講じるべきだ。
投票を棄権した有権者の多くは政治には無関心で、また自分の思いを托せる政治家がいないことが最大の理由である。棄権票というのは有権者の「政治不信」という一票でもあるのだ。国民のそうした声を反映出来る選挙制度に変えるべきである。
今やネットでの選挙運動も合法化されたし、期日前投票は当たり前になった。時代に即し、コンビニでの電子投票や郵便投票、インターネット投票なども可能にすれば投票率は上がる。棄権した理由が無いなら相応の罰則を科すことも一考だろう。
こうした投票方法を確立し、例えば有権者の三割が「該当者なし」なら議員定数を三割削減すれば好い。最高裁で「一票の格差」の違憲判決が出る度に公職選挙法を弄んで数合わせしてるが、根本的解決を図らない限り不毛な裁判が繰り返される。
公職選挙法が改正される度に有権者である国民ではなく、議員が優遇されて行く不思議。インターネットでの選挙活動が解禁され、ビラ配布も容認された。だが、何故か電子メール送信禁止事項があるなど、ホント御役所仕事そのものではないか。
公職選挙法を改正するなら、先ずくだらん選挙カーに拠る選挙方法を見直しては如何だろうか。移動中は名前の連呼しか叫べず、立会演説会には粗末な許可証を立て掛ける。正に現在の選挙カーに拠る選挙運動は昭和25年制定当時の儘なのだ。
かといって、選挙カーのレンタル代やらポスター代、文書交通費、光熱費やその他諸諸、昔は選挙にはカネが掛かったものだが、今やその支払いは役所が払うこととなった。つまり、国民が納めた血税が議員に成りたがる輩に垂れ流されてるのだ。
地区対抗戦の様な、時代遅れの意味の無い選挙カーでの選挙を止めて、候補者が各地区を一緒に回り(候補者を何グループかに分ける)、公民館や体育館、集会所などで立会演説会をすれば好いではないか。何故、そんな簡単なことが出来ないのか。
国民不在の政争を繰り返す衆議院と衆議院のカーボンペーパーに成り下がり、党利党略の政争の機関に成り下がってしまった参議院。地方議員を含めて生業議員ばかりで、立法府や行政のチェックと提案機構という本分を忘れた議会の劣化は甚だしい。
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岸田文雄首相の無能と嫌悪感から自民党の保守層の支持離れが顕著で、岸田首相誕生の立役者で岸田派事務総長である根本匠への期待が薄れた証左というのは間違いないが、自民党への不満を口にする有権者が自分への支持だとは勘違いも甚だしい。
抑々、野党議員に期待するなどとは御粗末過ぎる。例えば、上昇志向逞しい無自覚左翼の野党議員の増子輝彦が地元や県に何をしてくれたというのか。以前、故渡辺隆弘が「郡山には増子が必要」などとマヌケなことを言ってたのを思い出す(苦笑)
立憲共産党と揶揄されてる左翼政党内に埋もれている限り、幾ら陳情や相談しようが、解決は見ないだろう。党内で代議士として限界を感じてるのは理解出来る。
日本共産党と共闘したことを理由に離党した上で無所属で出馬するのなら未だしも「次の知事選へ出馬する」との軽軽しい発言は軽挙妄動の誹りは免れない。玄葉さんよ、次の知事選に出馬するというのなら、選挙区は馬場雄基に譲りなさいな。
「一票の格差の是正」を理由に衆院福島選挙区は四区に改変された。二本松市や本宮市、大玉村が1区となり、2区には田村市や須賀川市、石川郡などが加わる。
前回、ポッと出の新人の馬場雄基が猛追したことでも根本匠の不人気ぶりは顕著で、玄葉光一郎の有利は動かない。だが。玄葉は任期途中で辞めて知事選を狙うというから有権者をバカにしている。こんな小選挙区制度は廃止した方が好い。
二大政党制を目指し小選挙区制度を導入したのは好いが、政権交代は10年以上実現していない。そろそろ比例並立制を廃止して、区割りを細かくして完全小選挙区にするとか、新たな中選挙区で複数人が当選可能な制度に見直すべきだろう。
福島県は会津地方、中通り、浜通りの三区に分け、人口の多い中通りを4人当選、会津と浜通りは3人で、比例選挙は廃止で好い。小選挙区では世襲や官僚ばかりになってしまう。区割り改定という目先の是正ではなく、選挙制度自体を変えるべきだ。
「一票の格差」が出てしまうのは、単純に投票に行かない有権者が多いというのが理由である。投票を棄権する最大の理由は、支持する政党や候補者がいないからに尽きる。低投票率を解消するなら「選挙投票は国民の義務」とすれば解決出来るだろう。
現在の二者択一的候補者から選ぶとなると有権者には気の毒だ。そういう意味でも「支持政党なし」や「該当者なし」の項目を設けるなどの対策を講じるべきだ。
投票を棄権した有権者の多くは政治には無関心で、また自分の思いを托せる政治家がいないことが最大の理由である。棄権票というのは有権者の「政治不信」という一票でもあるのだ。国民のそうした声を反映出来る選挙制度に変えるべきである。
今やネットでの選挙運動も合法化されたし、期日前投票は当たり前になった。時代に即し、コンビニでの電子投票や郵便投票、インターネット投票なども可能にすれば投票率は上がる。棄権した理由が無いなら相応の罰則を科すことも一考だろう。
こうした投票方法を確立し、例えば有権者の三割が「該当者なし」なら議員定数を三割削減すれば好い。最高裁で「一票の格差」の違憲判決が出る度に公職選挙法を弄んで数合わせしてるが、根本的解決を図らない限り不毛な裁判が繰り返される。
公職選挙法が改正される度に有権者である国民ではなく、議員が優遇されて行く不思議。インターネットでの選挙活動が解禁され、ビラ配布も容認された。だが、何故か電子メール送信禁止事項があるなど、ホント御役所仕事そのものではないか。
公職選挙法を改正するなら、先ずくだらん選挙カーに拠る選挙方法を見直しては如何だろうか。移動中は名前の連呼しか叫べず、立会演説会には粗末な許可証を立て掛ける。正に現在の選挙カーに拠る選挙運動は昭和25年制定当時の儘なのだ。
かといって、選挙カーのレンタル代やらポスター代、文書交通費、光熱費やその他諸諸、昔は選挙にはカネが掛かったものだが、今やその支払いは役所が払うこととなった。つまり、国民が納めた血税が議員に成りたがる輩に垂れ流されてるのだ。
地区対抗戦の様な、時代遅れの意味の無い選挙カーでの選挙を止めて、候補者が各地区を一緒に回り(候補者を何グループかに分ける)、公民館や体育館、集会所などで立会演説会をすれば好いではないか。何故、そんな簡単なことが出来ないのか。
国民不在の政争を繰り返す衆議院と衆議院のカーボンペーパーに成り下がり、党利党略の政争の機関に成り下がってしまった参議院。地方議員を含めて生業議員ばかりで、立法府や行政のチェックと提案機構という本分を忘れた議会の劣化は甚だしい。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2023年11月20日
池田太作の死去を期に宗教と政治の関係を見直し政界再編を急げ!
創価学会インターナショナル(SGI)会長で創価学会名誉会長の池田太作が死去。その功罪は別としてカリスマだった池田の死去で創価学会はどうなるのやら。
5年程前、地元紙に池田太作の名で「うつくしまルネサンス 福幸を未来へ」との特別寄稿が出ていた。池田本人が書いたものでは無いのは誰もが承知。
県内の伝統工芸品や福島県民の人柄、戊辰戦争での会津藩の苦労や、詩人の草野心平が母親の死で書き留めた「美」の意味など、幅広く論じてたのを思い出す。
「福島には如何なる艱難にも、共に励まし合って乗り越え、勝ち越え、偉大な創造を成し遂げ往く人間の絆がある」と会津藩を例に、敢えて「原発事故」という表現を使わずに喩えていたが、こそばゆい感じもするが、中々好い表現と文章である。
所所に宗教家らしい語彙を使い、分かり易くも重厚な文章となっている。反創価学会の愚生でさえ感心したのだから信者は感涙に咽び泣いたに違いない(笑)
池田が公の席に顔を出したのはもう20年以上前ではなかろうか。恐らくは脳梗塞を患い、長きに療養生活というか意識は無かったのではと推測する。愚生の経験上、顔のデカい人は脳梗塞を患うことが多い。池田も例外では無かったと思う。
創価学会は、釈尊に始まり、インドの竜樹・天親ら、中国の天台大師・妙楽大師、日本の伝教大師、日蓮大聖人へと発展的に継承された仏教を信奉する新興宗教だが、その実は池田の「人間革命」を狂信的に信奉する「池田教」に他ならない。
創価学会は宗教団体というより、学会員の現世利益を追求する社会運動体であり、公明党はそれを政治的に実現する為の組織でしかない。学会員の究極の目的は、日本を「池田王国」にして、池田太作を日本の国主にすることにある。
以前、国民新聞に出てたが、池田は東京大森海岸出身で「子供の頃は日本語の下手糞な無口な少年だった」という。父親の名前は「田太作」、母親の姓は「池」。帰化の際、両親の名前を貼り合わせ「太」の鼻糞を取り「池田大作」となったという。
言葉もべらんめぇ調で江戸っ子を気取っているが、池波正太郎曰く「池田大作あたりが度々『俺は江戸っ子でぇ』と気取ってるが、あんなのをピント外れといってねぇ、江戸ってぇのは本来、品川迄で、大森ってのは江戸じゃねぇよ」(嘲笑)
創価学会の支援を受けて当選した議員は、学会幹部から「学会員の為に政治をやりなさい」と指導を受けるという。つまりは、創価学会の頂点に君臨する「池田太作名誉会長の現世利益の為だけに命がけでやれ」という絶対命令でもあるのだ。
公明党の売国性は「外参権付与」「自虐史観」「反靖國」「反天皇」「誤憲(護憲)」「平和主義」と、挙げれば限が無いが、政治では与党として、また経済、文化、教育、司法と、今や創価学会は巷に蔓延し、我が国を蝕み続けている。
SGI(創価学会インターナショナル)会長である池田太作こそ日本国内最大の国賊と言っても過言ではないが、池田を崇め奉るこうした連中と、保守を標榜する自民党がいつまでも連立を続けること自体、国益及び国柄を大きく損なっている。
今や行政に共産主義が入り込み「男女共同参画社会」「ジェンダーフリー」「SDGs」「人権擁護法案」「協働・共生社会」「外国人参政権」「外国人住民基本法案」「選択的夫婦別姓」「戸籍法廃止」、極め付けは「女性天皇容認論」と「女性宮家」の創設等等、次から次へと左翼の国體破壊への策謀が氾濫している。
こうした売国法案と言うべき姦策を、行政側への介入を奨めているのは日本共産党や立憲民主党などより、保守を自任するべき自民党が推進して成立させ謀ろうとしているものだが、反国家勢力でもある公明党が率先して推進している。
細川政権下、「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」の改革四法案が成立している。小選挙区制度と政党交付金は政治劣化の元凶であり、正しく公明党政権与党入りは政治劣化の30年でもある。
公明党は自自公連立政権を皮切りに、約30年に亘って政権に喰らい付いて来た。自民党議員が創価学会票に期待するが、創価学会の集票力は年々減少傾向にある。次期総選挙では自公連立政権にコアな保守層が三下り半を突き付けるだろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
5年程前、地元紙に池田太作の名で「うつくしまルネサンス 福幸を未来へ」との特別寄稿が出ていた。池田本人が書いたものでは無いのは誰もが承知。
県内の伝統工芸品や福島県民の人柄、戊辰戦争での会津藩の苦労や、詩人の草野心平が母親の死で書き留めた「美」の意味など、幅広く論じてたのを思い出す。
「福島には如何なる艱難にも、共に励まし合って乗り越え、勝ち越え、偉大な創造を成し遂げ往く人間の絆がある」と会津藩を例に、敢えて「原発事故」という表現を使わずに喩えていたが、こそばゆい感じもするが、中々好い表現と文章である。
所所に宗教家らしい語彙を使い、分かり易くも重厚な文章となっている。反創価学会の愚生でさえ感心したのだから信者は感涙に咽び泣いたに違いない(笑)
池田が公の席に顔を出したのはもう20年以上前ではなかろうか。恐らくは脳梗塞を患い、長きに療養生活というか意識は無かったのではと推測する。愚生の経験上、顔のデカい人は脳梗塞を患うことが多い。池田も例外では無かったと思う。
創価学会は、釈尊に始まり、インドの竜樹・天親ら、中国の天台大師・妙楽大師、日本の伝教大師、日蓮大聖人へと発展的に継承された仏教を信奉する新興宗教だが、その実は池田の「人間革命」を狂信的に信奉する「池田教」に他ならない。
創価学会は宗教団体というより、学会員の現世利益を追求する社会運動体であり、公明党はそれを政治的に実現する為の組織でしかない。学会員の究極の目的は、日本を「池田王国」にして、池田太作を日本の国主にすることにある。
以前、国民新聞に出てたが、池田は東京大森海岸出身で「子供の頃は日本語の下手糞な無口な少年だった」という。父親の名前は「田太作」、母親の姓は「池」。帰化の際、両親の名前を貼り合わせ「太」の鼻糞を取り「池田大作」となったという。
言葉もべらんめぇ調で江戸っ子を気取っているが、池波正太郎曰く「池田大作あたりが度々『俺は江戸っ子でぇ』と気取ってるが、あんなのをピント外れといってねぇ、江戸ってぇのは本来、品川迄で、大森ってのは江戸じゃねぇよ」(嘲笑)
創価学会の支援を受けて当選した議員は、学会幹部から「学会員の為に政治をやりなさい」と指導を受けるという。つまりは、創価学会の頂点に君臨する「池田太作名誉会長の現世利益の為だけに命がけでやれ」という絶対命令でもあるのだ。
公明党の売国性は「外参権付与」「自虐史観」「反靖國」「反天皇」「誤憲(護憲)」「平和主義」と、挙げれば限が無いが、政治では与党として、また経済、文化、教育、司法と、今や創価学会は巷に蔓延し、我が国を蝕み続けている。
SGI(創価学会インターナショナル)会長である池田太作こそ日本国内最大の国賊と言っても過言ではないが、池田を崇め奉るこうした連中と、保守を標榜する自民党がいつまでも連立を続けること自体、国益及び国柄を大きく損なっている。
今や行政に共産主義が入り込み「男女共同参画社会」「ジェンダーフリー」「SDGs」「人権擁護法案」「協働・共生社会」「外国人参政権」「外国人住民基本法案」「選択的夫婦別姓」「戸籍法廃止」、極め付けは「女性天皇容認論」と「女性宮家」の創設等等、次から次へと左翼の国體破壊への策謀が氾濫している。
こうした売国法案と言うべき姦策を、行政側への介入を奨めているのは日本共産党や立憲民主党などより、保守を自任するべき自民党が推進して成立させ謀ろうとしているものだが、反国家勢力でもある公明党が率先して推進している。
細川政権下、「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」の改革四法案が成立している。小選挙区制度と政党交付金は政治劣化の元凶であり、正しく公明党政権与党入りは政治劣化の30年でもある。
公明党は自自公連立政権を皮切りに、約30年に亘って政権に喰らい付いて来た。自民党議員が創価学会票に期待するが、創価学会の集票力は年々減少傾向にある。次期総選挙では自公連立政権にコアな保守層が三下り半を突き付けるだろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2023年11月19日
愛国心の希薄と国防意識の欠落では我が国は世界に冠たる国となった
岸田第二次政権の政策は画餅ばかり。防衛政策について、防衛財源の確保の為の増税だとか、算盤上の対策ばかりで国防や領土防衛が語られることは無い。領土防衛で大事なことは、如何にして国民の生命・財産と主権を守るかという覚悟である。
以前、「防衛は今を生きる国民の責任」と言い放った岸田だが、防衛費増税は憲法下の国民の三大義務でもある「納税」を利用した詐欺の様なものだろう。ここのところの岸田の無能と不作為は甚だしく、岸田政権の存続はイコール国益を害す。
国防とは、単に国家の領土防衛だけではなく、「それを失えば日本ではなくなることである」と訓えたのは三島由紀夫。国防とは歴史や伝統文化、言語、宗教といった国柄(国體)を守ることであり、何より、皇統(天皇)を死守することにある。
抽象的な言葉の羅列ばかりで、真剣に国家・国民を護るという気概が感じられない最低のものだった。政治家の最重要政策は「国防」と「教育」である。
国民の「国防」に対する意識は益々薄れるばかり。政治家は「国防」の意味を知らず、「教育」の重要性を認識せずに、国家の基本法である憲法論議を避けその場を誤魔化し、頭の中に有るものは自己保身と権力欲と党利党略の偽善だけ。
景気対策や社会保障を見直しバラ撒き政策をしたところで、北朝鮮のミサイル一発でそんなものは吹っ飛んでしまうだろう。自国の防衛を米国に委ね、米国の価値観を妄信していることが、国防意識の低下と日本人の精神的貧困の元凶でもある。
国の大本は「国防」であり「教育」である。この二つに不可欠なものは「愛国心」であり、祖国を愛するという心情は理屈ではなく極めて自然な感情である。
ところが、戦後は戦前の狂信的ともいえる鼓吹された愛国心の反動から「愛国」という言葉自体が、政治家からもマスコミからも教育の世界からも消えて久しい。
愛国心なき国防など有り得ない。自国の防衛すら満足に出来ない国が、米国の意の儘にウクライナへの武器供与など烏滸がましい。況してや、米国民主党とは共産主義者が席巻する国連と同じく、左翼政党ということを忘れてはならない。
国民に対し「国防とは斯く在るべき」ということを訴えるべきだったのに、防衛予算の算盤勘定だけでで終わったことは残念でならない。教育論然り。
我が国は、今や愛国心の希薄と国防意識の欠落では恥ずかしいことに世界に冠たる国となってしまった。「祖国日本を愛する」などと言えば、珍左翼どもから「ネトウヨ」認定され、「恥ずかしいもの」と植え込まれてしまうのだから困ったものだ。
野党や左翼コメンテーターが「防衛力強化は米国追随だ」と批判する。確かに米国への忠誠にも思えるが、それこそが戦後の我が国の歪な体制でもあるのだ。
防衛力強化への反対派というのは、国家の防衛を否定した憲法を有難がっている反米左翼ばかり。安保条約下で国家の大本を米国に依存しながら何を言うか。
米国追随が嫌なら米国製の現憲法を破棄し、自国で戦闘機や迎撃システムを造れる様な法整備を急ぐべきだし、米国依存から脱却し、中共軍とも対峙出来る防衛体制を整えるべきだろう。親米保守が米国追随なら、反対派は中共への諂いでしかない。
我が国は今や世界に冠たる経済大国である。国家観無き政治家どもは票欲しさに福祉や社会保障の充実を掲げてはいるが、真の国民福祉は国家民族の平和と安全の保障を措いて他に何があると言うのか。そう考えれば、防衛力の整備に限界は無い。
政治で大事なのものは国家観を持って外交を行い、国防を怠らず、将来を担う子供達に誇りの持てる教育を施すことである。その国防とは、領土主権の防衛だけではなく、我が国の歴史と伝統文化を護ることであり、畢竟「皇統」の死守である。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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以前、「防衛は今を生きる国民の責任」と言い放った岸田だが、防衛費増税は憲法下の国民の三大義務でもある「納税」を利用した詐欺の様なものだろう。ここのところの岸田の無能と不作為は甚だしく、岸田政権の存続はイコール国益を害す。
国防とは、単に国家の領土防衛だけではなく、「それを失えば日本ではなくなることである」と訓えたのは三島由紀夫。国防とは歴史や伝統文化、言語、宗教といった国柄(国體)を守ることであり、何より、皇統(天皇)を死守することにある。
抽象的な言葉の羅列ばかりで、真剣に国家・国民を護るという気概が感じられない最低のものだった。政治家の最重要政策は「国防」と「教育」である。
国民の「国防」に対する意識は益々薄れるばかり。政治家は「国防」の意味を知らず、「教育」の重要性を認識せずに、国家の基本法である憲法論議を避けその場を誤魔化し、頭の中に有るものは自己保身と権力欲と党利党略の偽善だけ。
景気対策や社会保障を見直しバラ撒き政策をしたところで、北朝鮮のミサイル一発でそんなものは吹っ飛んでしまうだろう。自国の防衛を米国に委ね、米国の価値観を妄信していることが、国防意識の低下と日本人の精神的貧困の元凶でもある。
国の大本は「国防」であり「教育」である。この二つに不可欠なものは「愛国心」であり、祖国を愛するという心情は理屈ではなく極めて自然な感情である。
ところが、戦後は戦前の狂信的ともいえる鼓吹された愛国心の反動から「愛国」という言葉自体が、政治家からもマスコミからも教育の世界からも消えて久しい。
愛国心なき国防など有り得ない。自国の防衛すら満足に出来ない国が、米国の意の儘にウクライナへの武器供与など烏滸がましい。況してや、米国民主党とは共産主義者が席巻する国連と同じく、左翼政党ということを忘れてはならない。
国民に対し「国防とは斯く在るべき」ということを訴えるべきだったのに、防衛予算の算盤勘定だけでで終わったことは残念でならない。教育論然り。
我が国は、今や愛国心の希薄と国防意識の欠落では恥ずかしいことに世界に冠たる国となってしまった。「祖国日本を愛する」などと言えば、珍左翼どもから「ネトウヨ」認定され、「恥ずかしいもの」と植え込まれてしまうのだから困ったものだ。
野党や左翼コメンテーターが「防衛力強化は米国追随だ」と批判する。確かに米国への忠誠にも思えるが、それこそが戦後の我が国の歪な体制でもあるのだ。
防衛力強化への反対派というのは、国家の防衛を否定した憲法を有難がっている反米左翼ばかり。安保条約下で国家の大本を米国に依存しながら何を言うか。
米国追随が嫌なら米国製の現憲法を破棄し、自国で戦闘機や迎撃システムを造れる様な法整備を急ぐべきだし、米国依存から脱却し、中共軍とも対峙出来る防衛体制を整えるべきだろう。親米保守が米国追随なら、反対派は中共への諂いでしかない。
我が国は今や世界に冠たる経済大国である。国家観無き政治家どもは票欲しさに福祉や社会保障の充実を掲げてはいるが、真の国民福祉は国家民族の平和と安全の保障を措いて他に何があると言うのか。そう考えれば、防衛力の整備に限界は無い。
政治で大事なのものは国家観を持って外交を行い、国防を怠らず、将来を担う子供達に誇りの持てる教育を施すことである。その国防とは、領土主権の防衛だけではなく、我が国の歴史と伝統文化を護ることであり、畢竟「皇統」の死守である。
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2023年11月18日
宝塚歌劇団員のイジメに因る自殺の真相は如何に
「週刊文春」は今年1月、宝塚歌劇団の宙組トップスター・真風涼帆(まかぜすずほ)が、宙組トップ娘役だった星風まどか(現花組トップ娘役)に侮蔑的な言葉を浴びせるなど陰湿なイジメを行っていたと報じた。劇団側は報道内容を否定している。
週刊文春の告発記事に対し、劇団側が「事実無根」として放置し続けた結果、星風まどかは飛び降り自殺をした。週刊文春に由れば今回の自殺の他に、18年6月にはイジメ被害で予科生が寮のバルコニーから身を投げたという報道が成されている。
宝塚歌劇団を巡っては前年12月発売の「文春」記事で、演出家の原田諒が演出助手だった女性スタッフに対してセクハラ発言を繰り返したり、雪組のトップスターや娘役を常習的に罵倒していたことが発覚し、原田が退団するに至っている。
劇団側の調査では、週刊文春の報道がデタラメだったというの結論に至っている。団員の自殺は、「長時間労働で心身が追いつめられたからだ」と説明している。
当然、遺族は再調査を求めている。マスコミは世間を焚付けて、テレビ局側の都合の好いコメンテーターを登場させては「宝塚歌劇団は隠蔽体質だ」とか「こんな短い期間の調査で真実は分からない」など劇団側をボロカスに叩いている。
「角を矯めて牛を殺す」という諺がある。セクハラやイジメは赦せることではないが、欠点を直そうとして反ってそのもの自体を駄目にしてしまうこともある。
自殺というのは精神的な病でもある。「自殺しよう」と決めた人間を翻意させるのは不可能なことで、自殺の理由を他人が詮索したところで故人の遺志は晴れない。
イジメた真風涼帆にしてもイジメていたという認識は乏しいだろう。欠点を直そうというのは優しさでもあり、慈悲の心でもある。だが、星風まどかに通じなかったことは、単に恥を掻かせたり、心に傷を負わせる結果になったということ。
「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことだが、意見される側が受け容れる気持ちが無ければ、単なる「余計なお世話」でしかない。
「葉隠」では、意見というものは先ず、その人がその意見を受け入れられるかどうかを見極めることが大事であり、先ずは相手と親しくなり、自分を信用して受け容れる状態になってからでないと意見というものは通じることもないと教えている。
食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談などを話し、意見を言わなくても、相手に間違いを思い当たる様に仕向けることが出来れば成功だという。
相手の長所を先ずは褒めながら、その上で感じた欠点や間違いを指摘し直そうと努力するというのが親切心であり、本来、意見というのは斯く在るべきなのだ。
2021年に創立100周年を迎えた宝塚歌劇団は、「タカラジェンヌ」と呼ばれる劇団員が全員女性で構成されており、彼女達が男役・女役を務める。花組・月組・雪組・星組・宙組の計5組と専科で構成される日本屈指の人気を誇る歌劇団である。
歴代の劇団員には大地真央や黒木瞳、天海祐希、真矢ミキ、檀れいなど、現在も第一線で活躍する女優が数多く、芸能界の貴重な人材育成機関でもある。だが、男女共同参画社会の中で、ジェンダー平等を訴える勢力からは批判の対象でもある。
歴史・伝統・文化を否定する左翼勢力は、神道に通じる大相撲を目の仇にし、賭博問題やら八百長問題などを執拗に煽り立て、糾弾したのは記憶に新しい。
大相撲が左翼陣営から批判の対象にされることで相撲ファンが離れる要因にもなっている。宝塚歌劇団のイジメ問題を支持している訳では無いが、組織内で起きた問題を殊更に騒ぎ立てることで、宝塚歌劇団の失墜を謀る勢力が存在するのも確か。
宝塚歌劇団と右翼の関係は古く、右翼の巨頭・児玉誉志夫や岡村吾一らも贔屓にしていたと聞く。ジェンダー平等社会が席巻する中だからこそ、女性だけの劇団は貴重だが、何故か女性の自立を訴える勢力からは敵視されているのが不思議だ。
宝塚音楽学校時代の厳しさは折り紙付き。愚生も国士舘時代の厳しさを知ってるが、先輩には「押忍」の三連呼。ヤキで死んだり、苦にして自殺した学生も多い。
当時、朝日新聞が国士舘批判キャンペーンをやり、国士舘は朝日新聞拒否運動をしたり。ノスタルジックな想い出だが、宝塚歌劇団には昭和の名残を感じる。呵呵
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週刊文春の告発記事に対し、劇団側が「事実無根」として放置し続けた結果、星風まどかは飛び降り自殺をした。週刊文春に由れば今回の自殺の他に、18年6月にはイジメ被害で予科生が寮のバルコニーから身を投げたという報道が成されている。
宝塚歌劇団を巡っては前年12月発売の「文春」記事で、演出家の原田諒が演出助手だった女性スタッフに対してセクハラ発言を繰り返したり、雪組のトップスターや娘役を常習的に罵倒していたことが発覚し、原田が退団するに至っている。
劇団側の調査では、週刊文春の報道がデタラメだったというの結論に至っている。団員の自殺は、「長時間労働で心身が追いつめられたからだ」と説明している。
当然、遺族は再調査を求めている。マスコミは世間を焚付けて、テレビ局側の都合の好いコメンテーターを登場させては「宝塚歌劇団は隠蔽体質だ」とか「こんな短い期間の調査で真実は分からない」など劇団側をボロカスに叩いている。
「角を矯めて牛を殺す」という諺がある。セクハラやイジメは赦せることではないが、欠点を直そうとして反ってそのもの自体を駄目にしてしまうこともある。
自殺というのは精神的な病でもある。「自殺しよう」と決めた人間を翻意させるのは不可能なことで、自殺の理由を他人が詮索したところで故人の遺志は晴れない。
イジメた真風涼帆にしてもイジメていたという認識は乏しいだろう。欠点を直そうというのは優しさでもあり、慈悲の心でもある。だが、星風まどかに通じなかったことは、単に恥を掻かせたり、心に傷を負わせる結果になったということ。
「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことだが、意見される側が受け容れる気持ちが無ければ、単なる「余計なお世話」でしかない。
「葉隠」では、意見というものは先ず、その人がその意見を受け入れられるかどうかを見極めることが大事であり、先ずは相手と親しくなり、自分を信用して受け容れる状態になってからでないと意見というものは通じることもないと教えている。
食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談などを話し、意見を言わなくても、相手に間違いを思い当たる様に仕向けることが出来れば成功だという。
相手の長所を先ずは褒めながら、その上で感じた欠点や間違いを指摘し直そうと努力するというのが親切心であり、本来、意見というのは斯く在るべきなのだ。
2021年に創立100周年を迎えた宝塚歌劇団は、「タカラジェンヌ」と呼ばれる劇団員が全員女性で構成されており、彼女達が男役・女役を務める。花組・月組・雪組・星組・宙組の計5組と専科で構成される日本屈指の人気を誇る歌劇団である。
歴代の劇団員には大地真央や黒木瞳、天海祐希、真矢ミキ、檀れいなど、現在も第一線で活躍する女優が数多く、芸能界の貴重な人材育成機関でもある。だが、男女共同参画社会の中で、ジェンダー平等を訴える勢力からは批判の対象でもある。
歴史・伝統・文化を否定する左翼勢力は、神道に通じる大相撲を目の仇にし、賭博問題やら八百長問題などを執拗に煽り立て、糾弾したのは記憶に新しい。
大相撲が左翼陣営から批判の対象にされることで相撲ファンが離れる要因にもなっている。宝塚歌劇団のイジメ問題を支持している訳では無いが、組織内で起きた問題を殊更に騒ぎ立てることで、宝塚歌劇団の失墜を謀る勢力が存在するのも確か。
宝塚歌劇団と右翼の関係は古く、右翼の巨頭・児玉誉志夫や岡村吾一らも贔屓にしていたと聞く。ジェンダー平等社会が席巻する中だからこそ、女性だけの劇団は貴重だが、何故か女性の自立を訴える勢力からは敵視されているのが不思議だ。
宝塚音楽学校時代の厳しさは折り紙付き。愚生も国士舘時代の厳しさを知ってるが、先輩には「押忍」の三連呼。ヤキで死んだり、苦にして自殺した学生も多い。
当時、朝日新聞が国士舘批判キャンペーンをやり、国士舘は朝日新聞拒否運動をしたり。ノスタルジックな想い出だが、宝塚歌劇団には昭和の名残を感じる。呵呵
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2023年11月17日
杉田水脈を糾弾する珍左翼どもは「在日特権は無い」と言ってるが・・・
杉田水脈の「コスプレおばさん」発言が人権侵犯とされたことに杉田自身が反論し、「差別に関わる利権や特権」の存在を示したが、杉田を糾弾する珍左翼どもは相変わらず「在日特権は無い」などと否定し、恬として恥じ入ることは無い。
法務省は、ヘイトスピーチ(憎悪表現)の不当な差別的言動の具体例を提示しているが、杉田に対する珍左翼どもの憎悪表現は尋常なものではない。逆を言えば、在日特権や差別利権を生業にする勢力にとっては杉田は不都合な存在なのだろう。
抑々、日本人が在日朝鮮人や不良外国人に対して憎悪を剥き出しにするのは、行政側の怠慢と「在日特権」という大甘な対応が原因である。己らの職務怠慢と不徳を顧みずに何がヘイトスピーチ規制か。ヘイトスピーチは何も在日だけに向けてのものだけではなく、その向こう側にいる行政や政治に対する不満であり、抗議である。
日本人に限られている生活保護費を「人道的措置」とした行政が、行政の負担になっていることは余程のバカか珍左翼じゃない限り知っている。生活保護費の不正受給は、行政側の事勿れ主義から在日の不当要求を受け容たところに起因する。
生活保護費は正に「在日特権」。生活保護を受給する場合、本名ではなく通名も使用可能。別な通名を使えば更に受給可能となる。通名もまた在日特権であり、珍左翼どもが「在日特権は無い」と断言するなら、通名使用こそ禁止すべきだろう。
在日特権を語る上で大きな契機となるのが竹島問題である。昭和27年1月、韓国初代大統領の李承晩は、国際法を無視して、軍事境界線の所謂「李承晩ライン」を勝手に設定し、日本領土である竹島を取り込んで韓国領と宣言したことである。
韓国が泥棒猫の様に竹島を掠め取ったのであるが、戦後、この「李承晩ライン」を侵犯したとして拿捕、抑留された日本人漁民は「日韓漁業協定」が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人に及び、船舶328隻、死傷者は実に44名を数えた。
韓国政府は日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた朝鮮人の囚人472名の放免と日本滞留特別許可を要求すると日本政府は要求に応じた。
この譲歩以降、在日が殖え続け、在日特権が次々と与えられて行くのだが、今やその特権は在日朝鮮人ばかりでなくシナ人や不良外国人へも適用されている。
人道的なものではなく、譲歩が譲歩を生む典型的な例で、日本に寄食する朝鮮人らは「我々は強制連行された可愛そうな朝鮮人なのだ」と詐称し、「我々を日本人と同等に扱え」と要求すると、政府や行政側は人道的処置ということで更に譲歩し、以来、その強要は益々エスカレートし現在もその悪強いは収まることはない。
こうして生まれた「在日特権」とは朝鮮人の強要というより、日本政府や行政側の事勿れ主義と不作為が原因であり、特権を創り出した責任は日本政府にある。
因みに、強制連行というのは第二次世界大戦末期に「徴用」されて日本に来た朝鮮人を指すが、我が国が敗戦に至ると、GHQの命令で総て半島に戻っている。
強制連行の被害者を装う彼らは税金の不払いを決め込み、「住民税は半額にしろ」「固定資産税は免除しろ」と税務担当を脅して認めさせ、納税することはない。
生活保護の支給にしても外国人でありながら支給を求め、「日本人と同等に扱え」とまんまとせしめているが、生活保護費は日本国憲法「第25条」及び「生活保護法」に則り、日本人に限られ支給されることになっており、明らかに違法である。
不正受給には毅然とした対応で臨み、不正受給した外国人に対しては厳罰に処し、当然、賠償請求するべきだし、「払えない」とか「払わない」なら本国へ送還して、不正受給した金額及び経費はその国に賠償請求すべきである。
日本政府から多大な恩恵を享けながら、日本に感謝もせずに、日本に居付いていることに違和感を感じないのか。日本人が怒る気持ちは当然のことで、これをヘイトスピーチだと断じて規制しようとする法務省は法の正義を全く理解していない。
在日外国人への批判をヘイトスピーチと断じることで、問題の元凶である行政側の怠慢が問われることなく、在日特権の象徴でもある外国人への生活保護支給という問題や通名使用を矮小化したり、正当化することがあってはならない。
刑法に於いて外国人犯罪者は強制送還されることになっている。だが、在日に限っては「7年以上の刑を起こした場合のみ特別永住権を剥奪され送還される」と特別措置を講じられて来た。然し、現実には強制送還された者はいない。
「1991年日韓覚書」というのが存在する。「在日3世以降の日本での優遇措置」を保証したもので、この覚書に因って在日犯罪者を強制送還することが出来ない。
在日への優遇制度がシナ人など他の国の犯罪者にも適用され、強制送還の措置が見送られた結果、日本国内の刑務所が外国人犯罪者で大入り満員状態に陥っている。
朝鮮学校用地の無償貸与や通名使用、入管法の優遇措置、在日外国人高齢者(障害者)福祉給付金など日本国民より優遇されている状況は人道措置という代物ではない。違法行為を続ける不良在日への特別永住許可を剥奪しなければならない。
法の下の平等というのなら、在日外国人への優遇政策も見直しは当然であり、在日外国人の違法行為に対しては徹底して排除・摘発・送還するべきである。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
法務省は、ヘイトスピーチ(憎悪表現)の不当な差別的言動の具体例を提示しているが、杉田に対する珍左翼どもの憎悪表現は尋常なものではない。逆を言えば、在日特権や差別利権を生業にする勢力にとっては杉田は不都合な存在なのだろう。
抑々、日本人が在日朝鮮人や不良外国人に対して憎悪を剥き出しにするのは、行政側の怠慢と「在日特権」という大甘な対応が原因である。己らの職務怠慢と不徳を顧みずに何がヘイトスピーチ規制か。ヘイトスピーチは何も在日だけに向けてのものだけではなく、その向こう側にいる行政や政治に対する不満であり、抗議である。
日本人に限られている生活保護費を「人道的措置」とした行政が、行政の負担になっていることは余程のバカか珍左翼じゃない限り知っている。生活保護費の不正受給は、行政側の事勿れ主義から在日の不当要求を受け容たところに起因する。
生活保護費は正に「在日特権」。生活保護を受給する場合、本名ではなく通名も使用可能。別な通名を使えば更に受給可能となる。通名もまた在日特権であり、珍左翼どもが「在日特権は無い」と断言するなら、通名使用こそ禁止すべきだろう。
在日特権を語る上で大きな契機となるのが竹島問題である。昭和27年1月、韓国初代大統領の李承晩は、国際法を無視して、軍事境界線の所謂「李承晩ライン」を勝手に設定し、日本領土である竹島を取り込んで韓国領と宣言したことである。
韓国が泥棒猫の様に竹島を掠め取ったのであるが、戦後、この「李承晩ライン」を侵犯したとして拿捕、抑留された日本人漁民は「日韓漁業協定」が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人に及び、船舶328隻、死傷者は実に44名を数えた。
韓国政府は日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた朝鮮人の囚人472名の放免と日本滞留特別許可を要求すると日本政府は要求に応じた。
この譲歩以降、在日が殖え続け、在日特権が次々と与えられて行くのだが、今やその特権は在日朝鮮人ばかりでなくシナ人や不良外国人へも適用されている。
人道的なものではなく、譲歩が譲歩を生む典型的な例で、日本に寄食する朝鮮人らは「我々は強制連行された可愛そうな朝鮮人なのだ」と詐称し、「我々を日本人と同等に扱え」と要求すると、政府や行政側は人道的処置ということで更に譲歩し、以来、その強要は益々エスカレートし現在もその悪強いは収まることはない。
こうして生まれた「在日特権」とは朝鮮人の強要というより、日本政府や行政側の事勿れ主義と不作為が原因であり、特権を創り出した責任は日本政府にある。
因みに、強制連行というのは第二次世界大戦末期に「徴用」されて日本に来た朝鮮人を指すが、我が国が敗戦に至ると、GHQの命令で総て半島に戻っている。
強制連行の被害者を装う彼らは税金の不払いを決め込み、「住民税は半額にしろ」「固定資産税は免除しろ」と税務担当を脅して認めさせ、納税することはない。
生活保護の支給にしても外国人でありながら支給を求め、「日本人と同等に扱え」とまんまとせしめているが、生活保護費は日本国憲法「第25条」及び「生活保護法」に則り、日本人に限られ支給されることになっており、明らかに違法である。
不正受給には毅然とした対応で臨み、不正受給した外国人に対しては厳罰に処し、当然、賠償請求するべきだし、「払えない」とか「払わない」なら本国へ送還して、不正受給した金額及び経費はその国に賠償請求すべきである。
日本政府から多大な恩恵を享けながら、日本に感謝もせずに、日本に居付いていることに違和感を感じないのか。日本人が怒る気持ちは当然のことで、これをヘイトスピーチだと断じて規制しようとする法務省は法の正義を全く理解していない。
在日外国人への批判をヘイトスピーチと断じることで、問題の元凶である行政側の怠慢が問われることなく、在日特権の象徴でもある外国人への生活保護支給という問題や通名使用を矮小化したり、正当化することがあってはならない。
刑法に於いて外国人犯罪者は強制送還されることになっている。だが、在日に限っては「7年以上の刑を起こした場合のみ特別永住権を剥奪され送還される」と特別措置を講じられて来た。然し、現実には強制送還された者はいない。
「1991年日韓覚書」というのが存在する。「在日3世以降の日本での優遇措置」を保証したもので、この覚書に因って在日犯罪者を強制送還することが出来ない。
在日への優遇制度がシナ人など他の国の犯罪者にも適用され、強制送還の措置が見送られた結果、日本国内の刑務所が外国人犯罪者で大入り満員状態に陥っている。
朝鮮学校用地の無償貸与や通名使用、入管法の優遇措置、在日外国人高齢者(障害者)福祉給付金など日本国民より優遇されている状況は人道措置という代物ではない。違法行為を続ける不良在日への特別永住許可を剥奪しなければならない。
法の下の平等というのなら、在日外国人への優遇政策も見直しは当然であり、在日外国人の違法行為に対しては徹底して排除・摘発・送還するべきである。
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2023年11月16日
昭和30年11月15日、日本民主党と自由党の合併により「自由民主党」が誕生
占領統治から解放された3年後の昭和30年11月15日、日本民主党と自由党が合併し「自由民主党」が誕生した。党是は「自主憲法の制定」であることは誰もが知るところ。何故に自主憲法制定を目指したのかといえば、占領下にまで遡る。
GHQの占領下だった昭和25(1950)年6月25日、北朝鮮が突如として南朝鮮(韓国)に侵攻する。所謂「朝鮮戦争」である。この朝鮮戦争を機に同じ挑戦民族同士が相討つ戦争となり、休戦に至る約4年間で数百万人が犠牲となる大惨事となった。
朝鮮戦争勃発後、マッカーサーは、吉田茂首相に「国内警察力」と「海上警備力の強化」を促す書簡を送った。所謂「マッカーサー書簡(文書)」というもので、マッカーサーが日本に押し付けた日本国憲法の実質的な破棄を促したものである。
マッカーサー書簡から1ヶ月後には「警察予備隊令」が決定、翌日公布、即日施行というスピードで準備が整えられ、自衛隊の前身たる警察予備隊が誕生した。
然し乍ら、その実態は日本国憲法に違反しない様に、「警察予備隊は『軍隊』ではない」という欺瞞の下で、「師団」を「管区」、「歩兵」を「普通科」、「砲兵」を「特科」、「兵器」は「武器」、「戦車」は「特車」という御粗末なものだった。
自衛隊を「戦力なき軍隊である」としたことで未だにそうした欺瞞を払拭出来ずにいる。故安倍元首相は、自衛隊を「我が国を防衛する為の必要最小限の実力組織」にすると語っている。この認識こそが占領下時代の警察予備隊の儘なのだ。
そんな中での憲法九条改正は究極の護憲運動と言っても過言ではない。吉田首相が、第九条の「国際紛争を解決する手段としての武力行使」を否定したことで現憲法を破棄・改正する道は途絶えた。当時のこの判断に由って、我が国が米国に利用されることなく、朝鮮戦争やベトナム戦争に駆り出されなかったのは事実だろう。
だが然し、「マッカーサー書簡」が送られたのを機に日本国憲法を破棄し、大日本帝国憲法(欽定憲法)に戻していれば、安保関連法案や集団的自衛権の行使云々で不毛空論の議論が繰り返されることはなかったし、健全な国家になっていただろう。
朝鮮戦争は、我が国が主権を回復した(昭和27年4月28日)後の、1948(昭和28年7月27日)まで続いていたことで、憲法改正の機を失ったのもまた事実である。
主権回復後から3年経った昭和30年になって、漸く憲法の見直しなどの機運が高まり、日本民主党と自由党が合併し「自由民主党」が誕生することとなるのである。
石破茂幹事長時代、旧綱領が改正された。新綱領に先ず「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を」として次の様に明記されている。
〈私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、
社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、
共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。
そのために教育基本法を改正するとともに、
教育に対して惜しみなく資源を配分し、
日本人に生まれたことに誇りがもてる、
国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします〉
だが、どうだろう。自民党の新綱領に基く施策である「日本人に生まれたことに誇りが持てる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育を目指す」とは単なる画餅となり、「世界一安心・安全な社会を創る」という国家の安全保障にも程遠いものだ。
「積極的平和主義」を唱え「防衛力の充実」を図るのも大事ではあるが、「国防」とは単に領土保全だけのことではない。三島由紀夫はそれをこう訓えている。
「国防とは国土という領土の防衛ではなく、それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを守り抜くことである」。国を護るということはつまり、国柄である民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度を護り、世界の中で最も優れた精神文化や未来の子供達、そして何より「皇統」を死守し、継承することである。
自民党並びに自民党員は、新自由主義と経済至上主義を猛省し、結党精神を想起すると共に、国防精神の高揚と祖国・日本の再生を図ることを使命とするべし。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメントや御意見御感想、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
GHQの占領下だった昭和25(1950)年6月25日、北朝鮮が突如として南朝鮮(韓国)に侵攻する。所謂「朝鮮戦争」である。この朝鮮戦争を機に同じ挑戦民族同士が相討つ戦争となり、休戦に至る約4年間で数百万人が犠牲となる大惨事となった。
朝鮮戦争勃発後、マッカーサーは、吉田茂首相に「国内警察力」と「海上警備力の強化」を促す書簡を送った。所謂「マッカーサー書簡(文書)」というもので、マッカーサーが日本に押し付けた日本国憲法の実質的な破棄を促したものである。
マッカーサー書簡から1ヶ月後には「警察予備隊令」が決定、翌日公布、即日施行というスピードで準備が整えられ、自衛隊の前身たる警察予備隊が誕生した。
然し乍ら、その実態は日本国憲法に違反しない様に、「警察予備隊は『軍隊』ではない」という欺瞞の下で、「師団」を「管区」、「歩兵」を「普通科」、「砲兵」を「特科」、「兵器」は「武器」、「戦車」は「特車」という御粗末なものだった。
自衛隊を「戦力なき軍隊である」としたことで未だにそうした欺瞞を払拭出来ずにいる。故安倍元首相は、自衛隊を「我が国を防衛する為の必要最小限の実力組織」にすると語っている。この認識こそが占領下時代の警察予備隊の儘なのだ。
そんな中での憲法九条改正は究極の護憲運動と言っても過言ではない。吉田首相が、第九条の「国際紛争を解決する手段としての武力行使」を否定したことで現憲法を破棄・改正する道は途絶えた。当時のこの判断に由って、我が国が米国に利用されることなく、朝鮮戦争やベトナム戦争に駆り出されなかったのは事実だろう。
だが然し、「マッカーサー書簡」が送られたのを機に日本国憲法を破棄し、大日本帝国憲法(欽定憲法)に戻していれば、安保関連法案や集団的自衛権の行使云々で不毛空論の議論が繰り返されることはなかったし、健全な国家になっていただろう。
朝鮮戦争は、我が国が主権を回復した(昭和27年4月28日)後の、1948(昭和28年7月27日)まで続いていたことで、憲法改正の機を失ったのもまた事実である。
主権回復後から3年経った昭和30年になって、漸く憲法の見直しなどの機運が高まり、日本民主党と自由党が合併し「自由民主党」が誕生することとなるのである。
石破茂幹事長時代、旧綱領が改正された。新綱領に先ず「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を」として次の様に明記されている。
〈私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、
社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、
共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。
そのために教育基本法を改正するとともに、
教育に対して惜しみなく資源を配分し、
日本人に生まれたことに誇りがもてる、
国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします〉
だが、どうだろう。自民党の新綱領に基く施策である「日本人に生まれたことに誇りが持てる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育を目指す」とは単なる画餅となり、「世界一安心・安全な社会を創る」という国家の安全保障にも程遠いものだ。
「積極的平和主義」を唱え「防衛力の充実」を図るのも大事ではあるが、「国防」とは単に領土保全だけのことではない。三島由紀夫はそれをこう訓えている。
「国防とは国土という領土の防衛ではなく、それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを守り抜くことである」。国を護るということはつまり、国柄である民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度を護り、世界の中で最も優れた精神文化や未来の子供達、そして何より「皇統」を死守し、継承することである。
自民党並びに自民党員は、新自由主義と経済至上主義を猛省し、結党精神を想起すると共に、国防精神の高揚と祖国・日本の再生を図ることを使命とするべし。
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2023年11月15日
11月15日に生まれ11月15日に死んだ坂本龍馬
11月15日は坂本龍馬が京都の醤油商・近江屋で暗殺された日であるが、11月15日は龍馬の誕生日でもある。天保6年11月15日、土佐郷士の家に生まれ、慶応3年11月15日、暗殺された。11月15日は龍馬ファンにとって感慨深い日でもある。
龍馬は近江屋には、襲撃の際に自分が脱出する事が出来る隠れ家を土蔵に作っていたというが、風邪を引いていた龍馬は土蔵ではなく、来訪した中岡慎太郎と近江屋のニ階で好物の京都「鳥彌三」の鶏の水炊きを堪能しつつ歓談していた。
部屋には二人の他に、龍馬の護衛をしていた元・力士の山田藤吉の三人。その日、近江屋に南大和の「十津川郷土」と名乗る男らが訪ねて来る。山田が対応したが、部屋へ向かう途中に山田は後ろから斬られ、続いて龍馬と中岡が襲撃された。
龍馬は即死に近く仄聞されている様な、「わしゃ脳をやられちゅうきダメじゃ」という声を出す間もなかったのではなかろうか。中岡はニ日後に亡くなった。
龍馬暗殺の謎暗殺について、「護衛の山田藤吉は何故、客人を疑わずに通したのか」とか、「龍馬はピストルを持っていたのに、一発も発砲されていないのは何故か」「中岡の暗殺に、龍馬が巻き込まれたのではないか」など謎は多いが、龍馬のカリスマと共に後に想像(イメージ)されていったのではないだろうか。
龍馬は、北辰一刀流免許皆伝というのが歴史的に語られているが、事実は北辰一刀流でも「長刀」の使い手である。つまりは刀ではなく「薙刀」の名手ではあったが剣術そのものは得意ではなく、実際の剣術の腕前はそれほどではなかったと思う。
居合道や剣道を経験した者は分かるだろうが、龍馬のあの有名な拳銃を懐に仕舞って立つ姿は、刀がだらしなく下げられて如何にも弱そうで剣の達人には見えない。
事実、「寺田屋事件」でも龍馬は短銃で応戦はしたが、弾丸が切れたにも拘らず刀で応戦せず、不様に短銃を振り回すだけで、結果、両手に数か所の深手を負った。
龍馬という人物は幕末には然程有名ではなかったという。維新後数十年が経ち、地元紙に「坂本龍馬特集」が連載され、それが人気に火を点け現在に続いている。
坂本龍馬暗殺の実行犯は今でも歴史家の意見も様々で、「京都見廻組」と「新撰組」に分かれている。「京都見廻組説」では、明治時代に入り、元・隊士だった今井信郎、渡辺篤が、佐々木只三郎らと実行したとの証言を理由に挙げる。
「新撰組説」では、新撰組の隊士が通っていた料理屋の下駄や新撰組隊士の原田左之助刀の鞘が、襲撃後に近江屋に残されていたとの説を挙げる。
だが、そうしたことも龍馬の神秘性を高めている。だが、その龍馬も武器商人だったと断定され教科書から消えるというから、ホント時代は移ろい易いものだ。
幕藩体制下に於いて「横議横行」を勧め、「脱藩せよ!」と叫んだのが吉田松陰だが、その「横議横行」を実践した人物として最も有名なのは坂本竜馬だろう。
「横議横行」とは、自由気儘に各地を歩き回り、出合った人達と大いに議論し語り明かすことだが、幕藩体制下では藩の領地から出ることさえ儘ならなかった。
明治維新は、こうした幕藩体制の陋習を、龍馬を始めとした草莽の志士らが打ち破り、「横議横行」の実践したことに拠るものだと言っても過言ではない。
時代の寵児として活躍した人物の共通の特徴というのは「言葉」が違うことだ。大衆の心を引き付けるのは「言葉」を以て他に無いと思う。土佐の町人郷士の次男に生まれた坂本竜馬は、正に「言葉の達人」だったのだろうと思う。
彼が幕閣とも勤王の志士とも通じ、後には薩長連合の仕掛け人として、明治維新を豪腕で引き寄せた立役者足り得たのは、説得の技術であり、畢竟、言葉の豊かさに拠るものであったと思う。更にもう一つは、彼が「歩く人」だったことだ。
交通の不便だった時代に、龍馬は実に驚く距離を行き来している。 家を飛び出して、多くの人と顔を突き合わせ「横議横行」することは実に大切なことである。その人との邂逅こそが自分や周りは勿論、時代をも変える可能性を秘めている。
愚生も蟄居も厭きたし、そろそろ放浪の旅に出て、旅で出会った方々と「横議横行」したいものだ。だが、それより手元不如意をどうにかせねばならない。呵呵。
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龍馬は近江屋には、襲撃の際に自分が脱出する事が出来る隠れ家を土蔵に作っていたというが、風邪を引いていた龍馬は土蔵ではなく、来訪した中岡慎太郎と近江屋のニ階で好物の京都「鳥彌三」の鶏の水炊きを堪能しつつ歓談していた。
部屋には二人の他に、龍馬の護衛をしていた元・力士の山田藤吉の三人。その日、近江屋に南大和の「十津川郷土」と名乗る男らが訪ねて来る。山田が対応したが、部屋へ向かう途中に山田は後ろから斬られ、続いて龍馬と中岡が襲撃された。
龍馬は即死に近く仄聞されている様な、「わしゃ脳をやられちゅうきダメじゃ」という声を出す間もなかったのではなかろうか。中岡はニ日後に亡くなった。
龍馬暗殺の謎暗殺について、「護衛の山田藤吉は何故、客人を疑わずに通したのか」とか、「龍馬はピストルを持っていたのに、一発も発砲されていないのは何故か」「中岡の暗殺に、龍馬が巻き込まれたのではないか」など謎は多いが、龍馬のカリスマと共に後に想像(イメージ)されていったのではないだろうか。
龍馬は、北辰一刀流免許皆伝というのが歴史的に語られているが、事実は北辰一刀流でも「長刀」の使い手である。つまりは刀ではなく「薙刀」の名手ではあったが剣術そのものは得意ではなく、実際の剣術の腕前はそれほどではなかったと思う。
居合道や剣道を経験した者は分かるだろうが、龍馬のあの有名な拳銃を懐に仕舞って立つ姿は、刀がだらしなく下げられて如何にも弱そうで剣の達人には見えない。
事実、「寺田屋事件」でも龍馬は短銃で応戦はしたが、弾丸が切れたにも拘らず刀で応戦せず、不様に短銃を振り回すだけで、結果、両手に数か所の深手を負った。
龍馬という人物は幕末には然程有名ではなかったという。維新後数十年が経ち、地元紙に「坂本龍馬特集」が連載され、それが人気に火を点け現在に続いている。
坂本龍馬暗殺の実行犯は今でも歴史家の意見も様々で、「京都見廻組」と「新撰組」に分かれている。「京都見廻組説」では、明治時代に入り、元・隊士だった今井信郎、渡辺篤が、佐々木只三郎らと実行したとの証言を理由に挙げる。
「新撰組説」では、新撰組の隊士が通っていた料理屋の下駄や新撰組隊士の原田左之助刀の鞘が、襲撃後に近江屋に残されていたとの説を挙げる。
だが、そうしたことも龍馬の神秘性を高めている。だが、その龍馬も武器商人だったと断定され教科書から消えるというから、ホント時代は移ろい易いものだ。
幕藩体制下に於いて「横議横行」を勧め、「脱藩せよ!」と叫んだのが吉田松陰だが、その「横議横行」を実践した人物として最も有名なのは坂本竜馬だろう。
「横議横行」とは、自由気儘に各地を歩き回り、出合った人達と大いに議論し語り明かすことだが、幕藩体制下では藩の領地から出ることさえ儘ならなかった。
明治維新は、こうした幕藩体制の陋習を、龍馬を始めとした草莽の志士らが打ち破り、「横議横行」の実践したことに拠るものだと言っても過言ではない。
時代の寵児として活躍した人物の共通の特徴というのは「言葉」が違うことだ。大衆の心を引き付けるのは「言葉」を以て他に無いと思う。土佐の町人郷士の次男に生まれた坂本竜馬は、正に「言葉の達人」だったのだろうと思う。
彼が幕閣とも勤王の志士とも通じ、後には薩長連合の仕掛け人として、明治維新を豪腕で引き寄せた立役者足り得たのは、説得の技術であり、畢竟、言葉の豊かさに拠るものであったと思う。更にもう一つは、彼が「歩く人」だったことだ。
交通の不便だった時代に、龍馬は実に驚く距離を行き来している。 家を飛び出して、多くの人と顔を突き合わせ「横議横行」することは実に大切なことである。その人との邂逅こそが自分や周りは勿論、時代をも変える可能性を秘めている。
愚生も蟄居も厭きたし、そろそろ放浪の旅に出て、旅で出会った方々と「横議横行」したいものだ。だが、それより手元不如意をどうにかせねばならない。呵呵。
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2023年11月14日
政治の本質は国民目線に立つことでなければ平均的な国民を創ることでもない
福島県議会議員選挙が終わった。国士舘大学の後輩でもある鈴木智と二本松市の高宮光敏が当選し安堵した。いわき市では医師でれいわ新選組の候補がトップに迫る票を獲得し当選。維新の会元職も当選。いわき市はホント捻くれ者が多いな。
二本松市では、高宮が二番手に甘んじた。未だに部落対抗戦の色合いが濃く、新人候補は旧安達町の前職の後継者を前面に出し、「旧二本松市の候補二人では郡部の声が聞こえない」との声を聞いた。政策よりもこんな訴えが通じるのだから笑える。
高宮は自民党だが、新聞などでは新人候補が自民党で、高宮は(公)と公明党推薦となっており、自民党ではなく公明党候補だと思った有権者は少なくない。
てっきり、自民候補二人の間隙を縫って立憲の候補が漁夫の利を得ると思ってたが、二本松という地域はホント分からない。市長があの三保恵一だし(苦笑)
自民党県議団は単独過半数を失ったが、公明党との連立で事無きを得る。だが、自公連立が国益を失わせ、保守層の支持を失っていることを自覚するべきだ。
投票率は史上最低。「政治家のなり手不足」とかより、投票率の低下は深刻だ。公職選挙法や選挙制度を見直して、投票を義務化すると同時に「支持政党なし」や「該当者なし」の項目を創るなどの対策を講じることで、選挙への関心が湧く。
投票を棄権した有権者の多くは政治には無関心で、自分の思いを托せる政治家がいないから。つまり、棄権票は「政治不信」という一票であると自覚すべし。
その昔は、選挙に出馬となると宣伝車代やらポスター代、文書交通費、光熱費やその他諸諸のカネが必要だったが、今やそうした経費は殆どが行政側が賄う。つまり、国民が納めた血税が議員を生業にしたがる輩に勝手に垂れ流されてるのだ。
地区対抗運動会の様な意味の無い選挙カーでの選挙を止めて、候補者が各地区を一緒に回り、公民館や体育館、集会所などで立会演説会をすれば好いではないか。何故、そんな簡単なことさえ出来ないのは、公職選挙法がネックになっているから。
選挙カーでの移動中は名前の連呼しか叫べず、立会演説会には粗末な許可証を立てなければならない。正に現在の選挙制度は昭和25年制定当時の儘なのだ。
近年ではインターネットでの選挙活動が解禁され、ビラ配布についても容認された。だが、何故か電子メール送信禁止事項があるなど、選挙制度での御役所仕事が目に付く。投票率を上げたいのならば、選挙制度そのものを見直すべきである。
今やネットでの選挙運動も合法化されたし、以前より期日前投票は容易になった。時代に即し、コンビニや郵送での投票、インターネット投票なども可能にして、有権者の意思が反映出来る環境を整えるべきだろう。それでも投票に行かない人は理由を明らかにし、棄権した理由が無いなら相応の罰則を科すことも一考だろう。
総選挙も近くなり、政党に拠っては「国民の声を聞く」とか「民意の声を受け止める」などと訴え、国民に媚び諂うが、政治の本質は国民目線に立つことでもないし、平均的な国民を創ることもではない。政治が国民目線に立つと必ず国は滅ぶ。
何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだ。そんな声を受け入れてどうなるというのか。
政治とは、自国の国家観を重んじ乍らも国民目線とはかけ離れた国家観や歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだ。経済も然り。
国民目線などと訴えている候補者が国民の声を聞き、国家観を重んじた政治を実践出来るのかと問えば甚だ疑問である。何故なら政治というものは水物だから。
細川護熙の「日本新党」が政界を席巻。自民党からも新党ブームに便乗する議員が相次いだ。だがどうだろう、政治の混乱を生んだあの時代に祖国日本が棄損されて行く序章となったことに刮目すれば、現在の小選挙区比例並立制は弊害でしかない。
言えることは、衆院の小選挙区制度比例並立制が政治劣化の元凶であり、国会議員の八割以上が世襲や官僚上がりになってしまうのは当然のこと。国会に新しい風を吹かす為にも新たな小選挙区制度を廃止し中選挙区制度を創るべきである。
細川政権下に導入された「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」の改革四法案の見直しなくして政治の正常化無し。
小選挙区制度は自民党に代わる受皿作りというのは理解するが、小選挙区制度は白黒を付けるのが苦手で、中庸を重んじる日本人の国民性には合わない。
過去を遡れば国家観無き政党が単なる権力争いから離散集合を繰り返した。だが「二大政党制」は成されることなく、未だに旧態依然の政争が繰り返されている。
政党助成金制度然り。比例並立制を導入したことで弱小政党が淘汰されずに国民世論を分断するクソ政党と化す。こんな政党にも血税が支払われて好いのか。
何れにせよ、国民は熱し易く醒め易い。次期総選挙が行われれば自民党が惨敗する可能性は大きい。自民党を粛正するのなら、党内に蔓延する旧態依然の悪しき陋習を排し、党内改革と国益と国體重視の政策を堂々と掲げる議員の出現以外に無い。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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二本松市では、高宮が二番手に甘んじた。未だに部落対抗戦の色合いが濃く、新人候補は旧安達町の前職の後継者を前面に出し、「旧二本松市の候補二人では郡部の声が聞こえない」との声を聞いた。政策よりもこんな訴えが通じるのだから笑える。
高宮は自民党だが、新聞などでは新人候補が自民党で、高宮は(公)と公明党推薦となっており、自民党ではなく公明党候補だと思った有権者は少なくない。
てっきり、自民候補二人の間隙を縫って立憲の候補が漁夫の利を得ると思ってたが、二本松という地域はホント分からない。市長があの三保恵一だし(苦笑)
自民党県議団は単独過半数を失ったが、公明党との連立で事無きを得る。だが、自公連立が国益を失わせ、保守層の支持を失っていることを自覚するべきだ。
投票率は史上最低。「政治家のなり手不足」とかより、投票率の低下は深刻だ。公職選挙法や選挙制度を見直して、投票を義務化すると同時に「支持政党なし」や「該当者なし」の項目を創るなどの対策を講じることで、選挙への関心が湧く。
投票を棄権した有権者の多くは政治には無関心で、自分の思いを托せる政治家がいないから。つまり、棄権票は「政治不信」という一票であると自覚すべし。
その昔は、選挙に出馬となると宣伝車代やらポスター代、文書交通費、光熱費やその他諸諸のカネが必要だったが、今やそうした経費は殆どが行政側が賄う。つまり、国民が納めた血税が議員を生業にしたがる輩に勝手に垂れ流されてるのだ。
地区対抗運動会の様な意味の無い選挙カーでの選挙を止めて、候補者が各地区を一緒に回り、公民館や体育館、集会所などで立会演説会をすれば好いではないか。何故、そんな簡単なことさえ出来ないのは、公職選挙法がネックになっているから。
選挙カーでの移動中は名前の連呼しか叫べず、立会演説会には粗末な許可証を立てなければならない。正に現在の選挙制度は昭和25年制定当時の儘なのだ。
近年ではインターネットでの選挙活動が解禁され、ビラ配布についても容認された。だが、何故か電子メール送信禁止事項があるなど、選挙制度での御役所仕事が目に付く。投票率を上げたいのならば、選挙制度そのものを見直すべきである。
今やネットでの選挙運動も合法化されたし、以前より期日前投票は容易になった。時代に即し、コンビニや郵送での投票、インターネット投票なども可能にして、有権者の意思が反映出来る環境を整えるべきだろう。それでも投票に行かない人は理由を明らかにし、棄権した理由が無いなら相応の罰則を科すことも一考だろう。
総選挙も近くなり、政党に拠っては「国民の声を聞く」とか「民意の声を受け止める」などと訴え、国民に媚び諂うが、政治の本質は国民目線に立つことでもないし、平均的な国民を創ることもではない。政治が国民目線に立つと必ず国は滅ぶ。
何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだ。そんな声を受け入れてどうなるというのか。
政治とは、自国の国家観を重んじ乍らも国民目線とはかけ離れた国家観や歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだ。経済も然り。
国民目線などと訴えている候補者が国民の声を聞き、国家観を重んじた政治を実践出来るのかと問えば甚だ疑問である。何故なら政治というものは水物だから。
細川護熙の「日本新党」が政界を席巻。自民党からも新党ブームに便乗する議員が相次いだ。だがどうだろう、政治の混乱を生んだあの時代に祖国日本が棄損されて行く序章となったことに刮目すれば、現在の小選挙区比例並立制は弊害でしかない。
言えることは、衆院の小選挙区制度比例並立制が政治劣化の元凶であり、国会議員の八割以上が世襲や官僚上がりになってしまうのは当然のこと。国会に新しい風を吹かす為にも新たな小選挙区制度を廃止し中選挙区制度を創るべきである。
細川政権下に導入された「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」の改革四法案の見直しなくして政治の正常化無し。
小選挙区制度は自民党に代わる受皿作りというのは理解するが、小選挙区制度は白黒を付けるのが苦手で、中庸を重んじる日本人の国民性には合わない。
過去を遡れば国家観無き政党が単なる権力争いから離散集合を繰り返した。だが「二大政党制」は成されることなく、未だに旧態依然の政争が繰り返されている。
政党助成金制度然り。比例並立制を導入したことで弱小政党が淘汰されずに国民世論を分断するクソ政党と化す。こんな政党にも血税が支払われて好いのか。
何れにせよ、国民は熱し易く醒め易い。次期総選挙が行われれば自民党が惨敗する可能性は大きい。自民党を粛正するのなら、党内に蔓延する旧態依然の悪しき陋習を排し、党内改革と国益と国體重視の政策を堂々と掲げる議員の出現以外に無い。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2023年11月13日
原発事故の混乱を招いた菅直人を逮捕起訴して余生を刑務所で送らせろ!
菅直人が政界引退を表明。後継は左翼活動家で武蔵野市の松下玲子市長だというから厭きれるばかり。この選挙区には日本保守党から刺客を出して欲しいものだ。
引退するに当たり、福島第一原発事故後に現地入りしたことについて聞かれた菅は「対応を誤れば関東地方全部が住めなくなる。ぎりぎりの状況という危機感を覚えて対応に当たった」と説明。現場視察こそが事故後の混乱を招いた自覚は無い様だ。
「現場訪問で事故対応が遅れた」との問いや「対策本部の乱立で指揮命令系統が混乱した」などの不満について、「当時色んな見方があったが、最終的に私が率先してやったことで、被害があれ以上拡大せずに済んだ」との自賛には思わず仰け反った。
福島原発事故は地震に因る「天災」ではない。米国製のハリケーン型原発を過信していた故に、大津波の想定をしていなかった。その為に発電所内の電源が全て失われてしまい、原子炉冷却に関わるバルブが操作不能になったのことが要因だった。
原発事故を受けて設置された事故調査委員会は、福島原発事故を「人災」と結論付けている。その「人災」を決定付けたのは民主党政権であり、最高責任者だった菅直人首相である。その菅が強制起訴されることなく、政界引退とは断腸の思いだ。
東電の旧経営陣が罪に問われた起訴内容では、避難を余儀なくされた双葉病院の患者や介護老人施設「ドーヴィル双葉」の入所者44名の死亡の責任を問われている。
重篤な患者の治療を優先すべきなのに、非科学的な「原発周辺20キロ圏内の強制避難指示」に拘る余りに、病人を強制的に移動させたことで死者が出た。その責任は東電元幹部らではなく、当時の首相であり災害対策本部長だった菅直人である。
国会では、外国人からの不法献金がバレて自民党から追及され四面楚歌だった菅は、原発事故を利用しようと現場視察という起死回生のパフォーマンスに出た。
東電は、東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していたが、菅自らが強く望んだ福島第一原発への現地視察に因って、事故拡大防止の為に採るべき第二第三の矢を放つのが遅れてしまったことは見逃せない事実である。
政府関係者は「首相を被曝させない」ことを優先する余り、1号機の炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れた事実こそ括目すべきだろう。
現場視察という菅の軽挙妄動こそが、原発事故の現場の対応に要らぬ混乱を招き、被害が拡大したことは明らかである。菅直人こそ業務上過失致死傷で起訴され、刑務所に送り込まねばならない大悪党であるのだが何故か逮捕されない儘で引退。
東日本大震災の際、政権を担っていた民主党政権は、原発事故発生に伴い「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値を公表すべきところ隠蔽し、科学的根拠の無い「原発周辺20キロ圏内」という避難指示を下した。
双葉病院周辺は比較的放射線量は低かった。避難指示を解除し治療を優先すべきだったにも拘らず、強制避難させてしまったことで患者を死亡させてしまった。
双葉病院の患者やドーヴィル双葉の入所者44名の死因は、津波対策を怠ったことが原因ではなく、民主党政権が下した「20キロ圏内」という愚策が原因である。
原発事故後の混乱と被害拡大を生んだ災害対策本部長であり、最高責任者であった菅直人が逮捕されずに、東電の旧経営陣のみに責任を負わせようとするのは我が国司法の歪さの現れであり、強制起訴という制度に法の正義があるとは思えない。
菅直人といえば、故土井たか子ら売国奴と共に韓国・盧泰愚大統領へ政治犯の釈放に関する要望書に署名している。その政治犯の中に、原敕晁さん拉致の実行犯で韓国で逮捕され、死刑判決を受けた北朝鮮工作員・辛光洙が含まれていた。
NHKの特集番組で、故安倍晋三首相から辛光洙の釈放に関して問われた菅は、色を成して反論していたのを思い出す。原発事故での責任然り、今からでも遅くはない、国家と国益を棄損し続けた菅を逮捕起訴し、刑務所で余生を送らせろ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
引退するに当たり、福島第一原発事故後に現地入りしたことについて聞かれた菅は「対応を誤れば関東地方全部が住めなくなる。ぎりぎりの状況という危機感を覚えて対応に当たった」と説明。現場視察こそが事故後の混乱を招いた自覚は無い様だ。
「現場訪問で事故対応が遅れた」との問いや「対策本部の乱立で指揮命令系統が混乱した」などの不満について、「当時色んな見方があったが、最終的に私が率先してやったことで、被害があれ以上拡大せずに済んだ」との自賛には思わず仰け反った。
福島原発事故は地震に因る「天災」ではない。米国製のハリケーン型原発を過信していた故に、大津波の想定をしていなかった。その為に発電所内の電源が全て失われてしまい、原子炉冷却に関わるバルブが操作不能になったのことが要因だった。
原発事故を受けて設置された事故調査委員会は、福島原発事故を「人災」と結論付けている。その「人災」を決定付けたのは民主党政権であり、最高責任者だった菅直人首相である。その菅が強制起訴されることなく、政界引退とは断腸の思いだ。
東電の旧経営陣が罪に問われた起訴内容では、避難を余儀なくされた双葉病院の患者や介護老人施設「ドーヴィル双葉」の入所者44名の死亡の責任を問われている。
重篤な患者の治療を優先すべきなのに、非科学的な「原発周辺20キロ圏内の強制避難指示」に拘る余りに、病人を強制的に移動させたことで死者が出た。その責任は東電元幹部らではなく、当時の首相であり災害対策本部長だった菅直人である。
国会では、外国人からの不法献金がバレて自民党から追及され四面楚歌だった菅は、原発事故を利用しようと現場視察という起死回生のパフォーマンスに出た。
東電は、東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していたが、菅自らが強く望んだ福島第一原発への現地視察に因って、事故拡大防止の為に採るべき第二第三の矢を放つのが遅れてしまったことは見逃せない事実である。
政府関係者は「首相を被曝させない」ことを優先する余り、1号機の炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れた事実こそ括目すべきだろう。
現場視察という菅の軽挙妄動こそが、原発事故の現場の対応に要らぬ混乱を招き、被害が拡大したことは明らかである。菅直人こそ業務上過失致死傷で起訴され、刑務所に送り込まねばならない大悪党であるのだが何故か逮捕されない儘で引退。
東日本大震災の際、政権を担っていた民主党政権は、原発事故発生に伴い「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値を公表すべきところ隠蔽し、科学的根拠の無い「原発周辺20キロ圏内」という避難指示を下した。
双葉病院周辺は比較的放射線量は低かった。避難指示を解除し治療を優先すべきだったにも拘らず、強制避難させてしまったことで患者を死亡させてしまった。
双葉病院の患者やドーヴィル双葉の入所者44名の死因は、津波対策を怠ったことが原因ではなく、民主党政権が下した「20キロ圏内」という愚策が原因である。
原発事故後の混乱と被害拡大を生んだ災害対策本部長であり、最高責任者であった菅直人が逮捕されずに、東電の旧経営陣のみに責任を負わせようとするのは我が国司法の歪さの現れであり、強制起訴という制度に法の正義があるとは思えない。
菅直人といえば、故土井たか子ら売国奴と共に韓国・盧泰愚大統領へ政治犯の釈放に関する要望書に署名している。その政治犯の中に、原敕晁さん拉致の実行犯で韓国で逮捕され、死刑判決を受けた北朝鮮工作員・辛光洙が含まれていた。
NHKの特集番組で、故安倍晋三首相から辛光洙の釈放に関して問われた菅は、色を成して反論していたのを思い出す。原発事故での責任然り、今からでも遅くはない、国家と国益を棄損し続けた菅を逮捕起訴し、刑務所で余生を送らせろ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 04:57|Permalink│Comments(0)
2023年11月12日
巨大な洗脳装置がマスコミであり大衆は愚民政策の体現者でもある
福島県議会議員選挙公報での高橋翔の主張が目に留まる。「だまされるな。こいつらは選挙期間中しか働かない」「老害県議に年1300万円?!高橋翔なら議員報酬50%」。50%でも多過ぎるが、こういう主張を若者にこそ読んで欲しいものだ。
市内に貼られてるポスターは何種類もあって「私、当選しませんから」というのもあって笑ったな。まぁ落選候補ではあるが、愚生の清き一票を投じよう(笑)
全国例外なく投票率の低下が顕著だが、投票に行かないのは候補者の不人気ぶりに加え、政治不信という国民の大意でもあり、政治家は重く受け止めるべきだ。
大多数の有権者は、マスコミ報道に意思行動を方向付けられる。声の大きい人や頻繁に接するものに人は「正しいもの」「魅力のあるもの」として誘導される。
「テレビショッピング」がその好い例で、視聴者に商品の良い部分だけを繰り返し見せて、タレントや有名人らに感想を聞いたり、実体験を語って貰ったりすることで、視聴者は大して欲しくないものをついつい勢いで買ってしまう。
テレビショッピングは一種の洗脳番組。連日、偏向報道が繰り返されれば、それを正しいと思ってしまう。売国マスコミにとって執拗に報道するものが見せたいものであり誘導したいものであり、報道しないものが国民には知らせたくないものなのだ。
巨大な洗脳装置がマスコミであり、芸能ニュースやお笑い番組などにどっぷり浸かっている人達こそが愚民政策の体現者ということだ。我が国の政治が三流と言われる一因には、進歩の無いマスコミの影響がある。一因どころか元凶というのが正しい。
日本のマスコミというのはオチョクリに乗っかって何でも腐す。そういう冷笑的な態度を執ることが反体制であり、真のジャーナリズムだと未だに錯覚している。
マスコミやインチキジャーナリズムは国民の安直な正義感に利用し、自分達の主張こそが「正義であり、民主主義である」と居丈高に振り翳しては国民を誑かす。
ネットを知らない情弱は、オールドメディアの垂れ流す偏向報道を疑いも無く信用し、利用されていることさえも分からずに幼稚で安っぽい主義主張に迎合する。
「大衆の多くは無知で愚かである」「熱狂する大衆のみが操縦可能である」とはヒトラー。要は、多くの有権者は熱し易く、バカで利用し易いということだ(笑)
始末の悪い大衆が現在の有権者であり、その一票一票を集めて当選してるのだからバカしか当選しない。そんな政治家に期待する方がバカというものだろう。
政治家は大衆に媚び諂い、政策なんぞ二の次で「国民目線、市民目線に立った政治を行う」と然も国民を慮った様な台詞を吐く。だが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、大衆に迎合し平均的な国民を生み出すことではない。
「国民目線」とは、マスコミの創り上げた国民の平均値のことを指すが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。
圧倒的支持を得た民主党が失脚したのも、自民党の政権奪回にしても、安っぽい風潮からの気紛れでしかない。言い換えれば民衆の一時の気紛れの結果でしかなく、熱し易い国民は覚め易く、人気を博した安倍人気の凋落がそれを好く現していた。
売国マスコミが元凶の衆愚政治はこれからも続くだろう。そして行き着く処まで行かなけりゃ国民が目覚めることも無いが、当分目覚めることは無さそうだ。呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
市内に貼られてるポスターは何種類もあって「私、当選しませんから」というのもあって笑ったな。まぁ落選候補ではあるが、愚生の清き一票を投じよう(笑)
全国例外なく投票率の低下が顕著だが、投票に行かないのは候補者の不人気ぶりに加え、政治不信という国民の大意でもあり、政治家は重く受け止めるべきだ。
大多数の有権者は、マスコミ報道に意思行動を方向付けられる。声の大きい人や頻繁に接するものに人は「正しいもの」「魅力のあるもの」として誘導される。
「テレビショッピング」がその好い例で、視聴者に商品の良い部分だけを繰り返し見せて、タレントや有名人らに感想を聞いたり、実体験を語って貰ったりすることで、視聴者は大して欲しくないものをついつい勢いで買ってしまう。
テレビショッピングは一種の洗脳番組。連日、偏向報道が繰り返されれば、それを正しいと思ってしまう。売国マスコミにとって執拗に報道するものが見せたいものであり誘導したいものであり、報道しないものが国民には知らせたくないものなのだ。
巨大な洗脳装置がマスコミであり、芸能ニュースやお笑い番組などにどっぷり浸かっている人達こそが愚民政策の体現者ということだ。我が国の政治が三流と言われる一因には、進歩の無いマスコミの影響がある。一因どころか元凶というのが正しい。
日本のマスコミというのはオチョクリに乗っかって何でも腐す。そういう冷笑的な態度を執ることが反体制であり、真のジャーナリズムだと未だに錯覚している。
マスコミやインチキジャーナリズムは国民の安直な正義感に利用し、自分達の主張こそが「正義であり、民主主義である」と居丈高に振り翳しては国民を誑かす。
ネットを知らない情弱は、オールドメディアの垂れ流す偏向報道を疑いも無く信用し、利用されていることさえも分からずに幼稚で安っぽい主義主張に迎合する。
「大衆の多くは無知で愚かである」「熱狂する大衆のみが操縦可能である」とはヒトラー。要は、多くの有権者は熱し易く、バカで利用し易いということだ(笑)
始末の悪い大衆が現在の有権者であり、その一票一票を集めて当選してるのだからバカしか当選しない。そんな政治家に期待する方がバカというものだろう。
政治家は大衆に媚び諂い、政策なんぞ二の次で「国民目線、市民目線に立った政治を行う」と然も国民を慮った様な台詞を吐く。だが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、大衆に迎合し平均的な国民を生み出すことではない。
「国民目線」とは、マスコミの創り上げた国民の平均値のことを指すが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。
圧倒的支持を得た民主党が失脚したのも、自民党の政権奪回にしても、安っぽい風潮からの気紛れでしかない。言い換えれば民衆の一時の気紛れの結果でしかなく、熱し易い国民は覚め易く、人気を博した安倍人気の凋落がそれを好く現していた。
売国マスコミが元凶の衆愚政治はこれからも続くだろう。そして行き着く処まで行かなけりゃ国民が目覚めることも無いが、当分目覚めることは無さそうだ。呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 07:02|Permalink│Comments(0)