皇国臣民の一人として天皇誕生日(天長節)を寿ぐ財力に諂わず権力に屈することなく正しいものを正しいものとしてどこまでも信念を押し進めて行きたい(五代目山口組若頭・宅見勝)

2024年02月25日

二・二六事件の伏線になったと言われる「相沢事件」とは

 昭和11年2月26日未明、安藤輝三、野中四郎、香田清貞、栗原安秀、中橋基明、丹生誠忠、磯部浅一、村中孝次ら青年将校は、第1師団歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛師団の歩兵第3連隊など総勢1483名を率いて維新を惹起した。

 当時の情勢は、東北の農家は疲弊し、中央の官界や財閥の跋扈と政治の怠慢など多くの問題が山積していた。掲げられた「君側の奸」「昭和維新」「尊皇討奸」との幟の惹句を見れば、如何に憂国の至情から出でる行動だったかが窺い知れる。

「皇道派」といわれた彼らのその行動の柱となったのが、国家社会主義者・北一輝の「日本改造法案大綱」と言われている。大綱は八巻で構成され「言論の自由」「基本的人権尊重」「華族制廃止(貴族院廃止)」「国民の天皇への移行」「農地改革」「普通選挙」「財閥解体」「国際情勢と外交政策」などを求めた論文である。

 日本改造法案大綱に加え、二・二六事件の伏線になったものが、事件前年8月に起きた「相沢事件」とも言われている。「相沢事件」とは、皇道派青年将校に共感する相沢三郎中佐が陸軍省内で統制派の軍務局長・永田鉄山を刺殺した事件である。

 相沢は福島県白河町(現白河市)に生まれた。大正7年、歩兵第4連隊から台湾歩兵第1連隊付に移り大尉に進級。同年9月陸軍戸山学校教官に就任。その後、陸軍士官学校付歩兵第13連隊中隊長を経て、剣の達人であった相沢は、昭和2年少佐進級と共に歩兵第1連隊付として日本体育会体操学校(後の日本体育大学)に配属される。

 出世街道を歩んだ相沢は昭和8年には陸軍中佐となる。昭和10年の永田軍務局長刺殺で翌軍法会議で死刑判決が下され代々木衛戍刑務所内で銃殺刑に処された。遺体は落合火葬場で荼毘に付され、後に仙台市新坂通の充国寺の墓所に葬られている。

 陸軍内は当時、高度国防国家を目指す「統制派」と天皇親政を理想とする「皇道派」の対立が激化していた。皇道派だった相沢は、同派の教育総監・真崎甚三郎が更迭されたことに不満を持ち、統制派の中心人物だった永田刺殺に至る。

 北一輝の「日本改造法案大綱」に加え、「相沢事件」の半年後に二・二六事件が決行されたことをしても相沢が大きな影響を与えたのは紛れもない事実だろう。

 我が国の悠久の歴史を遡れば、聖徳太子の「大化の改新」に始まり、「建武の中興(新政)」「明治維新」と、陋習を打ち破らんと維新の大業が成し遂げられた。

「維新」とは、幕末の思想家であった藤田東湖が示した「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚(いずく)んぞ興起せざるを憂えん」こそが神髄である。

 二・二六事件を惹起した彼らは「反乱軍」と断じられ、陛下の命により処刑されはしたが、彼らの維新の大義と憂国の至情は決して消えることはない。

 二・二六事件に唯一の民間人として加わり「群衆指揮等」として死刑に処せられた渋川善助という思想家がいる。渋川もまた相沢と同じ福島県人である。

 渋川は福島県会津若松市七日町出身。会津中学校、仙台陸軍地方幼年学校を経て陸軍士官学校予科に進み、御前講演を行うほど成績優秀な人物であった。杉田省吾、西田税らと「維新同志会」を結成し、国家主義運動に参画した。

 群衆指導罪で逮捕された善助は、公判調書で「私は会津藩に生まれた関係にて、祖父母も祖父も明治維新当時の汚名を冠せられたることを甚だ残念とし、幼時より蛤御門の討伐のことや白虎隊の武士らしき忠義ぶりなどを聞かされ武士的精神が自然に養われて居りました」と供述している。正に会津人の鑑である。

「茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し、国體の擁護開顕に肝脳を竭し、以つて神洲赤子の微衷を献ぜんとす」との大義を掲げて昭和維新を目指した皇道派青年将校のその崇高な志と命を賭した行動は尊敬に値する。

 渋川が少年時代に過ごした部屋は、三島由紀夫が訪れた際に「憂国の間」と名付け、会津若松市の料亭「渋川問屋」内に現在でも保存されている。

 渋川問屋は料理旅館としても有名なのだが、福島県に住んで乍ら不如意もあって未だ訪れたことは無い。いつの日か憂国ならぬ夕刻の士らと宿泊し、会津料理と地酒を呷り乍ら談論風発、杯盤狼籍、大破轟沈するのが細やかな夢でもある。呵々。

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cordial8317 at 07:52│Comments(0)

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