2022年01月07日
神社参拝で最後の一礼の際に手を合わせて祈るのは間違い
右翼現役時代には正月や紀元節などは靖國神社に参拝し、団体を辞してからは地元の開成山大神宮に参拝し、年始には恭しく聖寿の万歳を寿ぎ奉り、紀元節には神武肇国の精神を偲ぶと共に畏くも陛下の弥栄、併而心願成就を祈念している。
開成山大神宮の御祭神は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」「豊受大神(とようけのおおかみ)」「神倭伊波禮彦命(かむやまといわれひこのみこと:神武天皇)」。伊勢神宮や橿原神宮と同じ神々を祀る実に有難い社である。
安積開拓民の精神的な拠り所にと、福島県の典事・中條政恒が伊勢神宮の分霊の奉遷を神宮司庁へ働きかけた創建された神社である。本来は、福島県が「岩代の国」と呼ばれていたということもあり「岩代大神宮」を希望したが「伊勢神宮」と同じく、旧国名を冠することに明治新政府が難色を示し「開成山大神宮」となった。
こうした経緯があることは余り知られてはいないが、若しも開成山という名称ではなく「岩代大神宮」だったらと思うと旧岩代町出身者の愚生としては惜しい哉。
不毛の地であった安積(郡山)の大地というのは、明治以降、地元の二本松藩を始め、会津藩や棚倉藩。近県からは米沢藩。四国からは土佐藩と松山藩。山陰からは岡山藩と鳥取藩。九州から久留米藩の方々が入植して開拓した地でもある。
一番多かったのは九州久留米藩で、郡山弁には「んだばい」とか言葉尻に「ばい」が使われるのはそうした名残だ。今の様に交通の便が無い時代、九州や中国・四国地方から徒歩で数百、千数百キロを歩いて来たことを思うと実に感慨深い。
正月には国民の多くが神社に詣でる。テレビ番組などでも神社からの中継も増えた。昔は「二礼二拍手一礼」という神社の作法がGHQが謀った「神道指令」の報道規制に引っ掛かるのか冒頭の礼で終わり映像が別のシーン替えられたりしていたと記憶する。そういう意味では参拝のシーンが映されるのは結構なことだ。
だが、多くの参拝の作法が二礼二拍手までは好いのだが、最後の一礼の際に何故か手を合わせて祈っている人が殆ど。寺じゃないのだから手を合わせるのではなく頭を下げるのが正しい。拍手も神を呼ぶもので大きな音を出すのが好い。
神様を拝むには先ず心身を清めることが大事で、仏教にしろ宗教も同じ。神道では清浄という「禊(みそぎ)」を尊ぶ。伊勢神宮に未だ橋が無かった時代には本殿に参拝するには五十鈴川を渡らねばならず、自然に禊が出来る様になっていた。
神社には参道や本殿近くにに「手水舎(てみずや)」が置かれているので、ここで身を清める。手水舎は「禊」の場所であり、神社では重要な場所なのである。手や口も清めずに本殿に参じることはイケません。 手水を取る作法は次と通り。
1 先ず、右手で柄杓を取り、清水を汲み左手に掛け清める。
2 次に柄杓を持ち替え、同じ様に右手を清める
3 再び柄杓を右手に戻し、左手に清水を注ぎ口を漱ぐ
4 最後に柄杓を立てながら残った清水で柄杓を清め、伏せて置く
そうして参道を通り神前へ向かうのだが、参道の中央は神様の通る道なので、真ん中を避けて歩くことが礼儀。堂々と真ん中を歩いている人が多いが間違いだ。
神前に立ち、賽銭を入れ、鈴(ある場合)を鳴らし、「二礼二拍手一礼」で参拝する。礼が終わったら頭を垂れ、「祓え給え、清め給え、守り給え、幸え給え」と唱え、感謝の言葉や願懸けをする。最後の一礼の際に両手を合わせ祈っている人がいるが、寺院ではないので頭を垂れるのが社頭での正しい参拝の作法である。
全国に神社は沢山在るが「神様とは何か」「神道とは何か」を知る人は少ない。当り前に存在しているものとだけしか受け止めてはいない。その神道の祭祀を斎行する天皇という存在も同じで、「現神(あきつかみ)としての天皇とは何か」「祭祀とは何故に重要か」ということを教わることも、知ろうともしない。
神社というのは近所に当り前に在って、祭りがあるから愉しもうというだけで、神への感謝の気持ちは持ち合わせてはいない。当たり前の様に存在している神社に何が祀られて、どんな歴史があるということを理解してる住民は少なく、また教えるべき者もいない。神道を学べとは言わないまでもせめて参拝の作法を覚えて欲しい。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
開成山大神宮の御祭神は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」「豊受大神(とようけのおおかみ)」「神倭伊波禮彦命(かむやまといわれひこのみこと:神武天皇)」。伊勢神宮や橿原神宮と同じ神々を祀る実に有難い社である。
安積開拓民の精神的な拠り所にと、福島県の典事・中條政恒が伊勢神宮の分霊の奉遷を神宮司庁へ働きかけた創建された神社である。本来は、福島県が「岩代の国」と呼ばれていたということもあり「岩代大神宮」を希望したが「伊勢神宮」と同じく、旧国名を冠することに明治新政府が難色を示し「開成山大神宮」となった。
こうした経緯があることは余り知られてはいないが、若しも開成山という名称ではなく「岩代大神宮」だったらと思うと旧岩代町出身者の愚生としては惜しい哉。
不毛の地であった安積(郡山)の大地というのは、明治以降、地元の二本松藩を始め、会津藩や棚倉藩。近県からは米沢藩。四国からは土佐藩と松山藩。山陰からは岡山藩と鳥取藩。九州から久留米藩の方々が入植して開拓した地でもある。
一番多かったのは九州久留米藩で、郡山弁には「んだばい」とか言葉尻に「ばい」が使われるのはそうした名残だ。今の様に交通の便が無い時代、九州や中国・四国地方から徒歩で数百、千数百キロを歩いて来たことを思うと実に感慨深い。
正月には国民の多くが神社に詣でる。テレビ番組などでも神社からの中継も増えた。昔は「二礼二拍手一礼」という神社の作法がGHQが謀った「神道指令」の報道規制に引っ掛かるのか冒頭の礼で終わり映像が別のシーン替えられたりしていたと記憶する。そういう意味では参拝のシーンが映されるのは結構なことだ。
だが、多くの参拝の作法が二礼二拍手までは好いのだが、最後の一礼の際に何故か手を合わせて祈っている人が殆ど。寺じゃないのだから手を合わせるのではなく頭を下げるのが正しい。拍手も神を呼ぶもので大きな音を出すのが好い。
神様を拝むには先ず心身を清めることが大事で、仏教にしろ宗教も同じ。神道では清浄という「禊(みそぎ)」を尊ぶ。伊勢神宮に未だ橋が無かった時代には本殿に参拝するには五十鈴川を渡らねばならず、自然に禊が出来る様になっていた。
神社には参道や本殿近くにに「手水舎(てみずや)」が置かれているので、ここで身を清める。手水舎は「禊」の場所であり、神社では重要な場所なのである。手や口も清めずに本殿に参じることはイケません。 手水を取る作法は次と通り。
1 先ず、右手で柄杓を取り、清水を汲み左手に掛け清める。
2 次に柄杓を持ち替え、同じ様に右手を清める
3 再び柄杓を右手に戻し、左手に清水を注ぎ口を漱ぐ
4 最後に柄杓を立てながら残った清水で柄杓を清め、伏せて置く
そうして参道を通り神前へ向かうのだが、参道の中央は神様の通る道なので、真ん中を避けて歩くことが礼儀。堂々と真ん中を歩いている人が多いが間違いだ。
神前に立ち、賽銭を入れ、鈴(ある場合)を鳴らし、「二礼二拍手一礼」で参拝する。礼が終わったら頭を垂れ、「祓え給え、清め給え、守り給え、幸え給え」と唱え、感謝の言葉や願懸けをする。最後の一礼の際に両手を合わせ祈っている人がいるが、寺院ではないので頭を垂れるのが社頭での正しい参拝の作法である。
全国に神社は沢山在るが「神様とは何か」「神道とは何か」を知る人は少ない。当り前に存在しているものとだけしか受け止めてはいない。その神道の祭祀を斎行する天皇という存在も同じで、「現神(あきつかみ)としての天皇とは何か」「祭祀とは何故に重要か」ということを教わることも、知ろうともしない。
神社というのは近所に当り前に在って、祭りがあるから愉しもうというだけで、神への感謝の気持ちは持ち合わせてはいない。当たり前の様に存在している神社に何が祀られて、どんな歴史があるということを理解してる住民は少なく、また教えるべき者もいない。神道を学べとは言わないまでもせめて参拝の作法を覚えて欲しい。
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cordial8317 at 07:59│Comments(0)
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