2024年05月09日

櫻井よしこら安っぽい営業保守が世論を分断する先兵となる

 営業保守の櫻井よしこは、自らが主宰するインターネット番組「言論テレビ」で、憲法改正の実現を唱える岸田文雄首相について「やることをやってきている。岸田さんの言葉と意思を信じ、とにかく背中を押すことが大事だ」と、9月の総裁選までの任期延長を実質的に容認し擁護した。櫻井ら営業保守が世論分断の先兵となる。

 櫻井よしこが共同代表を務める「美しい日本の憲法を作る国民の会」は、第九条に自衛隊を明記する必要性を強調し「自衛隊違憲論を払拭する」と意気込む。具体的には九条をその儘で遺し、新たに自衛隊の存在を明記すると主張している。

 現憲法を改正し、自衛隊違憲論に終止符を打つという。歴代自民党内閣と同じく自衛隊を巨大な警察機構と見做し乍ら、何が「美しい日本の憲法」なのか理解不能。

「取り敢えず九条改正や加憲が大事だ」と思ってる点では、護憲派の「九条の会」らと同じレベルであり、その浅はかな憲法改正には危機感を抱かざるを得ない。

 自衛隊の存在は憲法解釈ではなく、現憲法の制定過程や自衛隊の設立過程について問題提起し、国家の安全保障の在り方を国民に問いかけるべきであって、九条をその儘にして新たに自衛隊の存在を「九条の三」として明記するとは何事ぞ。

 嘗て、三島由紀夫は市谷駐屯地での蹶起の際に携行した「檄」の中で、自衛隊の存在を「警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられていない」と喝破した。自衛隊とは未だに「警察の物理的に巨大なものとしての地位」の儘なのだ。

 故安倍首相がそうだったが「国民の生命と安全を守る」と宣って憚らなかった。だが「生命と安全」を守るのは警察の仕事である。自衛隊が安全保障上の領土主権の防衛を担い、国軍として護るべきは「国柄」であり、畢竟「皇統」なのである。

 領土主権や安全保障は「国防」の一つに過ぎず、国防とは三島が教えている様に「それを失えば日本では無くなってしまうことを死守することである」。つまり、自衛隊が「国軍」であり「皇軍」で在らねばならないというのはこういうことだ。

 民族と歴史・伝統・文化、言語、歴史、価値観、慣習、宗教など、我が国の精神文化を護ることが「国防」であるなら、そうした意識や国家観が決定的に欠落している政治家が自衛隊の存在を語り、憲法改正を訴えていることに違和感を覚える。

 自衛隊が憲法九条違反の存在であるなら、天皇の御地位も怪しい。第一条で「国民統合の象徴」とはなってはいるが、共産党が存在する限り「主権の存する国民の総意」ではなく違憲の存在だろう。天皇違憲論は自衛隊違憲論どころの話ではない。

 保守派の憲法改正や皇室問題への主張や取り組みは根本的に間違っていると感じる部分が多い。況してや自民党は改憲政党ではなく、自主憲法制定派である。櫻井らの取り敢えず憲法九条改正は、現憲法の絶対化を謀る究極の護憲運動と知るべし。

 櫻井らは皇統問題でも危機感を共有して世論喚起を促している。「女性宮家創設反対」は別に問題はないが、女性皇族(内親王)が婚姻する場合、旧皇族の男系男子からの婿入り(養子)を容認しているのは、実質的女性宮家の創設ではないか。

 櫻井らの主張は保守派として一見問題は無さそうに見える。だが、GHQに強制的に臣籍降下させられた旧皇族の皇籍復帰もせずに男系皇族の婿入りを容認しようなどとは本末転倒。旧皇族の皇籍復帰は真の主権国家としての精神の再生である。

 保守派を代表する櫻井や八木秀次などの評論家や学者らの多くが、旧皇族からの婿入りを主張しているが、男系男子が拒否した場合、或いは一般人が皇室に入る可能性も否定は出来ない。こうした認識不足が反天皇勢力に付け入られるのだ。

 皇統の危機を解決するのなら、女性皇族への(実質には敬宮愛子内親王殿下)婿入りという手段ではなく、GHQに強制的に臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰の実現を図ることこそが皇統を盤石の安きに置く最善最良の策である。

 祖国日本を崩壊に導くのは左翼勢力ではない。安易な憲法改正を叫び、皇室典範に附帯し退位を強行し、瑞穂の國の崩壊を齎す種子法廃止法案を成立させ、新自由主義を盲信する政治家を筆頭に日本会議に見られる似非保守ら獅子身中の虫である。

 保守票欲しさの改憲論や靖國問題など、最近の怪しいムードの中での保守派論客の主張や議論を見ていると、神武肇国から続く万世一系の皇統が、平成の世を境に崩れて行くのではとの危機感を覚える。全愛国者よ、天壌無窮の皇運を扶翼すべし!

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2024年05月07日

再生可能エネルギー増設で「再エネ発電賦課金」が家計を苦しめる

 国内6電力会社の平均値上げ幅が圧縮されたとはいえ、家庭の電気料金の値上がりは止まらない。夏の電力消費がピークを迎える前に原発を再稼働を実現するべきだ。再生可能エネルギーが増設されるほど「再エネ発電賦課金」が増える悪循環。

 県内には、相馬市磯部地区のメガソーラー発電所を始め、福島空港周辺や二本松市加藤木地区や本宮市などで太陽光パネル発電所が乱立している。沿岸や山林に造られた巨大なメガソーラーが、美しい環境を守るどころか環境を破壊している。

 県内をドライブすると大規模な太陽光パネルや巨大な風力発電の風車を目にする。県内各地の巨大メガソーラーや郡山市湖南町の布引山、会津若松市の背炙山の巨大風車は正に圧巻だが、自然の風景と最先端技術の融合は異様な光景でもある。

 原発稼働停止で、国内の大資本から民間企業、外国資本までもが太陽光発電事業に参入した。結果は地上げ屋が跋扈し山林が売買され森が伐採されて行った。

 金儲けの為に緑豊かな森林を伐採し、荒れ地となった田畑や空き地に人工的な太陽光パネルで敷き詰められ自然の景観を損なっている。正に、バブル景気で浮かれて、麗しき森林を破壊してゴルフ場やスキー場を開発しまくった時代と同じ構図。

「友よ山河を滅ぼすなかれ」と、故野村秋介の言葉を都合好く利用して反原発を訴える新右翼がいる。彼らには、森林を破壊してまで造られる太陽光パネルや山頂や沿岸部に建てられる風力発電の巨大風車を見て、環境破壊とは感じないのだろうか。

 原発事故以来、原発への拒否反応から太陽光発電などの再生可能エネルギーが全国各地に設置されることとなった。「原発は思ってた以上にコストがかかる」という理由から、太陽光や風力発電こそが環境に優しいかの様な世論が形成された。

 原発事故を殊更に論い、脱原発や反原発から再生可能エネルギー普及を謀り、国は電力会社に太陽光などで発電した電気の買い取りを義務付けた。その一方で、月々の電気料金に上乗せすることを認める。「再エネ発電賦課金」がそれである。

 賦課金(ふかきん)とは、税金などの様に国民に強制的に割り当てられて負担する金のこと。つまり、メガソーラー発電も住宅の屋根に太陽光パネルを載せて発電している電気も結局は電力会社ではなく、一般家庭の賦課金で成り立っている。

 正に、再生可能エネルギーの普及とは、国家の基幹エネルギーを無視したその場凌ぎの原発事故に便乗した政治的策謀であった。「原発は思ってた以上にコストがかかる」と言ってたが、再生エネルギーの賦課金コストが家計を苦しめている。

 太陽光や風力に拠る発電は安価で、家庭に安く提供出来るということだったが、今や一般家庭の「再エネ発電賦課金」の負担金は5兆円以上とも言われている。当初は、月々50円程度だった負担金は年々増え続け月800円で年1万円を超える。

 国は、こうした現実を無視して2030年度には発電全体の22~24%を再生可能エネルギーで賄うことを目標に掲げている。目標達成の為には、全国にメガソーラー発電所施設を乱立させるしかない。つまりは、太陽光発電所が出来れば出来るほど一般家庭への「再エネ発電賦課金」の負担金は殖え続けるということである。

 再生可能エネルギーは福島第一原発事故を利用した反原発運動の影響が大きく、況してや太陽光パネルの多くが中国製ということもあって喫緊に見直すべき愚策である。昨今ではメガソーラーでの火災も発生しており、危険性も指摘されている。

 再生可能エネルギーは基幹エネルギーには成り得ず、再エネ発電賦課金は廃止するのが妥当。賦課金目当てで太陽光発電や風力発電でボロ儲してる事業者は造りっ放し。安全管理を放棄したこんなインチキ事業は見直すのは当然のこと。

 だが、太陽光パネル利権に群がる再エネ議連を始め、麗しき山河を破壊して迄も私腹を肥やそうとする連中が後を絶たない。再エネ議連は反原発色が強いということもあって、第2の再エネ議連を立ち上げるが、そこには岸田文雄の名前もある。

 反原発派が頻りに「原発はコストがかかる」と言ってる裏側には、再生可能エネルギー利権で私腹を肥やす議員や金儲けを企む悪徳業者らが暗躍している。

 福島県の復興と東北再生は当然乍ら、日本の国力を押し上げるには再生エネルギー政策は廃止し、技術立国日本を証明する小型モジュール炉の開発を進め、東京電力福島第二原発と東北電力女川原発などの既存の原発を再稼働するこそ最善である。

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2024年05月05日

子供いじめという漫画が「子ども」表記のバカどもをよく表現している(笑)

 5月5日は「こどもの日」。古くは、この日は菖蒲や蓬(よもぎ)を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降には、男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったのに倣い、町人の中でも武者人形や鯉幟を立てる様になった。

 昔は「端午の節句」として男子の健やかな成長を願う行事が行われていたが、いつものオバハンらが女の子への差別だと反発して今日に至る。5月5日は別名「あやめの節句」「菖蒲の節句」「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」とも言う。

「こどもの日」とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」という趣旨となっている。子供がいない人でも、自分がこの世に生まれ育ててくれた親に感謝する日でもあるのだ。

 子供の日が制定時は「親」ではなく、「産んでくれた母に感謝」ということだったが、これも前出のジェンダーフリーや男女共同参画社会の影響から、父親へ配慮し「親」となった。最近は「子供」表記ではなく「子ども」表記が氾濫している。

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 画像は「子供いじめ(クリックすると大きくなります)」という漫画。今では当たり前に使われている「子ども」表記が如何にアホらしいかが分かる。漢字表記の「子供」を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)

 平成25(2013)年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。

 現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には、「子ども」ではなく「子供」と表記すると示されている。

 マスコミを中心に、左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出していることは知らないのだろうか。自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。

「子ども」表記に固執している連中というのは、「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由である。共産党は「子供とは大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。

 何処のどいつが、子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。

「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合、「お供」ではなく「お伴」と書くことさえ理解してない。供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイどもの言いがかりであり、即ち、子供への敬意が足らない証左でもある。

 悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どということも知らないのか。

 この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を平仮名併用の「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで弄んでいると捉えられても致し方ない。

「子供」と同じく「婦人」というのも、珍左翼どもやジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもらの企てに因って公文書から消されてしまった漢字の一つである。

 これは、共産主義逞しいインチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。

 この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。然し、間もなくこの研究者の説は全く誤りだと判明する。

 甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、悲しい哉、男女共同参画社会の風潮の中でこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。

 また、男女共同参画社会で「看護婦」は「看護師」、「女優」は「俳優」、「婦人警官」は「女性警察官」、「保母」は「保育士」などとと呼ぶ様になった。

 看護師の「師」という字は、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義である。

 普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよなぁ(苦笑)

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、保守派を自任する自民党議員や保守派が「子ども」に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。

「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや珍左翼ども、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。「子ども」表記を続けてるマスコミというのは左翼どもであり、疑うことなく使ってる野郎どもは余程のバカどもと見て好い(苦笑)

「保守とは?」とよく聞かれる。正統の保守とは、我々日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度といった、先人が受け継いで来た世界の中で最も優れた精神文化を護り、継承して行く使命を有する者である。

「日本とは何か」「日本人であるとは」「日本に生を享けた奇跡」ということを考えたことはあるだろうか。欧米主導の西欧時代の終焉が叫ばれている今こそ、祖国日本について考え、日本人であるという証を示すことが保守の精神でもある。

 本来の日本人なら心の中に「日本人の魂」というものを持っているだろう。祖国日本の歴史や伝統、先人達に対する尊敬や愛着の想いである。例えば、我が国が先の戦争に負けたのであれば、その事実を限りなく口惜しいと思い、敗戦で失われたものがあるなら、それを何としてでも取り戻したいと思う日本人としての熱き心である。

 まぁ難しいことは扨て置き、正統の保守とインチキ保守を簡単に見分ける方法は「子ども」表記もそうだが、皇族に対しての「さま」付けや「天皇制」「天皇ご一家」などの共産党用語を使ってるかどうか。尊皇無き保守では欧米のソレと同じ。

 現在の我が国が直面している全ての問題は、国民の多くが「日本人であることを見失った」ことに起因していると考えている。つまり、何処で生き、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか、子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか、そうした日本人としての生き方を見失ってしまったことから、現在の混乱は起きている。

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2024年05月03日

「憲法記念日」ではなく「憲法祈念日」との名称が相応しい

 本日は「憲法記念日」。祝日法に由れば「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」。何故か現憲法を頂戴した有難い日となっている。「憲法記念日」との名称は「終戦記念日」と同じく、GHQに因る戦後民主主義教育の洗脳である。

「国の成長を期する日」であるならば、国の成長を阻害する元凶でもある現憲法を時代に合わせて見直すことは当然であろう。ならば「憲法記念日」ではなく「新憲法の制定を祈念する日」という名称こそが相応しいのではあるまいか。

 護憲派は米国の洗脳から目覚めることなく、幼稚な平和主義を掲げて護憲を叫ぶ。営業保守派や自称・愛国者らは「九条」は、領土主権を守る上でも早々に改正すべきであると主張する。どちらも「九条」こそが重要だと認識している。

 右派の謀る「取り敢えず九条の改正」にしても「九条の会」を始めとした護憲派にしても、第九条が本丸と思っている点では同じ穴の狢というのが正しい。

 現憲法は最早、国の最高法規として機能しておらず「矛盾だらけのクソ憲法」と化している。矛盾の最たるものが第九条だが、自衛隊の合法化を理由に右派が改正を訴え、誤憲派は軍事放棄の安っぽい平和主義から「平和憲法」と信じて疑わない。

 現憲法前文では「平和を愛する諸国民の信義と公正」を重んじている。つまりは「悪いことをする者(犯罪者)はいない」という前提で憲法が制定されている。

 この前文を遵守すれば犯罪者が出ることもなく、拠って警察も必要ないのだが、現実には協力な警察組織という力に拠って治安や公共の福祉が守られている。

 憲法とは「法律」ではなく、国家・民族の理想を留めた「法」である。法律では無い故に条項に違反したとしても罰則規定はない。憲法に書かれてあるのは国家の国民の理想であり、それを基に現実に法整備を整えて対処するのが政治である。

 然らばこの国家の基本法が間違いだったり、時代遅れならば政治も混迷を深めるのは言わずもがなだろう。現在の政治の混迷の元凶は現憲法に在るのは明らか。

 戦後80年経ち、現憲法は改正では危機的状況や諸矛盾からは脱却不可能な状況である。早急に破棄し、自主憲法を制定する以外に無いが、新憲法は国家の宝とも言うべき大日本帝国憲法(欽定憲法)を復元し、時代を鑑み改正するのが最良である。

 本日は全国各地で憲法改正派と護(誤)憲派が集会を催す。保守派を中心に悲願の憲法改正に躍起だが、改正するも護るのも亡国への道である。どちらも「九条こそが重要だ」と認識しているが、目指してる方向が同じことに気付くべきだ(苦笑)

 右翼陣営の中には少なくなりつつはあるが、「憲法改正」と「自主憲法制定」を一緒くたにしている者も少なくない。「自主憲法制定や欽定憲法復元改正なんてとてもじゃないが無理。だったら取り敢えず改憲を目指すべきだ」という声も多い。

 保守派も同じで、日本会議がそうだし、党是である新憲法の制定を目指すのではなく「九条」改正を謀る安倍自民党も同じ認識。「第九十六条改正」を目論み、ているのであれば、その手法は姑息であり、誤りであると言わねばなるまい。

 九十六条の改憲発議条項を緩和するということは、万が一、共産党などの革命亡国政権が樹立した場合には危険も孕んでいることを須らく自覚した方が好い。

 国體と皇統を護り抜く上でも、「第一条」に対する共産党の、「我々が天皇制に反対していることを以ても国民の総意ではなく、つまり天皇の存在は違憲である」という屁理屈を指弾しなければならない。九条より第一章の「天皇」の章を見直せ。

「女系天皇」論や「女性宮家」に通じかねない「第二条」や八条までの「天皇の章」を議論することに拠り、現憲法の不条理と不当性を明らかにするべし。

 現憲法は「米国の押し付け憲法」と言うのは容易い。現実は大日本帝国(明治欽定)憲法第七十三条に拠る改正であり、建前は日本人が現憲法を制定したことになっている。昭和二十年十一月三日の公布式に於いて、昭和天皇はこう裁可為された。

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる 御名御璽」

 当時、我が国は連合国の占領下に在り、政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが制定時の真相である。

 現憲法がこの様に旧帝国憲法の改正であるならば、現憲法は姑息な改正ではなく、旧帝国憲法を復元し、現代に即し改正することこそ我が国の執るべき道である。

 憲法記念日の趣旨は「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」。何故に米国製の憲法を祝い、歴史の思い出として記念しなければならないのか。

 真に我が国の成長を期するならば、先人の智慧の結晶であり、我が国の正統な国法である旧帝国憲法の復元改正を急ぐべきである。5月3日とは「真の日本国憲法の制定を祈念し、国の成長を期する日」として「憲法祈念日」との名称に替えよ。

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2024年04月29日

「昭和の日」に思う

 本日4月29日は、昭和天皇の御遺徳を偲ぶ「昭和の日」、28日の「主権回復記念日」に続き慶賀が続く。未だ国内に、昭和天皇に対して「戦争責任」などとの戯言を垂れ流す日本人らしからぬ輩が存在するのは自虐史観の洗脳に因るものである。

 欽定明治憲法下に於いては、国務は国務大臣並びに統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっており、陛下には法的に責任は無い。

 然し乍ら、戦争が長期化し国民への被害の拡大に胸を痛め、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇御自身であり、終戦の詔勅に於いて「五内為ニ裂ク」と仰せられたことでも分かる様に、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。

「昭和」も今や三代前の元号となった。昭和とは四書五経の一つである「書経尭典」の「九族既睦平章百姓百姓昭明協和萬邦(九族既に睦まじくし て、百姓を平章す。 百姓昭明にして、 萬邦を協和す)」に由来し、国民の平和と世界の共存繁栄を願う意味が込められている。正しく、昭和とは元号の名の通りの時代だった。

「昭和の日」とは昭和天皇の御遺徳を忍びつつ、改めて「大東亜戦争の大義とは何だったか」とあの激動の時代を振り返り、「平和とは何か」を考える日でもある。

「自存自衛と大東亜の開放」を掲げて戦われた先の大東亜戦争を、世界の国々は評価しているにも関わらず、国内では自虐史観から目覚めることなく、「侵略戦争」と断じ、現代の倫理観や安っぽい平和主義から「間違った戦争だった」と一方的に反省することに意味があるとは思えない。では、世界では先の日本の戦いを如何に評価し、どの様に受け止められているのだろうか。その 一部だが羅列してみよう。

「第二次世界大戦で、日本人は日本の為というよりも、寧ろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大な歴史を残したと云わねばならない」(アーノルド・J・トインビー(イギリスの歴史学者)) 。「日本の敗戦、それは勿論東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた」(ジョイス・C・レブラ(コロラド大歴史学教授)著書、東南アジアの開放と日本の遺産) 。「日本占領軍が、インドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは、正規軍や軍事組織を創設してそれに訓練を与えたことである」ジョージ・S・カナヘレ(政治学博士) 。「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人で、日本は敗戦はしたが、その東亜の開放は実現した。日本の功績は偉大である」(サンティン、アムステルダム市長)

 タイの元首相・ククリットプラモードは「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、米英と対等に話せるのは誰のお蔭か。それは、身を殺して仁を成した日本というお母さんがあった為である」と語っている。

 マレーシア上院議員のラジャー・ダト・ノンチックやインドのラダ・クリシュナン大統領、スリランカのジャヤワンルデ大統領、ビルマのバー・モウ首相、シンガポールのゴーチョクトン首相。キューバのカストロ首相やチェ・ゲバラ・・・。

 我が国を讃えた外国人も数多く、「大日本」「日本精神」の著者モラエスや、日本の文学作品を残し、本当の日本を世界に伝えた小泉八雲(アフカディオ・ハーン)もその一人である。アーノルド・トインビーは伊勢神宮を参拝した際に、「この聖なる地域で、私は全ての宗教の根源的な統一を感じた」と喫驚したという。

  アインシュタイン博士は、日本への思いを「世界の将来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返され、最後には戦いに疲れて必ず真の平和を求めて世界的盟主を挙げねばならぬ時が来るであろう。(略)世界の文化はアジアに始まりアジアに帰り、それはアジアの高峰『日本』に立ち戻らねばならぬ。我々は神に感謝する。天が我等の為に日本という尊い国を創ってくれたことを・・・」と述べている。

 東京裁判で大東亜戦争を「侵略戦争」と断じたウエップ裁判長も後に、「天皇は神だ。あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは神でなければ出来ない」と驚嘆した。やはり我が国は神の国であり、昭和天皇は現人神であらせられたのだ。

 昭和天皇崩御での服喪国は34ヵ国に及び、大喪の礼には実に193ヶ国国の元首や代表が集まったことは、歴史上空前の出来事だった。正に昭和天皇はアジア、そして世界の救世主であらされたのである。すめらみこといやさか 天皇陛下万歳

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2024年04月24日

たった90人足らずで「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」だってさ(苦笑)

 靖國神社春季例大祭最終日、恒例となった超党派の議員連盟「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」のメンバーが靖國神社へ集団参拝した。国会議員約720人いる中でたった90人足らず。恥ずかしくもなく、何が「みんなで」だ(苦笑)

 この超党派グループの靖國参拝は保守票を狙ったパフォーマンスでしかないが、こんなことでは靖國神社の国家護持は愚か、陛下の御親拝などは夢のまた夢。

「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」なんぞ解散するか、靖國神社の宗教法人格を見直す為の「靖國神社法案を成立させる国会議員の会」に変更しなさい。

 世間では首相の参拝を熱望する声が絶えないが、容共逞しい岸田は中韓に配慮し、安倍政権以来恒例となった真榊奉納で事を濁した。岸田らしいヘタレぶり。

 現憲法20条第3項には「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されている。つまり総理や国務大臣の靖國参拝は第20条違反であり、それを認識してるからこそ「個人」としての参拝を強調するのだ。

 また、最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれる。つまりは「A級分祀論」なども第20条違反に問われる行為でもある。

 抑々、我が国には「A級戦犯」を始め「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」という呼称はない。「戦犯」という名称は戦勝国である連合国側が定めた蔑称である。

 講和条約発効翌年の昭和28年に召集された第16国会に於いて、全会一致の議決に拠り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正された。この議決を以て全ての戦没者は法的に復権されているのであって「戦犯」と呼ぶことは国会軽視そのもの。

 A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称されており、靖國神社では「昭和殉難者」として御祀りしている。それにも係わらず国会議決を無視し「戦犯」と言い続けることは、東京裁判史観を妄信してる証左である。

「分祀論」こそ非常識且つ無責任な愚論であるのだが、こうした主張が左翼政党ではなく、自民党など保守を標榜する議員から発せられること自体が恥ずかしい。

 石破茂や前原誠司らA級分祀論者らは、「A級戦犯分祀が実現すれば天皇陛下が御親拝出来る環境が整う」などと、畏れ多くも陛下を利用して国民を誑かしている。

 天皇陛下が御親拝せられなくなった理由は、A級戦犯合祀が理由ではない。陛下の御親拝を妨害しているのは、石破ら不逞の政治家も然ることながら、国體破壊を目指す官僚どもと宮内庁に因る妨害工作である。今回の退位特例法案も同じ流れだ。

 一旦緩急の際に国家の為に尊い命を捧げた人々の御霊を奉斎する靖國神社を、国家の責任で護持することは余りにも当然のことで論議の余地などあるまい。

 戦前はそれが厳守され、国民挙って護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは靖國神社の大祭に限り、天皇陛下が御親拝せられたことだ。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはなかったのである。

 靖國神社問題を解決するには、靖國神社の「宗教法人格」を見直せば済むことだ。憲法改正は別に第9条ばかりではなく、こうした問題も提起するべきであろう。

 靖國神社は現在「宗教法人」となっているが、これは占領下、国家と神道の分離を謀ったGHQの「神道指令」に因って、靖國神社の存続に苦慮した当時の政府や神社関係当局の緊急避難行為というべき措置であって、その実態は宗教ではない。

 宗教とは「教祖・経典・布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無い。唯、祀りの様式を神道に則って行っているに過ぎない。

 自民党は過去に選挙公約の一つとして「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」という政策を幾度となく掲げて来た。

 政権政党として至極当然の認識と政策であろう。だが、自民党は過去に幾度も安定多数の議席を確保し乍らもその公約は実現することなく、昭和49年の参議院での審議終了を理由にした廃案以来「靖國神社法案」は提出されることは無くなった。

 安倍政権下では「退位特例法」の成立を謀り、天皇の大権である元号制定権を簒奪し、践祚改元奉告祭を無視し新元号公布した。菅政権でアイヌ新法を成立させ、岸田政権はLGBT法を成立させ、移民受け入れを謀る。この何処が保守政党なのか。

 政治家は戦没者の追悼を口にするが、靖國神社は追悼施設ではなく、国家に殉じた戦没者の顕彰を重んじる神社である。陛下の御親拝や首相や閣僚の靖國参拝を実現するには、靖國神社の宗教法人格を取っ払うしかないのだが、そんなことさえ知らない議員どもは端から靖國神社法案を提出する気も成立させる気も全く無い。

 真に英霊の顕彰を図るなら「靖國神社法案」を再提出し、靖國神社国家護持と陛下の御親拝に向けての道筋を付ける為に政治生命を賭けるべきだが、超党派で90名ほどでは心許ない。尤も、此奴らも保守とは言い難いインチキばかり(苦笑)

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2024年04月23日

米韓の戦没者墓地を訪問した岸田文雄首相は何故に靖國神社には詣でないのか!

 靖國神社春季例大祭第二日祭に参列予定だったが諸般の事情で欠席した。歴代の総理大臣は春秋の例大祭に参列するのが恒例だったが、8月15日に三木武夫が靖國神社に参拝して以来、中韓からの抗議もあって靖國神社が政治問題化してしまった。

 岸田文雄首相は春季例大祭に参拝することなく、安倍晋三元首相以来恒例となっている真榊の奉納で事を濁した。保守派などからは総理大臣の靖國神社参拝を熱望する声が絶えないが、総理及び国務大臣の参拝は憲法第20条に抵触する行為でもある。

 抑々、英霊へ感謝の誠を捧げ顕彰することを現憲法で語ること自体がマヌケだが、閣僚が参拝すると当事者や官房長官らが頻りに「個人的参拝」を強調するのは「宗教法人への参拝は現憲法に抵触する」との認識を共有しているからに他ならない。

 靖國神社参拝を語る際に、所謂「A級戦犯分祀論」が聞かれるが、分祀論も同じく靖國神社側への政治介入並びに威圧行為であり、憲法第20条違反に問われるのは最高裁の判例が示す通り。要は、靖國神社が宗教法人ということが問題なのだ。

 作家の門田隆将がX(旧twitter)で「韓国の国立墓地・顕忠院や米のアーリントン墓地には行っても絶対にペリー来航以来の国事殉難者246万6千人が祀られている九段の靖国神社には行かない岸田首相。国家観も歴史観も持ち得ない政治家が国際社会で軽んじられるのは当然。悲願の総理にはなったのだから、これ以上日本を崩壊させる前に引退を」とツイートしたら、次の様なコミュニティノートが貼り付けられた。

「韓国の国立顕忠院や米国のアーリントン墓地はそれぞれ国営施設ですが、靖国神社は一宗教法人の施設ですので対比としては不適切です。日本国営の戦没者慰霊施設としては千鳥ヶ淵戦没者墓苑がありますが、岸田首相は終戦の日にこちらを訪問し、総理大臣として参拝を行っています。本ポスト主は過去の投稿から安倍元総理の支持者である事が伺えますが、安倍元総理も岸田総理同様、韓国訪問時に国立顕忠院、米国訪問時にアーリントン墓地を、終戦の日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪問していました」。保守派への実に嫌味な意見だが、要は「靖國神社は、アーリントン墓地や顕忠院の様な追悼施設ではない」という認識である。この認識は強ち間違いではない。

 悲しい哉、多くの国民にとって靖國神社は追悼施設だと思っているのも確かである。だが、靖國神社は追悼施設ではなく、戦没者の功績を顕彰する神社であり、「顕彰」とは、生前の功績や善行などを称えて広く世間に知らせることである。

「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。「慰霊」とは霊魂を慰めること。英霊は神なのだから哀悼の意はそぐわない。

 靖國神社は追悼施設ではなく、国家に殉じた戦没者の顕彰を重んじている神社であるということを理解していないからこんなことが罷り通る。近所の神社に参拝して神に哀悼を捧げるか。日々の暮らしに感謝して首を垂れる。靖國神社も同じだ。

 政治家は、遺骨が納められてる千鳥ヶ淵墓苑をアーリントン墓地や顕忠院の様に国立戦没者墓苑にし、そちらに行きなさいな。靖國神社に参拝しない議員よりマシだが、政治家は靖國神社に関わって欲しくは無いというのが正直なところ。

 大東亜戦争という国難に当り、国家の為に尊い命を捧げた方々を奉斎する靖國神社を国家の責任で護持することは余りにも当然のことで論議の余地などない。

 戦前はそれが厳守され、国民挙って護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは靖國神社の大祭に限り、天皇陛下が御親拝せられたことだ。

 聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはなかった。靖國問題は「宗教法人格」を見直せば済むことなのに何故か手を拱いている。

 靖國神社というのは戦後、GHQの統治下で行われた「神道指令」に因って、解体や焼き打ちされそうになったのは有名な話し。当時の関係者がGHQの目を逸らす為に一時的に英霊ではなく別な御祭神を祀り「一宗教法人」として存続を図った。

 本来ならば、昭和27年4月28日に我が国の主権が恢復した折に、靖國神社と全国の護国神社は「宗教法人」ではな国家で管理するべきだったのだが、政治の怠慢に加え、歴代の政府自民党の無作為で国家護持が成されずに現在に至っている。

 靖國神社の国家護持を図る上で、先ずは靖國神社の宗教法人格を外すことから進めるべきだ。自民党は過去に、衆参両院議員選挙の際のその公約の一つとして「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」という政策を幾度となく掲げて来た。政権政党として至極当然の認識と政策であったと思う。

 だが、過去に幾度も安定多数の議席を確保し乍らもその公約は実現せず、昭和49年の参議院での審議終了に拠る廃案以来「靖國神社法案」は提出されることは無くなった。これ即ち、自民党が保守政党をとしての矜持を放棄したということだ。況してや「反靖國」を標榜する公明党との連立が続く限り靖國問題は解決を見ない。

 自民党内保守派の「保守団結の会」や「日本の尊厳と国益を護る会」及び、超党派の「みんなで靖國神社へ参拝する会」が共闘し、再び「靖國神社法案」を提出可決し、靖國神社の宗教法人格を外すことで不毛な靖國論議に終止符を打つべし!

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2024年04月19日

法務大臣は刑事訴訟法に則り死刑確定から6ヶ月以内の執行を推し進めよ!

 死刑囚へ死刑執行当日に通知するのは違法として、死刑確定囚2人が国を相手取り2200万円の損害賠償と通知当日に執行しない様に求めた訴訟で、大阪地裁は請求を退けた。当然の判決だが、死刑囚を支援してるのはいつもの香ばしい連中。

 死刑囚を利用した死刑反対派の訴訟に拠って、死刑執行する刑務官の精神的負担が増えて、執行自体を躊躇することがあってはならない。また、死刑執行で心理的不安や負担を抱えるというが、そんなのは刑務官に向いてないから辞めた方が好い。

 刑事訴訟法では、死刑確定から6ヵ月以内の執行を定めており、6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し「法相の命令から5日以内に執行されなければならない」と定められている。だが、この規定通りに行われることはない。

 我が国の死刑制度というのは、明治時代の「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして成立したものでもある。明治6年2月、当時の司法卿であった江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第三十七号)」を発令した。

 幕末から維新期には、藩の派閥や新政府への政論の対立に因る暗殺とその報復という面があったことから、この種の紛争を断ち切る為のが目的に創られた法律である。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」が発布、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

 現代でも「死刑制度」を容認する国民が8割以上いるのは、「国家が遺被害族に代わって遺恨を晴らして欲しい」という気持ちの顕れであり、その心情を汲むのが法務大臣である。断じて地味な役職ではなく、死生観を常に持つべき役職である。

 死刑廃止論者は「国際人権基準」がどうだとか、「非人道的」だとか「生きる権利の侵害」や「資料を精査する十分な時間があったとは思えない」と、然も正論の如き主張を繰り返しているが、被害者側に立った意見は殆ど聞くことはない。

「死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべき」という意見は少なくない。日本の死刑制度ばかりが問題にされるが、逮捕され公正公平に判決が下されていることは、司法取引や冤罪が罷り通る死刑廃止を導入している国とは根本的に違う。

 死刑廃止の理由として挙げられる理由は、「冤罪の疑い」や「法に拠り国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」とか「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」など様々だ。

「冤罪」というのは、袴田事件を見るまでもなく取り調べの中で確かに有り得なくはないが、それは警察捜査の傲慢さと科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆ど。冤罪などの疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけの話しだろう。

「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、正義をそんなものに与する方が大きな間違いである。

 左翼人士や人権派弁護士などにも、こうした我田引水的主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、また共産主義者であり無神論者であり乍ら、都合の好い部分は米国でもキリスト教でも利用しようというのはホント逞しい(苦笑)

 残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国家により生命を保証されるというのも如何なものか。況してや死刑囚が再審請求を利用して執行停止を謀るなど姑息過ぎる。無駄な「生」に拘るより、「死」を以て償うべきだと思うのは愚生だけではあるまい。

 抑抑、我が国の死刑制度は被害者遺族に代わり国が仇討ちする意味合いがある。仇討ちを合法化するなら好いが、死刑の替わりに終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無いし、凶悪な犯罪が減るとも思えないし、何より血税の無駄。

「社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない」と言ったのは三島由紀夫。何より大事にしなければならないものは肉体より魂であり、精神性である。

 死生観の違いといえばそれまでだが、残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法に由り生命を保証され、のうのうと生き長らえているというのも如何なものか。

「死刑」とは他人を殺め、己が犯した罪への相当の審判であり、何の責任を持たず無駄に生き長らえて来た人生にピリオドを打つ為の国家に拠る大慈悲であるのだ。

 死刑制度は国民の大半が支持している。反対派の付けたりに過ぎない愚論に与することなく、法務大臣は刑事訴訟法に基いて死刑確定から6ヶ月以内の執行を図るべきで、死刑執行という現実を国民に突き付けることが、畢竟、犯罪抑止に繋がる。

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2024年04月17日

特定パーティーを開催してた岸田に政治資金規正法を改正する資格は無い

 自民党は、派閥の政治資金パーティーでの裏金事件を受けて政治資金規正法改正に取り組むというが、大臣規範を無視して特定パーティーを開催し、億単位のカネを集めてた岸田文雄に政治資金規正法改正の先頭に立つ資格があるとは思えない。

 大規模な政治資金パーティーを禁ずる大臣規範に抵触するものだが、大臣規範に罰則規定は無く、空文化状態であり、法的にも穴だらけである。要は、今回の裏金問題は、法律を作る側にいる者が法の網を掻い潜っていたことが大問題なのだ。

 政治資金規正法では政治資金パーティーはOK。パーティー券の購入額が20万円以下なら名前の記載は不要。自民党5派閥の政治資金パーティーの不記載は報告書の訂正で問題無し。そこを「5万円」にしたり、厳罰化したところで意味は無い。

 政党助成法に拠る「政党交付金」は、政治献金禁止の代償である。未だに企業や団体からの献金を続け、政治資金パーティーを開催してるのは詐欺行為だろう。

 相変わらず国会議員らは企業献金やら個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔している。これ即ち「クリーンな政治を実現する」という趣旨からも逸脱しており、国民への裏切りである政党交付金は即時廃止するべきである。

 政党交付金(政党助成金)は、リクルート事件やゼネコン汚職事件などの汚職事件で、企業や団体などから政治家への資金提供が問題視されたことを理由にして、細川政権下の平成6年に導入された。所謂「政治改革四法」の一つである。

 政治改革四法とは「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」。小選挙区比例並立制と政党交付金制度は政治劣化の元凶。この改革四法案の見直しなくして政治改革や政治とカネも問題も解決しない。

 政治とは最高の倫理であり最高の道徳である。政治家は国民の模範であるべき存在なのに「政治にはカネがかかる」などとはさもし過ぎる。繰り返される「政治とカネ」の現状を見れば、政治家の倫理道徳の欠落は著しいと断じざるを得ない。

 政治家に求められるのは唯々「滅私奉公」の一つである。然し乍ら、その滅私奉公は最早死語となった。政治家必携の本といわれる「南洲翁遺訓」がある。この本は政治家に限らず、人の上に立つ者や日本人ならば必読するべき名著である。

「万民の上に位置するものは、己を慎み、品行を正しくし、贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して人民の見本とならねばならない。そして民衆がその働きぶりを見て『気の毒だなぁ』と思うようでなければならない」(第四条)

 今どき「気の毒だなぁ」と思える政治家なんぞ見たことも無いし、国会中継などを見てると、国民不在の党利党略ばかりで、とても政治家としての正道を踏んで、至誠という真心を以て国家の行く末を論じている政治家なんてのは極極稀だ。

「道義心や恥を知る心を失っては、国を維持する方法は有り得ない。上に立つ物が下の者に対して利益だけを求めて正しい道義を忘れてしまうと、下の者も見倣って、人の心は皆金儲けの方ばかりに向いてしまう。上に立つ者は常に下の見本で有らねばならない」(第十六条)と教えているが、上の責任を下に押し付けている。

 第二十四条は「敬天愛人」の思想。「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を愛するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛するを以て人を愛する也」。天を敬い、何事を行うにしても「お天道様が見ているぞ!」という、日本人としての当たり前の矜持を持ち合わせていない政治家は要らない。

「南洲翁遺訓」は本編四十一条。何れも含蓄あるものばかりだが、これは西郷隆盛が仁者だったというより、自戒だったのではと思う。我が国の不幸と政治の停滞と機能不全は、道徳観を持った政治家や思想家、指導者がいないことに尽きよう。

 国会議員だけではなく地方議員を含めて、過分な歳費や報酬の一部で「南洲翁遺訓」を買って、写本や熟読でもした方がよっぽど国家の為になるぞ!呵呵。

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2024年04月16日

衆院東京15区補選で日本保守党が勝利すれば日本再生の濫觴となるだろう

 東京15区で衆院補選が行われる。LGBT法の強行採決で、日本保守党の百田尚樹代表は「この儘ではアカン。日本を救いたい」との思いで新党を立ち上げた。日本保守党が旧態依然の堕落し切った政治に楔を打ち込む。日本保守党公認の飯山陽(いいやまあかり)を是が非でも当選させ、日本再生の濫觴にしなければならない。

 安倍晋三元首相が凶弾に斃れて以降の自民党の転げ様が凄い。我が国の政治の為体と混迷は自民党以外に保守政党が無いことに尽きる。だが、その自民党は保守政党なのかといえば甚だ疑問で、単に保守のカタチを取り繕っているだけに過ぎない。

 自民党の「立党宣言」には【政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。大戦終熄して既に十年、世界の大勢は著しく相貌を変じ、原子科学の発達と共に、全人類の歴史は日々新しい頁を書き加えつつある。今日の政治は、少なくとも十年後の世界を目標に描いて、創造の努力を払い、過去及び現在の制度機構の中から健全なるものを生かし、古き無用なるものを除き、社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する。われらは、秩序の中に前進をもとめ、知性を磨き、進歩的諸政策を敢行し、文化的民主国家の諸制度を確立して、祖国再建の大業に邁進せんとするものである。右宣言する】と在る。

 自民党は「われらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する」との趣旨に逆行している。

 自民党が掲げる新綱領には「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を」として次の様に明記されている。自民党はいつから改憲政党に成り下がったのか。自民党綱領に則り「世界に貢献できる新憲法の制定を目指す」べきである。

【私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。そのために教育基本法を改正するとともに、教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします】と謳っているが、岸田は「日本らしい日本」を損なうLGBT法や移民政策の実行を謀り、「新しい日本」という国體破壊を謀っている。

 財政再建という名の経済至上主義ではなく、日本国民としての普遍的規範を身に付け、家族や仲間との絆を深め、共に支え合って地域と国家に尽くす日本人を育むことこそ大事。況してや米国民主党や共産主義蔓延る国連に媚び諂うことではない。

 悲しい哉、現代では「協働」という誤った価値観が蔓延している。「協働」とはコラボレーション(collaboration)とか、パートナーシップ(partnership)のことらしいが、コラボレーションならば別に「協働」ではなく「共同」で十分だ。

「共同」と「協働」は同じ発音だが目的は全く違う。「協働」の主体は「国民」ではなく「市民」であり「市民団体」なのである。つまり「協働」とは同じ目的を持った者が集うコミューン(共同体)創りであり、その実はコミンテルン、第三インターナショナル(国際共産党・国際共産主義運動)への一里塚というのが正しい。

 いつの間にやら我が国は、カタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になっている。日本共産党でさえ赤旗ではなく青い幟で国民を欺く。

 彼奴らは夫婦別姓に加え選択的夫婦別姓、男女共同参画社会やジェンダーフリー、SDGs、LGBTQ、移民政策、人権擁護法案、共生社会、外国人参政権、外国人住民基本法案、女性宮家創設、女性天皇容認論など次から次と策謀を重ねている。

 こうした行政側への実に怪しげな策謀や共産主義の連結を奨めたのは共産党ではなく、保守を自任する自民党だったというのは実に御粗末という他はない。

「立党宣言」の【社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである】との覚悟は単なる画餅なのか。

 現在の自民党の中で、高市早苗や小野田紀美、有村治子、杉田水脈など立派な保守議員がいるが、親中議員蠢く党内で埋もれてしまっているのも事実である。

 ポスト岸田に向けて権力闘争を繰り広げているが、高市らは潰される前に保守議員が団結して保守政党を立ち上げるのも必要だろう。ネックなのは小選挙区制度。政治改革は30年前に成立させた所謂「政治改革四法案」の見直し及び廃棄である。

 政治改革四法とは「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」。小選挙区比例並立制と政党交付金制度は政治劣化の元凶となっている。この名ばかりの改革四法案の見直しなくして真の政治改革は無い。

 無自覚左翼なのか確信的アホなのか「日本らしい日本」を損なう政策に対し闘うどころか、「新しい日本」や「新しい日本人を創る」と中国共産党自民党支部の如き第五列ばかり。マスコミでは例の如く河野太郎や石破茂ら親中派議員を持ち上げる。

 河野は「女系天皇容認」「旧宮家皇籍復帰反対」「憲法擁護」「靖國神社参拝反対」「夫婦別姓(選択的夫婦別姓)推進」「外国人地方参政権賛成」「移民政策推進」「脱原発」「親中派」「新しい日本人を創る」等等、売国政策が並ぶ。

 こんな容共派が自民党議員であることが不思議でならない。LGBT法を強行した自民党は、労働者不足を理由に実質的な移民政策を謀り、祖国日本を売り渡し、正しく第三インターナショナル(国際共産党・国際共産主義運動)へ突き進んでいる。

 野党も然りで、党利党略・私利私欲の政争を繰り返している生業議員ばかり。自民党一党独裁が続いているのは単なる野党のオウンゴールの恩恵に過ぎない。そんな中、草莽の有権者が日本保守党を支持していることに祖国日本の希望の光を見る。

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2024年04月12日

血圧数値を「上130/下80」に引き下げられて国民の2人に1人が高血圧症に(笑)

 日本高血圧学会は「高血圧治療ガイドライン2019」で、上140/下90mmHgとされている高血圧の基準を上130/下80未満まで引き下げるという。

 現在「上140/下90」以上の高血圧患者は推定4,300万人とされ、それを「上130/下80」に引き下げられると、1700~2000万人が増加し、約6300万人が高血圧患者となり国民の2人に1人が高血圧と認定される(笑)

 本来、日本人の血圧数値は上160/95mmHgだった。それがWHOの通達などもあり、2000(平成12)年に140/90に引き下げた。昨日まで血圧が150~92の健康な人が、いきなり高血圧患者となり、健康な人が病人にされてしまった。

 この基準値を下げたことで新たに2100万人の高血圧の患者が増えたという。斯くいう愚生もこの人数に含まれ、今では降圧剤常習者だ(笑)

 血圧数値を下げることで製薬メーカーの利益は増大した。そして更なる改定で二匹目の泥鰌を狙う。医師会と製薬会社、そしてその恩恵に肖ろうとするクソ政治家どもの負の構造を見直さない限り国民医療費は増え続ける。

 血圧を薬で下げたことで心筋梗塞や脳卒中で亡くなる人が減ったのは確かだが、一方で癌が死亡原因の第一位となった。抑々、高齢になると血圧が高くなるのは正常な生理作用で、それを薬で無理に下げてしまうことで癌リスクが高まる。

 80歳の人の5年生存率を最高血圧から調査した研究では、最高血圧が180以上の人達の生存率が最も高くなり、最高血圧が120~140のグループの生存率が一番低いという。要は、血圧の基準自体に根拠もないということだ。

 高血圧の原因は「塩分」とされているが、塩は人間が生きる上で最も必要な栄養素だ。摂り過ぎるのはダメだが、摂取しなけりゃ死に至る。要は塩化ナトリウムなど人工塩が悪いのであって、カリウムの豊富な天然塩は身体に好い。

 反原発派やその妄言を信じる連中は放射線を否定し批判するが、放射線は100mSvを超えないとホルミシス効果が無いと言われており、低放射線は塩と同じく人間や生命体が生きて行く上で必要不可欠な要素でもある。

 原発事故の放射線が原因で癌患者が増えたとは聞いてない。降圧剤により癌患者が殖え、それが原因で死亡したとなれば原発事故よりも大問題では(笑)

 人は必ず死ぬし、健康だった人が交通事故でぽっくり逝ってしまうことだってある。原発事故で亡くなった人はいないが「原発を無くせ」というなら、断然多い交通事故死を防ぐ為に「自動車を無くせ」「造るな」と言うべきだろう(笑)

 国内では今や国民の3分の1が癌で亡くなる。死亡原因第一位が癌だ。癌治療の歴史は浅く、癌検診によって早期発見はされ易くなったが、この検診に意味はないという医者もいるし、抗癌剤治療は効果がないという医者もいる。

 芸能人の癌検診と癌治療がテレビなどで話題に上る。如何にも「早期発見が好かった」だとか「抗癌剤治療から社会復帰した」だとか、こうした美談の裏には商魂逞しい病院や医師会が蠢いてる様にしか思えない。

「癌は切るな」「癌検診、百害あって一利なし」と、「癌検診は落とし穴ばかりで検診を幾ら受けても寿命は延びない」と断じる医師もいる。癌検診は病院や厚労省が推進しているだけで有効だと思い込まされているだけに過ぎない。

 日本の癌治療もまた世界レベルから見て相当特殊らしく、やらなくていいことをして必要以上に施して、患者や健康な人を苦しめているのが実情だという。

 心筋梗塞や脳卒中のリスクは言えど癌のリスクを語らない血圧数値の改定は、医師会と製薬会社の策謀というのが正しく、国民の不安や弱みに付け込んだ医療制度を見直さない限り、歳入に占める国民医療費は益々殖え続けて行くだろう。

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2024年04月09日

我が国は「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」に立ち上がったのだ

 陸上自衛隊第32普通科連隊が、硫黄島で開催された日米合同の戦没者の追悼式に参加したことを、Xの公式アカウントで「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」と書き込んだことを朝日新聞が批判していた。日頃「反米」を貫く朝日新聞だが、先の大戦への認識は「太平洋戦争」であり、未だにGHQからの洗脳状態に陥った儘だ。

 国民の多くは「戦争が終結した」「日本が戦争に負けた」というのは知ってるが、何故に我が国が大東亜戦争に突入して行ったのか、その理由を知ることはない。国民の先の大戦の認識は、GHQの謀った「太平洋戦争」史観の儘なのである。

「日本は満州事変以降、大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」というのが、先の戦争に対する政府の基本認識であり、国民もそれを疑わない。然し乍ら、こうした認識は公正なものとは言い難い。

 結果論ではなく、何故に我が国が如何にして大東亜戦争の開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが重要であって、それには1953年のペリー来航(黒船来航)の時代まで遡って、当時の世界の情勢とアジアの近代史を学ばなければ理解は出来まい。

 我が国は西洋列強に追い着くべく、幕藩体制を糾し強力な中央集権国家を形成しようと「明治維新」という大業をたった数年で成し遂げ、近代国家を形成する。

 15世紀半ばから17世紀半ば迄の、所謂「大航海時代」以来、白人に因る世界制覇の波が終にアジアにも押し寄せ、次々と列強に蚕食され植民地となって行った。

 我が国が維新の大業を成し遂げ「日本国」として独立を宣言。大韓民国にも独立を促すが、李氏朝鮮はその意味も分からず、清国の属国の儘だった。日本からの朝鮮独立という通告に怒った清国が日本との戦争に至った。「日清戦争」である。

「日清戦争」は、世界の大方の予想を覆し我が国が勝利。戦利品と賠償に台湾と澎湖諸島、並びに遼東半島を割譲されるが所謂「三国干渉」に由って頓挫する。

 清国が滅ぶと、巨大な空き地と化した支那の領土は世界の国々に蚕食されることとなる。巨大国家ロシアも南下政策を執り、遼東半島から韓国にも触手を伸ばす。

 当時、韓国独自でロシアと対峙することなど到底無理なことだった。その意味では寧ろ日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で、民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張の方が現実的だったのである。

 頑迷固陋な韓国は、「日韓合邦派」や我が国の意見に耳を貸すことはなく、李王朝はあろうことかロシアに保護を求めた。我が国が勝利したことで独立の機は失ったのは当然のこと。合邦派は今や「親日派」として事後法に因り断罪されている。

 その後、当時の「万国平和会議」で、世界満場一致で「日韓併合」が可決されることとなる。三等国家の韓国が、独自の力による近代独立国家建設の道など在り得ず、我が国の協力が有って初めて文化的生活を得られたのが歴史的な事実である。

 こうした悲劇こそが日韓関係の日韓関係足る所以であり、事在る毎に我が国を詰る前に韓国国民こそ歴史の事実と自らの責任を真正面から見つめ直すべきである。

 大航海時代への変化の中で起きた日清戦争や日露戦争にしろ、そして日韓併合もアジアや我が国にとっては避けては通れない宿命的な歴史だったのである。

 日清・日露戦争での有色人種である「日本大勝利」の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させた。特に、有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、第一次世界大戦に於ける連合国が、中央同盟国の講和条件等について討議したパリ講和会議で、我が国は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案するも、「有色人種に人権は必要無い」と否決された。

 パリ講和会議の議長を務める米国大統領・ウイルソンが提案を拒絶したのは、米国人ら白人に因る有色人種への差別が横溢していたのは明らかだった。日露戦争が齎した歴史的課題の本格的実現は、大東亜戦争を待たなければならないのである。

 その後「黄禍論」が湧き起り、世界は第二次世界大戦に突入する。我が国へ米国(America)、英国(Britain)、支那(China)、和欄(Dutch)から、所謂「ABCD包囲網」が敷かれると、無理難題を強いる「ハルノート」が突き付けられた。

 降伏は即ち欧米列強の植民地の道しかなく、我が国の生き残る道は連合国との戦争しかないと決断。開戦の詔勅を賜り、宣戦布告、真珠湾攻撃に至ったのだ。

 米国内では、毎年12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」として、我が国を「騙し討ちをした卑怯な国」として糾弾して止まない。日本人蔑視は未だに続いているが、我が国は断じて「騙し討ち」はしていない。

「騙し討ち」「卑怯者」との汚名を着せられ続ける理由は、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れたことが原因でって、外務省の職員の職務怠慢に他ならない。

 糾弾して止まない「リメンバー・パールハーバー」の根底に在る「黄禍論」という日本と日本人への偏見と差別が悲劇を生んだ元凶である。先の大戦然り、パリ講和会議然り、猛省するべきは日本ではなく未だ有色人種を差別し続ける米国である。

 朝日新聞は占領下に於いて、NHKと岩波書店と共に言論統制の対象となった。戦時中は戦意高揚を訴え、国民世論を煽って大東亜戦争に与してい乍ら、戦後は進歩的文化人を気取り、旧日本軍や日本政府を糾弾し続けている。実にマヌケなことだ。

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2024年04月08日

教科書から消えるという坂本龍馬だがその行動から学ぶものは多い

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 以前から指摘されてたところであるが、坂本龍馬が教科書から消えるという記事をSNS目にした。龍馬の功績と言われているものは、司馬遼太郎の長編時代小説「龍馬がゆく」に拠るところが大きく、実にその95%が嘘や虚飾であるという。

 坂本龍馬は、幕末にはそれほど有名な人物ではなかったという。維新後、数十年が経ち、四国の新聞に「坂本龍馬特集」が連載された。龍馬のその生き様が日本人の嗜好に合致し、人気に火を点け全国に拡がったというのが真相と言われている。

 龍馬暗殺の謎についてよく「北辰一刀流免許皆伝の龍馬を一刀両断するとは」とか「龍馬はピストルを持っていたのに一発も発砲されていないのは何故か」「中岡の暗殺に、龍馬が巻き込まれたのではないか」などと語られている様に謎は多い。

 こうした暗殺の謎が謎を生み、そして歪曲され、またドラ小説やドラマなどで想像・脚色され、龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されていったのではなかろうか。

 坂本龍馬暗殺の実行犯説は、歴史家に拠ってその意見は様々であるが、大凡、「京都見廻組」と「新撰組」説に分かれている。「京都見廻組説」では、元隊士だった今井信郎と渡辺篤が、佐々木只三郎らと実行したとの証言を理由に挙げている。

「新撰組説」では、刺客が「こなくそ」という伊予弁を使ってたされており、伊予出身の原田左之助刀の鞘や隊士の下駄が近江屋に残されていたと言われている。「こなくそ」説は、西軍の谷干城(たに たてき / かんじょう)の独り言に過ぎない。

 龍馬は贔屓の近江屋に、脱出することが出来る隠れ家を土蔵に造っていたとされている。暗殺された日は、風邪で龍馬は土蔵ではなく、来訪した中岡慎太郎と近江屋のニ階で、好物の京都「鳥彌三」の鶏の水炊きを食らい乍ら歓談していた。

 部屋には二人の他に、龍馬の護衛でもある元・力士の山田藤吉。そこに南大和の「十津川郷土」と名乗る男らが訪ねて来る。山田がその客人らを疑わずに通した。

 部屋へ向かう途中に山田は後ろから斬られ、続いて龍馬も殺されている。ドラマなどで仄聞されている様な「わしゃ脳をやられちゅうきダメじゃ」という台詞を吐く間もなかったであろう即死に近く、中岡はこの襲撃からニ日後に亡くなっている

 龍馬は北辰一刀流の免許皆伝というのが歴史的に語られているが、事実は北辰一刀流の「長刀」、つまりは「薙刀」の名手で剣術ではない。西洋流砲術も学びはしたが、実際には剣の腕前はそれほどではなかったというのが真実だろう。

 冒頭の龍馬の有名な画像を見ても分かるが、拳銃を懐に仕舞っているという立つ姿だが、刀がだらしなく下げられている。どう見ても剣術の達人には見えない。

「寺田屋事件」で龍馬は短銃で応戦はしたとされてるが、弾丸が切れたにも拘らず刀で応戦せず、不様に短銃を振り回して、両手に数か所の深手を負った。こうしたことをしても、龍馬は北辰一刀流剣術免許皆伝の応対とはとても思えはない。

 寺田屋事件での傷を癒す為に妻のお龍さんと共に薩摩の温泉に行くのだが、歴史的にはこれが新婚旅行の最初とされている。だが、これもまた根拠の無いもので、薩摩の家老・小松帯刀がそれより十年程早く、霧島へ新婚旅行へ行ってるそうだ。

 歴史が物語として語られる時は、必ずしもその人物の真実を伝えているとは限らない。書き手の主観が入ったり、読み方一つでその生き様や歴史も変わってしまうもの。坂本龍馬が歴史教科書から消えるというのは何となく分かる気がする。

 坂本龍馬こそが幕末の薩長連合の立役者と持て囃され、暗殺の謎が謎を生み、そして歪曲され、また想像されて龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されて行った。そんな龍馬とは何者だったのか。龍馬とは、分かり易く言えば武器商人に他ならない。

 そんな龍馬から学ぶものは、幕閣とも勤王の志士とも通じ、薩長連合の仕掛け人足り得たのは説得の技術、つまりは話す言葉がズバ抜けていたことだろう。

 幕藩体制下に於いて「横議横行」を勧め、「脱藩せよ!」と叫んだのが吉田松陰だが、その「横議横行」を実践した人物として最も有名なのは坂本竜馬だろう。

「横議横行」とは、自由気儘に各地を歩き回り、出合った人達と大いに議論し語り明かすことだが、幕藩体制下では藩の領地から出ることさえ儘ならなかった。

 明治維新は、こうした幕藩体制の陋習を、龍馬を始めとした草莽の志士らが打ち破り、横議横行の実践したことに拠るものだと言っても過言ではない。坂本龍馬が靖國神社に祀られてるのは、幕末の志士らと大いに天下国家を語り合ったからだ。

 大衆の心を引き付けるのは自ら発する「言葉」を以て他に無い。龍馬は正に「言葉の達人」だったのではあるまいか。更にもう一つは、彼が「歩く人」だったことだ。交通の不便だった時代に、龍馬は実に驚くほどの距離を行き来している。

 多くの人と顔を突き合わせ話し合い、一献を傾けて打ち解ける。こうした出会いと邂逅こそが自己確立に繋がり、延いては混濁した時代をも変える原動力となる。

「袖する合うも他生の縁」と言う様に、思想信条が違えども遠慮することはない。どんな相手でも必ず共通の話題があるもの。共通の話題がないということは、人生経験が少なく視野が狭い証でもある。雑駁でも色々な知識を身に付けるべきだ。

 別に難しいことなんぞ話題にせずとも、スケベなことや趣味など、あり触れた日常から感化しオルグすることだ。そこで、場数という人生経験がものを言う(笑)

 オルグとは左翼の専売特許でもあるが、右翼人や保守派に足りないものは、こうしたオルグ(大衆運動)である。今どきの右翼は仲良しクラブの様なもので仲間と盛り上がるが、仲間の拙い点を見ても見て見ぬ振りをするのは如何なものか。

 誰かの請け売りの下手くそな演説なんぞオナニーの様なもので、身内さえも感化されることはない。それより、近所の焼き鳥屋などで隣り合わせた人と語ってみることだ。そうした対話が思想形成に役に立つ。横議横行するべし。呵呵。

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2024年04月04日

君、狂え給え!(吉田松陰)

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 画像は、愚生が所属していた防共挺身隊の初代総隊長・福田進の父であり、「進め社」「日本労農党」の福田狂二(素顕)である。如何にも国士の面構えだ。

 中核派の「前進社」も、この「進め社」のパクリ。国内では警察や国権から弾圧を受けて、支那に亡命。その後、国共戦を経て蒋介石と共に台湾へ転進する。

 伝説の日本人革命家であり、左翼にも狂二の信奉者は少なくない。大江志乃夫著「凩の時(筑摩書房、1985年/ちくま学芸文庫, 1992年)」の主人公でもある。

 日本に帰国すると名を「素顕(そけん)」と改め、国家社会主義者に転向し「防共新聞」を創設、主幹となる。その行動部隊が愚生が所属した防共挺身隊だ。

「狂」という字を「頭が狂った」と捉える人が殆どだが、「狂」とは陽明学の「狂」であり、「狂」の思想は王陽明が「伝習録」で訓えたものと言われている。

1 河井
 陽明学を実践した偉人といえば越後藩家老の河井継之助。「越(ほくえつ)の蒼竜」と称され、幕末に於いて長岡藩の近代化に努力した英雄であり、愚生が最も尊敬する武士である。長岡藩士120石取りの代右衛門秋紀の子として生まれる。

 幼少の頃から腕白で、人の忠告を素直に聞かない強情張りであった。そうした性格は大人になってからも変わらなかったという。少年時代は、藩校で古義学(こぎがく)を学び、成長するとともに実践重視の「陽明学」へと傾倒していった。

 17歳の時に継之助は、鶏を裁いて王陽明を祭る祭壇に鶏肉を供え、人民と藩是の為に立志し誓明したという。青年期には読書に没頭し、良書を見つけるとその書だけを何度も読み返し、一字一句を書き留め暗記し、我が身の行動の規範と成した。

 嘉永5(1852)年、継之助は江戸に遊学し、佐久間象山、古賀謹一郎に師事。だが、象山の尊大さと理屈を捏ねる腹の曲がり具合が気に食わず遠ざかった。

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 継之助が生涯を通じて敬服した人物は、備中松山藩の儒者・山田方谷。自ら松山藩まで足を運び、直接、方谷から陽明学を学び、藩政改革の方法を習得したという。継之助は、方谷を「希代の英雄」と讃え、方谷が唱える思想を熱心に学んだ。

 方谷は後に、「河井は豪すぎる。豪すぎることが幸福な結果になるか、不幸を呼ぶか」と語ったというが、結果は後者の方であった。1ヶ月半ほどの遊学であった。

 別れの朝、継之助は対岸の街道の路上に土下座し、師匠の小さな姿を伏し拝んだ。人を容易に尊敬することのない男が土下座したのは生涯これが最初で最後だった。

 陽明学とは、簡単に言えば「知行合一」という教えである。「言葉にしたことは必ず実行する」という「知行合一」は極めて陽明学的思考である。逆を言えば、「実行できるかどうか分からないことは言葉にしない」ということでもある。

 自分の発言には自ら責任を課していることを意味する。陽明学は、先ず「志を立てる」ところから始まり、その志を「行動に昇華する」ことで終結する。

 つまり、例えば政治家を志すにしても、自分の言葉に責任を持ち、自らが率先垂範して国民の模範となることが大事であり、そしてそれは親に対する孝と国に対する忠であり、「忠孝」が源でなければならないのは言うまでもない。

 陽明学は、人間の格位を「聖賢」「狂」「狷(けん)」「卿愿(きょうげん)」の四つに分けている。孟子はこれを注釈し「聖賢」とは知識・人格に優れた人物。

「狂」は理想主義。「狷」は不潔を潔しとしないもの。「郷愿」は世俗と歩調をあわせた風俗とし、徳の賊(道徳家を装って郷里の評判を得ようとする俗物)だとした。

 要するに、「狂」というのは、「理想を高く持ち、何の虚飾も隠し立てもなく、心の赴く儘に率直に行動すること」であり、分かり易く言えば、「一心不乱」ということである。一つの信念に向かって脇目もふらずに突進することである。

 また、「もし過失があれば改めさえすればよい」とする臨機応変的なものでもあり、世俗社会の常識に対し果敢に挑戦する「実践的理想主義」とも言えるのだ。

 自分の行動を「狂挙」と敢えて言える為には、歴史を見つめる「冷静な目」が必要である。この「狂」の精神こそが、明治維新への道と切り開く転換点となったと言っても過言ではないが、一部の志士には狂った者もいたのも確かだろう。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時に生まれる常軌を逸した行動こそが、「正気」の「狂気」であり「狂挙」である。それは山口二矢、三島由紀夫と森田必勝、更には野村秋介らの行動こそが狂気という正気の行動である。

 この「狂気」の「狂挙」こそが、現状打破の大きな力となり得るのだが、愚生を含め、右翼民族派に「狂気」という言葉はない。つまりは本気さが足らないということ。吉田松陰も、こう訓えているではないか。「君、狂い給え!」。呵呵。

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2024年04月03日

現代で使われている漢字(日常用語)の殆どは日本製である

 江戸時代末期、ペリーの黒船来航し西洋文明が国内に入り込むと、先人らは英語などの言語や表現などの概念を翻訳する必要に迫られた。その結果、数千数万語の和製漢語が創られた。現代で使われている漢字の殆どが日本製なのである。

 日本の漢字用語は西洋の語彙を日本語に置き換えたもので、漢字表記で外国文化を知ることが出来る様にした。この「漢字」こそが日本の文化と言っても過言ではない。尤も、現代のシナ人には日本人の様な芸当は出来ないし、そんな智慧も無い。

 中共国内で使用されている、「人民共和国、共産主義、共産党、革命、左翼、唯物論、社会主義、政治、法律、演説、警察、芸術、哲学、自然、自由、新聞、通信、鉄道、交通、文学、歴史・・・」等等、日常用語は、実は総て日本製の漢字。

 過去に、人民日報の姉妹紙でもある「環境時報」が、中共国内で使用されている「日本式漢字語」の実態を説明しつつ、無分別に使われている和製漢字語導入を巡り、一世紀前の支那大陸で戦わされた論争を紹介して注目を引いたことがある。

 環境時報の記事に拠れば、現在、中共国内で使用されている社会や人文分野の用語の実に約70%が、日本から導入された外来語(日本語)だというから驚く。

 清朝末期、日清戦争に敗北した支那大陸では、庚有為(こうゆうい)が中心となって「維新変法」(自主的な近代化の試み)を進めたが、その取り組みが保守派の抵抗で挫折した後に、和製漢字語が本格的に流入し始めることになったという。

 日清戦争後から、シナ人は近くに存在する極東の日本に注目し始め、近代化を目指す多くの留学生が西欧の文物を間接的に学ぶ為に、日本に渡り始めた。

 近代シナの代表的知識人として知られている梁啓超(りょうけいちょう)も、和製漢字語の普及に大きな影響を与えた一人である。彼は日本に亡命し、日本の小説などを中国語に翻訳し、自らが創刊した「清議報」に連載するなどした人物でもある。

 シナに於ける和製漢字語研究の第一人者である王彬彬(おうひんひん)は、「我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものであり、中国と西洋の間には永遠に日本が介在している」との意見を述べている。

 中共も「反日」を徹底するなら「和製漢字」の使用禁止にしたら如何と思うが、「和製漢字」を捨てることは不可能だし混乱を極めることは必至。尤も、無恥で厚顔不遜な連中のこと、使用してる漢字が「日本製」だと認めることもないだろう。

 日本国内でも未だに中共や習近平に阿り、日中関係を「一衣帯水」だとか「同文同種」だからと信じて御先棒を担いでるバカな連中が後を絶たない。だが、断じて我が国と中共との関係は「一衣帯水」でもなければ「同種同文」などでもないのだ。

 607年、聖徳太子が小野妹子を派遣し「日出ずる国」と「隋」との対等外交に踏み切り、645年「大化の改新」を実現する。大化の改新から18年後の663年、白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶つこととなった。

 その後、遣唐使が約250年間、菅原道真の献策によって廃止されるまで派遣され、唐の文化が、奈良時代の平城京を中心とした天平文化に影響を与えた例はある。

 然し乍ら、国書を携えて派遣したのは、侮蔑して止まない「倭国」としてであり、「日本」と名乗ってからは一度足りとも正式な国書を携えた外交はない。

 明治4(1871年)年、我が国が「日清修好条規」を結んだ相手は「清朝」であり、満州人は大陸を支配はしていたが漢民族ではなかった為に、シナとの正式な外交は、明治45年(1915年)の「中華民国」誕生まで待たなければならなかった。

「日清修好条規」を結ぶ迄の約1200年に亙り、日本列島の中で独自の日本文化を熟成させた。大陸からの漢字に「音」と「訓」を付け、ひらがな(のちにカタカナ)を付け加え、大和言葉を表現しシナとは全く別の文字体系と文化を創造した。

 一方のシナ大陸では、戦乱に次ぐ戦乱が度々起こり、易姓革命の連続で国内での文字文化の発達は全く止まった儘だった。多民族が混在するシナ大陸は正に人種の坩堝であり、統一された国家としての連続した歴史は存在しないのである。

 シナの歴史は陰謀と策略の権力闘争を繰り返した。契丹族の「遼」、タングリート族の「西夏」、女真族の「金」、モンゴル人の「元」、満州族の」清」でも理解出来よう。異民族に因る征服王朝の時代を含め、易姓改名の原則の下に「族滅」し、王朝が変わる毎に歴史や文化が断ち切られて来たというのが歴史的事実である。

「中国4000年の歴史」や「漢民族」にしても空想的な概念と言わざるを得ず、「4000年の歴史」なんぞ嘘っぱち。中共も1949年に出来た新興国に過ぎない。

「三国志」や「水滸伝」などの英雄なんぞフィクションに過ぎず、孔孟の教えも日本人が好意的に伝え実践しているだけ。朱子学や陽明学は日本人の方が優秀だ。

 日本人は異文化を吸収し、より善いものを生み出す国民性であり、親中派が宣って止まない「日本と中国は同文同種、一衣帯水である」との認識は間違いである。

 我が国は、世界の中で最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家であり、民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度は日本国独自のものである。今こそ我が国は、聖徳太子に倣って共産党一党独裁の中共との交流は一線を画すべし!

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2024年04月01日

ウソに隠された真実や真意を見抜ける能力を身に付けることが大事

 今日はエイプリルフール。日本語だと「四月馬鹿」とか「万愚節」という。悪意ある嘘は論外だが、「嘘も方便」という様に嘘とは相手への思いやりや優しさが込められたものでなければならない。洒落の効いいた嘘は周りを和ませる。

 嘘の中でも、釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られたというのは最大の噓だろう。だが、こうした噓に拠って、人々が抱く死の恐怖を軽くすることで民衆の心に安らぎを与えた。キリストも「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきた。

「人は小さな嘘には騙されないが大きな嘘には騙される」とはアドルフ・ヒトラー。「地獄」「極楽」「天国」なんてのは大きな嘘の典型でもある。葬式仏教のインチキ坊主やインチキ宗教家らが何を言おうが、人間死んだら終わり。「無」だ。

「極楽浄土」なんてのは自分よりも劣る者や弱い者を助け、与えられるか。難渋している人に、如何に施しをしてあげられるか。現世の苦しみや悩みを自分なりに努力して救ってやることこそが極楽浄土であると、愚生は単純にそう考えている。

「不妄語戒(ふもうごかい)」という仏語がある。「嘘偽りを言ってはいけない」という戒めの一つだが、これもまた嘘の典型の様なもの。人というのは見栄を張り、嘘や偽りを騙る性分なので、そうした自戒を込めた箴言なのだろう。

「五戒」とは「不殺生戒(ふせっしょうかい)」。生き物を害してはならない。また他人に殺さしめてはならない。また他人が殺害するのを容認してはならない。

「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」。他人のものを盗んではいけない。また他人をして盗らせてはならない。また他人が盗るのを認めてはならない。

「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」。不道徳な性行為を行ってはならない。これは、不倫や強姦を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含まれる。

「不妄語戒」。嘘をついてはいけない。また他人をして偽りを言わせてもならない。また他人が偽りを語るのを容認してはならない。

「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」。酒を飲んではいけない。また他人をして飲ましめてもならない。また他人が酒を飲むのを容認してはならない。

 愚生的に「不飲酒戒」や「不邪婬戒」を守るのは絶対無理。ホント、仏教徒じゃなくて好かったと思うが、仏教徒でこの五戒を守ってる人なんていないだろ(笑)

 政治家の世界というのはホンネは出来るだけ出さない方が好いとされている。善し悪しは別に、日本の政治家にとって腹の中を見せないのは独自の伝統でもある。

「嘘は泥棒の始まり」「嘘を吐くと閻魔様に舌を抜かれる」など、嘘は悪いものだと教わって来た。だが、現代は「嘘は政治家の始まり」というのが当たり前となり、そうした嘘吐き政治家を国民の代表として戴くことは国民の不幸でもある。

 嘘を吐くにもやはり洒落が欲しい。「嘘は世情の宝」ともいうし、噓というのは世間や周りの人達を和ませるものが好い。「講釈師見て来た様な嘘を吐き」なんてのもあるし、嘘だと分かっていても、ついついニヤッとして笑えるのが好い。

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんていうのがある。今でいうとキャバ嬢やホステスだろうか。「手練」とは人を思うままに操り騙す技巧のこと。

 酒飲みの男性なら、スナックやクラブで隣りに座ったホステスの嘘や笑顔を勘違いして、ついつい熱くなって店に通い続けたという経験があるだろう(笑)

「商人は損と求めて蔵を建て」というのもある。商人の「儲かりません」というのも多くは嘘だ。口では「儲かりません、儲かりません」と言いながら、大きな蔵を建てるなんてのはよくある話し。今なら豪邸や高級自家用車だろうか。

「紺屋(こうや)の明後日」なんてのも笑える嘘だ。愚生の実家のラーメン屋で出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じ(笑)

 嘘には好い嘘と悪い嘘があるのは理解しているだろう。自分の為や言い訳がましい嘘は感心しないが、周りを安心させる様な、また和ませる様な嘘ならば吐いても差し支えはない。そんな「好い嘘」も吐けないのは正直というよりバカ正直。

 真面目を通り越してバカ正直というか、そんな輩は世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんなバカ正直な人も最近はめっきり見かけなくなってしまった。報道(噓)に隠された真実や真意を見抜ける能力を身に付けることが大事である。

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2024年03月30日

「桜」は正に日本人の心の文化と美意識の真髄である!

 靖國神社境内の「迅雷桜」が綻び、東京都で「開花宣言」が出された。約一週間後には満開になる。例年、8月15日の靖國参拝が話題になるが、英霊の方々が「九段の桜の下で会おう」と遺書に認めた様に、桜満開の靖國神社は素晴らしく感慨深い。

 桜満開の靖國神社に詣でる様になったのは、知人のヤクザが、桜満開のシーズンになると友人や知人らを連れ毎年靖國神社を訪れていて同道したのが最初だった。

 そのヤクザ曰く、「以前、九州にゴルフに行った際に知覧特攻基地の話しを聞いてから参拝してる」と言っていたことに感銘を受けた。もう彼是30年以上前のこと。

 靖國神社に同道した際、「何だ、ヤクザのオレが終身正会員なのに『靖國神社国家護持』と言ってる右翼が終身会員に入ってないのかよ?」と揶揄われて、なけなしの5万円を支払い即入会したのを思い出す。今では有難かったと感謝している。

 毎年四月の第一土曜日には、参道に建つ大村益次郎の銅像の下で「靖國神社の桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」が催される。友人らと参加したのが懐かしい。

 今年は満開の桜の下での催しとなるだろう。自然発生的に靖國神社に集う日本人の多さを見れば、左翼陣営が席巻し様と未だ未だ日本も大丈夫だと感じる。

 愚生は靖國神社に詣でると先ずは本殿左手に在る「鎮霊社」に参拝することにしている。鎮霊社には、賊軍とされた会津藩や我が故郷の二本松藩、西郷隆盛などの幕末の時代に悲運の運命を辿った方々や全ての戦没者がこの小さな社に祀られている。

 靖國神社側が、宗教的な敬虔さを示す為に「鎮霊社」を設けたことは高く評価されるべきであろうが、未だに「朝敵」とされ、死後も尚、本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状を鑑みれば、真に「靖國」の意味が在るのか疑わざるを得ない。

 明治天皇の思し召しに拠り建立されたその趣旨を鑑みれば、賊軍とされた先人の名誉回復こそが先ではないかとの思いが募る。未だに名誉回復は愚か本殿への合祀が成されないのは、靖國神社の創立に長州藩が大きく係っていたことが要因である。

 戦後政治の総決算も好いが、大東亜戦争の大義とGHQに因る不条理を検証することは当然であるが、薩長閥の明治維新の諸矛盾も考察すべきであると考える。

 靖國神社とは正に長州閥が産んだ歪な追悼施設でもある。敷地のど真ん中に「大村益次郎」の銅像が、それをよく示している。「大村益次郎は上野に在る西郷隆盛の銅像を睨んで建っているんですよ」と、タクシーの運転手に聞いたことを思い出す。

「靖國神社の桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」は、その大村益次郎の銅像下の特設ステージで行われる。「海ゆかば」が流れる中、英霊に対し黙祷を捧げ、献杯、女性コーラス隊が登壇し、愈々「歌う会」という名の大軍歌大会が始まる。

 間髪を容れず次々と歌われて行くのだが、大声で、立ちっぱなしで歌っていると結構疲れる。程程愉しんだら中座し、直会に向かう。この直会が目的でもある(笑)

 桜を愛でるにもやはり酒は欠かせない。靖國神社の近所では九段下の「政寿司」が好い。贔屓にしてる浅草小島の「秀鮨」はネタや握りも然ること乍ら、江戸っ子の秀さんの粋を愉しめる。事務所の在った田園調布界隈では、長嶋茂雄終身名誉監督が足繁く通った「鳥鍈」も懐かしい。その近所の鰻の名店「平八」での一献も好い。

 鰻重といえば石川台の「鰻家」が愚生的に日本一。鰻重は前以て注文し、鰻重が提供される前に焼き鳥や茶碗蒸しで一杯。ここの茶碗蒸しは珠玉の味わいなんです。

 浅草なら「飯田屋」。「駒形どぜう」が有名だが、愚生的には飯田屋が好きだ。飯田屋で料理を楽しんだ後は「神谷バー」。電気ブランが有名だが、電気ブランのソーダ割が美味い。チョッと薄めなので、電気ブランを加えるのがおススメ。

 赤羽の「米山」はモツ焼きの名店。最近は御無沙汰してるが、あの雰囲気は呑兵衛には堪らない。ここは、前以てモツ焼きなどを注文するのだが、高級フレンチじゃないが豚肉メニューのフルコースを楽しめる。ただ、オヤジが偏屈なので御注意を。

 野村秋介が愛した蒲田の「八幸」や、赤羽の鰻屋の名店「川栄」も捨て難い。久しぶりに奥村女史と同道し一献やりたいなぁ。あの豪快な呑みっぷりは惚れ惚れする。何だかんだと言い乍ら、愚生の場合は桜より団子じゃないが一献目当て(笑)

 九段の靖國神社界隈に咲き誇る桜は英霊の声だ。「桜」は古代から日本人に最も愛され親しんだ花だろう。それだけに桜への憧れや哀愁を詠んだものは多い。

「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心ものどけからまし(在原業平)」

「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花(本居宣長)

「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃(西行法師)」

「風誘う 春よりもなお我はまた 春の名残りをいかんとはせん(浅野内匠頭)」

「散る桜 残る桜も散る桜(大愚良寛)」

 日本人にとって花といえば桜。桜は死に際の潔さで昔から武人、軍人精神に好まれた花でもある。九段の桜、同期の桜、愛国の桜。陸軍の徽章は桜、海軍は桜に錨。靖國神社の紋は菊に一重桜。「桜」は正に日本人の心の文化と美意識の真髄である。

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2024年03月29日

プロ野球選手団の靖國神社参拝を熱望して止まない!

 プロ野球が開幕する。その昔は、福島県内ではジャイアンツ戦しかテレビ中継しなかった。ジャイアンツファンというより熱烈的な長嶋茂雄ファンなので、どうしてもジャイアンツの結果が気になる。今年は日本一に返り咲いて欲しいものだ。

 野球が当たり前にやれなかった時代がある。支那事変が勃発すると、国内では娯楽というものが消えて行く。プロ野球もその一つだった。野球選手が大好きな野球も出来ずに祖国の為に尊い命を投げ出されていることを国民は知っているだろうか。

 平和を謳歌し、好きな野球をやれるという当たり前のことを再認識する為にもプロ野球選手団は、開幕前に靖國神社に参拝して欲しい。先の大戦で犠牲となり英霊となられた先輩方に感謝の誠を捧げることを熱望しているが未だ実現されてはいない。

 靖國神社を参拝することで、平和の尊さと野球がやれる有難さを実感すれば選手としての思いもまた違ってくるだろうし、プロ野球人気も高まることだろう。

 読売ジャイアンツは宮崎キャンプインの際に恒例だった宮崎神宮への参拝を個人の信仰の自由(創価学会員の選手)を優先して取り止めたことは記憶に新しい。

 必勝祈願でさえ宗教行為と認識してる様では靖國神社への参拝は困難を極める。プロレスや大相撲は、定期的に靖國神社にて奉納試合や奉納相撲を行ってる。

 プロレスや大相撲に比べプロ野球選手団は、先人への感謝や想いというものが乏しいのではあるまいか。他のプロ選手も靖國神社へ詣で頭を垂れて欲しいものだ。

 先の大戦で亡くなられたプロ野球選手は、我々が想像している以上に多い。試合の途中で出征した方や、幾度かの戦火を潜り抜けて帰還し、再び出征して終には戦場に斃れた方など、実に69名もおられる。この方々は靖國神社に祀られている。

 護国の鬼となり、散華された英霊の中でも有名なのは、東京巨人軍(読売ジャイアンツ)の澤村榮治投手だろう。澤村投手がどんなに凄い選手かは説明するまでもないが、年間最優秀投手に与えられる「沢村賞」はプロ野球選手の最高の名誉である。

 澤村榮治選手は野球だけではなく、普段の何事に対しても真摯な態度で挑む人だったらしく、人としても実に立派な方だったという。巨人軍の教えである「巨人軍の選手たるもの紳士たれ」とは澤村選手を見習ってのことだろうと思っている。

 背番号「14」は永久欠番となっているが、ベーブルースを三振にしたくらいで永久欠番になる訳はないだろう。プロ野球選手であるが愛国心捨て難く、異国の地で散華されたその崇高な精神を忘れない為のものであることは言うを俟たない。

 名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)の石丸進一投手と朝日軍(現・横浜DeNA)の渡邉静内野手は特攻作戦に参加しており、沖縄戦で散華されている。

 石丸投手は、鹿児島県の海軍鹿屋基地から出撃の直前に最後のキャッチボールをして飛び立ったという。数時間後の死を前にどんな思いでキャッチボールをされたのだろうか。これこそが渾身の悩みであり、その心中を察するに余りある。

 渡邉静選手も石丸選手と同じく海軍鹿屋基地から沖縄へ出撃している。夢見て憧れて入団したプロ野球人生での打席はたった二度しかない。戦争が悲しい現実を彼に与えてしまった。さぞ心残りだったろうが、未来を後輩に託して散華されたのだ。

 彼らは野球への情熱を「特攻」というカタチでその尊い命を捧げ、沖縄を戦い、そして祖国日本を死守すべく見事に散華された。プロ野球選手団はそれに応える意味でも開幕前に靖國神社に参拝し、先人の御霊に感謝の誠を捧げるべきだと思う。

 現代の平和や繁栄は、英霊の犠牲の上で成り立っているのだ。自らの命を犠牲にすることで、祖国日本や家族、故郷や友人ら愛するものを守るという彼らの至高の精神を決して忘れてはならない。プロ野球選手団の靖國神社参拝を熱望して止まない。

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2024年03月28日

「女性天皇」と「女系天皇」の違いも解らないから騙される

 男女共同参画の現代の安っぽい価値観の流れで皇統を論ずることには違和感しか無い。以前、facebookで友達になってた女性が「女性が天皇になっても良いと思います。差別化して欲しくない」というコメントを貰ったことがあったのを思い出す。

 このFBFもそうだが、「女性天皇」と「女系天皇」の違いが解らない国民が殆どで、天皇が最も重んじるべき祭祀の重要性を知ることもなく、憲法下での国事行為を理解していない故に、流行りのジェンダー平等論と天皇を同列に扱っている。

 反天皇・天皇廃止運動を実行してる勢力は、マスコミに因る「開かれた皇室論」から国民の皇室への尊厳を薄れさせることに成功させた。男系優先主義に疑問を呈し「女性は天皇になれない」と世論誘導するなど如何にも巧妙で悪質である。

 女性は天皇になれるが、女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを理解していない。天皇としての祭事の重要性を理解していないから女性天皇論を安易に語れる訳で、こうした風潮は逆に天皇を軽んじてる証左と言えよう。

 女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、「今後は一般国民としての生活を重んじよ」との天皇や宮家当代の思し召しであり優しさの顕れ。そういう大御心も理解せず安易に女性差別であるかの様に女性天皇論を語ることは不敬極まりない。

 過去には左翼の巣窟である「国連女子差別撤廃委員会」が、男系男子に限られている皇位継承に関し女性差別を理由に皇室典範の改正を強要した。こうしたことこそ女性差別という名を利用した日本差別であり、こうしたものに与してはならない。

 過去には八人十代の女性天皇が存在した。その八人とは、第三十三代推古天皇、第三十五代皇極天皇、第三十七代斉明天皇(皇極天皇と同一人物)、第四十一代持統天皇、第四十三代元明天皇、第四十四代元正天皇、第四十六代孝謙天皇、第四十八代称徳天皇(孝謙天皇と同一人物)、第百九代明正天皇、第百十七代後桜町天皇。

 八人十代の女性天皇の全ては男系である。敬宮愛子内親王殿下が天皇に即位された場合、それは男系の九人目の女性天皇となる。男系女性天皇のうち、配偶者に恵まれたのは推古天皇、皇極(斉明)天皇、持統天皇、元明天皇の四人だけ。元正天皇、孝謙(称徳)天皇、明正天皇、後桜町天皇は配偶者を持つことはなかった。

 悠仁親王殿下が即位しない限り皇統は潰える。皇位継承順位第一位が秋篠宮殿下、第二位は悠仁親王殿下となるが男系男子は悠仁親王殿下唯一人であらされる。GHQが謀った皇統の危機的現状は、臣籍降下させられた旧皇族を復帰させれば盤石なものとなるが、「女性天皇」と「女系天皇」を謀る勢力はそれを許すことはない。

 反天皇の不逞の輩らは、「皇籍復帰は現代にはそぐわない」とか、「男系男子を増やす目的だけで」だとか、彼是と理由を吐けては反対しているが、皇籍復帰を実現させ、若年皇族や幼年皇族には皇族としての帝王学を学ばせれば好いだけのこと。

 喩え、女性天皇が誕生したとして、その女性天皇と結婚出来る資格のある国民がいるとも思えない。若し、いるとすれば旧皇族なのだろうが、ならば、早々に旧皇族の皇籍を復活させ、天皇を盤石の安きに置くべきで、養子縁組とは順序が逆である。

 皇籍離脱させられた旧十一宮家の方々は北朝第三代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。旧宮家が皇籍復帰すれば男子成年皇族は二十名以上になる。

 皇位継承は神武天皇以来の「男系」の血筋が絶対であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは近年の反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは、「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

 内「伏見」「閑院」「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」は断絶しているが、東久邇家には、歴代天皇と男系で繋がる男子が七名おり、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が五名、更に四名の男児が生まれている。久邇宮に男児一名、賀陽宮に成年男子二名、竹田宮に男児一名と若い男子皇族がおり、皇籍復帰で皇統は安泰となる。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。

 秋篠宮皇太弟~悠仁親王殿下の継承は決まっているが、東久邇家以外にも十名以上の男系男子がおられる。「皇統の危機」は旧宮家の皇籍復帰を成すことで盤石となる。だが、敬宮愛子内親王を即位させ皇統断絶を謀る勢力がそれを許さない。

「長く民間人だった人が皇族になることに違和感がある」とは付けたりに過ぎない反対理由である。宮家は王室ではなく、祭祀を継承しているに過ぎない。天皇こそ祭主であるが、現憲法下で国事行為を行うだけの政府の都合の好い傀儡と化している。

 宮家を再興するということは、男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、何より、皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにあると知るべし。

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2024年03月27日

任侠道を忘却したヤクザが暴力団と誹られるのも当然である

 全国の右翼団体の殆どがヤクザと関わりがあり、悲しいことにヤクザの傘下団体に成り下がっているのが現状でもある。右翼陣営の弱体化は指導者不足と資金確保の問題が大きいが、暴力団傘下に甘んじたことが少なからず要因となっている。

 斯くいう愚生もヤクザの友人はいるし、所属してた防共挺身隊は山口組のケツ持ちだった。任侠精神や反権力、反骨精神では与するものはあるが、資本主義の落とし子の様なヤクザに、反資本主義の右翼が配下になるというのも可笑しなことだ。

 況してや昨今のヤクザに任侠精神は無く全てがカネの世界に成り下がった。暴対法や暴排条例の施行で暴力団では食べられなくなり、組織に与しない半グレが暴力団以上のシノギをして幅を利かす。こうしたことを招いたのもヤクザの為体が原因。

「任侠とは、弱い者を助け、強い者を挫き、義の為には命を惜しまない気風」のこと。そういう意味では、昨今のヤクザより愚生の方がその気風は逞しい(笑)

「ヤクザ」というのは、「おいちょかぶ(花札)」の八九三の札の意味で、八(おいちょ)と九(かぶ)と三(さんた)を足すと二十でゼロとなり「ブタ(どぼん)」となる。つまりは「役に立たない」「つまらないこと」という意味だ。

「暴力団」という呼称は戦後に警察やマスコミが命名した言葉だ。「任侠道」を謳ってい乍ら、やってることは振り込め(特殊)詐欺やら覚醒剤などの違法行為と弱い者イジメ。任侠道を忘却したヤクザに「暴力団」という名前はピッタリ(苦笑)

 己のことばかりで何の役にも立たなくなったヤクザに対して、「暴力団対策法」や「暴排条例」の施行は悪因悪果であり自業自得である。そんな現状なのに「ヤクザの人権が~」などと暴力団側に立って訴えてる右翼ってのも嗤うしかない。

 山口組四代目・竹中正久組長は「わしらにも人権はある。人殺ししたとしてもやなあ、裁判受けとるやないか、ええッ。わしが犬か豚か虎か狼やったら、人殺しても裁判受けさすか。せえへんやろ。人間やから裁判受けさせるんや」と語っている。

 ヤクザの中で山口組四代目の故竹中正久という人物が好きだ。如何にも武闘派という面構えだが、驚くことに刺青はしていなかったというのも驚いたっけ。

 右翼もそうだが、警察に媚び諂うヘタレヤクザが多い中であの反骨精神は尊敬にも値する。元検事の三井環は竹中組長の取り調べの様子をこう振り返っている。

「捜査や取り調べというのは戦争なんですよ。戦争とは荒いことをやります。相手をやるかこちらがやられるかが戦争なんです。私は29年検事をやりましたが自白をしなかったのは3人しかいなかった。一人は竹中正久で後の二人は中核派です」

 ヤクザは完全な資本主義である。反共は基より、反民主主義で反資本主義であるべき右翼もやってることはヤクザと変わりない。ヤクザブルの右翼が暴力団の傘下になったのも当然で、頭の中はヤクザと同じ金儲けと所帯染みたマイホーム主義。

 そんな拝金主義のヤクザや右翼が当たり前になったのは平成に入ってからのこと。昔のヤクザというのは任侠道を重んじていたし、右翼も反骨精神があった。堅気を苛めず、カネは追うものではなく後から結果として付いてくるものと信じた。

 昭和時代の高倉健や勝新太郎の任侠映画がそうだが、悪を懲らしめ正義が勝つといった勧善懲悪に国民は興じた。その後、菅原文太の「仁義なき戦い」の頃になると抗争事件が主題となり、最近のVシネマに至っては完全な暴力団と化した(笑)

 誰が言ったのか知らないが「ヤクザはカネも器量の内」だとか「ヤクザはイイオンナ連れてイイ車に乗らなきゃ」というのが当たり前の価値観となった。カネや外見でしか判断することがないから、見栄や虚勢を張って己を大きく見せ様とする。

 愚生も付き合いから何百人、何千人と色んなヤクザを見て来たが、ホンモノは極々僅かしかおらず、ヤクザの空ツッパリと根性無しはホント嗤うしかない。

 ヤクザの傘下団体に納まった右翼に魅力はもう無くなった。今は右翼団体を辞めてヤクザとの柵もなくなってお蔭で清清したというのが正直なところ(笑)

「仁義なき戦い」の舞台にもなった広島県呉市の商店主の言葉をSNSで読んだ。「ヤクザなんぞなんにもかっこええもんじゃありゃせんわ。ほんまに強えやつは決してヤクザにゃならん。一対一じゃ勝てんから群れる。好き勝手暴れて怖いから殺す。人の横車を押して無理難題を押しつけて、あいつらはただそれだけのことじゃ」

 幡随院長兵衛の様な町奴(まちやっこ)がヤクザであり、強きを挫き弱きを助ける気風が無くてはならない。任侠道を忘却した暴力団を排除し、ヤクザに任侠精神を涵養させたいと思うが、任侠道とは程遠いヤクザにその声が届くことは無い。

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2024年03月22日

大谷翔平選手の水原通訳がドジャースから解雇という衝撃的なニュース

 米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手の水原一平通訳が、スポーツ賭博への関与が指摘されて球団から解雇されたという衝撃的なニュースが飛び込んで来た。

 SNSでは大谷翔平選手を気遣う意見が大勢を占めていたが、「実は水原一平ではなく大谷翔平がスポーツ賭博に手を染めてて水原通訳が身代わりになった」というツイートが目に留まった。炎上目的なのか妄想逞しい意見には厭きれるばかり。

 ギャンブルに嵌った水原通訳を大谷選手が助けてやったというのが真相だろう。だが、喩え好意であっても資金を融通したことが事実なら共犯に取られる可能性も。

 大谷の口座を使ったことは「(スポーツ賭博が)違法ではない」という認識からだったということを窺い知れることが出来るが、軽挙妄動の誹りは免れない。

 そこで弁護士を介して「水原通訳が自分でやったこと」にせざるを得なくなり、窃盗罪での告発に至ったのだろうと推測する。捜査の進展如何では大谷選手の処分の可能性も拭えないが、こんなことで選手生命を絶たれることがあってはならない。

 スポーツ賭博は知らないしパチンコはやらないが、愚生は競輪・競馬が大好き。身を亡ぼす様な賭け方はしないが、分相応に愉しんでいる。水原通訳もギャンブル依存症などと言い訳してるが、己を知り、分相応に愉しんでいれば好かっただけだ。

 最近は慢性的不如意で放浪の旅に出ていないが、ギャンブル目的の「旅打ち」は大好きだ。旅打ちの聖地は、新潟県西神原郡弥彦村の彌彦神社敷地内に在る「弥彦競輪場」だろう。温泉街もあって、勝ったら温泉止まり、負ければ野営か野宿(笑)

「旅打ち」といえば色川武大こと阿佐田哲也だろう。他にも浅田次郎や伊集院静、山口瞳なんかも旅打ちを愛した作家である。「旅をしながらギャンブルを行う」というスタイルは、江戸時代の「博徒」と呼ばれた国定忠治などの無宿人がそう。

 愚生からすると、パチンコはダメだが公営ギャンブルを否定する人や全くギャンブルをやったことが無い人というのは魅力を感じない。無難な人生を歩んで来たという如何にも安泰した生活臭が、そういう雰囲気を醸し出しているからだ。

 何事も失敗を経験しバカな事に打ち込んだ人というのはどことなく人間味に溢れている。阿佐田や浅田、伊集院といった作家の作品がウケるのは、そうした経験から滲み出る人間性から発した生きた言葉や人生観が綴られているからだと思う。

 阿佐田はギャンブルから学んだ人生観を相撲の勝敗に喩えた。「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理が出る」と教えたが、実に分かり易い。

「幸運が続き過ぎると危ない」という考えから、大負けすると「ここで不運を消化しておけば安心だ」と語っていたという。愚生も見倣ってるが負けばかり。

「満(み)つれば(か)欠くる」ともいうが、愚生の人生も40歳の頃がピークで、後はずっと欠けっぱなし。まぁ、月も三日月になってしまえば後は満ちて来るし、ツキは戻って来るものだから、今を凌げばどうにかなるだろうと楽観視している。

「勝つと思うな思えば負けよ」という。「勝とう」「勝たねば」と思うと実力を発揮出来ずに終わるということが多いが、これを「引き分けで好い」と思うと意外と気負わずに出来るもの。そんな精神的余裕が勝ちに結びついたりするものだ。

 そういう意味では旅打ちやギャンブルというのは精神修行の一つでもある。分かるかなぁ。まぁ水原通訳がそうだが、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言う様に遣り過ぎ。何事も分相応に程程に、阿佐田の教えである9勝6敗を目指すのが好い。

 大谷選手は水原通訳に、必要経費として使える10億円の口座を管理させていたという情報もあった。そりゃ、水原通訳も天祐とばかりギャンブルに使うわな。

 大谷選手もアメリカンドリームを成功させて金銭的に麻痺してしまっていたのかも知れないなぁ。「人を見る目は人生経験の積み重ね」「人を見る目は人生哲学そのもの」だが、失敗や裏切りは「好い人生経験を積んだ」と思うことだ。呵呵

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2024年03月21日

桜花咲き匂うこの時期、全国各地で卒業式、入学式が行われるが・・・

「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」、正に桜花咲き匂うこの時期、全国各地で卒業式、入学式が行われる。その昔は、卒業式や別れの定番曲といえば「蛍の光」だったが、いつの頃から歌われなくなってしまった。拒否された理由は国歌拒否と同じで、我が国の歴史の否定から始まったものであろうことは推測出来る。

「蛍の光」の原曲は、スコットランド民謡の「オールド・ラング・ザイン」である。これに詩を付けたのが国学者の稲垣千頴(チカイ)と言われている。

 千頴は、陸奥国棚倉(現・福島県東白川郡棚倉町)出身。棚倉藩の松井松平家の家臣稲垣半太夫の次男として生まれ、幼少期から学問に頭角をあらわし日光の寺院へ留学。棚倉藩主松平康英の川越転封に伴い、川越藩藩校長善館の教員となる。

 京都遊学を経て東京に移り、1869年(明治2年)23歳で平田篤胤死後の国学塾「気吹舎(いぶきのや)」(主宰 平田銕胤)に入塾。塾頭に就任したが塾則で禁じられていた遊郭登楼が発覚し、塾生らから意見書が提出され退塾処分となった。

 遊郭通いとは中々洒落てるじゃないか。高が遊郭遊び如きをチンコロするなんぞ、これから国学を習おうという塾生としての心構えがなってはおらん(笑)

「蛍の光」は、GHQ統治下の、1949(昭和24)年、教科書検定制度最初の小学5年生の音楽教科書に掲載された。だが、後に国家主義的な色合いが強いと「3番」「4番」の歌詞は削除された経緯がある。その「3番」「4番」と意味は次の通り。

 3、筑紫の極み 陸(みち)の奥
   海山遠く 隔つとも
   その真心は 隔て無く
   一つに尽くせ 国の為

(九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心は唯一つにして互いに国の発展の為に尽くそうではないか)

 4、千島の奥も 沖縄も
   八州(やしま)の内の 守りなり
   至らん国に 勲しく
   努めよ我が背 恙無く

(千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どの地に赴こうとも、日本各地夫々の地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任に当たり、努めを果たして頂きたい)

 この詩を知れば、我が国の歴史や先人の営為が見えて来るというものだが、「蛍の光」の後半部分の削除は正にGHQに因る戦後民主主義教育の一環でもあるのだ。戦後民主主義とは、自国の歴史を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観である。

「蛍の光」を見るまでも無く、その悪しき戦後教育は今や日本国内の隅々にまで浸透してしまっている。占領下でのGHQの矯正と洗脳に因って、我々日本人はそれまでの尊い価値観を見失ってしまったのだ。いつになったら覚醒するのだろうか。

 卒業・入学シーズンになると、国旗・日の丸、国歌・君が代に反対する蛆虫共も蠢き出す。日本という奇跡とも言える国に生まれ住み、日本人として恩恵を享けながら、祖国日本に誇りも持てず卑下し貶めるのは日本人として実に醜く見苦しい。

 多くの日本人は国旗・国歌に親しみを感じている。ところが未だ、「国旗及び国歌に関する法律」が制定されて以降も、これに公然と異議を唱え、反対している勢力が存在する。言わずと知れた「日教組」や「全教」、共産党といった反日勢力。

 連中は「日の丸は軍国主義の象徴だ」「侵略の旗だ」「君が代は天皇賛美だ」との妄言を垂れ流し純真無垢な子供達を洗脳する。ならば米国の旗はどうだ。英国やオランダ、フランスはどうだ。或いは中華人民共和国の旗は侵略の旗ではないのか。

 天皇国であるべき日本が天皇を賛美したとして何が怪しからんのだ。何が「天皇賛美」か。反対する連中というのは物事の見方が実に薄っぺらで、こうした状況は健全な世論に逆行するばかりか、教育現場での混乱は国益を損ねるものである。

 教師という公務員の立場でありながら、法律さえ遵守しない不良教師の一掃を図るべきだが、その日教組は今や政府民主党の支持母体というのだから世も末だ。

「日の丸」と「君が代」とは何か。 聖徳太子は隋へ「日出づる所の天子、書を日没する所の天子にいたす、恙無きや」の文書を小野妹子に託す。これを読んだ隋は激怒するが、小国日本の存在を堂々と主張して見事に気概を示した逸話であろう。

 我が国は、ユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国であり、稲作民族が日の神、天照大御神を崇め太陽信仰を持つのは自然で、国のシンボルに「日の丸」を執ったのも極めて自然なこと。国の成り立ちや理想が「日の丸」ほど一致する国は無い。

「日の丸」の赤丸は太陽を意味し、熟誠、活気、博愛、誠心誠意を現し、白地は清浄無垢を示し、神聖、正義、純潔、平和、鎮静。シンプルだが気品に溢れている。

「君が代」は「古今和歌集」巻七「賀の部」、「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典である。この詠の本意は、大君の御代が栄えることを願ったものであり、詠んだのが草莽の民というのが実に素晴らしい。

 我が国は、畏くも天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり、「天皇即日本、日本即天皇」の天皇国家である。この国體の精華は万邦類を見ないところであり、従って陛下の御代が栄えることは、即日本が栄えることでもあるのだ。

「君が代」は、実に我が国體の精華を格調高く歌い上げたものであり、その曲と相俟って厳粛にして荘重、正しく世界に冠たる誇るべき「国歌」である。

 万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることこそ本望であり、畢竟、それは日本国民として当然の願望であることは言うを俟たない。我が国はいつの世も、時の陛下の御代である。

 いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないのだ。そうした国柄を、「日の丸」と「君が代」は見事に現している。

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2024年03月19日

国際常識を身に付ける為には先ず自国の国歌・国旗に敬意持つべき

 京都市立小学校の卒業式と同中学校の入学式で、国歌斉唱を拒否した少女がネットで話題になっていた。母子で参議院議員会館を訪れ文科省職員に「日の丸・君が代」の強制をしないよう要請した。仲介者は日本共産党の倉林明子参議院議員。

「天皇制を認めたくない」という。「天皇制」とは共産党造語。現憲法で天皇の国事行為が明記されているが、この条項は天皇の政治利用であり、それを制度というなら理解するが、天皇は天皇であって制度ではない。天皇は祭主で在らされる。

 少女は純粋な正義感から行動したのだろうが、共産党や日教組の優秀な生徒が革命を夢見た結果、死刑囚となった永田洋子や坂口弘である。洗脳の罪は重い。

 この親子に限らず、日本人であり乍ら「君が代は天皇賛美」などと騒いでいる勢力がある。共産党や社会党、日教組や全教などの左翼の懲りない面々である。

 天皇を賛美して何が怪しからんのか。我が国は天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり、天皇即日本、日本即天皇の天皇国家である。この国體の精華は万邦類を見ないところであり、陛下の御代が栄えることは即日本が栄えることでもある。

 君が代は
 千代に 八千代に
 さざれ石の
 巌(いわお)となりて
 苔(こけ)のむすまで

「君が代」は、我が国體の精華を格調高く歌い上げたもので、曲と相俟って厳粛にして荘重、世界に冠たる国歌である。「古今和歌集」巻七「賀の部」の「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典である。

 この詠の解釈は色々あるが、本意は、臣民が大君(天皇)の御代が栄えることを願い、祈ったものである。またこの詠が「讀人知らず」という草莽の民が詠んだというところに、我が偉大なる民族性を認識し、無限の感激を禁じ得ないのである。

 万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることこそが神武肇国以来の大理想であり、日本人の願望である。

 君が代に反対する連中というのは、国旗・日の丸に対しても「軍国主義の象徴だ」とか「侵略の旗だ」と断じて憚らない。左翼というのは物事の見方が実に薄っぺらで、こうした日本人らしからぬ認識は健全な世論に逆行する屁理屈ばかり。

「君が代は統治者天皇賛美」「日の丸は侵略のシンボル」とするその根拠は何か。まさか真顔で「太平洋戦争の頃の様な暗い時代に逆戻り」などと言うのではあるまい。時代が戻るなら、江戸時代の様な丁髷を結って刀を差して歩く様な時代にもなるということか。そんなバカげた発言をいつまで繰り返すつもりなのか(笑)

「君が代は先の大戦を思い出させる」というが、米国の国歌は平和を願う歌か?中華人民共和国(中国共産党)の国歌「義勇軍進行曲」を読んでどう感じる?

 立ち上がれ!奴隷となることを望まぬ人びとよ!
 我らが血肉で築こう新たな長城を!
 中華民族に最大の危機がせまる、
 一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。
 立ち上がれ!立ち上がれ!立ち上がれ!
 我々すべてが心を一つにして、
 敵の砲火に向かって進め!
 敵の砲火に向かって進め!
 進め!進め!進め!

 では聞くが、日の丸が侵略の旗なら米英中の旗は平和の旗か?抑々、カトリックとは、アフリカ、アジア、アメリカ大陸への殺戮と掠奪の先兵ではなかったか?

 残虐の全てはキリスト教の教義の下、初めはスペイン・ポルトガル王(カトリック)、後にはイギリス・オランダ王(プロテスタント)の命令で行われたのではなかったのか。教義の下であれば、その殺戮と掠奪さえ赦されるというのか(笑)

 侵略主義の米国やヨーロッパ諸国、共産党一党独裁の中共の国旗・国歌を批判しないで、日の丸・君が代だけを否定することは矛盾と詭弁に他ならない。

 我が国は、ユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国である。稲作民族として日の神である天照大御神を崇め奉り、太陽信仰を持つのは自然なことである。そうした国家のシンボルに、「日の丸」を執ったというのも極めて自然なことであろう。

 国の成り立ちや理想が「日の丸」の旗ほど一致する国は悠久の歴史を誇る我が祖国日本を措いて他には無い。赤丸は、太陽を意味し熟誠、活気、博愛、誠心誠意を現し、白地は清浄無垢を示し神聖、正義、純潔、平和、鎮静を意味する。

 また、韓国が「戦犯旗」と批判して止まない旭日旗は、日章の位置が日の丸と同じく中央に位置し、皇室の紋章である菊花16紋章と同じ16条の光線を放つ。煌々と照らされる紅白の日の光が国中に行渡り、実に喜ばしく、美しく荘厳な旗である。

 敗戦コンプレックスから、そうした国の成り立ちさえも忘却し、自虐史観を妄信して疑わないが、日本人として祖国日本の素晴らしさを再認識しては如何か。

 我が国はいつの世も、その時の陛下の御代であり、いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないものなのである。そうした我が国の国柄を「日の丸」「君が代」「旭日旗」は見事に表している。

 以前、サッカーの三浦知良選手(カズ)が、胸に手を当てて国歌斉唱する姿に朝日新聞の記者が批判めいた質問を浴びせた。その質問にカズは「自分の国の国旗や国歌に敬意を表さない人が、他国に対して敬意を表する事が出来ますか?」と応えた。

「卒業式の国歌斉唱の際に起立しなかった事を理由に、退職後に嘱託教員として雇用されなかったのは憲法違反」としてアホ教師が訴えた裁判について、最高裁判事は「他国の国旗、国歌に対して敬意を以て接するという国際常識を身に付ける為にも、先ず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」との判決理由を述べている。

 海外で選手として活躍したカズの経験から学んだ国歌・国旗への敬意と、裁判官の認識は一致している。それにしても、純真無垢な子供を洗脳して、我が国の歴史・伝統・文化否定の先兵の養成を謀る左翼陣営の遣り方には嫌悪感しかない。

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2024年03月18日

X(旧twitter)及び暴露系ブログに関して検察庁から呼び出し(part2)

 殺人予告から数年後、太田正吾のことなどすっかり忘れていたが、エリート観光の金田義晴会長(故人)との雑談で正吾が社員の指を詰め逮捕された事実を知った。

 帰宅しネット検索すると出るわ出るわ、正吾の逮捕画像まで出てたのには嗤えた。何やら、社員がランボルギーニを売った数百万円を横領したらしい。社員は正吾に2000万円の借金があり、横領したカネを返済に充てたが借金の殆どが残ったという。

 正吾は激怒し「マグロ漁船に乗るか、指を詰めるかどっちにする」と脅し、鑿で指を詰めさせた。脅迫され断指させられた社員こそが、ブログpart1に登場した奥平光紀。愚生を脅しに来た際に小指に巻いてた血染めの包帯は嘘だったとバレた(笑)

 指を詰めたことで借金2000万円はチャラになったのかと思いきや、そのまま残ったというのだから嗤える。横領で逮捕された奥平を取調べてた警察が、奥平の小指が欠損してることを問い詰めると、正吾の行状がバレて逆に脅迫と強要で逮捕された。

 指なんぞ詰めさせなかったら正吾は逮捕されなかっただろうに。正吾は実刑判決を受け、喜連川社会復帰促進センター(旧黒羽刑務所)に収監されたと知った。

「縁は異なもの味なもの」というか「腐れ縁」とでも言うか、地元情報誌の政経東北8月号(昨年)に「不当な立ち退き要求と闘う会津若松男性」という記事が載っていたのだが、そこにナント太田正吾が登場していたのには驚いたのなんの。

 記事の内容は、会津若松市馬場町在住の高齢者男性を威嚇・脅迫して立ち退きを要求しているというもの。拙ブログ「汚れた顔の紳士達」でもこの問題について被害者の気持ちを慮り、世論喚起・破邪顕正の観点からシリーズ化しアップしている。

 この問題に対する愚生のブログは、正吾やその関係者にすれば面白くないのは間違いない。その結果がブログに対する「人権侵害」や「名誉棄損」といった申し立て。要は、弁護士を介入させ、相手を怯ませてやろうという姑息な手段が見え見え。

 問題の土地は230坪あり、評価額約2600万円となっている。前所有者とは「店名義で買う」「転売はしない」「借家人の長谷川雄二さんの意向を優先して頂きたい」との条件が申し合わせてある。郡山市の富蔵建設が仲介し、500万円という破格の値段で関正尚(山内酒店社長)が購入した。驚くことに関は富蔵建設社長でもある。

 常識的に考えても違法な取引に思える。仲介手数料や実態の無い測量代まで引かれ、振り込み金額は450万円だったという。不動産取引に無知な前所有者を騙して入手したのは明らかだったが、関が詐欺や宅建業法に問われることはなかった。

 関は駐車場代などを受領してるので、実質的には250万円程で2600万円の土地を入手。その数ヶ月後、関は郡山市のコクドホールディングス社長の斎藤新一を介して、太田正吾に転売(2200万円だったが1500万円に訂正)するに至った。

 疑問なのは正吾は何者なのかということ。愚生の知る限り、郡山市の広域暴力団幹部と昵懇の様だし、明らかに堅気ではない。正職(自称・投資家、不動産仲介業)を持たない人物が、ポンと1500万円を支払えることに疑問を持った方が好い。

 東京都東村山市には数寄屋造りの豪邸が在り、郡山市台新の自宅にはフェラーリなどの高級車が並ぶ。他の地域にも不動産や高級外車を保有しているという。この原資は何処から来るのか。税務申告はどうなってるのか。正吾への疑惑は尽きない。

 正吾の金満ぶりは、愚生に自慢した都内でのバカラ賭博場で不正に儲けたカネであるとの疑いをもっているし、何よりマネーロンダリングの疑いが拭い切れない。

 正吾のこうした疑問や不正行為をブログやXに投稿したら「人権侵害」や「名誉棄損」とは厭きれるばかり。警察や検察は正吾の不正行為を剔抉して逮捕するべきなのに、弁護士からの要請を鵜呑みにするとは何事か。法の正義は何処に在る。

 正吾は不正行為であろうと弁護士を介入させるのが常套手段である。拙ブログやSNSへの不服申し立てがそうだし、会津若松市の「土地建物明渡事件」はスラップ訴訟の典型である。正吾の不正行為で泣き寝入りしている人は少なくあるまい。

 何故に摘発されないのか。思うに、正吾の不法行為の範囲が関東地方の広域に及んでいるから捜査すら儘ならないのがその理由であろう。愚生の暴露系ブログはそうした事実や疑惑を告発しているから、正吾にとってはうざとくて仕方がない。

 正吾にしても、不法立ち退き問題の黒幕である関正尚にしろ、誠意を以て対処していれば過去の行事うをバラされる事態には成らなかっただろう。要は、仕事上でのコンプライアンスや危機管理が欠落してるし、やること成すことが下衆の極み。

 愚生は右翼と揶揄されるてはいるが、別に左翼に対抗している訳では無い。弱い者虐めや卑怯な連中が大嫌いで、破邪顕正・勧善懲悪の精神で悪事に相対している。検察庁からの呼び出しに一一怯んでいる暇はない。天網恢恢疎にして漏らさず。

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2024年03月17日

X(旧twitter)及び暴露系ブログに関して検察庁から呼び出し(笑)

 過日、知らない名前の差出人から茶封筒が届いた。開封したら検察庁郡山支部の検察官からの出頭要請。何やら、通知書には「X(旧twitter)及びブログ『汚れた顔の紳士達』に投稿した内容についてお尋ねしたいことがあります」と書いてあった。

「汚れた顔の紳士達」は暴露系だがノンフィクションブログで真実である。要は、真相というより投稿した画像や過去の前科を曝してる部分が「人権侵害」や「信用棄損」に当たるということらしい。恐らく告発人は、太田正吾という半グレだろう。

 数年前にも申立人の正吾の弁護士から過去のブログの削除や訂正を求められたことがある。異議申し立てするのも面倒なのでライブドアからの要請通りに削除・訂正に応じた。そして今回は、ライブドアやXではなく検察庁への告発に至った。

 正吾というのは、弁護士を介入させれば喩え不正行為であっても解決すると思っている。弁護士にしてもカネにさえなれば正吾の言いなりで何でもあり。今や「スラップ訴訟」は社会的問題でもあるが、正吾の様な悪党がそれを利用している。

 正吾は元広域暴力団幹部の舎弟であり、不動産や高級外車購入の原資はバカラ賭博で儲けたカネ。要は、正吾の不動産投資にしてもマネーロンダリングの疑いが拭えない。そんな半グレの不正行為に与してる弁護士や検事は猛省した方が好い。

「民事弁護の手引き(司法研究所編)」の序文に「正義の具現者としての弁護士が道義の遵法者であり、厳しい職業倫理に支配されるも当然である。旺盛な正義感を持たない弁護士は、世人の信頼を失い、悪徳の商人に堕することになろう」との一節が在る。商人の如く原告の言うが儘に動いてる弁護士に正義感を求めるのは無理か。

 10年程前、正吾の社員を名乗る奥平光紀という人物からブログに書かれてるメールアドレスにメッセージが届いた。何やら愚生が太田綜合病院の問題を綴ったブログを読んだらしく、「相談したいことがあります」とのことで会ったことがある。

 ホテルで待ち合わせ。内容は「太田健三(当時は太田綜合病院理事長。現会長)とウチの会長(太田正吾)が墓問題で揉めてるので助けて欲しい」とのことだった。ブログは原稿料さえあれば幾らでも書くが、原稿料は無く手ぶらでの相談だった。

 その後、間もなく市内の喫茶店で太田正吾本人と会うことになった。会うなり正吾は虚勢を張ってるのだろう「自分は投資家じゃなく、新宿でバカラ賭博場を経営してる」とカミングアウトして、新宿のヤクザとの交流や博打での武勇伝を語った。

 相談内容は正吾からの一方的なものだったが、母親(元太田綜合病院理事長・太田緑子の姪)想いに感じ入り、その一助となればということでブログをアップした。

 アップしたら、正吾は「仕事が早い」と上から目線で奥平に語ってたと聞いて厭きれたのを思い出す。正吾らはブログをダウンロードし、太田綜合病院関係者に配達証明郵便で送付している。この時点で正吾らの目的は果たしたということだ。

 ブログをアップした数日後、太田健三理事長と昵懇の社長から「ブログを削除して欲しい」との連絡が来た。別に原稿料を貰った訳では無いので削除した。

 愚生なりに調べてみると、正吾が太田綜合病院の役員(理事)に成りたがってたことを知る。要は、愚生のブログを利用して理事長らを威し、理事に就こうとしていたのだ。ブログを削除したは正吾に不信が生じたというのが正直なところ。

 ブログを削除すると正吾が激怒。ブログアップの感謝なら分かるが激怒される理由は無い。数日後、前出の奥平とホテルのロビーで会うことになった。奥平の小指には包帯が巻かれて血が滲んでいる。隣りにはやんちゃそうな青年が同席。

 徐に「手どうしたの?」と聞くと「佐久間さんがブログを削除したので会長からケジメ付けられました」と言い放った。「何それ、脅してんの?」と愚生。

 過去にエンコ詰めした人を知ってるが、それと比べても元気そう。「チョッと見せてみ」というと拒否。恐らくは正吾の演技指導で脅しに来たんだろうが、この脅迫行為に、その場で警察を呼んでやろうと思ったが相手は堅気だし止めといた。

 翌日には正吾から携帯に着電在り。出る気はなかったがしつこいので出たら、いきなりエライ剣幕で「この乞食ヤロー。オマエだけは赦さない。必ず殺してやるからな!」と殺人予告を受けるハメに。隣りで聴いてた愚妻は恐怖に慄いてた。

 憤怒障害著しく尋常じゃない脅しに、何なんだろうなこの正吾という人物はと思い乍ら、「会話は録音してるから」と言って携帯を切るとそれっきり来なくなった。それにしても、小指に包帯を巻いて来た社員と正吾から2回も脅されるに至る(笑)
 
 正吾は太田綜合病院の理事に就きたくて愚生のブログを利用し乍ら、自分の不正行為や行状をそのブログでアップされたら弁護士を介入させ「人権侵害」やら「名誉棄損」だと大騒ぎし、嫌がらせ行為に奔る精神はホントさもしい(part2へ続く)

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2024年03月15日

慢性的不如意だし酒の誘いを断ってたらめっきり誘われなくなった(笑)

 酒席というのは失敗も多いが得るものの方が断然多い。最近は慢性的手元不如意だし、酒の誘いはなるべく断わることにしていたら、誘われなくなった(笑)

 余程の仲じゃない限り、酒は身銭を切って飲むものと思っている。「あんたが(カネを)持っていても、俺が持ってなければ酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬。酒は奢って貰うより、奢ってやった方が気分が好い。

 偉そうな相手に気を遣って飲むくらいなら一人でチビチビやってる方が気楽で好い。亡父にも「ただ酒は飲むな。卑しくなる」と口煩く言われたことも影響しているのだろうが、酒は身銭を切って飲むことに価値があるし、その方が断然旨い。

 酒というのは「百薬の長」とも言われるが、本来は酔ってバカになる為に飲むもの。酒を飲むと肚を割って話せるし、酔った心地好さは酔った者じゃなきゃ分からないし、何よりバカになれる。世の中バカになれるほど愉しいものはない(笑)

「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」との坂本龍馬の訓えは蓋し正論。正気ではとても出来ないことを、酒の力を借りれば「一時的バカ」になることが出来るし、一時的でもバカの幸福に浸れるのだ。

 日本酒が別名「キチガイ水」といわれるのはこういうことだろう。バカと言っても酒乱は論外である。酒に飲まれて暴れている様じゃ酒飲みの資格はない。酒を呑むなら落語に出て来るチョッとマヌケで明るい酔っ払いが世の中を明るくする(笑)

 江戸時代には「酒道」は武士の作法や嗜みの一つだった。酒を飲まない右翼人がいるが、武士の嗜みに乏しいばかりか人生を損していることさえも気付かない。

 下戸というのは、贔屓にする様な店は無いから男としての魅力も半減する。酒を酌み交わし、互いの礼儀やケジメを正し、仲間とより一層の連帯感を高めるのが「酒道」の神髄というもの。つまり酒に溺れるというのは酒道では以ての外である。

 酒に吞まれたり、酒で身を滅ぼすというのは愚の骨頂。酒を飲んでも乱れず、平常心を如何に保つということこそ大事。酒豪の武将と言えば上杉謙信だろう。

 謙信は愛用の特大盃に並並と酒を注いでは、梅干しを肴に盃を飲み干したという。賑やかで明るい酒宴を好み、折々家臣らと談笑し酒を酌み交わしていたという。

 謙信は酒を酌み交わし乍ら部下をよく観察していた。酒を飲んで大言壮語やら、酒を飲んで気が大きくなって我を忘れる様な部下は信用せず側近にはしなかった。

 会社の飲み会などで、「今日は無礼講だ」というのを勘違いして、羽目を外していないだろうか。上司はそんな無様に酔っ払ってる貴方を観察してますよ(笑)

 酒を飲めない人というのは「体質的に酒を受け付けない」とかいう人が多いが、愚生からすれば体質に合わないというより、酒を飲む訓練(練習)が足らないだけ。

「男というのは贔屓の店や、好きなジンの名前を覚えとけ」とは池波正太郎だったか。何より、酒を飲まない男というのはどうしても人間が小さく見えてしまう。

 正気というのは世間体を気にしているということ。それではストレスが溜まるし、身体に悪い。下で仕える者より、上に立つ者おいうのは人一倍神経を使うもので、逆を言えば人一倍神経を使えない人間は上には立つ資格は無いということである。

 下の者からすれば上の者は気楽に見えるかも知れないが、上は上なりに頭の中ではあれやこれやと神経を使い考えを廻らせているもの。打開策が浮かばないなら手っ取り早いのが酒だ。気の利いた料理やや贔屓の店で心地好く呑んで陽気に騒ぐ。

 酒は愉快に飲むのが一番だ。暗い酒は身体を壊す。適度に愉快に飲む酒は正に「百薬の長」なのである。「酒は陽気に身銭を切って飲むべし」。酒飲みというのはこれに尽きるが、中には人に奢って貰って喜んでるのがいるから困ったものだ。

 タダ酒を覚えたヤツというのどうもクセになるらしく、周りから嫌われているのだが本人は自覚していない。「タダほど高いものはない」という様に、タダで飲めたとか、タダでやれたと喜んでばかりいると後でとんだしっぺ返しが来ますよ(笑)

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2024年03月13日

左翼陣営に比べて右翼陣営の資金不足は致命的である

 潤沢な資金力があれば連日宣伝車を繰り出して政治を糺し、営利至上主義に奔る悪徳企業の糾弾やら世の中に蔓延る悪漢どもを剔抉粛正し、破邪顕正及び勧善懲悪の救国活動を展開するのだが、月5万円程の支援金じゃ借金が嵩むばかり(笑)

「働きながら運動をしている右翼こそがホンモノ」と誰かが言った。今や極左勢力が政府中枢に入り込み、男女共同参画社会やSDGs、LGBTなどを利用し、NGOやNPOへの寄付金などを血税から詐取しているのとは真逆。そのどこがホンモノか(苦笑)

 右翼活動を本気でやればパクられるし、逮捕されたものなら会社はクビになるのは間違いない。右翼活動に理解のある経営者がそんなにいるとも思えない。

 結局は右翼活動そのものが土日祝日の自分の暇を利用した、無難でこじんまりした自慰的な仲間向けの活動になってしまっているのではなかろうか。

 そういや以前、愚生が「街宣なんて所詮はオナニーと一緒で自己満足」と言ったら、激怒してFBFから抜けた日本会議のメンバーで自称愛国者がいたっけ(笑)

「昔の右翼は企業から金を貰ったりして資金力も持ち生活も裕福だったかも知れないが、そういうのが今では負の遺産となって真面目な若手右翼の首を絞めているという事をわかっているのだろうか」などとtwitterでつぶやいていた国士もいたな。

「昔の右翼」とはいつの時代を言ってるのだろうか。愚生の場合、若い頃の勢いは無いが、会社を訪問しては口角泡を飛ばして煙に巻いてる。それも啓蒙運動。

 インチキ宗教の教祖でさえ信者がいるのに、己の主義主張に賛同してくれる支援者がいないのは、中途半端なその思想と生き様の覚悟に乏しいからに尽きる。愚生の慢性的不如意にしても、強烈な努力が足りないからで、自業自得でもある。

「負の遺産となって若手右翼の首を絞めている」とは何を誰に言ってるのだろう。今の大先生にこそ苦言を呈すべきだ。価値観の違いといえばそれまでが、支援金だけで生きてくのは思ってる以上に楽ではない。働けば楽だし、カネがあれば便利だし。

 今の時代、食べて行くならバイトでも何でも出来る。自分の夢を追えば困窮する。家族を養う為に夢を諦めて目先の「食える」職業を選択する。何の為に働くのかといえば自分の為。婚姻率の低下や少子化の根源はこんなところにある。

「好きなことをやり、それで食えるようになりたい」と思うのならば、それに向かい懸命に努力し、我慢し、試練に耐え乍ら必死に生きるべきだが、今の時代は夢を追うなんぞ二の次で、アルバイト程度でも食えてしまうから始末が悪い。

 これではプロやホンモノは育たない。右翼だって同じだ。食えることを優先するというのは挫折と同じ。「働きながら運動してる右翼がホンモノ」というのは、所詮はプロになれないセミプロ。「ながら右翼」なら真面目に働いた方が好いわな。

 昔の右翼団体は、左翼勢力や労働組合から企業を守るの役目も担った。確かに企業からの協賛金を貯めて引退した右翼人を多く知ってはいるが、少なくても所属していた防共挺身隊の初代総隊長の福田進にしろ昔は活動には資金を惜しまなかった。

 隊員の面倒も見ずに働かせてしまっているのも資金力不足が原因だが、「働きながら運動してる右翼がホンモノ」というのは右翼幹部らの言い訳だろう。

 資金が潤沢なのは任侠右翼団体くらいだったが、今ではそれさえ無くなった。カネがあっても如何せん使い方も知らないし、シノギばかりじゃ活動家は育たない。

 何だかんだ言っても活動を維持するのは資金力である。入隊して間もなく「軍備を満たせ!」という貼り紙を見付けた。今考えれば深い教えだったと思う。

 働いた給料は自分のことだけで精一杯。革命資金の捻出など到底無理。せめて維新回天の際には参画すれば好いが、逮捕されたら家族の生活は破綻するだろう。

 愚生が、三上卓が立派だと思うのは、思想より革命資金を調達する為に密輸(海烈号事件)を計画したことだ。革命には資金確保が大難関で、主義主張で革命は出来ない。立派な思想や理想を実現するには、清濁併せ吞む器量というのが求められる。

 そういう意味では働いてる右翼活動家なんてどうでも好いが、右翼の先生方の資金難は致命的といえるし、マイホーム主義じゃ革命なんぞ夢のまた夢だ。

 以前、新右翼の木村三浩が、鳩山由紀夫とクリミア半島に行ったことが問題となり、右翼陣営から攻撃され三下り半を突き付けられたのは記憶に新しい。

 木村というのは鈴木邦夫の所為で嫌われているが、ああいう削げ者というか個性的なキャラクターは嫌いじゃない。そんな木村が失脚したのは惜しいことだ。

 この木村の軽挙妄動を、ブログで批判したら「自分と会うことで鳩山の思想や考えが変わるかも知れない」という様なことを本人が語ってたのは驚いたっけ。

「猪瀬から500万円(徳洲会からの選挙資金の仲介料)なら鳩山だと0が2つくらい多く貰わないと(笑)」と言ったら「カネじゃない」と言ってたが、木村の人脈を考えれば凋落著しい右翼陣営を立て直せるのは木村だと思ってたのも確かである。

 横浜の大物右翼に「木村と友人なら木村を諫めるべきだし、間に入って事を収めたらどうか」と進言するも「なんでオレが、やらない」と簡単に断られた。

 日頃、周辺に「君子の交わり」と言って乍ら、友人の拙い点を見て見ぬ振りをするとはと厭きれて、この一件を機に横浜の大物右翼とは縁を切らせて貰った。

 愚生にしてみれば、木村との間に入ることで鳩山との繋がりも出来るし、鳩山の思想を変えるとかそうなことではなく、右翼陣営の立て直しに鳩山の潤沢な資金を利用して欲しいと思ったからだが、大物右翼をチョッと買い被りし過ぎてた様だ。

 今でも「右翼陣営に鳩山の資金があればなぁ…」と思うこと頻り。呵々大笑。

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2024年03月11日

本日は犠牲者を悼み心静かに一日を過ごしたいものです

 平成23年14時45分頃、国会中継を見ていると「緊急地震速報」のテロップが流れた数秒後、ゴーという不気味な音と共に起きた大きな揺れに徒ならぬ不安を覚えた。約1分程の揺れが数十秒の間隔を置いて3回、凡そ5分間の激震が続いた。

 余震の続く中、部屋を見渡すとは色んな物が散乱し、天井は歪み、サッシ戸や窓は全て開き、風呂場の壁は剥がれ落ちてた。愚妻に連絡を取るも携帯は繋がらない。twitterやfacebookなどのSNSをやらせとけばと悔やんだが仕方ない。

 散乱した物を片付け乍ら帰りを待った。暫くすると愚妻が倅夫婦と孫を連れて帰宅。無事な様子に安堵した。 倅夫婦は孫のミルクもオムツなども持って来る余裕も無く着の身着の儘。余震が続く中で近所のツルハドラッグに買い出しに行った。

 地震で散乱した店内。ミルクや紙オムツなど必要な物を探してレジに持って行くと、「こういう状況なので御代は落ち着いてからで結構です。困ってる時は御互い様です。また来店して下さい」との店員の言葉に甚く感動したのを覚えてる。

 翌日、イトーヨーカドー郡山店へ買い出しに行くも商品が少ない。水を購入しようと探すも2ℓサイズは既に売り切れで、普段は30円程で売ってる小さな300㎖のペットボトルの水が一人2本限定で1本100円で売っていたのには厭きれたっけ。

 正に便乗商法。ツルハドラッグの店員とはエラい違いで、商魂逞しいと言えばそれ迄だが、営利主義の賤しさを目の当たりにし嫌な気分になったのを思い出す。

 兎に角、経験したことの無い長く強烈な地震だった。大津波で亡くなられた方々に比べれば無事だったことは不幸中の幸いとしか言い様がない。

 福島県の被災者は宮城や岩手県の被災者に比べて恵まれている方だ。だが、県内の被災者は生活の不満を口にし、何かと理由を吐けては「賠償」「賠償」のオンパレード。処理水問題にしても原発事故に託けて甘え過ぎてはいないだろうか。

 原発事故の被害は原発周辺者に限らず県民なら誰もが同じことで、偶偶、原発周辺20㌔以内に住んでたからこそ補償の対象になっているだけのことだろう。

 民主党政権は「SPEDDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値を隠蔽して原発周辺20㌔圏内の住民の避難指示を決定した。自称原発被災者のホンネは、無能な菅直人と東電サマサマというのがホンネだろうな(苦笑)

 20㌔圏内だった川内村や楢葉町、双葉町、富岡町といった割かし放射線の低い地域にも「避難命令」が出された。川内村の住民は郡山市に避難することになったが、川内村の放射線量は当時の郡山市の放射線よりより低かったし(笑)

 被災者らは口々に「帰りたくても帰れない」「昔の故郷に戻せ」「生業を補償せよ」というが、帰る気になれば帰れるし、昔の故郷とは原発設置以前の故郷のことか?農業だけで食えるのか?生業って原発が設置され好景気だった頃の生業か?

 原発周辺の住民は東電関連の仕事に従事していた方が多い。既に福島第二原発の廃炉が決まった現状では、故郷に帰っても仕事が無いというのが現実だ。福島第二原発の再稼働こそが復興の象徴になると考えていただけに残念でならない。

 感情的な反原発の流れから全廃炉を目指すというなら、地元から離れなくてはならなかった被災者に対して避難している土地での再起を促し、納得させるのも政治の責任である。同時に自称被災者である自主避難者への優遇措置は止めるべきだ。

 世界が福島原発事故の行方を注視する中で、ロクに休養も取らずに過酷な現場で従事している方々がいる。「FUKUSHIMA50」は、原発事故後構内に留まって業務対応に従事した勇者らを描いた映画だが、観れば感動するに違いない。

 50人の多くは地元の小高工業高校(現・小高産業技術高校)のOB。海外のメディアは、この従業員たちの勇気を讃え「Fukushima 50」と称えた。一方で、日本のマスコミはデマを信じ「東電社員が逃亡」などと噓八百の報道を垂れ流した。

 映画「FUKUSHIMA50」では当時の菅政権の対応がリアルに描かれているという。そんなこともあって中身を知られたくなかった元民主党の議員や反原発派らには至って評判が悪いらしいが、つまりは事実を描いた作品ということだろう(笑)

 原発構内で働いている彼らの勇気ある行動と人智が我が国の未曾有の国難を救い、その努力が必ずや報われる様に無事終息されることを願って止まない。

 マスコミは大震災を忘れまいと犠牲者を取り上げ、反原発派が原発事故を騒ぎ立てるが、本日は心静かに一日を過ごしたいものです。東日本大震災で発生した大津波で犠牲になられた方々に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。

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2024年03月10日

3月10日という日を忘れてはならない!

 日露戦争開戦前、世界の軍事専門家の中で極東の小国に過ぎなかった我が国が当時世界最大の軍事大国ロシアに勝利すると予想した者は一人もいなかった。

 明治37年2月10日、我が国はロシアに対し国交断絶を通告すると、敢然と宣戦布告。約1年半に及ぶその戦いで我が国は奇跡ともいえる勝利を収め、「日本」という国の存在がアジアの、そして世界の植民地支配の国にとって希望の星となった。

 日露戦争の勝利は、結果として欧米列強に我が国の地位を認めさせることとなり、幕末以来の懸案事項であった不平等条約の改正に繋がって行くこととなる。我が国の目的であった「関税自主権」が、日露戦争の勝利に拠り実現されたのである。

 明治維新の目的だった二つの不平等条約の「治外法権」は、日清戦争後の明治32年に克服していたが、「関税自主権」の回復は日露戦争の勝利に拠って実現されたことで明治維新は成就し、我が国は真に独立を恢復することが出来たのである。

 日露戦争の勝利は、世界の植民地政策で搾取や弾圧を受けている民族の独立心を駆り立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がって行く。我が国は大東亜戦争に敗れはしたが、戦後の植民地支配の解放が示す通り、大義があったのだ。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種の日本人が白人に勝利することに由って、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた大きな意義を持つものだったのは言う迄も無い。

 明治38年(1905年)3月1日、大山巌陸軍大将指揮下で日露戦争最後の陸上戦であった「奉天会戦」が行われ、同月10日ロシア軍を撃破した。日本陸軍の勝利を称え祝おうとの趣旨で、翌年、政府は3月10日を「陸軍記念日」として制定した。

 昭和20年3月10日、米国は敢えて「陸軍記念日」を狙い本土攻撃を断行する。この大空襲に因って多くの無辜の人々の尊い命が失われたのは誰もが知るところ。

 米軍は、最初の空襲を敢えて陸軍記念日を選んだ。然も、日本の多くの家屋が木造だという理由から、火炎の強い焼夷弾を投下したことでもその非情さが分かる。

 米軍は3月10日の爆撃に飽き足らず、4月13日、同月15日、5月25日にも空襲を断行している。5月24日未明から翌日25日の空襲では、その戦災は皇居にも及んでいる。宮殿が全焼し、陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失なった。

 宮殿が全焼という中で、昭和天皇は御文庫を仮の御所とされた。戦後の昭和36年になって吹上御所に御移りになられる迄の17年間を御文庫で御過ごしになられた。

 3月10日の大空襲以降も昭和天皇は、戦争で疲弊した国民生活の向上が最優先であるとの思し召しから、「国民と共に苦楽を分け合う」と仰せになられ、皇居から御移りになられなかった。戦後も、新宮殿の再建を御許しにならなかったという。

 東京大空襲での死者は8万3793人に上り、罹災者は100万人を超えた。東京大空襲は史上最大の虐殺であり、広島、長崎への原爆投下と同様に、一般人を犠牲にした蛮行は、通常の戦争犯罪や人道に対する罪からも断じて許されるものではない。

 マッカーサー元帥の右腕の一人だった、ボナ・エラーズが、日本への空襲について「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と証言していることでも分かる様に、東京大空襲や原爆投下、或いはドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例である。

 東京裁判で連合軍は、東京大空襲や都市部への爆撃の理由を、「東京への爆撃は重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と詭弁を弄している。戦後、GHQは日本人に対し、未来永劫、贖罪意識の植付けと日本弱体化の為にあらゆる施策が謀られた。

 悲しい哉、日本人の中にも未だ、東京裁判史観や米国の謀ったプロバカンダを信じ、「日本が戦争さえしなければ空爆されなかった」といった自虐史観が散見されるが、いい加減、米国の謀った戦後民主主義という洗脳から目覚めなくてはならない。

 米国製の日本国憲法然り、労働三法や教育委員会制度然り。米国に因る戦後占領政策の意図は予想以上に成果を上げ、悪害を齎し続けている。更に「日米同盟」とは名ばかりの、「米国のポチ」として忠誠・従属を誓い続けているのはどういうものか。

 陸軍記念日であり、東京大空襲が始まった3月10日は、国民が「国防」という意味を理解し、真の主権恢復の為には何を成すべきなのかを考える一日でありたい。

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2024年03月08日

愚生の座右の書は「男の作法」と「嗚呼・花の應援團」だな(笑)

 愚生の座右の書というと若い頃に読んだ池波正太郎の「男の作法」と「嗚呼・花の應援團」かもなぁ。この二つから色々学んだ。鬼平犯科帳はマンガやDVDで殆ど観ている。その中でも名作と言われる「一本眉」のシーンで、こんなシーンがある。

「お前さんとあっしじゃ縁もゆかりもない間柄、世話になる理由はねぇ」

「何を言ってやがる、オレとお前は朝まで呑んだ仲じゃねぇか」

 男の付き合いというのは年月ではない。短期間で気心が分かることもあれば、たった一杯の酒でも通じ合うものがある。人生意気に感ずるとはこういうことだ。

 酒を酌み交わし乍ら、意気に感じた一本眉が「俺は盗人なんだ」と自分の正体を明かす。その言葉に平蔵が「人が横道にそれるにはそれなりの理由がある」と応えた。誰でも人の道から外れることはあるもの。それを悔い改められるかどうかだ。

「礼金二百両」も好かったな。とある旗本の家で起こった騒動を解決する内容だが、勧善懲悪の時代劇なら「報酬などいらん!」で終わりだろう。平蔵は口止め料として二百両を受け取る。何故なら、同心や密偵を抱えるには相当なカネがかかる。

「このようなことを、あえてするオレを。おぬしはなんと思うな」。自嘲を込めながら清濁を併せ呑む姿は、逆に上に立つ者の苦労が窺えた。鬼平はいつ観ても最高だ。愚生の人生での作法は長谷川平蔵とから学んだと言っても好いだろう。

「男の作法」を読んで、食事の作法など本に書かれてることを真似して、池波正太郎が通ったという料理店には通ったものだ。銀座の寿司屋で隣り合わせた客と意気投合し、連れてって貰ったのが池波御用達の数寄屋通りの有名クラブだった(笑)

 池波正太郎「男の作法」は、今の時代には合わない個所もあるが、三十代までには読んでおくべき日本人必読の名著だと思う。池波正太郎の書生だった佐藤隆介が、師である池波直伝の「男の心得」を著している。こちらの本も中々面白い。

 何事も尊敬する人や好きな人の仕草、立ち居振る舞いを真似てみるというのも大事なことだと思う。「人真似上手は個性を育てる」というし、何をやるにしても上手くなる為の一番のコツは、尊敬する人や目標とする者のモノマネすることだ。

 鬼平犯科帳では「五鉄」などの小料理屋や蕎麦屋などで飲むシーンが多い。吞み終えた平蔵は女将に心付けを渡す。高が心付けなのだが平蔵の何気ない渡し方が完璧で、アレは池波正太郎自身の普段の姿をダブらせたものだろう。

 鬼平犯科帳の処世術は実に参考になる。例えば、礼金にしても「謝礼とは相手が恐縮する程の金を渡さなければ意味はない」というのには刮目した。小銭を貰っても有難みが無い。やはり、過分なカネを払ってこそ相手に感謝されるのだ。

 愚生の周りには世話になりながら無報酬とかボランティアだと思っている人や、僅かな礼金で事を済ませ様とする輩が多いのはホント困ったものだ(笑)

 愚生も長谷川平蔵や心の師である高花豊先生ほどの真似は出来ないが、慢性的不如意ではあるが財布にはいつもポチ袋を数個は入れて持ち歩く様にはしている。

 別に何処の店でも渡す訳ではない。雰囲気が好い店や、接客などが丁寧な店では勘定した後にコソっと渡す様にはしている。高が心付けだが意外に渡すのは難しい。ポチ袋を何気に渡すことが出来ればもう男としても飲兵衛としても一丁前である。

「お釣りは要らないよ!」とか、これ見よがしにチップを渡している社長をよく見かけるが、アレは野暮とか不粋というもの。「男の作法」では、タクシー代にしても「お釣りは要らない」ではなく、一旦受け取って渡すのが好いと訓えている。

 釣り銭は有難く貰った後で、別に準備しておいたポチ袋に入れた心付けを手渡すのが好い。喩え、千円、二千円の僅かな心付けだとしても相手は悪い気はしない。

 心付けは相手に対しての感謝の記しと気遣いでもあるが、後々自分に戻ってくるものなのだ。一見で行った店でも、裏を返した(次に行った)際には自分のことを覚えていてくれるし、つまみの一品二品、気を遣ってくれたりもする。

「情けは人の為ならず」という格言を、「情けをかけることは、結局その人の為にならない」という意味だと思っている者が多い。だが「情けは人の為ならず」の後に、「巡り巡って己が為」と続く。ここまで教えれば間違えることはないのにな。

「借りたカネ(恩)は忘れるな!貸したカネは忘れろ!」とは田中角栄。角さんは、カネを借りに来た人にはその貸すカネにプラスして本人に渡したという。

 角さんは「くれたと思ったらそれは死に金。余分に渡すことでそのカネが生きたカネとなる」という信念を持っていた。田中角栄の政治家としての毀誉褒貶はどうあれ、それだけの気遣いを出来る政治家というのは角さんくらいしか知らない。

 料亭政治の先駆けともいうべき政治家だが、女将や料理人、仲居や下足番にまで心付けを渡し、その際には必ず「ありがとう」の言葉を添えたという。最近は料亭政治を知らない政治家が殆どとなり、それに比例して小者ばかりになった。呵呵。

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2024年03月01日

会津若松市の「土地建物明渡事件」はスラップ訴訟の典型である

 ライフワークブログの「汚れた顔の紳士達」で取り上げている会津若松市で起きている不法立ち退き問題は、何故か被害者が「土地建物明渡事件」として原告に訴えられている。この民事訴訟は流行りの「スラップ訴訟」の典型的なものである。

「スラップ訴訟」とは、金銭的余裕のある原告側が裁判費用や時間消費、肉体的精神的疲労等を相手(被告側)に負わせることを目的とした民事訴訟のこと。正式な裁判ではあるが、そこに公正さは無く、金銭的余裕のある原告が勝つ事例が殆ど。

 司法研修所編「民事弁護の手引き」に、「正義の具現者としての弁護士が道義の遵法者であり、厳しい職業倫理に支配されるも当然である。旺盛な正義感を持たない弁護士は、世人の信頼を失い、悪徳の商人に堕することになろう」との一節が在る。

 弁護士は依頼者を守るのは当然だが、商人の如く原告の言うが儘に動いてる弁護士に正義感を求めるのは無理というものなのか。倫理規定は単なるキレイゴト。スラップ訴訟はそうした金銭逞しい弁護士にとってはオイシイ仕事の一つでもある。

 昨今は旺盛な正義感を持つ弁護士は消え失せ、弁護士とは名ばかりの悪徳商人以上のカネの亡者ばかりになってる気がしてならない。会津若松市で起きている不当立ち退き問題も、司法の劣化と正義感乏しい弁護士の登場で二次被害に及んでいる。

「土地建物明渡請求事件」は、原告である太田正吾(正職を持たない半グレ。愚生もこの人物から殺人予告を受けている)が被告が告発した脅迫及び器物損壊罪への報復である。こんな不正義な裁判に血税が支払われていると思うと腸が煮え繰り返る。法律は社会との約束であるのに、結果は資金力で決まるという不条理が罷り通る。

 嘗て「世界一安全」と言われた我が国が、無能な自民党政権の「観光立国」や「移民政策」という愚策に拠って治安が乱され、安全が脅かされていることは余程のバカじゃない限り自覚している。そこに加えて警察と検察の対応の杜撰さは目に余る。

 裁判を傍聴して痛感することは「法律は不完全」ということ。法律とは社会との約束であるなら、司法は勧善懲悪こそが採るべき道であるが、勧善懲悪どころか弱い者虐め。国際法違反である極東軍事裁判の勝者に因る敗者への嫌がらせに似たり。

 検察では「人権に配慮して不起訴理由を出さない方向」と公言しているという。こうした法の平等の観点からも逸脱していると思われる通達は検事総長や政治家の意向なのか、政治家への忖度か。検察が犯罪者を処罰しない権利を「起訴便宜主義」という。検事の独断に因る「起訴の自由」を採ってる日本は世界でも稀である。

 日本国内での犯罪では、検事が起訴した有罪率は99.9%なのは、御粗末な起訴便宜主義の下での起訴の自由を行使しているからに過ぎない。要するに、このくだらんメンツと有罪率99.9%を下げない為に面倒な案件は全て不起訴処分にしている。

 犯罪は軽微なものを含めて検察は独断で判断することなく全て起訴し、裁判官に有罪無罪の判断を委ねることこそ大事。社会を不安に駆り立てる事件での不起訴処分は正義に逆行するものであり、国民の検察に対する疑心暗鬼は膨れ上がるばかり。

 社員を恫喝して指を詰めさせたことで、脅迫罪及び強要で逮捕され実刑判決を受けたことのある人物を不起訴処分にした検察庁会津若松支部も同じく、犯罪者の人権を穿違えてはいないか。要は、今回の民事裁判は原告の目論見通りとなった。

「正義の具現者としての弁護士が道義の遵法者であり、厳しい職業倫理に支配されるも当然である。旺盛な正義感を持たない弁護士は、世人の信頼を失い、悪徳の商人に堕することになろう」との冒頭の「民事弁護の手引き」の言葉が虚しく響く。

 司法の崩壊は国家解体に繋がる訳で、眼前の不正義や不条理を拱手傍観してる訳には参らない。会津若松市で起きている不法立ち退き問題や民事裁判は決して対岸の火事ではない。身近な問題として今回のスラップ訴訟を注視して欲しいものだ。

「土地建物明渡事件」の第三回公判が地裁会津若松支部1号法廷で今月6日午前10時から行われる。今回は原告である太田正吾が出廷するというから、どんな人物なのか見に来ては如何だろう。傍聴すれば司法の劣化と不正義を痛感するに違いない。

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2024年02月28日

財力に諂わず権力に屈することなく正しいものを正しいものとしてどこまでも信念を押し進めて行きたい(五代目山口組若頭・宅見勝)

 最近は「保守ブーム」だという。確かに反日左翼に対抗はしているが、保守とは違う気がしてならない。新保守主義を掲げる学者や評論家が持て囃されてはいるが、その保守に尊皇はなく、「保守ブーム」に便乗した営業保守というのが正しい。

 偉業保守や学者等が保守したいのは己らの今現在の体制でしかない。要は、生きる為の生業としての現状を維持することが彼らの本音だろう。政治家もまた然り。

「反中」「嫌韓」と煽っては、自称・愛国者らへ耳障りの好いことを言ってるだけで、これがホンネとも思えない。尊皇無き保守では、米国や英国の保守政党や保守主義と何等変りは無く、それは単なる新保守主義であり、グローバリズムである。

 そんな中で、右翼民族派陣営の存在価値も年々薄れて来ているのは確かだろう。資金不足と指導者不足は顕著であり、生き方も右翼人なのかヤクザなのか分からない。

 思想は乏しく、政治にも疎く、考えていることは己のシノギばかり。久しぶりに相対しても、政治思想よりも「どうよ、景気は?」といった具合でうんざりする。

 教育勅語の教えである、恭倹己を持することなく、「オレが、オレが」が横行する。居の安きを求めて生活してりゃ、思想どころか学問さえ学ぶことは無い。

 江戸時代の思想家で石門心学の開祖である石田梅岩は、「学問とは、人倫を明らかにし、身を敬み、義を以て君を尊び、仁愛を以て父母に事え、信を以て友に交わり、広く人を愛し、貧窮の人を憐み、功あれども伐(ほこ)らず、万事約を守り、家業に疎からず、入るを量って出すことを知り、法を守って家を治めること」と教える。

 右翼思想とは別に愛国心の高揚だけではなく、恭倹己を持しと同じく、功あれど誇らず、尊皇精神を逞しくして、一旦緩急に備えて精神の高揚を学び備えるべきだ。

 一日一生は名ばかりで、自分のことが精一杯で、信を以て友に交わらず、貧窮の人を憐れむことない右翼ばかりだが、悲観はしていない。必ずや、この世の混迷と停滞から脱却し、天皇国日本を磐石の安きに導いてくれる国士は出現するだろうから。

 右翼・民族派諸氏は維新者としての原点に戻り、研鑽を積み、テロを担保しつつ行動し、啓蒙活動をして貰いたいものだ。まぁ、右翼から退いた右翼絶望派の愚生ではあるが、現今の右翼や自称愛国者よりは懸命に生きていると自任している。

 団体を辞して今更乍ら思うことは、人というのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だということ。こんなことをしみじみと考える。

 野村秋介の遺した「自問自答の訓」というものがある。

 常に世俗にありてその一隅を照らし

 常に在野にありて権力悪と闘い

 常に人々を愛し共に涙を流し

 常に海を愛し空を愛して神々を敬い

 常に友情と信義を胸中にして熱く燃え

 常に名利を求めず正義を追い

 常に月を愛し酒を愛し女を愛し

 常に自由にして奔放であり

 常に一剣を懐中にして平天下を願う

 この訓を読めば、野村秋介というのは浪漫派だったのだと改めて思う。

 愚生も、常に自由で奔放ではあるが、一隅も照らすものも無し、これほどまでにカッコイイ生き方は出来ないだろうが、右翼人生を歩んでる一人として、酒を愛し女を愛し、常に自由にして奔放な無頼派右翼で在りたいとは常々思っている。

 宅見勝という伝説のヤクザが遺した言葉がある。

 生ある人生が

 いつかは必ず来るべき死を

 約束づけているなれば

 俺は法律が

 どう変ろうが

 社会の常識が

 どう変ろうが

 財力に諂わず

 権力に屈することなく

 正しいものを

 正しいものとして

 どこまでも俺の信念を

 押し進めて行きたい

 どちらかというと、削げ者右翼を自任する愚生は野村秋介の訓えよりも宅見勝の方が性に合う。草莽の右翼浪人ではあるが、こんな生き方を全うしたいものだ。

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2024年02月25日

二・二六事件の伏線になったと言われる「相沢事件」とは

 昭和11年2月26日未明、安藤輝三、野中四郎、香田清貞、栗原安秀、中橋基明、丹生誠忠、磯部浅一、村中孝次ら青年将校は、第1師団歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛師団の歩兵第3連隊など総勢1483名を率いて維新を惹起した。

 当時の情勢は、東北の農家は疲弊し、中央の官界や財閥の跋扈と政治の怠慢など多くの問題が山積していた。掲げられた「君側の奸」「昭和維新」「尊皇討奸」との幟の惹句を見れば、如何に憂国の至情から出でる行動だったかが窺い知れる。

「皇道派」といわれた彼らのその行動の柱となったのが、国家社会主義者・北一輝の「日本改造法案大綱」と言われている。大綱は八巻で構成され「言論の自由」「基本的人権尊重」「華族制廃止(貴族院廃止)」「国民の天皇への移行」「農地改革」「普通選挙」「財閥解体」「国際情勢と外交政策」などを求めた論文である。

 日本改造法案大綱に加え、二・二六事件の伏線になったものが、事件前年8月に起きた「相沢事件」とも言われている。「相沢事件」とは、皇道派青年将校に共感する相沢三郎中佐が陸軍省内で統制派の軍務局長・永田鉄山を刺殺した事件である。

 相沢は福島県白河町(現白河市)に生まれた。大正7年、歩兵第4連隊から台湾歩兵第1連隊付に移り大尉に進級。同年9月陸軍戸山学校教官に就任。その後、陸軍士官学校付歩兵第13連隊中隊長を経て、剣の達人であった相沢は、昭和2年少佐進級と共に歩兵第1連隊付として日本体育会体操学校(後の日本体育大学)に配属される。

 出世街道を歩んだ相沢は昭和8年には陸軍中佐となる。昭和10年の永田軍務局長刺殺で翌軍法会議で死刑判決が下され代々木衛戍刑務所内で銃殺刑に処された。遺体は落合火葬場で荼毘に付され、後に仙台市新坂通の充国寺の墓所に葬られている。

 陸軍内は当時、高度国防国家を目指す「統制派」と天皇親政を理想とする「皇道派」の対立が激化していた。皇道派だった相沢は、同派の教育総監・真崎甚三郎が更迭されたことに不満を持ち、統制派の中心人物だった永田刺殺に至る。

 北一輝の「日本改造法案大綱」に加え、「相沢事件」の半年後に二・二六事件が決行されたことをしても相沢が大きな影響を与えたのは紛れもない事実だろう。

 我が国の悠久の歴史を遡れば、聖徳太子の「大化の改新」に始まり、「建武の中興(新政)」「明治維新」と、陋習を打ち破らんと維新の大業が成し遂げられた。

「維新」とは、幕末の思想家であった藤田東湖が示した「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚(いずく)んぞ興起せざるを憂えん」こそが神髄である。

 二・二六事件を惹起した彼らは「反乱軍」と断じられ、陛下の命により処刑されはしたが、彼らの維新の大義と憂国の至情は決して消えることはない。

 二・二六事件に唯一の民間人として加わり「群衆指揮等」として死刑に処せられた渋川善助という思想家がいる。渋川もまた相沢と同じ福島県人である。

 渋川は福島県会津若松市七日町出身。会津中学校、仙台陸軍地方幼年学校を経て陸軍士官学校予科に進み、御前講演を行うほど成績優秀な人物であった。杉田省吾、西田税らと「維新同志会」を結成し、国家主義運動に参画した。

 群衆指導罪で逮捕された善助は、公判調書で「私は会津藩に生まれた関係にて、祖父母も祖父も明治維新当時の汚名を冠せられたることを甚だ残念とし、幼時より蛤御門の討伐のことや白虎隊の武士らしき忠義ぶりなどを聞かされ武士的精神が自然に養われて居りました」と供述している。正に会津人の鑑である。

「茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し、国體の擁護開顕に肝脳を竭し、以つて神洲赤子の微衷を献ぜんとす」との大義を掲げて昭和維新を目指した皇道派青年将校のその崇高な志と命を賭した行動は尊敬に値する。

 渋川が少年時代に過ごした部屋は、三島由紀夫が訪れた際に「憂国の間」と名付け、会津若松市の料亭「渋川問屋」内に現在でも保存されている。

 渋川問屋は料理旅館としても有名なのだが、福島県に住んで乍ら不如意もあって未だ訪れたことは無い。いつの日か憂国ならぬ夕刻の士らと宿泊し、会津料理と地酒を呷り乍ら談論風発、杯盤狼籍、大破轟沈するのが細やかな夢でもある。呵々。

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2024年02月23日

皇国臣民の一人として天皇誕生日(天長節)を寿ぐ

 本日は天皇誕生日、戦前は天長節として奉祝した日である。誠におめでたく、皇国臣民の一人として謹んで陛下の弥栄と長久を御祈念申し上げ奉ります。

 我が国は万邦無比の「神の国」であり、神武肇国の古より、歴史の中から数々の伝統及び制度が生み出されてきた国家である。そんな中で、永遠に無くなってはならぬものが天皇を戴く国家の在り方であることは言うを俟たない。

 皇紀2684年という永きに亙り、我が国は万世一系の天皇を戴き、常に国民や世界の平和を祈り続けておられる天皇を、善き至高の存在として暮らして来た。

 天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家が日本国であり、「天皇即日本」「日本即天皇」の天皇国家こそが我が国の国柄であり、皇統の歴史こそが象徴である。

 万世一系であらされる天皇の御代が栄えることは、即ち国民の代が栄えることでもあり、この国體の精華は万邦類を見ないところであろう。正に、世界に冠絶した「君が代」の世界が厳然と存在する国こそが、我が祖国日本であるのだ。

 陛下は天皇誕生日を前に、定例の記者会見に応じた。相変わらず皇后陛下や愛子内親王、更には男性皇族減少に伴う質問など余計な御世話的質問ばかり。陛下の御言葉はその影響するところは大であり正に「綸言(りんげん)汗の如し」である。

 政治家の様に口先で誤魔化すことはその御地位と御立場、崇高な御人格がそれを許さない。ところが、質問する記者団といえば海千山千の強か者ばかり。恰も皇室を理解している様に取り繕ってはいるが多くは皇室に批判的な輩ばかりである。

 少なくとも尊皇絶対の大義を弁えている記者などはいない。ノスタルジアな左翼思想に被れ、反天皇、皇統断絶に与する記者らは、陛下との一問一答形式に拠って、御言葉を引き出し、言葉尻を捉えて政治問題し、世論誘導を謀ろうとしている。

 今回も反天皇運動に与するが如く、敬称や敬語不使用で「皇后さまの様子」やら「愛子さまの結婚」だとか、秋篠宮家に関する無礼な質問が目立った。

 所謂「開かれた皇室論」に基く陛下や皇族への定例会見は一切拒絶するのが妥当であり、宮内庁は別な形での国民への御発露の方法を考えるべきである。

 抑々「敬称・敬語不使用運動」は、共産主義者に因る反天皇運動の一環である。売国マスコミが誘導する「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。

 本来の日本人ならば正式な敬称で呼ぶべきで、「さま」などと呼ぶことに由って、日本の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚すべきだろう。

 過去には「欧州では長子優先」という質問があったが、敬宮愛子内親王こそ皇位を継承すべきとの思惑が見え隠れする。正しく反天皇及び皇統断絶に与する質問である。更には天皇が欧州の王室と同等の立場であるかの認識は誤りである。

 この記者を見るまでもなく、天皇とは「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多い。だが、分かり易く言えば、天皇とは日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、祈りを重んずる「祭主」であるのだ。

「女性天皇」や「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく伝統というもの。反天皇論者らは国事行為をする便利な存在としか思っていないから軽軽しく皇統を語る。 

 日本という奇跡の国に生を享け乍ら、国の成り立ちも知らず、天皇とはどの様な存在であるかも分からず、反天皇の不遜不敬、不届至極の不逞の輩が存在しそれらに与するとは、戦後の日本人の精神的幼稚さの現れと断じて過言ではない。

「天皇制打倒」を目指す日本共産党や立憲民主党ら左翼陣営が、「女性天皇」や「女性宮家」の創設や「女系天皇」容認に狂奔していることこそ何かを況や。

 国内に巣食うこれらの奸賊を排し、迫る来る祖国の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するのは民族派陣営である。正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあると確信する。諸君、一旦緩急に備え遺憾無きを期そうではないか。

 すめらぎいやさか すめらみこといやさか すめらみくにいやさか

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2024年02月21日

韓国側の「干山島が竹島である」との領土主権主張の御粗末さ

 2月22日は「竹島の日」の日。GHQの統治下だった昭和26(1951)年、韓国は米国に対し、ポツダム宣言の解釈として「日本が放棄した領土には竹島(独島)が含まれるべきである」と要求する。だが、米国政府は次の様に回答している。

「独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思いません」(米国務次官補から韓国大使宛)

 我が国が未だに失地領土の恢復が実現出来ないのは、政府の弱腰外交も然ることながら領土主権の重要性や歴史的経緯を知らなさ過ぎるのが要因である。

 韓国人の「虚言癖」という病んだ民族性はどうやってもというか、死んでも治ることはない。中でも最大級の嘘が所謂・従軍慰安婦問題と竹島の主権主張だろう。 

 韓国は竹島を「独島(ドクト)」と称し「古来から韓国固有の領土である」と主張するその根拠は、古代朝鮮の歴史書である「三国史記」に帰着する。

 その「三国史記」には、鬱陵島(うつりょうとう)の西隣に在る「干山島(うざんとう)が新羅(しんら)の領土」と書かれていることを歴史的論拠にしている。

「三国史記」とは、三国(新羅・高句麗・百済)時代から、統一新羅末期迄を対象とする王朝の歴史記述である紀伝体の朝鮮半島に現存する最古の歴史書である。

 韓国側はこの歴史書を持ち出して「4~5世紀から韓国領だった」と主張している。「三国遺事」には「倭人が高麗を作った」と記されていることを知ったら卒倒するに違いない。その古地図では、干山島は鬱陵島の西に接近している島と分かる。

「独島(竹島)」は鬱陵島の東南92キロに在る島なのだから、「干山島が竹島である」と主張することには無理がある。こんな判りきった事実が存在するのにそれを否定し、領有権を主張し竹島を不法占拠を続けているというのが現状である。

 歴史的に見れば鬱陵島周辺の小島の呼称が変遷し、「竹島」は「松島」とか「リャンコ島」とか呼ばれた時代もあり、我が国では鬱陵島を「竹島」と呼んでもいたこともある。であるなら、韓国風に言えば「鬱陵島も我が国の領土」となるな(笑)

 竹島の過去のこうした呼称も事を紛らわしくしているのも事実だが、李氏朝鮮時代の地図には鬱陵島より90キロも先に在る島のことなど唯の一度も登場したことはないし、鬱陵島とその近くの干山島などの小島以外は全く出て来ない。

 考えてみればそれは当然のことで、抑々、李氏朝鮮時代には、鬱陵島すら「空島政策」に拠って居住が禁止されていたのだ。鬱陵島より遥か先の島の干山島(竹島)ことなんぞ、関心も認識すらもなかったというのが正直なところだろう。

 米国の傀儡として「反日」と「反共」を国是とし、韓国初代大統領に就いた李承晩は昭和27年1月18日、国際法を無視し、勝手に軍事境界線(李承晩ライン)を設定すると、我が国の固有の領土である竹島を取り込んで「韓国領」と宣言した。

 我が国の主権が快復する4月28日の直前の1月18日に、我が国の固有の領土であった竹島を掠め取ったというのが真相である。韓国側の竹島の領有権主張は、敗戦間際の旧ソ連と同じ国際法の蹂躙である不法行為を正当化する詭弁でしかない。

 戦後、李承晩ラインを侵犯したとして拿捕、抑留された日本人漁民は、「日韓漁業協定」が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人に及び、拿捕船舶328隻、死傷者は44名を数えた。韓国政府は日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を強要する。

 驚くことに我が国政府は、韓国の恫喝にあっさり屈し、その要求に応じた。我が国の外交史上で、安易な譲歩が更なる譲歩を生んだ悪しき前例であるが、これ以降、在日朝鮮人が国内に居住続け、在日特権が次々と与えられて行くこととなった。

 竹島問題は単に領土主権というだけではなく、在留不良外国人への犯罪及び「在日特権」を考える上でも重要な問題でもある。国民は、領土主権の重要性を再認識すると共に我が国政府の弱腰外交を糺し、失地領土の奪還に立ち上がろう。

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