海の日は7月20日でなくてはならない理由がある教育再生には先ず「正しい精神論」を創り上げることが肝要

2020年07月25日

「知育」「徳育」「体育」は我が国教育の根幹を成すものである

「スポーツの日」とは何たることか。1964年アジアで初めて行われた東京オリンピックに由来する「体育の日」という名称を易々と消してしまった。東京2020オリンピック・パラリンピックは来年に繰り越しされるが実現は未だ不透明。

「体育の日」を消し去り「スポーツの日」との名称変更は安倍政権らしい軽軽しさだ。昭和36年から40年までの一時期、スポーツ振興から「スポーツの日」との名称を付けたがその誤りに気付いた政府は「体育の日」に名称を変更した。

 国際社会を勘違いし、何でもかんでも横文字にすれば好いというものではない。こうした風潮は正しく我が国政治の無能と精神的幼稚さを示すものだ。

 明治の先覚者は、外来語をそのまま使用することなく咀嚼して全て新漢字に翻訳した。日本語で西洋文化を学ぶことが出来たことは実に偉大なことだ。

「スポーツの日」という現代の軽佻浮華な舶来趣向と比べれば、明治人の気骨と気概や高い見識を伺い知ることが出来る。祖国の言葉である日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。

 戦後の利己心剥き出しの価値観は欧米を模倣したことに起因する。我が国を経済大国にしたのは戦前に教育を受けた人々であり、それを潰してしまったのは戦後教育を受けた世代である。それをしても戦前の教育や価値観が全て悪ではない。

「体育」と「スポーツ」ではその意味と趣旨はビミョーに違う。スポーツは競技であり、「娯楽」を意味し、そこに営利主義も絡む。体育とは健康の保持や増進と体力の向上を図る為のもの。「体育」は「知育」「徳育」と並ぶ重要な教育でもある。

 体育の日の名称変更を「教育的意味合いの強い『体育』という言葉がそぐわない」とか「スポーツに自己実現や国際社会との窓口を開く役割がある」という理由を挙げるが、祝日法改正の本質はそこじゃないだろう(苦笑)

 左翼陣営の所謂「ハッピーマンデー」なる愚策の目的は、我が国の歴史・伝統・文化の否定であり国體破壊にある。そうした左翼陣営の策謀に与し、景気対策を優先し言葉遊びの如くに「スポーツ」などと改称するとは何事か。

 諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、多くの日本人が祝祭日をただの休みとしか考えなくなったのは、政治家の無能や不作為も然ることながら日本人の精神的貧困の顕れでもある。

 外国人が日本人と交流して感じるものは気品であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。世界の何処を探しても、日本人の様な洗練された美を追求する高い創造性や質素な上品さに比肩するものは他にはいない。

 この様な我が国の生活文化を支えているものが日本語である。安易な横文字の使用は先人達が長い歳月に亘り言葉に宿らせて来た重い意味を失わせる。

「知育」「徳育」「体育」は我が国教育の根幹を成すものであり、中でも「体育」とは運動の実践を通して健全な精神を育むことを目的とし、運動能力に伴う出来不出来は目的ではない。娯楽や競技を意味する「スポーツ」とは違うのだ。

 東京オリンピックに由来する「体育の日」を消すことは我が国文化の否定でもある。何も10月10日を「東京五輪の日」とし残すことは出来なかったものか。

 欧米流の理性や教育に抜け落ちているのは「本能論」であり、人間と動物の優劣性を強調する余り「本能」を下等なものとして否定しまった。

 仏教でも儒教でも「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説いている。これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」である。徳育は忠君愛国ばかりではなく「人間性」を確立することに在る。

 そこで我が国の教育を再生するには「正しい精神論」を創ることが必要となる。正しい精神論は正しい肉体を創るのが大事であり、その「体育」が重要となる。

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という。一流アスリートや競技者は兎も角、スポーツという娯楽から健全なる肉体と精神は生まれない。

「スポーツに自己実現や国際社会との窓口を開く役割がある」という詭弁に騙されてはならない。「体育」とは日本文化であり教育の要である。

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