2024年06月13日

経団連(十倉雅和会長)の営利至上主義及び国體破壊の施策強要は目に余る

 選択的夫婦別姓について「何故こんなに長い時間、棚晒しになってるのか分からない」と批判し、「政府は一丁目一番地として、是非やっていただきたい」と訴えてた経団連の十倉雅和(住友化学会長)が再び選択的夫婦別姓推進を主張した。

 十倉は、選択的夫婦別姓の導入は「女性の就労をサポートする」としているが、女性の社会進出が婚姻率の低下と少子化に繋がってることは考慮しないのか。

 終身雇用制度が無くなり、男性が働き、女性が家庭を守ると言った価値観が崩壊したのは、経団連を始めとした営利至上主義の経済団体が元凶である。彼奴等は、夫婦別姓推進派であると同時に移民推進派でもあるが、正に国體破壊論者ばかり。

 その昔、元楯の会の伊藤好雄と西尾俊一、元大東塾生の森田忠明と憂国同志会の野村秋介の4名が経団連襲撃事件を惹起した。現在の経団連の営利至上主義及び国體破壊の施策強要は目に余る。第二の経団連襲撃事件が惹起される可能性は否めない。

「夫婦別姓が男女平等の理想」とか「別姓は仕事上の不都合を生む」との主張を不審に思う国民が多くなり「夫婦別姓」運動は衰退した。別姓導入に執着する別姓推進派は次の手段として「選択的夫婦別姓」という新たな戦略を展開している。

 平成10年以来、「民法の一部を改正する法律案」が国会に10数回提出され、選択的夫婦別姓制度について議論が成されているが、「選択的」と誤魔化してはいるが、我が国には馴染まない制度ということもあって国民的合意には至っていない。

 自民党議員らが10年以上に亘って騙されていた「夫婦別姓」運動と同じ騙され方をしているのが「選択的夫婦別姓」や「女性宮家」問題である。昭和時代のあからさまな左翼活動ではなく、カタチを替えた巧妙な左翼活動に騙されてはならない。

 現在は住民票に旧姓を併記出来るし、免許証やパスポートなどの公的な身分証明証も旧姓併記は可能。つまり、法律を変える必要は全くなく、「旧制を通称ではなく、法律上の根拠を持って使える制度(婚姻前氏俗称制度)」の主張は支離滅裂。

 住民票や免許証が旧姓併記になってるし、抑々、婚姻に際して氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが一般化しており、婚姻に際して氏を変更するも、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。

 同姓が嫌なら、同棲など事実婚でイイだけのことだろう。だが、そうした変態的な意見より、結婚に際し同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり、それが極めて一般的な普通の感覚ではあるまいか。

 夫婦同姓は、普通の日本人にとって極めて自然な制度であり、現代社会で家族とその絆を支えているのが「戸籍」であり、戸籍は、国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムである。

 選択的と雖も夫婦別姓が導入されれば家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や倫理道徳観に悪影響を及ぼすのは必至。だが、推進派の目的が日本的家族制度の破壊と国體破壊に在るとすれば合点が行くというものだろう。

 十倉を始めとした選択的夫婦別姓導入派は「選択的夫婦別姓を導入していないのは世界で日本だけ」と主張し世論撹乱に必至だが、別姓導入は世界に誇る戸籍法廃止への一里塚であり、目先の利潤目当ての移民推進にしても正に国賊の所業。

 家族の一体感を維持しその絆を支えているのが「戸籍」である。国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録する戸籍制度は、結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担っている。

 夫婦別姓推進派は我が国が世界に誇る「戸籍制度の廃止」を実行させ、日本的家族制度を瓦解させることに成功させた後は、天皇及び皇室の廃止を目論む。

 以前、杉田水脈議員の「別姓するくらいなら結婚などしなきゃイイ」との野次が批判されたが、至って普通の日本人の感覚だ。十倉や橋下徹らの執拗な別姓推進の究極の目的が「戸籍法廃止」に在るのだとすれば合点が行くというものだろう。

 夫婦別姓推進派は、現在の戸籍制度が、家族単位である点を「戦前の家父長制度の残滓」と捉えており、戸籍を個人単位の「個籍」や「個人登録制」に改めることを求めている。こうした考えは家族制度の解体を意図していることは明らか。

 現在は「民法」と「戸籍法」に拠って婚姻の際の氏(姓)を決める。 民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されており、夫婦何れかの「氏」を夫婦の氏とすることは理解出来るだろう。

 この規定を大半の国民は「夫婦になるどちらかが氏を変える」と理解しているが、「氏は個人の名前の一部」という誤解と勘違いが混乱を招いているのも確かである。 戸籍でいう「氏」というものは個人を表す名称ではないことを知らないのか。

 明治維新以前には武士や大店の商人以外の民には氏などない。明治維新以降、戸籍を整える為に全ての国民に「氏」を与え、国民は皇室の在り方を理想とした。

 戸籍には筆頭者のみが氏と名で書かれており、その他の家族は続柄と名しか書かれていない。つまり、「氏」は個人の名前ではなく「家族」を表す名称であり、つまり日本人の日本人らしさの根幹を成すものが「戸籍制度」であるのだ。

 戸籍制度は個人だけでなく、親兄弟や子供といった歴史の縦軸の中に生きるという制度であり、正に我が国の戸籍制度は世界に誇る制度であると言えるのだ。

 十倉もそうだが、こうした問題が出ると、問題を突き詰めることなく「世界ではこうだ」とか「何処何処の国では」という実に怪しげな意見を散見する。だが、他所の国なんぞどうでもイイではないか。日本は日本だ。別に模倣なんぞしなくて好い。

「選択的夫婦別姓制度」を導入したイタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では、婚姻率が4割以上も減り、離婚率が2倍となり、婚外子の割合が5割も増加してしまった。

 北欧やフランスでも婚外子が5割を超え、従来の家族制度が崩壊している。その原因は「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大の理由。婚姻率が下がり、少子化対策を急がねばならないのに、選択的夫婦別姓を導入しようとは狂気の沙汰である。

 選択的と雖も、夫婦別姓が導入され、別姓世代が続けば家系は確実に混乱して、我が国の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、延いては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至である。

 国體や国柄を変えてしまう様な姦策を提言し続ける経団連は単なる守銭奴と化した。正に「財閥富を誇れども社稷を思う心なし」。天網恢恢疎にして漏らさず。

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2024年06月10日

国柄や国體を損ねる主義・思想に断固として対峙して行かねばならない

 愚生が所属していたのは防共挺身隊(防挺)。たけし軍団のつまみ枝豆やガダルカナルタカも所属してた知る人ぞ知る団体でもある。最近は「街宣右翼は朝鮮右翼」だと揶揄されているが、その行動右翼・街宣右翼のパイオニアが防挺でもある。

 抑々「街宣右翼」自体にそれほどの歴史はない。右翼に「日本を貶めてる」と言われるほど影響力も無いし、そんな右翼の街宣くらいで滅びる様な日本でもない。

 戦後の昭和30年代から50年代の左翼全盛時代、日本を貶めようとしていたのは左翼勢力である。それらを殲滅せんと対峙していた右翼陣営を、現在の風潮で「朝鮮右翼」と揶揄するのは簡単だが、街宣右翼の行動全てを断じられる謂れもない。

 戦前の右翼と戦後の右翼は全く違う存在だ。戦前の右翼というのは「国粋主義」的要素が強く、外国思想は全て悪と捉えるという考えであり、それは共産主義であろうが、資本主義であろうが、民主主義であろうが批判されるべき対象だった。

 戦後右翼が、国粋主義から「反共」に奔ったのは共産主義の拡大に危機感を持ったGHQの意向もあるが、「右翼の巨頭」と称された児玉誉志夫の影響が大きい。

「政財界の黒幕」と言われた児玉は、戦前は海軍航空部門の物資調達を任された「児玉機関」の親玉でもあり、戦後は「A級戦犯」として逮捕された経歴もある。

 GHQは占領下に於いて、「戦争を引き起こしたのは日本国内の右翼勢力だ」として、右翼団体や危険人物を潰そうとする。だが、第二次世界大戦が終結すると日独の防共の砦が崩壊するとアジアを始め世界各地で共産党に因る革命や暴動が起こった。

 日本国内でも共産主義が席巻し、これを危惧したGHQは右翼解体の方向を転換し、右翼を「反共」に利用する。児玉と同じくA級戦犯だった笹川良一も参画した。

 児玉も笹川も、GHQの意の儘に「民主主義」「資本主義」に与し、我が国の国體を損ねる思想には沈黙。「共産主義」のみを悪とし、それらを忠実に実行した。

 児玉や笹川らが「米国のスパイ」と言われるのはそんな所以である。児玉は「児玉機関」で貯め込んだ潤沢な資金を基に、全国の博徒(ヤクザ)や香具師(テキヤ)を纏め上げ、愚連隊的右翼団体を次々と立ち上げ、「反共運動」に乗り出した。

 当時の情勢を鑑みれば「反共」運動は別に間違ってはいないが、右翼団体が「憲法改正」や「靖國神社国家護持」「北方領土奪還」などの自民党のスローガンを忠実に遂行し、自民党の「院外団」的行動をしていたことも児玉や笹川の影響が大きい。

 所属した防共挺身隊も児玉門下でもあり、初代福田進総隊長はそれらを利用し、経済的な恩恵を享けたのも確か。例えば、福田総隊長は神奈川県葉山の二束三文の土地を取得したが、間もなく有料道路が建設されることとなり莫大な資金を得た。

 福田総隊長は、日本に帰属される前の沖縄で、那覇空港内に「福田商店」という免税店を開業している。これもまた児玉のそうした裏の人脈と政治力の賜物だろう。

 福田総隊長時代の政治資金も潤沢で、自民党や共産党、日本医師会などが連ねる中で常にトップ10入りしていた。そんな資金を若手右翼やテロリストの育成に使うことはなく、幽冥境を異にしてしまったことは返す返すも残念なことだった。

 ヤクザが「仁侠道」を忘却し暴力団化したのと同じく、右翼団体も維新者としての「大義」を忘れ、資本主義に溺れ、金儲けなどに興じていれば、必要価値の無い存在に成り下がって行くのは必然であろう。ならばどうすれば善いのか。

 右翼の使命は、日本の純粋性を曇らすもの、つまりは「共産主義」だけではなく、「資本主義」であろうが、「民主主義」であろうが、我が国の国柄や国體を損ねる主義思想や行動に断固として対峙して行かねばならないという覚悟であろう。

 三島由紀夫は嘗て、戦後に右翼が左翼に取られたものとして、「ナショナリズム」「反体制」「反資本主義」の三つを指摘した。今やそれらは左翼の手中に在る。

 国家主義や民族主義という「ナショナリズム」にしても、「反体制」や「反権力」という反骨主義や「反資本主義」という国粋主義というのは戦前の右翼はそれらを自覚し保持していた。何故なら、この三つこそが右翼の矜持に他ならないからだ。

 果して、現在の右翼団体や自称・愛国者に、三島のこの指摘はどの様に響くのだろうか。共産主義や共産党を始めとする左翼陣営を批判するのは容易いが、批判する側もまた自らが自由主義や資本主義という病魔に侵されている自覚はない。

 天皇国日本を盤石の安きに置く歴史的使命を有するものは民族派陣営以外にいないと自覚する。そう考えた時、右翼民族派陣営は果たして何を為すべきなのか。

 維新者としての「大義」を取戻し、テロを担保しつつ、更なる愛国的活動の奮励に邁進する以外に道は無い。それが畢竟、日本再生に繋がることと信じて止まない。

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2024年06月07日

何となくミリタリズム、何となく反共という感じでやっている

 右翼のカリスマ・故野村秋介はその昔、自著で「娑婆は右傾化とやらで、猫も杓子もというかバカもチョンも、右翼に紛れこむ情況であるらしい。しかし大部分の連中は、右翼とは何かという根本命題を真摯に学ぶことをせず、何となくミリタリズム、何となく反共という感じでやっている。理論と実践の容を整えなくては、運動はやがて破産する運命でしょう」と、右翼団体や右翼活動の現状を危惧している。

 この野村の予見は見事に当たり、右翼運動は風前の灯火。昨今の右翼人というのは実に聞き分けがよく、違う意見でも議論を交わすことなく易易と受け入れる。まぁそれを「度量が大きい」と言えばそれまでだが、単なる勉強不足の感は否めない。

 組織内で様々な意見を出し合い、それを纏めなければ行動するにも纏まりが付かない。やはりトップ、上に立つ者がそれを纏め揚げて結論を出すことが大事である。

 愚生の場合、意見を異にする輩とは徹底して反抗を試みる。その上で相手はどういう反論や行動を採るのかに興味があり、反論された時に相手の本性が見えたりする。そうした対応をすることで相手の度量や知識などが確認出来たりもする。

 自分よりも格の上の偉い人になればなるほど、その人の器の小ささに嗤えることもある。右翼が諍いを気にして何になるというのだ。後先考えずに行動する蛮勇が無くて何が右翼か。何が維新者か。右翼とはやはり削げ者で在らねばならないのだ。

 右翼とは、喩え小粒でも山椒の様にピリリと辛い、「此奴は何をするか分からない」といった、相手構わず見境の無い闘争心を忘れてはならないと思っている。

 何故なら一般人から見て、右翼に求めらるものは、圧倒的迫力というか、逞しい蛮勇ある行動力であるからだ。そんな右翼への期待を裏切ってはならない(笑)

 その昔、横浜在住の大物右翼に「右翼が右翼の仲間を批判するとは怪しからん」などと言われたこともあるが、批判ではなく苦言であって、批判ならネットじゃなく直接言うべきだろうが、これもまた大物右翼の仲間内で愚生への批判で盛り上がる。

「常に直諫なくば」と教えたのは吉田松陰である。日頃、上司や友人に対し何も言えない者は、一旦勧誘というかいざという時には使い物にはならないのが多いし、友人や門下生としても資格も無く、右翼としての資質に欠けていると思っている。

 そんな魅力のない右翼団体に変わり出現したのが「主権回復を目指す会」や「行動する保守運動」「在日特権を許さない市民の会」などの行動体であり、市井の自称・愛国者や保守派らは右翼に見切りを付けて新しい保守活動に期待し参画した。

 昨今の右翼は「国防」の意味を理解することなく、唯単に領土の防衛こそが国防であり大事であると尖閣諸島を護れとばかりに憲法九条改正を声高に叫んでいる。だが、九条が大事だと思ってること自体があの「九条の会」と大して変わらない。

 仲間内で勇ましいことを言い合って盛り上がってる姿は見ていて痛々しい。野村秋介ではないが、何となく愛国(ミリタリズム)、何となく反中・反韓(反共)という感じでやっている右翼活動は、やがて国民から見限られるのではなかろうか。

「このままでは尖閣は奪われる」「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、我が国が然も滅亡するかの様に叫んでいる自称保守や営業右翼がいる。

 愚生はそうは思わない。自衛軍備の確立からすれば未だ未だ足らないものはあるし、自民党粛正もまた大事なことだが、「天壌無窮の神勅」を疑い、国民の不安を煽って何になるのか。そうした言論が保守運動だと思っているのなら間違いである。

 神国日本の不滅を確信せずに何が保守か、何が愛国者か。正統の保守ならば神州不滅を信じ、神武肇国の精神の高揚と国家国民の繁栄を目指し啓蒙することこそ大事。

 我が国は、天照大神の「天壌無窮の神勅」に従って存在し、現在に至り、そして未来へ続いて行くのだ。右翼に限らず、我が国の政治家や保守派、中でも売文を生業にしてる営業保守や自称愛国者に乏しいのはそういう古の教えであり、覚悟である。

「この神勅ある限り日本は永遠なり。日本の将来を悲観することは神勅を疑うという罪を犯すものである」とは吉田松陰の至言であり、肝に銘ぜよ。愛国者や維新者を自任するならば、いつかあるだろう一旦緩急に備え、己自身を鍛え磨き上げよ!

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2024年06月05日

「街宣右翼は朝鮮右翼」って誰が言い出したんだろう(苦笑)

 昭和54年、国士舘大学入学後、行動右翼のパイオニアと称された防共挺身隊に入隊した。平成21年、四代目総隊長に就任。総隊長就任間もなく、右翼の考え方の相違から前任者との間に軋轢が生じた。そして実態の無い執行部から除籍処分を受けた。右翼団体への熱意は冷めたが、右翼活動家として恥じるものは一つもない。

 愚生はもう右翼団体員ではないし、右翼に対する風評など気にする必要もないのだが、「街宣右翼は朝鮮右翼」などという妄言や罵詈雑言を目にする毎に苦言を呈している。だが、ネットの偽情報に洗脳された連中は全く耳を貸そうともしない。

 YouTubeなどで悪意的に編集された画像を鵜呑みにし、既成右翼を「朝鮮右翼」などと批判しているのは、左翼陣営ではなくネット右翼や自称・愛国者らだ。「我々は右翼とは違う。真の愛国者なるぞ」と日の丸や旭日旗を掲げて悦に入る。

 いつぞや、とある女性が「愛国」を口にすると周りから「怖い」と思われるのを嘆き、こうした要因を招いたのは「街宣右翼だ」と、いつもの雑言というか責任転嫁。こうしたツイートを保守を自任する政治評論家が賛同するかの如くリツイート。

 右翼のイメージを「危険」だとか「街宣右翼=悪」などと植え付けたのはマスコミである。少なくても新橋SL広場などで街頭演説をしてる右翼人は良識派が多い。

 現在の右翼団体を全面的に擁護する気もないが、右翼団体の殆どが暴力団を縁があり、反共は当然乍ら、反資本主義や反体制という本来持つべき矜持を忘れ去り、暴力団の隠れ蓑として、単なる動員要因としての組織に堕ちたのも事実である。

 ネット右翼や自称・愛国者らが、軽々しく日の丸や旭日旗を掲げ「反中国」や「反韓国」を叫ぶ行為や営業保守も、その「愛国」という崇高な理想が「贔屓の引き倒し」になってしまっているということを自問自答したことはあるのだろうか。

 唯、言えることは、国内で蠢く国賊共に天誅を与えるのは既成の右翼団体員ではなく、国を憂うる市井の民なのではなかろうかとの思いが強い。第二、第三の「建国義勇軍」や「刀剣友の会」の様に志を一にする仲間が惹起するのではあるまいか。

 贔屓目に見ても活動自体が停滞している感は否めない。活動資金不足と右翼指導者の力量不足の伴う指導力の無さが最大要因である。誰が言ったか知らないが「働きながら運動をしている右翼こそがホンモノ」らしい。活動を本気でやればパクられるし、逮捕され新聞にでも載ったものならクビになるのは間違いないだろう。

 勤労右翼を批判はしないが、右翼活動に理解のある経営者がそんなにいるとは思えないし、働けば生活に流され生業が優先されてしまう。結局は、こじんまりした、無難な、自慰的な活動くらいしか出来なくなってしまっているのではなかろうか。

「昔の右翼は企業から金をもらったりして資金力も持ち、生活も裕福だったかも知れないが、そういうのが今では負の遺産となって真面目な若手右翼の首を絞めているという事をわかっているのだろうか」との、若手活動家のツイートを思い出す。

 昔の右翼というのはいつの時代を言ってるのだろうか。また「負の遺産となって若手右翼の首を絞めている」とはどういうことなのか。現在の価値観の違いといえばそれまでだろうが、物事の見方が薄っぺらで、残念な気持ちになったのも事実。

 高校時代、右翼団体への憧れから、いつかは愛国活動をと思っていた頃、同時に「総会屋」にも憧れた。「総会屋錦城」とか、総会屋関連の本を読み耽った。

 そんな中で右翼総会屋で有名だったのが防共挺身隊で、国士舘大学へ入学すると身近に防挺の先輩がいて入隊。正に人生の縁とは異なもの味なものだと思った。 

 企業献金が断トツだったのは防挺で、愚生が入隊した時期には政治資金は共産党、自民党、日本医師会などに続いて堂々の5位、常にトップテン入りしていた。この潤沢な資金の下で充実且つ過激な活動が出来たのは紛れもない事実だった。

 企業からカネを貰ったというより、企業が右翼団体という組織力を必要としていたのだ。高度成長期、企業は極左によるビル爆破や、「べ平連」やら「中ピ連」など左翼勢力や胡散臭げな連中が一株株主として騒いでいた時期でもあった。

 当時は警備会社なんてのは未だ弱弱しく、民間企業を警察が警備や警護する訳には行かず、防挺の様な行動右翼を必要としたというのが事実。その功罪はあろうが、高度成長期に企業を防衛し、国益に大きく貢献したのは紛れもない事実である。

 その後、防挺はマスコミからは「右翼総会屋」「金権右翼」などと揶揄される様になって行った。右翼活動家よりも総会屋右翼を夢見て、総会屋での資金を右翼活動に使おうといたが、大学4年の秋の商法改正でその夢は脆くも崩れ去った。

「金権右翼」に所属してはいたがその恩恵も受けることもなく、24歳で青雲の志を以て福島県郡山市に帰還し、「これからの右翼は理論が大事」と新たな右翼団体を設立した。現在は正統右翼浪人を自任してはいるが無職のおっさんでしかない(笑)

「負の遺産」とは、拠出して貰った活動資金を私的に流用し、右翼としての生き方を忘れ、分不相応な家に住んで安穏とした生活をしている先生方への諫言なのだろうが、そんなもので「若手右翼の首を絞めてる」などとは責任転嫁も甚だしい。

 中核派などの左翼陣営は勢力拡大と資金力が増大している。男女共同参画社会を始め、SDGsやLGBT法成立を謀り、膨大な予算からは相当な資金が左翼陣営に流されている。こうした現状の中で、右翼は働き乍ら何を惹起するというのだろうか。

 民主党政権下で菅直人が極左団体へ数億円の資金を寄付したのも氷山の一角。左翼陣営は政府中枢への蚕食が成功しつつあり、それらに加えて保守政党であるべき自民党が移民政策などの売国政策を謀っており、国家解体は想像以上に進んでいる。

 方や右翼人を見てみれば暢気なもので、総会屋右翼などと揶揄されながらも小銭を貯めた諸先輩、諸先生方は居の安きに甘んじ、固定資産税の支払いに汲汲し「一日一生」とは名ばかりの状態。「人生意気に感ず」と言い乍らタダ酒を呷るばかり。

 今や行動者としての使命感は疾うの昔に忘れ去ってしまっているのだろう。こうした安穏とした生活が蔓延してる状況下でカリスマ的右翼指導者など現れることはないだろうし、サラリーマン右翼が世論を扇動することなど不可能なことだ。

 日本人に必要なのは「愛国」ではなく「報国」である。我々が想像している以上に祖国日本は蝕んでいいる。全愛国者は危機感を共有し、奸賊どもに対峙せよ!

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2024年06月03日

我が国もイスラエル軍の強さと非情さに学ばねばならない

 イスラエルとパレスチナ国内で活動するテロ組織・ハマスとの戦いをニュースで報道されるが、日本人の多くはよく理解していないのではなかろうか。愚生もイスラエルとパレスチナの問題を深くは理解していないが、ハマスの行状は赦し難い。

 国内で同胞が虐殺され、女性が強姦され、拉致された報復として掃討作戦を実行してることは、自国民としては頼もしい。国内から同胞を拉致され、犯人を知り乍ら何ら手を講じることなく傍観してるよりもマシで、我が国もこの姿勢を学ぶべきだ。

 イスラエルの歴史的背景を理由に、パレスチナでの掃討作戦を批判してるのを見かけるが、拉致問題に関し「日本も強制連行をしたのだから批判するのは筋違い」というトンチンカンな意見と似たり。宗教戦争を安っぽい価値観で語る勿れ。

 イスラエル軍のハマス壊滅を成功しない限りパレスチナ侵攻は治まることはないだろう。ガザ地区のハマスのメンバーの殺害は当然だが、カタールの五つ星ホテルや国外に滞在しているハマスの最高幹部を殲滅しない限り悪の連鎖は止まらない。

 007などのスパイ映画やジェイソンステイサム主演の「メカニック」などでは、悪党というのは常に処刑される結末だからスカッとするが、現実には困難を極める。況してやユダヤとイスラムとの融和は不可能であり、宗教戦争の難しさを痛感する。

 ユダヤ人は、イエス・キリストを十字架に磔たと言う理由で、中世から土地などの不動産を持つことを禁じられ、殺されるという不安を抱え乍ら生き永らえて来た。

 住んでいる国の貨幣を使えるかの分からないので、必然的に金や宝石を隠し持ち、いつでも逃げ出せる準備をしているくらい用心深く、その苦労さを思い知る。

 イスラエル国防軍は、1948年の独立戦争を経て、強引にイスラエルを建国して以来、幾多の戦争を戦い抜き負けたことはない。小さな国土のイスラエルは一度でも負ければ国が消滅してしまう。そうした危機感が国民の国防意識を高めている。

 世界のユダヤ人や、「アシュケナージ」と呼ばれるトーラー(モーセ五書の教え)ではユダヤ人とは認められない東欧系のユダヤ人がイスラエルに多数入植した。

 入植するとパレスチナ人を追い出し、現在に至っている。彼らは「何が何でも生き残ること」を最優先にしているから軍隊の士気が違う。「国民皆兵」であり、イスラエルの若者は18歳で徴兵され、男性は3年間、女性は2年間兵役が課せられる。

 若者からなる召集兵と職業軍人約17万人が正規兵。そして45歳まで年間4~6週間出勤を義務付けられている予備兵が40万人いる。兵士を合わせると約60万人。日本と比べると人口では約18分の1のイスラエルの兵力は、自衛隊の2.5倍に当たる。

 イスラエル国防軍の切り札は核兵器である。「敵を威嚇し、必要と有らば躊躇なくそれを用いる。この自国の核戦略をイスラエルでは「サムソンの選択」と言う。

 サムソンとは、絶体絶命の窮地に陥った時に3千人の仇敵を道連れに自死した古代ユダヤの英雄である。現在進行中のイスラエルとテロ組織・ハマスとの戦いを見てると、パレスチナ人を道連れにハマス壊滅作戦の実行を強行している。

 イスラエルは、核保有は否定も肯定もしていないが世界第6番目の核保有国であり、100発以上保有しているというから米国の面目丸潰れにも思えなくもない。

 北朝鮮が核兵器を保持している中で、我が国も核武装を研究すべきなのだが、国民世論が統一されることはあるまい。カルト宗教と化す「9条の会」を始め、珍左翼が「世界で唯一の被爆国が核武装とはケシカラン」と騒ぐ姿が目に浮かぶ。

 然し、日本が世界唯一の被爆国というのは間違いで、世界では核実験による被爆国は多く存在している。認識不足だが、例えるなら「世界唯一の戦争被爆国」である。

 ロシアのウクライナへの侵略を招いた要因は、ウクライナが核放棄したことだ。ウクライナは1994年、米国・英国・ロシアなどと「ブダペスト覚書」を締結。

 当時、ウクライナは世界3位規模の核保有国だった。この核兵器を放棄する代償として、領土の安全性と独立的主権が保障されることになった。1800余基の核弾頭とICBM(大陸間弾道ミサイル)を全てロシアに返還・廃棄し、非核化を完了した。

 核保有を放棄させ乍ら、そのウクライナを侵略してるロシアに正義は無い。ウクライナの核放棄という間違いを我が国は他山の石と捉え、万が一に備えよ。

 核武装が無理なら、NATO諸国の様に米国の核を共有可能とする防衛構想を急ぐべきだろう。核兵器は、政治を行う上での最高・最大の外交交渉の武器であり、周辺諸国に睨みを利かせ、更にはアジア諸国の平和・安定に貢献出来るものである。

 その昔、大日本愛国党総裁の赤尾敏が「アメリカは日本の番犬だ。番犬にはエサは必要で、イイ番犬ほど金はかかるものだ」と言っていたが、今、その番犬は歳終えてしまった。飼い犬に噛まれる前に、日本独自の防衛体制を構築を急ぐべし。

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2024年05月30日

田母神さんよ、都知事選なんかより郡山市長選に出馬したら如何!

 郡山市出身の田母神俊雄元航空自衛隊幕僚長が都知事選への立候補を表明した。平成26年の都知事選では約61万票を獲得したと記憶するが、前回より得票数は減るのではあるまいか。有権者に保守派の選択肢を与えたいらしいが、大義は無い。

 田母神さんの出馬で、日本第一党(櫻井誠代表)は保守派の受け皿にならず今回も泡沫候補に。何より、田母神さんの人気はピークは過ぎた。単に、愛国者とか保守というなら櫻井も負けてないし、政策にしても櫻井の方が東京都を救える。

 日本保守党代表の百田尚樹がXで、「私は10年前、田母神さんの応援に立った。で、10年後、東京15区の補選では、田母神さんは日本保守党の対立候補の一つである参政党の応援に入った。義理を欠く行為だなと思ったが、ま、それはいい。私がどうかなと思うのは、公職選挙法で金の問題で有罪判決を受けたこと。『金の問題』で有罪って、私の中では恥ずべきこと」とツイートしてたが、同意する。

 百田代表のツイートを受け、田母神さんは「先回の江東区補選で私が参政党を応援したことを義理を欠くとか言って批判する人たちがいる。私は参政党立ち上げの時から参政党顧問で会合などにも出席していた。保守党が出来たから保守党に乗り換えたではそれこそ義理を欠く」と主張していたが、言い訳がましく実に見苦しい。

 更に「保守党と参政党の目指す国は違うという人もいるが、私は大筋では同じ方向を目指していると思っている」という認識を示していたが、参政党の神谷宗幣は女性天皇推進派であり、尊皇精神が欠落してる。要は、参政党の売名が目的だろう。

 平成26年の都知事選後、公職選挙法(運動員買収)容疑で田母神元幕僚長が東京地検特捜部に逮捕されたのは記憶に新しい。選挙前の買収なら分からなくもないが、選挙後の貢献度に応じた慰労金での買収容疑というのは何か胡散臭げだった。

 逮捕前、本人は「国家権力にはかないません」とtwitter(現X)で、負け惜しみともいえるツイートを垂れ流していたが、ああいうイヤミは己の値打ちを下げる。

 何より言い訳はみっともない。警察ではなく東京地検特捜部が出張っていたことは何か裏が在ったのだろうとは推測するが、確信が無ければ逮捕はしないわな。

 田母神元空幕長は郡山市田村町田母神地区出身で、同じ郡山市に住む愚生としては誇りでもあった。「酒と妾は二合まで」と言って笑わせてた田母神さんだが、離婚裁判では愛人を庇い、妻へ不満と罵詈雑言を浴びせたことで彼の本性を垣間見た。

 田母神閣下の自衛隊員としての経歴や思想信条を否定するものではないが、女性(不倫)問題での醜聞は聞くに堪えないものだった。そりゃ、前妻に言いたいことはあったのだろうが、それらをじっと我慢して肚に納めておくべきではなかったか。

 田母神閣下のアパ論文に見る歴史認識の正しさや航空幕僚長としての立居振舞に、日本の士(さむらい)を見ていただけに離婚裁判は残念至極なことだった。

 夫婦というのは所詮は他人である。何らかの事情で糟糠の妻と別れるのは構わないが別れ方というのがあるだろう。そういや、別れた途端に新しい妻との写真を嬉しそうにSNSでアップして悦に入ってた日本保守党所属の某区議会議員がいる。

 区議が離婚前から不倫関係にあったことは明らかで、離婚後にああした写真を元妻や娘が見てどう感じるとは思わないのだろうか。男の優しさを微塵も感じない。

 元妻や子供の気持ちも思い遣ることも出来ずに、他人を思い遣り、国や地方自治を正そうなどとは実に痴がましい。保守派を自任し、愛国者を気取るのならば、国民の模範的人物であらねばならず、私生活を含めて峻烈に生きるべきだと思う。

 政治というのは最高の倫理であり、最高の道徳であらねばならず、政治家に求められるのは唯々「滅私奉公」の一つである。西郷隆盛もこう訓えている。

「万民の上に位置するものは、己を慎み、品行を正しくし、贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して人民の見本とならねばならない。そして民衆がその働きぶりを見て『気の毒だなぁ』と思うようでなければならない」(南洲翁遺訓第四条)。尤も、今どき「気の毒だなぁ」と思える政治家なんぞ見たことも無いし、滅私奉公なんてのは政治や国民の奉仕者であるべき公務員の世界じゃ最早死語となってしまった。

 偉そうに倫理道徳を説いてた西郷本人だったが、島送りされる毎に愛人を囲って子供までこさえている。西郷は、巷間言われてる様な傑物ではないのがバレた(笑)

 田母神閣下が「日本は良い国だ!」と語り航空幕僚長を解任されたのは記憶に新しい。 米国を始め、世界各国も自分達の都合が悪いので表立って認めはしないが、日本が一方的に世界を侵略したなどということが事実でないことは余程のバカで無い限り認識している。ところが、我が国では真実を語った途端に批判の的になる。

 マスコミは作為的に報じて国民世論を煽り、空幕長を守るべき自民党政府は大慌てで空幕長を解任し、野党は国会で吊るし上げ退職金の返納までも強要した。

 要するに「日本は侵略国家、犯罪国家」とする東京裁判史観と異にする意見に対しては、条件反射的に拒絶反応を示すのだろうが、これこそ滑稽という他はない。

 田母神さんが航空幕僚長時代にが寄稿したアパ論文の冒頭はこう綴られている。

「米英蘭などとの戦争は、どう見ても日本の自衛戦争であり、またアジア開放の戦争であったと思っている人は多い。しかし、中国との戦争については中国の本土に軍を進めたのだから侵略だ、と思い込んでいる人が意外に多いようだ。しかしこれは完全な間違いである。条約に基づいて他国に軍隊を駐留させることは国際法的に全く合法であり、侵略ではない。日米安保に基づき日本に米軍が駐留しているのは(好き嫌いは別として)侵略ではないのである。逆に合法的に駐留している米軍を自衛隊が攻撃して戦争になった場合、それが日本国内で戦われたとしても、侵略者は日本ということになるのである。日本は『北京議定書』に基づき在留邦人保護のために軍隊を駐屯させていた。盧溝橋でその日本軍を攻撃してきたのが中国軍である。また上海で日本人保護のために合法的に駐留していた海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃を仕掛けてきて、日中戦争は本格化した。何れも中国軍が仕掛けたことであり、侵略者は日本ではなく『中国』なのである」 。実に分かり易い文章である。

 論文に苦言を呈せば、「中国」ではなく「支那」と呼ぶべきであり、「日中戦争」ではなく「支那事変」だが、田母神論文はこうした重要な歴史を教えてくれた。

 買収事件の記憶が薄れて行く中で都知事選への出馬を表明したが、都政なんぞより、郷土の為に来夏の郡山市長選に出馬したら如何だろう。郡山市の警備会社「ケイビ」の顧問だし、供託金や運動費はケイビが出すから心配ないだろうし。呵呵。

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2024年05月24日

日本人が持つべきは報国であり愛国心より大和の心(大和魂)である

 拙ブログ「爆ちゃん吼える」の冒頭には、昭和天皇に論語の「漢籍」の進講をされた、戦前の日本を代表する倫理哲学者・哲学者・西晋一郎の言葉を記している。

「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」。「国に忠」と「親に孝」の二つを離れては、人類愛も、平和主義も、憲法論議も空理空論どころか、ただの「空想」「妄想」に過ぎないということである。

 左翼勢力が頻りに「平和」を訴え、「正義」を標榜しようが、「国に忠」という感情が決定的に欠落している故に、まともな国民には受け容れられることはない。

 我が国は、2700年もの歴史が続く君主国家であり、そして神武建国の理念とは、「八紘をおおいて一宇となす」という家族国家の形成に在る。 「日本を再生する」ということは、欧米の様な国になることではない。そういう意味では、明治維新は、「維新」とは名ばかりで、その実は西洋文明を模倣した改革に過ぎなかった。

 戦後体制を見直すことは喫緊の課題であることに間違いないが、明治維新後に長州閥が行った施策の多くを検証する必要もあろう。「日本を再生する」「日本を取り戻す」とは、その原点である「日本の背骨」を取り戻すということである。

「日本の背骨とは何か」といえば、祖国日本に生まれた日本人として生きて行く上で大切な精神である。それはつまり、「国家への忠誠心」と「親への孝養」であり、西晋一郎の教えの通り、正に「君国に忠」「親に孝」ということに尽きる。

 我が国は天皇(君)を頂く家族国家であり、その国體の精華は万邦無比である。全ての日本人が陛下の下に一つとなって(忠)、先祖代々続く日本人としての血統を重んじ(親)、父祖に恥じない生き方を実現する(孝)、ということである。

「愛国とは人性(じんせい)の至誠なり」とは内村鑑三だったか。「愛国心」なんていうものは人が生まれつき持ってるもので殊更ひけらかすものではない。何故なら、民族の将来と祖国の将来を憂うる行為は最も真剣なる感情であるのだから。

 日本では何故か「愛国」だとか「愛国心」などと口に出すものなら「右翼」や「反動」と非難される。「右翼」という言葉には悪意が感じられ、愛国者を「右翼」と蔑むことに由って国家と国民の離反を目論んだマスコミの成果でもある。

 日本人が失った徳目を呼び返そうという標語として「愛国心」は最も相応しい言葉だと思うが、アドルフ・ヒトラーは「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」と訓えていることに括目する。

 愛国心を育むことは大事なことではあるが強制することでもない。奇跡の国である日本に生まれた喜びと、先人の歴史と営為に学び現代にそれを活かすことこそ大事である。それには愛国よりも「報国」こそ方が大事であると思っている。

 日本人が持つべきは報国であり、愛国心より大和の心(大和魂)である。つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず、調和して暮す従順な心を育むことである。愛国心より、先ずは国の成り立ちを教え、大和心を涵養すべし。

 西晋一郎は、「人は教えによって人であり、教は国があって行われ、国は歴史があって存立する。人と教と国と歴史は一環状をなし、其の実一である。若し四者が連貫を失ったならば、人は真に人でなく、教は真に教でなく、国は真に国をなさず、歴史というものから断絶される」と、教育の重要さを分かり易く訓えている。

 教育と国の歴史は繋がっており、国の歴史を軽んじることは、国家としての未来を放棄したも同然である。人もまた、教え学ぶことを忘れてはならない。それは単に自分の為だけではなく、連綿と続くであろう子供達の為でもあるからだ。

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2024年05月22日

勿体振ってないで持てる力全てを惜しむこと無く与えなさい

 いつぞや、ネットサーフィンをしていたら右翼活動家のブログが目に付いた。そこには何やら、「所謂団塊の世代の人と歴史認識で意見の相違を感じたが、敢えて反論もせず聞き入った」とし、最後には団塊の世代への嫌悪感と雑言が綴られてた。

 右翼の仲間からは同意の声が書き込まれ絶賛されていたが、その場で説得も試みず、後で色々書き連ねるというのは卑怯だし余り感心はしない。仲間も仲間で、諫めたり、苦言を呈す人はいない。仲間内で称えあって何が愉しいのだろう。 

 何故、激論を交わさないのか。「こういう輩と話すことに意味はない」と大人ぶってるつもりかも知れないが、偶には相手と目線を合わせ、本性剥き出しで一つ一つ反論し、歴史的事実を滔滔と語ることも自分を高める上でも大事だと思っている。

 愚生も放浪の旅先の居酒屋や行きつけの飲み屋など呑んでるとよくそういう人とは遭遇する。だが、そういう輩を面白可笑しく例え話を出しながら議論を交わし諭すことは嫌いじゃない。袖すり合った隣の客との議論こそ横議横行の醍醐味でもある。

 後輩や門下生ならいざ知らず、意見を同じくする仲間内だけで話し合ったところで何になるというのだろう。右翼人が右翼に論じても意味はない。やや左に偏った考えの人や、無自覚左翼を如何に転向させられるかが啓蒙活動の極意じゃなかろうか。

 今迄、何十人ものオールド左翼に出会い、話すと「アンタの様な右翼は初めてだよ」と言われもした。「オマエとは話しにならん!」と怒って席を立ったのは、日教組出身で日本共産党の市会議員になった今は亡き中学時代の恩師くらい(笑)

 ゴールデン街なんかで呑んでると、場所柄だろうか、左翼や団塊の世代、無自覚左翼がうじゃうじゃいて自説を垂れ流してるオールド左翼によく遭遇したものだ。

 こういった輩の多くは、幼い正義感からそういった思想や考えに辿り着いた人が殆どで、その辺りを擽ってから、身近にある喩えを出して反対意見を述べると意外にあっさり己の矛盾点と学生運動華やかしき時代の幼稚な正義感を認めるだろう。

 まぁ、政治的意見での隔絶はどうしようもないが、共通の話題を探すことも大事。大体スケベな話題は左右共通で、そういった話や趣味の話題で打ち解け、シャレやオチを付けながら分かり易く、周りを巻き込んで話しするのが好きだ(笑)

 そういう意味では浅学菲才というか、時局は勿論のこと、スケベなことから哲学的なことまで知識は雑駁に広く、何事にも興味を持って貪欲に学ぶことが大事。

「右翼人とは『よく読み』『よく書き』『よく喋る』、そして『よく呑む』ことだ」と教わったのは今は亡き右翼浪人の横山武彦。本を読んだら感じ入った部分や感動した台詞などを書き留め、話してみる。話術としては落語は実に参考になる。

 右翼陣営の悪い処は、一回書いたものや前に話したことは二度とやらない。聞く人が違うのだから観念的に同じことを訴えて行くことは大事なことだ。大日本愛国党総裁の赤尾敏の数寄屋橋での街頭演説なんていつも同じ。アレを見習うべきだ。

 演説を10分出来るなら、同じ話を最初からやり直せば好いことで、「さっき話したから」と恥ずかしがったところで、そんな演説なんぞ誰も聞いてないから大丈夫。同じ話でも3回繰り返せば30分。そうしているうちに要領を得るだろう。

「前に同じ話を聞きましたよ」って言われたら「主義主張なんてのは変わりませんから」と言えば好いし、「余程のオレのファンなのだ」と思えば好いだけのこと。

 演説で大事なのは上手く喋ろうというのではなく、自分の言葉で懸命に訴えるのが好い。それが、見栄なのか、恥ずかしいのか、同じ話はやりたがらない。下手くそな演説を勿体ぶってどうすんの。同じ話だってイイじゃないか右翼だもの(笑)

 その点、噺家というのは凄いと思う。サゲ(オチ)を知ってる話なんだが何度聞いても笑える。右翼も空気をカネにするなら業(会話)を磨かなきゃダメ。

 噺家が聴衆を引き込むにはマクラ(本題に入る前の面白話)が大事。マクラで聴衆を引き込んで笑いを取ってから本題に入るのだが、マクラが上手いとつい引き込まれてしまう。右翼の演説もいきなり本題から入るから聴衆も立ち止まらない。

 内容は乏しくても話術でカバー出来る。そういう意味でもツカミは大事であり、演説家は読書も好いが、それより寄席に行って話の技を盗んで来なさいな(笑)

 右翼の先生方を見ていると出し惜しみ感は否めない。思想にしろ理論にしろ大したことはないのに、高が知れてる経験や知識を出し惜しみしてどうするのだ。「教えるとは実に教えられることである」。教えることで己の更なる向上に繋がる。

 別に右翼だけに限らず上に立つ者は、勿体を付けることなく持てる力全てを惜しげなく与えて行くことで、心在る者は意気に感じそれに応えてくれるものだ。

 まぁ、それでも裏切られたらそれは人を見る目が無かったということ。人を見る眼というのは人生経験の集大成、修行をやり直すしかないな。呵々大笑。

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2024年05月20日

言葉や文章を書き留めて少しでも近付ける様に努力することが大事

 誰しも「好きな言葉」というのはあるだろうし、感銘を受けた本や座右の書というものもあるだろう。金言や格言の多くは実践と経験から学んだものであり、自戒を込めた言葉故に相手に響く。逆を言えば、実体験を伴わない言葉は軽々しい。

「人真似上手は個性を創造する」という様に、そうした言葉や文章を書き留めて、少しでもその尊敬する人や憧れの人物に近付ける様に努力することは大事なこと。

「日本とロシアは提携の必要性がある」などといった開国論を展開し、安政の大獄で斬首された越前福井藩士の橋本左内は、学問を学ぶ極意をこう訓えている。

「志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ、及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい」。日頃からの実践が後々の自分の身に成る。

 右翼人にもいるが、よく読書の量を自慢している自称読書家を見かける。斯くいう愚生も、大学時代から政治思想の本を中心に、雑駁ではあったが色々なジャンルの書物を読み漁り、本棚に並べてはその読書量に悦に入ったりしたのも事実(笑)

 自称読書家曰く「読書は楽しい」と宣う。だが、読んで楽しいというだけなら別に読書じゃなくても映画でも好いし、落語や講談、歌舞伎などでも好いだろう。

 本というものは、読まないよりは読んだ方が好いというくらいなのもので、橋本左内ではないが、感じ入った部分を何度も読んだり書き留めたり、その書いた文章を眺めたりして、自分の糧になる様に心に確りと刻み込むことこそ大事なこと。

 勉強とか学ぶという基本的な在り方は、活眼を以て生きた本を読むことだ。ベストセラーなんぞ単なる暇潰しの様なもの。読んで学んで実践しなければ意味は無い。

 常々、心眼を開いていれば「生きた学問」や参考書となるべきものは多く在る。「生きた学問」とか「耳学問」で一番好いのが、失敗に失敗を重ねた上で成功した人物の話であり、くだらん営業保守らの売文なんぞより学ぶことは実に多い。

 保守ブームに乗っかって稼いでいる営業保守の本なんぞ、領土主権や国防論を尤もらしく語って、反中共やら反韓・反北朝鮮の脅威を煽って稼いでるだけ。保守を気取ってはいるが、尊皇精神に乏しく、保守したいのは現在の立場や生業だけ。

 経営の実践も無い経営学教授然り、小難しい言葉を羅列しては悦に入ってるが、よくよく読めば「常識」を尤もらしく書き綴っているだけのこと。憲法学の教授なんてのは憲法擁護の左翼学者ばかりで、現憲法を生業にしている学匪ばかり。

「小人の学は、耳より入りて口より入ず」というが、小人は学問を売り物にし耳から聞き齧った事をその儘に口にするので少しも身に付かない。未だ自分の口で話すだけ好いが、無言のリツイートは身に付かないどころか周りにとっては迷惑千万。

「小人の学は、耳より入りて口より入ず」との喩えは、愚生的には実に耳が痛いものを感じるが、繰り返して語ることで自分の思想になっていく場合も多い。「人真似上手は個性を創造する」というのも、繰り返すことの大切さを教えている。

 自分の中に真の学問を積んでいる人は決してひけらかすことはなく、衒学臭くはないという。確かに新渡戸稲造の「武士道」でも衒学は一番嫌われると教えている。

 武士道の一説に在る、「学問は他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかのか、或いはどう在るべきか、といったことに答えを見出すものでなくてはならないのである」とは、実に示唆に富んでいる。

 学問とは本来自分自身の向上の為のものである。仲間にしか通用しない夥しいコピペをSNSに貼り付けたり無言リツイートしたり、付け焼き刃の知識をひけらかし、自分自身に酔っているネット右翼や営業右翼はある意味で反面教師とも言える。

 実践の伴わない薄っぺらな請売りの主張では、世の中への警鐘どころか他人さえも、否、身内や友人さえも感化させたり、賛同させることも出来ないだろう。だが、同じ主張を繰り返し、教え続けることでその思想が自分のものとなって行く。

 愚生の場合、倫理哲学者である西晋一郎が好きで彼是と参考にしブログのタイトルにも載せている。自分自身に酔っている訳でもないが、西先生の「教えるとは実に教えられることである」を肝に銘じ、今日もまたこうして書き綴っている。呵呵。

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2024年05月18日

「四十歳迄は勝つ様に四十歳以降は負けぬ様に」

 戦国武将の武田信玄は「四十歳迄は勝つ様に。四十歳以降は負けぬ様に」と教えている。若い頃と違い、無理が利かない年齢になって頑張り過ぎて勝つことだけを追いかけてると、体力も消耗するし思わぬ大敗を招きかねない。それなりの歳になったなら「勝つことよりも負けぬことを心掛けよ」というのは大事な教えである。

 この言葉は、未だ「人生五十年」の頃の言葉だから、今の時代ならば「五十歳迄は勝つ様に。五十歳以降は負けぬ様に」ということだろうか。還暦過ぎた愚生は「戦わずして勝つ」か、否、「余計な戦いはしない」というのが分相応か(笑)

 信玄は「勝負の事、十分を六分七分の勝ちは十分の勝ちなり」とも訓えている。勝負事は、六分か七分の勝ちが好いと言うのだ。つまり、負けなしの圧勝は次への局面への対処も遅れるし、何より、身内の驕りや慢心、そして油断を齎すと諭す。

「もっと気合いを入れろ」とか「全力を尽くせ」とばかり言ってないで、「少しは休め」「明日に響くから程々に」と「六分勝ちの哲学」に学ぶ方が効果は大きい。

 美空ひばりの「柔」の歌詞に「勝つと思うな、思えば負けよ」という一節がある。勝負事は「相打ち」で好いと思っていて、気負いの無い方が気が楽になり実力を発揮するもの。斯くいう愚生の場合、勝負事といえば専ら競輪競馬くらいなもの。

 愚生からすると、ギャンブルを否定する人や競輪や競馬なんぞやったことが無い人というのは人間的な魅力を感じない。それは無難な人生を歩んで来たという如何にも安泰した生活臭が、そういう雰囲気を醸し出しているからだろうが、何事も失敗を経験し、バカな事に打ち込んだ人というのはどことなく人間味に溢れている。

 六分の勝ちという教えはギャンブルにも当て嵌まる。色川武大こと阿佐田哲也はギャンブルから学んだ人生観を相撲の勝敗に喩え、「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理が出る」と教えた。戦国武将の言葉よりも実に分かり易い。

「幸運が続き過ぎると危ない」という考えから、ギャンブルに大負けすると「ここで不運を消化しておけば安心だ」とよく語っていたというが、見倣うべき人生訓。

「満(み)つれば(か)欠くる」ともいうが、愚生の人生も40歳の頃がピークで、後はずっと欠けっぱなし。まぁ、月も三日月になってしまえば後は満ちて来るし、ツキは戻って来るものだから、今を凌げばどうにかなるだろうと楽観視している。

「勝つと思うな思えば負けよ」という。「勝とう」「勝たねば」と思うと実力を発揮出来ずに終わるということが多いが、これを「引き分けで好い」と思うと意外と気負わずに出来るもの。そんな精神的余裕が勝ちに結びついたりするものだ。

 ギャンブル依存症などは論外だが、ギャンブルを目の敵にしてる連中にもうんざり。競輪や競馬をやり乍ら全国を旅する「旅打ち」というのは精神修行でもある。阿佐田の他にも浅田次郎や伊集院静、山口瞳なんかも旅打ちを愛した作家である。

「旅先でギャンブルを行う」というスタイルは、江戸時代の博徒・国定忠治などの無宿人がそう。阿佐田や浅田、伊集院といった作家の作品がウケるのは、そうした経験から滲み出る人間性から発した生きた言葉や人生観が綴られているからだろう。

「旅打ち」にも出たいと思うが、旅打ちに持参する程の資金も無い。という訳で、軽挙妄動を戒めて暫くはブログと筋トレに専念しているしかない様だ。呵呵。

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2024年05月15日

我が国の自主防衛を語らない沖縄左翼は中共の単なる駒でしかない

 5月15日は「沖縄本土復帰記念日」である。沖縄県が本土復帰する前に、当時の佐藤栄作首相が発した「沖縄が帰らずして日本の戦後はない」との言葉は、当時は未だ小学生だった愚生にも大きく響き、その記憶は決して消えることはない。

 戦後、米国に統治されたのは沖縄だけではない。伊豆諸島は終戦翌年の昭和21年3月22日に、トカラ諸島は昭和27年2月10日に、主権回復した翌年の昭和28年12月25日には奄美諸島が、昭和38年6月26日には小笠原諸島が本土復帰した。

 言い方は悪いかも知れないが、これが米国の統治だったから好い様なもので、旧ソ連(ロシア)に侵略され不法に強奪された南樺太や全千島列島は未だに返ることはなく、旧島民の方々が故郷へ帰ることすら儘ならないことを思えば恵まれている。

 沖縄では「米軍基地反対」さえ叫んでいれば平和が訪れると思っている県民も少なくないが、「反基地運動」にしても米国だから許されているとは思わないか。

 沖縄県から米軍の撤退はイコール中共からの併呑を意味する。米軍撤退を叫び自衛隊に拠る自主防衛を訴えるなら未だしも、沖縄左翼は自主防衛は全く語らない。これつまり、沖縄左翼は沖縄併合を謀る中共の単なる駒でしかないということだ。

 沖縄県全体がきちんと突き詰めた議論が為されない儘に、安っぽい平和主義と過剰な被害者意識から、日本政府と米軍にその批判の矛先が向けられている。

 沖縄県内では安全保障という正論を語れる雰囲気は無く、唯単に「反日」や「侮日」で結託し、罵詈雑言を浴びせかける隣国と同じ構図と実に似ている。

 地理的に日本と支那の中間に位置する沖縄は、日本から見れば同じ日本人だが、支那や沖縄から見れば寧ろ支那と同族の関係にあった。住民は日本本土から南下し住みついた日本人と、ポリネシア系や台湾系、支那華南系だとされている。

 明朝時代には日本ではなく、明朝に入貢して琉球国・中山王として冊封を受け、奄美大島から先の宮古・八重山迄の領域を支配する中央集権国家を築いた。

 日本への使者の派遣は室町時代になってからだった。徳川幕府の命令で島津藩が琉球に出兵し、奄美大島を直轄化した歴史はあるが、琉球はその後に支那大陸に誕生した清朝の冊封も受けており、日本と清の両属の二股外交の立場を採った。

 琉球は日本文化が拒絶した宦官制度を導入していたことでも支那との関係が深く、また日清戦争の際には日本派と清国派が乱闘を演じたことは歴史的事実。

 日本に帰属し乍ら、「日清両属」を主張する琉球を沖縄県として統合した「琉球処分」は、日本の国土統一を進める明治政府にとって不可避の課題だった。

 明治5年、明治政府は琉球藩を設置し、琉球王の尚泰を藩王に任命する。明治12年には「廃藩置県」の通達に由り、首里王府を解体し沖縄県を置いた。

 然し、清国はこの琉球処分に対して猛反発する。清国は、東京や北京で沖縄の分断工作を謀ろうと琉球処分を国際問題化させる。清朝の摂政・恭親王と直隷総督・李鴻章は、北京訪問中のグランド元米国大統領と会見し、琉球問題の仲介を依頼する。

 その後、日本を訪問したグランド元大統領は、伊藤博文と西郷従道と栃木県日光で会談することとなるが、逆に清朝の旧態を批判し、日本を支持したのだった。因みに、グランド元大統領は英国でも「琉球処分」での日本の論拠を擁護している。

 日光での会談後には、東京でも日本政府とグランド元大統領との会談が持たれることとなり、その会談には畏くも明治天皇も御臨席遊ばされている。当時の日本外交は、現在の場当たり的な外交ではなく用意周到に展開されたことを窺わせる。

「琉球処分」後も、沖縄本土では親清派の「頑固党」と親日派の「開化党」との抗争が絶えなかったが、その後に勃発した「日清戦争」で我が国が勝利すると、親清派(頑固党)は沈黙し、初めて沖縄が静穏に発展し軌道に乗ったのである。

 国内では相変わらず親中派や沖縄左翼が沖縄を攪乱しているが、これは過去の琉球処分への報復が着々と謀られているということでもある。過去に民主党政権下で奨められた「沖縄ビジョン」はその最たるもので、その首謀者は中共である。

 その革命運動の序章が米軍基地反対運動であり、平和の邦・沖縄という無防備の邦の演出である。自主防衛を語らない反基地運動は正に無防備の害そのもの。

 自主防衛を否定する現憲法を「平和憲法」と騙り、安っぽい平和主義を翳すことこそが戦争を誘発する最大の危険要因となることを思い知るべきだろう。

 三島由紀夫は、「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたが、蓋し正論である。日頃、軽々しく「平和」を訴えている政治家こそが政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因となる。

 今の時代「平和」とは唱えるものではなく、またいつまでも米国に依存すべきものでもない。「平和」とは自らが命懸けで創り出さねばならないものである。

 沖縄では未だに「日本は沖縄を見捨てた」だとか「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵であった」などとの声を耳にする。だが、沖縄と祖国日本を救う為に、尊い命を捧げてくれた英霊が存在していることを忘れてはいけない。

 先の大戦での「沖縄戦」に於いて、日本軍は劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華している。

 沖縄全体がきちんと突き詰めた防衛議論が為されない儘に、安っぽい平和主義と過剰な被害者意識から、日本政府と米軍にその矛先が向けられているが、いつまでも被害者意識では自らの命を犠牲にした英霊にどんな顔向けが出来るというのか。

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2024年05月14日

日本人必読の名著である「言志四禄(佐藤一斎)」に学ぶ

    少(わか)くして学べば、即ち壮にして為すことあり
    壮にして学べば、即ち老いて衰えず
    老にして学べば、即ち死して朽ちず。(言志晩録六十条)

 誰もが知るこの有名な詩は佐藤一斎の「言志四録」の一節「三学戒」の訓えである。生涯に於いて、学ぶことの重要性を説いたものだ。 「言志四録」とは、「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋(てつ)録」の四書の総称のこと。

 佐藤一斎の名を知らなくても、その門下生の多さに驚く。朱子学と陽明学を教えた一斎の門下生は数千人に及び、朱子学としては、愚生の地元郡山が生んだ偉人、安積艮斎(あさかごんさい)始め、大橋訥庵、中村敬宇(正直)などがいる。

 陽明学者としては、佐久間象山を始め、山田方谷、横井小楠、渡辺崋山。 その佐久間象山門下から勝海舟、吉田松陰、小林虎三郎、坂本竜馬などの傑物が輩出し、吉田松陰門下生には高杉晋作、伊藤博文以下錚々たる面々が連なっている。

 維新の立役者であった西郷隆盛は、一斎の直接の弟子ではなかったが「言志四録」を座右の銘としていた。「言志四録」の魅力は箴言が多いところだろう。

 例えば、「人が学問をするに当たって師とすべきものは、『天』『人』『経』の三つがあると教える。その中で最上は天を師とすることであり、次いで立派な人を師として習い、その次は賢人の書を師として学ぶことである。(言志録・二条)」

 愚生に師と呼べる人はいなかったし、天を師とすることなど無理。せめて好い書に触れて、またその人物に近付こうと努力する。「人真似上手は個性を創造する」という様に、憧れの人の立居振る舞いや思想などを真似てみることも大事である。

 イチローにしろ、大谷翔平にしろ、最初から一流ではない。懸命に学ぶ上で、理想とするプレーを真似たに違いない。そして自分のものとして創造し今がある。

「全て事業を為すには、天の意に従う敬虔な心を持つ事が必要である。功績を人に誇示し、自分の存在をひけらかす気持ちが有ってはならない。(同三条)」 。武士道で一番嫌われるのは「衒学」という。つまり、ひけらかすことは武士道に悖る。

「人は生まれつき『仁』『義』『礼』『智』『信』を備えているのだから、この五常を極め尽くすべきである。また『孝』『悌』『忠』といった職分が有るのだから、これらを当然の義務として実践すべきである。(同八条)」という。

 現在はその性善説が怪しい。日本国憲法でも「平和を愛する諸国民の公正と信義」を重んじているが、生まれつき五常が備わっていない日本人が幅を利かせる。

 同三十条では、「自分の過失を責めることに厳しい人は他人の過失を責める場合も厳格であり、他人を思いやることの寛容な人は自分にも寛容である。教養の有る出来た人は、自分を責める時は厳しく、他人を責める場合は寛容である」と説く。

 我が国の政治の世界は全くこの逆で、他人を責めるのは厳しく、自分には大甘な判断ばかり。「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋録」は千三百三十条もあり、限がないので、政治家の心得として知っておくべき五つの事項を記そう。

 第一は軽量で、財政上の軽量を計ること。
 第二は時勢で、時代の動向を見抜いて事を行うこと。
 第三は寛容で、人に接するに心が広く温厚なこと。
 第四は鎮定で、争乱を鎮めて平和を保つこと。
 第五は寧耐で、心を平静にして、よく忍耐すること。

 そして、「賢明な人を採用し、心の曲がった人を遠ざけ、農業を奨励し、税金を軽くし、贅沢を戒め、倹約を重んじ、老人を大切にし、幼児を慈しむなど、何れも必要なことで誰もが知っていることである。(言志後録・七九条) 」と説く。

 言志耊録に「寒暑、栄枯は天地の呼吸なり、苦楽、栄辱は人生の呼吸なり」と在る。人生は良い時もあれば悪い時もある訳で、だからこそ人生は愉しいのだ。

 人間関係というのは、往往にして良い時だけは付き合うが、悪い時や悪い部分を指摘されたりすると、徐々に離れて行く場合が多い。良い時も、悪い時も同じ態度で接してくれた人だけ信じられる。古典は人生での大事な価値を教えてくれる。

 夫夫の年代に合わせ、悩んだ時や、人生に疲れた時などに一斎の書を読むと元気を与えて貰えるに違いない。「言志四録」もまた日本人必読の名著である。

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2024年05月13日

文章の極意は難解なものは易しく、易しいものは格調高く(伊藤仁斎)

 儒学である「論語」「孟子」は、浅学な愚生には哲学的過ぎて理解し難いものがある。儒学を「日本の儒学」に確立した人物が伊藤仁斎である。仁斎の儒学は、同じ儒学の朱子学とは一線を画し、庶民でも理解出来る様にと易しく説いている。

「読書百編義自(おのずか)ら見(あらわ)る」として「論語」「孟子」を読むのも好いが、儒学の入門書として仁斎の「童子門(どうじもん)」に優るものはない。

 真理の道は「仁・義・礼・智」であり、聖人(孔孟)は善を成し、悪を遠ざけ、徳を磨く様に勧め「忠・信、敬・恕」も人間の本性の善を維持する拠り所となる。

「童子門」では、「仁」とは、徳のうちでもっとも最大最高のものであると説く。「仁」について、「これを一言でいうなれば、愛そのものである。それは君臣の関係に於いては義といわれ、父子では親といわれ、夫婦では別といわれ、兄弟では序といわれ、朋友では信といわれるが、みんな愛から発したものである(三十九条)」

 仁斎は、寛永四(1627)年、京都の材木商の子として生まれた。石田梅岩と同じく町人出身ということが影響しているのだろう、その教えは実に分かり易い。

 仁斎が登場するまで、日本の儒学は朱子学の独壇場であったが、仁斎はこれを孔孟説を歪曲するものとして「論語」「孟子」に戻ることを提唱したのである。朱子学が全盛の時代に「論語・孟子以外は無用」というのも勇気ある提唱であろう。

「論語」も「孟子」は、各章薀蓄のある名句が並ぶが、理解し難いものが少なくない。だが、仁斎の「童子問」を読むと孔孟の言葉が理解した気になるのは不思議だ。仁斎こそ、大陸の儒学を「日本の儒学」として確立したというのを理会する。

 今日でも大学教授や売文屋らが書いた儒学の書物に目を通すと、やたら難しい言葉を羅列し自分に酔っているが、結局は何を言いたいのか分からないものばかり。右翼人の中にも、四書五経を然も自分の思想であるかの様にひけらかす輩がいる。

 請売りばかりで自分の言葉になっていないから相手に響かない。武士道で一番嫌われるのが「衒学」だが、真に学問を積んでいれば衒学臭くはないものだ。 

 仁斎はこういうものを「邪説」を振りまく輩と喝破し、「難解なものは易しく、易しいものは格調高くというのが文章の極意である」と説いている。弟子に「先生の説は余りにも卑近過ぎて平俗過ぎるのではないですか」と問われ、こう答えている。

「卑近で平俗ということは常識ということである。常識こそ真理なのだ。難しくて高邁なものは空理空論である。学問とは世の為人の為に役立つものでなければならないのだから、卑近であるのが当然である。日常生活を軽視する者は道を究めることは出来ない。(二十四章)」。「卑近であるのが当然である」とは蓋し正論である。

「童子問」を読むと、解り難かった論語や孟子(儒学)が親しみ易くなるのは、これこそ仁斎の趣意であり、童子門が日本独自の儒教と謂われる所以なのである。

 本来、学問とは他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかといったことに答えを見出すものでなくてはならないという。

「石門心学」の祖といわれている石田梅岩は、学問とは「人倫を明らかにし、身を敬み、義を以て君を尊び、仁愛を以て父母に事え、信を以て友に交わり、広く人を愛し、貧窮の人を憐み、功あれども伐(ほこ)らず、万事約を守り、家業に疎からず、入るを量って出すことを知り、法を守って家を治めること」だと訓えている。

 吉田松陰は、「学問をする眼目は 自己を磨き自己を確立することにある」と訓え、頭山満も「沈勇を心掛けよ」と訓えている。学ぶことで自分自身を鍛え上げることが、自然に相手や周りまでも好い影響を与えるものとなるという。

 右翼のカリスマと言われた野村秋介は、「人を動かすものは決して理論などではなく、自分の謙虚な反省に基づく人間性以外にあり得ない」と教えていたが、学問や理論や何をするにも、やはりその人となり、人柄が大事なのは言うまでもない。

 愚生も含め、右翼が日本人としての正論を語っているのに世間から忌み嫌われるのは、人となりに問題があるのだろう。先ずは人格形成の向上を図り、志を内に秘め、一維新者として斯く生きるべきかということを学ばねばならないと痛感する。

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2024年05月11日

「ノモンハン事件」を始め捏造された歴史を鵜呑みにしている日本人

 昭和14年(1939年)5月11日、蒙古との国境ハルハ河を越えて蒙古兵が満州国側のノモンハン地区に侵入する。所謂「ノモンハン事件」である。日本軍はこれを撃退したが、蒙古軍は駐留ソ連軍と共に再三に亘り侵入を繰り返した。

「ソ連軍は大量の戦車を含む大兵力を動員してハルハ河を越えて侵入し、ここで大激戦が展開されることとなった。8月20日には、ソ連軍は10万近い軍を動員し、2万人弱の日本軍に対し総攻撃を仕掛け、日本軍は大打撃を被った」

 これが日本人の信じるノモンハン事件概要である。歴史探偵を自任する半藤一利や司馬遼太郎もそうだし、五味川純平なんぞはその最たるもの。何しろソ連の公式発表した日本軍の損害は52000人、ソ連軍9284人との数字を真に受けている。

 昭和12年に始まった「日支事変(支那事変)」から2年後、何故に満州と蒙古の国境ノモンハンで、突如として日本軍とソ連軍との激戦が発生したのだろうか。

 実は、この事件が起きる1年程前にソ連は、ソ満国境の張鼓峰で侵入事件を起こしており、この事件で日本軍はソ連側に5500人の大打撃を与えて撃退している。だが、日本軍がソ連領に侵入して来ないことをスターリンは見逃さなかった。

 ソ連がナチスドイツに勝利出来たのは、この張鼓峰侵入事件でのスターリンの判断に拠るところが大きい。歴史に「もし」は無いが、あの時、日本軍がソ連に更なる猛攻を仕掛けていれば、ドイツと共にソ連共産党を打ちのめしていただろう。

 希代の悪党で戦略家のスターリンは、ヒトラーのソ連攻撃を予測して、東側からの脅威を除く為に日本と中華民国とを戦争に引き込むことに残力を挙げうことでそれに成功した。第二次世界大戦が共産主義に因る策謀だった証左の一つであろう。

 盧溝橋事件や上海事件では策謀に成功したが、予想外に日本軍が強い。そこで日本側がどう出るかを偵察したのが「鼓張峰事件」と「ノモンハン事件」だった。

 ノモンハン事件でソ連は、日本との「停戦合意」が成立した翌日の9月17日に、スターリンはポーランド侵攻を命じ、ソ連軍はポーランドに侵入を謀っている。また「ノモンハン事件」は共産主義者に因って悪宣伝に使われたのは周知の通り。

「貧弱な装備で旧式戦法の日本軍が、ソ連の進んだ機会化部隊に完膚無きまで叩きのめされた」と日本軍を貶して自国の軍隊の勇ましさを喧伝するプロパガンダ。悲しい哉、日本人の多くは未だにそうした捏造された歴史を鵜呑みにしている。

 ソ連が崩壊し、戦中の情報公開されて判ったことは、ソ連の損害は26000人、日本軍18000人。実はソ連の損害は日本側を大きく上回っており、然も日本軍は、ソ連の戦車・装甲車800両と航空機1673機を撃退しているという歴史的事実である。

「10万近い大兵力を動員した側は損害は少なかった」と教わったが、結果はその逆だったのだ。ということは、如何に日本軍が強かったかということの証しでもある。 抑々、歴史というものは為政者に都合の好い様に創られるものでもある。

 同じく「日中戦争は日本の侵略戦争だ」との認識が蔓延しているが、これは明らかな誤謬であり、無知に加えて戦後民主主義教育に因る自虐史観に因るものだ。盧溝橋事件は、中国共産党が起こしたことは今や100%明らかな歴史的事実である。

「日中戦争は日本の侵略だった」などという中国共産党や第五列の共産主義者どものプロパガンダをいつまで信じ続けるつもりなのか。歴史は国の大事である。大東亜戦争然り、明治開国以来の様々な歴史を再検証し、日本再建の一歩とすせよ!

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2024年05月09日

櫻井よしこら安っぽい営業保守が世論を分断する先兵となる

 営業保守の櫻井よしこは、自らが主宰するインターネット番組「言論テレビ」で、憲法改正の実現を唱える岸田文雄首相について「やることをやってきている。岸田さんの言葉と意思を信じ、とにかく背中を押すことが大事だ」と、9月の総裁選までの任期延長を実質的に容認し擁護した。櫻井ら営業保守が世論分断の先兵となる。

 櫻井よしこが共同代表を務める「美しい日本の憲法を作る国民の会」は、第九条に自衛隊を明記する必要性を強調し「自衛隊違憲論を払拭する」と意気込む。具体的には九条をその儘で遺し、新たに自衛隊の存在を明記すると主張している。

 現憲法を改正し、自衛隊違憲論に終止符を打つという。歴代自民党内閣と同じく自衛隊を巨大な警察機構と見做し乍ら、何が「美しい日本の憲法」なのか理解不能。

「取り敢えず九条改正や加憲が大事だ」と思ってる点では、護憲派の「九条の会」らと同じレベルであり、その浅はかな憲法改正には危機感を抱かざるを得ない。

 自衛隊の存在は憲法解釈ではなく、現憲法の制定過程や自衛隊の設立過程について問題提起し、国家の安全保障の在り方を国民に問いかけるべきであって、九条をその儘にして新たに自衛隊の存在を「九条の三」として明記するとは何事ぞ。

 嘗て、三島由紀夫は市谷駐屯地での蹶起の際に携行した「檄」の中で、自衛隊の存在を「警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられていない」と喝破した。自衛隊とは未だに「警察の物理的に巨大なものとしての地位」の儘なのだ。

 故安倍首相がそうだったが「国民の生命と安全を守る」と宣って憚らなかった。だが「生命と安全」を守るのは警察の仕事である。自衛隊が安全保障上の領土主権の防衛を担い、国軍として護るべきは「国柄」であり、畢竟「皇統」なのである。

 領土主権や安全保障は「国防」の一つに過ぎず、国防とは三島が教えている様に「それを失えば日本では無くなってしまうことを死守することである」。つまり、自衛隊が「国軍」であり「皇軍」で在らねばならないというのはこういうことだ。

 民族と歴史・伝統・文化、言語、歴史、価値観、慣習、宗教など、我が国の精神文化を護ることが「国防」であるなら、そうした意識や国家観が決定的に欠落している政治家が自衛隊の存在を語り、憲法改正を訴えていることに違和感を覚える。

 自衛隊が憲法九条違反の存在であるなら、天皇の御地位も怪しい。第一条で「国民統合の象徴」とはなってはいるが、共産党が存在する限り「主権の存する国民の総意」ではなく違憲の存在だろう。天皇違憲論は自衛隊違憲論どころの話ではない。

 保守派の憲法改正や皇室問題への主張や取り組みは根本的に間違っていると感じる部分が多い。況してや自民党は改憲政党ではなく、自主憲法制定派である。櫻井らの取り敢えず憲法九条改正は、現憲法の絶対化を謀る究極の護憲運動と知るべし。

 櫻井らは皇統問題でも危機感を共有して世論喚起を促している。「女性宮家創設反対」は別に問題はないが、女性皇族(内親王)が婚姻する場合、旧皇族の男系男子からの婿入り(養子)を容認しているのは、実質的女性宮家の創設ではないか。

 櫻井らの主張は保守派として一見問題は無さそうに見える。だが、GHQに強制的に臣籍降下させられた旧皇族の皇籍復帰もせずに男系皇族の婿入りを容認しようなどとは本末転倒。旧皇族の皇籍復帰は真の主権国家としての精神の再生である。

 保守派を代表する櫻井や八木秀次などの評論家や学者らの多くが、旧皇族からの婿入りを主張しているが、男系男子が拒否した場合、或いは一般人が皇室に入る可能性も否定は出来ない。こうした認識不足が反天皇勢力に付け入られるのだ。

 皇統の危機を解決するのなら、女性皇族への(実質には敬宮愛子内親王殿下)婿入りという手段ではなく、GHQに強制的に臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰の実現を図ることこそが皇統を盤石の安きに置く最善最良の策である。

 祖国日本を崩壊に導くのは左翼勢力ではない。安易な憲法改正を叫び、皇室典範に附帯し退位を強行し、瑞穂の國の崩壊を齎す種子法廃止法案を成立させ、新自由主義を盲信する政治家を筆頭に日本会議に見られる似非保守ら獅子身中の虫である。

 保守票欲しさの改憲論や靖國問題など、最近の怪しいムードの中での保守派論客の主張や議論を見ていると、神武肇国から続く万世一系の皇統が、平成の世を境に崩れて行くのではとの危機感を覚える。全愛国者よ、天壌無窮の皇運を扶翼すべし!

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2024年05月07日

再生可能エネルギー増設で「再エネ発電賦課金」が家計を苦しめる

 国内6電力会社の平均値上げ幅が圧縮されたとはいえ、家庭の電気料金の値上がりは止まらない。夏の電力消費がピークを迎える前に原発を再稼働を実現するべきだ。再生可能エネルギーが増設されるほど「再エネ発電賦課金」が増える悪循環。

 県内には、相馬市磯部地区のメガソーラー発電所を始め、福島空港周辺や二本松市加藤木地区や本宮市などで太陽光パネル発電所が乱立している。沿岸や山林に造られた巨大なメガソーラーが、美しい環境を守るどころか環境を破壊している。

 県内をドライブすると大規模な太陽光パネルや巨大な風力発電の風車を目にする。県内各地の巨大メガソーラーや郡山市湖南町の布引山、会津若松市の背炙山の巨大風車は正に圧巻だが、自然の風景と最先端技術の融合は異様な光景でもある。

 原発稼働停止で、国内の大資本から民間企業、外国資本までもが太陽光発電事業に参入した。結果は地上げ屋が跋扈し山林が売買され森が伐採されて行った。

 金儲けの為に緑豊かな森林を伐採し、荒れ地となった田畑や空き地に人工的な太陽光パネルで敷き詰められ自然の景観を損なっている。正に、バブル景気で浮かれて、麗しき森林を破壊してゴルフ場やスキー場を開発しまくった時代と同じ構図。

「友よ山河を滅ぼすなかれ」と、故野村秋介の言葉を都合好く利用して反原発を訴える新右翼がいる。彼らには、森林を破壊してまで造られる太陽光パネルや山頂や沿岸部に建てられる風力発電の巨大風車を見て、環境破壊とは感じないのだろうか。

 原発事故以来、原発への拒否反応から太陽光発電などの再生可能エネルギーが全国各地に設置されることとなった。「原発は思ってた以上にコストがかかる」という理由から、太陽光や風力発電こそが環境に優しいかの様な世論が形成された。

 原発事故を殊更に論い、脱原発や反原発から再生可能エネルギー普及を謀り、国は電力会社に太陽光などで発電した電気の買い取りを義務付けた。その一方で、月々の電気料金に上乗せすることを認める。「再エネ発電賦課金」がそれである。

 賦課金(ふかきん)とは、税金などの様に国民に強制的に割り当てられて負担する金のこと。つまり、メガソーラー発電も住宅の屋根に太陽光パネルを載せて発電している電気も結局は電力会社ではなく、一般家庭の賦課金で成り立っている。

 正に、再生可能エネルギーの普及とは、国家の基幹エネルギーを無視したその場凌ぎの原発事故に便乗した政治的策謀であった。「原発は思ってた以上にコストがかかる」と言ってたが、再生エネルギーの賦課金コストが家計を苦しめている。

 太陽光や風力に拠る発電は安価で、家庭に安く提供出来るということだったが、今や一般家庭の「再エネ発電賦課金」の負担金は5兆円以上とも言われている。当初は、月々50円程度だった負担金は年々増え続け月800円で年1万円を超える。

 国は、こうした現実を無視して2030年度には発電全体の22~24%を再生可能エネルギーで賄うことを目標に掲げている。目標達成の為には、全国にメガソーラー発電所施設を乱立させるしかない。つまりは、太陽光発電所が出来れば出来るほど一般家庭への「再エネ発電賦課金」の負担金は殖え続けるということである。

 再生可能エネルギーは福島第一原発事故を利用した反原発運動の影響が大きく、況してや太陽光パネルの多くが中国製ということもあって喫緊に見直すべき愚策である。昨今ではメガソーラーでの火災も発生しており、危険性も指摘されている。

 再生可能エネルギーは基幹エネルギーには成り得ず、再エネ発電賦課金は廃止するのが妥当。賦課金目当てで太陽光発電や風力発電でボロ儲してる事業者は造りっ放し。安全管理を放棄したこんなインチキ事業は見直すのは当然のこと。

 だが、太陽光パネル利権に群がる再エネ議連を始め、麗しき山河を破壊して迄も私腹を肥やそうとする連中が後を絶たない。再エネ議連は反原発色が強いということもあって、第2の再エネ議連を立ち上げるが、そこには岸田文雄の名前もある。

 反原発派が頻りに「原発はコストがかかる」と言ってる裏側には、再生可能エネルギー利権で私腹を肥やす議員や金儲けを企む悪徳業者らが暗躍している。

 福島県の復興と東北再生は当然乍ら、日本の国力を押し上げるには再生エネルギー政策は廃止し、技術立国日本を証明する小型モジュール炉の開発を進め、東京電力福島第二原発と東北電力女川原発などの既存の原発を再稼働するこそ最善である。

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2024年05月05日

子供いじめという漫画が「子ども」表記のバカどもをよく表現している(笑)

 5月5日は「こどもの日」。古くは、この日は菖蒲や蓬(よもぎ)を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降には、男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったのに倣い、町人の中でも武者人形や鯉幟を立てる様になった。

 昔は「端午の節句」として男子の健やかな成長を願う行事が行われていたが、いつものオバハンらが女の子への差別だと反発して今日に至る。5月5日は別名「あやめの節句」「菖蒲の節句」「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」とも言う。

「こどもの日」とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」という趣旨となっている。子供がいない人でも、自分がこの世に生まれ育ててくれた親に感謝する日でもあるのだ。

 子供の日が制定時は「親」ではなく、「産んでくれた母に感謝」ということだったが、これも前出のジェンダーフリーや男女共同参画社会の影響から、父親へ配慮し「親」となった。最近は「子供」表記ではなく「子ども」表記が氾濫している。

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 画像は「子供いじめ(クリックすると大きくなります)」という漫画。今では当たり前に使われている「子ども」表記が如何にアホらしいかが分かる。漢字表記の「子供」を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)

 平成25(2013)年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。

 現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には、「子ども」ではなく「子供」と表記すると示されている。

 マスコミを中心に、左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出していることは知らないのだろうか。自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。

「子ども」表記に固執している連中というのは、「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由である。共産党は「子供とは大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。

 何処のどいつが、子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。

「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合、「お供」ではなく「お伴」と書くことさえ理解してない。供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイどもの言いがかりであり、即ち、子供への敬意が足らない証左でもある。

 悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どということも知らないのか。

 この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を平仮名併用の「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで弄んでいると捉えられても致し方ない。

「子供」と同じく「婦人」というのも、珍左翼どもやジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもらの企てに因って公文書から消されてしまった漢字の一つである。

 これは、共産主義逞しいインチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。

 この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。然し、間もなくこの研究者の説は全く誤りだと判明する。

 甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、悲しい哉、男女共同参画社会の風潮の中でこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。

 また、男女共同参画社会で「看護婦」は「看護師」、「女優」は「俳優」、「婦人警官」は「女性警察官」、「保母」は「保育士」などとと呼ぶ様になった。

 看護師の「師」という字は、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義である。

 普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよなぁ(苦笑)

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、保守派を自任する自民党議員や保守派が「子ども」に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。

「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや珍左翼ども、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。「子ども」表記を続けてるマスコミというのは左翼どもであり、疑うことなく使ってる野郎どもは余程のバカどもと見て好い(苦笑)

「保守とは?」とよく聞かれる。正統の保守とは、我々日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度といった、先人が受け継いで来た世界の中で最も優れた精神文化を護り、継承して行く使命を有する者である。

「日本とは何か」「日本人であるとは」「日本に生を享けた奇跡」ということを考えたことはあるだろうか。欧米主導の西欧時代の終焉が叫ばれている今こそ、祖国日本について考え、日本人であるという証を示すことが保守の精神でもある。

 本来の日本人なら心の中に「日本人の魂」というものを持っているだろう。祖国日本の歴史や伝統、先人達に対する尊敬や愛着の想いである。例えば、我が国が先の戦争に負けたのであれば、その事実を限りなく口惜しいと思い、敗戦で失われたものがあるなら、それを何としてでも取り戻したいと思う日本人としての熱き心である。

 まぁ難しいことは扨て置き、正統の保守とインチキ保守を簡単に見分ける方法は「子ども」表記もそうだが、皇族に対しての「さま」付けや「天皇制」「天皇ご一家」などの共産党用語を使ってるかどうか。尊皇無き保守では欧米のソレと同じ。

 現在の我が国が直面している全ての問題は、国民の多くが「日本人であることを見失った」ことに起因していると考えている。つまり、何処で生き、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか、子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか、そうした日本人としての生き方を見失ってしまったことから、現在の混乱は起きている。

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2024年05月03日

「憲法記念日」ではなく「憲法祈念日」との名称が相応しい

 本日は「憲法記念日」。祝日法に由れば「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」。何故か現憲法を頂戴した有難い日となっている。「憲法記念日」との名称は「終戦記念日」と同じく、GHQに因る戦後民主主義教育の洗脳である。

「国の成長を期する日」であるならば、国の成長を阻害する元凶でもある現憲法を時代に合わせて見直すことは当然であろう。ならば「憲法記念日」ではなく「新憲法の制定を祈念する日」という名称こそが相応しいのではあるまいか。

 護憲派は米国の洗脳から目覚めることなく、幼稚な平和主義を掲げて護憲を叫ぶ。営業保守派や自称・愛国者らは「九条」は、領土主権を守る上でも早々に改正すべきであると主張する。どちらも「九条」こそが重要だと認識している。

 右派の謀る「取り敢えず九条の改正」にしても「九条の会」を始めとした護憲派にしても、第九条が本丸と思っている点では同じ穴の狢というのが正しい。

 現憲法は最早、国の最高法規として機能しておらず「矛盾だらけのクソ憲法」と化している。矛盾の最たるものが第九条だが、自衛隊の合法化を理由に右派が改正を訴え、誤憲派は軍事放棄の安っぽい平和主義から「平和憲法」と信じて疑わない。

 現憲法前文では「平和を愛する諸国民の信義と公正」を重んじている。つまりは「悪いことをする者(犯罪者)はいない」という前提で憲法が制定されている。

 この前文を遵守すれば犯罪者が出ることもなく、拠って警察も必要ないのだが、現実には協力な警察組織という力に拠って治安や公共の福祉が守られている。

 憲法とは「法律」ではなく、国家・民族の理想を留めた「法」である。法律では無い故に条項に違反したとしても罰則規定はない。憲法に書かれてあるのは国家の国民の理想であり、それを基に現実に法整備を整えて対処するのが政治である。

 然らばこの国家の基本法が間違いだったり、時代遅れならば政治も混迷を深めるのは言わずもがなだろう。現在の政治の混迷の元凶は現憲法に在るのは明らか。

 戦後80年経ち、現憲法は改正では危機的状況や諸矛盾からは脱却不可能な状況である。早急に破棄し、自主憲法を制定する以外に無いが、新憲法は国家の宝とも言うべき大日本帝国憲法(欽定憲法)を復元し、時代を鑑み改正するのが最良である。

 本日は全国各地で憲法改正派と護(誤)憲派が集会を催す。保守派を中心に悲願の憲法改正に躍起だが、改正するも護るのも亡国への道である。どちらも「九条こそが重要だ」と認識しているが、目指してる方向が同じことに気付くべきだ(苦笑)

 右翼陣営の中には少なくなりつつはあるが、「憲法改正」と「自主憲法制定」を一緒くたにしている者も少なくない。「自主憲法制定や欽定憲法復元改正なんてとてもじゃないが無理。だったら取り敢えず改憲を目指すべきだ」という声も多い。

 保守派も同じで、日本会議がそうだし、党是である新憲法の制定を目指すのではなく「九条」改正を謀る安倍自民党も同じ認識。「第九十六条改正」を目論み、ているのであれば、その手法は姑息であり、誤りであると言わねばなるまい。

 九十六条の改憲発議条項を緩和するということは、万が一、共産党などの革命亡国政権が樹立した場合には危険も孕んでいることを須らく自覚した方が好い。

 国體と皇統を護り抜く上でも、「第一条」に対する共産党の、「我々が天皇制に反対していることを以ても国民の総意ではなく、つまり天皇の存在は違憲である」という屁理屈を指弾しなければならない。九条より第一章の「天皇」の章を見直せ。

「女系天皇」論や「女性宮家」に通じかねない「第二条」や八条までの「天皇の章」を議論することに拠り、現憲法の不条理と不当性を明らかにするべし。

 現憲法は「米国の押し付け憲法」と言うのは容易い。現実は大日本帝国(明治欽定)憲法第七十三条に拠る改正であり、建前は日本人が現憲法を制定したことになっている。昭和二十年十一月三日の公布式に於いて、昭和天皇はこう裁可為された。

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる 御名御璽」

 当時、我が国は連合国の占領下に在り、政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが制定時の真相である。

 現憲法がこの様に旧帝国憲法の改正であるならば、現憲法は姑息な改正ではなく、旧帝国憲法を復元し、現代に即し改正することこそ我が国の執るべき道である。

 憲法記念日の趣旨は「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」。何故に米国製の憲法を祝い、歴史の思い出として記念しなければならないのか。

 真に我が国の成長を期するならば、先人の智慧の結晶であり、我が国の正統な国法である旧帝国憲法の復元改正を急ぐべきである。5月3日とは「真の日本国憲法の制定を祈念し、国の成長を期する日」として「憲法祈念日」との名称に替えよ。

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2024年04月29日

「昭和の日」に思う

 本日4月29日は、昭和天皇の御遺徳を偲ぶ「昭和の日」、28日の「主権回復記念日」に続き慶賀が続く。未だ国内に、昭和天皇に対して「戦争責任」などとの戯言を垂れ流す日本人らしからぬ輩が存在するのは自虐史観の洗脳に因るものである。

 欽定明治憲法下に於いては、国務は国務大臣並びに統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっており、陛下には法的に責任は無い。

 然し乍ら、戦争が長期化し国民への被害の拡大に胸を痛め、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇御自身であり、終戦の詔勅に於いて「五内為ニ裂ク」と仰せられたことでも分かる様に、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。

「昭和」も今や三代前の元号となった。昭和とは四書五経の一つである「書経尭典」の「九族既睦平章百姓百姓昭明協和萬邦(九族既に睦まじくし て、百姓を平章す。 百姓昭明にして、 萬邦を協和す)」に由来し、国民の平和と世界の共存繁栄を願う意味が込められている。正しく、昭和とは元号の名の通りの時代だった。

「昭和の日」とは昭和天皇の御遺徳を忍びつつ、改めて「大東亜戦争の大義とは何だったか」とあの激動の時代を振り返り、「平和とは何か」を考える日でもある。

「自存自衛と大東亜の開放」を掲げて戦われた先の大東亜戦争を、世界の国々は評価しているにも関わらず、国内では自虐史観から目覚めることなく、「侵略戦争」と断じ、現代の倫理観や安っぽい平和主義から「間違った戦争だった」と一方的に反省することに意味があるとは思えない。では、世界では先の日本の戦いを如何に評価し、どの様に受け止められているのだろうか。その 一部だが羅列してみよう。

「第二次世界大戦で、日本人は日本の為というよりも、寧ろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大な歴史を残したと云わねばならない」(アーノルド・J・トインビー(イギリスの歴史学者)) 。「日本の敗戦、それは勿論東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた」(ジョイス・C・レブラ(コロラド大歴史学教授)著書、東南アジアの開放と日本の遺産) 。「日本占領軍が、インドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは、正規軍や軍事組織を創設してそれに訓練を与えたことである」ジョージ・S・カナヘレ(政治学博士) 。「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人で、日本は敗戦はしたが、その東亜の開放は実現した。日本の功績は偉大である」(サンティン、アムステルダム市長)

 タイの元首相・ククリットプラモードは「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、米英と対等に話せるのは誰のお蔭か。それは、身を殺して仁を成した日本というお母さんがあった為である」と語っている。

 マレーシア上院議員のラジャー・ダト・ノンチックやインドのラダ・クリシュナン大統領、スリランカのジャヤワンルデ大統領、ビルマのバー・モウ首相、シンガポールのゴーチョクトン首相。キューバのカストロ首相やチェ・ゲバラ・・・。

 我が国を讃えた外国人も数多く、「大日本」「日本精神」の著者モラエスや、日本の文学作品を残し、本当の日本を世界に伝えた小泉八雲(アフカディオ・ハーン)もその一人である。アーノルド・トインビーは伊勢神宮を参拝した際に、「この聖なる地域で、私は全ての宗教の根源的な統一を感じた」と喫驚したという。

  アインシュタイン博士は、日本への思いを「世界の将来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返され、最後には戦いに疲れて必ず真の平和を求めて世界的盟主を挙げねばならぬ時が来るであろう。(略)世界の文化はアジアに始まりアジアに帰り、それはアジアの高峰『日本』に立ち戻らねばならぬ。我々は神に感謝する。天が我等の為に日本という尊い国を創ってくれたことを・・・」と述べている。

 東京裁判で大東亜戦争を「侵略戦争」と断じたウエップ裁判長も後に、「天皇は神だ。あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは神でなければ出来ない」と驚嘆した。やはり我が国は神の国であり、昭和天皇は現人神であらせられたのだ。

 昭和天皇崩御での服喪国は34ヵ国に及び、大喪の礼には実に193ヶ国国の元首や代表が集まったことは、歴史上空前の出来事だった。正に昭和天皇はアジア、そして世界の救世主であらされたのである。すめらみこといやさか 天皇陛下万歳

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2024年04月24日

たった90人足らずで「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」だってさ(苦笑)

 靖國神社春季例大祭最終日、恒例となった超党派の議員連盟「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」のメンバーが靖國神社へ集団参拝した。国会議員約720人いる中でたった90人足らず。恥ずかしくもなく、何が「みんなで」だ(苦笑)

 この超党派グループの靖國参拝は保守票を狙ったパフォーマンスでしかないが、こんなことでは靖國神社の国家護持は愚か、陛下の御親拝などは夢のまた夢。

「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」なんぞ解散するか、靖國神社の宗教法人格を見直す為の「靖國神社法案を成立させる国会議員の会」に変更しなさい。

 世間では首相の参拝を熱望する声が絶えないが、容共逞しい岸田は中韓に配慮し、安倍政権以来恒例となった真榊奉納で事を濁した。岸田らしいヘタレぶり。

 現憲法20条第3項には「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されている。つまり総理や国務大臣の靖國参拝は第20条違反であり、それを認識してるからこそ「個人」としての参拝を強調するのだ。

 また、最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれる。つまりは「A級分祀論」なども第20条違反に問われる行為でもある。

 抑々、我が国には「A級戦犯」を始め「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」という呼称はない。「戦犯」という名称は戦勝国である連合国側が定めた蔑称である。

 講和条約発効翌年の昭和28年に召集された第16国会に於いて、全会一致の議決に拠り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正された。この議決を以て全ての戦没者は法的に復権されているのであって「戦犯」と呼ぶことは国会軽視そのもの。

 A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称されており、靖國神社では「昭和殉難者」として御祀りしている。それにも係わらず国会議決を無視し「戦犯」と言い続けることは、東京裁判史観を妄信してる証左である。

「分祀論」こそ非常識且つ無責任な愚論であるのだが、こうした主張が左翼政党ではなく、自民党など保守を標榜する議員から発せられること自体が恥ずかしい。

 石破茂や前原誠司らA級分祀論者らは、「A級戦犯分祀が実現すれば天皇陛下が御親拝出来る環境が整う」などと、畏れ多くも陛下を利用して国民を誑かしている。

 天皇陛下が御親拝せられなくなった理由は、A級戦犯合祀が理由ではない。陛下の御親拝を妨害しているのは、石破ら不逞の政治家も然ることながら、国體破壊を目指す官僚どもと宮内庁に因る妨害工作である。今回の退位特例法案も同じ流れだ。

 一旦緩急の際に国家の為に尊い命を捧げた人々の御霊を奉斎する靖國神社を、国家の責任で護持することは余りにも当然のことで論議の余地などあるまい。

 戦前はそれが厳守され、国民挙って護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは靖國神社の大祭に限り、天皇陛下が御親拝せられたことだ。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはなかったのである。

 靖國神社問題を解決するには、靖國神社の「宗教法人格」を見直せば済むことだ。憲法改正は別に第9条ばかりではなく、こうした問題も提起するべきであろう。

 靖國神社は現在「宗教法人」となっているが、これは占領下、国家と神道の分離を謀ったGHQの「神道指令」に因って、靖國神社の存続に苦慮した当時の政府や神社関係当局の緊急避難行為というべき措置であって、その実態は宗教ではない。

 宗教とは「教祖・経典・布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無い。唯、祀りの様式を神道に則って行っているに過ぎない。

 自民党は過去に選挙公約の一つとして「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」という政策を幾度となく掲げて来た。

 政権政党として至極当然の認識と政策であろう。だが、自民党は過去に幾度も安定多数の議席を確保し乍らもその公約は実現することなく、昭和49年の参議院での審議終了を理由にした廃案以来「靖國神社法案」は提出されることは無くなった。

 安倍政権下では「退位特例法」の成立を謀り、天皇の大権である元号制定権を簒奪し、践祚改元奉告祭を無視し新元号公布した。菅政権でアイヌ新法を成立させ、岸田政権はLGBT法を成立させ、移民受け入れを謀る。この何処が保守政党なのか。

 政治家は戦没者の追悼を口にするが、靖國神社は追悼施設ではなく、国家に殉じた戦没者の顕彰を重んじる神社である。陛下の御親拝や首相や閣僚の靖國参拝を実現するには、靖國神社の宗教法人格を取っ払うしかないのだが、そんなことさえ知らない議員どもは端から靖國神社法案を提出する気も成立させる気も全く無い。

 真に英霊の顕彰を図るなら「靖國神社法案」を再提出し、靖國神社国家護持と陛下の御親拝に向けての道筋を付ける為に政治生命を賭けるべきだが、超党派で90名ほどでは心許ない。尤も、此奴らも保守とは言い難いインチキばかり(苦笑)

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2024年04月23日

米韓の戦没者墓地を訪問した岸田文雄首相は何故に靖國神社には詣でないのか!

 靖國神社春季例大祭第二日祭に参列予定だったが諸般の事情で欠席した。歴代の総理大臣は春秋の例大祭に参列するのが恒例だったが、8月15日に三木武夫が靖國神社に参拝して以来、中韓からの抗議もあって靖國神社が政治問題化してしまった。

 岸田文雄首相は春季例大祭に参拝することなく、安倍晋三元首相以来恒例となっている真榊の奉納で事を濁した。保守派などからは総理大臣の靖國神社参拝を熱望する声が絶えないが、総理及び国務大臣の参拝は憲法第20条に抵触する行為でもある。

 抑々、英霊へ感謝の誠を捧げ顕彰することを現憲法で語ること自体がマヌケだが、閣僚が参拝すると当事者や官房長官らが頻りに「個人的参拝」を強調するのは「宗教法人への参拝は現憲法に抵触する」との認識を共有しているからに他ならない。

 靖國神社参拝を語る際に、所謂「A級戦犯分祀論」が聞かれるが、分祀論も同じく靖國神社側への政治介入並びに威圧行為であり、憲法第20条違反に問われるのは最高裁の判例が示す通り。要は、靖國神社が宗教法人ということが問題なのだ。

 作家の門田隆将がX(旧twitter)で「韓国の国立墓地・顕忠院や米のアーリントン墓地には行っても絶対にペリー来航以来の国事殉難者246万6千人が祀られている九段の靖国神社には行かない岸田首相。国家観も歴史観も持ち得ない政治家が国際社会で軽んじられるのは当然。悲願の総理にはなったのだから、これ以上日本を崩壊させる前に引退を」とツイートしたら、次の様なコミュニティノートが貼り付けられた。

「韓国の国立顕忠院や米国のアーリントン墓地はそれぞれ国営施設ですが、靖国神社は一宗教法人の施設ですので対比としては不適切です。日本国営の戦没者慰霊施設としては千鳥ヶ淵戦没者墓苑がありますが、岸田首相は終戦の日にこちらを訪問し、総理大臣として参拝を行っています。本ポスト主は過去の投稿から安倍元総理の支持者である事が伺えますが、安倍元総理も岸田総理同様、韓国訪問時に国立顕忠院、米国訪問時にアーリントン墓地を、終戦の日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪問していました」。保守派への実に嫌味な意見だが、要は「靖國神社は、アーリントン墓地や顕忠院の様な追悼施設ではない」という認識である。この認識は強ち間違いではない。

 悲しい哉、多くの国民にとって靖國神社は追悼施設だと思っているのも確かである。だが、靖國神社は追悼施設ではなく、戦没者の功績を顕彰する神社であり、「顕彰」とは、生前の功績や善行などを称えて広く世間に知らせることである。

「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。「慰霊」とは霊魂を慰めること。英霊は神なのだから哀悼の意はそぐわない。

 靖國神社は追悼施設ではなく、国家に殉じた戦没者の顕彰を重んじている神社であるということを理解していないからこんなことが罷り通る。近所の神社に参拝して神に哀悼を捧げるか。日々の暮らしに感謝して首を垂れる。靖國神社も同じだ。

 政治家は、遺骨が納められてる千鳥ヶ淵墓苑をアーリントン墓地や顕忠院の様に国立戦没者墓苑にし、そちらに行きなさいな。靖國神社に参拝しない議員よりマシだが、政治家は靖國神社に関わって欲しくは無いというのが正直なところ。

 大東亜戦争という国難に当り、国家の為に尊い命を捧げた方々を奉斎する靖國神社を国家の責任で護持することは余りにも当然のことで論議の余地などない。

 戦前はそれが厳守され、国民挙って護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは靖國神社の大祭に限り、天皇陛下が御親拝せられたことだ。

 聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはなかった。靖國問題は「宗教法人格」を見直せば済むことなのに何故か手を拱いている。

 靖國神社というのは戦後、GHQの統治下で行われた「神道指令」に因って、解体や焼き打ちされそうになったのは有名な話し。当時の関係者がGHQの目を逸らす為に一時的に英霊ではなく別な御祭神を祀り「一宗教法人」として存続を図った。

 本来ならば、昭和27年4月28日に我が国の主権が恢復した折に、靖國神社と全国の護国神社は「宗教法人」ではな国家で管理するべきだったのだが、政治の怠慢に加え、歴代の政府自民党の無作為で国家護持が成されずに現在に至っている。

 靖國神社の国家護持を図る上で、先ずは靖國神社の宗教法人格を外すことから進めるべきだ。自民党は過去に、衆参両院議員選挙の際のその公約の一つとして「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」という政策を幾度となく掲げて来た。政権政党として至極当然の認識と政策であったと思う。

 だが、過去に幾度も安定多数の議席を確保し乍らもその公約は実現せず、昭和49年の参議院での審議終了に拠る廃案以来「靖國神社法案」は提出されることは無くなった。これ即ち、自民党が保守政党をとしての矜持を放棄したということだ。況してや「反靖國」を標榜する公明党との連立が続く限り靖國問題は解決を見ない。

 自民党内保守派の「保守団結の会」や「日本の尊厳と国益を護る会」及び、超党派の「みんなで靖國神社へ参拝する会」が共闘し、再び「靖國神社法案」を提出可決し、靖國神社の宗教法人格を外すことで不毛な靖國論議に終止符を打つべし!

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2024年04月19日

法務大臣は刑事訴訟法に則り死刑確定から6ヶ月以内の執行を推し進めよ!

 死刑囚へ死刑執行当日に通知するのは違法として、死刑確定囚2人が国を相手取り2200万円の損害賠償と通知当日に執行しない様に求めた訴訟で、大阪地裁は請求を退けた。当然の判決だが、死刑囚を支援してるのはいつもの香ばしい連中。

 死刑囚を利用した死刑反対派の訴訟に拠って、死刑執行する刑務官の精神的負担が増えて、執行自体を躊躇することがあってはならない。また、死刑執行で心理的不安や負担を抱えるというが、そんなのは刑務官に向いてないから辞めた方が好い。

 刑事訴訟法では、死刑確定から6ヵ月以内の執行を定めており、6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し「法相の命令から5日以内に執行されなければならない」と定められている。だが、この規定通りに行われることはない。

 我が国の死刑制度というのは、明治時代の「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして成立したものでもある。明治6年2月、当時の司法卿であった江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第三十七号)」を発令した。

 幕末から維新期には、藩の派閥や新政府への政論の対立に因る暗殺とその報復という面があったことから、この種の紛争を断ち切る為のが目的に創られた法律である。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」が発布、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

 現代でも「死刑制度」を容認する国民が8割以上いるのは、「国家が遺被害族に代わって遺恨を晴らして欲しい」という気持ちの顕れであり、その心情を汲むのが法務大臣である。断じて地味な役職ではなく、死生観を常に持つべき役職である。

 死刑廃止論者は「国際人権基準」がどうだとか、「非人道的」だとか「生きる権利の侵害」や「資料を精査する十分な時間があったとは思えない」と、然も正論の如き主張を繰り返しているが、被害者側に立った意見は殆ど聞くことはない。

「死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべき」という意見は少なくない。日本の死刑制度ばかりが問題にされるが、逮捕され公正公平に判決が下されていることは、司法取引や冤罪が罷り通る死刑廃止を導入している国とは根本的に違う。

 死刑廃止の理由として挙げられる理由は、「冤罪の疑い」や「法に拠り国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」とか「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」など様々だ。

「冤罪」というのは、袴田事件を見るまでもなく取り調べの中で確かに有り得なくはないが、それは警察捜査の傲慢さと科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆ど。冤罪などの疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけの話しだろう。

「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、正義をそんなものに与する方が大きな間違いである。

 左翼人士や人権派弁護士などにも、こうした我田引水的主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、また共産主義者であり無神論者であり乍ら、都合の好い部分は米国でもキリスト教でも利用しようというのはホント逞しい(苦笑)

 残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国家により生命を保証されるというのも如何なものか。況してや死刑囚が再審請求を利用して執行停止を謀るなど姑息過ぎる。無駄な「生」に拘るより、「死」を以て償うべきだと思うのは愚生だけではあるまい。

 抑抑、我が国の死刑制度は被害者遺族に代わり国が仇討ちする意味合いがある。仇討ちを合法化するなら好いが、死刑の替わりに終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無いし、凶悪な犯罪が減るとも思えないし、何より血税の無駄。

「社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない」と言ったのは三島由紀夫。何より大事にしなければならないものは肉体より魂であり、精神性である。

 死生観の違いといえばそれまでだが、残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法に由り生命を保証され、のうのうと生き長らえているというのも如何なものか。

「死刑」とは他人を殺め、己が犯した罪への相当の審判であり、何の責任を持たず無駄に生き長らえて来た人生にピリオドを打つ為の国家に拠る大慈悲であるのだ。

 死刑制度は国民の大半が支持している。反対派の付けたりに過ぎない愚論に与することなく、法務大臣は刑事訴訟法に基いて死刑確定から6ヶ月以内の執行を図るべきで、死刑執行という現実を国民に突き付けることが、畢竟、犯罪抑止に繋がる。

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2024年04月17日

特定パーティーを開催してた岸田に政治資金規正法を改正する資格は無い

 自民党は、派閥の政治資金パーティーでの裏金事件を受けて政治資金規正法改正に取り組むというが、大臣規範を無視して特定パーティーを開催し、億単位のカネを集めてた岸田文雄に政治資金規正法改正の先頭に立つ資格があるとは思えない。

 大規模な政治資金パーティーを禁ずる大臣規範に抵触するものだが、大臣規範に罰則規定は無く、空文化状態であり、法的にも穴だらけである。要は、今回の裏金問題は、法律を作る側にいる者が法の網を掻い潜っていたことが大問題なのだ。

 政治資金規正法では政治資金パーティーはOK。パーティー券の購入額が20万円以下なら名前の記載は不要。自民党5派閥の政治資金パーティーの不記載は報告書の訂正で問題無し。そこを「5万円」にしたり、厳罰化したところで意味は無い。

 政党助成法に拠る「政党交付金」は、政治献金禁止の代償である。未だに企業や団体からの献金を続け、政治資金パーティーを開催してるのは詐欺行為だろう。

 相変わらず国会議員らは企業献金やら個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔している。これ即ち「クリーンな政治を実現する」という趣旨からも逸脱しており、国民への裏切りである政党交付金は即時廃止するべきである。

 政党交付金(政党助成金)は、リクルート事件やゼネコン汚職事件などの汚職事件で、企業や団体などから政治家への資金提供が問題視されたことを理由にして、細川政権下の平成6年に導入された。所謂「政治改革四法」の一つである。

 政治改革四法とは「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」。小選挙区比例並立制と政党交付金制度は政治劣化の元凶。この改革四法案の見直しなくして政治改革や政治とカネも問題も解決しない。

 政治とは最高の倫理であり最高の道徳である。政治家は国民の模範であるべき存在なのに「政治にはカネがかかる」などとはさもし過ぎる。繰り返される「政治とカネ」の現状を見れば、政治家の倫理道徳の欠落は著しいと断じざるを得ない。

 政治家に求められるのは唯々「滅私奉公」の一つである。然し乍ら、その滅私奉公は最早死語となった。政治家必携の本といわれる「南洲翁遺訓」がある。この本は政治家に限らず、人の上に立つ者や日本人ならば必読するべき名著である。

「万民の上に位置するものは、己を慎み、品行を正しくし、贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して人民の見本とならねばならない。そして民衆がその働きぶりを見て『気の毒だなぁ』と思うようでなければならない」(第四条)

 今どき「気の毒だなぁ」と思える政治家なんぞ見たことも無いし、国会中継などを見てると、国民不在の党利党略ばかりで、とても政治家としての正道を踏んで、至誠という真心を以て国家の行く末を論じている政治家なんてのは極極稀だ。

「道義心や恥を知る心を失っては、国を維持する方法は有り得ない。上に立つ物が下の者に対して利益だけを求めて正しい道義を忘れてしまうと、下の者も見倣って、人の心は皆金儲けの方ばかりに向いてしまう。上に立つ者は常に下の見本で有らねばならない」(第十六条)と教えているが、上の責任を下に押し付けている。

 第二十四条は「敬天愛人」の思想。「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を愛するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛するを以て人を愛する也」。天を敬い、何事を行うにしても「お天道様が見ているぞ!」という、日本人としての当たり前の矜持を持ち合わせていない政治家は要らない。

「南洲翁遺訓」は本編四十一条。何れも含蓄あるものばかりだが、これは西郷隆盛が仁者だったというより、自戒だったのではと思う。我が国の不幸と政治の停滞と機能不全は、道徳観を持った政治家や思想家、指導者がいないことに尽きよう。

 国会議員だけではなく地方議員を含めて、過分な歳費や報酬の一部で「南洲翁遺訓」を買って、写本や熟読でもした方がよっぽど国家の為になるぞ!呵呵。

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2024年04月16日

衆院東京15区補選で日本保守党が勝利すれば日本再生の濫觴となるだろう

 東京15区で衆院補選が行われる。LGBT法の強行採決で、日本保守党の百田尚樹代表は「この儘ではアカン。日本を救いたい」との思いで新党を立ち上げた。日本保守党が旧態依然の堕落し切った政治に楔を打ち込む。日本保守党公認の飯山陽(いいやまあかり)を是が非でも当選させ、日本再生の濫觴にしなければならない。

 安倍晋三元首相が凶弾に斃れて以降の自民党の転げ様が凄い。我が国の政治の為体と混迷は自民党以外に保守政党が無いことに尽きる。だが、その自民党は保守政党なのかといえば甚だ疑問で、単に保守のカタチを取り繕っているだけに過ぎない。

 自民党の「立党宣言」には【政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。大戦終熄して既に十年、世界の大勢は著しく相貌を変じ、原子科学の発達と共に、全人類の歴史は日々新しい頁を書き加えつつある。今日の政治は、少なくとも十年後の世界を目標に描いて、創造の努力を払い、過去及び現在の制度機構の中から健全なるものを生かし、古き無用なるものを除き、社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する。われらは、秩序の中に前進をもとめ、知性を磨き、進歩的諸政策を敢行し、文化的民主国家の諸制度を確立して、祖国再建の大業に邁進せんとするものである。右宣言する】と在る。

 自民党は「われらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する」との趣旨に逆行している。

 自民党が掲げる新綱領には「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を」として次の様に明記されている。自民党はいつから改憲政党に成り下がったのか。自民党綱領に則り「世界に貢献できる新憲法の制定を目指す」べきである。

【私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。そのために教育基本法を改正するとともに、教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします】と謳っているが、岸田は「日本らしい日本」を損なうLGBT法や移民政策の実行を謀り、「新しい日本」という国體破壊を謀っている。

 財政再建という名の経済至上主義ではなく、日本国民としての普遍的規範を身に付け、家族や仲間との絆を深め、共に支え合って地域と国家に尽くす日本人を育むことこそ大事。況してや米国民主党や共産主義蔓延る国連に媚び諂うことではない。

 悲しい哉、現代では「協働」という誤った価値観が蔓延している。「協働」とはコラボレーション(collaboration)とか、パートナーシップ(partnership)のことらしいが、コラボレーションならば別に「協働」ではなく「共同」で十分だ。

「共同」と「協働」は同じ発音だが目的は全く違う。「協働」の主体は「国民」ではなく「市民」であり「市民団体」なのである。つまり「協働」とは同じ目的を持った者が集うコミューン(共同体)創りであり、その実はコミンテルン、第三インターナショナル(国際共産党・国際共産主義運動)への一里塚というのが正しい。

 いつの間にやら我が国は、カタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になっている。日本共産党でさえ赤旗ではなく青い幟で国民を欺く。

 彼奴らは夫婦別姓に加え選択的夫婦別姓、男女共同参画社会やジェンダーフリー、SDGs、LGBTQ、移民政策、人権擁護法案、共生社会、外国人参政権、外国人住民基本法案、女性宮家創設、女性天皇容認論など次から次と策謀を重ねている。

 こうした行政側への実に怪しげな策謀や共産主義の連結を奨めたのは共産党ではなく、保守を自任する自民党だったというのは実に御粗末という他はない。

「立党宣言」の【社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである】との覚悟は単なる画餅なのか。

 現在の自民党の中で、高市早苗や小野田紀美、有村治子、杉田水脈など立派な保守議員がいるが、親中議員蠢く党内で埋もれてしまっているのも事実である。

 ポスト岸田に向けて権力闘争を繰り広げているが、高市らは潰される前に保守議員が団結して保守政党を立ち上げるのも必要だろう。ネックなのは小選挙区制度。政治改革は30年前に成立させた所謂「政治改革四法案」の見直し及び廃棄である。

 政治改革四法とは「小選挙区比例代表並立制」「公職選挙法の一部を改正する法律」「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」「政治資金規正法の一部を改正する法律(政党助成法の総称)」。小選挙区比例並立制と政党交付金制度は政治劣化の元凶となっている。この名ばかりの改革四法案の見直しなくして真の政治改革は無い。

 無自覚左翼なのか確信的アホなのか「日本らしい日本」を損なう政策に対し闘うどころか、「新しい日本」や「新しい日本人を創る」と中国共産党自民党支部の如き第五列ばかり。マスコミでは例の如く河野太郎や石破茂ら親中派議員を持ち上げる。

 河野は「女系天皇容認」「旧宮家皇籍復帰反対」「憲法擁護」「靖國神社参拝反対」「夫婦別姓(選択的夫婦別姓)推進」「外国人地方参政権賛成」「移民政策推進」「脱原発」「親中派」「新しい日本人を創る」等等、売国政策が並ぶ。

 こんな容共派が自民党議員であることが不思議でならない。LGBT法を強行した自民党は、労働者不足を理由に実質的な移民政策を謀り、祖国日本を売り渡し、正しく第三インターナショナル(国際共産党・国際共産主義運動)へ突き進んでいる。

 野党も然りで、党利党略・私利私欲の政争を繰り返している生業議員ばかり。自民党一党独裁が続いているのは単なる野党のオウンゴールの恩恵に過ぎない。そんな中、草莽の有権者が日本保守党を支持していることに祖国日本の希望の光を見る。

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2024年04月12日

血圧数値を「上130/下80」に引き下げられて国民の2人に1人が高血圧症に(笑)

 日本高血圧学会は「高血圧治療ガイドライン2019」で、上140/下90mmHgとされている高血圧の基準を上130/下80未満まで引き下げるという。

 現在「上140/下90」以上の高血圧患者は推定4,300万人とされ、それを「上130/下80」に引き下げられると、1700~2000万人が増加し、約6300万人が高血圧患者となり国民の2人に1人が高血圧と認定される(笑)

 本来、日本人の血圧数値は上160/95mmHgだった。それがWHOの通達などもあり、2000(平成12)年に140/90に引き下げた。昨日まで血圧が150~92の健康な人が、いきなり高血圧患者となり、健康な人が病人にされてしまった。

 この基準値を下げたことで新たに2100万人の高血圧の患者が増えたという。斯くいう愚生もこの人数に含まれ、今では降圧剤常習者だ(笑)

 血圧数値を下げることで製薬メーカーの利益は増大した。そして更なる改定で二匹目の泥鰌を狙う。医師会と製薬会社、そしてその恩恵に肖ろうとするクソ政治家どもの負の構造を見直さない限り国民医療費は増え続ける。

 血圧を薬で下げたことで心筋梗塞や脳卒中で亡くなる人が減ったのは確かだが、一方で癌が死亡原因の第一位となった。抑々、高齢になると血圧が高くなるのは正常な生理作用で、それを薬で無理に下げてしまうことで癌リスクが高まる。

 80歳の人の5年生存率を最高血圧から調査した研究では、最高血圧が180以上の人達の生存率が最も高くなり、最高血圧が120~140のグループの生存率が一番低いという。要は、血圧の基準自体に根拠もないということだ。

 高血圧の原因は「塩分」とされているが、塩は人間が生きる上で最も必要な栄養素だ。摂り過ぎるのはダメだが、摂取しなけりゃ死に至る。要は塩化ナトリウムなど人工塩が悪いのであって、カリウムの豊富な天然塩は身体に好い。

 反原発派やその妄言を信じる連中は放射線を否定し批判するが、放射線は100mSvを超えないとホルミシス効果が無いと言われており、低放射線は塩と同じく人間や生命体が生きて行く上で必要不可欠な要素でもある。

 原発事故の放射線が原因で癌患者が増えたとは聞いてない。降圧剤により癌患者が殖え、それが原因で死亡したとなれば原発事故よりも大問題では(笑)

 人は必ず死ぬし、健康だった人が交通事故でぽっくり逝ってしまうことだってある。原発事故で亡くなった人はいないが「原発を無くせ」というなら、断然多い交通事故死を防ぐ為に「自動車を無くせ」「造るな」と言うべきだろう(笑)

 国内では今や国民の3分の1が癌で亡くなる。死亡原因第一位が癌だ。癌治療の歴史は浅く、癌検診によって早期発見はされ易くなったが、この検診に意味はないという医者もいるし、抗癌剤治療は効果がないという医者もいる。

 芸能人の癌検診と癌治療がテレビなどで話題に上る。如何にも「早期発見が好かった」だとか「抗癌剤治療から社会復帰した」だとか、こうした美談の裏には商魂逞しい病院や医師会が蠢いてる様にしか思えない。

「癌は切るな」「癌検診、百害あって一利なし」と、「癌検診は落とし穴ばかりで検診を幾ら受けても寿命は延びない」と断じる医師もいる。癌検診は病院や厚労省が推進しているだけで有効だと思い込まされているだけに過ぎない。

 日本の癌治療もまた世界レベルから見て相当特殊らしく、やらなくていいことをして必要以上に施して、患者や健康な人を苦しめているのが実情だという。

 心筋梗塞や脳卒中のリスクは言えど癌のリスクを語らない血圧数値の改定は、医師会と製薬会社の策謀というのが正しく、国民の不安や弱みに付け込んだ医療制度を見直さない限り、歳入に占める国民医療費は益々殖え続けて行くだろう。

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2024年04月09日

我が国は「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」に立ち上がったのだ

 陸上自衛隊第32普通科連隊が、硫黄島で開催された日米合同の戦没者の追悼式に参加したことを、Xの公式アカウントで「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」と書き込んだことを朝日新聞が批判していた。日頃「反米」を貫く朝日新聞だが、先の大戦への認識は「太平洋戦争」であり、未だにGHQからの洗脳状態に陥った儘だ。

 国民の多くは「戦争が終結した」「日本が戦争に負けた」というのは知ってるが、何故に我が国が大東亜戦争に突入して行ったのか、その理由を知ることはない。国民の先の大戦の認識は、GHQの謀った「太平洋戦争」史観の儘なのである。

「日本は満州事変以降、大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」というのが、先の戦争に対する政府の基本認識であり、国民もそれを疑わない。然し乍ら、こうした認識は公正なものとは言い難い。

 結果論ではなく、何故に我が国が如何にして大東亜戦争の開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが重要であって、それには1953年のペリー来航(黒船来航)の時代まで遡って、当時の世界の情勢とアジアの近代史を学ばなければ理解は出来まい。

 我が国は西洋列強に追い着くべく、幕藩体制を糾し強力な中央集権国家を形成しようと「明治維新」という大業をたった数年で成し遂げ、近代国家を形成する。

 15世紀半ばから17世紀半ば迄の、所謂「大航海時代」以来、白人に因る世界制覇の波が終にアジアにも押し寄せ、次々と列強に蚕食され植民地となって行った。

 我が国が維新の大業を成し遂げ「日本国」として独立を宣言。大韓民国にも独立を促すが、李氏朝鮮はその意味も分からず、清国の属国の儘だった。日本からの朝鮮独立という通告に怒った清国が日本との戦争に至った。「日清戦争」である。

「日清戦争」は、世界の大方の予想を覆し我が国が勝利。戦利品と賠償に台湾と澎湖諸島、並びに遼東半島を割譲されるが所謂「三国干渉」に由って頓挫する。

 清国が滅ぶと、巨大な空き地と化した支那の領土は世界の国々に蚕食されることとなる。巨大国家ロシアも南下政策を執り、遼東半島から韓国にも触手を伸ばす。

 当時、韓国独自でロシアと対峙することなど到底無理なことだった。その意味では寧ろ日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で、民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張の方が現実的だったのである。

 頑迷固陋な韓国は、「日韓合邦派」や我が国の意見に耳を貸すことはなく、李王朝はあろうことかロシアに保護を求めた。我が国が勝利したことで独立の機は失ったのは当然のこと。合邦派は今や「親日派」として事後法に因り断罪されている。

 その後、当時の「万国平和会議」で、世界満場一致で「日韓併合」が可決されることとなる。三等国家の韓国が、独自の力による近代独立国家建設の道など在り得ず、我が国の協力が有って初めて文化的生活を得られたのが歴史的な事実である。

 こうした悲劇こそが日韓関係の日韓関係足る所以であり、事在る毎に我が国を詰る前に韓国国民こそ歴史の事実と自らの責任を真正面から見つめ直すべきである。

 大航海時代への変化の中で起きた日清戦争や日露戦争にしろ、そして日韓併合もアジアや我が国にとっては避けては通れない宿命的な歴史だったのである。

 日清・日露戦争での有色人種である「日本大勝利」の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させた。特に、有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、第一次世界大戦に於ける連合国が、中央同盟国の講和条件等について討議したパリ講和会議で、我が国は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案するも、「有色人種に人権は必要無い」と否決された。

 パリ講和会議の議長を務める米国大統領・ウイルソンが提案を拒絶したのは、米国人ら白人に因る有色人種への差別が横溢していたのは明らかだった。日露戦争が齎した歴史的課題の本格的実現は、大東亜戦争を待たなければならないのである。

 その後「黄禍論」が湧き起り、世界は第二次世界大戦に突入する。我が国へ米国(America)、英国(Britain)、支那(China)、和欄(Dutch)から、所謂「ABCD包囲網」が敷かれると、無理難題を強いる「ハルノート」が突き付けられた。

 降伏は即ち欧米列強の植民地の道しかなく、我が国の生き残る道は連合国との戦争しかないと決断。開戦の詔勅を賜り、宣戦布告、真珠湾攻撃に至ったのだ。

 米国内では、毎年12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」として、我が国を「騙し討ちをした卑怯な国」として糾弾して止まない。日本人蔑視は未だに続いているが、我が国は断じて「騙し討ち」はしていない。

「騙し討ち」「卑怯者」との汚名を着せられ続ける理由は、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れたことが原因でって、外務省の職員の職務怠慢に他ならない。

 糾弾して止まない「リメンバー・パールハーバー」の根底に在る「黄禍論」という日本と日本人への偏見と差別が悲劇を生んだ元凶である。先の大戦然り、パリ講和会議然り、猛省するべきは日本ではなく未だ有色人種を差別し続ける米国である。

 朝日新聞は占領下に於いて、NHKと岩波書店と共に言論統制の対象となった。戦時中は戦意高揚を訴え、国民世論を煽って大東亜戦争に与してい乍ら、戦後は進歩的文化人を気取り、旧日本軍や日本政府を糾弾し続けている。実にマヌケなことだ。

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2024年04月08日

教科書から消えるという坂本龍馬だがその行動から学ぶものは多い

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 以前から指摘されてたところであるが、坂本龍馬が教科書から消えるという記事をSNS目にした。龍馬の功績と言われているものは、司馬遼太郎の長編時代小説「龍馬がゆく」に拠るところが大きく、実にその95%が嘘や虚飾であるという。

 坂本龍馬は、幕末にはそれほど有名な人物ではなかったという。維新後、数十年が経ち、四国の新聞に「坂本龍馬特集」が連載された。龍馬のその生き様が日本人の嗜好に合致し、人気に火を点け全国に拡がったというのが真相と言われている。

 龍馬暗殺の謎についてよく「北辰一刀流免許皆伝の龍馬を一刀両断するとは」とか「龍馬はピストルを持っていたのに一発も発砲されていないのは何故か」「中岡の暗殺に、龍馬が巻き込まれたのではないか」などと語られている様に謎は多い。

 こうした暗殺の謎が謎を生み、そして歪曲され、またドラ小説やドラマなどで想像・脚色され、龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されていったのではなかろうか。

 坂本龍馬暗殺の実行犯説は、歴史家に拠ってその意見は様々であるが、大凡、「京都見廻組」と「新撰組」説に分かれている。「京都見廻組説」では、元隊士だった今井信郎と渡辺篤が、佐々木只三郎らと実行したとの証言を理由に挙げている。

「新撰組説」では、刺客が「こなくそ」という伊予弁を使ってたされており、伊予出身の原田左之助刀の鞘や隊士の下駄が近江屋に残されていたと言われている。「こなくそ」説は、西軍の谷干城(たに たてき / かんじょう)の独り言に過ぎない。

 龍馬は贔屓の近江屋に、脱出することが出来る隠れ家を土蔵に造っていたとされている。暗殺された日は、風邪で龍馬は土蔵ではなく、来訪した中岡慎太郎と近江屋のニ階で、好物の京都「鳥彌三」の鶏の水炊きを食らい乍ら歓談していた。

 部屋には二人の他に、龍馬の護衛でもある元・力士の山田藤吉。そこに南大和の「十津川郷土」と名乗る男らが訪ねて来る。山田がその客人らを疑わずに通した。

 部屋へ向かう途中に山田は後ろから斬られ、続いて龍馬も殺されている。ドラマなどで仄聞されている様な「わしゃ脳をやられちゅうきダメじゃ」という台詞を吐く間もなかったであろう即死に近く、中岡はこの襲撃からニ日後に亡くなっている

 龍馬は北辰一刀流の免許皆伝というのが歴史的に語られているが、事実は北辰一刀流の「長刀」、つまりは「薙刀」の名手で剣術ではない。西洋流砲術も学びはしたが、実際には剣の腕前はそれほどではなかったというのが真実だろう。

 冒頭の龍馬の有名な画像を見ても分かるが、拳銃を懐に仕舞っているという立つ姿だが、刀がだらしなく下げられている。どう見ても剣術の達人には見えない。

「寺田屋事件」で龍馬は短銃で応戦はしたとされてるが、弾丸が切れたにも拘らず刀で応戦せず、不様に短銃を振り回して、両手に数か所の深手を負った。こうしたことをしても、龍馬は北辰一刀流剣術免許皆伝の応対とはとても思えはない。

 寺田屋事件での傷を癒す為に妻のお龍さんと共に薩摩の温泉に行くのだが、歴史的にはこれが新婚旅行の最初とされている。だが、これもまた根拠の無いもので、薩摩の家老・小松帯刀がそれより十年程早く、霧島へ新婚旅行へ行ってるそうだ。

 歴史が物語として語られる時は、必ずしもその人物の真実を伝えているとは限らない。書き手の主観が入ったり、読み方一つでその生き様や歴史も変わってしまうもの。坂本龍馬が歴史教科書から消えるというのは何となく分かる気がする。

 坂本龍馬こそが幕末の薩長連合の立役者と持て囃され、暗殺の謎が謎を生み、そして歪曲され、また想像されて龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されて行った。そんな龍馬とは何者だったのか。龍馬とは、分かり易く言えば武器商人に他ならない。

 そんな龍馬から学ぶものは、幕閣とも勤王の志士とも通じ、薩長連合の仕掛け人足り得たのは説得の技術、つまりは話す言葉がズバ抜けていたことだろう。

 幕藩体制下に於いて「横議横行」を勧め、「脱藩せよ!」と叫んだのが吉田松陰だが、その「横議横行」を実践した人物として最も有名なのは坂本竜馬だろう。

「横議横行」とは、自由気儘に各地を歩き回り、出合った人達と大いに議論し語り明かすことだが、幕藩体制下では藩の領地から出ることさえ儘ならなかった。

 明治維新は、こうした幕藩体制の陋習を、龍馬を始めとした草莽の志士らが打ち破り、横議横行の実践したことに拠るものだと言っても過言ではない。坂本龍馬が靖國神社に祀られてるのは、幕末の志士らと大いに天下国家を語り合ったからだ。

 大衆の心を引き付けるのは自ら発する「言葉」を以て他に無い。龍馬は正に「言葉の達人」だったのではあるまいか。更にもう一つは、彼が「歩く人」だったことだ。交通の不便だった時代に、龍馬は実に驚くほどの距離を行き来している。

 多くの人と顔を突き合わせ話し合い、一献を傾けて打ち解ける。こうした出会いと邂逅こそが自己確立に繋がり、延いては混濁した時代をも変える原動力となる。

「袖する合うも他生の縁」と言う様に、思想信条が違えども遠慮することはない。どんな相手でも必ず共通の話題があるもの。共通の話題がないということは、人生経験が少なく視野が狭い証でもある。雑駁でも色々な知識を身に付けるべきだ。

 別に難しいことなんぞ話題にせずとも、スケベなことや趣味など、あり触れた日常から感化しオルグすることだ。そこで、場数という人生経験がものを言う(笑)

 オルグとは左翼の専売特許でもあるが、右翼人や保守派に足りないものは、こうしたオルグ(大衆運動)である。今どきの右翼は仲良しクラブの様なもので仲間と盛り上がるが、仲間の拙い点を見ても見て見ぬ振りをするのは如何なものか。

 誰かの請け売りの下手くそな演説なんぞオナニーの様なもので、身内さえも感化されることはない。それより、近所の焼き鳥屋などで隣り合わせた人と語ってみることだ。そうした対話が思想形成に役に立つ。横議横行するべし。呵呵。

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2024年04月04日

君、狂え給え!(吉田松陰)

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 画像は、愚生が所属していた防共挺身隊の初代総隊長・福田進の父であり、「進め社」「日本労農党」の福田狂二(素顕)である。如何にも国士の面構えだ。

 中核派の「前進社」も、この「進め社」のパクリ。国内では警察や国権から弾圧を受けて、支那に亡命。その後、国共戦を経て蒋介石と共に台湾へ転進する。

 伝説の日本人革命家であり、左翼にも狂二の信奉者は少なくない。大江志乃夫著「凩の時(筑摩書房、1985年/ちくま学芸文庫, 1992年)」の主人公でもある。

 日本に帰国すると名を「素顕(そけん)」と改め、国家社会主義者に転向し「防共新聞」を創設、主幹となる。その行動部隊が愚生が所属した防共挺身隊だ。

「狂」という字を「頭が狂った」と捉える人が殆どだが、「狂」とは陽明学の「狂」であり、「狂」の思想は王陽明が「伝習録」で訓えたものと言われている。

1 河井
 陽明学を実践した偉人といえば越後藩家老の河井継之助。「越(ほくえつ)の蒼竜」と称され、幕末に於いて長岡藩の近代化に努力した英雄であり、愚生が最も尊敬する武士である。長岡藩士120石取りの代右衛門秋紀の子として生まれる。

 幼少の頃から腕白で、人の忠告を素直に聞かない強情張りであった。そうした性格は大人になってからも変わらなかったという。少年時代は、藩校で古義学(こぎがく)を学び、成長するとともに実践重視の「陽明学」へと傾倒していった。

 17歳の時に継之助は、鶏を裁いて王陽明を祭る祭壇に鶏肉を供え、人民と藩是の為に立志し誓明したという。青年期には読書に没頭し、良書を見つけるとその書だけを何度も読み返し、一字一句を書き留め暗記し、我が身の行動の規範と成した。

 嘉永5(1852)年、継之助は江戸に遊学し、佐久間象山、古賀謹一郎に師事。だが、象山の尊大さと理屈を捏ねる腹の曲がり具合が気に食わず遠ざかった。

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 継之助が生涯を通じて敬服した人物は、備中松山藩の儒者・山田方谷。自ら松山藩まで足を運び、直接、方谷から陽明学を学び、藩政改革の方法を習得したという。継之助は、方谷を「希代の英雄」と讃え、方谷が唱える思想を熱心に学んだ。

 方谷は後に、「河井は豪すぎる。豪すぎることが幸福な結果になるか、不幸を呼ぶか」と語ったというが、結果は後者の方であった。1ヶ月半ほどの遊学であった。

 別れの朝、継之助は対岸の街道の路上に土下座し、師匠の小さな姿を伏し拝んだ。人を容易に尊敬することのない男が土下座したのは生涯これが最初で最後だった。

 陽明学とは、簡単に言えば「知行合一」という教えである。「言葉にしたことは必ず実行する」という「知行合一」は極めて陽明学的思考である。逆を言えば、「実行できるかどうか分からないことは言葉にしない」ということでもある。

 自分の発言には自ら責任を課していることを意味する。陽明学は、先ず「志を立てる」ところから始まり、その志を「行動に昇華する」ことで終結する。

 つまり、例えば政治家を志すにしても、自分の言葉に責任を持ち、自らが率先垂範して国民の模範となることが大事であり、そしてそれは親に対する孝と国に対する忠であり、「忠孝」が源でなければならないのは言うまでもない。

 陽明学は、人間の格位を「聖賢」「狂」「狷(けん)」「卿愿(きょうげん)」の四つに分けている。孟子はこれを注釈し「聖賢」とは知識・人格に優れた人物。

「狂」は理想主義。「狷」は不潔を潔しとしないもの。「郷愿」は世俗と歩調をあわせた風俗とし、徳の賊(道徳家を装って郷里の評判を得ようとする俗物)だとした。

 要するに、「狂」というのは、「理想を高く持ち、何の虚飾も隠し立てもなく、心の赴く儘に率直に行動すること」であり、分かり易く言えば、「一心不乱」ということである。一つの信念に向かって脇目もふらずに突進することである。

 また、「もし過失があれば改めさえすればよい」とする臨機応変的なものでもあり、世俗社会の常識に対し果敢に挑戦する「実践的理想主義」とも言えるのだ。

 自分の行動を「狂挙」と敢えて言える為には、歴史を見つめる「冷静な目」が必要である。この「狂」の精神こそが、明治維新への道と切り開く転換点となったと言っても過言ではないが、一部の志士には狂った者もいたのも確かだろう。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時に生まれる常軌を逸した行動こそが、「正気」の「狂気」であり「狂挙」である。それは山口二矢、三島由紀夫と森田必勝、更には野村秋介らの行動こそが狂気という正気の行動である。

 この「狂気」の「狂挙」こそが、現状打破の大きな力となり得るのだが、愚生を含め、右翼民族派に「狂気」という言葉はない。つまりは本気さが足らないということ。吉田松陰も、こう訓えているではないか。「君、狂い給え!」。呵呵。

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2024年04月03日

現代で使われている漢字(日常用語)の殆どは日本製である

 江戸時代末期、ペリーの黒船来航し西洋文明が国内に入り込むと、先人らは英語などの言語や表現などの概念を翻訳する必要に迫られた。その結果、数千数万語の和製漢語が創られた。現代で使われている漢字の殆どが日本製なのである。

 日本の漢字用語は西洋の語彙を日本語に置き換えたもので、漢字表記で外国文化を知ることが出来る様にした。この「漢字」こそが日本の文化と言っても過言ではない。尤も、現代のシナ人には日本人の様な芸当は出来ないし、そんな智慧も無い。

 中共国内で使用されている、「人民共和国、共産主義、共産党、革命、左翼、唯物論、社会主義、政治、法律、演説、警察、芸術、哲学、自然、自由、新聞、通信、鉄道、交通、文学、歴史・・・」等等、日常用語は、実は総て日本製の漢字。

 過去に、人民日報の姉妹紙でもある「環境時報」が、中共国内で使用されている「日本式漢字語」の実態を説明しつつ、無分別に使われている和製漢字語導入を巡り、一世紀前の支那大陸で戦わされた論争を紹介して注目を引いたことがある。

 環境時報の記事に拠れば、現在、中共国内で使用されている社会や人文分野の用語の実に約70%が、日本から導入された外来語(日本語)だというから驚く。

 清朝末期、日清戦争に敗北した支那大陸では、庚有為(こうゆうい)が中心となって「維新変法」(自主的な近代化の試み)を進めたが、その取り組みが保守派の抵抗で挫折した後に、和製漢字語が本格的に流入し始めることになったという。

 日清戦争後から、シナ人は近くに存在する極東の日本に注目し始め、近代化を目指す多くの留学生が西欧の文物を間接的に学ぶ為に、日本に渡り始めた。

 近代シナの代表的知識人として知られている梁啓超(りょうけいちょう)も、和製漢字語の普及に大きな影響を与えた一人である。彼は日本に亡命し、日本の小説などを中国語に翻訳し、自らが創刊した「清議報」に連載するなどした人物でもある。

 シナに於ける和製漢字語研究の第一人者である王彬彬(おうひんひん)は、「我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものであり、中国と西洋の間には永遠に日本が介在している」との意見を述べている。

 中共も「反日」を徹底するなら「和製漢字」の使用禁止にしたら如何と思うが、「和製漢字」を捨てることは不可能だし混乱を極めることは必至。尤も、無恥で厚顔不遜な連中のこと、使用してる漢字が「日本製」だと認めることもないだろう。

 日本国内でも未だに中共や習近平に阿り、日中関係を「一衣帯水」だとか「同文同種」だからと信じて御先棒を担いでるバカな連中が後を絶たない。だが、断じて我が国と中共との関係は「一衣帯水」でもなければ「同種同文」などでもないのだ。

 607年、聖徳太子が小野妹子を派遣し「日出ずる国」と「隋」との対等外交に踏み切り、645年「大化の改新」を実現する。大化の改新から18年後の663年、白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶つこととなった。

 その後、遣唐使が約250年間、菅原道真の献策によって廃止されるまで派遣され、唐の文化が、奈良時代の平城京を中心とした天平文化に影響を与えた例はある。

 然し乍ら、国書を携えて派遣したのは、侮蔑して止まない「倭国」としてであり、「日本」と名乗ってからは一度足りとも正式な国書を携えた外交はない。

 明治4(1871年)年、我が国が「日清修好条規」を結んだ相手は「清朝」であり、満州人は大陸を支配はしていたが漢民族ではなかった為に、シナとの正式な外交は、明治45年(1915年)の「中華民国」誕生まで待たなければならなかった。

「日清修好条規」を結ぶ迄の約1200年に亙り、日本列島の中で独自の日本文化を熟成させた。大陸からの漢字に「音」と「訓」を付け、ひらがな(のちにカタカナ)を付け加え、大和言葉を表現しシナとは全く別の文字体系と文化を創造した。

 一方のシナ大陸では、戦乱に次ぐ戦乱が度々起こり、易姓革命の連続で国内での文字文化の発達は全く止まった儘だった。多民族が混在するシナ大陸は正に人種の坩堝であり、統一された国家としての連続した歴史は存在しないのである。

 シナの歴史は陰謀と策略の権力闘争を繰り返した。契丹族の「遼」、タングリート族の「西夏」、女真族の「金」、モンゴル人の「元」、満州族の」清」でも理解出来よう。異民族に因る征服王朝の時代を含め、易姓改名の原則の下に「族滅」し、王朝が変わる毎に歴史や文化が断ち切られて来たというのが歴史的事実である。

「中国4000年の歴史」や「漢民族」にしても空想的な概念と言わざるを得ず、「4000年の歴史」なんぞ嘘っぱち。中共も1949年に出来た新興国に過ぎない。

「三国志」や「水滸伝」などの英雄なんぞフィクションに過ぎず、孔孟の教えも日本人が好意的に伝え実践しているだけ。朱子学や陽明学は日本人の方が優秀だ。

 日本人は異文化を吸収し、より善いものを生み出す国民性であり、親中派が宣って止まない「日本と中国は同文同種、一衣帯水である」との認識は間違いである。

 我が国は、世界の中で最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家であり、民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度は日本国独自のものである。今こそ我が国は、聖徳太子に倣って共産党一党独裁の中共との交流は一線を画すべし!

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2024年04月01日

ウソに隠された真実や真意を見抜ける能力を身に付けることが大事

 今日はエイプリルフール。日本語だと「四月馬鹿」とか「万愚節」という。悪意ある嘘は論外だが、「嘘も方便」という様に嘘とは相手への思いやりや優しさが込められたものでなければならない。洒落の効いいた嘘は周りを和ませる。

 嘘の中でも、釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られたというのは最大の噓だろう。だが、こうした噓に拠って、人々が抱く死の恐怖を軽くすることで民衆の心に安らぎを与えた。キリストも「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきた。

「人は小さな嘘には騙されないが大きな嘘には騙される」とはアドルフ・ヒトラー。「地獄」「極楽」「天国」なんてのは大きな嘘の典型でもある。葬式仏教のインチキ坊主やインチキ宗教家らが何を言おうが、人間死んだら終わり。「無」だ。

「極楽浄土」なんてのは自分よりも劣る者や弱い者を助け、与えられるか。難渋している人に、如何に施しをしてあげられるか。現世の苦しみや悩みを自分なりに努力して救ってやることこそが極楽浄土であると、愚生は単純にそう考えている。

「不妄語戒(ふもうごかい)」という仏語がある。「嘘偽りを言ってはいけない」という戒めの一つだが、これもまた嘘の典型の様なもの。人というのは見栄を張り、嘘や偽りを騙る性分なので、そうした自戒を込めた箴言なのだろう。

「五戒」とは「不殺生戒(ふせっしょうかい)」。生き物を害してはならない。また他人に殺さしめてはならない。また他人が殺害するのを容認してはならない。

「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」。他人のものを盗んではいけない。また他人をして盗らせてはならない。また他人が盗るのを認めてはならない。

「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」。不道徳な性行為を行ってはならない。これは、不倫や強姦を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含まれる。

「不妄語戒」。嘘をついてはいけない。また他人をして偽りを言わせてもならない。また他人が偽りを語るのを容認してはならない。

「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」。酒を飲んではいけない。また他人をして飲ましめてもならない。また他人が酒を飲むのを容認してはならない。

 愚生的に「不飲酒戒」や「不邪婬戒」を守るのは絶対無理。ホント、仏教徒じゃなくて好かったと思うが、仏教徒でこの五戒を守ってる人なんていないだろ(笑)

 政治家の世界というのはホンネは出来るだけ出さない方が好いとされている。善し悪しは別に、日本の政治家にとって腹の中を見せないのは独自の伝統でもある。

「嘘は泥棒の始まり」「嘘を吐くと閻魔様に舌を抜かれる」など、嘘は悪いものだと教わって来た。だが、現代は「嘘は政治家の始まり」というのが当たり前となり、そうした嘘吐き政治家を国民の代表として戴くことは国民の不幸でもある。

 嘘を吐くにもやはり洒落が欲しい。「嘘は世情の宝」ともいうし、噓というのは世間や周りの人達を和ませるものが好い。「講釈師見て来た様な嘘を吐き」なんてのもあるし、嘘だと分かっていても、ついついニヤッとして笑えるのが好い。

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんていうのがある。今でいうとキャバ嬢やホステスだろうか。「手練」とは人を思うままに操り騙す技巧のこと。

 酒飲みの男性なら、スナックやクラブで隣りに座ったホステスの嘘や笑顔を勘違いして、ついつい熱くなって店に通い続けたという経験があるだろう(笑)

「商人は損と求めて蔵を建て」というのもある。商人の「儲かりません」というのも多くは嘘だ。口では「儲かりません、儲かりません」と言いながら、大きな蔵を建てるなんてのはよくある話し。今なら豪邸や高級自家用車だろうか。

「紺屋(こうや)の明後日」なんてのも笑える嘘だ。愚生の実家のラーメン屋で出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じ(笑)

 嘘には好い嘘と悪い嘘があるのは理解しているだろう。自分の為や言い訳がましい嘘は感心しないが、周りを安心させる様な、また和ませる様な嘘ならば吐いても差し支えはない。そんな「好い嘘」も吐けないのは正直というよりバカ正直。

 真面目を通り越してバカ正直というか、そんな輩は世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんなバカ正直な人も最近はめっきり見かけなくなってしまった。報道(噓)に隠された真実や真意を見抜ける能力を身に付けることが大事である。

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2024年03月30日

「桜」は正に日本人の心の文化と美意識の真髄である!

 靖國神社境内の「迅雷桜」が綻び、東京都で「開花宣言」が出された。約一週間後には満開になる。例年、8月15日の靖國参拝が話題になるが、英霊の方々が「九段の桜の下で会おう」と遺書に認めた様に、桜満開の靖國神社は素晴らしく感慨深い。

 桜満開の靖國神社に詣でる様になったのは、知人のヤクザが、桜満開のシーズンになると友人や知人らを連れ毎年靖國神社を訪れていて同道したのが最初だった。

 そのヤクザ曰く、「以前、九州にゴルフに行った際に知覧特攻基地の話しを聞いてから参拝してる」と言っていたことに感銘を受けた。もう彼是30年以上前のこと。

 靖國神社に同道した際、「何だ、ヤクザのオレが終身正会員なのに『靖國神社国家護持』と言ってる右翼が終身会員に入ってないのかよ?」と揶揄われて、なけなしの5万円を支払い即入会したのを思い出す。今では有難かったと感謝している。

 毎年四月の第一土曜日には、参道に建つ大村益次郎の銅像の下で「靖國神社の桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」が催される。友人らと参加したのが懐かしい。

 今年は満開の桜の下での催しとなるだろう。自然発生的に靖國神社に集う日本人の多さを見れば、左翼陣営が席巻し様と未だ未だ日本も大丈夫だと感じる。

 愚生は靖國神社に詣でると先ずは本殿左手に在る「鎮霊社」に参拝することにしている。鎮霊社には、賊軍とされた会津藩や我が故郷の二本松藩、西郷隆盛などの幕末の時代に悲運の運命を辿った方々や全ての戦没者がこの小さな社に祀られている。

 靖國神社側が、宗教的な敬虔さを示す為に「鎮霊社」を設けたことは高く評価されるべきであろうが、未だに「朝敵」とされ、死後も尚、本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状を鑑みれば、真に「靖國」の意味が在るのか疑わざるを得ない。

 明治天皇の思し召しに拠り建立されたその趣旨を鑑みれば、賊軍とされた先人の名誉回復こそが先ではないかとの思いが募る。未だに名誉回復は愚か本殿への合祀が成されないのは、靖國神社の創立に長州藩が大きく係っていたことが要因である。

 戦後政治の総決算も好いが、大東亜戦争の大義とGHQに因る不条理を検証することは当然であるが、薩長閥の明治維新の諸矛盾も考察すべきであると考える。

 靖國神社とは正に長州閥が産んだ歪な追悼施設でもある。敷地のど真ん中に「大村益次郎」の銅像が、それをよく示している。「大村益次郎は上野に在る西郷隆盛の銅像を睨んで建っているんですよ」と、タクシーの運転手に聞いたことを思い出す。

「靖國神社の桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」は、その大村益次郎の銅像下の特設ステージで行われる。「海ゆかば」が流れる中、英霊に対し黙祷を捧げ、献杯、女性コーラス隊が登壇し、愈々「歌う会」という名の大軍歌大会が始まる。

 間髪を容れず次々と歌われて行くのだが、大声で、立ちっぱなしで歌っていると結構疲れる。程程愉しんだら中座し、直会に向かう。この直会が目的でもある(笑)

 桜を愛でるにもやはり酒は欠かせない。靖國神社の近所では九段下の「政寿司」が好い。贔屓にしてる浅草小島の「秀鮨」はネタや握りも然ること乍ら、江戸っ子の秀さんの粋を愉しめる。事務所の在った田園調布界隈では、長嶋茂雄終身名誉監督が足繁く通った「鳥鍈」も懐かしい。その近所の鰻の名店「平八」での一献も好い。

 鰻重といえば石川台の「鰻家」が愚生的に日本一。鰻重は前以て注文し、鰻重が提供される前に焼き鳥や茶碗蒸しで一杯。ここの茶碗蒸しは珠玉の味わいなんです。

 浅草なら「飯田屋」。「駒形どぜう」が有名だが、愚生的には飯田屋が好きだ。飯田屋で料理を楽しんだ後は「神谷バー」。電気ブランが有名だが、電気ブランのソーダ割が美味い。チョッと薄めなので、電気ブランを加えるのがおススメ。

 赤羽の「米山」はモツ焼きの名店。最近は御無沙汰してるが、あの雰囲気は呑兵衛には堪らない。ここは、前以てモツ焼きなどを注文するのだが、高級フレンチじゃないが豚肉メニューのフルコースを楽しめる。ただ、オヤジが偏屈なので御注意を。

 野村秋介が愛した蒲田の「八幸」や、赤羽の鰻屋の名店「川栄」も捨て難い。久しぶりに奥村女史と同道し一献やりたいなぁ。あの豪快な呑みっぷりは惚れ惚れする。何だかんだと言い乍ら、愚生の場合は桜より団子じゃないが一献目当て(笑)

 九段の靖國神社界隈に咲き誇る桜は英霊の声だ。「桜」は古代から日本人に最も愛され親しんだ花だろう。それだけに桜への憧れや哀愁を詠んだものは多い。

「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心ものどけからまし(在原業平)」

「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花(本居宣長)

「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃(西行法師)」

「風誘う 春よりもなお我はまた 春の名残りをいかんとはせん(浅野内匠頭)」

「散る桜 残る桜も散る桜(大愚良寛)」

 日本人にとって花といえば桜。桜は死に際の潔さで昔から武人、軍人精神に好まれた花でもある。九段の桜、同期の桜、愛国の桜。陸軍の徽章は桜、海軍は桜に錨。靖國神社の紋は菊に一重桜。「桜」は正に日本人の心の文化と美意識の真髄である。

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2024年03月29日

プロ野球選手団の靖國神社参拝を熱望して止まない!

 プロ野球が開幕する。その昔は、福島県内ではジャイアンツ戦しかテレビ中継しなかった。ジャイアンツファンというより熱烈的な長嶋茂雄ファンなので、どうしてもジャイアンツの結果が気になる。今年は日本一に返り咲いて欲しいものだ。

 野球が当たり前にやれなかった時代がある。支那事変が勃発すると、国内では娯楽というものが消えて行く。プロ野球もその一つだった。野球選手が大好きな野球も出来ずに祖国の為に尊い命を投げ出されていることを国民は知っているだろうか。

 平和を謳歌し、好きな野球をやれるという当たり前のことを再認識する為にもプロ野球選手団は、開幕前に靖國神社に参拝して欲しい。先の大戦で犠牲となり英霊となられた先輩方に感謝の誠を捧げることを熱望しているが未だ実現されてはいない。

 靖國神社を参拝することで、平和の尊さと野球がやれる有難さを実感すれば選手としての思いもまた違ってくるだろうし、プロ野球人気も高まることだろう。

 読売ジャイアンツは宮崎キャンプインの際に恒例だった宮崎神宮への参拝を個人の信仰の自由(創価学会員の選手)を優先して取り止めたことは記憶に新しい。

 必勝祈願でさえ宗教行為と認識してる様では靖國神社への参拝は困難を極める。プロレスや大相撲は、定期的に靖國神社にて奉納試合や奉納相撲を行ってる。

 プロレスや大相撲に比べプロ野球選手団は、先人への感謝や想いというものが乏しいのではあるまいか。他のプロ選手も靖國神社へ詣で頭を垂れて欲しいものだ。

 先の大戦で亡くなられたプロ野球選手は、我々が想像している以上に多い。試合の途中で出征した方や、幾度かの戦火を潜り抜けて帰還し、再び出征して終には戦場に斃れた方など、実に69名もおられる。この方々は靖國神社に祀られている。

 護国の鬼となり、散華された英霊の中でも有名なのは、東京巨人軍(読売ジャイアンツ)の澤村榮治投手だろう。澤村投手がどんなに凄い選手かは説明するまでもないが、年間最優秀投手に与えられる「沢村賞」はプロ野球選手の最高の名誉である。

 澤村榮治選手は野球だけではなく、普段の何事に対しても真摯な態度で挑む人だったらしく、人としても実に立派な方だったという。巨人軍の教えである「巨人軍の選手たるもの紳士たれ」とは澤村選手を見習ってのことだろうと思っている。

 背番号「14」は永久欠番となっているが、ベーブルースを三振にしたくらいで永久欠番になる訳はないだろう。プロ野球選手であるが愛国心捨て難く、異国の地で散華されたその崇高な精神を忘れない為のものであることは言うを俟たない。

 名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)の石丸進一投手と朝日軍(現・横浜DeNA)の渡邉静内野手は特攻作戦に参加しており、沖縄戦で散華されている。

 石丸投手は、鹿児島県の海軍鹿屋基地から出撃の直前に最後のキャッチボールをして飛び立ったという。数時間後の死を前にどんな思いでキャッチボールをされたのだろうか。これこそが渾身の悩みであり、その心中を察するに余りある。

 渡邉静選手も石丸選手と同じく海軍鹿屋基地から沖縄へ出撃している。夢見て憧れて入団したプロ野球人生での打席はたった二度しかない。戦争が悲しい現実を彼に与えてしまった。さぞ心残りだったろうが、未来を後輩に託して散華されたのだ。

 彼らは野球への情熱を「特攻」というカタチでその尊い命を捧げ、沖縄を戦い、そして祖国日本を死守すべく見事に散華された。プロ野球選手団はそれに応える意味でも開幕前に靖國神社に参拝し、先人の御霊に感謝の誠を捧げるべきだと思う。

 現代の平和や繁栄は、英霊の犠牲の上で成り立っているのだ。自らの命を犠牲にすることで、祖国日本や家族、故郷や友人ら愛するものを守るという彼らの至高の精神を決して忘れてはならない。プロ野球選手団の靖國神社参拝を熱望して止まない。

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2024年03月28日

「女性天皇」と「女系天皇」の違いも解らないから騙される

 男女共同参画の現代の安っぽい価値観の流れで皇統を論ずることには違和感しか無い。以前、facebookで友達になってた女性が「女性が天皇になっても良いと思います。差別化して欲しくない」というコメントを貰ったことがあったのを思い出す。

 このFBFもそうだが、「女性天皇」と「女系天皇」の違いが解らない国民が殆どで、天皇が最も重んじるべき祭祀の重要性を知ることもなく、憲法下での国事行為を理解していない故に、流行りのジェンダー平等論と天皇を同列に扱っている。

 反天皇・天皇廃止運動を実行してる勢力は、マスコミに因る「開かれた皇室論」から国民の皇室への尊厳を薄れさせることに成功させた。男系優先主義に疑問を呈し「女性は天皇になれない」と世論誘導するなど如何にも巧妙で悪質である。

 女性は天皇になれるが、女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを理解していない。天皇としての祭事の重要性を理解していないから女性天皇論を安易に語れる訳で、こうした風潮は逆に天皇を軽んじてる証左と言えよう。

 女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、「今後は一般国民としての生活を重んじよ」との天皇や宮家当代の思し召しであり優しさの顕れ。そういう大御心も理解せず安易に女性差別であるかの様に女性天皇論を語ることは不敬極まりない。

 過去には左翼の巣窟である「国連女子差別撤廃委員会」が、男系男子に限られている皇位継承に関し女性差別を理由に皇室典範の改正を強要した。こうしたことこそ女性差別という名を利用した日本差別であり、こうしたものに与してはならない。

 過去には八人十代の女性天皇が存在した。その八人とは、第三十三代推古天皇、第三十五代皇極天皇、第三十七代斉明天皇(皇極天皇と同一人物)、第四十一代持統天皇、第四十三代元明天皇、第四十四代元正天皇、第四十六代孝謙天皇、第四十八代称徳天皇(孝謙天皇と同一人物)、第百九代明正天皇、第百十七代後桜町天皇。

 八人十代の女性天皇の全ては男系である。敬宮愛子内親王殿下が天皇に即位された場合、それは男系の九人目の女性天皇となる。男系女性天皇のうち、配偶者に恵まれたのは推古天皇、皇極(斉明)天皇、持統天皇、元明天皇の四人だけ。元正天皇、孝謙(称徳)天皇、明正天皇、後桜町天皇は配偶者を持つことはなかった。

 悠仁親王殿下が即位しない限り皇統は潰える。皇位継承順位第一位が秋篠宮殿下、第二位は悠仁親王殿下となるが男系男子は悠仁親王殿下唯一人であらされる。GHQが謀った皇統の危機的現状は、臣籍降下させられた旧皇族を復帰させれば盤石なものとなるが、「女性天皇」と「女系天皇」を謀る勢力はそれを許すことはない。

 反天皇の不逞の輩らは、「皇籍復帰は現代にはそぐわない」とか、「男系男子を増やす目的だけで」だとか、彼是と理由を吐けては反対しているが、皇籍復帰を実現させ、若年皇族や幼年皇族には皇族としての帝王学を学ばせれば好いだけのこと。

 喩え、女性天皇が誕生したとして、その女性天皇と結婚出来る資格のある国民がいるとも思えない。若し、いるとすれば旧皇族なのだろうが、ならば、早々に旧皇族の皇籍を復活させ、天皇を盤石の安きに置くべきで、養子縁組とは順序が逆である。

 皇籍離脱させられた旧十一宮家の方々は北朝第三代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。旧宮家が皇籍復帰すれば男子成年皇族は二十名以上になる。

 皇位継承は神武天皇以来の「男系」の血筋が絶対であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは近年の反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは、「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

 内「伏見」「閑院」「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」は断絶しているが、東久邇家には、歴代天皇と男系で繋がる男子が七名おり、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が五名、更に四名の男児が生まれている。久邇宮に男児一名、賀陽宮に成年男子二名、竹田宮に男児一名と若い男子皇族がおり、皇籍復帰で皇統は安泰となる。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。

 秋篠宮皇太弟~悠仁親王殿下の継承は決まっているが、東久邇家以外にも十名以上の男系男子がおられる。「皇統の危機」は旧宮家の皇籍復帰を成すことで盤石となる。だが、敬宮愛子内親王を即位させ皇統断絶を謀る勢力がそれを許さない。

「長く民間人だった人が皇族になることに違和感がある」とは付けたりに過ぎない反対理由である。宮家は王室ではなく、祭祀を継承しているに過ぎない。天皇こそ祭主であるが、現憲法下で国事行為を行うだけの政府の都合の好い傀儡と化している。

 宮家を再興するということは、男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、何より、皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにあると知るべし。

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2024年03月27日

任侠道を忘却したヤクザが暴力団と誹られるのも当然である

 全国の右翼団体の殆どがヤクザと関わりがあり、悲しいことにヤクザの傘下団体に成り下がっているのが現状でもある。右翼陣営の弱体化は指導者不足と資金確保の問題が大きいが、暴力団傘下に甘んじたことが少なからず要因となっている。

 斯くいう愚生もヤクザの友人はいるし、所属してた防共挺身隊は山口組のケツ持ちだった。任侠精神や反権力、反骨精神では与するものはあるが、資本主義の落とし子の様なヤクザに、反資本主義の右翼が配下になるというのも可笑しなことだ。

 況してや昨今のヤクザに任侠精神は無く全てがカネの世界に成り下がった。暴対法や暴排条例の施行で暴力団では食べられなくなり、組織に与しない半グレが暴力団以上のシノギをして幅を利かす。こうしたことを招いたのもヤクザの為体が原因。

「任侠とは、弱い者を助け、強い者を挫き、義の為には命を惜しまない気風」のこと。そういう意味では、昨今のヤクザより愚生の方がその気風は逞しい(笑)

「ヤクザ」というのは、「おいちょかぶ(花札)」の八九三の札の意味で、八(おいちょ)と九(かぶ)と三(さんた)を足すと二十でゼロとなり「ブタ(どぼん)」となる。つまりは「役に立たない」「つまらないこと」という意味だ。

「暴力団」という呼称は戦後に警察やマスコミが命名した言葉だ。「任侠道」を謳ってい乍ら、やってることは振り込め(特殊)詐欺やら覚醒剤などの違法行為と弱い者イジメ。任侠道を忘却したヤクザに「暴力団」という名前はピッタリ(苦笑)

 己のことばかりで何の役にも立たなくなったヤクザに対して、「暴力団対策法」や「暴排条例」の施行は悪因悪果であり自業自得である。そんな現状なのに「ヤクザの人権が~」などと暴力団側に立って訴えてる右翼ってのも嗤うしかない。

 山口組四代目・竹中正久組長は「わしらにも人権はある。人殺ししたとしてもやなあ、裁判受けとるやないか、ええッ。わしが犬か豚か虎か狼やったら、人殺しても裁判受けさすか。せえへんやろ。人間やから裁判受けさせるんや」と語っている。

 ヤクザの中で山口組四代目の故竹中正久という人物が好きだ。如何にも武闘派という面構えだが、驚くことに刺青はしていなかったというのも驚いたっけ。

 右翼もそうだが、警察に媚び諂うヘタレヤクザが多い中であの反骨精神は尊敬にも値する。元検事の三井環は竹中組長の取り調べの様子をこう振り返っている。

「捜査や取り調べというのは戦争なんですよ。戦争とは荒いことをやります。相手をやるかこちらがやられるかが戦争なんです。私は29年検事をやりましたが自白をしなかったのは3人しかいなかった。一人は竹中正久で後の二人は中核派です」

 ヤクザは完全な資本主義である。反共は基より、反民主主義で反資本主義であるべき右翼もやってることはヤクザと変わりない。ヤクザブルの右翼が暴力団の傘下になったのも当然で、頭の中はヤクザと同じ金儲けと所帯染みたマイホーム主義。

 そんな拝金主義のヤクザや右翼が当たり前になったのは平成に入ってからのこと。昔のヤクザというのは任侠道を重んじていたし、右翼も反骨精神があった。堅気を苛めず、カネは追うものではなく後から結果として付いてくるものと信じた。

 昭和時代の高倉健や勝新太郎の任侠映画がそうだが、悪を懲らしめ正義が勝つといった勧善懲悪に国民は興じた。その後、菅原文太の「仁義なき戦い」の頃になると抗争事件が主題となり、最近のVシネマに至っては完全な暴力団と化した(笑)

 誰が言ったのか知らないが「ヤクザはカネも器量の内」だとか「ヤクザはイイオンナ連れてイイ車に乗らなきゃ」というのが当たり前の価値観となった。カネや外見でしか判断することがないから、見栄や虚勢を張って己を大きく見せ様とする。

 愚生も付き合いから何百人、何千人と色んなヤクザを見て来たが、ホンモノは極々僅かしかおらず、ヤクザの空ツッパリと根性無しはホント嗤うしかない。

 ヤクザの傘下団体に納まった右翼に魅力はもう無くなった。今は右翼団体を辞めてヤクザとの柵もなくなってお蔭で清清したというのが正直なところ(笑)

「仁義なき戦い」の舞台にもなった広島県呉市の商店主の言葉をSNSで読んだ。「ヤクザなんぞなんにもかっこええもんじゃありゃせんわ。ほんまに強えやつは決してヤクザにゃならん。一対一じゃ勝てんから群れる。好き勝手暴れて怖いから殺す。人の横車を押して無理難題を押しつけて、あいつらはただそれだけのことじゃ」

 幡随院長兵衛の様な町奴(まちやっこ)がヤクザであり、強きを挫き弱きを助ける気風が無くてはならない。任侠道を忘却した暴力団を排除し、ヤクザに任侠精神を涵養させたいと思うが、任侠道とは程遠いヤクザにその声が届くことは無い。

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2024年03月22日

大谷翔平選手の水原通訳がドジャースから解雇という衝撃的なニュース

 米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手の水原一平通訳が、スポーツ賭博への関与が指摘されて球団から解雇されたという衝撃的なニュースが飛び込んで来た。

 SNSでは大谷翔平選手を気遣う意見が大勢を占めていたが、「実は水原一平ではなく大谷翔平がスポーツ賭博に手を染めてて水原通訳が身代わりになった」というツイートが目に留まった。炎上目的なのか妄想逞しい意見には厭きれるばかり。

 ギャンブルに嵌った水原通訳を大谷選手が助けてやったというのが真相だろう。だが、喩え好意であっても資金を融通したことが事実なら共犯に取られる可能性も。

 大谷の口座を使ったことは「(スポーツ賭博が)違法ではない」という認識からだったということを窺い知れることが出来るが、軽挙妄動の誹りは免れない。

 そこで弁護士を介して「水原通訳が自分でやったこと」にせざるを得なくなり、窃盗罪での告発に至ったのだろうと推測する。捜査の進展如何では大谷選手の処分の可能性も拭えないが、こんなことで選手生命を絶たれることがあってはならない。

 スポーツ賭博は知らないしパチンコはやらないが、愚生は競輪・競馬が大好き。身を亡ぼす様な賭け方はしないが、分相応に愉しんでいる。水原通訳もギャンブル依存症などと言い訳してるが、己を知り、分相応に愉しんでいれば好かっただけだ。

 最近は慢性的不如意で放浪の旅に出ていないが、ギャンブル目的の「旅打ち」は大好きだ。旅打ちの聖地は、新潟県西神原郡弥彦村の彌彦神社敷地内に在る「弥彦競輪場」だろう。温泉街もあって、勝ったら温泉止まり、負ければ野営か野宿(笑)

「旅打ち」といえば色川武大こと阿佐田哲也だろう。他にも浅田次郎や伊集院静、山口瞳なんかも旅打ちを愛した作家である。「旅をしながらギャンブルを行う」というスタイルは、江戸時代の「博徒」と呼ばれた国定忠治などの無宿人がそう。

 愚生からすると、パチンコはダメだが公営ギャンブルを否定する人や全くギャンブルをやったことが無い人というのは魅力を感じない。無難な人生を歩んで来たという如何にも安泰した生活臭が、そういう雰囲気を醸し出しているからだ。

 何事も失敗を経験しバカな事に打ち込んだ人というのはどことなく人間味に溢れている。阿佐田や浅田、伊集院といった作家の作品がウケるのは、そうした経験から滲み出る人間性から発した生きた言葉や人生観が綴られているからだと思う。

 阿佐田はギャンブルから学んだ人生観を相撲の勝敗に喩えた。「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理が出る」と教えたが、実に分かり易い。

「幸運が続き過ぎると危ない」という考えから、大負けすると「ここで不運を消化しておけば安心だ」と語っていたという。愚生も見倣ってるが負けばかり。

「満(み)つれば(か)欠くる」ともいうが、愚生の人生も40歳の頃がピークで、後はずっと欠けっぱなし。まぁ、月も三日月になってしまえば後は満ちて来るし、ツキは戻って来るものだから、今を凌げばどうにかなるだろうと楽観視している。

「勝つと思うな思えば負けよ」という。「勝とう」「勝たねば」と思うと実力を発揮出来ずに終わるということが多いが、これを「引き分けで好い」と思うと意外と気負わずに出来るもの。そんな精神的余裕が勝ちに結びついたりするものだ。

 そういう意味では旅打ちやギャンブルというのは精神修行の一つでもある。分かるかなぁ。まぁ水原通訳がそうだが、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言う様に遣り過ぎ。何事も分相応に程程に、阿佐田の教えである9勝6敗を目指すのが好い。

 大谷選手は水原通訳に、必要経費として使える10億円の口座を管理させていたという情報もあった。そりゃ、水原通訳も天祐とばかりギャンブルに使うわな。

 大谷選手もアメリカンドリームを成功させて金銭的に麻痺してしまっていたのかも知れないなぁ。「人を見る目は人生経験の積み重ね」「人を見る目は人生哲学そのもの」だが、失敗や裏切りは「好い人生経験を積んだ」と思うことだ。呵呵

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