「種苗法改正」は売国法案の「種子法廃止」と「農業競争力強化支援法」とは違うらしいが「イチゴが~」「日本の種苗が~」と騒いでる自称愛国者からバカ呼ばわりされた(笑)

2020年05月23日

雀士・黒川検事長の命運も尽きる(笑)

 東京高検の黒川弘務検事長が賭け麻雀で辞表提出。賭け麻雀なんぞ何処の世界でもやってるととだろう。以前、外務省の機密費問題が浮上した際、高級官僚へ麻雀で勝たせて小遣い稼ぎをさせていたということが発覚している。

 一人当たりの掛け金は数千円~二万円程との取り繕った金額は嗤うしかないが、愚生が知りたいと思うのは賭け麻雀をリークした出所で、噂されてる様な名古屋高検の林真琴検事長の周辺者なら、それはそれで問題の様な気もする。

 黒川本人は辞表提出で済むが、問題はこの後に閣議で了承され、陛下の裁可を頂く。こうしたくだらん問題に陛下の手を煩わせることに憤りを禁じ得ない。

 それにしても検事庁法改正問題で時に人となった黒川検事長も命運も尽きた。「月満つれば即ち虧(か)く」というが、盛衰の無常を思い知らされる。

 麻雀で思い出すのは色川武大こと阿佐田哲也。阿佐田の代表作は「麻雀放浪記」。色川から阿佐田に名前が替わったのは、徹夜で麻雀し朝を迎えたというのが謂れだという。「麻雀放浪記」は、黒川検事長も読んだに違いない。

 阿佐田はギャンブルから学んだ人生観を相撲の勝敗に喩え「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理が出る」と教えた。「幸運が続き過ぎると危ない」「ツキの流れを読んでそれに従う」という考えを持っていた。

 黒川は阿佐田の「ツキの流れを読んでそれに従う」との人生観は学ばなかった様だ。勝負事の経験のある人は分かると思うが「ツキ」というのがある。このツキが勝負事では勝敗を左右する。ツキ出すと自分でも驚くくらい当たり出す。

 ツキとはそんなもので、別にツキというのは博打や勝負事だけのものではなく、人生に於いても当て嵌まる。黒川検事長はそのツキに見放された。大好きな麻雀で辞任するというのは、ギャンブラーの宿命とも言える(笑)

 ツイてる時には、そのツキを味方に付けて勝負することだ。逆にツイてない時は軽挙妄動を戒めて、じっと「その時」が来るまで待つことが大事である。「時が解決する」というのは別に失恋だけのことでもないのだ(笑)

 だが、そのツキの判断は難しい。折角ツキ始めたのにそのツキを逃してしまったり、ツイてもいないのに無理に事を構えて痛手を深くしてしまったり。

「時はカネなり」とか言ってるが、それはツイてる人の言葉であって、ツイてもいないのに焦って行動してはダメだ。人間誰でも好調、不調はある訳で、その処し方で成功、不成功が決まると言っても過言ではあるまい。

「得意冷然、失意泰然」とか「失意泰然、得意淡然」というが、こうした言葉はそういう大事な心構えを訓えている。「失意の時には泰然と構え焦らず、上手くいっている時は淡々と構え驕らないこと」という意味だ。

「時」という時間を味方に付け、じっくり考えて決断する。尤も、その決断するタイミングというのは己の経験からしか分からない。つまりは日々の修行や成否はどうあれ経験を積むことが大事であるということだ。

 人間というのは往往にして成功から学ぶことは無い。失敗を経験し、そこから学んだ者の知恵が傾聴に値するのは、失敗することで「反省」し、そこから「思索」し、生きた学問を学んでいるからこそ面白くて参考にもなる。

 失敗を経験した数が「場数」であり、愚生は「バカ数」と言っている。つまりは「失敗」というバカな経験を積み重ねることによって、男の重みが変わって来るのものだと思っている。だから、失敗や苦い経験こそが貴重なのだ。

 我が母校・国士舘の徳目である「読書」「体験」「反省」「思索」とは、創立者・柴田徳次郎先生の自らの経験や失敗が活かされた教えであり、それは国士舘の大理想でもあるが、人間としての根本原理でもある。

 黒川検事長の辞任から話が逸れたが、男たるものこじんまりすること勿れ。決して都合の好い、当たり障りのない無難な男になるべからず。呵呵大笑。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:43│Comments(0)

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

「種苗法改正」は売国法案の「種子法廃止」と「農業競争力強化支援法」とは違うらしいが「イチゴが~」「日本の種苗が~」と騒いでる自称愛国者からバカ呼ばわりされた(笑)