2020年09月24日
「勝てば官軍」と勝利に酔った西郷だったが最後は「逆賊」に堕ちた
今日9月24日は西郷隆盛の命日。隆盛というのは実の父親の名前で本名は「隆永」だという。何故に「隆永」ではなく「隆盛」になってしまったのか。
明治2年、戊辰戦争の奥羽戦線から帰京する西郷に、宮内省から御召状が出されることになった。この時、友人の吉井友実に西郷の諱を尋ねたところ「確か、隆盛じゃった」と答えことで、以後「隆盛」と称されることとなったという。
帰京し、吉井に会った西郷は「あれは父の名でごわんか。わしの名は隆永じゃと、おはんも知っちょるじゃろう」というと、吉井も頭を掻きながら「ほんにそうじゃった」と詫び、二人は顔を合わせて大笑いしたという。
その後、西郷は「隆盛」という名を否定も訂正もしなかったのは、吉井への気遣いと、西郷自身の大らかさだろう。こうした逸話にしろ、誰からも「西郷(せご)どん」と愛される人柄だったことを窺い知ることが出来る。
戊辰の役の戦い虚しく会津藩が西軍に降伏したのは明治元年9月22日、その10年後の9月24日、西郷隆盛が西南戦争で敗れ城山で自刃する。明治維新の立役者が一転して「逆賊」の汚名を背負うこととなったのは一体何故なのか。
西南戦争が起こる4年前、西郷らが主張した「征韓論」を大久保利通や長州閥に因って却下される。加えて士族の帯刀や俸禄を廃止する「金禄公債証書条例」が制定されると士族らから明治政府への不満が噴出して行く。
政争に敗れた西郷は鹿児島に帰郷すると、政府に不満を持つ士族らは西郷を神輿として祭り上げる。「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など士族の反乱が続く中で終に西南戦争が勃発。奮闘虚しく敗れた西郷は城山で自刃した。
西郷は決して政府軍との戦争を起こそうとは考えていなかったというが、主宰する私学校生徒を統制出来なかったのは自身の優柔不断さが大きい。結果的に若者らの不満を抑えきれなかったのは己の不徳の至りではなかろうか。
「南洲翁遺訓」は、指導者としての西郷の度量の深さと無上の高潔さを感じ取れる。だが、歴史的偉人の言葉というのはその多くが自戒であり、西郷が好んだ「敬天愛人」の思想も人生の失敗から学んだ生き様でもある。
浪漫派を気取り、宣伝車などに「敬天愛人」を掲げる自己陶酔型の右翼団体や自称・愛国者らが大好きな言葉にこんなセリフがある。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
これは「西郷南洲翁遺訓」第三十条や山岡鉄舟語録からの引用である。自分が然も幕末の志士になったかの如くこの言葉に陶酔する。だが「国家の大業」や「天下の偉業」とは政治家がやることで、右翼風情がやることでもない(笑)
「命もいらず」とカッコ付けてはいるが生命保険や終身保険に入って積み立てしていたり、「名もいらず」とか言いながらも高目ばかりを夢見て、「有名になりたい」「カネを儲けたい」という右翼人の多いこと多いこと(笑)
また右翼の有名な人と知り合いになっただけで然も自分も右翼になったと勘違いしてる輩が多いが、そういう輩は権威主義の最たるもので、艱難を共にする奇特な人物などいやしないし、艱難などに遭遇してもきっと避けるに違いない(笑)
第三十条は、この台詞の後に「然れども斯くの如き人は、凡俗の眼には見るべからず」と続く。外見や肩書で判断してる凡俗の右翼人の眼にホンモノが映っているとは思えない。西郷南洲翁遺訓では第二十七ケ条が好い。
「過ちを改めるに自ら過ったとさへ思ひ付かば夫れにて善し。其事をば棄てて顧みず直に一歩踏出す可し。過を悔しく思い取繕はんと心配するは譬へば茶碗を割り其の欠けらを集め合せ見るも同じにて詮もなきこと也」
愚生もその昔は西郷隆盛を傑物だと信じ、疑いもなく傾倒していた。だが、故郷・二本松が「賊軍」の汚名を着せられた二本松藩ということもあるし、根が捻くれ者なので最近はチョッと穿った見方をしている。
慶喜公の恭順と江戸城の無血開城に満足せず、会津を攻め落とすことで徳川時代の終焉としたが、会津降伏後も満足することなく函館五稜郭へ侵攻する。西軍が北上する際に掠奪した金品は相当な額に及んでいる。正に官軍を装った盗賊の如し。
勝海舟と西郷隆盛の江戸城での談判と無血開城は侍としての士風を損なったばかりか、会津の悲運を生みこととなった。そういう意味でも勝海舟にしろ西郷隆盛にしろ言われてる様な傑物では無かった様に思えてならないのだ。
歴史というのは正義が常に正義ではなく、正義が敗れることもある。「勝てば官軍」と勝利に酔った西郷だったが、城山での無念の自裁は会津藩や東軍と同じく「逆賊」に堕ちた瞬間でもあった。歴史とは実に非情で気紛れでもある。
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明治2年、戊辰戦争の奥羽戦線から帰京する西郷に、宮内省から御召状が出されることになった。この時、友人の吉井友実に西郷の諱を尋ねたところ「確か、隆盛じゃった」と答えことで、以後「隆盛」と称されることとなったという。
帰京し、吉井に会った西郷は「あれは父の名でごわんか。わしの名は隆永じゃと、おはんも知っちょるじゃろう」というと、吉井も頭を掻きながら「ほんにそうじゃった」と詫び、二人は顔を合わせて大笑いしたという。
その後、西郷は「隆盛」という名を否定も訂正もしなかったのは、吉井への気遣いと、西郷自身の大らかさだろう。こうした逸話にしろ、誰からも「西郷(せご)どん」と愛される人柄だったことを窺い知ることが出来る。
戊辰の役の戦い虚しく会津藩が西軍に降伏したのは明治元年9月22日、その10年後の9月24日、西郷隆盛が西南戦争で敗れ城山で自刃する。明治維新の立役者が一転して「逆賊」の汚名を背負うこととなったのは一体何故なのか。
西南戦争が起こる4年前、西郷らが主張した「征韓論」を大久保利通や長州閥に因って却下される。加えて士族の帯刀や俸禄を廃止する「金禄公債証書条例」が制定されると士族らから明治政府への不満が噴出して行く。
政争に敗れた西郷は鹿児島に帰郷すると、政府に不満を持つ士族らは西郷を神輿として祭り上げる。「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など士族の反乱が続く中で終に西南戦争が勃発。奮闘虚しく敗れた西郷は城山で自刃した。
西郷は決して政府軍との戦争を起こそうとは考えていなかったというが、主宰する私学校生徒を統制出来なかったのは自身の優柔不断さが大きい。結果的に若者らの不満を抑えきれなかったのは己の不徳の至りではなかろうか。
「南洲翁遺訓」は、指導者としての西郷の度量の深さと無上の高潔さを感じ取れる。だが、歴史的偉人の言葉というのはその多くが自戒であり、西郷が好んだ「敬天愛人」の思想も人生の失敗から学んだ生き様でもある。
浪漫派を気取り、宣伝車などに「敬天愛人」を掲げる自己陶酔型の右翼団体や自称・愛国者らが大好きな言葉にこんなセリフがある。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
これは「西郷南洲翁遺訓」第三十条や山岡鉄舟語録からの引用である。自分が然も幕末の志士になったかの如くこの言葉に陶酔する。だが「国家の大業」や「天下の偉業」とは政治家がやることで、右翼風情がやることでもない(笑)
「命もいらず」とカッコ付けてはいるが生命保険や終身保険に入って積み立てしていたり、「名もいらず」とか言いながらも高目ばかりを夢見て、「有名になりたい」「カネを儲けたい」という右翼人の多いこと多いこと(笑)
また右翼の有名な人と知り合いになっただけで然も自分も右翼になったと勘違いしてる輩が多いが、そういう輩は権威主義の最たるもので、艱難を共にする奇特な人物などいやしないし、艱難などに遭遇してもきっと避けるに違いない(笑)
第三十条は、この台詞の後に「然れども斯くの如き人は、凡俗の眼には見るべからず」と続く。外見や肩書で判断してる凡俗の右翼人の眼にホンモノが映っているとは思えない。西郷南洲翁遺訓では第二十七ケ条が好い。
「過ちを改めるに自ら過ったとさへ思ひ付かば夫れにて善し。其事をば棄てて顧みず直に一歩踏出す可し。過を悔しく思い取繕はんと心配するは譬へば茶碗を割り其の欠けらを集め合せ見るも同じにて詮もなきこと也」
愚生もその昔は西郷隆盛を傑物だと信じ、疑いもなく傾倒していた。だが、故郷・二本松が「賊軍」の汚名を着せられた二本松藩ということもあるし、根が捻くれ者なので最近はチョッと穿った見方をしている。
慶喜公の恭順と江戸城の無血開城に満足せず、会津を攻め落とすことで徳川時代の終焉としたが、会津降伏後も満足することなく函館五稜郭へ侵攻する。西軍が北上する際に掠奪した金品は相当な額に及んでいる。正に官軍を装った盗賊の如し。
勝海舟と西郷隆盛の江戸城での談判と無血開城は侍としての士風を損なったばかりか、会津の悲運を生みこととなった。そういう意味でも勝海舟にしろ西郷隆盛にしろ言われてる様な傑物では無かった様に思えてならないのだ。
歴史というのは正義が常に正義ではなく、正義が敗れることもある。「勝てば官軍」と勝利に酔った西郷だったが、城山での無念の自裁は会津藩や東軍と同じく「逆賊」に堕ちた瞬間でもあった。歴史とは実に非情で気紛れでもある。
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《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 07:56│Comments(0)
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