3月10日は日露戦争奉天会戦勝利を祝う「陸軍記念日」釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られたがあれもウソだろう(笑)

2021年03月12日

東日本大震災後での政治の不作為と混乱を予断なく検証し総括せよ!

 東日本大震災から10年となる昨日、政府による追悼式が行われ県内でも追悼復興祈念式などが催された。ネットなどでも犠牲となられた方々へ哀憐の言葉が手向けられた。政府主催の式典では天皇皇后両陛下が御臨席遊ばされ御言葉を述べられた。

 県追悼復興祈念式で、内堀雅雄知事と太田光秋議長は犠牲者を悼み、遺族の方々に哀悼の意を表し「巨大地震と大津波に加え、原子力発電所の事故という未曽有の大災害は4000人を超える尊い命を奪った」と昨年と同じ式辞に違和感を覚える。

 東日本大震災で亡くなられた方々は巨大地震に因る大津波が原因であって、「原発事故関連」の死者はいるが事故での放射線被害で直接亡くなった人はいない。原発事故で尊い命が犠牲となったかの様な「複合災害」との言葉は混乱を生む。

 原発事故の関連死はあるが、放射線で直接亡くなられた人はいない。民主党政権が行った強制避難命令に由り、重篤な患者や医療弱者が緊急に移動させられ亡くなったのは原発事故が原因というより、民主党政権の科学を無視した愚策に在る。

 地震発生時、国会では菅直人首相の外国人からの不法献金が追及されていた。辞任已む無しの状況下で東日本大震災が発生。菅は不法献金を有耶無耶にしようと現場視察というパフォーマンスに出た。この軽挙妄動が混乱に拍車を掛けることとなる。

 東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していながら、菅直人自らが強く望んだ第一原発視察に因って、事故拡大防止の為に採るべき第二第三の矢を放つのが遅れてしまったことは決して見逃すことは出来ない。

 政府関係者は「首相を被曝させない」ことを優先する余り、1号機の炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れてしまったのだ。

 この現場視察という菅の軽挙妄動こそが原発事故の現場の対応に要らぬ混乱を招き被害が拡大した要因である。今日の金曜ロードショーで「FUKUSHIMA50」が放映されるが、この映画が野党らに不評なのは、事実が曝されているからだろう。

 東電幹部なんぞより菅直人こそ「業務上過失致死傷罪」で逮捕され刑務所に送り込まねばならない大悪党であり、菅が強制起訴されない裁判に意味は無い。

 東日本大震災時、民主党政権は「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値を隠蔽し、科学的根拠の無い「原発周辺20キロ圏内」という避難指示を下した。このSPEEDI数値の隠蔽行為が後々禍根を残す。

 双葉病院やドーヴィル双葉の周辺は放射線量も低い地域だった。避難指示を解除し治療を優先すべきだったにも拘らず「原発周辺20キロ圏内」に拘泥して強制的に避難させてしまったことで患者が死亡したというのが事実である。

 双葉病院や介護老人施設に入所していた移動困難な動かしてはいけない重篤な患者に移動を強いた責任者は、当時の首相であり災害対策本部長だった菅直人であり、科学的データを無視した避難指示は正しく殺人行為でもあったのだ。

 東電旧経営陣らを庇うつもりは毛頭ないが、当時の最高責任者であり混乱と更なる被害の拡大を生んだ菅が逮捕されないことに正義が在るとも思えない。当時の政権の失政を総括し、政治家全体の責任として猛省しなければその意味は無い。

 騒がれている処理水問題にしても何故に早くに海洋放出が出来なかったのか。何より「福島は除染をしなければ住めない土地」と風評を悪化させる原因を作ったのは除染作業であり、何故に除染が強行されたのか予断なく検証するべきである。

 事故責任を問うのは法治国家では当然であろうが、それよりも大事なことは二度とこの様な「人災」と言われる過ちを繰り返さない為に我々はどうすべきなのか、また未曾有の福島第一原発事故の教訓を今後にどう活かすかだろう。

 福島原発事故に限らず、いつか起こるであろう韓国や中共、或いは世界の原発事故に対し、福島第一原発事故の収束技術と正確な科学的データが活かされることこそ福島のこの地に住み続ける我らの願いでもある。

 余談だが、内閣府は今月初め「3月11日の午後2時46分に1分間の黙とうを捧げ、御冥福をお祈りすることとしております。国民の皆様におかれましても、これに合わせて、それぞれの場所において黙とうを捧げるなど、犠牲者の御冥福をお祈りいただきますよう、お願いいたします」との談話を発表した。

 気になるのは「御冥福を祈る」との言葉だ。「御冥福」とは「死後の幸福」という意味。浄土真宗の教義は「死は穢れ」ではないから死後の幸福は考えない。

 故人を阿弥陀如来の智慧の光明によって極楽浄土へと導くという真理である。「御冥福」を使うことは阿弥陀如来の否定であり、浄土真宗への冒涜でもある。

 ネットなどでも犠牲者を悼み「御冥福」の言葉が氾濫してる。「御冥福」というとそれらしく聞こえるから使いたくなるのだろう。亡くなられた方の宗派が分からないなら「哀悼の意を表します」「お悔やみ申し上げます」と言い換えるべきだ。

 葬儀告別式でも地元選出議員らの選挙活動の一環として弔電披露が行われる。宗派に関係なく「訃報に接し心より御冥福を祈ります」などとやってるアホ議員が多いのには厭きれる。死者を悼むならその前に仏教や宗派の教えを学んだら如何か。

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cordial8317 at 04:55│Comments(0)

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