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2020年11月19日

政治の世界こそ実力の世界に戻さなければならないと感じる

 人生とは実力社会と言われる。実力社会というのは相撲の世界と同じで、実力がある者が番付が上がり、その中でも心技体が備わっている者が横綱となる。

 この横綱の子供が必ずしも横綱になれる保証はなく、血縁も、家柄も、門閥も、また学歴も一切関係ない。正しく実力だけがものをいう世界である。

 これに反して政界や役人、話題となっている日本学術会議などでは学歴と経歴がものをいう。幾ら実務能力が優れていても高卒じゃ事務次官にはなれない。

 政治家の世界も今や実力社会ではなくなって久しい。政治家になるには選挙が重要となり、そこで「ジバン・カンバン・カバン」がものいうから世襲が有利となる。

 歌舞伎の世界も同じで世襲が当たり前。団十郎や菊五郎、吉右衛門など襲名出来る者は限られていて、家柄、門閥がないと実力があっても襲名は容易ではない。

 菅義偉総理は世襲ではないが、こうしたのは稀で政治の世界でも世襲議員が幅を利かせている。政治の世界こそ実力の世界に戻さなければならないと感じる。

 政治の世界での勝負は選挙だが選挙に負けたらタダの人。昨今では引退した筈の議員らが、あ~だこ~だと現政権にイチャモンを吐けてるが実に見苦しい。

 河井夫婦の公職選挙法違反事件というのは、安倍の期待に応えて何が何でも勝たねばという意識が強かった故の行為だったのだろうが、勝負事というのは何でもかんでも勝ちさえすりゃ好いかといえばそうでもない。この加減が実に難しい。

「凡そ軍勝五分を以て上となし、七分を以て中となし、十分を以て下と為す。その故は五分は励を生じ七分は怠を生じ十分は驕を生じるが故。喩へ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。全て戦に限らず世の中の事この心掛け肝要なり」とは武田信玄。十分の勝ちを得る事は驕りを生じると戒めている。

 言い換えれば、負けを知らずに勝ってばかりいては敵ばかりが増えることにもなり、勝つにしても相手を慮って程々の勝ちを心掛けるのが好いと訓える。

「雀聖」色川武大(阿佐田哲也)は、ギャンブルから学んだ人生観を相撲の勝敗に例え「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理がでる」と教えた。

 賭博を目の敵にしてるネット民などから「人生をギャンブルに喩えるとは怪しからん」と批判されそうだが、競馬も競輪も競艇もオートレースも、投資だって賭博性の高いギャンブルの様なもの。結婚もギャンブルに近い(笑)

 分不相応なギャンブルは以ての外だが、そうなるのも己の実力を知らないから。要は「場数」が少ないのだ。場数とは失敗した数であり、バカな経験数が後々自分の為にもなってくるし、男としての重みも備わって来るというもの。

 勉学も好いがギャンブルなどの悪事(勝負)事も好い経験で、そうした経験も無いヤツというのはハンドルの遊びと同じで大きな過ちを起こすものだ。

 阿佐田は「幸運が続き過ぎると危ない」という考えから、ギャンブルに大負けすると「ここで不運を消化しておけば安心だ」とよく語っていたという。負け惜しみもあるが、勝負師としては信玄よりずっと分かり易いと思うのは愚生だけか(笑)

 美空ひばりの「柔」に「勝つと思うな思えば負けよ~♪」という歌詞がある、「勝とう勝とう」と思うと、気負いから実力を発揮出来ずに終わるということが多い。だが、そこを「引き分けでいいのだ」と思うと気負わずに出来るもの。

「ケンカ」も同じで「相打ちで好い」という気構えで相手と対峙すると、そんな精神的余裕が勝ちに結びついたりするもの。ということは、小倉競輪場で開催されてるG1競輪祭も大穴勝負じゃなく程程の配当狙いが好いかもな。呵呵。

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