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2020年02月22日

浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢烈士の狂気と正気

 今日、2月22日は「竹島の日」だが「222は、にゃんにゃんにゃん」で「猫(にゃんこ)の日」らしい。愚生の場合は、憂国の至情から浅沼稲次郎を刺殺し、練馬鑑別所で自裁した山口二矢のことを思い出さずにはいられない。

 昭和18年2月22日生まれ。山口家の二男、二月二十二日生まれと「二」の字が重なったことから「二矢(おとや)」と命名したという。

 昭和34年、大日本愛国党に16歳で入党。だが、赤尾総裁の運動に懐疑的だった二矢は翌年5月、同党の吉村法俊、中堂利夫(後に両名は防共挺身隊に身を寄せるも脱退し共に人気作家に)と共に愛国党を脱党する。

 3人は防共挺身隊の福田進総隊長の世話になり、「全アジア反共青年連盟」を結成。福田の支援で銀座鳩居堂の二階に事務所を構える。

 福田は以前、大日本愛国党の城南支部長も兼任していたが、「赤尾は完全な資本主義者だ」として袂を分かった活動家でもある。

 2月22日生まれ。浅沼を刺殺したのが10月12日。練馬鑑別所で自裁したのが11月2日。「二」という数字は烈士にとって運命だったのか。

 当時、17歳の二矢は大東文化大学の学生でもあった。「日本を救うには左翼の煽動者や阿る連中に天誅を加えなければ」と、第一の候補に日教組委員長の小林武を選ぶ。続いて、日本共産党の野坂参三、浅沼稲次郎は三番目だった。

 更に、自民党・鳩山一郎、石橋湛山、社会党・松本治一郎の6人を狙う。また「紀元節反対」を論じている三笠宮殿下に対しても御反省を求めている。

 今や日本社会党は消え去り、残党である社民党も風前の灯火。二矢が警鐘を鳴らさねば当時の勢いは止むことなく、多くの国民が社会主義の犠牲者になってただろう。浅沼ではなく、野坂参三だったらどうだっただろう。

 昭和35年10月12日、ニ矢は日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。二矢が携行した檄文にはこう認めてあった。

「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢」

 逮捕された二矢は供述録取書にも素直に応じた。

「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています」

「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく、唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」 

 供述調書を取り終えた11月2日未明、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と記し、従容として死に就いた。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時に常軌を逸した行動が生まれる。テロと断じるのは容易いが、この行動こそが正に正気の狂気であるのだ。

 生きていれば未だ77歳で、麻生財務大臣より若い。右翼民族派陣営の現況は先細り、淘汰されつつある感は拭えない。二矢烈士が生きていれば、右翼民族派陣営をどう導いてくれただろうか。すめらぎいやさか。すめらみこといやさか。

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cordial8317 at 07:03│Comments(0)

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