悪名高い枯葉剤「エージェント・オレンジ」を開発したモンサント社2月10日は民族の生死を賭けた日露戦争の開戦記念日

2020年02月07日

更なる譲歩を生む安倍政権の「北方領土二島返還論」を糺す!

 本日2月7日は「北方領土の日」。地元紙にはの内閣府の政府広報の御座成りな「2月7日は北方領土の比」の広告が載っている。然も地図は四島のみ。

 安倍首相は、北方四島の色丹島と歯舞群島の二島先行返還案を軸にロシアとの交渉を続ける方針らしいが、これを弱腰軟弱外交と言わずして何と言う。譲歩は更なる譲歩を生むだけで、何ら解決されることはないだろう。

 北方領土は「樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)」及び「日露講和条約(ポーツマス条約)」により、南樺太と歯舞、色丹、国後、択捉の四島を含む、北は占守島から得撫島までの全千島列島が固有の領土となった。

 領土問題では、日本共産党でさえ「全千島の主権」を訴えているが、国会では北方領土の正当性も論じられることなく、まやかしの「四島返還決議」が可決され、そして安倍政権下で二島返還で妥協しようとしている。

 これ正に、領土主権の重要性を認識していない証左である。先人達の外交努力を無視し、全千島と南樺太の主権が我が国に在るにも拘らず、四島のみの領有権主張を明記し、見す見す権利を放棄するとは言語道断と言わざるを得ない。

 安政元年(1855年)2月7日、下田で「日露和親条約」が締結され、四島と千島列島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。だが、これは日本政府としてではなく、明治維新前の江戸徳川幕府時代のことである。

 明治維新を成し遂げ新政府を発足させた我が国は、ロシア人と日本人の混住の地であった樺太を明治8年(1875年)5月7日に「樺太・千島交換条約」を交わし、樺太の北側を千島列島と交換したことに由り南樺太が我が国に帰属した。

 日露戦争に勝利した我が国は「日露講和条約」を締結し、千島列島を日本領とした。つまり「北方領土の日」を2月7日というのは単なるこじつけ。何故に日本政府の「日露講和条約」ではなく、江戸幕府時代の「日露和親条約」なのか。

 北方領土問題を解決するには、領土に関する歴史的経緯と事実と領土主権の重要性を国民に分かり易く説明すべきだが、そうした啓蒙運動はしない。

「日露和親条約」を論拠とする2月7日を北方領土の日にしたこと自体、政府や国会の領土主権に対する認識不足とやる気の無さの現れである。

 徳川幕府時代の「日露和親条約」より、日本政府として締結した「サンクトペテルブルク条約」並びに「ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する」とした「ポーツマス条約」を論拠に領土主権を主張をすべきだ。

 ロシアは第二次大戦の勝利と「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権を主張している。だが、ヤルタ秘密協定こそが国際法的にも意味を成さない協定であり、サンフランシスコ平和条約の千島関連の条項もまた然り。

 ロシアの主張は「カイロ宣言」に明記されている「領土不拡大」という戦後処理の大原則を蹂躙するもので、これを糾し、我が国の領土主権の正当性を内外に主張せずして四島や二島先行返還などと言ってるから足元を見られるのだ。

 因みに「北方領土の日」が制定されたのは昭和56(1981)年のこと。北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るという理由で、2月7日を「北方領土の日」と制定した。

 昭和56(1981)年といえば国士館大学在学中であり、防共挺身隊の一員として2月7日の「北方領土の日」を粉砕すべく霞ヶ関の式典会場に向かった。

 会場手前から隊列を組み押し入ろうとするも機動隊と揉み合いになった。竹竿を振り回すと機動隊員に当る。数人が公務執行妨害の現行犯で機動隊員に連れ去られるも乱闘の末に奪還。そうしたことも今では懐かしい想い出だ(笑)

 世界各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きている。寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識でもある。

 己の土地を他人に奪われ泣き寝入りする人はいないだろう。北方領土然り、竹島然り、拉致被害者然り、話し合いでは解決しない。奪われたものは奪い返すことでしか解決を見ない。領土奪還、同胞奪還の気概を持たねばならない。

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cordial8317 at 05:24│Comments(0)

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