東日本大震災で得た教訓を活かし高度な対策を構築して行くことが大事「自ら省みて縮(なお)くんば一千万人といえども我いかん」という精神性は持ち合わせていないのか

2022年03月12日

東日本大震災で亡くなられた方々は巨大地震に因る大津波が原因

 東日本大震災から11年となる昨日、県主催の追悼復興祈念式が行われ、岸田文雄首相が参列した。祈念式典で、岸田首相が追悼の言葉を述べ、内堀雅雄知事は式辞で犠牲者を悼み、遺族の方々に哀悼の意を表し、復興への決意を述べた。

 式辞は例年と同じで「巨大地震と大津波に加え、原子力発電所の事故という未曽有の大災害は4000人を超える尊い命を奪った」と昨年と同じ式辞に違和感を覚える。

 東日本大震災で亡くなられた方々は巨大地震に因る大津波が原因であって、原発事故での関連死者はいるが原発事故での放射線被害で直接亡くなった人はいない。原発事故で尊い命が犠牲となったかの様な「複合災害」との言葉は混乱を生む。

 原発事故の関連死はあるが、放射線で直接亡くなられた人はいない。民主党政権が行った強制避難命令に由り、重篤な患者や医療弱者が緊急に移動させられ亡くなったのは原発事故が原因というより、民主党政権の科学を無視した愚策に在る。

 11年前の3月11日、国会では菅直人首相の外国人からの不法献金が追及されていた。辞任已む無しの状況下で巨大地震が発生。菅は不法献金疑惑から逃れようと現場視察というパフォーマンスに出た。この軽挙妄動が混乱に拍車を掛けることとなる。

 東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していながら、菅直人自らが強く望んだ福島第一原発視察に因って、事故拡大防止の為に採るべき第二第三の矢を放つのが遅れてしまったことは決して見逃すことは出来ない。

 政府関係者が原発対策より「菅首相を被曝させない」ことを優先する余り、1号機の炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れてしまったのだ。

 菅の現場視察こそが、原発事故の現場の対応に要らぬ混乱を招き被害が拡大した最大要因である。東電幹部より菅直人こそが「業務上過失致死傷罪」で逮捕され刑務所に送り込まねばならない犯罪者であり、菅が強制起訴されない裁判に意味は無い。

 大震災の対策に手を拱いていた民主党政権は、「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値を隠蔽し、科学的根拠の無い「原発周辺20キロ圏内」という避難指示を下した。このSPEEDI数値の隠蔽行為が後々禍根を残す。

 双葉町に在る双葉病院やドーヴィル双葉周辺は放射線量は低い地域だった。避難指示を解除し治療を優先すべきだったにも拘らず、「原発周辺20キロ圏内」に拘泥して強制的に避難させてしまったことで患者が死亡したというのが事実である。

 双葉病院やドーヴィル双葉に入所していた移動困難な動かしてはいけない重篤な患者に移動を強いた責任者は、当時の首相であり災害対策本部長だった菅直人である。科学的データを無視した避難指示は正しく殺人行為と言って好いだろう。

 東電旧経営陣らを庇うつもりは毛頭ないが、当時の最高責任者でありながら混乱と更なる被害の拡大を生んだ菅が逮捕されないことに正義が在るとも思えない。当時の政権の失政を総括し、政治家全体の責任として猛省しなければその意味は無い。

 騒がれている処理水問題にしても何故に早くに海洋放出が出来なかったのか。「福島は除染をしなければ住めない土地」と風評を悪化させる原因を作ったのは非科学的な除染作業であり、何故に除染が強行されたのか予断なく検証するべきである。

 事故責任を問うのは法治国家では当然であろうが、それよりも大事なことは災害が起きた際に「人災」と言われる様な過ちを再び繰り返さない為に我々はどうすべきなのか、未曾有の原発事故というなら、その教訓を今後にどう活かすかだろう。

 福島原発事故に限らず、いつか起こるであろう韓国や中共、或いは世界の原発事故に対し、東京電力福島第一原発事故に対する収束技術や正確な科学的データが活かされることこそ、犠牲者並びに福島のこの地に住み続ける我らの願いでもある。

 余談だが、内堀知事の挨拶から「ご冥福」の言葉が消えたのは好ましい。数年前までは使っていたが、愚生が秘書課に指摘したのが効いたのかのか使わなくなった。

 だが、遺族代表やSNSなどでは「ご冥福」との言葉が溢れていた。保守派と言われる某女性議員が「ご冥福」と使ってたので指摘しようと思ったがフォローを解除した。死者を悼む気持ちを否定する訳ではないが、宗派を軽んじてはいけない。

 冥福とは「死後の幸福」という意味。浄土真宗での教義は「死は穢れ」ではなく、故人を阿弥陀如来の智慧の光明によって極楽浄土へと導くという真理である。

 東日本大震災での犠牲者には浄土真宗の檀家の方もいるだろう。「冥福」という言葉を安易に使うことは阿弥陀如来の否定であり、浄土真宗への冒涜である。

「冥福」というとそれらしく聞こえるから使いたがるが、故人の宗派が分からないなら「哀悼の意を表します」「お悔やみ申し上げます」と言い換えるべきだ。

 葬儀告別式でも地元選出議員らの選挙活動の一環として弔電披露が行われる。宗派に関係なく「訃報に接し心より故人の冥福を祈ります」などとやってる議員が多いのには厭きれてしまう。死者を悼む前に仏教や宗派の教えを学んだら如何か。

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cordial8317 at 08:35│Comments(0)

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