広島はウラン型。長崎はプルトニウム型。米国が2つの原爆を投下した理由。「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」を改めて奉読してみよう!

2022年08月13日

8月15日の左右入り乱れての喧騒が続く限り御親拝は遠退くばかり

 8月15日を何故か「終戦記念日」と称して憚らない。「記念」とは思い出であり、終戦を記念してどうするのだ。15日が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であるなら、戦没者は何も英霊だけではないのだから「平和祈念日」と称するべきだ。

「大東亜戦争終結に関する詔勅」の渙発は13日、内閣が署名し詔勅が公布されたのが翌14日。15日は録音された「玉音放送」が流された日に過ぎない。15日以降も千島列島最北端占守島の戦いや南樺太での悲劇があったのを何故に沈黙するのか。

 我が国が講和を受け容れて政府がポツダム宣言による降伏文書に調印した日は9月2日、連合国はその翌日3日を対日戦勝記念日としている。我が国の本来の「終戦の日」は、GHQの占領統治が終わり、主権回復した昭和27年4月28日である。

「終戦記念日」との呼称こそ、GHQによる戦後民主主義教育の影響そのもの。侵略戦争状態の混乱から解放してくれた米軍への感謝の意味と日本人に贖罪意識を植え付ける為のものであるが、平和ボケした国民はそれさえも気付くことはない。

 8月15日に靖國神社に初めて参拝したのは三木武夫だった。三木の前の首相だった田中角栄も後の大平正芳も福田赳夫8月15日ではなく例大祭に出席している。

 その後、タカ派と言われた中曽根康弘が首相に就任すると、8月15日に「公式参拝」を実現。この15日の参拝は多くの国民の支持を得たのは否定しない。だが、この公式参拝で靖國神社が日中韓の政治問題化にされてしまったのも事実である。

 この中曽根の8月15日の靖國参拝以降、靖國参拝が愛国心の踏み絵とばかりに営業保守や自称・愛国者らに因る「贔屓の引き倒し的行為」が目立って行く。

 公式参拝して間もなく中曽根は中共からの抗議を受けると、中共と申し合わせたかの様に公式参拝そのものを謝罪し撤回するに至った。その理由を、驚くことに当時の中国共産党書記長だった「胡耀邦の失脚を防ぐ為のものだ」と平然と答えた。

 この公式参拝自体が、中曽根と胡耀邦に因るマッチポンプだったというのが正しく、この謝罪により、歴代首相が続けていた春秋の例大祭への靖國神社への公式参拝が途絶えたばかりか、陛下の御親拝も憚れる様になってしまった。

 正に中曽根の参拝が、その後の内閣の悪しき前例となってしまった訳だが、これこそ中曽根の狙うところであり、中曽根が国賊と断じられる所以でもある。

 因みに、昭和60年8月15日の中曽根の所謂公式参拝について、当時の松平宮司は中曽根を「人の家に泥靴で踏み込む様な人」と回想し、次の様に語っている。

「(中曽根首相は)遺族を参道に並ばせ、非常に芝居がかった演出、驚いたのはその横に4人のボディガードを連れて行動したんですね。うちの神様方というのは皆手足四散して戦場で亡くなられた方が大部分です。そこへ参拝するのに自分のみ安全を謀るSPを伴うというのは無礼、非礼の極みという他ありません・・・」

 然も、中曽根は参拝するに当たり手水もせず、御祓いも受けず、玉串奉奠もせず、ニ礼ニ拍手一礼もせず黙祷だけの神道否定、神社冒涜の異様な光景だったという。

 中曽根の公式参拝謝罪撤回以降、我が国政府は支那人への優遇措置が講じられている。その契機になったのが公式参拝だったということを忘れてはならない。

 保守票目当ての政治家や営業保守、自称・愛国者や右翼団体らが8月15日に靖國神社に参拝する。これ正に、三木・中曽根から続く靖國神社冒涜運動の継承であり、8月15日の左右入り乱れての喧騒が続く限り、陛下の御親拝は遠退くばかり。

 そんなに靖國愛が逞しいなら靖國神社の終身会員に入会し、春秋の例大祭に詣でれば好い。今日13日は旧盆の盆入り(迎え火)。先祖を迎え、先祖に感謝し、また大東亜戦争という混乱の時代を生き抜いた先人の営為に思いを致してみませんか。

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cordial8317 at 05:30│Comments(0)

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