8月15日「終戦記念日」ではなく「戦没者を追悼し平和を祈念する日」Facebookでまたもや規約違反に問われ出入り禁止に(苦笑)

2020年08月16日

神となられた英霊の死を悼み悲しむというのは如何なものか

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に御臨席遊ばされた天皇陛下は、上皇陛下から受け継いでいる「深い反省」との文言を盛り込まれた。不戦の誓いを新たにすることは諒とするが、宮内庁幹部の意向を汲んだ「深い反省」は止めた方が好い。

「深い反省」とは、先の大戦での日本悪玉論を認めることに他ならず、「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」と照らし合わせても矛盾を感じるし軽々しく思う。

「深い反省」とは何を指すのか。昭和天皇の責任か。大東亜戦争は無謀な戦いだったのか。敗戦したことを深く反省するのか。余りにもアバウト過ぎる。

 欽定明治憲法下では国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼しその責に任ずることになっており陛下には法的に責任は無い。しかし乍ら、先の大戦の結果を道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇であった。

 渙発された「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」の中で、昭和天皇は「帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク 且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ」と仰せられた通り、昭和天皇御自らが身を苛まれたのだ。

 一方の安倍総理の式辞は「深い反省」の言葉もなく無難なものだった。「積極的平和主義」という文言に有識者らは尤もらしい批判をしているが、我が国が目指すべきは防衛力の強化という積極的平和主義の確立であることに間違いはない。

 二度と敗戦という過ちを繰り返さない為にも万全な防衛体制を構築することこそ、先の大戦で犠牲となられた方々に報いるものだと信じている。

 我が国が「アジアの人々に謝罪し罪を償う必要がある」というなら、最大の過ちは敗戦に由って中国共産党の跋扈を許したことであり、その償いは共産主義を失くすこと以外にない。その為にも積極的平和主義を我が国外交の柱とすべきだ。

 昨日、小泉進次郎環境相や高市早苗総務相ら閣僚4人が靖國神社を参拝した。安倍首相は代理で玉串料を奉奠。保守票目当ての政治家を始め、営業保守や自称・愛国者、インチキ右翼らが靖國神社に参集し英霊に哀悼の意を表す。

 靖國神社は英霊の功績を顕彰する社であり、英霊は神である。神となられた英霊の死を悼み悲しむというのは如何なものか。靖國神社の創建の意味を知らないから、こうした「哀悼」だとか「慰霊」「追悼」という場違いが罷り通る。

 中韓や靖國神社に反対する勢力らもそうだが、靖國神社は追悼施設だと思っている国民は少なくない。慰霊や追悼というなら、遺骨が埋葬されている千鳥ヶ淵墓苑に御参りすれば好いし、千鳥ヶ淵墓苑を国立追悼施設にすれば好い。

 石原慎太郎が「天皇陛下に参拝していただきたい」と語ってたが、それを言うなら「御親拝」だろう。タカ派を気取ってはいるが相変わらず尊皇精神に乏しい。況してや8月15日の靖國参拝には意味が無いのに、何故に8月15日に拘るのか。

 明治天皇の思し召しで、明治維新と日清日露の犠牲者を祀る神社が、昭和に入ると殊更に護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げる為の社となって行った。

 靖國神社が戦意高揚に利用されていたというのは否定出来ないし、最近の靖國神社を見ていると恰も大東亜戦争のミュージアムになったかの様だ(苦笑)

 8月15日に拘れば拘るほど靖國神社の創建の趣旨が曲解されて行くだろう。特筆すべきは、靖國神社の春秋の礼大祭に限り天皇陛下が御親拝せられたことだ。

 明治・大正・昭和と続いた大祭の御親拝が、平成の御代で途切れたのはA級戦犯の合祀が理由ではない。宮内庁幹部と8月15日の参拝こそが元凶である。

 天皇陛下の御親拝こそが英霊の御魂を鎮める唯一無二のものであり、聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、之に優るものはなし。今上陛下に於かれましては雑音を排し、御親拝遊ばされることを冀(こいねが)う。

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cordial8317 at 07:21│Comments(0)

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