2020年09月11日
「戦犯が祀られている靖國神社なんぞに参拝しない」という石破茂
自民党総裁選に立候補してる石破茂は東京電力福島第一原発事故で全町避難が続く福島県双葉町を訪問し、処理水の処分に「国民や世界に納得してもらうまで説明するのが政府の責任だ」と語った。一生説明会をやってろつ~の(苦笑)
処理水の処分方法さえ決定していないことは確かに政府の怠慢と言えるが、評論家の如きに語る政治家の怠慢でもある。説明したところで感情的に反対している連中は納得することは無いし解決は見ないだろう。最後は政治家の決断が大事。
石破というのは、森友問題や加計問題もそうだが、安倍政権への批判が出ていることを好いことに、説明責任の足りなさを指摘して「手が上がらなくなるまで誠意を以て対応するべき」などと批判するが具体的な対案などは示さない。
加計問題で言うなら、獣医師会の意向を忖度し、獣医学部創設を困難にする目的で「石破四条件」を作った過程や、石破が加計問題に関わった経緯を知りたいが、そうした疑問には応えもしないのに政府批判だけは一人前(苦笑)
回り諄い言い回しだから一見すると正論の様に聞こえるが、その実は中身は空っぽの大衆迎合主義に他ならない。政治家が世論に諂ってどうするのだ。
政治が国民目線に立った時に必ず国が滅ぶというのは世の常だ。何故なら、国民の判断力は常に低く、その意見というのもその時代の風潮に流され、マスコミに感化され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。
いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、実に操縦し易く、石破というのはそういう認識だからこそ世論に媚びた言い回しで国民を取り込もうとする。
石破は、大衆を惹きつけ様というのは師である田中角栄を模倣してるが、似てるのは中共への忠誠心と歴史認識だけで、国民的人気は田中の足元にも及ばない。
政治とは国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだが、ネット社会の今、石破の容共的政治姿勢と御花畑的無自覚左翼ぶりを胡散臭く感じている国民は実に多い。
石破は、第二次世界大戦を侵略戦争だと断じ「西欧列強も侵略国家ではありましたが、日本も『遅れて来た侵略国家』である」という認識を持っている。
「先の侵略戦争の責任はA級戦犯に在り、その戦犯が祀られている靖國神社なんぞに参拝しない」という悍ましい歴史認識の持ち主で、「侵略国家として未来永劫、相手国(中朝韓)が納得するまで謝罪しろ」という政治スタンスを採っている。
我が国が主権を恢復した昭和27年4月28日の講和条約が発効した翌年の第16国会の議決に拠り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正され、それを以て法的に復権されている訳で、政治家が「戦犯」と呼ぶことは議決された法案の軽視である。
連合国側が定めた、A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」として祀っている。
国会議員が公然と「戦犯」と呼称していること自体、国会決議を軽んじている証左であり、石破も中曽根康弘らと同じイカサマ保守というのが正しい。
石破は「太平洋戦争史観」を疑いもなく信じ、更には中国共産党に籠絡された政治家と言うのが正しく、それ故に国家観が決定的に欠落している。
以前、田母神俊雄幕僚長が「日本はいい国だ」といって解任されたのは記憶に新しいが、解任したのは石破だった。投稿したアパ論文に色を作して反論し、田母神の歴史認識や政治介入を「いつか来た道」に繋がるものだと断罪した。
「いつか来た道」というのは、石破が「侵略戦争」と断じて止まない先の戦争であるというのは言うまでもない。こうした売国的主張が左翼ではなく、保守を標榜する議員から発せられてることは実に悪質且つ危険なものと断じざるを得ない。
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処理水の処分方法さえ決定していないことは確かに政府の怠慢と言えるが、評論家の如きに語る政治家の怠慢でもある。説明したところで感情的に反対している連中は納得することは無いし解決は見ないだろう。最後は政治家の決断が大事。
石破というのは、森友問題や加計問題もそうだが、安倍政権への批判が出ていることを好いことに、説明責任の足りなさを指摘して「手が上がらなくなるまで誠意を以て対応するべき」などと批判するが具体的な対案などは示さない。
加計問題で言うなら、獣医師会の意向を忖度し、獣医学部創設を困難にする目的で「石破四条件」を作った過程や、石破が加計問題に関わった経緯を知りたいが、そうした疑問には応えもしないのに政府批判だけは一人前(苦笑)
回り諄い言い回しだから一見すると正論の様に聞こえるが、その実は中身は空っぽの大衆迎合主義に他ならない。政治家が世論に諂ってどうするのだ。
政治が国民目線に立った時に必ず国が滅ぶというのは世の常だ。何故なら、国民の判断力は常に低く、その意見というのもその時代の風潮に流され、マスコミに感化され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。
いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、実に操縦し易く、石破というのはそういう認識だからこそ世論に媚びた言い回しで国民を取り込もうとする。
石破は、大衆を惹きつけ様というのは師である田中角栄を模倣してるが、似てるのは中共への忠誠心と歴史認識だけで、国民的人気は田中の足元にも及ばない。
政治とは国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだが、ネット社会の今、石破の容共的政治姿勢と御花畑的無自覚左翼ぶりを胡散臭く感じている国民は実に多い。
石破は、第二次世界大戦を侵略戦争だと断じ「西欧列強も侵略国家ではありましたが、日本も『遅れて来た侵略国家』である」という認識を持っている。
「先の侵略戦争の責任はA級戦犯に在り、その戦犯が祀られている靖國神社なんぞに参拝しない」という悍ましい歴史認識の持ち主で、「侵略国家として未来永劫、相手国(中朝韓)が納得するまで謝罪しろ」という政治スタンスを採っている。
我が国が主権を恢復した昭和27年4月28日の講和条約が発効した翌年の第16国会の議決に拠り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正され、それを以て法的に復権されている訳で、政治家が「戦犯」と呼ぶことは議決された法案の軽視である。
連合国側が定めた、A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」として祀っている。
国会議員が公然と「戦犯」と呼称していること自体、国会決議を軽んじている証左であり、石破も中曽根康弘らと同じイカサマ保守というのが正しい。
石破は「太平洋戦争史観」を疑いもなく信じ、更には中国共産党に籠絡された政治家と言うのが正しく、それ故に国家観が決定的に欠落している。
以前、田母神俊雄幕僚長が「日本はいい国だ」といって解任されたのは記憶に新しいが、解任したのは石破だった。投稿したアパ論文に色を作して反論し、田母神の歴史認識や政治介入を「いつか来た道」に繋がるものだと断罪した。
「いつか来た道」というのは、石破が「侵略戦争」と断じて止まない先の戦争であるというのは言うまでもない。こうした売国的主張が左翼ではなく、保守を標榜する議員から発せられてることは実に悪質且つ危険なものと断じざるを得ない。
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cordial8317 at 07:32│Comments(0)
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