「信」じる「者」がいるからこそ「儲」かる(笑)事故を騒ぐ前にオスプレイ配備の事の由を知るべし!

2023年12月01日

誹謗中傷や悪口・陰口というのは嫉妬の裏返しでもある

 SNSでは匿名を好いことに誹謗中傷や罵詈雑言なんてのは当たり前。SNSではそれが普通なのだろうが、SNSと雖も礼節は大事だと思う。意見の違う相手を説得したり、諭したいのなら尚更のこと。意見が違うというだけで人格を否定する様な書き込みも見受けられるが、そんなことでは身近な者さえも感化出来ないだろう。

 批判する側が本名ではなくハンドルネームならやりたい放題。そんな便所の落書き程度の雑言なんぞ「気にするな」と言ったところで気になるのが正直なところ。

 愚生へも以前よりは減ったが「爆サイ」などの掲示板サイトに、正体不明の輩から「あれやこれやと悪口が書かれています」との通報を聞き覗いてみたことがある。

 書き込んでるのはいつものメンバー。中には元警察官らしきものと思われるネタや、一部の人しか知らない情報も書き込まれていたり。前はよく目を通していたが、悪口なんて気にならないと言ってもやはり気になるので閲覧を止めた(笑)

 ブログにはメールアドレスを明記している。メールを寄越せば好いのにそんな度胸は無い。ある事ない事、人格否定の雑言をよくもあれだけ書き込めるものだ。

 こういうコメントを入れて来た人物が掲示板サイトへの書き込みの当人だったり、意外と身近な人物かもな。感心するのは、ブログをよく読んでるわ(笑)

「『汚れた顔の紳士達』は、野村秋介の『汚れた顔の天使たち』のパクリだ」とか書いてあったが、野村秋介の「汚れた顔の天使たち」の元元のタイトルは「塵中に人あり」で、その後にタイトルを変更したが、愚生のタイトルの方が古い。

「汚れた顔の天使たち」は、フランス映画「汚れた顔の天使」のパクリだろう。因みに「爆ちゃん吼える」は、ビートたけしの「たけし吠える」のパクリです(笑)

 往々にして悪口や陰口というのは嫉妬の裏返しでもある。羨ましさやヤキモチが悔しさとなり、誹謗中傷に奔る。逆を言えばその実力を認めているということであり、だから正体不明の便所の落書きと同じ様な書き込みに一喜一憂する必要も無い。

 大勢の意見とは「正論」というより「平均的意見」に過ぎない。そうした平均的意見に異を唱え様ものなら酷い目に遭うのがネットの世界というものでもある。

 往往にして人というのものは理屈ではなく、単純に「好きか嫌いか」のどちらかで判断するものだ。反抗的且つ歪な先入観に囚われる者に、滔々と説得を試みたところで受け容れられることはないし、相手側が矯正されることは殆どない。

 愚生の様な浅学な右翼浪人如きが、正論を訴えれば訴えるほど相手側は癪に障ることもあるだろう。だから、理論とかではなく、人格などを攻撃しては悦に入る。

 新約聖書・ルカ福音書四章に「預言者郷里(世)に容れられず」という言葉がある。「優れた人物というのは往々にして、故郷や世の中では受け容れられないことが多い」という喩えである。何事に於いても評価するのは後世の人というのが常。

「受け容れられない」というよりも「受け容れたくない」というのがホンネでもある。例えば身近な者が出世したり、自分よりも優れていればヤキモチを焼くのは人間の性というものでもある。「隣の家に蔵が建つと腹が立つ」とも言うだろう(笑)

 現代に於いても批判されたり、軽んじられてる意見こそが後に正論だったり事実だったりするもの。喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほどテロで殺されている。

 歴史を見てもそうだが、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くはバカかキチガイ扱いされた上に罰せられるか殺されている。逆をいえば、バカとかキチガイだとか変人だとか言われる様になればホンモノ。

「天動説」が当り前だった時代に、「地球が太陽の周りを廻ってる」と説いたガリレオ・ガリレイの科学などは考えられなかったのは当然といえば当然のこと。結果、「地動説」を唱えたガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判で弾劾された。

 当時は、天動説が大勢であり正論だった訳で、地球が回転し乍ら太陽を周回してるなどと誰も思うまい。世間からは「気が狂った」と思われたのは気の毒でもある。

 SNSなんてのも同じで、当たり前だとか、正論だとか、常識だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ずということだ。

 正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。「後悔」とよく言ったものだ。そんな時代に懸命に正論を吠えたところで理解してくれる訳は無いだろう。

 分かり易くいえば、何しろ世の中にはバカの方が多いし、マスコミの垂れ流す意見が正しいと思いこんでいるのだから結果的にそうなってしまうのは自明の理。

 五箇条の御誓文では「万機公論に決すべし」と教えているが、公論が正しい訳ではない。口論とは常識や日本人としての心構えがあってこそ成り立つもので、国民の判断力は古今東西常に低く、実に幼稚で気紛れなのだから公論でも間違いは起こる。

 政治というものは、世論に迎合することなく国家観を重んじ乍らも、時には国民目線とかけ離れた国家観や歴史観、人間観、世界観、高度な権謀術数を必要となる。

 今の世の中というのは「あの人は善い人だ」とか、「あの人の言ってることは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違った固定観念だと思った方が好い。

 SNSをやってると、悪口を浴びせられたり、誹謗中傷の対象となってるのは見方を変えれば実力が備わってきた証しである。堂々と我が道を行け!呵呵

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cordial8317 at 07:16│Comments(0)

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